はてなキーワード: 他人事とは
これ思い出したhttps://note.com/ao8l22/n/n382fcb80113b
「できる人」をバカにするのはもうやめよう
インターネットの悪いところの1つとして、「できない人」の声が大きくなるところがある。「要領よくできる人」「コミュニケーションがうまい人」「なんだか楽しそうにしている人」のことを、そうじゃない人が「自分はできないけど」と自虐含みでバカにする。羨ましさが反転して攻撃になる。
たとえば発達障害なら、発達障害ではない人のことを「定型発達」「健常者」などと言い、「定型発達」の生きやすさと発達障害の生きづらさを言い連ね、「定型発達」の人々が非常に無神経であるかのようにまとめる。しかしかなり言いがかり的なものもあるというか、「定型発達、そんなスーパーマンじゃねえから…」と言いたくなるようなこともある。人間、だいたいグラデーションだ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/workshain/status/959066779929604096
で、クワーッとなったのを抑えるために、オードリー若林正恭の「完全版 社会人大学人見知り学部卒業見込」(角川文庫)を読んだ。とてもよかった。
すごいよかったのは、若林の言っていることがだんだん変化すること。連載の最初では「スタバで『トール』っていうのが恥ずかしい」と言ってたりするのだが、途中から「別に恥ずかしくないぞ!」と言い出す。過去の自分のネタ帳を読んでこう振り返る。
「テレビに出たい!」「お客さんに笑ってもらいたい!」となぜ素直に書けなかったのだろう。他人事のように考えを巡らせた。それを書いたら最後、いよいよ本格的に自分の力不足を直視しなくてはならなくなるからだろうな。それを書く強さなんて勿論持ち合わせていなかった。だからこそ、それを手にする気がないことを殊更に強調することが、当時の精一杯の自己防衛だったのだろう。
この辺りの文章が超絶に刺さった。素直にうらやんだり、素直に悔しがったり、素直に憧れるのは体力がいる。それよりもちょっとスカしたふうにふるまったり、すごい人をかえって下げてみたりしたほうが全然傷つかない。でもそんなひねくれやこじらせた自意識や他人に対するレッテル貼りは、人間を不自由にする。
全然関係ない話なのだが、私は非常に感謝していることがある。むかし「部屋が汚い」ということを記事にしていたら、「発達障害(ADHD)なのではないか」というコメントをもらった。それに対して私は「そうなのかな?」と思っていたのだが、自身がADHDであり、それについての文章をよく書いていたYさんが、そのことについて怒ってくれた。その怒ってくれたものの中身はあんまり覚えていないのだが、「青ちゃんは部屋が汚いことを気にしているのに、そういうレッテル貼りはいかがなものか」のようなものだったような気がする(違ったかもしれない)。
ADHDがらみの話は私の中で非常に混迷している。ADHDの特徴を、当事者やその周りの人が知っておくことは、生きやすさ、過ごしやすさにつながると思う。「どうして自分はこんなにできないんだろう」と悩んでいる人が、ADHDの情報を知ることは、とても救いになるし、大事なことだと考えている。
ただそれは当事者と、その周りの人が楽しくコミュニケーションするために知っておくべき情報であり、赤の他人がその相手を理解しやすくするためにレッテルを貼り付けるものであってほしくないという気がする。たいていそういうのは雑になるものだから。それは「発達障害」という言葉でもあるし、「定型発達」という言葉でも同様に発生している。
ttps://x.com/ao8l22/status/960065753872416772?s=20
ttps://x.com/ao8l22/status/960066055988129792?s=20
ttps://x.com/ao8l22/status/960093910063235072?s=20
②パク増
③パク増再投稿(元のパク増本人?)
自分よりプラスに見える人間をまずバカにするやり口、本当に好かない。リ..
https://archive.vn/2021.03.19-214155/https://anond.hatelabo.jp/20210319191550
他人事みたいに言わんでくれるか?そうしたのはお前たちだぞ
前 https://anond.hatelabo.jp/20231231221401
あれは、F君が福祉課2年目の時だった。課内で飲み会があったのだ。肝心のお店だけど、和風か洋風かどっちつかずの、食い倒れ的な意味で名店と呼ばれるところを予約した。課のほぼ全員が参加する、夏場の納涼飲み会だった。
あの頃の俺は……異動した先輩の跡を継いで苦戦中だったけど、ようやくマトモに業務を進めることができるようになり、調子に乗ってた。後輩にもマウント取ってたかな。まだ当時は、マウントを取るというネットスラングは一般的ではなかった。
しかしまあ、俺はやはり調子に乗っていた。当時は、市内に軽く十以上はある社会福祉法人の指導や監査をする立場だった。会計報告も読み解かないといけない。その業務担当者になったのは、俺が史上最年少だった。
でも、仕事の負担はどんどん重くなった。特に、人間関係のトラブルとか、犯罪性のある監査事案になると実力が追い付かなかった。年を経るごとに消耗していった。躁鬱的な症状だ。
年を経るごとに、冒頭あたりで説明したような、よくない先輩方に近づいている感覚が出てきた。
飲み会の話に戻るけど、自分と若手複数名が幹事役だった。予算を考えるとか、お店を押さえるとか、当日の司会進行とか、みんなの注文を伺うとか、二次会の手配とか、上司のタクシーを呼ぶとか――増田社員のみんなもやったことがあるような飲み会の仕事だ。
納涼会にはF君も参加していた。こういう会だと奥の方で大人しくしてることが多い。協調性がないキャラだったから、どの上司もF君に幹事を任せようとしなかった。彼も任されそうになると断っていた。
予約した居酒屋は、料金に比して料理がたくさん出ることで有名だった。部屋に案内されると……広い客間の中に、テーブルをいくつも合体させたうえで純白のクロスが掛けてあった。みんなゾロゾロと椅子に腰かけて、料理を楽しみに待っていた。いや、サランラップがかかった刺身はすでにあったかもしれない。
食卓の見た目は洋風で、床はカーペットだったけど、部屋の造りは伝統的和風スタイルだった。参加人数は、三十人ほど。
飲み会スタートから数十分後のテーブルの上には、刺身の盛り合わせとか、おしゃれな豆腐とか、唐揚げとかポテトとか天ぷらとかフランクフルトとか、なんかもういろいろと並んでいた(高そうな料理もあったが名前がわからない)。食事的な意味で皿を片付けるのも難しかった。
俺と同年代の職員は幹事役で手一杯だった。注文の多い上司や先輩が多かった。福祉課長もその1人だ。毎回違うお酒を注文する。飲み放題メニューにないお酒の注文は、もはや基本だった。
そのうち、飲めや歌えやの大騒ぎになった。カラオケはなかったが、大声で民謡を歌う人はけっこういた。フローリングの上に敷いてあったカーペットが柔らかかったな~。もう長らく行ってないけど、今度地元に帰った時に行ってみよう。
F君は、端の方で大人しくしていた。たまに会話に混ざったりしてたかな。俺は参加者全員の様子を見てたけど、F君は基本こぢんまりと黙食していた。お酒は飲んでなかった。烏龍茶か緑茶のどっちかだ。
覚えてるのは、F君が年配の職員とか、臨時職員さんとおしゃべりしてたのと、あとは女性職員がおそるおそる彼に話しかけていたのを見た。会話の内容はわからなかったが。
F君は、隣の人の空になったビールグラスをサーバー(※樽の方だ。基幹システムの方じゃない)まで持って行って、注いであげてた。
うるさい飲み会だったけど、若いから気にならなかった。でも、嫌なことが数点あった。こういうのが、数年後に市役所を辞めたきっかけになる。
早い話、この福祉課全体の飲み会でひと悶着あった。ひとつはF君案件だ。その飲み会で片隅に座っていたF君が、近くにいた福祉課長や直属のグループリーダーその他先輩がいた席まで呼ばれた。「おい、ちょっと来い」と呼ばれてた。なんか最近、彼が失敗したことがあったらしい。
ところが、F君はストレートに断った。「行きません」だって。周りの空気が冷たくなったのを感じた。要は突っぱねたのだ。
それで、上司や先輩方と口論になった。周りは雑談してたけど、やっぱり気にしていた。俺達幹事はどうしようかって感じだった。そしたら、先輩方の態度が軟化してきて、F君のところに行って「まあ一杯飲めや」と勧めたのだ。そしたら、それも断ってしまって、また険悪な雰囲気になった。
でも、そのうち優しめの年配職員がF君の隣の席に移ってきて、「まあ飲みなよ」とお酒を注ごうとした。「グッジョブ!!」と心の中で感じたけど、F君は「帰りが~」と言っていた。聞き取れなかったけど、そんなことを言ってた。※F君は自転車かバイクで通勤していた。飲酒運転を気にしてたのではないか。
それで、そういう態度に憤った福祉課長その他数名が、F君のところに詰め寄ってお酒を飲ませようとしていた。下は、ほぼ福祉課長のセリフだ。印象的なやつだけを抜粋してる。
「帰りがバイクでもいいだろう。一杯だけでいい。飲め」
「ここは呑んでおく場面だ。呑まなかったら男じゃない」
「上の人から酒を勧められたら飲まないと。法律とかいう問題じゃなくて、社会の常識だ」
「お前。結婚してるか、する予定があるのか……ない? だったら、増田君の方が『上』の存在だよ。婚約者いるんだからな」※当時、俺は婚約中だった。
「結婚できない人間は、お前みたいに人間性に問題があるやつが多いんだよ」
といった、福祉課長その他の発言が心に残ってる。それでも断固とした態度のF君に、彼らは声を荒らげて、ついにグループリーダーがF君の胸襟のあたりを掴んだところで、「やめてください!!」と彼が拒否して……。
隣の客間にも聞こえていたと思う。はっきりいって大声だった。店員数名が「どうしました!?」と客間に入ってきたことで、それでようやく騒ぎは収まった。
かくいう自分は、どっちもどっちだと感じていた。双方とも行動に問題があった。まず、F君は協調性がない。お酒の一杯くらい飲んでもいいじゃん。限りなく透明に近い酎ハイとか作ってもらってさ。
上司や先輩方だって、アルハラなる言葉はまだ世間に浸透してなかったけど、さすがに飲酒運転容認はまずいだろう。
それからも、俺にとっては歯がゆいというか、嫌な飲み会風景が続いた。大体こんなところか。これでもだいぶ端折ってる。
※公務員の原則たる身分保障が働かないから、首を切られないように気を遣ってる
・女子職員がキャバ嬢扱い。女の子の場合、全員の席を周ってお酌は基本だった
・酔いつぶれて動けなくなった職員を店の駐車場に放置して帰ったこと
あんなことがあったが、F君は堂々としてたよ。その後にあった余興(参加者がひとりずつ挨拶と抱負を述べる。やりたい人は芸とかする)でも、超然として仕事の抱負を述べていた。「自分、まだまだだけどフツーに頑張ります」みたいな感じか。
堂々としていた。自分が正常な人間みたいに振る舞っている……微妙に笑いも取っていた。それを見てる人達は「おー」みたいな雰囲気になってた。
さすがに一発芸はしなかったけど、F君には芸があった。中学生の頃、ムジナ(アナグマ)の物まねをして剣道部の先輩連中に気に入られてた。「ムジナってなんやねん!!」て感じで。ムジナが身を低めながら、スウェーバックで後ろに下がって、また出てきて、身を起こして威嚇するポーズだった。
※ようつべで野生のムジナ(アナグマ)を見ることができる。「アナグマ ムジナ」で検索してみよう。
別に、そこまでF君に興味があったわけじゃない。ただ、あまりに珍しいというか。学校・公務員・民間を通じて、これまでに見たことのない存在だった。
その飲み会でも、確かにF君は浮いてたけど、でも完全ボッチチェリというわけではなかった。年配の職員とも、中年の職員とも、同年代とも、若い職員とも、数は少ないけどコミュニケーションは取ってた。料理の取り分けとか、空いたグラスや皿の片付けもやってた。もしかすると、発達障害とかパーソナリティ障害の人がする『擬態』みたいなやつかもしれないが。
飲み会が終わった後は、手配したタクシーに上司や先輩を乗っけて二次会まで連れていく仕事が待っていた。帰ろうとするF君を見ると、なんと杜甫ではないか!! 今日はバイクに乗ってないみたいだ。
帰り際に呼び止めて、F君とちょっと話をした。「今日は災難だったね」と言うと、「まあ、こんなもんでしょ。次に期待。料理うまかったし、無事に終わって神に感謝」という答えが返ってきた。ひどい目にあったのに他人事みたいだった。キャラクターが読めない。
それからF君は、上司や先輩から姿を隠すように、公道に出ずに駐車場のフェンスを飛び越えて(笹食ってる場合じゃねぇ!のやつ)、店の裏側にあった河川管理道に躍り出ると――そそくさと帰って行った。
まあ、問題職員(モンスター社員)のことばっかり書いてるけど、実際なんであいつらは発生するんだろうな。普通のイメージだと、モンスター社員が採用試験で間違えて採用される、といったところだろうか。
いや、でもわからない。もしかして、モンスター社員は採用試験を受ける時はまともな人間なのかもしれない。それが、組織の環境に当てられることでモンスターに変化してしまう――そういう見方はできないだろうか?
こんなことを書いてたら、とある書籍の記述を思い出した。書棚から引っ張り出して引用してみる。
組織の成員を変えようとするよりも、創造や革新を阻む組織内の要因を探った方がよいのではないだろうか。「現在の環境で、なぜ人びとは創造したり革新したりしないのか」という問題を提起すれば、正しい方向に一歩踏み出したと言えるだろう。ここで思い出されるのが、もはや伝説的存在となった著述家であり、いまなお精力的に啓蒙活動を続けるピーター・ドラッカーの逸話である。彼は企業の上級管理職向けの講演会で、社内に「無用の長物」を大勢抱えていると思うひとは挙手するよう求めた。多くの手が挙がったところで、ドラッカーは次のように尋ねた。「そのひとたちは、皆さんが面接を行い、採用を決定した時点から無用の長物だったのですか。それとも、入社後に無用の長物と化してしまったのですか」 P19 完全なる経営(2001) P.19 A.H.マズロー (著), 大川 修二 (翻訳)
子供の頃は画面の向こうにいるヒーローが本当に人知れず世界を救ってて、ヒーローが敗北した週は「今はまだ被害は東京とかだけなんだろうけど……自分たちの住む田舎町にももうすぐ怪人たちが来るんだ……」って怯えてたりしてたわけじゃん。
でもいつからか勝手に「画面の向こうの話だから自分には関係ない」って線を引き始めた。
向こう側から手を差し伸べられない限りは他人の話だって勝手に自分が思ってるだけじゃん。
コントローラーを握って主人公を遠隔操縦してるだけだとしても、一緒に冒険した仲間たちのことを本気で心配する気持ちをちゃんと持ってれば、第4の壁が壊されたって「元からここに壁なんてなかったけど?」ってなれるはずだよ。
真っ暗闇の世界で生きているから少しの明かりをやたら眩しく感じるだけだ。
ずっと光の中に生きていれば、僅かな明かりの増加に対して必要以上に驚いたりなんてしないよ。
サンタっている設定といない設定のどっちがいいんだろうなってこの時期のクリスマスエピソード見てると思う
各家庭では自由でいいと思ってるんだけど、保育園とか幼稚園は確かにクリスマス会?みたいなのやるだろうし、そこには当然中の人がいるタイプのサンタ来たりするじゃん。
そういうときにいない設定でやってる家の子が「えー、サンタなんていないよ。ママとパパなだけ」みたいなことを言ってしまうのはしょうがないんだけど、じゃそういう共同幻想っていつまで守られるべきなんだとか、そもそもホントはいないものをママとパパが嘘ついてたんだってショックだった、みたいな話を見かけると初めからいない設定のほうが良いのか?とも思う…
でも、子どもの時サンタさんってほんとにいるのかも!みたいに思う気持ちも、大事にしてあげたい気もするしなー……。いる設定の家/いない設定の家が混在してるの、保育士さんとか幼稚園の先生ってめっちゃ大変そうだな〜と思う 他人事ですまんけど
『安楽死』の『安』と『楽』の文字の意味分かってる?自殺で訪れるのは苦しくて困難な死であって、全く安楽死でないの。自殺では安楽死の代わりにはならないの。
自殺に失敗する恐怖とその後の後遺症の可能性を考えない机上の空論でしかないのにさも正論かのように言い放つ人達の多さって一体何なんだろう。
今の日本でいつでもどこでも個人の選択で簡単に自殺できるキットのような物が市販されてるとでもいうのなら別だけど、どう考えてもそうじゃないからね。
大体、自殺教唆はそれ単品で立派な犯罪だからな?自分達の言ってる事が分かっているのか?
刑法202条 人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は、六月以上七年以下の懲役又は禁錮に処する。
勿論特定個人相手でない以上罪には問えないが、他人に対して「自殺すればいい」と言うのは「殺されればいい」と言うも同じ加害発言だという自覚は持った方がいい。
https://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/yamasitayu/archives/52376327.html
tastasto まあ自分が楽に死にたいから賛成とか言ってる奴がいる内は議論にすらならないよね。そんなに死にたいなら今だって自殺できるのにしないんだからその程度なワケで、他人がわざわざ手を貸してやる必要もない
natumeuashi いや、頑丈な紐かそこそこの高さがあれば自殺はできるんだから個人で勝手に死ねばいいでしょ‥制度でヘタレのケツ拭く必要はない。貴方は鬱病でQOLが低いから臓器提供がお勧めですなんて医者に言われる方が鬱陶しいわ
rci 自殺ではだめで安楽死を導入しなければならない理由がわからない。自己決定が大事なら他人に幇助させず自力でやるのが筋では?そのくらいのハードルは設けてほしい。
Domino-R 安楽死は本邦では自殺幇助になるから罪なので、今でも自分で死ぬ事は別に犯罪でもなんでもないよ >安楽死したい人。/「尊厳」も考えすぎると原理主義的になるからな。「価値のある生/ない生」を導きかねない。
tikani_nemuru_M 「自分はこれこれこういう状態になったら自殺する」とか抜かしている連中は、いざそうなってもまず自殺しない。未来の自分ですら他人事であり切り捨て対象なのである。この手の連中を僕は絶対に信用しない。
病院には何度も行った。といっても最後に行ったのは3年ほど前だが。
定期的に体調が悪くなる。
そうなると布団で横になるしかない。身体を動かすために割く余力が無くなるからだ。
「つらい」「助けて」というネガティブな言葉が多いが「どうしたの」や「何で」などの言葉もたまに聞こえる。問いかけられても困る。
聞こえると書いた通り、それらの言葉は自身が考えているのではなく、第三者の声に感じられる。
ただし実際の声として耳で聞いているわけではない。内言に近い。
しかし自分の考えであると認識していないため、自動思考であるという感覚は無い。おそらくこれは一般的な感覚ではないだろう。
並行して、時々身体が動かなくなる。
この時は手足などの身体の一部に力を入れようとしても、微動程度しか動かない。痛覚などの感覚はある。
また、声が出なくなる場合もある。言葉を話そうとしても喉が動かないので、おそらく手足が動かなくなる現象の延長だろう。咳払いはできる。
これらの症状に耐え続ける、あるいは無視し続けていると記憶が飛び始める。
記憶の飛び方は様々で、気が付いたら外を彷徨っているという分かりやすいものから、何をしていたかはうっすらと思い出せるがどうしてそれをしようとしたかが理解できないというような、記憶以外に異常が出る場合もある。
周期は不定で、何ヶ月もその状態で臥せっている時もあれば、1 年丸々元気な時もある。
病院には何度も行った。いくつかの病院を訪れ、色々なことを言われた。
脳波に異常はありませんと言われ通院が終了した時もあれば、カウンセリングに通い詰めて貯金が尽きた時もあった。
また、その症状は治療できないと言われ初診で終わった時もあった。
いずれにせよ症状が消えることはなかった。
しかし、通院を継続できない最大の問題がある。元気な時の自分は、体調を崩している時の自分を理解することができないのだ。
記憶に影響が出るからだろうか。元気な時の自分は、体調の悪い時期に関して「なんか知らんが臥せっている」以外の感想を持たない。
体調についてここまで詳細に書けているのは、自分が今臥せっているからだ。
通院できる状態まで回復した自分は、体調が悪かった時に感じた苦痛を何とも思わない。他人事のように感じており、よって通院の必要性を感じない。
また、通院したとしても起こっていた困難を説明できない。なんか知らんが臥せっていたとだけ説明されて、的確な治療ができる医者などいないだろう。
この文章を自分しか見られないような場所に保存すれば、体調が戻った時の自分に意味不明の怪文とみなされて消されるだろう。そしてまた、体調が悪かった時のことを無かったものとして生きていく。
そこで、これをインターネットの海にでも投げてみる。
一度人目のあるところに公開した文章を無責任に消すことはないだろう。おそらく。
どうか後ほどこれを読んだ自分には、困難に振り回されていた事実から目を逸らさず、何かしらの対処が必要な事として受け止めてほしい。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4746720737181700591/comment/take-it
これとかアウトでしょ
take-it これで開催されて金メダルをとったとしても、血塗られた金メダルとしかいいようがない。史上最も汚い穢れたメダルだ。で、引退後も元メダリストとして活躍? 人の屍を踏みしめて、たいそうなこって。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4702288776668795970/comment/take-it
「1年後に作家デビュー、5年後に家を買う、10年後は大御所」
「あのクソアニメ会社が一番やりそうなことってあの時点で原稿叩き落として裏切ることだったんだよな」
「あれだけホレさせるだけホレさせていきなり「浮気性」と言われても…」
「〈男の夢を壊さないレベルでリアル〉という書き込みはクリエイター側のこだわり。見る立場では言えないなと」
「知っている人に聞いてこの会社は危ないと自分から退職届を出せば、犠牲者になることを回避できたと思う」
「京アニのほうがやってきたという思いがある。それは正直に申し上げる。精神鑑定をした鑑定人からは妄想だったという話が出ていたが自分の中では事実としてとらえている」
「ガソリンをまいたあと、止めに入られることを想定した」
「パソコンのデータをスマホにコピーしたら、掲示板に〈変態〉と書き込まれた。ハッキングされ、監督の写真で自慰をしたことがバレたに違いない。」
「恐竜の肉味ポテトチップスなんて送ってきたことから見ても、そちらの考えてることは分かる」
「京アニのアニメ「氷菓」に登場する「なんで顔出さないの」というセリフは彼女が自分に宛てた伝言。」
「掲示板に行くと〈お金持ってるの? 浮気性の女なの〉と書き込んで突き放してくる。放埒な彼女に、恋する気持ちを弄ばれている―」
「ビッチカス女でカネのことしか興味なくて 平気でパクるし平気で裏切る さすがに我慢の限界は越えた」
「自分と結婚したいのに何度もたたき落とし、一人スターダムを駆け上がる女性監督を終わらせたい」
「もう無茶苦茶。『相手』は諸葛孔明で余興程度らしい。ありえん。こっちは全力生き抜いているが、相手の人は」
「『京アニに裏切られた』なんていうのも、あの時もっと細かく気にして『これはなんかあるぞ』と予測しとけばわざわざ『爆発物もって京アニ突っ込む』とか『無差別テロ』とか『裏切られた』など感じる必要もないわけで」
「最後の段階まで行く直前の段階。人間関係は切っちゃえば終わるが、京アニは離れようと思っても離れられない。ここまでやられて切れないとなると、最悪のことを考えないといけない」
「悪いことをされたときに良いことで返すとなめられる」
「やられたら、やり返す」
「悪いことには悪いことで返す考えが根付いた」
「ほんと人畜無害だろ」
「ツルネでもぱくってやがる。ありえねえ。つくづくありえない」
「怒りを抑えると恐怖に変わる」
「しつこいんだよ。いい加減つきまとうのやめろ。やめないと殺すぞ」
「数分話を聞いて薬を出すだけなので信用できない」
「こんなの(薬)は飲まない。トイレに捨てたよ。1週間前から飲んでねえよ」
「全員かはわからないが、(京アニを俺の作品をパクってることを)知っている人に聞けばわかったはず。知らないことは悪で、努力不足だ」
「逆にお聞きしますが、僕がパクられた時に京アニは何か感じたんでしょうか」
「小説は誰かのものを読んで書くものじゃない。自分で書くものだ」
「自分の10年間のことで頭がいっぱいでした」
「自分はどんな刑だろうと罰は受けなければならないが、京アニがしてきたことは全部不問になるのか」
「それなりの人が死ぬだろうと」
「昔、どこかの消費者金融で、たぶん武富士だったと思うんですけど、ガソリンをまいて、ガソリンが気化して爆発し、人が亡くなった事件を見てそういう犯行に及ぼうと思いました」
「・・・(20秒ほど沈黙。首をかしげながら)知ろうとしなかった部分はあります」
「秋葉原事件で、(元死刑囚も)言っていたが、ためらうものです。自分みたいな悪党でも小さな良心があった。でも1999年からの20年間は暗いと考え、ここまできたら『やろう』と思った」
「罪を犯した身だから夢なんて持っていない!」
「前科が無ければ悪いことをしようと思いませんが、一度つくと『もういいか』となり、何かのタガが外れて、自分を支配していた良心が無くなった気がしました」
「(過去に)あんまり誰かに何かを言って解決されたことがなかった」
「(ハルヒは)それまでは『ネットゲームよりも面白いものはない』と思っていたが、ハルヒのアニメを見て『今時こんなすごいアニメはないだろう』と驚きました。ネットゲームに並ぶほどの面白さで、すごいと」
「(ハルヒの文庫を)大人買いしました。10冊ほど出ていたものを2日くらいで全部読みました」
「(ハルヒを読んで)なんとか自分でも書けないかと。当時は仕事もしていなかったので、それなりの小説ができれば、仕事も解決すると。初期衝動が強くて、衝動そのまま小説を書こうと」
「(うまくいかないときは)ハルヒの本をぶん投げて『書くのやめてやろう』という時期がありました」
「(ハルヒの本は)壁にあたってバラバラになったのが1冊、森に投げたのが2冊、そのまま残ったのが2冊。(ハルヒの文庫本は)6回くらい買いなおしているはずです」
「昔一緒にクリエイターを目指していた人が『スクエアエニックス』という会社でCGグラフィッカーになり。自分がクリエイターになれなかったことに納得行かず、その人の名前を1文字変えて自分の名前にしました」
「ハルヒは教科書として使っていて、自分は書いていく過程でパクったが、最終的に別の作品を作っている。京アニは小説を落選させて、著作権を自分に戻しながら、パクったものを放映しているので、いかがなものかと」
「むこうも最終手段を使うだろうし、自分としても最終手段をとらないとと思った」
「話し合うより、バイバイする方が30分で済む」。気に入らないことがあればパイプ椅子を机にぶつけ、女の子の胸ぐらもつかみ、最後は首になった。
「自分が小説を書くためにネタを集めていたノートにそのシーンがあった」
「そこから流出した。ネット上の書き込みが自分の小説を知っている内容に変わっていった」
「思考盗聴まで行ってる」
「『国民はたぶん気づいていないですよ、財政破綻すればあなたは大臣も議員の職も失う、辞任すれば助かりますよ』とメールしました」
「おそらくここでなら最高のアニメがつくれる。最高の物語が作れる」
「犯罪歴を知っているってなると、小説を京アニに送れないし、小説も書けない」
「作家で食べていけないので、犯罪した人ばかりしかいない刑務所に行ったほうがいいと思って犯罪をしようと思った」
「(妄想性障害と診断されて)もともと何かを考えたり思い浮かべたりする癖があるので、そう言われたのかなと」
「自分のものの覚え方というのがあります。曖昧に覚えてから正確に覚えるという覚え方で、曖昧に覚えていて正確に18という覚え方になっていた」
「ナンバーツーが歩いてきて、刑務官に『よろしくお願いします』と頭を下げていた」
「秋葉原の事件が起こったことへの思いがあった。秋葉原では車で突っ込んで、3人殺傷した。刀は時代劇ではバサバサ切っているが、1人か2人で血糊で切れなくなる。もしかしたら、ガソリンをまいたあとで止められることが予想されるので、その時に使おうと思っていた」
「(加藤智大も)仕事を転々としたり、郵便局をクビになったり、事件を起こしたことに何かしらの共感や類似点があると思った。他人事に思えなかった」
「アニメーションは1人で完結できない。何人かで盗作シーンを作ったという思いがあった。無関係ではないという判断しか当時はできなかった」
「逆の立場になって考えて、パクられたり、『レイプ魔』と言われたことに、京アニは良心の呵責も何もなく、被害者という立場だけ話すという理解でよろしいでしょうか?」
「私は2ちゃんねるで荒らしをしていて有名だったが、一度管理人に直々に怒られたことがあります」
「パクられた!小説!」
「やりすぎたと思っている」
「恨みがあり憎しみがあったとして、『やってやった』『ざまあみろ』というのが残る訳ではなく、他に方法がなかったのかと思うので、そういう部分では後悔しています」
「(2ちゃんねるの掲示板で)トップ編集者らしき人から『すげえものを見た』と反応があり、賞金をどう使うか聞かれたから、(京アニ大賞に)通ると思った」
「小説を諦める気持ちがあった。失恋に似た感情があり、一度密接にくっついたものを引きはがすのに大変難儀した覚えがある」
「何かしら、つっかえ棒がなくなった。生きていくためのつながりがなくなり、良からぬ事件を起こす方向に向かった」
「ぶっちゃけ、やる前、やった後とに、そういう考えがあると出来ないものなんですね。検事さんの最初の取り調べでも、『後のことはどう考えていたか?』とか聞かれましたが、当時そのことに関して、ある種『やけくそ』という気持ちじゃないと(犯行が)出来ない。一言で言うと、『やけくそ』でした」
「もう少し『やってやった』と思うのかと思っていたが、意外となんか、悩むこともたまに結構あるし、そんなことしか残らなかった」
「人が死んでこの世から存在が消えるというのは、やはりそういうことなんだなってちょっと思った」
「例えば、単独で『女性監督』を襲うとか、弁護士に依頼したところで、京アニがパクりをやめるかというと、そうではないかと思った」
「京アニは光の階段をのぼり、それに比べて自分の人生はあまりにも暗い」
「全て実を結ばずに終わった」
「自分の20年間はどうしても暗い。やっぱり、ここまで来たらやろうと思った」
「泣きゲーの元祖で、影響のある作品だった。『ONE』の後続作品をアニメ化したのが京都アニメーションで、『ハルヒ』をアニメ化したのが京都アニメーション。『ONE』を見なかったら『ハルヒ』も見ていない。そうなると小説も書いていなかったと思います」
「小説一つでそこまでとの思い 少しある」
「性欲に困っていたというのがあります」
「生活保護を受給して昼夜逆転の生活をするようになり、京アニの作品を初めて見て小説を書き始めた、ハルヒ」
「(加藤智大のことを)ひとごとには思えなかった。何とかしないと自分もこんな感じになると思った」
「人と関わるメリットが見いだせなかった」
「汗腺はほとんど取っ払ってしまっているので、頭と胸のあたり以外は汗をかけない状況です。痛覚も取っ払ってしまったので、痛みや温度も感じにくいです」
「『下りエスカレーター』ではなく、『上りのエスカレーター』に乗りたいと思った」
「(小説は) 書く時間そのものは短かったが、考えている時間を含めると24時間365日書いていた」
「福山雅治さんや『けいおん!』の声優、芸人の『あばれる君』が結婚していて、自分にも結婚させようとしているのかなと、自分と『女性監督』とを」
「日本を財政破綻させる世界的なシナリオがあった」と語り、自身が当時の故・与謝野馨経済財政担当相に警告のメールを送ったことで「国家破綻が回避された」と訴えた。
「逆に聞きますけど、それはこんなことするなら、さっさと死んでくれということですか」
「パクりが事実じゃないとすると36人が何のために死んだのか」
「2ちゃんねるが心の拠り所だった」
「加藤智大さん」
「(埼玉大宮駅に包丁6本を持って行って)この程度の密集度では、刺したとしても、すぐに驚かれて逃げられると即座にわかった。なので、そんなに大きな事件にはならないのでは思ってやめた」
「早く大拘(大阪拘置所)に来ていれば事件は起こさなかったのでは」
「強盗事件で服役していたときに刑務所で出会った『ナンバーツー』という名前で、ハリウッドやシリコンバレー、官僚などにも人脈のある、闇の世界に生きるフィクサーみたいな人だ」
「2ちゃんの用語で『あおる』、つまり『あなた本人ですよね』という書き込みをすると(本人の場合)恥ずかしさから流す態度を取る。(あおりに対してそのような態度だったので)女性監督で間違いない」
「自分の中では最悪の事態を防ごうとする努力はしたと思っている」
『涼宮ハルヒの憂鬱』は今でも好きか」と問われると「手本にすべき作品だが魔性の作品でそういう作品と出会わなければ事件を起こさなかった。今も『人を狂わせる作品』という認識だ」
「女性監督に『レイプ魔』と言われた。犯罪歴を知られていると小説も応募できない。刑務所に行ったほうがいいと思い、したくはなかったが強盗事件を起こした」
「(刑務所でけいおん!をみて) 涙を流して見た記憶がある。こんなところで見られるとは」
「またパクってんのかなと思った」
「愛深けりゃ憎しみ大きいという感じで、何も感じていなければこんなことは起こしてい」
「兄、妹への仕返しのつもりもあった」
「妹にもすごいことをやられてきた。妹が飼っていた猫をいじめていて、それを止めようとぶん殴ったら、警察を呼ばれて「ざまみろ」と言われたのを根に持っている。それでも、そこまでしなければならなかったのかと」
「コンビニ強盗のときの調書を見てもらえれば、すでに兄や母に対して、ガソリンをまいて殺してやりたいとの心でいる。当時からそういう感情を持ち合わせていた」
「やはり、いろいろな方の顔が浮かんだというのがありますー京アニの女性監督になります」
「申し訳ないのですが、全ての発言を洗いざらい取っていって、許せないと言われても、恨んでいただくしか方法はございません」
「他に方法がなかったのかと思う」
「はっきり言って答えていいと思いますが、弁護士さんからアレがあって控えたい」
「昔ほど(相手を)徹底的にやり返したりという考えは減ってきた」
「(第一スタジオに)らせん階段があるとは知らなかったのでー(2階3階にいた人は)ツキや運がなかった部分があったと思います」
「『落とせ』という指示があったら落とすという意図」
自身がIoTについて独自のアイデアを持っていたと主張。これが世界経済のバランスを損なう可能性があったため、ナンバー2が快く思っていなかったという趣旨の持論を述べている
「記憶では(目の前にいたのが)3人くらいだったので、そのくらいの死傷者が出るんじゃないかと」
「多く亡くなるとしても8人が上限じゃないかと思った」
「やはり秋葉原の件がありました。7人か8人か9人。雀荘の事件で、7人から9人。たぶん2桁までは考えなかった」
「京アニなんか、なくなっちゃえばいいのに、という考えはあったと思う」
「ブログ上で、あの〜……時間移動のことに関して触れているので(自分の応募作品を)読んでないことはないんじゃないかと思うんですがぁ。」
「その仕事……落とす(被告の作品を落選させる)ことをした後、建てられたのが第五スタジオ。そのお金が見返りになっている。いやぁ、けっこうあの頃は、ネットで散々やりあってて、それで、あの〜、やっぱり、まぁ、それで『落とせ』という形になったんじゃないかと」
「えーっと、それがちょっと、見ている現実が違う? それはないんじゃないか」
「(パクリが妄想と診断されて)自信がなくなった。目の前にあったことが事実でないかもしれない」
「それはやはり、申し訳ありませんでした、という形にしかなり得ない」
「やりすぎた、ということに、こういうところの事(謝罪)を言っている部分はあると思う」
「金輪際このようなことが起きないよう、教訓にしてもらうために全ての話をした」
「正直に申し上げると、あまりに自分のやったことの大きさに対して、目を背けることが多いのが否定できません。」
「質問に答えることも自分のできる範囲ではありますが、ちゃんとやって来たので、この場において付け加えて話すということはありません。そうとだけ申しておきます」
・現金投入しようとしている人が居たんだが、千円札がへにゃへにゃで投入できない。
店員が来て長手方向に折って腰を強くして、何度かトライしてようやく投入終了となった。
精算するのに時間かかりすぎ、人手掛かりすぎ。
・割引クーポン(紙)が有る場合、店員に申し出て差額分の現金をお店から受け取る必要が有る。
Padで注文するんだから、最初から割引が適用されるようにすればいいのに、
システム変更が大変なせいか何か分からないけど、結局人手に頼ってる。
通常の金額を受け取って、キャッシュバック、これって税金対策しっかりしないと大変なんじゃないかな?
・以前はQRコード決済とかできてたのに、現金のみになってしまった。
事情通の人が居ればこれはしょうがない事なんだよとなるかもしれないけど、
俺にはそこんところが分からん。
クーポンが使えて、滞りなく精算できるようにしてくれればそれでいいんだけどな。
夫が言う「この人イケメン」が全くイケメンではない。うまく言えないが、不細工ではないが顔が整っていると思えない。
男は同性である男に対して、基本的には恋愛感情を持たない。密接に関係性を持つ可能性が低い。自分事になりにくいからイケメン枠が広いのかな、と思う。
それと、男は大勢の男と一緒に過ごす時間が女より長い。学生時代が顕著だが。ということは男の評価分野が細かく多く設定されてるのもありそうだ。
多分、女に照らし合わせても同じだと思う。可愛いと評価しても他人事だし、長く一緒にいるから色んな魅力に気づきやすい。イコール、男的にはなんでこいつを可愛いと言うんだ?という人物を可愛いと評することになる。
女の自分が可愛いと感じて「この人可愛い」と言う時には、夫は違和感があるんだろう。リアクションが薄いから。(私に気を遣って反応薄くしている可能性はあるが)
母親は神に祈れだの神の勉強しろだの、俺のことを見る気がない。俺の辛さをわかる気がない。
他の家族も、俺を見ているというより、家族が死ぬというのが嫌なだけ。俺のことなんて見ていない。
周りの福祉関係の職員も仕事だから自殺されたら困るから止めてるだけ。俺のことなんて本当はどうでもいい。仕事だから仕方なく構ってるだけ。もし俺が死んだとしても次の日には忘れてる。
他の人もそうだ。どうせ俺が死んでも面倒なやつが死んでくれてせいせいするとしか思わない。
こんな人生を続けるのはしんどすぎる
早く死にたい
長生きしたところで苦しみが長く続くだけだよ。意味がない。誰も俺のことなんて詳しく知らないし、知る気すらない。別にいいけど。俺だって俺に興味ないし。無価値だから早く死ねばいい。人生の消化試合がこのままダラダラと続くくらいなら、まだ若いうちにさっさと死んでしまったほうが儚くていいだろう。年老いて自殺しても醜いだけだ。このままこの苦しみが続くのなら、死んでしまいたい。どうせまともになれないんだから、死んだほうが早い。人とまともにコミュニケーションがとれないゴミは人間社会にとってどう考えても邪魔で、不要な存在だよ。健常者はみんな障害者なんて醜くて汚くて面倒臭くて邪魔だと思ってるだろう。だから税金を障害者に使うのもこれからどんどん減っていく。どのみち社会的に死んでる存在だ。このまま惨めに終わっていくのなら、早く死にたい。
これ以上歳をとって醜くなる前にさっさと死にたい。
これでもまだ誇りを捨てないでおこうという気概が自分に残っていることに少し驚いた。なんでだろう。今の時点で相当終わってるのに。わからない。何気に自尊心がまだ少しは残ってるのかもしれない。俺がまだ高校生なら、もう少し生きていようと思えたのに。もうあの頃には戻れないし、もう完全に取り返しがつかない。全てにおいて終わってる。どうせ人は死ぬんだから、死ぬタイミングは自分で決めたい。自分の納得の行くタイミング、死に方で死にたい。小汚い死に方はしたくない。死ぬなら景色のいいビルの屋上で飛び降り自殺。そう決めてるんだ。こんなに死にたいのに、死にたいはずなのに、死ぬのが怖い。人間の本能というものが本当に憎たらしい。
結局「自殺するな」というのはどこまで行っても他人事で、自殺を止める側の自分勝手な考えに過ぎない。当人の苦しみなんて当人以外にはわからないし、止める側の立場上死なれるのは困るという以上の理由はない。社会の混乱を生むからだとか、残された家族が困るからだとか、結局そういう経済的な理由から自殺予防というのは存在する。結局当人の苦しみなんて関係なくて、「金」の問題でしかない。人の命なんて所詮そんなものだ。みんな社会を維持するために限界まで働かされて、老いぼれになって人生を楽しめなくなってからようやく開放される。人間というのは惨めな生き物だ。所詮社会に使い捨てにされるためだけに存在する。
何が言いたいかというと、人間の命は無価値だからいつ死ぬかも自分で決めていいということだ。止めるのは本人の自由を妨害することに他ならない。
自分の内面の話に戻るが、外に出ると不安で不安で仕方ない。特に何もしていないのに、自分がなにか重大な失敗をしてしまったんじゃないかと不安になる。周りが全員敵に見える。バスに乗ると全員俺を邪魔な存在だと思ってる感じがするし、死ねと思われてそうで死にたくなる。この世界のどこにも居場所がないような気がして、家に帰っても喪失感、虚無感でいっぱいになる。歩いててすれ違う人が俺の容姿をみてバカにしているように感じる。変な奴、気持ち悪いやつだと思われてるんだと確信している。所詮どこにも自分の居場所はないし、ただ暇をつぶすためだけのものがあるだけで、オレの心を救ってくれるものはない。宗教などで救われようとする気力もない。ただ薄っぺらい娯楽で、死ぬまでの時間をダラダラと食いつぶしているだけだ。俺の苦しみなんて価値もないし、誰にも見せる気もないから、ただ一人で苦しんでいくだけだ。所詮人間なんてそんなものだろう。みんな救われたいと思っていても、誰かが救ってくれるわけじゃない。そんなに他人は暇じゃない。この苦しみをわかってくれる「何か」が欲しくて、自殺関連のものを読み漁ったりするが、やっぱりどこか自分と違うし、何か足りない。この苦しみを分かち合うコミュニティがあればいいが、だいたいそういうものはネット上では規約違反になり、「漂白」される。死にたい人間の苦しみなど、世の中の決まりを決めている側にとっては、邪魔でしかないということだろう。
所詮幸せも苦しみも全て過ぎ去っていくなら、さっさと無に還ったほうがいい。諸行無常という言葉のとおりだ。生きる意味なんてないんだ。どうせ人間は一生孤独なんだから、死んでしまったほうがいい。こんな空虚で無意味で無価値な人生など、さっさとおわらせてしまったほうがいい。どうせオレ一人死んだところで何も変わらないし。
世の中の「常識側」にいる人間が嫌いだ。常に自分たちは正義で、間違いなんて犯したことはなく、清廉潔白だと言わんばかりの態度が嫌いだ。その他人の苦しみを屁とも思わないその姿勢が嫌いだ。もちろん悪いことをした人間は糾弾されるべきだが、正義側にいたら罵詈雑言を浴びせてもいいとか、嘲笑ってもいい、嫌がらせをしてもいいというのは違う気がする。人はもっと人に優しく有るべきだ。なんでこんなに人間社会は憎しみと嘲笑で満ち満ちているんだろう。気持ち悪い。もちろん俺もそういったものに参加して、誰かをバカにすることがある。それをやっているうちはちょっと何かに対しての復讐心のようなものが満たされるが、所詮一時的なものでしかない。それを続けていると、段々とその矛先が自分に向くんじゃないかというのが気になっていって、段々と人間不信が強くなり、苦しくなる。そんな醜いことをやっている自分のことも嫌いになっていく。悪循環だ。だが、なかなかやめられない。他人のことを考えていると、自分のことを考えなくて済むから楽なのである。その時だけは苦しみから開放されるのだ。俺はこの自分の癖を、非常に問題だと思っていて、できるだけ早くやめたいが、なかなかやめられない。ゴシップというのは、「何も行動していない」というのが武器になる。なかなかそういった趣味は存在しない。創造的な趣味はだいたい自分が努力していないと駄目だ。創造的な趣味でない場合も、知識が必要になってくる。ゴシップというのは他人から競争することから逃れられる数少ない娯楽なのだ。こんな醜い娯楽はさっさと消えたほうがいいが、社会の構造上消えることはないだろう。そういう人間の醜さも嫌いだ。段々と自分が人間であることが嫌になっていき、自己嫌悪で満たされていく。何にも挑戦する気がない人間は、何も得ることができない。匿名でなにかを書き続けたところで、何も得ることはできないのだ。名前がない投稿は、社会制裁を受ける可能性が低い代わりに、得られるものもない。まさに空気だ。存在する価値がない。人を攻撃したところで、何も得られないのになぜ人は人を攻撃するのか。やっぱり人間の本能なんだろう。争うことで人は社会を構築し、進化させていく。本当に気持ち悪い生き物だ。だが、そうするしか方法が見あたらないのも事実だ。だから人間は滅びたほうがいい。俺が人間を滅ぼす方法を実行できるなら、もうとっくに滅ぼしてるだろう。核爆弾を管理する人間がなぜこういった考えにならずに済んでいるのか、わからない。人間社会はどこまでも空虚で、無価値で、醜いのに。
快楽、喜び、楽しみ、苦しみ、悲しみなど何もかもが過ぎ去っていくなら、すべてのものに価値はない。価値がないから、滅ぼしてしまってもいいだろう。俺はずっと昔からこういう考えで生きてきたが、なかなか同じような考えの人間に遭遇しない。なぜなんだろう。俺も周りにこんなことは言えないが。自分では真に迫っていると思うのだが、どうせ世間から見たら愚かで、頭がおかしいと嘲笑されるだけだ。ニヒリズムと言わておしまいだ。でも、合理的に詰めていったら、そういう結論になると思う。「ニヒリズム」というのがおそらくレッテル張りのために存在するんだと思う。社会にとって良くない考え方は、そうして潰されていくんだと思っている。そういう社会を維持することを結論としていて、それ以外の考えは一切受け付けないという風潮も嫌いだ。結論が先に決まっているから、何を言っても無駄だからだ。とにかく俺はひねくれていて、惨めで馬鹿だから、そういう考え方になるんだろう。こういうことを書いていると、早く死ねと思われるんだろうな。そして死んだら、こういうやつは死んでも仕方ないと片付けられるだろう。結局俺は社会に捨てられた存在だし、社会に貢献する気もない。だいたい社会ってなんなんだ。ただ俺は人間として生まれただけだ。社会の一員になると決めたわけじゃない。だがたしかに社会なしには人が生きていくのは困難だが、社会の重圧に耐えて生きていくのも苦しい。人間は欠陥だらけだ。本当に空虚で惨めだ。社会に属さなくてもどっちみち苦しいんだろう。こういうのを完璧主義というのかもしれない。ひねくれすぎて、自爆しているだけなんだろうな。俺はどのみち満たされることはないんだろう。ただ苦しみながら惨めに死んでいくだけだ。アホくさい。俺は変なところで正義感が強い。他人を馬鹿にしたくない、だからバカにしているやつを許したくない。でも結局それは自分に返ってきて、自分が苦しくなるだけだが。誰かの意思を感じると、それに従いたくないという強い意志が湧いてくる。昔からそうだ。逆張り思考なんだ。だから俺には対して意思がない。自分がない。空虚なのだ。昔からそうだ。他人ありきの考え方しかできない。逆張り思考とはそういうものだ。未だに自分が何をしたいか、どう生きたいのか分からない。ただ嫌なことから逃げているだけだ。俺にはなりたいものもないし、やりたいこともない。空虚な人間なんだ。ただ人の反対をやっているだけで、別に強靭な考えのもと行動しているわけじゃない。だからすぐ自分に自信をなくすし、すぐ途中で諦める。惨めな生き物だな。おれはこのままずっと素直に生きられないんだろうな。何重にもひねくれた思考が俺を苦しめてくる。自分で自分を苦しめているんだ。愚かで馬鹿だが、やめられない。癖になってしまっている。考え方を変えるというのは非常に骨の折れる作業だ。俺はそれを成し遂げられる気がしない。だから俺は一生このままだろう。一生惨めなままなんだろう。このまま醜くなっていくなら、今死にたい。25歳というのは一種の区切りの時だろう。俺はそれまでの時間をダラダラと無駄に生きてしまった。もう取り返しがつかない。早く死にたい。損切りをするなら今だろう。これ以上醜態を晒したところで、惨めなだけだ。愚かなだけだ。やっぱり首を吊って死にたい。自殺といえば首吊りだろう。暗く、おぞましい感じがまさに「自殺」のイメージぴったりだ。飛び降りは少し爽快感がありすぎる。陰湿でジメジメとした感じがほしい。やっぱり首吊りだろう。ただ、首吊りは縄とか、結び方とか、色々面倒なのが玉に瑕だ。飛び降りは高いところから飛び降りるだけだ。これから死ぬというときに、細かいことを考えてられない。やっぱり飛び降りかもしれない。死にたいけど死ぬのが怖い。なんて臆病なんだろう。惨めだ。死にたいのに。この死にたさは本物なのに。外に出ると、空虚で空っぽな感じが加速する。人生に意味がない感じが加速する。誰も俺に興味がなく、みんな俺の命に価値がないと思っているように感じる。透明だ。透明人間だ。限りなく透明に近い存在だ。外に出るのが怖いのは、単純に今の春の空気感が嫌いというのと、それにウキウキしている人間が多い感じがするのが嫌いなのだ。春というのは色々と新しくなる。場所も人間関係も変わる。それがとてつもなく苦痛だ。心が外側に、虚無側に剥がされるような感覚に陥る。昔から、環境が変わるたびに、ひどく精神的ダメージを負っていた。今もだ。俺は環境の変化に敏感で、心が弱い人間なんだろう。生まれつきだから、おそらく治せない。治すとしてもかなり苦労するだろう。この焦燥感に満ち満ちた季節が嫌いだ。非常に気持ち悪い。心が削られていくような感覚に陥って、自分が自分でなくなってしまうんじゃないかと怖くなる。今の自分でさえ不安定なのに、新しい環境にあてられて、更に今の自分が揺れ動いて、消えていってしまうんじゃないかと不安になる。自分というものがハッキリしてないから、自己紹介もうまくできないし、自己PRもうまくできない。新しい環境というのは、俺にとって強風だ。俺はろうそくに灯された弱々しい炎だ。すぐに消えてしまう。消えてもまた炎はつけ直されるが、前の自分に戻りたいという欲求が強く、再び炎が灯っても苦しみは強く残る。前の自分に戻りたいということばかり考えてしまう。俺はいつも過去に生きているんだろう。惨めで愚かだ。だが、前に進むのが怖い。変わるのが怖い。ずっと変わらないでいたい。変わってしまうくらいなら、死にたい。死にたくて仕方ない。もう取り返しがつかないと考えてばかりだ。いつも過去に戻りたいとばかり考えている。最近とかではなく、昔からそうなんだ。小学生の頃は幼稚園に戻りたいと考えていたし、中学生の頃は小学校に戻りたいと考えていた。高校の頃は中学生に戻りたいと考なえていた。大学生の頃は、高校生の頃が苦しかったから、大学生になれて嬉しかったが、大学が苦しくなってくると、小学生の頃に戻りたくなっていった。今も小学生の頃に戻りたい。いい年こいた大人が、何を言っているんだろう。いつまでも過去のことばかり考えて生きているからこうなったんだろうな。今に生きていない。よく、俺は本当にこの世界に生きているんだろうかと不安になる。なにか自分だけ別の世界に生きているかのような、切り離されたかのような感覚に陥る。俺が俺である証明なんてなにもない。とにかく不安感で満ち満ちているんだ。なんでもないようなことにすぐ不安になる。これはもう治すとかいうものではないんだろう。生まれつきの癖のようなものだ。早く死にたい。「死」という絶対的に動かない、固定されたものになりたい。どのみちこの苦痛からは逃れられないんだ。忘れている期間があったとしても、思い出している期間のほうが圧倒的に長い。これで生きていろとなると、中々の生き地獄だ。早く死にたい。不安は人間にとって大切なものだとかいうのをよく見るが、俺にとって不安は苦痛を与えてくる存在でしかない。不安をほんの少ししか感じない人のほうが人生楽しいのは明らかだ。世間から断絶した生き方をしたい。全く他人の顔を伺わずに生きたい。他人という存在は不安を与えてくるほうが多い。人間社会は比較の連続だ。どこまで行っても比較は止まらない。趣味に没頭しようが、比較からは逃れられない。むしろ、趣味こそ比較で苦しみやすい。何かを作り出すと特に比較の対象になる。それ以外でも人間は比較したがる。婚活なんていうのはその極みだ。結局、比べることが人間の本能なんだろう。比べて、比べて、その先にあるのは苦痛だけだ。だからといって勝負を放棄すると、俺みたいに落ちぶれて、何も残らなくなる。なにも持っていないというのは、安心とは程遠い。何も持っていない人間は、環境の変化にとても弱い。真っ先に切り捨てられるとしたら、そういう人間だ。いてもいなくても変わらないどころか、いないほうが都合がいいので、かんたんに切り捨てられる。ゴミ同然だ。早く死にたい。社会のお荷物だという自覚があるからこそ、早く死にたい。人間社会というものがどうでもいいと思っているはずなのに、やはり他人の目というのが強烈に気になってしまう。俺は本当に自分の意志で生きているんだろうか。結局、「社会人とはこうあるべき」という生き方に囚われている気がする。そんなのは俺が一番嫌いなものなのに。不愉快だ。不本意だ。俺は他人の言われるとおりに生きたくないんだ。かといってこうしたいという意志もない。だからただ無能であることに固執している。無能でいれば、他人からどうこう言われないし、他人とあまり比較されることもなくなる。ただ、社会から見放されたゴミとしての扱いになるが。社会のレールから外れると、なにかに挑戦したり、何かを得ようとするのに非常に苦労するはめになる。なにも得る気がない生き方をし続けないといけなくなる。ただ惨めに、無様に底辺を這いつくばって生きる羽目になる。こんな状態から、まともな人間になろうとすること自体が間違いなんだ。何もかも足りていないから、何もかも努力しないといけない。そもそも努力しても補填できない穴もある。アスペがまさにそれだ。コミュニケーションに問題があるのは発達障害だから、どうしようもない。そのどうしようもない穴が、社会で必要不可欠だからとんでもなく苦痛なのだ。どのみちまともになれないなら、死んだほうが早い。俺は根っこから終わっている。それをどうにか隠そうとしたところで、それが露呈するのは時間の問題だ。結局みんな離れていき、誰も残らない。俺には冗談が通じない。馬鹿だからだ。馬鹿だから、面白い話ができない。馬鹿だから、話してて苦痛になる。生きてるだけで邪魔な存在だ。そこにいられると迷惑になる存在だ。馬鹿だから、なにもかもうまく行かない。馬鹿だから、まともに努力できない。ゴミみたいな人生がこのままずっと続くと考えただけで、非常に嫌になる。クラクラする。結局他人に迷惑を掛けるだけで、邪魔にしかならないし、自分も楽しいと思えない。生きてるだけで迷惑だ。邪魔だ。生きてるとどんどん苦しみが積もっていき、呼吸がどんどん苦しくなる。生きれば生きるほど、逃げ場がなくなっていく。段々希望が見えなくなっていくのがよくわかる。待ち受けているのは深い苦しみだ。将来に希望なんてないし、なりたいものもない。もし仮にこのあと頑張ってまともになったところで、別に何かあるわけでもない。俺みたいな人間が受け入れられるとは到底思えない。そもそも他人とコミュニケーションを取るのが怖い。怖いのを乗り越えたところで、アスペは治らない。どっちみち積んでるのだ。俺が誰かに求められるなんていうのは、結局幻想でしかない。俺はどこに行っても迷惑なだけの存在なのだ。邪魔でうっとおしくて、いるだけで空気が悪くなって、気を使わせてしまう。わかってはいるが、どうすればいいんだ?コミュニケーションというものが俺にはわからない。人間社会がコミュニケーションを重要視する以上、俺みたいなのははじき出されるだけだ。俺みたいな人間は一生孤独に生きていくしかないんだろう。ゴミみたいな人生だ。ただ、時間を浪費するだけの無意味で無 Permalink | 記事への反応(1) | 03:08
(追記:自分は妻の方です。でもどちらでも本質はそう変わらないかと思う)
触れ合いが無くて寂しくて辛いと家族が感じていて、
しかもそれを合法的に埋めることができるのは自分しかいないって状況にあって、
「もう家族だから触りたくない」という理由で、その辛さを他人事にしてしまうのは、けっこう冷たいんじゃないか。
それは家族なんだろうか。
たとえば、子供や親兄弟が、手を握って落ち着くなら握ってあげるじゃん?
それが妻や夫だとできない理由ってなんだろう?
それとも、「自分にはあなたしかいないのだから」という理由で配偶者に触れ合いを求めるのは、過ぎた要求なんだろうか。
いい大人がスキンシップを欲するのはおかしいんだろうか。本当は若い恋人たちだけの特権なんだろうか。
一人で悩み過ぎてバランスが分からなくなってるので、人の意見が聞きたい。
率直に言って寂しい。粗末に扱われていると思う。
自尊心は趣味で辛うじて賄っている。そうでなければ生きていけない。
リアルの知人には相談できない。いじめられている子供がそれを親に言えないのと同じだと思う。
自分は粗末に扱われているなんて、あまり認めたくない。他人だけの場所でしか言えない。
子供ならうまく言えないのは分かるけど、大人はこういう時にどうすべきなんだろう。
「一人の時間」は大事だ。わかる。だから、もう何年も子供が寝たら解散、それぞれの部屋へ。
自分だって「一人の時間」は好きだし必要だ。でも「二人で過ごす時間」も時々は欲しいと思う。
同じことしなくていいから側にいたい。あわよくばちょっと体温を感じたい。わりと切実に。
このあたりを落としどころにできないかと思っている。
以前どこかで「男児を産んだのが原因でフェミっぽい友人に縁切りされた」といった話を読んだ事があるんだけど
友人だったAから数年遅れて色々頑張って、やっと待望の子供が生まれた。
息子が生まれてA含めて皆からおめでとう~って言われてたんだけど、数ヶ月後ぐらいにAに用事があってラインしたらいつまで経っても未読。
電話してもずっと話中で全然通じない。共通の友人に様子を伺ったら、申し訳無さそうに「Aはあなたをブロックしたみたい」と言われた。
その時は自分が気づかない内にマタニティハイになってて失礼やらかしたとしか思えなくて、友人を介して謝罪の意思は伝えたが返答は無かったらしく
一体何がいけなかったんだろう、何を言ってしまったんだろうと凄い後悔したしモヤモヤしていた。
Aのブロックの原因が「男児を産んだ」事がきっかけだったと知ったのは、それから数年後の事だった。
Aと付き合いが続いていたという別の友人(B)が、Aの言動が原因でつい我慢出来ず言い返して揉めた際に
私の事も言われたらしい。(その後はBはAから直接縁切り宣言をされてブロックされたという)
いわく、「何年も頑張って産んだのが男児(◯ス◯キ)でショックだっただろう、と思ってたのに本当に嬉しそうでビックリした」
「(男の子を生んで心底喜ぶ様な)馬鹿だとは思わなかった。見損なった」という言い草だったらしい。
BはBでAとSNS上でも交流があったが、いわゆるフェミ的なツイートやRTが回って来たり、◯◯が駄目だ、誰々を叩こうみたいなのに
同意を求められるのが本当にうんざりして、「あなたのやってる事は自由だけどそれに私まで付き合わせないで欲しい。
ネガティブは言動ばかりで見てて心も重くなる」とAに言って、喧嘩になったんだとか。
正直ショックだったけど、それがAの考えならその事について文句を言う気は無い。
でも、それとは別に凄いモヤモヤするのが、Aには確か二人子供がいて、上の子は男の子なんだよね……
下の子は女の子で、女の子が産まれて嬉しい!とはよく言ってたけど、長男が産まれた時もAは喜んではいる様には見えた。
確かに下の子が産まれた時の方が喜びアピールが凄かったけど、女の子が欲しいとはよく言ってたからそういうものだと思っていた。
でも、Aの言動や思想(Bから幾つか教えられたけど、正直ドン引きした……)と、Aの上の子の存在を思うと
他人事ながら凄く心配になる。確か来年には中学生になる、多感な時期だ。
そういう時に、男だからと、下の子と差をつけたり当たりがキツイ言動があったりすると、正直それは虐待にも近いとすら思う。
縁切りされた私には何も言えないし出来ないけど、心が重くなる……
というのも、母親が典型的な男尊女卑&長男教の家庭で育ち、やれ女には学歴なんて必要無い大学だって金の無駄だ
長男様が家業を継ぐ為にお前ら(母・叔父)も仕事辞めてサポートしろ、とにかく長男に従え一切逆らうな、
みたいな感じで家にいた頃から成人してからも凄く苦労してきた人だったのも理由なんだと思う。
だから私自身は特に進路も何も口出しされなかったしノビノビやれたんだけど、その分兄が露骨に冷遇されていた。
幼い頃から「何で母親は兄に対してやたらと口うるさいし、厳しいんだろう?」と幼いながら思っていた。
兄は私の目から見ても、真面目でどちらかと言えば大人しい方で、何も言わずに勉強して成績も上位をキープしていた様なタイプだった。
一方私はどちらかと言えば適当なタイプで、勉強もスポーツも大して出来ないし、高校の頃は周囲に影響されてギャル化してよく夜遊びもしていた。
けれど、いつも本当に細かい所やどうでも良い様な事で、母に厳しく注意されたり怒られていたのは、常に兄の方だった。
私は色々遊んでても、遊びすぎで成績が落ちても「次から気をつけなさい」ぐらいで特に怒られはしなかったのに
兄はちょっと成績が落ちた(90点代~100点が、一教科だけ80点後半だった)みたいな事でも「こんなに成績を落とすなんて!お前は努力が足りない!もっと勉強しろ!」
とか、私の部屋に聞こえるぐらいまで大声で怒られていた。
そんな母が怖いのか、父も空気になったり、母に同調してやんわり注意したりと、兄にとっては凄い居づらい家だったと思う。
私も兄と二人の時は普通に接するけど、母の雰囲気が怖くて、兄が理不尽な事も怒られたりしていても、何も出来なかった。
私にとっては母はおおらかで良い母親だったと思う。それだけに兄への態度が何でこんなに厳しいんだろう?って思っていた。
大学進学の時も、兄は奨学金で大学行け、小遣いはバイトして稼げ!って感じで一切援助も何も無かったが
私は浪人しても良いとすら言われていたし、学費どころか一人暮らしのお金も全部出してくれていた。
さすがにこれはどうかと思って、母にそれとなく聞いたら「(兄は)男だから良いの。男なら自分の力で大学ぐらい行かなきゃ」って言っていた。
結局兄は大学卒業・就職してから一気に疎遠になった。電話にもいつも出なくなり、恐らく着信拒否されているか、番号を変えられたんだと思う。
連絡すら取れないから、両親が亡くなっても葬式にすら来ないんだろうなってぐらいには縁が薄くなってしまった。
母は「どうしてこんな事になったんんだろう?ちゃんと別け隔てなく育てたのに…」って言っていて、さすがに正気を疑った。
でも母の中では差をつけている自覚が本当に無い様で、便りも何も無い事を本気で嘆いていた。
恐らく母は、男尊女卑家庭で育って苦労した鬱憤を、本来は伯父や母方の祖父母にぶつけるべき不満を
兄という「男」に対してぶつけていたんだろうなって思う。悪く言えばただの八つ当たりだった。
結局母は、自分が男尊女卑家庭で育って散々苦労したのに、兄に対しては同じ様な苦労をかけさせてしまった。
虐待…とまではいかないと思いたいけど、差別の再生産ではあるんだろうな。
Aの家庭環境はそこまで詳しくは知らないけど、もしかしたら普通の家庭に見えても中では凄い嫌な思いをしたのかも知れない。
それが原因で男嫌いのフェミになったのかも知れないけれど、そんなAが子供を厳しく(理不尽に)育てたら
そんな育て方をされて歪んでしまって異性憎悪を拗らせても不思議では無いと思う。母の様に。