はてなキーワード: リア友とは
33歳になった近況報告→https://anond.hatelabo.jp/20201226180141
昨年にあった話。
学生の頃から10年以上の付き合いのある同じくオタクで腐女子の友人が3人いるが、久しぶりにみんなと会って自分がとても32歳とは思えない子供っぽさであることを思い知って恥ずかしくなった。
●私のオタ活
ずっとオタクだったが数年前に過去最高にどっぷりハマるジャンルに出会った。ゲーム原作でアニメや2.5次元など様々な展開のあるジャンルで、そのどれにもお金を使いまくった。ゲームへの課金、アニメ視聴、グッズを買い漁る、2.5次元に何公演も参戦する、2.5次元のグッズも買い漁る、2.5次元俳優自体にもハマる、様々なコラボ商品を買う等した。
二次創作も大好きで同人誌の大量買い、キャライメージアクセの大量買い、即売会参加もしていた。同人誌作家、同人アクセサリー作家、コスプレーヤーともツイッターで仲良くなり、オフ会をしたりそれはそれはオタクとして充実して楽しく過ごしていた。
その頃から友人達は子育てや仕事で忙しくなかなか全員で会うことができなかったが、昨年久しぶりに全員の予定が合い会うことになった。ここで私は自分の子供っぽさに気づいて恥ずかしくなったのだ。恥ずかしいと思ったのは主にファッションやメイクに関すること、お金の使い方、落ち着きのなさの3つだ。
一番に待ち合わせ場所に着いた私はみんなを待った。最初に現れたのはBちゃん。そこであれ?なんか綺麗というか大人っぽいなと思った。次にCちゃん、Dちゃんが来たが、その時も同じようなことを感じた。
みんな容姿はごくごく普通という感じで特別可愛いとか美人てわけじゃないんだけど、雰囲気がとても綺麗になっていた。
その日のみんなのコーデは細かい色や柄は忘れたけど多分こんな感じ。何でそんなこと覚えているのかというとこの日が恥ずかしさの気づきの日で忘れられないからである。
Bちゃんはコート、ドルマンスリーブのカットソーにミモレ丈のスカート、黒タイツにブーティ、ハンドバッグ。ケバすぎないばっちりメイク、薄いピンクのネイル、小ぶりでシンプルなネックレスとブレスレット。
Cちゃんはジャケット、白シャツにストレートパンツ、ヒールパンプス、肩かけバッグ。濃いめかっこいいメイク、がっつり濃いネイル、大振りだけどデザインはシンプルなネックレスとバングル。
Dちゃんは唯一既婚子持ちだけど、ママって感じがしつつもオシャレだった。コート、膝下丈ニットワンピ、黒タイツにショートブーツ、大きめなオシャレなトートバッグ。ナチュラルメイク、トップコートのみっぽいピカピカネイル、結婚指輪と小ぶりでシンプルなイヤリング。
そして私Aはこうだ。
ダウンジャケット、ボーダーTシャツに着古したジーンズ、はきつぶしたスニーカー、サコッシュ。
薄すぎメイク(下地とフェイスパウダーのみ)、ボロボロの爪、、推しキャライメージのアクセサリー(イヤリング、ネックレス、ブレスレット、リングフル装備・同人グッズ含む)
三人の友人と比べるととんでもなくダサくてやばい32歳だ。なのにずっと自分はオタクなのにファッションに気を遣うしメイクもするオシャレさんだと思っていた。(やばすぎ)
服が適当なのにアクセサリーは着けられるもの全部着けてて、しかも推しキャラ二人分のイメージアクセだから色もデザインもバラバラで悪い意味で派手。うるさい。同人アクセとプチプラアクセしかないから子供のおもちゃみたいに見える。(同人アクセは本当にキャラのイメージを大事にして丁寧に作られた素晴らしい作品です。私の使い方が悪い)
服だって近所のコンビニスーパーやアウトドアを楽しむくらいならいいと思うけど今日は予めオシャレなカフェやレストランにも行くと分かっていたのにこれはいけないだろう。
メイクに関しては厚塗りすると毛穴の開きが分かるからナチュラルにするとか言ってほんとに薄くしか下地もフェイスパウダーも着けてなくて毛穴の開きも黒ずみも丸わかり。
眉毛は自眉がしっかり生えてるから描く必要ないと思ってた。でもみんなみたいに綺麗な眉じゃなかった。眉毛薄い子はしっかり綺麗に自然に描けてるし、私と同じく自眉がしっかり生えてる子でも、形を整えて長さを調整して、足りないとこは描いて、私みたいなゲジゲジじゃなかった。
リップは元の唇の色が赤いからリップクリームでツヤ出すだけでいいと思ってたけどそんな綺麗な赤でもなかった。くすんでる。
どんどんあれ?私超ダサい?子供っぽい?あれ?という気持ちが大きくなって恥ずかしくなってきた。みんな優しいからダサいとかそういうこと全然言われないけど勝手に恥ずかしくなってた。
●第2の気付き~お金の使い方~
その時にみんなの今好きなジャンルやオタ活の話をした。上記で書いたようなオタ活の話をすると、みんなはすごいね~と反応してくれる。
同じくグッズやゲームに課金しまくってたBちゃんは「Aちゃんすごいね~私はもうそんなにできないかな。通院してるし親も歳だし何があるかわかんないから程々にしてる。他にもお金使いたいことあるしね」と言った。
Cちゃんも「分かる~何か前は出されるグッズは全部買わなきゃ、イベントは全部参加しなきゃって必死になってたけど将来のこと考えて貯蓄するために程々にしてみたら案外苦じゃなかった」と言った。
Dちゃんは「私も今は子供優先だから気になるアニメを見るくらいかな~」と言った。
BちゃんCちゃんは未だにゲームに課金もするけど推しにだけだし、推しを手に入れられなくても最初に設定した金額で出なかったら撤退するし、グッズはよく考えて本当に欲しいと思うものだけを、イベントは無理しない程度で行けなかったら円盤を買うとか、とても落ち着いたオタ活だった。
それに対して私は「へ~ちゃんと考えてるんだね。私なんかもう推しに夢中すぎてさっき言ったみたいなのがやめらんなくて貯蓄なんてないよwwwカードあるから未来の自分に頑張ってもらってる!wカードの締め日が来たらまた新しいの買うんだ~!^^」と言った。ウケ狙いで、みんな笑ってくれるだろうなと思って。
だがみんなちょっと引いたみたいな苦笑いをした。「すごいね…」と。そこでやっともしかして私のお金の使い方やばいのか?と気づいて、それを笑い話として嬉々として話した自分に恥ずかしくなった。でもみんな優しいから、好きなことに全力でいきいきしてるねとか言ってくれる。泣きそうになった。(優しさと恥ずかしさで)
でも少し考えて、もしかして馬鹿にされてんのかなと思った。私はオタ活にお金使うから服も化粧品もイベントやオフ会の時くらいしか買わないしどれもプチプラばかり、みんなは服や化粧品にもお金かけてそうでオタクにお金使わなくてもそっちに使ってんじゃんとちょっとムッとした。(最悪)
みんなにそれとなく今日のメイクとファッションいいねって言ったら使ってる化粧品や着てる服の話になった。みんな別に全身ブランド物とか全身高額品てわけではなくて、プチプラと高額品をバランスよく使っていた。プチプラの服でもきちんと手入れしてきちんとアイロンかければよく見えるし、化粧品もスキンケアやベースメイクはデパコスでアイメイクやリップはプチプラとか考えられてた。どうせ金かけてんだろ、金かけりゃそんくらいにはなるよねとか嫌味なこと考えた自分が更に恥ずかしい。
Cちゃんは一時期毛穴の開きと黒ずみに悩んでいると言って、一緒に悩んでいた。(会えない間もツイッターやラインでは話してた)Cちゃんはとあるデパコスのカウンターで肌を見てもらい、いいスキンケアに出会えたのだと言った。
ツイッターで嬉々としてこれいいよ!(ドヤ)とプチプラ化粧水を投稿していた自分が恥ずかしくなった。ツイッターでバズったプチプラのものだけを試しまくってちょっとしか改善されなかったのをドヤ顔で投稿していたのだ。そのプチプラのものだって悪い商品じゃないし合う人には合うのだろうけど、私は自分がどういう肌かもよく理解してなくて、とにかくバズった色んなプチプラのものを試してどれも効果は出なかった。
Cちゃんは20代の頃はとあるプチプラのものが肌にすごく合っていて大好きだったけどだんだん合わなくなって、本当に肌を綺麗にしたいと思ってお金をかけた。なのに私は毛穴消えない消えないとうだうだ言いながら、若い頃と同じことの繰り返しでお金も使わなかった。使うお金がなかった。とても情けなかった。
Bちゃんも同じような感じだったし、Dちゃんは今は昔ほどお金使えないし子育て忙しいからオールインワンになっちゃってると言いながらもデパコスまでとはいかないがそれなりのものを使っていたし綺麗な肌をしていた。
この話題がだんだん辛くなった頃(自分からふったくせに)、レストランを出て買い物に向かった。アニメショップで私は大量買い、みんなは1つだけ買うか買わないかだった。
その後みんなは化粧品や雑貨をいくつか買っていたけど私は何も買わなかった。欲しいものがなかった。というのは強がりで、本当はお金がなかった。アニメショップで使ってしまっていた。
最後にカフェに行くことは決まっていたので、そこで使うドリンク1杯分くらいは絶対に残しておかなければならない。また情けなさと恥ずかしさに襲われた。ATMで下ろすのもなんだか恥ずかしかった。
●第3の気付き~落ち着きのなさ~
そして最後に予定していたカフェに来た。私はコーヒー1杯くらいしか頼めないけどみんなはケーキも頼むだろうか、みんなケーキを頼むのに一人だけ頼まなかったら感じ悪いかなとビクビクしていた。みんなそんなの気にするような子じゃないのに。結局みんなドリンクだけでホッとした。
今度はファッションや金銭感覚のことで恥ずかしさを感じたくなかったので推しを語ることを自ら提案した。
私「推しがね~もう最高で!かっこいいし可愛いし!もう推しのことしか考えられないw夢も腐も好きだからもう大変w推しは普段は超可愛くてやばいんだけど、シリアスではっこよくて頼もしくて~wギャップがもうたまんないの!エッチだし~!シリアスのときの色気がはんぱなくて素敵なのwキャッキャキャッキャ!」(小声ではある)
Bちゃん「推しは一見性格悪そうに見えるけどほんとは優しくてそれが隠しきれない子なんだ。その優しさが好きなの」
Cちゃん「推しは天然なんだけど自分のことキレものだと思っててそこが可愛いんだよね」
Dちゃん「私は最近推しって感じの人はいないけど最近みたアニメのあの人がかっこいいなって気になってるかな」
お分かり頂けただろうか。
私の落ち着きのなさ、テンションの高さ、子供っぽさ。私は本当に「!」とか「w」とか着いてるみたいなテンションで喋る。この文章もなんとかぶっきらぼうな感じでテンションを抑えようと必死で書いてる。本当は「w」いっぱい着けたい。
みんなも学生時代とか20代前半くらいまではこんな感じ…だったと思うけどすっかり落ち着いている。誰か一人としか会えなかったときは、相手が落ち着いていても気にならなかったのに、4人で集まったら私だけ若い頃のテンションのままで急に気になり始めた。
ツイッターやラインでもみんな「!」とか「w」とか絵文字やスタンプが減っていっていたけどそれはあくまでSNS上でのことだったので全く気にしてなかった。
ジャンルで仲良くなったフォロワーの方がリア友より圧倒的に人数が多かったし、その人たちとはハイテンションで話していたからというのもあったと思う。
ジャンルで仲良くなった人たちは20代前半~半ばの人が多くて、みんなテンションが高くて自然と私もそうなっていったというか、そういう人に囲まれていてみんなが自然に落ち着いていく過程を歩まなかった。
若い子とキャッキャキャッキャハイテンションで推しの尊さとエッチさを語り、鍵垢なのをいいことにおちん〇ん!お〇んちん!と叫びまくっていた。他にも色んな下ネタ沢山。
実際会って遊んだフォロワーには「Aちゃん全然32歳に見えない若くて可愛いよ。小さい子みたい」とか言われて、私まだまだ若いんだ~!と喜んでいたし、「もう、私小さい子なんかじゃないよぅ(o`з’*)32ちゃいの大人のお姉さんなんだからね!みんなよりとちうえなの٩(๑òωó๑)۶あたちセクシーボインな大人のお姉さん!(๑ơ ₃ ơ)♥」とリプを送っていた。
フォロワーは本当に若いと思って褒めてくれたのかもしれないけど、言動が幼稚なところと、薄すぎる化粧と手入れされてない髪や爪、チープな服や持ち物が垢ぬけてなくて年齢不詳の子供おばさんぽくてそう感じたのかもしれないと震えた。
フォロワーと空リプで会話してよちよちぎゅっぎゅしたり、さっきみたいな私大人のお姉さん♥みたいなことを沢山言ってたし、昔若い頃ツイッターではよく見られたような、フォロワーと仲良しなアテクシアピールみたいなやり取りを未だに続けていたのだ。
久しぶりに同い年の友人と会って本当に本当に恥ずかしくなった。
考えなしに推しにお金を使いまくることも、ファッションのことも、テンションのことも、決して悪じゃないし、それが楽しくてずっとやり続けるんだって強く思ってる人はそれでいいと思う。でも私は自分の現状がとても32歳には思えなくて恥ずかしくなってしまった。どうにかしたいと思った。
どうにかしたいと思ったのに私はまた推しにジャブジャブお金を使い、着古した服ばかりを着て、フォロワーとハイテンションで話している。その時は楽しいのに、夜一日の行動等を思い返すと恥ずかしくて死にたくなる。
今度友人に相談してみようか。そしたら変われるだろうか。
~追記~
読んでくれた人たちから様々な意見が出ていたけど、これは『変わりたいと思った自分』の話にすぎない。
もう話題に上げる人も少なくなったみたいだけど、ちょっと進展があったので追記する。
進展というより変わろうと決めた段階だが。
長くなりそうなのでまずは簡潔に。
これを書いたのは自分だと友人にバレた。正確には自分からバラした。
そして相談したりみんなの話を聞いて変わろうと決めた。
詳しくは下記
●投稿後
バズるなんて思ってなかったから、フェイクは入れてたけどバレるんじゃないかと思った。勝手に色々書いて友人を誤解されるような書き方もあったかもしれないから申し訳なくなった。(前にも書いたが友人は自分のファッションや振る舞いについて言ってきたことはない)
友人がこれを読んだのかどうか分からなかったが、自分が書いたと言うか言うまいか悩んだ。
悩んだ結果、謝罪をしたいしやっぱり変わりたいという気持ちもあったので友人たちに声をかけてスカイプをすることになった。
フェイクの為に存在を消してしまっていた友人Eちゃんも呼んで。
32歳腐女子って知ってるかと聞くと、知ってたり知らなかったりだったので知らない人には読んでもらった。そして書いたのは自分だと打ち明けた。
みんなはよく聞くような話だしフェイクも入ってるから分からない、そもそもこんなバズる記事を友人が書いてるとは想像もしなかったそう。そういうものか。
で、勝手に書いたことを謝罪すると、個人が特定できるようなものじゃないし悪口を書かれたわけでもないし怒ってないと言ってくれた。
Bちゃんはミモレ丈が何したっていうんだと笑ってくれたし、Eちゃんも抹消するなんて酷いじゃん~と笑ってくれた。
●変わりたいのか
Dちゃんは子供さんが起きてしまったので離脱したがそのままスカイプは続いた。
合わせたいだけなのか本当に変わりたいのかと問われて、よく分からないけどあの日すごく恥ずかしく感じたしそれと同時に素敵だな、いいな、ああなれたらなとは思ったことを伝えた。
●具体的にどうするか
色々話して、テンションや下ネタ発言は鍵垢だしいいんじゃないかと言われた。みんなツイートする気力がないだけで頭の中では常に推しと推しがおちん〇んフィーバーしているらしい。
ただお店なんかで小声で話してるつもりでも案外隣のテーブルには聞こえてたりするからもう少しボリューム下げた方がいいかもとアドバイスをもらった。
あと小声でも身振り手振りがけっこう激しいらしい。これは全く気付いてなかったから聞けて良かった。
カラオケとか個室、こうしたスカイプなんかではテンション上げて語ろうと言ってくれた。ツイッターではしゃいでるの楽しそうで微笑ましいとまで。
ファッションを変えたりメイクももっとしてみたいとなったが、何せ金銭的に厳しいのでまずはそこを解決するといいかもという話になった。
前はここまで派手にお金使ってなかったのにどうしたのかと聞かれ、確かにと思った。
ただ運命のジャンルに出会ってしまっただけかもしれないが、ハマってしばらくして急にお金を使いだした印象だと言われた。
今は仕事が減ったりしてないみたいだけどこのご時世だし災害もあるしどうなるか分からないから本当に貯蓄0だったら今後困ることもあるかもと心配してくれた。確かに少し怖かったが気付かないふりをしていたところはある……
よくよく考えてみると、フォロワーが言ったのかRTで見たのか忘れたが、「課金してジャンルを支えなきゃ」「課金してこそ愛」「推しは無限回収するもの」といった趣旨のツイートを見て、そうかそうだよねもっとお金使わなきゃとお金を使い出したような気がする。
勿論そういう考えも大事だしできる人はどんどんやったらいいと思うが、自分はいるいらないとかよく考えず反射的にグッズ買うし、何個も同じ物を買ってる。既に何個も持ってるグッズをアニメショップで見かけたら「自分に買われるのを待っていたんだ」と思うし、それがブラインド商品なら「これで推しが引けたら運命」等と言ってとにかく買っている。(運命とは)推し以外のガチャにもじゃぶじゃぶ突っ込んだりするし。
買っただけで満足してダン箱に入ったままで積み上げられた物も沢山ある。(倉庫かな)
一番付き合いの長いBちゃんは「Aちゃんは良くも悪くも素直というか流されやすいとこあるしね」と言った。そうかもしれない。
本当に自分が納得してお金を使っているのならいいけど、少しでも負担に感じたり、周りがそうだから自分もという気持ちで使ってるなら一度よ
同人女界隈でバズってる例の漫画で、私は限りなく「おけけパワー中島」側の人間だった。
「もどき」と見出しにつけているのは、私がジャンル内で全く存在感が無かったからだ。七瀬や友川のように陰ながら誰かに影響を与えていたとも思えない。
私は、ただ綾城ポジとリア友だっただけの、いわゆる底辺ヘタレだった。
私は文字書きで、友人は絵師だった。あの作品になぞらえて私を中島、友人を綾瀬とする。
軽率に布教した某アニメ作品が綾瀬のストライクゾーンに当たり、彼女はこちらのジャンル沼に転げ落ちた。
綾瀬は元々絵が上手く、萌えが爆発すると筆が止まらないタイプで、毎日推しのカラーイラストや漫画をアップしていた。そんな様子だからフォロワーはあっという間に増え、気付けば5桁に突入していた。
一方の私は綾瀬に布教したのは良いものの、ドヘタレの底辺字書きに過ぎなかった。フォロワーの多さがすべてではないと思うが、2桁だった。
さらに、腐女子のくせにCP萌えせず単推しとなり、原作の隙間を書くような日常話をべったーに上げていたくらいの活動だったため、需要が低く読む人もかなり少なかった。腐女子が多い界隈では、私のような非CP者はいてもいなくても変わらなかった。それが漫画ならともかく、字書きとなればなおさら読まれない。
私は友人の作品が好きだったのでたくさんRTしてリプライも送った。リアルで会った時も感想を言っていた。
優しい友人は、私の小説をRTしてくれて「最高だから読んで下さい!」などと友人のフォロワーに向けて言ってくれた。するといいねRTがパラパラとついた。綾瀬を通して私を知ってくれた人が、「好きです!」とコメントをしてくれた上でフォローもしてくれた。その人、仮に田中さんと呼ぶが、田中さんとは相互になれた。それでもフォロワー数は2桁のままだったが、田中さん1人でもそう言ってくれたのは初めてで嬉しかった。
友人が見落とした、あるいは合わずRTしなかった作品は、全くと言っていいほど人に読まれなかった。
私としては、まあそんなもんだよな、私自身に知名度ないしな、と思っていたのでさほど気にしていなかった。この時は。
友人は、このジャンルで本を出してみたいと言った。同人人生で初だった。私は別ジャンルで出したことがあったため、そんな友人をサポートした。必然的に合同スペースで出ることになった。
友人がイベントの参加意志を示すと、あらゆるところから声がかかったようだった。アンソロへの寄稿、ジャンル内プチオンリーのグッズや特大ポスターの描き下ろしなど引っ張りだこだった。純粋にすごいと思った。
さぎょいぷしながら両者とも無事に脱稿した。綾瀬は自分から申し出て、私の本の表紙も描いてくれた。本当に嬉しかった。たくさん寄稿を抱えつつ全部こなしていたから、本当に神絵師なんだなと思った。
そして迎えた当日。
友人の頒布数が100とすると、私は1以下だろうと覚悟していた。実際そうだった。覚悟通りだが切なかった。
何よりもショックだったのは、友人以外から「私」を認識しされなかったことだった。
スペースに来た人からはほぼ「誰だろう」という目を向けられた。「好きです!」と直接言ってフォローしてくれた田中さんですら、中島という存在を認識していなかった。
田中さんがスペースに来て名乗ってくれたので、「中島です!」と言ったが、ものすごく怪訝な顔をされた。「誰なんだろう?」と言いたげな表情だった。もちろん相互になっていたのである程度の会話はしたことがあった。
驚きのあまり、「Twitterでお世話になってます」の言葉が咄嗟に出なかった。私はすぐに切り替えて「すみません、綾瀬は今席を外してるんですよ〜」と伝えた。彼女は笑顔になって、「じゃあこれ渡してくれませんか」と差し入れを取り出した。私の頒布物をスルーし、友人の本を買って行った。
その後、綾部が戻ってきた後、プチオンリー主催者が御礼としてひとりひとりのスペースを回っていった。主催者はテンション高く綾瀬に普段の感想と存分な感謝の念とアフターの誘いを伝えたのち、私の方をちらりと見て、誰だろうという顔をしつつ「プチオンリーご参加ありがとうございます」と社交辞令を一言だけ述べて去っていった。
来る人の9割9分が綾瀬に声をかけ、中島である私のことはチラッと無関心な目線を向けていった。片手で余るくらいの人は私の本も買ってくれた。
両手両足で足りないくらいの人数が、綾瀬表紙本文中島の本を手に取り、パラパラとめくったあと「なんだ小説か」という顔をして戻した。そしてメイドインオール綾瀬の本だけ買っていった。
友人の初イベントの空気を悪くするわけにもいかす、ずっとニコニコしていたが、正直かなりキツかった。
相互の田中さんにすらイベントに参加していることを認識されてないのだから、「私」へ声をかけてくれる人は誰もいない。さらに、表紙がイラストで本文が小説だと、一瞬手にとられて戻される率が普段より高かった。これも堪えた。1人だけの参加ならともかく、隣で飛ぶように売れている綾瀬の本を目の当たりにしているからだ。
イベントは終了し、アフターに行く綾瀬を見送って、在庫を担いで帰っていった。
あの漫画のように「このジャンルの人は私に感謝してくれてもええんやで」とでも言える性格なら良かったが、無い周囲の目を気にしていたため、私が綾瀬を誘ったことは一切口にできなかった。
ジャンルの神になった綾瀬を見て、素直に友人として嬉しい私と、私がいなければハマってなかったかもしれないのに…と後ろ暗い思いを抱く私の両方の側面があった。
あの漫画の中島の発言はかなり叩かれていた。でも私は、あそこまで言い切れる中島が羨ましかった。「は〜コイツ何言ってるの?」と思われたとしても、「思われる」ということは認知されるということだ。勝手な想像だが、あの漫画の中島はジャンル内でもそこそこの存在感がありそうだった。
Twitter内で流行っているおけパ中島への考察や妄想でも、「ギャグをよく書くが時折深いシリアス作品を書いてそれが泣ける」とか「毒マロが来てるけど綾瀬には言わない」とか「交流上手で友達が多い」とか色々言われていて多くの共感を集めていたが、どれも私には当てはまらなかった。中島ポジのくせに中島にもなれなかった。パワーがない。
いくら神の友人でも、ジャンルで空気だった私は、怪訝な目線しか貰えなかった。もしかすると、「怪訝な目線」というのが勘違いで、「コイツがあのヘタレ中島か…」と思われていたのかもしれないが。
「私が綾瀬さんを誘ったんです!」と公言し、綾瀬の作品に馴れ馴れしいリプライを送りまくり、他の人にも似たような対応をしていたら、何か変わっていたのだろうか。
たぶん変わらないだろう。絵師と字書き、神とヘタレの差が埋まるはずがない。
あの漫画を読んで、私は中島のなりそこないだなと感じて、ただ悲しくなって終わった。
綾瀬とはそれから声優のトークショー等何度か公式絡みのイベントに一緒に行ったが、そこでも綾瀬に声をかける人を大量に目撃した。私は横で見守るだけだった。そんなことがずっと続いた。
しばらくするとジャンルが完結し、私の中では区切りがついたのと、別のジャンルが気になったため、私は綾瀬に今までの御礼を伝えて静かにジャンルを離れることにした。綾瀬の好みには合わないと分かっていたため、私の新ジャンルは布教しなかった。
ジャンルから離れる少し前に、「また本出そうかな」と呟いたら、田中さんからいいねが飛んで来て「楽しみです」とリプが来たのが一番意味が分からなかった。本は既に出していたが、それを認識しないほど私が取るに足らない存在だったのだろう。
綾瀬は未だにそのジャンルの神であり続け、底辺の私は色んなジャンルを彷徨っている。
様々な立場から様々な意見が飛び交い、その意見に対する反応の量も多い。このエントリもその一種である。
自分は完全に七瀬や友川側の人間であるが、本題はおけけパワー中島ではない。むしろそのタイプの同人女のことは好意的に捉えている。
ここで言いたいのは、「七瀬や友川の努力は本当に目標設定からして間違っていたのか?」についてである。
七瀬や友川の自己肯定感について言及した増田がバズっていた。その増田自体は非常に深層の問題の言語化が上手いと感じた。あまり主語が大きい発言はよくないかもしれないが、近年の同人女界隈の問題は多くが大きすぎる拡張自我と自己肯定感の低さ、自他境界の曖昧さなどに帰着されると感じていたので、この結論になると感じる人も多いだろうと思った。
それと並行して、「神も人間なのだから、人間扱いしないと仲良くなれるはずがない」という意見も散見された。
その類の意見に関しても、盲目的に崇拝されるより対等に接してもらえる方がとっつきやすいのは確かだろう。
これらの意見には非常に納得させられたし、全くその通りだ。自己の願望を他人に投影して行動すべきではないし、他人はコントロールできないということをしんから分かっていれば七瀬や友川のような行動は起こさないだろう。
だが、出発点である、憧れの神にフォローバックされたい、同じカプを愛好する者として仲間になりたいという感情自体はそこまで不健全なものではないはずだ。その結果小説の上達を目指した七瀬や友川の選択がそもそもお門違いである、というような意見に対して反論すべくこの増田を書いている。
第一、ここはリアルの教室でも職場でもなく、インターネットの同人社会である。最初にフォローされた時点でフォローバックをするかどうか、これから仲良くなるかどうかを決めるのに、「作品が好みかどうか」は最重要項目ではないのか?(そもそも、フォローバック=仲良くなる、ではないのかもしれない。しかし、私はインターネットで通話をするほど仲良くしている人間がFF外の人間である例はリアルの友人以外である場合以外に見たことがないので、このような考えに至っている。また、七瀬や友川が最初に抱いた感情を「仲良くなりたい」だと定義しているが、ここの解釈と表現に関しては個人差があると思われる)
確かにこのような実利主義を実生活にも反映したらメンヘラ認定間違いなしだろう。だがそもそも、同人を介した人間関係は作品ありきではないのか?
これでおけけパワー中島が見ず知らずのROM専だったら七瀬や友川がやりすぎで気持ち悪いという意見にも納得がいくが、実際は綾城さんはおけけパワー中島に「新刊楽しみです」とコメントしている。
もちろんFF内、果ては作り手でなくてもコミュニケーションを取ろうとする人はいて、だからこそそのような層が七瀬や友川の思考回路に疑問を呈しているのだろう。だが少なくとも私が同人生活で見てきた5つほどのジャンルでは、所謂「神」と呼ばれている人たち、そして私の好きな作り手は自身の好みの作り手のみをフォローしていて、その創作者のコミュニティ内でコミュニケーションをとる例が圧倒的に多かった。このような事実を前に、「仲良くなるために自分の状況如何に関わらずコミュニケーションを取ろう」と思える人間はよほど素直だなと思ってしまうのだが、これはそんなに認知が歪んでいるのだろうか。
綾城さんにとっておけけパワー中島は、友達である以前に「好きな作品の作り手」なのである。
すなわち、同人文化の中で仲良くなるには、まず「作品」ありきで、かつ「コミュ力」も必要なのである。今回の件ではどちらか一方に軸を置いている感想や考察が多いが、私はこれは両方欠かせない要素だと考える。
よって、コミュ力以前にそもそも自分で「大したことがない」と思うような作品しか作っていないし、人の心を動かすようなものを作れてもいないのだろう。この時点で綾城さんに相手にされないと思うのはごく自然なことに感じる。これは数の話というよりむしろ創作に対する態度の問題である。七瀬は解釈を突き詰める方法で、友川はひたすら作品を完成させるという方法で、自分の作品を研いでいった。
(また、今回の件ではあまり触れられていないし、最終的に綾城さんが七瀬や友川の作品を認識するに至っているため杞憂ではあるのだが、そもそも同じカプを愛好するからといって仲良くなれるとは限らない。ほのぼのハピエン好きは死ネタを絶対に読まないし、相手固定派は雑食を先行ブロックしているだろう。これらの流動性はジャンルによるだろうが、確かに存在する)
このように、同人女がまず繋がるためには、作品で認知され、さらに積極的なコミュニケーションをとるという二つのステップが必要なのである。
個人的に綾城さんとおけけパワー中島は長い付き合いだからこそのあの距離感なのだと思っているが、それだって最初の出会いはリア友であったパターンを除けば、互いが互いの作品を良いと思ったからなのではないか?
多くの意見では、七瀬や友川が「自分が上手くなれば綾城さんと必ず仲良くなれる」と思っている、という点について批判されているが、私はそこまでの感情を読み取れなかった。思うに、逆なのである。「綾城さんと仲良くなるためには、仲良くなれるかどうかは定かではないがとにもかくにもまず上手くなる以外道はない」だと私は捉えた。十分条件ではなく、必要条件である。
別に仲良くなれなかったからといって逆恨みはほぼないだろうと思われる。友川の自問自答や毒マロを送りかけた点については私も異常だと思うが、七瀬に関してはふられたショック以上の感情はないように思う。コミュニケーション能力は確かに低いので、作品を認知してもらったこの先も関係は思う通りにならない可能性の方が高いのだろう。だが創作はさまざまな感情の昇華法であり、その頃には本人たちも気持ちに折り合いがついているものと思われる。
巷の反応を見る限り多くの人は同人の人間関係は対価ではないという意見に納得しているようだが、成り立ちからして対価でないという方に違和感を感じてしまう。批判している人たちが日常的に関わっているのは、なんの関係もない無作為に抽出されたジャンル者なのか?相手の生み出すものに何も感じていないのか?私にはその前提がどうしても疑問である。
最後になるが、この件に関して七瀬や友川の批判をしている人は大抵フォロワー数がフォロー数より多い。そんなことに囚われているから弱小なのだと言われてしまうと耳が痛いが、どうしても「パンがなければケーキを食べればいい」と言われている気分になるし、結局は各々が自分の経験に照らした発言しかできないので価値観の相違がもろに炙り出されるのだろうと思う。件の漫画は、同人観をはかる試薬なのである。
私がこれを書こうと思ったきっかけは、Twitterで流れてきたある漫画だった。それは、神字書きに触発され自分でもそのカプを書こう!となりその神や神の相互に心を掻き乱されまくるという話である(トレンドにも入っていたので、目にした方は多いんじゃないかと思う)。オチもないし読み返しても何が言いたかったのかわからないので、時間のない方はスルーするのをオススメする。こういうことがあったよーという経験談であることを了承した上で読んでいただきたい。
私は、出戻りし再ハマりしたジャンル(以下某ジャンル)にて自カプ(以下AB)にどハマりしていた。ここで隙自語させていただくが、自分はめちゃくちゃ、めちゃくちゃ飽き性である。熱しやすく冷めやすいタイプである。それを前提にこの文章を読んでもらうと、憐みが増すと思う。
その話は置いておくが、私はABを検索している中神を知った。神は、可愛い絵を描く絵師だった。まだ駆け出しだったし、おそらく公開垢で同人活動するのは初めてのようで、フォロワーも全くいなかった。私は神の絵に惚れ込み、誰からも送られてなかったマシュマロに長文の感想(というか1枚しか絵を上げていなかったので、ほぼ好き!!という告白)を送った。すごく喜んでくれた。それから、自分もABで同人活動を始めよう。そう思った。
自分には死ぬほど絵の才能がなかった。なので文章を書くことに挑戦した。某ジャンルに初めてハマった時に、一度だけ文章を書いたきりであったが、頑張ってSSを書き、そして神をフォローした。私など神にとっては虫けらのようなものだったが、神は私の1つのSSだけで、フォロバをしてくれた。その時既に、私は神と自分より2週間前に繋がった相互(以下Xさん)がいることを知っていた。そして、私もXさんと相互だった。
Xさんは、絵を描くのは初といった感じの人で、沢山のジャンルにハマってきた歴戦の兵士だった。正直、Xさんの絵は上手いと言われればそうではなかったと思うし、ABへの熱だけで絵をあげている人だった。いい人だった。でも、だからといって、私にはXさんと繋がる理由はない。ということは、今思い返してみても私は心の奥底で2人が仲良くしてるところに混ざりたい、という醜い欲望があったのだと思う。
私は、神がアカウントを作ってからずっと見てきた。Xさんが繋がる前に神があげ、消した絵ももちろん見てきた。神と繋がった時に、「以前あげていた〇〇のABがメチャクチャ好きでした!!」と送ったら、「そこから見てくださってたんですね!ありがとうございます!」と返信してくれた。私には神をずっと見てきているという傲りがあった。そして、神はそれをすごく喜んでくれ、そこから約3ヶ月後のイベントに参加するなら、会いませんか?と言ってくれた。もちろん会います!!!!と食い気味に返信した。
私は神とお近づきになりたいと思っていた浅はかな人間で、あわよくば通話とかもしたいな〜なんて思っていた(自分はコミュ障なのでこちらから話しかけることはできないタイプだった)。そこで、神とXさんが通話アプリで通話し始めたのを知った。私もその通話アプリで2人とフレンドだったから、アプリの通知で2人が話していることも知っていた。ツイッターでも毎週◯曜日の深夜に話しましょう!と話しているのも見かけた。そのアプリは、そのメンバーとフレンドだったら勝手に話しているところに入っていけるシステムだった。しかし、私には入っていく勇気がなかった。
それから、数週間たった。彼女らは、タメで話していた。そして、その通話アプリで最近話していないなと思っていたら、LINEを交換してLINE通話をしていた。それが堪らなく嫌で嫌で死にたくなった。なんだか全体的に冷めてしまった。萎えた。今思えば私から歩み寄りをしていなかっただけだったが、私はABの生産量が足りないから神と話せないんだ、と思い込みABをすごい勢いで生産していった。かなり反応も貰えるようになり、ありがたいことにフォローしてくれる人も増えてきた。
しかし、ここで、スキル:飽き性が発揮された。まず、私はハマったカプは1ヶ月も持たないのだ。アカウントを作り同人活動を始めたことを本当に後悔した。そして、ここでABに対する自分の価値観と、ABに対する大衆の価値観が違うことに思い知らされる。ABは、公式が提示してくれて、しかもハッピーエンド万歳という雰囲気のカプだった。カプの傾向を左右する何人かの大手絵師もハッピーエンド万歳傾向にあったし、ほとんどの二次創作作品が、幸せで溢れていた。しかし、私の生み出す作品は薄暗くて、あまりに浮いていた。そこから、自分はABについて何もわからなくなった。アカウントを消せばよかったのだが、せっかく神と繋がれて、約3ヶ月後のイベントで会う約束をした以上、とりあえずイベントまでは頑張ろう、そう思って苦しみながらABを生産し続けた。
イベントも約1ヶ月後!とみんなが浮かれている中、私は某ジャンルにもABにも疲れ果てていた。某ジャンルは離れ、別のソシャゲをしていたし、ABなのかBAなのかわからなくなって、解釈に悩みすぎて終いにはA、B、2人のカプが見れなくなってしまった。今すぐ消えてしまいたかった。それでも、私は神をイベントで一目見たかった。
そして日数が過ぎイベントの前日、神はXさんと遊んでいた。私は何をやっているんだろうと思った。謎の嫉妬と焦燥感に襲われて、死にたくなりながら寝た。ABのスペースがたくさんあるイベントなんて面倒くさくて行きたくなかった。
当日、私はずっと仲の良いリア友兼オタ友とイベントに行った。もう好きじゃなくなってしまったABのスペースをてきとうに巡回し、神に送った「会場にいるなら会いませんか」というDMへの返信を待ち続けた。神から「ABのスペースらへんにいます」という返信が来た。私はダッシュで神のところへ向かった(会場で走っちゃダメです)。
神はめちゃくちゃ可愛かった。そして、すごく優しくて親切でいい人だった。性格が悪くて毎日鬱で死んでいる自分とは対称的な人だった。神は一緒にABのスペースを巡回してくれ、初めて直接話してAB以外の話でも盛り上がり、LINEを交換してくれた。もっと神と話したかったし、自分にも連れがいたもののご飯の予定でも立てられないかななんて思っていた。
神は、私をXさんのところへ連れて行った。神はXさんと慣れ親しんだ感じで電話しながら、落ち合った。Xさんもいい人だった。目の前で、神とXさんが話しているのを見て初めてああ、圧倒的に"足りない"と思った。ABに対する情熱も、過ごした時間も。本当に死にたくなった。その後、3分足らずで解散し、大好きなリア友と帰りカラオケに行った。同じタイミングで、神とXさんが同じくカラオケに行きABの歌を歌っているのをツイートしていた。神は遠征組だったので、帰ってしまった。ああ、もう神と2度と会うことはないだろうなと思った。
イベントに行ったからと言って、ABがまた好きになるわけではなかった。自分が書いた文章を読み返して吐き気がした。本当に、何もかもが嫌になって、TLを見るのをやめた。私は神とのLINEを途中で無視した。
それから約5ヶ月がたった。完全に某ジャンルからは離れ、ABも読めなくなった。久々にアカウントにログインし、TLを見たら、みんなはまだABが大好きだった。ずっとABを生産し続けていた。アカウントを消すのも億劫だった。LINEは未だに無視している。最低だ。5ヶ月何もツイートもせず作品をあげることもせず、LINEも返さない私の存在なんて忘れているに違いないし、別にそれでよかった。そして、今もこの状態が続いている。
あそこで、同人活動を始めなければ解釈が難しくなって、ABを嫌いになったりなんかしなかったのだろうか。イベントに行く前に、ABを生産できなくなった時点で、アカウントを消すべきだったのだろうか。理不尽にLINEを無視されている神は当然悪くないし、Xさんも悪くない。悪いのは一時的な興奮で神に踏み込みたいと思ってしまった私である。
それでも私は、イベントで神が私と話して嬉しそうにしてくれた時のことを思い出して、この一連の思い出が良かったのか悪かったのか、それを決められないでいる。
(追記)
身バレすると思い上の文章では書かなかったが、実は私は高校生だ。ちなみに神も高校生だったし(イベントで知った)、Xさんは成人済みの方だった。いい年した大人がこんなゴミみたいなことしてるわけではないです。すまん。いやまあ高校生でも恥ずかしいけど。
(追記)
というか何が最低かってネット上の知らん人間に嫉妬したのもそうだけど、神はイベントで私と話が盛り上がって、しかも年齢層高めの中で神と私は年齢低めで近くて、っていうのでイベント後からLINEもくれたし通話もしましょう!って言ってくれたのにABを拗らせすぎて嫌いになってしまったという至極どうでもいい個人的な都合で神から差し伸べてくれた手を振り払って無視してるのはこちらなんですよね!!それが最低…
タイトルそのまま。私はリア友やTwitterのフォロワーにアカウントを教えないままpixivに作品を投稿している。
でも、誰にも言わずに投稿した作品が思ってたより反応が良くて、そのことが私の承認欲求を満たした。
Twitter上でエゴサして、私の作品のことをつぶやいてるのを見つけては小躍りした。本当は片っ端からふぁぼりたかったけど、本垢では創作してることを隠しているしpixiv垢名のTwitterは作る気が無いしでスクショだけして残している。
今まで生きてきて「増田さんは真面目だから」とか「増田さんいつもがんばってるから」とか、そういう理由でばかり評価されてきた。「『増田さんだから』すごい」というわけだ。
私に対する評価がいつも私の成果物の評価に上乗せされて(時には減算されて)、私が作ったソレは一体どんな価値を持つのかずっとわからないままだった。
それが、私という存在から切り離してソレだけで世に放ったとき、フラットな視点でこれだけ評価されるとわかったのが嬉しかった。
でもそのpixivも、投稿を続けていくうちにあることに気づいた。
投稿してまだ数分も経っていないのにブクマやいいねがつくことがある。一枚絵やSSならまだしも、それなりの分量のある作品のときも。
それは大抵pixiv上のフォロワーからで、つまり彼らはやっぱり「増田だから」評価するようになっている。(手癖で流れてきたもの全てにブクマいいねをする人もいるだろうし後から外す人もいるんだろうけど、それは私にはわかりようがない。)
それはそれで私自身への信頼があるということで嬉しいんだけど、やっぱりなにか違う。
コロナなんかより桜を見る会の話をしろと言っていたのはまだ可愛いほうだった…
あるタレントがステマをしないと言ったら自分の思想を話すことができなくて可哀想と言ったり。
変な人に話しかけられそうになって嫌だったからあの店は性別で席をわけろと言っていたり。
その友達と、もう二人別の友達含めて四人でたまに会うが、もう二人の友達とは遊ぶ前に絶対Twitterの話はしないようにしようねって話してる。
ちなみにリアルで会うと至極ふつーーーな人で、Twitterとのギャップにいつも驚いてしまう。
まあうんこ!!とか呟いてる人がリアルでもうんこ!!って言ってるとは限らないように必ずしもイコールにはならないけど…
前はこんな人じゃなかったんだけどなあ…ここ数年ツイフェミっぽさが顕著になってきていてツイートみるだけでもウヘエってなってしまう。
※自己陶酔長文
※同人界隈のくだらない話です
※ハガレンはあくまで個人的な感想、感慨、そういうものの中で引き合いに出しただけです。こじつけというか、たまたまこういうものの中で自分がしっくりくるのがハガレンだっただけです、うまく言えないのですが。ハガレンが好きな方は閲覧気をつけてください。
「鋼の錬金術師」という有名な漫画がある。鋼の義肢を持つ兄のエドワード・エルリック(通称エド)と、鎧姿の弟、アルフォンス・エルリック(通称アル)が、「真理」(神様的な存在)に奪われた自身の体を取り戻すための旅をする中で賢者の石をめぐる壮大な陰謀に巻き込まれていくダークファンタジーである。
私はこの漫画が大好きなのだが、一つだけ「あんまり気に入らないなあ」という展開があった。それは、物語の最後、主人公のエドがアルを取り戻すためにとった手段のことである。
そもそもなぜ兄弟は体を奪われていたのかというと、死んだ母親を蘇らそうとして人体錬成を試みた結果、錬金術の「等価交換」の法則により、代わりに自分たちの肉体を奪われてしまったからだった。二人の肉体を取り戻すには万能のエネルギー源である「賢者の石」が必要だったのだが、エドとアルは賢者の石が生きた人間を材料にして作られていることを知ってしまう。
経緯をまるっと端折るのだが、結局物語の終盤、エドは賢者の石を使わずに二人の肉体を取り戻す方法に気づき、実行する。エドの決意に、「真理」は「正解だ」と言って笑う。
エドが全てを取り戻すために差し出したのは、エドが錬金術を使う能力そのものだった。
私はその展開に正直もやっとしていた。
「鋼の錬金術師」の見どころの一つは、エドが繰り広げる巧みな錬金術の数々だったからだ。それに、「最年少国家錬金術師」という厳つい肩書きや手を合わせるだけでどんどん色々なものを作り、意のままに動かすバトル、錬金術の知識を使い炭素硬化の能力を使う敵をもろい消し炭に変えてしまう展開……。錬金術はエドというキャラクターのアイデンティティだった。
実のところ、錬金術のような便利なものに頼らず額に汗して自力で生きろという作者のメッセージは作中で示唆されてはいた。エドの師匠のイズミは凄腕錬金術であるにも関わらず、「錬金術に頼っちゃいけない」と言って近所の子供の壊れたおもちゃを手作業で直す。そしてエドも最終回、「錬金術がなくてもみんながいるさ」と、金槌を手に清々しい笑みを浮かべる。
だが、やはり読者からすると、「それでいいの⁉︎エド、あんたすごかったのに」と思わざるを得なかった。
しかし今、Twitterをやめたことで、エドの清々しい笑みの理由がわかるようになった気がしたのだ。
前置きが長くなってしまった。
私は同人の字書きである。Twitterやpixivで二次創作小説をアップするとそこそこバズる、ジャンルではまあまあ人気の字書きだ。
小説を書くのが好きなぼっちオタクの私にとってTwitterは、ジャンルの情報や推しの素敵な二次創作、実社会のニュースやトレンドをリアルタイムでたくさんチェックすることができる大切な情報ツールであると同時に同人友達を見つける出会いの場であり、萌え語りができるコミュニケーションツールであり、どのような傾向の話を書けば芳しい反応が返ってくるのがすぐにテストできる巨大な実験場であり、お手軽に承認欲求を満たしてくれる蜂蜜の壺のようなものでもあった。
しかし、同人界隈でTwitterをやっていると、疲れることもたくさん出てくる。人間関係、承認欲求、ジャンル学級会。三者三様に歪められたキャラの二次創作がどっと流れてくるタイムラインに疲れ、私は果たしてこのキャラを本当に好きなのだろうか?それともみんなで口をそろえて「〇〇ちゃんえっち」とか「可愛い」とか「エモい」とか言わなければいけないような集団意識のせいで好きだと思い込んでいるだけなのだろうか?と悩むこともあった。Twitterでキャラグッズを次々と大人買いする人々や、論理が通っているのかよくわからない考察ツイートを見るたび、胸焼けするようになってきた。創作でも、いわゆる「互助会」に組み入れられるのが重荷になってきた。
それでも、同人のSNSが私の生活の中心にあり、そこでの中堅字書きという立ち位置が数年の間私のアイデンティティだったから、Twitterをやめられなかった。情報を追えなくなったり、忘れられたりするのが怖かった。
(一応リア友もいないわけではないけど、就職を機に皆地方に散ってしまってあまり会えないし、しょっちゅうはやりとりしないため「居場所」感はあまりなかった)
冴えないぼっちの日常生活を送る私の唯一のきらきらしい社交場が失われることへの不安感から、私はTwitterを続けていた。
だけど、限界が来た。
きっかけは、私が、おそらくリモート飲み会で、ジャンルの顔的な人の不興をかったことだった。このことについては何を言っても主観になってしまうのでうまく説明できない。特別な粗相をしたつもりはなかった。ただ、今まで仲良くしてくれていたその人が、飲み会を境に急に全く絡んでくれなくなったので、何かしてしまったのかな天…と思った、というところだ(他の飲み会メンバーからはハブられてはいなかったけれど、わざわざ「私なんかやらかしました?」なんて鬱陶しがられる自意識過剰な質問もしづらかった)。強いて言えば最初、私のスマホの電波があまり良くなくてもたついたせいで若干場を乱してしまったとか、その人が話しているとき一度トイレに立ったとか、そういうことはあった。もしかしたらとんでもない粗相を無意識のうちにしていたのかもしれないし、あるいは全く別の理由かもしれない。
とにかく、その人が絡んでくれなくなった瞬間、その人の取り巻き的な人たちがほとんど反応してくれなくなったのだ。
Twitterで彼女たちがワイワイ盛り上がっているのがやたらと目についた。彼女たちの創作をヨイショすれば機嫌を直してくれるかもしれないけれど、不純な動機で同人を利用するのはもう嫌だと思っている自分がいた。
私は、何をすればいいのかよく分からなくなってしまった。彼女たちより有名な字書きになって見返してやろうと憤ったり、自分を責めたりと、このご時世において生活に困っていない恵まれた身でありながらバカみたいな理由でメンタルがぐちゃぐちゃになった。ジャンルの顔的な人や、それに媚びている取り巻きたちのかいた推しを目にするたび、推しそのものが嫌いになり始めている自分がいた。
(また、同人界隈がきっかけになって仲良くなり、LINEを交換して旅行などにも行った人たちがジャンル移動していたため、TwitterでやりとりすることがほぼなくなったというのもTwitterをやめるきっかけの一つでした)
楽しいこと、心が慰められることよりも、つらいことの方が上回っていると気づいたとき、やめようと思った。
そして私は、ずっと私の生活の中心にあった同人アカウントを消した。消す前から、このご時世における自分の悩みの卑小さ、不毛さには気づいていたが、消して改めて、自分が長い間スマホの中の小さな世界を首を縮めてのぞきこむばかりで、顔を上げてきちんといろいろなものの広がる世界を見ていなかったのだと気がついた。
思えば、どこかに観光に行っても、何を食べても、Twitterに投稿することばかり考えていた。何を書けばウケるかとか、通知の数とか、そんなことで頭がいっぱいだった。いつのまにか自分自身で、同人アカウントしか居場所がない状況を作っていた。
世界の命運や肉親の志を背負って闘うエドと、ただの同人字書きの私では月とすっぽんよりさらにかけ離れており、同じ括りで語るのはおこがましいこと限りないということは分かっている。
しかし、そのとき私は確かに、エドの最終回での清々しい笑みの理由がわかった気がしたのだ。
エドは、錬金術の能力を手放すとき、「思えばずいぶん踊らされたよな」と口にした。錬金術師として活躍したエドは、しかし、錬金術で母親を蘇らそうとして大切な家族を奪われ、錬金術を使い倫理にもとる悪事をはたらく者たちを数多く見てきてもいた。錬金術は、壊した物を直すこともできるし、武器にもなる、一見万能な術だ。しかし死んだ人間を蘇らせることはできないし、錬金術頼みでは解決できないこともたくさんある。
Twitterも同じである。日常のあらゆる情報をリアルタイムで発信する。Twitterを使えば全世界の人々と繋がれる。しかし、日常に入り込むそれらは、同時に、日常を強大な「それ」(錬金術/Twitter)なしではいられなくさせてしまう。「それ」を利用しているはずの私たちは、いつのまにか「それ」越しでしか世界を見られなくなってしまう。
錬金術にしろTwitterにしろ、便利ですごいものは良くも悪くも影響力が大きくて、世界やものの見方を変えてしまう。それに振り回され、人間の作った枠組みの中でおだてられて自分はすごい人間なのだと慢心し、甘い汁を吸ったかと思えば虚しい思いもする、そんな力の渦から脱却したから、エドは最後、笑ったのだと思う。
Twitterを退会し、同人の交流をやめてできた時間の中でやりたいことは意外と早く見つかった。小説や映画など色々なものに触れてみたい。資格を取ってキャリアアップしたい。今は難しいが、時勢が安定したら小説のカルチャースクールに通いたい。どうにかして、ネット頼みでなく新たな交友関係を築けるよう模索していきたい。
たぶん、徐々にTwitterをやめたことに対する寂しさや後悔は増していくのだろう。それでも、私のなりたい未来の姿は小さな世界の局所的人気者ではないから、寂しさを糧にしてふんばりたいなと思っている。
最後に。
Twitterでは主に学生時代のリア友と繋がっているのだが、
このご時世のせいか、ある友人のTLが現政権の批判で埋め尽くされていて、
それをみるとションボリしてしまう。
もう一つ、漫画が好きなので漫画家さんも何人かフォローさせていただいているのだが、
その中の1人も上記の友人の様な感じでションボリした。
なんだろう、この感情は。
このションボリを説明できる人がいたら、ぜひ教えて頂きたいです。
ミュートにすれば良いだけの話だが、
こんな事でミュートにしないといけないという事実にもなんだかションボリする。
でも言論の自由って言うし、
あなたたちの主張は、私には合わないですってだけの話でした。
Twitterを(ほぼ)辞めた。まあまあフォロワーがいる某ジャンル二次創作の垢と、ジャンル違えどまあまあ仲良しな人(ネットのみ)がいる垢と、リア友10人くらいの垢のうち、前者2個を消した。別に嫌なことがあったとかではない。なんとなく、「ジャンルが移る度に友達が消えて増えてを繰り返して、一体何になるのか?」と思ってしまったから。それで1個目の垢を消したら、2個目の垢もなんか見る必要なくなった気がして消した。リア友の垢はあまりタイムラインが動かないから見る頻度が朝1回だけになった。
時間が余る、余る。もともと某ジャンルに飽きかけていたこともあり、描く物がなくなった。漫画家になりたいといいながらなる実力も気力もなく、簡単に滾る気持ちを手に入れられる二次創作をしていたが、そろそろ本気で目指そうか、と思い、ネームを描いたりもしたが、途中で飽きてしまった。たんに飽き性である。
流行りは変わっても常に何か投稿・交流する場所を開拓していた。
怖いもの知らずな年頃だったってのもあるかもしれない。
今は「発信」という感覚があるのか、
昔はあれもこれも全部投稿していたのに。
気がついたらいま、インターネットのどこにも「自分」の投稿がない。
Twitter、FB、インスタ、Youtube、TikTokなどアカウントは持っていて毎日チェックしている。
でも全てROM専。
でもなんで?叩かれるのが怖いから。
いや、実際叩かれるなんて滅多に無いよ。一般人だし。
でも違うの、叩かれる・炎上の手前にある
「ふ〜ん」「ププッ」「キモ」「ださ」これら感想を抱く人がごくわずかでもいることが想像できてしまって嫌。
この人、アンチスレあるかな?あるとしたら「〇〇」って書かれてるだろうな・・・
だから自分が何かを投稿しようとしても粗探しポイントに目がいってしまって
すごく楽しかった。
今は「いいな」と思うものがあってもハマるまでいけない。
今は何にもハマっていない、という回答じゃ満足してもらえなかった。
これうまく乗り切れる嘘あったら教えて。
「発信」へのハードルが高いよりは低い方がいいって自分でもわかる。
情報を集めるため、趣味仲間と交流するため、ネットをたくさん使った。
だからこそネットで悪口を見つける方法も叩かれる事案もたくさん知ってしまったのかな?
みたいなやつも一例な気がしてきた。
手料理も、結婚式も、飲み会も、空の写真も、いいと思ったコトも、些細なことも。
いま人生初「ストロングゼロ」を飲んでるから、どうか許してください。
同じような気持ちの人、居る?
ちょっと罪悪感に苛まれているので色々意見を聞いてみたい所存。
先週の頭に会社の後輩から「週末に〇〇さん(共通の知り合い)と晩飯食いに行くかって話しをしてるんですが増田さんもどうですか」と誘いを受けた。その時点では特に予定も入ってなかったのでOKした。
「詳細決まったらまた連絡します」との事。その後輩は勤務地も離れてて毎日会ったり話したりする関係の人ではないので、その後一切やりとりすることもなく、連絡が来ることもなく当日を迎えた。
前日までに連絡が来てなかったのも気になってはいたんだけど、特に予定もなく臨機応変に動けるからと待ちの体制だった。お流れになったのかもなぁ、なんて考えてもいた。
んで状況が変わったのが当日の15時頃。友人グループから「21時頃から遊ばないか?」と誘いがあった。
後輩との約束の詳細が分からないので一旦返事を保留にしてもらった。後輩に電話をしてみたけど出ない…
正直友人グループからのお誘いは魅力的だったので顔を出したい、人数制限があるとの事で返事は急がないといけない。後輩との話しが流れてるんだとしたらリア友の方を断るのももったいない。飯食う時間によってはそっち済ませて21時から友人と合流する事も可能かもしれない。
色々考えた結果後輩からの折り返しを待たずに友人グループに「遊ぼうぜ」と返事をした。
「さっきの電話、今日の件ですよね?連絡遅れて申し訳なかったんですが、21時に△△の辺りに集合するってことになってます」
「あぁ、21時か…実はさっき別口から誘いを受けて、流れたのかと思ってそっちに顔出すって言っちゃって……」
と事情を説明した。幸い店予約してるとかではなく、適当に店探す感じだったらしいので後輩の方を正式に断って友人の方に顔を出すことにした。
というのがことの顛末なんだけども、生来の小心者が災いして罪悪感に苛まれてる…うやむやだったとはいえ後輩との先約を反故にしてしまったなぁと。
しかもその日の23時すぎ頃に後輩と〇〇さんから数件の着信があったんだけど、友人と遊んでたから電話に出られず無視する形にもなってしまった。
ただ後輩に不満がない訳でもない…特に予定が無いとは言ったけど、前日までに連絡貰っとかないとモヤモヤするし他の予定も立てづらいじゃねぇか!とか。決まってるんだったらなんでこっちから着信入れるまで連絡よこさなかったんだ!とか。
ただこっちにも当日の夕方まで確認の連絡を特にしてなかったていう落ち度はあるわけで…悪いことしたなぁって気持ちと後輩のせいにしてしまいたい気持ちが鬩ぎ合っていて心がしんどい!
厳しい意見でもなんでもいいので、他の方の考えを聞いてみたい…今後似たような事があった時に、今回より上手く立ち回れるよう参考にしたい所存でございます。
昔っからの相互フォロワーの何人かが、気がつけば数万のフォロワーをもつアルファツイッタラーになっていた。
自分は120:200程度。Bot除いたら1:1くらいじゃないか。
彼らは何かつぶやくたびに、熱心なフォロワー数人が即座に「いいね」を押す。お前らほんとにいいねとは思ってねえだろ。
少なくとも、相互フォロワーになったころはアルファツイッタラーなんかではなかった。アルファだったらこっちからフォローは絶対にしてないだろう。
彼らと自分の何が違って、そんなにフォロワーがつくようになったのかは知らない。
お互い、リツイートやリプライでホームTLが埋まるようなタイプではない。趣味嗜好の共通はあるが、リアルでの付き合いはない。自分をリツイートしてくれるわけでもないので、承認欲求を満たしてくれるわけでもない。
アルファになってなお、おごらず、こっちのフォローを外さないでいてくれる、というのは有難い、と同時に、アルファツイッタラーとしての彼のファンは、いつか自分の存在に気づくのだろうか。
思想的、政治的なツイートが炎上して、物好きがフォロワーを"掘る"というのはよくある話。第三者はリア友だと勘違いするかも知れないし、それを違うと釈明する方法もない。
完全に私怨なのだが誰にも何も言えないのも苦しいのでここに書かせてほしい
同人活動で友達ができたのだがだんだんそいつに対してイライラすることが増えた
切れるなら切りたいがそいつの結婚式に行かなければならなくなって余計気が重い
どの点でイライラするのか自分でももうよく分からないが小さなことの積み重ねの結果のような気がする
同人イベントにサークル参加したときに私の本の上にそいつのカバンを置かれたこととか
一緒にサークル参加したときにペットボトルを私の本の上に置かれたこととか
出会い系アプリを使って彼氏作って結婚することになり結婚できると思わなかった〜と白々と晒していることとか
そいつが他の友達から罵倒されたりブロックされたりして泣いていたのでこちらとしては真摯に応じたのに
何がしたいんだこいつ
会うと自分のはまってることをマシンガントークしてきて私の話は聞いてもらえない(話がないときは気が楽だ)
そいつがお金持ちでおしゃれでランカーだって主張したいのはわかったし
そいつの高校時代の友達にそいつの絵を貶されたのにも関わらずその高校時代の友達の被お気に入り数をすぐに超えちゃったのは
今までのリア友にこんなやつあんまりいなかったからもうどうにかしてくれ
チュプになるらしいので同人オフは卒業〜とか言ってるけど子供が幼稚園くらいになったら
あっさりオタクがえりするに一万票入れたい
お前が散々主張してきた一人前の社会人()ってなんだったんだよ
結局チュプ様かよ
専用ヲチ板までできかかったの今ならわかるわ
お前の性格のせいだもう治らん
もう二度と絵描かないとか言って華々しく()引退したくせに数年したらパソコン買っちゃったってなんなんだよ
もう人のこと見下げて自分の方がすごい自慢するのもいい加減にしろよ
こんなやつと付き合ってきた自分が情けない
人を見る目がなかった自分が情けない
チュプ友とかママ友とか作って自分とはフェードアウトしてほしい
12/12追記
もう2年くらい前のことだ。私は某ジャンルのマイナーカプにはまり、せこせこ同人誌を作る腐女子だった(今は別ジャンルだが同人誌オタクなのは変わってはいない)。
ある時、「普段はAB描いてるけど、モブ×Bの同人誌を出したい!」と一念発起し、1話16ページくらいのオムニバス形式で、100ページ程の本を作った。楽しい本にしたいという思いから、普段そのキャラを描かないようなリア友や、普段CBを描くフォロワーにも嫌じゃなかったらお願いしたいです💦と言ってお願いした。このCBのフォロワーがやばかった。
TwitterのDM上で締切や仕様やらなんやらやりとりして、締切がこの日です!と言うと、割と早い段階で「完成しました!」という文とストレージサイトのURLが送られてきた。
「早いですね!ありがとうございます(><)」
と伝えると一言、
「いやー、もうこれでいいやって思って」
え?
「もうこれでいいやって」
?????????????????????????????????
もうこれでいいやって何???
は?え?え???
激おこです。
こっちは死ぬ気で良さを伝えようと頑張って死ぬ気で描いてるんだよ。別にさ、当たり前だけど「描かせてやってる」とか微塵も思ってないし、「描いてもらってる」側なのは分かるけどさ。せめて「仕方ねえな〜ちょっくら本気出してやりますか」コキコキ
くらいのノリで描いてくれよ。気が乗らないなら上手くいって断ってくれよ。頼むよ。私ならゲスト頼まれたらよく分からんジャンルでも自分なりに調べて自分なりにそのキャラやカプの良さを解読して頑張って表現して描くよ?なんだこいつマジで……思い出したら腹たってきた。
そいつから貰った原稿、楽しみにしてたけど確認してる時完全に虚無だった。「これ適当に仕上げられたんだよなあ……」と思うとマジで辛かった。
装丁とかもめちゃくちゃ凝ったあの本は私史上最高の神本なんだけど、あいつのページ見る度に苦い思いになる。
特定されない為に以下の記述にはフェイクをいくらか織り交ぜてある。
人が苦しむ姿を見て楽しむのが趣味だ。
そんな俺がここ最近特に観察するのを楽しみにしているなろう作家がいる。
彼は40万字書いてアクセス数がやっと一万五千を超えるかどうか。
対して俺は書籍化にはほど遠いが100万アクセス以上の作品がいくつかある中堅作家といったところか。
その男は別にリア友という訳ではなく、ただのネット上の知り合いだ。
だがその男がエッセイで、活動報告で、ツイッター上で吐き出す苦悩を見るのが本当に好きなのだ。
誤解されないように言っておくが、彼の力量は決して低くない。
むしろ俺などよりもずっと巧みで、彼の作品を読む度に俺にはこんな文章は書けないと思わされる。
そんな彼が何故俺程度すら超えられないのか。
これは単に俺が彼の作品を読んだ感想でしかないが、彼の作品にはいつも何処か寂莫とした感覚が憑き纏う。
読んでいて居心地が悪いというか。座りが悪いというか。
「この登場人物に本当に感情移入していいのか」とビクビクしながら読み進めることになる。
彼の作品には「書きたい」という気持ちも「読みたい」という熱意も篭もっていないからだ。
彼は単純に「書ける」ものを書いている。加えて大衆受けする作品でもない。
だからと言って俺は彼に「自分の書きたいという気持ちや読みたいという感情を大事にしなよ」とはアドバイスしない。
彼はエッセイで絶叫している。
スランプの最中で自分の書きたいものを書けなくなってしまったと。
どんなコンテンツに触れても「作品の為のネタ集め」としか思えなくなって、自分の読みたいと言う気持ちが分からなくなってしまったと。
そんな彼に上記のアドバイスをするのは「お前には絶対に名作は書けない」という宣告に等しい。
俺は彼の筆を折りたくない。彼の苦悩をずっと見ていたい。
だから俺は何故彼の作品がダメかの根本には触れないようにしながら、彼が苦悩を吐き出す度に共感する振りをしつつ、優しい言葉をかけ、当たり障りのないアドバイスをする。
彼がなんとか作品を書き続けてくれるように。
しかし彼も薄々分かっているのだろう。
自分は「書きたい」「読みたい」という感情がないから駄目なのだと。
分かっていながら届かないものに手を伸ばして、それが指先にもかからない人間の苦悩は何よりも価値がある。
彼の人生が上を向くことはあるのだろうかと思う。
彼はフリーターで、もういい年だ。
根っからの無性愛者(アセクシュアル)で他人と恋をしたいと思ったことが無い。
それでも書けるから書いてしまうことが彼の苦しみを助長させている。
もし彼がうつ状態から回復できれば「書きたい」や「読みたい」も生まれるかもしれない。
でも、彼にそんなチャンスがあるだろうか。
そう思い悩み、彼の境遇に思いを馳せ、彼の苦悩をテイスティングする。
俺は彼の苦悩のファンだ。
こんなに価値のある苦悩をしている人間がいる、と誰かに伝えたくてこの文章を書いた。
できれば彼が自ら命を絶つことなく、筆を折らず、無名作家のままでいてくれることを俺は願う。
無茶な願いだろうな。