はてなキーワード: 自責の念とは
なにもしないことに罪悪感を覚えることがある。
休日、起きられなくて午前中を潰してしまったり、起きても一日中ネットに張りついてしまってどこにも行けなかったりすると、「ああ、やっちゃった」と思う。どうして自分はこんなに怠け者なんだろうという自責の念すら湧いてしまう。
でも、冷静に考えてみれば休日に何も建設的なことをやらなかった程度で怠け者にされたらたまったものではない。私は休むことに罪悪感を持っていたのだと気づいた。おそらく中学生の時不登校になっていた時期があったことが原因だろう。
当時、不眠の薬の副作用で朝が猛烈に怠かった。それに伴ってか、体の調子も崩していたのでとても朝から通学することができなかった。
親はそんな私をなんとか学校に行かせようとめちゃくちゃ叱った。本当に体調が悪い、ちゃんと夜眠りたくても些細な物音で目が冴えたり何度も途中で起きてしまう、と訴えても信じてもらえていなかったと思う。かかりつけ医に心療内科を紹介された時も、最終的には連れて行ってくれたが最初は「要らないでしょ」と一蹴されていたからだ。彼らは典型的な昭和の人間だったから、精神科や心療内科に抵抗があったというのもあるだろう。それで治療が遅れた身としてはたまったものではないが。
「頑張りなさい」
「○○ちゃん(それ以前に私をいじめていた人)はちゃんと学校行って部活も頑張ってるんだって。偉いよね」
「逃げてるだけでしょ」
ざっと、こんなことを言われた。親も必死だったのだろう。子供を"まとも"に育てたくて。それは理解できる。でも、メンタルの不調時にこんな言葉を投げ掛けられたら、それこそ心が折れてしまう。
これ以上は長くなるからここで割愛するが、私の両親がメンタルの不調に無理解であることは伝わったと思う。中学生という子供時代、親の理解や支援が必要だったときにそれを受けられなかった。むしろ、回復に必要だった休息を妨害され、頑張り続けることを求められた。
常に何かに追いたてられるような不安がある。もうとっくに成人し、法やモラルに触れない限り何をやるのも自由のはずなのに、やたらと親に許しを求めてしまう。そういうあれこれは全てこの時期に起因していると思う。その中に休む事への強烈な罪悪感も含まれている。
上手くまとまらなくて長々と書いてしまった。ここまで読んでくれてありがとう。
総括すると、私はきっと自己肯定感がとんでもなく低いのだ。何かをしていないと、人より優れていないと生きる価値がないと思ってしまっている。どうすれば自分を大切にできるんだろう。克服や改善の方法がわかる人がいたら教えてほしい。
無償の愛を求めないでくれ、と叫ぶ親の増田があったので、それを読んで触発された。
父が嫌いだ。
幼少の頃からまともな会話や相談事ができたことがない。何を話しても自分にはわからない彼なりのユーモアから導かれた軽口を返される。一つも面白くないし、こちらは真剣な話をするつもりでも茶化されるので気分が悪い。
昔ながらの父親、換言すれば情緒サポートをしようとしない人間。母に対しては亭主関白。礼は言わず、家事や育児は全て母任せ。
自分は私立大学文系学部の3年生。高校は公立の全日制だったとはいえ、塾やら予備校やら今の学費やら、自分の教育に多くの金がかかったことは知っている。家族の暮らしに加えてそんな高い金を高卒の父の稼ぎだけでどうにかしてきたのだから、父は頑張ったと思う。
向こうの気持ちもわからなくはないのだ。母に「子供が欲しい」とせがまれたから仕方なく作った子供を愛すのが難しいのだろうとか、彼自身も父からは愛されずに育ったから接し方がわからないのだろうとか、曲がりなりにも半分は彼でできているので、想像するのは簡単なのだ。
しかし、彼を憎む気持ちが日に日に増していてどうしようもない。
昔から、家族仲の良い同級生が妬ましくて仕方なかった。毎年家族旅行に行っている家庭とか、土日の少年野球の練習に父が顔を出す家庭とか、父が購読しているから毎週ジャンプが読める家庭とか。
片やうちの父は、毎日残業で帰ってくるのは22時過ぎ、家を出るのも早いからそもそも顔を合わせることもない。週に一度しかない休みの日曜日、遠くへ遊びに連れて行ってほしいなど言えない。たまに父から誘われて車に乗ったかと思えば連れて行かれたのは中年と爺さんしかいないスーパー銭湯か、興味のない海釣り(しかも自分とは面識のない父の会社のおっさんがいる)。
とにかく喋らない上、叱るときは無言で殴ったり蹴ったりしてきた。小学校低学年の時ショッピングセンターで迷子になって、不安ながらスタッフに呼び出しをお願いしたことがある。30分待ってやっと現れた父は、息子の延髄に回し蹴りを入れた。
とにかく喋らず、自分を愛していると確信が持てない、というか嫌っていないという確信を持つこともできない。機嫌を損ねれば言葉もなく殴られ蹴られる。この記憶のせいで、大人の男性はみんな怖い。幾つになっても苦手意識が抜けない。
父に対する不満を母にぶつけたことがある。母は「父の代わりにならなくてごめんね」と謝った。やるせない気持ちでいっぱいで、その場で死にたかった。
21歳まで育ててもらったことに感謝こそすれ、恨むなど筋違いだと人には言われるだろう。いつまでも無い物ねだりをしていないで、いい加減大人になれと。
けれど、刻まれた恐怖だとか、与えてくれなかった物や気持ちは、如実に自分の発達を阻害している。
大人の男が怖いから話すことができない。柔和な人ならまだしも、父と似た、鋭い目で見据えられると、抑揚のない低い声で語りかけられると、内容をすっ飛ばして体が拒否する。
父は自分を否定はしたが肯定はしなかったから、自分はこれであってるんだろうか、叱られはしないだろうかと、ありもしない視線に怯えて何もすることができない。もう、1年と少ししたら社会人なのに。
不幸を背負われて、呪いをかけて育てるくらいなら、最初から自分のことなど出生させないで欲しかった。
憎い父を今さら殺しても何にもならない。だから殺さないけれど。けれどこの捌け口のない感情はどこへやればいいんだ。
呪いに負けない、強い自分を作りたかった。呪いにかまけて、こんなかわいそうな自分なんだから、少しくらい出来なくても仕方ないじゃないかと、そんな開き直り方をする人間にはなりたくなかった。
もっと金があって、教養があって、心に余裕のある親の元に生まれたかったという気持ちと、生まれた環境ばかり憎んでうずくまっている自分が嫌いだという気持ちにはさまれ、どうしたらいいかわからなくなる。
前回、「死にたい人(A)」と「死なせたくない人(B)」について簡単に触れた。
BがAを死なせたくない理由について、考えられるものを列挙してみたい。
1.罪悪感にとらわれる
3.同志を失う
4.Aに好意がある
1に関して。
いざ死なれてしまうと「〇〇すれば、食い止められたのではないか」などと自責の念に駆られるだろう。
2に関して。
Aが「死にたい自分」を肯定されたいのと同様に、Bは「生きていて欲しいと言っている自分」を認めてもらいたい。だからAの死というのは、Bを否定する上にしか成り立たない。
3に関して。
それと同時に、この2人は「死に抗う同士」でもある。重篤度こそ違うが、死に憧れ、しかし死にきれずにいる。互いの存在が生へと繋ぎ止める一因となっているのは間違いない。
4に関して。
Bの周りには他にも何人か自殺願望を持った人がいるのだが、ほとんどが女性である。B自身が意識しているかはわからないが、どこかで女性を求めており、特にAに関しては好意に近い感情を抱いているのではないかと思う(ただし、この4に関しては他の理由に比べるとそこまで大きな要因ではないかもしれない)。
2人の間で渦巻いているのは、「死を介した強烈な承認欲求」のようである。
互いは死によって結び付けられるが、最優先事項が真っ向から対立している。つまり、「死にたい自分を肯定されたい」というAと、「生きていて欲しいと言う自分を肯定されたい」というBの、せめぎあいなのだ。
昔、私は子供だった。
その頃はまだ愚母が生きていた。
複雑な家庭環境にも関わらず、腹違いの愚兄や竿違いの愚弟も平等に愛してくれた。
愚母は働きに出ていたが、愚息たちにはひもじい思いをさせまいと毎日のようにおにぎりを作ってくれた。
愚息を飽きさせることが無いように、いつも違う種類のおにぎりを用意していた。
定番のおかかや昆布から、わさびや辛子などの変わり種まで、かなりのレパートリーだったと思う。
中でも私が好きだったのは黒飴だ。
愚母はたまに黒飴をもらって帰ってきた。
ただ与えるのでは無く、おにぎりに入れて。
私はたまに出てくるその黒飴のおにぎりがとても好きだった。
楽しさと美味しさ、そして愛情が絶妙にマッチした最高のおにぎりだった。
逝ってしまってもまだ忘れられない。
一緒に買い物に行っても、飴は見ないという暗黙の了解のようなものがあった。
予定するのではなく突然出すことで、驚かせようと愚母なりに、気を使っていたのだろう。
拙文を書きている間に、一度だけ愚母を裏切ったことがあるのを思い出した。
すやすやと眠りについている愚母のカバンから黒飴を1つ盗んだ。布団に横たわる愚母の横で黒飴を舐めていると、次第に涙が溢れてきた。強い自責の念に駆られた。
明くる日、当時貴重だったお金を使って黒飴を買った。その晩、眠りについている愚母のカバンに返した。
その件について言葉を交わすことはなく、私は子供ながらにずっと焦っていた。
数日後、いつも通り黒飴のおにぎりが出てきた。
私は今大人になった。
かつて愚夫に黒飴のおにぎりを出したことがあったが、酷評されてしまいそれ以来出していない。
自分でおにぎりを作ることはあるが、愚母のおにぎりにはどうしても勝つことができない。
愚母は黒飴に魔法をかけていたのかもしれない。
もしも願いが叶うなら、魔法のおにぎりをもう一度食べたい。
知れないと思うと自責の念に駆られる。
中心極限定理やF分布についてふわっと学ぶ度、こういうものを本当に理解するためには大学数学の知識が必要なんだろうなと漠然と感じていた。
研究室はそういうところを専門とはしておらず、ただあくまでツールとして、回帰分析回したり分散分析するくらいでよかった。
就職先は金融ではあるけれどクオンツやアクチュアリー職ではないから、たぶんそういうものの出番はない。
バカな僕は数理統計を学ばずにいて統計を用いた研究やるなんて、ちゃんちゃらおかしいと思っていたし、
就職先でもそういうことを学んでいれば周りよりも一歩二歩先を行けると信じていた。
しかし、マセマをやっても定評のある教科書を終えても、なんだか自分が思ったほどできるようにはなっていないことに気づいた。
やってることと言えば、学ぶ前も後も全く同じように回帰を回し、p値を眺めてあーだこーだ言ってるだけだった。
p値ハックの記事やベイズの有用性を目にするたびに自責の念にかられてつらくなる。
もしかしたら自分がやったことは無駄だったのかもしれないと思うようになる。
就活を終え、今一度参考書に取り組んでも、抜け落ちているところがいくつもあったことに絶望してノートもすべて捨ててしまった。
最近腕を切り始めた。
前々から己を傷つける行為には興味があった。何故血を流すことに依存するのか?浅い傷でも満足するのは何故なのか?彼らは本当に生きたくないが故にやっていることなのか?すごく疑問に思っていた。
私は学校が変わり、新しい学校で孤立していたため孤独感や不安が積み重なっていた。それに加わり私は課題などを忘れたりすることが多く、自責の念も溜まりに溜まっていた。多分後者の方が大きかった。自分を戒めるため、私は100円ショップでカッター、カットバン、消毒液(一回やって何も感じなかった際の保険。傷跡の軽減になるかと思った)を購入し、「何かの時のために」とそれらをビニール袋にしっかりと入れて棚の奥にしまっておいた。
数ヶ月後、課題が終わらない夜。眠気に襲われていた私は眠気覚ましに、初めて己を傷つけた。とても浅い傷で、少しだけ血が滲むくらいだった。効果としてはまあまあ良く、エナジードリンクを飲むことを親から禁止されている私としてはとても健康的な目の覚まし方に感じられた。
それから段々と己を傷つけていくようになる。眠気覚まし、ストレスなど、多くの理由をつけて浅い傷を増やした。
私は常に人に見えないよう二の腕の方を切っていた。しかしある日、学校の友達に辛いことを言われ夜に大号泣した。その時に「お前のせいだ、と知らさなければ」と初めて手首を切った。また浅い傷だった。しかし、切ったことに私は満足した。次の日には「割れたスマホの破片で切った」などという嘘をついていた。
興味は行為以外にも向き始める。1ヶ月後ほどに私はカミソリを買った。正真正銘、安全構造のないまっさらな刃面の見えるカミソリである。カッターよりも綺麗に、深く切れると言われていたのでレジに並んでいる時にすごく楽しみに感じた。
感想としては、確かに綺麗に切れた。痛みはカッターと比べてほんの少し少ない。深さはやはり力でなんとかするしかないといったところだった。ここからカミソリを多用するようになる。痛くないし。
カミソリで切ることを覚えた私はさらに腕を切る頻度が増えた。とある日に、課題が分からずに心臓がバクバクした。何もできずにただ時間が過ぎていく。ヤバい、と感じた。このままではおかしくなってしまう。その時に私はカミソリを二の腕に当てた。心臓のバクバクは更に聞こえてくる。まさにその時、私の頭は「心臓がバクバクしているのはカミソリを二の腕に当てているせいだ」と謎の理解を示したのだ。ツツツ、と切る。血が出る。すごく安心し、頭がスッとした。この時から学校で嫌なことがあるたびに「あーあ、学校にカミソリ持って来ればよかった!」と考えるようになる。
そして今日に至る。何時間か前、私は腕を切った。何故なら苦しかったから。マイナスな考えが頭の中を過ぎっていた。命を絶たなければ、と思った。カミソリを二の腕に当ててそのまま引っ掻いた。血が出るのを見ているうちに、苦しかったことが嘘のように引いていく。初めてその感覚に恐怖を感じた。異常だったからである。私は異常なこの感覚を調べ始めた。
通常人は己を傷つけるとエンドルフィンという麻薬物質が出る。これはモルヒネよりも強いと言われる物質で多幸感を得ることができる。傷つける行為以外にもこれはギャンブル依存症やさまざまな依存に関わっているともされる。麻薬と言われるほどなので、耐性もついてきてしまうものであり、そこが依存症に関わると呼ばれる所以でもある。
つまり、傷つける行為はエンドルフィンによる多幸感に通じる、というだけのものであった。浅く切るもの、深く切るもの皆エンドルフィンに依存している。私もそうである。しかしそれは依存性がある。更に深く切るかもしれない。血をもっと出すかもしれない。生きることができなくなるかもしれない。しかし私は依存する恐怖に怯えながらまた腕を切るだろう。何故なら現実はあまりにも苦しいから。この麻薬に頼ってないと生きられないから。どうかこの、ある種の依存症患者の訴えを見て己を傷つける行為は生きなくなるためにする者だけではないと感じてほしい。皆が皆、生きたくない者ではないと感じてほしい。もしできれば私と同じ依存症患者を助けてほしい。ただ隣で支えてくれるだけでいい。そうすれば、少しだけ彼らの依存は良い方向に向かうと私は信じている。
婚姻を控えている友達から"ニート代表"として相談を受けたお話
その友達には兄(長男)がいて、彼は大学卒業後就職をせず、実家に寄生し10年近くひきこもり生活を続けている
以前から家族間で問題視されていたが、先延ばしされ今日に至るらしい
問題が起きたのは婚姻にあたり両家の顔合わせが行われた際である
相手側の両親が、ひきこもりの兄の存在を知り、少し怪訝な態度を示したことである
このままだと、婚姻破棄に繋がるかもしれない。この兄をどうしたら更生させることが出来るのか。というのが相談の内容である
誰も関心はないだろうが、ニート代表として選出された私のスペックを晒しておくと
大学卒業後、正社員(1年にも満たず退社)→ニート(1年ほど)→フリーター(日雇い土方)→正社員(1年にも満たず退社)→ニート(1年半突入)
といった典型的なダメ人間である。貯金が底を尽きるのでそろそろ再起動しようと決意を固め、朝になったらすっかり忘れてる怠け者です
まず最初に提案したのは、その兄に対する両親からの資金援助を断ち切ることである
両親はおそらく賛同しないとのこと
友人いわく、親が高齢になり、介護が必要になった際に資金の問題で破滅するのではないか
また、友人自身が両親だけでなく、兄の面倒も見ることになるのが納得いかないらしい
次に提案したのはアルバイトでも構わないから定職に就かせるということ
どんな仕事でも構わないから社会に触れることで自立に向けて努力をしてもらう
しかし、親から資金援助を受けている限り、まず自力で働く気力は起きないであろう
ストレスフリーで3食タダ飯が食えて、税金関係も消費税くらいしか納めてないだろうし…そりゃ天国ですわガハハハ!
少し話が脱線しますが、私のような若輩ヒキが10年ひきこもった人の気持ちを理解しようと努力することは出来ても、100%理解することは出来ない
それは当事者にしか理解できない問題がきっと存在するだろうから
私自身、メンタルが弱いので鬱や虚無感、自責の念に駆られて起き上がることすら出来なくなった経験は多々ある
そういう人間が社会に一歩踏み出すのは相当な勇気…なんて言葉じゃ形容できない凄まじいエネルギーを要すると思う
1年半ひきこもってる私でさえ久々の会話に声が震えて、言葉がうまく出てこないのだから
10年ひきこもってる人はどうなるのだろうか。会話どころか立って歩くことすら厳しいのではないだろうか
最期に提案したのはその兄を見捨てて家を捨て家族全員で引っ越しをするということ
無理矢理にでも窮地に追い込めばハングリー精神でなんとかなるんじゃないのという投げやりな計画
どうせ長男が実家を相続するのだから、それを売るなりして勝手に生きていけ的なやつ
しかし10年もひきこもりを続けていれば一般常識やまともな理性、判断力が欠如しているため
自ら命を断つか、凶行に走る可能性がある
私自身とても冷たい人間だと思われるだろうが、個人的には4んでくれたほうが結果オーライな気がしなくもないが
友人としては4なれるのは困るらしい。兄弟だけに深い絆があるのだろうか。そういう優しさに彼女も惚れたのだと思う。
あまり専門知識がないのでわからないが、例えば生活保護を申請した場合、結局その家族に扶養義務が生じるのでは?という
問題も浮き彫りになり、明確な答えは何も見つからずに解散となった
親が悪いのか、教育が悪いのか、生まれ育った環境が悪いのか、時代が悪いのか、怠惰な当人が悪いのか
何も正解は見つからないし、もう既に手遅れなのかもしれない
その当事者や、その家族はこのような問題にどう接しているのだろうか
某掲示板では「人生詰んだらナマポで生きていくお^^」みたいな発言を見かけることがあるが
数十年後には年金制度も破綻するか、支給が先延ばしにされるでしょうし
そんな財源が枯渇している状態で現在のような生活保護が受けれるとは到底思えません
出口の見えない問題に悩んでいたら朝になってしまったので寝ます
読み直すと支離滅裂な文章になってましたが添削する気力がないです
結局なにが言いたかったんだろう。中高年ひきこもりの問題について何か助言が欲しかったんだと思う
こういうふうにニート(無職)から脱却した(させた)みたいな経験談や
俺、ニート(無職)だけど楽しく生きてるよー!親の介護?シラネ^^
金なくなったら4ぬおー^^とか
コメントいただけるとありがたいです
初投稿なので拙い文章でしたが、ここまで読んでくれた方がいらっしゃったらありがとうございます
まったく偉そうなこと言える立場じゃないんですよね…
コミュ症な人って矢部浩之や南原清隆みたいなつまらない芸人が嫌いっていう人が多いじゃないかな
岡村はまだしも矢部にはなんの芸もない、岡村にくっついて適当な相槌打ってるだけなのになんであんなに人気なんだって。
けど他人に対してのつまらないはダイレクトに自分に跳ね返ってくる。まして矢部はプロの芸人。彼がつまらなければコミュ症の自分はミジンコ以下ということになってしまう
根が真面目だから他人にも自分にも厳しい目を向け自己評価が限界まで下がった結果
つまんない反応しかできない自分の為に時間を割いてもらうのは悪いと考えるようになり、人との接触を避けるようになる。もしくは自責の念に耐えられず世の中つまんねぇ奴ばっかだと周りを責めるようになるか
そんな自分を追い詰める自動思考を変えるために、まずは矢部浩之や他の嫌いな芸人でもいいけど好きになってみることから初めてはどうか?
つまらなくてもいい。
相槌うってるだけでも全然いいし、誰かが気になる事をしていたら「〇〇さんなにしてはるんですか?」とか適当に言っとけばいい。気分がいいときは南原のように要領を得ないボケを試してみるのもいいだろう。
面白くしなきゃ人に見捨てられる!なんて思い込みだ。だって超面白い奴しか生きられないはずの芸能界で矢部さんや南原さんがトップを走ってるんだから。それもタレントや俳優じゃなく芸人という括りで。だから大丈夫。
京都大学に進学してから、何にも目標を持たずに、シューティングゲームにのめり込み、思い出したかのようにDTMをやり、それが生き甲斐であるかのように自身に思い込ませながら生きてきた僕ですが、ここ京都大学にやってきてから3度目の春を迎え、また違った感情を抱くに至ったので、これまでの人生への懺悔も兼ねてここに記しておきたいと思います。書いてはみたものの、恥ずかしくて特に見返したりもしない雑文となることをお許しください。
僕が京都大学に進学しようと思ったのは、高校3年生の時だった。親族に会う序でに京都へ観光に行き、銀閣寺など見物したそのまた序でに、京都大学へ足を運んだのだった。
そこで僕が目にしたのは、混沌と洗練が入り混じった新鮮な光景だった。
立て看板はどれも、その存在自体がお手本となりうるようなものではなかったが、ベニヤ板に塗られた厚さ数ミリもないような塗料から感じられる深い熱意に、この大学の学生が持ちうる矜持のようなものを自然と感じ取っていた。
そんな単純な理由から受験し、何とか合格を得て入学した。真新しいスーツに身を包んだ出来立てほやほやの京大生達と、入学式、ガイダンス、授業を経て交流した。人生の中でも最高に刺激的な春だったと思う。
交流を重ねるごとに自ずと分かることだが、実際の京都大学生皆が独特の熱意を抱えているわけではなかった。その多くは、勉強が出来たから、学問への熱意があったから、親が教育熱心だったから、そこにいるのだった。
さらに言えば、京都大学理学部では、3回生次に振り分けがあり、それまでは学生として勉強をやりつつ自身の学問的興味の対象を絞っていかねばならなかった。
元々真面目に勉強をやるようなタイプではなかった僕は、秋あたりから、徐々に学校に行くことをやめてしまった。行かなくたって単位くらい取れるというちょっとした甘えのつもりだった。でもそんなことの積み重ねが、毎日授業に出ているクラスメイトと顔を合わせることへの罪悪感、恐怖心へと変わり、ついには眩しい大学生達に紛れること自体への恐怖心に成長してしまった。
朝起きて、時計を見る。そろそろ行かなきゃな…とは思う。う~ん、今から風呂入って行くのしんどいな…とも思う。今日くらいいっか…。といった調子に、クズ人間をやっていた。
そんなこんなで、無い能力に甘え、拾える単位すら落とし、どんどん自分の進路を狭めてしまった僕は、「せめて毎日大学に行っていれば」という自責の念と、「やっぱ自分に大学生なんて向いていないんだよ」という開き直った感情のどちらも捨てきれないまま、2度目の春を迎えてしまった。
葛藤はあったものの、そんな堕落した生活を覆すことは出来ず、状況は悪化していくばかりで、2回生は家からも出ないような生活が続いた。それは自暴自棄のようでもあったが、ただ将来のことを考えていないだけというのが正しそうだった。それでも、決して裕福ではないのに、「教育は財産」と金銭面を負担してくれている親に対する罪悪感は常にあった。連絡を取るのもしんどくなっていった。一方で、知り合いに対しては、自身の生き方と辻褄を合わせるかのように開き直って、人間性を疑われてもおかしくないような言動を繰り返した。
しかしそんな生活にも必然というか幸いというか、終わりは来る。2回生後期も終わり頃というころ、僕はこれ以上、親にも、そして将来の自分にも甘えることが出来なくなった。
親の元に単位数不足の通知が行って、親と担任を交えた三者面談をやったのだ。
そこで、自分のこれまで2年間の過ちについてすべてを話した。それだけなのに、あれだけ怖くて見ることさえ出来なかった京大の学生用サイト(KULASIS)も見ることが出来た。最後の数週間ではあったが授業に出た。人と同じ、当たり前のことをすることの清々しさといったらなかった。そして、罪悪感に埋もれていた、僕の周りのすべての人に対する、申し訳ないという気持ちを取り戻した。
丸々一年大学に行っていない自分に学生をやる能力が残っているか、まだまだ不安はあったものの、ようやく谷底から抜け出せたと思えた3回目の春だった。
この2年間、僕という存在そのものを批判されても文句は言えない甘えた生き方をしてしまった。たった2年で、僕は自分のこれまでの人生を否定してしまった。
気持ちの行き場が無く、友達にも話を聞いてもらったけれど、でもまだ吐き出したいことがあるので此処を開いた。
ちょっと混乱してるからとりとめのない文章になっているかと思う。
タイトルの通りである。昨日、リリースされてからたったの84日でサービス終了のお知らせがされたソシャゲがあった。
『Readyyy!』というタイトルが付けられたのそのゲームはツイッターで日本のトレンドにもあがったことがある。
サ終発表された昨日だけど。こんな形で話題になってほしくなんかなかった。
簡単に説明すると、18人の高校生達がトップアイドルを目指すストーリー。
プレイヤーはプロデューサーとして彼らをプロデュースしていく。
よくあるといえば本当によくあるゲームだと思う。あんまりゲームに触れてこなかった私でもそれはわかる。
私は2年前までソシャゲ自体に触れたことが無く、触れるきっかけになったのは某ゲームのライブの感想ツイが回ってきたのと、そのゲームについて語っているフォロワーが何人かいて興味を持ったから始めてみた。そのコンテンツ自体は結構長く続いているもので、私はそれが普通なのだと思っていた。
ソシャゲをよくやる友人からは「ソシャゲって結構短命だから、それは本当に長く続いてるほうだよ」とも教えてくれたけど、その時は、へーそうなんだくらいにしか思ってなかった。
Readyyy!を知ったきっかけはリリース前にTwitterでMVが流れてきたから。たしか10月下旬くらいだったかと思う。
サムネで見た時、ゲームのアイドルのMVとは思えなくてびっくりしたのを覚えている。何回見ても、凄いと思う。
本当に生きているみたいな動き、キャラごとに違うファンサ、洗練されたカメラワーク。そして曲で掴まれた。
言葉が悪く他と比べるのは違うかもしれないし自分好みというのもあったけど、今まで聞いてきたようなアニメやゲームのキャラっぽさが無い、生身のアイドルのようなメロディーに歌詞。
そこもう一瞬だった。全ユニットのMVを繰り返し見て、配信されている曲も延々と聞いた。
そこから興味を持ち、ゲームのことを調べたらまだリリース前だというのにライブやコラボカフェ、ラジオに全国の都市でのインストアイベントまでやっていた。
ただ、言っておくと私はそれら全てに行っていない。お前行ってねえのかよ、とお叱りが入りそうである。それは申し訳ない。
その時はまだハマった、というより曲が好きになったけれどアイドル達のこともよく知らず、メインに追いかけてるソシャゲにお金をかけていたこともあり「精力的に動いてるな」という印象しかなかった。
今思えば行くべきだったのかもしれない。よくわからなくても、行っておけばまた何か違ったのかもしれない。
室内と野外でライティングが違う。よく動くしお風呂場の場面では声が反響している。
キャラのフォト(所謂カード)にそれぞれ、レアリティが低いものにもストーリーがついてる。
音ゲーかと思ってたらそこは違って最初は残念だなって思ったけれど、違うゲームもやってたからむしろ他と並行して出来るつくりだなと思った。
他のゲームをあまりやったことが無い、というのもあったかもしれないけれど私には新鮮でとても凄くて、すぐのめり込んだ。
周りの友人達にも見せて凄いから見て、って興奮しながらゲーム画面を見せた。
プレゼンが下手くそ、というのもあるけれど、もう少し熱心にしとけばまた違ったんだろうか。
ここからはもうただの愚痴。いや最初から愚痴かな…。文章が下手過ぎてすみません。
課金しようにも最初はミッションクリアでダイヤはガンガン貰えるし、課金して欲しかったらなんで事あるごとにダイヤくれたの?
私のありがとう課金が微々たるものだったのは申し訳ないけれどそういうのを知らない人やお金の無い人なら「無課金でもこんなに貰えるんだ、ラッキー」ってなっちゃうと思うけど。
じゃあそれ以外のところでって思うかもしれないけど、コラボカフェなんて大体都内。
地方住みで飛行機を使わなければならない人はどうすればいいの?愛が足りない?かもしれないね。
今はソシャゲ戦国時代なんて言われてるくらいソシャゲがごまんとある。多分これ以外に並行してやってる人は多いと思う。
リリース前にライブやるのって普通なのか分からないけれど、それをやるならもっとゲームが長く続くようにゲームにお金を回してほしかった。
ライブが5/11にあるね。某ゲームと被ってるね。興味あるけどそこと被ってるから行けないなって呟いてる人いたよ。
っていうかライブやるの早くない?もしかして最後の思い出作り???
声優さんやキャラデザのイラストレーターさんにはいつ伝えたの?
全員新人声優さんで、まだまだこれからこのゲームで活躍させてくれるつもりだったんじゃないの???
連載してる漫画、まだキャラ紹介って感じなんだけど。これからユーザー数を増やしてくんじゃないの?
彼女のことも傷つけたくないし、こちらがここに投稿することによって誰かが不利益を被ることがなるべくないように配慮した上で、今抱えている絶望をここに残しておきたい。断っておきたいのは、この文章を僕の言葉で増田に流している時点でフェアでなく、自分が被害者ですといった書き口になってしまう可能性はぬぐいきれないと言うこと。正しく理解してもらうことはとても難しいと思う。それでもない頭を使って、個人個人の未来のためにも書いているので、できればアドバイスにあたるコメントが欲しい。
先日彼女と二人で一泊二日の旅行に行った。これは二日目に聞いた話なのだけど、彼女曰く「誰かと泊りの旅行に行くのは初めてだったから、家族でちょっとした騒ぎになった」らしい。旅行から帰ってきた次の日、彼女から長いメッセージが届いて、ものすごく悲しいことをしてしまったんだと自責の念に駆られることになった。
簡潔に言うと、一日目の夜、セックスを断ってしまった。断ると言っても「嫌です」と直接言ったわけでなく、彼女の誘いを流して諦めさせてしまったのだ。一応ゴムは持っていった。彼女はおそらく男性経験がないだろうと思って、彼女のことをいたわる思いで滑液がついたものを初めて購入した。でも、とにかく疲れていて、眠たかった。僕は睡眠障害を抱えていて、毎週大学病院に通っており、治療中であることは彼女にも理解してもらってる。もう眠剤を処方され出して二年弱がたち、その日もいつもと同じ薬を服薬してしまった。あとで振り返るとその薬には副作用に「性欲の低下」があり(そんなものがなくても眠たさで欲は消えそうだけれど)、服薬しなければよかったと後悔する。しかし、それはきっとできなかった。両親のアドバイスで眠剤を抜いてみたことがある。すると全く寝れず、不安からパニックになってゲロゲロ吐いてしまった。うつ病も併発していたものだから、それは大きなトラウマになって、これは危険なことかもしれないけれど、半ば強迫観念にかられながら眠剤を服薬しているのだ。
長く、重たいメッセージの中で、彼女は自分が僕に女として見られてはいないのではないか、自信をなくしている、と言う。たまらなく胸が痛み、あまりにも苦しくて吐きたくなった。彼女をひどく傷つけてしまったこと、それからまたこの手の失敗をしてしまった悔しさのことで。
思い出すのはこれまでの失敗。誰かと仲良くなりすぎてしまうことに対して苦しさを覚え、その人の前から逃げてしまいがちな自分は、最近人間関係に対しての苦手意識がずんずん芽生え、重荷になって生活してきた。とはいえど、初対面の人ともうまく会話ができるし、コミュニケーション能力には自信を持っていたのだ。人より優れた共感能力を持っているはずだから、他人に配慮した会話ができていた自信があった。それにもかかわらず、最近いろんな失敗をして(例えば自分の不用意な発言で相手を無自覚に傷つけてしまっていた)、自分は「共感能力が低い人間だった」というのが分かり、いろんなことがわからなくなった。自分はうまくやれているつもりなのに、自分の感覚と他人からの評価のズレが大きすぎて、毎度本気で悩まされるのだ。
恋人とセックスしたい、というのもよくわからない。「セックスしたい」と「恋人になりたい」が両立することをはっきり理解できない。「大好きで、一緒にいたい。でもセックスはしたくない」というのが相手を苦しめるというのを身を以て体験して、驚いた。二人にとってこんなにつらいことは他にないように思えた。そもそも僕は恋人的なスキンシップからして、苦手な方らしい。低体温で、ものを握ると手汗をかいてくるから手を繋ぐのもあまり好きじゃない。近くにいたい、抱きしめたいとは思う。キスはなるべくしたくない。彼女に「君が自信をなくす必要性はきっとなくて、その悩みは僕への不安の裏返しだと思うから、結局のところ性的な魅力がないのは僕の方なんだと思う」と送る。こう返信するだけで、いろんな自信を失った。tinderで知り合った女性となら、自分からできるはずなんだけど、と思って再度インストールして昨日から左へ右へスワイプし続けている。ライクがたくさん来る。多分顔は悪くないんだなと思う。マッチは未だしていない。寂しさを感じる。
自分はもっと普通な人間だと思ってきたのに。今では普通よりマイナス方向に目立った性格ばかりで辟易する。変わっていければいいと思う。変わりたい。
ラインのやり取りの中で、僕なりの知恵を振り絞り、「早めの時間にラブホデートしたいと思うのだけど、いいかな」と提案してみた。眠剤の影響や疲れの影響を受けない状態で試してみたい、という本心からだ。彼女からは「それは嫌。そういうことをしたいっていう君からの言葉がない限り、私はそれを望んでいないです」というだけだった。正直、わからないのだ。彼女のことはかわいいと思うし、付き合えて嬉しいと思う。だけど、したいです、といえば嘘になるような気がするのだ。僕はあくまで試験的に、という意味で送ってみたのだけど、今これを書きながら、それってきっとひどいことなんだろうな、という気がしてきた。
彼女のことが好きだ。暗いトンネルで絶望している時に笑顔で声をかけてくれたのが彼女だった。当時の僕にとって、希望だった。彼女はそう明るい人格ではないけれど、愛嬌があって、一緒にいると安心する存在。できるだけ長く一緒にいられたらいいと思いつつ、考えがぴったり180度違うと言うことも少なくなかった。それでも僕らの会話は楽しく、うまくやれているつもりだった。それなのに、彼女は普段のデートの中でも、自分に自信をなくすばかりだったと言う。
絶望している。やっと暗いトンネルを抜けられたと思ったら、さらに暗いトンネルがやってきたような。苦しくて、逃げ出したくなる。もう一緒にはいられなさそうで、それは僕にとってとてもつらいものだし、これからの人生でも同じ失敗をして苦しむのだろうかと、しなくていい絶望を予習してしまった。嫌になる。これからどうしよう、中身のない未来について、なんどもなんども考えている。
それ自体は、大切なことだと思うけど、言われるのを見聞きするたび、忸怩たる思いがする。
思春期に萩尾望都でギムナジウムの美少年同士のピュアな恋愛にはまり、女子校生活で女の子への疑似恋愛も経験(片思いだが)
そんな経緯から、ルームメイトのカミングアウトもするっと受け止めたし、そういう愛もあると思ってた。
色んな制度の問題も、いつか解決するといいね、位の薄い理解だったけど。
そんな私がある時配属されたのが外国人と日本人が半々くらいの職場。
かなり自由な職場で、LGBTが今ほど言われなかった当時でも、みんな普通にカミングアウトして、普通に受け入れていた。
何しろ私のチームだけでも、同性愛者が8人、20人中と思うと、かなりな割合だと思う。
だからか、LGBTに対する理解を深めてもらうワークショップを社外に向けて発信してたし、イベントで当然のようにカミングアウトする人たちも居た。
お客さんたちは本心どう思ってたか分からないけど、そういう場に集まる人たちは「理解ある自分」を演出したがるもので。
お客の中から初めてカミングアウトする、という人も出てきたりと、ちょっと不思議な空間であった。
多国籍企業だからこそできる、国際交流とか、環境問題とかも大事だと思うの。
短い任期の中で、印象に残ってるのはLGBT関連のイベントと、語弊をおそれず言うと「理解してくれるよね!」という押しつけのような熱さだったわけで。
で、表題にはいると、そんだけセクシャルマイノリティを擁護しようと躍起になってるのに、別のマイノリティ、V、つまりバージンはバカにされなきゃいけなかったわけ!?ということ。
特別言うことでもなかったし、黙ってたけど、すぐボロはでた。
当時は異性の裸を正視できなかった。
そんな私を見てみんな見抜いたらしい。
気づいても知らん顔するのが大人のマナー。
なのに、ちょいちょいバカにされ始めた。
最初はみんな私の恋愛を心配してくれてるのだとすら思おうとした。
でも、マッチョの水着姿を正視できない私を笑ったり、外国人のゲイの同僚に、男性性器の写真を見せられたり、罰ゲームで私の頬に不意打ちでキスする奴まででたり。
やっぱね、あれはさ、イジメだよね?(怒)
最終的には容姿までバカにされて、泣きながら上司に訴えて謝罪させたけど、その時の女性の同僚が冷たいこと。
って(涙)
夢だった仕事について、みんなのことも好きだったし(最初は)、絶対成功させたかったから、全力でがんばってたのに。
ねぇ、私なんかそんな悪いことした?
仕事の能力については誰も何も言わなかった(言われたら私立ち直れなかったろうし)
だから、そこを突いてきたの?
多様性を散々私を含めて、まだ十分な知識もないお客さんたちにまであんだけ押しつけておいて、で、私は受け入れてくれないの?
私がその仕事に就くためにどれだけ色んなもの犠牲にして勉強してきたか、みんな知ってたのに。
それで恋愛も後回しだった(モテなかったのもあるけどさ)のに。
高齢処女も、ある意味マイノリティだよね。特にそれでLGBTの人等みたいな社会的弊害はないけど言えずに苦しんでる人だってたくさん居るのは同じなはず。
みんなにとってはイジりだったかもしれないけど、私にとっては未だに心がえぐれる。
だって、私にとってあの仕事は何年もずっと夢見てた場所で、一生の思い出なのに、そんなことで汚された。
最後までみんなのこと信じようとしたけど、やっぱり無理だった。
そんな私みんなに嫌われたかな?って未だに思う。
二度と連絡も取らないけど。
そもそも、LGBTはよくてVはダメなの?どれだけ矛盾してんの?自分らの権利主張はものすごい推してきて、それで何もしてない私のことあんなにバカにしてきたよね?それで多様性とかよく言えるな。
もう3年も前の話。
今も絶賛Vですが何か?
おかげで、それまでずっと処女であることは特に気にしてなかったのに、気になるようになりました。ありがとう(怒)
もちろん少数派なのは分かってるけど、どうしてもあのときの記憶がよみがえる。
自分らばっかり主張しやがって、と。
一時、本気で思ったもん。
自分が処女であることをカミングアウトしてその擁護をするイベントを開こうかと。
さすがに止めたけど。
私は、あれは許せない。
今の風潮も、どうしても受け入れられない。
今の同僚がそうだとしても、良い人ならこれまで通りつき合うだけ。相談にも乗るし。
LGBTの友達はいるけど、守るならその子たちだけ。他は知らない。勝手にやって、という感じなのだ。
※※※
詳しく書くと、分かる人はすぐ分かるかもしれないので。(あと私を特定されかねないので)
思いの外反応をいただいて驚いた。
この件に関してはずっと胸にしまってきた。
私がみんなに嫌われてたから、
って、ずっと自分責めてたし、忘れようとずっとしてきた。
でも3年たった今、LGBTの運動みてて無性に腹が立っている自分に気づいた。
その怒りを初めて外に出せた。やっと。
ひどいこと言われてたんだ、ってコメントみて気づいた。
日本企業で同じことされたら、即通報してたけど、半分外国の独特の環境だったから私が間違ってるのかと思いこんでた。
何より、力不足なのに、その職場にいさせてもらってるという思いがあったから。
でも、よく考えたら、私はお客さんや他のスタッフからは感謝されることが何度もあった。ちゃんと私だって貢献できてたことにやっと気づいた。
私はあの場で怒って良かったんだよなあ。
でも、もう関係ない。私なりに仕事をやり遂げたことに気づけたから。