はてなキーワード: 親心とは
だがそれは、単に国技と呼ばれる競技の最高位に、日本人がいないという現状を寂しく思う気持ちから生じた欲求であって、白鵬に反感があるからではない。
終盤戦などに、白鵬の対戦相手に声援が飛ぶこともあるが、これは日本人特有の判官贔屓と、優勝争いが面白い展開になって欲しいという気持ちからだろう。遠藤と対戦した際の遠藤コールも、気鋭の若者を応援してやりたいという親心みたいなもので、白鵬を敵視してのことではないはずだ。
舌禍事件の引き金となった春場所の対稀勢の里戦は、白鵬の足の甲が先に返っていたように見える。一昔前なら、むしろ稀勢の里に軍配が上がったような気がする。「相撲で勝って勝負に負ける」ってやつだ。これが同体取り直しになったので、白鵬は命拾いをしたなと思いながら見ていたのだ。そしたらあの騒動だ。
そして今場所の豪栄道戦。今回も相撲では白鵬が勝っていたが、明らかに白鵬の肘が先に落ちた。行司さんはよく見ていた。しかし、取組後の彼の様子を見ていると、また稀勢の里戦の時のような被害者意識に捕らわれているのではないかと心配になってくる。
日本には判官贔屓という文化があって、そして勝負の判定については杓子定規なところがある。その辺のところが、どうも上手く伝わっていないのではないかなぁ。
あれだけの成績を残した功労者だから、彼が現役生活を終えるときに、日本を誤解したままだったり、寂しい気持ちを抱えていたりしないようにしてもらいたいな。
俺が社会人1年目、まだ何もできなくて研修生だった時のこと。ちょっと年取った母親と俺の二人暮らし。
自分の希望の進路もあったのだが、親の希望でそれを諦めて手に職系の仕事に就いた。自立できてほしいという親心は、まあ理解できたから。
しかし研修は辛くて毎日午前様。土日も出勤。俺は同期の中でもトロい方で、仕事に余計な時間がかかるので尚更。
母親はそんな俺に「もっと早く帰ってこい」と言ったが、俺は「仕事終わらないんだから仕方ないだろ! あんたが就けって言った仕事に就いた結果がこれなんだよ!」と内心キレていた。
仕事をすること自体が技術を学ぶ勉強であり、それを放り出したら一人前になれない。当時はそう思っていたし、今でも残念ながら他のステップアップ法は思いつかない。
普段は目覚ましかけて自分で起きているのだが、その時は母親に対して怒った。何で起こしてくれないのかと。
母親の答えは、疲れているのだからゆっくり寝かせてやろうと思った、というものだった。俺はそれ以上話をする気がなくなり激怒しながら職場へ行って、先輩や上司やお客さんに謝り倒した。
あの頃から随分時間が経って、その寝坊事件については、「なるほど社会規範を破ってでも体を休めさせようとしたのか」と今なら分からなくはない。が、やっぱり今でも起こしてほしかったと思う。
一日よく寝たところで労働環境は変わらないし、職場で白い目で見られダメな奴のレッテルを貼られるだけ。転職してもこの業界はどこも同じようなもの。
うんと場末ではもう少し楽な所もあるが、そういうところでは技術を学ぶのは絶望的だ。
ある程度の技術を学んだ今は、場末の楽な場所に転職してだいぶ楽な暮らしをしているが、最初からその手を使っていたら、何の技術も知識もないまま技能職としてふるまう上辺の態度だけを身につけ、ほとんど詐欺師のような反社会的な存在になっていただろう。
親としてはそれでも健康に暮らしてほしいのかもしれないが、俺はやっぱりそんなものになりたくはない。ゾッとする。母さんはそれでいいのかよ!と言いたい。
こうしてある程度落ち着いて過去の話ができるようになった今は、親の方がもう痴呆症で碌な話ができない。
情けないことだが、俺は本当は、親に「良く頑張って立派な社会人になった」と一度でも言ってほしかったように思う。
実際はそういうことは一度もなかった。あまりそれを口に出すような親でもなかったから仕方ないと言えば仕方ない。
が、結局俺は、一人前の大人として母親を満足させてやれたことは一度もないのかなあ、という気持ちは消えない。
ネットを見ているとちょっとこれはヤバイと感じる記事やコメントが目につく。
たとえば「子供が誰も結婚をしなくて不安だ」とか「このままでは孫を見れそうにない」とか「子供が寂しい老後を過ごすと思うと辛い」という50代以上の親世代の相談に対して、噛み付くわ噛み付くわ、「そんな考え方は古い」「子供は親の所有物じゃない」「親のために孫を産むんじゃない」「そんな考え方を押し付けられたら結婚できるものもできない」絶好の獲物が現れたとばかり叩くわ叩くわ、見ていられない。
叩く方も大人だと思うが、なんでこう老親の気持ちを思ってやれないのかと思う。
こう思ったのはツイッターに流れてきたこのベストアンサーを読んだからなのだけど。
http://okwave.jp/qa/q4474472.html
何が恐ろしいって
自分が死んだ後
我が子が病気やケガをして苦しい時
一人ぼっちで苦しみに耐えているところを
想像することです。
我が子が年老いて死ぬ時に
誰も側にいずに
それを思うと親は
自分は一人きりで死んでもかまわない
叫んで走り出したくなる恐怖を感じます。
「自分の人生は自分のもの」「どうせ死ぬときは一人ぼっち」「結婚なんて金の無駄」…よく分かります、言いたいことはよく分かりますとも。
その中の義伯母(義父の姉)親子っていうか、
義伯母の息子夫婦(夫には従兄にあたる)がうざい。
義伯母は明るくて子供好きで、いい人。
年に1〜2回しか会わないうちの娘や私のことを
「こんなお孫ちゃんほしいわ」とか
「こんなお嫁さん羨ましい」とか
人前で褒めてくれるし、
お年玉もたくさんくれるし、
こっそり私にもお年玉くれたりするし。
笑顔で話はするけど、上っ面。
もっとお姑さんを見習って気を使えばいいのに、
うちの娘の名前も年も覚えてない。
以前、それをちらっと夫に言ったら、
年に数回しか会わないんだし、
夫には娘1人しかいない。
義姉みたいに3人も子供がいるならあやふやでも仕方ないけど、気遣いが足りないと思う。
きっとみじめだろうから、可哀想な人なんだと思って、
その時は我慢した。
今年の1/1、義父母の家に義姉一家とうちで集まった時、
すぐに電話をかけたら、義伯母が出て快く来ていいよと言ったのに、
本当だったら、去年のうちに向こうから招待すべきなのに連絡もなく、
こちらから連絡してあげたら断るとか
本当常識を疑う。
あんまり気にしてなかったっぽい。
もう付き合いたくない。
母親を満喫したいけどできないストレスっていうの?ママタレ的な幻想が先にあってそれを実現できない自分の周囲の環境にイラつくわけ。
何かしら手作りして子供に与えて、そんなのより出来合いのお菓子の方がいいって言われてブチ切れるみたいな。
これが異性関係なら不味い料理でもお菓子でも相手はおいしいって食べてくれるけど、子供はまずいって投げ捨てちゃうの。
そりゃブチキレですよ。なんで私の親心がわからないのって、手をかけようが不味いものは不味いし不快なものは不快だっていう、子供の率直な感想を受け入れられない。
きっと、日経新聞嫁といってきた方は、「さっさとSEだけできる人から脱却して、マネジメント側/仕事取ってくる側/仕事作る側に移行してね!そっちがバラ色だから」という親心で言ったと思われ。
現行のままのSEの未来とかを予想してんじゃないかな。将来部下抱えて仕事取ってくる/作る側にはいると、日経程度の他業界の流行り/動き/常識を普段から知ってることが大前提で、もうかってる他業種のどこからどうやってSEの仕事取ってくるかの才覚が求められるし、上司としても誰かを仕事取ってくる役割に抜擢しようにも、現状にて全くそういった話ができない人を抜擢はできんわな...これは歳を重ねるとじわじわ効いてくるで。実感わかないようなら、経営コンサルの本とか乱読するのも良いんじゃないかな...経営者がお金だしてくれる(仕事くれる)方面は、実はどういった方向かというのが判ると、日経新聞は未だコスパからみて捨てたもんじゃないかも。
2013年7月 そもそも健康には自信があった。56歳。高血圧と高脂血症で治療中であったが、それほどほったらかしていたわけではない。
まずまず真面目に治療は受けていた。ジムに週二回通って筋トレ(ウエイト重め)とエアロバイク600kcal/100分をやっていた。
また、ソシャゲにはまっており、一日3時間くらいはやっていた。仕事は自営業。基本は座位。一日実働6時間。通勤時間は5分。通勤手段は車。
酒は毎日。焼酎やウイスキーをロックで飲むのが好みだった。たばこはやらない。やったこともない。家族は、父親心筋梗塞87歳発症。
ある日、嫁と市民プールで遊んでいた。ふと真面目に平泳ぎ(唯一人並みに泳げる種目)をしてみたところ、右足に激しい痛みを感じた。
歩くのもやっとという程度。次の日には腫れ上がって赤くなっていた。左足の倍くらいかな。肉ばなれだと思って湿布をはっていた。
この時はこれが大騒動の始まりとはとうてい信じられなかった。
親戚の整形外科に電話で相談してみても、まあ肉離れで全治2か月と言われたので、我慢することにした。
肉離れは二か月たったが、まったく良くならない。埒が明かないので、そろそろとジム通いを再開した。
11月の19日には通常どおりジムワークをやってみた。実はこのころ、体を動かすと動悸が打つようになっていたのだが、息切れまではしなかった。
通常どおり、エアロバイクを100分やってみたが、脈拍は特に変わりなかった。異変は21日朝にやってきた。
朝、顔を洗っていた瞬間、意識不明になったのだ。
気が付いたら、嫁が救急隊に電話をかけていた。やっとの思いでそれを断った。
一週間くらい我慢して仕事をしていたが、体を動かしたときの息切れがおさまらない。とうとうあきらめてこの日、病院に行った。
CTを取ってもらったところ、肺梗塞と、右足の深部静脈血栓症で、いつここからまた血栓が飛ぶかどうかわからないので、入院が必要だとのこと。
即日入院となった。治療は、ヘパリン持続点滴。酸素吸入。5日間入院して、仕事の関係で退院にしてもらった。
退院後、二週間で血栓はやや小さくなっており、CTでは肺梗塞も小さくなっていた。
12月の受診では、下肢の血流はだいぶ改善しており、三カ月分の薬をもらって帰ってきた。
反省。お前ら次のことに気をつけろ。
1)重めの筋トレ良くない。ウエイトは軽めで、その分カールを深くするほうが良い。
2)週二回、多めに有酸素運動をしたからと言って、運動不足ではない、ということにはならない。
3)酒は良くない。特にロックは悪い。酒は身体を脱水にする。水分取るべき。
4)とにかくじっとしているのは悪い。こまめに足を動かすべき。
5)病院で聞いた話。20代でもゲーム狂いが肺梗塞になるらしい。若いからと言って安全ではない。
ま、無事で長生きしてくれ。
掛け算順序問題を見ていて感じる根本的な疑問は、
「なんで小学校の先生をまず信頼するというところから議論を始めないの?」
ということに尽きる。
たしかに、交換法則を教えたうえでなおも「順序」にこだわるのは明らかに合理性に欠けているように素人目には見える。
でも、自分には理解できなくても、そこに何らかの合理性があるからそういうことをやっているはずで、その合理性がどこにあるか。仮に数学の専門家でもその合理性がすぐ分かるかというと分からないと思う。
だって、数学者は数学の専門家であって、算数を小学低学年に教える専門家じゃないから。
小学校における算数の教育に詳しい人、現場の先生たちがそれぞれ議論するのはいいことだと思うし、それはそれで分かるけれども、今ネットで言われていることはそうじゃない。
はっきり言えば、小学教育の専門家を軽視しているだけで。ほとんどがそういう議論じゃないんですか。
もっとはっきり言うと、あれでしょ。みなさんあれこれおっしゃるけれども、問題は「A×B も B×A も正しいからそのように扱え」ということじゃなくて、
「おかげで理不尽な減点をくらった」
云々というのが
「許せない」
という「親心」の発露、以外に何があるのか、全く理解できない。
さらに、この「親心」という極めて私的な感情の問題を(僕にはこれは「親心」ではなく、「単なるエゴイズムの発露」にしか見えないんだが)、
という公的な問題にすり替えてしまいさえすれば、それが立派な正義になってしまうわけで、その正義を構築する議論の過程では、論者は必ずしも子の親である必要は全くない。単なる「(親)バカ」の議論を、社会的・公的な議論にすり替えてやればよいだけだ。
小学校の先生にも質が色々あるでしょうし、親が一切口を出すなとも全く思わないけれども、
「どういう合理性があってこういう教育がされているのかよく分からないが、小学教育の専門家であり現場で苦闘している先生がたをまずは信頼しようじゃないか」
とだれも言い出さないあたり、ああなるほど、小学校の先生ってこれほどバカにされているんだなーと思いますね。なるほど、教育が軽んじられるわけですよ。先生をまずは尊重しないんだから。
掛け算には順序があるよ (順序肯定派)
| └─ 教科書もそう書いてあるんだからそうなんだよ (教科書固執派)
| └─ 学習指導要領にもそう書いてあるよ (実は書いてない派)
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├― 理解を深める、理解力を測るために必要なんだよ (教育論派)
| ├─ 根拠はあるよ (根拠教えて派)
| | └─ 日本の数学の教育水準は高いよ (相関因果混同派)
| └─ 根拠は無いよ (論外派)
| └─ 逆に順序がないという証拠を見せろよ (悪魔の証明派)
|
| ├─ 授業の終わりまでだよ (不正解否定派)
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| └─ 不正解を貰うことで子供は考えるよ (正解を不正解にする派)
| └─ この程度で萎縮するようじゃどの道挫折するよ (マッチョ派)
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├― 逆が正解だよ (変則肯定派)
|
├― 順序に反対したところで教育現場は変わらないよ (消極的肯定派)
|
|
└― 受けと攻めははっきりしておく必要があるよ (カップリング派)
掛け算に順序はないよ (順序否定派)
|
| ├─ 数え方で順序は入れ替わるよ (トランプ配り派)
| └─ 面積を教えるときどうするんだよ (縦横派)
|
| ├─ 不正解にすることで子供が萎縮するよ (萎縮危惧派)
| ├─ 順序を重視するなら問題文に記せよ (無記述否定派)
| └─ "×"を使わず独自の記号を使えよ (算術記号原理派)
├─ 算術記号の"×"と言語の"掛ける"は別物だよ (算数国語分離派)
| └─ ×は「掛けるまたは掛けられる」という算術記号だよ (新定義派)
├─ 順序は教えるための道具でその場限りのローカルルールだよ (順序道具派)
└─ 順序があるとする根拠が何も無いよ (根拠見せろ派)
その金額差の理由は、あなた(の会社)のことをシステム屋がまだ知らないからです。
システム開発ってのは、どういうものを作るかっていう設計書が「きちんと」かけてしまえば、もうほとんどすべての仕事が完了したって言えるものなんだよね。
自動車に例えると、コンセプトデザインから設計図から工場から何から何までほとんど全部がシステム開発に相当し、最後に納品されるサーバとかDVD-ROM一枚とかが、自動車そのものに相当するわけ。だから、「こういうのがほしい」「じゃあそういうのを作りましょう」ってのがきちんとわかるのは、最後の最後なの。
「ここで日付と金額と担当者名を入力すると……」みたいな部分があった時に、金額は数字だけ受けつければいいのか、カンマで三桁毎に区切って入力したら(綺麗に表示されたデータを画面からコピペするとよくそうなる)エラーにするのか、全角文字の数字はどうするか。
担当者名は、結婚して姓が変わった時に、担当者レコードのデータを新しい姓に変更することはできるけれど、姓の変更後に過去のデータを表示させた時には、やっぱり結婚前の姓が表示されないと困る?(ってことは担当者ごとに名前の履歴を持たないといけない)
日付として(いまどきあり得ないけどテキストで入力するとして)12月32日が入力された時にどういう動きをするべきか。カレンダーを表示させてクリックすれば入力できるようにしたい?祝祭日は赤で表示しましょうか、じゃあ会社の創立記念日は?え、社長の誕生日は一献染(いっこんぞめ)色?ログインユーザごとに直属の上司の誕生日と結婚記念日も覚えさせて色を変えたいたいだって?(直属の上司って「必ず」「単数」で存在すると仮定していいの?)
ログイン画面で間違ったユーザ名か間違ったパスワードをいれた時に、ユーザ名かパスワードが違うからログインできない旨を表示するエラー画面に「遷移するまでの時間」が書いてある?時間が短いと、悪党が社内に侵入した時にブルートフォースアタックされやすくなっちゃうけど大丈夫?
そこまで明確に記述されてるものが「きちんと」書かれた設計書って意味ね。そういうありとあらゆることを決めて行くのが、システム開発。
「そういうのはどっちでもいいし、カンマを受け付けないならそういう風に運用しますよ」って言ってくれるなら、(そして12月32日問題その他もすべて任せてくれるなら)金額は安い方で収まる。ただし、本当にそれでシステムが使い物になるのかは誰にもわからない。
そのような事柄すべてに対して、あなたの会社独自のルールを載せて行くなら、金額は高い方になるか、あるいはそれじゃ済まなくなる。
システム屋さんは、あなた(の会社)がそんなことをたくさん要求してくるかもしれないという可能性を捨てきれない。まずないとは思ってても、絶対はない。「あの客はまだわかってないから、この程度のシステムでいいって言ってるけど、きっとxx取引の入力が成されたらそれをメールでも伝える仕組みを入れてくれって言ってくるぞ。その方が絶対便利だし、予め価格に入れておこう」っていう親心みたいな理由で高い値段を見積もることもある。
http://hamusoku.com/archives/8067863.html
DQNネームの歴史を塗り替える衝撃のDQNネームが爆誕wwwwwwwwwwwwwww
TLに流れてきたので何気なく覗いたらすごいことになってた。
なんというか、なんにもいえないこの感じ。伝わってますか?
ねらーの方々の反応が正常な反応だと思いました。釣りだと良いんですが。
こういうDQNネーム(巷ではキラキラネームとオブラートに包まれてますが)は、
一体全体どういう流れで生まれて、どうして無くならないのでしょうか。
いつの時代から生まれたのかは定かではないですし特定もできないですが、
社会問題として取り上げられた「悪魔ちゃん」の頃から顕著に表れてきたんでしょうか?
正直いつごろなの分からないですけど、結局悪魔ちゃんってどうなったんですかね?
まあそういう「悪魔ちゃん」みたいな「他にはない」という点で名前が決められてるように感じます。
そういう意味ではゆとり世代が親になり始めた頃から増加し始めたと言えるかもしれません。
まあ上記の「オンリーワン」感でつける親も少なからず居ると思うのですが、
「かわいい」「かっこいい」という単純な(わかりやすい)理由でつける親も多いのではないでしょうか。
ファッション性というか、まあいわゆる親の自己満足の世界の話ですが。
そういう事を考えていくとDQNネームをつけてしまう親も得てしてDQNだと思いますが、
そのヤンキー性で、自分の子どもを私有化しようという気持ちがあるように感じます。
マーキングというか、ヤンキーの縄張り争いなどと似たようなものですね。
「我が子」だから「自分」の子どもだからと言って「親の勝手だ」というのはカンタンです。
ヤンキーというのは基本的に世襲制ですので、よほどのことがない限り周りの親族や友人も
DQNネーム歓迎ムードだから「さすがにその名前はヤバくねwwww」という風に止める人物は皆無かと推測できます。
いや「さすがにその名前はヤバくねwwww」と賛成する人のほうが多いかもしれませんが。
子どもの立場に立って考えてみると「たまったもんじゃない」というのが本音でしょうが、
子どもというのはつまり、自分な訳です。世襲してきて次世代に受け継ぐまさにその瞬間な訳です。
その時に脳裏をよぎるのは「俺と同じように生きて欲しい」というような親心で
似たようなDQNネームをつけてしまうというサイクルが出来上がってしまっているのかもしれません。
ブラック企業であるような「俺にも出来るんだからお前らにも出来る」のような恐ろしい考えと言えますが、
そこに愛情がある分劣悪な環境に落ちていくスパイラルではないので安心出来るでしょう。
んーまああくまでも自分個人としての考え方なんで。
親も所詮は人間だし、ホモレズやだとか障害者ヤダとか不細工ヤダとか馬鹿ヤダとかニートヤダとか、差別問題に関わらず子供にこうあってほしいってエゴを持つのはしょうがないと思うんだよね。
そのエゴにかなう生き方を子供に押し付けたり、そのエゴや差別感情を親心だなんだと言ってさも正しいもののように刷り込むような真似がクソなのであってさ。
上みたいな男性のゲイのたとえで書くと、自分は1と4と6と7と8は許せる。2と3と5の親はクソだと思う(3と5は明確な虐待親だがイスラム圏みたいなヘイトクライム全盛でもない国で2みたいなことを抜かす卑怯な親は個人的に大嫌いだ)。9が出来るのは理想だけど、そこまで出来なくても別に構わないし、4と6と8ができたら充分に立派な親だと思っている。
http://anond.hatelabo.jp/20130603205418
「娘がリア充に育ったらどうしようかと悩んでいる」の元増田です。
どうせすぐ流れるし増田だしと思ってキモい心の沈殿物を書き散らかしたら、思いの他の反響でビビりつつ、皆さんの真摯なコメントやはてブにいたく反省しまして、今度は真面目に考えてみた。
嫁は実在するかとか、娘が本当にスーパー美少女なのか超絶に可愛いだけなのかとかはご想像にお任せするしかないんだが、非リア出身の親として子育てに不安を覚えるのは結局2点です。
まず、基本スペック上位コミュニティ用の対人基本動作を伝えられないこと。
人生ハードモードとイージーモードの場合で、最適なプレイスタイルは違うと思う。
例えば、人から好意をどれくらい受けやすいかで、優しさの表現は変わってくる。
ほら、可愛い子が迂闊に消しゴムとか貸したら、男は勘違いして告白して壮絶に拒否られて「思い込み激しすぎてすごくキモいよ」とか人づてで言われたりよくするよね。しませんかね。
他には、3人以上の人間関係で、嫉妬したりされたりするのを躱したり受け流したりするテクニックとかあるんじゃないの?よく知らないけど、アニメによると。
こういうのは言葉ではなく、親の背を見て覚える類のものである以上、どう足掻いても無い袖は振れないので、娘が本来のスペックを生かしきれずに、無駄な生きにくさを味あわせてしまわないかと心配なわけです。
嫁が意外にうまくやるのかもしれないが、嫁こそがスペック無駄にして変な男に引っかかった実例ではないかと個人的に思っているので…。
もう1点は、最初のとちょっと二律背反的だけど、どんなに恵まれた立場でもなるべく優越感を歪ませないでほしい。誰が相手でもできる限り対等な立場で接するようになってほしいんだけど、これも優越感どころかむしろ卑屈だった俺には、何をどう教えればいいのかわからん。
逆に、いじめ被害経験者の親心から、引っ込み思案よりマシと思ってそこそこ自己主張をするように誘導しちゃってるので、行き過ぎていじめる側に回らないようにするはどうすればいいのかと。
まあ元増田で書いたとおり、今後へちゃむくれに育ってしまったならば、そういう人生の乗り越え方については、大船に行ったつもりで安心してくれればよいのだけれどね!
自分でもよく驚くけれど、ぼくは人生の選択肢として結構簡単に「死」をあげる。自分自身でもかなり歪んでいると思っている。ぼくにとって「死」というのは、「もし人生に行き詰まったら?」「そうしたら死ねばいいよ」というくらいのポジションのものなのだ。
普通の同い年の若者はきっと、自分が死ぬとか自ら死を選ぶなんて常日頃から意識していないだろう。いや、同年代の若者を例にあげるまでもなく、自分の価値観は相当おかしいのだと思う。でも、生まれてこのかたずっとこの考えだったので、なにがおかしいのかいまいちよく分からないのだ。だから、今までこんな状態なら死んだほうが楽じゃないかと思うほど辛いことが何回もあったけれど、その度に死を選んできた。
結局、幸か不幸か死に切れずにこうしてこの文章を書いているということは、ぼくの考えなんてただの飾りで、本質はただのかまってちゃんのメンヘラクズ野郎だったのだろうけれど。でも、自ら死を選ぶことの何が悪いのか、本当によく分からないのだ。
周りの人間は自ら死を選ぶなんてとんでもないと言う。でも、ぼくが死を選んだほうがまだマシじゃないかという状況に置かれた時、ぼくの手助けを出来る人は誰もいなかった。八方塞がりでどうにもならない状況の中、周りが手を差し伸べてくれる訳でもなく、ただ自ら死を選ぶなとだけ言う。でも、それはとても無責任じゃないだろうか。
もしかすると、周りの人間に助けを求めようとすることそれ自体が甘えなのかもしれない。結局自分の置かれた状況は自分にしか変えられないから。だとしたら、「あなたがどんなに辛く苦しい状況にあっても、私にはあなたになにも出来ないけれど、死を選ぶのは許しません」というのもよく分からない。君のエゴでぼくが生殺しにされる意味が分からない。
また、自ら死を選ぶのは産みの両親に申し訳ないという意見がある。だが、ぼくの両親はことあるごとにぼくに死ねと言って暴言や暴力をはたらいていたから、ぼくが死んだところで、思惑通りといったところであろう。それでも自分の子どもが死ぬというのは悲しいのであろうか。かつてぼくが自ら死を選んだとき、母親は泣いていた。そのような親心もまた、よく分からないものだ。
ちなみにぼくは8年前から病気になり、学校もろくに通えないまま、10代の貴重な時間だけが過ぎた。ぼくはいま大学生だけれど、病気が治って人並みの生活を送れる見込みもないし、人並みの生活が出来ないおかげで大学も退学一歩手前である。もし退学になれば、高校にはほとんど行けずに中退したので、中卒で社会に出ることになる。「若者は人生まだまだこれからなんだから、そんなに悲観しなくても大丈夫さ」と周りの大人は無責任に言ってくれるけれど、ぼくにとって人生というのは、8年前いまの病気にかかったときに終わったようなものだ。
ぼくはこの文章の冒頭で、ぼくにとって「死」というのは、「もし人生に行き詰まったら?」「そうしたら死ねばいいよ」というくらいのポジションのものだと言った。まさしくその人生に行き詰まったときがいまなのだ。あまり通えていないけれど、大学で良い思いもさせてもらったし、そろそろ潮時か、などと考えることが最近多くなった。周りの人は相変わらず、自ら死を選ぶなんてもってのほかだと無責任に言ってくれるけれど、もし、ぼくと同じ状況におかれたとしても、同じ言葉が言えるだろうか。
自分は日経新聞を取っているが、日経には「朝日小学生新聞」「毎日小学生新聞」に類するモノがない。
強いて言えば、土曜日朝刊の4ページ建て「ニュースクール」のページだが、内容的にはやや高度である。
(小学5~6年にならないと理解できないような内容。漢字も基本的にルビはない)
別にカネに困っている訳でもないので、まあ仕方ない、小学生新聞を取らざるを得ない、と覚悟しているのだが、
ふと思ったのは、
「このネット時代、新聞を契約しなくても、特に支障ない」と言われながら、各紙ともに
なんとか生きながらえている、最低限の部数は確保しているのは、実は
「親が、子供への教育対策上、新聞を取っている」という家庭が、意外と多いからではないか?
「本を読みなさい」「活字を読みなさい」と子供に言い聞かせるには、まずは親が範を示す必要がある。
子供へ「示しを付ける」がために、新聞を購読する、という世帯が、案外多い気がする。
もっとストレートに、「中学・高校・大学受験に出るから、新聞読みなさい」と子に勧める親もいるだろう。
(朝日新聞は、露骨に受験対策を前面に打ち出した宣伝している)
親という生き物は、子供の為には、カネを惜しまない傾向にあるから、新聞社も親心理につけこめば、
しばらくは生き永らえるだろう。
実は「環境商品」も、これに似ている。
「電気代がトクになるから」と損得勘定で導入する人も確かにいることはいるが、
イニシャルコストの割高さを考慮すると、後々のランニングコスト削減でも取り戻しきれないケース、
にもかかわらず、損してしまう環境商品を購入する層が、一定比率存在する。
[コラム]”「思いを父に伝えたら泣かれました」”に対するモヤモヤ
http://topisyu.tumblr.com/post/43015738463
いやもう、元増田ですがとんでもないホッテントリになった上に元トピ職人様からもツッコミ頂いてしまった。トピ職人の方には「あのトピは○○という部分から見てネタです。大量に釣られたコマッチャもろともあんなネタトピにマジレスしてご苦労様ですね。」などと書かれたらどうしようと不安になっていたので、まさかの真摯なご意見を頂いて余計に恐縮している。
追記に書いた通り、あの文章は滅茶苦茶に書いては消しまくったものなので、当初色々な主張をしていたのをなるべく短く1つの主張としてまとめるため、小町元トピの自分による発言のまとめの方向性がかなり恣意的だったり、トピ後半にあるトピ主の姉と父親の反応について、自分の見方が厳しすぎるんじゃないかというのは自分でも思いました。絶対元文ちゃんと読んだはてブの誰かから突っ込み入ると思ってた。
元のトピには、親父可哀想だから謝れという意見、いや結婚しろとうるさく言った親父がバカなので謝らなくていいという意見、男って容姿重視ですよね現実は非情ですという意見、人間は容姿だけじゃない甘えんなボケという意見、さまざまなものがあった。
ただ「トピ主の容姿と心が歪んでると言うお前の心の方が明らかに歪んでね?」と思うような酷い人格否定(のみ)のレスや、「お父さんは貴女が自分のせいで結婚できないと一生悩み続けるんでしょうね」という陰湿な当てこすりレスの投稿者欄に、男性名または「○○代既婚男性」「子持ち男」等の属性が目立ったことから「これらは不細工な父親の逆ギレだろうな、汚いさすが父親きたない」などと想像しブチ切れつつ書いていたので、元増田で父親叩きに偏ってるのはこれが理由です。
一方「お父さんから謝ってくると思いたい」と優しくレスしているお父さんもちゃんと中にはいらした。これはその方の名誉のためにも追記してお詫びしておこうと思います。
最終的にああなってしまったけど、元々最初書くつもりだったのは「人間って自分の目線からは好き放題に人を値踏みするくせに、自分や我が子が値踏みされる側になると急に被害者ヅラして憤ったり値踏みの事実を否定すんのね。エゴねダブスタね醜いね」ってことだった。
トピ主のレスの中に「父を含む男性は容姿で妻を選んできた。その影に容姿で選ばれない女性がいた。自分の娘が選ばれない方になったからって泣くのはおかしい」みたいな一文があって、これを読みながら「なるほど、トピ主の父親は自分は美人が好きなくせに、他の男が自分と同じように美人を好み、ブスな我が娘を選ばないことを客観的に認めらんないわけだなw」と考えた。
ヤリチンの父親が自分は散々女遊びしてきたくせに自分の娘が他の男から同じ仕打ちを受けてるとブチ切れてんのとか、教育ママの母親が自分は散々学生時代に遊んでろくに勉強もしてこなかったくせに、自分そっくりの凡人である我が子には自分に出来なかった猛勉強や高学歴を強要するとか、世の中には大なり小なり似たような構図が沢山ある。
少し話が逸れるが、元トピで男友達もいない34歳のブス喪女へ「まだ若いのに諦めないで!」なんて無責任に声をかけてるトピ中の偽善者どもに「フーン、なら独身の男はこのトピ主と結婚してやれよ。女と既婚者は自分の男兄弟に、子持ちは自分の息子にトピ主を紹介してやれ」と言ってやったら、大半は子供(孫)が欲しいから年齢がとかグチグチ言い訳して嫌な顔するだろうからさぞ愉快だろうと思った。
自分が身勝手なエゴで他者を欲望することと、自分や親しい人を他者の同様なエゴに晒されて憤ることのダブスタは誰しも身に覚えのあることだろうから、それ自体を責めるのはあまりに厳しいのかもしれない。
でも自分は『そのダブスタが醜いということぐらい理解しとけよ』と思う。それが親心だとか、それが人間の本能だなんて綺麗な言葉で自分の醜さを誤摩化す卑怯さがとても頭に来る。
どうせ伴侶にするなら誰だって自分好みの優れた個体がいいに決まっている。でもそれは自分以外の人間も同じことだ。あなたがテレビの芸能人を「なんだあのブスw」と気軽に罵倒するとき横にいたあなたの可愛い娘は、他の男から同じようにブスと罵倒をされている。よその娘の容姿を罵倒したあなたに本来それを憤る資格はない。
あなたは自分のエゴを通すために、家族への暴力や不貞やモラハラなど誰でもやっていることだと一般化し正当化するかもしれない。でもそれは自分以外の人間も同じことだ。あなたが「男はみんな浮気をやっている」と言うなら、あなたの父親も祖父も曾祖父も先祖代々の浮気者で、あなたの息子は浮気者に育ち、あなたの娘は浮気者と結婚して泣かされる妻に絶対なるのだ。あなたの父親だけが不貞と無縁な清廉潔白の男で、あなたの娘だけが真面目な男と結婚できるなんて醜い主張は他人には通用しない。
身勝手なエゴを通す権利があるのはあなたとあなたの家族だけではないことぐらい知っとけボケ。鏡見ろや。
と最初書こうと思っていて、これはひどいルサンチマン丸出しやでと考えて消したのだがやはり書いてしまった。もうこの際恥はかき捨てだ。
仰る通り、でも職人さんが元増田から推測なさったとのはちょっと違う形で自分には生育環境に対する思うことがあったけど、どっちかというとそんなわけで当初は(ぶっちゃけ親子関係にすら限定せず)平気でダブスタまみれの主張を喚きちらす奴らを連想しながら書いていました。
元トピの人もそうと誤解されているけれど、言いたかったのは「劣った人間が子供を持つのは間違いだ」ではないのです。
「子供を持つなら、その子が世間の客観的な目から見て、劣った人間と値踏みされるかもしれない非情な現実をちゃんと見ろ。お前が我が子と同レベルの他人を劣っていると日頃当たり前のように値踏みしている非情な事実をちゃんと見ろ。それを見ないふりして親まで我が子に『人並みの人生』を強要し、それができないのを後ろから撃つな」と言いたかった。
「子供に人生観押し付けて来る親うざい」に加え、今回は「ダブスタ師ね」の2点の主張としてどうにかまとめました。相変わらず長いうえ元文と違って全然推敲してないのですごく読みづらいと思います。取り急ぎすみません。
…………
もう本当に本当に正直に、めちゃくちゃな大炎上覚悟で「自分棚に上げて女叩きしまくってるダブスタ男女厨は全員死ね」と思いながら書いたことを書いておくわこの際。これ以上言うことはない。「生育環境よりもこのネット上では隠しておきたかった最後の本音」だ。
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2010/0131/291550.htm
最近あるきっかけで、だいぶ前に立っていた発言小町のトピを思い出す機会があって久々に読んでみた。
要約すると、不細工な父親と美人の母親の間に生まれた父親似の高齢喪女が、お洒落や婚活をどんなに頑張っても彼氏はおろか男友達にすら恵まれないでいたところに、父親が「いい加減結婚しろ」としつこく言ってくるので「オメーに似たせいで一生結婚できねーよ!」とブチ切れたら父親が泣いた、母親似の美人で無神経な姉貴が親父に謝れと言ってきてウザイという話。
自分は「お前の遺伝子のせいなんだからお前が謝れよw 自分似のブスに結婚結婚と無理ゲー強要してた自業自得なのに何被害者ヅラして泣いてんのこの父親www」とまず父親に対して考えたのだけど、意外と世間の親って自己中なのね。
「父親が可哀想だから謝れ、結婚できないのはお前の性格が歪んでいたり努力が足りないからで親のせいじゃない」という、トピ主への説教や非難の方がずっと多かった。
子供の立場の人が自戒を込めてそう言ってるのには頷けないこともなかったが「幼い我が子が将来トピ主と同じことを言うかと思うと悲しくて泣いてしまう。お父さんに謝れ」なんて、自分似の娘を持つ不細工な父親とおぼしき連中が泣き言をほざいているのを見た時には軽蔑の気持ちで一杯になったわ。
自分に似たせいでいじめられ、いくら望んで努力しても結婚できず辛い思いをしてきた娘の30年もの心の傷より、たった一回(自業自得で)娘に返された言葉の傷の方を大げさに痛がって、我が子に謝りすらしない。「自分のせいでブスになって/結婚できなくてごめんね」まではどうかと思うが「余計な干渉をしてごめんね」「つらい気持ちに気付けないでごめんね」とすら言えないとは。
不細工や貧乏や無能は子供作るなとまでは言わないけど、自分の都合で子供に大きいハンデ背負わせておきながら、結婚だの子作りだのが誰でも出来た昭和時代の尺度を子供に押し付けて、これが正義の親心でございとふんぞり返られるのは見てて非常に気持ちが悪い。
「(何も錘を付けてない)あの子たちと同じ速さで走れるのが普通なのにお前は何故出来ないんだ」なんて、我が子の足に錘を付けた張本人が普通言うか?
「落石や落とし穴といったアクシデントが他にも沢山あるのに、錘ひとつを理由に走れないというのは甘え。足に錘がついてても死に物狂いで速く走っている子もいる」という説教が仮に正しくとも、錘を付けられて思うように走れない子供と、錘を付けたうえ『速く走れと強要している』親、ほんとに同情されるべきはどっちなの? って感じ。
ハンデ付けた張本人はせめて黙れよ、どうにかノロノロ錘を引きずってる我が子の後ろ姿を黙って見てろよと思うのは、子供のいない人間の理想論ですかね?
ほんの一部についていた「私なら子供に謝る」という親御さんのレスが、まるで地獄で仏を見たような気分だった。
※追記※
リンク元のトピを思い出したきっかけは「不細工やブスは子供が可哀想だから作らない方がいい」という、煽りなのかマジなのか微妙なレスを某所で見たことだった。『不細工が作った可哀想な子供』の立てた件のトピを連想し(自分が「こんな容姿能力諸々が劣った人間が子供を作ったら可哀想だ」という考えを持っていることもあり強く印象に残っていた)、久々に読んだ結果がこれだ。
改めて全文読むとおそろしく心に突き刺さることがいくつも書いてあったので、本当は上記以外にも色々なことを3倍くらい考えて書いては消して、(この内容ですら)一番穏当なところを残したので、もうトピを思い出した理由と増田本文があまり関係なくなってしまっている。そのぐらい滅茶苦茶に書きなぐりまくった残骸がこちらになります。
時間のある人は出来ればこんな乱文の増田ではなく、リンク先の「トピ主のみ」だけでも読んでもらえたら有り難いです。多分、いろんな立場の人がものすごくいろんなことを考える機会になるトピだと思うので。