非モテだった。
しかし、人並みの価値観を持っていた。だから、結婚して子供を育てることが幸せの一つの形だと思っていた。そう信じて生きて、そう信じて結婚し、そう信じて子供を作った。
人生で2人目の彼女と結婚した。美人ではない。別に可愛くもない。25歳過ぎて非モテの俺と付き合うくらいだから当然である。
でも、数年続いてそういう話になったから結婚した。それが幸せにつながると思っていた。
プロポーズしたとき彼女が喜んでいるのを見てうれしかった。義理の両親は特に反対もせず結婚を喜んでくれた。あのときは思った通りの幸せを感じていた気がする。
ちなみに自分の両親はもういない。結婚式で訝しんだ人もいたと思う。
ここで気付いた。
幸せじゃない。
もしかしたら、自由が無くなっていくことに不安や寂しさを覚えているのかもしれないと思い込み、感情と向き合うことを流した。家庭を持つ幸せを実感するためには必要な段階だと信じた。
子供の成長にとにかく興味が無い。生まれたときも全然うれしくなかった。妻の憔悴の方が気になった。夜泣きをあやしていた時期は殺意が沸いた。(これはさすがに皆同じ感情を持っていると思う)
成長に伴って幸せになるかと思ったが違った。
手をつないで散歩してみても何も感動が沸かない。
家で動いているのを見ると感情が消える。
これから先、この動物に金をかけ、責任を負わされることになるのかと思うと鬱屈とした気分になる。
はやく独立してほしい。
妻に文句はない。家事も仕事も話し合いのうえで分担できている。できた人間である。
子供にも文句はない。そもそも罪がない。文句を言う筋合いがない。
人生で2人目の彼女と 25歳過ぎて非モテ はい解散