はてなキーワード: ロースクールとは
https://www.buzzfeed.com/kazukiwatanabe/gay-student-sued-hitotsubashi-university
Z君の立場も相当きつかったと思うぞ。
仲良しだった友達に告白されて、それを共通の他の友達に隠しながらこれまで通り接しろって?
秘密をバラすのは悪いことだと思うが、いきなり告白されてずっと黙ってるのキツイと思う。
同性愛者だってことをみんなに伝えた上で、これまでどおりみんなで仲良くしたかったんじゃないかな。
A君に相談せずにみんなにバラしたことは最悪だが。
Aくんはそれまで、ロースクールの同級生たちが同性愛者を「生理的に受け付けない」などと話しているのを聞き、ゲイであることを秘密にしていた。
こんなひどい環境にいるんだからZ君も結構きつかったんじゃないかと。
悪いことした自覚はするべきだけど、Z君の立場も少しは考えてあげてほしい。
ブコメとかにもあるけど、キモオタがかわいい同級生に告白して、それを周りにバラされるのと何が違うの?
俺がアニメオタクなの誰にも言わないでねみたいな秘密とどう違うの?
自分から秘密を喋っておいて(というか今回の場合告白だからZ君の立場が不憫なんだけど)それを絶対にバラすなって結構むちゃくちゃなんじゃないの。
どんな秘密も絶対に守れる人ってそんなに多くないと思うんだけど。秘密を抱えるのも辛い時もあるし。
終いにはZ君を訴えたいみたいなこと言ってるんだけど、自分から秘密伝えといてそれをバラされたら法的に罰せられるのか?それとも同性愛者の場合は特別なのか?
今回の件、同性愛者だからって特別視し過ぎじゃない?なんか腫れ物みたいじゃん。
あいつがあいつのこと好きらしいよとか、あいつがあいつに告白したらしいよって秘密にしといてって言われても、結構言っちゃうことってあると思うんだが。
俺もクソ野郎だってのは認めるけど、そういう話みんな好きだしみんなそういう話してるじゃん。
同性愛者だから秘密は絶対だろみたいな、そこは考慮しろよみたいな風潮こそLGBTの人たちを特別にしてるんじゃないんですか。
A君はひどい環境にいるって実感しながらも、なんでZ君に告白したんだろ。
告白するにしても、タイミングとか色々と考えればこういう状況になることは回避できたはず。
法律を学んでいる奴はどんな秘密も一生絶対誰にも言わずにすごさなければいけないのか。
仕事とプライベートの区別くらいみんなつけてんだろ。一橋みたいな頭いいやつは尚更
こんな結果になるかもっていう想定ができていなかったのは問題だが。
自分の場合幸い周りにLGBTの人が多少いて、みんなそれ知ってても普通に接してきて寛容な方だ(と思ってる)から、
今回のように同性愛者の人たちが腫れ物扱いされてる(ように見える)のがすごいモヤモヤするんだが。
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ゲイのAくんは、周囲にカミングアウトする前に、Zくんに告っちゃったとのこと。ゲーム開始直後にラスボスに挑むくらい無謀。
カミングアウトだけならまだノーマルな人にも受け入れられやすいだろうし、それなりに賢い人達だろうからAくんが露骨に差別されるなんてことも無かったのではないだろうか。そこを飛び越えて、男と男の関係になってくれ、というのはあまりにハードルが高すぎる。ノーマルな人がゲイのパートナーになれと言われることは、すなわち「お前もゲイになってくれ」or「バイになってくれ」と言われていることである。
喩え話は、どこかしら齟齬が出るせいで、却って話を混乱させることもあって難しいのだが、あえて宗教にたとえてみたい。日本では宗教の自由が認められているし、隣人の宗教が何であろうとあまり気にしない人が多いと思うが、その隣人がその宗教に勧誘してくるとなると話は別だろう。だいぶ前の話だが、内村プロデュースというテレビ番組の楽屋で、おさるがレギュラー仲間に宗教勧誘&投票呼びかけをしたら、内村に怒られたという話について、みなさまはどちらに共感できるだろうか。
女性の裁判官はみんなああだったとか、皆さん色々と言いたいらしい。
正直、自分にとってみたら今日は水曜日だったかというレベルでしかない。
つまりどうでもいいということだ。
本当にどうでもいい。
別に人の生き死にが決まるわけでもないし、自分の権利に関わるかと言えば全く無い。
騒げる人が羨ましい。
一瞬だけ、法学のロースクール進学前提の学科に転籍しようか考えた。
正直、自分を唯一幸せにしてくれているものであるお金のことを考えたいが、法学は若干遠ざかるのだ。
そして、その学科の人たちが読んでいる体系書などを読んだが、恐ろしいほどの面白くなさを感じた。
加えて自分のことにしか興味が無く、他人のことは正直どうでもいいので判例を読まなければならないのが苦痛でしかない。
母校が世間を騒がせている
《http://mainichi.jp/select/news/20150908k0000e040142000c.html》
《http://www.asahi.com/articles/ASH9835GDH98UTIL007.html》
母校愛は全くないつもりだが、母校愛がない俺なりの母校へのささやかな貢献として、そして何より自分の承認欲求のため、この場を借りて知っていることを述べたい
A教授は受験業界では俺の受験生時代においても試験への影響力が強いということで有名だった
司法試験の受験テクの一つとして、考査委員の顔ぶれや過去の学術論文から翌年の出題傾向を探ることを試みることがあるのだが、俺の観測範囲でそのテク的に“全科目の中でも”最重要人物視されていたのがA教授であったほどである
情けない話だが、このようなことが起きても不思議ではないというのが率直な印象である
俺の在学中にも、飲み会に異性未婚学生と二人で堂々と揃って遅刻して登場し、飲み会終了後も二人で堂々と揃って夜の帳に消えていく教授(考査委員ではなかったが、既婚者だった)がいたりした
学生達も試験合格に必死だし、教授達は業界内で限定されたものとはいえ権力を持っているし、そんな環境の中で、中には使える武器(ゲスパー)は何でも使って情報を得ようという発想をする奴もいるだろう そうじゃない奴が大半だったと思うがね
換言すると、狭いコミュニティーで、モラルの壊れた権力者とモラルの壊れた権力利用者がいれば、今回のような事件が起きるのは必然だし、その可能性はそこまで低くないということだ
学生間でも色々なことがあったが、今回の事件とは無関係なので割愛する
“オタサーの姫”“青春を取り戻そうとするKY既婚おっさん”くらいのキーワードで察してもらえればよいかな
今年の司法試験の問題もまだ見ていないので、事件記事以外の情報はないものの、特に新司法試験憲法の論文問題は、その問題自体を事前に知ったところでどうしようもない傾向がある
“できるやつは制限時間内で余裕の合格答案を書けるし、センスがない奴は基本書を見ながら丸一日かけてもそこそこの答案しか書けない”という傾向が最も強い科目だというのがほぼほぼ受験生の共通見解だ
俺も試験合格後に学生に受験指導をしたことがあるのだが、毎年公表されている採点実感や予備校の模範答案を見て書かせても、特に憲法論文についてはセンスがない奴はセンスがないなりの答案しか書けないのである
しかし、解答内容まで懇切丁寧に教えていれば話は別だ
既に一部報道もされているが、今回、当該学生の答案の出来が良すぎて発覚したということは、問題漏洩が解答指導も含めて本当の本当に根幹の部分までされたのであろう、ということだ
考査委員を長年勤めた教授が本気で憲法論文の解答指導なんかしたら明らかに不自然な答案ができあがるに決まっている
・出題分野の漏洩=ピッチャーの球種を各打者に公開(受験生=バッター(以下同))
くらいの次元の違いがある
したがって、試験合格後は刑事事件に全く縁がないので「半可通の感想として」にとどめておいて欲しいのだが、特捜はこの事件はきっちり背景を含めて捜査するんでないかな、というのが俺の考えだ
背景事情によっては、試験と制度の根本を揺るがす特大スキャンダルだからな(現時点で既に“大スキャンダル”だがw)
これを機に制度潰すくらいの勢いで腐った部分を徹底的に取り除かないと社会的にもマジでやばいぜ
例の件でデザイン業界が業界人の内輪擁護で炎上している状況を遠巻きに見てきたものだが、次がウチの業界の出番とならないことを心より願って締めの言葉とする
旧司の一行問題時代には、考査委員の東大教授の直前の期末試験の問題が丸々コピペだったりしたので、「昔は受験生が競って情報を取り合ったものだ」とこないだマックで女子高生が話していたのだが本当なのかね?
> 問題作成者が公開なのが意外。しかもその間学生の指導ができないのか(http://www.moj.go.jp/content/001129497.pdf)。授業は指導に入らないということなの?
そのとおり、「授業≠指導」というのが建前だ
どう違うのか、というと説明しづらいが、誤解を招きかねない個別ゼミや私的な少人数ゼミはもちろんNGだし、俺の知っている考査委員の教授は“指導”をしないよう慎重に配慮していたものである
また、実際の問題《http://www.moj.go.jp/content/001144527.pdf》を見てもらえれば明らかなように、問題が複雑すぎて独力で問題作成することは不可能であるし、実績のある学者に頼らざるをえないのが現状だ
大学院卒業式のあと、母が急病で倒れて実家に戻ると弟が部屋でヒキコモリをしていた。
そして、俺を見るなり何か攻撃的で今にも殴りかかりそうな勢いで叫んでくる。
家の中で椅子や本を投げてきて、ガラスをわったりして、かなり大声で叫んで近所に通報もされたり大変だった。
俺はなんとか怪我もなく家を脱し、母の入院先に荷物を届けてビジネスホテル住まいでいま、しのいでいる。
家の中でみた弟はずっと暴れていた。
はっきり言って精神を病んでいた。
俺は、ずっと故郷を離れて関東方面の大学にいて、春からは大学でまたポスドクをやっている。
しかし、大学にいる俺に対して、親はずっと俺に弟のことを黙っていたみたいだった。
「俺だけなんで全部ダメなんだよ」
「しねしねしねしね(ry」
と、恨みつらみを重ねてくる。
こっちはすごい複雑な心境で、家族に迷惑をかけないよう努力してきたつもりだったんだが、俺は弟にとって裏切り者呼ばわりされてる対象らしい。
自分で学振とって博士課程を終了させ、授業料と生活費もなんとかバイトで工面したり、俺なりに実家に迷惑をかけずにいた。
母は
「あの子(弟)はいまサラリーマンで一人ぐらいししてるのよ~会ってないわ~」とかいいながら、家の中で引きこもらせていたのだった。
家の中にいる弟の容姿はそれはひどかった。
肥満と無精ひげ・・・整わない頭髪に何日も入浴してなさそうな体臭。
母は、入院先で俺にようやく言ってくれた。
家庭内暴力で暴れて手がつけられないから今は母自身も、近くの従姉妹のアパートに隠れて住んで、実家は弟の好きに生活させているのだと。
弟はむかし、新卒でいい就職先にいけたんだが、就職後にすぐ人間関係のトラブルで辞めてしまい、家にひきこもったという。
ロースクールをめざして院試も受験したが失敗していたと母は言っていた。
ぬくぬくと院に進学している俺をその頃から盛んに恨み出して母にきつくあたっていったらしい。
もうそれも5年くらい前の話だ。
5年前とえば、自分は何をしていただろう。
しかし、自分はその頃、実家に戻る時間が全然取れなくてたまに親に連絡していたくらいだったのは覚えている。
でも、弟が就職したのは聞いたけど、5年後にこんなひきこもりになっているとは知らなかった。
ずっと「機嫌ようやってるよ~」と母が電話で言ってるだけで、家の恥だから黙っておいたと言ってくる。
父親がいたら暴力とかもなんとかなったのかもしれないけど、これからどうしようかと思う。
俺に関わる人生の全てを弟は呪っていて、俺の居場所を早く教えろと母に何度も言ってたみたいだ。
(大学院在学中に、何度か、物件の水漏れ事故や火災があって、自分は3度住まいを変わってるので弟は見つけられなくて悔しがっているらしい。住所を知って何しに来るのかと想像するのもいやだったが)
マジでどうしよう。
母は骨折と腰痛で入院したが、週明けに退院だ。そのあと、引き続き、隠れ家に戻るらしい。
あんな暴れまわって家のガラス全部壊しまくって壁に穴を開けるほど殴りつけてくるような狂人に自分ももう、手がつけられない。
なんで俺は弟の病変をこんなに鬱陶しいと思うんだろう。
実家が引きこもりの病人に溢れていて、故郷が一気に吹っ飛んだ。
そのうち行政の指導が介入するんだろうけど、関わりたくないと思ってる。
母のことは心配するけど、弟のことはほんとどうでもよくなってる。
5月のこの季節になるとふと思い出す。
自分も司法試験を受けていたことを(平成27年は5月13,14,16,17日の4日間)。
自分はロースクール卒業後2回司法試験を受けたが,短答式は通過したものの論文の壁は高かった。
2回目の受験後に公務員試験と就活を並行して,地元市役所へ入った。
福祉関係ということで,それなりに苦労は多い。クレーム対応も日常的だ。
でも,休みがちゃんとあって,給料が保証されていることの安心感は計り知れないことを知った。
司法試験を受けていた頃は,親のすねかじりだったし,買いたいものだってなかなか買えなかった。
今は車のローンだって組もうと思えば組めるし,何より自立していることを実感できている。
これを見ている受験生がどれだけいるかわからないが,勇気ある撤退も1つの方法だと考えて欲しい。
受からなかった人間の負け惜しみだと思ってもらっても構わない。
でも,失敗して路頭に迷う人が毎年確実に増えていることを覚えていて欲しい。
自分はある意味ではなんとか社会人としての地位を確保できたので運が良かったんだと思う。
だから,失敗してもなんとかなると自信を持って言うことは出来ない。
でも,法曹ではない道も考えているなら,行動して欲しいと切に願う。
日曜日の択一を受けて,たまたまこの日記を見ている人がいたらと思ってこの日記を書いている。
どうせ,9月まではロクに勉強なんてしないんだから,いろいろやってみるといいと思う。
就活する,今から出願できる公務員試験を探す,ビジネスマナーを学ぶ,面接対策をする,TOEICを受けるなどいろいろある。
これらを行っていれば,司法試験に合格しても絶対に役立つだろう。
4日間にわたる試験おつかれさまでした。
受けきっただけでも本当にすごいことだと思う。
本当におつかれさまでした。
4つ離れた弟が高校生になった時、自分にものすごく荒い口調と目つきで馬鹿にして見下してたような対応してたのを思い出した
あれって、自分の親兄弟っていう肉親に違和感を覚えた既視感があったんだよ
今でも母親とはたまに会話するけど、ときどきヒス起こしたり自分をものすごく馬鹿にしたようないいかたする根っこが毒親である。
うちはとても貧しい家庭だった
学も知識もない底辺層で労働者階級って近所から馬鹿にされまくって育っていた。
そのあと、頑張りすぎて体調壊して受験失敗し、家で浪人して、バイトしてたとき、弟が再び荒れた。
家の中で兄に対してだけ見下したようなとてもダメ人間を見る目で接してくるんだよね。
おれは医学部目指してて(けっきょく歯学部になったけど)毎日頑張って、バイトに悪戦苦闘し、けっきょく3浪してしまったからとてもだめな3年間を過ごしたのは覚えている。
でもその3年間が高校生の弟にとってはすごくダメ人間でいろいろ不満が溜まっていたんだろうなって思う。
当時は90年代後半で世相も騒がしい事件が多かったし、それなりに鬱屈したものがあったし、思春期特有の何かがあったせいだと感じてすませてたんだ。
けど、最近になって気づいた。
就職失敗して家でひきこもりして母にDVをはじめた弟になんらかのやばいもんを感じた
家の一角を風俗店(いわゆるライブチャットレディの待機ルームを作ったり、アダルトグッズを販売する店にしようとする計画で)みたいにしようとか言い出して、彼は母親と喧嘩しはじめたんだ。
あと、FXで母親の貯金300万くらい溶かしていたのも最近、聞かされて俺は90年代後半のあの時・・・・弟が荒れてた理由をあえて見つめ直してみた。
いわゆる、あれは、底辺層のモノ同士の特有の対人嫌悪、同族嫌悪という種類のものなんじゃないかと考えた。
親にも感じたし、その親からうまれた俺が思うのもなんだが、弟がものすごいクズでどうしようもない存在になってしまったのを恥と思い始めてる自分を長いこと・・・そうと認めたくなかったんだ。
自分の肉親血縁関係にあるものが、とても社会的にダメなものになって、人としてやばい領域にあるのだと知った時の不快感というのか。
むかし、高校生の弟が俺に対してとてもチンピラのような絡み方をしてきたり暴力をふるってきた時に、感じたものとおなじものを今も受け取る。
あいつが俺に対してひどい仕打ちばかりしてきたのは、クズでしかないからクズみたいな行動でしか対応できない動物の性質だったんだろう。
年末にも聞かされた。
「ひきこもってから俺がロースクール行けなかったのは兄のせいだ云々」とか、司法試験目指すならそれなりに方法もあるので予備校なり通えばなどいくらアドバイスしても弟の大学院受験失敗を俺はわからぬ理由で責められ暴れられる。
さてやっかいだ。
昨日は新年そうそう警察のお世話になるような事件が家で起きて(DVで暴れる音から通行人に通報されたらしい)
これから、自分の人生にどうこいつを切り離すかしか感情が浮かばない。
「兄ちゃんも頑張るから、一緒にゆっくりできるだけのことをして生きていこうよ!」
とか昼ドラみたいな優しさを持てない自分は、逃げることしか考えていない。
付き合ってる人もいるし、恋人や恋人の親に自分の家の家族を見せたくない。
あんな恥みたいな弟をいなかったことにしたい。
じゃあ、今年はそれを実行するために、実家には近寄らず、幸せに暮らせる場所を設けないといけない。
しかし、弟のことだ。
そのうち行政の介入によってなんらかの措置がとられるのだろうが、それまで自分は自分の安全な領域で生きていかないといけない。
しかし、たったこれだけのことだったんだ。
相手がどうしようもないクズだってなかなか認められなかったのは、自分の血縁だったからっていう理由が根底にあったせいなんだな。
容認すればさっさとなんとでもなりそうなことなんだが、家族の中に最低な奴がいるって本能的に気づくのを避けていたんだよね。
すごいことに気づいたなあ。
仕事って「仕事の内容を理解する」→「実行する」のパターンだったり、
あるいは「調べる」→「工程と実務に落とし込む」→「周囲の人間の理解と協力を得る」→「実行」
のパターンだったりで、法学部出身者の法知識を実務ベースでそのまんま使うことって少ないんだよね。
それこそ、ロースクール出て資格取ってるか司法書士取ってるかくらいのレベルじゃないと、
現場慣れした人間の方がよっぽど強い。知識と実務の間にはそれなりの壁があるから。
だから、一芸で生きていく。たとえば研究者とか弁護士とかになるんなら話は別だけど
仕事でいいクオリティを出したいなら、基本的な学習能力と協調能力を高いレベルで持ってる方がよっぽど大事で、
要するに、調べる→理解する→アウトプットするの訓練を大学時代にいかに積んできたかが重要。
たかが学部卒だと、どこを出たかはあんまり関係ない気がすると俺は思ってる。
やっぱり大学時代にいかに良い学習訓練を積んで来たかって点は仕事の出来る出来ないに大きな影響を与えるので大事だけど、
基本的に仕事に就いたら今までと全く畑違いのことをいきなりやらされるパターンが多いので、
現在その仕事してるのは文学部出身で文化人類学をやってた奴っていう我が社の現状からの経験則なんだが。
「中途半端な専門知識とかマジ要らない」って最近よく思う。だって、マーケットにいい感じのお値段で仕事を請け負ってくれるプロが
ふつうにいっぱいいるんだもの。特に法は今安い。自前で抱えるメリットゼロ。
というわけで、生きるためにカネのために勉強するなら将来のマーケットバリューの予測がマジ重要。
金融工学(笑)みたいに暴落することもあるし。NASA蹴ってウォール街に行った奴ら今どうしてんのかな…。
でも結局そういうのって運だから、大学で学ぶことは自分が興味があるものを精一杯やったらいいんだと思うんだよね。
個人的に思うのは。
「法学部」こそが一番ムダな文系学部だと思うんだよね。もちろん、法の研究とかそういう価値はあるんだけど
結局、マーケット的には難関資格突破レベルまでいかないと評価されないわけで。
法学部卒なんて宅建ほどの価値もないわけで。もちろん、法学に興味があるなら法学部に行くべきだけど、
文系学問で一番実学に近いしマーケットで評価されやすいから!って思って法に行くのはアホらしいと思う。
Facebookで次のようなやりとりがあったので、貼り付けます。皆さんの思考の一助となれば。
(補足:本題は、AとC、Eのやり取りです。B、Dのコメントは前振りです。また、イメージがわきにくいので、男女の別と肩書きを付しました)
AKB48メンバーの恋愛・丸刈り問題、フランスの新聞「リベラシオン」にも掲載されました。
タイトルは「日本のダンサー少女の丸刈りに衝撃」で、事実を淡々と伝えています。You Tubeの画像が24時間で300万回以上再生されたとか、日本で大騒ぎになってるとか。彼女は「自分で決めた」と強調しているとか。それで、「第二次大戦後ナチの将校と寝たフランス女性の懺悔を思い出させる」という反応とか、「これが先例になったら困る。青少年への影響を考えろ」というツイッター上の反応とか紹介してます。そのうえで、。「このように日本の懺悔の伝統に少女を追い込んだことについても、恋愛を禁止したことについても、このような有名人プレッシャーをそれを負うには若すぎる少女に課したことについても、誰も罰せられない」と皮肉っています!
私は、You Tubeは世界中から見られるので、日本の恥を世界にさらさないで!と危惧していましたが、恐れていた通りになりました。 http://next.liberation.fr/musique/2013/02/01/surprise-chez-un-danseur-une-chanteuse-japonaise-se-rase-la-tete_878485
どこかで、次回出すCDに、切った髪の毛を入れて発売するという記事を読みました。すべては商業的に仕組まれたことだったのではと思います。本当ならば、なんとしたたかなことか。
Bさん、私も作為的なものを感じます。でも、それが商業的に成功する国・社会であってはいけないし、フランスはAKBのような存在そのものが成り立たない成熟社会です。
商業的に成功するんでしょうか?さすがに切った髪の毛をCDに入れるのには、ファンも反対すると思うのですが。まあ、ファン以外の人がたくさん買うと思うので、売れることは売れるかもしれませんけど…。
AKBのような存在そのものが成り立たないことを「成熟」と捉えることには反対です。
Cさん、反対の理由は何ですか?確かに「成熟」にはいろいろな意味があるので、ちょっと良い表現ではないかもしれませんが。
Dさん、そうでしたか。うっかり、ひっかかりました。(^^ゞ
端的に、成熟(その裏返しとしての未熟)といえる根拠がないと思うからです。逆に、成熟と捉える理由はなんですか?
ところで、フランスでは、AKBは人気がないですが、モーニング娘。は結構ファンがいるようです。どういう差なんでしょうか…?
私の考える「成熟社会」とは、自由、平等、法の支配がより行きわたる社会です。子ども、女性、障がい者等、弱者の権利がより守られる社会です。
もちろん、この問題1つだけで日本が未熟でフランスが成熟しているという根拠には不十分かもしれませんが、たとえば日本の新聞で、上のように「誰も罰せられないのはなぜ?」と疑問をなげかける新聞があるでしょうか?フランスにももちろん闇の部分はたくさんあるので、100%良い国だなどといいう気は全くないのですが、女性差別とか児童・暴力ポルノ問題への批判に関しては、日本の数歩先を行っています。モーニング娘やコスプレが人気と言っても、あくまで「しゃれ」の範囲で、今回のような丸刈り事件には大多数が反対するのがフランス社会だと考えています。
Aさんのおっしゃるような社会を「成熟社会」と呼ぶことには違和感はありませんが、AKBのようなアイドルが存在しえないことは「自由、平等、法の支配がより行きわたっていること」と関係がないように思います。
児童ポルノ問題については、日本はアメリカやヨーロッパ諸国に比べると遅れていますね。性差別については、議論が盛り上がっているということ自体は先を行っていると言えますが、議論の進展状況については、フランスでのヒジャブ禁止問題を見る限り、単純にそう言えるか微妙なところもあります。
今回の丸刈り事件については、日本でも批判的な見解が大多数だと思います。例えば、朝日新聞の記事はかなり批判的です(http://www.asahi.com/national/update/0201/TKY201302010381.html)。この記事は、むしろ、上記のフランスの新聞よりも問題状況を理解していると言えます(この件について、坊主にされたフランス人女性の話と比較させるのは的外れです。もちろん、単に市民の反応を紹介しただけ、という言い訳はできるでしょうが)。
Cさん、朝日の記事は読みましたが、私には批判的とはあまり思えませんでした。特に、後半の危機管理のプロとかいう方の「謝罪は成功」とか、「アイドルは商品。ブランドコントロールは何よりも重要です」というコメントで締めくくる記事構成は、それを是認しているととられる可能性大です。「反省してるから許してあげて」と言いますが、反省する必要はないし、それを売りにしていること自体が明治時代以来の処女神話というか、女性の商品化(差別)の表れと思うと私には耐えがたいのです。フランス社会はそれに抵抗があるからAKBのような存在が(ごく一部のマニアックな層に人気が出たとしても)メジャーになることはないと思っています。
へジャブ禁止令もそもそもイスラムの女性差別に対する批判からでてきた話で、しかも禁止は学校内だけですから、問題ないと思っています。
察するに、今回の件に関してどのような理由から批判するのか、という点について、Aさんと朝日新聞とでは視点が異なるのだと思います。朝日新聞は、「アイドルの恋愛禁止」をやや批判的に描き、「反省の手段として丸刈りにする」ということを体罰あるいはパワハラに類するものだと批判し、また、マーケティング戦略として失敗したのではないかという角度からの意見を紹介しています。そこには、「女性差別」の話は登場しません。
今回の件を女性差別の問題と捉えることは、的を失していると思います。もちろん、女性の商品化→即差別と考える人がいるのはわかっていますが、自分はそうは思いませんし、そういう考え方が一般的だとも思いません(これに対し、男性女性問わず、性の商品化自体が心地良いものではないという意見は多いと思います。それは差別とは別の問題です)。
ヒジャブ禁止は、フランスの差別解消についての独善性が出たものと思っています。ムスリム女性自身の反対を押し切って、よく施行に踏み切ったなと思います。
それはともかく、AKBが存在しえないことが成熟社会である、という言明は、Aさんのコメント内容から推測すると、結局、「女性の商品化は差別である」→「AKBは女性を商品とするものである」→「AKBの存在は差別である」→「差別のある社会は成熟していない」→「AKBの存在は未熟を表す」という思考過程を経ているという理解でよいですか?
女性の商品化=即差別とは私も思いません。それこそ大人の男女が自らの魅力を演出してそれを売りにすること自体は、職業として成り立つのでしょう。でも、そこに「恋愛禁止」のルールなど入りこむすきはないですよね?その自由の否定とそれを受け入れる社会が未熟だという考えです。校則なども一種の自由の制限として私自身は反対です。
なので、上記の「女性の商品化は差別である」という命題からは出発しません。AKBのような未成年を商売道具として利用する大人に対する批判はあるので、AKBに限らず、「10代のアイドルは大人が子どもを商品とするものである」→「特に処女性を売り物にするアイドル(たとえばAKB)は女性差別である」→「子どもを商品としたり、女性に限らず、差別を許す社会は未熟である」という思考過程を経ているかな?と思います。
このAKBの構成員たる若い女子の丸刈りが、いかに多くの女性から嫌悪感を帯びて見られているか、秋元某はわかってないでしょうね。この嫌悪感は、まさしく「女性がオッサンから商品化」され、「搾取」されていると嗅ぎ取っていることからきます。また、「若いにーちゃんがこれを見て喜ぶだろう欲求」を充たしたと、商業ベースから判断されていることを嗅ぎ取っているからでしょうね。
法や人権に携わる者が、これらのことに鈍感であってはならないと強く感じます。そういう意味での「嗅覚」、とても大切ですよね。頭で理屈づけることなど、後から暇な人がすれば良いことです。これが社会的に、また若い女性、若い男性に与える悪影響から考えると、即刻このような「性の商品化」はやめるべしだと思います。また、森美術館の例の展示も、いま問題の体罰も、根っこに同じものを感じます。
Aさんの仰ること、私には大変よく理解できます。ロースクールも法学部も、真面目にジェンダー法に取り組むべきでしょうね。
そうそう思い出しました。キャリア教育などでも「自分を商品と思って売り出すなら、なんて売り出しますか?」というフレーズを使う講師に、それは不適切だと抗議したことがあります。人間は売り物ではありません!それを、いけしゃあしゃあとやっている大人たち、買う人間がいるから売るという発想の大人、これは本当に断罪しなければなりません。
謝罪って・・・誰に対して?写真集の犯罪については責任者=男性・権力者の落とし前は社会的にも不問で、労働者=女子は人権も人格も否定される不平等が搾取だし、キモい。日本はジェンダーバランスの点では著しく未熟な社会である。
AKBの女の子と同じくらいの年齢の娘がおりますので、この女の子の丸刈り姿を直視できません…。これがもし自分の娘だったら…と考えるだけで、死にそうなくらいイヤな気持ちになります。そんな集団に入ることを許してしまった、親としての自分のあり方を呪うと思います。
この画像に対する嫌悪感は、表現しがたいほどです。女性が「罰として丸刈りにする」という行為自体が、ナチスの収容所に入れられた女性や、大戦後、ナチスとの付き合いがあったことで丸刈りにされた女性たちを連想してしまうのです…。
こんなことがまかり通る「幼稚」な国であるということを、臆面もなく世界にさらしてしまったことは、本当に恥ずかしいと思いますね。
私も朝日新聞の記事を読みましたが、あれのどこが批判的なんでしょ?しかも、その記事の横に「板野友美引退」ですよ?スポーツ紙か?と突っ込みました。
テレビのニュースも然りです。この気持ち悪さ、不快感の本質をついてくれない。
Aさんのスレッドを読ませて頂き、やっと胸のつかえがおりました。
>Aさん
女性の商品化というよりは、子供の商品化が問題であり、また、それとは別に、処女性を売り物にすることが女性差別だということですね。処女神話はたしかに女性差別の意識の発現と言えるでしょうから、処女性を売り物にすることが女性差別意識を払拭することを妨げると言うことはできますよね。
ただ、たしかに「男はあの映像を見て喜ぶ」と演出サイドが思った可能性はありますが、実際にはそんなことはおそらくありませんので(喜ぶ人もいることはいるでしょうが)、演出サイドを責めるならともかく、今回の件に対する批判の声が多い現状に鑑みると、社会を未熟と言ってしまうのは、卑下しすぎではないかと思わないではないですね。
少数派の意見を正当化しなければならないときには「嗅覚」だけではどうにもならないので、理屈付けが必要です。もちろん、問題発見のプロセスでは、理屈付けの前に「嗅覚」が先に立つわけですが、正当化のプロセスにおける理屈付けがなければ、味方同士の馴れ合いで終わりです。
>Cさん
「嗅覚」が働かないような人は、学者にも司法関係者にも人権に携わる人にもはなれませんね。どこぞの弁護士みたいに人権が飯のタネ、なら別ですが。かしこぶっても、痛みをわからない人に理屈をつけられるよりは、まずは気持ち悪さを「共感」できる人でないと、自分はおろか他者の「権利」なんて守れませんからね。「正当化のプロセス」を他者がしたり顔ですることが、問題発生のすぐの時点でそんなに必要とは思えません。それを味方同士の馴れ合いなどと断言されるというのは、やはり第三者である自分を安全地帯において評論する、というところからですかね。
Cさん、大衆論理は常に正しいんですかね。女性のことに関して女性の意見を聞かない男性に何がわかるのでしょうか。古代脳である嗅覚すらないならもはや生物とも思えません。
俺はhttp://anond.hatelabo.jp/20120310231910だけど、検索したら何人かいたのでメモ程度にまとめておく。
今の日本社会では弁護士は社会のために働いている、という漠然としたイメージが蔓延しており、仕事の実質が正確には伝わっていないのではないかと思います。だから「社会的弱者のためになる仕事→弁護士」となるのかなぁと思うのです。しかし、弁護士でなければできない仕事というのは極めて限られていて、また、弁護士固有の仕事の実質はあまり理解されていないのではないかと思うのです。
ロースクール入試による競争、ロースクールでの競争、新司法試験での競争、就職活動での競争。
全ての段階でドロップアウトする可能性があります(上位校に行かなければまともな教育は受けられず、
また、友人から聞いた話ですが、新人弁護士の最低待遇は年収300万円に
弁護士会費自己負担(年間50~100万)という状況だそうです。
仕事がつまらないという理由と、先述したナイーブな発想で弁護士を目指すのは
あまりにも頭がお花畑だといわざるを得ません。
それでも弁護士を目指したい!!と思うのならばそれは自由ですが、
純粋未修で2振して撤退した俺が、ロースクールに進学又は在籍する純粋未修者にロースクールの社会構造を伝えること並びに生き残りの方法及び生き残れなかった場合死なずに済む方法(撤退)を伝授すること。
ロースクール(以下「ロー」という。)は、成績優秀者をピラミッドの頂点とした、階級による格差社会です。教授も学生も、成績優秀者を持て囃します。まじでモテます。「※ただしイケメンにかぎる」じゃない世界が、ここにある!(イケメンならなおのことモテるわけだが)
成績悪い奴は人間扱いされません。あからさまに無視されることもあるし、授業で発言すれば笑われることもある。彼女など夢のまた夢orz(余談だが、彼氏づくりに影響がなさそうだったのは不当だ。)
インド人もびっくりのカースト制度ですよ。最初はひでえなと思ったけど、司法試験の仕組みを考えたら当たり前。2~3年で合格レベルにもっていかなきゃならんのに、バカにかまってるひまはないっすよ。
純粋未修は、それまでの人生がうまくいってて自分は勉強得意だと自負してる人が多いけど(だからこそ新しい分野に挑戦しようとしたわけで)、自分が勉強できないんだということを受け入れるのって、辛いと思うよ。人間って、何回も自尊心を傷つけられると、ほんと自分てだめな人間なんだなと思ってダメスパイラルに入るんですよ。ロー入るやつってなまじ勉強ができるからそういう挫折も経てない人が多くて結構心折れるし回復魔法知らない人が多くて(俺とか)病むよ。しかし病んでると勉強進まないからますます成績悪くなって(以下略。
また、ローは、階級が初期に固定されて、後に革命を起こしにくいのも特徴。ぶっちゃけ、法律って、最初っからセンスある奴はあるし、ない奴はないんですよ。純粋未修だろうがなんだろうが、1年前期で成績優秀者になるやつはいる。※階級固定は多分既修も同じ。むしろ既修はロー入学以前に数年勉強して既に自分の実力を把握してるから、より固定化されてる気がする。成績優秀者は能力+努力がある奴が大半だから、革命起こすには数倍以上の努力が必要という残酷な真実。
さらに、いったん格差ができると、それは拡大する一方なんですよ。みんな優秀な奴とかかわりたいから、優秀者に情報が集まる。みんな優秀者に質問するし。かてきょとかやったことあればわかるけど、勉強は、教えられるよりも教える方が身につく。教えるやつはどんどん理解が深まり、教える機会がない劣等生とは差が広がる一方。
あと、大事なのは勉強会ね。司法試験では勉強会単位で合格が決まると聞くけど、俺の実感としてもそんな感じ。優秀なやつは優秀なやつ同士でゼミ組んで、全員で合格しようぜ→全員合格(たまに一人落ちるやつがでる)。他方、劣等生は劣等生同士でゼミ組んで、全員落ちるか受け控え続出orz。知らない間に公務員試験受けてたりな!
そんで重要なのが、ロー成績と司法試験合格率の相関関係。上位ローでは概ね相関関係があるらしい。サイトで公開してる学校もある。つまり、ロー成績悪いけど予備校漬けで逆転狙うぜ!が、実現困難だってこと。実際、俺の感覚でも、受かるべくして受かったやつと、落ちるべくして落ちたやつが大半で、え・あの人が落ちたの?はあっても、あの人が受かったの?はほぼいない。
だから、ローの成績悪いなーそして上がる見込みもないなーと思ったら、方向転換することも視野に入れたほうがいいんじゃないかというのが俺の提案。
撤退か否かの見極めに役立つかと思い、書いてみる。統計とかじゃなく、俺の感覚だけど。
以上の少なくとも1つに当てはまるようなやつじゃないと、3年で合格レベルまでもっていけないんじゃないかと。
これもあくまで俺の同輩や先輩で、中途退学者、卒業して試験受けずに新卒で就職した人、1~3振り後に方向転換した人は今!?てゆー結構個人的なリスト。
俺がどこかは申し訳ないがノーコメ。
予備校が溢れてるんだからまず講座説明会とか行ってみて、入門講座をやってみる。法律の答案ってモンを答案を読んでみる。つまらんと思ったらそもそも入学しなきゃいい。※ツイッターで「適性○○点!」てプロフィールに書いてる人を見かけてびっくりしたんだが、適性試験と法律の適性は相関関係ないです。適性試験が良くても法律ができるとは限らないんで、驕らないように。
法曹になる動機だけじゃなくて、司法試験受ける動機も含む。どーしても弁護士になりたいんじゃあ!!!社会正義じゃあ!!!!などとおっしゃる立派な方は別にして、普通はそこまでは考えてないと思う。既修だったら、これまでに投入してきた時間と費用を思い返して今更受験やめられない(サンクコストだっけ?)っつう考え方もあるかもしれんが、未修だとそこまでのリソース投入してないからよく言えば身軽、悪く言えば覚悟が足りてない(いや自分のことですが)。
成績あがらなくても努力し続けられるのか、孤独な浪人生活でも踏ん張れるのか、いや踏ん張りたいのかってのをよーーーく考えたほうがいい。おれはふんばれなかった。みんな、おらのしかばねをこえてゆけ。
まだローでどんなことやるかわかんないからおれはつくらなかったんだけど、やったほうがいい。つーかさっさとやれ。予備校ごとに合格体験記が溢れてるから参考にしつつ。社会人なら仕事のプロジェクト計画と同じだし(某社会人の受け売り)、学生は今までの勉強の歴史を辿って自分の合格必勝法的なものを考えろ。
俺の敗因はこれだと自己分析してる。プライド捨てて質問したり、答案見せたりできなかった。自分ではがんばってしてたつもりだけど、ぜんぜん足りなかった。
この前、元女子アナの菊間弁護士の本読んだけど、心底裏山しいと思ったのは、菊間弁護士には浪人中信頼できる勉強会仲間がいたこと。「4人で手をつないで♪」とかスイーツ()とバカにせず大事なことじゃないかと。孤独な勉強って、つらいっすよ。勉強会仲間がいれば俺も心折れなかったと思う。
これらを頭において挑めば、ロー在学中余計なこと考えずしこしこ勉強できるし、しこしこ勉強してれば成績はあがるだろうし、合格も見えてくる。がんばってください。
司法試験が人生のすべてじゃないけど、人生を賭けて挑戦する試験なんだから、いろいろ覚悟しろ。
菊間弁護士の本に「司法試験は下りエスカレータを逆走するようなもの」と書いてあったがまさにソレ。やるなら必死に。
でも、心が折れて修復不可能なら、潔く去ればいい。司法試験に落ちたからって、人生は終わりじゃないから、死ぬな。
以上
どうも。こないだまで就職王って名乗ってましたが、今は無職王です。
で、前回書いたコレhttp://anond.hatelabo.jp/20110429004257に
なんかすごい真面目なトラックバックが来てたので、なんか書かなきゃなーと思いました。
二代目ロストジェネレーションが失ったもの。望み。そして、僕らは何からはじめるべきか
http://d.hatena.ne.jp/thinking-terra/20110529/1306640590
で、これ読んで思ったんだけれども。
ぼくが思うに、現代日本の若者における問題ってのは最早「価値観」の問題ではないと思うのね。
いうなら、それは生存の問題だし、もっと明確に言えばいかにクサレ年寄りから椅子をムシリ獲るかってことなんだと思うんだ。
「既存の価値観に乗ることは出来ない」とテラケイさんは仰る。でも、ぼくはそれは違うと思う。
むしろ、現時点に於いても生存戦略としては「既存の価値観にドップリ漬かる」は限りなくベストに近い。
「世代」のことを考える前に、「自分」のことを考えて、グダグダ言わずに東大を出るべきなんだ。
もちろん、東京大学というのはかなり極端な例だけれども。
ミクロで考えるなら、まだ現代日本は個人の力で「なんとかなる」社会だとぼくは思う。
ぼくの「就職王」コラムは個人化戦略の極地のようなものだけど、実際あの程度でなんとかなってしまう。
でも、もちろんマクロで考えるとこれは明確に間違っている。
だって、椅子の数が限られているなら誰かは必ず負けるんだから。社会には一定水準の競争が必要である、という
命題を真であるとした上でも、社会を構成する一定層はそれなりの職を得て暮らしていけなきゃまずい。
それに、ぼくのような口先だけで逃げ切るやつが評価される企業の土壌というのも、あんまりよくない気がする。
やっぱり、社会は少しずつでも変えていかなきゃならない。ぼくらの世代が楽しく生きるために。
「社会を変える」って言いにくい世代だよね、ぼくらは。上の世代が派手にコケたから。
どうせ社会なんて変わらない、馬鹿どもの轍を踏んでたまるか。そういうところがある。
デモやる?って言われても「それ頭の悪い年寄りが大分前に失敗した」としか思えない。
カウンター・アクションは必要だけれど、それはやはり時代に即したものでなければいけない、と思う。
少なくとも「就職クソッタレ」って言って変わるものがあるなんて考えられない。そうじゃないか?
ウザイ自分語りで申し訳ないけれど。ぼくが就職したのは「箔をつけるため」だった。
今、起業をするために色々じたばたしてるんだけれど、やっぱりカネを出して貰うにはそれなりのものが必要になる。
少なくとも、「真っ当に勤めていれば生涯年収4億近かったですよ」くらいのことは言えないと、
与えられたカネの代わりに差し出すものとしては、とても足りない。実はこれでも全然足りないんだけれど、
それでも何某かのバックボーンにはなる。使えるモノは、使わなきゃ損だ。就職して数年踏ん張るだけで得られる
ステータスって、実は結構お買い得な気がする。ある意味、大学の名前以上に。
この日本社会は実にクソだと思うけれど、使えるものを使わずに戦うのはいかにも勿体無い。
「価値観を変える」なんてのは、ヒッピーになるのと同じだ。ヨガをやってもマリファナやってもロックフェスをやっても、
実はどーにもならない。それは、かつてアホな連中がもうやった。ぼくらがそれをやる必要はない。
ぼくは巷で見る就職活動批判にすごく違和感を感じていて、つまるところそれはどこまで言っても
「負け犬の遠吠え」としか認識されないんじゃないか、ってこと。
かつての頭の悪い年寄りには「世界同時革命」みたいな強烈なイデオロギーがあったから、「就活のバカヤロー」よりは
スケール感もまとまりもあったけれど、ぼくらの世代にはそれもない。あるべき社会のモデルすらない状態で、
「価値観を変えろ」って言われても、それは「解脱しろ」とか言われるのと一緒だ。シャクティーパッドとかポアとか
そういう語感にしかならない。そんなことにはほとんど何の意味もない。
つまりところ、それがミクロの問題であれマクロの問題であれ、既存社会からの断絶というのは不可能なんじゃないかと思う。
テラケイさんは価値基準を語るときに「外部」と「内部」という言葉を使っているけれど、ぼくには価値観に於いて明確な
「外部」ってのがあるとは思えない。テクストに外部はない、みたいな学問を専攻してたせいもあるんだけど
それを差し引いても、既存の価値観を排除して生きていけるなんてとても思えない。そんな強くないからね。
ロストジェネレーション世代にニーチェじみたものを押し付けても、それは「レッツ自殺!」って結果しかもたらなさないのではなかろーか。
我々が目指すべきものは、この社会から乖離したものではなく地続きにものでなければいけない、と思う。
じゃあ、どうすべきかってことなんだけど。
とりあえず、まずは団結すべきだと思うんだ。勝ってる奴も負けてる奴も。
世の中はクソで、なんとかしなきゃ楽しい人生は送れそうもない、って意識を共有することだと思う。
ぼくはかつて、ものすごく貧乏で大学の学費にもメシ代にも汲々としてた時期があったんだけど、
その時、やっぱり同じような奴らと相互扶助的に生きていて、それは例えば部屋を分け合ったりとか
僅かなカネを分け合ったりとか、電気釜を共有したりとかそういう話だったんだけど、そういうところからだと思う。
例えば、イタリアの話。イタリアは、失業率がアホほど高いけど、自殺率は低い。これは何故かっていうと、一説には
一族主義が強く根付いているからだ、と言われている。縁のある誰かが食えてなければ、誰かが食わす。そーいうところがあるらしい。
じゃあ、我々悲惨な現状にいる連中も、そーしとけばいいんでないかな、と思ってる。
とりあえず、屋根とトモダチがいれば死ぬことはない。ぼくはそー思う。
こうすることで何が得られるかといえば、リスクを取るのが非常に容易になる。
「1人が1のリスクをとる」ことと「10人がそれぞれ1のリスクを取り、リターンを分配する」ことは大分違う。
もちろん、10人全員が敗れ去るパターンもありえるけれど、かなりのヘッジが出来ることになる。
そして、何よりだけど精神的にとても楽だ。ぼくは「起業」の道を選んだけれど、他にもロースクールに行ったりとか
そういう道を選ぶことにもやはりリスクはつきまとう。金銭的なリスクもそうだけれど、孤独化してしまうことが何よりヤバイ。
官僚から政治家目指すぜ、みたいな道にしてもやはり同じだ。そういうとき、価値観を共有出来るつながりがあることは
何より強いとぼくは思う。いや、今んとこカネを得て起業に漕ぎ出したところだから、この先なんかわかんないけどね。
仲間にも全部見捨てられて、一人ひっそり首を括るって可能性も全然あるわけだし。
それで、社会批判の話に戻るんだけれど。ぼくが「就職王」でやりたかったことは
「就職活動批判」のちょっとスマートな形を提示するってことなんだ。
確かに、マクロ的に考えると我々は既存の価値観に乗っかることは出来ないかもしれない。
しかし新しいマクロな価値観とライフスタイルを創造することも、おそらく出来ないだろうってこと。
その行き詰まりの中でクリティカルなクリティークを社会にカマすとしたら、
既存の価値観に乗っかって踊り狂いながら、同時にそれ自体を批判として成立させるしかないんじゃないかと思う。。
ダンスパーティーを台無しにしたいなら、まず誰より上手く踊らなきゃいけない。そうでなければ、誰も話を聞いてくれない。
やはり、我々はこのクソみたいな社会で戦っていくしかないし、クソみたいな社会を否定したところで
クソじゃない社会の青写真を描けるわけじゃない。それは、大分昔に失敗した。
だから、このクソだめみたいな社会の集団的蛆虫として既存の価値観と地続きの世界をサバイブしていく以外に多分道はない。
そして、九人がダメでも、一人が生き残れればそいつが他を引き上げればいい。もちろん、現実的にこんなことが上手く行くか?
ってところはあるけれど、独力で社会と隔絶された「価値観」を作り出すよりは、十人で価値観を「共有」するほうがまだ成功率は高い。
「悟りを得た」人はそんなに多くないけど、「宗教にハマって死んだ」人は腐るほどいる。
その程度の価値観共有なら多分できるんでないか、そういう風にして戦っていくしかないんじゃないか、と思ってる。
人間、上手いこと価値観を刷り込まれれば飛行機でビルに突っ込めるんだから、それくらいできるんじゃね?と。
まー、なんというか。
これはぼくの戦略っぽく見せかけた誇大妄想だから、なんのあてにもならないけれど。
とりあえず、若い人間はもーちょい戦略的に生きるべきだと思うし、また同時に団結すべきだと思う。
個人の内面のナイーヴな話に閉じてしまうのは、なんかどーなんだろーな、とぼくは思うんだよね。
これから具体的にどーするか、どのようにして生き残ってリスクを取っていくかを論じるべきじゃないだろうか。
まだまだやれることあると思うんだよね、実際。
ところで、死ぬほどどーでもいいけど、「ロストジェネレーション」って若い頃第一次世界大戦に遭遇して、何か価値観がクラッシュしちゃったよーな世代の作家達を指す言葉で、「二代目」っていうとちょっとおかしいことになるよね。ロスジェネの「二代目」世代ったら、ビートの時代でケルアックとかギンズバーグとかを指すと思う。
不況なんかにぶつかった「貧乏くじ世代」を指す意味で「ロストジェネレーション」って語を使うと、今の世代は何代目になるのか、すごくめんどくさい議論が要るね。個人的に、「ロストジェネレーション」を現代の「失われた世代」に当てはめるのは色々ムリがある気が。字面はいいけど、原義から考えるとスゲービミョーな感じ。ロスジェネ論争とか言われると、今更ヘミングウェイとか論じてんの?って思っちゃうのはぼくだけじゃないと思う。
そんな風に考えてる法学部生って結構いるんじゃないかなーと思う。
少なくとも俺はそう考えていた。それで実際そうした。
入ったらなんとかなるかなーみたいな。
純粋未習ですら受かる余地あるんだしなんとかなるんじゃねーみたいな。
甘かった。
本当に考えが甘かった。
お陰で今は怠惰に過ごした四年間のツケを払い続ける毎日である。
俺と同じようなことを考えている法学部生に、
理想とは程遠いが実行可能な範囲で最悪の事態を回避できる方法を
ここに書いておこうと思う。
■予備校は行かなくて良い。
一番最初に書いたようなことを考えてる奴は俺と同じく
甘ちゃんで根性なしの糞野郎なので、予備校入ってもどーせ行かなくなる。
俺の周りの、結構勉強とか真面目にする奴でもそうだった。
だから行かなくて良い。実際、ロー入ってみれば分かるけど
大学受験とかと比べて予備校の重要性は、実はそんなに高くない。
勿論、全く必要ないわけじゃないけど必要になるタイミングとかが
違うので、すっごいやる気があるとかじゃなければ学部時代に行く必要はない。
■授業の復習。
まずはこれが一番大事。ほんっとーに。基本だけどマジで。
少なくとも司法試験においては嘘だと思って良い。
大学の授業すっげー役立つ。まじで。現に今俺が実感してる。
四年間やらなかった俺が言うのも説得力ないけど
本当に授業の復習は授業受ける度に毎回やったほうがいい。
あとは定義、条文の趣旨や規範(判例に書いてある「~~とすべきである」
「~~とするのが相当である」とかそんな感じの、理由とか書いてあるとこ)。
これを30分で出来る範囲でいいからやっておこう。
■辰巳の肢別。
でも普段はやらなくていいよ。どーせやる気ないだろうし、飲み会とか
サークル活動とかで忙しいでしょ? だから授業あるときは復習だけでいい。
やるのは長期休暇。長期休暇で、しかも予定がなくて家で一日ごろごろしてる日。
それだけでいいから、辰巳の肢別をやる。それで、解説に書いてあることを理解する。
理解できなかったら教科書(授業で買わされた奴で良い)を読んで理解する。
欲を言えば、そこで挙がってた判例が判例百選に掲載されてる奴だったら、それも読む。
■残りの時間は遊び倒す。
授業の復習、肢別、判例百選。
それだけで確実に必要な基礎知識がついてる。
ほんとーにこれだけでいいんだよ。これでも多いって思うかもしれないけど、
ローに入ってからする勉強量と比べたらこれを学部時代にやってるだけで
難易度が天と地ほど違う。
これをサボらず出来たら、未習コースでモラトリアム延長しつつ
だから、「なんとなくローに行こうかなって考えてる法学部生」よ。
遊んで良いから、授業の復習だけちゃんとやろう。
それだけ。
■書き忘れ
最初に「理想とは程遠いけど~」って言ってるのに最後には「理想のコース狙える」
なんて言ってて矛盾してるんじゃねえのかって思うかもしれないけど、
それは「毎授業復習することが実際すっごいめんどくさいからどうせちゃんとはやらない」
ということも含めて「理想とは程遠いけど~」という表現にした。
匿名日記にはまだ慣れてないので自分のことをなんていったらいいかわからないけど、先の新司法試験撤退者です。
理想をもつことはとても大切なことだと思います。しかし同時にその「理想」が自分が正しいと信じることができる理想かどうかということは常に自問することをおすすめします。理想はもちつつ、現実の中でどうすればそれを実現できるのか、ということをしたたかに考えて下さい。
さて。本題です。
知識的にも教養的にも人格的にも、日本人の中で best of brightestだった方々が、環境に染まり弱者救済を忘れてしまうような職業が弁護士だとしたら……そこには立ち入らないようにした方がいいのではないか、と思うのですが。
という段階ではなく、この前段階、すなわち、あなたのしたいことを実現するために弁護士になる必要が本当にあるのか、弁護士でなければならないのか、という点をしっかり考えるべきだと私は思います。そして、本当に弁護士でなければならないのであれば、この部分なんか気にせずに、理想を、志を高くもって弁護士の仕事を遂行すればいいと私は思います。弁護士の中に同志は必ずいると思います。
社会の底辺の方々は、豊かな方に比べると、忍耐心に欠け、依存心が強く、努力を怠っている方々が圧倒的に多い現実を見てきました。
という点には私も賛同します。ただ、私は、彼らは「忍耐心に欠け、依存心が強く、努力を怠っている」からこそ、社会の底辺にいるのであって、社会的に強い者から食い物にされているのだと思います。自由主義を採用する日本においてはある意味当然の現象ではないかと思います。逆に「忍耐心に欠け、依存心が強く、努力を怠っている」にもかかわらず、ある程度忍耐力があり、独立した心があって、努力をしている人と同じように扱われなければならない、保護しなければならない理由はあるのでしょうか?もちろん、彼らが「忍耐心に欠け、依存心が強く、努力を怠っている」状態になったのは、彼らの生まれた境遇であったり、運であったり、彼らのせいではない様々な事情が絡んでいるのは確かであり、それを全て自己責任として責任を負えというのは疑問を差し挟む余地はあります。ただ、そこまで考えると、自由主義という枠から外れていっている気がします(ここは感覚的です・・・。)。
もっとも、このあたりの評価については個々人評価が分かれるところでしょうから、こういう意見がある、くらいに聞き流してもらえれば結構です。
で、元増田は、元増田のいういわゆる「社会的弱者」を助けたい、力になりたい、と思ってらっしゃるようですが、彼らの「助ける・力になる」ということは具体的にどういうことなのでしょうか。どういう状態になれば「助けが不要になった」といえるのでしょうか。ここを具体的に考える必要があると思います。・・・α
また同時に弁護士の仕事をもっと具体的に考える必要があると思います。私が考えるに、一般民事における弁護士の仕事は「人生の再スタートを法律の観点から支援する仕事」だと思います。「今まで自分なりにやってきた→でも他者と紛争になってしまった→いろいろ話合いをしたがらちがあかない→法律に○○と書いてあるからその通りに処理して終わったことにしよう→いままでの争いを"法的に"終わったことにして次に進もう」というのが社会的みたときの司法の役割であり、弁護士の仕事は法律部分に関する処理を担当するのだと思います。弁護士にしかできない仕事というのはこの部分だと思うのです。・・・β
元増田が弁護士を今から志すリスクを負うには「αを実現するにはβが不可欠だ」という判断が重要になると思うのです。
今の日本社会では弁護士は社会のために働いている、という漠然としたイメージが蔓延しており、仕事の実質が正確には伝わっていないのではないかと思います。だから「社会的弱者のためになる仕事→弁護士」となるのかなぁと思うのです。しかし、弁護士でなければできない仕事というのは極めて限られていて、また、弁護士固有の仕事の実質はあまり理解されていないのではないかと思うのです。
なぜここまで考えることを勧めるかというと、ロースクールに進学し、司法試験を受験するということは極めてリスクの高いことだからです。元増田は若くても今年24歳です。するとロースクールを修了したときには26歳か27歳になります。そして3回受験して三振したとしましょう。するとあなたは30歳です。社会人経験2年、司法試験三振。こういう人物が社会的にどのような評価を受けるか、というあたりを具体的に考えておく必要があると思います。
落ちることを前提に話を進めるのは適切ではないかもしれません。ただ、一部の天才を除いて、司法試験に合格できるかどうかというのは運が大きく影響します。
私の友人は1回目の受験で民事系が上位数%でしたが、今年は普通の点数になりました。
同じ人物は1回目の受験で刑事系がぼろぼろでしたが、今年は上位数%という順位をとりました。
司法試験は知識を正確に理解し、暗記しておくことは当然として、試験会場で初めてみる問題にどういう発想で対処するのかということで結果が決まる試験です(そして評価される発想がなんなのかということは明確に提示されていない!!)。この意味で、暗記して吐き出せばよい普通の資格試験とは質が異なります。
この「発想」が法学の発想に近い人にとってはこれほど簡単な試験はないでしょうが、異なる人にとっては「発想」を法学的に修正する必要があり、極めて根気の要る作業となります。
具体的な行動を起こす前にこれらのリスクを具体的に考えることをおすすめします。
なお、
>>んで、そういうとこに来る人っていうのはさ、おおよそ2パターンなんだよね。<<
という部分は大正解だと思います。
撤退の理由はあなたが書かれているものと関連しますので、
人ごととは思えず、長文を書きます。
友人のほとんどは司法試験に合格し、また、優秀な実務家教員とも飲み会をし、
思うままにいくつか書きたいと思います。
弁護士は、扱える金額が非常に大きいし、そもそも高給取りだ。
「考え方がずれる」とかそういう話じゃないと思います。
そのために「割のよい仕事」を求めるのは当たり前です。
弁護士は「法律を使って法的に正しい状況を実現する」ことを商売にするのですから、
採算の合わない仕事をやらないからといって、彼らを否定することは出来ません。
儲けの少ない仕事であっても処理せざるを得ないのです。
薄利多売でいかざるを得ないのです。
もちろん、すっぽかすような弁護士は商売人としてどうかと思いますが、
弁護士数の増加によって弁護士をとりまく競争状況は年々に悪化していると聞きます。
採算の合わない事件を処理しないのは、事務所を経営しなければならない、
家族を養っていかなければならない、事務員の給料を払わなければならない
弁護士からすれば当然のことであり、いわゆる弱者救済を放棄したとかいう
「考え方の違い」とは関係のないことだと思います。
だから・・・
ということは起こりえません。
逆に競争が激化して事務所単位の収入が減れば、貧乏人のために働く弁護士は激減するでしょう。
彼らだって食っていかないといけないのであり、赤字事件は事務所経営に余裕がないと出来ません。
なお、
司法書士のような国際的になんら認められていない資格は淘汰され、日本の法治主義はより進歩したものになるに違いない。
そう考えていたが、どうもそうではないのかもしれない。
この部分については、ちょっと認識が間違っていると思います。
しかし、試験科目をみればわかると思いますが、中心的に勉強する範囲が異なるので
例えば、司法書士では不動産登記法が科目になっていますが、司法試験では民法に関連して少し出てくるだけです。
よって、例えば登記関連の仕事を弁護士は資格上は処理することは出来ますが、
知識不足・経験不足のため事実上、処理することが困難なのです。
なお、中規模の弁護士事務所には弁護士と司法書士が所属しており、両者は互いに助け合って仕事をしているのが実態でしょう。
司法書士なんて、弁護士になれなかった人がなるもので、これから司法改革が進み弁護士の数が増えれば、
必然的に淘汰されるに違いない、と考えていた。
前半部分は正しいですが、淘汰されることはないでしょう。
全体を通してですが考え方が甘いと思います(昔、私もそうでしたが。笑。)。
そうすると、扱える金額が制限され、弁護士に比べると様々な点で業務が限定されている司法書士だからこそ、
自分自身が誰のために働くか、というのは資格の種類の問題ではなく、あなた自身の問題です。
弁護士でも貧乏人のために働くことも可能でしょうし、司法書士でも儲かる仕事しかしないことも可能でしょう。
また、同じ仕業の人がどういう考えでいるかということに、元増田が流されると考えるようでは
貧乏人のために働き続けることは難しいでしょうし、そもそもロースクールのカリキュラムに耐えたり、
司法試験に耐えたりすることも難しいでしょう。
「グローバル社会に企業が勝ち抜いていくためにも、法律に通じた優秀な人材がこれからの日本にもっと必要だ」
という要請があったというのが本当の理由だそうだ。
これは大嘘です。仮にそうであればグローバルに展開している大企業はこぞって司法試験合格者を採用して、
司法試験合格者の就職難も解消されていてもいいはずですが、そういう動きはありません。
司法試験合格者数や就職難に関する弁護士のブログをみれば、これが嘘であることは明らかだと思います。
新司法試験とロースクール設置によって一番利益を上げているのは大学関係者と文部科学省です。
一連の司法試験制度の改革は彼らが利益を得るためにおこなったものといわざるを得ないと思います。
大学教授の「法的サービスの潜在的需要はあるはずだ!!」という、根拠に基づかない発言は極めて迷惑です。
大学教授は自分の学生や、司法試験合格者が食っていけなくても別に困らないですから、何とでもいうと思います。
大学がスポンサーとなっている新聞社は、大学の利益にならないことはなかなかいえませんから、
元増田のような公告・記事を書くでしょう。
元増田は「金を取って人の紛争を解決する」ということの実質をきちんと考えた方がいいと思う。
具体的にどういう仕事をしているのか、実際に働いている人の話を聞くといいと思う。
弁護士であれ、司法書士であれ、事件を受けるからには、どんなに依頼人が金に困っていても
彼らから着手金はもらうわけだし、成功報酬ももらうわけです。
慈善事業ではなく商売として人の紛争に首を突っ込むのです。
貧乏人から金を取ることを割り切ることが出来るかどうか、ということは極めて重要です。
また、貧乏人だって悪い人は悪いんだから、そういう人を救うことは出来ません。
うまくまとりまりませんが、なんだかすごいナイーブな発想で弁護士という仕事を捉えてらっしゃるように感じます。
ロースクール入試による競争、ロースクールでの競争、新司法試験での競争、就職活動での競争。
全ての段階でドロップアウトする可能性があります(上位校に行かなければまともな教育は受けられず、
また、友人から聞いた話ですが、新人弁護士の最低待遇は年収300万円に
弁護士会費自己負担(年間50~100万)という状況だそうです。
仕事がつまらないという理由と、先述したナイーブな発想で弁護士を目指すのは
あまりにも頭がお花畑だといわざるを得ません。
それでも弁護士を目指したい!!と思うのならばそれは自由ですが、
かなりのリスクがあることを覚悟の上で、いかれるとよいと思います。