はてなキーワード: 形式上とは
『文學界』2021年3月号の新人小説月評に関して、評者の荒木優太氏が「末尾が勝手に削除された」とTwitterに訂正願いを投稿、ほどなくして『文學界』公式アカウントも反論のツイートをした。
【訂正のお願い】今日発売の『文學界』3月号に寄稿した新人小説月評の末尾が編集部によって勝手に削除されました(左:本誌、右:最終ゲラ)。消された「岸政彦『大阪の西は全部海』(新潮)に関しては、そういうのは川上未映子に任せておけばいいでしょ、と思った。」の一文を追記してください。 pic.twitter.com/EeFtgele6Z— 荒木優太 (@arishima_takeo) February 5, 2021
文學界3月号「新人小説月評」の筆者・荒木優太氏が、編集部に月評の内容を編集段階で勝手に削除されたとしてTwitterで抗議していますが、編集部の認識はまったく異なります。ここに経緯を記し、荒木氏の投稿に反論します。— 文學界 (@Bungakukai) February 5, 2021
のちに荒木氏は『マガジン航』で「削除から考える文芸時評の倫理」と題する文章を発表し、背景を説明した。
https://magazine-k.jp/2021/02/06/ethics-in-literary-criticism/
最初に荒木氏の①【訂正のお願い】ツイートは2月5日19時半前、②『文學界』の反論ツイートは同日9時過ぎ、その後30分と間をおかず、荒木氏は「とりあえず」との留保付きで③追加説明のツイートを行なっている。
言及ありがとうございます。詳しくは長文にて説明しますが、とりあえず、①「批評の言葉」かどうかを編集部が判断するのがお門違いであり、私はメールにて「岸さんの箇所は現状ママでよろしくお願いします」という指示をちゃんと提出しています。— 荒木優太 (@arishima_takeo) February 5, 2021
では「削除」に至った経緯について、両者の主張を見てみよう。と言っても、経緯の主張については対立するところはない。
2. 『文學界』が「批評としてあまりに乱暴すぎるのでもう少し丁寧に書くか、それでなければ削除してほしい旨申し入れ」る。
3. 荒木氏が「では、末尾に『全体的におもしろくなかったです。』と付け加えてください」と伝える。
4. 『文學界』が「改稿していただけないのであればその3行は削除します」と申し入れる。
5. 荒木氏が「『お好きになさるとよいでしょう』、ただし『その事実をSNS等で吹聴する』」と返答する。
7. 「勝手に削除された」と荒木氏がTwitterで吹聴する。
以上である。
さて、ここからが本題である。『文學界』のツイートは一貫して、「勝手に削除された」という「認識」をめぐるものである。
先ほどの経緯を「削除」の一点に絞って書き直してみよう。
1. (略)
2. 『文學界』が「削除してほしい」旨申し入れる。
3. (略)
5. 荒木氏が「お好きになさるとよいでしょう」と返答する。
7. (略)
『文學界』の立場としては、まず削除してほしいと提案し、聞き入れられない(どころか批評たりえない(と彼らが判断する)改稿を提示された)ので削除を宣言し、荒木氏が認めたので実際に削除した=「勝手に削除したわけではない」、ということになる。すなわちここでの「勝手に削除する」は、A「著者に一切の了解を得ることなく不掲載とする」ことを指す。
荒木氏の立場としては、編集部の意向で、B「最終的な確認なく削除された」=「勝手に削除された」ということになる。
「勝手に削除してもよいという合意」の上で削除が行われた場合、それは「勝手に削除された」と表現できるのか?
一見して難問だが、前件と後件の「勝手に削除」は、指しうる範囲が異なる。Aの意味は「合意」とそもそも相容れないため、前件ではBのみを指しうる。一方で後件は問いの形式なのでAとB両方指しうる。しかし命題「〜場合、それは『勝手に削除された』」が真となるのは両件ともBを指す場合のみである。
では荒木氏のツイートと時系列に話を戻すと、最初の「勝手に削除された」という荒木氏の言葉は、ここでは後件に相当する。しかし前件はそもそも提示されていないために、AとB、どちらを意味するとも解釈できる状態である。それに対して『文學界』の経緯説明は前件を説明するものであり、ここでようやくBの意味での解釈のみが妥当であることがわかるようになる。
言い直すと、A「著者に一切の了解を得ることなく不掲載とされた」と荒木氏が主張しているように読めるため、そこに出てくる表現「勝手に削除された」は、B「最終的な確認なく削除された」のみを指しうるのだと、『文學界』は反論したのである。
これを踏まえると、「Bでしか解釈できないはずの表現を、Aとも解釈できる状態で公にした」荒木氏側には、『文學界』から反論されるだけの落ち度があると言えるだろう。
私には物理的に手出しできないのだから「お好きになさるとよいでしょう」と言うほかないではないですか。私の意志をちゃんと理解した上で、削除を強行するのは編集権の濫用だと思います。— 荒木優太 (@arishima_takeo) February 5, 2021
「物理的に手出しできない」という不均衡な関係ゆえに形式上同意せざるを得なかっただけで、本来的には一切了解していない、すなわち前件自体が間違っているのだから、Aと解釈すべきである、という主張である。なるほど、物理的に手を出せないのは明らかに真である。だが、「ならば同意せざるを得ない」と即座に結論づけられるのか。これは言わば「抗拒不能」を争うもので、論理から法の領域に踏み込んでしまうだろう。
ここで可能性として生まれるのは、「6. 『削除されなかった』状態で刊行された」パターンである。ではなぜそうならなかったのか。『文學界』側が「論理的に適当でないのだから削除するほかないではないですか」という論理的な抗拒不能に陥っていた場合である。
本論では『文學界』側にこの主張が成り立つかを『マガジン航』に掲載された「削除から考える文芸時評の倫理」から考えてみよう。
荒木氏は「削除されなかった」場合に作家が反応を示した場合を想定して、こう書いている。
そもそも、作家から「反応」があったからといって、なんだというのか。怒りたければ怒ればいいし、月評に不満なSF作家・樋口恭介がしたとおりウェブに反論文を書いてもいい。場合によっては私はそれで反省するだろうし、或いはやはり自分の正しさを確認するだけに終わるかもしれないが、その過程のなかで新たに発見できるものもあるだろう。
ちょうど1年前の『文學界』新人小説月評に対し、作家の樋口恭介氏が反論した例(https://note.com/kyosukehiguchi/n/n54a493f4d4f4)を挙げ、自身の評言に対しても同様に振る舞えばよいではないかと述べている。
樋口氏の件では反論に遭った両評者とも、作品内容にある程度触れ、自らの解釈をある程度開陳した上で否定的な評価を下している。よって樋口氏は両者の解釈がそもそも成り立たないことを説得的に示し、古谷氏から不適切であったと謝罪・撤回を得ることに成功している。非常に健全な批評的やりとりだった。
ところが荒木氏の問題の3行には解釈がない。解釈が提示されていないのであれば、樋口氏のように「それは誤読だ」と反論することもできないだろう。荒木氏自らが提示したこの事例との比較から、「反論の余地を与えない表現は批評たりえない、単なる悪口である」という論理が――「論理的に適当でないのだから削除するほかないではないですか」――容易に導かれる。
荒木氏は「文学作品は作者による産物であると同時に、読者がもつ解釈格子次第でいかようにも姿を変えるものだ」とも述べている。なるほど、その解釈格子を通して得られた感動は「読者が固有の仕方で編み出した創造物」であるという論も含めて同意する。ところが荒木氏は続けて、「読者に伝えたいのは、私のもっているつまらなさや無感動も、いくぶんか自己に責任をもつところの私自身にとっての大切な創造物であるということだ」と述べる。結論はこうだ。
私の最大の、というより唯一の武器は、面白いものには面白いといい、つまらないものにはつまらない、という、正直であることのほかない。
荒木氏の論理では創造物なのは「(無)感動」である。解釈そのものはそれを生み出すためのフィルターである。そして荒木氏が月評に書こうとしたのは「全体的におもしろくなかったです。」の一言、すなわち「感動」である。
だが、樋口氏の事例との比較で明らかなように、批評文に求められるのは、評者の感動=感想などではなく、それを生み出すにいたったフィルターであるところの解釈である。解釈には確かに属人的な部分もあるが、ある程度規範的な部分もあり、さもなくば書き手自身からの反論も成り立たず、「過剰解釈」が氾濫する。なるべくその規範的な解釈をもって評価を下すのが評者の使命であろう。評者個人の正直な感想など、正直言って全く興味がない。文芸誌を買ってまで読書感想文を読みたくなどない。
月評の制限字数がわずかであるため十分に論が展開できないというのならば理解できる。ところが『マガジン航』には多少なり岸作の解釈が載るのかと思えば、ここでもやはり「簡単な紹介と個人的所感」にとどまる。「個人的所感」などどうでもよい。
解釈ができないのであれば、あるいはするまでもないと思ったのであれば、端的に書かなければよいだけの話であり、結果として「勝手に削除された」のは理の当然であろう。
ある意味で当事者となった川上未映子氏はこうツイートしている。
これは余談。批評の主体は愛や敬意、と言う人がいるが、必ずしもそうではない。それを必須条件にしたものは読み物としては心地よいが批評ではない。批評の主体は、テキストと論理と緊張感。対象作品の書き手の思いや反応や背景など気にする必要は一切ない。ちなみに小林秀雄は批評家ではなく評論家— 川上未映子 Mieko Kawakami (@mieko_kawakami) February 6, 2021
テキストも論理もなく書かれた感想に怒りで反応する皮相な「緊張感」だけが漂う場を、批評とは呼ぶまい。
まず公平性を期すためあえて本論執筆者自身の考えを明確にすれば、「『文學界』編集部の削除対応は、抗議ツイートまで含めて手続き上問題はないが、合理的ではなかった」というものです。
仮に削除せずに全文ママで掲載し、岸・川上両氏から編集部に対して抗議が来た場合、やりとりの履歴はあるのですから「改稿あるいは削除を提案したが聞き入れられなかった」と説明すればよいでしょう。改稿・削除を要求した理由が両氏への忖度だけなのであれば――「裏工作して保身に走る編集者」なのであれば、交渉をした時点ですでに保身は成立すると言えます。
あるいはもし仮に改稿・削除提案が荒木氏自身の体面を守るためというお節介だったとしても、誌面から削除したところで荒木氏自身がSNSで当該の評言を公開することは避けられないわけです。
それでもなお最終的に削除の決断をした。非合理的でしょう。「批評を載せるのだ」という編集部としての決意表明のようなものを感じます(これは解釈を経て創造した感想です)。
無論、コメントでいただいたように、「そもそも読者は批評を求めていない(批評を求めていない読者もいる)」可能性はあります。誌面にどのようなものを載せるか決めるのはまさしく編集の作業なので、この場合問題は「作者が作りたいものと受容者が求めているものが違う」ことです。
ただし荒木氏自身も批評を書こうとしているので(「「批評の言葉」かどうかを編集部が判断するのがお門違いであり」と主張している以上)、問題の3行を読んで「読者は批評を求めていないのだから問題ない」として荒木氏を擁護しようとすると、逆に氏を裏切ることになります。
よって、時評の存在意義や読者の需要はコメントでいただいたように「別の話」なわけですが、それはそれで議論されるべき問題なので取り上げました。
最後に、本論文末の「緊張感」は、わざと誤読のように用いています。コメントでおっしゃる通り、「テキストへの真摯さ」が本来の緊張感ですが、テキスト・論理がないので当然この本来の緊張感も不在です。それとは別の、感情的な応酬という緊張感しかないのだ、と表現するために括弧付きで「緊張感」としました。最後までお読みくださりありがとうございます。
皆さん騙されてはいけません。
私も西軍が勝った世界線に住んでいますが、元記事は歴史修正主義者が書いた悪質なプロバガンダ増田です。
順を追って訂正していきます。
後述しますが、冒頭から近世日本の歴史観の中で最も悪質なミスリードです。
大名は「定着せず」ではなく「定着させなかった」が正確ですし、「関東なんて今もほとんど人が住んでいないド田舎」は極めて恣意的な表現になります。
戦争が起こらず、外国との交易も進み商業が発展していったので時代遅れな武士は次第に消えていった。その代わりに交易で利益を上げた大名が豊臣を中心に貴族化していく。
この部分はある意味で正しいですが、重要な事実が省かれています。確かに日本列島内での大名間の大きな争いは起きませんでしたが、関ヶ原後の豊臣氏はかつて秀吉が行った朝鮮出兵を再開したのです。
石田三成が中心になって行われたこの出兵、いわゆる「元和の唐入り」は簡単に言ってしまえば外敵を作ることによる諸大名の結束を図るものでしたが、結果として成功を収めてしまいます。
朝鮮半島を支配下に置いた豊臣政権は、万暦の三大征で国力を失っていた明との間に戦わずして講和条約を結びます。その後朝鮮半島は現在に至るまで日本の領地となっており、そのため元和の唐入りは対外戦争ではないという風潮(沖縄や北海道みたいな扱い)が強いのは事実ですが、現代人に都合のいい歴史観ではないかという議論は存在します。
こうしてアジア大陸に進出した日本が当時の国際貿易において強い存在感を発揮し商業により発展していくのも事実ですが、ここでも重要な部分の言及が省かれています。キリシタン大名と南蛮豪商の存在です。
当初は秀吉のバテレン追放令を引き継ぐ動きを見せていた豊臣政権ですが、交易の重要性が増すにつれてキリスト教宣教師の活動を制限することに無理が生じていきます。またこの頃、日本での貿易事業で一旗揚げようとポルトガルやスペインから移住してきた事業家、いわゆる南蛮豪商が急増したこともキリスト教信仰の活発化につながっていきます。
政権はなし崩し的にキリスト教を認めていくことになりますが、そうした流れで力を付けていくのがキリシタン大名です。彼らは表立って政権や4大大名と権力争いをすることはありませんでしたが、着実に海外とのコネクションを強めていき、国内キリスト教勢力の強固な後ろ盾となります。
武士がいなくなっていくにつれて神道や儒教は消えていった。後述のように、近隣のアジア諸国でも儒教は消えていった。今でも神社の残骸のようなものは残っているが参拝する人は誰もいない
冒頭の部分にも関係して、ここも悪質なミスリードです。たしかに武士の消滅と神道や儒教の衰退は同時期に発生しましたが、そもそもこの2つ事柄に直接の因果関係はありません。
しかしこれらが同時に発生したのには明確な同一の原因があります。それが前述したキリシタン勢力の台頭なのです。
政権の貿易政策とキリスト教の容認に対して、元よりキリスト教と対立していた朝廷はもちろん、元東軍を中心とする従来の武家社会に重きを置く大名勢力は当然反感を高めていました。これは感情的な部分だけではなく、元西軍派が中心となった貿易事業の利益を享受できなかったという側面もあります。
そんな中、細川家、井伊家を中心として天皇を旗印に政権を打倒しようとする動きが見られるようになり、寛文になる頃には挙兵寸前まで緊張感が高まっていたと言われます。しかし、そのタイミングで寛文近江・若狭地震が発生し、天皇の住む京都も大きく被害を受け、挙兵どころではなくなってしまいます。
それに対してすかさず政権が取った対応は、表向き地震被害からの避難を理由にした江戸への遷都(寛文の遷都)でした。遷都といっても移ったのは天皇の住まいと形式上の朝廷の機能だけで、政権の機能は大阪を中心とした関西圏に残ったまま…つまり政権は目の上の単瘤だった朝廷を体よく遠ざけた形になります。元東軍はこれに乗じて江戸に集結・再度の挙兵を試みますが、キリシタン大名による牽制や南蛮豪商による経済的な妨害もあり叶うことはありませんでした。この頃から旧来の武家勢力や神道信仰は急激に衰退していくことになります。
ではこれで豊臣政権やキリシタン勢力の共同支配は盤石のものになったかといえばそういうわけでもありません。形式上の都である江戸やその近辺の関東では都野伏(みやこのぶせり)、隠れ神道といった形で反南蛮の勢力が生き残りつづけます。そして18世紀入ってしばらくした頃、天皇を不可侵の元首とする「大和帝国」として独立を果たします。その後も色々ありましたが、現代において大和帝国はの国際社会にも認められた独立国家となっています。そういう背景がありますので、現代日本の領土として残っている関東地方には「ほとんど人が住んでいないド田舎」という表現が当てはまりますが、関ヶ原当時の関東地方の大部分は現代においては大和帝国の領土となりますので、そこを隠すのは悪質で不誠実な表現であると言わざるを得ません。
追跡広告も進化しているのか個人の趣味嗜好に合わせた漫画をオススメ表示することがある。あった。
たまたま目に入った広告ですごく惹かれる内容が描かれていて、非常に驚いた。
広告誘導からすぐ漫画が見られるように遷移するので、目的の漫画がすぐ見つかった。
その漫画の内容をざっくり書くと、よくあるタイムトラベル物でヒロインが現代にやってきて~…な展開だった。
WEB漫画をあまり見ていないのだがもしかしたらエロで閲覧者を釣る漫画が多いのかもしれない。(サイトにもよると思うが)
正直にいうとヒロインのエロ要素に釣られた、じゃなきゃ追跡広告なんて踏まないはずだ。
そしてキャラクターの造形が非常に好みだった。
そのWEB漫画を配信しているサイトは最初の1~3話は無料で読むことができ、続きは有料形式だった。
ログインボーナスや無料コイン配布とかはなく、続きを見るのは課金のみである。
数日熟考したが、無料部分にエロはなかったので、有料課金することに決めた。
違う時間軸に存在することによる驚き、服装や身なり文化の違い、スマホなどの文明の利器見て驚くなどなど。
あらすじを読んで課金を決めたときは、お決まりの展開にいちゃラブエロ要素できっと心を満たしてくれると思った。
物語上さっさとヒロインとイチャイチャしたら良いところを傷つけて遠ざける。
無料部分だとそんなにひどい主人公ではなかったはずなのに、冷水を浴びせられた気分だ。
もしかしてWEB漫画の引き伸ばしテンプレなのか?と思ったがそのサイトの他の漫画はそうでもなかった。
コイツがヒロインを現代に送り込んだ元凶なのだが、正直にいって大した目的が無い。
ヒロインを現代にタイムスリップさせなくても達成できることしかやってない。何だコイツは。
ただ正直にいって大層な目的があっても困る、なぜなら描写に話数が必要となるからだ。
しかしこの作品はこの目的のない敵を描くために非常に多い話数を使用する。
ヒロインが出てこない回もしばしばある。許せない。
有料課金という形式上仕方ないのかもしれないが、回り道を何回も何回も繰り返す。
盛り上がった途端、元カレが忘れられないだの、過去がどうのと話をひっくり返していく。
もしかしてWEB漫画の引き伸ばしテンプレなのか?と思ったがそのサイトの他の漫画は、以下略。
ヒロインはもう元の時代には帰らなくても良いとまで宣言し、主人公への愛を誓う。泣ける。
しかしイチャイチャする時間も無いまま、ヒロインは味方の手によって元の時代に戻されてしまう。
ヒロインが元の世界に戻された理由は、敵が覚醒し元の時代に危機が迫ったことが原因なのだが、その危機に一切介入することもなく物語上数ヶ月経過する。
ヒロインを失ったことが原因で自暴自棄の生活を送る主人公は、色々あってヒロインに会うためタイムスリップすることになる。
これもお決まりの展開の一つだと思う。
決意したシーンは良かったしここから胸アツな展開に~なることもなく、タイムスリップした主人公は速攻で無残な姿にされてしまう。
ラブコメがいきなりハードな展開に様変わりしただけではなく、いちゃラブを見たい読者も望みを絶たれることになった。
敵も別にヒロインをエロい目に合わせたいとか思ってなさそうだし、バトル漫画になりそう。
まさか課金する前はこんなことが待ち受けているなんて思ってもみなかった。
大学卒業後に入った会社を2年で辞め、その後は父が経営する不動産分譲会社で働いていたが、父が病死し自分が跡を継ぐこととなった
住宅分譲には注文住宅(顧客が希望するデザインで建築)と建売住宅(こちらで設計して建築し完成品を売る)があるわけだが、父は「建売でまとめて建築してコストを下げて安さで勝負する」というやり方に拘っていた
ただ自分には「安さで勝負するのではなく、クオリティの高い住宅を建てればもっと高い値段で販売出来て利益も出る」という考えがあった
そこで自分が社長になったあとは、これまでの「同じような住宅を安く建てる」という方針はやめ、有名デザイナーとのコラボなど高価格路線に切り替えた 結果として、この方針転換は大失敗に終わった
より良い住宅を求める人たちは建売ではなく注文で購入することが多く、またそもそも地場の業者ではなく大手ハウスメーカーを選ぶ
これまで父は安値路線で勝負していたから全国区の大手ハウスメーカーともバッティングせず結果として成功していたのだった
従来は土地建物合わせて総額で2000万円台だったので申込後に住宅ローン審査がNGとなるケースはあまりなかったが、3000万円台に引き上げたことでローン審査で不可となるケースが増えたことも売上低迷の一因となっていた
住宅分譲は仕入と販売を回転させていかなければ成り立たないのだが、古い在庫を抱えたままで新たな土地を購入しようにも銀行側がOKしない
仕方なく新たな仕入のため売れ残った住宅を大幅に値下げして損切りするということが続いた結果、業績はみるみるうちに悪化していった
このままでは月末の決済資金すら手当出来ないと金策に走り回っていたところ、知り合いの社長が「銀行で借入出来ないときに短期で資金を融通してくれる人がいるよ 高金利だけど」といってとある経営コンサルタントを紹介してくれた
これまで様々な企業の経営再建を支援してきたというそのコンサルに現状を説明し、このままだと月末の支払が出来ない旨を伝えた
コンサルは当社が販売中の物件の謄本を見ながら「販売中の建物5棟を担保に5000万円融資しましょう」と言った
「土地は銀行が担保取得しているし、もう担保として差し出せる物件は無いですけど…」と困惑する私にコンサルはこう説明した
「建売住宅は建物が完成した時点では登記せず、購入者が決まった時点で登記をするのが一般 現に御社が建築した建物も未登記のままだ そこで銀行には無断で建物を登記して譲渡担保を設定しましょう
私が広告屋を紹介しますのでそこへ広告を発注したことにしてください その費用が5000万円です そんな資金は今無いでしょうからその対価として譲渡担保を設定させて頂きます」
書面上は当社が広告屋に広告を発注し、その対価として販売中の建物を譲渡担保取得したことにする ただこれはあくまで架空発注なので、「当社が建物を譲渡担保差し入れしコンサルから5000万円借用した」というのが実態だ
形式上は商取引に則った担保設定であり、広告屋は善意の第三者(を装った悪意の第三者)なので銀行側は対抗出来ない
「手数料プラス金利前払分として5割頂く」といわれたときはやはり止めようかとも思ったが、「不渡りだけは避けたい 物件が売れれば窮地を乗り切れる」と考えOKしてしまった
私は5000万円から手数料分を差し引いた残りの2500万円を現金で受け取り、その一部で各種の支払を行い、なんとかその月とその次の月を乗り切ることが出来た
しかし翌々月、銀行が担保物件の再調査として不動産の謄本を取得閲覧したため、私の行ったことがバレてしまった
すぐさま銀行の担当者が会社へ乗り込んできて説明を求めてきたので、私は事前にコンサルと打ち合わせていた通りの説明を行った
銀行側はこの取引は架空取引だということは薄々勘づいているだろう、ただそれが架空だと証明することは極めて困難だ 私は広告を発注した対価での担保設定だという主張を只管繰り返した
だがこれで私は銀行を完全に敵に回してしまった 会社の銀行借入については私個人が連帯保証人となっているので、銀行が全額回収に走れば私の自己破産は不可避である
私がコンサルから調達した資金は残り1000万円ほどになっていたので、自分の当面の生活資金として100万円を手許に残し、残りは妻に慰謝料としてキャッシュで渡しとりあえず形式的に離婚した
こうしておけば私がのちに自己破産した際、資産調査をされても問題ない コンサルの指示通りにやれば全てが上手くいく…はずだった
その後銀行側は担保としていた物件を全て競売にかけた 私の背後に整理屋が居ると察知したので回収に手間と時間をかけたくなかったのだろう
市場相場で1棟3000万円、5棟で計1億5000万円程度の鑑定評価がつけられた担保物件の競売での売却総額は9000万円ほどになった 鑑定評価の6掛けなのでまあ妥当な線なのだろう
本来ならその9000万円は全て銀行の回収分となるはずなのだが、譲渡担保が設定されているせいで半分は広告屋の取り分となった
競売での回収額4500万円と私からせしめた手数料の2500万円で計7000万円、今回の案件でコンサルは2000万円もの利益をあげていた
会社を潰し、取引先や銀行に迷惑をかけ、妻は音信不通… 会社を潰すまいと必死に努力した結果はあのコンサルを儲けさせただけであった
自宅も銀行の担保であったため自宅からも追い出された私は古いアパートでの生活を余儀なくされた
何か新しい仕事を見つけなければ食べていけない、そう考えていてもなかなか行動に移すことが出来ない私は気晴らしでデリヘルを呼んでみることにした
スマホで適当なデリヘルを見つけ電話し待つこと45分ほど、予想よりも若くてかわいい子がやってきたので私は酷く緊張してしまった
シャワーを浴びたあと、私は父から継いだ不動産分譲会社を潰してしまったこと、自己破産し妻には逃げられてしまったことなどを話した
初対面なのにいきなり重たい話をしすぎたかなと思ったが、女の子は「私はおうちは建てられないけど、おちんちんを勃ててあげるのは得意だよ!」と言って笑いながら抱き着いてきた
私も笑いながらこう答えた 「担保を入れるのはもうこりごりだけどちんぽを挿れるのは大歓迎だよ」
簡単にいうと学術会議は学者が政府に提言やアドバイスをする独立機関なの。
独立機関だから人事権は学術会議の方で勝手にやりなさいという体制になってるわけ。
でも建前上は政府の機関で国の予算を回してるから、じゃあ総理大臣が任命するということで国の予算を回す機関ということにしましょうと形式をとってる。
だから任命というのもあくまで形式上の建前で単なる儀式や手続きでしかないんだけど、学術会議が政府に嫌われていてあいつらヤバい集団になってないかと不信感を受けるようになってる。
そこでなんとかそのヤバい奴を排除できないか?ってのを内閣法制局巻き込んで、「法的解釈で任命拒否は可能です」と言わせて任命拒否を実行した。
それが今回の騒動の成り行き。
https://note.com/hirokim/n/n1182f68229ed
内容を確認すると、
・菅首相が確認する前に既にふさわしい会員99名のリストができていた
・外された6人は菅首相が確認した時点で既にリストから外されていた
・自分の専門以外の俯瞰的な活動ができる人員が求められると繰り返し述べられている
・菅首相に届く前に、官僚の確認する段階で推薦されたリストで力不足と判断された教授6名が外されたという形になる
形式上はそういうことになるようだ
あとは外された教授陣が自分の専門以外に精力的に活動している素晴らしい実績のある方々なのか、言われた通り偏ってて俯瞰的に活動できなさそうな教授陣なのかの答えあわせをすれば良い
これは説明が必要かもね。フェミニズムの活動をざっくり説明すれば
です。
この最終的な目標は重要です。単に形式的に、公共の場の表現が規制されても、例えば「女はエロくてなんぼ」「女は感情的」のような昭和みたいな認識・理解のおっさんが相変わらず存在すれば、女性の生きづらさは解決しません。これは女性の問題に限らず、国籍でも障害者でも部落でも、形式上の問題解決だけでなく、彼ら彼女らの立場が社会的に認識・理解されることで、ようやく問題が解決します。
で、元増田の疑問ですが、
これは上で言った「方法」に対応する話といえます。企業や組織の広告活動に、女性の立場に反する要素があれば、訴えかけます。このとき、主な論点は、企業の広告利益と、女性への配慮をどうバランスするかということです。確かに、当事者は「企業や組織」と「訴えている女性」であり、「SNSのオタク」は議論の相手にする必要はありません。
ただし、しばしば、「SNSのオタク」の一部が、女性の訴えに対し、女性の立場を理解しないまま反発することがあります(反発自体ではなくあくまで無理解が問題)。これは、「最終的な目標」を考えれば解決すべき問題であることはご理解いただけると思います。だから、女性の立場を理解していない人がいれば、「SNSのオタク」に限らず、その人に向けて女性の立場を発信することがあります。
要するに、目下の論点が企業や組織にあったとしても、それが「企業や組織だけの理解が得られれば十分である」ということを意味しません。最終的になるべく多くの人の理解を必要とする以上、目下の論点に関わらず、様々な人に女性の立場を発信することになります。
わかった。ならば元増田に代わって私が受けて立とう。
「説明せずに逃げるよね」と言った人はここ一ヶ月で貴方が二人めだ。きっといつでもどこにでもいて、私たちの行いを無視して、捏造した歴史になかで無辜を気取っているんだろう。応対するのはつけあがらせるだけで本当は良くないんだろうが、今回までは応えようと思う。
公共空間での性表現が悪い理由は、職場の水着ポスターが社会的な悪だからだ。
環境型セクハラは、就労者のうち女性だけに負担を強いるという意味で、女性差別と捉えられている。水着男性のポスターを許可したならば形式上の不平等は無くなるが、性欲の差や社会的な抑圧の違いにより、実際には水着男性のポスターは現れないだろう。いままで労働者だけが手厚く保護されてきたが、社会生活のそれ以外のシーンで保護されない理由はない。目を背ければ被害は一瞬で済むが、事前の警告無しには最初の被害を避けられない。被害者の中には倫理観が確立していない児童も含まれうる。
これは一般論だ。過去の具体的に問題視されたケースのどれもがただちに違法ではないし、民事訴訟しても通らないだろうが、道徳上の「社会的な悪だ」という批判は理にかなっている。表現の自由に基づいて批判活動されるのは当然である。
こんにちの倫理観は完成形ではない。人々が傷を見せ合い理解しあっていくなかで少しづつバージョンアップしていく。法律もそれに伴って、改善される。職場でのセクハラは"一般的な感覚でアウトか"が考慮される。人々の集団が共有するモラル観が成長していく様子を、私もあなたも、いままさに目撃しているんだと思う。
どうぶつの森が好きだ。
楽しかった。
任天堂はおい森の後も街森やとび森、HHAをヒットさせ、成功を収めていた。
一方の私はおい森一辺倒だった。
街森は買ってもらったけれど操作が覚束なくて結局おい森に回帰した。
とび森は欲しかったけれど3DS本体を持っていなかったことや、部活が忙しくてゲームをしなくなったことなどが重なり縁がなかった。
ポケ森だ。
リリースの数年前から流れていた「どうぶつの森のアプリが出るらしい」という噂の段階で楽しみにしていた。
2017年秋、満を持してリリースされたポケ森に私はのめり込んだ。
久しぶりに会う住人に感動した。
初めて目にする住人もいたがすぐに好きになった。
最初は順調だった。
しかしそう長くは続かなかった。
それから約2年が経った2020年2月、私は再びポケ森をインストールする。
癒やしがほしかった。
2019年秋におい森の頃からの推しが追加されたことも再始動の後押しとなった。
楽しかった。
リリース当時よりも良い仕組みになっていた。
宅配システムのおかげでパシリ感やめんどくささが軽減されていた。
イベントに参加したり、どうぶつに要求される家具を作ったりするのに充足感を覚えた。
おい森とは明らかに違うゲームだけど、スマホアプリという形式上仕方ないと割り切っていた。
ポケ森を再び始めて3ヶ月が経った頃のことだ。
新しいイベントが発表された。
3日間で30万ベルを稼ぐことを求められる。
後から検索してみたところ定期的に開催されているイベントらしい。
ポケ森に失望した。
美術品の贋作も「お金が無駄になる」という点ではそうかもしれない。
私にとってそれらと「がっぽりベルチャレンジ」の何が違うのか。
ローンを払うにはお金が必要だし、株はお金を増やす要素ではあるけれど直接的に「お金を集めろ」とは言われない。
それに最悪無視すればいい。
ローンを返済しない人はほとんどいないと思うけど、別に1番小さい家のままでいてもいいのだ。
株だって利用しなくていい。
がっぽりベルチャレンジは、その期間にポケ森で遊ぶと自動でエントリーされる。
「お金を集めろ」
でも息苦しいことだってある。
https://open.spotify.com/track/7bUApPtxqpGvu1HTLse4dM?si=Xb5S6noGSxyYvR0NcHmcJg
なんか全体的にムカつく文章で、優秀で仕事が早くて、職場の環境とか仕事を良くしようとしてるやつを、悪者にしようと必死な文章に読めてしまうわ。
仕事のペースが早いやつがどんどん自分のペースで仕事をこなしてるだけだろって思うわ。
これとかも、無能に仕事の概要を教えてる間に、倍以上の仕事がこなせるならわざわざ教える必要性がないんだよね。
もともと目に余るとは思っていて、その人に見つからないようにさりげなく新しい仕事をいくつか回してはいたんだけど、それも取られ始めてしまった、もう断れない無理だと泣いて電話をよこしてきたのが先月。
回してもらった仕事をまともにこなせてたら、とんでもない量の仕事を抱えてるであろうタイトルの人に仕事を奪われること無いだろう。
優秀で仕事ができるから、遅々として進まない仕事を手伝おうと思って仕事を持ってかれてるんじゃないのか?
自分の管理不足は否めない。形式上はみんなの仕事を率先してやってくれてるから、表現を一歩間違えればパワハラになりかねないと保身に走ってその人に何も言えなかった(無断持ち帰りの件を注意しただけで終わった)。
自分の立場や冒頭で出てくる上司の存在なんかも含めて、わざと曖昧にしてるのか、伝達力の問題で曖昧な文章になってるのかがわからん。
でも裏で「俺ばっかりに仕事が来るー笑」「同期につぶされちゃう笑」
など言ってるの、聞こえてるんだからね。
その仕事はみんなが欲しがったキャリアへの道だった。みんなそれがわかっていたから、お互いに話し合ってオープンに調整しながら上手くやっていた。
なのに、人から居場所を奪って同期内のトップになった自覚もなく、そんなことを言うのか。
みんなが欲しかったキャリアならみんなが頑張ればいいし、この程度で崩れるなら上手く行ってないじゃん。
人から居場所を奪ってとか、嫌がらせをしたわけでもないのに奪うなんて言い方するのもすごく独善的。
自分が輝く=他人をけなすって考えマジで不快だわ、他人が輝くのが許せなくて、自分が貶されてると感じるのって自分の問題だろ。
自分も同じように輝くための努力とかをしないやつがそういう話をしたがるよな、本当に不快。
やる気をみせたらどんな気持ちになるんだよw ダラダラ死んだ目でやる気なさそうにしてたほうが良いのか?
難癖過ぎてひどすぎるわ。
こういうこと言うやつって、だいたい本人が思ってるほど影響力ないんよな
仕事上で「ちょっと怖がられてる」からってそれによるアドバンテージがどれほどあるんだよ
てか同僚に「ちょっと怖がられてる」ってコミュ障とかにありがちな勘違いだとおもうんだよな、面倒臭がられてるとか、嫌な態度を普段取ってるとかで敬遠されてるだけじゃないのか?
周りをキョロキョロ見てるタイプならともかく、自信があって上司に直談判出来るタイプには効果的とは考えがたい
雑談レベルで皆が「ああしたら良くなるかなー」と話していたのを、片っ端から仕事もアイディアも取って全部自分でやってしまう。
怖いのがそのスピードが毎回尋常ではなくて、全く急ぎの案件ではないにもかかわらず、皆が話していた1時間後くらいには「自分、やっておきますね!」と上司に掛け合いに行ってる。
時には自宅に仕事を無断で持ち帰ってまで作業し、何もかもその人の手柄になっている。
経験を積みたいから今入ってる仕事が終わり次第やってみたいと考えてた人たちが本当はいたんだけど、結局その人だけにキャリアが身について褒められ、他の同期が経験不足だと叱られる。
その人に訊いても「俺、やっとくわ!」の一点張りで絶対に仕事を教えてくれない。
何十回もそんなことが続いて、先週ついにその人と同期な後輩が休職してしまった。
もともと目に余るとは思っていて、その人に見つからないようにさりげなく新しい仕事をいくつか回してはいたんだけど、
それも取られ始めてしまった、もう断れない無理だと泣いて電話をよこしてきたのが先月。
自分の管理不足は否めない。形式上はみんなの仕事を率先してやってくれてるから、表現を一歩間違えればパワハラになりかねないと保身に走ってその人に何も言えなかった(無断持ち帰りの件を注意しただけで終わった)。
でも裏で「俺ばっかりに仕事が来るー笑」「同期につぶされちゃう笑」
など言ってるの、聞こえてるんだからね。
その仕事はみんなが欲しがったキャリアへの道だった。みんなそれがわかっていたから、お互いに話し合ってオープンに調整しながら上手くやっていた。
なのに、人から居場所を奪って同期内のトップになった自覚もなく、そんなことを言うのか。
そんなに人から褒められたくて、一番でいたい人なら、”輝く人”の端で貶され人と比べられることの惨めさ、想像つかないかな。
そんな状況で自分一人あからさまなやる気を見せつけることで、周りがどんな気持ちになるか、少しも思い至らないのかな。
どうしてそんなに無神経になれるんだろう。
なんか大声で人をまとめるのがうまくて、みんな言いくるめられてしまうんだよね。
はてなー、詳しくない問題だと途端にアホな反応喚き散らすんだな……
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202005260000646.html
黒川前検事長の定年延長がそもそも違法だったとか、法務省の内規では懲戒のはずなのに訓告なのはおかしいとか、検察庁法改正案はおかしかったとか、そういう批判はいいですよ。賛成します。でも「2006年に賭け麻雀は違法だと閣議決定していたのに黒川氏の刑事責任が問われないのはおかしい!」みたいな批判はおかしい。
だって、政府が言ってるのは「レートはテンピンで高額ではない」ってことでしょ? 「テンピンは合法」なんて言ってなくない?
テンピンの麻雀でも賭博罪にあたるのなんて常識で、誰もそこは否定してないよ?
たとえ1円でもカネを賭けたら賭博罪が成立するのは明らかで、そこに争いはない。法解釈を持ち出して「たとえ1円でも賭博は賭博だ!」って言われても、はいそうですねそんなのは議論の前提ですね誰でも知ってることですね、としか言えない。2006年の閣議決定もそういうことでしょ。一般論としては当たり前だけどテンピンでも賭博罪にあたりますよ。
問題は、「従来はそのくらいのレートなら見逃されて、刑事責任を問われてこなかった」ということなのだ。
「レートはテンピン」というのは、「それは合法」ということではなく、「そのへんのリーマンがこのレートで遊んでる分には見逃してきたんだから、今回も刑事責任を問わなくてよくない?」ということだ。
そもそも賭け麻雀、というか単純賭博は昔から「犯罪ではあるが、基本的に立件はされない」枠だった。そりゃそーだろ。仲間内で合意の上でカネを賭けているだけで、失われるのは合意の下で賭けた自分のカネだけ。形式上はたしかに犯罪だが、誰の権利が損なわれているわけでもないんだからわざわざ摘発する必要性は薄い。レートもテンピンならせいぜい大負けして数万、このぐらいなら大人の遊びの範疇だろう。
賭博で警察沙汰になっているのは、単純賭博でめちゃくちゃレートが高かったり、闇カジノに通っていたり、胴元が決まっていて一時の遊びを越えたシステムになっていたりする場合だ。特にスポーツ選手が賭け事で捕まったとかいうのはたいてい最後のやつ。こういうのは単純賭博罪ではなく賭博開帳図利罪という別の罪になり、胴元としてヤーさんが絡んでくることも多いので仲間内で遊んでるだけの単純賭博罪よりも処罰が重くなる傾向がある。闇カジノに行く場合も同様。ああいうのって反社の皆さんのシノギですから。
だから「賭博で捕まったあのスポーツ選手は重い罪を食らってるのに、黒川検事長が無罪放免なんて!」みたいな主張はたいてい眉唾。そのスポーツ選手と前検事長とではそもそも適用されている罪が違う可能性が高い。違う罪なら科される刑罰も違って当たり前。大相撲の野球賭博だって、刑事罰とかの厳しい処分を食らったのは基本的に胴元やってた連中で、仲間内で数千円程度の賭け事やってた連中は厳重注意とかの軽い処分で済んでる。
もちろん刑法には常習賭博罪というのもあるわけだけど、黒川検事長程度の行状(つまり、顔見知りのお友達で定期的に卓を囲んでいた程度)が常習賭博罪として立件されるようになったら、いきなりお縄をかけられることになるそのへんの一般人がたくさんいると思う。年齢や社会的地位を無視すれば、友達の家で持ち寄ったものを飲み食いしながら賭け麻雀してるってだけで、こんなん麻雀好きの友達同士なら大学生やサラリーマンだってやってることでしょ。
政権に近い大物検事が同人作家やってたことが発覚して、「著作権法違反で処罰しろ!」って言われてるみたいな感じ、って言えば恐ろしさが伝わるかな?
「エロゲー割ってファイル共有ソフトで共有してた○○選手は有罪判決食らったのに!」って言ってるやつがいたら罪のレベルが違うって思うじゃん?
頼むからそこを政争の具にしないでくれよというか、安倍政権憎しでそのへんの麻雀好きがまとめて捕まりかねない主張をするのやめてくれとしか言えない。特に違法性を国会で言い募る立憲民主党とか、黒川氏を刑事告発した弁護士さんたちとか、あなたたちは善良な小市民の人権や自由のために活動してきたんじゃなかったんですか、っていう失望感がすごい。
いやほんと、これまでの慣例なら黒川氏くらいの賭け麻雀ならマジで刑事罰の対象になんてならないからね。知人や友人同士が、おうちで、テンピンで行う賭け麻雀なんて警察や検察からは黙認されてきたというか、処罰されることなんて基本的になかった。メンツにヤーさんが混じってたとかなら話は別だけど、新聞記者とかお堅い職業の人たちばっかりだったみたいだし。
検察人事ではあれだけ従来の慣例を尊重しようと主張してたんだから、賭博罪の立件のハードルについても慣例を尊重していただけませんかね。
もちろん、形式的には違法なので処罰がされるべきだ、という主張には一理ある。悪法もまた法なりってやつだね。当然こういうこと言う人はアラン・チューリングが逮捕されたのも仕方ないって思ってるんだよね? 当時のイギリスでは同性愛は犯罪だもんね。エルサルバドルでは中絶は犯罪で、中絶の罪に問われた女性は刑務所に入れられるんだけど、これも法律で決まってることだから当然だって主張するんだよね? 本気でそう思ってるなら一貫性があって尊敬に値するけど、そうは思わないっていうならなんでこの件では慣例を無視してまで法律の墨守を主張するんだよとは言いたくなる。
最後にちょろっと書いとくけど、俺はノーレート派。賭け麻雀ってちっとも楽しくない。だって手作りよりも失ったカネのことが気になっちゃってちっとも麻雀を楽しめないんだもの。賭け麻雀自体は好きな人が遊ぶ分には自由だし単純賭博罪を撤廃しろよと思うけど、それはそれとして「麻雀をするなら賭けて当然」みたいな風潮は滅びてほしい。
形式上、そう呼んでるみたいなもん?
二階幹事長が「消費税を作ったときにどれほどの苦労があったか」などと述べているが、作った時の苦労より、今の国民の苦労を考えろよ。
“消費税率引き下げ”自民幹部は否定的 TBS NEWS https://t.co/ZXSxVSLfRU— KAZUYA (@kazuyahkd2) 2020年3月17日
これを認めたらそれこそ景気悪化や消費税そのものの失策を認める事にもなるから財務省や息がかかった議員は必死に否定し出すのも目に見えていた事。
ただ野党からだけではなく、ついに自民内部から消費税ゼロにしろと言われ出している事を見てもどういう事か良く判るのにね。
そもそも当時の三党合意があり、形式上自民としては民主党が進めたと言う言い訳も可能なので、それにも関わらずこの様な事を言っているのはそういう事だと。