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「愛し合う仲だった…」 女子中学生を妊娠させた韓国人タレント、無罪確定
https://s.wowkorea.jp/news/read/201032/
チョ被告は2011年8月、息子が入院していたソウルの某病院で出会ったAさんに「芸能人にしてあげる」と近づき、数回にわたり性的暴行におよんだ容疑で起訴された。
1・2審で裁判所はチョ被告の容疑を認め、それぞれ懲役12年と懲役9年を宣告したが、チョ被告は「愛し合う関係であり、レイプではない」と主張。その後、上告した。
船着場のあたりが騒がしくなってきた。そうか今日は週に一度の<ご新規さん便>がやって来る日だ。ざわつくバーの店内。この島に来て間もない男性陣が窓の外をチラチラと眺めている。自分はそんな奴らを視界の隅に置きつつ、バーテンのジュン君にハイボールのお代わりを頼んだ。「そういえば今日の便の男女比って聞いてる?」「いやぁ、ボクらのレベルでは全然教えてもらえなくて。先週は女だらけでしたよね。今日は反動で男祭り便じゃないですか?」「でもね、スレた女より話せる男がいた方がむしろ楽しいんだよな。シャバの状況も聞けるしさ」
「そういえばダンさんはここ来てどれくらいでしたっけ?」「もうかれこれ半年かな。だいたいのことはやり尽くしたし、そろそろ後半の過ごし方を考えないと。。」ふとその瞬間、残してきた家族のことが一瞬頭に浮かんだ。いつものことだ。そろそろ30になる娘は元気だろうか?結局孫の顔を見ることなく島に来てしまった。別れの瞬間の嫁の顔。長年連れ添った男が目の前から消える喪失感と、この先に降りかかる筈の苦難から解放される安堵の入り混じった表情。「アタシは島には行かないよ。あなたと違ってまだまだ健康だし、細く長く生きるのがアタシの母からの教えだから。アナタの一括年金は大事に使わせてもらうわね」
窓の外を眺めていたテーブル席の男の一人が小さく呟く。「おお、若い女が来た。なんとなく高岡早紀に似てる」島のNPO事務所に隣接したこのバーは、チェックインに向かう行列の通り道なのだ。ちらりと外に目をやると30人くらいの集団の中に黒髪ロングで物憂げな表情をした一人の女性の姿を確認できた。おそらく40半ばくらいだろうか。今晩のウェルカムパーティーで男達が必死に群がる様子が想像できてしまう。あとは彼女が女性専用ゾーンへの入所を希望しないのを祈るのみだ。噂によるとそこはガーデニングとペット同居とレズビアンがメインコンテンツでまるで昔の修道院みたいなところらしい。男女の夜這いと乱交がはびこるミックスゾーン(我々がいるところだ)とは大違いだ。
「ダンさーん、マコちゃんとは最近どうなのよ?」後ろからの声に振り返るとバスローブを着たリンちゃんがイタズラっ子な目つきをして笑ってる。もう50過ぎなのにぱっちりメイクで妖艶なフェロモンが漂う。毎日ジムで鍛えてる尻はそこそこのボリュームで、上陸まもない頃の俺も相当に世話になった。なんでもシャバにいた頃は新体操のコーチをしていたらしい。あまりのドSっぷりに辟易して最近は疎遠だけれど。「あのね、専属契約を結んだけどさ、やっぱりお互い他に目移りしちゃって、そろそろ大部屋棟に戻るよ」「わーい、そしたらまた一緒に遊べるね。今週末にコスプレダーツ大会やるからそれまでに是非!」
やりとりをカウンターの端で聞いてた爺組のヒロさんが声をかけてくる。「ダンさんやっぱりモテるね。俺なんか全然ダメだよ。島に行けば毎日酒池肉林だって聞いてここ来たけど騙されたよ」「いやだ、そのセリフ聞き飽きたわ。ヒロさん、マヨさんにたまに抜いてもらってるじゃん。シャバじゃご法度の行為だよ」この島で女性に相手にされない男性は<爺組>と呼ばれ、島に常駐する介護スタッフが定期的に性的なサービスを行うことになっている。バーテンのジュン君も女性棟にある秘密の部屋へ時折通ってるそうだ。詳しいことは決して教えてくれないけど。
そのジュン君が訊いてくる。「ダンさんって明日のアツシさんのお別れ会出ます?でも今週入って毎日朝から酔っ払ってて、このままだと胴上げもできない感じですよ」「ああ、先週のサトルさんもそうだったね。最後の挨拶くらい綺麗にできないもんかなぁ」いやいや、皆知っている。社会的に一度死んでこの島に来たとしても、島の友達が明るく見送ってくれたとしても、おのれの肉体と意識がこの世から永遠になくなることへの恐怖からは誰も逃げられない。そんなの最初から分かっていたことだ。
運悪く就職氷河期にブチあたり、大学卒業後も居酒屋のアルバイトで食いつないだ。ルックスがそれなりに良かったせいか女性にはモテてデキ婚の上30前に父親になった。家族を養うために佐川急便に入社。30代を仕事と子育て、それと時々の風俗通いであっという間に駆け抜けた。そして自分が40を過ぎた頃、父親が認知症になって全てが変わった。
もともとアルコールに溺れていた父の症状進行は早かった。自宅での介護を選んだ母の選択も悪かった。尤も施設に関しては公営老人ホームが入居2年待ちという状況で他に選択肢は無かったのだけれど。日中のヘルパー訪問や週2回の入浴サービスは助かったが、日に日に父が人格を失っていく中で、夜間の排泄介助や頻発する徘徊に母のメンタルも音を立てて崩れていった。父から激しく暴力を振るわれた夜「もう限界です」そう言い残して母は自ら命を絶った。父を道連れにして。
ちょうど仕事で腰を痛め退職したタイミングとも重なり、俺のアルコール依存生活が始まった。ブームになったフードデリバリーの業務委託を始めたが、時間の融通が利き過ぎる為かオンとオフの境目が曖昧になった。両親の死から数年後のある朝、二日酔いで自損事故を引き起こし、入院中の検査で認知症初期と診断された。飲み過ぎで脳が縮み始めているそうだ。父と全く同じじゃないか。嫁と娘の反応は冷たく、嫁からは離婚を仄めかされた。
そんな中、限界まで膨張した社会保障費(老人医療・介護・年金・生活保護)を削減するために、政府が新しい法律を成立させたことを知った。<令和の島流し>と呼ばれるこのプログラムは政府が指定するNPOによって運営され、島に上がる人間は安楽死を1年以内に受け入れることと引き換えに、労働からの解放と、衣食住と適度な快楽(アルコール・島内の自由恋愛・性的サービス等)が保証され、家族に対しては1000万円の一括年金が支給される。絶望状態にあった俺はこれに応募し、審査を経て半年前に上陸を果たしたのだった。
ちなみに上陸後のプログラムからの離脱は完全に不可能だ。島にはネットも郵便もなく、家族とのやりとりは一切遮断される。死亡後の通知も無しだ。一方でプログラム参加者の様子は政府によってモニタリングされ、NPOスタッフによる虐待がないことが保証される。これらはプログラムの安定運営と将来の参加者獲得のための必須事項であり、国会における法案審議の最も大きな争点であった。なお今の国会では安楽死の即時実行を条件とした一括年金3倍増プランを議論しているらしい。
「ダンさん、何だかボーっとしてるよ!」リンちゃんの声でやっと我にかえる。「私も見たけどさっき来た女の人綺麗だね。週末のダーツに来ないかな。でも今晩誰かに食べられちゃうかー」ふとテーブル席の男性軍団を見ると、早速ひそひそと作戦会議をしているようだ。そうそう、ここは通称<ハプニングアイランド>。プログラム応募者の中でも性的欲求が著しく強いグループが連れて来られる島なのだ(他の島のことはよく知らない)。ミックスゾーンの場合、爺組・婆組を除く殆どの男女が同性を除く全員と関係を持っているだろう。
そしておそらく政府がモニタリングした我々の性行動は全て詳細にデータ化され、将来の社会運営を担う人工知能に粛々とインプットされている筈である。「そうだね、今からでもマコちゃんに話をつけて今晩に備えるかな。でも自分の性癖としては他の男に散々やられた後、最後に優しく上書きしたいタイプなんだよね」「そうね、ダンさんって究極の寝取られ派だもんね。ミスターNTRさん」ふと顔を上げるとカウンターの向こう側でジュン君がニヤニヤと笑ってる姿が目に入る。その目の奥は不思議なくらい冷徹に澄んでいて、まるで我々の会話と表情を片っ端から読み取ろうとしてるかのようだった。
完
(このストーリーは今年の初夢で見た内容を元にしています。Twitterで連ツイスレッドが表示されない問題が発生してるのでコチラに一時保管)
15年来の友人が亡くなった。
初めて知り合ったのはTwitter上だった。同じらき☆すた好き同士で相互フォローになった我々は、時々タイムライン上で絡むようになった。
お互いにTwitter廃人だったし、当時のTwitterは今よりも活発(体感)で、息をするようにツイートしていたからほとんど毎日雑談してたようなものだった。
リアルで初めて会ったのもらき☆すたのオフイベントで、鷲宮町卒業式とかいう本来らき☆すたのオフイベントでもなんでもないんだけれど、配布される記念コインの絵柄はらき☆すたのキャラだったし当日はグッズも販売されるし、挙げ句ケロロ軍曹まで来るときたもんで(マジでなんで?)、当時の周囲のらき☆すた関係フォロワーはほとんどみんなこのイベントに参加していたんじゃないかと思う。
そんなこんなで当時18歳の自分と、当時29歳の彼は初めて対面した。若かった自分は彼のことをこの頃からすでにおじさんだと認識していたんだが、あなたこの時まだギリ20代だったんですね。すみません。
それからはまぁ相変わらずTwitter上で謎の絡みは続き、時々調子に乗った自分が彼を怒らせてフォロー外されたりもしたけれど、なんだかんだライブだのコミケだのイベントだのでリアルでも会うことは増え、歳が離れててもいい感じの友人関係が出来上がっていったのであった。
彼は最初から歯に衣着せぬというか、時々棘のある言い方もするタイプだったが、10代の自分に対しても対等に接してくれてとてもありがたかったのを覚えている。
そのスタンスはずっと変わらず、変に大人として上から目線で話したり説教臭くもならず、会うといつも本当にくだらない話やボヤきや愚痴を言い合ったり、たまに悩みを聞いてもらったり将来の夢の話をしたりアニメに関係ない他の趣味の話とかもしていた。
Twitterで絡むようになってから10年ほど経った頃、当時の仕事があまりにしんどくてTwitterで愚痴っていた自分に彼がなにげなく声をかけてきた。
「うちの会社中途採用やってるけど興味ある?(意訳)」だ。ちなみに実際は「はよ。」の3文字だったが。
元々彼の会社は知っていて、新卒のときに受けようかと考えたこともあった。めちゃめちゃホワイトな優良企業だ。
別に失うものもないしやってやらぁ!というわけで面談→面接×3→内定まで2,3ヶ月で決まった。
今で言うリファーラル採用というやつで、あっという間に彼との関係性はTwitter友達から同僚に変化した。
内定祝という名の飲み会で、もう40代手前なんですねwwwwなどと煽った気がする。気付けば彼と初めて会った時とほぼ同じ年齢に自分がなっていた。こうなればもう立派なおじさん同士だ。
入社後、彼はエンジニアだが自分はディレクターとしての採用だったので基本的に仕事は別々だ。
が、業務上絡むことは多々あったし、その点すでに関係性が構築できているから、職種は違っても業務上のやりとりは非常にスムーズだった。
相変わらず厳しいこともはっきり言ってくるタイプだったが、そこはもうすでに10年の付き合いでそのありがたみもよくわかっていたから、とても仕事しやすかったし学びもたくさんあった。
彼の顔に泥を塗るわけにもいかないので頑張って仕事に臨んだ結果、何度か社内表彰のノミネート(受賞はなし)もされたりしたので、ツテを頼らせてもらった恩には多少報いられたんじゃないかと思う。
それからは仕事終わりにはよく二人で飲みに行ったし、いくらホワイトといえど生じる会社の愚痴を互いに言い合ったりもしていた。
彼を含め、何人かの同僚とスキーに行ったりもした。
関係性がTwitter友達から会社の同僚になってからもTwitter上でのやりとりは続いていたので、シンプルに以前より深く関わるようになった形だ。
3年経った頃に自分が結婚式を挙げることになり、大変な中だったが彼も参列してくれた。
この3年は会う機会や飲む機会はめっきり減っていた。
休職期間中に一度食事をして近況を聞き、復職後にも一度一緒にランチに行った。
そこでここ最近の話や今後どうしたいかとかいつものようにあれこれ話し、こりゃ酒でも入れなきゃやってられねーな、となって忘年会か新年会をやろうという話になった。
それが昨年2022年12月だ。結局自分がコロナに罹ったりもして忘年会ではなく新年会にしようということになり、年が明けたのでそろそろ声をかけるかと思っていた。
そしたら先日彼が亡くなったことが社長の口から告げられた。享年44歳。
少し調べたら、誰にでも起こりうるし突然亡くなることもある病気だそうだ。
彼の死そのものについての感情はどんなに考えてもうまく言葉にできない。
ウェブ上でのやり取りが長かったとはいえ、15年間途切れずにいた関係性なんて他にはなかった。
悲しいし、正直まだ受け止めきれていないと思う。
あまり本気で死に向き合うと本当につらくなってしまうからあれこれ気晴らしをしてみたが、やっぱりふとした時に思い出して悲しい気持ちになる。
いつかと思っていた飲み会はもう今生では叶わぬことになってしまった。
改めて会いたい人には会える時に会うべきだし、伝えたい感謝は伝えられる時に伝えるべきだと思った。
今の会社に入らなければあらゆる面で生活に安定はなかっただろうし、本当に人生が変わるきっかけをくれた恩人だった。
何度も感謝は伝えたけれど、改めて伝えたいと思う。
あなたのおかげで今の僕があります。本当にありがとうございました。
またいつか酒を飲みながらあれこれボヤきましょう。
結婚だとか同居だとかをする前に確認をしておかないといけないことは、
その人物がテレビをつけっぱなしにしないと生きていけない種族(これの呼び名はまだない)かどうかだと思う。
もちろん自分がテレビをつけっぱなしでないと生きていけない種族ならば逆のパターンだ。
同じか少々大きいくらいの音量ならまだ道路工事の音の方がマシというものだ。
テレビというのは視聴者にテレビを見てくれ!と常に大げさな演出が施されている。
なのにその内容自体に全く興味が抱けない人間にとってそれは拷問でしかない。
頼まれてもいないオススメTweetを羅列してくるイーロン・マスクなんて赤ちゃんの微笑みのように可愛らしく感じられるくらいだ。
だいたいにおいてテレビをつけっぱなしでないといられない種族の人間はテレビを見ていない。
同じ番組の内容に対する理解力が極めて低いことからもそのことがわかる。
こういうことがある。
ダダッ漏れっ放しの朝のバラティニュースで間もなく天気予報が始まるというところでチャンネルを変えた同居人。
(そうテレビをつけっぱなしでないといられない種族の人間はチャンネルを固定すると死んでしまう病にもかかっている場合が多い。)
そのあとでいう一言。
その答えはお前がチャンネルを変えなければテレビ様が教えてくれていたことだろうよ…。
みたいなことを何度も繰り返すことになるから、
そして大事なことはテレビつけっぱなし属性の人間は他人の話を聞いていない。
テレビ属性はどのようになっているのか事前に行動でしっかりと確認しないといけない。
私の同居人が時々、外の人間に向かって言うことは「テレビなんて見てないしどうでもいい」、だ。
そして、もちろん家では一刻たりともテレビの電源を消すことはしない。
余談
なにわともあれテレビがないと始まらないだろうとテレビを視聴するためのカードを買うための千円札をたくさん持たせようとしたときの答えが
もちろん、手術が終わって次の日に言ったことは
だった。
最近身内のことで動き回ってんだよね。
妹と親は一緒に住んでるけどもうめちゃくちゃ関係が悪い。親が長期で入院するってなったとき早く死ねって言うとか、用があって話しかけても一切口聞かないとかモラハラな妹。デリカシーないから傷つける言葉をポロッと言う親。この親にしてこの子ありって部分もあるけどそれにしたって子、濃縮しすぎやしないか。
わたしは少し遠いところで暮してるから普段のことをぜんぶは分からないけど、とにかく一緒にいるのに向いてない2人だと思う。どっちも「ストレス溜まる」ってわたしに言ってくるもん。
そのうえ妹はちゃんと仕事してるのに家にお金も入れてないみたい。収入が激減した親に養ってもらってる状況。それなのに少し前に親からもらったそれなりの額のお金をぜんぶ遊びに使い込んだり、もう分からない。
お金も入れないし家事もなんもしないどうすれはいいって相談されて、きちんと毎月かかってる費用払うことを話し合いして取り決めしたけどそれでも文句言ってくるとか。そんならとっとと追い出せって言うけどなんにもできない親。
親も親で言動やらに問題ありなのでどっちが100悪いとかはないんだけど、せめてお金くらいはきちんとしといてほしい。そして間に入る私の身にもなってくれ。この家私いなくなったら包丁向け合ってしんでそーだな。
仲良くなってくれとは言わないけどさ〜解決する方法思いつかないんだよね!食欲ばっか減っきますわ〜オチがいつか着いてくれることをねがいます
診療報酬は大学病院のほうが高いって法律で決まってるから町医者のほうが儲かるって理由はないよね
なんなら大学病院を選ぶと日帰り検査のはずが病理研究のため入院になって高くついたって人もよくきくよ
町医者ではあそこはちゃんと患者を直せるって評判による競争原理もしっかり働いてるよね
共産主義みたいなこというね君
今朝、Mac mini や MacBook Pro などの新モデルが発表になりました。どれかは買いたいと思います。
そんな傍ら、私は「肺MAC症」という病気にかかりました。体の中も外もMacだらけです。もちろん朝食は朝マック。
肺に MAC(Mycobacterium Avium Complex)という菌が感染して起こる病気です。咳や痰が沢山出ます。
私のような素人が医療情報について詳しく語っても無意味なので、↓の兵庫医科大学病院さんの解説なんかを読むと良いです。
https://www.hosp.hyo-med.ac.jp/disease_guide/detail/181
あくまで私の場合ではありますが、1ヶ月間ほど入院して点滴で薬を投与されたのち、飲み薬での治療を受け続けています。
すみません、私がMacを使い始めたのは1996年頃、PowerPCが主流になり始めた頃です。68kの頃からのユーザの皆さんには頭が上がりません。
下方婚したけど割に合わない。オススメしない。結論、金は大事。
30代女。大学時代の同級生と20代後半で結婚したけど相手が鬱休職して以後専業主夫。もう30代なので肉体的な焦りもあり、この度妊娠出産、産休中。
元々私のみの一馬力で平均世帯年収より上の年収があるのでいけるかと思っていたが、妊娠出産という壮絶ディスアドを舐めていた。シングルインカムなので自分が働けないとなると心配が募りまくる。
まず、妊娠。思ったより何倍も身体に負荷がかかる。幸い妊娠中はそれなりに健康妊婦だったが、もし入院とかになってたらと考えると恐ろしい。その間の収入ってどうなるの。
会社制度。産休に入る直前に知ったが、弊社だと手当金やらなんやらで基本給分はカバーされるが、各種手当が減らされるので実質かなりの減額。今後育休となっても同じ感じの様子なので不安だし育休取らないことを考えている。
産後の自分の体。股が裂けて痛い、身体中が痛くて動けない。眠れない。産後うつ気味で意味もなく涙が溢れる。胸が張って痛い。この状態がいつまで続くのか、仕事に戻れるのか不安。戻れたとしても今まで通りガンガン残業できる自信なし。
子。かわいい。大変。夫が専業主夫なんだからメインは任せると思っていたが、それこそ世間で揶揄される理解ない夫の如く全てを任せることは自分の道徳的にも、また産休で家の中にいる以上、無理。結局やることになる。じゃあ夫が専業主夫の意味って何…。
夫とはいい人で、付き合いも長く大好き。子なしの時は大して不満はなかったが、今は頼りなくて不安で堪らない。もっとおおらかな心で子育てに向き合いたかったけどずっと復職の不安に怯えている。なんで私ばかり…と思わずにはいられない。私まで鬱になったら共倒れは避けられない。
妊娠も出産も私というのは生物的に仕方ない。しかし夫婦の生計も子供の今後の養育費も全て私というのは肩に掛かっている不安がやばい。男女平等とかどうでもいい。妊娠出産した上で更に自分が主たる生計者というのは本当に不安。今は身体と精神が一刻も早く戻って前のように働けることと、子供が無事成長してくれること、そして夫がどうにかお金のことを考えて働き出してくれることを祈るのみ。
独り言だ。
斗比主閲子のブログで、「職場の後輩二名が~」ってタイトルの記事があったんだが、あれは数年前にバズった増田の日記そのままだよな。
「職場の後輩二名が人間関係トラブルで相次いで退職。自分は傍観者で守ることができなかったのが苦しい。どうすればよかったのか」
https://topisyu.hatenablog.com/entry/2023/01/13/073000
市役所で働いてる子がうつ病で入院して~のくだりがモロに被っていた。年増の奴が若い子からモテてるのも、おっさんが書いたみたいな文章なのも…笑
内容は普通にキツかった。ちょっと不幸なくらいならメシの種になるけど、ガチで不幸なやつは笑えん。特に若者が不幸になるのは。
某県の「もともと精神疾患」「新型コロナウイルスに罹患」「在宅や施設などでの対応が困難」なケースを受け入れる病棟で働いている看護師です。
当院はもともと精神科病院でしたが、県の要請で2年前くらいに病棟をつくりました。
スタッフは精神疾患(認知症含む)の方の対応は慣れている一方で、呼吸器の管理は決して強くありませんし、重篤な呼吸器ケアに必要な器械も十分にはありません。
ですので、当院で受け入れる患者さんは「そこまで超積極的には治療はしないけど、食事や水分が入らず、点滴とか酸素が必要」「日常生活の援助が必要」「精神疾患に伴い、安静が保てない。または個室での生活が行えない」などの認知症のご高齢の方がメインとなっています。
(もちろん、知的障害グループホームなどでのクラスターなどでお見えになるケースもあります)
この状況下なので、ベッドは既に満床です。
ご存知の通り、県内のさまざまな施設でクラスターが起きています。
現場は……一言でいうと「相変わらずだ……」といったところでしょうか。
もう何度も繰り返してきたことですが、感染者が増えると業務量が爆上がりします。
その他、病院内で起こっていることといえば、
①スタッフも濃厚接触者や罹患者となり、かなり人が減っている。
②スタッフは状況がキツくなっているため、普段は柔らかいスタッフもピリピリ気味。
③「春にはコロナ病棟はなくなる」「加算がなくなるらしい」という話だけが広がっていて、具体的な政策については伝わってこず。
④スタッフは今度のこと(自分の配属や病院の体制)がどうなるかわからないため、困惑している。どうなるのか全く見えないため、不安になっている
⑥持病や信念などでワクチン接種をしていない患者では、急激に状態が悪くなる場合も多い。状態が悪い方が病棟内でも増えているため、ケアの必要度の密度があがっている。
⑦病院では外来でワクチン接種をやっていますが、以前に比べると接種希望者がどんどん減っている。
⑧感染予防という名目での行動制限(一応、精神保健福祉法に則っている)隔離・拘束も増えている印象。
……という感じです。
とくに⑧は顕著だと感じます。
でも、この体制下でどうやったらそれを解決できるかは今の組織では検討もつかないという現実があります。
上層部は「行動制限は最小化しなさい」「人権を守りなさい」「感染対策をしなさい」「今まで通りのケアをキチンとしなさい」「殴られた?患者さんのことを尊重しなかったのではないですか」「あなたたちスタッフのこと?知りませんよ、自分の責任でやりなさい」「言葉遣いがわるい!それは虐待ですから、退職を勧告します」などという感じです。
もうちょっと、一緒に考えてくれてもよくない?
あと、看護部長……けなすばかりじゃなくて、たまには病棟に来て励ましてくれないかなあ……
がんばった。わたし、がんばったよ。
こんな私ですが、誰かの役には立ちたいんです。
誰か、おうえんしてくだしあ。
修論の話を見るたびに思い出す。
修士を25で中退した。一度留年させてもらって、それでも論文が手に付かず結局中退した。
今でもどうすればよかったのか、多いときで3日に一回は悪夢のように蘇ってくる。特にお風呂の中で考えることが多い。
テーマを自由に決めていいから、勝手にやっててね、ただしダメ出しできる範囲でダメ出しするよというタイプの研究室だった。
修論でも大きいことをやりたいと思っていた。
でもそれがダメだったのかもしれない。
テーマ選びをし、ダメ出しされ、テーマ選びをし、ダメ出しされ、なにか新しいテーマを考えるもなにがわからないのかわからなくなり、、、
結局教員にも相談できず先輩同期にも相談できず、一人で悩んでるうちに病的にに論文が手に付かなくなり最後の半年くらいはPCを見るのも怖くなっていた。
プライドがあったのか、そもそも何を相談すればよかったのかわからなかったのか、なにもわからないなにがわからないかがわからないと叫ぶのが惨めだったのか。
もっと教官を頼ればよかった、もっと先輩に頼ればよかった、惨めな思いをしながら泣きついてでも苦しんでいることを相談すればよかった。今ではそう思う。
死なない程度の大怪我をして入院しながら大義名分で休めるようになって研究したいと思っていた。
それくらい錯乱していた。今思うとうつ病だったのかもしれない。
もう研究者になりたいという野心は捨てたし、研究者への夢をじっくり3年かけて諦めただけに圧倒的な劣等感に苛まれながらなんとか生きている。
よく東大出身なのに謙虚だねと言われるけれど、謙虚どころか圧倒的な劣等感を感じざるを得ないというのが本当のところ。
ちゃらんぽらんでも修士を卒業する人がいるなか3年かけて中退したのだから。
でもまだどこかでアカデミックへの憧れとか捨てきれておらず、修士の3年間を悪夢のように思い出す。
このサイトを見て当時熟読してればまだ少しは救われたのかなと思う。
治療期から回復期リハビリ病棟に移動になったら、転院ができないということ。
なんだよそれ。
回復期リハビリ病棟に移動するときに言ってよー。移動も事後報告だったしさー。
たまにリモート面会で15分ほど顔をみて話すことはできますが、病院の雰囲気もわからず、病院スタッフの方とお話することもほとんどできず、
年末年始とコロナ渦で、病院とコミュニケーションがほとんど取れないまま、希望する対応ができないのなんなの…
今のところは、1ヶ月後には施設に移される感じ。
叔母が亡くなった
59歳だった
今の私を形成している三分の一は叔母の影響じゃないか、と思うくらい
私の従姉にあたる人
もちろん私は従姉のことも大好きで尊敬している
だからこそ、この叔母の死がどうしようもなく
悲しくて空しくて、未だに実感が湧かないのだ
叔母にはたくさん迷惑をかけた
叔母からはたくさん楽しみをもらった
たくさん甘やかしてもらった
私の実家は母親の実家でもあるので、叔母が帰ってきてみんなでお酒を飲みながら、くだらない話で笑うのが大好きだった
叔母の死因は最終的には悪性リンパ腫ということだった
私は例えば反ワクチンのような考えではないし
頭では「新しい薬が生まれるときにはこれまでもこういうことが起きていたんだろう」ということは理解している
けれどもやはり、じゃあなぜそれが叔母だったのか
叔母は自身で「この苦難に立ち向かえる闘える人だから選ばれたのだ」と綴っていたが
いくら叔母が強い人だからって、こんなのってないだろと思うことしかできないのだ
叔母の父親、つまるところ私の祖父を4年前にガンで亡くしている
昨年、入院中の叔母の写真を見たときに闘病中の祖父とそっくりになっていて、本当にショックだったのを思い出す
私が最後に会った叔母は、美味しそうにバーベキューの肉を頬張る姿だったから
叔母らしい戒名を見て、少し綻んで
そして、やはりずっと「なぜ叔母なのだろう」という気持ちがぐるぐると巡るだけだった
最後に、たくさんのごめんなさいとたくさんありがとうをちゃんと伝えたかった
全然伝えきれてない
と言われたことをずっと忘れず覚えて生きていた
私はまだ、良い経験値を積むことはできていない