はてなキーワード: TV番組とは
・読字および/または書字障害について
石原氏「軽い脳梗塞だった」=後遺症ないと健在アピール - WSJ
「軽い脳梗塞だった」
プライムニュース 20160913 石原慎太郎 X 石井一 - YouTube
「軽い脳梗塞をやったけどね」
https://twitter.com/exstar444/status/723319201776041984
https://twitter.com/TENYUSINJO/status/723689890488012800
TV番組中左手はあまり動かしておらず運動機能障害が残っているようであるが、運動機能障害に起因する書字困難だとすれば「文字を忘れた」とは言わないであろう
一方仮に高次脳機能障害による読字および/または書字障害が万が一あったとしても、少なくとも2016年時点では上記TV番組への出演、2016年都知事選における増田候補の応援演説等、口頭での高度な言論活動を行っており、口頭での証言に支障をきたすほどのものではないと推察できる
・記憶障害について
もし仮に証言の信憑性に影響があるほどの記憶障害をきたしているのならば、先だっての記者会見はそもそもなんだったのか。なぜその際に告白しなかったのか
なんか木の上に耳が四個ある生き物が現れる、デフォルメが極端な上にのっぺりとした顔が不気味だがきっと「カワイイ」を表現しているのだろう
四耳が移動する、強張ったような妙な動きが気になる
二人が移動する
二人が移動する
二人が移動する
何か青い物体が現れる、四耳が軽く叩くと消える
このあたりで何も起こらないことに耐えられず中断する
深夜アニメはいくつもあるし、TV番組以外にもソシャゲにSNS、ニュースサイトと消費者(あるいは視聴者、利用者)の目玉の取り合いになってるこのご時世に、最初の数分で「これは面白そうだ」と思わせないと見てもらえないと思うのだけど、大丈夫なのかと心配になる
そう言えばガールズアンドパンツァーもそうだった、キャラクター達が辛気臭くボソボソとしゃべっているだけで、いつまでたって戦車が出てこないので挫折した
けいおんも話題になってから見たけど、キャラクター達が雑談しているだけで何も起こらなかった
何も起こらなくてもヒットするのか
3.9+5.1の答えが9なのか9.0なのかという問題がTV番組で取り上げられたらしく、再び話題となっているようだ。
9も9.0も数学的には同値なのでどちらでも正解なのだが、Twitterやはてなでの反応を見ていると有効数字的には9.0が正しいと主張している奴が結構いる。お前らちゃんと有効数字のことをわかって言ってるの?
有効数字を考慮しないといけないのは物理などで不確かさが発生する場合であって、こういう算数や数学の問題で有効数字を持ち出すのは明らかに間違っている。
有効数字派の人たちは3.9+5.1=9.000000000と書いたらバツにするのか?
仮に問題が3+5.1だったとすると答えは何になるのか?
有効数字を学習するのは中学校か高校くらいだと思うが、小学校教育だけでなくその上の教育も駄目だということがこの問題からわかってしまうのである。
同年8月10日午後4時3人のメンバーが社長に解散要求をしたと報道されているが同じ時刻に社長はSMAPの後輩のコンサート会場で目撃されている。また、事務所によれば、8月12日SMAPの4人のメンバーが一緒に話したとあるが、1人は朝から仕事をしていて、1人はお昼から夜中まで仕事だった。
【8月10日の件】
「週刊新潮」2016年8月25日秋風月特大号((www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/backnumber/20160817/))に「SMAP解散の魑魅魍魎」という記事が掲載された。記事は「総力取材!特集」と銘打っている。しかしこの記事にはいくつかの疑問点がある。以下それらの疑問点について検証してみたい。
記事ではある「芸能関係者」が何月何日にこういう事があったと非常に詳細な時系列を述べており、それゆえこの記事は大変信憑性があるもののように見えるのだが、その中に次のような記述がある。
この「翌日」は2016年8月10日のことである。しかしこの日はジャニーズグループ、ABC-Zのコンサートが国立代々木競技場第一体育館で開催されており、ジャニー氏はこのコンサートを見に来ていた事が、当日コンサートに参加していた複数のファンによってその日のうちにTwitterで呟かれていた((www.cyzowoman.com/2016/08/post_21415.html))。ある呟きによると、ジャニー氏は開演3分ぐらい前に会場に入ってきたという。開演時間は17時であり、開演が若干遅れたという話もあるが、やはり17時ごろにはジャニー氏は代々木体育館にいたと見て問題ないだろう。とすると「16時から1時間半近く」メンバーと面談したというジャニー氏は一体誰だったのか?
この8月10日のジャニー氏との面談で4人が「解散」を申し入れたとの報道は新潮以外のメディアでも一貫している。どれも情報ソースが事務所である(SMAPから提供されたのでない限り、もう一方の当事者である事務所しかこの情報は提供できない)からであろうが、これまで「休業」でまとまっていたものを4人がいきなり「解散」を言い出したとされている。しかしもしそうであれば、ジャニー氏はじめ事務所側は驚き、説得にそれなりの時間を費やすのではないだろうか。「解散」ともなればジャニーズ事務所の経済的損失は計り知れない。もし16時からのジャニー氏との面談で「解散」が決まったのであれば、その面談は1時間以下であったことになる。そのような短時間で事務所にとってもこれほどの大事が決まるものだろうか?
【8月12日の件】
8月25日発売の「週刊文春」9月1日号((shukan.bunshun.jp/articles/-/6484))では、それとは少し違う時系列となっている。文春によれば、10日の面談ではジャニー氏が反対したため、12日に事務所顧問の小杉理宇造氏(文春の記事はこの小杉氏がソース元であると推測される部分が多い)がメンバー4人と面談し、その後役員会にて13日深夜(12日深夜で日付的には13日と思われる)に解散が正式決定した。ジャニー氏は最後まで反対であったという。筆頭株主であり社長のジャニー氏が反対なのに解散が決定できるのかという疑問はここではさておく。
12日にジャニーズ事務所から「SMAP解散」についてマスコミにレクチャーがあったことは、芸能レポーターがTV番組で話している((www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/187789))。また、8月25日発売「週刊新潮」9月1日号によれば、このレクチャーは「12日夜」であったという。週刊文春が13日早朝に自宅を出る中居を直撃し(注1)、解散発表が13日深夜(ネットメディアによる第一報は13日22時頃)であったことからも、事務所がマスコミにレクチャーしたのは12日の夜であり、この時には解散は決まっていたとみて間違いないだろう。
しかし、12日は中居はTBSでリオ五輪の生中継が朝9時から12時まであり、朝早くから少なくとも12時まではTBSにいた。一方香取はこの日「おじゃMAP!!」のロケを昼12時過ぎから深夜1時過ぎまで行っている。12日の深夜までこの二人が揃うことは物理的に不可能である。
12日に香取が収録したのは8月24日放送の佐々木健介とのロケと、8月31日放送の渡辺直美とのロケの2本である。佐々木健介は8月12日のブログ((ameblo.jp/sasaki-kensuke-blog/day-20160812.html))で「ノンストップが終わって、そのまま《おじゃMAP!!》の皆さんにお世話になりました」と書いている。この日11:48のエントリー((ameblo.jp/sasaki-kensuke-blog/day2-20160812.html))では「(ノンストップ)終わったすぐですが、これからロケに行って来ます」とあることから、昼の12時ごろにはロケはスタートしていると考えられる。また、12:30頃にはフジテレビにおいて佐々木、香取、及び番組レギュラーの山崎弘也の目撃談がTwitterに投稿されている(この日のロケはフジテレビ玄関からスタートであった)。また、同日18:30過ぎには表参道(この回のロケの最終目的地)で佐々木、香取、山崎の目撃談がTwitterに投稿されており、少なくともこの時間まではロケであったことがわかる。
その後、20時過ぎには代々木公園で渡辺直美、香取、山崎の目撃談がTwitterに投稿されている。その後渋谷でロケを行った後、亀戸に移動してのロケではロケの進行とともに「PM11:20」「PM11:50」「AM0:30」のテロップが画面に出た。さらに「おじゃMAP!!」では毎回ロケ後に山崎が番組を宣伝するための動画を撮影しているのだが、この回の動画((www.youtube.com/watch?v=qOb4tziidEo))では山崎は「今深夜1:12」と述べている。
注1:
8月17日発売「週刊文春」((shukan.bunshun.jp/articles/-/6453))によると、
というが、この日のTBSリオ五輪中継は朝7時からであり、自宅を出たのは5時前であると推測される。したがって、文春が解散について知ったのはそれより前である。
文春9月1日号に今までの報道と相違がある件を画像でまとめてみた((ch300flowers.moo.jp/newpage2.html))。
報道どおり「10日面談、11日の役員会で正式決定」であったとしよう。その場合、「なぜジャニーズ事務所はこれほど事を急いだのか?」という疑問をもたざるを得ない。以下この時系列が正しいと仮定して検証してみよう。
10日の16時からジャニー氏と面談したのであれば、面談時間は1時間以下である。「SMAP解散」は首相以下閣僚がコメントし、New York TIMES((www.nytimes.com/2016/08/20/world/asia/japan-smap-breakup.html))やBBC((www.bbc.com/news/world-asia-37075638))でも報道され、NHKすら五輪中継中に速報テロップを入れるほどの大事件である。ジャニーズ事務所にとっても大きな売上げ(注2)を失う事態となる。それほどのことをメンバーと1時間も話していないうちに「よしわかった」となるものだろうか。それまでメンバーから「解散」という言葉は出ていないことは各紙とも一致している。事務所にとっては寝耳に水の発言のはずである。そもそも「解散したい」「はいどうぞ」となるほどタレントの意志を尊重してくれる事務所なら、2016年1月18日のスマスマでの公開謝罪は行われなかったであろう。
しかし事務所は翌11日には役員会を開いて解散を正式決定してしまう。まるで「解散」という言葉がメンバーから出る事を待ち構えていたかのようだ。この時、木村拓哉はハワイで家族と休暇中のため不在である((www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/08/22/kiji/K20160822013218160.html))。木村自身にとっても大きな影響を与える決定を、本人不在のうちに行えるものだろうか。木村が帰国するまで待つ、あるいは「こういう事態になったから今すぐ帰って来い」と言えなかったのだろうか。
そして12日にマスコミを集めてレクチャー、13日深夜には発表と、ジャニーズ事務所は迅速すぎるほど迅速に動いている。まるであらかじめスケジュールが決まっていて用意されていたかのようである。これほど急いで五輪開催中に(事務所所属の中居と櫻井はTBSと日テレで五輪キャスターを務めている)「解散」を発表しなければならなかったのはなぜだろうか。
どのように発表するか、CMスポンサーやTV局にはどう説明するか、解散までのタイムスケジュールはどうするか、ファンクラブの取り扱いはどうするか。「解散」が決まったあとで事務所が決めなくてはいけないことは山ほどある。しかも、実質的な経営者であるメリー喜多川副社長と、その娘であり次期社長であるジュリー藤島氏は13日からハワイで休暇である((www.asagei.com/excerpt/64244))。重要なことはその前に全て決めてしまわなくてはいけないのだが、それに充分な時間があったのだろうか。疑問は尽きない。
注2:
「文藝春秋」2016年3月号((gekkan.bunshun.jp/articles/-/1792))によると、ジャニーズ事務所は
連結で年間七百億~一千億円の売り上げが推測される。そのうちSMAPの売上げは二百五十億円と言われています。[経済専門誌記者](p.195)
最近、グーグルやツイッターで「ナダル」と検索すると芸人の方がひっかかる。いや、こっちはテニス選手のラファエル・ナダルについて知りたいんだよっ!
いつかこいつが大ブレイクしたら、テニス関連ページはネットの隅に追いやられるのかと思うとげんなりする。頼むからくすぶったままでいてくれ。それか改名しろ。
つーか、このインターネット時代において検索されることを念頭におかない芸名つける奴らって意識低すぎるだろ。
すでに概念がある名前は避けろよ!天津とかピスタチオとかさ。売れる気あんのか?!
追記:随分前に書いた増田なのにブクマにあがっててびびった。同じこと書いてるドッペルゲンガーがいるのかとびびった。
ブコメやトラバで英語で検索しろ、普段テニス関連でぐぐってればそんなことにならないぞニワカが、とか言われてるけど、一番困ってるのはグーグルじゃなくツイッターの市井の人々の感想を探しにくいことだ。言われんでも英語、スペイン語で情報を追ってる。ニワカじゃねぇ、お前よりもよっぽどナダルを愛してる。コアなスポーツファンなら分かってくれるだろうが、面白い試合の後なんか他の人の感想も読みたくなるんだよ!特に地上波なんかでやっててたまたま見ただけの普段テニスに興味なんかない人たちの感想なんて色々新鮮だったりする。だから試合後に「ナダル」とかでエゴサ(誤用)したりするんだが、運悪く芸人の方のナダルがTV番組に出てたりすると検索結果に雑音が混ざる(あとこれは別件だがニュースの転載サイトも死ぬほどひっかかる)。一時期なんかツイッターの検索に「ナダル」と打ち込むと「うざい」が候補にあがってくることあったんだぞ!びびるわ!何だようざいって芸人の方かよって安心したけどひどい風評被害だわ。100歩譲って、ナダルの大ファンということでの命名ならば、どんなつまんない芸人でも寛大に微笑んで応援してやらないこともないが、全くそんな事実はないというのも絶賛怒りポイントだ。頼む改名してくれ。
【2―1 邦画最大のアドバンテージ「TV宣伝」と、その将来性 】
前項のとおり、現在の国産映画が、クオリティで上回る輸入映画に対抗する方策としているのは、
製作に参入したTV局の番組露出を最大限利用した、企画・宣伝のスクラム展開である。
放送倫理面の問題は上述のとおりだが、それは別個の案件とし、以下はその将来性について分析する。
→出演俳優を公開前〜同時期に他の連続ドラマやCMに出演させ、人物の話題を維持する など
これらはTV局芸能界隈と連携することで得ていた国産映画のアドバンテージだが、TV離れが進むと、これらの効果は低下する。
特にTVドラマは視聴率低下が顕著で、それに伴い映画化の本数や興行は急速に縮小した。
【シネマ羅針盤】なぜ実写邦画は『シンデレラ』に勝てなかったか?
http://headlines.yah...8-00000006-cine-movi
>番宣とは「番組宣伝」の意味だが、最近は「映画の番宣」という言い方がされ、
>バラエティ番組などで「そう言えば、○○さん、映画が公開されるそうですね」というやりとりをよく見かけるはず。
メイドインジャパンが海外で通用するのか?をいろんな商品?で試す番組
コンセプトおもしろくて内容自体も変に誇張したりしてなくて、民放じゃこれは難しいだろうなと思った
コップのフチ子さんで有名な会社がガチャガチャをもってって売るってのがメイン
まずブータンが高度2200mなんて場所にあることすら知らなかった
マチュピチュみたい
ここ10年で都心の人口が2倍になって、今まさに高度成長期って感じらしい
値段は日本と一緒だけど、ブータンの物価からしたら1回2~3000円のガチャガチャになるらしい
厳しそうだなあとおもったけど意外とスマホは持ってる人多かったり、子連れの人がまとめてガチャったりと裕福な人は裕福な感じ
フチ子サン以外にもってったのはカエルストラップと猫のスマホスタンドとミニけん玉
それぞれ50個で計200個を3日で売れ!というミッション
生き物人気
なんとか最終3日目の20:30に完売してた
指原莉乃さんによって史上初の二連覇が成し遂げられ、ベテランメンバーの勇退やフレッシュな新顔の台頭に沸いた第8回AKB48選抜総選挙。
80位までのランクインメンバーから構成されるランク帯のひとつ、33位~48位の「ネクストガールズ」に、36位のメンバーとして私の「推しメン」、HKT48の本村碧唯さんがその名前を刻みました。
「推しメン」とはいったものの、私はいわゆる在宅ファン。現場に足を運ぶ勇気もなく、TV番組だって全部はチェックしない、HKTのファンを名乗るのも若干はばかられるくらいのにわかなファンです。
私がAKB48を好きになったのは、ちょうどグループが国民的アイドルへと進化を遂げ始めていた頃、そのきっかけは当時総選挙で初の選抜ランカー入りを果たした指原莉乃さんでした。
「こんな面白い子がいたのか」と贔屓にしていた彼女がHKT48にその拠点を移し、私の関心も自然と博多の少女たちへと移りました。
指原さんの巧みなプロデュースや若いメンバーの瑞々しいパフォーマンスがすっかり気に入り、特定の贔屓はいないものの歌番組やレギュラー番組を時々見て楽しんでいた私の心を奪ったのが、いま「推しメン」として名前を挙げた本村碧唯さんです。
彼女のことは名前だけ知っている程度、いわゆる妹キャラで泣き虫の通称「あおいたん」、というのがその時かろうじて知っていた知識でした。
もともと指原さんが好きというだけあって、どちらかというと一癖二癖あるような子の方が好きだった私にとって、事前情報から判断するに彼女はまったく興味範囲から外れていました。
そんな彼女が、レギュラー番組「HKT48のおでかけ!」にて活躍の著しかったメンバーを表彰する恒例企画「おでかけ総選挙」にてフィーチャーされた活躍ぶりは、あまりに意外なものでした。
畑仕事中におもむろに巨大なミミズを手づかみし、周囲のメンバーが泣きべそをかいて逃げる中ひとり無邪気に笑う姿、キャンプ体験中、ひとり器用に火を起こしスタジオの指原さんやフットボールアワー後藤さんの口をあんぐり開けさせた姿、釜戸で番人のごとく火加減を見ながらウチワを仰ぐ、妙に手慣れた職人のような顔。ベビーフェイスで泣き虫、そして妹キャラというイメージからは想像もできない野生児っぷりに「こんなに面白い子がいたなんて…!」と一瞬にして心を奪われました。
そんなたくましい姿を見せたかと思えば、他の番組では泣き虫キャラとして一躍有名に。メソメソ泣くというよりは話している間にぼろぼろと涙が零れてくるような涙腺の緩さはもはや一芸クラスのインパクトをもたらしていました。
ただこれはただの取っ掛かりにすぎず、私が彼女を「推しメン」と呼ぶようになったのはもう少し後のことです。
この頃からメンバーのSNSをチェックするようになり、他のメンバーの顔と名前もようやく一致するようになりました。歌番組でも、ゆるい在宅ながら彼女に注目するようにもなっていました。
他のAKBグループと比較してあまりダンスに特化していないHKTにおいて、彼女のダンスはずば抜けていました。
小柄な身体をしなやかに操る綺麗なモーションと、若々しいゆえにパワフルな振付を要するHKTのダンスにおいて誰よりも脚が動いている高い身体能力。
グループ楽曲では主に後列にいながらも、劇場公演やTV番組で披露していた「回遊魚のキャパシティ」でセンターを務めたときのフォーメーション先頭に立つ凛々しさ。もともと体育会系として知られていた初代チームKの曲とあって高難易度のダンススキルを要するこの曲において、彼女はかつての大島優子さんのポジションで、当時のパフォーマンスに引けをとらない堂々としたダンスを披露していました。
彼女のダンスは、梅田彩佳さんや木下有希子さんのようなスクールやコンテストで鍛えたプロフェッショナルな巧さと、前田敦子さんや小嶋陽菜さんのような、「抜け」を作りながらもキメ所を外さない、マイクを持ったTVパフォーマンスにおいて最大限に映える巧さをバランスよく兼ね備えています。タイプは違えど、そんな彼女のダンスの巧さは松井珠理奈さんに通ずるものがあるなと個人的に思っています。
私はふだん生息している他ジャンルでもダンスを長いこと見てきましたが、ダンスに弱いと言われがちなHKTにおいて彼女が群を抜いて踊れるのはもちろん、そのダンスはグループ全体でも通用するほどレベルの高いものだと確信しています。
ベビーフェイスのあおいたんがストライクゾーンに躍り出たのはそれが所以です。
劇場公演にて行われるメンバーの生誕祭のたびに彼女がGoogle+に書くお祝いの言葉は、どれもメンバーのことをよく見ていて、人のいいことろを見抜く力に長けた彼女の才能をよく表しています。
特に、後輩である二期生メンバーへの言葉はどれも印象的でした。
「いい子すぎるんじゃないかってくらいいい子」と評した渕上舞さんが選抜メンバーから外れた翌日、選抜に残った側としてどう声をかけるべきか迷いながらも買い物に誘い出したそうです。のちに渕上さんは、その日はひとりホテルにこもるつもりでいたところ碧唯ちゃんが声をかけてくれた、と語っていました。
ことし卒業した岡田栞奈さんに対しては、「はじめはちょっと苦手だった」という一見ぎょっとするような書き出しに続けて、あんまり自分のことを褒めてくれるから裏があるんじゃないかと当初は不安になったけど、次第にそれが彼女のストレートに人を褒められる魅力のひとつなのだと気づいたと記していました。
所属するチームKⅣのキャプテンかつAKBの大先輩である多田愛佳さんのことを「愛佳」と呼び、愛佳がキャプテンでよかったと書くほど強い信頼を寄せています。
SKE48から兼任メンバーとしてチームKⅣにやってきた木本花音さんとも大の仲良し。HKTの先輩にあたる木本さんは、当初はメンバーと距離があり廊下でひとりお弁当を食べていたこともあったそうですが、碧唯ちゃんはそんな彼女を真っ先に「のんちゃん」と呼び、兼任が終わるころには「花音」「碧唯」と呼び合う仲に。木本さんのHKT最終公演にて特別に披露されたふたりのユニットパフォーマンスでは、会場から割れんばかりの歓声が上がりました。
HKT48の周年祭として行われた過去の公演のアンコール上演にて、かつて一期生で披露していた演目を披露した日。いつもと同じ公演後の更新に、楽しかったという旨に加えて、ふだんネガティブなことを口にしない彼女が「自分のことで精一杯で、この公演の経験のない二期生に気を配れなかった」と反省を零していました。
彼女の語る言葉は、私の知らないメンバーの素敵なところをたくさん気づかせてくれます。それは彼女がふだんメンバーに向ける洞察力と気遣いの現れでもあります。そして同時に、彼女が先輩にも後輩にも慕われる人物であることを伝えてくれてもいます。
ドラフト二期生のオーディションではキャプテンとともに選考に加わるスカウトマンに抜擢され、その時指名した松岡はなさんとは、いちばん先輩といちばん後輩というキャリアの差を飛び越え握手会でお揃いの服を着るほどの仲良し。
渕上さんや同じく二期生の朝長美桜さんは、先輩である彼女を「碧唯ちゃん」と呼び親しくしています。
三期生の矢吹奈子さんは彼女を「マブダチ」と紹介。(その真意はいかに)
卒業した後藤泉さんは、彼女を慕って自ら「あおさんのTO」と名乗っていました。
移籍当初その幼い可愛らしさに盛大な寵愛(笑)を受けていた指原莉乃さんとは、今ではお互い元気がなさそうな時に連絡を入れ合う仲。
キャプテン多田さんはことあるごとに彼女の名前を挙げ、もっと評価されていいのに、と悔しさすら零すことまであります。
同期との固い絆はどのグループどのメンバーにも共通して言えることですが、彼女の先輩後輩を飛び越えた強い信頼関係とそれをもたらす「人を見る力」に、気づけば強く惹かれる自分がいました。
そんな彼女を「推しメン」に据え、初めて自ら一票(記念のつもりだったのでほんとうに一票)を投じた昨年の選抜総選挙。
一昨年初ランクインで48位を記録した彼女の順位は、ランクイン圏内ギリギリの80位でした。
ステップアップを目標にしていた彼女にとっては本意ではない順位。それでも、ほんの一票でもそこに自分の票を投じてよかった、81位じゃなくてよかった、もし自分が投票しないまま彼女の名前が呼ばれなかったら、もしその一票で彼女が81位に落ちていたらずっと悔やんでいただろう、と心から思う自分がいました。
自分が投票した子が呼ばれるって、こんなに嬉しいことだったんだ、と気づかせてくれた瞬間でした。
ただ、選抜常連の人気メンバーとはいえ最後列の端が定位置だった彼女にとって、その順位は試練を意味するものでもありました。
高校3年生になり、後輩も増え、一期生だけの頃のような妹的なポジションにはいられない立場。
AKB選抜に名を連ねる宮脇さんや兒玉さん。グラビアで活躍する同期。野心に溢れた二期生の開花。圧倒的な妹分である三期生「なこみく」コンビの存在感。そして逸材揃いのドラフト二期生。
層の厚いHKTにおいて、彼女の存在感が常に安泰とはいえないような1年でした。
そして最新シングルで初めての選抜落ち。私も、そして彼女もGoogle+に記していたように、「いつか来るかもしれない」と危惧していた瞬間でした。
今年の選抜総選挙を直前に控えた頃、「HKT48のおでかけ!」にて、一期生メンバー数名を集めた食事会の様子がOAされました。
そこで彼女が口にしたのは、「アイドルに向いていない」という言葉。
それを聞いたとき、私は「そんなこと言わないで!」と思う反面、たしかにそう言える節もあるかもしれないな、と妙な納得を覚えていました。
AKBが「アイドルらしさ」という画一的な価値観を打ち破った昨今、「アイドルに向いているかどうか」は一概には決められないと思っています。
それでも、彼女の性格はたしかに、セルフプロデュースがカギを握るAKBにおいては、たしかにあまり有利には働きません。
そしてそれが、悲しいかな彼女の長所と紙一重であるとも思っています。
碧唯ちゃんのダンスはたしかにグループでも指折りの巧者といってよいほど。
ただ、その長所は、言葉を選ばずに言えばアイドルとして当然に求められるスキルが秀でているだけのことにすぎません。
もちろんどんな特技や長所を持つ子でも、みんな同じくらい努力をしているしそれぞれの秀でた能力そのものに優劣の区別はつけられません。だけど、アイドルとしての彼女のそのスキルは、集団の中で目を引いたりテレビで大きく取り上げられたりはされにくいという面があります。(例えるなら、学校のテストで満点や一番を取った人が、スポーツの大会で優勝した人のように賞状とトロフィーが贈られ全校集会で表彰されるとは限りません。)
さらに、碧唯ちゃんは本当に周りをよく見て他者に気を配る代わりに、あまり自分をグイグイ出すことはありません。
ファンに対して強いアピールや確固たる目標を口にするのもあまり得意でないようです。
真面目な性格の分器用に立ち振る舞うのが苦手なようで、指原さんに「適当にできない(TVのアンケートに時間をかけすぎて怒られたりする)」と涙ながらに相談していたこともありました。
二期生や三期生の急進メンバーのような、キャラを立たせ、おいしい機会を逃さないというハングリーな強さにはやや欠けるところもあります。
私はそんな不器用なほどにまっすぐなところも含めて彼女を好きになったのですが、たしかにそんな彼女の課題(欠点とはいいません)は大きなハンディキャップになります。
人前で決して弱音を吐かない潔さの反面、悩みや本音を抱え込んでいないか少し不安に思うこともあります。(多田さんや木本さんがそんな彼女の性格を慮っている様子を時々見かけます)
周りをよく見ているだけに、選抜から外れたときも、悲しい顔をしていては初めて選抜入りした二人が喜べないから、と、初選抜のメンバーを祝福する強さをもっていました。
誤解を招きたくないので念を押しますが、私は決して、彼女が報われないと嘆いているわけでも、彼女を不遇のヒロインとして描きたいわけでもありません。
ただ、彼女の素敵な魅力は課題と紙一重になりかねない、だけど私は彼女のそんなところを好きになったんだ、というもどかしい思いを抱いているだけです。
セルフプロデュースによってスポットライトの下に行き、ファンの物理的な支えで直接その光を浴びるアイドルとして、彼女はあまり器用な人ではありません。
そういう意味では、たしかに「アイドルに向いていない」と自らを評価する気持ちも少しわかるような気がします。
それでも私は、今年も彼女にアイドルとしての期待を託し票を投じました。
不器用でも人目を引きづらくでも、彼女のスキルと頑張りを評価したいと思ったから。
器用に振る舞えない分、どんな時でも一切弱音や環境への不満を漏らさず、たとえ冗談でも他人を悪く言わない彼女のまっすぐな姿勢に惹かれているから。
選抜から外れ、アイドルに向いていないと自分の魅力を陰らせてほしくなかったから。
そして何より、彼女が数多いるアイドルの中で私の目に飛び込んできてくれた唯一の存在であるから。
実のところ、在外中ということもあってモバイルのキャリア認証の壁に阻まれたこともあり、実際の投票数と貢献度はほとんどないに等しいようなものです。彼女の結果に「頑張ってよかった」とも「悔しい」とも言えるような立場ではないただの在宅として、ほんのわずかでも彼女に届けば、との思いで票を投じました。
そして昨日、開票が進み、HKTメンバーの名前が続々と呼ばれ、私ももしかしたら彼女も、今年はもうダメかもしれないと不安を抱き始めた頃、36位のスポットライトは、本村碧唯さんのもとに当たりました。
両手を深く握りしめたガッツポーズ、両手を大きく挙げて喜んだ指原さん、36位のスピーチ中にカメラを向けられ、大きな笑顔でピースを作った仲良しの後輩、松岡はなさんの姿。
速報順位から大きく狂い、「箱推し票」ともいえる第一党グループをかけた駆け引きに左右されたとも噂される大混戦の中、HKT48全体で6番目の位置につけた彼女は、昨年から1万票以上増えた得票をもって、この日自身の最高位を記録しました。
開票終了後に更新されたGoogle+には、彼女の喜びと感謝、そして選抜復帰にかける意気込みに続いて、こんな言葉が記されていました。
「1人じゃ何もできないので(以下続く)」
私はこの言葉を見て、初めて彼女に少しだけ怒りました。(といっても心の中で「もうっ><!」と思った程度のそれ)(基本欠点を指摘する暇があったら好きな子のいいところをできるだけ多く見つけたいタイプ)
碧唯ちゃんは、ひとりでは何もできないようなアイドルではありません。
ずば抜けたダンススキルはグループの垣根を超えて、高橋みなみさんの卒業を前に企画された特別公演の一つ「ダンス選抜公演」に抜擢されるほどの評価を得ました。
メンバーに向けた気遣いとパフォーマンス能力の高さは、自身の誕生日に際し他のメンバーが「これからは碧唯が自分のために動けるように」とコメントしたり、キャプテン多田さんが「頼もしい」「もっと評価されていいのに」と評価したりとグループ内で確固たる信頼に繋がっています。
大混戦の中36位というグループ6番手の位置につける得票は、紛れもない彼女の魅力と功績への評価がもたらしたものです。
彼女は今年の総選挙の目標を掲げるにあたって、「唯一碧く輝く宝石になれるように」という自信の名前に由来して、輝く宝石になりたいいつも自分を輝かせてくれるのはファンのみなさんです、と語ってくれていました。
その言葉がとても彼女らしくて嬉しく思うと同時に、「逆だよ、あおいたん」と思うこともしばしばありました。
本村碧唯というアイドルは、それ自身がキラキラ輝きを放つ碧い宝石です。
磨かれて宝石になるのを待ってるんじゃない、もうとっくにあなたは宝石なんだよ、と、勇気が出ず握手会にも行けない在宅は心の中で叫ぶほかありません。
たしかにAKB48という世界において、最終的に彼女たちにスポットライトを向けるのはファンの力です。
それでも、少なくとも私は、「この子を宝石に磨き上げたい」という思いではなく、「この綺麗な輝きをもっともっと光らせたい」「この美しい宝石に似合うステージへ歩むべく少しでも背中を押す声となりたい」という気持ちで彼女を応援しています。
何より、数多いるアイドルの中から彼女を見つけるための道しるべは、他でもない彼女自身の放つ光だったから。
決して器用ではない彼女が、今年になってたくさん言葉にしてくれた強い思いを、一にわかファンながら嬉しく頼もしく思っています。
だから碧唯ちゃん、これからは、その輝きでみんなを照らしていってね。
碧唯ちゃんが輝けば輝くほど、その光をもっと広く届けたいと思う人が増えるはずだから。
あなたはとっくに輝いてる、本村碧唯という宝石は今まさにスポットライトを浴びて輝きを一層増そうとしているのだと、彼女が自信をもてるようなきっかけになればいいな、と願っています。
本村碧唯という、碧く輝くただひとりの宝物に、心からの祝福を。
勢いで書き殴っておいて最後に言い訳するのは最高にかっこ悪いのですが、私はほんとうにただの在宅にわかで、今回の結果に至るまでに頑張ってくれた彼女のファンの皆様にただただ感謝するばかりです。
何の力にもなれてないファンだけど、大好きな碧唯ちゃんの飛躍が嬉しい気持ちには変わりなかったので紙吹雪代わりに匿名でネットの海にばらまくことをお許しください。
了
世の中には幽霊となった人が恋人の危機を救うだとか素敵なメッセージを残していくだとかそういった話も多々あるようなので
そういう存在もいてもいいかなくらいには思うのだが、そういう世界の扉を開けたことは一度もない。
そういうものを見た、何かが写っていた、気持ち悪かった、などという話に聞くたびにいわゆる『霊界』『死後の世界』『あの世』などと呼ばれるものに疑問を挟んでしまいうまく信じることができない。
『死』を受け入れられないというわけではない。
私が死んでも世界は変わらんと思っている。私という存在が消え去るだけだ。
死んだという報せを聞けば何人か悲喜こもごもあるだろうが、それこそ49日ほど過ぎれば死んだことすらどこかへ行く。
たまに思い出されて、「ああいたなあそんなやつ」。そんな人たちもいなくなれば、完全に消滅だ。そういうもんだと思っている。
だからこそ確認したいのだ。本当に死の向こうに、霊体だけが暮らす新世界があるのだろうか?
あらかじめ書きたいが、別にかの世界や特定の宗教等を否定したいわけではない。
○○は××だからwwwwwはい論破wwwwwww などとやる気は一切ない。むしろ逆だ。可能であれば完全に存在を証明されて論破されたい。
これを見て、こういったモノに詳しい誰かが非の打ちどころのないコメントを残してくれるのを見たい。それを心待ちにしている。
(1)心霊写真ってどう思う?
昔々はちょっとしたブームになり、織田無道だとか宜保愛子だとかが毎週のようにTV番組に出てきていたこともあった。
今は「おわかりいただけただろうか」か。流行の強弱はあれ、ずっと続いている心霊写真ブーム。
ところで、あの手の番組に出てくる写真や動画、構図や被写体って似すぎてやしないだろうか。
人間の体は頭、胴体、両手両足、股間まわりと大まかに言ってもこれだけパーツがあるが、
心霊写真って、ぼやっと全身が写っているか部分的なものは頭と手ばかり写っているように思う。
「顔と手には思念が残りやすい」などという話を聞いたりもしたが、それならケツや乳に思念が残ったっていいじゃないかと思う。
短小をバカにされて自殺した童貞男の幽霊がいて、夜な夜な女の宿泊客の顔にBUKKAKEてくる……とかさ。逆にデスペニスでもいいよ。
もうひとつ言うと、人間が霊体を認知するのって圧倒的に視覚じゃないかと思う。
音は幽霊の描写としてよく使われる手段ではあるけども、この音がするから幽霊だというのはイマイチ証拠に欠ける。
においというのはある種個性として認知されるものだが、『この建物はなんだか幽霊くさいぞ』とは聞いたことがない。なんせチョコボっぽいし。
いわゆる『向こうの世界』からくるものが圧倒的に人間ばかりだと思う。人間すぎる。
旧日本軍の兵隊や髪の長い細身の女性の幽霊の話はごまんと聞くが、ヒグマやサメの幽霊が暴れて人が死んだという怪談話を稲川淳二がしたことがあるだろうか。
霊はこの世に未練があってなんちゃらかんちゃらと言うなら、人間さまのご都合で殺されまくった動物の悪霊なんてアホほどいそうなもんである。
忠犬ハチ公の幽霊はご主人が帰るまで待ち続けたのだろうか?そんな話も一切知らない。
地獄という場所も圧倒的に(宗教的に)悪いことをした『人間』を懲らしめることに特化した施設のように思う。
今どきはペットだって洗礼を受けるし、葬儀だって開くわけだろう?
『動物には動物の天国や地獄がある』と主張する人もいるようだが、その世界観が取り上げられたものはほぼないように思う。
どうすれば天国でどうすれば地獄か、どうすればより高次の生き物に輪廻転生できるか、などという判断も人間さま向けの基準だ。
吸血や捕食を生業とする生き物に転生したら、殺したり奪ったりしないと生きられんわけで。
そんな生き物に転生させといて殺すな奪うなと言ってもじゃあどうすりゃいいんだよ……ってなもんじゃないか?
(2)ともちょっとリンクする部分があるが、見出しのままだ。あの世でパンは焼けるだろうか?酒が作れるか?と言ってもいい。
例えばパン職人ひとすじでこの世を去った人がいたとしたら、天国でボサッと呆けてるとは思えない。そりゃ、いっちょ自慢のパンでも焼くかと思い立つだろう。
逆にパン職人だったお父さんを見送った遺族だって、「お父さんはきっと天国でもおいしいパンを焼いてるよ……」とか言うだろう?
お父さんの生き生き天国ライフをかなえるには穀物と菌の存在が必要である。まあいい。生きたものがあの世には行かれないだろうから生きてはいないはず。
つまるところ、『植物や菌類の幽霊』なるものが存在するかどうかだ。
存在するとして。
パンを作るためには穀物をすり潰して粉にしたものをアレコレしたあと菌によって発酵させて、焼くという工程が必要だ。
工程の最中、穀物は当然として菌も死ぬよね。焼かれるわけだし。だとして、幽霊が死んだらどこへ行くんだ??
すぐに生き返って元に戻る、だとしたら最悪だ。イースト菌の霊からしたらなんべんも焼かれては生き返ってまた焼かれるわけだ。
ダンテの神曲に出てきた地獄の図とまったく同じことが天国にいながら天国に行ったパン職人によって引き起こされる。鬼かオヤジ。
さらに死んだ者用のナニガシが存在するとなると、それは無間地獄である。天国にいながら地獄という図は変わらないのではないか。
存在しないとして。
パンはどうしたら作れるだろうか?
墓参りの時に、生前好きだったものを供える習慣がある。寺の坊主に言わせると、お供え物の霊的なナニガシだけを受け取るのだとかなんとか。
これを使えばイケそうな気もするが、毎日墓前に小麦粉とイーストパウダーをお供えする遺族なんて存在しないだろう。なんせ傍から見てどう考えてもおかしい。
せいぜい跡継ぎ息子が焼いたパンをお父さんもぜひ試食してくれ旨いだろうと供えられる程度である。
お父さんも天国でパンを焼きたいのだが、このままではこの世に未練が残ってしまいお父さんが化けて出てしまう。
焼くことが可能だとして、パンはどうなるのだろう?幽霊はパンを食うだろうか?
死んでるんだから食わないというのなら、飢えに苛まれる地獄というのはよくわからない存在になりそうだ。
それに、そう、お供え物だ。我々が良かれと思って供える故人の好物や茶などは、実はありがた迷惑ということに……。それは悲しすぎる。
かと言って普通に食べるということにしてしまうとそれはそれで大変だ。これまでン万年の間に死んだ人間はそれこそ星の数ほどいるわけで。
食い物が、足りなさすぎる。
僕が先週買ったCDは、「俺はたまにガンジャを吸ってる ていうかそこらへんの山に生えてる」(本文まま)と歌っていたり、昔の反省をする歌でも「ガンジャと女でマジでいかれてたぜあの頃は」(うるおぼえ)みたいなことを歌っていて、僕は、「おまわりさん、この人です」と、聴くたびにいつも思う。
しかし、今日昼休みに、世界最高峰のディスカッションコミュニティであるところのはてなブックマークを眺めていると、全然別の話題であるが、その話題に、盗んだバイクがうんたらかんたら、とコメントがついており、それを見て、気づくことができたのです。
「盗んだバイクで走り出す」と歌った尾崎豊は、しかし窃盗罪で逮捕されることはなかった。それどころか、その曲は今でもTV番組のSEとかで頻繁に流れるし、名曲とされている。ここから、音楽の歌詞ではなにを言ってもフィクションであることが担保されていることが分かる。
極端なことを言えば「オレはいつか北朝鮮製の超ドープなスーパーデューパーミサイルを首相官邸のケツの穴にクールにブチ込んでやるぜ」と歌詞に書いても、逮捕されることがないのだ。すごくないかそれ、音楽の力はすごいなーー。
ホテルカリフォルニア後半のツインギターを聞いていると、何か物悲しく、切なくなる。思いを馳せるのは、2人のギタリストのこと。
2月のある日から突然、毎晩のように、頭の中を「since nineteen sixty nine 」というフレーズが流れるようになった。原因はわからないが、たぶん病気じゃない。グレンフライ氏の霊が関係しているのかもしれない。それまでイーグルスのことは何も知らなかった。
そしてここ3ヶ月、ほぼ毎日ホテルカリフォルニアを聞いている。
リードを務めるならギターでもヴォーカルでも奔放さが特徴のジョーウォルシュ。イーグルスに加わる前から別のバンドやソロでも活動していた典型的なロックギタリストで、いくつかのヒット曲や、独特のパフォーマンスもあいまって、そこそこ知られていたらしい。しかし、
ことホテカリに関して言えば、ドンフェルダーというもう一人のギタリストと一緒に語られることが多い。その2人による、曲後半のツインリードの掛け合いがあまりに素晴らしかったからだ。ドンフェルダーはホテカリの作曲者の一人で、ジョーウォルシュが加入したことを受けて、ツインリードの曲を考えたそうな。彼の演奏はとても緻密、ジョーウォルシュとは対照的だ。
初めてホテルカリフォルニアをちゃんと聴いたのが ’77年Washington, D.C.のライブ映像で、一瞬で2人の演奏の虜になってしまった。
ドンフェルダーは ’75年ぐらいからジョーウォルシュのソロコンサートに参加するようになり、実は、あの素晴らしいデュエットは、その頃から2人で築いてきたものであることを、その後知った。
ジョーウォルシュ作「Turn to stone」というハードロックな曲がある。レコードにも3つバージョンが収録されていて、わずか4分のものから8分のものまで、ライブを合わせると無限にアレンジがある。ドンフェルダーとジョイントしてほどなく、後半はほとんどツインリードのための曲となってしまう。ホテカリ同様、歌が終わった後半、ドンフェルダーのリードギターに始まり、徐々に2人の掛け合いに流れ、最後はジョーウォルシュのリードで終わる。
2人の掛け合い、その様子はまるで、タンチョウ鶴の求愛ダンスだ。高音でハモり、その同じリフを交互に鳴らしあう。いくつかのライブでどれとして同じ演奏はない。そのときの気分次第という感じだ。
楽器や歌でハモったり掛け合いをするときの感覚は、体験した人には分かると思うけど、恋をしたのに似たような高揚感や一体感があると思う。
だからホテカリのあのリードギターの掛け合いは、2人にとって、きっと忘れがたい記憶のはずだ。
その2人のデュエットを確認できたのは ’95年のライブ映像が最後だ。映像なしだと ’00年が最後。そこでも彼らのハモりは美しかった。わけあって、ドンフェルダーは ’01年にイーグルスを脱退(解雇された)し、その後はソロで活動している。ジョーウォルシュのほうは今もイーグルスに在籍しているが、相手役はドンフェルダーに代わってバックミュージシャンであるスチュワートスミスになった。
スチュワートはイーグルスのメンバーではないというスタンスを頑なに守るかのように、ひたすら目立たぬように演奏している。だけど、ドンフェルダーの代わりのリードだから、多くの曲でジョーウォルシュより目立つ部分を弾くわけで。ホテカリでもイントロと同時に一番最初にスポットライトを浴びるのはスチュワートだ。それでもいつもメンバーとは少し距離を置いて、ギター職人に徹している。
そういうこともあってか、ジョーウォルシュもスチュワートとどう連携していいか、いつも悩ましそうに見える。そしてドンフェルダーとの演奏のような一体感を感じているようにはあまり見えない。かたや、
ドンフェルダーは、ずっとソロ活動をしている。いい感じにロマンスグレー(って死語?)になり、ステージではいつも神父のような笑みを浮かべて演奏している。イーグルスのライブでは1曲も彼のヴォーカルを見たことはないし、しゃべるのも見たことがない。のに、歌ってる。歌えるじゃん。彼は、
ライブやTV番組でホテカリを演奏しているが、ある番組ではアコースティックギター(フォークギター)で一人演奏していた。ジョーウォルシュのパートも一人2役で。あの最後のハモりも一人で弾けちゃうんだなぁ、彼は。エレキやクラシックではなくフォークギターでは難しいはずの、色んな技を次々繰り出すのを見て、観衆もそのたびにヤンヤヤンヤとなるのだけれど、ジョーウォルシュと2人でハモっていたはずの最後の部分、悲しい響きに感じるのは僕だけか?
’75年から’77年にかけての2人のデュエットを見たことがあれば、、、
微笑みながら、ドンフェルダーはどんな気持ちで弾いているんだろう? 昔、相方と弾いていた日々を思い出しながら? それともイーグルスを脱退するに至ってしまったことへの後悔? 僕には知るべくもないけれど、あの物悲しい旋律がなんとも彼の心情を表しているようにしか思えない。
お前らの仕事は何だ?
つまんねえTV番組をたれ流すためか?
月面を開拓することか?
ちげーだろ?
そんなもんのために月額7000円も払ってるんじゃねえんだわ。
特に孫、お前だよお前。
最初の意気込みはどこに消えたんだよ。
ああ、あと、安くしろって言っても
基本料金を下げろ。オトク感とかもういいから。
むしろぜんぜんオトクな割引じゃねえよ。
って言うか、値段設定おかしいだろ?
どのプランにしても利用料の合計7000円くらいって
どう考えてもおかしいだろ?
オプションだろそんなもん。昔はそうだったろ。
横並びで2年縛りなくす代わりに月額300円アップ!とかいう
クッソみたいな提案してきましたね。
こちとら電話従量LTE1Gで1500円みたいの期待してたんで
正直見損ないましたわ。頭膿んでるんじゃねえの?
みんながそっちに流れたらどうせなんか理由付けて
ほんとここだけはTPP来ていいぞ。真面目に。
季節外れのインフルエンザだよ!
カクヨムは出版社の都合優先し過ぎの漁場設計だから上手く行ってないな。
(下読み素人にさせてピックアップ後のだけ編集者が読みたいとか、そういうね)
カクヨムは、Consumer Generated Media(消費者作成メディア、略してCGM)そのものなのよね。
勝手にピックアップ(下読み)が完了する、美味しいプラットフォーム。
カドカワにとっては、美味しい漁場ね。
という企画書になってるハズ。
Youtubeとかニコニコが曲がりなりにも回るのは、暴力的なまでに圧倒的多数の「視聴者」が居るから。
Twitterとか2chとかでTV番組のコメント拾うとソコソコ的確なデータが揃うのも同じ。
ということはだ、カクヨムの場合は「読者」中心に設計しないといけないはずだった。
が、ニコニコとかがあると、どうあっても「作者」寄りに設計するよな。
そこがマトモにシミュレートしてねえよなって感じる所。
まあ、「読み専」って単語そのものが既にして判ってねえ感満載なんだが、
繰り返しになるけど、評価者が中心に来ないとまずい。
誰も評価しなかったらどうなるか?
誰が使うんだそのメディア。
今のカクヨムは、その状況。
まあ、面白い作品があって埋もれてる状況って、もったいないよな。
そうすると、例えば以下の手法がある
どこまで読んだかの栞、傾向の似てる作品のレコメンド、読んだ作品数の貯金。
あらゆる読者向けサービスで使われている書影(表紙画像)って記憶にダイレクトに効いてくるので、
pixivと連携して書影コンテストを開催するくらいのことはやって充実させる気概が欲しい。
コレがあるだけで、チョット読んでみようかって人が増える。
カドカワに人材居ないなら、それこそ日替わり編集長とか頼めばええがな。
目が多ければ問題になることは少ないんだよね。つまり、評価者が少ないのが問題。
だったら、「参考になったレビュー」と「参考にならなかったレビュー」をさらに評価するのが手っ取り早い。
(興味深いとか面白おかしいみたいな、スラド方式もあるけど、いきなり導入は難しかろうな)
まあね。
でも、そのレビュー評価で作品選んでんだから実は同じなんだよね。
星の合計数が出てるってのがそれ。他の人の評価で選ぶなら、他人の評価を読んでるのと一緒。
AmazonとかAppleが星の合計数じゃなくて「★★★が何人です」ってやってんの意味あるんだよ。
★5と★1にピークがあるなら人を選ぶ作品だってわかるし、★5が多いなら読んで損はしない。
知らず知らずのうちに人は評価者に影響を受けてる。
ちゃんと評価されればね。
なんでかって言うと、無名の1万人の作品を読む暇人は基本的には存在しない。
ニコニコ動画に「人類には早すぎた動画ランキング」がある理由を思い出そう。
ログイン後に強制的に玉石混交の作品を読まされるとかじゃない限り、人はランキングに頼る。
チートは弾くべきだけど、やるべきことは「互助会への加入補助」になるんだよ。
互助会ってワードが強すぎると思うなら、クラスタの生成とか、ニッチなクラブ作りでも良い。
ハードSF好きとか、スーパー攻め様だけ読む人とか、ネットは広大なのでニッチの組閣は必ずできる。
(設計的には評価者だけの組織化を促すべきなんだろうけど、難しかろう)
今は、「読者」間の繋がりを作る方法が全く無い。
まあ、そのうち週刊カクヨムができてピックアップされたり、
今週の短編のお題が出されたり、
そういう風になっていくだろ。
もう俺の作品は日の目が見ることはないだろうが、そんなのはどうでもいい。
俺だけでなく多くの人が期待をこめて飛びこんだカクヨムをこのまま潰さないでくれ。
そして、これを見たWEB小説に少しばかり興味がある人、どうか頼む。
多くの耳目を集めて準備期間も取った今のカクヨムには、面白い作品がかなり埋もれている。
俺もいっぱい出会った。それをなんとか探し出して少しでも延命してやってくれ。
運営がなにかしらの一手を打つまで、そこまで生き残らせてくれ。
この増田に触発されて書いたのに、元増田ですら作品名書けてない現状が全て。
何言ってもステマ扱いされるようなコミュニティは健全じゃないよ。
クックパッドでも(アレだけ揉めながらも)つくれぽが人気なのは、
現時点でコミュニティ作りが全くないのは致命的。
何に焦ったか知らないけど、見切り発車しすぎじゃねーかな。
SMAPが「らいおんハート」や「世界に一つだけの花」を歌っていたころ、現役のJCであった。
小学生や中学生の頃に嫌でも耳に入ってきた音楽、たとえばモーニング娘。やSPEEDの音楽は、
当時どんなに芸能界に興味がなかった私でも、この年になって「90年代特集」のような番組で流れれば「ああ、懐かしいな」と思う。
ところが、ジャニーズの音楽に関しては、何のパトスもほとばしらない。
TV離れが進むこのご時世に視聴率30%を叩き出したSMAPはもちろんのこと、
その他のジャニーズのすべてのグループに対して、なんたる感情も持ち合わせていない。
解散しようと再結成しようと事務所が裏がゴタゴタだろうと、全くもって対岸の火事である。
おそらく、ジャニーズは(少なくとも私が生きている時代の)TV業界におけるインフラ・空気的存在だからであろう。
どのグループにも共通する独特の男性ボーカルの重なり、煌びやかでややダサい曲調、そして平均的な美的顔面と誰にでも気に入られることを目指すタレント性。
そうした要素が、幼少期のTV番組のすべてに散りばめられていた印象である。
いて当たり前が故に、私の中で目立つことのない存在。
いずれかの「ジャニーズ」でありさえすれば、代替可能な要素を提供する存在。