はてなキーワード: 立憲君主制とは
アメリカでは共和党・民主党の二大政党がある。それぞれの政党の実態はともかくとして、その名前はアメリカという国の支配体系(共和制)と政治体系(民主制)を表している。日本には『共和』の付く政党は存在しないし過去にも例を見ない。一方で、『民主』と付く政党は今現在だけでも4つもある(自由民主党・立憲民主党・国民民主党・社会民主党)。なぜ日本には『共和』という名の付く政党が生まれなかったのだろうか?『民主』と比べて『共和』という言葉はそんなに印象が悪いのだろうか?
日本は立憲君主制なので共和制ではないという説がある。それならば、『共和』と名の付く政党が生まれなかった理由に合点がいく。しかし、日本国憲法前文及び第一条において国民主権を定めていることを文字通り解釈すれば、日本が共和制であることは明らかだ。大日本帝国憲法時代の慣習を抜きにして、天皇を君主と見なすのは無理がある。それでも日本は立憲君主制であると主張する人でも、『立憲君主党』という名前の政党に良いイメージは持てないだろうし、それならまだ『共和党』という名前のほうがましと考えるだろう。
日本は共和制であるにも関わらず、主権が誰にあるのか(君主制か共和制か)を明言することが憚れる風潮が日本の国民主権の力を弱めているのではなかろうか?
今更ではあるが、おすすめエントリにあがっていたので、コメントしてみる。
増田の文から察するに、海外の経験があまりないのではないかと推察する。
世界にはいろんな国があって、立憲君主制の国(イギリスとかタイとか)、大統領権限の強い共和制の国(フランスとかアメリカとか)、首相権限の強い共和制の国(ドイツとかイタリアとか)、開放政策をとっている共産主義体制の国(中国とかベトナムとか)等々、バラエティに富んでいる。
それぞれの国で、歴史や戦争や革命を経て現状があるわけで、理想国家を目指して改革された国であっても理想通りにいる国はないといっていい。
耳ざわりのいいポリコレに浸るのも成長過程だと思うけど、ポリコレのコンテンツ一つ一つにも歴史やら戦争やら革命やら先人の滑った転んだやらがあって形成されたものだ。
天皇制についても、古よりの継承、近代における思想家の模索、明治維新、敗戦を経て、現在に至るわけです。
試しに戦前の天皇機関説あたりに関する物語なんかを読んでみたらいい。
面白いと感じてくれれば何よりだ。
ひとえに昭和天皇の意思表示の無さ、昭和天皇の求心力の無さにある。
昭和天皇は議会政治を過信して自らの意思表示を殆どしなかった。
皇帝の力は絶対的であることを前提として、皇帝自らが自らを律するための法律として作られている。
明治天皇はこのことを熟知していた。
それが故に明治天皇は強権的に振る舞い、積極的に政治に干渉し、強い皇帝としての威厳を保ち続けた。
大正デモクラシーは日帝憲法を無理矢理民主主義的に解釈しようとする運動である。
欽定憲法と民定憲法とではその根本において致命的な差異がある。
だがそれは出来なかった。
そればかりか大正デモクラシーは日本に致命的な問題を残していくことになったのだ。
大正デモクラシーの結果を受けた昭和天皇は明治天皇のような専制的な君主ではなく、
議会政治に根ざした共和的な政治を目指すようになってしまった。
その結果、民衆と君主の共通認識を背景に憲政の常道と呼ばれる擬似議会政治が成立することになった。
民衆と天皇の流れに取り残された日帝憲法は大きな問題を孕む事となった。
そのため議会、行政、立法、軍事、それぞれの権力は全て皇帝が直接掌握しなくてはいけない。
にもかかわらず、議会中心の政治体制を国民は支持し、天皇はそれに従った。
結果、議会、行政、立法、軍事、全ての権力をまとめることが出来る人間が居なくなり、統率が崩れ、第二次世界大戦へ突入していく事となったのだ。
昭和天皇の問題は最高権力者の地位にいながら民定憲法の制定を推進しなかった点、もしくは専制的に振る舞い権力を掌握しなかった点にある。
つまり、民主的にも専制的にもなれず半端な位置に立ってしまった昭和天皇に最大の責任があるといえる。
この原因は外的要因ではないと思う。
私はそう考える。
昭和天皇がもし民意を無視して専制的にふるまったとしてもクーデターが起こる確率が増えるだけだ。
しかし、実際には変えることが出来た。
https://anond.hatelabo.jp/20180529210858
アニメは見てない。軽くググったが、
ウマ娘って完全に人間の上位互換だよね。つまり前史において人類はウマ娘たちの【家畜】で、ウマ娘からの解放過程が人類史なんじゃない?
◇人類前史
○古代文明
農耕により人類もウマ娘も人口と生活環境が安定。ウマ娘の高い能力により、富がウマ娘側に蓄えられていく
ウマ娘、富の集積と その高い身体能力≒戦闘能力から王権を確立。
とはいえ、ウマ娘の性格は概して穏やかなため支配者というよりは共同体の合意に基づく代表者のような王だろう。
王族としてのウマ娘達と半家畜としての人類がセットになった複数の小共同体が移動しながら地球上に生活圏を広げていく。
ウマ娘を信仰する原始宗教発生。ウマ娘はエルフのようなモノらしいので、
神そのものというより、神に仕える神官のような立場になり、その立場を独占
この時代からの権威と憧憬が作中世界の現在でのアイドル(偶像)的活動の源流に。
○戦争
直接戦闘だけが戦争ではない。政治的外交的目的を達成する為の手段として戦争が行われる。
王族としてのウマ娘達の為に臣下の人類は戦う。(勿論、現実の人類史と同じように共依存的)
王族としてのウマ娘達は その高い身体能力を駆使し同共同体の人類と協力して戦略拠点を整備。
戦闘前には その走力を生かして敵対ウマ娘達と情報収集、威力偵察を含めた駆け引きを行う
直接戦闘は随伴する人類の役割。勝敗は人類の数も重要だが、事前のウマ娘達の活躍も勝敗の趨勢を決め得る。
ウマ娘は王族だし、その決定的移動能力戦闘能力は希少で変えが効かないため、直接戦闘には加わらざるを得ない時点で敗勢。
いきなり現代現実世界の航空戦+陸上戦のような戦争形態になると想像する
▽(面倒臭くなってきた…)後は、現実の歴史と同じように統合分裂を繰り返しながら徐々に国家が作られていく
その走力から情報伝達も支配するだろうから金融さえウマ娘が支配するだろう。
・
変化が起こり始めるのは遠洋航海技術の発展から、これにより人類は大量輸送,移動手段を獲得する
物資の独自大量輸送手段を獲得した人類は、必ずしも自国家の支配種であり共依存にあるウマ娘に頼る必要がなくなる
・
ここで、遂に火薬発明! 人類とウマ娘の戦力差が大きく縮まる。戦争におけるウマ娘の重要性が低くなり
人類主体の議会の力が強くなる。元々 ウマ娘達は穏やかな為、自国内の不和が広がるのを良しとせず
・
そうこうしている内に内燃機関発明! 遂に種としてのウマ娘の優位性は失われた…。
結果的に人類の支配種として振る舞わなければならなかったウマ娘達だが、
その生来の温和さもあり、歴史と共に人類への支配,管理は常に穏やかに変化し続けた歩みでもあった。
しかし、遂に人類はウマ娘の軛から解かれ、生物としては対等に、
太古からの憧れはレースと歌として楽しめる真(心)のパートナーになれたのだ!!!
・
・
・
▽最悪の敵。そう、他ならぬ人類同士の戦いという対価を支払い続ける事にはなるのだろうが……。
(アニメ見てないから分からんけど、エルフという比喩があったので、エルフと同等程度に希少な種族であるという前提で書いたわ。)
(疲れた…。)
それはとある掲示板に書かれた性的嗜好を読んだ際に何故それで興奮するのか?と考えてしまった事が起因にあたる。
それについては貴方の趣味じゃないんだから放って置いてくれと言われるだろうし、自分の性的嗜好を他人に何故興奮するのか?と聞かれたら困ってしまうだろう。
だけれども、興奮する人がいるからそれが商品になる。勿論そうなのだが、他人の萌えは自分の萎えの様に様々な嗜好があるのは間違いない。
昔からの持論の一つに「男女の性嗜好は何れ大きなジャンルに統合される」というのが私にはある。最終的に男女関係なく性的な情報を見聞きすれば興奮する様になるのでは?
今は女性の水着やヌードを提供している雑誌も最終的には男性のヌードや水着姿を提供する様になるのではないか、と云うのが根本的な発想である。
この個人が性的に興奮するというメカニズム。そしてインターネットが主流の世の中で性的興奮とはどういう進化をして行くのかとても興味深い。
これは私個人の考えであり、この場を借りて健忘禄として記載していく。
これはとても簡単だ、男性の場合は映像や音声等の刺激で興奮するし、女性もソレを見ている自分。というシチュエーションで興奮する様に出来ている。
性的に興奮する。というのも実は単純なメカニズムで、子作りの準備を体が行うと云う物ではある。
人間はDNAを残そうとするのは本能だし、何せ性行為は気持ち良い様になっている。
だが、それはあくまでも自分の行為だし、自分の子供。自分のDNAを残そうと云う行為であるのに、他人のセックスを見るだけでも体が準備を行うのはどういった理由なのだろう。
仮説としては視覚的情報で性的に興奮しているだけであると云う物ではあるが、それは何となくではあるが理解している。
私個人が知りたいのは何故、視覚情報で興奮するのか。そのメカニズムである。
視覚的情報が如何に刺激的であろうとも生き物の本能として性的に興奮するのはまったくお門違いである。それは他人同士のDNAを残す行為であって自分とは関係ない。
しかし興奮するのは自分がその他人の性行為に運よく参加し、性行為を行う事で自分のDNAを残すチャンスがあるのではないか、という本能的な興奮ではないだろうか。
勿論、AVやモニタの向こうで行われる行為は煽情的で見る人間の性的興奮を呼応させる物ではあるが、それに参加する事が出来ないのは一般的な思考を持つ人間であれば分かっている事だ。それは行為の記録であり、今其処に参加する事は出来ない。
だが、人間には想像力がある。記録ではあるがその男女(時には同性の物)の行為を見る事で、どちらに感情移入するかは別として。自分がその記録媒体では無く、今見ている物、つまりあの性行為をしていると想像出来るのだ。
その結果として精神的に興奮し、心に引っ張られる形で体の準備が出来上がる。つまり体は誤認識している訳ではないだろうか。
2.性的嗜好の種類。
性的嗜好には各個人で星の数ほど興奮する要素が違っている。勿論、男女でも違うし世代的な隔たりがあるのではないかと考えている。
ジェネレーションギャップと云う言葉があるが、男性の性的嗜好は比較的似通っている。若くて胸の大きな、肉感的な女性。と云うのが大枠の好みでは無いだろうか。
これは最前記載した様に本能的にDNAを残せる、つまり妊娠可能な女性を指す物ではある。では皆が若い肉感的な女性が好みなのだろうか?
とある作品のセリフに「小さい胸は貴重なのよっ、ステータスなのよっ!?」または「貧乳はステータスだ!希少価値だ!」と言った時の主旨は違うがスレンダーな女性が良いといった意見もある。
他には変化球的ではあるが、男性だが女性の恰好、つまり女装している男の娘でないと興奮しない、ないしは可愛ければ何でも良い。という嗜好もある。
女装ではなく男装の麗人、つまり美人である必要はあるが男性の恰好をしている女性や軍服、メイド姿、女子校生、ビジネススーツ等々。恐らく嗜好というのは数え上げればキリがない上に記載して趣向が混合している事で性的に興奮すると云った意見もある。
つまりラベリングだけでは無理なのだ、飽和状態にある性的嗜好を調べるのには何通りものパターンを周到しなくては認識すら危うい。
女性的な性的嗜好はどちらかと言うとシチュエーションに凝った物となる。つまり視覚情報も重要だが「どうしてそうなった」と云った起承転結がもっとも重要な要因となっており、感情移入の手助けとなる物語自体が嗜好となって之も複雑怪奇な様相になっている。
まず男女物。これは男性の性的嗜好と同じ様に様々なシチュエーションはある物の、最前記載した通りそのシチュエーションが重要であり、視覚的な情報としての性的な描写はさっぱりした物から体液を滴らせた煽情的な内容も様々である。
次に、男性の同性愛に至っては法の様に決め事がきっちりしており、男性のカップリング(CPと以下記載)受け、攻めのパターン(同CPでなくてはならない、同CPでも攻め受けが逆、CPはどうでも良いがどちらかのキャラクターは固定、AとBが居るならAとC、AとDといった具合、要はAが受け(攻め)である)だけでも無数にあり、夫々の趣味、嗜好で住み分けが行われている。
つまり女性の性的嗜好とは動機付けであって視覚情報もそのシチュエーションに沿った物となり易い。
これは女性が共感度が高い事に起因するものではないかと考えるが、実際は男性にもこのシチュエーションが重要と云う人物も少なくはない。
勿論、男女共これに人外(人の姿をしていないもの、獣やファンタジーな怪物、多足多手、無足無手、そもそも形が無い)や年齢差、立場(異星人、貴族、中世ヨーロッパをモチーフにしたファンタジーの登場人物、立憲君主制の王族。富豪、奴隷、使用人)の違い。等も性的嗜好として存在するし、先だって男性の性的嗜好には年齢差が少ないとしたが、男女とも年齢差によって趣味嗜好が変化しており、この度合いを探るのも重要なファクターと成り得る。
之をラベリングするだけでも楽しい作業なのだが、今回は実際資料等を使わずにあくまでも私個人の思った事を記載していくにとどめる。
立憲君主制存続問題でもわかったように、日本ってもう一政府構造を維持するのは困難になっているんだと思う。それが政治の面で発生しているのが天皇制廃止運動だ。国際化を通じて学術は欧米に、文化は韓国に、経済は中華に吸収されるだけだ。では没落を防ぐ方法はなにがあるか。
それは連邦国化させることではないか。つまり日本を2つの「国」にするのである。仮にもし立憲君主国が日本の大半を占める日本共和国から切り離されたとしても、イタリア的な分離なので、けっして無理があるスケールではない。
韓国と台湾が日本より将来性があるのは、共和制と言う最先端の政治システムがあり、なおかつ経済的な発展もあって、日本を抜かす可能性があるからだ。もし日本が韓国や台湾と連邦的な同盟を結べばかなりの活気にある。
私の先祖のひとつは韓国だが、その子どもの頃から既に韓国には発展の余地があり、西側諸国的な社会があったという。なぜ韓国が今日までに輝いているのかと言うと、それは韓国が大統領制だったからだ。
朝鮮半島や台湾がもしいまだに日本領であれば、朝鮮や台湾の発展は現実通りになれないどころか、日本を越える規模にもならず、東南アジアレベルが限界だったと思う。その代り、北朝鮮は低迷しなかったかもしれないが…
もし日本が最初から2つの国からなる連邦国だったらば、「立憲君主制の存在する政府」はイタリアのバチカンのようになっただろう。人口も面積も大幅に減るかもしれないが、それでも社会の安定はそこそこので、状況はイタリアよりマシになったはずだ。
そして共和制の日本の中心は、福岡や大阪ではなく東京のままである。連邦制にすることにより、それぞれが面倒ごとに悩まされずに成長できるので、日本社会の民主主義も韓国や台湾並みになれたかもしれないぞ。
連邦制や地方分権を受け入れることが、全体を豊かにして、分散型の繁栄を遂げることができるというもの。今の日本は国そのものが急速に没落していて、都市の疲弊の原因にもなっている。
日本を2つの国からなる連邦国化して、ひとつを共和制にする。そして立憲君主制度は都市国家に引き継ぐ。マレーシアとシンガポールの分離の逆バージョンのように一島内に別の社会を成り立たせるようにした方が、日本社会の再建の面でも、天皇制の持続可能性においても重要だと思う。
そしてどうしても天皇制を日本に維持したいなら、その都市国家を飛び地的に設置すればいいだろう。国境はバチカンとイタリアのそれみたいにしたらいい。アジアって土着の文化を近代化したりしているから、「精神的な近代化」に慣れてるだろ?その方が良い。
日本は精神主義だから精神が変われば社会が変わる。その土地の世の中の構造、人間の考え方や常識・文化などが変わる。台湾と中国と朝鮮の違いは誰もが知ることで、香港だってシンセンとの違いは大きいのだが、なぜか日本はその存在そのものが脚光を浴びることがないので、別世界であるという点まで注目されない。
日本が立憲君主制をいっそ辞めたほうがいいのも、それと同じこと。大日本帝国時代から続く当時の社会統治システムの残滓でしかない。イギリスやオランダと同じ政治環境は東アジアで一番アメリカ化の進んだ日本には絶対に通用しないし現に成り立ってない。違う世界なんだからしょうがない。現代化こそ必要。
立憲って、新憲法作るのか■枝野氏新党は「立憲民主党」 | 2017/10/2(月) - Yahoo!ニュース https://t.co/jZmkXVU2Ui @YahooNewsTopics— 渡邉哲也 (@daitojimari) 2017年10月2日
日本の天地は複雑怪奇なる新情勢に突入し遂に立憲民主党が結成されたわけなのだが、上記のような呟きを意外と見かける気がする。
私としてはちょっとしたカルチャーショックだったんだけど確かに辞書を調べると「憲法制定」の意味しか載っていない。
それだけでなく「かつては憲法制定を目指して「立憲」を政党名につけたのであって改憲政党[*1]でないとおかしい」という呟きもあり…。
恐らく立憲改進党(と立憲帝政党)を念頭に置いての意見だと思うのだけど、明治憲法下で結成された立憲政友会や立憲民政党も忘れてはならないだろう。
立憲政友会・立憲民政党は憲政の常道を主導する二大政党だったのだから、両党が改憲政党なら明治憲法が不磨の大典だったとする言説は大嘘ということになってしまう。
結局、ここでいう「立憲」とは「憲法に立脚する」(≒立憲主義)くらいの意味だと取るのが普通なのではないか。
実際戦前でも立憲という言葉は立憲主義に近い意味で使われていた。
例えば寺内正毅首相はビリケン宰相と揶揄されたが、その風貌だけではなく「非立憲」にもかけられていた[*2]わけだ。
違憲とは言えないでも超然内閣は非立憲的、つまり憲法の趣旨に則っていないという批判だろう。
現在でも、立憲君主政や立憲民主政、立憲政治など「立憲」だけでほぼ立憲主義的という意味で使われる用語もある。
そもそも会見からして、立憲民主党は立憲民主主義から取ったのだろうと推測できる。
何にせよ立憲=憲法制定という一義しかないという前提は過去・現在の用法を見ても違和感を覚える。
余談
とある物理学の先生が党の英名について立憲はRickenなのかなみたいなことおっしゃってたけど、
立憲主義がconstitutionalismなのを考えれば立憲がconstitutionalなのは予想できたんじゃなかろうか。
constitutionalismって直訳すれば憲法主義[*4]だから立憲に結びつかないのも分かる気はしないでもないけど。
まあさすがにRickenはそういうギャグなんだろうけどね。
余談2
立憲って「明治かよ!」って突っ込みを聞くけど立憲民政党はギリギリ昭和に結成なので…。
まあ維新って聞いても「明治かよ!」ってならないし平気だろう(てきとう)。
余談3(10/3 22:30 追記)
「何故今になって立憲なのか」という疑問は分からなくないけど民主主義の国で民主党を名乗るのは「何故今になって」とは聞かれないよね。
それにかつて佐々木先生が語った(後述[*2]参照)ように違憲と非立憲は違う。
そして合憲であることは易くとも立憲的であることは存外難しいだろうし、名乗った以上立憲的に振舞わねば強い非難を浴びるだろう。
まあ安倍首相を念頭に置いた命名なのではないかとは思わないでもないけれども、名乗る以上はその重みを噛み締めてほしいところです。
[*1]
※以下 10/3 22:00 追記
もちろん立憲主義は必ずしも護憲を意味しない。大事なことなので2回書いた。
ただ憲法改正限界説に立てば現在の憲法価値の中核に反する改憲、例えば国民主権を君主主権にするような改憲はできない。
96条改正もこのあたりで色々議論があるんだけど、結局何を「中核」とするかはやっぱり細かい部分で意見が分かれるんだよね。
どちらにせよそこに注目すると立憲主義が”ある条件”下では護憲的に働くように見えるかもしれない。
まあそれを立憲主義と表現するのが正しいのかも自分の知識ではよく分からないのだが…。
正直限界説についてはよく分からないから各々で調べてもらえるとありがたい。
※以下 10/4 18:00 追記
はてブでご指摘がある通り護憲が改憲の対義語でない用法もありました(第一次護憲運動・第二次護憲運動等)。
[*2]
このあたり立憲デモクラシーの会で話題になっておりメディアにも「非立憲」という言葉が載ったこともあったのだが思ったよりも知られていないのかもしれない。
そういえば立憲デモクラシーの会が設立した時にも改憲集団でないならその命名はおかしいという意見はあったのだろうか?
ちなみに非立憲絡みで言えば昨年には佐々木惣一先生が大正時代に出した著書「立憲非立憲」が文庫化している。
曰く「政治は固より憲法に違反してはならぬ。而も憲法に違反しないのみを以て直に立憲だとは云えない。違憲では無いけれども而も非立憲だとすべき場合がある。立憲的政治家たらんとする者は、実に此の点を注意せねばならぬ」。
ここでいう「立憲」も明らかに「憲法制定」を意味しないし今でも通用しそうな警句ですね。
[*3]
確かに立憲君主制という言葉に比べると立憲民主主義って聞かないけどね。かつては教科書にも載ってなかったし。
もしかしたら立憲民主主義という言葉が盛んだったのは芦部信喜先生や奥平康弘先生あたりの時代で最近だとあまり強調されないのかもしれない。
このあたりは立憲主義と民主主義が緊張関係にある側面が指摘されるようになったからなんだろうか。
ちなみに緊張関係で言えば、自由主義と民主主義も、自由と平等も緊張関係にあるとも言えるので立憲民主主義という言葉が特別おかしいわけではない。
[*4]
https://anond.hatelabo.jp/20170715102110
↑1「連邦議会・党試案」
党員数が多い順に掲載・1~10ランク付け。10は1万人以上。
①同胞団
連邦レベルでは、保守共和党のリベラル派や緑の協同体と連携している。
地方にまず合法的な事実上の解放区を作る方針も持つ。郡部では半ば成功している。
都市では労組の組織化、企業組合の設立と地方では共同体の建設も行う。
へき地など、経済的に貧しい地域では保守層にも浸透を図っている。8)
③公民ファーストの党
(→行政、議会改革と福祉国家の建設など穏健な政策を並べているが
連邦レベルでは、保守共和党や民主中道同盟に所属する一部の連邦議員を非公式に支援している。7)
(→特定の地方州に基盤を持つ小政党、農民や漁民など「生産者」のための政党。
地方議会や公益農業、漁業法人、福祉法人、土地改良区などの議員、役員にメンバーを送り込む。
農本主義の政党。緑風共生党や緑風社稷党とは共栄関係にある。6)
⑥新○○連合
直接行動をしつつも「合法部門」が一部の州や郡部の議会に議席を持つ。6)
⑦自由改革連絡会(リバタリアン党・急進減税改革党・表現の自由党)
(→3党はそれぞれ自由改新党から急進主義を理由に分離したグループ。
平和裏に分離したため、除名されたわけではない。
今でも非公式のつながりはあるため、改新党の「別働隊」という見方もある。
都市部に支持者が多い。連邦議員はいないものの、若干の地方議員がいる。
⑧生存のための共闘
行政や半公的組織が設立した「差別に関する諮問組織」には若干の役員を送っている。
街頭や職場の労組での直接行動を得意とする。都市部に支持者が多い。
国境線の廃止と政府の解体を呼びかけており、世界革命を志向する。
労組の組織率はかなり高く、ストライキなどの中核を担う場面も多い。5)
10.女性の権利党
行政や半公的組織が設立した「性差に関する諮問組織」には若干の役員を送っている。社民党の一部政治家を支持している。5)
時に直接行動(街頭活動や対象企業への直接抗議)をモットーとする。
12.スポーツ新党
(→スポーツの普及のために結成。健康志向。地方議員が若干いる。
13.連邦進歩同盟
国政から遥か昔に議席を失っている。
余り独自の動きを取らず、事実上の中道系の地方議員の交流会となっている。
国政では民主中道同盟に協力。
(→連邦建国功労者、宗教の権威に「王位」や「爵位」を授与するべく活動する団体。
ただし、当の当事者の多くは君主制には興味がないため、活動は一部にとどまる。3)
世界中を「連邦」の枠組みに取り込み、「世界新秩序」の確立を目指す。
現状の社会をスターリズムと規定しており、それに反対している。
自らを「前衛政治集団」と規定しており、街頭活動を盛んに行う。3)
16.自由労教会(連邦シェアスぺース連絡会議・隠者当事者連合
・労働時間短縮会議・最低所得保障を求める市民の会・教育制度を考える会)
(→自由主義者、福祉国家を求める者、宗教リベラルのグループ。
自由な働き方、学び方を求める。最低所得保障や多文化共生も求めている。
17.セックス新党
(性風俗業界に勤める人たちの団体。性風俗業界の正しい認知の拡大や雇用環境向上を掲げる。雑民の党とは友党関係にある。3)
①理性会議
そのたび毎に活動している。2)
②愛酒・愛煙家同盟
(→いわゆる「民酒主義」を掲げる。
夜の社交場こそが民主主義の原点という信念も持つ。2)
(→右派、直接行動主義。
右派各党から金銭的援助を受けて
④自然大麻党
都市中心の街頭活動から山間部、離島でコミューンを作る方向にシフトし始めた。
郡部の議会に隠れた支持者を送り込んでいる。2)
⑤快楽至上党(正式名:ポゴ無政府主義者と耽美主義者のための政党)
(→反議会制民主主義、反資本主義、脱労働、耽美主義を掲げる。
支持層はサブカル層やアーティスト、ニヒリストが多い。都市部が拠点。2)
⑥憂国無境輪
⑦禁欲党
(→禁欲主義を掲げる。
アルコールやタバコの販売停止は勿論、ポルノ雑誌や性風俗の禁止を求めている。
宗教右派系の影響を受けている。1)
(→自身の意識をインターネットに移植して、実質的な不老不死を可能とする
ことを求めている党。1)
主張としては…
「開星」して「銀河連邦」へ加入すべきと訴える。
オカルト雑誌の発行や示威行為、選挙活動でマス・メディアへの露出を図る。1)
10.反文明党
(→現状の世界は文明発展を急ぎすぎ、このまま行くと世界破滅が起きると信じる集団。
文明を退化させ、人口を減らして、人は自然に還るべきと主張する。1)
。
明らかに不勉強なのに国民大多数が無関心なのをいいことに事実を顧みない主張を続けている。
仮に押し付けられたから変えるという発想も幼稚だし。そういう自覚がないのかな。
それともそういう無知を利用したプロパガンダ戦略なのか。洗脳かよ。
自民党と安倍総理の言う、憲法96条改正の主張もおかしい。 3分の2以上の賛成があれば国民投票を開けるというのは「ハードルが高すぎ」てダメだと言っている。それは国会議員の言っていいセリフじゃない。
立憲君主制に反するからだ。(自分が立憲君主制について受け入れているからだけど、これを受け入れられない人って多いのかな? どうなんだろう。)
安倍総理は「国民の過半数が改正したいと思ているのに、国会議員の三分の一が反対しただけで改正できないのはおかしい」などと発言したらしい。
有権者の30%以下の投票で与党になってる所が言いそうな事ではある(もちろん皮肉)
それにしても論理の飛躍が過ぎるとは思いませんか? <論理的思考が極端にできない人に改憲とか政治とか任せていいと思ってるの? それは大きな損失ですよ。 いろんな機会を失ってますよ。>
現行の政治制度を理解しているのか、だって国会議員を選ぶのは国民であるから、その議員を通じて民意は反映される。
国会議員の三分の二が憲法改正すべきだとなる状況は普通に考えられるでしょう。
今において憲法改正について多数の賛成が得られないのは、それが最優先事項ではないという事と理解できないのだろうか。
どうしても自分の我を通そうとするような、他人を顧みることができない、我儘な子供のやるような議論。
与党は大きな権力を持つ。人がある条件下で簡単に暴走する事は有名。だからこそ、与党になった後は増長しないように気を付けてほしい。
誠実な議論をしてほしい。
本当に不勉強なだけなのか、確信犯なのか。自分さえよければという人に人の上に立ってほしくない。
また、人が暴走することを自覚している人そういう人がいいと思う。
稲田さんとか極右団体でアジテーションしたり、芸人程度なら、普通に面白い人で良かったんだけど、国政にあげちゃだめだろ、我々国民の選択ってなんなのもうヤダこんな国、草生える。
まず国民が分断されまくっていて自公も僅差でしか野党に勝てない。
だから世論調査でも、例えば戦争挑発問題だけとっても意見が分かれる。
1980年代以前生まれの世代だけで、右翼支持者の大半を占めてしまう。経済成長・バブル期に子供・青春時代を過ごした中高年が十分な政治思想教育を受けていない。
確かにゆとり世代以降の若者や富裕層系の高学歴層に左翼層がいるみたいだが、 それも日本社会の陳腐化と老朽化する日本からの人口の流出(少子化ではない)で、これから日本国全体が更に凋落するだろう。
そもそも日本全体を見渡した時、日本でなければならないものがない。あの立憲君主制もイギリスの真似。
強いて挙げれば天皇制なんだろうが、それとて国民が惰性的に支持しているに過ぎず、保守政権で反対者が少ないだけで、国民が問題点に気づいて怒れば流れは一気に共和制に転落する。
また民間などでは質の高い社会システムを維持できないのも事実。使いづらさを嫌った国民が公的機関に泣きつき、負債だけが積み上がる現実。
日本の風景はアジアのラストベルトに、日本の政治はトランプ政権になるだろう。10年後、15年後、いや、天皇制崩壊や外国人系首相誕生の兆しから地獄が目に見えている。
昔の道路の写真や警察の資料を見ると、気付くことがある。免許を持つ若者が少ないということだ。徒歩が多くいたほか、自転車を使う人がかなりいたし、駐車場や駐輪場はコンパクトだ。今の日本のように、公共交通かマイカーかオートバイかの構造はない。寛容性があるから、選択肢も多かったのだ。
また、今では考えられない程に車やバイクを持つ若者も多かったが、たとえばそれで通学する者はいなかった。もし今のような非寛容主義の論理を昭和に当てはめれば、都市部の一部を除いて学校の駐輪場が学生の乗り物ばかりになっていなければおかしい。しかし当時の若者は空気を読むことの前に普遍的な価値があることをわかっていた。
今の自転車乗りが四六時中ずっと子供か貧乏人だらけで、理由が「持つものにふさわしくないから」というのは、そもそも気がくるっている。若者向け二輪車の数が減ってるにもかかわらずユーザー数が2012年以降突然増えたのも、今時の風潮の影響だからだろうが、そもそもその前に普遍的な倫理や常識や文化の価値に立ち返るべきだ。
たとえば1990年代~2000年代がそうであったように、バイク所持そのものを止めさせるのもいい。道路交通の数を減らし、当然公共交通への負担は増えるわけだが、今はバスがあるので誰も困らない。
そして、大人の交通も、例えば自転車は制限されても誰も困らない。どうせ今の大人は貧しい人や自転車すきでもない限り自転車やロードバイクなんてみっともないから乗らないんだし。自転車は全部若者に渡したほうがいいし、実際アジアの自転車乗りの大人は一部地域を除いて少ない。欧米は危ういけど。
平民ないし持つ層も、公共交通の混雑や車内での外国語の多さに辟易する暇があったら、そんな風習を改め、自転車やオートバイやマイカーで移動した方がいい。
鉄道交通業界も商売根性の件のようなことがあるくらいなら、鉄道の既得権を守ることは無謀で限界なので諦めるべきで、公共性ありきに回帰することでゆるやかに最適化していくほうがいい。そうして他の公共交通などでカバーしつつインフラへの負荷を緩やかに減らそうよ。
2011年に原発業界と同時に鉄道公共交通ビジネスは突然死した。福島の原発が地震や津波や爆発で死んだら、日本各地の原発が止まり、原発だけでなく、鉄道みたいな電気に依存する交通インフラのバブルも一端全て終わった。2012年に「所謂暴走族がほぼ撲滅状態になった」という建前の元にバイク3ない運動が事実上死んだ。いまはJR九州のあの列車の成功でバブルが復活し、一部の原発も運転再開したが、多分この状況も決して安泰ではないだろうと思う。
今度、突然死が起きるとしたら、それだけの話ではなく、社会が、文化が、そしてそれらすべてを束ねる現代の文明が倒れるリスクがある。というか、日本の右派と立憲君主制度が倒れれば連鎖的にその庇護にある日本の伝統的社会が一気に終わる。これは本当に怖いことなので、「終活」と「進化」を始めてほしい。