はてなキーワード: プロポーズとは
今回の新型コロナによる不況は、下記の記事のように、元々サービス業・非正規雇用者が多い女性へのダメージが大きいそうだ。独り身を嘆いている男性諸君は今婚活を始めれば有利な結婚ができるのではないかな?
https://www.bloomberg.co.jp/news/videos/2020-10-19/QIFGL2DWRGG701
先月の自殺者 去年より40%増加 女性が大幅増 コロナの影響も 新型コロナウイルス NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201110/k10012704501000.html
こんなことを思いついた理由は、私自身も、妻と結婚したきっかけが彼女の新卒就職の時期とリーマン・ショックの不況が不幸にも重なったことがきっかけだったからだ。
当時の私はエンタメ業界の裏方(機材やハコの手配や経理・総務的な事務全般)、彼女はエンタメ業界を目指す専門学校生だった。
元から裏方希望だったわけじゃないし、なれるなら華々しいプロデューサー職をやりたかったけど、「○大卒なら数字強いでしょ? 書類仕事できるよね?」と押し付けられてこなしているうちに裏方が板に付いてそろそろ10年という状況。
妻との出会いは、知人が妻の通う専門学校の講師で「生徒たちに、業界に入ったらこういう裏方さんにもお世話になるんだ、ということを教えてやって欲しい」と、何度か授業に呼ばれて講義後の懇親会で就職の相談に乗ってあげたこと。
妻は勤勉で熱意のある学生で、私も何度か会って書類選考でのポートフォリオの見せ方などできる限りの助言をしたけど、就職活動の時期が悪すぎた。今回もそうだけど、世間が不況となるとエンタメ業界って真っ先に仕事も求人も削られちゃう。
専門学校を卒業して晴れてフリーターとして社会に出るハメになってしまった彼女の憔悴ぶりといったら見ちゃいられなかった。
そこから、なし崩し的に寝て付き合うことになって、バイトをしながら続けていた業界への就職活動が一向に実らない彼女が自殺願望を仄めかした日に「もうこの子は俺が守ってやるしかない」と覚悟を決めてプロポーズした。
その後、エンタメ業界に見切りを付けて他業種に転職したり、色々苦労もあったけど子供も生まれて、ありがたいことにコロナ不況に強い業種・ポジションでまあまあ幸せに暮らせている。
結婚当時の私の年齢はまだ結婚を諦めるには早かったけど、流石に学生の女の子から見たらオッサンもいいところで相手にはされないだろうという自覚はあったので、妻と結婚できたのは結果だけ見れば相当に有利なディールだったと思っている。
今のコロナ不況で苦境に陥っている女の子は多いことだろう。自分が元いたエンタメ業界で例えるなら、ウェイトレスのバイトをしながらいつかはブロードウェイのミュージカルに、みたいな夢を持って生きていた女の子にとって、バイト先のレストランではクビになるわ、夢見ていた演劇はクラスター発生装置と叩かれて当分の間自粛を強いられるわで本当にキツい状況だと思う。って、ここはニューヨークじゃねえけどさ。
もしこれ読んでる男子で、知り合いにこんな感じの飲食・小売で生計立てつつエンタメ業界を目指している女の子がいたら、これまではちょっと高目で声掛けられない美人でも、今連絡してあげたらワンチャンあるかもよ?
いまどき別に必ずしも結婚しなくてもいい、いろんなスタイルのある時代だしさ。なんで結婚するの?
って自分でも思うから、相手からのプロポーズがない限り、永遠に何も起こらない/起こっていない私……
長いことお付き合いしていて、普段は超なかよしで、浮気とかないし信頼関係があること自体は疑ってないんだけど。結婚……?
ずっと一緒にいたいし何となく子供を持つ想像もするし、結婚したいかな…って気持ちはぼんやり持ってる。でも、多数派のモデルに合わせて焦ってるのかな?ほかのロールモデルを知らないからじゃない?って自分で思ってわからない。そんなに積極的になれない。
とりあえず意見表明してみたら状況変わるかなと思って、前に一度結婚したいなって言ってみたことあるんだけど、なんか流されちゃって、あー相手も結婚したい感じじゃないんだなって思うから余計に……
最高の相手だからずっと一緒にいたいとは思ってるんだけど、実際のとこ自分が共同生活とか子供とかを好きになれるかはわからないし。結婚ってなんなんだろ。動機がはっきりしないのでふんぎりつかず。もやもや。
一部はてなーは配偶者や子どもを作れブコメに対して、依存するなとか言うけど、
人は自分自身で幸せになるしか無いのだから、他人が幸せになることに責任を持たなくてよい
自分で作った家族と過ごす多幸感は人間の根本的なところに根ざしててかなり強力だ
抱擁、性交渉、授乳行為など動物として幸福感を得やすい行動がとりやすい
家族を作り、子を育てる行為は社会的な人間としての自己肯定感を高める
何者になれなくても、配偶者にとっての最愛の人であり、子にとっての親である立場は他の誰にもできない。自身の輪郭がぼやけがちな人には強力な薬になる
孤独は人がいつまでも克服できない病だ。もちろん家族を作ったからと無くなることは無い。しかし家族と家族ができたことで発生する関係は多少孤独を癒すだろう
ただこんな時代に生まれてくるのは不幸だと断じるのは傲慢だ。幸せにしたいという気持ちは思い上がりだが、その気持ちはきっとポジティブに働くだろう
観測できない他人の幸福を推定して自身の振る舞いを制限するのは勿体ない。生は限られた時間だ
家族に依存しても良い、相手の振る舞いを過度に制限しなければ。ただ依存することは自身の幸福のコントロールがしにくくなるので勧めはしない。
家族に過度に求めすぎな人は、付き合いはじめやプロポーズ、子どもが産まれた時に感じたであろう、ただ存在してくれることへの感謝、喜びを思い出そう。いてくれるだけであんなに幸せだったじゃないか
※人を育てることは子どもを持たなくても相手が年上であっても可能。ポジティブな感性で人と交わることは互いを育てる。再生産の有無や養育の有無は関係無い、どちらも無い人を批判する意図は無い。このエントリのテーマは自己満足だ
※このエントリの家族を持つことで幸せになれるという言説も自身の幸せを人間の幸せに拡張して他人の幸せに踏み込んでおり、傲慢でしかない
・30代・女。安全に二人も子供産むのは難しいかもしれないねって年齢
相談所のシステムというか入会後の流れをざっくりと書くと以下のような感じ
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連絡先を結婚相談所を介して教えてもらう。
3回ほどデートして『真剣交際』に進むか、お断りするか決める。
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『真剣交際』になったらあとはもうデート重ねたり親族に会ったり。
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お互いのキリの良いタイミングで『成婚退会』。
プロポーズされたら成婚退会って感じ。
・お見合い
私の場合、お見合いの申し込みは40件/月くらい。実際にお見合いしたのは10件/月かな?
全員に会うのなんてもう無理なのでどうしても厳選しないといけなくなるんだけど、
どうせ借りるならスキルマ凸礼装付き…くらいな感覚になっていくのが辛かったな。
「うわ絶対会いたくない無理」みたいな人は全然いなかったので、大分心苦しかった。
お見合い自体は、一時間喋るだけでも結構合う合わないは分かるもんだな~って感じ。
よその相談所の会員からも申し込みが来るので、同じようなオタクだったのは半数かな。
漫画読むよ~配信サイトでアニメ見るよ~ってだけで普通の人も多かった。
・仮交際
なるべくお見合い後、一週間以内に1回目のデートをするように、って相談所からは言われる。
実際、2週間近く空くと気持ち冷めちゃうというか、同時並行で他の人とも仮交際なりお見合いなりしてるから、
よっぽど第一印象良くないと他の人に抜かれてしまうってところはあると思う。
でもお見合い予定がもう入ってて、デート予定を入れるとこ無い…みたいなことはやっぱあって、難しいね。
交際ってなってるけど、結婚に向けての準備期間って感じだった。
親へのご挨拶とか、親同士の顔合わせしたりする。この辺は人によるんじゃなかな。
「これをしなさい」みたいな指示は男性側に来てるんだと思う。私側には特に何にも連絡が無かった。
希望によっては6か月まで伸ばしても良いみたいだけど、6か月以上になるなら成婚とみなされて成婚退会になる。
こんなシステムなので、3か月前に初めて会った人との結婚意識すんの?!って人は辛いかもしれない。
痒いところに手が届く!みたいな感じでは無くて、「求めよ。されば与えてやらんこともない」という感じ。
「これから6か月以内に成婚退会目指しましょうね!!」って口酸っぱく言われたから、
見込みのない会員をズルズルと泥沼化させよう、みたいなことは考えてないとは思うんだけど、
どんな人にも手厚くきめ細やかなサポート、という感じでも無かったかな。
こちらから何も言わなければひと月丸々っと何の連絡もなかったり、
電話で話して10分で面談終了だったりしてた。(スカイプみたいなテレビ電話とかですらないんだ~とは思った)
分からないことが分からないタイプとか、先んじてアレコレやってくれないと…ってタイプには辛いと思う。
あれどうするの?これどうするの?ってはっきりしてるタイプにはいいかも。
一応、デートごとの「振り返り」(※感想文みたいなのをカウンセラーに毎度送る)に
ちょっと不安なこととか書くと、アドバイスとか面談しますか?みたいなこと言ってくれるんだが、
逆に言うとここに書かないと本当に何もないんじゃないかな。
こんな感じなので、結局カウンセラーとはそんなに話さなかったかな。
連絡が遅い&途切れることも多かったし、後回しにされてる感はちょいちょいあった。
もっと注力したい会員がいて、そっちに担当者がつきっ切り、みたいな。人手が足りなくてカバーしきれてないって印象。
こんな感じ。自発的に動ける人には良いんじゃないかな~という感じかなぁ。
相談所側からこの人どうですか、こちらはどうですか、土曜にお見合いセッティングしときましたよ
ってアレコレ持ってきてほしい人には、あんまり適さないかもしれない。
あとは婚活関係ないんだけど、一番「どうなのよ」って思ったのは、お金を振り込む口座番号の記載ミス。
メール本文と添付された書面の文中で違う口座番号が書いてあった。個人的には結構大きな金額を振り込む先なので困った。(尋ねたら訂正してくれたけども)
『BADDAY』『星逢一夜』『金色の砂漠』と進んできたけどなんかしっくりこなかった因数分解したい。
『金色の砂漠』は最初花乃さんが明日海さんに(もうそれぞれの役名忘れた)死罪を言い渡すのがしっくりきてなくて、友人に話すうちにしっくり答えが見つかって、ああやっぱすごいなあと思ったから。
それから、『fff』に向けてという意味もある。上田久美子氏のクラシック音楽に材をとったものは、もしかして自分受け付けないんじゃないか、いやいやいや、せっかくだから受け付けるようにしておきたい、みたいな?
『金色の砂漠』を見たあとに、改めて上田久美子氏についてグーグル先生に尋ねたところ、宝塚への見方(昭和なことしててすごい、この文化は途絶えさせてはいけない)、東京と労働への考え(東京砂漠という表現と稼いで使ってという燃費の悪さ)が自分と同じで驚いた。そして単純計算して、自分の1つ年下か、ということも弾き出した。出身大学もまあ、親戚みたいなもんだ(言い過ぎか)。
ブラームスのイメージは、昔友人が言っていた「俺らの大学の気質に合ってるんだよ、クララにひそかに恋しちゃったりしてじとじとしてるところが。あと真面目。交響曲こだわりすぎて4曲しか作れなかった。」「交響曲第4番ほんともうスコアの見た目からして美しい(確か。ベートーヴェンの5番と共にこの2曲を挙げてた)」。
それから、ビジュアルイメージも完全に髭面のそれだった。若いときのやつあんまり記憶になかった。
自分の携帯に入ってる唯一の交響曲が、ヴァントのブラームス交響曲3番だった(あ、最近幻想交響曲入れたんだった)(ヴァントにこだわりがあるわけではない。Kugouの中で選んだ)。交響曲1番、4番はメジャーすぎ(というか主張が強いのかな、メロディラインというか)、2番は自分にとって手垢が付きすぎているため。
あ、あと、暗くてじとじと、とはいえ、交響曲1番1楽章とか激しい。
まあとにかく、やっぱ気質なのか、あとはミュールフェルトのおかげか、自分にとっては1馬身出てる作曲家。
シューマンは、交響曲4番(のVnソロ笑)。あと『子供の情景』の<知らない国々>だ。自分の体験としては夢々しい、というイメージ。だけど、これも別の友人が言っていた、シューマンを聞きだしたら、闇落ちしていることに気がつく、と。
ヨハネス・ブラームス、クララ・シューマン、ロベルト・シューマン、ヨーゼフ・ヨアヒム
知ってる人らだからと油断していたら名前わからなくなった罠。ヨハネス、クララ、ロベルト、ヨーゼフ。
ヨーゼフは、フランツ・ヨーゼフ1世と混ざる…。
【】翼ある人びと
1838年:『子供の情景 Op.15』『クライスレリアーナ Op.16』
1841年:シューマン『交響曲第1番 Op.38』。シューマン交響曲第4番初演するもイマイチ(メンデルスゾーン体調不良によりフェルティナンド・ダーヴィトが指揮)、出版されず。
1846年:長男エミール誕生【秋音光】。シューマン『交響曲第2番 Op.61』
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1853年(ブラームス20歳、クララ34歳、シューマン45歳、ヨアヒム22歳、リスト42歳、ワーグナー40歳、フランツ・ヨーゼフ1世23歳)
10月:いっぱい滞在。初旬にシューマンが『ヴァイオリン協奏曲 d』を作曲するもヨアヒムが封印(21世紀に入り、ワーグナーを先取りしたような斬新な和声の使用などの先見性が評価されるようになった)。
秋頃(それ以前という説もあり):『ヴァイオリンソナタ』シューマンは出版を提案するもブラームスの判断で破棄
11月:シューマンのもとに『ピアノソナタ3番 Op.5』の譜面が送られている
12月17日:『ピアノソナタ第1番 Op.1』初演@ライプツィヒゲヴァントハウス。シューマンの紹介でブライトコプフから出版、ヨーゼフ・ヨアヒムへ献呈。シューマンは当初別の作品を作品1として出版することを提案していた。
12月30日:シューマン『交響曲第4番(改訂版)Op.120』初演(現在一般的に演奏されるのはこれ。翌年出版はするがあまりハネなかった模様)
2月27日:シューマン投身、エンデニヒの精神病院へ。ブラームスデュッセルドルフへ駆けつけ、シューマン家を助ける。クララとの距離近づく。
春?:『ハンガリー民謡の主題による14の変奏曲 Op.21-2』
6月:四男(末子)フェリックス誕生【次男、花菱りず】。ブラームスが名付け親。ブラームスの子供説あり。ロベルトによく似ていてクララもとても可愛がる。
夏:『4つのバラード Op.10』この曲集の作曲とほぼ同時期にクララへの生涯にわたる愛が始まっている。
1855年:クララを手紙の中で「君」と表現。『2つのガヴォット』『2つのジーグ』『2つのサラバンド』『ベートーヴェンピアコン4番のカデンツァ』『格言(この欺瞞の世界で)』。交響曲第1番着想(シューマンの『マンフレッド序曲』を聞いて)。
1856年『フーガ』『前奏曲とフーガ a』『モーツァルトピアコン20番のカデンツァ』『キリエ』『ミサ・カノニカ』
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1857年:『前奏曲とフーガ g』『子供のための14の民謡』『モーツァルトピアコン17番のカデンツァ(着手)』
1858年:25歳の時、友人の家で知り合ったアガーテ・フォン・ジーボルトと婚約。『セレナード第1番 Op.11』
1859年:結婚生活が音楽活動の制約となることを恐れて婚約破棄
1861年:『シューマンの主題による変奏曲 Op.23』ユーリエへ献呈。
1863年:エリザベート・フォン・シュトックハウゼンがブラームスに弟子として受け入れるも、ユリウス・エプシュタインに送り返している(彼女のまれにみる美貌と才能のため必要以上に惹かれてしまうことを恐れてか、エプシュタインへの配慮か)。
1867年:オーストリア=ハンガリー二重帝国誕生。戴冠式@マーチャーシュ協会のミサ曲はリストが作曲。
1869年:36歳の時、ユーリエに心を寄せるも内気ゆえいつもの癖で気持ちを打ち明けられずにいるうちにクララがイタリアのラディカーディ・ディ・マルモリートからのユーリエへの求婚を容れて婚約させてしまい、ブラームスは怒りをもって『アルト・ラプソディ(ゲーテの「冬のハルツの旅」からの断章)Op.53』を作曲(別のサイトの表現では、プロポーズを承諾したときににわかに不機嫌に。『アルト・ラプソディ』はユーリエへの嘆きの歌)。
1876年:『交響曲第1番 Op.68』21年の歳月をかけ完成。
1876or7年 *43歳:「結婚すればよかったと思うこともある。……しかし適齢期のころには地位はなく、いまでは遅すぎる」と友人に語った
1879年:フェリックス病没。悲しみにくれるクララを慰めるため、ブラームスは『ヴァイオリン・ソナタ第1番<雨の歌>Op.78』を作曲。クララ「この曲を天国に持って帰りたい」。また同時期にフェリックスの詩に付曲(Op.86-5)。
1883or4年 *50歳:コントラアルト歌手ヘルミーネ・シュピース(23歳年下)に出会い歌唱力の素晴らしさと女性としての魅力に惹かれるが結婚にまでは踏み切れず。
1889年:フランツ・ヨーゼフ1世から「芸術と科学のための金の大勲章」を授かる。暮れに謁見。シューマン交響曲第4番初稿版を再演(クララは改訂版派だった)
1890or1年 *57歳:コントラアルト歌手バルビと出会って音楽家としての魅力に惹かれる。
1891年:『クラリネットクインテット Op.115』@バート・イシュル夏。シューマン交響曲第4番ブラームスヴェルナー校訂版出版、世に知られるようになる。
1893年:『シューマン全集』刊行(ブラームスとクララで編纂)
5月07日:『4つの厳粛な歌 Op.121』完成。辞世の作品とみなされている。
5月20日:クララ没(76歳)。埋葬式のあと体が衰弱し、肝臓癌であることがわかる。
6月:『11のコラール前奏曲 Op.122』@イシュル。第11曲「おお、この世よ、われ去らねばならず」。作品を書き終えたブラームスの健康は日に日に衰えていく。医者の治療を受けても病状は一向によくならず。
1937年:シューマンの『ヴァイオリン協奏曲 d』がヨアヒムの蔵書から発見される
※出典:ウィキペディアとか奇特な方のブログとかブラームスインスティテュートとか、、余力があれば追記…。
あと書籍類もぼちぼち読んでいきたい
あと映画も
付き合いは始めてから程なくして、大学二年生の夏に旦那が不調を訴え始め、検査の結果指定難病を患っていることがわかった。
初めに通った病院に専門医がおらず、対応もあまり良くなかったのもあって病気は悪化していった。そのころは薬もなかったので、治療の成果は芳しくなく、入院が続き、旦那は2年間の休学を経て最終的に退学した。
大学時代はデートもろくに出来なかったが、かわりに病室に通い詰めて語り合った。
正直付き合い始めたころはそんなに旦那が好きではなかったのだが、辛そうな姿をそばで見ているうちに情が沸き、旦那を支えようと決意が固まり、私の内定が決まった日にプロポーズして卒業後すぐに籍を入れた。
旦那は在宅で細々と働き、私は私で正社員として結構バリバリと働くようになった。まだ共働きが主流という時代でもなく、適当に働いて子供が生まれたら辞めようと思いながら生きていた私にとっては大きな人生の転換だったと思う。
子供は作らない方針で生活していたが、恥ずかしながら授かってしまい出産した。幸運にも不運にも、子供は一卵性双子でお互い実家から離れた土地で生活していた私たちにとって育児は難を極めた
旦那はそのころ一番病状がひどく半分ぐらいは入院していたのでワンオペ育児、プラスして旦那の手助けもしなくてはならなかったし、毎日が慌ただしく心休まる日はなかった
その頃は旦那の収入もほぼ無く、手当が出ないぶんシンママより厳しかったと思う
ただ、きつい時も旦那も子供も自分で支えなくてはという気概でなんとか自分を鼓舞して乗り切ることができた
子供が高校生になったころに、良い治療法が見つかり、それが旦那にとても合っていた。完治はしないものの症状はほとんどおさまり、普通に働けるレベルまで回復した
それが最悪の始まりだった
旦那は高卒であることやキャリアを積むべきときに伏せっていたことに凄まじいコンプレックスを抱えていたらしく、ネチネチと嫌味を言ってくるようになった
病気がなければもっと(女と)遊んでから結婚していたという風に言われたのもかなりカチンときた
在宅の仕事をやめて専業主夫になると宣言し、そのくせ以前より家事を手伝わなくなった
もともとうちの家事はほとんど息子とわたしの3人で回していてうまくいっていたので旦那が主夫になるのは正直誰も求めていなかった
更に、今までいくら相談しても聞き流していた息子の教育についても急に口を出し始め、気まぐれに進路に反対したり、あそこに行けここに行けと言うので息子たちも迷惑がるようになった
もともと旦那は細身で色白、儚い雰囲気の男性だったが病気が良くなってから食生活が変わりみるみるうちに中年太りをした
これが一番きつかった
失うまで気づかなかったが、わたし旦那のそれまでの容姿がドストライクでタイプだったのだ
ここまで語った一連の変化にわたしはすぐには気づかなかった
今は心が弱っているのだと思いずっと流し続けていた
ある時ふと気づくと、わたしの守るべき弱々しい夫は口煩いうざい中年オヤジになっていたというのが本当のところだ
そこからさーっと気持ちが覚めて、なんでこんなオヤジに尽くしているんだろうと思うようになった
旦那はわたしの中で完全に終わっている、完全に破局していると思う、が離婚に応じてくれない
そりゃそうだ。彼は職歴とろくにスキルアップしてない在宅ワークがちょこちょこしかない高卒の中年なんだから。今更捨てるのも可哀想だとは思う。だから別居しての強引な離婚には踏み切れない。が、もう別れて欲しいと思うのも事実だ
わたしも薄情な人間だと思う。病気の旦那を世話する自分が好きだっただけなのかもしれない。それで治ったら捨てるなんて無責任すぎる。
でも、旦那が病気でなければ私たちは結婚していなかったろうと思う。わたしが結婚したのは病弱な旦那だったのだ。今更治られても困る。旦那は今まで病気である負い目から萎縮していたのだろうと思う。思えば付き合い始めた頃は結構態度のでかいところのある男だった。
いっそ旦那が介護を要する老人になるまで我慢すればまた元の関係に戻るのだろうか。もう好きじゃないから出て行って欲しいなんていうのも酷いよなあ。
もう2週間ぐらい旦那を無視しているからか、旦那はしおらしくしてはいる。が、これを許すとわたしが無視→旦那が萎縮→私満足みたいなモラハラな気がする。いや既にモラハラなのかな。今までろくに喧嘩もなかったから喧嘩の仕方も仲直りの仕方もわからないし、もう前みたいに愛せる気がしない。こいつと添い遂げるべきかさっさと突き放して捨てるべきかわからない。何が問題って、旦那は私に必要ないってわかってしまったことだ。
多分他人からしたらめちゃくちゃ些細なことだろうが、家の食器が全てプラスチック製なのが気持ち悪い。
安くて軽く、割れることもないので雑に使える
でも考えても見て欲しい。ペラペラのプラ皿でカレーを食べる気持ちを。味気なさすぎる。子供会の催しかと突っ込みたくなる。小さい食器棚にスタックされた皿々のみすぼらしさと言ったらない。料理は好きでよくするが、プラ皿に盛り付けるのではテンションが上がらない。
それから弁当。これは毎朝交互に作っているんだが、妻はおかずを使い捨てのスチロール容器に入れる。おかずと言っても茹で野菜1つと焼いた肉1つという簡素なものだが。俺の職場では弁当はみんなで食べるので恥ずかしい。しかし、これも忙しい妻だから仕方ない。使い捨て容器は1つ10円そこらの容器で弁当箱を持って帰って洗う手間が省けるなら安いものだ。合理的だ。
それから報連相。夫婦の報連相はGoogleカレンダーを駆使して行なっている。合理的だ。言った言わないの水掛け論などない。が、予定について報告するついでに本来あるような会話がなくなる。とても味気ない。「今度職場でBBQが…」「ああ何日の何時ね」といった調子で悲しい。本当は無駄が多くても無駄な会話をして無駄なすれ違いをしたりしたい。
買い物も合理的だ。通販、セールを駆使して安くなった時に買う。消耗品の在庫管理も得意なようで、(妻は意外とアナログな人間で)ノートに鉛筆で詳細を書き記しきっちり管理する。財布は俺の浪費癖もあって共同で、(実質妻が握っているようなものだが)衝動買いが許されない。買い物がストレス発散だった自分にはとてもストレス。コンビニスイーツを買いたくなったり、なんとなく高い方のベーコンを書いたくなったときでさえ、あっちのケーキ屋の方が美味しいし安い、とか、そのベーコンを買うなら〇〇スーパーで、とか言う。確かに今は節約しようと決めている時期だし正しい。正しすぎる。
その他にも、彼女はともかく一から十まで合理的な判断を下す。例えばもし育児などでどちらかが仕事を辞めねばならないときはあなたがやめてね、など。妻の方が給料が高く復職が難しい仕事だからこれは正しい。俺の方が家事も好きだ。「私が仕事を辞めることのメリットは〜、デメリットは〜あなたが仕事を辞める場合は〜」などと紙に書いて説明してくれる。妻が合理的な判断を下しているのは明らかだ。
妻はともかく合理的で、それは長所でもあるが結構息苦しい。妻の判断は正しい。それは俺には肯く他ない。妻が判断を下し俺が従う形にも納得している。単なる価値観の相違もあるが、合理的な妻に合わせたほうが基本的にうまく行く。
でも「お皿がペラペラで嫌」「でも弁当が貧相で恥ずかしい」とか俺がくだらない(自分でもそう思う)わがままを言うと、妻が「陶磁器の皿を使うメリットデメリットは〜今の皿は〜だけど、あなたはどっちを選ぶの?」と聞いてくる。これが辛い。こんなに合理的な説明をされて「でも嫌なんだもん」とか言いづらい。それに妻は「人と違って恥ずかしいから嫌」みたいな感情をあまり持ち合わせていない人種だから、俺がそういう風にいうと「?……気にしなきゃいいじゃない」ときょとんとしてくる。もちろん「あなたがこれだけのデメリットがあるにも関わらず、どうしてもそうしたいならそうして。その意思は尊重する」といってくれるがそういう問題ではない。
妻の尊重は俺を同等の権限を持つもう一つの意思決定機関とみなしているような、そんな感じの尊重だ。友人にするような、顔色や感情を伺い、探り合うような種類の尊重はない。それはお互い愛し合っていて、信頼しあっているという確証から来るものだろう。妻が人間関係の探り合いや暗黙の了解を苦手としているのも理由の一つだろう。けど、自分は少し嫌だ。
妻はどこまでも合理的だけど、俺の感情的問題を計算に入れない。それは多分正しい。でもやっぱり感情的にはそれが嫌だ。
叩かれるつもりでぼやいた増田だったので皆同情的でびびった。皿については、諸事情あって引越しが多いのと、ラップかけてそのまま他所に持ってくことがちょいちょいあるから軽いのと捨てやすい安さなのは多分理にかなってる。でも特別な日用にちゃんとしたのを買うって案はいいと思ったので提案してみようと思う。家事は完全折半だが、仕事量は妻の方が多いので弁当は作ってもらってるだけありがたいのでやっぱりわがままだと思う。お小遣いは交渉してみようと思うが、自分で使うより妻に任せたほうがお金の有効活用ができるだろうと思う。多分言えばくれるので、小額から貰ってみる。
普段から妻の判断に従うのは多分そんなに嫌じゃない。それが難しいところで、妻の合理的な判断を覆すほど強く嫌かというと……みたいなことが多いからなかなか嫌だと強く言えない。結局愚痴ってるから自分を納得させきれてないんだろうが。自分の判断には自信がないから、妻のロジカルな説明を聞くとその時は妻の言う通りにしようと思える。自分さえ納得できれば完璧なのにうまく不満を解消できないことで悩んでしまう。頭では妻の言い分に賛同しているのに、感情的には不満を持つ自分がノイズのように感じる。「男女逆ならありそう」と沢山言われていたが、うちのような夫婦はどうやって上手くやってるんだろうか。
以下蛇足
なんで結婚したの?と言われまくってるが、交際してた頃からこういう人で、優秀でしっかりしてるところに憧れて好きになった。自分にないものを持っている。独特な感性と倫理観の持ち主ではあるが、親切で人格的にも立派な人だと思う。スペック的には向こうが上で、ちょっと変わってるにも関わらず引く手数多な人だったからコンプレックスとか負い目はある。
妻が俺を選んだのも合理的判断か……っていうのは俺にはわからない。妻は目標を決めて逆算する人だから結婚もその一部なんだろうなという気はする。妻からプロポーズされたとき「貴方と結婚することでキャリアに影響を及ぼすけど、そのデメリットを考慮しても貴方と結婚しようと思った」と、「〇〇さんと比較検討した結果貴方の方が〜という点で良かった」みたいなことを言われた。前者は単純に嬉しかったが、流石に後者は凍りついた。〇〇さんは遠距離恋愛だったころに妻に言い寄ってた男(馬鹿正直で嘘が下手な人なので浮気はなかった筈……)。「好きな人と結婚して仕事をしながら子育てしたい」と交際前の遥か昔に言っていたのが真実ならいいなあ。
トラバのディストピア嫁は笑った。ほんと言い得て妙だ。AIみたいなんだよね。考え方もそうだし、食べ物なら栄養価と食べやすさ、服装なら周りからの評価と温度調節、みたいな選び方をする。正直メシは不味くはないが旨くない。味付けが簡素なので不味くなりようもないんだが、絶妙に美味しくないんたよな。薄味で健康的だが。AIみたいだけど、AIの中に可愛らしさがあって、それを見つけると嬉しくなったりもする。
性生活は普通だと思う。妻は淡白っぽい印象を与える人だがそうでもない。ただ精神的な繋がりの強化とストレスの軽減ために性的な交流は〜とか言うから合理的な行動の一つなのかもしれない。わからないが。あれはそういう冗談なのかもしれない。妻の冗談は丸2年気づかなかったこともあるほどわかりにくい。営みについて、妻が2人の一ヶ月の予定を見て日程を決めて前日と当日朝にリマインドされるところはちょっとおかしいと思うが、妻が忙しいので仕方ない。ただ、以前やけに奉仕してくれるなと思って尋ねたら「前に貴方がそうしてくれたからバランスを取るため」みたいなことを言われて、五分五分になるようにしなくてはみたいなプレッシャーはある。何書いてるんだろうね。
チビだろうがデブだろうが不細工だろうがその複合だろうが陽キャのコミュニティで彼女いないやつってあんま見ないと思うんだけど、あれって助け合ったりダメ出ししあったり、話したりってので彼女を作るノウハウを蓄積共有してるからなんだよ。
しっかり自分見直すのとかダメ出しやって場数踏んだら、普通に彼女は出来る
女と目も合わせられないコミュ障ラブライバーもコミュニティ内で2年かけて色々連れ出したり、ダメ出ししたり機会作った結果、去年初彼女出来て今年プロポーズするらしい、その間振られてアル中になりかけたり紆余曲折あったけどな。
私と夫は晩婚夫婦で、子供を望んではいるが自然にはなかなか、という状況
プロポーズの時に、私に子供が無理だったらそれでも良い、2人で一緒に過ごすのも悪くないよと言ってくれた
夫は病院に行くなら一緒に行くとも言ってくれている
結婚して3カ月、妊娠に至らず月のものも不順になって不安がっている私に夫は寄り添ってくれる
私は自分で子供が無理なら養子を、と伝えたが、そうすると夫は養子に関わる手続きなどを調べてくれていた
養子も具体的に考えよう、ということだった
たしかに自分で無理なら養子をと伝えたが、夫に早々に実子を諦められたように思い、モヤモヤとしていると夫は言った
遅くなればなるほど、子供にお金がかかる時期には仕事がないという事になる。大学等を望んだ時に出してやれない、とのこと
その通りだ
実子にこだわっている場合ではなく、すぐにでも養子を考えないといけない時期なのだ
まずは病院の予約はした
それでも1ヶ月先まで予約で埋まっていて、11月の予約になった
8年間近づいたり離れたりしてた男の人をメタくそに振った。自分語りだヨ。
最初は私が沼に落ちて、俗に言う都合のいい女になって、洗面所に集う色々な痕跡を眺めては、泣きながら歯を食いしばって耐えた。
誰かと付き合っても、やっぱり彼のことが好きで、別れると何故か見計らったように連絡が来るのでその度にまた都合のいい女になっていた。
でもそんな事を繰り返すうちに、彼に対する執着が無くなった。当時付き合っていた彼氏にこっぴどく振られたさいに「自分が不当に扱われること」がいかに毒となるのかをありありと自覚し(遅い)、あの男も私を相当不当に扱っていたのだ、あれは私の心身を蝕む毒だったのだと気が付いた。
まるで憑き物が落ちるように興味が冷めた。私にとってその日から彼は暇つぶし相手までランクが下がった。
彼がどんなクズであろうと、ひねくれていようと私は全て許容した。
そりゃそうだ。別にこの人がクズであろうと私の人生には関係ない。別の女と痴話喧嘩しているのを目撃した時も「大変だったね」と慈母の笑みで慰めた。
この時には彼がどこまで堕ちるのかに興味があった。それから2年ほど経った私の誕生日の日、彼からプロポーズをされた。
「君となら結婚してもいいと思った」
とのこと。今振り返ってもドえらい上から目線だと思う。
私ほど彼を受け入れてくれる人間はおらず(そりゃそうだ。本来はダメな行為なのだから)、ずっと文句も言わずそばに居てくれた(途中から文句もなかった。赤の他人事なので)
帰り道、2件目の誘いを秒で断って別れを告げ、その場を去ると、追いLINEも読まずにブロックした。
復讐が8割だ。君に裏切られたら世界中の誰も信じられないと言われたのでメタくそに裏切った。
いや、裏切ってないんだけどね。見捨てただけなので。
直後はなんだか心が芯から震えて、家で絶叫してしまったが、それは悲しいからと言うより「やってやった」という気持ちが強かった。
ほいでその1ヶ月後、のちの旦那となる男性と出会い結婚した。今までの苦行がなんだったのかというぐらいサクサク話が進んだ。
あと彼がいまどうしているかは知る由もないけど、元気にしていそうな写真は共通の友人のSNSで見かけた。
散々傷つけられてきたけど、やはり人を傷つける感触はあまりいいものでは無かった。
やっぱ人を平気で傷付けるやつはクズだね。
非モテだった。
しかし、人並みの価値観を持っていた。だから、結婚して子供を育てることが幸せの一つの形だと思っていた。そう信じて生きて、そう信じて結婚し、そう信じて子供を作った。
人生で2人目の彼女と結婚した。美人ではない。別に可愛くもない。25歳過ぎて非モテの俺と付き合うくらいだから当然である。
でも、数年続いてそういう話になったから結婚した。それが幸せにつながると思っていた。
プロポーズしたとき彼女が喜んでいるのを見てうれしかった。義理の両親は特に反対もせず結婚を喜んでくれた。あのときは思った通りの幸せを感じていた気がする。
ちなみに自分の両親はもういない。結婚式で訝しんだ人もいたと思う。
ここで気付いた。
幸せじゃない。
もしかしたら、自由が無くなっていくことに不安や寂しさを覚えているのかもしれないと思い込み、感情と向き合うことを流した。家庭を持つ幸せを実感するためには必要な段階だと信じた。
子供の成長にとにかく興味が無い。生まれたときも全然うれしくなかった。妻の憔悴の方が気になった。夜泣きをあやしていた時期は殺意が沸いた。(これはさすがに皆同じ感情を持っていると思う)
成長に伴って幸せになるかと思ったが違った。
手をつないで散歩してみても何も感動が沸かない。
家で動いているのを見ると感情が消える。
これから先、この動物に金をかけ、責任を負わされることになるのかと思うと鬱屈とした気分になる。
はやく独立してほしい。
妻に文句はない。家事も仕事も話し合いのうえで分担できている。できた人間である。
子供にも文句はない。そもそも罪がない。文句を言う筋合いがない。
私はかつて元KAT-TUNの田口淳之介ファンだった人間だ。(釈放時に派手に土下座して法廷で公開プロポーズしたあいつだ)現在も別の男性アイドルを応援しているので、Twitterでいわゆるオタ垢を動かしている。そのオタ垢のTLで今年私をざわつかせた一連の流れがある。
手越祐也のジャニーズ事務所退所と、そこからのファンの動きだ。
何がざわつくかって、かつての田口のファン層の変化と共通する点が多いからだ。
先にトピックを列挙しておく。
・私生活の切り売り
当初たまたま目にしたファン...というより降りたくても降りられない人たちのつぶやきがあまりにも既視感があって、愚痴垢界隈からしばらく目が離せなくなってしまった。自分でもはちゃめちゃに気持ち悪いと思うけれど、自分のトラウマと向き合って過去を冷静に振り返りたい自分がそこにいたのだと思う。
はじめに書いておくけれど、これはアイドルファンに対して「こうあるべき」と言いたいのではなく、手越くんをはじめとするアイドルたちに「残ったファンがこういう状況になったら危険」とどこかにメッセージを吐き出したくなったそこらの限界オタクの呻きです。オタクたちに石を投げるつもりは一切ございません。
また、「逮捕されたアイドルと一緒にするな」というご意見もあるかと思いますが、正直逮捕の有無に関わらず、逮捕前の田口の状況はいわゆる下降線をたどっていて、あまり芳しくなかったと思います。メジャーとの契約が切れたりして。(現在はリセットされて少し良くなったと思う。この辺りは末尾にて。)知名度も人気の規模も手越くんとは差がありますが、あくまで「アイドルとファンの関係」が悪化すると活動が衰退する可能性があるぞという個人の意見ですのでご了承ください。
田口といえば世間一般的にオラついていたKAT-TUNの中でもマイルド担当で、育ちとスタイルの良さ、ダンスの美しさからクラシカルな王子様的ポジションとして愛されていた。(寒いギャグも言う三枚目キャラでもあったけど。)
ジャニーズ時代は比較的需要をまっとうしていたけれど、退所してソロ活動を始めてからは、本人のリアルな嗜好が垣間見れるようになってきた。
今でも「田口淳之介 ロゴ」と画像検索すると一部ヒットするが、ゴリゴリのワルなストリート系のロゴなのである(語彙力、、)。
インディーズで発表した1stシングル「HERO」のジャケも完全にらしからぬワルでマッチョなフォントでタイトルが描かれていたし、続いてリリースされたメジャー1stシングルのロゴもストリートアート風で、本人のファッションもとてもカジュアルなものだった。
活動のかなり初期から、熱心だったファンからも「これじゃない」「田口くんに似合う服はもっとこういうの(画像つきTweet)」といった類の意見が頻出していた。
音楽性に関してもちょいちょいジャパレゲテイストを出してきたり、ウェイ度の高いラップにチャレンジしたり、イカついテイストの楽曲が目立った。(全てではないが)
はっきり言って、目指している方向が「理想とちょっと違う」というよりファン達が「なんなら苦手」と感じるジャンルだった印象だ。地雷を踏んでいたのだ。
アー写も「強い自分」を打ち出したい意図がわかりやすいものを長らく使っていて、「もっと穏やかな空気感の写真の方が田口くんの良さが出ていいのに」なんて言うファンの数は決して少なくはなかった。あれだけ言われていたのだから、ファンレター等で直接進言した人だっていたに違いない。
逮捕前の田口は、ファンの需要を理解していながらも「自分が表現したい自分」との大きなギャップに苦しんでいたのではないか。
(ライブの衣装しかり、写真集の衣装のチョイスしかり、需要に応える場面もそれなりにあった。けれど、本人が持たれたい印象と差があることがあまりにも明確だったので正直見ていて苦しかった)
独立して個人で活動していくのだから、アイドルが自分のやりたい表現をやる権利を行使して当然だ。それは美しく言えば信念とも言える。だけど、ファンのツボを押さえていないとファンが減るのは当たり前の結果なのだ。
かつてのファンが一番切望しているであろう音楽活動が手薄なまま、YouTubeにボランティアに脱毛サロンにと活動範囲を広げている手越くんを見て、そんなことを思い出した。
ただここまでは本人がリスクを覚悟してどこまで天秤にかけるのか次第の話だからまだいい。ここまでなら未来に期待して残るファンはそこそこいる。
芸能人の実名をあげまくった手越くんの自伝とは影響力にだいぶ差があるが、田口もしばしば私生活の切り売りと称されても仕方のない活動があった。
いくつかの媒体で、退所から現在までを振り返るインタビューで結婚をいずれ考えている主旨の発言をしたり、吉本芸人がたくさん集まる関西ローカルの番組でも同様のことを語ったりしていた。
長年交際を続けている恋人がいるのはファンなら周知の事実だったし、退所理由を濁された時点で結婚を見据えての退所なのだろうと多くのファンが推察していたせいなのか、ソロ活動の開始当初から田口のファンには恋愛に寛容な人が多かった。
だが、週刊誌から情報が流れてくるのと本人の口から語られるのとではダメージ全く異なるのだ。くだりの関西ローカルから一気にファン離れが進んだ印象が強い。
「アイドルだって恋愛は自由だ」という考えは正論だし、どちらかといえば私もその主張に近いが、一方で「恋愛して欲しくないというより、アイドルの生々しさに触れたくない」というファンの気持ちはわからなくもない。そういうファンが良い悪いというより、アイドルが実生活の恋愛の話をすと、一定の耐性がある人でないと応援しづらくなるのが実情なのだ。
また、生々しい恋愛を語りファンに耐性を求めることで、”とあるリスク”が生じるのだ。
現在手越くんを純粋に応援するファンの方も、どちらかというと高齢の方が目立つ。
田口はジャニーズ時代から元々マダムキラーの傾向があったが、1stアルバムを出したときに池袋のサンシャインで行われた特典握手会には本当に若いファンがたくさんいたし、握手して感激して目をはらして会場を後にする人で溢れていた。
それが、いつからか会場には自分の親世代のファンの割合がどんどん増えていって(つまり若い子が減った)、スタンディングの密集した現場なんかでは誇張ではなく本当に加齢臭が漂うようになってしまった。
アイドルの恋愛に耐性がある人とはどういう人なのか。全員ではないが、自身が結婚を経験している人ほど、その傾向は高まるように思う。
また、アイドルの親目線で「幸せになって欲しい」と願うファンもこの傾向が強い。(言わずもがな親世代の人たちに親目線のファンが多い)
「自分が結婚しているのに、アイドルの恋愛や結婚を咎めるのは後ろめたい」と思う人、「アイドルの恋愛を許容する心の広い自分が好き」と思う人たちが生き残る。
高齢なファンが全て悪いとは言いません。年齢を重ねて穏やかに応援していて、マナーを大切にする素敵なファンの方もたくさんいました。
・SNSが苦手
SNSが苦手。これが単に「拡散力が低い」だとか「他界隈を沼に落とすのが下手」といった特徴であれば、単にプラスの影響が少ないだけで、害はありません。
SNS慣れしてない、SNSしてない世代の特徴は、<自分のSNS上での振る舞いで他者からどう見られるか>という視点が欠如した行動全般を指すのです。
わかりやすい例でいうと、愚痴をつぶやくときに検索避けが出来ていなかったり。アイコンやプロフィールがダサかったり。使っている絵文字や顔文字など表現全般が古かったり。内容を垢分けせずに無駄に日常を垂れ流したり。
高齢な女性ってなんですぐ「○○ちゃん〜❗️」とか言ってすぐリプライで絡むんでしょうね。あとすぐ「○○同盟」とか「見守り隊」とか言い出したり。
きっと若い世代以上に良くも悪くも<いかに標準的であるか>に気を遣う世代だからすぐに群れたがるのでしょうか。
アイドルのディープなオタクになるための2大行動として「ファンクラブに入る」と「SNSで専用垢を作る」だと思うのですが、後者の専用垢を作る前段階で、新規の若いファンは大手垢を中心に、界隈のファンがどんな発信をするかをチェックします。そして、安心できるコミュニティーだと判断してようやく壁打ち垢からスタートするものです。
SNSが下手なファンばかり増えてしまうと、残念ながら新規のファンはどんどんつきにくくなります。
あとこれは田口のファンだけかもしれないけれど、高齢のファン、気持ちが昂ってても遠慮してなのかライブ会場であんまり声出さないから、パフォーマンスの素晴らしさの割に現場の熱狂が薄くて悲しくなることが多かったな。。。
よく愚痴垢界隈や降りかけのファン、ひいては批判を投げかけるファンに対して投げかけられる意見として、「嫌なら見なければいい」という言葉があります。
特に逮捕直後は当然ながら田口ファン界隈のSNSも荒れに荒れ、結果として擁護派からこの言葉が発せられました。
少し前にAKB48の柏木由紀ちゃん(この人選で傷つく手越くんファンいたらごめん)も自身のYoutubeチャンネルで、「全肯定してとは言わなけれど、アイドルを自分の理想に変えさせるのは違う。見ていて自然と応援したくなる人を応援すべき」という主旨のことを話していた。全肯定まではいかないけれど、比較的近いスタンスの発言だと思う。
こうした類の意見は、ファン自身が精神を病まずに応援するという観点では大正解だ。
だけどアイドルから見て、本当にこのスタンスは望ましいのだろうか。
アイドルに限らず、認知度がものを言う世界では、無関心こそが最大の脅威だ。愚痴を言われながらフォローを続けられているならまだマシで、チャンネル登録やフォローを一度外されてしまったら、そのファンが戻ってくる望みはほぼゼロに等しい。
だいたいアイドルが何をやっても許すならば、そもそもなぜそのアイドルを推しているのかという根拠が揺らいでしまう。だんだん応援するのが習慣になってしまったとしても、元はといえば応援したくなる決定的な要素があったからファンになったはずだ。本当に全肯定になってしまったら、それはただの宗教か依存か自己陶酔だ。
今私が推しているアイドルの界隈は、ことによっては批判も行われ(批判はアイドルだけでなく運営に向けられることもある)、少なくともファンの間では正当に議論が交わされることが多い。批判も決して押しつけではなく「次は気をつけられるといいね」「反省できる○○くんは素敵」といった具合に幸いにもポジティブに着地するのをよく見かける。こういう意見が見られる場所で応援してこそ、自分の推しているアイドルを好きだと日々自信を持って実感しながら応援出来るのではないか。
そして現在の手越くんの愚痴界隈は、見切る勇気がなかったり、まだ期待しているというだけでなく、ファンが減ってしまう恐ろしさを察知しているからこそ、健気に意見を言い続けているのではないでしょうか。
かつての田口担から見ても、彼女たちがいなくなってからが本当に切ない事態を招いてしまう予感がします。Twitterを見た感じ、若いファンが多いし。
少し前に現在応援しているアイドルグループのメンバーの一人が、新しいレギュラー番組を始めるにあたって、「今まで見せたことがない一面を見せるかもしれない」と事前にブログで発信していてとても感心しました。ファンが離れる恐れのある新しい挑戦の際に、先回りしてファンをケアしたり、活動の幅を広げるにしても、ファンが理解できるような筋を通すことでいかに安心感が得られるか、と実感した体験でした。手越くんもよかったら参考にしてみてください。
最後にこのブログで散々貶めてしまった元自担の田口淳之介さんに関して補足。
私は逮捕が原因でファンをやめたというより、逮捕後、ファンクラブの会員だけが見られるブログでは「法廷で語ったことが全て」と言っていたくせに、そのブログの後で家族との仲が原因で小嶺家に助けられて絆を深めた、などなど余計なことをベラベラと週刊誌に語ったのに呆れ果てて応援する気をなくしてしまいました。
ですが、私がファンをやめる前より、現在の方が状況が良いように思います。
逮捕されたことで以前よりプライドがなくなったのか、自身のオリジナル曲だけでなく「踊ってみた」に積極的に挑戦して動画を投稿したり、逮捕前からラジオ番組を通じて交流があったボカロ界隈の方と楽曲を作ることで、クリエイターを押し上げつつハイペースに作品を出すことに成功しています。
正直、逮捕された後にここまでアクティブに活動してくれると思っていませんでした。
ボカロ曲が私の音楽的嗜好に合わないので、応援はしていませんが、SNSのフォローは続けています。
たくさん傷つけられましたが、今でも幸せになって欲しいという気持ちには変わりはありません。
何より、「歌って踊ることが好き」であるということにしっかり軸を置いて活動しているのが見て取れるのが嬉しいし、どうかこのまま続けて欲しい。田口氏に関しては、いつの日かまたファンに戻る日がくるかもしれません。
勝手に比較して勝手に書き散らしましたが、どうか手越くんのファンやかつて手越くんファンだった人たちが幸せに心穏やかに暮らせますように。
そこそこのキャリアを築いて、20代半ばだけど女性の平均年収の倍は稼いでる。これからも増えると思う。
性欲はそこまで強くない。行為が嫌いってわけじゃないけど、無くても全然生きていける。
だから、もし生活のために結婚するんだったら、下方婚する必要は正直ない。周りの女性もみんな上昇婚か独身だし、多分下方婚するなんてなったら反対される。
でも私は、今の彼氏と結婚したい。プロポーズは私からして、来年には籍を入れる。年収こそ私の半分くらいだけど、他にいいことが沢山ある人。私がおばあちゃんになった時に背中にサロンパス貼ってくれる人はこの人がいい。
世の女性の社会進出が進んで、1人でも生活出来る稼得力を身につけたら、そりゃあ今のままじゃ独身が増える一方なのはわかる。結婚適齢期の女性は男性に比べて性欲が低い傾向にあるし、これは性別関係ないとは思うけど、前の世代を見て結婚のデメリットも沢山知ってる。
女性の年収を上げないようにするのは国際的潮流的には難しいだろう。でも独身者ばかりじゃ国力的にはまずいわけで。
じゃあどうすりゃいいんだろうな。女性の平均年収をもっともっと上げて、人を養えるくらいに上げて、逆に男性の家事能力をもっと向上させる……くらいしか今は思いつかない。