病院には何度も行った。といっても最後に行ったのは3年ほど前だが。
定期的に体調が悪くなる。
そうなると布団で横になるしかない。身体を動かすために割く余力が無くなるからだ。
「つらい」「助けて」というネガティブな言葉が多いが「どうしたの」や「何で」などの言葉もたまに聞こえる。問いかけられても困る。
聞こえると書いた通り、それらの言葉は自身が考えているのではなく、第三者の声に感じられる。
ただし実際の声として耳で聞いているわけではない。内言に近い。
しかし自分の考えであると認識していないため、自動思考であるという感覚は無い。おそらくこれは一般的な感覚ではないだろう。
並行して、時々身体が動かなくなる。
この時は手足などの身体の一部に力を入れようとしても、微動程度しか動かない。痛覚などの感覚はある。
また、声が出なくなる場合もある。言葉を話そうとしても喉が動かないので、おそらく手足が動かなくなる現象の延長だろう。咳払いはできる。
これらの症状に耐え続ける、あるいは無視し続けていると記憶が飛び始める。
記憶の飛び方は様々で、気が付いたら外を彷徨っているという分かりやすいものから、何をしていたかはうっすらと思い出せるがどうしてそれをしようとしたかが理解できないというような、記憶以外に異常が出る場合もある。
周期は不定で、何ヶ月もその状態で臥せっている時もあれば、1 年丸々元気な時もある。
病院には何度も行った。いくつかの病院を訪れ、色々なことを言われた。
脳波に異常はありませんと言われ通院が終了した時もあれば、カウンセリングに通い詰めて貯金が尽きた時もあった。
また、その症状は治療できないと言われ初診で終わった時もあった。
いずれにせよ症状が消えることはなかった。
しかし、通院を継続できない最大の問題がある。元気な時の自分は、体調を崩している時の自分を理解することができないのだ。
記憶に影響が出るからだろうか。元気な時の自分は、体調の悪い時期に関して「なんか知らんが臥せっている」以外の感想を持たない。
体調についてここまで詳細に書けているのは、自分が今臥せっているからだ。
通院できる状態まで回復した自分は、体調が悪かった時に感じた苦痛を何とも思わない。他人事のように感じており、よって通院の必要性を感じない。
また、通院したとしても起こっていた困難を説明できない。なんか知らんが臥せっていたとだけ説明されて、的確な治療ができる医者などいないだろう。
この文章を自分しか見られないような場所に保存すれば、体調が戻った時の自分に意味不明の怪文とみなされて消されるだろう。そしてまた、体調が悪かった時のことを無かったものとして生きていく。
そこで、これをインターネットの海にでも投げてみる。
一度人目のあるところに公開した文章を無責任に消すことはないだろう。おそらく。
どうか後ほどこれを読んだ自分には、困難に振り回されていた事実から目を逸らさず、何かしらの対処が必要な事として受け止めてほしい。