はてなキーワード: 西陣織とは
@segawashin
ものすごいバズってる舞妓さんの告発、個人的にはチト様子見なのだが(虚偽だとは思わないが語り手の様子をもう少し見定めておきたい感じがする)、一般論として言えることとしては、京都の「伝統」にはああいう人権を完全に軽視したものがまだかなり含まれてるんじゃないか。西陣織とかも有名だが。
https://twitter.com/segawashin/status/1541244957440151553
アホか。
《元舞妓告発から1カ月》桐貴さんの訴えを封殺する“花街の体質”から見えてきた“お座敷セクハラ”が横行するワケ「舞妓は“子ども”なので『わからしまへん』と返すしかない」
文春オンラインって虚偽を載せ続けすぎ。
女ってクズばっかりだな
桐貴清羽(Kiyoha Kiritaka)
@kiyoha_xxx
いわゆるアスペでなくても利害関係があったり信者ならどんなトンチキな庇い方だってするぞ
例:Valentino(ヴァレンティノ) が 2021年3月末頃にやらかした『帯(kimono-belt)踏み歩き広告』事件
日本和装の社長だが、広告に出演したモデルKokiの父、木村拓哉が『日本和装』のCMに出演して
利害関係があった為
アスペ夫・もしくは親にすがって生きなきゃいけない可哀想なあたしさんな気がするけど、
他人の感情・体験をトレース出来無いとか物事の認知の仕方とか定型発達とかの話以前に
増田が持っている良感情・良概念をそもそも持ち合わせていない、持っていても極めて薄い可能性がある
当たり前の話だが正しく実感として認識できている人は少ないのでインパクトのある言葉を使うと
『シリアルキラー(犯罪者)ですら持っている良感情・良概念を善良な一般市民であっても持ち合わせていない可能性がある』
社会的に得をするので良感情・良概念があるように振る舞っているだけで、実際はところどころ欠けてたりするもんだ
Valentino(ヴァレンティノ) が 2021年3月末頃にやらかした『帯(kimono-belt)踏み歩き広告』が
約1年後の2022年1月末になって今更気になったので思った事をいくつか
悪気はなかったー・キャンセルカルチャーガー・自由の表現なんちゃらの逆張りは今更どうでもいいです
西陣織工業組合・博多織工業組合が正式に抗議を出しているのが全てだと思います
クリエイターなら文化の尊重以前に自分以外のクリエイターの作品に敬意を示す"フリ"くらいはしましょう
「襟を正して反省示せ」 ヴァレンティノ「ハイヒールで着物の帯踏む」CMに抗議 京都の和装団体|社会|地域のニュース|京都新聞
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/541075
>西陣織工業組合の舞鶴一雄理事長は「職人が汗水を垂らし、命を懸けて作ったものを踏まれてどう思うか。ものづくりをされている方へのリスペクトを示してほしい」と述べた。
▼ Valentino の帯(kimono-belt)ハイヒール踏み歩き広告事件を見て思ったこと
日本和装といえば、無料着付け教室を全国で展開して、CMも打ってるアレ。受講生に着物やら帯やらを売って、そのマージンで運営しているわけで、当然講座中にも「着物買え」っていう機会を設けている。それが「セミナー」。メーカーから問屋を複数とおすのが通常のところを、メーカーから日本和装一カ所を通すだけなので、呉服屋から買うより安い、たぶんメーカーも問屋への卸より上乗せしているんだろう。で、講座終わっても勝手知ったるところに頼む流れになるので、生徒は長らくお客さんになる、と。そういう商売なのである。
着付けを習う=初心者=着物仕立てたことはない、というのが通常想定されている。だから、いろいろ見せられ、呉服屋で買うより安いですよ、と言われて、せっかくだし一揃えはいいものを、となって買ってしまう。恐ろしいね、セミナー。
しかし、だ。
着物をどれだけ着るかは、まだ未知数の段階と言っていい。そもそも、’いい着物’ではなく気軽な小洒落た普段着として着物を選んでみたい、という程度の人もいるだろう。今なら、ポリエステルの可愛い柄の着物や半巾帯が気軽な価格で手に入るのである。むろん、正絹の方がいいに決まっている。だが、高価で手のかかるものを最初から持つことが良いとは言えないだろう。
それを、「いいものを持てば、着る機会を積極的に作るようになる」「ポリエステルは良くない」「自分への投資」などと言い立てて30万円の帯(おそらく問屋を複数通ったものよりは安いのであろうが、一般市民がぽんと払うにはやはり高い)、30万円の着物を買わせるのはいかがなものか。
なお、私は普段着としてポリエステル、ウール、デニムの着物(自宅で洗えるのは重要)と半幅帯や作り帯を愛用し(帯で腰が支えられているのは、楽なのである)、つい先日別ルートで着物と帯の仕立てを頼んだばかりである。つまり、セミナーだろうが何だろうが要らんのである。金もない。ただし、仕立ての件についてはセミナーの場では告げない。面倒なやり取りを増やす気はないのである。「自分に使える金はない。すっからかんである。」という設定を貫く方向で臨む。ルールはこれのみである。
今回のセミナーとやらは、着物界隈では有名らしい帯メーカーのもので、会場には色とりどりの帯が持ち込まれ展示されていた。帯のほかに着物や襦袢の反物もある。これがミソなのである。
午前中は西陣織の製法や糸などが紹介され、帯に触ることもでき、なかなか興味深く面白いものであった。置かれている帯はたしかに質がよく、思いのほかモダンでお洒落で大変魅力的である。
午後からは、この素敵な帯を中心としたコーディネート、と称した販売(いくさ)である。
まず、好みの帯を展示されたものから選ぶ。せっかくだからと二つ選んだ。
「どんな着物と合わせたい?」
では、とひとつ面白い生地があったのでそれを選ぶ(なお、帯、着物とも、私が仕立てに出したものと色合いを似せた(特色は全く違うのだが))。
さっそく反物を着せられる…着物はほどくと反物に戻る、というのがこういうときによくわかる。反物も帯もとても良い。おしゃれである。金があれば買うな。しかし今は金がない。うん、ないぞ、金は。
やはり、この色は良いよね、と数日前の自分の選択にも満足したところで、戦のはじまりである。
「どっちの帯がいい?」と当然買う前提で言われる。
こっちがいいが、今は買う金がない、という旨を述べると(自分の名誉のために言っておくが、着物と帯ふたつ買う金はある。がこれ以上着物に使う金はない。)、
「月にいくらなら払える?」と言われる。
何言ってんだこいつ。しかも勝手に計算始めてひと月なんぼの何回払い、と、おいおい着物と帯2つのお値段じゃねーか。
分割でも払う金はない、と言うと「実家ぐらしで余裕はあるはず」(そんなこと言った覚えはない)「月賦があるから仕事を頑張れる」(追いつめられてるだけじゃねーか、アホか)「この機会を逃したら二度と買えない」(毎季新作出てるから、別のものでも気に入ったものには毎年出会えるだろ)と、まあ、想定問答集くらい作ってあるんだろうなと思わせるやり取りが続く。
人に借金させることに何らの呵責もないのである。この人、何パーセントもらえるんだろう、とうんざりと考えながら、ヒトヤマ当てたら何ぼでも買う、と言っておく。
分割払いは借金なのである。債務である。服のために借金するか?必要でない服飾品の購入による債務負担は浪費であって、破産の場面では免責不許可事由として申立書に記載すべき事情である。生活を圧迫してまで着物を買う義理などないし、そんな義理があったらすでに色々ヤバい。弁護士か精神科医に相談してくれ。
「ウールだとか木綿だとかは、ジャージみたいなもの。コンビニ程度にいくならまだしも電車に乗って出掛けるには論外」と人の持ち物をdisるdisる。うるせえ黙れ。
とっかえひっかえできる価格の範囲で、ポリのキュートな柄や、デニムやウールの素朴な風合いを楽しむのは、H&Mやユニクロの世代には普通の感覚ではないだろうか。そのなかで、一生ものと言えるような、自分の気に入ったものを買うこともあるかもしれない。だが、それを他者に強要されるいわれなどないだろう。
こんなことやってるから、和服廃れるんやで…と謎の関西弁を胸の奥で繰り返しつつ、右から左に受け流すこと数十分、私が頑に買うと言わないのでやがて売り役はスーッといなくなった。
ふう、やれやれ。
やっと解放されて、気になっていた草履を検分する。草履はなかなか足に合うものがなく、下駄と1000円草履でしのいでいたので、足に合えばこれを機にひとつ欲しいところではあった。まあ、現にはき心地もよく、台の色が選べ鼻緒も帯地のシャレオツなのを選べたので、5万と高額ではあったが買うことにした。草履ばかりはどこに行ってもこれ、というものがなかったのでよしとしよう。
さて、時間もなんぼかあったので、半巾帯を眺めていたら、またも帯を出してくる。いわく、両表の仕立てができるから、好きな柄を選べと。へーへー。片面10万ね。へーへー。でも、模様はシャレオツなのである。和柄スキーとしては眺めるだけで楽しいので、最後まで買うとは言わずじっくり眺めさせてもらった。最後には、金がないから、宝くじ当たったらな、と断ったが。すると、分割払いにして、宝くじ当たったら残額一括で払えばいい、と。てめえらの血はなに色だー、とレイの真似くらいしてもよかろうと思う。
個人的見解であるが、襦袢は普段着用なら自宅の洗濯機でガンガン洗えるものがいい。肌襦袢を着るとしても、こまめに洗いたい。絹では自宅の洗濯機で洗えないので、絹で襦袢を仕立てるとしたら、それは宝くじが当ったり石油王に嫁いだりして、洗濯ごときに煩わされないようになったら、である。肌触りやら着心地が如何に優れているとしても、洗濯という現実から目を背けるつもりはない。
と言うと、案の定
「ポリエステルじゃダメよ〜、襟の袷が決まらないでしょう云々」
あー、はいはい。言ってろ。デュポンの回し者ではないが、石油製品であるところの襦袢の洗えるという最大の利点に軍配である。
なお、いい着物用になる絹の襦袢はお下がりがあるので当面それをあてる予定である。
この頃になると、帯やら着物やらを見すぎて頭も朦朧となり、受け答えも面倒になっている。とにかく草履以外は買わねえぞコンチクショウ。
で、ほかの受講者は、というと。
私を含めて4名いて、2期以上受講している人はさすがに買っていなかった(既に数着買っている)が、少なくとも一人は買っていた。もうお一方は分からない。私はその行方を見届ける余裕もなく買え買え圧力と戦っていたからである。
要らないものは要らない。金はない。借金なんてもってのほか。という強い意志をもって臨まないと、ほわわん、としていくとつい買ってしまいそうであるおそろしや。
恐ろしいことに、これはたぶんクーリングオフ対象外となる…着物はクーリングオフ指定商品にはなっているが、店舗に消費者自ら足を運んで購入した場合は除かれる…セミナーに自ら申し込んでいるので、店舗に自ら足を運んだ形になっていると思われるのである。
クーリングオフではなくとも、強迫で何とかなるかもしれないが、なかなかハードルは高い。
なんかもうメンドクセーから、草履の代金払わないで講座の残りもばっくれちまおうかな…。と思わなくはないのである。だが、あの草履は気に入ったのであれだけ手に入れて、しかる後にばっくれるかな…。
書き起こし、ざっくりと読んだつもりで書きます。
要するに、
為末は、異文化のものは、そこの文化のものとして作品を仕上げろ、
宇多丸は、異なる文化だけれど、それを色々とアレンジして作品を作り上げてもいいのでは?
という主張のように読めた。
話飛んじゃうけれど、最近知った話に、京都の祇園祭のほとんどの山車にはペルシャ絨毯が飾られているらしい。伝統的な日本の着物柄と思われている京都の西陣織の柄、あれはペルシャ絨毯の柄から影響されて出来上がったと見るのが妥当な見方じゃないかと思った。要するに、いくら伝統的な文化といえども、他文化に影響されあって成立してくるもの。文化てそういうもんだと思う。
なので、宇多丸の言い分はぐちゃぐちゃ言い訳がましく見えるかもしれないけれど、宇多丸が言ってる方が納得がいく。
そもそも、ラップはスラングとしてジャマイカ英語がよく入ってくる、他文化混入を否定するようなら、ラップやヒップホップの全否定につながりかねないんじゃないかと。
一時的な流行が、長年の年月を経て生き残り、一定の方向性を持つと、初めて一つのスタイルやジャンルとして認識される、とかなんとか言ってる人が居たような。だから、日本のラップが時間を経て、一つの形を形成すれば、それこそ演歌(これも西洋音楽をベースにした民謡ちっく音楽)のように残り続けてスタイルを確立できれば、そのうち一つのジャンルとして認識される事も有ると思う。間接的に宇多丸が言ってる事でもある。
あとは、好き好きの問題。演歌が嫌いな人に演歌の良さを分かれと言っても無理なように、日本ラップの良さを分かれと言っても無理な話(自分には解らないけれど)。好みの問題。
スタイル云々で批判される時点で、まだまだ確立されたジャンルではないけれど、結局は日本ラップが補完されていくプロセスの一つになるので、ジャンルとして確立する手前まで来ているのかもしれない。
http://anond.hatelabo.jp/20110211132856
東山区 清水寺や三十三間堂など観光名所を多数有し、区内に在する国宝が建造物だけでも軽く2ダース以上。京都といえば観光、観光といえば東山
上京区 京都御苑・京都府庁があり、西陣織・友禅など伝統産業も盛ん、上京こそが京都の政治・経済の中心地。
左京区 京都大学をはじめ文化施設が集中。左京こそ京都の学術・文化の中心地。
北区 高級住宅地が集中、金閣寺を有し有名私立大学も多数あり。『職場は上京区の人でも住んでるのは北区なんだからネ!』
右京区 仁和寺や嵐山など、京都通が好む観光名所が多数。『清水寺より嵐山のほうが観光客数は多いんだからネ!』
中京区 繁華街が集中、その名の通り中心地。ただし下京区から分離して新しく作られた行政区『京都府庁より京都市役所のほうが予算は大きいんだからネ!』
下京区 「上・中・下」の分かりやすすぎるヒエラルキーの一番下。ただし、東西本願寺などを抱える古都でもある『東山区も中京区も、昔は下京区だったんだからネ!』
南区 工場だらけ、自動車だらけ、排ガス等々環境わるし。しかし京都駅と高速・京都インターを有する。『南区こそ京都の玄関口なんだからネ!』