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2023-09-10

『橋からの眺め』@東京芸術劇場プレイハウス

を観てきた。

主演の伊藤英明ビジュアルと、数年前の大河ドラマ麒麟がくる』における伊藤氏の役どころが素晴らしかったため、今回もそれを期待して行ったわけである

あらすじは公式ホームページにあるが、

https://stage.parco.jp/program/aviewfromthebridge

ステレオタイプジェンダーロールに拘泥し家長として振る舞うエディ(伊藤氏)とその妻ビー(坂井真紀)、妻の姉の娘でエディが愛してやまず、成長してなお家に縛り付けられているキャサリン福地桃子)、そして妻の従兄弟でありイタリアから不法移民としてやってくる兄弟マルコ和田正人)とロドルフォ(松島庄汰)の物語である

で、何が書きたいかというと、よくわからない観劇体験をしてしまったという話。

 

なぜなら、伊藤英明徹頭徹尾棒読みからだ。

 

冒頭は、狂言回し弁護士高橋克己)の澱みないモノローグで始まる。その後幕が開き、幸福な頃の一家の姿が描写されるが、伊藤氏が口を開いた瞬間に強い違和感が襲ってくる。

棒読みだ。

言葉の一つ一つが、『セリフ』として意味を持たず流れ落ちていく。

キャサリン帰宅した叔父の胸に飛び込み、絡みつくように抱き合う。不穏さを感じさせる、目に焼きつくほど無邪気な愛の光景と共に、低音で棒読みセリフが流れ落ちていく。

劇が進行し、過保護に育てられ男を知らないキャサリンは、初めて目の前に現れた若い移民独身男性・ロドルフォに一目で恋に落ちる。エディはロドルフォが『カマ野郎』(ママ。70年も昔の戯曲なのだである言いがかりをつけ、そんな男に姪が奪われてなるものかと旧知の弁護士の元へ駆け込んだ。「法にできることはない」と窘める弁護士に激昂した口調で激しく詰め寄る。激昂した口調で激しく詰め寄っているのにも関わらず、セリフは相変わらず流れていく。会話が成立していないのだ。

高橋克己演じる弁護士は、本能的かつインモラル嫉妬に駆られた男を前にした常識人というより、意味を持たない言葉の奔流の前に、言語限界を知って戸惑い立ち尽くすインテリといった様相を呈してくる。

ビーを演じる坂井真紀氏は、妻として夫に寄り添い、あるいは向き合う姿そのままに、崩れがちな家庭の場面を立て直そうとしていたが、やはり圧倒的に流れていく主演のセリフ量の前には勝てない。

ドルフォとキャサリンとの会話は慣れてくれば違和感がなかったが、おそらく物語構造上、その若き二人は、そもそも一人の人間として彼に見られていないためだ。だから会話が成立しなくても大丈夫なのだ

しかし今度はそのせいで、二人がエディに向ける愛や憎悪困惑に一切の重みがなくなってくる。あの純粋に不可解な言語の羅列に対し、何を真っ当に苦悩しているのだ、という感じがしてくる。

そしてその異様な不協和音を抱えたまま、劇は終盤の悲劇なだれ込んでいく。

  

失礼なことばかり書いてしまったが、伊藤英明氏はおそらく演技が下手なわけではないと思う。「演技の適性がピーキーすぎる」だけだ。正直動きだけで言えば他の役者の方が怪しいところもなくはなく、伊藤氏がそれをカバーしていたところもあった。

エディのくたびれた労働者の姿態、日常的に男らしさを意識しつけた一挙手一投足、戯れにロドルフォにボクシングを仕掛ける時の軽やかで悪意を秘めた動きと笑い、嫉妬を滾らせて部屋の隅に沈み込んでいる姿の不気味さ。舞台映えしないとは決して言わせない長身も相まって、エディという男そのものを見事に、しかも色気と悲哀を横溢させて表している。

ただひとたびセリフを発すると、演劇空間位相が容赦無くズレ出してしまう。

 

パンフレットを買えなかった(持ち帰る袋がなかった)ので薄い理解ではあるが、アーサー・ミラー脚本は、シンプルに受け止めれば、移民への差別意識問題女性の自立・連帯問題からみつけつつ、家父長としての姿にこだわる男の自尊心と、その体面の下に押さえつけられた欲望を鋭く抉り出したものだろう。

ただそんな真っ当な狙いを外れて、主演のセリフの大半が機能しない状況で、この舞台は圧倒的な不条理劇として立ち上がってくる。冒頭の弁護士モノローグで、ギリシア悲劇的な『条理』は示されているにもかかわらずである

繰り返されるエディの「尊重されたい」という言葉は発されるそばから空疎になり、なんの意味も持たずに空を彷徨う。圧倒的な空疎に対して周囲は嘆き、怒り、困惑し、愛を語り、そして悲劇を止められないことをなぜか勝手に悟る。

そしてその空を彷徨うような言葉で表される自尊心に怒りを掻き立てられ、エディはあまりにも無意味で不可解な死へと突っ込んでいくのである伊藤氏の怒りの演技は見応えのあるものであるが故に、その怒りの根源が空虚しかないという不条理はいや増していく。

そして唐突に死んだエディを、役者たちは無表情で見下ろす。我々の中に紛れ込んでいた全くの異分子がやっと去った、という解放感さえ浮かべて。

 

それはとりもなおさず、エディが脚本上囚われていたすべてのものの虚しさを示す、メタ的かつ正確な表現に他ならない。

あるいは、棒読みの彼こそがリアル人間であり、周りの役者たちを「芝居がかった偽物たち」と捉えることさえできる。

人間感情言葉で表すことなど到底無意味であり、根底にあるのは超言語的な(本能的な)愛と嫉妬憎悪だけだ。それでも周囲の「芝居がかった偽物たち」とエディは、無意味空疎言葉コミュニケーションする他ない。そして彼は己のものでない空虚言葉で己を取り繕い、縛り、孤立し、ついには偽物たちに殺されてしまう。

この姿が、あらゆるイズムに囲まれ現代人の戯画でなくてなんだろう。

 

まりこの劇を伊藤英明の演技が不条理劇に昇華することによって、今回の舞台は一応の成立を見ているのである

 

幕が降りた後、私はい観劇体験をしたのかどうか一考した。期待していたものではなかった。しかし無ではない。あのエディは間違いなく、ただ達者な役者が演じるよりはるかに深みのある造型をしていた。よくわからない観劇体験だったが、今私にこれほどの長文を書かせるほどの体験ではあった。

それが演出家の狙いだったかはわからないが。

2023-08-21

発達障害の弟

歳の離れた発達障害と診断された弟がいる

昔「発達障害」って言葉を誰も知らなかった時に明らかな発達障害の姉を厳しく育ててしまった母はそれを反省して異常なまでに過保護に弟を障害児として育てている。

弟は会話は普通にできるし友達もいるしお腹が空いたら自分パスタを茹でたりゲームが上手かったりとにかく私からするととても障害児には見えないのだが、母は弟を小学校1年生から支援クラスに入れた。

中学支援級に通わせるつもりで、高校障害者枠の就職に強いところに行かせると言っていた。

私は愚痴を聞く事くらいしかできなかったので口出ししていないが、弟が将来の話をした時に「俺どうせ障害者枠だからお金持ちになれないし」と言った事が忘れられない。

障害を認めない親もキツいが最初からできないと決めつけて障害者枠にしか入れないっていうのはどうなんだろう。

ももしかしたら一般枠で入ってたらイジメにあっていたかもしれないし自分が周りと比べてできない事ばかりだと落ち込んでいたかもしれないと思うとこればっかりは正解がないなと思った

2023-08-20

にじさんじファンするの、疲れた

お気持ち整理

私はキズナアイ輝夜月が活躍し出した頃からVTuberファンで、神椿などの歌勢、個人勢をメインに追ってきた。

企業勢のにじさんじ、ホロライブは切り抜きや歌、大きな企画ライブなんかを見ていて、年々進化していく3D技術を見るのも、みんなでワイワイ騒いでいるのもいいなあと思っていた。ことにじさんじにおいては、年末の歌企画夏の甲子園を楽しみにしていた。

2年前、一本の切り抜きからにじさんじ所属するとあるVTuberがすごく気になり、追い始めた。企業勢の中に推しと呼べる人ができたのは初めてで、ものすごく楽しかった。襲いくる季節グッズの波に、こんなに出費あるの大変だ!でも楽しい!嬉しい!とか、誕生日記念日にたくさんスパチャを投げられたり、3Dで動く推しが見られるのも、本当にすごく楽しかった。

メン限で色んな夢ややりたいこと、考えたけど実現できなかったアレコレを話してくれるのも本当に楽しかった。推しの繋がりで好きなライバーがどんどん増えるのも楽しかった。特定コラボがよくて推しと周辺ライバーのグッズを揃えたりしたときも楽しかった。

個人VTuberにはファンレターを送れないから、ファンレターを送れるのも嬉しかった。

今まで推してきたVTuberとは違う楽しみ方を教えてくれた。たくさん楽しませてくれて、本当に感謝している。グッズが結構増えたので、グッズ専用の戸棚も作って、毎日食事しながら眺められるのも、推しが身近にいることをより感じられて嬉しかった。

ただ、ものすごく疲れた

推しは何も悪くない。いっとき配信時間が長すぎることに耐えかねて、全部追えないことが申し訳なくて少し離れたこともあったけれど、それでも仕事推し配信バランスを掴めてからは、程よくいい距離感推しコンテンツを楽しむことも出来ていた。

推しにじさんじの中でもものすごく人気のあるライバーという訳ではない。ライトファンも抱えているからグッズはたまに出るけれど、スパチャを熱心にするファンがたくさんいる訳でもない。私にとっては突出した魅力のあるライバーだけれど、他人にとってはそうでもない。そんなタイプのライバーだ。

本人も出来ればもっと活躍できたらとか、期待に応えたいとは言いつつ、多くのファンを抱えすぎるとコントロールするのも大変だったり、心労が大きかったり、流行に合わせて苦手なタイプゲームをするのも苦しいので、無理をしない範囲でそれでもたくさんの人が楽しめるように考えるとも言っていた。

推しには心身ともに健康末長活動してほしいし、特技を伸ばしてほしいので、そういった自分スタイル個性を見極められる推しのことが、私はすごく好きだ。

ただ、たまに企画もので人気の高いライバーと絡んだりして、その人よりゲームちょっと上手かったり、からかったりすると「そんな数字のくせに何様だよ」と相手ファンに言われたりする。その度に疲弊していった。推しが一体何したっていうんだ。なんか迷惑なことした?炎上した?悪いことした?軽口を叩くことさえ許されない?

私は数字持ちという謎の残酷概念を、にじさんじを好きになって初めて知った。

推しはある時、箱内のとある人気ライバーと関わりを持ったことで、そこのリスナーたちにいたく目をつけられたことがあった。

正直言って何も悪いことはしていなかった。

その人より期間中目立った動きをして、活躍しただけである。むしろフォローをしたのに、なんでそんなに責め立てられなければいけないのだろう。

パブサでそれを知った推しが、そのあと萎縮してしまっているのを見て、責められていることを私はその時初めて知った。

力の弱いライバームーブが上手くてはいけないのだろうか?大人気ライバーが、いつだって目立つ素晴らしい活躍をしなければならないのだろうか?下手に出てヨイショして人気ライバーリスナーを、いつもいい気持ちにするために存在しているのだろうか?

私の推しが目立つことは罪なのだろうか?

そしてそこのリスナーたちに、私の推し今日日までずっと攻撃をされ続けている。コラボもも殆どしていないのに。人気のあるライバーファンは、何をしても許されるのだろうか。

本日までにじさんじでは、にじさんじ甲子園が開催されていた。2年前に推しができてからはより熱心に追っていたけれど、推しは主張が強いと言われたり、目立つなと言われたり、Twitterパブサをすると、以前コラボした人気ライバーリスナーから特に熱心に叩かれていることが確認できた。フォロワーがその人たちに我慢できずに突っかかっていき、それがRTで流れてきたり、今年のにじさんじ甲子園は私の中で過去最悪の甲子園だった。今日エキシビションお祭りだったのに、推し罵倒され続けていた。

私の推し活躍するのは罪なのだろうか?

私の個人VTuber推しは3人いて、1人しか収益化していない。そこそこ年季の入った個人勢で、それでも100人同接があるかどうかだ。

他の2人のうち、1人は女性ライバーで、ASMRが上手くて、ソシャゲ推し限界化しているところがすごく可愛い推しだ。同接は30人くらい。もう1人は男性ライバーで、同接は10人いればいい方。私しか見ている人がいない時もある。それでも楽器が上手くて、声が良くて性格が本当にいい。

活動を続けてほしいから勿論収益化はしてほしいが、人気には拘らない。大体みんな週1回の配信で、のんびり活動している。

歌勢の推しも、にじホロとは違う企業所属ではあるがゆるい案件があったり歌がたまにバズったりしつつも、無作為コラボすることもなく、マイペース活動している。

から私は人気があるとか、数字があるからマウントを取る気持ちが本当にわからないのだ。数字が増えたら当然嬉しいしお祝いするが、数字がある人を推していると、自然マウントを取りたくなるのだろうか?

私はもう、にじさんじという箱に貢献をしたくない。

私の推し瑕疵性格の悪いところがないとは言わないし、世間から結構ズレているし、間違うことも当然あるし、好き嫌いは必ずあるタイプのライバーだが、犯罪行為はしていないし、真面目な人だ。きちんと謝罪もできる人だし、コラボ相手を人気の有無で判断をして、贔屓したりもしない。

配信活動ファンに対して真摯に向き合っていて、どうしたらもっとにじさんじ全体を盛り上げられるか、配信というものを通して自分に何ができるのかを考え続けている人だ。だからすごく好きになったし、応援してきた。元気をもらったし、私も頑張ろうと思えた。

にじさんじには推し所属をさせてくれて感謝もしているし、グッズも出してくれてありがたく思うけれど、私の落とした推しへのスパチャの3割以上がにじさんじに持っていかれ、グッズのお金殆ど運営に行き、あの人気ライバーがそのお金活躍し、他者攻撃する迷惑ファンたちを喜ばせていると考えると、本当に腹立たしい。私はこれ以上怒りのエネルギーを持続させる事は出来ないし、疲れてしまった。

ただ、推し応援することがこれほど難しいとは知らなかった。ファンと繋がることや盛り上がることが難しいなんて、知らなかった。

推しをこれ以上応援する事はできないが、フェスでも活躍機会があるそうなので、どうか健やかににじさんじ活躍してほしいし、考え続けている配信業というものを楽しんでほしい。

にじさんじは入ってからが本番とよく言われているようで、目立つライバーはずっと目立てるし、目立たないライバーはずっと目立てないそうだ。それはライバーの力量のみならず、マウントを取りたがるファンがそういった支配構造を産んでいることもあるのではないか。誰だって力の強い方につきたい。そうしてファンが増えていく。

しかしながら、私たちのような罵倒され続けるファンは、疲れている。

もしこの記事に辿り着いた、にじさんじ応援している熱心なファンがいたら伝えたい。

あなた推し数字は、あなた数字ではないので、それでマウントを取っているとしたら滑稽だし、マウントを取られて馬鹿にされて、絡まれるライバーファンの私達は本当に迷惑しています

私以外にも私と同様の理由ファンを辞めた人がいますにじさんじファンを次々減らして、楽しいですか?あなた推しに回る資金結果的に減っています

それからライバーイラストアイコンにしたり、プロフィールにライバー絵文字をつけて推し罵倒している人たちへ。本当にやめてください。そのライバー丸ごと嫌いになって、2度とコラボしませんようにとお祈りするの、本当に疲れました。そしてそのライバー配信を、決して見る事はありません。

そうでなくてもライバー馬鹿にするなら鍵をかけるとか伏せ字にするとか、そんな気遣いさえ出来ませんか?Anycolorの窓口にいくらでも報告できるしされているのに、無敵の人ですか?そんなに色んな人を傷付けたいですか?私の推しパブサをするタイプなので、普通に傷付いてるし、傷つく推しを見てファンの私も傷付いています。せめてポストを消してください。

また人気のある男性ライバー女性ファンへ。特に難癖かけられることが多く、疲れています女性ファンばかりじゃないと言われそうですが、事実です。3名の人気の男性ライバーファンからTwitter推しが熱心に叩かれ罵倒されたことがありますアカウント確認しにいったら、女性ファンでした。

私はパブサを殆どしません。それでも少なくともそれくらい罵倒されたことがあるのを知っています

彼らが目立てなかったとしたら単純に彼らの力量不足です。言葉を遮っているわけでもないのに喋らせてくれないとか活躍させてくれないとか、こっちに責任押し付けて来ないでほしいし、推しが目立つように計らえって、過保護保育園児のクレーマーママより酷いってわかりませんか?

自分はそうじゃないと思っている人も、どうか一度Twitter無用なことで他のライバーを責め立てていないか見直してほしいのです。

推し、堂々と生きていていいし、健やかに暮らしてほしい。こんな情けない理由ファンを続けられなくなって、本当にごめん。

2023-08-18

親が絶対にしてはいけないことは、安全な失敗のチャンスを潰すことである

失敗をつぶすというと『過保護な親』がまず浮かぶが、それだけが問題ではない。

・失敗を笑う親

自分の力を見せようとする親

良かれと思うか思わないかに関わらず、見守ることが出来ずに、自分がしたいことをするのを我慢できない親は、大抵子供の失敗の邪魔になる。

要するに幼稚なのである

2023-08-10

anond:20230810094427

だったら

甲子園ドームにさせる。そのカネを出す

大人責任ファイナルアンサーじゃね?

単に甲子園やめろ連呼って、子どもから夢を奪ってるだけじゃん。

子ども自由意思尊重せずに、君たちは子どもからと見下して過保護に夢を奪いに来る大人って、

子ども目線では老害に見えてたと思うんだけど、みんなもう忘れたのか?

安全からクレームを入れて指図するのは、責任を果たすんじゃなく、支配欲で欲情した上でぶつかりに行ってるだけ。若者を助けたい気持ちがホンモノなら、しのごを言わずにカネを出せ。

2023-08-04

anond:20230804141915

差別に立ち向かったリベラルたちとやらが何したかと言えば

女子スポーツへの男性の参加

移民難民過保護国内治安悪化憎悪増長

BLMに至っては、襲撃された店舗店長告発したのを叩いてたからな

2023-07-24

食洗機勧めてくる奴って発達障害で体育の時間トラウマだった奴多そう

お前さ、食器洗い如きで体力も精神力も消費しねーんだよこっちは。食器洗いなんざ揚げ物処理含めても5分あれば終わる。心身共にトロ発達障害奴には大変な労働なんだろうけど。

料理伝統()とかどうでもいいし欧米式を見習って毎日同じメニューでも飽きないテーブルアレンジ出来るものを出せばいい。日本食は端から味が濃すぎるから飽きるんだよ。

子供弁当?そんなもん子供に作らせろよ。それができねえならてめえの教育が間違ってたってだけの話だバカ

 

家事全般についてもそう。うちは子供3人猫2匹居るけど掃除洗濯も猫の世話もそんなもん出勤前と帰宅後に、猫は家族皆で顔周り肛門周りだけチェックしてホウキでチャッチャと抜け毛やらホコリやら掃いて肌着は毎晩各々風呂で洗わせて静音性に優れた東芝洗濯機で洗って夜間のうちに部屋干しすれば毎日のサイクルに間に合うのよ。ドラム式とか全然汚れ落ちないし場所取るしそもそも洗濯は入浴ついでに風呂でするものあんなもん高いだけで百害あって一利なし洗濯機は静音性が全て。

子供も二人三人産めば過保護になりがちで面倒くせえ親対子対立勝手消滅して家庭内政治が発生し親の介入する余地も無くなるし、私の経験10歳以上の子供は親の制御が効かなくなるからあとはお子たちが日常接する大人民度で成長が決まるから適当職場の同僚とそのお子たちや友人知人と会わせたりボーイスカウトガールスカウトにでも放り込んどけばいいし、そもそもお子たちが家に友達呼んで夜まで馬鹿騒ぎして勝手冷蔵庫の中身で飯作って食って気が済んだら爆睡してくれるんでかなりありがたいんだよこの流れ。

お子たちにいちいちガミガミ言うのが面倒くさいなら親とか友人の家に預けりゃ勝手他人様パワーで恐れおののくし子がヤンチャしたら彼らがシバいて厳しく調教しくれるからそれでいいわけで、育児で心身共に参ったとか言ってるガラスメンタルストレス耐性低い弱い女の気持ちは全く理解出来ない。お前ら一人っ子学生時代帰宅部で対人関係スキルを磨かずなんの苦労もせずストレス耐性も身に着けないまま発達障害治療も受けず家でのんびりアニメ漫画ゲームに没頭して過保護に育てられたクズ共だろ?

そういう奴もそりゃいるだろうし、だったらお姫様扱いされてたときが忘れられなくて子育てに耐えられないなら施設に預けてもいいし、それ以前に子供がウザくなって虐待して殺すとか問題外なんで無理して上京してなんの覚悟もせず男の品定めもせずに気分で中出し許してクソ雑魚メンタル改善しないまま子を孕んで社会から孤立しながら育児とかしなくてもええんやで?

 

はい勝利

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.j-cast.com/2023/08/03466401.html?p=all

 

以下効いてる奴の悲鳴集↓

2023-07-20

離別した父親に連絡を取るべきか悩んでいる

ここ数年、15年前に離別した父親に連絡を取るべきかどうか定期的に悩んでいる。

両親の離婚に絡んだ話で周囲の人には話すのもはばかられ、誰にも相談できないのでよかったら聞いてほしい。

ここへ投稿するのは初めてなので、読みにくいところがあったらごめんなさい。

※昼頃に投稿したんですが間違えて消してしまい、迷ったのですがせっかく書いたので上げ直しました。すみません

・父:70歳。生死含め現在は何をしているか不明離婚当時は大手企業部長。激務で平日はほぼ顔を合わせることはなかったが、私は割と父に懐いていた。おとなしいオタクタイプだが時々激昂することがあった。

・母:65歳。飲食業正社員離婚当時は専業主婦。父がほとんど家にいないため、家のことは全て母が仕切っていた。普段は天然でのほほんとしているが、かなりの気分屋。教育ママ過保護だったが、私が社会人になってから関係は良好。

・私:アラサー女。私大卒業後、社会人をしている。昨年結婚離婚当時は高校生

・弟:アラサー離婚当時は中学生


両親は15年前に離婚した。

父は仕事が忙しく、物心ついてから一緒に家族旅行に出かけた記憶もない。大手企業出世していたため、比較的裕福な生活は送らせてもらっていた。

夫婦仲はあまり良くなかったようで、表立って喧嘩するところはほとんど見たことがなかったが仲が良さそうに見えることもなく、父がいない時に母から父の陰口を聞かされることも時々あった。

けれど、オタクタイプの父と私は気が合うところもあり、一緒に海外ドラマDVDを深夜まで見たり、カメラを買いに連れて行ってもらったりと、私個人は父に懐いていたし父のことは割と好きだった。

逆に、教育熱心で過保護わがままで時々ヒステリックな母に対しては委縮してしまうことも多く、学生の頃は母の言いなりになっていた私はむしろ母のほうが苦手だった。


母は度々熟年離婚するつもりと言っていたが、当時の私はまさか本当に離婚するとは思っていなかった。

事が起こったのは私が高校1年生だった頃のように思う。

夜中に両親が大声で言い争うことが増え、母が父の陰口を言うことが増えた。

ある日、「お父さん不倫してるみたい」と母が言い出した。

父の車にあった口紅のついたペットボトルを見せられたり、母が突き止めた不倫相手職業などを聞かされたり、不倫相手の家を見に行くという母に一緒に車で連れて行かれたり、「2人のことはお母さんが守るからね」と母に泣かれたりした。

離婚話はどうやらこじれたようで、調停になったようだった。

結局、母いわく「早く離婚しないと共有財産を使い込むと脅された。早く離婚たかたか不倫の話は出さなかった」とのことで、詳細は分からないがとにかく離婚となった。

正直、当時は母がいちいちこういったことを話してくるのでそのたびに傷ついていたし、不倫して私たちを捨てる父を心底憎んでいたし、辛い現実から逃げたかったのであまり関わらないようにしていた。

父が出て行った日のことも全く覚えていない。

父がいなくなってからは、私は受験で荒れていたし、弟は不登校になるしで大変だった。


父が出て行ってからは、3度だけ連絡があった。

1度目は、父が出て行った年の私の誕生日誕生日カード図書券が届いた。私を捨てたくせに今さら何なんだと思い、特にお礼は言わなかった。

2度目は、私が大学合格したときに、おめでとうとメールが来た。その時も、父を殺したいくらい憎んでいたので無視した。

3度目は、大学3年生のときに母と大喧嘩をしたときに私からメールをした。実家を出たいかお金が欲しいと連絡して、父は心配する返信をしてくれた。結局母とは和解して、父には特に連絡しなかったように思う。

それからからは連絡はない。

その後、いつ頃か忘れたが父から母あてに間違いメールがあり、どうやら再婚したようだった。

から見せられたそれは再婚相手の連れ子あてのメールだったようで「父の日プレゼントありがとう」という内容だった。

それで本当に、父はもう私の父ではなくなったのだなと思った。


父のことは関わりが少ないながらも好きだった。

けれど、母の言うことを鵜呑みにして「父は私たちを捨てた」と思っていたし、好きだったからこそ裏切られて辛いし自分がかわいそうだと思っていた。

精一杯育ててくれた母には勿論感謝しているが、自分大人になってから夫婦としての母は未熟だったのだろうなと感じることも増えたし、離婚したくなる気持ちも分かるようになった。

そして、母の一方的な言い分だけを信じ、父からの精一杯の連絡もことごとく無視していた自分はなんて愚かだったのだろうと後悔するようになった。

正直、父のことを思うと未だに複雑な感情がわき上がってきて泣きそうになる。


母との関係現在良好ではあるけれど、調停の内容も離婚の条件も一切知らないし、私のなかでは未だに離婚話題タブーなので聞くこともためらわれる。(母はあっけらかんとしており、私も気にしていないと思っているようだが…)

からは、私が父に連絡を取るのは私の自由だと以前から言われている。

父に連絡を取って、当時の父の事情真実を知りたいと思う。

昨年に結婚もしたので、その報告もしたい。

その一方で、母の言っていたことが本当だったらどうしようと思いや、父は私のことなどもう忘れてしまっていて、連絡などしたら逆に迷惑なのではないかという思いもある。

自分に冷たくしてきた実子より、新しい家庭の方が大切なのは当然だと思うので。

連絡は取ろうと思えば取れる。Facebokで検索したら本人が出てきたし、それで連絡が取れなくても戸籍を辿ればいいだけだ。


あとは自分気持ち次第だと思うけど、踏ん切りがつかない。

このまま父が死んだら後悔すると思う一方で、もう傷つきたくない。

ここ数年ずっと悩み続けている。

2023-07-19

anond:20230719135634

そんな過保護にならなくていいんじゃね?

ビジネス成立しないから潰す、それで良いんだと思う

2023-07-17

虐待から性犯罪から幸福

正直、こういった文章を書くのは批判の的であり、読んで不快になるであろう人間が大多数だということを分かった上で、書きたいから書く。

最初にしっかりと明言しておくが、言い訳したいわけではなく、僕は僕がした罪、行いを許してもらおうとは微塵も思っていない。一生をかけて償わなければならず、一生忘れずに背負い続ける。そうして当然である

被害者に刺されて死ぬのであれば、当たり前だ。そう覚悟して今生きている。それを分かった上で、吐かせて欲しい。

 

 当方現在アラサー祖母が住んでいた家に恋人と二人で暮らしている。僕はフリーターであり、恋人製菓業界で働いている。養われていると言っても過言ではない。

 

在り来りと言えば在り来りなカップルなんだろうが、自分には在り来りという言葉では片付けられない過去がある。

 

 幼少期、5歳頃に両親が離婚してから母親虐待が始まった。

そもそも母親子育てに向いていなかったらしく、兄には過度の期待を寄せストレス精神破壊し、僕には殴る蹴るの暴行罵声を浴びせかけた。らしい。

 

「らしい」というのは、僕自身は殴られた記憶がない。よく聞く解離とかではなく、シンプルに思い出せないし、そんな思い出が無い。虐待自体記憶はある。

 大人になってから母に聞いたところ、「私は色んな虐待をしていた。だから貴方が人を傷つけてしまったのだと思っている。」と自白している。本当っぽいし、嘘をついてる風でもない。なので事実としてここに書く。

思い出せるものといえば、小学3年生まで床やパンツに放尿し糞をする僕を、家から締め出し、「自分で食ってみろ」とスプーンを渡され、自らの糞を食わされそうになったこと。

からそう遠くない河川敷に車で連れて行かれ、「もう捨ててやるよ」と置いていかれそうになり、それを兄が泣きながら止めてくれたこと。

から虐待記憶は、これくらいであり、僕自身は、「まぁ時々いるヒステリックな親だよな」くらいにしか思っていない。僕がおかしいのだろうかとも思うが、大して気にしていない。

勘違いしないで欲しいが、これが世の常識みたいに思ってるわけではなく、許されざることであり、もし友人がこんな親になろうものならぶん殴り通報する。僕が僕に大して、どうでも良い記憶として処理してるだけである

 

 小学3年生までと書いたが、小学3年生になり、僕がトイレで大便小便ができるようになった時、母から虐待が止まった。

どこが契機だったか定かではないが、確実に母の心へ衝撃を与え、虐待を止めたのであろう出来事がある。僕の作文だ。

 道徳の授業だったか忘れたが、「お母さんへの気持ちを書いてみましょう」みたいな授業だった気がする。

僕は虐待されていたにも関わらず、母親のことが大好きだった。ほぼ依存だった。たった一人の親だった。そんな僕が書く作文には、「おかあさん、ぼくのことを、うんでくれて、ありがとう」と書いていた。

心の底から思って書いたわけじゃないことは覚えいている。なんて書いていいのかわからず、「とりあえずみんなに見られて構わないことを書こう」みたいなことを考えて書いたことで、褒められたかったんだと思う。

 先生がそれを、家で母に読んで聞かせてこいと言うので、読んで聞かせた。直後、母から抱擁された。

とても、とても力強く抱きしめられたことを覚えてる。苦しかったし、意味がわからなかった。ただ、抱きしめられて嬉しい気持ちはあった。大人になってからあの時のことを聞くと、「自分がどれだけ酷いことをしたのか、心の底から申し訳なく思った。」と言っていた。母自身も、子供とどう接していいかからなかったが故の虐待だったのだろうか。

 

 それ以降、母は虐待することなく、むしろ僕のことを甘やかし、欲しいものは全て買い、やりたいことを全てやらせてくれた。

結果、どんな子供が出来上がるか。

 自己コミュ障チー牛オタク誕生である物心つく前から虐待により、僕には人との話し方がわからなかった。人の気持ち理解できなかった。

そうなると人間、居場所や仲間を求めるもので、僕はMMOネット掲示板に傾倒した。その末のチー牛である

 中学生時代黒歴史のもので、学校ではオタク友達ボカロ歌い手について語り、やれ鏡音リンレンが可愛いだの、やれこの歌い手が今アツいだの、自分達だけの世界を堪能し、家に帰れば仮想世界に入り浸り、非現実的な刺激を求めた。

この先の話に大事ことなので書くが、僕の性癖はこの第二次性徴で歪みに歪みまくった。ロリレイプ物の動画同人誌にのめり込んだのだ。

 後に精神科に罹り、勉強する中で知ったが、幼少から虐待された人間は、自分より弱い立場、弱い存在に大して加虐的になる傾向にあるらしい。性のエネルギーが向くのも想像に容易い。

そんな歪んだ僕は、ネカマ公言している当時高校生男の子と、マビノギ結婚するくらいには頭がおかしくなっていた。「男でも可愛いじゃん」と。今でもその性癖が残っているというのが、思春期時代での振る舞いの大切さがよく分かる。

 

 あまり詳しく書くと、コミュニティガイドライン抵触する恐れがある上、人によってはフラッシュバックを誘発する可能性があるので、抽象的に留めるが、僕は性犯罪をした。

時期は中学2年生のとき。13歳だった。相手は当時8歳。更に高校生の時、17歳だった。相手は18歳。どちらも性犯罪

1度目は13歳ということで犯罪として扱われず、施設に入り、2度目は正式(?)に逮捕され、留置場に入り、少年院送致された。

 

 結果的に今、再犯せず社会生活をしているわけだが、自分幸せにした人の数より、不幸にした人の数のほうが圧倒的に上だ。

何故、性犯罪を犯す人は再犯率が高いのか。そもそも何を考えているのか、加害当事者として、考えてることを書こうと思う。不快にする内容であるのは百も承知している。けど、耐えられなくなってしまった。申し訳なく思う。

 僕は虐待されていたからか、因果関係は定かではないが、人との関わり方、感情の読み取りが苦手だった。先生が怒っている顔をしていても怒ってるのかわからなかったし、悲しそうな人を見ても何とも思わなかった。

自分感情を抑える術も知らず、何時しか自己正当化するようになっていた。

相手はこれこれこうだから、こう言われても仕方なく、自分は正しい。そういう思考が常になり、自分以外が間違えていて、自分が最も正しいと勘違いしていた。

ここまでは、割とある話だと思う。小学中学生は皆、自分のことを正しいと思っているだろうし、大人でさえ自分が正しいと疑わない人がいる。

 

 だが、性犯罪者、もっと広く言えば、依存症者。これらは「認知の歪み」が生じている。一先ず性犯罪が「依存症」なのかという話だが、以前関東にある、性依存症専門の精神科に通った時の先生の話では、依存であるしかった。

もちろん、依存的でない性犯罪もあるとは思う。僕は知らないが。

依存症」という病気と「ただの依存」の違いは何かという話では、「依存症は代替が効かない」、「ただの依存代替が効く」という違いだと言う。人は電車バス依存しているが、最悪それが無くとも徒歩や自転車で通学や通勤することができる。

依存患者は、そうやって代替することができず、依存している対象「のみ」に執着する。故に治し方を知らなければ治せないとのこと。

僕はこの話を聞いて、「あぁそういうことなのか」と納得した。

 

 話を戻す。依存症における「認知の歪み」とは、考えれば当然であることなのに、あたかも当然でないように考え、自分矯正してしまっていることである。間違った捉え方、考え方とも言える。

道行く美女或いはタイプ女の子に対して、「触りたいな」と思う心を「社会的ダメだろ」と抑制することができることが正しい認知であるが、「認知の歪み」があると、これが変わってくる。

「触りたいな」と思う反面、「ダメだろ」と思うのだが、「でも触りたいし」「でも今触らないと勿体ない」「周りに人いないし叫ばれなければ大丈夫」と、自己正当化する思考が頭の中を占拠する。「自分は間違えてない」と、強烈な自己暗示をしてしまうのである。僕も例外ではなかった。

自分より弱い存在を見つけ、虐げ、凌辱する術を探した。何が何でも自分が正しいと思い込んだ。

 

 よく「何いってんだコイツ」という供述をする犯罪者がニュースになる。「目を合わせてくれたから好きなのかと思った」「露出の多い服を着てるから触って欲しいのかと思った」、こういった供述発言は、認知が歪んでいないと出てこない。

こういった歪みを正し、矯正することができれば、所謂更生することができる。

 

 僕の通った精神科では、専門の性依存カリキュラムがあり、ほぼ毎日15時頃から18時頃まで講義のようなものに出席し、運動をし、帰宅するというスケジュールだった。

認知の歪みを直すというのは、簡単なようで難しく、性に関することのみならず、日常生活における思考すらも省みて、全ての視点から自分を見ることを要求される。更に先生や周りの同じ講義を受けてる人間から第三者視点を交えて、初めて矯正できる。

1人で悩み、1人で解決しようとしても、見ている視点自分からのみで、そもそも何が歪んで何が間違ってるのかわからないので修正しようがなく、人の力を借りられなかった性犯罪者は、ほぼ必ず再犯すると言っても良い。

 ストレス関係していて、ストレス解消すれば治ると思っている人もいるが、間違いでなくとも正しくはない。例えば性犯罪を犯すことでストレスを発散、より細かく言えばドーパミンを分泌し多幸感を感じているとして、別の方法で同じことをしようとしても、

性犯罪を犯したことのある人間にとって、性犯罪を犯すこと以上にドーパミンを分泌するものが無いのであるご飯を食べることや寝ること、セックスすることでドーパミンが分泌されるが、比にならないのだ。

 だが、禁煙禁酒断薬と同じく、認知の歪みを治し、断てば断つほど欲求は減り、自制心で抑えることが出来るようになる。「認知の歪み」が治せていることが前提である。考え方が変わってなければ結局再発する。

 

 話が逸れたが、結果的に僕は比較的良い方向へ持ち直す事が出来、現在性犯罪への欲求はほぼ無く、趣味恋人とのコミュニケーションストレスを上手く解消している。

ストレスが溜まっていたとしても、溜まっていることを自覚し、自分感情欲求に振り回されることは無くなった。

 

しかし、結局は性犯罪者であり、生きている価値があるかと言われれば、多分ない。

事実、不幸にした人の数を数えれば、両の手じゃ足りない。

 

 ある日、通っていた精神科の先生に、この悩みを打ち明けたら、衝撃的なことを言われた。

「傷つけた被害者のことや、被害者家族のことを考える必要は無いよ。関係いから。」

僕は全くそうは思えなかった。僕は加害者であり、加害者は一生を持って償い、幸せに生きることは許されないと。

 

 けど、冷静に、理屈で考えてみれば、確かにそうだとも言える。関係ない。

僕がどれだけ反省してもどれだけお金で償おうと、どれだけ謝罪しようと、被害者幸せになるか。ならない。 何なら僕の顔、声、文字すら認知したくないだろう。

なら僕が死ねばいいか。死んだら被害者幸せになるか。ならない。 一時は恨みを晴らした気分になり、今後同じような被害者が増えないことを喜ぶだろう。けど幸せ成るかと言われれば、僕が死ぬことのみで成るとは思えない。

そして、何よりも、過去は変えられない。やらなければ良いに越したことはないが、やってしまったものは、どうしようもないのであり、既に過去であり、「今」この瞬間には存在していない。

 

理屈で考えれば考えるほど、「過去」というのは学びとしての価値はあれど、「今」の自分の持ちうるリソースを割いてまで悩む価値は無いと思えてくる。

 

 性犯罪加害者が、そう考えていいのか? 多分社会は許さないだろう。罪を犯したら、犯した者は同等の傷を負わなければならない。でなければ、傷つけ得な世界になる。

少なくとも僕は、先生のような割り切ったというか、吹っ切れた考え方はできない。やはり僕は犯罪者であり、人を傷つけた者であり、背負い続け苦しみ続けなければならないと思う。

 

 ただ、僕にも曲がりなりにも過保護バカ親が居て、何故だか出会ってしまった恋人がいて、こんな僕でも見捨てないでいてくれた友人が居る。この人たちは、幸せにしなくてはならないのではないか

この人達は、正に「関係ない」のではなかろうか。

いつ何時でも「今の僕を被害者が見たら」と思う。きっと殺されるだろう。でも、これもまた、起こってもない未来、「今」存在していないものに対する気持ちであって、「今」この瞬間に横にいる恋人には関係ないのである

 

 だから最近は人を幸せにすることが、せめてもの責務なのではないかと考えている。フリーターだが、時々ちょっとだけ贅沢できるくらいの生活で、恋人も僕も満足していて、誕生日にはサプライズケーキを買う。

これで良いのか。これで良いのだろうか。

色々考えるが、やはり「今」は「今」。忘れてはならないが、背負いすぎて不幸にする人を増やす方が、よっぽど社会迷惑まりない。

 

 二度と再犯せず、二度と同じ過ちを繰り返さず、二度と母親あんな顔をさせない。それだけが、僕の最低限守るべきもので、あとはただの我儘だよなと思う。

 

 

拙い文章だが、ここまで読んでくれた方が居たならば、ありがとう非難轟々でも構わない、ただ、耐えられなくなってしまって、思うがまま書いた。人に見られる前提で書いているのが気持ち悪いが。

 

ちなみに、恋人や友人は僕のしたこと全てを知っている。包み隠さず全て話した。

恋人に関しては、「今の〇〇さんと関係ないし興味ない」と一蹴された。いいのかそれで?いいならいいんだろうけど。

被害者に関しては、捕まった後に賠償金謝罪文を申し出ても、軒並み断られている。

総じて考えていることは、「二度と私の人生に登場しないでください」ということだと思っている。本当に、申し訳なく思う。

 

2023-07-13

モンテッソーリ良いなー

(何にせよ、現代の子どもたちへの手厚さは羨ましいものがあるよな。戦後まれボリューム層に比べたら誰でもある程度は手厚く育てて貰ったにせよ、やっぱり現代とは比べ物にならないよね。ただ、現代の子過保護にされ過ぎて直ぐへし折れるとかはあるかもしれないけど。メンタル問題を抱えている人並に生き難そうだ)

自分幼稚園時代考えると「クソみてぇなことさせやがって。そんなんだからこんな萎縮した人間が出来上がるんだよ」って思う

良い大人になっても他責思考とか笑っていう向きもあるだろうけど、三つ子の魂ってやつは確実にあるかんね。やり直せるヤツはごく僅かな才人だけよ

嫌なこと苦手なことを強制的にやらされる苦痛が齎す精神の抑圧を舐めたらいけないっすわ

嫌なことが先に立って、楽しいこと・やりたいことが掻き消える。幼児期にそんなんじゃお先真っ暗よ

紙を手で千切って貼って版画にするとかどーでもいいんだよ。したい奴がすればいいだろ!

(「図が小さいからやり直し」とか何度も食らって泣きそうになっていた記憶があるわ。嫌がらせレベルだろあんなん。小さいのが自分個性なんだよ!そんなことも分かんねーのか!大学で何習ったんだよ!!小学校入っても初年度の冬の版画は千切ってやるやつだったから同じダメ出し食らったわ。おかげで登校拒否気味になったね)

稚い頃から「お前はコレが出来ないから駄目なヤツだ」って叩き込まれる逆英才教育よな

こんな教育受けた人間ばっかりの中年世代が碌でもないのは当然だわ

(そういうの受けてない中年も偶に居るし、冒頭で言った通り、その教育で受けた疵を自ら癒やしたり認知の歪みを是正したり出来る優れた人間けがマトモな大人になれたんだよ)

まあ、こういう性質なのはまれつきだけれども、それを加速させる幼少時の教育ってのがあったのは事実さね

もともとの性質により輝かしい人生は歩まないにしても、確実に薄暗さが増したね

2023-07-04

のぶ代ドラえもんは親代わり、わさびドラえもんは友達

のび太にとってどっちのドラえもんが良いか分からんけど

過保護なのぶ代ドラと友達みたいな関係わさドラはどちらもドラえもんらしくて好きなんだ

それが何か懐古主義人達からするとわさドラは交代後10数年経った今でも慣れないらしい

多分声は慣れてるんじゃないかと思う

問題ドラえもん性質が劇的に変わったから中々慣れないんじゃないか

昔のドラえもんのび太から一歩引いた所で見守ってるけど

今のドラえもんのび太の隣に立ってるよね

最近ドラえもんは自らタヌキだと認めてるし昔のタヌキじゃない、僕は猫型ロボットだ!と主張してたのがポリコレ的には良くないよね。

タヌキにも人権はあるようでかつてアニマル惑星で本物のタヌキが出てきてタヌキの何が駄目なんだ?とドラえもんを窘めてた。

それが今ではタヌキ扱いされる事にそこまで目くじらを立てなくなった

現代価値観が今のドラえもんを変質させたのかもしれない

タヌキでも良いじゃないか、これが今のドラえもん

これが懐古世代には受け入れられなくてわさびドラえもんを酷評してるんじゃないかと思う。

変化を受け入れる事が出来ればわさドラも楽しめるよ!

2023-06-22

anond:20230620095252

ほらね、女性ミラーリングしようとすると「ナンパされる」が「警官銃殺される」になる。

女性立場からミラーリングしようとすると、デメリットの部分が何故か生命とか耐え切れない暴力かに置き換わるんだよな。


黒人にとっての人権は「命があること・差別されない事」なのに

女性様になると「ナンパされないこと」が人権になる。まぁ最近だと「トイレにサニタリーボックスが無い」も人権の1つになるんだよね、女性だと。


これこそ女性過保護になっている社会にほかならない証明なのだけれど、本人たちは気付いていない様子。

2023-06-16

anond:20230616020256

それだけならまだしもこの醜ネットではおっさんがそこでなにをしようと過保護ママみたいに擁護にシャシャってくるんだよね

こわやこわや

2023-06-14

anond:20230614090230

弱者男性向けって言わないで、結婚のための真面目な男性向けビューティアドバイザーとか言って、ターゲット層を男性のお母さんにしたら需要ありそう

親が過保護/過干渉自分から動けなくなっちゃった子供がいる家庭には刺さるんじゃないか

もうすでにありそうだけど

2023-06-09

追記あり子育て、やってみたらとっても楽しかったんだ!この楽しさを知らせた

私はそこそこ年かさのパパで、就学前の子供一人と社会人としても家庭人としても優秀な妻の3人で暮らしている。

首都圏在住、夫婦ともにフルタイム勤務。

なぜ書くのか

子供を持つ喜びがネットであまり共有されていないのがもどかしい

子育てについて、よく把握しないまま否定しているような意見まで見るようになり、残念な気分になった。

そこで我が子を育てる中で感じている喜びを紹介したいと思う。

じゃあ子供を持つ喜びとは何か?

この感覚をわかってほしいんだよ

うちの子は、保育園のお迎えや、仕事から帰宅でパパが来たのを知ると全力の笑顔ダッシュでつっこんでくる。

誰かの人生にここまで重要になれるとは…

承認欲求と言うとなんだか下品な感じがするけれど、この誇らしい気分は悪くない。

結婚家族が増えるという点では同じだが、また違う良さがある。

うまく伝えるのは難しいのだけれど…たとえば照明に例えよう。

結婚後、妻を見ると蛍光灯が灯るように、一拍おいて心が明るくなった。こんな体験は今までなかったので、結婚はすごい…家にいるだけで毎日新鮮で、修学旅行みたいだな…と思ったものだ。

ところが、子供が生まれたあとの喜びは、もう自分経験したことのないほどの強烈な喜びを感じる。

子供を見ると、瞬時に天井いっぱいのLED照明が点灯され、多幸感が落ちてくるイメージだ。

そんなに愛おしい子供が、一人でできることが増えたり、同い年の子が苦手にするような野菜をパクパク食べたりしたら、どれだけ誇らしい、幸せな気分になれるか!

生理的な影響もあると思う。

子供を腕に抱きながら寝ると、寝覚めのときに、満たされた気持ちで起床することになる。

おそらくオキシトシンか何かがドバっと分泌されているのではないか個人の感想だけど。

彼女ママ友は百八人までおるぞ

さらに近所のコミュニティに繋がれるというのも大きい。

子育てをしていると親のネットワークができ、連絡先を交換することになる。

私の妻は素晴らしいママ友ネットワークを築いている。彼女には感心させられることが多いのだが、結婚後最もすごいと感じたのは、このママ友ネットワーク構築の実績だ。子供が生まれる前は近所付き合いなんて皆無だったのに!

妻の1/10も真似できていないが、コミュ障陰キャの私でもご近所と多少は知り合えた。子供と、模範をみせてくれた妻のおかげだ。

私は妻と子のおかげで、今の街に根を下ろすことができたと思う。

学びもあるんだ

我が子が知識道徳習得していくプロセスに寄り添うことで、人という生き物への理解が深まった気がする。

仕事でもプライベートでも、他者に対する感じ方がかなり変わった。

それからフィクションで人が死ぬのを見ると、苦しくなるようになった。人の命の大切さを知ったと言えるかもしれない。

何を選ぶのか?

人の生き方というのは様々だ。親になるだけが人生ではない。

だが、消費する喜びや趣味を生きがいに生きていく、という人には、オタク趣味に没頭して生きてきた私から言わせると、ちょっと待ってほしい、という感じだ。

個人的感想になってしまうが、買い物ならば、子供のための買い物のほうがより楽しい

おもちゃを手にとって、うれしいな、うれしいなと感激している子を見る満足感。このおもちゃを通して、何か新しいものを学んでいくという期待感

子供初見のものに感動するたびに、愛おしくて抱きしめたくなる。

子供プラレール沼、レゴ沼、ロボットアニメ沼に落ちるたびに、親である私も一緒になって楽しんでいる。

人生の酸いも甘いも噛み分けたはずのジジババが、親が反対しても際限なくオモチャを買い与えようとするのは何故か?

それはとても楽しいからだ。

子育て支援は足りるのか

まず、こんなに楽しい自分の子育てのために、公費でタダ同然の保育所無償医療提供されるのはすごいことだ。

そして今の保育の充実ぶりは、質・量共にすばらしい。

保育所に入れないという話も聞かなくなった。昔は本当にひどかったようだが・・・

近隣の認可保育所活動食事も自宅育児では全く実現できないほどクオリティが高い。

私は日本の子育てがそこまでハードだとは思わない。成人してから失業も少なく、子供犯罪にかかわるリスクも低い。

金銭問題はつきまとうが、行政も遊んでいるわけではないので、基本的になんとかなるように設計されている。

調べて、決断すべき

子育ての喜びを知らないまま年齢を重ねるのは機会損失につながる。

若い人にはライフプランについてよく考え、勇気を持って人生の方向を選んでほしい。

補足:良い事ばかりではない

親子というのは離れがたい関係なので、障害など、困難な問題が起きてもそこから逃げられないというのはある。

行政には、こういった世帯への支援を手厚く行ってほしい。

社会福祉は真に困っている世帯への支援を優先してほしい。

世の中には子供が居るのに家庭をぶっ壊したり、子供に加害する人も居るのは事実。まったく理解できない世界だが、私が感じるようなバラ色の状態だけではないんだな…

それから時間は本当に足りない。

時間残業、長距離通勤介護などで時間が無い場合育児の困難さはかなり上がると思う。

キャリア犠牲になると思う。我が家夫婦ともにそこは受け入れているが。

追記

読んでくれた人

いろんな立ち位置の人がいると思うけど、みなさんありがとうございます

この界隈で見かけない意見言語化できて、誰かの役に立てたなら嬉しいな。

内容が薄い、つたわらない

説明したいと言いつつ、人によっては表現が伝わりづらかったなと思う。

ごめんなさい。

愛情で繋がっている嬉しさって言葉にしにくいということなのかもしれない。

大事なことを書き忘れた。

世界で一番かわいいママがいて嬉しい、なんでも知ってるパパ大好き、と…俺の息子…天使みたいに笑って…

彼はハッピーボーイなんだよ。そりゃ嬉しい。

妻も幸せだと確信できるしね。

家事やってるの?

いっぱいやってるよ!以上。

家事からめて妻自慢をさせてもらうと、うちの妻の食事を作るスピード半端ない

省力化しつつ爆速食事を用意する彼女は、キッチンという戦場を駆け抜ける疾風ウォルフだ。

私は高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に余った食材を組み合わせて使い切るタイプ

面倒なことについて

とにかく時間

・土日に休めない

 子供に張り付き、溜まった家事をすると休日さのほうが疲れる気がする。楽しい時間で体力消耗してるから良いような、良くないような。

子供時間を割けない罪悪感

 我が家は語りかけ育児を信奉していて、家で子供放置してしまときは焦る。過保護かな。

仕事への関心が薄くなる

子供、妻、仕事と3番手に降格だから仕方ないね

心を広く持てるようになったような気もするが…

これ以外は人によって違うかな。

親同士の子育て方針の違いとかね。

子供が一人ということもあって、お金の面は気にしていない。

パパ友ママ友

パパ友ママ友がみんな素晴らしい人なんだ。不思議。こわ有り難い。

この先

子供は離れていくだろうし、ある意味犬を飼うより賞味期限の短い時間かもね。しらんけど。

バイク

コミュ障陰キャの私でも多少の知り合いができた。これもバイクのおかげだ。

ここリアルだな。

私は、暖気運転を兼ねて、エンジンの反応を確かめながらゆっくり走り出す瞬間とかしゅき。

2023-05-28

自分普通だと思っていた学費の話

自分への戒めというか、感覚を忘れないようにするために書かせてほしい。前にも流行った話題だと思うけど。とある実況者界隈の切り抜きみてコメント欄に書き込もうと思ったけど、あまりに隙自語だし場違いだなっておもったからこっちに書く。

かいつまんでその切り抜きの内容書くと、

とある実況者Aが両親が夜出掛けるたびに夕食代として妹と二人分で五千円もらってた。←それに対して実況者B·Cが「多くない?!」と反応

○実況者Aの実家金持ちって話に移って、大学時代勘違い奨学金は貰えるものだと思っていた、借金じゃん誰が借りるんだって思った話をすると、実況者B·Cは「いやみんな借りてるよ?」と反応

○実況者Aの妹さんはさら過保護にされており、一人暮らしだったがバイトするより家に帰って来てほしいと両親から仕送りが増やされた話と、帰省のための新幹線の定期代も親が払っていた。 

○実況者Aは自分の家が金持ちだとはしばらく思ってなかったが、実況者B·Cはそれに対して終始「金持ちじゃん!」「普通じゃないよ!」的な反応

多分細かい部分は違うけど大まかにはこんな内容で、自分最初は笑ってたけど見返したらあんまり笑えなくなった。あんま大きい声では言えんし新幹線定期の下りとかはスケール違いすぎてあれだけど、奨学金や妹さんのバイト下りはわりと似た価値観だったことを切り抜き見て思い出したから。

高校生大学生なりたてのころの奨学金イメージ、頭がよかったら国とか大学とかが「お前もっと頑張れよ!」ってくれるお金、って感じだった(多分そういう奨学金も実際あると思う)んだけど、説明会行こうとして利子とかの話を聞いて初めて、「えっ返さなきゃいけないの?!」と知ってまず驚いたし、説明会は授業終わり残って聞いてくみたいなスタイルで、「じゃあめんどいからパス」ってすぐ思ってたら授業終わったあとわざわざ残る子が予想より多くて「大学費用足りない人って意外と多いんだな」ってことに次驚いたし、大学で仲良くなった自分と同じ“““普通”””の家庭の子だと思ってた友達奨学金借りててまた驚いてしまった。その時初めて四年制の私立大学に通うことになっても奨学金の話なんて家では一切でなかった、普通だと思っていた自分の家のこと「中流の少し上くらいの家なんだ」と自覚したのを思い出した。

妹さんのバイトさせないで仕送り増やした下りも正直心当たりがあるというか、自分も親に遊びに行くと言えば充分お小遣いもらえたし、欲しい服とかも頼めば買ってくれたし、そういう生活のためにお金が欲しかったわけではなかったけれど、「社会勉強にやっておきなさい、合わなければ辞めていいから」って親に言われたのと「バイトしておかないと就活ときに書くこと減るぞ」って先輩から言われてなんとなくで始めたのを思い出した。私は実家暮らしから一人暮らし仕送りない分お小遣いある方なのかな、と軽く思っていたけど、同級生の中には実家暮らしでもバイトして家にお金入れなきゃ大学通わせてもらえない子もいたし、そのバイトをしなきゃいけないせいで授業出席危ういみたいなことも聞いて、上から申し訳ないけれど心底気の毒に思ったのがめちゃくちゃ鮮明に蘇った。

思えば高校時代にもセンター試験自己採点をクラスでしたあとで、「公立無理かもしれない、お母さんは私立でも大丈夫だよって言ってくれたけど…」と言って泣き出した片親の子をみんなが励ましてるの見て正直(泣くほどのことか?そんなに学費キツイなら入試とか頑張って奨学金もらえばいいんじゃない?)、って軽く思ってしまったけど、別にそれその子の家が片親だからとかじゃなくて、自分公立マストではなくて選択肢の1つって感じだったけれど、公立じゃなきゃ通わせられないって家もあるんだとその時気づけばもう少し違った心の持ち方があったかもしれないと思う。

話が逸れたけど、別に自分の家は特段に金持ちとかそんなではなく、それこそ都内のタワマンが〜とか高級車が〜とかそんな家じゃなくて、あくま地方都市基準ではあるけど、それはそれとして私の中で親が子供学費出してくれるのは当たり前のことだと思ってたし、公立だと親孝行だけど、私学でも悪くて「お金の掛かる子でねぇ(笑)」扱い程度、大学行かない選択肢はなかった。それが“普通”の家だとまだ心のどこかで思ってる自分がまだいる。実況者B·Cが「俺たちが普通だよ!」って強めに言ってるところで、ああやっぱり自分普通じゃなくて物凄く恵まれてた方だったんだなぁ、と再確認して、同時になんか怖くなった。今あんまり他人年収とか家庭環境とか学歴とかあえて訊かないくらいには大人になったけれど、いつかどこかでポロッと自分の“普通”に照らして話してしまいそうで怖い。

自分普通だと思っていた学費の話

自分への戒めというか、感覚を忘れないようにするために書かせてほしい。前にも流行った話題だと思うけど。とある実況者界隈の切り抜きみてコメント欄に書き込もうと思ったけど、あまりに隙自語だし場違いだなっておもったからこっちに書く。

かいつまんでその切り抜きの内容書くと、

とある実況者Aが両親が夜出掛けるたびに夕食代として妹と二人分で五千円もらってた。←それに対して実況者B·Cが「多くない?!」と反応

○実況者Aの実家金持ちって話に移って、大学時代勘違い奨学金は貰えるものだと思っていた、借金じゃん誰が借りるんだって思った話をすると、実況者B·Cは「いやみんな借りてるよ?」と反応

○実況者Aの妹さんはさら過保護にされており、一人暮らしだったがバイトするより家に帰って来てほしいと両親から仕送りが増やされた話と、帰省のための新幹線の定期代も親が払っていた。 

○実況者Aは自分の家が金持ちだとはしばらく思ってなかったが、実況者B·Cはそれに対して終始「金持ちじゃん!」「普通じゃないよ!」的な反応

多分細かい部分は違うけど大まかにはこんな内容で、自分最初は笑ってたけど見返したらあんまり笑えなくなった。あんま大きい声では言えんし新幹線定期の下りとかはスケール違いすぎてあれだけど、奨学金や妹さんのバイト下りはわりと似た価値観だったことを切り抜き見て思い出したから。

高校生大学生なりたてのころの奨学金イメージ、頭がよかったら国とか大学とかが「お前もっと頑張れよ!」ってくれるお金、って感じだった(多分そういう奨学金も実際あると思う)んだけど、説明会行こうとして利子とかの話を聞いて初めて、「えっ返さなきゃいけないの?!」と知ってまず驚いたし、説明会は授業終わり残って聞いてくみたいなスタイルで、「じゃあめんどいからパス」ってすぐ思ってたら授業終わったあとわざわざ残る子が予想より多くて「大学費用足りない人って意外と多いんだな」ってことに次驚いたし、大学で仲良くなった自分と同じ“““普通”””の家庭の子だと思ってた友達奨学金借りててまた驚いてしまった。その時初めて四年制の私立大学に通うことになっても奨学金の話なんて家では一切でなかった、普通だと思っていた自分の家のこと「中流の少し上くらいの家なんだ」と自覚したのを思い出した。

妹さんのバイトさせないで仕送り増やした下りも正直心当たりがあるというか、自分も親に遊びに行くと言えば充分お小遣いもらえたし、欲しい服とかも頼めば買ってくれたし、そういう生活のためにお金が欲しかったわけではなかったけれど、「社会勉強にやっておきなさい、合わなければ辞めていいから」って親に言われたのと「バイトしておかないと就活ときに書くこと減るぞ」って先輩から言われてなんとなくで始めたのを思い出した。私は実家暮らしから一人暮らし仕送りない分お小遣いある方なのかな、と軽く思っていたけど、同級生の中には実家暮らしでもバイトして家にお金入れなきゃ大学通わせてもらえない子もいたし、そのバイトをしなきゃいけないせいで授業出席危ういみたいなことも聞いて、上から申し訳ないけれど心底気の毒に思ったのがめちゃくちゃ鮮明に蘇った。

思えば高校時代にもセンター試験自己採点をクラスでしたあとで、「公立無理かもしれない、お母さんは私立でも大丈夫だよって言ってくれたけど…」と言って泣き出した片親の子をみんなが励ましてるの見て正直(泣くほどのことか?そんなに学費キツイなら入試とか頑張って奨学金もらえばいいんじゃない?)、って軽く思ってしまったけど、別にそれその子の家が片親だからとかじゃなくて、自分公立マストではなくて選択肢の1つって感じだったけれど、公立じゃなきゃ通わせられないって家もあるんだとその時気づけばもう少し違った心の持ち方があったかもしれないと思う。

話が逸れたけど、別に自分の家は特段に金持ちとかそんなではなく、それこそ都内のタワマンが〜とか高級車が〜とかそんな家じゃなくて、あくま地方都市基準ではあるけど、それはそれとして私の中で親が子供学費出してくれるのは当たり前のことだと思ってたし、公立だと親孝行だけど、私学でも悪くて「お金の掛かる子でねぇ(笑)」扱い程度、大学行かない選択肢はなかった。それが“普通”の家だとまだ心のどこかで思ってる自分がまだいる。実況者B·Cが「俺たちが普通だよ!」って強めに言ってるところで、ああやっぱり自分普通じゃなくて物凄く恵まれてた方だったんだなぁ、と再確認して、同時になんか怖くなった。今あんまり他人年収とか家庭環境とか学歴とかあえて訊かないくらいには大人になったけれど、いつかどこかでポロッと自分の“普通”に照らして話してしまいそうで怖い。

2023-05-27

anond:20230526210551

変態とは、「自己中心的であること」です。

そこに「性の要素」が絡めば、大抵のことは「変態」と見なされます


例えば、店員を虐めるモンスタークレーマーや、最近スシロー醤油さし事件犯人は、「自己中な迷惑ヤロー」として認識されています

しかし、その最中にこっそり、乳首ちんこを弄ってオナニーしていたらどうですか?

オカズにするために動画撮影していたとしたらどうですか?

変態ですよね?


例えば、強い愛情から子供をつけ回して過保護に見守る保護者」なら、まだコメディになります

しかし、これが「性欲を満たすため」が理由だと、途端に変態ペドストーカーになります


変態になりたいなら、性欲のために自己中心的になりましょう。

anond:20230527182842

女性で、そういう子供に全てを注ぎ込む過保護母親持ってるとむしろ母親愛情が重すぎて鬱」となって「まともな」大人になれない人多いけど

男性ってそこに疑問を感じずマザコンになってるよね

いやある意味そういう男性もまともな大人ではないのだけれど

2023-05-21

一人暮らし経験がない奴はお客様気分なんだよな。

家事はやってもらうもの、世話はしてもらうもの

一人暮らししたことない奴を泊めると段々腹が立ってくる。

2泊が関の山洗濯をしなくても回せる位の日数なら何もしなくても腹は立たない。

3泊以上は洗濯物も洗い物もゴミも出る、こういう時に洗い物だけやって「自分はお手伝いしてます!」って勝手に満足して後はテレビ見てるような奴は許せん。


そもそも実家暮らししかしてない奴の大半は現時点の自分の身の丈が分かっていない。

実家の親の家事しか知らないから、自分とそう歳も収入も変わらない人間生活水準と親世代の水準でジャッジしてきやがる。

それで布団が硬い、トイレットペーパーが硬い、テレビが小さいと知らんところで勝手に不満を溜めている。

から長く泊まっていると段々「こんなショボい設備我慢して食器まで洗っている自分は偉い」とか錯覚を起こし始める。

そんな錯覚一人暮らしをしてとっとと卒業してほしい。


そもそも実家暮らしに不満がある人間就職するとお金を貯めて出ていくことも多いから、

社会人にもなって延々と一人暮らししているようなのは

実家暮らし高水準なため一人暮らし生活水準が下がることにメリットを感じない

実家に不満はあるもの一人暮らしをするほどの行動力がない

実家に不満があるもの節約になるので住み続ける選択をしている

④何らかの事情一人暮らしができない(介護など)

の4パターンに大別される。上に行くほどタチが悪い。

①は比較ハードルも高く最悪すぎるので、さっさと親に追い出されて身の丈を思い知っていただきたいところだが、得てして親御さんが過保護なのでそうはならない。家に入れないのが一番。


本当に一人暮らしのない人間ほど厄介な客はいない。

そんな奴らに限って平気で4泊も5泊も提案してくる。かける迷惑想像つかないから。

それでいて簡単家事を頼んだだけでも「えっ、こんなことまで自分がやるんですか?」といった顔をしてくる。

滅びろ。

全国の親御さんは可愛い子にこそ一人暮らしをさせてください。

2023-05-18

anond:20230515211546

今まで女性に対して日本過保護過ぎたと思う。

男性から権利を与えられる形で、現代女性は昇進や生活エリアの徳をしている。

ここ10年、立場は入れ替わったのだから、今度は女性がよりマイノリティの人に自分権利を明け渡すべき。

そうでないと、「女性権力は与えられないな」となって時代は逆戻りしてしまう。

ノブレスブリージュってそういうことでしょ。男の言う「女性権利可哀想!行き過ぎた人権だ」には「味方してくれてありがとう、でも今度は私たちが与える番」って言うべき。

そうじゃないと「男>女」の構図は変わらない。

2023-05-11

anond:20230510190826

成人済み社会人なのに外泊禁止されてる女はわりといる。自分の狭い交友関係内でも4人はいる。なんなら門限(22〜23時)付き。超過保護毒母親家庭、案外身近にいるから迂闊なことは言わない方がいい。

2023-05-09

anond:20230509195258

公金14億円横領した奴も、パブで働いていたアニータって女に入れあげてたよな。

「異性に入れあげて金を手にするために違法行為を働いている」からやってることが同じ。

情けを掛けるに値しないし、むしろ現状は女が異常に過保護視点で扱われていて問題だ。

厳罰に処していく必要がある。

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