はてなキーワード: リクルートスーツとは
全ての結果は私が紡ぎ出す。私の強固な意志が、神にさえ介在できない絶対の未来を作り出す。
もう何にも向き合いたくない。
なんでも文章にして日記に書いていたあの頃、自分と向き合う体力があった。今は嫌なことあるとおうそのことを考えたくない、逃げたい。
何で苦しいのか何でそう思うのか何でこんな状況になっているのか、なぜ私は惨めなのか。
それに向き合うのがとにかく苦しくて回避したくてどうでも良いyoutubeを延々と見て時間を浪費している。
大した悩みでもないのに大袈裟ぶって被害者面してるのかな私って。
いや自分が辛かったならそれ以上も以下もないじゃん。
さみしい。
やっぱり私ってもうどうでもいいんだな。会いたいとも思われないし、放置してもいい人間。
もう捨てられるんだ、もう私のことなんて好きじゃないし新しくいい人ができたのかもしれない。
女の子から電話かかってきてたし。家の外から電話してきたし。なんで?
家に誰かいたの?私と話してることを聞かれたくない誰か。
私以外のものなんてすべて捨ててほしい。全部なくなればいいのに。
一番になれないなら死にたい、結局誰の一番にもなれないじゃない、
親だって姉が一番だったお金だっていっぱいかけてもらって学費だって全部出してもらっておばあちゃんもお姉ちゃんにはお金出すけど私奨学金ずっと返してる、
バイトだってずっとしてた、定期代だって画材代だって全部私。姉はバイトすら許されなかったけど私はお金かからなくて自立してて手がかからないですか
気使ってるだけなのに。リクルートスーツだって自分で買ったお前らに相談なんかしない家を出る時も家を決めてから報告した全部全部。
私に何て興味がない。
そのサラリーマンからコロナ禍に振り込んでもらったお金で食べるごはんおいしかった?思えば直接お礼言われた記憶もない。
ずっと一番になりたい。誰かの一番になりたいのに誰の一番にもなれない
みんな私より大切な何かがある。いっつも。大切とか言ったって私以外のもの捨てないんだから全部嘘、全部嘘
しかも大切とすら言わない建前すらも言われたことない。大切だよともいちばんだよともいわれない、苦しい。私以外のみんなが手に入れてるもの私だけが手に入れられない
ブスだから?私よりブスだけど大切な一人に選ばれてる人いっぱいいる。
ブスとか美醜とかじゃないんだもっと残酷な、私に価値がないってことなんだ。なんでいつもだれの一番にもなれないんだろう。嫌われたくなくて気使ってるから?優しいからもうどうでもいいんか文句言わないからなんも言わないから好き勝手して放置しておいてもどうでもいい人間か。
咳をしても一人コロナにかかっても一人、ずっと一人、一人なら一生一人でいたい
夢を見させないでよ。今度こそ一人じゃなくなるかもと思った。今度こそ一番になれるかと思った、全然そんなことなくて笑える。
こんなに早口で自分を否定して捨てられる未来を勝手に想像して勝手に起こって悲しんで泣いて攻撃的になっている私は誰?
こうなった時、いつも自分が自分じゃなくなる。怒りと悲しみが抑えられない。やっぱりあなたも違ったんだ、今度こそ違うと思ってたのに。って。勝手に期待してるのは私。
勝手に期待している私はどこの誰、いつも悲しんで抑圧されている私よ出ておいで
苦しい。悲しい。わかるよ。もういいよ。なんでそんなにすぐ捨てられるとか言い出すの。
でも悲しいよさみしいよ、ほんとは人並みに大事にしてもらいたい。でも私には価値がないって思う。祝われる価値もない。何かをプレゼントしてもらう価値もない。高価なものを貰う価値も。でも好意も
善意も受け取れない。、まっすぐ受け取れないから気持ちが良くない。
人を不快にさせる。また0か100
休むことも苦手。あんなに言ってて私も休みたいとか言って、結局休めない罪悪感、皆はいいけど私はダメ。私だけなにも許されない。私だけ一生頑張って笑顔で平気なふりして走り続けて泣くときは陰で泣かないとダメ。
私はみんなが泣いたとき、私だって泣きたいよと思いながら私は悩みないし健康だからさ~!って笑う。家でかえって泣くんだ。誰もいない家で一人で。
でもそれが私なんだ。もういいよ。もう諦めたい。それならそれでいいじゃん。
私は何になりたい?何になりたくてこんなに苦しんでいるの。
何になりたくてカウンセリングに通っているの。でもゴールがわからない。普通の人がわからないから自分の不安定さがどこまで家庭環境が起因しているかもわからない。別に平和な家で育った人だって落ち込むしネガティブにだってなるし、やっぱり私だけがずっとずっと被害者面しているんじゃないかって思う。普通がわからないから。
私がどれくらい異常で周りがどれくらい普通なのか基準が知りたい、全部教えてほしい。でも普通じゃないといけないの?なんでそんなに普通はとか、周りはとか、自分の悲しみを無視することに必死。自分は正常なんじゃないかって思おうと必死。
悲しい。顔は笑っていつも心は泣いている。
心ここにあらず。
いつも人に気を使っている。苦しい時こそ平然とする。人に気持ちを悟られてはいけない、苦しいと思われてはいけない、つらいと思われてはいけない、
だってこんなにつらいのに、つらいことがばれて同情されたら怖い。
そんなことでつらがってるの?って私の感情を馬鹿にされたらこわい。
笑顔は作らない、平然としていればいい淡々と仕事をこなす。淡々と。
私がどう思うかなんてどうでもいい。どうでもいいんだ、ほんとに?
感情がばれたら馬鹿にされるから必死で隠してるんだね。馬鹿にしてきたのは父親だったね。殺したいね。むかつくね。
あんなに馬鹿にしてきて人の感情っ踏みにじってきたのに、一丁前に親面したり、私に会いたがったりなんてしないでほしい。馬鹿にするな
むかつく。、むかつくむかつくむかつく
今まで思ってきたこと全部言ってやりたい
お前に感情殺された、お前にブスだって言われて今も鏡が気になって仕方がない、人の顔を見て話せない。喜んだらお前が馬鹿にしてきたから人の前で喜べない、素直な気もちや弱音を伝えてみたらしょうもないと言われたからやっぱり人に自分の気持ちなんて話すもんじゃないって学んだ。お前が浮気したから根本では人のことなんて信じられない。人は裏切る、人は嘘をつく。人間はみんな裏の顔があって、みんな悪者。
信じられない。お前のせいだ。
でもお前は被害者面して死んでいく。大事に育てたのに顔も見せに来ない薄情な娘か。
現実を何も見ない、わからない、わかろうともしない、馬鹿は幸せだ。人を傷つけた側の人間はいつも被害者面する。自分のしたことを都合よく忘れて。
いいね、羨ましい。頭空っぽな人は、羨ましい。羨ましくて憎い。
私はお前が嫌いだよ。大嫌い。
大嫌いなのに嫌いになれないから苦しんでいる、むかつく、これを書いているだけではらわた煮えくりかえりそう。嫌いと認めることも、嫌いになれないと認めることも、どちらも苦しい。めちゃくちゃ苦しい。だから考えたくないの。
いつも頭の片隅にあるぼんやりした暗い部分からずっとずっと目を背けている。目を背けるということは意識しているということ。普通に目を向けることができるようになったらそれが解決なのかもしれないけど。
私も10代でうつ病でもすればよかったかな、リストカットでもすればよかったかな。あの時ちゃんと苦しまないでちゃんtp引き受けなかったから今こんなに苦しいの?
私は強い私はメンタル強い私はえらいってそれで自分を奮い立ててきたから悪いの?ちゃんと精神病んだ姉がうらやましかった。私はこんなに元気なの何でだろと思ってたけどそこだって人に気使って自分がやむことなんて後回しにしていたかもしれない。私がやんでいる場合じゃないって。
私ばっかり、私だけ。私だけ仲間外れ。
くだらない。
宗教やってるやつらは馬鹿で節穴で、何もわかっていない。やっぱり表面しか見えない。家族で演奏していたら幸せか?その前後車の中で暴言が飛び交っていても。見せたい自分を見せて称賛を浴びて、褒めてもらって理想の家族と言われて、それが現実とこんなにちぐはぐでも。普通だったら惨めさが勝つはずだけど一生幻想の中に生きているから幸せなのかそうなのか幸せで羨ましいよ。幸せなのは幻想の中に生きている頭なおかしいお前だけ。お前は人生かけて、宗教しても幸せになれないって私に証明してくれたね、親心?
全ての結果は私が紡ぎ出す。私の強固な意志が、神にさえ介在できない絶対の未来を作り出す。
もう何にも向き合いたくない。
なんでも文章にして日記に書いていたあの頃、自分と向き合う体力があった。今は嫌なことあるとおうそのことを考えたくない、逃げたい。
何で苦しいのか何でそう思うのか何でこんな状況になっているのか、なぜ私は惨めなのか。
それに向き合うのがとにかく苦しくて回避したくてどうでも良いyoutubeを延々と見て時間を浪費している。
大した悩みでもないのに大袈裟ぶって被害者面してるのかな私って。
いや自分が辛かったならそれ以上も以下もないじゃん。
さみしい。
やっぱり私ってもうどうでもいいんだな。会いたいとも思われないし、放置してもいい人間。
もう捨てられるんだ、もう私のことなんて好きじゃないし新しくいい人ができたのかもしれない。
女の子から電話かかってきてたし。家の外から電話してきたし。なんで?
家に誰かいたの?私と話してることを聞かれたくない誰か。
私以外のものなんてすべて捨ててほしい。全部なくなればいいのに。
一番になれないなら死にたい、結局誰の一番にもなれないじゃない、
親だって姉が一番だったお金だっていっぱいかけてもらって学費だって全部出してもらっておばあちゃんもお姉ちゃんにはお金出すけど私奨学金ずっと返してる、
バイトだってずっとしてた、定期代だって画材代だって全部私。姉はバイトすら許されなかったけど私はお金かからなくて自立してて手がかからないですか
気使ってるだけなのに。リクルートスーツだって自分で買ったお前らに相談なんかしない家を出る時も家を決めてから報告した全部全部。
私に何て興味がない。
そのサラリーマンからコロナ禍に振り込んでもらったお金で食べるごはんおいしかった?思えば直接お礼言われた記憶もない。
ずっと一番になりたい。誰かの一番になりたいのに誰の一番にもなれない
みんな私より大切な何かがある。いっつも。大切とか言ったって私以外のもの捨てないんだから全部嘘、全部嘘
しかも大切とすら言わない建前すらも言われたことない。大切だよともいちばんだよともいわれない、苦しい。私以外のみんなが手に入れてるもの私だけが手に入れられない
ブスだから?私よりブスだけど大切な一人に選ばれてる人いっぱいいる。
ブスとか美醜とかじゃないんだもっと残酷な、私に価値がないってことなんだ。なんでいつもだれの一番にもなれないんだろう。嫌われたくなくて気使ってるから?優しいからもうどうでもいいんか文句言わないからなんも言わないから好き勝手して放置しておいてもどうでもいい人間か。
咳をしても一人コロナにかかっても一人、ずっと一人、一人なら一生一人でいたい
夢を見させないでよ。今度こそ一人じゃなくなるかもと思った。今度こそ一番になれるかと思った、全然そんなことなくて笑える。
こんなに早口で自分を否定して捨てられる未来を勝手に想像して勝手に起こって悲しんで泣いて攻撃的になっている私は誰?
こうなった時、いつも自分が自分じゃなくなる。怒りと悲しみが抑えられない。やっぱりあなたも違ったんだ、今度こそ違うと思ってたのに。って。勝手に期待してるのは私。
勝手に期待している私はどこの誰、いつも悲しんで抑圧されている私よ出ておいで
苦しい。悲しい。わかるよ。もういいよ。なんでそんなにすぐ捨てられるとか言い出すの。
でも悲しいよさみしいよ、ほんとは人並みに大事にしてもらいたい。でも私には価値がないって思う。祝われる価値もない。何かをプレゼントしてもらう価値もない。高価なものを貰う価値も。でも好意も
善意も受け取れない。、まっすぐ受け取れないから気持ちが良くない。
人を不快にさせる。また0か100
休むことも苦手。あんなに言ってて私も休みたいとか言って、結局休めない罪悪感、皆はいいけど私はダメ。私だけなにも許されない。私だけ一生頑張って笑顔で平気なふりして走り続けて泣くときは陰で泣かないとダメ。
私はみんなが泣いたとき、私だって泣きたいよと思いながら私は悩みないし健康だからさ~!って笑う。家でかえって泣くんだ。誰もいない家で一人で。
でもそれが私なんだ。もういいよ。もう諦めたい。それならそれでいいじゃん。
私は何になりたい?何になりたくてこんなに苦しんでいるの。
何になりたくてカウンセリングに通っているの。でもゴールがわからない。普通の人がわからないから自分の不安定さがどこまで家庭環境が起因しているかもわからない。別に平和な家で育った人だって落ち込むしネガティブにだってなるし、やっぱり私だけがずっとずっと被害者面しているんじゃないかって思う。普通がわからないから。
私がどれくらい異常で周りがどれくらい普通なのか基準が知りたい、全部教えてほしい。でも普通じゃないといけないの?なんでそんなに普通はとか、周りはとか、自分の悲しみを無視することに必死。自分は正常なんじゃないかって思おうと必死。
悲しい。顔は笑っていつも心は泣いている。
心ここにあらず。
いつも人に気を使っている。苦しい時こそ平然とする。人に気持ちを悟られてはいけない、苦しいと思われてはいけない、つらいと思われてはいけない、
だってこんなにつらいのに、つらいことがばれて同情されたら怖い。
そんなことでつらがってるの?って私の感情を馬鹿にされたらこわい。
笑顔は作らない、平然としていればいい淡々と仕事をこなす。淡々と。
私がどう思うかなんてどうでもいい。どうでもいいんだ、ほんとに?
感情がばれたら馬鹿にされるから必死で隠してるんだね。馬鹿にしてきたのは父親だったね。殺したいね。むかつくね。
あんなに馬鹿にしてきて人の感情っ踏みにじってきたのに、一丁前に親面したり、私に会いたがったりなんてしないでほしい。馬鹿にするな
むかつく。、むかつくむかつくむかつく
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お前に感情殺された、お前にブスだって言われて今も鏡が気になって仕方がない、人の顔を見て話せない。喜んだらお前が馬鹿にしてきたから人の前で喜べない、素直な気もちや弱音を伝えてみたらしょうもないと言われたからやっぱり人に自分の気持ちなんて話すもんじゃないって学んだ。お前が浮気したから根本では人のことなんて信じられない。人は裏切る、人は嘘をつく。人間はみんな裏の顔があって、みんな悪者。
信じられない。お前のせいだ。
でもお前は被害者面して死んでいく。大事に育てたのに顔も見せに来ない薄情な娘か。
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いいね、羨ましい。頭空っぽな人は、羨ましい。羨ましくて憎い。
私はお前が嫌いだよ。大嫌い。
大嫌いなのに嫌いになれないから苦しんでいる、むかつく、これを書いているだけではらわた煮えくりかえりそう。嫌いと認めることも、嫌いになれないと認めることも、どちらも苦しい。めちゃくちゃ苦しい。だから考えたくないの。
いつも頭の片隅にあるぼんやりした暗い部分からずっとずっと目を背けている。目を背けるということは意識しているということ。普通に目を向けることができるようになったらそれが解決なのかもしれないけど。
私も10代でうつ病でもすればよかったかな、リストカットでもすればよかったかな。あの時ちゃんと苦しまないでちゃんtp引き受けなかったから今こんなに苦しいの?
私は強い私はメンタル強い私はえらいってそれで自分を奮い立ててきたから悪いの?ちゃんと精神病んだ姉がうらやましかった。私はこんなに元気なの何でだろと思ってたけどそこだって人に気使って自分がやむことなんて後回しにしていたかもしれない。私がやんでいる場合じゃないって。
私ばっかり、私だけ。私だけ仲間外れ。
くだらない。
宗教やってるやつらは馬鹿で節穴で、何もわかっていない。やっぱり表面しか見えない。家族で演奏していたら幸せか?その前後車の中で暴言が飛び交っていても。見せたい自分を見せて称賛を浴びて、褒めてもらって理想の家族と言われて、それが現実とこんなにちぐはぐでも。普通だったら惨めさが勝つはずだけど一生幻想の中に生きているから幸せなのかそうなのか幸せで羨ましいよ。幸せなのは幻想の中に生きている頭なおかしいお前だけ。お前は人生かけて、宗教しても幸せになれないって私に証明してくれたね、親心?
そのうち絵の女がリクルートスーツ着て足組んでるだけで破廉恥って言いだしそうな界隈の話。
凄く迷惑だなあという気持ちはありつつも、きわめてあわれであるなあという気持ちもある。
本人たちは実在する神の使徒、神の名のもとに世界を正す戦士と思っていそうだが、その神は既にうつろな抜け殻であり、戦士自身が打ち砕くべき敵だとしか私には思えないのだ。
貞淑であれ、破廉恥なことをするな、という思想は家父長制からくるイエの財産の散逸を防ぐためのルールにすぎない。レヴィ=ストロースの平行いとこと交叉いとこあたりの話をちょいと小耳に挟めばあっそうかそういうことなんだってわかるのだが。
金土地利権を一族に蓄積し、集中させていないとすぐ失われてしまいみんなひどいことになる。だから蓄積集中するルールを作る。散逸する相続が行われないように一族の女というのは厳しくコントロールする。また女というのは財産であり貴重な交換用物品である。価値をなるべく高めたい。
家父長制の失われた現代において貞淑というのはどれほどの意味が残っているだろうか。
女は貴重な財産で交換用の通貨であるという価値を高めるための貞淑はまた、女が自分で自分を所有するフェミニズムやらウーマンリブやらの思想とは対極にある。
女が一人で社会に投げ出され自分自身での保護しか得られない現代において貞淑に何の意味があろうか。
この増田 https://anond.hatelabo.jp/20240328145307 を読んでいて、新人歓迎会のトラウマを思い出したので書く。
新卒で就職したのは、大手電機からリストラ分社され投資ファンドに売却された地方製造業…に、グループ内人材派遣を行う人材派遣会社だった。
当時はリストラ分社化された直後で、まだ元グループ本社からの出向社員も残っていたし、元グループ会社の看板も、営業網も使えていた。
それにに加えて、リストラ分社化された後で「これで迅速な意思決定ができて伸びるぞー」と言うお題目が信じられている頃でもあったと思う。
だからか、当時入社するプロパーの入社式はそれはそれは華々しく行われていた。
いや、華々しく行われていたのを、私たち派遣会社経由組は、敷地の隅にある人材派遣会社事務所のちっぽけか打合せ室の窓から見ていた。
プロパー新人が記念写真撮影をしているのをみて、私たちはあっちいじゃないの?と少しは思うが、当時ピッチピチの新卒で疑問に思うこともなく。
派遣会社の事務所長から何かしら訓示を受けた覚えがあるが良く覚えていない。
簡単で事務的な話だけだったので、そのまま配属先となる職場から主任が迎えに来て、職場へと向かった。大部屋式の事務室である。
課長の所で軽く挨拶した後、課員に特に紹介されたりもせず、大部屋の端にガラス張りのパーティションで囲まれた「OA室」と呼ばれる部屋に連れて行かれ、ここがお前の席だと座らされた。
周りには同じく派遣できている人たちが数人いるが、みな黙々と仕事をしている。一応会釈はしてくれるが特に会話もない。部屋の中にはサーバと古めかしいブラウン管モニタがついたCAD端末がうなり声を上げている。
15インチスクエア液晶とDELLの型落ちデスクトップを渡され、いきなり赤が入った原稿に従ってWord文書を直していくと言う仕事を振られた。
当時ピッチピチの新卒で今のようにくたびれていなかった私は、緊張して違和感を感じる暇も無かったというか、違和感を感じるような知識も無かった。
それから数日して、プロパー新入社員が挨拶にやってきた。「全員集まれ」と声がかかって大部屋の中心にみんなで集まり、彼らが新人だと紹介される。実際に配属されるのは8月のお盆明けからだが、と聞かされた。
何で8月なんですか?と、少しは話をするようになっていた主任に聞いたところ、彼らにはみっちり新人研修があるのだとのこと。
すごいね。
元グループ会社から分離したけど新入社員教育は合同で行って、元グループ会社本社にて集中的に研修するんだって。
すごいね。
そうして彼らプロパーの新人が新入社員教育を受けて、定時退社している間に、自分はみんなにシェアされる雑用便利人としての立場を明確にしていった。
忙しくなると投入され、ろくにスキルも身につかない雑用をやる。どの課に所属しているのかと言うことも曖昧だった。業務調整をする上司というものが存在しなかった上に、ひとヤマを超えると別の社員の忙しい案件に投入されるため常に長時間労働であった。OJTと言う言葉すら無かったが、仕事の特性上、割り当てられた仕事が終わらなければ終わらない。やらずに放置しても誰か別の人がやってくれるわけではない。溺れながら仕事を覚えていくことになる。
このように同じ職場のメンバーとしての一体感が生まれる事も無かったが、一つだけ一帯運用してもらえていたものがあった。それが「タイムカード押し」である。だいたい19時30分を回ると係がタイムカードを回収しに来る。彼にタイムカードを渡すと、私が自分で押さなくてもかわりにタイムカードを押してくれるというサービスである。
いや、サービスしているのはこちらか。当時ピチピチの新卒であった私は、それが当たり前だと思って、深く考えなかった。いや、考えようとしなかった。
さて、この内容を何故標記の増田から思い出すに至ったのかというと、積み重なった違和感が爆発したのが、新人歓迎会だったからである。
時は流れて8月。プロパー社員の新人が正式に職場に配属された。配属されて行われるのが、新人歓迎会である。
今までも全体の飲み会らしきものは行われているのを知ってはいたが、私がいる「OA室」の人間は誘われることは無かった。しかし、新人歓迎会と忘年会だけは別らしく、出欠席の紙が回ってきた。
私は、これを自分も歓迎してくれる会であると疑わず、出席と記入した。会費は7000円であった。高い。正直、月給額面残業代込み174,000円からその金を出すのはかなり痛かった。痛かったが、仕方が無いと思った。
そうして、久々にリクルートスーツに身を包んで、会場に着いたところ、以下の様な事が分かった。
なお、記念品として贈呈されたそのハンドブックは「仕事で必要だから」と言われたので私は自分で買っていた。彼らの初任給は、私が当時付けられる限度まで残業を付けてもらうのよりも、一切残業せず3万円は高かったはずである。
偉い人のよくわからない話を聞いて、乾杯して。新人代表のよくわからない決意表明を聞いて。なんか意味のわからない余興が行われていたのはぼんやりと覚えているが、途中でなんか気持ち悪くなり、料理も食わずに会場を抜けて家に帰った。
今なら、7000円も払ったのだからせめて夕飯代ぐらいは浮かしてやるぐらいの図太さは身につけたが、当時ピチピチの新卒だった私にはそんなものはなかった。
ちなみに、頭の中をぐるぐる回っているぐちゃぐちゃを吐き出して落ち着けたのはインターネットである。もっと具体的に言うとこの増田、はてなAnonymousDiaryのおかげである。ここで無茶苦茶愚痴を書いて、みんなにそんな会社やめちまえよって同情してもらって、やっぱりおかしいよね?おかしいよね?、と整理ができた。
そうして、スキルを磨いて、勉強して、戦略的に行動する事を心がけるようになった。
みなさんのおかげです。どうもありがとう。当時の増田がどれぐらい残っているかは、まぁ、わかんないくらい昔の話ですが。
さて、その後だが、元グループ本社のブランドが使えなくなり、営業網から外され、元グループ会社が格安で担っていた間接機能を自分でやらなければならなくなり赤字に転落。
元グループ本社から出向で在席していた人々…つまり売却に至っても本社が転籍させなかった優秀な人々…が徐々に去って、さらに買収した投資ファンドからクビ切り役人みたいな連中が送り込まれ、プロパー社員のボーナスが年3ヶ月分吹っ飛ぶ、労働組合が元グループ会社の組織から外されて見捨てられる、福利厚生が自社独自に切り替わる、など労働条件の改悪、激変が続く事になる。
当然元グループ本社と共同で半年以上かけてじっくり行われる新入社員教育なんてものは翌年以降は蒸発しなくなった。新人は極簡単なビジネスマナー講座と図面の読み方みたいな軽い教育を受けて入社後数週間で職場配置されてくるようになった。
同時に、派遣社員が増える事になった。それも元グループ本社の系列のグループ内向けの派遣会社(つまり私の所属会社)からではなく、他の派遣会社からの人材が投入される。金は無いが、今までグループ本社の機能に依存していた部分を自社化しなければ行けなかったからだろう。
さらに賃金が高い社員を中心に退職推奨と言う名のリストラが行われ、その代わりに派遣社員が加わるという事が特に現場系で進行する。更にラインまるごと海外のEMSに出されるようになっていった。
しかし、プロパー社員と派遣社員を切り分けて考えると言う企業体質や文化はそう簡単に変わるわけもなかった。妙な壁がずっとある。お給料から命令系統、食堂の食券価格や給茶機の掃除当番まで妙な区別が残り続け、それが原因でか、不合理で業務効率が上がらないことおびただしい形だった。
ただ、そうして、会社は一応は黒字になった。筋肉質になったと宣伝しているがリストラは黒字になるまでやるからリストラなのであって、黒字になるのは当たり前である。
そのタイミングで、元グループ会社本社が最後まで持っていた20%程度の株式を完全に売却する事になった。完全に手切れである。私が入社して6年ほどが立っていた。
そこで、私が所属している派遣会社も完全に撤退する事になった。元グループ本社のグループ内向け派遣会社であるからである。
かつて敷地内にあった派遣会社の事務所はとっくになくなっていた。同期もみんないなくなっていた。
そして、私に提示されたのは、派遣会社から派遣元の会社に正社員として転籍しないか、今と同じ仕事を続けられるよ、という誘いだった。
もちろん、断った。
会社側は、まさか正社員になれるのに断ってくるとは思ってもみなかったようである。それはそうだ。特に人事部門などは、痩せても枯れても元大手企業の工場で地元で最も安定した職場で誰もが就職したがる、と言う御山の大将であったからだ。
だから自分たちの仲間に迎えてあげることが最高の報酬だと思っていた節があった。だからせっかく人事に交渉して入社できるようにしてやったのに恩知らずが、みたいなことを言われたこともあった。
さて、断った結果どうなったかとと言うと、派遣会社としてはもう派遣業を拡大していないこともあり同じ地域では仕事がないといわれた。そのため別の地域に転勤になるがよいか、と。もちろんOKと言った。願ったり叶ったりだ。
そうして新しい派遣先を探るからと言うことで、改めて所有している資格などを申告せよという事になった。コツコツと勉強してとりためた資格などを開示した結果、ちょうど人手不足のタイミングと重なり元グループ本社のR&Dに派遣が決まる。
引継ぎ屋マニュアル作成をこなしながら異動の待機している間に、こんどはなんと所属派遣会社がグループ本社に吸収合併される事が決まった。
本社のR&Dに派遣ではなく異動という形で、あっと間にグループ本社の正社員になることができた。神風が吹いたと言える。
そうして今ではそれなりに暮らしているのだが、そんな今でも「新人歓迎会」と言われると、あの悪夢の新入社員一年目が、悪夢のホテルでの夜が頭をよぎるのである。
だからみなさん、相手の所属がどこだとか考えずに新人には優しくしてあげてほしい。あなたにとっては毎年来る新人かもしれないけれど、新人にとってはたった一度の新人時代なのだから。
また、新人の皆さんも、なんかおかしな事があっても人生何事も塞翁が馬である。よいこともあれば悪い事もあるが、前向きに、やってきたチャンスを掴んで離さない程度の握力を常に鍛えておく事ができれば、道は開いていくのである。
頑張ってほしい。
商品名としてやろなぁ
黒系スーツで女性は黒髪を一本まとめ、男性はレジメンタルタイなどの就活戦闘服概念は1994年ごろ(俺の記憶で)からとっくにあったやで
そのころはそもそもリクルートという言葉が企業名(お代官様に小判おくる汚職しおった悪企業の名。水戸黄門でいう桔梗屋・大黒屋くらい悪い)なんよ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E4%BA%8B%E4%BB%B6
記憶がうすれてねえんよ
まあ1988→2001の13年のみそぎでフレッシュでアホな新卒がまたリクルートを便利だといって利用するようになっちまったわけだけど
Benesse(偏差値教育)とリクルート(就活で自称サークルでリーダーシップをとっていた系アホとノックしてお辞儀云々のマナー講師を量産。卒業式次第をおしえるクズ高校教師かよ)と竹中平蔵(セーフティーネットなしの派遣業者)はマジで日本社会を新卒段階からダメにしたから反省してほしい
Wikiを見たら氷河期世代って2回あるんだね、自分の辛かった就活は2011年〜2012年(つまり11卒)だから第二世代にあたる気がする。
朧気な記憶と辛酸を舐めた感覚だけがトラウマ的に残っているから、忘れ去る前にだれかに知って欲しいと思って書き残す。
2011年はすでに「リクナビ 」「マイナビ」が発達していて、基本的に会社説明会はここからエントリーする形式だった。合同会社説明会も国際展示場で何度も開かれていて、そこに行って説明会を聞くか、エントリーして説明会のご案内がもらえればそこに行く形だった。
就活全体としては、説明会→ES→SPI/適正テスト→面接(グループディスカッション、一次面接、二次面接〜中略〜最終(五次)面接)→内々定のような流れ。説明会に行くのは必須。
何回も説明会に行って、何回も大学の支援センターでESで直してもらっても大体は書類で落ち続けているうちに、3月、3.11が起きた。
行こうとしていたNY行きの卒業旅行の3日前で、戸惑いながらキャンセルの連絡したら、向こうの代理店の日本人の方が、すごく丁寧かつ心配そうに良きに計らってくれて、問題なくキャンセルできて「あぁすごいことが起きたんだもんな」とぼんやりと思ったのを覚えている。
それからクソ暑い真夏もリクルートスーツを着続けた、暑くて辛くて惨めで、死にたくなったのを覚えている。同卒の学生は顔が良い人や、コミュ力の高い人から卒業前に内定を勝ち取っていったのを見ながら、自分に絶望しつつ頑張っていた。「お祈りメール」を読む日々のなかで、唯一お断りとともに自社製品を送ってくれたカゴメのことは今でも好きだ。戦略だとしても唯一優しくしてくれた企業だったので、喜んで掌の上で踊りたい。それくらい会社という社会からの拒絶感に病んでいっていた。内々定を3月にもらった友人が4月に内定取り消しを受けていた。内定取消し、圧迫面接、問題とされていたけど普通に起きていた時代だった。今みたいにSNSが発達していなかったから、個人で晒しあげる手段も空気もなく、不当だと感じつつ割と泣き寝入りしていた気がする。
就職したのは東京の小さなIT企業だった、25歳〜30歳の先輩はおらず、30歳以降の先輩は高卒しかいなくて、雰囲気が全然違って「なんだここは」と戸惑っていたのを覚えている。10卒の若干イケメンの先輩は明治卒だった。そんな時代だった。大田区の工場みたいな作業場で作ったものを、お客さんに届けるルートセールスを数年やった。客先からセクハラを受けて(手を舐められる、胸を突かれる、接待で連絡先を聞かれた後に帰宅時に付き合ってほしいとメールが来る)(今でも恨んでいるぞ中◯製◯)営業からはずしてもらったけど、セクハラもサービス残業(20-50h)も仕方ないよね、って時代だった。むしろ会社としては優しい方だったと思う。
会社が傾いてきて人員整理を始めたから波に乗って辞めた。半年アルバイトをしつつ就活した。運良くバイト先で社員登用されて希望の業界に転職できた。なんでかそこで人事を数年やったんだけど、12卒だけ圧倒的に「性格が良く仕事もできる子」が多くて、しみじみと氷河期を実感した。あの子達も時代が違えばもっと大手の待遇の良い会社に採用される人材だっただろうに…自分より不遇だな…となんだか時代の悲しさを思った。採用に関わった数年は、卒業年度によって応募してくる人達が全然変わることをすごく実感した。
こうやって書いてて思うけど、第一次氷河期の人たちの方がしんどそうだな、と思う。私達の頃は就活って大変なんでしょ?って認識があったし、就活自体過酷だったけど、悲惨さレベルが比較的マシ?なのかもしれない、母数も違うし。あと私みたいに20代のうちにキャリアを立て直せる可能性があった時代だった、私が25くらいから「第二新卒」って言葉で若手採用が行われて転職できるチャンスがあった。
ここ7-8年で「セクハラパワハラは悪!」「サービス残業なんてありえない!」「働き方改革!」「育休!」なんて風に怒涛のような労働のあり方が変わったよね。自分の世代が無理なく育休が取れ始めた世代なのかな。これでも今の新卒とは見える景色が全然違うんだろうな、私のときはこんな感じだった。良ければ他の世代の話も聞きたい。
就活中の日記読んでたらささくれだってきたので書き散らしただけの投稿です。
リクルートスーツで都心をウロウロするようになったら急にナンパが増えた。
という話を身内でしていたら、割とあるあるらしい。
何かしらのトラブルに巻き込まれて就活に影響するかもって思考がよぎり、心臓ドコドコさせながら逃げていた。
今思えば必要以上に怯えていた。変な逃げ方して面接先とか面接先の取引先とかの人だったらどうしようみたいなやつ。
街中で声をかけられるのもあったけど、面接が終わって後悔でぐるぐるしながら日に日に痛みの酷くなる胃にビール流し込んでる隣に座られる事もあった。空いてる居酒屋で急に相席するような社員が居る会社は切っていいからさっさと逃げるべきだった。
会社終わりらしいおじさんに、奢るからこっちのテーブルで飲まん?って言われたときはいやもう帰るんで…としか言えなかった。
就活中シフトを減らしてる中なけなしのバイト代で飲むアルコールぐらい味あわせてくれよ……
急いで店を出たのでイヤホンを落とした。ソニーのエクストラバス。
観光客なのか日本に住んでるのかまではわからないけど、「僕が(人種)だから逃げるの?」って言われたこともあった。急に知らないタッパのあるムキムキな相手に話しかけられたら逃げたくもならんか。文化差なのかな。
小走りで何かの店に逃げ込んで別の出口から出た。たしかその後迷子になった。スマホで地図が見れない時代だったらもっと怖かっただろうなと思う。
逆に恐怖が薄れたのは痴漢。
加害性で言えば食事やレジャーの誘いよりも高いんだけど、明確に犯罪なので精神的なダメージを負うより先に「ああこの相手には怒っても良いんだ」ってなったのだと思う。
就活がだいぶ瀬戸際で痴漢された時はだったので怖いよりも先に舌打ちをしてしまった。
舌打ちしたら舌打ちを返されて相手は車両を出ていったけど、帰ってからもしばらくイライラした。来年自分でご飯を買えるのかとか悩んでるときにのんきに尻触ってくんなって日記に残っていた。
状況によって痴漢をしてもいいという話ではないです。相手の性がなんであれ勝手に他人の体で遊ぶな。スクイーズじゃないんだぞ
まあ色恋目的だけはないと思う。社会経験が乏しくて直近の金銭の悩みがありそうな就活生をマルチとかにはめたい人とか。男女二人で話しかけてくるようなやつ。でもマルチっぽいな〜ってのは会社入った直後くらいのほうが多かったかもしれない。
現在はとりあえず自分で生計を立てて多少趣味に振れるぐらいの生活は出来ている。
疫禍中で帰省できずガンだった祖母を看取れず葬儀にも行けなかったり、彼氏と疎遠になった結果関係が消失したり、40度超える熱が出てアパートの隅で一人うずくまっていたりもしたけれど、今は元気です。
例のプール付き公営公園で"健全"や"卑猥"という指針が出され、この指針に定数も定量も無いなぁと感じたのだけれど、それよりも気になったのが「18歳未満のグラビア撮影を禁止にしたらどうか?」という試み的な提言をされている方が結構居るのが気になった。
ざっくりわかりやすくいうと、人物をメインの被写体として撮影することをポートレート撮影と言うのだけれど「18歳未満のグラビア撮影を禁止にしたらどうか?」を試み的に提言している人はグラビア撮影とポートレート撮影をどうやって線引きするんだろうか?
個人的におそらくは無理だと思われる。
何故ならグラビア撮影はポートレート撮影という大きなジャンルに含まれる小ジャンルであり、ポートレート撮影の近接用語は景色を撮影する風景撮影や、香水瓶や人形やガジェットなどを撮る小物撮りなどであり、ポートレート撮影というのははてな界隈で言うところの主語デカ問題だからだ。
グラビア撮影はご存知の通り、別に水着や下着、肌面積の多い女性だけを撮るというものではなく、少年青年漫画雑誌の表紙もグラビア撮影だし、露出とは真逆にライダースーツを着込んでバイクにまたがっている人物を撮影するのもバイク雑誌ではグラビア撮影である(バイク界隈のグラビア撮影には峰不二子的な方向性もあるけれど全体で言えば少数派だ。何故なら峰不二子に比肩できる女性はそう居ないから)。
いや撮り鉄のように特定の被写体が好きな連中も居るけれど、実際のところ撮り鉄が列車ばかり撮ってるのか?と言われると大半の撮り鉄は主な被写体が列車なだけで、奴らは列車の無い風景も撮っているだろうし旅先のメシも撮っているはずだ。
カメコとしてイメージしやすいアイドルの追っかけだってそうだろう。何なら筆者には妻も子も居るし、筆者の主な被写体は妻と子である。妻と子で培った撮影経験をアイドルの撮影に応用していると言っても過言ではないだろう。それくらい妻と子を撮ってる。
カメコへ共通する特徴は何なのか?と言えば、キモデブでオタクなおっさんではなくカメラと撮影の知識だろう。カメコなんだからそりゃあカメラを趣味にしていない連中よりはちょっと詳しい。
近年じゃスマホカメラの性能があがり誰も彼もが気軽に写真を撮るようになったが、女の子をより可愛らしく綺麗に撮るという点ではスマホカメラってちょっと不向きだよなという印象をカメコならば誰しもが持っているだろう。
スマホカメラのレンズはいわゆる広角レンズが大半であり、広角レンズは歪みが大きくて太って写る。標準体型がデブになり、デブはよりデブになる。それがスマホカメラのレンズだ。
世の中にはポッチャリ好きが居るというのは非常に重要な指摘だが今回はそこを問題にはしていない。今の自分よりもスマホカメラは太って見えやすいということを問題視しているのだ。
じゃあどうするべきなのか?と言えばズームするわけだ。最近のスマホカメラは多眼になっているので最も拡大できる望遠レンズを選択して撮影する。
ポイントはデジタルズームは使わないことだな。デジタルズームは単に画像ピクセルを拡大しているだけなのでレンズの歪みに影響しないので意味がない。
望遠レンズは広角レンズと比較して歪みが少ないので、痩せて写るわけではないが広角レンズにように太って写りにくい。
まだ女の子を可愛らしく綺麗に撮るポイントはある。1枚の写真へ全身を収める場合は顔を中心にではなく腰を中心に撮るのだ。
顔を中心に撮るとレンズというのは多少なりとも歪みが発生し、レンズの中央はレンズの端へ向かって歪んでいくので顔がデカくなり首より下が小さく写る。
自分の顔がデカいと悩んでいる女の子が居るとしたらレンズの中央で撮るというのは更にコンプレックスを強調する結果となるわけだ。顔はレンズの端へ持っていけ。
更に良いことがある。腰をレンズの中心に添えることで、前述した歪みから腰の部分が多少広がり相対的に上半身と下半身が細くなる。つまり小顔足長になり女性らしい身体の曲線が強調される。
ほんの少し下から煽るように腰を中心に撮影すると小顔脚長効果が更に増すぞ。
胸が小さめなのが悩み?いや一部に需要あるぞ?えっそういうの良いから大きく写す方法を教えろ?
逆に広角レンズを使え!広角レンズは歪みが大きいため、広角レンズで胸を中心に据えて顔もレンズの端に写るように近接撮影しよう。相対的に胸デカ小顔の写真が撮れる。これは逆にスマホカメラが有利だな。
ここに書いた写真撮影術を使えばマッチングアプリのプロフィール写真とかもちょっとは印象良くなるんじゃないか?需要あるか知らんけど。
カメコはこういう知識がある。撮り鉄は主な被写体が列車なのでポートレート撮影の知識がアイドルカメコと比較すると少々乏しいだろうけど、このくらいは知っている。逆に撮り鉄は雄大な自然とか真っ直ぐなものを歪み少なく真っ直ぐ撮る方法とかに詳しいぞ。
このようにカメラと撮影にちょっと詳しいヤツが疑問に思うわけだ、グラビア撮影とポートレート撮影をどうやって線引きするんだろうか?と。
何が健全で何が卑猥か?なんてポッチャリ好きや貧乳好きが居る世界で一定の線引きなんてできるわけがなく、世の中にはおそらく女性用リクルートスーツが性癖ですみたいなヤツとか、北海道とかに居そうなコートで厚着してモコモコになってる女の子良いよねとか言うヤツが必ず居る。そういう連中に取ってみればリクルートスーツもモコモコなコートのポートレート撮影も卑猥な写真になるのさ。
この世界には衣服を燃やす様子を映したアダルトビデオが存在するんだぞ?もちろん女性、というか男性を含めて人間、何なら生物は一切出てこない。本当に服が燃え上がる様子だけが淡々と流れる映像だ。ハイレベルすぎて理解が追いつかないがアダルトビデオとして実際に販売配信されている(一説には服が燃える映像がアダルトビデオとして販売されている事自体に意味があるらしい。こんにちわ宇宙猫)。
最後に蛇足だが、筆者の妻は不定期に筆者が撮影した妻自身の写真をセレクトし「これ遺影に使ってね」と言ってくる。カメコ冥利に尽きるよね。
今回のコーンロウのことに併せて「日本人の就活生、みんな同じリクルートスーツで個性がない。思考停止している」って批判してる奴ら結構見かけるんだけど、仮に就活生が個々それぞれの服装をしてきたとしてそこに何の個性があるんだ。そこに就職活動で見るべき、見せるべき何の個性があるんだよ。
仮に服飾系や私服勤務推奨してるような会社だったら面接時の服装も私服でってなってんだよ。俺が何件か受けた私服勤務系のITベンチャーでは「リクルートスーツで来ないでくださいね」って言われたところまであったわ。そういうところを見て何らかの能力を測りたい会社はそういう対応を取ってんだよ。
そうじゃない、結局スーツや制服で勤務するような会社だったら同じような服装してる中からその業務や社風に合った人間を服装以外の部分から掬い取るために、むしろ無駄なノイズになる外面的な特徴を排除するために似たような服装をしている方が都合がいいんだよ。軍隊の軍服、学校の制服も基本はそうだよ。どうでもいいところは揃えることによって、見るべきところの差がより明確になるんだよ。
「みんなリクルートスーツを着てロボットみたいだ、思考停止だ」って言う前に、なんでそうなってるのかちゃんと思考停止せずに考えてみろよ。
先に断っておくと、彼女とは親しくはない。中学を卒業して以来、きちんと会話をしたことはない。フォローを外されていたのを確認して私も彼女のフォローをすぐに外した。その程度の関係性だ。
彼女と私は同じ日に生まれた。私たちは同じ町内に実家があった。にもかかわらず全く違う人生を歩んでいることが面白かった。もしかすると見下している気持ちもあったのかもしれない。だからフォローを許可したし、こちらもフォローしていた。
彼女は生まれてからずっとこの土地にいた。小学校には保育園からの幼馴染がたくさんいた。父親の仕事は詳しく知らないが、母親は歯科で働いていると聞いたことがある。近所では有名なヤンキー両親だった。彼女の親は自分の親の家の敷地内に家を建てており(彼女は積○ハウスで家を建てたと自慢していた)、祖父母、おじおば、いとこたちに囲まれて生活していた。
一方の私は転勤族で小学校に上がると同時にこの土地に引っ越してきた。幼馴染などはおらず、親戚も県内にはいなかった。父はブルーカラーとホワイトカラーの間のような仕事をしていて(一応大企業の子会社で働いていた)、母は専業主婦だった。
私は小学校のあいだ、標準語であったこと、母親が働いていなかったことを理由にいじめられた。喋り方が気持ち悪いと言われた。祖父母に百貨店で買ってもらったランドセルに足跡をつけられ、水をかけられた。ピンポンダッシュをされた。遊ぶときにはいつもみんなに置いて行かれた。
同じ誕生日の彼女の方がこの土地ではスタンダードだった。彼女の周りには人がたくさんいて、私はひとりだった。近所に住んでいたため、下校のときは本当に惨めだった。みんなで楽しそうに学童に向かう中、私はひとりで家に帰っていた。
中学校に入ってから転機が訪れた。私は定期考査で学年1位を取りまくった。部活動でも表彰された。学級委員も生徒会も推薦された。先生からも生徒からも期待され、信頼されていたのを実感できた。常に私は同級生に、私の親は同級生の親に羨ましがられた。認められた、シンプルにいじめられなくなった。
一方彼女は成績が芳しくなく、態度も良くなかったため、常に先生たちから怒られていた記憶がある。部活動にも入っていなかったため、小学生のころほど大きなグループは形成できていなかった。
最終的に私は地元で最も偏差値が高かった私立の高校に成績優秀者の奨学金で進学した(公立はみんなが行くから嫌だった)。彼女は偏差値が30くらいの私立高校に専願で行った。
高校時代の話は割愛しよう。私はうつ病を拗らせたが無事に卒業して、地元の大学に進学した。彼女がこの間どうしていたのかは知らない。
大学に入って少しした頃、彼女からインスタグラムをフォローされた。
彼女は当時キャバ嬢をしていて、ヤンキーたちとつるんでいる生活が毎日投稿されていた。金髪だった。しばらくすると彼氏と付き合い始め、1ヶ月記念、2ヶ月記念、3ヶ月記念……と刻み始めた。
私もちょうど同じ頃、初めて彼氏ができたが、記念日など投稿しなかった(この彼氏とは3年目で別れた)。彼女は何ヶ月記念かに入籍して、数ヶ月後に出産した(子供の妊娠週数?も細かく刻んで投稿していた)。
ちなみに成人式のときにはボテ腹で振袖を着ていて、やはり妊婦であることを自慢げに投稿していた。私は成人式には行かなかった。
出産後も子供の月齢ごとに投稿していた(ストーリーは毎日)。この頃から飽きてきて特に注視していなかった。
フォローを外されたことに気がつく数ヶ月前、私は就活で使い終わったリクルートスーツを近所のクリーニング店に出しに行った。そこにいたのだ、彼女が。店員として働いていた。着いてきていた私の母が先に気がついた。
「あら○○ちゃん?」
私は言われるまで気がつかなかった。ふくよかになっていておばさんかと思ったのだ。
かたやパートで働く主婦、かたや結婚どころか彼氏もいない、就活のストレスでガリガリに痩せた学生ニート。
てっきり結婚して違う地域に住んでいるかと思ったが、親子三世代ここに住み続けていることにも驚いた。
私は地元ではそこそこの企業に総合職として内定をもらったので、バリバリ働くつもりではいる。結婚は……できる気がしないので、子供部屋おばさんまっしぐらである。
同じ誕生日、同じ地域に住み、同じ空気感の中生きてきた人間の人生がここまで違うのか。
私は彼女と目を合わせた。お互い話すことはなかった。私は母に物を託して先に家に帰った。
それから数ヶ月後、インスタグラムのフォローを外されていたことに気がついた。いつから外されていたのかは分からない。クリーニング屋の一件の前かもしれない。私はそのまま彼女のフォローを外した。たぶんもう互いの人生が交わることはない。
「就活」って聞いて思い浮かべるあの「就活」、多くの人は経験していないのになぜか「普通の日本人ならこなしてきた通過儀礼」のように薄っすら思われている。
もちろん「就職のための活動」は雇用されて働く人なら誰もがしたわけだけど、いわゆる就活はかなり限られる。
まず、「今就活生なんです」と言われると「大学3、4年生なんだな」って気持ちになるので、「就活」は薄っすら大学生の行事だ。
で、就活では、なんとなく合説(ごうせつ、合同企業説明会)に出席して、その後ES(エントリーシート)を出している気がする。
このESを出すというのも、お問い合わせのメールアドレス宛にPDFを送りつけるというのではなくて、マイナビあたりの会社が提供するマイページの定型的な提出フォームに入力して出す気がする。
で、面接は1,2回ではなくて、GD(グループディスカッション)やケース面接、集団面接、人事上席との面接、役員面接(または部長との面接)みたいに段階を踏むことが多い。
このような本選考に進む前に、インターンなる企業主催のイベント(労働というよりイベント)に参加してみたり、OB訪問をしてみたり、リクルーター(学生との窓口になる社員。採用担当者ではないことが多い)から電話が来たり、そこから早期選考が始まったりしている。
ここまで解像度が高くなくとも、リクルートスーツで身を包み、八重洲口を抜け、ドキドキしながら丸の内のでっかいオフィスビルを見上げて最終面接に臨む、みたいなのはなんとなく誰もが想像する「まあ就活ってこんな感じだよね?」な絵面だ。
……そんな感じの「就活」、実は日本人のごく一部しか経験していない。
だというのに、「普通の日本人ならこなしてきた通過儀礼」のように思われているのはどうしてなんだろうか。
創作物でもさも当然のように「就活」の概念が出てくるし、旧2chでも「面接官『○○ですか?』」スレは根強い人気があった。
実際には多くの人が経験していないのに「普通の人は通ってきた道」のように扱われている「就活」。
これって不思議じゃない?
面接会がどんなものか気になる人もいるかと思うので備忘録的に書いておく。
0. 前提
私は30代女性、発達障害(自閉症スペクトラム)で障害者手帳(精神障害者保健福祉手帳三級)を取得している。今はパートとして一般就労で働いているが、収入面と将来性から転職を検討中だ。ただ、通院の必要性や体調(心理面含む)への不安から、正社員になるなら障害者枠だな、と思っていた。そこでハローワークに行ったところ、面接会のことを教えられ、参加を決めた。
1. 準備
まず、今回の面接会に参加するためには「ハローワークの紹介状」を発行してもらう必要があった。
面接会に来られる企業リストから、面接を受けたい企業を決めて、ハローワークの職員さんに伝えることで、紹介状の発行と同時に面接の時間枠をとってもらう。
私は気になっていた一社のみ参加希望を出したのだが、枠をずらすことで複数企業への応募も可能だ(実際にふた枠連続で別企業の面接を受けている参加者もいた)。
あとは履歴書を準備し(求人によっては職務経歴書を求められることもあるかもしれない)、面接会当日を迎えた。
2. 会場の雰囲気
当日、面接開始時刻の2〜30分前に会場入り。交通アクセスの良い会場が設定されていることが多いと思う。ハローワークの職員の人が大勢いた。
前の枠の面接が終わるまで待機。
他の参加者を見てみると、基本的に皆スーツである(いわゆる就活服)。ただし、私は(年齢的にも)バリバリのリクルートスーツじゃなくても良くない?と思ったので、ジャケットと襟なしブラウスにスカートで参加した。とりあえずビジネスっぽい服装をしていればいいんだと思う。
あくまでも「障害者」就職面接会なので、参加者の障害は様々のようだ。「支援者」の腕章をつけた人と一緒に参加している人も結構いた。おそらく就労支援施設のスタッフだろう。会場の椅子も、二人分が用意されていた。
3. 面接内容
私が面接を受けたのは、小売業会社のバックオフィス部門。話を聞いた感じだと、法定雇用率の問題から障害者雇用を進めていきたいものの、未だ社内での制度整備が進んでおらず手探り状態での募集のようだった。
主な質問内容は以下の通り。
・当社のことを知っていたか
・障害を「発症」した経緯(正確には先天性障害は「発症」するものではないが、とりあえず診断に至った経緯を説明した)
・働く中で、障害があることでどのような困りごとが起こりうるか、どのような配慮が必要か(採用のためというよりは純粋に「障害に対する知識を得たい」という視点を感じた)
質問としてはこんな感じで、後は各問について掘り下げる会話となった。
面接会という形態の特性上、面接一回あたりの制限時間というものが設定されており、それがかなりタイトだと感じた。まだ話せていないことがたくさんある段階で「残り5分です」のアナウンスが聞こえてびっくりした。
結局、障害に関する話だけでほぼ時間を使い切る形となった。志望動機や業務内容など、いわゆる「面接で聞かれるor聞く話」に関しては、(もし今回の面接に通ったら)二次面接ですることになるのかもしれない。
4. 感想など
一つのフロアに数多くのブースが設置され、そこで一斉に面接が行われるというシチュエーションは、なかなか新鮮だった(どうしてもガヤガヤするので、聞き取りが苦手な人は要対策)。私は一社のみの応募だったが、何社も応募する人にとっては、とても効率の良い形式だろう。
募集職種としては、いわゆる軽作業系が多いのは確かだが、割と幅広い求人が出ていたと思う(都会の方の面接会ならさらに選択肢が多いはず)。ハローワークの職員さんによく話を聞くといいかもしれない。
また、当事者として生きていると気づかないが、「普通」の人たちは意識して知ろうとしない限り、障害とは何か、どのようなものか、どんな配慮が必要か、といった「知識」を持っていない(どんなに優しくて親切な人でも)。だからこそ、よく言われるように「自分の障害を深く理解し説明する力」が、障害者雇用面接の場面では重要になるのだろう。
以上、私が参加したハローワーク主催の障害者就職面接会の概要を述べた。
何かの参考になれば幸いである。