はてなキーワード: 麻酔とは
午前三時ごろ腹痛。
いやに腹の上の部分が痛いなと思いながらウトウト。
午前五時、再度腹痛強くなり目覚める。
再びトイレに向かうが何も出ない。
これは胃痛なのではと疑い始める。
昨晩の夕飯を思い出す。
しめ鯖に集中線を描きたい気分になった。
もともと魚介類が大好きなのでいつかやるだろうと思っていたのでアニサキスではと言う疑いにはすんなり辿り着いた。
パソコンを起動して症状を調べてみる。
症状だけ見れば完全に合致している。
痛みにはどうやら波があるようだ。
午前六時。
普段より早く起床しているため、痛みはあるが暇といえば暇になってくる。
妻子はまだ眠りの中。
パソコンは起動している。
そうだ、オナニーしよう、と思った。
そのときに気づいた。
果てるその瞬間。
痛みが明らかに減ったのだ。
胃には時折激痛の波がやってきているし、汚れたものを始末しなくてはいけない。
しかし少し冷静になった頭の中で、ああやはり射精の瞬間というのは脳内物質が出ているんだなと改めて実感したのであった。
これは便利だと思う反面、日に数発しか発射できない霊丸みたいなものだとも思った。使用するタイミングを見極めなければならない。
今は胃腸科の待合室にいる。
やはり痛みには波があるようだが、痛みが引くときは結構引いてくれるので果たして本当にアニサキスなのかと少し疑問に思ったりもしている。
追記
アニサキスいた。
思いの外太いケーブルが口から胃に向かっていったけれど、麻酔の力なのか想像ほどは苦しくなかった。
いい経験になった。
09:30
今朝起きたらまた鮮血のおしるしが出ていた。
前駆陣痛も続いていたから、「がんばっていたんだね。残りはお母さんやみんなでサポートするからね」という気持ちで家を出発。
快晴でとてもいい日。
10:00
到着後の内診でかなり子宮口を強くかき回して刺激され、その刺激で破水。
周りのスタッフさんが若干わたわたする中当人は「ああ、これが破水なんだ……」と思っていた。
そこから、部屋に移動して促進剤投与を始めた。
促進剤は、それによって産まれる、という効能ではなく、子宮を柔らかくして子宮口を緩めてそこから陣痛を呼び込むためのものだそうで、20からstart、120まで上げても進まない人もいるよー、と。
とにかく無事に産まれられれば、と、「何でもいいからお産に繋がりますように」という気持ちでどんどん追加されていく促進剤の値を見ながら過ごしていた。
11:00
胎児の心拍が落ちることが何度かあり、酸素マスクをつけて深呼吸をする時はさすがに緊張した。
でもまた数値が戻ったのを見て安心して「私がリラックスしなきゃ子宮も柔らかくならない」と過ごしていた。
15:00
100あたりまでは前駆陣痛の痛みとあまり変わらなかったけど、そこからは前駆陣痛は越えた痛みが始まった。
17:00
看護師さんに「今日は一旦終わりにして様子を見て明日またやって、経過によっては帝王切開で産んであげることになるかもね」と言われて投与は一旦stopした。
投与してもあまり変わらず、「私が堅いことで子宮口が開かないんだ」「私がリラックスできないから入院の日が増えてお金をかけさせてしまうんだ」と「私のせいだ」の思考が一時止まらなくなって涙が出た。
胎児の心拍が落ちること、胎便が羊水にかなり混じっていること、心拍が急に上がること、陣痛がこないこと、いろんな焦りや不安に対して「母の私が◯◯しないからだ」という思考が出てしまったけど、そんな中でも夫が一緒にいて笑ってくれていることに本当に救われて、いろんな不安もあったけれど1日過ごすことができた。
20:00
母が夫を迎えにきて帰宅。体勢変えたりしながら、落ち着いてから21時過ぎに寝る体勢に。
21:08
何人も看護師さんが入ってきて再度酸素マスクをつけ、内診をしてもらい、「もう赤ちゃんの負担が大きい」ということで、クリニックの先生にも診てもらった上で、緊急帝王切開をして胎児を出してあげることに。
21:32
酸素マスクをつけて深呼吸をして「帝王切開になります、急いでパパを呼んで」と言われ、さすがに焦りすぐさま夫に電話をして来てもらい。
色々なリスクの説明も受けたが、もう皆どうでもよくて、ただただ「無事に産まれられればそれ以外は私の子宮やら体やら命やらどうなってもいいから」という気持ちで、早く外に出してあげてほしくて、急ぎ足でope室に入って横になった。
22:00
何かの数値に対して先生やスタッフの方々が緊張した面持ちで観察して指示を出したり動いたりしていたが、あれはなんだったんだろう。
バタバタが続いてすぐには開始しないことに不安を感じつつ、その間に落ち着いて来て「もうすぐ会えるんだ」「やっと会える、がんばろうね、大丈夫だよ」と幸せな気持ちが高まり、ope開始後も私はずっと笑顔で耳を澄ませ。
麻酔が効いてくると血圧の変化によるのか、頭もぼーっとしてきた。目を瞑ることに吸い込まれるような。
コッヘル、クーパー、などの機械出しの指示でなんとなく何を切開しているのか把握しつつ、足から胸にかけての感覚はもうないのに何か自分の中を弄られているような感触に奇怪な感じを抱きつつ。
22:57
胎児を取り出す時になると胴体を中から大きく揺さぶられ(感覚はないけど子宮を直接揺らされているのはすごくわかった)、少し泣き声が聞こえたのと同時に「おめでとうございます〜!男の子ですよ!」と。
その瞬間ザーッと涙が出そうになったものの、最初の一瞬の後に全く泣き声が続かないので瞬時に不安感に襲われ、産まれた喜びを味わいつつもそれだけの気持ちは束の間、取り上げられてもしばらく泣かない赤ちゃんが心配で気が気でなくなった。
自分からは布で隠れて見えないけど、向こう側で明らかにスタッフさんたちが焦って赤ちゃんの背中を叩いて刺激していたり懸命に気管内の吸引をしていたりしている。
先生も、取り上げた後はすぐに私の縫合に取り掛かりつつも、赤ちゃんを見て緊迫した声色と口調で指示を続ける。
「サチュレーション反応しません」「小さい方に切り替えて」「小さい方反応ありました」「こっちはどう!?」「◯◯じゃないよ、そっちを◯◯して」「◯◯さんこっちきて!」と何人ものスタッフさんが赤ちゃんの方から私の頭上まで動き回る。その間も赤ちゃんは泣き声ほとんどなく、たまに「ふぇっ」と聞こえるか聞こえないかくらい。
赤ちゃんが泣かない。泣かない=呼吸ができない。呼吸ができない=酸素がいかない。酸素がいかない=死んでしまう。
一瞬でそんな考えが脳内を駆け巡り、「私はお腹開いた母でも放っておいていいからみんな赤ちゃんを早く助けて下さい!」と叫びたい気持ちを抑えながらこわくて仕方がなくて、「赤ちゃんは大丈夫ですか」と何度か聞いた以外ただただその場を見守っていた。
そのうちになんだか意識が遠のいていくような感覚から強い吐き気が出て何度か嘔吐し、そこからは遠目に赤ちゃんの様子を見つつぼーっと手術の終わりを待つしかなかった。
私の腹部縫合中、赤ちゃんの泣き声が聞こえない時間。きっと数十分あったかなかったかくらいだったろうけれど、この時間がこの1日の中で一番長く感じられた。私には何時間も縫合されているように感じられた。
私の腹部縫合が全て終わり、ope室を出る時にスタッフさんがぱっと赤ちゃんのお顔を私の方に向けて見せてくれた。
むちむちでまあるくて髪がフサフサでかわいい。濃い顔じゃなくて私似?なんて思いながらope室を離れる。
外では夫と母が待っていたけど、熱発もあったからかとにかく頭がぼーっとして「目を閉じたい、でも赤ちゃんが気がかりだ、でも目を開けていられない」というぼやけた意識で過ごしていた。
時系列はきちんと記憶できてないが、部屋に戻ってから夫と母が荷物を運びつつ座っていてくれて、赤ちゃんの顔の話などをした気がする。
自分で何を話したかよくて思い出せないけど、夫が深く呼吸して緊張していたことはすごく覚えている。
今思うと、私は赤ちゃんのことも考えつつ意識がぼやけていたので、その場を冷静に見れていた夫は本当に不安だっただろう。
術後は姿勢の不快さが強く、度々左右に体位交換をしてもらった。
赤ちゃんを救急搬送することに決まったと先生から話を受け、夫たちは救急車より早く出て向かってあちらで対応すると。
お腹を切った身と言えど、この状況で動けず何もできずに横になっているのが悔しかった。
無駄だとは分かりながらも、麻酔で動かない・司令の伝わらない脚先を動かそうと何度もやってみたけど全く足は動かなかった。私の分まで夫に託して手を握ってお願いした。
夫と母を見送ったら一気に意識が遠のいて来て、そのあとまた夫が来たような来なかったような……
そんな中、救急車に赤ちゃんを乗せる直前に助産師さん(看護師さん?)が赤ちゃんを抱っこして私に会わせに来てくれた。
移動前に目の前で会えるなんて思ってもいなかったから歓喜して一瞬で意識が戻り、赤ちゃんをぎゅっとしてちゅーして「がんばろうね!」とほっぺを撫でて送り出した。
涙が止まらなかった。
24:30
サイレンの音の位置が赤ちゃんと私の距離を表しているから、サイレンが遠のいていくと赤ちゃんとの距離を感じて、ただただ「がんばれ!お父さんもお母さんもいるからね」と祈ることしかできなかった。
25:00
その後また意識がぼーっとして、何度か看護師さんが巡回に来てくれたのもあまり覚えていない……
2時台にiPhoneが遠くに移されたのでLINEを確認できずそわそわ。
体位交換をお願いしたりしながらいつの間にか寝ていた。2時間ほど寝ただろうか。
起きてから夫からのLINEに気づき、赤ちゃんが無事なことを確認して本当にほっとした。
こんなに遅くまで夫と母が対応してくれているとは。本当におつかれさま、ありがとう、それしか出て来なかった。
夫から送られて来た赤ちゃんの写真がかわいすぎて、うるうるしながらしばらくずっと見ていた。
かわいすぎていくら見ても見飽きない。早速待ち受け画面に設定した。
夫がもう帰路にあると分かって安心して私もまた休憩。
でも頭が冴えてしまってもう眠れず……
29:00
巡回の夜勤の看護師さん&助産師さん達が検温や創部の観察をしに来つつ何度も話しかけてくれて、明るく笑わせてくれて元気付けてくれた。
もう麻酔は切れていたので、「どんどん回復して赤ちゃんに会いに行こう!」と勝手にベッド上でリハビリ開始。足の指先から、体幹部から、痛み・貧血・血圧を観察しながら進めた。
外が明るくなって落ち着いて来ると、赤ちゃんが無事に産まれてきたことの安堵感、今生きているのかどうかという不安感が一気に現実味を帯びて心に流れて来て、赤ちゃんの写真を見ながら唇を噛み締めて泣いていた。
それに気づいた看護師さんが私のそばに寄り添ってくれ、スタッフのみなさんが赤ちゃんをその後も気にかけてくれていたこと、その方もお子さんが苦しい状態で産まれて来たこと、昨夜赤ちゃんの直後にもう一人赤ちゃんが病院で産まれて、そのあと陣痛の人が来て不思議とお産が重なったことなどを明るく優しく温かく話してくれた。
「泣きたい時は泣いていいんだから。心配だよね、泣いていいんだよ。」と言ってくれて一気に号泣して、話をして落ち着いた。
日勤に交代する時間帯、夜勤の助産師さんが何人か来てくれて赤ちゃんの写真を見て「母そっくりよね!」「かわいい〜❤️」「がんばるしかないね、赤ちゃんくん!」と声をかけてくれた。それと一緒に絶対安心する温かい言葉もかけてくれる。その度にうるんでしまった。
私は術後あまり痛みを感じず動くのが得意なようで、夜中に自分でクッションを動かして体位交換したり足を動かす練習を始めたりしているのを褒められた。
どんどん動いて行くぞ。
https://anond.hatelabo.jp/20171121162134の増田です。
嫁も出産当日(大半は思い起こしながら翌日)に日記を残していたとのことで。
入院中に検査のための骨髄穿刺はしたことがあるけど、そのときは局所麻酔だったし、主治医からは外来でもできる検査だから安心してって言われてた
なんで骨髄提供だと全身麻酔なんだ? と思って調べてみたら、採取する骨髄液の量が段違いに多いらしいね
ちなみに私は手術室ではなく、6人部屋の病室で、自分のベッドの上で骨髄採取しました
(もちろんカーテンは閉めて)
ベッドにうつ伏せに寝て、2人の男性研修医と主治医(男性)と女性看護師1名に囲まれながら、パンツ(下着)をお尻の半分くらいまでずりおろされたときが一番恥ずかしかったですね
あとは局所麻酔ガンガン打って、尻の上あたりに例の極太注射針をねじ込む(?)んですけど、麻酔が効いてるから全然痛くない
例えるなら、下から生えてる親知らずを抜くときみたいな感じですよね
痛くはないけど、なんか工事してる!骨をゴリゴリしてる!!っていう
6箇所も穴開けられたって書いてるけど、その穴の跡、全部茶色いシミになって残ってません?
私は2箇所に穴開けましたが、何年経ってもそのときの跡が消えません
もし自分なら、と考えてみたのですが、赤の他人のために自分の命をリスクに晒し、更に体に一生消えない丸い跡がいくつも残るような骨髄提供はとてもできないですね…
もう1年以上前になるが、骨髄提供をしてみたのでその感想をつらつらと書きます。
そもそも献血が好きだったので、骨髄バンクの登録もそのついでにした。登録はしたけど5年くらい音沙汰はなかった。
「あ、これ、いつもの骨髄バンクニュース送ってきただけじゃないな」ってすぐにわかった。
==
ここから先、■は個人的にめんどくさいこと、★はマジでデメリットだなって思ったことですので、面倒な方は■は読み飛ばしてください
患者さんに提供する骨髄液だから、健康面について聞かれるのはしょうがないなと思いつつ、読むだけでも結構多い。
「貧血に最後になったのはいつか」とか覚えてない。己の記憶力のなさが憎い。
家族の同意が必要なので、親と話し合う。母親がメッチャ反対する。まぁでも「反対された」っていうのは、それだけ大切に思ってくれてるんだなと思い、なんだかありがたい気持ちになった。両親ともに「いいよ(適当)」だったら嫌だったかもしれない(し気楽だったかもしれない)。
一応正社員で働いている身としては会社への説明責任があるわけで、上司はとばして突然社長に直談判した。
家族の同席必須なので、父親に頼んだ。うちの父は自営業なので時間が取れたが、平日のクッソ昼間に社会人2人が病院に出向いて説明を聞いて、弁護士の目の前でハンコを押す。「弁護士とコーディネーターがうちの近くに来てくれるんじゃだめなん?」って思った。医師が必要だからしょうがないか。
■使っている薬の申告をする
これもしょうがないとは思うけど、提供前にちょっと風邪ひいたとか、目が疲れたとか、薬を使うときは「これ使っていいですか」って連絡しないといけない。時間が時間だと「明日にならないとわからない」ってなった。「とりあえず使ってもらって、だめだったら明日中止させてもらうかも」っていう対応だった。私はセーフだったが、安くないお金を使って薬を買って、それを1回しか使えなかったってパターンもあるんだろうな。
これは入院前にもっとも面倒だった。先生が緊急手術で不在の時、時間通りに行って1時間待ちとかね。必要な骨髄液の量が多いと、事前に血液を抜いておいて、手術中に戻すための自己血が必要なのよ。他人の輸血だと、献血できなくなるしリスクも高いからね。わかっちゃいるが面倒。
実は手術前、友達とスカイダイビング付きの旅行に行く計画を立ててた。
でもけがのリスクが高すぎるということで、(遠回しに)スカイダイビングをやめてほしいと言われた。正直、骨髄バンクにキャンセル代は払ってほしかった…
★パジャマ代は実費
手術や入院費は患者さんの保険負担だが、パジャマ代は実費負担だった。何だか知らんがパジャマが1回300円以上する病院だったので、家から持ってきてもらった。普通の病院って1着80円とかじゃないの?
人生初の全身麻酔をした。麻酔か、事前に飲んだ薬の影響下はわからないが、手術後吐き気がとまらず、おなかはすいているのに食べたものは全部戻す状況に追い込まれる。これが一番きつかったかもしれない。
■個室ではない
場合によるんだけど、私は4人部屋だった。目の前の入院患者さんがずーっとうんうん言ってて、なんか不安になった。
暇つぶしがスマホと本しかないが、本は読み終わったのでスマホゲーに移動。wi-fiとんでないので、パケットが死んだ。はじめて通信制限くらった。次回からは3DSを持ち込むことを誓った。
★お金はもらえない
みんなが骨髄提供を嫌がるとしたら、これが最大の理由ではないだろうか。
入院をし、会社を中抜けし、「名前も顔も知らないだれか」のために健康な体の背中に穴をあける。これだけのことをして報酬がないのだ。
ちなみに私は医療保険と生命保険にも入っていたので、問い合わせてみたけど「病気治療のための入院ではないので入院給付金は下りない」と断られた。
なんのための保険だよ!!!!背中に注射器6回刺されてるんだぞ!!!!
(ちなみにだが、私の住んでいる市区町村は骨髄提供をした人への助成金があり、それはもらえた。総額10万以上非課税。骨髄提供を考えている人は、自分の住んでいる市区町村が助成金をやっているか調べた方がいいと思う)
■お礼もあるかわからない
じゃあ骨髄提供をなんでやるのかっていったら、「自己満足と人助け」のためだと思う。
「人助け」ならこれでいいのかもしれないが、私は「自己満足」もほしかった。
なんで献血するかって言ったら「献血ありがとうございます!」の一言が無料でもらえてお菓子が食べられて「いいことしたなぁ」って気持ちになりたいからなんですよ私は。リストカットするよりは健全な血液の使い道だと思う。自己承認欲求の強いメンヘラにオススメ。
お医者さんに「うちに入院してくれてありがとう」っていう一生聞くことがないであろうセリフはきいたが、
一番ほしいのはなんといっても「骨髄をくれてありがとう」の一言である。
私には手紙が来なかった。
ご本人の治療がつらくて、文字が書けないなら、近親者の方が代理でもいいから、とも思った。でも来なかった。
手術後、私から手紙を出した。やっぱりそれにも返事が来なかった。
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私には、2回目の適合通知が来た。
でも、今回はお断りした。仕事が繁忙期だったのが最大の要因だが、正直「提供先が(病気の再発等で)同じ人だったらやだな」って思ったのも事実だ。
でももう一回、適合通知が来たらその時はするかもしれない。
久々に行った献血で、「骨髄提供をしたんです」と言ったときに、お医者さんが「あなたがした最大の功績は、患者さんの家族の救いになったこと」と言ってくれたからだ。
骨髄提供を受けられないまま弱っていく中で、「適合する方が見つかりました」の声は、病室の時間を一瞬とめて、途端に涙であふれさせ、結果がどうであろうとも「最後まで治療をしてあげられた」という患者さんの心の支えになるからだ、という。
あまりのコメントの多さに驚いています。興味を持っていただきありがとうございます。
あと、誤字脱字が多くてすみません。
一番ひどいのは
→「最後まで治療をしてあげられた」という患者さん【とその家族】の心の支え
・いくらだったか思い出せませんが、「入院に伴うお金」は少しいただけますので、そちらでパジャマや日用品は買ってくださいとのことでした。3000~5000円だったかな?1万円はなかった気がする。まぁそれにしたってパジャマ高すぎる
・手紙は、「もらえないかもしれないし強制もできない」ということも事前に説明されていました。理解したうえで「手紙ほしかった~~!!!」とダダをこねています。人間としての器が小さくて…すいません。我欲を捨てられるように、来世の自分に頑張ってほしいです。
・あとみなさんが知りたいであろう手術について書くのを忘れてました。
なぜならあんまり痛くなく、尿道カテーテルのほうがよっぽどイラついたからです。
私は麻酔が効きすぎるタイプのようで、手術室に入った途端寝たからなんにも覚えてないんだなこれが。麻酔解けるのも予定時間を3時間オーバーしました。
退院日翌日には会社に行き、2週間後にはプールに行っちゃうくらい健康だったからです。参考にならず申し訳ない…
なので現金的な持ち出しはあまりありませんし、少しばかりプラスかもしれません。
なお、この骨髄提供を経て失った有給は持ち出しに加算したら大変そうですよね。融通が利く会社でよかったなとつくづく実感しました。おかげで私の有休消化率は110%です(未来から借りました…)
あと、「つらつら」の使い方が違う、というコメント、ほんとすみません。恥ずかしいです。ご指摘ありがとうございます。
さんざん愚痴っぽくなってしまったんですが、ブコメ等すべて拝見して、うれしくて涙が出てきました。
みなさんがこんなに褒めてくれるのに、なんで拗ねた態度をとってしまったんだろうと改めて反省しました。ありがとうございます。
・傷跡について
お察しのとおりきれいさっぱりないです。2週間後のプールでも誰にも何も言われなかったです。
生まれつき背中にでっけぇアザがあるんですが、「お、あるな~~~」くらいにしか思わないので…。
あと、「人を救ったかもしれない証」が背中にあるってオタク的にはかっこいいです。ごめん私思考回路がおかしいから…参考にしないでください…
この記事にコメントくださった、「骨髄提供は最高だった」っていう方すごくない?この方こそ聖人君子じゃんって思いました。親にひどい目にあわされながらも人を恨まずに救うことにためらいがないって…すごい…器が違う…この方、もしもお子さんができたら「私を母親にしてくれた」って子供をすっごく大切にしそうだなって思ったんですが、結婚に興味なしなのか~~
ごはんをおごってくれるとかいて下さった方、日本中のおいしい茶わん蒸しのお店を書いておいて。行くから。
追記の追記の追記→ https://anond.hatelabo.jp/20190212162717 いやほんとごめんって 長くし過ぎだって ごめんって
初めて整形をしたのは確か20くらいの時だったと思う。
ずーーーーーっとコンプレックスだった目の下のたるみを除去する手術。
たるみというのかふくらみというのか、涙袋のようなかわいいやつではなく、政治家のおじさんとかの顔面によくあるやつ。
あれが小さい時からあって、メイクでは到底かくしきれないそれに毎日悩んでいた。
手術は思ったよりもずっと痛かったのを今でも覚えている。
麻酔はもちろんしていたけども、なんとも言えない気持ち悪さと痛みが30分以上続き、ようやく終わったと思えば鏡の中の自分は目の下を真っ青にしたお化けみたいな顔。
倒れるかと思った。
手術による内出血で一時的なものだったが、痛みに耐えて初めて見た自分の顔があまりにも衝撃的だった。
その後内出血も痛みも引き、無事にコンプレックスも解消出来た。
今でも自分の整形の中で一番いい手術を受けたと思っている。(質ではなく)
その後、この7年ほどで、
二重全切開、目頭切開、そばかす除去、ほうれい線対策のためのヒアル注射、鼻プロテ……
目と鼻ばかりだが、もう元の面影は残らない。
その手術を最後に、もうこれ以上はいじらないと決めたつもりだった。
つもりだったんだが…、鼻プロテからたった1年、またカウンセリング予約をしてしまった。
自分の顔が醜くて耐えられない。
今すぐいじらないと外も歩けない、という強迫観念を感じてしまった。
整形依存症なんだろうか。美醜恐怖症なんだろうか。
借金しているわけじゃないし、身近な人には整形を隠さない。(自ら主張したりはしないが)
誰かに迷惑をかけているつもりはないのだが、自分自身で歯止めがきかないのは自覚している。
カウンセリングしたら、またきっと手術するんだろうな。
生まれてこの方十六年、処女をやっている者なのだが友人の話を聞いて時折恐怖しておる。
中等学校では数えるほどしかおらなんだ不順異性交遊者が高等科へ上がると十の指では、いや足も含めて二十の指でも数えることができん。あな恐ろしや。
先日も仲間内で夕餉を共にした際に親友が中等学校在籍時に純潔を散らしていたことを知った。ブルトゥス、お前もか。私が冗談半分で交際相手でもない男と情を交わせば絶交すると言ったのを間に受けていたようだった。実際、言葉を失ったがそれ如きで揺らぐ友情ではない。私は涙とそれに溶けた睫毛装飾液と筆で描いた目線が混じりあった黒い雫を零した。
私が感じる恐怖というのは何もする相手がいない、ということではない。単純に痛そうだからに過ぎん。
興味が湧いて秘所に指を入れてみた事がある。指一本と少ししか入らなかった。具体的に言うと中指丸々と人差し指の第一関節まで、だ。しかも痛かった…もう二度とこのような真似はすまい。解せばとか濡らせば良いなどという助言は要らぬ。詳細は省くがそういうことは十二分にした。それでもこの結果だったのだ。なんと恐ろしい事か…!かような体たらくで男を受け入れたり子を産んだりすることが出来るのだろうか。我が母上もこのような試練を乗り越えたのだと思うと頭が下がるばかりである。
追記
読み捨ての三文小説、とかいう意味合いらしい舶来の映画には良い褥での一時を過ごす為に秘所にピアッシングをした女が出てきた。痛くないのだろうか…夫が麻薬商人であったから麻酔替わりに商品を使いながらしたのかもしれぬな。
子供の頃虫歯ができるとあのキュイーーーーーンという恐ろしい音で痛いのに我慢させられて、暴れないように二人くらいの大人に押さえつけられて、抜歯などで歯を抜くときも麻酔がめちゃくちゃ痛くてこれも暴れないように押さえつけられ、
とにかく何をされるにも涙目になりながら治療を受けた記憶がある。
で、最近になって奥歯が痛いので歯医者に二十年ぶり?くらいに行ったら親知らずが虫歯なので抜歯することに。
ほんとかよ、こいつ、私のことを騙そうとしてるんじゃないのか?!
と、疑心暗鬼になりながら治療を受けていたんだが、たしかに痛くない!!
麻酔刺すときもあまり痛くないし、抜くときは麻酔効いてるから感覚がない!
そのあと他にも虫歯があったので削って詰め物をするという治療も受けたんだが、
子供の頃、抜歯ならまだしも削るときに麻酔ってかけたっけなー?
痛みに耐えながらあのキュイーーーーンを我慢していた記憶があるんだが…
えー、今の歯医者ってこんなに変わったの??
子供の頃の怖い記憶で、歯医者行くのにものすごく怯えていたのが嘘のよう。
こんな痛い思いしなくていいのならもっと気軽に歯医者に通える。
歯医者界隈に詳しい人がいたら教えて下さい。
1ヶ月経ってしまったけれど、読みました。ありがとうございます。
今日体外受精のための採卵をしてきました。手術室に入り静脈麻酔(軽めの全身麻酔のような感じです)をしました。途中麻酔が切れ、激痛に襲われました。痛い痛いと叫びなんとか採卵は終わりました。
不妊治療を始めた時、体外受精までするつもりはなかったんです。そもそも体外受精まで行くとも思っていませんでしたが、怖さで無理だろうなと思っていました。
でもタイミング法も人工授精も全く手応えがなく、後悔するのが嫌で体外受精に進みました。
最近、人と比べてしまう自分自身に嫌気がさし、自分ばかり見つめるようにすべくライフログを取るようになりました。機械的に時刻としたことをずっとメモしていくだけなのですが、これをしていたら考えすぎたり悩みすぎることが減りました。淡々と時間を過ごしていくだけの生活になりました。味気ないですが、精神衛生上、今は楽な気持ちです。
不妊治療は人を壊します。人のおめでたい話を聞けば、最悪の事態を呪うようにして願うようになりました。妊娠のためにいいものの情報を聞けば振り回されます。ストレスを溜めないようにしましょうなんて記事を見た時には「妊娠したらストレスなんてなくなるわよ!」と叫びたくなります。電車に乗れば見知らぬ子や妊婦を呪ってしまうような黒い心に侵され、それにふと気付いた時に酷く傷つきます。
「不妊治療は軽い気持ちで臨みましょう」「絶対に子どもが授かるとは限りません、そう心に留めておきましょう」なんて書いてあったって、不妊治療と向き合っているイコール子どもが欲しいと強く願っているわけで、軽い気持ちで思えるわけないでしょ、なんて思ったり。
取り留めのない文章になってしまいました。ごめんなさい。誰かに知ってほしいんです、きっと。不妊治療って大変です。お金も心も。ちなみに採卵だけで30万くらい今日は支払ってきました。移植にまたお金が必要です。
私は不妊なんて関係ないやって思っていました。不妊治療の話を聞いてもふーんと思って聞き流していました。当事者になるとこんなに大変なんだと思うようになりました。抱えてる病気については友人にサラッと言えるのに、不妊治療だけはどうしても言えません。どうしても言えないのです。苦しいです。でも誰かに伝えたって改善されるわけでもないですし、一人で抱えていればいいのかもしれません。
出口の見えない暗い迷路でずっとずっと彷徨っている気分です。不妊治療に負けない心が欲しいです。
幾つか指摘しておく。
液体式電子タバコは液体を加熱させて発生する水蒸気を吸うという物だ。
水蒸気ではなくPGとか混ざったエアロゾルを吸う。会社の宣伝文句も正しくない。普通の水蒸気ではあんなに白くはならない。なお、写真で出ているようなほど白く出るのはまず爆煙タイプのものに近いと思うしあの製品でそこまで白くなるかというと怪しい。
:
端的に言うが調理くらいならわりとそういう考えでいいと思うが、それでもビタミンCとかの話にしかならんかと。
ビタミンCは強い還元作用があるので、つまりは酸化されやすい。
ただ、加熱されてから吸い込まれるまでの時間が短いので、そんなに壊れる壊れるという話を推しても仕方がない。
一万歩譲って破壊されなかったとして、水蒸気になってそれを吸っても肺に入るだけだ。
昔から普通の経口以外に麻酔であったりでよく使われる投与経路。そもそもタバコのニコチン摂取もそんな感じだからな。
ただ、「じゃあ実際どれくらい取り込まれんの?」という事が明らかになってないのが問題である。虚偽広告になる可能性は高い。
ビタミンCだと経口での摂取で1日100mgとかの基準なんだが、肺から取り込む場合にはという基準がある訳でもない。そんな調査しようと思ったらカネが相当かかると思うが、あの手の業者がその力があるとはとても思えず。でも多分全然摂取出来ないよ電子タバコのやり方だと。リキッドが0.1mgでだいたいタバコ1本分くらいなので、そこに溶け込ませられる量って大してないのよ。
生後3ヶ月から大学病院で経過を見てもらっていたけど、主治医に早めた方がいいと勧められ、1歳を待たずに手術することになった。
朝の9時に採血して、それが終わったら他の検査をして、午後になったら入院。
検査結果が問題なければ、次の日の朝イチで手術というスケジュール。
でも旦那に、平日朝の車移動は時間が読めない。それに事故渋滞が起きたら、確実に検査に間に合わない。
電車なら他の路線に乗り換えできるだろと言われ、しぶしぶ電車を選ぶことにした。
選んだは選んだけど、せめてベビーカーを回避しようとして荷物を整理してみた。
患部以外は問題なく、すくすくぷくぷく育った我が子は約10kg。
それからお気に入りのおもちゃと絵本を持って、徒歩で30~40分。(最寄り駅までと、ターミナル駅から病院まで)
もし途中で転んだら目もあてられないと考えて、さすがに断念した。
それで朝早く出ようとして、利用可能な路線の混雑率をチェックしたら、6時に家を出るよりも、8時台の方がむしろ空いているくらいだった。
季節は真冬。
5時台に出ても、居場所はどこにもない。
入れてファミレス。
でも電車やバス内で過ごす10分でさえ、いつ泣き出すかとハラハラしているのに、あのスペースで3時間も過ごせない。
往生際悪くも調べに調べた挙句、やや混みの電車にベビーカーで乗ることにした。
世間が電車のベビーカーに厳しいのは知っていたから、気分は憂鬱なんてものじゃなかった。
少しでも空いている分数と車両を、鉄オタさんのサイトで調べ。(めっちゃ参考になった)
一番ましな場所に乗り込むために、駅構内図を見ながら、頭の中で何度もシミュレーションした。
当日。
定刻通りにやってきた電車は、想像していたより混んでいる印象だった。
パッと見た感じ、ギリギリ入れるかな…というくらい。
でも、これを逃せば次はもっと混んでいる。
もうどうしようもないから、すみませんを連呼しながら乗り込んだ。
乗り込んだ瞬間、周囲の視線がベビーカーに集中したのがわかった。
いたたまれなくなって、誰に言うでもなく小声で謝り続けていたら、逆側のドア付近に立っていた初老のサラリーマンと目があった。
その人は手招きをして、真ん中は危ないよって言いながらベビーカーの前の方を持って、うまいこと角に収めてくれた。
ありがとうございますって伝えたら、お母さん大変だねえって言って次の駅で降りていった。
ベビーカーが収まったすぐそばに、ゲームをしてる若いサラリーマンがいた。
画面は明らかにモンハンだった。
熱中してるみたいだったから声かけるタイミングがなくて、ずっと謝りそびれてた。
どうしようかと悩んで、何駅か過ぎてチラッと見てみたら、いつの間にかゲームをやめて窓を見ていた。
どうやらそっぽを向いたまま鞄につけていたキーホルダーを揺らし、うちの子をあやしてくれているようだった。
その人はイヤホンをしていたので会釈でお礼を伝えると、ペコッと頭を下げてくれた。
ついに駅について降りようとしたら、ホーム側にいた人が、何も言わずベビーカーを降ろすのを手伝ってくれた。
あんなに悩んでたのに。
ブラウザのタブをいっぱい開いて、何日も何日も調べたのに。
気がついたら、病院までの通い慣れた道を歩いていた。
助かったと思いながら歩いているうちに、通院中のいろんなことを思い出した。
大学病院に行くたび見知らぬ人に話しかけられて、こんなに小さいのに病院通いなんてかわいそうと言われたり。
その人の元気な孫の昔話を聞かされたり。
手術を親に知らせたら、赤ちゃんが手術して本当に大丈夫なの?って聞かれたり。
万が一が起きた場合の免責事項が書かれている、手術用と全身麻酔用の同意書に署名したり。
公園で数回しか会ったことないママさんに、麻酔は猛毒だって書いてある謎の紙を渡されたり。
そんな記憶と、電車で助けてもらった出来事がグチャグチャに混ざって、頭がいっぱいになった。
しばらく目と鼻を熱くしたまま歩いていたら、ベビーカーの方から大人顔負けのおならの音がした。
思わず笑って、それで熱いのが一気に消えていった。
ベビーカー論争を目にすると、魔法のような出来事と、あの立派なおならの音が一緒になって返ってくる。
この体験を元に、電車のベビーカーについて良いの悪いのと語るつもりはない。
子供がしゃべるようになって、おならをすると「ブーした」と報告するようになったから、なんとなく思い出話をしたくなっただけ。
病気と言っても、そんなに重篤なものではなく、大丈夫大丈夫さくっと切ってさくっと終わらせよーねみたいなノリだった。
こっちも初めての手術で緊張していたため軽めのノリの医者に少しほっとしたのも事実だった。簡単なら大丈夫だ。麻酔もあるし怖くない。
そうは思ってもやっぱり、いざ前日になると自分の体に刃物が入ることの怖さ。もしなにかあったら、もし死んでしまったら、そう考えるとこわい。
当日、手術の前に恋人が訪ねてきてくれた。
大丈夫だとLINEで伝えておいたのに、学校にいく前に顔みておきたくて、と彼が笑う。
隣に座って他愛もない話をする。昨日の夕飯はハンバーグで嬉しかったとか、病院食はやっぱり薄味だとか、そういうお互いの話をしながら、気がつくともうすぐ手術の時間だ。
あぁ、やっぱり怖いな。やっぱやめたとかできないかな。
そう思ったのが伝わったのか、膝に置いていたわたしの手を彼がギュッと握った。
少し高めの体温が緊張で冷えた私の体に染み込んでいくのを感じた。
大丈夫だよ。
そう彼がいうと、あぁ、大丈夫だという気がしてきた。なんか、とにかく大丈夫なんだという根拠もない自信が湧いてくる。
その愛しさに思わず好きだな、と漏れそうになったけど、この手術が終わって、また彼の顔が見れたら言ってやろうと思ってグッと我慢した。
◼️ポリープあるってよ◼️
健康診断の婦人系項目でいつからか必ずといっていいほど、ひっかかるようになり、早数年。
自宅に届く健康診断結果に、さらりと書いてある「E判定 要精密検査」に最初はビビっていたものの、ここのところはすっかりあーはいはい、またね、といった具合に慣れてしまった。
ぶっちゃけ、あの流れ作業的な中で行われる健康診断の検査項目は、数値で計れるもの(体重、血液、○○値みたいなもの)以外は、人によって見方が違うから専門医でない限りアテにならないと聞いたことがある。
確かに、Aという項目でひっかかって再検査してるのに、いやBの方が問題ですよ、といわれることもしばしば。
そんなこんなで、今回も右卵巣がなんやらで判定が出てしまったので、不妊治療でゆるく通っているかかりつけ医に診てもらうことに。
そしたら、まさかの健康診断結果とは違う左の方が腫れてると言われるし、左腫れてるけど基準値内、周期のホルモンバランスの影響でしょう、と。。
そして、むしろ、子宮内膜にポリープが3つ程あると!まじかーい!
良性のものが多いけど、妊娠を望む女性にとってやっかいなものらしく、
着床障害を起こし、不妊の原因の可能性の1つらしい。個人差はあるけどとったら妊娠した、という事例もあるそうなので、ポリープを残しておく理由はない。
であれば、とってしまえ!!と思い、手術予約をとったのでした。
◼️初めての全身麻酔手術◼️
まあ、書き方おおげさなんだが、、局所麻酔は経験あるのだけど、眠らされる経験は初めてなので、記念に書いておこうと思い、今に至るのである。
まず、手術タイミングについて。子宮内膜の厚さが周期によって変わるため、手術時期が限られているとのこと。
生理開始から1週間後の内膜が薄くなっている時期が、ポリープがしっかり見えるのでその時期なんだとか。
手術前日、21時以降は絶飲食。
しかし、仕事の帰宅が間に合わず、22時前に夫が買ってきてくれた焼き鳥を食べノンアルコールビール飲んだのはここだけの話。。
水は24時頃までなら少量okとのことで飲む。なんとかなるでしょ。
当日。午前9時に自宅にて事前に処方された、痛み止めの座薬注入。
予約していた10時に病院に到着後、程なくして診察室に呼ばれる。
手術はすぐ行われるわけではなく、まずは子宮を広げる薬と布?みたいなものを入れられる。
うぅー、ちょっと痛いよ、先生。。あの、パッカーンの診療台での診察、何度やっても慣れないわ。。
そのブツが、入った状態で2時間程ベッドで休み、ブドウ糖の点滴も打ってもらう。
あぁ、病院のベッドで点滴なんて何年ぶりだろ。仕事大丈夫かなー(その日は金曜日で、仕事がかなり忙しい日)とか色々考えながら過ごす。
13時くらいに看護師さんが呼びに来る。
点滴つけたまま2つ隣くらいの部屋に移動し、パッカーン診察台に座らせられる。
よくテレビで見る、心電図と指にはめる脈測るものを装着し、医師が3人くらい登場。おいおい、まあまあ本格的やないか、、と心配になりながらもなされるがまま。
そして、女医さんが点滴から何かを入れ、次第に眠くなりますよーと言われたのが最後の記憶となるのでした。
◼️気づいたら、、◼️
意識が朦朧としているんだが、下腹部の激痛と、車酔いみたいな気持ち悪さで頭がクラクラする。。
下腹部の激痛といっても、冷静に今思えば生理痛のもう少し重い時くらいの感覚なんだけど、なんせ、麻酔により本当に眠らされてショック?だったのと、何が起こったかわからないプチパニックになり、思わずナースコールを押してしまった。
30分ほどで落ち着きますよ、といわれ耐え続ける。
ん?パンツがはかされて、ナプキンもつけられてる。。まじか。記憶がない。
看護師さんに聞いたけど、手術時間は15分から20分くらい。手術後車椅子でベッドまで運んでくれたというではないか。
くそー記憶がない。パンツはかせてもらったことも、運ばれてきたことも。。
初めての経験の衝撃と痛みと気持ち悪さで動けないのでしばらく横になって休む。痛みがだんだん落ち着き、軽い生理痛くらいになった時看護師さんが来てくれた。
無理しないでもう少し休んでもいいですよ、と言われたが、タクシーで帰るだけだし、早く家に帰りたいし、お腹すいたし帰る準備を始める。
最後に、薬を4日分処方され、経過観察のため1週間後にまた来てください、お風呂はシャワーのみで、といわれ、その日は終了。お会計は20000円弱でした。
病院をでた頃はすでに16時をまわっていた。
◼️最後に◼️
今回色々調べてわかったこと。
子宮内膜ポリープが不妊の原因の一つの可能性がある、ということ。
まだ、手術終わったばかりでその効果はわからないけど、不妊治療の色々な検査をしても異常がないのに、なかなか授からなくモヤモヤしていたので、やってよかった。
1週間は断酒だけど、また頑張るかな!
どれも迷うほどの問題とは思えない。
(1)老夫婦
殺してはならない。このケースならば公的支援を受けられる可能性があるので、まだ最善の努力を尽くした状態とは言えない。「公的支援は受けたくない」というのは個人的な趣味に過ぎない。
(2)新生児
殺してはならない。夫婦の事情は夫婦で解決すべき問題であり、他者が忖度することは許されない。もちろん、当該の子を生きながらえさせるために莫大な費用が発生する、その費用を捻出できる見込みがない、という将来はもちろん見えているかもしれないが、「それでも(夫の忘れ形見を)殺したくない」と母親が主張する可能性はゼロではない。いずれにせよ助産婦に「殺す権利」はない。
(3)凶悪犯
殺してはならない。速やかに、当該の自動車を隔離できる施設を準備し(たとえば使われていない埠頭の倉庫など)そこに自動車を誘導、その後、催眠ガスを投入するなどして無力化し拘束するなどの方法が考えられる。そうでなくても、周囲から十分隔離した状況で、拡声器等により抵抗は無力であることを宣言し、武装解除と投降を呼びかける。ただし、抵抗した場合は最悪射殺も視野に入れて配置を行う。凶悪犯を殺す場合でも「殺すしか選択肢がない状況」に至っていなければならない。
(4)凶悪犯2
殺すことはありうる。犯罪の既遂・未遂にかかわらず、人質の命が現に急迫の状況であることが明白ならば、状況を見て(人質の安全を最優先に)犯人の射殺も視野に入れるべきである。これは「刑」ではなく緊急避難的行為であるので死刑を廃止している法にもその趣旨にも抵触しない。
なお「その司令官も彼に妻や子供をすでに殺されているし、対応している警察官の多くの関係者が被害者である」→可能な限り事件関係者は事件対応から外すなどの措置が求められる。行政行為の執行に当たって利害関係者が関与する状況はただでさえ(人道的に)避けるべきであるが、まして行為が「敵討ち」にしか見えない状況であれば、その正当性への疑いを呼びかねないことから、対応する管理者には十分な配慮が求められる。
(5)未知の奇病感染者
原則、殺してはならない。もちろん、法的にこのような危険な感染病の罹患者の権利は制限されうる(数年前のエボラ出血熱の事例など参照)。また、病気を理解した上で「感染を広げてやる」と主張し行動する行為は、普通に群衆を対象とした無差別殺人と変わりがない(たとえば、AIDS感染を知りながらそれを告げずに感染の危険のある行為に及んだ人間が傷害致死の罪に問われることがあるのと同じ)ので、治安維持の権限ある人には速やかな対処が求められる。この場合、普通に「爆弾を所持しテロを予告した犯人」と扱いは同じである。防護服を着用した警察官等により速やかに制圧しての逮捕が妥当である。
もしそれが「いかなる防護服も通用しない強力な未知の病気(?)」を想定しているのだとしたら、その場合、可能な限り、遠隔から麻酔銃等により制圧して逮捕。その後は、法による対応(起訴等)を進めつつ、他の感染者同様、残された時間の範囲内で人道的な対応(治療等)を施すことになるだろう。射殺は、それも不可能な場合の本当に最終の手段である。「死ぬ可能性が高い」から「殺しても良い」という理屈は成り立たない。
「どんなことがあっても殺してはならない」という命題は、「どんな手を尽くしてもどちらかを殺さざるを得ない状況」にあっては実現不可能になるので、「場合によっては殺しても良い」という別の命題によってかえざるを得ない。これが緊急避難という考え方である。たとえば「正当防衛」など。人を殺しうる凶器をもち殺意をもって襲ってきた相手を殺してはいけないとなると、「自分」という人間を「殺してもよい」と判断したのと同じ事になり、明らかな矛盾が生じるためである。この場合、相手を殺してしまっても殺人罪とは見なされない。(「カルネアデスの舟板」論)
ただし、正当防衛などの「緊急避難」が成立するためには、「どんな手を尽くしても~である状況」であることを証明できなくてはならない。もし安易にその拡大解釈を許せば、社会が弱者を切り捨てることを安易に認めることにつながりかねず、危険である(例:大量の医療費を使うのは、別に貧困にあえいでいる人の生活を脅かすので、見殺しにすべき、など。昨今は政治家にもこの程度のレベルの人間が多い)。
以上のようなことは、法理の基本を説く本にはたいてい分かりやすく書いてある。元増田(や一部の政治家)は、ネットに張り付いて小理屈をひねり回し得意がるより、少しは読書をした方がよい。
アメリカでゾンビ菌のキノコ?みたいなやつで大量感染が発生した
全人類もかなり市にまくった
免疫がある女の子をしかるべき研究機関につれてくことになって旅が始まる
研究機関では免疫を取り出すには女の子を殺す必要があるということになり、
女の子はもともと覚悟はしてたから素直に麻酔かけられて殺される覚悟で手術台に寝てる
でもおっさんは世界よりも女の子を選んで、無理やり女の子を助け出した
目覚めた女の子に対しておっさんは、実は免疫ある子がたくさんいた・免疫の研究はとりやめになったと言うが、
女の子はそれが嘘だとわかっている
でも助けられたおっさんの気持ちもわかってるつもりだったから、再度、問いただした
それは本当だと誓えるか?
って
でも女の子は、おっさんの気持ちもわかるから一概に非難したりもできないし、非難したとしてももう何もかもが遅すぎるので何も言わない
ただ落胆した表情を見せるだけ
ここにおっさんと女の子の旅と、おっさんと女の子の絆という信頼の物語は終わった
敵が固すぎる
市にまくる
ちょっとのムービーを見るために何度も死にながらそこまで進む、という感じ
難易度簡単にしても鉄砲うちまくったりできないし、敵は弱くならないからしんどい
適当に都合よく進みすぎる
れんがとビンが落ちていすぎ
一番かわいくて印象に残ってるモーションは、手を上げたよりも少し高い高さのシャッターを閉めるためにぴょんってジャンプして着地の勢いでシャッターをしめるところ
いろいろ会話シーンがあったらしいけどそれがどこで発生するかがかなりわかりづらかったから、ゲームに必死になってる自分はあんまり見つけられなかった
もともと娘いたのに娘と重ねてもっと優しくしそうなもんだけどな・・・
エリーとの二人旅っつってもエリーに銃弾あたったりとかゾンビにかまれたりとかほとんどきにしなくていいからシングルプレイとほとんどかわらなかった
ICOとかワンダ、トリコをやったあとだと、これを二人の旅というにはちょっと足りないと思った
ロリコンホイホイゲーだった
とゆーか娘との二人旅だと思ってたし・・・
追加ストーリーはまさかのエリーがキマシタワーだったからサプライズだった
https://anond.hatelabo.jp/20170805221741
ホットエントリーに入っていた上記を読んだ。
自分の体験と違った部分と、その数年後に結婚し出産して分かったことを書く。
自分は全身麻酔で20万円。全麻じゃないクリニックはもっと安かった。手続きではパートナーの同意が必要だったが私の場合はパートナーが海外にいたので代筆で通した。
・麻酔
手術前日の夜からシールのようなパッチのようなものを腕に貼った。麻酔の効きを良くするためだった気がする。
・手術
当日、1つめの麻酔で夢うつつの状態になり、その状態で手術台まで連れて行かれる。そこで本格的な麻酔。その時には無意識に恐怖心が沸いて抵抗した記憶があるが、身体を抑えられて麻酔が入ると瞬時に意識を失った。あとは目が覚めたら処置が終わっていた。
術後に意識が戻ってから猛烈な吐き気とめまいがあった。全身麻酔だと吐き気が出る人がいるらしかった。目が覚めてからおそらく1時間くらいは病院で休ませてもらったが吐き気がおさまらず、病院近くのカフェで休んで(たぶんこれも1時間ほど)、ようやく帰れる感じになった。(記憶が曖昧で、どれくらいの時間で落ち着いたかは定かでない)
術後の吐き気以外だと、排尿時に陰部がものすごく染みた。その痛みで、「ああ自分は手術したんだ」ということを改めて実感した。
・その後の心境
各々の状況によってかなり異なると思うが、自分にとっては処女喪失の時の感覚と似ていた。体験する前はものすごく重大で怖いことと思っていた、最中はあっという間に終わった、終わった後は痛みがあったがそのうち痛みも引いた、そしてそのことは誰も気付かずにいつもと同じ日常に戻る、でも自分の中の何かは確実に変わった、と。
ちなみに、なぜ手術をしたかというと、愚かにも避妊に失敗してしまったからだ。当時の彼氏はちょうど仕事で海外に行ったばかりで1年は戻って来ない、自分はまだ社会人2年目で結婚も出産も早すぎると思っていた、かつ当時の彼氏と結婚する決意も持てなかった。それなのに彼氏が出立する直前の行為で避妊に失敗した。結局、彼は予定より早く帰国し、その後一緒に水子供養に行った。その数ヶ月後、別れた。
中絶から数年後に別の男性と結婚し、妊娠した。産院では妊娠回数と分娩回数を聞かれる。妊娠経験があり分娩経験がない=流産や中絶ということになる。私は夫や自分の家族には中絶のことを絶対に知られたくなかったため、過去の妊娠回数は誤魔化した。もちろんネットでも色々調べた。中絶経験は診察で医師にバレるのか、申告内容は秘密にされるのか、等々。ネットでは様々な意見があった。多かった意見は、経産婦かどうかは絶対に誤魔化せないが妊娠初期での中絶は分からない、申告内容は秘密にしてもらえる、という意見だった。しかし私は申告しなかった。それでも妊婦検診などでは全く問題なかった。実際に分娩間近となった際、私の産院では、再度妊娠回数と出産回数を確認された。最後の最後に申告すべきかどうか一瞬迷ったが、やはり、隠し通した。結果、それは正しい判断だったと思う。
何故なら、産院から出された出生証明書に妊娠回数と出産回数の記載があったからだ。(追記:すみません訂正します。出生証明書に記載されるのは妊娠回数ではなく22週以降の死産を何胎か書くようでした。トラバのご指摘ありがとうございました)
産院の出生証明書は自治体への出生届の提出に必要だった。我が家は私の入院中に夫が出生届を提出しに行ったため、正直に申告していたらそこでバレる可能性があった。危なかった。(追記:出生証明書には死産を記載のようなので、堕胎はバレないということですね。産後数日でのヘロヘロの状態だったため早とちりした模様…。勇んで勘違いの内容を書いてお恥ずかしい)
中絶経験があって、それを隠して出産するか迷っている人の参考になれば、と思う。
終わり
初期なので麻酔をかけて数分でおわり。特に痛くはなかった(前日の処置で子宮口にラミナリアという線香状の海藻を突っ込むのだがそれはちょっと痛かった)。
数ヶ月たってやっと体験を思い出にできそうなのでまとめてみたい。
かかりつけの産婦人科で妊娠の確定診断を受けて、中絶希望する旨を伝えるとその場で最短の日程(翌週末)の予約をとってくれた。週二回で一日四名だかなんだか枠の決まっている手術日は、半月先までほとんど埋まっていて、妊娠週数が増すと人工妊娠中絶は費用も身体的な負担も増える形式の手術になってしまうので、自分は最短の日程で予約を入れた。
かかりつけの病院はHPで中絶費用を明示していて、初期の場合の手術費用は22万円だった。妊娠の確定診断の際に中絶手術の希望を伝えたので、手術前の血液検査もしてこの日の支払いは1万円だった。
産婦人科医は(どこもそうなのかもしれないけど)「中絶を選ぶのも女性の権利」という態度を一貫していて、中絶を選ぶことに葛藤があるのかないのかはカウンセラー(その病院では中絶手術を受けるのにカウンセリングの受診が必須だった)が確認するらしかった。
妊娠確定の診断とカウンセリングと手術前日の処置と手術と、二週間で合計4回通院した。
幸い職場は遅刻・早退・休みがとりやすかったのだが、つわりの症状がひどくて直属の上司にばれてしまうのが嫌だったのと、中絶というネガティブな選択について個人的な見解を持ち込まなさそうな上司だったので正直に話した。しかしそれでもそんなに休むのかという印象を与えた感は否めない。
そもそもなんで妊娠してしまったか。コンドームを使った避妊が嫌で(擦れて痛かったりする)排卵日と予想される前後以外は使っていなかったからだ。排卵日付近はコンドームを使ってはいたが、その他受精や着床を防ぐ物理的な手段は講じていなかった。
周期を読んで避けるというのは試したことがあって、効果のある避妊方法に思えた。そんなやり方を続けているうちに、周期的にアウトかも知れない日に膣内で射精してしまった。アフターピルの処方もうけなかった(たぶん仕事が忙しくて忘れていた)。
それとパートナーの性器が大きくて普通のサイズのコンドームがキツそうだった。大きいサイズのものを私が探せばよかったのだが、さぼってしまった(ちなみに後日聞いたところによると、本人は自分が大きいサイズを使うべきと気づいていなかったらしい)。使用は最低限にして負担を減らしたいと私が思っていた。
私の考えは、特定のパートナーとしかセックスしないのであれば性感染症の予防(コンドームの使用)には注意を払わなくていいというものだ。昔は低用量ピルを使っていたが、体質的にNGになってしまいこの数年は選択肢に入れられなかった。殺精子剤を使っていたこともあったが、かゆいのと発がん性があるらしいという情報が怖くてあまり積極的に手を出せなかった。IUD(リング)は形態が気持ちわるいのと、一度相談した産婦人科医が「避妊の成功率は8割」と言っていたのでそんなに低いのなら避妊の効果がないようなもんだと入れていなかった(今回婦人科でもらった資料によれば実際はもっと高かった。この時冊子とか公式な数字の載った資料をもらわなかったことが悔やまれる。)
■なぜ中絶を選んだか
積極的に避妊の手段を取り入れていなかったのは、身近に中絶手術をしたことのある人がいたことも影響していると思う。失敗したら中絶してもいいのだ、と考えていた。中絶したことのある友人はひとつの体験として消化しているように見えた。今回中絶するかどうか悩んでいた時に意見を聞いてみたが、罪悪感は不要だから子供のためとか言わないで自分の好きにしなと教えてくれた。
そもそも、妊娠したくてもできないという場合も少なくないだろうし、昔そういう経験があったので(といっても半年ほどだが)、危機感もうすかったかもしれない。万が一避妊に失敗したら産むか産まないか考えよう、と思っていた。セックスした相手のことを大事にしたいと思っていたので、彼が出産を望むかどうかの意見も考慮しようと思っていた。
妊娠が確定したので、彼と話し合い、彼が望まないとわかったので、それならばおろそうと決めた。自分一人でやっていくには経済的に苦しかった(といっても私は中小企業の会社員なので、生活の水準を下げて子育てすることだけを自分の時間の全てとすればやっていけるのかもしれない)。彼は、もし彼の意見を聞いてそれでも私が産むというのであれば、経済的にも物理的にもサポートするといった。しかしそれは自分の望むものではないと話すので、私は彼にそんな思いで支えてもらうのも、彼と絶縁して子供を産むのも嫌だと思った。
そうして「今回の妊娠は」なかったことにしようと、中絶をすることに決めた。
■手術当日の流れ
朝9時に病院に行った。手術は13時頃らしかったが後ろにずれる場合もあると言っていた。出産や管理入院の方と同じフロアの個室を用意されていた。
彼は手術の日は一緒にいるといって病院には来ていたが、特に何を話すでもなくぼーっと座っていた。私は下着をはずし病院着に着替えてベッドに座ったり寝転がったりしていたが、一度彼が横に来て、何をしたらいいかわからない、点滴の管にぶつかりそうで怖いというので、むかついて蹴飛ばしてその後は同じ空間にいたが接触していなかった。
途中看護師がやってきて、彼に席を外してもらい話をするといい(中絶を強いられているのではないかという確認だと思う)、今回なぜ中絶を選ぶのか質問された。産んで欲しくないという彼の意見を尊重したいので、と答えた。今後交際を続けるのか、避妊方法は考えているのか、決して責めるような口調ではなく質問され、子宮内に装着する避妊器具のミレーナを勧められた(今はそれを利用している)。
手術は冒頭にも書いたが身体的に大きな負担は感じなかった(前日夜からの絶食で麻酔から覚め落ち着いた午後3時ころまで水分も口にできなかったのはつらかったが)。
でも手術台に上るのはつらかった。これでお腹の中の人と別れると思うと悲しかった。悲しくて、麻酔をかけられながら大泣きしてしまった。看護師は、つらいよねといって手を握ってくれて、自分で決めたことなのにつらいとか思っていいのかと思うとすごく心が救われた。
麻酔科医は私が泣いていることに特にコメントはなく、私の目を見て麻酔のかかっていくときの感覚、麻酔にかかっている時間、目が覚めるときの感覚について説明をした。麻酔が入っていくときには針の先に痺れる感覚があるらしく、先ほどとは別の看護師が皮膚をもんでくれていた。手術は婦人科医師と麻酔科医師と看護師2名の体制だった。
麻酔から覚めるとやっぱり嗚咽が止まらず、ベッドに乗せられて個室に戻った時にはすっかり過換気になっていた。看護師にビニル袋をもらい、彼には会いたくない旨看護師から伝えてもらい、夕方に退院した。
産褥シート(夜用ナプキンのもっと大きいやつ)をあてがわれていたのでどれだけ出血するか不安だったが、普段の生理の出血が多いのもあり、大した量には感じなかった。
その後いろいろ思い出しては悲しくなる期間を経て、4ヶ月たった今は、思い出しても泣かないようになった。過換気になったのは手術の日だけだった。最初は毎日通勤電車で思い出して泣いていた。数日に一回、彼を責めるようなLINEを送っていた。一人でお酒を飲んでたバーでさめざめ泣いてしまったこともある。
今は彼と結婚することにして(いつとはまだ決まっていないのだけど)また子供を作りましょうという話をしてあるので、心が落ち着いているのだなと感じる。あの日私の内側から取り去られてしまった人の魂が、もう一回来てくれるといいなと思っている。