はてなキーワード: 親心とは
今更だけどそこは論点じゃないんだよ。
緊急時に躊躇も恐怖もなく自動で行動できるなら、危機から脱出できる確率が上がるとして、その他の諸々を考慮してその刃を鈍らせるべきなのか、と。
刃は切れてこそ、という話もあるし、技は習熟するに越したことはないと思うんだ。
ただ、善意の酔っ払いが絡んできたときにも技が発動してしまうのがどうなのかと。
もちろん、悪意を持った相手なら殺してでも退けろと思う。
いま、幼児から少年になり、青年になる中で判断はできるようになるだろう。
というか、危険な攻撃を使わずとも相手を制圧できるようになったり、そもそも危険に近づかないなんかも教えていける。
でも、今なんだよ。
それでまあ、技を仕込んだんだけど、中身は幼児ながら、体格が少年という微妙なアンビバレント。
危機に襲われたとき(知らない大人につかみかかられたときだけ、と言い含めてある)に幼児なりに攻撃していい相手か見定めろなんて言って、結局被害に会うのなら、とにかくつかみ掛かられたら逃げろとも思う。
まあ、正解はないのかね。
死因は何より貧しさだろうけど、危険への無知もあるし、昔の人と話してると死んでも仕方ない覚悟で女が畑仕事や家事をやってた感じもする
百姓貴族で書かれてた机の脚に赤子くくりつけて放っておいてたのとかも今なら虐待だしいつ事故で死んでもおかしくないよね
忙しかったし父親の育児参加が無かったから仕方なかったみたいな感じの話を聞く
自民森派の支持母体の捨て育てのとこも多くの政治家が推薦してるけど戦後からのオカルト育児だし昔ながらの育児や家庭賛美は根強いよ
【前文より】
・かつて子育ては、社会から温かく厳しい「眼差し」に支えられていた。
・今は、伝統的子育て法が伝承されず、父母が途方に暮れている。
・発達障害のような「気になる子」が増えて学級崩壊が起きた。不登校や非行と発達障害との関係も指摘されている。
【条文より】
ロリコンにもいろいろあるけど、日本人男性の場合は女性、への征服欲は旺盛なのに征服する実力が伴っていない恋愛弱者が特に多いと思う。
ショタには征服欲はないけど恋愛に踏み出せない人が多いと思う。
『「自立していて賢い一人前の大人の女性」が理想とされる空気』が目減りしてしまったのは、女性と接する経験値を得られない男性が増えてきているからだと思う。
経験値の高い女性を征服したいと持っていても自分の恋愛経験値が低いのでは制服できない。
だから性的征服欲を満たす「他の何か」にすがっているんだと思う。
2次元とか物語の恋愛世界に飛んでしまいがちの人はまず異性がよく読む雑誌をこっそりいろいろ買って読むといいよ。恋愛小説とかではなく。
女の人ってどう思ってるのか。男の人ってどう思っているのか、少しは分かるよ。
30過ぎてから自分のセクシュアリティに迷いが生じるとは思わなかった。
これまでのおよそ30年間はずっとヘテロとして生きてきた。
ただし腐っていたので男女間の恋愛にはさほど興味がなかったし、あと女子校育ちなので女性の先輩にきゃあきゃあ言ったりきれいな同級生にひそかに憧れたりもしていた。
なんやかんやあって3年後には別れてしまったし今思い返しても稚拙な関係性しか築けなかったなと思うけれど、それでもその人のことは本気で好きだったと思う。
そのときは「この人とは恋愛がしたいわけじゃない、むしろ仕事で認められたい」と途中で気が付いて、それからは良いビジネスパートナーになった。
舞台で活躍する彼女はとにかく麗しく、一目見てすぐ好きになった。
といっても別に繋がりがあるわけではないしガチ恋でもなく、ふつうにいちファンとして彼女の活躍を見守っているに過ぎない。
彼女に対する感情は親心にも近く、とにかく幸せでいてほしいしそのためならなんだってしたい。
でも、彼女の一挙手一投足にきゃあきゃあ言ってかわいいかわいい連呼する自分は、もしかしたら女性とも恋愛ができるのかもなあと最近思う。
その着想を得てから色んな人で脳内シミュレーションをしてみたけれども、全然イケる。
好みのタイプはもちろんあるけれども、むしろ男性との恋愛関係よりしっくりくる気がする。
ただ気になるのは、「男性とは付き合ったことがあるが女性とは付き合ったことがない」という点だ。
もともと超がつく奥手かつ自分自身の恋愛にさほど興味がないから、ここ7年くらい男女問わず誰のことも新規で好きになっていないのだ(※推しを除く)。
特定の男性を好きになった経験はある一方で特定の女性を好きになったことが無いので、もしかしたらこれは女性芸能人のファンをやっていることで自分は女性もイケると錯覚しているだけなのではないかという疑念がぬぐいきれない。
まさか30を過ぎてこんな10代みたいなことで悩むとは思っていなかった。
どっちなんだ、わたし。
今のところ別に恋人が欲しいわけでもないし、そもそもカテゴライズをする必要性もないのだろうけれども、なんとなくモヤモヤしたものを抱えながら今日も生きている。
なかなか悩ましい。
具体的には独り身の独身貴族だったころと家族や子供ができてからでは価値観が大きく変わる。特に「子供」という自分よりも大事な存在ができると昔のように能天気に寛大な対応は取れない場面が多々ある。
わかりやすいたとえだと、たとえば福島産の農作物である。震災から6年以上たって除染もしっかりできていると散々報道されているのに、いまだに「放射脳」と揶揄される行動で福島産の農作物を忌み嫌う傾向がネットでも見られる。
これは子供ができる前だったら純粋に軽蔑してたのだが、子供を育てる身になるとなかなか悩ましい。俺個人が福島産の食材を食べることにはなんら抵抗がない。ただ何も雑念なく自分の子供にも与えられるか?と問われると正直悩む。頭では「市場に出回っている食品は安全」だとわかっていても、わざわざ数ある選択肢の中から福島産のを選んでそれを子供に与えるのか?というジレンマがある。
正直現時点でわざわざ福島産の農作物を選ぶのは、いまだに風評被害に苦しむ福島の農家を応援しようという気概が一番の動機だろう。だからそれを自分で買って自分だけで食べる分には何の問題もない。でもそれをわざわざ意図的に子供に買い与えて食べさせるのは、逆に親のエゴなんじゃないか?というジレンマが生まれてしまう。
性犯罪や児童虐待の前科がある人間についても、以前はどんなにひどい罪でも刑務所で罪を償った以上はちゃんと彼らが社会復帰できるように協力するのが大事だと純粋に思っていた。しかしいざ自分にも子供ができるとやっぱそういう前科者には家の近所に住んでほしくない。できれば欧米のように顔写真つきで位置情報をネットで公開してほしいと思わずにいられない。
これらの感情を「気持ちはわかるけど差別」といわれてもしょうがないと思う。少なくても「自分がしてることは家族を守るための社会的区別。差別じゃない」なんて思い上がった台詞をはかない人間であり続けたいとは思う。ただ人間というは自分より大事な存在ができると、それを守るためには差別する側に回ったり、時には犯罪を犯すこともいとわないものなのだなと痛感する。なぜ世界に宗教という存在が生まれたのか最近よくわかる。
こうの史代の「夕凪の街 桜の国」という漫画に被爆者が差別されるシーンがある。でもそれは被爆者を忌み嫌うというより、自分たちの大事な娘が被爆2世の男性と結婚したら悲しい思いをするんじゃないか?生まれてくる孫は大丈夫だろうか?という娘を思う親心から生まれる差別なのがとても印象的だった。ときには同じ被爆者でありながら、自分の息子には被爆者と結婚してほしくないといったシーンもあった。中二病風にいえば「愛が差別や憎しみをうむ」というやつか。
魔性とは一体何なのか、何故彼女たちは魔を宿すに至ったのか、どうすれば魔に魅入られず無難にやり過ごすことが出来るのか、知りたい。
まず、私が魔性の女性に大きな関心を抱くようになった経緯をお話したい。
もう十年以上前の話だ。
大学に入ったものの、雰囲気が全く合わず、精神的に追い詰められていた。医療系の大学だったが、勉強する内容の重要性について頭では理解出来ていても、全く興味を持てなかった。授業も、半強制的に入部させられた部活動もストレスでしかなかった。
詳しいことは省くが、家庭の状況もあまり良くはなく、どこにも安らげる場所がなかった。独り暮らしでも出来ていればよかったのだろうが、地元の大学ということもあって親の意向により却下された。
経済的な問題ではなく単に束縛したかったのだと思う。ちなみに増田は男性なので、娘を心配する親心とかそういうものではない。
そんなこんなで、入学してから数年は、内面を押し殺して級友たちに愛想を振りまきつつ(閉鎖的な環境だったので、浮いてはならないという意識があった)、何とかかんとかやっていたが、ある時、留年した。
留年したことによる自尊心の損耗と、牢獄から抜け出る時期が遅れることへの絶望を覚えたのと同時に、大学からしばらく離れられるという安堵があったことは否めない。一年間の休養を経て大学に戻ったが、当たり前だが一つ下の学年と合流しての再出発だった。そこでPさんと言う女性に出会った。
Pさんは清楚な美人で、社交性もあり、学年の中でも慕われていた。成績も優秀な上、運動神経にも優れ、所属する部活動の大会では毎年優勝候補に挙がるほどだった。力のある教授が運営する研究室にも出入りしており、要するにパーフェクトに近い人だった
そんなPさんがどういうわけか私によくしてくれた。彼女の交友範囲はとても広かったが、特に学士や留年生のグループと仲良くしていて、その関係もあったのだろうが、傷心だった当時の私にとっては有難いことだった。
有難いと思っているだけで済ませられればよかった。
お察しの通り、彼女に恋をした。入学してから一瞬たりとて心の休まる時がなかった私にとって、彼女の笑顔は天使のそれに思えた。彼女はよく、誰にも見えない角度でわざわざ上目遣いになって、輝かんばかりの笑顔をこちらに向けてきた。
この他にも色々あったが、当時の私が非常に純粋であったことを差し引いても、Pさんのこちらに対する態度は異性への好意を示すものと解釈して問題なかったように思う。あの状況下で彼女の内心を疑う者はまずいないだろう(個人の主観ではあるが)。
ほどなくして私は彼女に告白をした。彼女の反応はすげないもので、私はとても焦った。何故? あれほど好意を向けてくれていたのに、どうして? 焦りから、青臭い感情を凝縮した内容のメールを送ってしまった。この一通のメールだけで、この後は一切電話をかけることもしなかったが、本当によかったと思っている。
あっさりと流したが、この時は本当にしんどかった。全身の血液がドス黒く濁り、冷たく沸騰しているような感覚が続いていた。そんな時、あるクラスメイトの男と話す機会があった。仮にYとする。
始めは野郎二人で食事をしながら世間話をしていたのだが、慰めてもらいたい気持ちがあったため、ついPさんとのことを話してしまった。するとYの血の気がみるみると引いていった。
まだ心の整理が出来ていなかった私は、どうして彼女はこちらに好意もないのにあんな態度をとったのか気になって仕方がなかった。むしろまだ好意を持ってくれているものとどこかで信じていた(よくある話だが)。だからYにも意見を求めた。そうしたらこの反応。何かがおかしいと思った。問い詰めた。確実にSは何かを知っている。何を?
私が引きそうになかったため、Yは遂に折れた。絶対に誰にも言うなよ、俺から聞いたってことも秘密だぞ、と念を押してからYは言った。
「宗教だよ」
今度はこちらの血の気が引く番だった。混乱する私に対してYは自分の携帯電話の画面を見せてきた。そこにはPさんからのメールがあった。
「セミナーに一緒にいきませんか? 料金は私の紹介で、特別料金の〇〇〇円です」
という内容が女の子らしいテンションで書いてあった。何のことはない、Pさんの正体は美人局だったのだ。そして私は獲物に過ぎなかった。かつてのYと同じく。Pさんがセミナー勧誘を切り出す前に私が舞い上がって告白をしたため、その後の展開は違ったが。
後にSから引き出した断片的な情報を基に彼女のブログを特定した。目を剥いた。子供の頃UFOを見た、宇宙のエネルギーを感じている、アセンション、などなど彼女が本物であることを認めざるを得ない内容がこれでもかと綴られていた。
彼女は様々な種類のカルトを次から次へと渡り歩いているようだったが、当時、彼女が入れ込んでいたのは代替医療詐欺をメインとするカルトだった。彼女は、医療系大学の学生という肩書を利用して、明らかに効果がないと思われる高額な代替医療商品の宣伝をブログ上で行っていた。彼女自身もモニターとなっていた。
本当に恐ろしかった。あの天使のような笑顔も、何もかもが嘘だったことが。そしてその嘘に踊らされていた私自身の滑稽なまでの無防備さが。
恐怖とともに、怒りと恥ずかしさ、情けなさが爆発的に湧き上がって全身がねじ切れそうになった。吐きそうだった。
ここで私は最大の失態を犯す。傷ついたプライドの代償行為。弄ばれたという被害者意識の炸裂。どこまでもみっともなく、どこまでも愚かな行動。
「前回のメールの内容は冗談だった。ところであなたのことは全て分かっているよ」
といった内容のメールをPさんに送ってしまった。勿論、前回のメールの内容が冗談なわけはなかったし、本気だった。何を今更としか言いようがない。見苦しいこと極まりない。
そして「あなたのことは全て分かっているよ」。これは示威行為だ。Pさんは自身の裏の顔を隠すべきものとして認識していた。事実、事が広く知れ渡ったら大きな問題となっただろう。まだ学生とは言え、医療者の端くれが代替医療詐欺に手を貸していたのだ。ブラックジョークでは済まされない。
私はPさんのアキレス腱を握っていた。そのことをあえてPさんに伝えることで、Pさんと同等以上の立場に戻ろうとしていた。惨めな男としか言いようがない。
さて、この行動がどんな結果を生んだか。
死ぬほど後悔することになった。
想像してみてほしい。私は留年生、つまり成績不良の劣等生だ。対してPさんは先述したようにどの角度から見ても完璧な優等生だった。学年内のどのグループとも交流があり、誰からも信頼されていた。教授陣からの好感度も高い。留年生で、味方がほとんど大学内にいない私が彼女に立ち向かうことは、自殺行為でしかなかった。
おそらくPさんはそこまで計算した上で、獲物を選定していたのだと思う。もし私を型に嵌めることができず、私が暴れ出したとしよう。周囲はこの状況をどう見るだろうか? 身の程を知らない勘違い劣等生が学年のマドンナに振られてトチ狂っているとしか思わないだろう。
そうした保険をかけた上でPさんは私に近づき、魅了してきたのだ。気づいた時は後の祭りだった。
私は学年内において孤立することになった。いや、孤立で済めばよかった。表立っては誰も口にしなかったが、私の学年内における扱いは完全に狂ったストーカーのそれだった。
告白を断られた時に送ったメールは既に広く出回っていた。Pさんが「勘違いされて変なメールが来た」と、多方面に流したからだ。このことはYが教えてくれた。だが、Yこそが最悪の敵だった。彼の立場にたって考えてみてほしい。
誰が私にPさんの正体を知らせた? 内通者は当然Pさんにとって敵となる。そうなることをYは恐れたのだ。Pさんと敵対して、この学年で、この大学で生きていけるわけがない。だからこそ、Yは誰よりも激しく私を攻撃してきた。Pさんに睨まれないために。彼自身が生き延びていくために。
私は全てを理解した。これ以上、足掻けば足掻くほど状況は悪くなってゆく。あの時点で私に出来たのは、ただひたすら身を縮めて、ひっそりと残りの学生生活をこなしていくことだけだった。復讐の手段がなかったわけではない。インターネットの掲示板に彼女のブログを貼り付けて拡散すれば、彼女とて無傷では済まなかったろう。
だがそれをして何になる? 私に対する大学内での風当たりはさらに強くなるだろう。裏では散々なことを言われていても、表向きは何もないことになっていた。私が何もしなければ、向こうも直接的には何もしない。そういう冷戦状態で安定していた。
その時期、何度か私の携帯電話に非通知の電話がかかってきたくらいで、特に何事もなかった。だから私はそれ以降、影になろうと必死に努力した。
こうした経緯で私は魔性の女性というものについて、大きな興味を抱くことになったのだった。
少し長くなってしまったので、一旦、ここで区切らせて頂く。私自身の魔性についての考察は次回に持ち越したい。ところで、もしよかったらこれを読んだ方の中で、魔性の女性について思うところがあれば、是非、コメント欄に書いてほしい。ブコメでもいい。魔性の女性について、自分の考えを整理するための参考にさせて欲しい。よろしくお願いします。
今から書くことほど「ゲスの勘ぐり」という言葉が当てはまることはない。
それくらいひどいことを書くので迷ったが、本当に世論が死体遺棄=ロリコン殺人鬼と考えてる人が多そうなので、たとえ話をひとつ。
世の中には、「積極的に冤罪をかぶりたい」という状況が多々あって。
死体遺棄をしたからロリコン殺人鬼に違いない!という世間の汚名を被ってでも、守りたい殺人犯がいたとする。
特定の事件の話をしているわけではないのだが、ある事件を連想して読む人も多いだろうからはっきり誰とは言わないが、そういう「親心」ってのは、もしかしたらあるのかもしれない。
もちろん、その「親心」は検挙率を上げたい警察もよくわかってて、ここに冤罪をかぶせたい側と冤罪を着せられたい側の利害が完全に一致する。
そうなると、もう取り調べの密室で行われるのは、とてもとても効率のいい「でっち上げ」の共同作業だ。
マスコミは本当に死体遺棄=ロリコン殺人鬼と信じて報道しているのか、それとも裏では違うと思いながらも何かの意図があってそう受け止められるような報道の仕方をしているのか、それはわからない。
ただひとつだけわかることは、少なくとも「うちの読者は死体遺棄=ロリコン殺人鬼として書いた方が喜ぶ(売れる)」ということは、はっきりわかってて書いているということだけだ。
結局のところ、ゲスい大衆の好むゲスい詮索を真実にしてしまったほうが、世の中はうまくいく。
俺のやってることが、「証拠もないのに、違う人が犯人だ」とゲスの勘ぐりを入れている、最低の行為であることは、疑いようがないから。疑われたほうは、たまったもんじゃない。
今30代になって結婚はしているが
それなのに色んなことや人々に
それぐらいの年齢になると
こんな感情が芽生えるんだなと
しみじみ感じている
それとともにそれまで一切興味のなかったアイドルに
ずぶずぶとはまって行く自分がいる
先日はついに何千人がサイリウムをふるような場に参加していた
妻からは、それはアイドルだ、あんたもおっさんになったな、と言われている
たぶん妻のほうが正しい
でもたとえアイドルだとしても
うまくいってほしい、もっと有名になって、その魅力を認められてほしい
という感情が強い
そして「出会えてよかった」などというキモいことをいつも思っている
これは辞書的にいうと、いわゆる"親心"というものではないかと思う
親が子供に感じるのと同じなのではないだろうか
今日本では経済的な理由など、色んな理由で子供を持つことができない人が多い
私もそんな一人だ
反比例の相関があるのではないだろうか
個人的にはもしそうならうれしい
家族団らんって何?
一緒に食べていても、子どもは私の子供なのに継父に懐いて私には目も合わせず、話も継父にばかり
私が話に入ろうとしても、明らかに邪魔って感じで見るし話聞かないし、何なの?
あんまり腹が立ったから、目の前のPCにヘッドフォンつけて、耳にあてて音楽聞きながらご飯食べたわ
そしたら、旦那が喋ってきて。。聞こえてないっちゅーの!てか、見たらわかるのに、喋りかけてその後に
「喋ってたの聞こえてなかったの?」って、すっっんごいアホな質問してくるの、はぁ???
わざと、そうしてたって、わかってるハズなのに、なんなの???
贅沢な悩みなんかもしれないけど、最近はそんな事ばっかりで、頭にきてたからさ・・・・・
話の内容もそりゃあー、継父の方が色々知ってて子どもはたのしいんでしょーよ。でも、私も知ってる話題でも
やっと、反抗期も落ち着いてきて少しはイイ感じになったかと思ったら、こんな仕打ち???
もう嫌だ!!!!!
意味があるらしいけど、ほっておかれた方はもうーーー発狂しそう!!!
で、一家団欒の時にその態度ってどうなの?って素で聞いてくる旦那。。。もう、わけわからん
普段から、PCゲームとか一緒にやってて私の入る所がない。。。。
困った時だけ、言ってくる。。。
週末の飲み会で、上司の奥さんが所謂教育ママだという愚痴を聞いていた。
でも嫁さん話聞いてくれないし…みたいな。
もちろん、子供の将来を案じて、安全に元気に人生を歩んで欲しいと思うのは自然な親心だ。
でも、実際にその道を「歩ませる」のは親のエゴだろう。
その道が成功を約束する「正解」なんだとしても、親が歩かせた時点で「歩かされた」っていう感覚が子供に残ると思う。
よく言われる「飢えている人に魚を釣ってあげるか、釣り方を教えるか」の話に置き換える。
魚をあげたら。つまり正解を歩まされた子供は世間で「正解」とされる道を逸れないようにする子になりそう。
自分で正解を見つけられないし作り出せないから、他者の価値観に依存するしかない。
一方、釣り方を学んだら。これは、最初のほうはうまく釣れないし、センスのない奴は最悪飢え死にするかもしれない。
アニメや漫画で仕入れたオカルトの知識は非オタクの人より豊富だと自負している。が、非オタクの人よりもそれらはフィクションでしかないと痛切に知っている。お化けや神様が「現実だったら楽しいだろうに」と考えていた。我が身に降りかかるまでは。
私が現在進行形で体験しているオカルトの話をしたい最大の理由は、後続者がオカルト体験に直面した際、何かの足しになれば良いと考えたからだ。困ったときに検索してもらえたらと思う。あるいは漫画、小説、脚本などを書く参考でも構わない。胡散臭い情報の1つとして有意義に活用してほしい。
冒頭の通り、私は単なるオタクで、オカルト事象に関してはド素人である。だから事実誤認や妄想が過分に含まれているだろうが、どうか許してほしい。誤字脱字、読み辛さもしょせんは素人と見逃していただきたい。統合失調症などの精神錯乱を含め、思いつく限りを一生懸命調べたけれど、確かめようのない、分からないことばかりだ。
判断は読者にお任せする。体験した出来事に対する主観と、憶測を記す。
我が身へ最初に起きたのは、奇妙な夢を頻繁に見ることだった。神社や神託めいた助言の夢。
そんなある日、神社で狐に驚かされる夢を見て起きた瞬間、某稲荷神社の映像が写真のように鮮明に見えた。もちろん、漫画の読み過ぎだと思った。けれど、本当にその稲荷神社の狐が夢に出ているなら驚かせないでくれ、偽物なら困っているから退治してほしい、と稲荷神社へ直談判してみようと思った。春先の出来事だ。
いきなり稲荷神社へ行くのは恐ろしく、ちょうど厄年だから厄払いをしようと思いついたのと人に相談できればと考えて、まずはいつも初詣で行く地元の神社へ参拝することにした。社務所は無人で、厄払いは電話で申し込むようにと書いてあった。仕方なく参拝だけをして、願掛けしながらおみくじを引いた。
私にはちょっとした特技があり、願掛けして手ずからおみくじを引くと、まさに神様がアドバイスしてくれたかのような文章を含む結果を引き当てることが出来た。今回もそれにあやかるつもりだった。結果は『生きて居らるる親に仕える心持ちで神様を拝み嬉しい時にも、悲しい時にも御話申して御祭りする』だった。親なら話せば分かるだろうと思った。御話申してと書いてあるし。
その足で稲荷神社へ。神社本社に参拝してから、すみっこの稲荷神社へ向かう。狛犬代わりの狐像がこちらを見ている気がした。二礼二拍手を正しく出来たかどうか記憶にない。手を合わせ、困っている助けてほしいと祈った。もちろん何も起こらない。が、何もしないより気が済んだだけましだ。他の参拝者がやって来たから退散しようと「いつもありがとうございます」と呟いて、外へ出ようと鳥居をくぐった。
その瞬間、何かのスイッチが入った気配があり、背中に2つ、重たい何かが飛び乗った。逃げるように本社へ戻り、これは何だと問いを念じながらおみくじを引く。結果は地元で引いたおみくじと全く同じだった。
『親心をもって常に側去らず』『そして常にぴったり御一体になって居る事が肝要だ』などと書いてある。「憑かれた」と思った。
帰りの電車で、狐らしき気配が混雑した電車に驚いている様子を感じた。銀色の狼みたいな大きいのと、漫画に出そうな小さい白狐が居るような気がしていた。それらの幻覚は日中に鮮明で、夕方に日が沈むと消えた。
私はとりあえず「マジかよ」と笑った。
女がヒステリー起こすのを避けるテクニックを書いた増田記事が人気だけど、ブコメとかトラバにちらほらとドヤ顔でPMSという単語を持ち出してくるのがいる。
それら「PMSに理解があるよアピールの男」は、正確に言うと「女のヒスに理解があるよアピールの男」であってPMSのことは本当はわかってない。
それが保険で治療できる症状であり、個人差はあるものの投薬で改善が見込めるものであり、従って「PMS持ちのパートナー」は相対的にヒスの程度は軽い(PMS持ち=診断名がついてる=治療してる=症状落ち着く)ことになるのでヒスを避けるテクニックがそもそも要らなくなるはずということがわかっていない。
「ウチの嫁さんヒス酷くってさー、ほらアレだよPMS。こないだなんか大ゲンカになってケーサツ呼ばれちったw」とか言ってるのは、
「ウチの旦那タバコで肺にできもんできちゃってさー、ほらアレよ肺気腫。こないだなんか息できないっていうからとりあえずタバコ全部捨てちゃったw」と言ってるも同然であり、
「いやそれ早くいい病院探して連れてけよ、ネタにしてる場合かよ」が共通解となるという事実がわかってない。
なのになぜか、彼らPMS理解アピール男らは「PMSと理解してヒスに耐えている俺、マジ嫁を愛してる」というわけのわからない勘違い自己陶酔に浸っている。
「病院行けっていうと嫌がるからさー。困ったもんよ」とか言ったりするのもいる。
困っているのは警察呼ぶくらいの騒ぎを起こされている近隣住人であるとか深刻なPMSは他の婦人病が原因である可能性もあるとか子どもが予防注射を嫌がっても連れて行くのが親心であるのと同様に嫁の説得くらいするのが夫婦というもんじゃないかとか、そういったことには一切考えが及ばないようだ。
挙句、事なかれ主義を煮詰めたようなTipsをありがたがったりしている。
彼らが愛しているのは嫁ではなく、「嫁を愛しているが故に耐える俺」なのである。
だから、病院というワードがひとつも出ないままに、ヒステリーとPMSを結びつけてるようなドヤ顔な意見が出回ることが許しがたい。
はっきり言って、嫁にPMSという診断名がありながら度を越したヒステリーを起こしているとしたら、治療を受けさせず放置している男には被害者ぶる資格はないし、病院で治療しているわけではないがたぶんPMSだというのは、ネットによくいる「医師でもないのに他人をアスペ呼ばわり」と同じことをやっているわけで真面目に取り扱うに値しない。
何より、嫁が治療して改善するという未来に結びつくにあたり、そのような夫は大変な障害となるのであるから、自己陶酔から覚めて離婚してやるのも愛のかたちだと思う。
なお、わが妻と同じように、治療するも薬が合ってないのかいまいち感情コントロールが上手くいかないという配偶者をお持ちの男性諸君。
頑張ろう。道のりは長いかもしれないが、少なくともがけっぷちにぶら下がっていた頃とは違って、一応は道のある上り坂のテイを成してはいるはずだ。
漢方は案外いいぞ。あとは王道だが運動も。夫婦でジョギングも楽しいもんだ。
朝は魔法つかいプリキュア、夜は12歳。~ちっちゃなムネのトキメキ~とえっちなアニメが増えた気がする。
それでなくてもプリパラやアイカツといった幼児向けのえっちなアニメが既に放送されてるのにも関わらず
これはゆゆしき事態だと感じている。
あまりにも卑猥な登場人物の変身やキャラクター、えっちな個性の顕現はどうしても一介の幼児向けないし子供向けとは思えない性的な内容である。
正直言って子供と一緒に放送を見ているであろう親御さんには辛いかもしれない。
何せえっちな格好で“かっこいい”とか“かわいい”を放送を通じて擦り込みしていくスタイルであるため、
普通には卑猥だから子供に見せられないでは済まされない訳である。
では、どうすればいいか。
見せなければ良いだけであるが、しかしながらこうした卑猥なアニメを見ていないと保育園や幼稚園、小学校で仲間外れにされるかもしれないのである。
そう考えると親心にはこうしたえっちなアニメが放送される事を危惧しつつもなし崩し的に見せなければならない事は察するに余りある。
悲しいかな、昨今の子供向けアニメは卑猥で性的でそれこそ早過ぎた性教育アニメと言う他ないのであり、
アニメという簡単で至極容易に子供に性教育を教えられる媒体はないのだ。
学校教育にも限界がある中でこのような性的なアニメが放送される事は極めて悲しい事だと、
おっさんの俺でも理解出来るのだから、恐らく世の親御さん方も困っているのではないかと思えてならない。
と最近アニメ見れてないMouseionの日記でした。
さっきめちゃイケ見ててふと思ったんやけど、めちゃイケって本当最悪、早く終わればいい、三中くんもふつうに就職した方がいいよって感じ。ツイートする、で終わってもよかったけど、一応補足。
今夜のめちゃイケの中身というのが、メンバー唯一の素人三中くんが番組の企画として、みちのくプロレスに入団させられて、苦しい練習のあまり逃げ出してしまうというもの。
それを呼び戻すため、メンバーが逃げるんじゃないだの、プロ意識だの、みんな大変だのと言って叱咤激励して、結局プロレスに戻されてしまう。でも、結局また逃げちゃう。
それでまたメンバーに囲まれて、甘えるな。わがままだ、と集中砲火を受けるもの。そして、逃げた理由は芸人をするためというもので(確かに三中くんは芸人を志望していた)
逃げたわけではないというが、メンバーはそれならば、今後は素人ではなくプロとして扱う、と一気に突き放すというもの。そもそも、素人として扱う、プロとして扱うの線引きって何よ?
とりあえず。はっきりさせておきたいのが、三中くんは「希望してプロレス行っていない」というもの。そして、番組内のメンバーが言うように彼は素人であるということである。
確かにテレビに出ている以上は多少は体を張らないといけないかもしれないが、給与も他のメンバーと比べると相当低い、それは彼が素人であるからである。
しかし、給与が低いのも彼が素人であり、プロじゃないから、というのは理由にならない。実際、体をはって彼も番組のコンテンツを作っている、貢献度が他の芸人に比べて低いから給与も低いのは
仕方ないというのだろうか、もしくは彼はまでプロダクションも所属しておらず、当然マネージャーもいなかったため、ギャラ交渉もできなかったためなのか・・・とりあえず、素人ということで給与は
安くて、ドッキリという名前で、道で不良に絡まれたり、ハニートラップにかけられたり、重いものをぶつけられたりしていたわけだ。それも本人が好きなら許されるというわけか。よくわからん。
確かに三中くんも芸人になりたい、お笑いが好きでこのめちゃイケのオーディションに志願して受かっているわけだから、めちゃイケメンバーとしていられるのが幸せなのかもしれない。
しかし、今回のように突き放されて、果たして彼の居場所があるのだろうか、むしろ、意図的に外そうとも見える。それが優しさ、獅子が子供を谷底に落とす親心なのか、純粋芸人どうしの闘争本能なのか
よくわからんが、今まで仲間だった人間を、「嫌いになる見えなくなる」というよゐこ浜口の発言をしない。
ある時はプロとして扱い、ある時は素人と扱う。まさにご都合主義である。要は三中くんはメンバーから舐められていたわけである。
めちゃイケ批判は、ネット上に多くあって、早く終われ、打ち切りか、などと書かれていて、僕の知っているころのめちゃイケは面白かった記憶があったので、そんなことはないとおもったけど、新メンバーが加入したときから
だんだん疎遠になり、中嶋Pがいいともにいって、ますます見なくなり。気づいたら、素人を囲んで集団で責めたてるお説教リンチ番組になっていた。社会は甘くない。芸人はもっと甘くない。うん、正論。だけど、これバラエティだよね。
確かにめちゃイケはこういういい話、お涙頂戴が時々あってうざかったけど、今回は特にひどい。TBSのガチンコか。視聴者はこれをみてどう思うだろうか。少なくとも10代、20代、三中くんと同じぐらいの世代はこれをみて何を思うだろうか。
めちゃイケメンバーは三中君を見る目が変わるといったが、少なくとも私の見る目は変わったなあ。よゐこ浜口は嫌いになると見えなくなるといったが、私の好きな番組からもめちゃイケは見えなくなりました。
そういう性的消費を内面に隠し持ったものが、昭和から続いてきたアイドル観。
でも最近のアイドルは風向きが変わってきている。もちろんそうした性的消費に迎合する一面もありつつ、別のもう少し高尚っぽい要素が加わっている。アイドルグループというのは思想やコンセプトを表現する器であって、一種の劇団のようなもの。箱推しと呼ばれる人は、その劇団のファンと言ってもいい。そこで繰り広げられるリアルタイムの成長ストーリーに心動かされ、アイドル各々の価値観に共感し、応援し続けたいと思わせる、物語消費の要素が少なからず入っている。その要素に魅入られた人が感じるのは、性的消費というよりも、親心のような慈愛の情。もちろんそれと性欲を共存させられる人もいるが、出来ない人もいる。出来ない人にとって半性風俗ビジネスとしての昭和的アイドルは依然として嫌悪の対象であったりするが、うっすらそういう価値観を持っていても、性的要素を「カワイイ」「カッコイイ」という魔法のコトバで飲み込む人の方が多いだろう。女(男)ならそれを追求するのは普通なことだし、本人が望まぬ下卑た性的アピールではなく、本人たちの望んだ演出なんだと信じることで消化できるのだ。けれど、やはりリベラルで慎重な人権意識を持つ人ほど、その辺に漂う商業アイドルの危うさを払拭できない。そういう人たちの懸念も過去にしたのが、「スクールアイドル」という自発的でインディーなアイドル活動の概念を提案したラブライブという作品だった。似たような形態に地下アイドルがあるのだが、やはり現実を見ると思春期少女の心の闇につけこみ異様なファンに祭り上げられているような不健全さが見え隠れする。その点アニメ世界は非常に健全で美しい心のあり方が描かれており、実演するキャストもいい大人なので懸念の払拭の一助となっている。
総論としては、昭和的なアイドル観は、本来的な「アイドル」に回帰しつつある。すなわち、プロデュースし売り込む為に作られた――北朝鮮がやっているような――アイドルではなく、「クラスのアイドル」「ネットの人気者」のような、周りから自然と崇拝されるようにして発生し、何にも縛られず表現をして、そして美しく去っていくことが望まれている。誰も傷つくことなく、誰もが幸せになれる表現者としての繊細な美意識がアイドルに求められだしている。自らの青春を犠牲にして(恋愛を禁止され)、偶像としてキャラを演じることを求められ(「アイドルはトイレ行かない」はその極致)、人気や商売に翻弄され、頭を丸めたり謝罪会見をするようなアイドルを誰も見たくないのだ。
もしこれをバンドで例えるなら、メジャーレーベル信仰からインディー文化へ移行している、となる。ネット時代だからこそ、そういう自由な形態がアリになってきているのだろう。
このエントリーを読んで、どうしても萌え絵フォビアについて言いたくなったことがあります
http://anond.hatelabo.jp/20151203015340
それは「一部の女性は母親、特に娘のいる母親になると、一部の萌え絵を嫌いになる」ということです
うちの母と友人がそれでした
しかも彼女らはギャルゲーなどソフトな男性向けコンテンツも楽しむような元オタクです
親になってから子供を傷つけそうな大人、例えばロリコンを許せなくなった
吾妻ひでおの描く女の子は子供に見えるので、吾妻ひでおのエッチな漫画がロリコン漫画に見えるようになった
だから吾妻ひでおの漫画、ひいては頭身の低い幼児体型の萌え絵が嫌いになった
例えば、まどマギの頭身と体型はアウト、けいおんの頭身と体型はセーフ
また、頭身があっても10代の女性キャラが男性に媚びるような描写やパンチラにはドン引きする
例えばけいおんだと、あざといけど小動物的なかわいさが目立つうんたんはセーフ、萌え萌えキュンはアウト
ジブリアニメだと、男性に媚びない思い出ぽろぽろはセーフでパンチラだらけの魔女宅はアウト
友人は、子供が生まれても「かわいい」「ほっこりする」と言って非オタの旦那に隠れて萌えアニメを見ていた
ある日2ちゃんねるのまとめサイトを見ていて、10代のキャラに欲情する男たちの存在を再確認した
しかし学園ものの萌えアニメを見ながら「うちの娘もいつか学生になるのか」と感慨にふけっていたところ、そのキャラを性的な目で見る男たちを思い出した
そして自分の娘も男性から性的な目で見られる可能性にも気づいた
それ以来、10代の萌えキャラが好きな男たちと成長した娘を性的な目で見る男を重ねてしまい、萌えアニメを楽しめなくなった
母も友人もオタクでしたが、母になったがゆえに萌え絵フォビアになりました
たぶんこれが現代の日本社会で最も周囲にアレコレ無神経なおせっかいを言われず、こじらせ系にならずに済むルート。
しかし一見平凡な女の幸せに見せて、ものすごく難しいルート。1回目の人生では入り口すら見つけられない人多数。
とにかくハードモード。人生3周目じゃないとクリアできそうもない。
高校生くらいの年齢の時からこのルートを目指して計画的に行動しているか、ものすごい強運が要る。実際はここに書ききれないほど多くの条件、つまり人格や個人的理由、感情やタイミングなどが加わってくる。そういう個々人の事情をすべてをまるっと無視して「これが女の幸せでしょ」とひとくくりに言われてしまうのは、さらっと受けながすにはなかなかに重たいのだ。心が弱っている時には特に堪える。
補足:
上記は私が直接言われたこと、私の女友達から聞いた愚痴、結婚出産育児系の掲示板で散見された情報を元に独断と偏見を持って書いた内容です。
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ブコメを受けての追記です:
夜中に書きなぐった文章が起きたらホッテントリ入りしていたのでギャー!となりました。色々な角度から多くのコメントを頂き、ありがとうございます。
ちなみにお察しの通り、ほぼ何一つ、私自身はこのルートを攻略できていません。
「世間体ばかり気にして大丈夫か?」「幸せとは」というコメントも頂きましたが、あくまでこれは「世間の言う通りにしたらこうなる」というシミュレーションです。理想通りに結婚しても、離婚分岐ルートも往々にしてあるので、ライフプラン、本当に難しいですよね。
「恋愛至上主義♪ワタシの結婚」「バリキャリ!高学歴女性のための結婚」「人生1回きりだもン!好きなことやって楽しむぞ結婚★」「困難を乗り越え運命の国際結婚」などひとりひとりの人生と価値観で、数えきれないルートがありますし、幸せとは自分の尺度でしか測れないと思っています。が、世間の言葉を受け流すにしても、さらっとかわせるコミュ力とメンタルの強さは一朝一夕には身につかないものです。傷つきながら僕らは大人になるのです。
それにしても、ブコメ欄でいろいろな方のご意見や人生を垣間見れました。ありがとうございました。
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ちなみに、あまりに無理ゲーなので、こじらせまくって1年ほど前にひとり結婚式をやったのでした。
ごめんなさい。
こちらとしては頼んでいないのに。
以前同じことが一回あった。
気が進まないので「断ってくれ」といっても親としては「もうちょっと付き合ってみたら」の一点張り。
しかたないのでたまに一緒に出かけたら
「はっきりさせるか決めろ」「いずれは結婚を考えないといけないんだからね」
いやになってきたので「じゃあ断ってよ。今すぐ決めろといわれたらその返事になる」
といっても同じことの繰り返し。
結局自分から直接仲人に断ったよ。相手はいい人だったから本当後味悪かった。
そしたらまたしょうこりもなく今回もまた同じことをいってきた。
頼んでないんですけど。
いやだといったら「気に入らなかったらまた断ればいいじゃない」「親の顔をつぶすのか」と。
「1回だけ行くけど断るからね?」
と返したがどうなることやら。
頼んでないし、人の将来に散々口出しされてやりたいこともやれなかった。
実家暮らしなのも悪いのかな。本当はやりたいことがあるからお金ためたい。
いらいらする。
この部分は変だと思う。毒親っぽい。
婚前交渉したくないのはそれはそれで構わないけど、全部親の言う通りにする必要はない。
親と物理的・心理的に距離を置いてみては。
彼氏がいても、キスしても、セックスしても、汚れたりしないよ。大丈夫。
増田が性的なものがにがてっぽいっていうのは、周りの男性も察してるだろうから、
それでも付き合いたいって言ってくれる相手には、しばらく待ってもらえばいい。
結婚前提のお付き合いがメインの三十路間近になれば状況も変わるかな、と思ったけど、どうだろう。