はてなキーワード: リア友とは
コロナなんかより桜を見る会の話をしろと言っていたのはまだ可愛いほうだった…
あるタレントがステマをしないと言ったら自分の思想を話すことができなくて可哀想と言ったり。
変な人に話しかけられそうになって嫌だったからあの店は性別で席をわけろと言っていたり。
その友達と、もう二人別の友達含めて四人でたまに会うが、もう二人の友達とは遊ぶ前に絶対Twitterの話はしないようにしようねって話してる。
ちなみにリアルで会うと至極ふつーーーな人で、Twitterとのギャップにいつも驚いてしまう。
まあうんこ!!とか呟いてる人がリアルでもうんこ!!って言ってるとは限らないように必ずしもイコールにはならないけど…
前はこんな人じゃなかったんだけどなあ…ここ数年ツイフェミっぽさが顕著になってきていてツイートみるだけでもウヘエってなってしまう。
※自己陶酔長文
※同人界隈のくだらない話です
※ハガレンはあくまで個人的な感想、感慨、そういうものの中で引き合いに出しただけです。こじつけというか、たまたまこういうものの中で自分がしっくりくるのがハガレンだっただけです、うまく言えないのですが。ハガレンが好きな方は閲覧気をつけてください。
「鋼の錬金術師」という有名な漫画がある。鋼の義肢を持つ兄のエドワード・エルリック(通称エド)と、鎧姿の弟、アルフォンス・エルリック(通称アル)が、「真理」(神様的な存在)に奪われた自身の体を取り戻すための旅をする中で賢者の石をめぐる壮大な陰謀に巻き込まれていくダークファンタジーである。
私はこの漫画が大好きなのだが、一つだけ「あんまり気に入らないなあ」という展開があった。それは、物語の最後、主人公のエドがアルを取り戻すためにとった手段のことである。
そもそもなぜ兄弟は体を奪われていたのかというと、死んだ母親を蘇らそうとして人体錬成を試みた結果、錬金術の「等価交換」の法則により、代わりに自分たちの肉体を奪われてしまったからだった。二人の肉体を取り戻すには万能のエネルギー源である「賢者の石」が必要だったのだが、エドとアルは賢者の石が生きた人間を材料にして作られていることを知ってしまう。
経緯をまるっと端折るのだが、結局物語の終盤、エドは賢者の石を使わずに二人の肉体を取り戻す方法に気づき、実行する。エドの決意に、「真理」は「正解だ」と言って笑う。
エドが全てを取り戻すために差し出したのは、エドが錬金術を使う能力そのものだった。
私はその展開に正直もやっとしていた。
「鋼の錬金術師」の見どころの一つは、エドが繰り広げる巧みな錬金術の数々だったからだ。それに、「最年少国家錬金術師」という厳つい肩書きや手を合わせるだけでどんどん色々なものを作り、意のままに動かすバトル、錬金術の知識を使い炭素硬化の能力を使う敵をもろい消し炭に変えてしまう展開……。錬金術はエドというキャラクターのアイデンティティだった。
実のところ、錬金術のような便利なものに頼らず額に汗して自力で生きろという作者のメッセージは作中で示唆されてはいた。エドの師匠のイズミは凄腕錬金術であるにも関わらず、「錬金術に頼っちゃいけない」と言って近所の子供の壊れたおもちゃを手作業で直す。そしてエドも最終回、「錬金術がなくてもみんながいるさ」と、金槌を手に清々しい笑みを浮かべる。
だが、やはり読者からすると、「それでいいの⁉︎エド、あんたすごかったのに」と思わざるを得なかった。
しかし今、Twitterをやめたことで、エドの清々しい笑みの理由がわかるようになった気がしたのだ。
前置きが長くなってしまった。
私は同人の字書きである。Twitterやpixivで二次創作小説をアップするとそこそこバズる、ジャンルではまあまあ人気の字書きだ。
小説を書くのが好きなぼっちオタクの私にとってTwitterは、ジャンルの情報や推しの素敵な二次創作、実社会のニュースやトレンドをリアルタイムでたくさんチェックすることができる大切な情報ツールであると同時に同人友達を見つける出会いの場であり、萌え語りができるコミュニケーションツールであり、どのような傾向の話を書けば芳しい反応が返ってくるのがすぐにテストできる巨大な実験場であり、お手軽に承認欲求を満たしてくれる蜂蜜の壺のようなものでもあった。
しかし、同人界隈でTwitterをやっていると、疲れることもたくさん出てくる。人間関係、承認欲求、ジャンル学級会。三者三様に歪められたキャラの二次創作がどっと流れてくるタイムラインに疲れ、私は果たしてこのキャラを本当に好きなのだろうか?それともみんなで口をそろえて「〇〇ちゃんえっち」とか「可愛い」とか「エモい」とか言わなければいけないような集団意識のせいで好きだと思い込んでいるだけなのだろうか?と悩むこともあった。Twitterでキャラグッズを次々と大人買いする人々や、論理が通っているのかよくわからない考察ツイートを見るたび、胸焼けするようになってきた。創作でも、いわゆる「互助会」に組み入れられるのが重荷になってきた。
それでも、同人のSNSが私の生活の中心にあり、そこでの中堅字書きという立ち位置が数年の間私のアイデンティティだったから、Twitterをやめられなかった。情報を追えなくなったり、忘れられたりするのが怖かった。
(一応リア友もいないわけではないけど、就職を機に皆地方に散ってしまってあまり会えないし、しょっちゅうはやりとりしないため「居場所」感はあまりなかった)
冴えないぼっちの日常生活を送る私の唯一のきらきらしい社交場が失われることへの不安感から、私はTwitterを続けていた。
だけど、限界が来た。
きっかけは、私が、おそらくリモート飲み会で、ジャンルの顔的な人の不興をかったことだった。このことについては何を言っても主観になってしまうのでうまく説明できない。特別な粗相をしたつもりはなかった。ただ、今まで仲良くしてくれていたその人が、飲み会を境に急に全く絡んでくれなくなったので、何かしてしまったのかな天…と思った、というところだ(他の飲み会メンバーからはハブられてはいなかったけれど、わざわざ「私なんかやらかしました?」なんて鬱陶しがられる自意識過剰な質問もしづらかった)。強いて言えば最初、私のスマホの電波があまり良くなくてもたついたせいで若干場を乱してしまったとか、その人が話しているとき一度トイレに立ったとか、そういうことはあった。もしかしたらとんでもない粗相を無意識のうちにしていたのかもしれないし、あるいは全く別の理由かもしれない。
とにかく、その人が絡んでくれなくなった瞬間、その人の取り巻き的な人たちがほとんど反応してくれなくなったのだ。
Twitterで彼女たちがワイワイ盛り上がっているのがやたらと目についた。彼女たちの創作をヨイショすれば機嫌を直してくれるかもしれないけれど、不純な動機で同人を利用するのはもう嫌だと思っている自分がいた。
私は、何をすればいいのかよく分からなくなってしまった。彼女たちより有名な字書きになって見返してやろうと憤ったり、自分を責めたりと、このご時世において生活に困っていない恵まれた身でありながらバカみたいな理由でメンタルがぐちゃぐちゃになった。ジャンルの顔的な人や、それに媚びている取り巻きたちのかいた推しを目にするたび、推しそのものが嫌いになり始めている自分がいた。
(また、同人界隈がきっかけになって仲良くなり、LINEを交換して旅行などにも行った人たちがジャンル移動していたため、TwitterでやりとりすることがほぼなくなったというのもTwitterをやめるきっかけの一つでした)
楽しいこと、心が慰められることよりも、つらいことの方が上回っていると気づいたとき、やめようと思った。
そして私は、ずっと私の生活の中心にあった同人アカウントを消した。消す前から、このご時世における自分の悩みの卑小さ、不毛さには気づいていたが、消して改めて、自分が長い間スマホの中の小さな世界を首を縮めてのぞきこむばかりで、顔を上げてきちんといろいろなものの広がる世界を見ていなかったのだと気がついた。
思えば、どこかに観光に行っても、何を食べても、Twitterに投稿することばかり考えていた。何を書けばウケるかとか、通知の数とか、そんなことで頭がいっぱいだった。いつのまにか自分自身で、同人アカウントしか居場所がない状況を作っていた。
世界の命運や肉親の志を背負って闘うエドと、ただの同人字書きの私では月とすっぽんよりさらにかけ離れており、同じ括りで語るのはおこがましいこと限りないということは分かっている。
しかし、そのとき私は確かに、エドの最終回での清々しい笑みの理由がわかった気がしたのだ。
エドは、錬金術の能力を手放すとき、「思えばずいぶん踊らされたよな」と口にした。錬金術師として活躍したエドは、しかし、錬金術で母親を蘇らそうとして大切な家族を奪われ、錬金術を使い倫理にもとる悪事をはたらく者たちを数多く見てきてもいた。錬金術は、壊した物を直すこともできるし、武器にもなる、一見万能な術だ。しかし死んだ人間を蘇らせることはできないし、錬金術頼みでは解決できないこともたくさんある。
Twitterも同じである。日常のあらゆる情報をリアルタイムで発信する。Twitterを使えば全世界の人々と繋がれる。しかし、日常に入り込むそれらは、同時に、日常を強大な「それ」(錬金術/Twitter)なしではいられなくさせてしまう。「それ」を利用しているはずの私たちは、いつのまにか「それ」越しでしか世界を見られなくなってしまう。
錬金術にしろTwitterにしろ、便利ですごいものは良くも悪くも影響力が大きくて、世界やものの見方を変えてしまう。それに振り回され、人間の作った枠組みの中でおだてられて自分はすごい人間なのだと慢心し、甘い汁を吸ったかと思えば虚しい思いもする、そんな力の渦から脱却したから、エドは最後、笑ったのだと思う。
Twitterを退会し、同人の交流をやめてできた時間の中でやりたいことは意外と早く見つかった。小説や映画など色々なものに触れてみたい。資格を取ってキャリアアップしたい。今は難しいが、時勢が安定したら小説のカルチャースクールに通いたい。どうにかして、ネット頼みでなく新たな交友関係を築けるよう模索していきたい。
たぶん、徐々にTwitterをやめたことに対する寂しさや後悔は増していくのだろう。それでも、私のなりたい未来の姿は小さな世界の局所的人気者ではないから、寂しさを糧にしてふんばりたいなと思っている。
最後に。
Twitterでは主に学生時代のリア友と繋がっているのだが、
このご時世のせいか、ある友人のTLが現政権の批判で埋め尽くされていて、
それをみるとションボリしてしまう。
もう一つ、漫画が好きなので漫画家さんも何人かフォローさせていただいているのだが、
その中の1人も上記の友人の様な感じでションボリした。
なんだろう、この感情は。
このションボリを説明できる人がいたら、ぜひ教えて頂きたいです。
ミュートにすれば良いだけの話だが、
こんな事でミュートにしないといけないという事実にもなんだかションボリする。
でも言論の自由って言うし、
あなたたちの主張は、私には合わないですってだけの話でした。
Twitterを(ほぼ)辞めた。まあまあフォロワーがいる某ジャンル二次創作の垢と、ジャンル違えどまあまあ仲良しな人(ネットのみ)がいる垢と、リア友10人くらいの垢のうち、前者2個を消した。別に嫌なことがあったとかではない。なんとなく、「ジャンルが移る度に友達が消えて増えてを繰り返して、一体何になるのか?」と思ってしまったから。それで1個目の垢を消したら、2個目の垢もなんか見る必要なくなった気がして消した。リア友の垢はあまりタイムラインが動かないから見る頻度が朝1回だけになった。
時間が余る、余る。もともと某ジャンルに飽きかけていたこともあり、描く物がなくなった。漫画家になりたいといいながらなる実力も気力もなく、簡単に滾る気持ちを手に入れられる二次創作をしていたが、そろそろ本気で目指そうか、と思い、ネームを描いたりもしたが、途中で飽きてしまった。たんに飽き性である。
流行りは変わっても常に何か投稿・交流する場所を開拓していた。
怖いもの知らずな年頃だったってのもあるかもしれない。
今は「発信」という感覚があるのか、
昔はあれもこれも全部投稿していたのに。
気がついたらいま、インターネットのどこにも「自分」の投稿がない。
Twitter、FB、インスタ、Youtube、TikTokなどアカウントは持っていて毎日チェックしている。
でも全てROM専。
でもなんで?叩かれるのが怖いから。
いや、実際叩かれるなんて滅多に無いよ。一般人だし。
でも違うの、叩かれる・炎上の手前にある
「ふ〜ん」「ププッ」「キモ」「ださ」これら感想を抱く人がごくわずかでもいることが想像できてしまって嫌。
この人、アンチスレあるかな?あるとしたら「〇〇」って書かれてるだろうな・・・
だから自分が何かを投稿しようとしても粗探しポイントに目がいってしまって
すごく楽しかった。
今は「いいな」と思うものがあってもハマるまでいけない。
今は何にもハマっていない、という回答じゃ満足してもらえなかった。
これうまく乗り切れる嘘あったら教えて。
「発信」へのハードルが高いよりは低い方がいいって自分でもわかる。
情報を集めるため、趣味仲間と交流するため、ネットをたくさん使った。
だからこそネットで悪口を見つける方法も叩かれる事案もたくさん知ってしまったのかな?
みたいなやつも一例な気がしてきた。
手料理も、結婚式も、飲み会も、空の写真も、いいと思ったコトも、些細なことも。
いま人生初「ストロングゼロ」を飲んでるから、どうか許してください。
同じような気持ちの人、居る?
ちょっと罪悪感に苛まれているので色々意見を聞いてみたい所存。
先週の頭に会社の後輩から「週末に〇〇さん(共通の知り合い)と晩飯食いに行くかって話しをしてるんですが増田さんもどうですか」と誘いを受けた。その時点では特に予定も入ってなかったのでOKした。
「詳細決まったらまた連絡します」との事。その後輩は勤務地も離れてて毎日会ったり話したりする関係の人ではないので、その後一切やりとりすることもなく、連絡が来ることもなく当日を迎えた。
前日までに連絡が来てなかったのも気になってはいたんだけど、特に予定もなく臨機応変に動けるからと待ちの体制だった。お流れになったのかもなぁ、なんて考えてもいた。
んで状況が変わったのが当日の15時頃。友人グループから「21時頃から遊ばないか?」と誘いがあった。
後輩との約束の詳細が分からないので一旦返事を保留にしてもらった。後輩に電話をしてみたけど出ない…
正直友人グループからのお誘いは魅力的だったので顔を出したい、人数制限があるとの事で返事は急がないといけない。後輩との話しが流れてるんだとしたらリア友の方を断るのももったいない。飯食う時間によってはそっち済ませて21時から友人と合流する事も可能かもしれない。
色々考えた結果後輩からの折り返しを待たずに友人グループに「遊ぼうぜ」と返事をした。
「さっきの電話、今日の件ですよね?連絡遅れて申し訳なかったんですが、21時に△△の辺りに集合するってことになってます」
「あぁ、21時か…実はさっき別口から誘いを受けて、流れたのかと思ってそっちに顔出すって言っちゃって……」
と事情を説明した。幸い店予約してるとかではなく、適当に店探す感じだったらしいので後輩の方を正式に断って友人の方に顔を出すことにした。
というのがことの顛末なんだけども、生来の小心者が災いして罪悪感に苛まれてる…うやむやだったとはいえ後輩との先約を反故にしてしまったなぁと。
しかもその日の23時すぎ頃に後輩と〇〇さんから数件の着信があったんだけど、友人と遊んでたから電話に出られず無視する形にもなってしまった。
ただ後輩に不満がない訳でもない…特に予定が無いとは言ったけど、前日までに連絡貰っとかないとモヤモヤするし他の予定も立てづらいじゃねぇか!とか。決まってるんだったらなんでこっちから着信入れるまで連絡よこさなかったんだ!とか。
ただこっちにも当日の夕方まで確認の連絡を特にしてなかったていう落ち度はあるわけで…悪いことしたなぁって気持ちと後輩のせいにしてしまいたい気持ちが鬩ぎ合っていて心がしんどい!
厳しい意見でもなんでもいいので、他の方の考えを聞いてみたい…今後似たような事があった時に、今回より上手く立ち回れるよう参考にしたい所存でございます。
昔っからの相互フォロワーの何人かが、気がつけば数万のフォロワーをもつアルファツイッタラーになっていた。
自分は120:200程度。Bot除いたら1:1くらいじゃないか。
彼らは何かつぶやくたびに、熱心なフォロワー数人が即座に「いいね」を押す。お前らほんとにいいねとは思ってねえだろ。
少なくとも、相互フォロワーになったころはアルファツイッタラーなんかではなかった。アルファだったらこっちからフォローは絶対にしてないだろう。
彼らと自分の何が違って、そんなにフォロワーがつくようになったのかは知らない。
お互い、リツイートやリプライでホームTLが埋まるようなタイプではない。趣味嗜好の共通はあるが、リアルでの付き合いはない。自分をリツイートしてくれるわけでもないので、承認欲求を満たしてくれるわけでもない。
アルファになってなお、おごらず、こっちのフォローを外さないでいてくれる、というのは有難い、と同時に、アルファツイッタラーとしての彼のファンは、いつか自分の存在に気づくのだろうか。
思想的、政治的なツイートが炎上して、物好きがフォロワーを"掘る"というのはよくある話。第三者はリア友だと勘違いするかも知れないし、それを違うと釈明する方法もない。
完全に私怨なのだが誰にも何も言えないのも苦しいのでここに書かせてほしい
同人活動で友達ができたのだがだんだんそいつに対してイライラすることが増えた
切れるなら切りたいがそいつの結婚式に行かなければならなくなって余計気が重い
どの点でイライラするのか自分でももうよく分からないが小さなことの積み重ねの結果のような気がする
同人イベントにサークル参加したときに私の本の上にそいつのカバンを置かれたこととか
一緒にサークル参加したときにペットボトルを私の本の上に置かれたこととか
出会い系アプリを使って彼氏作って結婚することになり結婚できると思わなかった〜と白々と晒していることとか
そいつが他の友達から罵倒されたりブロックされたりして泣いていたのでこちらとしては真摯に応じたのに
何がしたいんだこいつ
会うと自分のはまってることをマシンガントークしてきて私の話は聞いてもらえない(話がないときは気が楽だ)
そいつがお金持ちでおしゃれでランカーだって主張したいのはわかったし
そいつの高校時代の友達にそいつの絵を貶されたのにも関わらずその高校時代の友達の被お気に入り数をすぐに超えちゃったのは
今までのリア友にこんなやつあんまりいなかったからもうどうにかしてくれ
チュプになるらしいので同人オフは卒業〜とか言ってるけど子供が幼稚園くらいになったら
あっさりオタクがえりするに一万票入れたい
お前が散々主張してきた一人前の社会人()ってなんだったんだよ
結局チュプ様かよ
専用ヲチ板までできかかったの今ならわかるわ
お前の性格のせいだもう治らん
もう二度と絵描かないとか言って華々しく()引退したくせに数年したらパソコン買っちゃったってなんなんだよ
もう人のこと見下げて自分の方がすごい自慢するのもいい加減にしろよ
こんなやつと付き合ってきた自分が情けない
人を見る目がなかった自分が情けない
チュプ友とかママ友とか作って自分とはフェードアウトしてほしい
12/12追記
もう2年くらい前のことだ。私は某ジャンルのマイナーカプにはまり、せこせこ同人誌を作る腐女子だった(今は別ジャンルだが同人誌オタクなのは変わってはいない)。
ある時、「普段はAB描いてるけど、モブ×Bの同人誌を出したい!」と一念発起し、1話16ページくらいのオムニバス形式で、100ページ程の本を作った。楽しい本にしたいという思いから、普段そのキャラを描かないようなリア友や、普段CBを描くフォロワーにも嫌じゃなかったらお願いしたいです💦と言ってお願いした。このCBのフォロワーがやばかった。
TwitterのDM上で締切や仕様やらなんやらやりとりして、締切がこの日です!と言うと、割と早い段階で「完成しました!」という文とストレージサイトのURLが送られてきた。
「早いですね!ありがとうございます(><)」
と伝えると一言、
「いやー、もうこれでいいやって思って」
え?
「もうこれでいいやって」
?????????????????????????????????
もうこれでいいやって何???
は?え?え???
激おこです。
こっちは死ぬ気で良さを伝えようと頑張って死ぬ気で描いてるんだよ。別にさ、当たり前だけど「描かせてやってる」とか微塵も思ってないし、「描いてもらってる」側なのは分かるけどさ。せめて「仕方ねえな〜ちょっくら本気出してやりますか」コキコキ
くらいのノリで描いてくれよ。気が乗らないなら上手くいって断ってくれよ。頼むよ。私ならゲスト頼まれたらよく分からんジャンルでも自分なりに調べて自分なりにそのキャラやカプの良さを解読して頑張って表現して描くよ?なんだこいつマジで……思い出したら腹たってきた。
そいつから貰った原稿、楽しみにしてたけど確認してる時完全に虚無だった。「これ適当に仕上げられたんだよなあ……」と思うとマジで辛かった。
装丁とかもめちゃくちゃ凝ったあの本は私史上最高の神本なんだけど、あいつのページ見る度に苦い思いになる。
特定されない為に以下の記述にはフェイクをいくらか織り交ぜてある。
人が苦しむ姿を見て楽しむのが趣味だ。
そんな俺がここ最近特に観察するのを楽しみにしているなろう作家がいる。
彼は40万字書いてアクセス数がやっと一万五千を超えるかどうか。
対して俺は書籍化にはほど遠いが100万アクセス以上の作品がいくつかある中堅作家といったところか。
その男は別にリア友という訳ではなく、ただのネット上の知り合いだ。
だがその男がエッセイで、活動報告で、ツイッター上で吐き出す苦悩を見るのが本当に好きなのだ。
誤解されないように言っておくが、彼の力量は決して低くない。
むしろ俺などよりもずっと巧みで、彼の作品を読む度に俺にはこんな文章は書けないと思わされる。
そんな彼が何故俺程度すら超えられないのか。
これは単に俺が彼の作品を読んだ感想でしかないが、彼の作品にはいつも何処か寂莫とした感覚が憑き纏う。
読んでいて居心地が悪いというか。座りが悪いというか。
「この登場人物に本当に感情移入していいのか」とビクビクしながら読み進めることになる。
彼の作品には「書きたい」という気持ちも「読みたい」という熱意も篭もっていないからだ。
彼は単純に「書ける」ものを書いている。加えて大衆受けする作品でもない。
だからと言って俺は彼に「自分の書きたいという気持ちや読みたいという感情を大事にしなよ」とはアドバイスしない。
彼はエッセイで絶叫している。
スランプの最中で自分の書きたいものを書けなくなってしまったと。
どんなコンテンツに触れても「作品の為のネタ集め」としか思えなくなって、自分の読みたいと言う気持ちが分からなくなってしまったと。
そんな彼に上記のアドバイスをするのは「お前には絶対に名作は書けない」という宣告に等しい。
俺は彼の筆を折りたくない。彼の苦悩をずっと見ていたい。
だから俺は何故彼の作品がダメかの根本には触れないようにしながら、彼が苦悩を吐き出す度に共感する振りをしつつ、優しい言葉をかけ、当たり障りのないアドバイスをする。
彼がなんとか作品を書き続けてくれるように。
しかし彼も薄々分かっているのだろう。
自分は「書きたい」「読みたい」という感情がないから駄目なのだと。
分かっていながら届かないものに手を伸ばして、それが指先にもかからない人間の苦悩は何よりも価値がある。
彼の人生が上を向くことはあるのだろうかと思う。
彼はフリーターで、もういい年だ。
根っからの無性愛者(アセクシュアル)で他人と恋をしたいと思ったことが無い。
それでも書けるから書いてしまうことが彼の苦しみを助長させている。
もし彼がうつ状態から回復できれば「書きたい」や「読みたい」も生まれるかもしれない。
でも、彼にそんなチャンスがあるだろうか。
そう思い悩み、彼の境遇に思いを馳せ、彼の苦悩をテイスティングする。
俺は彼の苦悩のファンだ。
こんなに価値のある苦悩をしている人間がいる、と誰かに伝えたくてこの文章を書いた。
できれば彼が自ら命を絶つことなく、筆を折らず、無名作家のままでいてくれることを俺は願う。
無茶な願いだろうな。
もうどこにも吐き出せる場所がないのでここに書く。
自分用の文章なので、最初から最後まで意味不明で読みづらいと思う。
リア友もちらほらハマり始めてて、人気絶頂に差し掛かる直前であったそのジャンルにどっぷり浸かって、推しもできた。
二次創作が好きでその推しの二次作品を見ては自分でも生産し続け、イベントに行ったり結構なお金をかけて関連グッズも揃えたりする楽しい生活を送っていた。
アニメやマンガのような最終回がなく、ファンがいる限り半永久的に続くそのジャンルにはまり続ける内に、ある時別の推しができた。
中途参戦したその推しは、登場のタイミングが非常に悪く(ジャンル内最大手の記念日前後に参戦)、最初こそ騒がれたものの人気は言うほど芳しくなかった。
それでも固定ファンはいたし、当時盲目的にこのジャンルが好きだった自分は何の疑問もなく新たな推しの作品を作りまくった。
作りまくってるうちに、「あれ?推し、なんかマイナーじゃね?」と気づき始めた。
まず、圧倒的に仲間が少ない。推しを兼任しているファンは多いけど、自分のように「最推しです!」という仲間がまずあまりいない。
それでも村に入れてもらって妄想ツイートや馴れ合いをするのが当時凄く楽しくて、毎日仲間と騒いでた。
当然、作品もこれまで以上に作りまくった。
それらの伸びの悪さの一因が推しのマイナー故である(それ以上に自分の創作力のなさもあるけど、)ことも最初はあまり気にならなかった。
それらを繰り返している内に、周りの仲間達は新たな大手推しやジャンルをそれぞれ見つけたらしく、段々と作品を作らなくなっていった。
毎日一緒に狂ったように推しへの愛を叫んでいた仲間ですら、推しの話を全くしなくなった。
そして段々皆、新垢を作って引っ越していった。
自分は皆のジャンル移動とは別に、村に流れる残った者同士の義理交流の空気にも疲れていた。
正直良いとは思えない作品でも、作ってくれれば褒めざるを得ない。まぁこれについてはお互い様な部分もあったろうけど。
その頃の自分は推しが受けのジャンル内最マイナーレベルのCPにはまっていて、村で必死に一人でCP作品を産み続けていた。
仲間や外の人が評価をくれたり、たまにお恵みのように作品を上げてくれたけど、それもオンリーワンに飢える自分へのためだけで、
それがどれだけ神作品でもCPの人気上昇には程遠く、更に上記のようにジャンル移動があったのも重なって段々と村内でも推し単体の作品さえ見かけることがなくなっていった。
どれだけマイナーでも、厚かましいのは分かっているが好き嫌いはある。
それでも、貴重な推しの作品を好みが合わないからとスルーすることで仲間が今以上に減るのが怖すぎて、疲れながらも作品を評価し、義理の感想を送っていた。
そして同時に、一応推しと兼任だと謳いながら別推しの作品ばかり作り高い評価を得ている人達に激しく嫉妬するようになった。
「承認欲求」という言葉が頻繁に聞かれ始めた頃で、自分も承認欲求にやられるアマチュア底辺作家の典型タイプになった。
かつて同じ推しを好きで萌え語りをしまくっていた仲間が、別ジャンルで伸びて別の仲間と盛り上がっている。
そしてたまにひょっこり推しに戻ってきて作品を作っては、自分よりずっと高い評価を得ている。
こっちの方がずっと一途に推しを愛して何年も浮気せずに作品を作り続けているのに、誰にも認めてもらえない。
元々推しがジャンル参戦するきっかけになった所(グッズなどの供給源でもあり、最盛期にはいくつか関連グッズも出してくれていた)が活動を停止しており既に嫌な予感はしていた。
ジャンル公式は推しを放っといて別の大手をピックアップし続けた結果軌道に乗って、推しには本格的に見向きもしなくなった。
公式から発売予定だったいくつかのグッズが放置状態からのフェードアウトになった。
界隈内でも、推しは日に日にマイナー化が加速して、二次創作の投稿数も激減していった。
皆、人気どころを作った方がずっと伸びることを分かっていたからだと思う。
特殊故に、推しへの愛が二の次になってもおかしくはないジャンルだった。
かつては大手が作品を頻繁に作っていたおかげで推しも人気中堅程にいた時期があったが、それも遠い昔…という感じになっていった。
もちろん自分が見つけられないだけで世界中には沢山ファンがいるのかもしれないが、自分のようにアクティブに推しへの愛を発信する人が周りにも、ジャンルの二次創作投稿のプラットフォームとなるサイトにも見当たらない。
毎日推しの名前でツイート検索をかけ、同士を探した。しかしなかなか推し関連のツイートはみつけられない。
作品も1日に何度も検索しては新規投稿を探したがそれもない。月に数件あれば上々といったレベル。
自分に言う権利なんかないのは分かっているが、それらも最盛期に比べ明らかに質の良くない作品が多数だった。
たまに推しのことを呟いているのを見つけても、大体「○○マイナーだよなぁ…」とかばかり。
その横で、大手達が常に誰かに愛され、彼らの作品が生まれ続けている姿を見るのが苦痛だった。
周りは新ジャンルで新たな仲間と萌え語り、新たな推しへの公式供給に舞い上がっている。
それでも、自分がどれだけ人の作品を評価しても、推しや推しCPへの愛をたっぷり込めた自分の作品が評価されることはなかった。
最早過剰に縮小した村から、仲間の手によって自分の作品が拡散されることもなかった。
ただ、時々魔が差してジャンル内の大手と推しのCPを上げた時だけは、有り得ないほど評価された。
ジャンル外からのいいねやRTが相次いで、ちょっといい気になると同時に悲しくもなった。
正直上げた作品自体は普段のものに比べて全く手間はかかっておらず、人気どころさえ抑えていればそれでいいのか…と絶望した。
悩んだ末に、ついに村を抜けた。
Twitter垢も削除した。
この頃には仲間はほぼ残っていなくて、
一部自分が去ることに悲しみの声を上げてくれた人はいたものの、自分が身を引いても界隈は特に変わりなく、かつての仲間は器用に村に半分身を入れながら推しを人気どころと兼任していた。
惜しくはあったけど、いつまでも数字の増えない作品を惨めに残しておきたくなかった。
それでも推しへの愛は消えなかった。
というか愛というより執着心だった。
「自分が推しを愛し続けてあげなければ、推しはこの世から消えてしまう」と何様なことを真剣に考えていた。
作品は、その後も細々と上げ続けた。
しかし、村から抜けたことで「もういない人」認定されたのか、極端に閲覧が落ち、評価もこれまで以上に貰えなくなった。
ジャンル自体は衰退傾向にあるものの、公式が頑張っていてまだまだ栄えていた。
もう、同ジャンルの人気どころの顔を見る度諦めとともに殺意さえ沸くようになった。
元々このジャンルに首を突っ込んだ当初に好きだった推しの顔すら見たくなくなった。
毎日シャットアウトしていてもなお入ってくるジャンル大手の楽しそうな情報に1人惨めな気持ちになり、1件も増えない推しの作品検索結果画面に絶望し、閲覧すら増えない自分の作品ページにさらに絶望する。
その度に、他のジャンルに心変わりできたらどれだけ楽か、と切に思う。
たまに素敵な作品を見つけては感動し、数年前に比べかなり落ち込んだ創作意欲を刺激されて、誰にも見てもらえない何かを作り続ける。
ふと客観的に自分を見ると「この数年って何だったんだろう」と真顔になる時もあるが、だからと言ってこの状況を脱却できるはずもない。
ずっとモヤモヤしていた。
駄文かもしれないけど書かせて欲しい。
私には推しがいた。
彼の良いところの話はリア友に散々話した。
まず軽く好きになったきっかけを。
とあるドラマに脇役で出てきた彼に一目惚れをし、そこからズブズブとハマった。
彼のお芝居をもっと見たいと思った。
今もまだ駆け出し中の彼。
バレないように伏せて書くので意味がわからないと思うが、どうか許してほしい。
結局、様々な人が見ていたであろうあの企画で、彼は人の記憶に残っただろうか。
何も知らない人たちから見た、彼の印象が悪くなっただけじゃないか?
そう思ったらモヤモヤして仕方がなかった。
何のためにこの企画に参加したんだ。
今後お芝居をしていくために、名前を売るために仕事をするのではないのか?
私が心配することじゃないけれど、もうそういう風にしか思えなくなってしまった。
見たくないのに流れてくる企画の写真を載せたツイッターにもイライラした。
お芝居をして人気になっていく彼が見たかった。
その時点で私は多分、彼を推すのに向いてなかったんだろう。
だんだん彼を見るのが嫌で仕方なかった。
そうして私は、彼は多分お芝居を本当にしたいわけじゃないのかもしれないと気付いた。
だから私が見たいお芝居をする彼は中々見れないのかもしれない。
多分、頭にお花を咲かせて、何も考えずに応援してるだけが楽しかったと思う。
そうではなくて与えられるものを純粋に喜んで受け取るだけの人でいたかった。
まだ少し未練がある。
恋愛だったら簡単に断ち切れる性格のくせに、こう言う時はできないんだな。
彼からしたら大して変わりはないけれど、モヤモヤだけ吐き出して終わりにしようと思った。
もし読んでくれた人がいたならありがとう。
ネガティブな感情になって自分で抱えきれなくなるとどうやら自分は文字にしないとだめみたいだ
病みツイとかはたぶんそれなのかも
書けないっていうのは、なんかツイートすると反応を期待してそうに見られる
これを書きながら整理しているけど、みんなどうやってこの感情を超えるのだろうか
まあ寝れば忘れるってのはある
寝よう笑
ともだちはいるよ
ただ、彼らはネガティブじゃないし、彼らの時間がとても貴重なことは分かっている
ただ、本当に耐えられなくて今、ここに書き込んでる
本当は話したいけど無理だ
話して解決はしないしね
常に時間は積み重ねだし、積み重ねてないのであれば、差があり追いつくことは簡単ではない
彼らは積み重ねたんだ
俺は積まなかった
アリとキリギリスみたいなこと
どっちがいいとか悪いではない差がある
これは事実
じゃあ今から追いつけるか
そんなこと考えても仕方ないわけよ
考えて追いつけるならみんな追いつく
やらなきゃいけない
けどやらない
なぜやらないのか?
本当にやらなきゃいけないと思っているから?
追いつきたいとか思ってない?
どうにかなると思ってる?
諦めてる?
いろんな言い方はできると思うが今日また気づいた(気づいても解決しないけどねw)
ただただ、これ
本当に望んでいるものは、口にしない、望んでないことにして隠す
そうすると自分の望んだことは達成されないとわかることはない
なんとなく生きることができる
そういうことをかれこれ少なくとも10年以上やっているうちに、
本当の願望とか忘れてしまったし、痛みが怖すぎてどうやったらそういうものが生まれるかすら忘れてしまった。
めちゃめちゃ真面目に考えるが、出ないんだ。
それでも出ないんだ。もっと苦しい環境の中でも本当に願望をもって生きている人がいるよね
ただ、僕の周りは本当の願望をもって行動している人が多い
そういう人と一緒にいるから、たまに思い出しそうになってこうやってネガティブになる
仮に同じ直線でも一生上に行くことはないよねw
違う。