はてなキーワード: 自責の念とは
そもそも親は私のことを小さい頃からずっと「バカ」と言い続けてきたし、ブスな上に努力もせず、ボーッとしてる上に人付き合いが苦手でいじめに合い……周りから奪われる自信と、それをはねのける自分の精神力の無さが原因だと自分では思っている。
親や周りの人間への怒りと、自責の念が交互に出てきて、ずっと頭の中でグルグルと回って動けなくなる感じ。
自分の場合は、「過去の自分辛かったよな。あんな環境でよく頑張ってたよな。偉いよな。」って心底思えたら、一歩先に進めた。
誰かのせいにするでも無く、自分のせいにするでも無く、全部仕方なかったことだけど、そこには確かに頑張って耐えていた自分が居たと認めること。そんな自分を労ってあげること。
もし次メンタルクリニックに行く機会があったら、幼少期〜思春期にこんな辛い体験をした、という視点で話してみたらどうだろう。
大人になって起こる不適応は大体生育歴に原因が潜んでるって最近はもはや常識だし、医者やカウンセラーもちゃんと聞いてくれると思うよ。
仕事が普通にできて(多分そこそこの企業)彼氏がいて近々結婚する
はー羨ましい
これで欠点ないのか?ってなるけど本人が欠点だと思っている部分は別に欠点でもないんだよな
そこに関するトラウマもあるけどそれ以外は全てに置いて恵まれてると思うからもうトラウマなんてあっても変わらないんじゃないかと思う
ちょっと前までは苦手なことを頑張ろうとするヒロインが可愛いなあと思って読んでたけど
軌道に乗り始めて?からの生活がすごい自分との落差を感じて読んでてしんどい
たかが漫画のキャラクターなのになんでこんな思うんだろうと考えたけど
一つは自分が成人して性格以外のスペックが比較対象に入ってきたから
彼氏や親、友人などの関係性や勤めている企業や仕事内容やポジション、同僚など
あと成人して漫画読むと学生や子供が主人公の漫画ってもう微笑ましいんだよね
あー頑張ってるな、とかちょっと意地悪するタイプでもそういう時期だよね…とか自分が通り過ぎた年代だから同じ土俵に立ってない
でも成人してるキャラクターだと同じ土俵に立ってるから、スペックの違いや差を感じてしまう
性格的な悪さを感じられないし、欠点も欠点として機能してなくてただただ良い性格のキャラクターが良い生活を送ってるだけって言う
嫉妬するんだから自分の生活に満足できてない部分があるんだよな
鬱々してないで満足できてない部分を変えていけばいいんだよ
でもセックスに関しては一人ではできないからそこはもうどうしようもないじゃんね???
だらだら書いたけど多分一番良いなーと思ってるのはそこだ
胸大きくて彼氏から誘われていて、していても多分大きな問題がなさそうな部分が羨ましいんだよ
関わり合いや歩みがちょっとリアル寄り?かなと思うけどセックス関連は別に問題ないよね
フェチ部分が先に押し出されてるからなのか知らんけど実はそこまで気持ちよくないとかそう言うネガティブなリアルな部分はないんだよね、ファンタジーだな
作者をずっと男性だと思ってたけど女性なんじゃないかと言う意見を見て目から鱗だった
ヒロインに対するフェイチズムから男性かなと思ってたけど彼氏の聖人具合から、そっちに理想を落とし込んでるならあり得るか
ヒロインも嫌味がないけど彼氏も一部モブからの評価はあれだけど仕事できるイケメンだから
変な部分で落としつつ、ヒロインの最大の理解者で経済力もあり仕事もできるイケメンなんだよな
最近漫画の中では連載の中で最大かもしれない修羅場があったけどそこも読んでて別に最後はハッピーエンドなんだよなって思って白けてしまった
現実だと相手の考えなんか分からなくて、喧嘩していた時にそこから別れに繋がるかもしれないって言う不安があるけど
あの漫画だとヒロインが自責の念から閉じこもってしまって、そこを彼氏が納めつつ解決に向かうだから
ヒロインなりに頑張っているんだろうけど、なんかすごい周りの人が良い人だなあと思ってしまって、創作だなあと…
最近はてブで若い男性が女性を誘う時に立場を利用したことに自責の念を覚えているという話で盛り上がっていたけど、世の中がこういうふうになると出生率が下がるなーと思った。
自分は40代既婚子持ち男性なのだが、若いときは男女のこういうのってかなりグレーな領域で「イヤよイヤよも好きのうち」とか「押して押して押しまくれ」などという悪習がまかり通ってたんだよね。現在ではそういう悪習はタブーになって女性の権利が向上しているということはとてもいいと思う。ただ、恋愛のシチュエーションでリスクを取る事によってコトが進むというのはよくあることなんだよね。リスクを取って他人の領域に入っていくということが罰せられる世の中ではまともな神経をした若い男の子は恋愛は割に合わないと思っちゃうよね。
だからといって平成の時代に戻って男が女性を性的な目で見てちょっかいを出すというのは許されないとも思う。恋愛のニュアンスに頼ったグレーゾーン的なアプローチは無理なのであれば、何らかの形でルールを作ったほうがいいのかもしれないね。自分が恋愛市場のステージに上っていて「受付中」のようなサインを示すことによって男性も変なことを考えずにアプローチできるのだと思う。
人と人との関係性が時代とともに変わっていくので恋愛にも新しいルールが必要だと思う。そうしないと日本に人が生まれなくなってしまうと思う。
自分の考えをこうやって文字に起こすことすらごく最近まで出来なかったし、未だに喋って自己表現するのは苦手なレベル。
参考になるか分からないけど、自分が母に対して思ってたことを書いてみます。
中学の頃メンタル落ちて不登校になった時、母に「今何を考えてるの?」ってとても優しく聞かれて、なんて答えたらいいか分からなくてずーっと固くなって俯いてたなぁ……って思い出したな。
増田は「何でも言ってごらん」って言うと娘さんのプレッシャーになるかな……って考えて自分を抑えてて偉いね、いいお母さんだと思います。
人間の社会ってコミュニケーションで成り立ってるから、それがまともに出来ないのって本当にコンプレックスだし辛いんだよね。
血の繫がってるはずの母親は喋るのめっちゃ得意なのに、何で自分は出来ないんだろう……って自分を責めたり。
病院に付き添ってくれて、自分の代わりに医師と勢いよく話しているのを聞く度に、感謝はしてるんだけど、自分のダメっぷりを見せつけられているようで同時に悲しかったりもしたな。理不尽な話だけど。
将来のことを考える時、同性の親の姿を見て自分の未来を想像することも多いと思うんだけど、母が余りに自分と違うので(自分はまともな大人になれないのでは……)って思ってたっけ。
てか今でこそ「あの頃の自分はこんなんだったなぁ」って言語化して振り返れるけど、当時の自分の感覚としては、なんか胸の真ん中にギューッと締め付けられるような痛みが常にわだかまっている……って感じだったな。
今の自分は駄目だ、正しくない、何とかしなきゃいけない……っていうプレッシャーと一緒に、何だかよく分からない辛くて悲しい気持ちがグルグルと回ってる……そんな感じ。
思い出語りは程々にして、自分の経験から学んだことをまとめてみる。
一つ目は、娘さんの言語化能力が今とずーっと同じとは限らない、ということ。
人は時間や環境といった様々な要因で成長するものだし、ある時突然声変わりするみたいに時期が来ればいつの間にか出来るようになってた、ってことも起こり得る。
てか自分がそうだったかな。ある時ふと「あれ?前より出来るようになってるな」って気付いたみたいな。まあ今も苦手なんだけど、苦手なりに成長はしてる。
ただ、上に書いたとおり私は「喋れない自分を責める」ことに長年労力を割いてしまったので、そのせいで必要以上に遠回りしたかもしれない。
二つ目は、自己肯定感を落とさないように……ってそれが簡単に出来たら苦労しないんだけどさ。
長い間苦しんだなりに得たものはあった、って思ってるつもりだけど、貴重な若い時間を自責の念に費やしたのは勿体無かったのかな……って後悔することもある。
当時の自分に何て言ってあげたら自信が持てたかな……「喋りが不得手でもちゃんと社会で生きている大人は沢山いるから大丈夫だよ」って分かったら安心したのかな……。
一番いいのは「この人は自分に似ている」と思える大人に出会って、その人がちゃんと社会適応していて、「ああ私もあそこを目指せばいいのかも」って思えたら少し自信になるのかな。
最近読んだ女性ASDの体験記にはすごい共感したので、もしかしたら参考になるかも。
長い上にまとまりが無くてごめん。
母と私は余り似てなかったけど、母は私を見捨てずに奮闘してくれて、そのこと自体が一番の支えになったと思う。
文章から増田が娘さんの辛さを何とかしてあげたいっていうのはめっちゃ伝わってくるので、その想いがあれば大丈夫と思います。
大したアドバイスになってないけど、ほんの少しでも参考になれば。
心療内科に通っては辞め、通っては辞めていたが、「薬を飲んでいるとようやくつらい思いをせずに生活を送れる」ことに気付いたというか、そうしなければ生きられない人間なのだと諦めがついた。通院8か月目。たしか。
心療内科ではなく、精神科にいけば根本的に直してくれるんだろうか?カウンセラーさんは、本職の方には申し訳ないが「考え方を矯正する」もしくは「話を聞くだけ」のイメージ(2,3回通っただけ)なので頼ろうと思えない。でも友人の勧めでとても良い方がいるそうなので、経済的に安定したら受ける。経済的にという単語を出したが、自立支援制度を使っているので医療費は1割負担に軽減させてもらっている。(カウンセリングは自費&高額)
いまは、1日3回各1錠の精神安定剤と、夜寝る前に抗うつ薬(躁うつ病向け)、そして睡眠導入剤を服用している。
薬を飲まない素の状態は、記憶がある限り幼稚園の時から30歳近くのいまも変わらず、「なにも悲しくない、つらくないのに、ただひたすら悲しい、つらい」ために涙が止まらない日が週に何度もあり、授業に出ていても、料理をしていても、電車に乗っていても、ウォーキングをしていても、野菜を食べていても、いつ何時でも涙が出る。
そして常に頭の中が騒がしいのだ。毎日同じことを考える。
「涙が出るが訳が分からない」
「なにもないのになんでこんなにつらいのか」
いわゆるライフハックは知っているし何度も試したし、友人おすすめの動画ワーク(いろいろノートに書きだす系)もやってみた。敏感な人向けの本も読んだし、総括すると「そのままの君でいいんだよ」な本も読んだ。
でも、申し訳ないが、どれもわたしには当てはまらない。自責の念だとか、他人のあれこれが気になるとか、そういう具体的なものではないのだ。わけもわからずパッシブで涙が出る。
いまは一日3回定期的に安定剤を服用しているからなんとかなっているが、これ(最大量)でも涙がでてしまう場合は頓服として処方されている液体の安定剤を追加で飲んでいる。これを飲むと落ち着く気がするというか、「私的最終手段を使っているのだから安定しないはずがない」と思って自分をなだめている。
最近傷ついたことと、まあそうなんだけど改めて言われるとショックだなと思ったことがある。
傷ついたことは、「あなたは薬を飲めばスッキリするけど、相談されたこっちはそうじゃないんだよ」
改めて言われてショックだったことは、「常に薬を服用しない人の気持ちはわたし(健常者)には理解ができないから、アドバイスができないんだよ」
そりゃそうだ、としか言いようがない。
だれならわかってくれる?親は「気の持ちようだ」と大学生のときの私に言い張ったのでもう二度と相談しない。
手術して治るものなら、費用を工面して治してハッピーなライフを送るのに。
薬を飲んでいても泣けてしまう自分が本当にわけがわからない、そして薬を飲まない素の自分は社会生活を送れないのだからいったいどうして生きなければいけないのか、と思う。毎日「なぜわたしは生きなければならないのか」と思う。
さめざめと泣きながらこれを書いている。Tシャツが涙で湿ってしまってもう拭えない。
追記:
創作意欲というのは不思議なもので、ひとたび無くなってしまうとそれが滾っていたころの気持ちというのはどうにも思い出せないものです。
そもそも、創作意欲というものがあったのかさえ分からなくなる。それはとても不思議な感覚で、毎日のように絵を描いていた右手がぱったりと何も描けなくなります。
それが創作意欲の枯渇なのか、もっと根本的な問題があるのか私には分かりません。そういう、新鮮で鬱屈とした日々を半年ほど過ごしてきました。
元々絵を描くのは好きで、それこそ子どもの頃から絵を描いていました。クラスでも1番か2番みたいな、特別上手くもなく不快なほど下手でもないという程の画力でした。
同人誌も作ったし、お金をもらって絵を描いたりもした(もちろん少額ですが)。そういう経験はとても楽しかったし、自分の絵で人が喜んでくれるなんて初めての経験だったのでただただ嬉しかったのを覚えています。
それが、ここ半年くらい全く絵が描けなくなってしまいました。それだけなら良いもの、今まであまり抱かなかった鬱屈とした感情を大いに抱くようになりました。
それまでは上手い絵を見ても良いな~と思うくらいで、お手本にしようと思っていました。何か月でここまでう上手くなりました!みたいなツイートを見てもすげぇ自分も頑張ろうと思えていました。
最近はそういうものを見ても、どうして自分にはこんな絵が描けないのかという自責の念を抱くばかりです。また、常に作品の粗を探すような見かたをしてしまうし、自分にそんな能力ないのに批評家気取りの感想を抱いてしまいます。
今までそういう感情が絵を描くことによってうまく発散されていたのかなーなんて思ったりします。これからはこうやって文章でも書こうかな、これを書いてて楽になってきたし。
どうして絵が描けないのか、というか創作的なアイディアが浮かば無いのかの原因はいくつか候補があります。
1について。私は現在就活目前といった感じで、ほんとは絵を描いてる場合ではありません。その準備、果ては卒業後に生きていけるのかという漠然とした不安がやばいです。
調べても調べても果てが無いし、もう卒論できて内定貰うまでこの不安は消えないしどうしようもない。
2、ずっと家にいて友人も数日に一回通話するだけ。一人暮らしなのでマジで一生一人で考え事する時間が多い。前から一人より人と話すほうが好きだったので割とつらい。
3、絵を描く理由の一つに絵で食うというのがありました。ここ数か月で自分にはそういうのは向いていない、というか、絵を描く上で何を表現したいのかみたいなことを考えるようになってしまいました。
それが無いとこの先絵を描き続けられそうにないという。そういう考えが先行して、前みたいにパッションだけで絵が描けない。べつにおっぱいが大きいだけの絵でもいいんです。頭では分かっているけれど自分が描く意味が分からない。
好きなアニメのキャラをただ描くという、簡単にできていたことが今となってはとてつもなく難しい。
これが一番大きくて、自分が描かなくていいんじゃないかという考えがどうしてもよぎって手が止まります。前みたいに自信満々に描けるようになるといいんですがね。
取り合えず、毎日のように絵を描いていたのに、何か分からんが突然描けなくなった話でした。こういう日々が初めての経験なので、このスランプみたいなものから復活できるのか、筆を置くことになるのか分かりません。絵を描かない自分が想像できないのです。今がそうなのに。
なんか新しい趣味を始めようか、小説でも描いてみようか。就活しなきゃとか色々考えて課題やって一日を終える日々を送っています。5000兆円とは言わないけど内定貰えればとりあえず不安は一つ無くなるのでそれをめざすしかないのかな~。
それで、ちょっと今朝のNHKの「はね駒」の弘次郎を思い出した。
娘のおみつが出産で弱ったからだをいやすため、実家に戻っていたが、
嫁ぎ先の吉川家の姑は、おみつを肺病と疑う。
肺病のうわさもひろがっていることから、と
嫁入り道具を送り返して離縁を言い渡されてしまう、
そのことを知ったおみつは、ショックから病気が悪化し、亡くなってしまう。
橘家は、打ちひしがれてしまい、しばらく、おみつロスの状態が続く。
おみつの父の弘次郎はそうした吉川家への非難とはまったく正反対の境地に至るのだ。
橘家当主の弘次郎はいう。そもそも、おみつを嫁に出した自分の責任だと。
また、武家のプライドに固執し、普段から人付き合いを憚ってきたことが、
弘次郎は、おみつの墓前でちょんまげを切り落とし、ざんばら髪にしたうえで
突然の決断ではあるが、並々ならぬ弘次郎の思いが伝わり、一家は上京を即断する。
大変、興味深い。
跡継ぎを生む道具としてしかおみつを扱ってこなかった吉川家のふるまいは、
現代の価値観からすると、なおさらひどく感じるが、しかし、当時としてもおそらく
子供を産んで弱った母親を離縁させ、息子に再婚させるなどという姑のふるまいは、かなり非常識だったに違いない。
しかし、弘次郎は、吉川家に対して、一切そうした批判をしなかった。
おみつが病にふせっているときに元気づけるために、
生まれたばかりの赤ちゃんにおみつを会わせてやってくれ、と懇願しに吉川家にいったときに
長女のおりんがずっとついていなければいけないと心配するほど、グダグタになっていた。
そんな弘次郎だったが、
小刀を抱えておみつの墓前に向かうシーンで、もしや自傷行為か、と思わせておいて
心を入れ替えて上京する、という、なんともポジティブすぎる決断をすることになった。
東京で、何をする、ということも何も決めていない。決めているのは、ただ家族で上京するということだけ。
動揺するおりんに弘次郎はいう。
おまえにとっても東京のほうがいいだろうと。
弘次郎は、こうして、吉川家を一切非難せず、変わるべきなのは自分だ、という境地に至る。
本当に、このシーンは、はね駒の見どころの一つだと思う。
私も実家では結構理不尽な思いをしてきましたが、いまは穏やかに過ごしているので、参考になればと思い書きます。
実は、親への恨みというか、複雑な思いは、実はまだ残っています。
「あんな大変な思いをしたのに、なぜいま私に甘えられるのか」と思うこともあります。
しかし、親への複雑な思いを忘れらない自分を、許すことにしました。
思えば、親にまつわることで悩む時間のほぼすべては「世間一般のように親を大切にできない」だとか「親に対して、なぜ酷い態度をとってしまうのか」という自責の念に苦しんでいました。
親といえども他人ですので、こちらから働きかけても相手に影響しません。親の行いが、子の自分に影響をもたらすのは、まだ自立していないためです。
自立した今、安全面でも経済面でもこちらが影響を受けることはありません。
相手のことを許せないなら、許せないでいいのです。それがあなた自身です。でも、あなた自身のことは正直に受け入れた方が、おおかた楽な場合が多いです。
そろそろ自分を許してあげませんか?
僕ヤバの楽しみのひとつは埋め込まれた考察ポイントの答え探しなのだが、いくら考えても検索してもスッキリした答えが見つからない事も。
その最たる1つが
という事で、未だに完全に納得できる説明を見つけられずにいる。
超重要アイテム・ミルクティーが登場したのは職業見学編の最後。
マンガ編集部見学を経て市川の新しい面を知った山田が市川への意識を強めていくなか、
「飲み物くらいはいいだろ」と市川が差し出したのがミルクティーだった。
手渡されたペットボトルがミルクティーだと気付いた山田は自分でもわかるほどに赤面、顔を上げられなくなってしまう。
この瞬間山田が恋に落ちたのは「片想いの終わりに」と言うのりお先生のコメントもあって間違いないと思うのだが、一体このときに何が起こったと言うのだろう?
「ありがとう」でも「優しいね」でも「嬉しい」でもなく「緊張まじりの驚き」。
もし市川が正体を隠した殺人犯でミルクティーが決定的証拠なら、
と気付いてこんな顔をしそうな表情。
要するにこの場面では何か重要な事に気付いたのだろうし、目一杯顔を赤くしている事から「市川が私を好き」か「私は市川が好き」のどちらかだという事は間違いなさそうに思える。
山田が恋を自覚するのが karte.30 という前提を踏まえれば消去法で「市川が私を好き」と気付いたと考える他ない。
さらに問題なのは、なぜそういった気付きがミルクティーを見た事で引き出されたのか?という事。
「飲み物くらいはいい」「ミルクティー」の合わせ技で市川が職業見学の朝の山田達のやり取りを気にかけていた事は分かる。
なんならツイヤバの「好きなものクイズ」を覚えていたとしてもいい。
だとしても、それだけで市川が山田を好きと確信するには弱すぎる。
ミルクティー?
→え?なんで知って?
→赤面
くらいのステップを踏みそうなところを、
ミルクティー?
→ 赤面
なのだ。ありがとうの一言をいう間もなく、一瞬で気が付いてあの表情。
例えば「君オク」にそういうエピソードがあるという類の。
このとき山田が気付いた事が、まったく想定外な事だったらどうだろう。
例えば、山田はこの時初めて「ご自由にお使いくださいティッシュ」の主が市川だと気付いた、とか。
顔を伏せて落ち込む山田は涙を流しており、それを不器用な優しさで励ます様子は karte.15 を連想させなくもない。
山田はあのティッシュを大事に取っておいているし、もし誰の仕業か気づいていないのだとしたら「紫のバラの人(古!)」的に心の拠り所にしているかもしれない。
でもこの説は当然ダメ。
ティッシュが市川の仕業と気づかないと、そもそも山田が市川に心を開く理由が無くなってしまう。
とりあえず、ミルクティーは市川がいつも山田を大事に思ってきた事の表れ、と言うことにして何とか飲み込んでいるが、このモヤモヤを晴らせる日は来るのだろうか。
情報求む
特に室屋光一郎との関係において筆者は腑に落ちない部分があったため仮説を立てまとめたものが当記事になる。
そして当記事は不倫の良し悪しや今後の活動について記載するものではない。
筆者が見てきた茅原実里と受け取ってきた彼女の想い。それを信じ続けたいという希望と祈りだ。
参照:
・『涼宮ハルヒ』茅原実里、不倫愛6年と「新たな男」 (Yahoo!ニュース)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200512-00010000-flash-ent
https://lineblog.me/minori_parade/archives/2285051.html
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ライブにも足を運び続け、音楽活動をはじめとした彼女の芸能活動を10年以上は追っている。
それを踏まえたうえで読んでいただけると良いだろう。
長年彼女の行動を見てきたが、彼女は常に真っ直ぐで素直な人間だ。
誰よりも人の気持ちを慮る彼女だからこそ人を惹き付ける魅力があり、多くのファンが彼女と共にいるのだ。
そんな彼女であれば不倫の事実や相手に対する配慮はもちろん、迷惑がかかるであろう人たちのことを考えないはずがない。
また、多くの人に迷惑をかける行為をしていたことや自分の立場の認識、自責の念を長い期間持ち続けていたのであれば、茅原実里は茅原実里として存在し得ないと考えられる。
彼女はそれほどまでに真っ直ぐであり、多くの縁に感謝をし、その想いを届け続けていたのだ。
もちろんそこで芽生えた感情がそれ以上であった、という話で片付けることもできるがどうも納得ができない。
少し前置きが長くなったが、以下より筆者の考える仮説を年表に沿って記載していく。
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茅原実里はこの段階で「不倫とは良くない」程度の認識であり、迷惑のかかる人たちや事の重大さを分かっていなかったと考えられる。
人として、という話については当記事では触れないが本人にもその意識はあった、というよりその程度の意識しか無かったのだろう。
「そっか~私も芸能人なんだ~」などとラジオで喋るような彼女が到底芸能人としての自覚があるとは思えないのである。
芸能人として活動している中で迷惑のかかる人物や状況についての想像ができていないのと考えられるのだ。
にわかには信じがたい仮説であるとは思うが、そもそもそういった精神論や常識が十分に教え込まれていないとも考えられる。
そもそもavex時代に転科があり担当の瀬野大介は初のマネジメント担当であった。
後に瀬野大介の立ち上げたリンクアーツ、茅原実里の個人事務所と2019年にホリプロに所属するまでは大手事務所には所属していなかったのだ。
「すぐに離婚する」「最終的には問題無いから大丈夫」などの言動で茅原実里を安心させ、罪悪感を削ぐようなことを伝えていたとも考えられる。
室屋妻子は東京外で暮らす
●2016年始め
●交際終了後
FLASHの室屋光一郎談によると「過去に妻をとても傷つけ~」とあるため、交際が終了した後に一度妻と話し合ったのだろう。
FLASHが上記2点と不倫事実 (証拠、証言) を掴んだうえで事務所 (ホリプロ) へ確認を行ったと考えられる。
また、FLASHに室屋光一郎のコメントが載っていることから、不倫事実などを直接本人に確認しているのであろう。
ここで説明を受けることにより事の重大さや問題の大きさを茅原実里自身が正しく認識する。
直前すぎるが、事前に伝えられ事の重大さを認識していた場合、一般男性と出かける、自宅に招くようなことをするとは考えられない。
また、彼女がその事実を受け止めながら5月10日以前のように通常通りブログの更新などをできるかと言われると甚だ疑問だ。
参照:
https://lineblog.me/minori_parade/archives/2283940.html
「当時を振り返ると、私がしてきたことは、どれだけ時間が経ったとしても、当然許されることではありません。ご家族のみなさまには深い謝罪の気持ちと、自責の念を持ち続けています…。」
「事務所からこの連絡を受け、事実と向き合いながら、これから先、応援してくれているファンのみんなの心や、生み出してきた作品達、お世話になっている事務所やレーベル、ファンクラブ、各関係者のみなさま方に傷をつけてしまうことが、どんな言葉にもかえられないほど辛いことだと感じながら過ごしてきました…。」
などより、今になってやっと当時を振り返っていること、事務所から連絡を受け改めて事実と向き合っているようにも感じる。
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以上、少なくとも数人の間では納得できる仮説が立てられたのでここに記載させていただく。
最後に改めて記載するが、これは今回の報道や茅原実里を正当化するものでもなければ事実に良し悪しをつけるものでもない。
なにもしないことに罪悪感を覚えることがある。
休日、起きられなくて午前中を潰してしまったり、起きても一日中ネットに張りついてしまってどこにも行けなかったりすると、「ああ、やっちゃった」と思う。どうして自分はこんなに怠け者なんだろうという自責の念すら湧いてしまう。
でも、冷静に考えてみれば休日に何も建設的なことをやらなかった程度で怠け者にされたらたまったものではない。私は休むことに罪悪感を持っていたのだと気づいた。おそらく中学生の時不登校になっていた時期があったことが原因だろう。
当時、不眠の薬の副作用で朝が猛烈に怠かった。それに伴ってか、体の調子も崩していたのでとても朝から通学することができなかった。
親はそんな私をなんとか学校に行かせようとめちゃくちゃ叱った。本当に体調が悪い、ちゃんと夜眠りたくても些細な物音で目が冴えたり何度も途中で起きてしまう、と訴えても信じてもらえていなかったと思う。かかりつけ医に心療内科を紹介された時も、最終的には連れて行ってくれたが最初は「要らないでしょ」と一蹴されていたからだ。彼らは典型的な昭和の人間だったから、精神科や心療内科に抵抗があったというのもあるだろう。それで治療が遅れた身としてはたまったものではないが。
「頑張りなさい」
「○○ちゃん(それ以前に私をいじめていた人)はちゃんと学校行って部活も頑張ってるんだって。偉いよね」
「逃げてるだけでしょ」
ざっと、こんなことを言われた。親も必死だったのだろう。子供を"まとも"に育てたくて。それは理解できる。でも、メンタルの不調時にこんな言葉を投げ掛けられたら、それこそ心が折れてしまう。
これ以上は長くなるからここで割愛するが、私の両親がメンタルの不調に無理解であることは伝わったと思う。中学生という子供時代、親の理解や支援が必要だったときにそれを受けられなかった。むしろ、回復に必要だった休息を妨害され、頑張り続けることを求められた。
常に何かに追いたてられるような不安がある。もうとっくに成人し、法やモラルに触れない限り何をやるのも自由のはずなのに、やたらと親に許しを求めてしまう。そういうあれこれは全てこの時期に起因していると思う。その中に休む事への強烈な罪悪感も含まれている。
上手くまとまらなくて長々と書いてしまった。ここまで読んでくれてありがとう。
総括すると、私はきっと自己肯定感がとんでもなく低いのだ。何かをしていないと、人より優れていないと生きる価値がないと思ってしまっている。どうすれば自分を大切にできるんだろう。克服や改善の方法がわかる人がいたら教えてほしい。
無償の愛を求めないでくれ、と叫ぶ親の増田があったので、それを読んで触発された。
父が嫌いだ。
幼少の頃からまともな会話や相談事ができたことがない。何を話しても自分にはわからない彼なりのユーモアから導かれた軽口を返される。一つも面白くないし、こちらは真剣な話をするつもりでも茶化されるので気分が悪い。
昔ながらの父親、換言すれば情緒サポートをしようとしない人間。母に対しては亭主関白。礼は言わず、家事や育児は全て母任せ。
自分は私立大学文系学部の3年生。高校は公立の全日制だったとはいえ、塾やら予備校やら今の学費やら、自分の教育に多くの金がかかったことは知っている。家族の暮らしに加えてそんな高い金を高卒の父の稼ぎだけでどうにかしてきたのだから、父は頑張ったと思う。
向こうの気持ちもわからなくはないのだ。母に「子供が欲しい」とせがまれたから仕方なく作った子供を愛すのが難しいのだろうとか、彼自身も父からは愛されずに育ったから接し方がわからないのだろうとか、曲がりなりにも半分は彼でできているので、想像するのは簡単なのだ。
しかし、彼を憎む気持ちが日に日に増していてどうしようもない。
昔から、家族仲の良い同級生が妬ましくて仕方なかった。毎年家族旅行に行っている家庭とか、土日の少年野球の練習に父が顔を出す家庭とか、父が購読しているから毎週ジャンプが読める家庭とか。
片やうちの父は、毎日残業で帰ってくるのは22時過ぎ、家を出るのも早いからそもそも顔を合わせることもない。週に一度しかない休みの日曜日、遠くへ遊びに連れて行ってほしいなど言えない。たまに父から誘われて車に乗ったかと思えば連れて行かれたのは中年と爺さんしかいないスーパー銭湯か、興味のない海釣り(しかも自分とは面識のない父の会社のおっさんがいる)。
とにかく喋らない上、叱るときは無言で殴ったり蹴ったりしてきた。小学校低学年の時ショッピングセンターで迷子になって、不安ながらスタッフに呼び出しをお願いしたことがある。30分待ってやっと現れた父は、息子の延髄に回し蹴りを入れた。
とにかく喋らず、自分を愛していると確信が持てない、というか嫌っていないという確信を持つこともできない。機嫌を損ねれば言葉もなく殴られ蹴られる。この記憶のせいで、大人の男性はみんな怖い。幾つになっても苦手意識が抜けない。
父に対する不満を母にぶつけたことがある。母は「父の代わりにならなくてごめんね」と謝った。やるせない気持ちでいっぱいで、その場で死にたかった。
21歳まで育ててもらったことに感謝こそすれ、恨むなど筋違いだと人には言われるだろう。いつまでも無い物ねだりをしていないで、いい加減大人になれと。
けれど、刻まれた恐怖だとか、与えてくれなかった物や気持ちは、如実に自分の発達を阻害している。
大人の男が怖いから話すことができない。柔和な人ならまだしも、父と似た、鋭い目で見据えられると、抑揚のない低い声で語りかけられると、内容をすっ飛ばして体が拒否する。
父は自分を否定はしたが肯定はしなかったから、自分はこれであってるんだろうか、叱られはしないだろうかと、ありもしない視線に怯えて何もすることができない。もう、1年と少ししたら社会人なのに。
不幸を背負われて、呪いをかけて育てるくらいなら、最初から自分のことなど出生させないで欲しかった。
憎い父を今さら殺しても何にもならない。だから殺さないけれど。けれどこの捌け口のない感情はどこへやればいいんだ。
呪いに負けない、強い自分を作りたかった。呪いにかまけて、こんなかわいそうな自分なんだから、少しくらい出来なくても仕方ないじゃないかと、そんな開き直り方をする人間にはなりたくなかった。
もっと金があって、教養があって、心に余裕のある親の元に生まれたかったという気持ちと、生まれた環境ばかり憎んでうずくまっている自分が嫌いだという気持ちにはさまれ、どうしたらいいかわからなくなる。
前回、「死にたい人(A)」と「死なせたくない人(B)」について簡単に触れた。
BがAを死なせたくない理由について、考えられるものを列挙してみたい。
1.罪悪感にとらわれる
3.同志を失う
4.Aに好意がある
1に関して。
いざ死なれてしまうと「〇〇すれば、食い止められたのではないか」などと自責の念に駆られるだろう。
2に関して。
Aが「死にたい自分」を肯定されたいのと同様に、Bは「生きていて欲しいと言っている自分」を認めてもらいたい。だからAの死というのは、Bを否定する上にしか成り立たない。
3に関して。
それと同時に、この2人は「死に抗う同士」でもある。重篤度こそ違うが、死に憧れ、しかし死にきれずにいる。互いの存在が生へと繋ぎ止める一因となっているのは間違いない。
4に関して。
Bの周りには他にも何人か自殺願望を持った人がいるのだが、ほとんどが女性である。B自身が意識しているかはわからないが、どこかで女性を求めており、特にAに関しては好意に近い感情を抱いているのではないかと思う(ただし、この4に関しては他の理由に比べるとそこまで大きな要因ではないかもしれない)。
2人の間で渦巻いているのは、「死を介した強烈な承認欲求」のようである。
互いは死によって結び付けられるが、最優先事項が真っ向から対立している。つまり、「死にたい自分を肯定されたい」というAと、「生きていて欲しいと言う自分を肯定されたい」というBの、せめぎあいなのだ。
昔、私は子供だった。
その頃はまだ愚母が生きていた。
複雑な家庭環境にも関わらず、腹違いの愚兄や竿違いの愚弟も平等に愛してくれた。
愚母は働きに出ていたが、愚息たちにはひもじい思いをさせまいと毎日のようにおにぎりを作ってくれた。
愚息を飽きさせることが無いように、いつも違う種類のおにぎりを用意していた。
定番のおかかや昆布から、わさびや辛子などの変わり種まで、かなりのレパートリーだったと思う。
中でも私が好きだったのは黒飴だ。
愚母はたまに黒飴をもらって帰ってきた。
ただ与えるのでは無く、おにぎりに入れて。
私はたまに出てくるその黒飴のおにぎりがとても好きだった。
楽しさと美味しさ、そして愛情が絶妙にマッチした最高のおにぎりだった。
逝ってしまってもまだ忘れられない。
一緒に買い物に行っても、飴は見ないという暗黙の了解のようなものがあった。
予定するのではなく突然出すことで、驚かせようと愚母なりに、気を使っていたのだろう。
拙文を書きている間に、一度だけ愚母を裏切ったことがあるのを思い出した。
すやすやと眠りについている愚母のカバンから黒飴を1つ盗んだ。布団に横たわる愚母の横で黒飴を舐めていると、次第に涙が溢れてきた。強い自責の念に駆られた。
明くる日、当時貴重だったお金を使って黒飴を買った。その晩、眠りについている愚母のカバンに返した。
その件について言葉を交わすことはなく、私は子供ながらにずっと焦っていた。
数日後、いつも通り黒飴のおにぎりが出てきた。
私は今大人になった。
かつて愚夫に黒飴のおにぎりを出したことがあったが、酷評されてしまいそれ以来出していない。
自分でおにぎりを作ることはあるが、愚母のおにぎりにはどうしても勝つことができない。
愚母は黒飴に魔法をかけていたのかもしれない。
もしも願いが叶うなら、魔法のおにぎりをもう一度食べたい。