はてなキーワード: 珊瑚礁とは
沖縄の海が碧の理由は珊瑚礁そのものじゃなくてそれらが風化して砕けた石灰質の白い堆積物のせいだから、
陸の黒砂が大量に流れ出してくるような大きな川があるわけでなし、近年の環境破壊で多少珊瑚が死んだぐらいではすぐに色は変わらん気がするが……
海が良かったし楽しかったけど色々…なところもあったので備忘録する
●とにかくどこに行くにも車だと渋滞がすごい
ただですら人が多くて混んでるらしいところに観光客来すぎてオーバーツーリズムやばい
●観光客狙いの店は都内と変わらないような価格の店も多い、ホテルで食うのがクオリティ高くて良かった
今の時期は閑散期だが、あれだけ人が多くて見れないみたいなのがあるって驚き。
●国際通り裏の市場通りみたいなのがかなり観光客目当ての店に入れ替わっててびっくりした
総じて沖縄自体はいいところだし、また行きたいけど、閑散期と言われる今の時期でこれだけ混んでるって夏とか行くとただの地獄じゃね?って印象
何を根拠に日本海が太平洋より濁っているのかが、わからん。透明度は日本海側の方が高い。
海水温は日本海よりも太平洋の方が高いので、プランクトンの量は多くて透視度は低い。
普通の日本人が思い浮かべる日本海沿岸の海水と、珊瑚礁のある南太平洋辺りの海水を比べて言ってるなら。
海の栄養塩類の供給は、陸から流れ込む分と、深海に沈んだ海の生物の遺骸の分解したものから。
深海の海水は冷たく重いため高緯度地方の表層海水も冷たい処から湧き上がってくる。そのため高緯度から流れてくる冷たい海流=寒流の方が栄養塩類が多く植物プランクトンが多くそれを食べる動物プランクトンや魚も多い。
太平洋側の日本近海なら、少し緑に濁っているけれど栄養があって魚を養っている海流を親潮と呼んでる。
低緯度地方から流れてくる暖流は元々栄養塩類の少ない海域からくるのでプランクトンが少なく透明度が高い。
夏が来れば思い出す~
ヘイヘイヘイ!!!
ヘイヘイ!!!
そう夏が来ればと言えば、
冷たい麺よろしく、
私が好きでよく行く意識の高くない麺屋さんあるんだけど、
駅中のうどんとかお蕎麦とかのああいう類いのようは立ち食い蕎麦系ね。
立ち食い系。
そこの夏の新メニューが券売機から50メートル離れたところからでも登場したことが分かるぐらい私は待ちに待っていたの。
そんな50メートル先から夏の新メニュー新登場したのが一瞬で分かるとか嘘と思うでしょ?
嘘です。
いや本当なのよ。
半分は本当ね。
ああ~私の小岩!
もしかして夏の新メニュー登場!って私の冴えまくった勘は当たりまくりまくりすてぃーだったのよ。
私もう今シーズン2回も食べちゃったわ。
そんでこないだ食べていたときに、
私が店内に滞在していた際にも他のお客さんが256人ぐらい魚介出汁蔵出し醤油つけ麺を注文していたから、
昨年のざるラーメンって頭の悪い、
だけどシンプルに麺のストレートの美味さを楽しめる縮れ麺だったんだけど、
私は好きだったんだけどあんまり発注はされていなかった感じかな?
でも今回のこの夏の新登場の
私もひいきにしているお店が繁盛して嬉しいわ。
気軽に食べやすいしそこそこリーズナブルだしとても気に入っているわ。
夏ヤッター!って感じ!
でも切ないことに美味しいから麺が気が付いたら無くなっちゃうところが切ないわ。
夏の切なさと同じぐらい金鳥の夏でもあるわよね。
あーでも、
こうやってお手軽立ち食い蕎麦系のつけ麺を食べて美味しさを知ってしまうと
ちょっと意識の高いつけ麺屋の高菜食べてしまわれたんですか?って怒られるドMではないけれど、
夏美味しいそう言うつけ麺屋さんにもチャレンジしてみたいと頃よね。
どちらにしても共通点は
気付いたら全部食べてしまってあっと言う間に無くなっている切なさってところかしら。
麺に全集中して、
飛んでくる矢も掴んで取れる様なぐらいの一蘭の味集中システムを稼働させるべく、
ちょっと離れたところに行列の出来る美味しいつけ麺屋さんがあるんだけど、
空いている時間を見計らって
この夏は大黒摩季さんのらーらーらららーらららーらーららーの曲名が分からないあの歌の節にあわせながら
箸でつけ麺を持ち上げたり下げたりして美味しくいただきたいわ。
よくさ、
そう言う表の箸が上下して動くラーメンディスプレイの箸が上下して麺を持ち上げるやつも
大黒摩季さんのあの曲名が分からないらーらーらららーらららーらーららーの節にあわせて上下したら
千客万来待ったなしよね!
間違いないわ。
でも、
翌々考えたらつけ麺ばかり夏中食べているとつけ麺過多になってしまうので、
適度に偏らないようにしなくてはいけない当たり前田のことを言っているの。
考えてみたら、
つけ麺食らってパワーつく!ってよりも
肉食らってパワーつく!って方がスタミナ的にはアップ要素がテンポアップで成し遂げられるし、
正直夏は手っ取り早く
肉食いたいわね!ってのも嘘ではないわ。
ここ一番って時のパワーのよりどころは肉よね!
しかも赤い肉よ!
赤い肉欲しさに今夜はマーケットにでも寄ろうかしら。
つけ麺もいいけど赤い肉よ!
今日はGACKTさんばりにスタミナやパワーについて考えてみたわ。
うふふ。
時間あったので駅前のお店で朝鮭定食焼けているのをいただいたわよ。
こういうの好きなのよね。
朝定巡りってのも好きだわ。
なかなかグッとくる朝定はそこそこないんだけど、
まあ朝定だしね。
デトックスォーターは
赤いドラゴンフルーツを珍しく売っていたのを見付けたので、
角切りにしたドラゴンフルーツとグレープフルーツは輪切りにしての
すごい赤い色だわ。
手真っ赤になるけどね。
喉渇いたときに
冷たーく冷やしたドラゴンフルーツを食べると美味しいわよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
とにかく、転生して人間になるのは嫌だ
ゴチャゴチャ人間関係とかやりたくない
猥雑な地上で生きたくない
美しい珊瑚礁でくらしたい
美しい珊瑚礁で頂点捕食者になりたい
ムチャクチャ最強で、やりたい放題の魚になりたい
やりたい放題の人間にはなりたくない
魚がいい
場所が美しい珊瑚礁で、俺が魚だったら、ひたすらに純粋な暴力を振りかざしたところで、虚しい感じも悲惨な感じもしない
太陽に照らされて、海の青に拡散されて、すべて漂白されるんじゃないかと思う
ただ珊瑚礁があって、水面が揺れていて、俺という魚が、泳いだり、他の魚を食い散らかしたりしていて、そこには善も悪もなくて、ただ、なんとなく美しい
そういうのがいい
予想以上に凄惨だった
いまのウイグル人みたいなことされてんな
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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Erromango, Dillon's Bay. July 8th 1858. John Williams, Missionary, killed 1840 by Thomas Bent.jpg
座標 南緯18度48分50秒 東経169度7分22秒
州 Flag of Tafea Province.svg タフェア州
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エロマンガ島(エロマンガとう; 英: Erromango)は、南太平洋、バヌアツのタフェア州最大の島。ニューヘブリディーズ諸島の一つ。「エロマンゴ島」、あるいは「イロマンゴ島」とも表記される。そのエロ漫画を連想させる名称から、日本では特に珍地名の一つとして紹介されることがある。
目次
1 地理
2 歴史
3 行政
4 交通
5 言語
6 脚注
7 参考文献
8 関連項目
島の中心部に標高 837 mの火山がある小島で、周囲は珊瑚礁に覆われている。面積 887 km2、人口は2016年の国勢調査では2,109人[1]。主要な産業は牧畜業・農業で、肉牛を飼う大きな牧場が広がっている。西側のディロン湾に好錨地を持つ[2]。かつては全体が密林に覆われ上質な白檀が取れたが、乱伐によって現在はほとんど森がなくなり、白檀も取れなくなった。
18世紀にはイギリスとフランスの旧共同統治領になっていたが、実質上は無政府状態に近かった。ポリネシア系の住民が大昔から住み着いており最盛期には10,000人に達していた。
1830年代から各国が宣教師を送り込み教化を試みたが、送られてから数年以内に原住民の人間狩りに遭って虐殺されて食べられるという事件が頻発していた。犠牲者の中にはロンドン宣教師協会のジョン・ウィリアムズも含まれていた[3]。
1840年代から、宣教師や白檀目当ての商人たちが持ち込んだ赤痢やはしかなどの伝染病が、島中に蔓延するようになり、人口の減少が始まる。商人たちによる住民の虐殺なども頻発するようになった。1860年代には白檀の大半が伐採され森林は荒れ果ててしまった。これ以降は奴隷狩りによる人身売買が島を訪れる商人たちの主目的になっていく。1884年にフランス人宣教師が人間狩りに遭い、殺されて食べられるという事件が起きると、フランス軍が上陸し報復を行った。しかし、イギリスとの領有権問題から、イギリス側の抗議を受けたため、フランス軍は村をひとつ焼き払っただけで撤退した。
1887年に共同海軍委員会を設立して島の治安維持に当たることになった。しかし、住民を保護する法律もなければ行政機関もなく、住民が白人に危害を加えたときに報復するためだけの組織としてしか機能せず、実質的には無政府状態のままだった。
1906年にイギリスとフランスの間で共同統治領とする条約が調印され、各種の法律整備も進められ、行政機関が設置されて無政府状態が解消した。原住民に対してもキリスト教の布教を行い食人文化を禁止し、文明化をすすめたため、20世紀初頭には食人は完全になくなったといわれている。
最盛期には人口1万人に達した繁栄した島であったが19世紀から激減する。住民は現在でもキリスト教の宣教師を殺した神罰により衰退したと信じているが、実際の人口激減の理由はヨーロッパ人がもたらした伝染病による大量死、略奪、オーストラリア開拓のための奴隷狩り(ブラックバーディング)である。このため、島の社会は崩壊し、キリスト教化された住民の間にポリネシアの伝統文化などはほとんど残っていない。
樹木は細胞単位で考えると「生きている」のは表面だけであって、「木材」になるあの硬い部分というのは実は「死んだ細胞」という事実は、生物専攻の大学生でもなければあまりよく理解されていないと思う。
つまり樹齢1000年の巨木というのは実際1000年も生きているのではなく、大体1年のサイクルで表皮が死んでその上に新しい細胞が積み重なってるわけで、喩えると「前世代の死体の上で生活」を繰り返した
結果、巨大な生活コロニーが出現しそれが1000年も存続しているというのが科学的に正しい。サンゴはサンゴ虫というであって植物ではないが珊瑚礁も死んだ部分が石灰岩になるだけの話で「前世代の死体の
そう考えると「樹齢」は観念的には「年齢」に対応するのではなく、「市政100周年」とか「江戸幕府250年」とかのシステム的な寿命に相当するのが相応しい。あまり同意する人が周囲にいないのが少し寂しい。
https://you.prideandhistory.jp/fuwf_pvcp_1710_2_year/
(フィリピンのミスチーフ環礁が、中国に騙しと脅しで奪われた件からつづく)
日本の尖閣諸島にもさまざまなタイプの中国船が来ているのはご存知と思います。最初は、民間漁船から始まり、準軍事船に、回数を重ねて徐々に事態をエスカレートさせています。今、テレビや新聞という大メディアではこういったニュースはほとんど流れなくなりましたが、、、
これは、決して、中国船が来なくなった、、、というワケではありません…むしろ、さきほどのスカボロー礁と同じ「キャベツ戦略」を効果的に実行されているのです…
その数、729回です!(2016)
つまり、毎日、2回は不審船が来ているということです。昨日も、今日も、明日もです!
もちろん、ご存知のとおり、尖閣諸島だけじゃありません。小笠原諸島や伊豆諸島でも、何十年、何百年とかけて育った珊瑚礁を大量に密漁、破壊されました。
実際、これら中国漁船団の密漁により、小笠原、伊豆諸島の海底が「砂漠化」してしまったことが取材で確認されています。
また、沖縄を独立させようという企みもあり、、中国では「沖縄は中国のもの」というニュースがネットでも、テレビ、新聞でも当たり前のように報じられています。そして、沖縄の独立に向けた国際会議が日本政府の許可も承認もなく、「第2回琉球・沖縄最先端問題国際学術会議」として、中国・北京で開かれました。沖縄でも、東京でもない北京で勝手に開かれる異常な事態です…このような情報を知らないですまされるでしょうか?
さらに、こんな事をご存知でしょうか?
現在、日本政府は労働力不足の名目で海外の留学生、労働者を受け入れていますが…
2015年その数は19万2000人でした、、ですが、そのうちの5803人あまりが失踪しているのをご存知でしたか…?その半数が中国人です…そして、更にその数は倍増し、2016年の半年間だけで、その数は21万人以上…今年はどれだけ失踪者が出るかと考えるとゾッとします…
これらの失踪者はどこに行ってるのでしょうか?不法に日本に残って住み着いてるのは間違いありません…こんな事が毎年、毎年、着実に積み上がって、、、いつの間にか、日本国内にはたくさんの中国人が住んでいる、、、なんて事になるでしょう
学校によっては日本人よりも中国人の生徒が増えています。実際、埼玉の川口では団地住民の33%が中国人という場所もあります。実際、そこは少しずつ、チャイナタウンのようになってきています。ご存知と思いますが、土地をたくさん買っています。特に水源地を買っているのですが、それは10年後20年後に、中国人の街を作る目的だと言われています。
想像してみてください。ある日、突然、あなたの隣町が中国人のコミュニティになっていたらどうでしょう?それは決してフィクションの話ではなく、実際に起こりうる話なのです…このような話はごく一部です…
なぜ、私たち日本人は、私たちの存在や尊厳に関する、極めて重要な話を、知らされてないのでしょうか?
それは、メディアに出て専門的なことを解説する大学教授とマスコミが「反国家」思想に染まっているからです。国があると戦争をする。だから国家がないほうがいいという思想がGHQの占領時代からずっと続いていてるからです。だから、テレビや新聞などのマスコミは、われわれ日本人を覚醒させるような情報はできるだけ流さないようにして、常に「質の低い情報」ばかり流します。
シナリオの教科書に失敗作の例として載せるべきなくらい支離滅裂な話だった。
戦後、日本軍と戦った南の島にそのまま住み着いた医師ディダムの元を、故郷ボストンから娘アメリアが尋ねて来る。ディダムに実家の海運業の株が相続されることになったのだが、彼がもし現地で家族などを作っていると「ボストンの慣習に照らして」道徳的に問題があるため、遺言状の条件により相続の資格を失う。それを暴いて相続権を取り上げるのが目的である。娘が来ると聞いたディダムの仲間は、彼の家族を隠そうとする…。
というと、まるで相続権を争って秘密を守り通す紆余曲折という話になりそうなあらすじだが、違う。まずもって、ディダムの仲間たちは相続の話は最後まで知らない。ディダムが回診で近隣の島へ出掛けているうちに、なんとなく「娘には新しい家族とか隠しとかなきゃいけないよね」で隠すのである。ディダムは島に帰って早々、娘に直接「株とかそういうの要らないし」と、自分がいかにこの島が好きかを語る。この時点でメインプロットは終わったも同然だが、何故かその後も惰性でディダム医師の3人の現地子(娘ふたり息子ひとり)の存在は隠されたままになる。
そもそも島の仲間は株のことなど何も知らないのだから、相続権を巡って必死に秘密を守る話にはならない。代わりに、ディダムの子供たちの偽の父親役を引き受けたドノバン珊瑚礁(店名)店主ドノバンとディダムの娘アメリアのロマンスが途中から話の中心になる。相続の話は知らないくせにアメリアに資産があることは「調べ」ただけで突き止めたフランス人総督が微妙にちょっかいを出してきたりもする。
しかしこれもよく見ると変な展開である。ドノバンはディダムの子供たちを隠すために父親役をやりながら、何故かアメリアの案内役のようなものも同時に務める。他に人材がないなら仕方ないが、隠すなら極力近づかないようにする方が良いのは当然である。このせいで、ディダムの子供たちと交流を深めたアメリアが、子供たちをディダムの家(つまり子供たちの家)のパーティーに招待したりして、変な感じになったりする。
結局のところ、この映画においては全ての出来事がドノバンとアメリアの交流を無理矢理作り出すためのヘタクソなお膳立てなのである。アメリアが島に来るために相続の設定をつくり、アメリアがドノバンに惚れるために、ドノバンがディダムの子供たち相手に「良い父親」を演じる状況を作り出す。
あげく、アメリアは島のそこここで見た「マヌラーニ(姫?)」の名前から、これが子供たちの母親であり自分の父の妻である事を勝手に推理し、そもそも相続の問題もなければアメリアに新しい家族に対する抵抗もなかったので、そのまま家族と和解し、本当は独身とわかったドノバンにプロポーズされて終わる。(この「マヌラーニ」の名前も、父親たちと一緒に戦った記念碑に名前がある、父親の病院がマヌラーニ病院となっている、マヌラーニの墓を教会で見かけた、だけで父親のプライベートな手紙に名前があったとかですらないので、よく当たり前に推理したもんだと感服せざるをえない。)
こんな「父親に現地妻がいたらすわ大問題、かと思ったらそんなことはなかったぜ」的尻切れとんぼな話が、脈絡のない乱闘シーンや、おっさんたちの「俺たちはよゥ…ここで戦ったんだよゥ…」という郷愁、ポリネシア?のエキゾチックな儀式とむりやりシャッフルされて映像化されたのがこの映画なのである。
長々書いたが、実際この映画のめちゃくちゃさを実感するためには、見た人の大半がストーリーを間違って理解している、という事実を指摘するだけで十分なのかも知れない。ともあれ、何がしたいのか理解するのに苦労する映画だった。
南の島の風景はよかった。
超長文に付き、最初に結論を書いておく。
・あまり1人旅には向かない。4人くらいで行くべし。 飯の選択肢やコスパが圧倒的に変わる。 1人で食べれるような飯は基本不味い。フィリピンクオリティ。
・かかる金額としてはマニラから4人で二泊三日で行く場合は貧乏旅行の場合に移動費等全部混みで一人あたり最大1万ペソ程度(3万円弱)、ある程度宿や飯にお金を使う場合でも2万ペソ前後(6万円弱)を見ておけばOK。
・旅のコスパはフィリピンの中でも上のほう。ただし、時間対効率は並程度。 もしも乾季中に三連休があれば是非行って欲しい。
・トップ10に選ばれただけあって景色の美しさは保証出来る。 が、ダイビングやシュノーケルが主目的だったらもっと良いお手軽な島が比国内に多々あるのでそちらへ。
・2015年4月現在、混雑は全く心配しなくて良い。
・ネット環境は思ったよりずっとずっと良い。SmartのPocket wi-fiを持って行こう。 なお市街地、北端の港近く、パラウイ島の主要地 どこでも電話が通じる。
・タガログ語は問題なく通じる。 英語もまぁ田舎の割に思ってたよりは多くの人に通じる。
・港近くの中華系リゾートの中にCityBankのATMアリ。 MEGALINK対応カードであればBDO等他銀行のカードでも現金を下ろす事が可能 *1
2009年末からメトロマニラに住み始めたアラサー男性。 日本に行ったり帰ったりもあってフィリピン滞在歴は合計4年弱。
12歳時にタイのプーケットでダイビング免許取得。モルディブ、パラオ、沖縄、サイパン、ロタ 等世界各国の海に加え、 エルニドやボホール、パラワン等フィリピンのリゾートを多々経験しており海やビーチに対して目は肥えている・・・つもりだが、欧米に行ったことがない。 *2
2013年5月にCNNが世界のトップ100ビーチを発表した。(下記日本語記事は7月の日付)
今年こそ行きたい、世界の厳選ビーチ100
この結果が在比邦人(フィリピン在住の日本人)の一部界隈で密かに話題になった。
他にフィリピンからランクインしたボラカイやエルニドは在比邦人にとって非常に有名である。
また海外ではあるが、19位に入ったタイのピピ島なんかも レオナルド・ディカプリオ主演の映画「ザ・ビーチ」の舞台になったので知ってる人は知ってるだろう。
しかし、このランキングにアジアで唯一トップ10に入ったパラウイ島は旅好きな日本人の誰もが知らなかったのである。(なおCNNはアメリカの放送局なので、ランキングに欧米系のバイアスがかかり上位に大西洋や地中海近辺のビーチが多くなるのは納得行く。)
さらに日本人の間だけではなかった。 なんと各々の職場の同僚のフィリピン人に聞いても誰も知らなかったのだ。
果たして一体どんな島なんだろうとずっと恋焦がれていた。
パラウイ島についてはネットにおける日本語における情報が完全に不足しており、9割が英語の情報、1割が中国語及びタガログ語である。
おそらくだが行ったことがある日本人は私を除いて2,3人しかいないのではないだろうか。 *3
更にいうとトリップアドバイザーやGoogleMap等における近辺のレストランや宿についてのレビュー情報も圧倒的に不足している。存在する情報はパラウイ島が観光地として素晴らしいということだけである。
そんなわけで最近行った私が知っていること全てをアウトプットすることにした。 今回一人旅をしたことで色々な地雷も踏み抜いたし、世界一詳しい日本語でのパラウイ島旅行解説を目指している。
おそらくこの日記を見る人の中で実際にパラウイ島に行く人は1万人に1人以下、フィリピンに住んでいたとしても100人に1人というレベルの場所だが、将来パラウイ島に行く日本人の変わり者の君のために文を綴ろうと思う。
超マイナー観光地かつ残念糞長文ゆえ、ブコメやスターが集まるとはあまり思っていないが、願わくばグーグルで「パラウイ 行ってきた」と検索した時に1ページ目に出るようになることを切実に願っている。
初日にまずマニラからトゥゲガラオまで飛行機で移動することになる、基本的には。 *4
セブパシフィック航空(セブパシ)とフィリピン航空(PAL)でマニラ発トゥゲガラオ行きがある。どうしてもPALが好きなんだ、という人でなければニノイ・アキノ国際空港(NAIA)のターミナル3(T3)を使えるセブパシを選ぼう。 *5
チケットを取るタイミングやプロモの有無にもよるが、11時15分発、12時15分着でだいたい2000ペソ弱(5000円くらい) 帰りは14時発、15時着で1000ペソ強(3000円くらい) +空港使用税などもろもろでチケット代は往復1万円前後と考えておこう。
なおマニラ発トゥゲガラオ行きの飛行機は左側の窓際の指定席が個人的にオススメ。 *6
飛行機の搭乗時間は1時間弱。 そこからバン乗り場まで移動する。
距離にして1キロ程度、歩いて15分程度だが、トゥゲガラオはフィリピンの最高気温の記録がある街。
標高が低く周囲が山に囲まれている盆地のため、気候は暑くなりやすい。3月の平均気温は38℃である。フィリピンで記録された最高気温は1912年4月29日のトゥゲガラオ市で42.2℃である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%B2%E3%82%AC%E3%83%A9%E3%82%AA
日本で言う埼玉県熊谷や岐阜県多治見のような内陸部の盆地に付き、3~5月の乾季の一番暑い時期の昼下がりは晴れてれば40度近く軽く行く。
無謀に歩こうとせずに、是非トライシクル(二輪車にサイドカーが付いた三輪車風の乗り物。タイ等でいうトゥクトゥク)を利用することを勧めたい。
値段もたったの15ペソ(40円程度)なのでケチらないほうが良い。 *6
バン乗り場ではトゥゲガラオ発、サンタアナ行きのバンが30分~40分に1本出ている。 地元住民の需要もかなりあるらしくすぐに次の便が出る。 人数が揃い次第or次のバンが来次第出発な感じなので時刻表なんてものは勿論存在しない。
11人乗りのバンに15人とか16人とか詰め込まれ3時間の行程を行くことになる。値段は行き帰りともに180ペソ(500円弱)
もし可能ならば1本遅らせても良いから助手席に座るべき。値段は同じなのにも関わらず後部座席とは快適さが全く違う。 特に帰りは前半右側に海の景色が見えて綺麗なので是非。
道はデコボコじゃなくて案外乗りやすい。あと窓を開けっ放しでスピード飛ばすので意外と暑くない。
サンタアナに付いたらバンの運転手さんにお願いして先端の先端のサンヴィンセンテポートまで行ってもらうように。(20ペソ程プラスしてチップを渡すと良いでしょう)
もしもサンタアナの市街地に降ろされてしまった場合はトライシクルを捕まえて15ペソ程度で港まで行ける。 市街地から港まで4キロ以上あるので歩いて行こうと思わないように。
先端の港では翌日のパラウイ島の入島許可証を買ったり、ボートの手配。 宿のチェックインより先にやってしまいたい。
基本着いて翌日の朝6時に港集合なので、徒歩で港まで行ける上二箇所が安全だと思う。
勿論もっと南のサンタアナの市街まで候補地を広げれば相当宿の数は多くなるが、早朝にもしトライシクルが捕まらないと詰む可能性があるのがちょっと怖い所。
今回筆者が利用した格安宿。GoogleMapに載っていない、やばい。(同じような名前のCostales Lodgeがもっと東のほうにあるが、そこではない)
場所的には先端の港から1本道のDugo-San Vicenteロードをまっすぐ南下。 途中それなりに曲がりつつも道なりに進んで10分弱で見えてくる右側のガソリンスタンド(PETRON)の手前を右。 明らかに1本道で迷わない。
前述の通り港まで徒歩で10分程度。 朝は5時45分に宿を出れば6時の船に乗れる。
水シャワーだが1泊800ペソ程度。 一番安い部屋だと二段ベッド×2なので4人で行けば1人あたり200ペソ(500円強)で泊まれる。
とにかく旅にお金を掛けたくない人向け。 夜の娯楽等については後編にて。
Cagayan Holiday & Leisure Resort 北端の町の西側の海岸一体がリゾートな感じ。中華資本だが、普通に超綺麗だった。
港まで徒歩で15分程度。 先述の安宿よりやや南下するが、港までは十分徒歩圏内。
一番安い部屋で1泊3000ペソ前後(1万円弱)。コテージの中は見ていないが複数人で旅するならアリな選択肢だと思う。
なお、ホテルのフロントのあんちゃん曰く、中国人が泊まるのは2割程度とのこと。
後編の飯の所でも書くが、北端の港町でまともといえる料理があるのはこのリゾートの敷地内(厳密には同じ資本でオーナーは違うらしい)にある中華料理レストラン1軒のみ。
筆者は貧乏旅かつ1人なので食べに行かなかったが、メニューを見たところお値段は普通にマニラ首都圏と変わらないくらいする。(おそらく1人1000ペソ前後行くのではないだろうか) 中華料理の性質ゆえ、ここで食事するときは複数人で行くことを進めたい。
またこれは完全に未確定情報だが、おそらく リゾート所有の送迎のバンが存在する。 町を歩きまわっている時にリゾートの中に入っていくバンを何度か見たので。
ただそのバンが一体トゥゲガラオからなのかサンタアナなのかはわからなかった。 また、早朝や昼の港への送迎をやっているかどうかもわからなかった(≒聞くのを忘れた)
電話で予約した時に是非送迎について聞いてみて欲しい。
"世界一詳しい日本語でのパラウイ島旅行解説を目指している。"と最初に宣言しつつも、この項だけは非常に非常に信頼度が怪しいので眉唾ものとして聞いていただきたい。
だいたいが現地民の話を継ぎ接ぎで作り合わせた推論(及び自分が実際に訪れた場所の感想)なので、前者2つの選択肢に比べてハイリスクである。ご了承頂きたく。
まず、Anguib Beachという非常に綺麗なビーチが東のほうにある。実際に筆者は船で訪れた。
ここにあるFirst Cagayan Leisure & Resortは浜にコテージがあるタイプのビーチリゾートで、1泊2300ペソ(6000円くらい)で泊まれる。
いかにもコテージといった感じの宿で、可も不可もなくといったところ。
https://plus.google.com/102147166564377320070/about?hl=ja&gl=jp
ここには筆者は訪れていないので何も言えない。
これらビーチリゾートに於ける疑問点としては
1.おそらくリゾートから港はトライシクルで行けるような距離ではない。 バン等の交通機関が早朝からあるのだろうか。
2.リゾート所有の船が砂浜に何艘かあったが、もしかしたら港を使わずあの船を使ってそのままパラウイ島へ行って帰ってこれるかもしれない・・・・?
3.飯についての情報が完全に不明。 北端の港町だと南へトライシクルで10分行けば市街地にそこそこ食べられる料理があるのだが、(市街地から離れている)リゾートの場合、リゾート内の料理が不味かったら逃げられない可能性が微レ存。
普通に人が大勢泊まっている時点で船や車については大丈夫だとは思うのだが、是非電話で予約するときに確認して欲しい。
なお、パラウイ島自体にはホテルやリゾートは存在しないのでどうしても泊まりたければ砂浜にテントを張ってキャンプするか地元住民の掘っ立て小屋のようなところにホームステイすることになるらしい。
テントの貸出しサービスがAnguib Beachにあった。 アクティブな人は是非キャンプして見て欲しい。
⑤CNNの”ベスト・ビーチ100”に ボラカイ、エル・ニド、パラウィ 掲載日 5 31
CNNは、ボラカイ島プカ・ビーチ、パラワン島エル・ニド、カガヤン州パラウィ島を世界でも最高のビーチにリストアップした。 中でもパラウィ島は第10位に
ランクされ、トップ10では唯一の東南アジアのビーチとされた。 白砂・溶岩・青緑の海水・珊瑚礁に恵まれたダイバーの天国で”未開発の美”と絶賛する同島
には、アクセスも開拓されず リゾートもホテルも無いが、星空の下でのキャンプと民宿が素晴らしいとしている。
→ パラウィ島はルソン島北部のカガヤン州サンタ・アナ町にあり、バブヤン水道沖にある。 94年に国立海洋公園に指定。 エル・ニドは 14位、プカ
"リゾートもホテルも無いが、星空の下でのキャンプと民宿が素晴らしい"
とあるので、タガログ語の交渉が得意な方は是非現地住民と交渉して、ホームステイをトライして頂きたい。
飯や買い物、パラウイ島の素晴らしさ等は明日の後編に続く。
驚くことにここまで肝心のパラウイ島の旅行記について全く書いていない。
*2 いつか紅の豚に出てきたギリシャ・ザキントス島のナヴァイオビーチ行ってみたいなぁ・・・。
*3 なお、2年弱前の時点で相当探したが0人だったと私の中では確信している。CNNの結果を受けてようやく知ったという人ばかりだろう。
*4 帰り道に台風4号の影響もあって、トゥゲガラオからマニラまでバスで移動したが非常に大変だった。値段は700ペソで12時間程度かかる。 マニラ市内のバス停の位置も不便だしそこをお金ケチる必要は無いので行き帰り共に飛行機を使うのを強く強く推奨したい。
*5 使用する滑走路や当日の風向きにも寄るだろうが、晴れていればマカティ、ボニファシオ、オルティガス、ケソンシティあたりまで綺麗に上空の景色が見ることが出来るだろう。
*6 もしフィリピンについて全く詳しくない人がいたとしたらT3はめっちゃ便利でT1とT2は若干使いにくいと覚えておこう。極端な話だと中心地からの移動時間的にT3が羽田空港で、T1とT2が伊丹空港と関空を足して二で割ったくらいな感じ。
していない」と回答した。
沖縄保守層から基地押し付けを軽減するクリーンな政治家と期待されたが
戦後レジームを強化する方向で
安倍晋三も 結局は
沖縄の人々にとって良かったと思えるよう
日本人全体で心を尽す」という
天皇陛下のお気持ち※3を踏みにじった
※1 沖縄返還交渉に当たった吉野文六外務省元アメリカ局長が政府側として初めて「密約」の存在を認めた。密約の存在は情報公開法により米国政府が公文書で認めている。北海道新聞2006年2月8日参照 (リンクは吉野告白記事を取材した徃住嘉文記者の講演要旨)
http://jcj-daily.sakura.ne.jp/hokkaido/report06/0923tokosumi/youshi.htm
※2 貿易収支は2兆7900億円の赤字。1979年の統計開始以来最大の赤字を記録。大和証券・チーフマーケットエコノミスト永井靖敏氏は「1月貿易収支で、円安が輸出増に結び付かないことがほぼ確認された。日本経済の自律回復は難しいかもしれない。輸出を基点とした景気回復シナリオが崩れるという観点で、株安要因」と述べ、「アベノミクスは、現段階で好循環が生じていない」と結論づけている。
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYEA1J00U20140220
※3 平成15年平成15年12月18日天皇陛下会見記録 質疑応答
「この沖縄は,本当に飛行機で島に向かっていくと美しい珊瑚礁に巡らされ,いろいろな緑の美しい海がそれを囲んでいます。しかし,ここで58年前に非常に多くの血が流されたということを常に考えずにはいられません。沖縄が復帰したのは31年前になりますが,これも日本との平和条約が発効してから20年後のことです。その間,沖縄の人々は日本復帰ということを非常に願って様々な運動をしてきました。このような沖縄の人々を迎えるに当たって日本人全体で沖縄の歴史や文化を学び,沖縄の人々への理解を深めていかなければならないと思っていたわけです。私自身もそのような気持ちで沖縄への理解を深めようと努めてきました。私にとっては沖縄の歴史をひもとくということは島津氏の血を受けている者として心の痛むことでした。しかし,それであればこそ沖縄への理解を深め,沖縄の人々の気持ちが理解できるようにならなければならないと努めてきたつもりです。沖縄県の人々にそのような気持ちから少しでも力になればという思いを抱いてきました。」
「沖縄は離島であり,島民の生活にも,殊に現在の経済状況は厳しいものがあると聞いていますが,これから先,復帰を願ったことが,沖縄の人々にとって良かったと思えるような県になっていくよう,日本人全体が心を尽くすことを,切に願っています。」
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h15e.html
既報。グアンタナモ基地からウィグル人の「アルカィーダ」被疑者17名がパラオへ移送される。
中国が占領中の旧「東トルキスタン」(いま、中国の「新彊ウィグル自治区」からアフガニスタンーキューバ(グアンタナモ基地)-パラオ、長い長い旅路。
ワシントンにいるウィグル人団体の象徴で、“ウィグルの母”と呼ばれるラビア・カディール女史は歓迎談話を発表した。
「中国に送還されない決定を聞いて、欣快です」。
米国国務省がもっとも案じたことは、中国へ送還すれば「分離主義者として処刑されるだろうから」(アルジャジーラ、6月12日)
だがウィグル人団体でも反対の声をあげたリーダーのひとりはアマル・ナット(亡命団体の指導者らしい)。「パラオって珊瑚礁とクラゲの国? ひとりのウィグル人の社会もなく、ウィグル語は通じない。隔離された場所でいかに暮らすのか?」
アルジャジーラは、06年にアルバニアへ移送された五人のウィグル人活動家の「その後」も伝えている。かれらは大学へ通うこともでき、現地でガールフレンドができたのもいる」と。
→プラ容器の値段が上がってどうしようもなかったんですね、わかります。
→車が売れないんですね、わかります。
本当のECOなら長い間、使い続けてあげてください。
●MY買い物バック
さらに、ゴミ袋まで買ってもらえるんですもんね、お得ですね。
●冷房の設定温度は28度
→電力供給が追いつかないんですね、わかります。
国民全員が冷房18度だと、日本中停電になってしまうかもしれませんもんね。
●再生紙
飢えで苦しんでいる人がいるのに、食料を燃料として燃やしてしまうのですね。
●My箸
塗り箸を洗うのに必要なエネルギーと割り箸を捨てるのに必要なエネルギーはどちらが、無駄でしょうか。
●温暖化
大昔、地球は火の玉でした。その後、氷の星にもなりました。2度くらい誤差の範囲です。
→ただ環境について考えていることをアピールしたいだけですよね、わかります。
テレビ電話会議のほうがECOです。車をレクサスのハイブリットに変えても意味ないですよね?総理。
お抱えのリサイクル業者にお金を流したいのですか。消費者はトクしませんね。
●ゴミの分別
→原子力ですと、まわりがうるさいですもんね、わかります。
→バーベキュとか炭火焼き鳥などは、もってのほかですよね、わかります。
あなたの右手から二酸化炭素とダイオキシンを発生させていますが、なにかありますか?
●珊瑚礁の危機
南極に嫁いだ妹が交通事故で死んだので、僕は妹の遺灰を持ち帰るために飛行機で南極まで飛んだ。南極は言うまでもなく氷に覆われた場所なので、氷を掘って埋葬するには酷く手間が要る。遺灰から作った珊瑚礁を海の中に入れようかという意見もあったのだけど、結局妹が生まれ育った日本に遺灰を持ち帰ることになった。かさばる荷物だけをまず日本に送り、たどたどしい南極語で妹の嫁いだ先の旦那さんとその家族に挨拶をし、そして飛行機に乗った。
南極に住んでから七年。その間妹は正月と盆に帰ってくるだけで基本的には氷点下何十度の世界で過ごしていた。妹自身は結構楽しんでいたらしく、南極で立ち小便すると本当に放尿した瞬間から凍っていくんだよ、というエピソードを書き加えたメールを送ってくれたりした。南極語で氷を言い表す言葉が50近くあるとか、そういう話もメールには書かれていた。南極でさえもインターネットが普及しているというのは考えれば驚くべきことだが、これは東芝が開発したペンギンを使った自家発電機の賜物であるらしい。人の居るところにはどこであっても文明が普及する、ということだろう。
飛行機が赤道を越え、日本に到着する。目ぼしい荷物は全て送り返したのでカバンの中はジャケットと南極語に訳された村上春樹の小説ぐらいしか入っていない。もちろん遺骨と遺灰の詰まった瓶もある。僕はその瓶を抱きかかえるようにしてタクシーに乗り、そして適当な駅から僕の家に帰ることにした。ある事情により親とは関係が断絶しているので、この遺灰をどうしたらいいのか迷っていた。その時に事件は起きた。僕は山手線の外回りで目白に帰り、自分の住むマンションに戻るところだった。妹の遺骨にずっと僕は語りかけていた。日本は君がいない間に随分暑い国になったんだよ、というようなことを。
そして感慨に耽りながら顔を右に傾けて空を見上げたところ、横から自転車にぶつかられた。馬鹿野郎、という怒鳴り声と共に立ち止まった自転車が遠くに去っていく音が聞こえる。しかし怒るどころではなかった。僕は妹の遺灰を側頭部に浴びてしまったのだ。慌てて立ち上がり、遺灰を瓶の中に可能な限り戻そうとする。しかし中身が減ってしまっていることは否めなかった。ごめんよ、と僕は遺灰に向かって謝った。マンションに戻って遺灰の前に正座しもう一度、申し訳ない、と土下座して謝った。すると外で何かがぶつかる物音がした。ベランダから下を見ると自転車がゴミ収集車にぶつかり、血溜りが出来ていた。あの怒鳴った男なのだろうか、妹はあの男を殺したのだろうか、そう思うと怖くなった。
それから異変が起きるようになった。僕は全身をきちんと洗った。必ずしも妹の遺灰を洗い流すだけではなく、日常的な所作としても例えば一日の仕事の終わりに風呂に入るというように。そして風呂で明日会社に提出するための書類を用意すべくアイデアを練っている時に不意に、お兄ちゃん、という呼び声が聞こえ始めるようになったのだ。もちろん、僕は一人暮らしなので同居人はいない。僕は妹の遺灰が耳の中に残っているのだろうか、と訝しく思った。昔読んだ怪談物の本で、耳の中に住み着いた蜘蛛が子供を産んでむしゃむしゃと餌を食べる音がずっと聞こえて離れない人間の話を読んだことを思い出した。背筋が凍った。
声は空耳どころではなく、もっとはっきりと聞こえる。それは南極の民謡であったり、南極語の挨拶であったり、村上春樹の小説の一節の朗読であったりした。しかし一番多かったのはやはり、お兄ちゃん、という呼び声だった。棘が含まれているような言い方ではない。可愛らしい呼び方でもない。普通にキッチンで料理している時に背後から呼びかけるように、お兄ちゃん、という声は聞こえるのだ。
ある日、耳が詰まったので耳鼻科に行くことにした。耳の中の押し込まれた垢を吸い取ってもらう。と、何か硬いものが当たる音が聞こえた。医師が絶句しており、看護婦も顔色が青ざめているように見える。一体どうしたのか。耳から機器が外れたことを確かめて僕は横向きに体を寝かせていた寝台から立ち上がる。そして医師に何が取れたのかと聞いてみた。こんなことはあり得ない、と医師は言って机の上に置かれたものを凝視していた。
それは人間の奥歯だった。