はてなキーワード: 地下道とは
この記事をね、読んだんですよ。1か月前に。
熊本生まれの妻に「熊本の良さ」を全力で伝えてみた|ヨッピー
前もって言っておくけど、ヨッピー氏個人に思うところがあるわけではないし、もちろん個人攻撃をするつもりもない。
これは広告記事だというのもわかっているし、熊本の魅力を伝えてくれているのもわかっている。基本的にはありがたい。
ただなにか、なんだろう、ずっとこの記事のことが心の中でしこりになって残って日に日にもやもやが募り、ついに吐き出したくなったので書いている。
自分は熊本生まれ熊本育ちで、大学進学で上京し、地元で過ごした年月と、東京を拠点にする年月が同じくらいになったところで、不本意ながら諸事情あって一度熊本に戻った。
当時東京に出た理由は「熊本、なんにもないからなぁ」に尽きる。地方特有のローカルルールとかどこどこさんちの誰々さんでいるのに耐えられなかったこともある。
それでも故郷のことは好きだし、愛着もあるし、褒められると嬉しい。たぶん、だから余計にもやもやしているんだと思う。
ヨッピー氏が挙げてくれた熊本の良さ、それ、『熊本』じゃないんよ。
まずこれ。「熊本駅前に住む」という感覚が、熊本の人間にはいまだ馴染んでいない。
熊本駅周辺が開発されたのはここ数年の話である。近年まで熊本駅前はマジでなんもなかった。本当になんもなかった。
九州新幹線が通ったのが2011年の話だが、そのときでさえ開発は進んでいなかった。線路を挟んで土地の管轄が県と市で異なり延々喧嘩していたからである。
駅周辺の開発が進んだのは(計画は長期であったろうが)2016年の震災以降である。
まず、そもそも熊本市内の人間は電車のことを電車と呼ばない程度に熊本駅に用が少ない。(市外からの通勤通学を除く)
「電車」=路面電車(市電)であり、いわゆる電車のことは「JR」と呼ぶ。JRは「外」に行く乗り物だし、「外」から来る人間の乗り物だ。
基本的に「熊本(市内)」に住んでいる人間が移動以外の理由で「熊本駅前」に行くことはほとんどなかった。
東京に住んでいる人間が羽田空港に行くくらいの感覚だと思ってほしい。おかげで今もそんなに馴染んでいない。
あと駅前は川沿いで地面も低い。熊本人はあのへんを住む場所ではないと思っていた。住宅地として開発されていることに慣れない。
駅の近くに家電量販店もスーパーマーケットもドラッグストアもコンビニも飲食店もスイーツ屋さんも映画館も飲み屋も何から何まで一通りそろっている
揃ってはいるのだが、感覚として羽田なのである。ここに書かれているものは街中にもあるし、郊外のイオンにもある。つまりそんなに魅力はない。
最近できたアミュプラザ熊本はちょっと都会っぽいものが揃っているが、いまさらこれで都会ぶるのも恥ずかしい。
むしろ中心部にあったパルコがなくなったことで心に穴が開いている。かつて福岡とタイマン張るとき唯一勝ち札にできたパルコ。(そのあと福岡にもできたから負けた)
我々はパル玉(旧パルコの前にあった丸い石のモニュメント/熊本におけるハチ公前)のことを今後なんと呼べばいいのか。
これはまあそう。道路の真ん中を車と同レベルのスピードで路面電車が走っていたらおそらく事故が多発する。
なお熊本市内で自動車運転免許を取ろうとすると、上り下り計6車線の真ん中に路面電車まで走っている交差点で車線変更と右折を行う教習が発生する。地獄。
トンネルいっぱいある高速教習もするし、踏切も渡るし、側溝ギリギリ1車線ハンドルさばきを間違ったら崖から落ちる山道を走らされたりもする。地獄。
熊本市内の基本的な移動ツールは自家用車以外だとバスである。バスは優先レーンがあるので比較的スムーズ。バスに乗れ。
街中に駐輪場を増やせというのは20年以上前からずっと思ってはいるのだが、上記は駅と「まち」しか行き来していないからできる発言でもある。
もともと熊本は川をそのまま堀とした城が建てられ、その回りにできた城下町がそのまま中心市街地になっている。
(渋滞が多いのは車が多いのもそうだが、城下町ゆえ道が恐ろしく入り組んでおり、一方通行や時間区切りでの取り決めが多く、見た目より時間がかかる経緯もある)
その一方で、住宅地は中心地から離れた高台や、川から離れてくぼんだ土地に作られているもののほうが圧倒的に多い。過去に大水害に襲われているからだ。
住宅地近辺は高低差が多く、自転車での行き来には労力を要する。
また、郊外の住宅地から中心地に働きに来る人間が多いので、必然的に自動車が増え、駐輪場より駐車場が優先される。自転車はあふれる。
無法に自転車が置かれているのでチャリ泥棒も多い。進学校でも数年に一度チャリパクで停学になるやつが出てくる。犯罪、ダメ絶対。
市もだいぶ前から問題視しており、課題にもしているので、熊本で気軽にこの話をすると若干荒れる。
参考:https://www.city.kumamoto.jp/common/UploadFileDsp.aspx?c_id=5&id=19753&sub_id=19&flid=275258
やたらとメシが美味い
これは半分正解で半分間違いである。熊本は確かにとれるものがうまい。肉も魚も野菜も果物も、質と鮮度がいい自負はある。
おかげで郷土料理がほとんど発達していない。なにもしないでもそこそこうまいからである。美点でもあり欠点でもある。
熊本はいつもそうだ。地産地消でほどほどに満足できるので、観光にも産業にも力を入れず、中途半端にのほほんと生きてきてしまった。
熊本で熊本らしい料理を食べるのは実はそこそこ難度が高いし、居酒屋も単に素材がうまいだけの場合が多い。いいことだろうけど味付けまでうまいかは人による。
あえて言えば何故か中華がうまい気はする。太平燕を食え。祝い事の際は桃花源へ行け。
水がうまい
これは素直に認める熊本の美点。水道水のカルキ抜きをしないでも金魚を飼える。
エキノコックスさえ到達しなければ誇り続けられるだろうが、いまだに井戸水や湧水を飲んでいる家もそこそこあるのであいつらが来たら終わりである。
そしてそこここで水と温泉が湧きまくるので熊本は地下鉄を通せない。地下道もほぼない。おかげで路面電車はのろいし、渋滞も起こる。
また、水が豊かな一方で、治水と環境保全に関しては、本当に何年も何年も何年もいろんな課題と論争と葛藤が続いている。
県外の人間が軽率に「ダム作っておけばよかったのに」みたいなことを言うとだいぶ傷つくので覚えておいてほしい。
その前に温泉の話をしろよ!!!!!!サウナとか言ってる場合じゃないのよ!!!!熊本の『湯らっくす』は天然温泉なんですよ!!!!!!!!
湯らっくすに限らず街のど真ん中のホテルも温泉なんですよ。熊本は銭湯感覚で温泉に行く。山鹿や黒川まで行かなくてもいいのよ。街中で温泉入れるの!!!
熊本地震のときに「風呂壊れたまんまだから温泉いくわ~~」であんまり困らなかった(当然困った人もいる)くらいのレベル。
郊外には家族湯(時間制で家族単位で貸し切れる温泉)も多いので、身体にコンプレックスがあったりタトゥーを入れていても安心。混浴デートにも使える。
熊本の自慢。
他にもいろいろ言いたいことあったけどここまで書いたらだいぶすっきりしてきた。
何度も言うけどヨッピー氏が書いていることは嘘ではないし、悪いことでもないのだ。誉め言葉は誉め言葉として受け取っておけばいいのだ。褒めてもらえるのはありがたいことだ。
だけどやっぱりもやもやするというか、なるほどこれが「内」と「外」の感覚や見え方の違いなんだなと思ったりした。
これをこじらせるといわゆる「村八分」に発展していくのだろう。怖い。自戒せねばならない。
田舎の排他的な、というか、熊本の場合は排他的というより、身内ノリや郷土愛が重い感じ(謎の高校閥とかさ)が嫌でその外に出たんだけど、外に出てなおやっぱりあの感覚から逃れられない自分に苦笑する。
今どんどん出来ている新しい綺麗な建物は、我々にとっては瘡蓋みたいなもので、地震の前にあったもののことを思ってしまうけれど。
おかげで熊本城もまた天守閣が見えるようになったし、今の中高校生にはきっと駅前が「まち」の一部になっていくんだろうし、ヨッピー氏が書いてくれたような新しい熊本がそれも「熊本」になっていくんだろうなとも思う。
阿蘇はいいよ。風は気持ちいいし馬にも乗れる。(火口は入山規制中だけど)(阿蘇はくそ広いので別に観光できないわけではない)(正直火口はそんなに面白くないので行かなくてもいい)
天草もいいよ。イルカ見れるし。太刀魚釣れるし。(泳ぐなら天草より芦北行く気がする)
人吉もいいよ。鍾乳洞探検も球磨川でのアクティビティもいい。うまい鰻屋もある。(市内から行くと高速にトンネルありすぎて気が狂いそうになるけど)
アーティストの地方ツアー大体飛ばされてたけど最近は来てくれる人もいるよ。(相変わらずテレ東映らないけど最近はもう配信があるし)
市内は基本盆地で吹き溜まりだから夏場クッソ暑くて湿気やばくて温室みたいになって死にそうになるけど。
いいとこだよ熊本。やっぱなんもないけど。
引用URLは無い。ネットとかTVでの池袋の扱い全般への反駁&雑語りと思ってくれい。
これ嘘だから!元池袋史跡公園っていうのを豊島区がこしらえちゃってるけどこれ嘘だから!
あのさ、駅周辺のこの辺が池袋になったのって日本鉄道が池袋駅を開設してからの事なんだけど?
それまで池袋っていうのは東上線二駅目の下板橋駅周辺が池袋だったの。今でもこの辺は「池袋本町」って地名でこれは池袋本村、池袋村のメインの集落だった所なのよ。
「袋」っていう地名は川が湾曲してその内側の土地の事を指すのな。江戸袋とか大袋とか色々あるがみんなそう。
今は暗渠化された谷端川っていう川が屈曲しててその内側の高台が池袋本町(村)。池やら沼があったんじゃないかと言われているが記録が残ってないので池が付いた理由は不明だ。
そもそもこの元池袋史跡公園がある場所っていうのは昔は雑司ヶ谷村だったのな。池袋村と雑司ヶ谷村の境界は大体今の池袋駅南通路の辺り。
それなのに遥か数キロも離れた池袋村の名の由来になるはず無いだろ。豊島区は誤解の元だからあの公園撤去するか説明書書き換えろってーの。
余談だが山の手の台地の上で井戸を7~10m程掘ると水が出てくるんだが、それって粘土の関東ローム層の下に砂礫層があるから。だからこの谷端川がそれだけ谷を刻んだ下流では小石だらけになる。なので下流は小石川って呼ばれて地名にもなってる。
東京山の手って山あり谷ありって言われるけど、そうじゃなくて谷だけがある地形なんだな。富士山と伊豆の山が噴火した火山灰が積み重なって西高東低のかなり緩い勾配のまっ平らな台地ができた。
ここに多数の小河川が切り込みを入れた地形になっている。だから尾根の部分はほぼまっ平らな訳です。これは国道246の赤坂→渋谷手前とか国道254の春日→池袋六差路とかを走れば判る。この二つは尾根道の街道を車道化したものでとにかくまっ平ら。
因みに上野~赤羽等の線で台地がきっぱり切れ落ちて下町になってるのは海進時にそこからが海だったから。
というか、台地はもっと東に伸びていたが波に削られて海食崖が後退したと考える方が自然。上野~赤羽って京浜東北線に乗れば判るが崖が真っすぐでしょう?これって海食崖の特徴ですわ。
あと、陸地が角になっている所って波の入射方向、角の先に真っすぐな海岸線が延長されるように砂嘴や砂州が出来るけど、上野、赤羽の角地形の先には砂嘴の痕跡がありますよ。上野の場合は根岸砂州というのがあり微高地になっていてこの上に日光街道、千住宿が作られていた。赤羽の方は名前不詳なれど川口、戸田の喜沢の辺りに筋状の微高地がある。
脱線したがこういう地形だから山の手ではまっ平らな尾根部分では水を引けない。だから水田は出来ない。水利は限られたもので貴重だった。
農村である雑司ヶ谷村の水源だけ池袋村に属してる訳無いし(トラブルの元だ)、遥か離れた他村の水源地の名前に因んで池袋の村名が決まる訳ないやろ。
だから駅周辺が池袋になったのは駅が出来て以後の事なのだ。因みに古典落語でも池袋は結構出てくるんだけど、当然それは下板橋駅周辺の事ですよ。
駅にはそこに至る道路があるのが当たり前。でもそれは今の事であって日本鉄道って鉄道が官営鉄道1本しか無い時代に鉄道を敷いた道なき道を行くパイオニアだった訳。だから日本鉄道側が既存の街道に面して駅を作らなきゃいけない。
でも江戸時代には道路というのは軍事施設でもあった。だから数少ない街道以外は道らしきものはない。勝手に道を普請して罰せられたケースは数多くあり、その殆どは死刑だった。
それで、品川線(現山手線~赤羽線)から新規開業する土浦線(現常磐線 当初の始発駅は田端)に繋げたい日本鉄道は目白分岐としたかったが、雑司ヶ谷村に難色を示され更に巣鴨村に建設予定の近代的監獄(巣鴨拘置所、現サンシャイン)に重なると政府にダメ出しされてしまう。
そこで目白の北側のまっ平らな辺りで分岐する事にした。ここまではよく説明される事だ。
問題はここからで、雑木林しかない、集落すらない場所で乗客が駅に来れる様にするにはどうすればよいか?
中山道板橋宿の平尾追分から川越街道(現首都高中央環状線JCT~大山サンロード~ハッピーロード)が分岐し、そこから直ぐに分岐して雑司ヶ谷を抜けて早稲田に至る雑司ヶ谷道という道があった。これは金井窪~ローソンストア100池袋本町1丁目店を右折して平和通り~WEロード~明治通り~鬼子母神電停前~と続く現存する道だ。
この道と日本鉄道の線路が交わる所は踏切になっていた。駅を設置するならここしか無い。他に適当な街道に接近するところがないからね。
って事で今のP'パルコの左側に駅が作られることになったのだ。WEロードの正式名称は雑司が谷隧道だ。線路が増えすぎて踏切では危ないのでガードになったのだな。
Wikipediaの池袋駅の項には日本鉄道時代の駅の写真が貼られている。
これはWEロードの前身の踏切から撮られたもんだ。場所はP’パルコの裏手。
なのでこの汚いガード(の前身の踏切)は池袋の全ての始まりなんであるのよ。
サンシャインの前身は巣鴨プリズンで有名だがそれは東京裁判が決する迄の一時期で、東京拘置所だった。
東京拘置所を小菅に移転して跡地の再開発の話になった時に周囲の地権者、縁故者を集めて合意形成の場が開かれることになった。
ここで特に問題になったのが池袋駅直通地下街の建造で、強硬な反対派が居てその筆頭が東口の洋菓子店タカセだった。当時タカセは小売店の有力な顔役だった。地下道ができたら当然人の流れは変わり地面店は売上激減する。
その為に駅直結地下道の話は流れてしまい。東急ハンズ横からの短い地下道と東池袋駅がアクセスルートとなる中途半端な形になってしまった。
この地下道建設流れで当時タカセの地元での評判はかなり低下したらしい。
しかしその後の埼玉の植民地化=池袋駅~ハンズの学生向けの店舗の隆盛を見れば反対して正解だったとしか思えない。通路を兼ねた地下街なんてどうせ碌な集客力がない。そもそもハンズ前の道には丸の内線が埋まっているから地下街の幅は取れないんである。
なので学生向け店舗の経営者は出退勤の途上に今はやや寂れた感のあるタカセ前で一礼すべきである。若年向けのP’パルコだって地下道があったら出来てなかっただろう。P' のテナント一同もタカセ参りはすべきである。
ここなんだけど、池袋行く人でここのおかしさに気づく人ってどれだけいるだろう?
https://goo.gl/maps/UQN2f86tQk8xXQPv5
逆を向いてほしい。西武の搬入口だけがある。なのに信号機で管制されている。何故だろうか?
そのわけは南のびっくりガードの途中にある。
https://goo.gl/maps/BR5VUwN7iYPUv5Zx5
ここから入るとJR線路と西武線の間の空き地に出る(入っちゃダメよ)。実は当初のびっくりガードはここを上がってから西武線を踏切で渡って明治通りに出るというルートだった。
この坂の上はJR用地で昔は国鉄の貨物駅だった。つまり初代びっくりガードは国鉄をガードで潜って直角に折れて急坂を上り国鉄貨物駅の中を通り西武線を踏切で渡る。そして出てきた先がさっきの搬入口前の交叉点だったって訳。
現在の中央東口っていうのは元は西武線の改札だった所で、西武が運営するデパート、武蔵野デパートはエルメスがあるあたりにちょこんとあった。
しかし当時の西武の社長は貪欲な堤康次郎と堤義明。もっともっと増床だ!でも駅が邪魔だ!ならば線路を縮めて駅を向こうに追っ払えばいいじゃん。
という事で駅をずらすのに邪魔な踏切は廃止。その代わりに国鉄ガードの延長にガードを作った。そして踏切跡はデパート搬入口に転用。
井の頭線渋谷駅や世田谷線三軒茶屋駅とか、商業ビル建てるために駅をその向こうに追いやって客はその分歩けっていう工事するのがあるじゃないすか。あれムカつきますよね。
こういう訳で「西武デパートの搬入口だけの為に信号がある」状態が生まれた。一見それに見えなかったものがトマソン的である事を発見するとその由来が見えてくるって事ですわ。そしてびっくりガードなんて間抜けな名前が公的に使用されてる事の方がびっくりだわ。
昭和29年に地下鉄丸の内線が開通することになりそれに合わせて建築されたビルが結構残っている。LABIの建物が代表格でここは元三越。今も所有者は三越な筈。
昭和28年頃の完成なので今でも売り場の裏は非常~に古い。客用エレベータもエレガ時代は真鍮蛇腹式だった。それでは客がセルフオペ出来ないのでかごは替えられてしまった(着床位置も手動ハンドルで調整する方式だった)。
LABIの裏にマックがあるがここは三越が所有していて地下にLABIの搬入通路がある。マックの裏の建物はLABIの搬入口になっている。
新しそうなパルコも昭和32年竣工の東京丸物デパートの居抜き。
昔は携帯電話が無かったから待ち合わせ場所を家の電話で打ち合わせておく必要があった。新宿駅や東京駅には待ち合わせ場所としてアルプス広場や銀の鈴があるが池袋駅には無かった。
そこで末期の国鉄の人らが考えて作ったのがいけふくろう。いけぶくろだからいけふくろう。
国鉄はそれまでの親方日の丸体質ではダメな状況に至り、色々とサービスアップの為の試行錯誤をしていた。現在のJRより熱心だったが如何せんセンスがダサい。
いけふくろうもかなりの失笑を買ったと言われているがその後豊島区などがフクロウの里などの歴史修正主義を始め定着するに至った。
いけふくろう像があるのは北通路の階段付近という半端な場所だがこれはパルコの土地ぎりぎりのJRの土地であるから。いけふくろうのダジャレを考えた国鉄マンの同定をしなくていいのだろうか?疑問である。
サンシャインの地下駐車場のそのまた下には地域冷暖房の施設があって付近のビクトリアスポーツや東池袋駅やハンズのビルなどに熱供給を行っている。
これは触れている本やサイト、番組が多いが、実はその下に東電の変電所がある。これはサンシャインで働く人も知らない秘密なのだが、数年前にあった新座でのケーブル火災による東京大停電での停電地域によって変電所の場所が割れてしまった。
城北線豊島変電所というのがここで、終端変電所は内幸町の東電本社の地下である。
https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/hoan_shohi/denryoku_anzen/pdf/014_06_00.pdf
雑司ヶ谷道の駅北側は戦後商店街となって平和通りと名付けられた。だがどういう訳だかヤクザの事務所がこの道路沿いに林立するようになり、やがて抗争が勃発、殺し合いまで始まった。
90年代後半になるまで路上駐車というのはルーズに見逃されておりその辺にとめるドライバーが多かったが、事情を知らぬ者は平和通りの組事務所前にとめてしまう。
玄関前塞いで車止められたら誰でもいい気分はしないが組となればメンツの問題でもある。戻ってきたドライバーはそのまま事務所にお持ち帰りとなって凄まれ絞られ少なくない詫び賃を置いていく羽目になる者もいた。
お巡りさんに泣きついても「こんな通りに駐車したら身の危険になるのは当たり前でしょ」と説諭される始末。平和通りなのに。
やがて銃撃事件などが相次ぎ非常線で封鎖される事もしばしばとなった。シャブで錯乱したヤクザが突然暴行を加えたり物を破壊したり自分を刺して血だらけで歩いていたり警察に保護具で簀巻きにされている所がみられる事もあった。結構な高頻度で。北口のレンタルビデオ店G〇〇が入居するマンションなどは上がほぼすべて893となってしまった事で有名だった。
暴力団新法の施行でヤクザは激減してこれらの風物詩は過去のものとなった。
あの事故のあった道路はほぼ直線なのだがどういう訳か事故が多い。飯塚のは運動能力の問題だろうがスピードを出しすぎる車&Jウオークする歩行者両方に問題があるケースが多い。見通しが良すぎて油断するのだろう。
過去の事例では130km/hで邁進するフェアレディZがUターン中の1Boxカーに衝撃して1Boxの助手席女性が死亡するという事故があったが、普通Uターン側にも責任が問われる所、相手の速度が速すぎて予見不能として1Box運転者に無罪判決が出るという事件があった。
10年近く争っての事だが異例な判決である。その後も事故が続くので信号機を増やしたりしたのだがあんな予見困難な大事故が起きてしまった。
池袋にいわゆる駅ビルみたいなものはなくてデパートばかりだが、戦争で駅舎が燃えてしまったので戦後に鉄筋コンクリートで国鉄駅舎というのを作った…のだが直後に民間資本の建物を誘致する民衆ビル構想が立ち上がったので駅ビルは解体され丸物(現パルコ)や西武のデパートが建つ事になった。計画性無さすぎである。いや勢いがあったのか。
開通当時は武蔵野鉄道(買収)→西武、東上鉄道(買収)→東武だったから最初は変じゃなかったよってのが定番の豆知識記事だが、「東に東武」もあった。
サンシャイン手前~飯塚事故現場辺りの一帯は戦前東武鉄道の根津嘉一郎が所有しており根津山と呼ばれていた。雑木林だらけの池袋駅~護国寺に道路と都電を通す事になり全部手放したのである。
池袋東側の住人なら赤尾敏は誰でも知ってるけど日ころとか朝生とかに出てるらしい赤尾由美見た事ある人いない。だってあんた道場に居なかったじゃんよ。何赤尾敏赤尾敏って名前使ってるの?
お祭りには欠かさず来るね。で、それだけで「地元の人」って認知受けちゃう。贅六の落下傘なんだけどな。
人混みの中でぶつかる、ぶつかってくる、避ける、避けない、避けろやという話が微妙に盛り上がっているが、俺は人を回避しながら歩く事自体が結構好きだ。
前から来るおばちゃん、その後ろに居るスマホを見ながら歩く姉ちゃん、イヤホンから音漏れしまくりの兄ちゃん、めっちゃ早足で斜め移動してるおっさん、杖ついてる婆さん、酸素ボンベ的なのが入ったカートを推してる爺さん、人混みの中には色んな人が居る。
それぞれ歩くスピードも、移動しようとする向きも、周囲への注意力もバラバラだ。
それらを回避しつつ進むのは意外なほど難しい。
特に駅の構内や繁華街の地下道などは狭い上に進行方向が限定されやすい為に人が密集しやすく、ぶつかりやすい場所だ。
そういうところで可能な限り人にぶつからずに進むという行為は、なかなかの遊戯性を持っている。
上手いこと避けながら進めると割と楽しい。
偶にだがこういった人を避ける勘がやたら冴え渡る時もある。
「見える、見えるぞ! 敵かどうかは知らんがおっさんやおばちゃんが進むルートが見える!」となるのだ。
調子が良い時は、爺さんが息切れして立ち止まるタイミングさえも完全に読める。
スマホをガン見してて前を全く見てない姉ちゃんも、「俺は絶対避けないぞ」と謎の決意をしてるっぽいおっさんも、俺の進路を阻む事はできない。
誰も俺を止められない! もはや気分はマラドーナだ!
伝説の五人抜きの実況が脳裏に蘇り、万能感が俺を包む。そして――
大抵こういう時は柱とか壁にぶつかるのだ。
人の動きが読めるもんだからそっちにばかり注意が行って、人以外の物への注意が散漫になりがちなのだ。
まだ壁なら良いが、車にぶつかったり犬や猫を踏んづけたりすると大変な事になる。
みんなも気分だけマラドーナには気をつけよう。
男性が処女を卒業する体験記は思いのほか需要が高いようだ。そこで自分もその体験を記し衆目にさらしてみたい。
かなり昔のことを思い出してしたためるので、脚色や記憶違いがあるかもしれないが悪しからず。
「反社会的なゲームばかりしていると反社会的な欲望を持つようになる」
男の娘ジャンルのエロ作品にあふれた現在において、女装に興味を持ってしまった人間が実際に女装に走るのは自明の理である。
普段は昼食を手作りのおにぎりと水筒の水で済ますようなケチな自分が、ウィッグや衣装や化粧品合わせて数万も使ってしまったのだから、女装したいという欲望は相当なものだったのだろう。
コスローというハンドルネームを名乗り自撮り画像をあげては反応が来るという環境に「女装エロ同人みたいなことって現実だったんだな」といい気になりながらもどこか物足りない気持ちになっていた。
「よし、処女を捨てよう」
その物足りなさを埋めるために、この結論が出るのはすぐだった。
ネットで出会った知らない人と一対一で会うことには恐怖心があった自分は、定期的にパーティーを開催しレポートも出している主催者のA子という女装さんにDMを送ることにした。
すると、「ちょうど新宿で近日に空いてる回があるけど参加する?」とお誘い。二つ返事で参加表明する。
うわの空でその日までを過ごし、当日。早番をパパっと済ませて自宅で荷物とって電車へ。車窓から湯河原の海を眺め、小田原で夕食をとる。
広い駅舎に大提灯、複数路線が止まるターミナルは都会に来た気分になるが、駅を出てすぐの北条早雲像や小田原城などの史跡が歴史を感じさせる、過去と未来が奇妙に混在する町という印象があった。
そこから小田急線へ、携帯ゲームで遊ぶもどこか心が浮つく。あ、見逃し三振した。
数十ある出口。
延々と続く地下道。
いつまでたっても外に出られない。
そんな環境にあって勝手知ったるようにすたすたと歩いていく人、人、人……。
やっとのことで外に出たらビルを覆わんほどの巨大な電飾パネル。
小田原程度で都会を感じていた自分にとって、新宿という町は未来だった。さしずめ、小田急線はタイムマシンといったところか。
それでも間隔的に置いてくれてある地図付き看板で現在位置を確認しながら目的の場所へ向かう。高層ビルも鳴りを潜め、民家が目立ち始める。
そして指定された住所と特徴の建物にたどり着いた。気づけば十時になろうかという時刻だ。
(ここが会場……)
一呼吸おいてチャイムを鳴らすと、男性が扉を開く。短く刈った頭とやや吊り上がった目、ランニングシャツから除く二の腕はたくましく、スポーツをやっていたことをうかがわせるアラサー男性だった。
「ああ、聞いてます。どうぞ」
そう言って招き入れてくれた中は、客間のようにソファーやテーブルが置かれており、酒やつまみが置かれていて二人の女性と二人の男性がAVを見ながら歓談していた。最も女性二人とも男性なのだろうが。
奥にも一室あり、引き戸は明け広げられているが、電気がついていないせいで遠くからでは様子がわからない。近づいてみると、深夜通販で見るようなアウトドア用のベッドの大きいサイズが置かれていた。
そして、その上では。
主催のA子さんが、抱かれていた。
彼女がSNSにあげる画像から、A子さんに抱いていた印象は、「昭和末期の美女」といったものだった。
ややウェーブがかかったセミロングの髪、長身でスリムな体格、切れ長の目に青基調の暗めのアイシャドウ、ビビッドレッドの口紅。網タイツで覆われた脚。
古本の山からふと見つけてしまったポルノ雑誌のモデルのような、目を離さなくてはならないと思いながらも見続けていたい、そんな魅力のある方だった。
いま身にまとっている黒のネグリジェもA子さんの魅力を引き立てる。
そんなA子さんが、エロ同人から飛び出てきたような太ったおじさんに正常位で疲れ、嬌声をあげていた。
邪魔をしては悪いと思いそそくさとその場を立ち去り、手前の部屋へ。戸惑いを紛らわすために用意してくれていた飲み物を口にする。
出迎えてくれた男性に尋ねられ、うなづく。
ほかにも設備の説明を受け、礼を告げてシャワーへ向かう。長距離を移動してきて汗もかいていたので、温かくなるまで時間がかかるシャワーは心地よかった。
身体の水気を拭き、どうせすぐ女装するからと思って下着だけ身に着けてメイクルームへ向かう。
下着を女装用のもの、百円均一で買った黒のスポーツブラと白いショーツ、黒のニーハイソックスに変え、ショートのウィッグをつける。
衣装は黒のチャイナドレス。肩から胸にかけてのボタンとサイドにファスナーとがあるので頭からすっぽり着れて、腰からストンと脱げるので重宝している。
この時点で、心は女性になる……といっても男性にとって都合のいい、性欲を喜んで受け入れてくれるような現実にはまずいない女性だが。
顔にファンデを塗り、頬にチークをさし、アイシャドウで目を作り、唇を口紅で完成。
やはり、見慣れた自分の顔が男性から女性のものへと変化していく様を眺めるのは楽しい。
これで客間に出ていき、もう一度全身が移る姿見で確認する……と、後ろから出迎えてくれたアラサー男性が近づいてきて、
「かわいくなったね」
と両肩に手を置いてきた。いきなり触れられたことに不快感はなく、むしろ女性としての価値を認められたことに喜びを感じていた。
「こういう会ってよく来るの?」
「いえ、初めてです」
「じゃあ処女なんだ」
「……はい」
「……お願いします」
出迎えてくれた男性は、僕が着ているチャイナドレスの襟から手を入れて直接肩や乳首を触ったり、裾のスリットからおしりを揉んだりしながら尋ねてくる。
「横になれると行こうか」
しばらく僕の身体を堪能したアラサー男性は、手を引いて奥の部屋へ招き入れた。まだA子さんとおじさんはまぐわったままでいる。
アラサー男性はベッドの端に腰かけ、はいていたジーパンを脱いでから、僕をひざまずかせた。
まずはパンツ越しに触ってほしいのかな、と忖度した僕。そうしてみると、ぶるぶると弾力のある、半立ちのモノの感触があった。
自分ので触りなれているはずなのに、こうして初めて他人のものに触れてみると、なかなか奇妙な感触だ。これは何に近い触り心地なんだろう。
ぶつけられてもいたくない子供用のゴム製ボール……より中身が詰まってるかな? うん、海綿体が詰まってるね。
「楽しそうだね」
そんなことを考えていたら上から声をかけられた。
「そろそろ舐めてよ」
そう言って彼はモノをあらわにする。なかなかに立派なモノだ。
真正面からモノを見るのは初めてだな、自分のは上から見るし、エロ動画だと下から見るし、奇麗に剥けていて丸々と張りのあるカリは木に茂った梅の実を思わせる。
などと心の中でイチモツ評を下しながら舌先や唇で触れてみる、結構弾力があって跳ね返してくる。しばらくその感触を楽しんでいると、唇で押しても沈んでいかないほど固くなって、カリを上に向かせようという力が働いてきた。
フクロの部分も舌を這わせてみると確かにタマがあることがわかる。当たり前か、とペロペロしながらおかしく思った。
「初めてでそんなに舐められるんだ、どこで覚えたの?」
「独学です」
「もうすごくうまいけど、飴をなめるような感じじゃなくて、麺をすするようにしてみてくれる? 歯には当たらないようにね」
試したことのない難しい注文だが、なぜか何となく勝手はわかった。ずるずると竿をすする。自分がこんな下品な音を立てている事実に興奮した。
「いい感じいい感じ。今度は交互にやってみて」
まるでフェラチオ教室のインストラクターのような指示に従ってしばらく楽しんでいると
「混ざっていい?」
と背後からの声。振り返ると客間にいた別のアラフィフぐらいの男性がしゃがんで僕の顔を眺めていた。
いわゆるこれは前から後ろからの3Pというやつか。あこがれてはいたが初体験でこれは過激すぎじゃないのか、しかしこの機会を逃したらいつできるかわからない、いや一生できないかもしれない……
などと迷っていると、アラフィフ男性がぼくの腰を両手でつかんできた。そしてそのまま膝立ちでお尻を突き出した姿勢にされる僕の上半身はアラサー男性の下半身に体重を預ける格好だ。
そのまま後ろの男性はチャイナドレスの裾をめくりあげて僕の尻肉をわしづかみにした。
そのままパンツもずらして後ろの穴がさらけ出されてしまう。そして、何か冷たいゲル状のものが注ぎ込まれた。続いて今度はぬるくて硬いもの。
これは指だ、と理解したのは何周もぐりぐりかき回す動きを感じた時だった。
体内での遠慮ない動きに思わず声を上げてしまう。同時に、自分の後ろの穴が、入ってきた指をくわえこむかのように締まる動き。
「おお、いい締まりじゃん」
後ろの男性が期待を込めた声をかけてくる。
「そろそろ本番準備しようか」
「初めてでトラウマになっちゃうと悪いから、言いたいことがあったら言ってね」
「……じゃあ汚したくないからチャイナドレス脱いでいいですか」
「あ、気づかなくてごめんね」
行為への持っていき方はやや強引だったが、細かい点に気の回る紳士方だったようだ。ますます心がメスになってしまう。そのままストンとチャイナを脱ぎ下着姿になる。
着ていた下着は百円均一のもので、なんとなく誉め言葉をもったいなく感じた。
そしてベッドの上でうつぶせになると腰を浮かすように枕が差し込まれる。
ちょうど、相変わらずはめられ続けているA子さんの顔が真横に見える位置だった。
「こんばんは、コスローさん、でしたっけ?」
息を弾ませながら尋ねてくるA子さん。そういえば挨拶もまだだった。
「はじめまして、こんなタイミングになっちゃって、すみません」
これから処女を卒業しようとしているタイミングで初対面の挨拶を交わす。まさに「こんなタイミング」だろう。
「いえいえ、主催なのに自分で楽しんでてごめんね。いきなりエッチしてて驚いた?」
「ええ、実際に見るのも初めてなんでさすがにちょっと驚きました」
「でも、楽しんでもらえてるようでよかった」
「はい、やっぱり、女として扱われるのって、なんだかうれしいですね」
ガールズトークを始める僕とA子さん。方や本番真っ最中で、方や本番前にほぐしているところだ。……あっ、指が二本になったけど、僕の後ろの穴、すんなり受け入れてる。でも三本だと痛い。
そして男性がいったん離れて何かに強く息を吹きかけたような仕草をした後(後で知ったことだがゴムが破けないようにしているらしい。ここらへんも手馴れている)ついに、穴にあたる気配が指ではなくモノに変わる。穴を穿とうとするが、何度か尻肉の谷間を滑る。
頼まれた通りにすると、床オナのように自分のモノに自重がかかってしまう。完全にたっているので、暴発しないか心配になる。
「ちょっとくっつくよ」
そう言って、背中に男性の体温と体重を感じ、一寸おいて自分の後ろの穴が男性のモノを飲み込んだ感覚。ついに処女を卒業してしまった。あれ、どっちの男性がさせてくれたんだろう。まあどっちでもいいか。
隣でA子さんが祝福をしてくれた。こちらに向かって伸ばされた手を握る。正常位ではめられてるA子さんと、バックで掘られている僕が、がっちりとシェイクハンド。
自分の中で男のモノがうごめいている。出そうとしていないのに喘ぎ声がでてしまう。声帯ごと侵されているような感覚だった。
しばらくそのまま続けた後、ふいに引き抜かれていく感触、あれ、もうおしまいなの? と思っていると
「正常位でやろっか」
と腰に手を回しされ半回転するよう促され、仰向けになる。そこで初めて、相手が途中から入ってきたアラフィフ男性だということに気づいた。そのまま腿を支えられて腰を浮かされる姿勢になって、再び中に入ってくる。
「顔もかわいいね」
頬を撫でられたり、胸部の肉を集めるように両掌でわしづかみにされたり、腰骨をがっつりつかまれたまま前後されたりプレイは激しさを増していく。正常位になるまえに一旦離したA子さんの手も、知らず知らずのうちに握りなおしてしまっていた。
そういうと男性は、僕のA子さんとつないでいないほうの手を、僕のモノのところに導いた。いわれるとおりに数回しごくと、すぐにせりあがってくる射精欲。
はめられながらも完全に立っていた僕のモノ。そのままイクと、自分にぶっかけることになってしまうが、もはや手を止めることはできなかった。
僕に向けられた鈴口から勢いよく精液が飛び出し、腹に、胸に、口に飛び散っていく。ああ、ブラにもかかちゃったかな、まあいいか、百円だし、気持ちよかったし。
後ろの穴は、男性のモノをくわえたままキュウキュウと何度も開いて閉じてを繰り返す。
アラフィフ男性は満足そうに、僕を見下ろしながら言うのだった。
続くかな?
これには異論がある人多いだろう。
新宿駅をダンジョンたらしめている一番の要因が西口から他へ移動する際の分かりづらさだと言っても過言でないからだ。
迷宮でうろうろするぐらいなら少し遠回りでもメトロの乗り換えはこっちにしてしまおう。
ということは、西武新宿以外の全てなので、乗り換えに関して言えば深く考えずに南口に行くというのも手だ。
西口、東口に比べれば比較的人が少ないので、人混みに流されて案内板を見逃す事も少なくなる。
外に出て移動するなら西口にも東口にも都庁方面にも行きやすい。
GPSが不安定な地下より南口から外に出てナビ任せが一番現実的だ。
南口に出るのはホームから階段を降りずに登ればいいというのもいい。
日常的に使い、最短で移動しようというのではないならかなりお勧めである。
直結している。案内板を見れば間違えようがない。
南口改札を出たらすぐに右に進む。
小田急線の改札を過ぎたらすぐ、少し分かりづらいが右の方に階段ががある。
一応、京王線との案内があるが、薄暗い階段なので分かりづらいかもしれない。
小田急線の改札を過ぎそのまま直進する。
続いて左折し同じようにエスカレータを降りると開けた場所に出る。
京王線はここから乗ってもいいし開けた場所を右折し地下道を進むとたどり着く事もできる。
都営新宿線の改札を左に見てそのまま直進する。
正面に大江戸線の改札がある。
南口の改札を出たら左に進む。
そのままどんどん進むと外に出る。
すると下に降りる階段があるのでそのまま降りる。
おりてすぐ、右側の甲州街道のガード下に「新宿南東口地下歩道」という入り口がある。
地下道をそのまま進み突き当たりを左折するとと副都心線の改札だ。
登り切ると開けた場所に出るので左折をすると丸ノ内線の改札が現れる。
上記の新宿三丁目駅経由で行くなら分かりやすいが、やはり遠回り感は否めない。
一応説明すると、新宿三丁目の丸ノ内線改札を過ぎてもそのまま直進する。
通路は改札の右側を通っておく方がいいだろう。
しばらく進むと右側に新宿サブナードへと続く下へ降りるエスカレータが出てくるのでそこを降りる。
あとは案内板に従って進めばよい。
南口は最強だが気をつけなければいけないのは、新南口と間違える事だ。
ホームから階段を登ると出てしまう改札は「南口」「南東口」「新南口」「ミライナタワー口」「甲州街道口」とある。
「南東口」方面に行ってしまっても取り返しがつくが、「新南口」「ミライナタワー口」「甲州街道口」方面だと、一回改札を出て外に出るか、ホームに戻って別の階段で登り直さないと南口にたどり着けない。
埼京線や湘南新宿ラインからでないとなかなか間違えて新南口に出てしまうことはないとは思うが、ここが一番のネックなので、降りてすぐ、新南口でなく南口に行くということを心に止めておけばいいと思う。
JRと私鉄・地下鉄の乗り換えは原則として(JR)西口を使うこと。
JRからは西口を出てから案内の通りに進めば問題ない。適当に近くの改札から出るから迷う。
中央東口・中央西口は基本利用しない。普段使いするなら覚えると便利。
新宿駅 攻略とかでググると近道とか出してくるけどそれは普段利用する人が覚えると便利なもの。
乗り換えはとにかく西口に出ればなんとかなる。
羽田なら京急で品川から山手線がベター。モノレール乗りたければ浜松町からでもよい。どちらもわかりやすい。
品川か上野から山手線。東京駅に行ってしまったら丸ノ内線でもいいがちょっと遠い。
あとで説明する。バスタと西口方面があると思うがあまり変わらない。
基本ホームから下って乗り換える。案内に従っていけば問題ない(乗る路線がわかっていれば)
丸ノ内線荻窪方面から上がるとJR西口改札に近い。地下道を通って案内通り進めば問題ない。
丸ノ内線はJR東口改札と乗り換えしやすい。池袋方面から上がった場合は近くに東口改札があるので案内を見ること。
JR西口改札を出てすぐ近くにある階段から上がると小田急線西口改札がある。非常にわかりやすい。
JRからは西口改札からでたら階段上がって外に出て左に向かって歩くと京王線が見える。
地下からもいけるがわからなかったらとにかく地上に出るべし。京王百貨店を目指せ。
初台・幡ヶ谷の両駅がある京王新線≒都営新宿線なので、京王線とは別の駅になる。(新線新宿駅)
京王新宿駅で駅員さんに聞くのがベスト。京王新宿駅の奥にある。地下街の京王モールの奥。
JR南口改札を出て外に出ずそのまま右へ進んでいくと案内があるので、
ルミネを下っていくと新線新宿駅の改札前に出るというルートもある。
わからなければ外へ出て、南口からなら右方向、西口からなら京王百貨店の横を通って
西新宿一丁目の交差点へ向かい、地下にある地下入り口に入ればそこにある。
これもわかりにくい。大江戸線新宿駅は新線新宿駅駅の横に改札がある。
ただ、西口へ出て小田急ハルクの地下を目指すと新宿西口駅というのがあるので
わかりやすさでいえばこっちかもしれない。地下からでも地上からでも行ける。
JRと同じく西口から。丸ノ内線荻窪方面改札と大江戸線新宿西口駅は目と鼻の先。
おとなしく新宿三丁目駅で乗り換える。
普通に出ればいい。地上を目指すな。
小田急はホームから改札が見えなければ一度上がって改札を出て左へ。
京王百貨店に出てしまった場合はいったん外へ。目の前に小田急が見えなければ右へ行け。
都営新宿線と京王新線が同じなので、そもそも笹塚で都営方面の電車に乗り換えるべき。
私鉄・地下鉄の場合は目の前の大きい道路(甲州街道)を渡るとJR南口がある。
小田急・京王はそこからでもいけるが、わからなかったら左へ行きすぐの大きな交差点を右へいって
逆にバスタに行きたいというときはいったん南口を出るのがわかりやすい。
西武新宿駅は新宿駅ではない。おとなしく山手線高田馬場駅で乗り換える。実質歌舞伎町駅。
新宿東口エリアではない。副都心線は隣の新宿三丁目から乗り換える。
地下もつながっているが中級者でも難しい。そもそも遠いので新宿三丁目駅を使う。
地下がつながってるというが意外と距離がある。初心者は丸ノ内線を使え。花園神社やゴールデン街は近い。
あと新宿二丁目はここ。伊勢丹とかこのへんの商業施設は地下からつながってるので新宿駅まで面倒なら丸ノ内線でいけ。
ほぼ代々木駅。降りるな乗るな。
徒歩なら東口出る(歌舞伎町方面の出口でもいいが)→左手に壁をキープしつつ歩いて
信号あたりで左に行き、大ガードをくぐって信号をまた左、2つめの信号を左で西口だ。
これが一番わかりやすい。
京王百貨店沿いに行け。モザイク通りというのが見えたらそこに突っ込むのもあり。
遠いので諦めろ。初心者向きではない。ただ外はマップ使えばなんとかなる。
困ったらタクシーに乗るべし。大体ワンメーターでなんとななる。410円なら安いもんだ。
行き先を把握してないと遠回りになることがあるので
乗る前に「○○へ行きたいんですがここから乗って大丈夫ですか?」と聞け。
JR西口でた先のタクシー乗り場は有料タクシー乗り場があったはず。
電車乗るなら西口地下へ行け。すぐJRの改札がある。地上は面倒。バスタ以外は西口地下。
ドンキ〜東宝ビルまで(セントラル)はきれいになったから昼間なら行きやすい。
一番街の看板が歌舞伎町らしいがごちゃごちゃしてるので使うな。
帰りは何があってもまず東宝ビルのゴジラを目指してからセントラル通っていけ。安全だ。
お店がわからなくて困ったら、居酒屋系ではないスーツやシャツ着たキャバクラ・風俗系の客引きに聞け。
店前にいる店員がベストで、次は無料案内所の入り口にいる人。若い学生みたいなのは居酒屋系でクソ。
意外と優しく教えてくれる。これはほかの繁華街でも意外と使えるテクニックだ。
増田でも、婚活で出会った地雷案件の投稿が最近は増えた気がする。わたしも以前なかなかパンチの効いた案件を引いて、それを書いてみたら人気エントリに載った。婚活とは奇妙な男たちとの出会いの連続である。
この前会った男はその中でも群を抜いて「やばい」相手だった、今まで会った人たちはめちゃくちゃ「まし」なのでは?切り捨てなくて良いのでは?むしろ優良物件の宝庫では?と真顔になってしまう程度にその相手は「やばい」奴だった
まず、メッセのやり取りからして気持ち悪くて仕方なかった。彼からはメッセージ付きいいねというものを受信して、それにいいねを返す形でやり取りが始まった。
そもそもメッセージ付きいいねというのは「きもいな」と思われるツールだと思う。それが自分好みの相手からだったら「嬉しい」けど、不細工男から「気が合うと思う」などと書かれた日には無言ブロックからの運営通報である。彼からのメッセージ付きいいねも「きもいな」と感じたが、顔は比較的まし、都内の一等地住みということで、生理的嫌悪感よりもスペックを選んでいいねを返した。
相手はマッチングして浮かれてるような文章だった「こんにちは!」「〇〇といいます!」「〇〇なんですね!!」と全てに「!」がついていて「うるせぇな」と思った。こちらの返信がだるさのあまり遅れてくると、焦ってるのか早い段階でアポを取り付けてきた。その日は別の一軍男子とのディナーで都内に出る用事があったので「タダ飯すっかな」と了承した。
待ち合わせの場所、時間を決める前に「では当日」と相手がクローズに向かってブチ切れそうだった。「時間を決めませんか?」って聞いたら勝手に半日拘束を指定してきて「んだコラ!?」ってなった。こっちはてめぇと違って暇じゃねぇから~。段取りの悪さを暗に指摘したら「すみません😰」である。地獄に落ちて欲しい。
ここら辺で切ればよかったのだが、世の中にはどれだけ酷い人間がいるのか見たい。面を拝んでみたい。写真よりブスなのか?と好奇心が勝ってしまった。好奇心は人を殺すよ。
男性たちよ、ドタキャンされたくないなら1日一通でいいからやりとりを続けた方がいい。日がすぎるにつれやり取りしない相手は記憶の彼方に飛ばされていく。前日までにリマインドがなければそのまますっぽかそうとしていたが、リマインドが来てしまった。ちゃっかりしてんなと思いつつ、まあディナーの用事は変わらないので「はい」「わかりました」とだけ冷たく返信した。
待ち合わせ当日、昼過ぎの待ち合わせにも関わらず朝7時頃に「今日はこんな服装です」と連絡が来た。早すぎだろ。気合い入っててきもいなと朝からテンションが下がる。「Tシャツ、半ズボン、サンダル」というおよそ清潔感のない服装がメッセに書かれていることにまた苛立った。わたしはプロフの写真も、好きなブランドも女子アナのような清楚系をチョイスしていたので「相手に合わせようとか、なんも考えてねぇんだろうな」と思った。
待ち合わせは某駅ビルを指定した。日焼けと暑さが嫌だからである。「暑いので室内にしましょう」と気を利かせた感もだしておいた。なのに奴は駅ビルの微妙に屋外に出てるクソ暑い場所にいたのである、馬鹿か?ドタキャンもやむなしと待ち合わせ場所で偵察している時も落ち着きなくうろうろ歩き回っていて恥ずかしかった。なぜ直立して待てないのだろうか。小学生でも奴よりは落ち着いてると思う。何度も「どんな服装ですか?」とメッセ追撃がきて、観念して挨拶したが、目は一切合わせなかった。嫌悪感丸出しにも関わらず相手はにやにやと笑っていた。気色悪っ。
休日の昼間である、店はどこでも混んでいる。某駅ビルのレストランもどこも満席だった。でもわたしは駅ビルで買い物がしたかったので移動したくなかった。そんな時に奴は「気に入ってるカフェがあるので」と移動を提案してきた。どこに向かうのだろうと思っていたら、あろうことかわたしが来た方向に戻るような形で某チェーン店に向かい始めた。いや、先に言っとけよ!途中下車したわ!!
途中暴風で、巻き髪も前髪も全て崩れてブチ切れ寸前だった。嫌味ったらしく「いつもは地下道なのでこんな暴風にはあいません」と言った。田舎者は土地を知らなくて嫌いだ。こいつは生まれてこの方東京都民らしいが、わたしには田舎くせぇ芋にしか見えなかった。
メニューを決める時も人のスマホを覗いてきて気分が悪かった。「見ないでください」と伝えるが、罰が悪そうに笑うので余計に腹がった。いちいち人の地雷を踏み抜く男である。当てつけに他の男にメッセを返していたらわざとらしく視線を逸らして鼻歌なぞ歌い始めていた。落ち着きが無さすぎである。餓鬼か。
奴は自分の前に置かれたパスタを、まるで犬のように顔を皿に近づけて食べ始めた。フォークで大量に掻き込む。顔を上げる。頬に入れた食材を大仰に噛み砕いている。口の中のものが無くなると、また、犬のように皿に顔を近づける。それをエンドレス。肘をついたり、片手しかテーブルに出ていない時も多く、およそマナー皆無な食べ方で不愉快さしかなかった。わたしはその姿を見て食欲がなくなってしまった。
あちらが食べ終わると、あろうことか椅子の上に片膝を立てて、わたしの食事を見つめてくる。ギブアップだった。すぐにトイレに駆け込み、吐き気を抑えながら歯磨きをして「出ましょうか」と伝えた。相手は「?」を浮かべていたが、わたしがカバンを持ってか立ち上がったので慌ててついてきた。「今日はありがとうございました」と一息で言うと炎天下の中を駆け足で雑踏に逃げ込んだ。相手が追いかけてきてるのではと気が気ではなかった。地下鉄に乗って、数駅だけ逃げて、またディナーのためにターミナル駅に戻った。
LINEは交換してないからアプリは逃げ込んだ電車の中でブロックした。こんなにも酷い人間がいては困るなと思った。相手は無言ブロックされたことからなにか察してくれるのだろうか?わたしは犬と食事できるほど寛容ではない。
わたしも人のことをとやかく言えるほどマナーが完璧な人間ではないが、相手が気持ちよく過ごせるようにできるだけ丁寧に気をつけてお茶を飲み、ご飯を食べている。婚活とは面接だ。まして初回など、緊張感を持って取り組むべきだと思う。思うし、わたしは緊張感を持って取り組もうとした。
彼の同僚や上司は、あの食べ方を見てなんとも思わないのだろうか?彼は実家暮らしだったはずだが、両親は何も思わないのか?無礼は悪だと痛感した日だった。