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2017-08-03

男性のいない素晴らしき新世界

高校時代からずっと抱いている考えだが、現代世界男性不要だと思う。

ある種族繁殖可能な数はメスの数によって決まり、オスは優秀なのが一匹いればよい。その他のオスは不要。だから多くの哺乳類一夫多妻制。人間けがなぜか基本的一夫一婦制人間祖先類人猿危険サバンナで生きていくために夫婦で協力せざるを得なかったためらしい。

アンコウの仲間にはオスがメスの10分の1以下の大きさで、メスの体に寄生しているものがいる。カマキリのメスは交尾後にオスを食い殺す。蜂や蟻は殆どがメスでオスはわずしかいない。

現代人は狩猟に出かける必要がない。機械の発達した現代では、男性でないとできない労働存在しない。軍隊にすら女性兵士女性将校がいる。男性女性より体力面で勝っているが、狩猟採取時代と違い、今日では男性の体力や筋力はなくてもよいものである

しかも、現代では精子の保存が可能だ。夫の死後に夫の凍結精子を使って子供を産む女性がいる。

妊娠出産授乳女性しかできない。男性育児参加が進んでも、男性女性に取って代わることはできない。育児に参加しても、男性は細やかさで女性に敵わないだろう。

男児育児女児より手がかかる。男児協調性社会性に欠けるためトラブルが多く、事故病気男児の方が多い。大人になっても男性は、犯罪率が女性よりはるかに高い(8対2だという)。100人以上いる死刑囚のうち、女は6人しかいない。殺人強盗暴行も、加害者殆ど男。強姦痴漢強制猥褻で捕まるのは全員が男。暴力犯罪被害に遭うのは男も女もいるが、犯罪を起こすのは決まって男。セクハラをするのも男。過労死社会を作ったのも男。赤ん坊子供暴力をふるうのも男が多い。戦争をするのも男。

女性は、学校でも会社でも互いに助け合う。男性攻撃心が強く、互いに蹴落とし合って出世を競う。女性コミュニケーション能力が高く、知能も優れている。男性中心社会が作り出した文化のせいで能力が低く抑えられているが、本来女性の方が勉強仕事もできる。男性がいなければ、世界は今よりはるか平和で、人と人とが穏やかな関係を結び、互いの能力を高め合って、もっと高度な文明を発達させるだろう。

しかし、人類が存続するためには男性の創り出した精子必要だ。どうすればよいか

一夫多妻制を復活させても、あぶれた男性処遇問題となる。

ならば、男性絶滅させるしかない。

まず成人男子全員をこの世から抹殺する。

子供については次のようにする。

男児12歳までは女児と同じように学校に通わせ、12歳を迎えたら親から引き離して男子収容所に入れる。

男子収容所では、健康管理性教育のみを行い、自由に過ごさせる。

収容所男子精通が来たら、週一回のペースで精子採取する。

子供の欲しい女性は、男子から採取した精子を使い人工授精妊娠する。精子の値段は男子遺伝情報によってランク分けされている。

セックスがしたい女性は、収容所を訪れて、気に入った男子指名し、料金を払ってセックスする。男子はそのために、普段から女性気持ち良くするセックス技術を学ぶ。どの女性から指名されない男子は温情的措置として、1か月に1度、公費風俗嬢サービスを受ける。これは男性不在社会失業した風俗嬢の救済策でもある。

収容されている男子17歳になったら死んでもらう。安楽死といきたいところだが、ギロチンによる即死我慢してもらう。

17歳の誕生日を迎えた男子は、全裸にされて解剖台に仰向けに横たえられ、固定される。解剖台には小型のギロチンが付いており、時間が来たら斬首される。斬首直後、まだ心臓が鼓動している段階で、腹を裂き、臓器を摘出して、移植用に利用する。脳死移植と同じだから使える臓器は多い。

少年遺体から血抜きをし、肉を食用に利用する(麻酔をかけた安楽死ができない理由)。人肉食需要がなければ、ペットフード動物園猛獣の餌にする。もしくは肉骨粉肥料に加工する。皮膚は火傷の治療用や、財布などに加工する。なお、斬首した首は親元に返される。以上のように、男子の肉体を資源として利用し、その収益収容所運営費用を賄う。男子教育によって、このような自分運命に誇りを感じるよう洗脳する。

かくして、この社会では、男子死ぬ間際まで衣食住を保証され、温かく世話をされ、性的な満足も得て、幸せな一生を送る。女子はその潜在能力を発揮し、男性による暴力を一切恐れることなく、のびのびと成長する。この社会では女性は何でもできる。「ガラス天井」は存在しない。

2017-07-31

https://anond.hatelabo.jp/20170731164303

めっちゃわかるちなみに人気のとこいったら、予約してもくっそ待たされるし、人がこみすぎてて診療雑だし、(麻酔無しで歯削ろうとするし)いいことなかった。

でもまったく書き込みないとこ行くのも怖い

2017-07-24

https://anond.hatelabo.jp/20170724184438

例え意識ないとしても苦痛苦痛として感じてるよ

試しに意識ないけど呼吸止まりそうになったおばあちゃんの顔でも見てみれば?

眉間にしわよせて顔真っ赤にして苦しい顔するけどそれでも意識から大丈夫なのか?

麻酔使ってんじゃないんだから意識なくても痛いものは痛いんだよ

2017-07-22

別の視点でのパイプカット真実

https://anond.hatelabo.jp/20170716030855

いつかどこかのタイミングで書こうと思っていたのだけど、他の人が書いていたので、自分も書いてみる。


まずは前提情報として自己紹介

自己紹介

  • 30代半ば、既婚で2人子供がいる
  • 首都圏在住
  • 手術をしたのは3年ほど前、板橋区だかのクリニックで受けました


元ネタ書いてる人と同じようにするのが比較やすいと思うので揃えます

個人差は結構大きいと思うので、参考になれば幸いです。

射精感は変わらないという点

正直あんまり変わらなかったというか、分からないレベル

ただよくよく考えてみると、ちょーっとだけ術後の方が劣るかな?というレベル感。

敏感かどうかというのもあるので、個人差が大きいところだと思う。


射精後の解放感の消失」という点についても、手術前からそんなに感じることはなかったので、ここも個人差だと思う。

術後に変わったかというと、自分は変わらなかった。


元増田も書いている通り「昔の感覚を忘れてしまうので最終的には気にならなくなると思う。」ということなのかもしれない。

噂:一般的な噂

男性ホルモンが減る

からないし、体感もないのでそんなことはないんだろうという気持ち


性欲が落ちる

そんなことはないが、年齢や環境による個人差が大きいんだろうと思う。

元増田も書いている通り、射精感の減退により気持ち萎えるとかそういったことの方が大きいように思う。


絶倫になる

そんなことはないし、聞いたこともない。

ゴム有りしかしてこなかった人が気持ちよさに目覚めて、やりまくるようになった結果、そんな噂が出たのかもしれない。


気持ちよさは変わらない

これも同意で変わらないが、肉体的なものより精神的なものの方が大きいと思う。


勃起力が落ちる

これもそんなことは無かったし、加齢やその時の状況・環境によっても大きく変わるので個人差の話だと思う。

自分場合はそんなことなく、術前・術後で変わらなかった。


精液の量が減る

これも術前・術後で変わらなかった、食生活によると思う。


女性側の中出しされる気持ちよさが変わらない。

これもその通りというか、精子がないだけなので変わらない。


ストレスたまる

自分場合はそんなことないし、むしろ妊娠させられないことに心理的安心があるので、ストレスから解放されたかもしれない。

個人差というより、複合的な要素によってどうなるかと思う。


前立腺ガンになるリスク高まる

実際どうなのか分からない


こんな所でしょうか。


そのほか

手術を受けることにした経緯について

いくつか要素があるのだけど、元々子供は一人でいいやと思っていて、ゴム付けたりピル飲んでもらってたりしてた。

一人目が生まれた後、すぐに二人目が出来てしまったこともあり、決断

ピルメリットもあればデメリット身体負担とか)もあり、妻だけに負担を強いるのはよくないという気持ちピル飲んでくれてたから今度は自分の番という気持ち経済的に厳しくなるので子供はもういいという事情から手術を決意。

もちろんゴムつければいいじゃんって意見も十分理解はしている上で手術を選びました。


実際手術どうなの?怖くないの?

医療ミスとか術後に勃たなくなったらどうしようとか考えちゃうし、もちろん怖い。

100%成功がないというのは理解した上で、施術実績が多いクリニックにお願いしました。(上野とかではないです)

費用10万円~15万円ぐらいで、高くもなく安くもなくという感じ。

手術中はもちろん局部麻酔が効いているので、何かが動いている感はあるけど、痛くはないので安心


本当に妊娠しなくなるの?

100%はもちろんないけど、限りなく100%に近い状態にはなるらしい。

人によっては管を切ったものの、何らかの理由によって管がくっついたり、切った管から精子が動いて射出されることもあるらしい。

と事前に説明を受けたけど、個人差が大きいと思う。


自分施術してもらったクリニックでは、術後に2~3回は郵送による検査をしてくれていて、精子の数量についても調べてくれるという所でした。


術後、4ヶ月ぐらい経過しての精子数検査を依頼したところ、もちろん正確な確率ではないけど35年間毎日中に出して妊娠するかどうかという確率の量でした。(参考程度に)


家族の反応は?

あらかじめ相談していたし、特に反対はされなかった。むしろ妻は興味があるという感じ。

実際に術後の方が妊娠しないという安心感もあり、より気持ちよくなったんじゃないかな?という印象。


風俗でも生?

そもそも滅多に風俗行かないし、そこで生はちょっと怖いのでゴムです。


実際にどういった人が受けてる?

ネットにも転がってる情報だけど、40代で既に子供ありの夫婦妊娠してしまって、それをきっかけに手術をするというのもあるそう。

実際に中絶手術でもそういった年齢層・状況が多いという話もあるし、そうなんだろうと思う。

何歳になっても妊娠しない確率ゼロではないので、そのうっかりで妊娠させるとお互いによくないと思う。


手術を受けようかどうか悩んでいる人へ

しっかり情報を調べて、家族の間で相談したうえで決めることをおすすめします。

100%ではないにしても、妊娠させられないって事実には変わらないので、気にする人は後で引きずるかもしれないなと思いました。

実際自分決断したことなんだけど、ちょっと引きずりました。


夫婦なら女側がピルを飲むという選択肢もあるので、それも踏まえて話をした方が良いと思います

もちろんゴム付けるというのが一番最初選択肢だとは思いますが。


うちの場合子供が2人いたし、妻側にも理解があり、自分自身も事前に妻へ相談したうえでの手術だったので後で揉めたりとかはなかったです。


あと、ネット上には色んなクリニックの情報がありますが、自分が手術を受けたクリニックは実績もあり、値段も普通先生対応も良かったです。

どこで手術を受けるかも大事なので、しっかり調べて疑問・後悔は残さないようにしましょう。

悩み事や気になることがあれば、医師相談して一つ一つ解決してから手術を受けることをおすすめします。


手術を受けたら基本的に元に戻せませんので、術後の人生謳歌しましょう!

2017-07-20

https://anond.hatelabo.jp/20170720021303

上顎の傾いて生えてた親知らずは、磨きづらくて何度も虫歯や炎症を引き起こし、隣の正常な歯に悪影響だからと抜歯するのを勧められて抜いた。

麻酔してクイクイって引っ張られたかと思ったらすでに抜けててた。全く痛くなかった。

抜歯後一週間ぐらいは抜いたところがポッカリ空いてるのがどうにも気になったり、血餅が取れないかなと心配になったり…

レントゲン写真を見ると下顎にも横向きになった親知らずが埋没していることが判ったが、現状問題ないので抜かない方針となった。

もし問題になるようなら、抜く必要が出てくるが、歯科医院では処置不可能なので口腔外科で手術となるとのこと。

なお、下の埋没親知らず抜歯手術は顔の神経にダメージを与える可能性があるとのことだった。

親知らずが「抜けない」

anond:20170720021303

左上 普通に歯が出ている、ただし外側に曲がっており、隣の歯と接触している。

左下 水平埋伏で隣の奥歯と接触している。親知らず自体歯茎の中に埋没している。

右上 親知らず存在しない。

右下 完全埋伏で骨の中に横倒しで存在する。

左下が炎症を起こしたときレントゲンの所見である

かかりつけの歯科医では抜歯は無理ということで、総合病院の口腔外科を紹介される。

炎症が治まるのを待ってから、部分麻酔で抜歯ということになった。

歯茎を切開して、親知らずを砕いて取り出し、頬の内側を縫合して傷口を保護麻酔して口開けたままで数時間の3時間くらいだったかな。

抗生物質の点滴に通うことになった。

その夜……出血が止まりません。洗面器抱えて夜間救急外来へ。脱脂綿噛んで止血する……しか処置はできない。

オペが終わったところで親知らずは完治で、傷の治癒を待ってるだけなのね。1週間くらいで抜糸。

なんだか左上の親知らずも気になるんですけど。斜めになってて縫合してた頬に当たって痛いし。

そっちはかかりつけで抜歯してくださいと。5分くらいで抜けた。うがい薬処方されておしまい

問題は、右下の完全埋伏の親知らずである。「これは私では抜けません。もし痛んだら歯科大学病院を紹介します。かなり危険な手術になりますから遺書書いてきてくださいね

ただし、完全に埋伏しているので雑菌が入り込む経路はないし、隣の歯にも影響していないので……墓場まで持ってくことになりそうだ。

親知らずがどういう状態存在しているのかで、抜歯の難易度は大きく異なるぞ。

年齢のこともあるので、今痛んだら抗生物質で炎症を叩くことに。隣の奥歯と干渉しているならば、奥歯の方を抜くことになるかも。

2017-06-14

https://anond.hatelabo.jp/20170614174326

でも痛いじゃん。

わりと本気で部分麻酔ルンバールってやつ?)すれば余裕でセックスできるのにって悩んでる。

さすがにセックス恐怖症のために部分麻酔なんて現実的じゃないから、ロキソニンS代用にならないかな、なんて。

2017-06-12

私に子供が出来るまで

元々は子供は要らなかった、つーか喪女結婚も出来ないと思ってたしどうでもよかったが妹が子供を産み、その赤子が超絶可愛かった。

の子の為なら死ねると言ってたら妹から「そういうのは親がやるからおばさんが重い愛をそそがんといて自分の子供を作れ」と言われた。

それもそうだ子供が欲しいと思ったのでギリギリ二十代で結婚する事にし、幸い母親の新しい友達お見合いおばさんがいたので紹介してもらい結婚相手高齢童貞だった。

新婚当初は処女童貞だった為にセックスが出来なかった。

毎晩頑張ったが痛そうな顔をすると夫が萎えて終了を半年ほど毎晩続けた。

子供はまだなの?若いから気楽に思ってるかもしれないけどそろそろ孫が見たい。と言われる度に処女懐胎は無理と思ったが高齢処女旦那高齢童貞なのでやり方が解らないのは人には言えない話題だった。

やっと成功して子供が出来たがいわゆるぶどう子で流産した。

一人で行ったそうは手術の麻酔からさめたら、カーテン越しに妊婦さんが血液検査で明るく「血管には自信があるんです」と笑っている声が聞こえて辛かった。

最初は辛い程度だったのがぶどう子で異常に分泌されてた妊娠ホルモンが一気に消えた影響と流産のショックでその晩から不眠に苦しみ鬱のようになり、死ねお前のせいで子供が死んだと夜中に幻覚幻聴が聞こえ気絶するように眠り朝起きたら絶望を感じ地獄だった。

悪阻がきつくて妊娠してない体に戻りたいと思っていた事を思い出しては泣いた。

旦那の親に妊娠を伝えた直後の流産だったので旦那流産を伝えるように頼むと「病気流産した」と電話で話しており、その言い方だと性病勘違いされるだろうが!!!と腹が立ったのを覚えている。

その後ガンになる危険があったので検査のために医者に子作りをしばらく止められ、やっと出来たがまた流産をしてと数年経った頃に旦那睡眠時間も足りない程の超激務になりセックスが出来なくなった。

親は孫を見たそうだったが、セックスせずに子供は出来ないとは言えなかった。

その後運よく正月休みに体力回復してやったセックス子供を授かったが、ある日夜中にトイレに行くと真っ赤な血が大量に出てきた。

旦那過労死心配になるレベル睡眠時間だったので伝えてから家で寝かせて、母に電話をして泣きじゃくりながら病院に行きそのまま入院看護婦さんがお腹を温めるカイロを持ってきて聴診器赤ちゃん心音を聞かせてくれた。

数週間寝たきりになり退院したその日の晩にまた出血した。

また長期の入院になり今度は退院したらそのまま私の実家で寝たきりになるように指示された。

薬は飲んだら冷や汗が出るくらい副作用が強い、横向きになったら腹がはるので上向きで姿勢が固定され、トイレ食事風呂以外ずっと寝てるので大きな腹に圧迫されて背中やお尻は真っ赤に腫れて痛かった。

ギリギリ子供が逆子になり帝王切開出産、顔を見た瞬間に幸福ホルモンが脳に溢れて物凄い愛しさと幸福感に包まれ涙が出た。

出てくるまで生きているのかずっと不安だったが腹から五体満足な赤ちゃんが出てきた人体の神秘を感じた。

子供が居ないなら居ない幸せもあると思っていたけど今は居ない幸福想像できない。

2017-06-11

まさか私が…」突然の発覚から3年、絶望から這い上がった私の乳癌

40歳の節目。私は乳がんになった。

素朴だけど優しく私を愛してくれる夫と2児に恵まれ、幸せな人生を手に入れてそれなりに満足感のある日々だった。

幸せな日常を一瞬にして真っ暗な絶望に追いやった乳がんの発覚。

乳がんは罹る人も多い病気負担はあるけど、治療なんてさほど難しくないと思っていた。

でも全然カンタンではなかった。

家族、友人、そして自分自身多くの人を深く傷つけ、心身共に疲れ果て全てを失う寸前まで追い込まれた。

判断ミスもあり、軽度とは言えない状態までいってしまった私だが、良き出会い、周りの人の支えに助けられたことは幸運だった。

手術、抗がん剤治療を行い私は今、再発の不安は抱えながらも元の幸せな生活を取り戻すことができた。

今思えば、「知らないこと」が理由で失ったものが沢山あった。

もっと早く気づくことができれば・・・
「あの時あの治療選択していれば・・・
「友人家族もっと接するべきだった・・・

いろんな後悔が今も心に残っている。

こんな思いをする人を一人でも減らせたら。そう思って私の体験を伝えてみたくなった。

興味があったら読んでみて下さい。

ピンク東京タワー、突然の不安

ほんの些細なこと。

10月1日、夫と食事に出かけた帰りに見かけたピンク色にライトアップされた東京タワーだった。

私:「綺麗だねー。今日はなんでピンクなんだろうねー」

携帯検索をする夫。

夫:「今日ピンクリボンデーらしいよ。乳がん認知を上げる目的だって
私:「乳がんねー。」

その時は何も思わなかったが、少しだけ「乳がん」という言葉が頭をよぎった。

それから1ヶ月が経った頃、

朝、着替えの時に左の胸に固い感触を感じた。

???

違和感を感じ指でふれた。コロコロとした1cm程度の小さなしこりを感じた。

まさか。。。乳がん?」

ピンク色の東京タワーピンクリボン、その記憶が私にそう思わせたのかもしれない。

ただし、その日は家事に忙しいこともあり、夜にはしこりのことは忘れていた。

夜の入浴時にもう一度触ってみた。朝のしこりはもちろん、あと2個程度小さなしこりを指先に感じた。

大きな病気をしたことが無い私は些細なことでもすぐ心配になるタイプだった。不安かられ、髪も乾かさずインターネットで幾つかのサイトを調べた。

しこりがある=乳がんというわけではない。40歳未満の場合は良性のしこりの方が多いらしく乳腺線維腺腫の可能性が高いと書いてあった。

人間不安ときは都合のいい方の考えに飛びついてしまものだ。

私は、

「なんだ大丈夫だ。良かったー」

と勝手に安心し、「こんなものはそのうち消えてなくなる」なんて、根拠もない解釈をしながら、眠りについた。

翌朝、しこりは消えていない。やはり気になる。「もしかしたら」が再び頭をよぎる。

考えないように過ごそうと思ったが、家事が何も手につかない。

今まで感じたことの無いものが私の胸に存在している。その事実から目をそむけることができなくなっていた。

一刻も早く安心したい。その一心で私は病院を探し始めた。乳がん検査してくれるのはどこか?今まで考えたこともなかったか検討がつかない。

よくわからないが、とにかく近くの産婦人科に行ってみることにした。

サイズも小さいし、しこりも動くから問題はないと思いますよ」

そういって若い女性医師は近所の外科への紹介状を書いてくれた。

その翌日は外科の診断へ。私は一日がかりで色々な検診が行われることを想像したが、触診だけだった。

診断は

「乳腺線維腺腫」

違和感があった日に確認した見解と一致していたため、その診断を疑うこともせず飛びついてしまった私がいた。

乳腺線維腺腫は放っておけば3ヶ月程度でしこりはなくなってくるとのことだった。私は安心して、日常生活に戻った。

大丈夫でしょう」という自分安易判断と、夫に相談せず自分で納得してしまったことがあんなことを引き起こすなんてこのときは思いもしなかった。

大いなる油断、取り返しのつかないミス

それから2年、私はしこりことなどすっかり忘れて平穏な生活を続けていた。

日々の家事、娘息子の世話、当たり前のことを当たり前にこなす。傍からみれば退屈かもしれないけど、愛のある満たされた毎日

その日もいつもと何一つ変わらない一日だった。

しかし、その夜、全てが一変する出来事が起こった。

夫と同じベッドで寝ていると、寝返りをうった夫の手が私の胸に当たった。すると夫が「え?硬っ!」驚いた様子で声を上げた。

暫く自分の胸に意識が向いていなかった私は自分の胸を触り、全身から血の気が引き、突然得も言われぬ恐怖感が襲ってきた。

しこりが大きくなっている。。。」

私がもらした一言を聞いた夫の青ざめた顔が今でも印象に残っている。

夫はすぐに「明日会社を休むから、一緒に病院に行こう」と言ってくれた。

とにかく早くということもあったが、2年前にいった病院は割けるため、隣町の女性クリニックへ診断に行った。すると「確かにしこりがありますね。技師が3日後に来るのでエコー取りましょうか」

との回答。

しかし、今すぐにどうなっているか知りたい。不安が募りの募った私達夫婦は待つことができなかった。

乳がん専門医でなくてはわからないのでは?」と夫の意見採用し、インターネットで調べ最も近くにあった乳腺外科のある病院へ行った。

大学病院では当日は難しいため個人病院だった。

まずは触診。先生の無表情さが不安掻き立てる。その後針生検へ。これは正直かなりの痛みがあり、辛かった。

終了後、先生は「結果は一週間ほどで出ます検査結果によっては大きい病院を紹介する形になります。」と。

もはや1週間を待てる心理状態ではなかった。一刻もはやく白黒を知りたい。先生にお願いをして大学病院への紹介をすぐにもらった。

幸いにも大学病院ではすぐに乳腺外科の診断ができた。

視触診
マンモグラフィー
乳腺エコー
CT
血液検査
マントーム生検

これらの検査を一気に検査を行うことができた。これで自分乳がんなのかそうではないのか、ハッキリと分かる安心感はあった。

「これらの検査結果は来週に」と先生。

この一週間は今まで感じたことのない長さだった。

死への恐怖心
来ることが当たり前に思っていた未来が来ないかもしれない喪失感
気を使わせてしまっている夫、子どもたちへの罪悪感
不安なく健康暮らしている人たちへ理不尽嫉妬心
色々な感情が目まぐるしく移り変わり心身ともに疲弊していた。

加えて、2年前、なぜしこりが気になった時点でもっと詳しく調べなかったのか、夫に相談しなかったのか、激しい後悔にも襲われた。

神さまはいないのか・・・

疲れ切った私たちにやってきた結果は優しいものではなかった。

「左胸に3cmの悪性腫瘍。99%の確率乳がん

診断結果を聞かされた瞬間、私は頭が真っ白になった。

先生が言っている言葉は聞こえるが頭に入ってこない。隣の夫も呆然としていた。同じ状態だったのだろう。

何も考えられない、何も声発せない状態が3分は続いただろうか。

我を取り戻した私は、

「どうすれば治りますか」と先生に聞いていた。

結論は手術。

私は家族と一日でも長く幸せにくらしたい。その思いが人生の最優先だと強く認識した。

女性として葛藤もなかったと言えば嘘になるが、全摘選択した。

その日から長い闘病生活が始まった。

入院の前に待っているもの

医師から告知を受けると今度は身内や親しい人に話をする必要が出てくる。

まずは娘と息子に12歳の娘、10歳の息子。

ともに私が大変な状況にあることは理解してくれたようで、神妙な顔つきをしていた。こんな状況だが「泣いたり喚いたりせず立派だな」と成長を感じ少し嬉しい気持ちもあった。

次に両親へ説明をした。福岡に住んでいるのでまずは電話で話をした。母が出た。

母とは昔から何でも話し合える仲だ。あまり回りくどく説明しても仕方がないと思い、率直に「乳がんになった。手術をする」と伝えた。

母は言葉を失い、暫く無言が続いたあと母自身を責めた。

「ごめんね・・・、ごめんね・・・、ごめんね・・・

と私に声をつまらせながら何度も何度も謝った。

親の前ではやはり自分子供に還るのだろうか、今まで必死に堪えていた恐怖心や悔しさ、絶望感があふれ、私も涙が止まらなくなった。

でも悲しみのスパイラルに入るわけにはいかない。

絶対に治すから

できるだけ不安を与えないように力を込めてシンプルに伝えた。

友人関係の難しさ、心無い一言、ひび割れ関係

仲の良い友人にも伝えておく必要があると私は考えた。

私のこの考えは安易だったのだろう、結果闘病前に友人関係で心のダメージを負うことになった。

仲が良いと思っていた主婦仲間、ママ友に告知をすると

「大変ね~、大丈夫??本当に心配だわ」

という反応。

「え?それだけ?」

特に親身になって欲しいとかそういうわけじゃない。何が欲しいのかもわからないけど、何か嫌だ。そんなダダっ子みたいな自分も嫌になった。

更に追い打ちを掛けたのは「親友」だった。

中学校からの友人、由美とは今でも週に一度は会う仲で、何でも話せる間柄。

私と由美はまるで姉妹のように、同じような進路を辿り、同じようなレベル男性結婚し、同じように幸せな家庭を育んでいった。

から進路の話、異性の話、結婚してからはお互いの家庭の話、旦那愚痴家族ぐるみでも付き合える最高の友人だった。

由美になら何でも話せる。親兄弟よりも私の気持ちをわかって親身に寄り添ってくれるそんな勝手な期待をしてしまったのだろう。

由美にも率直に

乳がんになった。これから長い治療に入る。手術は正直こわいけど頑張る」

と伝えた。

ただ、由美にだけは同じ女性、同世代ゆえに全摘によって片胸が失われることに関しての悲しさがあるという話をした。

するとA子は

「なにも腕や足がなくなるわけじゃないんだから胸くらい良いじゃない。」

と言い放った。

彼女は明るい性格だ。彼女なりに私を励まそうとしたのかもしれない。

死を意識する日々、あまりに多くのものを失っていく毎日、私があらゆるものに敏感になりすぎていたのかもしれない。

ただ、この一言はどうしても受け入れることができなかった。

私が置かれていた状況は私の平常心を奪っていたんだろう。滅多に感情的になることがなかった私が怒りを抑えきれず、由美に対して激しい言葉をぶつけてしまった。

これまで長年にわたり育んできた暖かな友情に大きなヒビが入ってしまった。乳がんはまた一つ私から大切なものを奪ってしまった。

遂に手術

家族不安、両親の涙、友人との離別、多くのネガティブ感情を抱えながら私は手術に挑む。

スケジュールが出た。

手術は診断結果が出た日から20日後に決定。全摘選択したために術前の化学療法はなし。

手術2日前から入院となった。前日から食事も取れない。当日は朝から各種検査を行い以異常がなければ全身麻酔をして手術開始。目を覚ませば手術が終わっている。

手術は予定よりも2時間遅れて終了。遅れた理由リンパ節への転移が見られたから。麻酔が切れて朦朧とした中で、病室で夫がずっと手を握ってくれていたことは記憶の中にうっすらと残っている。

乳がんが発覚し自分の信じていた世界が全て崩れてしまったと思っていた。

でも夫だけはどんな状態の私も暖かく包んでくれていた。こんな時だからこそ夫の愛情を強く感じることができた。手術が終わった安堵感と、愛を感じられたことによる充足感か、そのまま深い眠りに就いた。

翌朝の目覚めは心地よかった。起きたら包帯でぐるぐる巻きだ。まあ夢ではない。現実だ。左のおっぱいないよなー。と思って触ってみるとやはり・・・ない。

わかっていたけど、現実を突きつけられると涙がこぼれた。

術後に体内にたまるリンパ液や血液を出すためのドレーン管が二本入ってたが。ここから液がでなくなれば退院だ。

7日後、遂に退院が出来た。退院時の値段は50万円だった。私はがん保険には入っていなかったので正直この金額は厳しいものがあった。備えあれば憂い無し。

そんな言葉が頭をよぎったが、今は無事に退院ができたことの喜びの方が勝っていた。

抗がん剤治療・・・これから始まる本当の治療

左の胸がなくなってしまったことへの喪失感はあった。お風呂に入るときなど自分身体から目を背けたくなる時期もあった。

でも、疑似おっぱいの性能が以外と良く、服の上からでは見た目にわからない状態になった。そこからはだいぶ気分が楽になった。

気分は元に戻ってきたが、治療はまだ終わりではない、手術から30日経過した時点で今度は抗癌剤治療が始まった。

期間は3週間を1クールとして、8クール複数抗がん剤を組み合わせての実施

抗癌剤治療と言えば、ドラマでも度々その様子が描かれる。そのためわずかに恐怖心があった。でも生きるため。

ここでも家族存在が私の心を強く支えてくれた。

抗がん剤治療想像していたよりはキツくはなかった。最初の一週間は特に異変もなかったけど、8日目辺りから吐き気貧血が出始めた。割りと調子が良くなってきた17日後に遂に髪の毛は完全に抜けてしまった。「あー、やっぱこうなるのねー」と思った。

覚悟は出来ていたので、思っていたよりはショックは少なかった。

クール目は特に問題なく過ごすことができた。まあ抗がん剤の点滴の際は気が重いくらいかな。

クール目に入る前にはかなり抜け落ちてきた髪が目立つので、ウィッグを買いに行った。季節をまたいでの治療なので冬用と夏用を両方買った。

それにしてもケアグッズも高い。

まり大きな声で言う人はいないと思うが、乳がん治療以外にかかる金銭負担も大きい。

クール目に差し掛かる頃には髪の毛は全て抜け落ちた。髪だけでなくまつげ、眉毛、体毛全てが抜け落ちた。顔色も悪く自分を鏡で見るのがちょっときつくなった。

いつも看病してくれる。夫も私の姿をみてどう思っているのかな。。。と少し気になる時期だった。

こうして、長かった化学療法も遂に8週で無事に終わりを迎えることができた。もう吐き気に悩まされることもないと思うとかなり気が楽になった。

楽しい時期は2ヶ月なんてあっという間だが、治療となると1年間のような長さに感じる。

抜け落ちた髪も徐々に生えてきて、昔に戻れるのかな-と淡い期待を抱かせてくれた。

化学療法を無事に終えた私は最後治療放射線治療に入ることになる。

永遠に続くと思われた治療・・・遂に・・・

放射線治療は、全部で30回。毎日通院が必要で、一ヶ月半ほど平日は病院通いが必要になった。経済的負担も引き続き大きかったが、仕事の調整をして一緒に通院してくれた夫に負担をかけているという罪悪感も多くあった。

放射線治療にも副作用がある。軽い火傷のような症状だ。熱い、かゆい、痛い。放射線を当てている患部は赤黒くなってしまい、見るからに痛々しい感じだ。

ただ化学療法と違い体外的な副作用しかなかったので、辛さで言えば全然問題なかった。

手術をしてから半年が過ぎて、ようやく私の乳がん治療は全て終了した。

毎日毎日通った病院乳がん発見してもらった病院にそのままお世話になって本当に良かったと思う。

検査ときは無表情で怖かった先生も病に真剣に向き合って時には優しく、時にはハッキリと私が不安にならないように、また過剰な期待を抱かないように上手に説明をしてくれた。

この先生に出会えたことは私の幸運だったと思う。

お陰で私は現実と向き合い、治療目的を正確に理解しながら集中して治療を受けることができた。先生本当にありがとう

「これでがんは完治」

そう言えればどれだけ幸せだろうか。

がんとの戦いはここからが始まりといってもいいかもしれない。

一般的ながんは5年再発しなければ完治と呼ばれるが、乳がんは10年後20年後も再発の恐れがあるために、ほぼ一生に渡って再発の恐怖との戦いになる。

「一生がんに怯えて生きていく」

こんな人生を送ることはまっぴらごめんだ。

「がんをうまく扱って生きていく。」

家族献身的な支え。そして我慢我慢を重ねた闘病生活

そのなかで私の心は強くなっていた。がんを再発させないように生活改善していけばいいじゃないか。そうポジティブに捉えることができるようになっていた。

最初からこの心があればなぁと今では思うけど、

乳がんによって手に入れられたこともあるのかなと思うと、最悪なことばかりではないかと思った。

がんで失ったものを取り戻す旅

手術が終わって一年が経った。本当に激動の一年だった。

今の私の生活はどうなっているか

幸いといっていいかな。見た目以外は正直、乳がんが発覚する前とあまり変わらない状態だ。

リンパ節を取った左手は、日常生活にはなにも支障はない。

抗がん剤副作用だった爪の異常や関節の痛みも治まった。

ただ髪の毛はやはりなかなか生えてこずまだ5cmほどしかない。出かける時、来客のとき帽子を被るようにしている。

左胸がないことにはさすがにもう慣れてしまった。残念に思うのは大好きだった温泉に行きたくなくなっちゃったことかな。

胸のコンプレックスが薄くなった今なら親友言葉も笑った受け流すことができたのになーと思うと少し心が痛む。

変わった事と言えば、食生活生活習慣が改善したこと。

以前は特にお肉が大好きでカロリーは紀にしながらも好きなものを食べていたけれど、今は野菜を中心とした食事抗酸化作用の高い食品をメインにしている。

そのおかげもあってか、再発は今のところなく、検査結果も良好。適度な通院も生活リズムを整える意味で意外と気に入っている。

家族との結束は乳がんによって以前より固まった気がする。長女は14歳になったが私の身体を察してか、家事積極的に手伝ってくれるし、反抗期の気配もない。12歳になった長男もだいぶ私を労って自分のことを自分でやるようになった。時々一緒にお風呂に入るが胸のことには触れてこない。なかなか優しいやつだ。モテる男になるかも。

夫は病気の前から優しい人ではあったが以前に比べて、私を心の底からいたわってくれている。先週末、酔って帰ってきた時に話していたが、乳がん告知の際、私を失うかもしれないと思った時に本当の愛が溢れてきたそうだ。

先日からかったら、覚えていないと本人は言うが、どうだかは知らない。

親友との関係は残念ながらまだ修復には至っていない。先日スーパーで顔を合わせたが会釈程度で終わってしまった。今の精神状態なら素直に私から謝ることができる。彼女との関係修復は今の私の一番の課題だ。

こんな感じで意外と悪くない日常を過ごすことができている。

「私から全てを奪った乳がん

手術前後治療中は頭の中にはこの考えしかなかった。

でも、今こうして、振り返ると悪くないことも多いなと思うに至った。

あなたには絶対に「この後悔」はしてほしくない

どうしても後悔はある。それが今回私が体験談を語ろうと思った理由。いまでも本当に後悔していることは一つ。

乳がん発覚の2年前、最初に気になった時点で乳がん早期発見の機会を逃したこと。

もしここで、私の治療をしてくれた大学病院までたどり着くことができていたら・・・

早期発見というくくりの治療となり切除も再発のリスク存在しない状態治療が終わっていたと思う。

親友との離別も家族への過度な負担。これらも起こることはなかっただろう。

私の弱さゆえの判断ミス。これに尽きる。

10月1日ピンク色に染まった東京タワーを見た時にもっと深く乳がん自分ごととして考えられていればな-なんてことまで思ってしまう。

乳がん女性の12人に1人がなる病気と言われている。確率は高い。あなたもなる可能性が十分にある。正直発生自体を防ぐことは生活習慣などにもよるし、生活習慣を気をつけていても病気はいつ襲ってくるかわからない。

2017-06-09

五年前の麻酔がまだ抜けない

五年前に、仕事ストレスで胃がおかしかったので、近くにあった個人医院に行った

そのとき胃カメラを撮ってもらったのだけど、そのときに飲んだ(塗られた?)麻酔が、いまでも、不意に感じることがある

感じる場所は、上くちびるの左側で、タイミングは、たぶん血の巡りがよくなったとき(のような気がする)

麻酔をされてから1ヶ月くらいは、ほぼずっとしびれみたいなものを感じていて、1年くらいしたらだいぶなくなって、いまではたまに感じる、という経過だったか

胃カメラを撮ってもらったとき説明では、「麻酔はすぐに抜ける」ということだったのだけれど、

それから一週間しても全然抜けなくて、本来ストレスでの胃の話も含めて、医師に話したのだけれど、「問題ない。もうすぐに抜ける」というばかりだった

確かにいまでは、ほとんどないと思うんだけど、それでもしびれを感じるたびに、「ああ、まだ残っているな」と意識せざるを得ない

実際に感覚がなくなるとか、そういうことはないので、日常生活には全く支障はないのだけれど、まあ、なんかちょっと怖いよね

2017-06-01

http://anond.hatelabo.jp/20170601133256

樹海で死なれて遺体探すのに苦労したりしてる遺族としては本当に楽に死ねて周りも自殺したのね、とはっきりわかる方法を開発してほしい

自殺したいなら勝手にしてくれと思うのだが、人身事故迷惑だし死体がなかなか見つから行方不明者のまま彷徨われるのも迷惑

しかしそんな方法が表に出回るとそれを使って殺人事件が多発しそうだという問題がある。

なので、病院の中に「自殺科」を作り、医師と数回面談した後、他殺ではなく自発意思での自殺だと確認をしたあと、麻酔等で永眠させれば良いと思う。

生きたいと思ってないなら殺してあげてもいいと思うよ。これは安楽死とかの問題にも同じだが。

この方法あれば高齢化にも少しは歯止めかかるんじゃない?

2017-05-28

明日から検査入院

大したことな検査だけどいい大人だけど痛いのやだ…

今回は麻酔が効いてあっけなく終わりますように!

2017-05-23

胃カメラしてきた

2時間メシが食えないのは、ピロリ菌検査のために胃粘膜をとったからと思ったが、

どうやらノドに麻酔をしたからということらいい。

から入れたので、まだ鼻の穴に違和感が・・。

2017-05-20

無痛分娩に反対する理由を語ってる人がいた

その人いわく無痛分娩死亡事故を続発させて障害児ができるから反対してるんです、痛みに耐えてこそみたいなオカルト理由ではありませんだそうだ。

そこでどれくらい死亡事故が起きてるのか調べてみた。

2010年から6年間で出産時に死亡した298人中4%の13人、無痛分娩が原因で死亡したのは一人だけ。

6年間で一人が死亡事故続発になるのだろうか。

この頃は知らないけど今は全体の5から10%が無痛分娩で産んでいる。

障害児に至っては完全にオカルト系統の言い掛かりのようだ。

何かなぁ。

麻酔での死亡事故もっと起きてるから君が手術する時は麻酔無しで頑張れと思ってしまった。

2017-05-16

ヒゲ脱毛エンジニア2017年中にやっておくべきたった1つのこと

それは・・・ヒゲ脱毛です。ヒゲ脱毛をすべてのエンジニアに勧めたい。

いや、本当は男性全体に勧めたいのだけど、特にエンジニアには勧めたいと思っている。というのもエンジニアの俺が思いつきでヒゲ脱毛したところ、あまりに日々が快適になったため、効率を重視したり、無駄を憎んだり、費用対効果がいいものが好きなエンジニアにとっては、かなりオススメできるものだなと感じたからだ。

この記事では、エンジニアヒゲ脱毛すべき理由を明確にしていきたいと思う。

ヒゲ脱毛すべき理由

時間が短縮できる

大多数のエンジニアが、毎日、もしくは週に何回かは、ヒゲを剃っているはず。1日5分だとしても月に150分、年に1800分=30時間ヒゲを剃っている計算になってしまう。これはあまり無駄である

1時間に3000円の価値を出せるエンジニア場合、30時間*3000円= 9万円である10年で90万円分のコストがかかっているといってもいい。もちろん、その時間がすべて時給換算できるものではないというのは百も承知だが、エンジニアストレスたまるヒゲを剃っている暇があるくらいなら、コードを書いたり、好きなアニメを見たりゲームをしたりしてリラックスをしたほうがいいと思うので、脱毛をしたほうが経済的メリットが高いと思う。

少なくても自分場合は、朝の5分、一手間がなくなっただけで相当なストレスが減った。時間としては5分なのだが、お湯を洗面器に貯める、肌に蒸しタオルを当ててヒゲを柔らかくする、クリームを塗る、ひげそりをする、クリームを取る、という何ステップかがあるため、どうにもおっくうだった。それが今では、顔を洗うだけで済むので、かなり楽なのだ

肌への負担が減る

ヒゲを剃るのは思った以上に肌への負担が大きい。筆者の場合、肌が弱いせいか、赤くヒリヒリしたり、肌が荒れることもよくあった。ヒゲ脱毛してしまえばそういったことが一切なくなる。

これはかなりのメリットで、特に冬場などは肌が荒れて痛かったり、外に出るだけで肌が突っ張るみたいなことも一切なくなり、夏は少し日焼けするだけでかなり赤くなる、ということもなくなった。刃物毎日、肌に当ててるというのはよくないのだ。

清潔感が増す

さらにいうと、ヒゲの剃り跡というのは、思った以上に顔を汚く見せる。要は黒いポツポツが顔にあるという状態からだ。会社で他の男子社員の顔をよく見てみるといい。割とヒゲの剃り跡が汚く見えてしまっているケースが多い。

身だしなみに気を使わないエンジニアでも、顔が清潔に見えるというのはメリットが高い。ヒゲ脱毛すると「痩せた?」「肌がつやつやした」「若返った」と言われるようになる。モテるかといわれると、そんな程度ではモテるようにはもちろんならないのだけど、清潔感が増すだけで、嫌がられることは減るのではないかと思っている。

また、肌がキレイに見えるのは、自分で鏡を見た時のテンションの下がり方も減る。夕方くらいになるとヒゲが生えてきて汚くなってて、うわーと思ったり、剃り残しがあって、一本だけ変なところに生えているのに気づいて、その日一日気になったり、ということが一切ないので、ストレスがかなり減る。

ヒゲ脱毛デメリット

ここまでメリットを書いていったが、デメリットももちろんある。

コストがかかる

ヒゲ脱毛は、ある程度のコストがかかる。ヒゲの濃さにもよるが、医療脱毛をすると、だいたい最大10万円はかかると思ったほうがいい。個人的には、一生ヒゲを剃る必要がなくなるので、それでも安いと思うがそれでも値が張る。

時間がかかる

ヒゲにかぎらず、脱毛をするというのは、いきなりはできない。何回か通わないといけなくなる。だいたい5回くらいは通えといわれるのだが、自分場合は7回通った。

また、ヒゲが完全になくなるまでは、ヒゲ剃りは継続する必要がある。一度抜けてからしばらくすると生えてくるからだ。それでも本数が減ってたりするのでだんだん楽にはなっていくのだけど、完全にストレスフリーヒゲ生活に入るまでは、1年近くかかると思っておいたほうがいいだろう。

痛い

ヒゲ脱毛ははっきりいって痛い。脱毛時にはゴムで強めにはじかれたくらいの痛みがある。サイトを見ると、そこまで痛くないよ、といっているところもあるんだが、正直そこそこ痛かった。

塗るタイプ麻酔をくれる所が良いとおもう。麻酔をしたらけっこう大丈夫

さいごに

もちろん、ヒゲが薄くてほとんど生えない、という人や、あえてボーボーにしているのが自分スタイルだ、という人はそれはそれでかまわないと思う。だが、ほとんどのエンジニアにとって、ヒゲ脱毛メリットが高いとおもう。ぜひともオススメしたい。

ちなみに自分場合は、顎の下だけは脱毛していないので、ヒゲが生えている状態だが、そういうこともできる。頬とか顎とか、絶対に生やさないところだけを脱毛するというのも一つの手だ。

世の中のエンジニアヒゲに関する悩みがすべてなくなって、みんなが幸せになれることを祈っています

2017-05-10

はいはいはいと聞き流す

手術の同意書で麻酔が合わなくて死ぬかもよとか保険のアレで加入後3年以内に自殺したらナシだよみたいな、法律説明しなきゃいけないことになってるから一応言っとくけどねみたいな通り一遍説明別に聞き流しとけばいいのにいちいちつっかかるやつなんなん。

パソコンソフトインストールするとき説明読まずにはいはいはいクリックするのに慣れてる世代から保険やら同意書やらのアレを聞き流したり読み飛ばせたりするのか?それに慣れてないババアから死とか自殺かい単語にびっくりしちゃうのかな。

おいなんだよそんな真剣に考えるなよと思ってしまう。

説明聞くのだるいからそんなのさっさと飛ばしてくれよと思うし、仮に万が一のことが起きても、そんなもん万が一にすぎないのだから説明聞かなきゃいけないダルさが優って、いいからよお、訴訟起こしたりしないからさっさとやってくれよと思う。

卵巣のう腫の手術から1年経ったから、経過と感想をダラダラ書く。

卵巣のう腫は、卵巣の中になんか出来ちゃうやつ。

中身はまちまち、人によってはお腹がぽっこりするくらい大きくなったりする。

気付かないことも多いけれど、大きくなった卵巣がコロンとひっくり返って卵管が捻れたり、破裂したりすると一大事

詳しくは専門家HP読んでね。

https://jsgo.or.jp/public/ransou.html

私の場合はこうだった、というのを書く。

婦人科系の症状は個人差大きいので、あまり参考にならないと思う。気になることがあったら病院へどうぞ。

※後半に摘出した部位を食べ物に例える描写があるから、苦手な人は気を付けて


1.発覚

社会人なりたての頃に「自治体から子宮頸がん検査無料チケットが届いたから」とか「生理痛しんどい」とかそんな理由で近所の婦人科にかかった時に、ついでに発覚。

「片方の卵巣デカいですねー。卵巣のう腫でしょう。現状問題ないので年1回くらい様子見ましょう。」とのこと。

この時、痛いとかお腹出てるとかそういう症状はなかった。全然気が付いてなかった。生理痛はそこそこ重かったけど、のちにチョコ菓子を控えるようになったら軽減されたので卵巣のう腫とはあまり関係ないと思っている。


2.手術を決めたタイミング

時は流れて30代手前、「年1で」と言われていた検査のこともすっかり忘れた頃に結婚が決まり、別の病院ブライダルチェックを受けた。

特に問題はなかったけれど、そこでも言われる「片方卵巣デカいですねー」。

近所の病院に通ってた時よりも少し大きくなっていた。この時で6cmちょっと。通常は2〜3cmで、大体クルミと同じくらい。

このままにしておいても問題はないけれど、妊娠出産を考えるなら早めに取っちゃった方がいいですよ、とのこと。

やっぱり捻れたりするのが怖いし、妊娠にのう腫を取ることも出来るけど、今の内の方がリスク少ないし楽なんだって

それまで手術も入院もしたことがなくて好奇心はあったし、その場で手術が出来る病院を紹介してもらった。


3.手術の内容

私の場合腹腔鏡下手術と呼ばれるものだった。

へそとその周辺数ヶ所に開けた穴からガスとカメラ器具入れて患部を切ってもらうタイプ。術中は全身麻酔入院トータル1週間。お腹を切って開ける開腹手術よりも、術後が楽で回復が早いらしい。

「のう腫部分のみ切除します。術後の生殖能力には影響はないですよ」の言葉安心したのをよく覚えている。

ちなみにこの時点ではのう腫が良性か悪性か分からない。

担当医曰く「検査した結果を見ると良性っぽいけど、のう腫を摘出して中身見ないと分からない」らしい。

なんとなく、生理予定日を避けて手術の日程を決めた。


4.手術前に検査説明を受ける

入院の少し前、採血・採尿・心電図・肺気量・MRI……色々やった。

クリアファイルを片手にスタンプラリー気分で大きな病院内をウロウロ。

その後、手術を担当してくれる先生から説明を受けた。

みなさん手術や業務の合間を縫って時間を作ってくださったようで、とても忙しそう。

麻酔担当・手術の際立ち会ってくれる看護師さん・病棟でお世話してくれる看護師さん……他にもいらしたかもしれない。

「こんな手術します、こんなケアします、これ準備してください、もしもの場合も一応覚悟しておいて下さい、質問ありますか、では書類サインを」大体こんな感じ。とにかく書類が多い。

麻酔先生イケメン、眼福。


5.手術当日

前日夜から食事抜き。

当日朝に浣腸をした。初体験

浣腸の後、出来るだけトイレ我慢して下さいね。5分頑張って!」と言われたものの、1分で脱落。今入れたものがそのまま出てきた。無力。

病室で手術着に着替えてから、歩いて手術室に向かう。

手術室は予想に反して朗らかな雰囲気で驚いた。

ベッドに横になり、手術担当看護師さんとおしゃべりしている内に麻酔が始まり、気付いたら病室に戻っていた。2時間は経っていたらしい。

夫と親の顔を確認して、その後は丸一日眠った。

時折、看護師さんが私の股座をゴソゴソと開けてチェックし、時に拭い、そっと戻して去っていった。事前の浣腸もっと頑張ればよかった。

からは点滴、腰付近からは痛み止め用の管、尿道からは私が麻酔で眠った後に入れたらしい管がそれぞれ出ていた。

から出た管は小振りな筒に繋がっていて、痛みで辛い時に自分でその筒のボタンを押すと痛み止めを注入出来る。幸い使う機会は無かった。

点滴のおかげで喉の渇きや空腹感はないけれど、口が渇くので看護師さんが様子を見にきてくれる度にうがいをさせてもらった。


6.術後1〜2日目

手術から丸一日経つと、自分で歩いてトイレに行くくらいは出来るようになった。

多少下腹に痛みがあったけれど、それ以上に丸一日寝ていたせいで体力が落ちたのがしんどい

まり寝っぱなしでいると臓器が癒着するからどんどん動けと言われたので、トイレの他にも病室近くの談話スペースで漫画借りて読んだりテレビ観たり、ベッドから出てる時間を増やした。

食事も徐々にあからさまな病人から普通食事に変化していった。

シャワーは術後2日目頃から自分で浴びられるようになった。


7.退院

手術したのが月曜日退院予定は金曜日だったが、木曜の朝に「元気そうだから後で診察して問題なければ今日退院していいよ」と言われた。

執刀医2人と面談、診察してOKが出たので会計を済ませて退院した。こうもアッサリ終わるものなのかと大層驚いた。

退院後1〜2日はゴロゴロしていたが、3日目から散歩に出て、4日目には仕事に復帰した。元々暇な座り仕事なのですぐ復帰出来たけれど、そうでなければもう少し自宅で安静にしていたかもしれない。

執刀医と面談した際に確認したところ、のう腫は良性だった。

摘出したのう腫の写真には、髪の毛がピンピン飛び出した鶏皮の塊のようなものが写っていた。

中身は歯・骨・髪・脳・脂肪等。

流石は人間の素が入ってる臓器、中身のバリエーションに富んでる。実物は見せてもらえなかった。残念。


8.手術痕

私の場合は腹の4ヶ所に穴を開けたらしい。

へそ・へその下・そこから拳1つ分を空けて左右2ヶ所。

さな穴ではあるけれど、放っておけば勝手になくなるタイプの糸で縫合されていた。

術後数週間で穴の一つから糸が出てきて抜けた時は驚いたが、あとで正直に担当医に報告したら「別にいいですよー、また出てきたら抜いちゃって下さい」と言われてホッとした。糸が残っている間は少ししこりのようなものがあるが、気付いたらなくなっていた。

傷口の赤み・痒みは時間と共に薄れて、今では乳首色で小指の爪サイズの痣が3ヶ所あるだけになった。

いちばん大きな穴はへそに開けたそうだが、見た目は全く分からない。


9.費用

手術前が決まった頃、会社に指示を仰いで「健康保険限度額適用認定申請書」なるものを用意した。

医療費めっちゃかるというのが事前に分かっていれば、最初から自己負担限度額で請求してくれるらしい。

これを出さな場合は、かかった費用を一旦自分で全額支払い、後日全額から自己負担限度額を差っ引いた額を戻してもらう為の申請必要になる。

どっちにしろ、支払う額は変わらない。

詳しくはこのあたりを参考にどうぞ。

https://www.kyoukaikenpo.or.jp/g5/cat550/1137-91156

私の場合、通院から手術まで全部合わせてトータル10万行くか行かないかくらいだったかなぁ……


10.生命保険

もちろんおりた。

それなりに女性特約をつけた生命保険だったので、今回の治療費をペイ出来るどころかあと2回同じ手術受けられるくらいおりた。月々安くない金額払っているだけある。

今回の費用を余裕で払える程度の貯金はあったのでお金については心配していなかったけれど、入院手術で心身しんどかった後にちょっとしたお金が貰えたことで少し気持ちが上向いたのはありがたい。

書くまでもないと思うけれど、貰える金額は各々の契約内容次第なので、私のもらった額は全く参考になりません。


11.その他

意外なことに、術後割とすぐ子作り可と言われた。人によるかもしれないので、同じ手術を受ける人は担当医にちゃんと確認してほしい。

生理周期もズレたりするかと思いきや、変化なし。

変わったことと言えば、他に要因があるのかもしれないけれど、おりもの臭いが軽減され、へその臭いがキツくなった。なんで?


以上です。

最初に書いたけど、あくま医療無知個人の感想なので「そんなパターンもあるのねー」くらいに留めておいてほしい。

2017-04-10

美容整形に失敗したのでブスの先輩方宜しくお願いしま

タイトルの通り美容整形に失敗した、今回の手術で4度目だった。

フェイク等入れてもこの世の終わりのようなブスである私に関心は集まらないので全てありのままで書かせてもらう。

私は21歳の女性関東に住んでいる。

18歳の時に受けた二重の埋没からまり二重切開目頭切開目尻切開グラマラスライン眼瞼下垂術涙袋形成、小鼻縮小鼻中隔延長プロテーゼ挿入、エラボトックス唇顎ヒアルロン酸豊胸リフトアップ等を3年ほどで行ってきた。

これらの整形費用は親又は水商売パパ活やら愛人やら所謂売女から捻出してきた。

元々幼い頃から普通の顔立ちであり、特にブスでも美人でもなかった。まぁ見られるしヤレる顔であったためそれなりに青春謳歌水商売世界へ飛び込んだ。

美容整形は当時働いていたお店で当たり前のように行われており同僚や上司に勧められ行った。術中の麻酔の痛みに驚き、術後ダウンタイム中の顔の腫れに驚きながらも3週間もすれば新しい自分の顔に私は喜んだ。

すごく綺麗になった気がする、化粧もアイプチもいらないし楽になった。何より周りの反応が変わった。今までどこにでもいる代わりのきく女だった私が、少し綺麗目な女へ変化することで男は持て囃し水商売ノルマを達成するのが楽になった。

一度甘いものを知ると辞められないのが人間である水商売給料突っ込み暇さえあれば美容整形カウンセリングに通う日々。仕事手術ダウンタイムを繰り返しいつの間にか費やしたお金は3桁を優に超えていた。

そして私は、美容整形をする度する度に綺麗になれる!もっともっと綺麗になりたい!チヤホヤされたい!楽にお金を稼ぎたい!だから美容整形をどんどん行おう!と言う頭の悪い方程式見出していた。


本題に戻ろう、鼻下縮小術というものがある。人中短縮術とも呼ばれている。術式は各々検索してもらいたいが、この手術はダウンタイムが長く、かつ跡の残りやすい手術であった。今年の1月に私はこの手術を希望した。すると担当医は「この手術はお勧めできない、傷も残るし唇が引き上げられるため顔のバランスも変わる、あなたには似合わないと思う」と苦言を呈したため、頭の悪い方程式女は今まで自分の顔の面倒を見てくれた担当医を捨て別の某クリニックでカウンセリング、手術を行った。

ダウンタイムは今まで行った手術の中ではかなり辛かった。

食べ物が上手く食べられない、笑えない、ストロー使用すると激痛がはしる。何より鼻の下の傷がかなり目立つ。

しかしダウンタイム我慢の時である、今まで馬鹿みたいに手術を受けていた私はこれを乗り越え抜糸を行ない約2ヶ月ほどが経過した。

この鼻下縮小術施術前はそれなりにちやほやされ、美人美人だ、やれ菜々緒似だの桐谷美玲似だの持て囃され、服を買いに行けば店員タレントさんですよねと言われるレベルだった私が、今までどんな美容整形を行っても盲目的に綺麗になっていると感じていた私が、施術後に鏡を見て感じたことは、なんだこの猿顔、ということであった。

容赦無く主張する鼻下の傷、横に広がり潰れた小鼻、歯茎が見えるだらしなく締まりのない口元、縦に長く大きい上唇。

顔の下半分が大変なことになっていた。猿顔の類人猿ブスになっていた。

暫くの間は自分の顔を受け入れられなかった、まだダウンタイム中だからきっとこれから元の綺麗な顔へ戻っていく、と自分に言い聞かせ愛犬とスノウ自撮りしていた。現実逃避である

結局今現在も顔は類人猿ブスのまま元に戻らなかったため仕事を辞め実家に引きこもっている。親に会うときマスクをしている、食事は自室でとっている。

今までこんなにブスだった時期がないからどうしていいのかわからない。街を歩いていて目線をそらされることがなかったからどうしていいのかわからない。

美人から何をしても許されると思っていた、現に許されていた。どうしよう、今後一生この顔で生きていかなきゃならないのか。自業自得ではあるが、今までなら視界にも入らなかったレベルのブスとして生きていける自信がない。

こんな手術しなきゃよかった。美容整形をして唯一学んだことはこの世の中は容姿至上主義である特に女性は。そんな世界からこそ私は整形を重ねていたのにブスになるなんて笑えない。でも美容整形は辞められなかった。痛みや辛さ、高額な費用を工面してまでも美容整形を繰り返したのは一度味わうと忘れられないあのちやほやされること、男どもの私を見る視線、女どもの私を見る視線、圧倒的な万能感であった。

なんで城ヶ崎さんになりたかったのにお金を払ってはまじにならなくちゃいけないんだ。友達彼氏にも会えない。ブスってこんなに辛いのか、ブスは何を楽しみにして生きているんだ。

今日から私もブスの仲間入りですので先輩方教えて下さい。長所マスクさえつければ美人です。若輩者ですが宜しくお願いします。

最後

美人な方や美容整形を今後検討されている方、美容整形がやめられない方はどんどん身を粉にしてお金をかけて美容整形して下さいね。いつか取り返しのつかないことになりますから。私は自分よりブスが増えること、私と同じ悲劇が繰り返されることを祈っています

2017-04-06

オープンワールド苦手だったけど、ゼルダ大丈夫だった理由

なんというかこれまでオープンワールドって世界のどこにでも行けるよ!!とかキャラになりきって何でも出来るよ!!みたいな売りがあったじゃない。

正直世界のどこにでも行けたところでどうでもいいサブクエストだの、綺麗な景色だのは別にどうでもいいというか、そもそも移動が面倒。


それがゼルダでは移動がちょっと楽なのと、移動したことによる意味があるってことなんだよね。あと適当に動いてても楽しいってのはでかい。なんで楽しいのか分からんが。


ゼルダワープできるのは当たり前として、上に登ることでどこに行こうか自分で決めてマップにチェックできて、上からハングライダーみたいので飛べば移動が楽で(まあだるくない場所が少なかった程度だけど)、

あと重要なのが色々世界をぐるぐるしてると成長したり、良いアイテム手に入ったり、コログだっけが見つかったり、意味があるってことなんだよね。他よりも意味を持たせたというか。

壁を登れる、崖を登れるって言われてるけど、高いところに登ることにたくさん意味を持たせたのがでかい。アサクリじゃマップ鮮明にして終わりやけんな。


オープンワールドで一番たるいのは移動が面倒なんだよね。アサクリ2、ブラザー、4、シンジと楽しんだしクリアもしたんだけど、圧倒的に移動が面倒。ワープが出来ると言ってもなー。馬も遅いし。

塔を上るのは楽しいんだけどね。あと2が一番いいねヴェネチアフィレンツェが一番よかった。パリローマも歩いててそこまでって感じ。4の島は論外。

メタルギアも正直移動がきつかった。背景変わらないし。面白かったっちゃあ面白かったけどね。敵兵にチェックつけないで麻酔だけでの戦闘で、夜オンリーとかでやるとマジ楽しかった。


からオブリビオンとかも楽しめなかったなあ。何すればいいねんって一番感じた。なんか色々ありすぎて疲れる。

ラスアスとかアンチャみたいにストーリーかっちりの、どこでも行けますが売りじゃないのが好きだった。アンチャは全部やって全部よかった。2が至高。CODMW4は良かったね、他より何故か3D酔いひどかったけど。

フォールアウトとかバイオショックとかウィッチャーはまだやってないかノーコメントゼルダやったらやるかな、そのまえにホライゾンか。ゼノブレイド面白いが移動があほかと思った。バイクとか車とかないんかい


ウォッチドッグはあれは移動面倒というか、警察から逃げるのが面倒だったね。しつこい。こっちがロケランでもぶっぱなせるならまだしも。

2017-03-27

http://anond.hatelabo.jp/20170327173738

麻酔打つ病院もあるよ。

切ってる時は痛くないけど、縫う時が痛いし、術後も痛い。

その後、トイレの大きい方をする時、力むと裂けるんじゃないか?!と思ったけど大丈夫だったよ。

産後1ヶ月くらい経って切開した場所触ると、繋がってるけど継ぎ目みたいなのがあって不思議な感じ。

会陰切開

出産体験記を読んでいて一番怖い。

怖いけど知りたくてついつい調べてしまうんだけど、麻酔なしで切ったり縫ったり抜糸したりするらしい。

ないはずのタマがヒュンとして思わず股間を抑えるのであった……

それでも陣痛の方が痛くて気にならなかったという人も多くて、出産はかくも大変なものなのだなあ。

子供はいつか欲しいけど出産は怖いなあ。

カフェイン中毒

麻酔明けに頭が痛くなる現象があって、それはカフェイン中毒が原因ではないかって説をみたことがある。

いつもカフェインをとってる人が、麻酔で長時間寝てカフェインをとってないから、麻酔明けに頭痛がするのではないかと。

それで昨日、頭痛がして、上の説を思い出した。休日に頭が痛くなることがあるのはカフェイン中毒でないかと。

平日はコーヒーを何杯も飲むけど、休日は一日ゴロゴロしてコーヒーの飲む量が明らかに少ないから。

ためしに濃いコーヒーを飲んでみた。

だけど頭痛改善されなかった。

カフェイン説は違うようだという結論になった。

それだけ。

2017-03-24

ワキガ手術をした

ワキガ自覚症状があったので手術をした。記録がてらに。男。

ワキガ歴は15年くらいになるだろうか。何もケアしないとかなり匂うのが自分でも分かる。

からそれなりにデオドラント用品を試してみたが、どれも汗をかいたりして匂いが出てしまうという状況の時には効かなかった。

しかしなぜかひとつだけ体に合ったのか、Hミッテルという塗り薬?を3日以上塗り続けると汗をかいた状況でも無臭に近い状態でいられた。1~2日だけではほとんど効果が無く、3日以上続けないと効果が出なかった。

これはかなり自信があるが、自分ワキガな事に気づいてる友人知人はおそらくひとりもいない。

ワキガ友達には直接本人に言ってしま関係性の連中だったし遠慮されてる感じもない。それぐらいその塗り薬は効いていた。

なので夏は毎日塗るから無臭状態が続くが、冬などあまり汗をかく危険性が無い時はついサボってしまい、厚着して汗をかくと匂いが出る時があった。しか自分に合ったいい商品を見つけたが、ほぼ毎日塗らないといけないというのがネックだった。

このまま一生これを買い続ける費用と、塗り忘れた時の不安ワキガというコンプレックスを解消してしまおうとワキガ手術をする事にした。

方法を調べていたら剪除法(皮弁法)というのなら保険が効くらしく両脇で5万円ぐらいで済むことがわかった。

自分は両脇二回づつだったので結局10万弱ぐらいかかった。)

しか効果他の方法に比べて高い効果が得られるようなので一択だった。

次は病院選びだが、田舎から都会に引っ越してきたので選び放題だった。

人気がある病院だったのか、予約がかなり取りづらく手術は平日の昼間ぐらいしか空いていなかった。

手術までの流れは

・診断

・事前検査血液検査

・手術&固定

・経過観察&消毒(手術三日後)

・抜糸(手術一週間後)

・塗り薬などで手術跡のケア

というのを左右ずつやる。計二回。

範囲が広いと片側を二回に分けてやるので計四回。

・診断

ワキガかどうか匂い医者が直接嗅ぐ。問診など。

自分はここでアポクリン腺が広範囲にあるので片側二回、計四回に分けてやると言われた。

左 上部、右 上部、左 下部、右 下部 の順番。順番は選べる。

上部が特にアポクリン腺が多いとの事だったので、先に上部をやることにした。

四回に分けてやるというのは、かなりショックだった。

ワキガでワキ毛の範囲が人より広い人は可能性がある。

同じ場所は手術後に一年経ってないとできないので、全部終わるのに二年かかった。

・事前検査

血液検査をするだけ。

・手術&固定

手術は片方40分ぐらいかかった。日帰り。

最初麻酔をワキに打たれるのだが、これが妙に痛くて嫌だった。

毎回二本ぐらい打たれたのではないだろうか。

感覚はすぐに無くなり、メスで切開されているのがワキをつたってくる血で分かる。

血が苦手なのでこの感覚も毎度苦手だった。

その後は切った箇所から指を入れて皮膚を引っくり返してアポクリン腺を除去していくのだろうけど見えないのでよく分からない。麻酔が効いているので全く痛くない。

皮膚を引っ張られている時も、手の甲の拳骨あたりの皮膚をつねられているぐらいだ。

手術が終わるとかなりワキをかなり圧迫されながら固定された。

これをタイオーバーといって、皮膚と肉をくっつける為にやるらしい。

脇を開くことができないので、基本的衣服シャツジャケット前開きの服のみとなる。

Tシャツは着れない。伸びる素材で作られたタンクトップなどはギリ着れた。

パジャマTシャツスウェット場合事前に、いつもよりゆったりしたサイズの前開きの服を購入しておかないとツラい。

ユニクロ投げ売りされてるシャツを二枚買ってパジャマにした。

ワキを閉めっぱなしにしないといけないので、煩わしく日常生活に支障が出るが片側は普通に使えるのでそんなでもない。

入院しないかぎりは片側ずつじゃないとまず無理だろう。

シャワーも当日から入れて、脇を濡らさないようにすれば頭も洗える。

寝る時はバンドを体に巻いてワキが寝てる間に動かないように固定する。

痛み止めを毎回もらったが、初日麻酔が切れて痛みそうになる前に飲んでいたので術後に痛みを感じた事は四回の内一度も無い。

・経過観察&消毒(手術三日後)

経過観察は異常が無いか見てもらい、ガーゼを変えて固定をやり直してもらう。

ここではじめて術後のワキと対面できるが、ワキ周りが内出血してたりしてちょっとグロい。

固定をしっかりやらなかったり、動かしてしまうと圧迫してる箇所がシワになってしまうらしい。

最初は固定に神経質になっていたが、徐々に意識が薄れてかなり適当に過ごしていても運が良かったのかシワにはならなかった。飲酒は止められたかどうか忘れてしまったが、ほぼ毎日飲んでいた。

・抜糸(手術一週間後)

・塗り薬などで手術跡のケア

抜糸をしても数日は薬を塗りガーゼを当てて軽めに固定する。しかしほぼ固定のストレスは無い。

ワキの下部の方が皮膚がくっつきにくいらしく、一回だけ抜糸後の経過を見て右の下部の固定が延長(三日)された。

術後のワキの色を改善する為の飲み薬を処方されたりする。

・左右の手術を終えて

上部が特にアポクリン腺が多かった為左右の一回目をやった時点でかなりニオイは軽減された。

左脇は一年通して何のケアもしなくても無臭だった。

ワキ毛はなくなった。術後一年経っている上部には、同じ穴から二本同時に太いのが生えていた毛は無くなった。

アポクリン腺再生について先生に聞いてみたのだが、多少あるらしいがほぼ気にならない程度の多少らしい。

術後の色素沈着に関しては男だからかそんなに気にならない。

ただワキ毛も無いので、あまり大っぴらにワキを見せる気にもならない。

手術をして本当に良かったと思う。

2017-03-16

http://anond.hatelabo.jp/20170316163228

ストレスっていうのは、

無意識レベルでの思考ループみたいなものだと思うのね。

意地悪な上司がいて、その対策を延々と脳の一部が考え続けている状態みたいなイメージ

そこには、怒りや恐怖、絶望感などの感情を伴うことすらあって、

意識的に考えないようにしても、無意識レベルでは思考が止まらずに、脳全体の活動負担を掛けてしまうのがストレス状態

これを解消するというのは、無意識レベルで続く不毛思考を止めるということ。

お酒で解消するのは、脳に麻酔をかけつつ、楽しいこと(食事、おしゃべり)に夢中にさせることで不毛思考を止める。

運動で解消するのは、脳の活動運動に集中させることで、不毛思考をしている余地を無くさせることで止める。

瞑想場合は、これが一番難しいのですが、自らの意思思考を止めてしまう。

これが出来れば、ストレスストレスとも感じない強靭生き方ができるけれど、まぁ、素人には無理でしょう。

そんな風に考えてる私が実践している方法は、妄想をとことん膨らませることで、

脳にほかのことを考えさせないようにすること。

ふぇぇ~心地よすぎて何も考えらないよぅぅ状態気持ちをもってゆけば、不毛思考は止められる。

2017-03-15

http://anond.hatelabo.jp/20170315192226

クロロホルム(別名:トリクロロメタン化学式:CHCl3

クロロホルム自体は実際には多少吸引しても気を失うことはなく、

せいぜい咳や吐き気、あるいは頭痛に襲われる程度である

クロロホルムには麻酔性があることは事実であるが、これを発現させるためには相当量を吸引させなければならない。

他方、過度の吸引は腎不全引き起こし、死に至らしめる可能性が高く、

麻酔として用いるためには吸引量と全身状態管理された状態に置かねばならない。

すなわち麻酔としてクロロホルムを用いるためには、かけられる側にも「麻酔される意志」が必要であるということである

2013年10月8日放映の『有吉弘行のダレトク!?』(フジテレビ)では、

慈恵医大麻酔科准教授が「クロロホルムを嗅いで一瞬で気絶することは絶対にない。

大量に染み込ませたハンカチなどを口に当ててゆっくり大きく何度も深呼吸をして

5分間くらい続けないと通常は気絶しない」と解説をもとに、

ドラマで使われてきたことはおかしいと断定した。

また、クロロホルムが肌に触れると、状況によっては爛れを発生させ、一生消えることのないキズをおわせることにもなりうる。




ホルマリンホルムアルデヒド(化学式:CH2O)の水溶液のこと。

人体へは、濃度によって粘膜への刺激性を中心とした急性毒性があり、

蒸気は呼吸器系、目、のどなどの炎症を引き起こす。

皮膚や目などが水溶液に接触した場合は、激しい刺激を受け、炎症を生ずる。

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