はてなキーワード: 高まるとは
最近の失敗談をどこにも書くわけにも言うわけにもいかず、でもどこかに吐き出したくなったので書く。
僕はDIDと言うジャンル(簡単に言うと本番の無いSMみたいなもの)が好きでAVを探しているが、理想の一本が無く、大量の時間を費やしては悔しい思いをしていた。
それならば自分で作ればいい!
と思い立った。
調べてみたら緊縛に興味のあるモデルを募集している掲示板(報酬の相場は1〜3万)があったので、そこに偽名HNと偽名用のgmailを作って申し込んだ。
これで動画撮って自分のフェチサイト作れば、自分の性欲は満たせるわ、動画が売れれば副収入になるわで、良い話やん!と思った。
掲示板に書き込んだらその日の内に3件の申し込みがあり、皆「緊縛に興味があります!」と書いてあった。
正直返事が来るなんて微塵も思ってなかったからかなり舞い上がったし、妄想は現実になるんだと高まった。
しかし、連絡を交換していくうちに3人が3人とも「早めの日程でお願いしたい」と書いており、会話の節々から「1秒でも早くお金が欲しい」という想いが伝わってきたので、この時点で「緊縛に興味がある女性」では無いことが分かった。
あの掲示板からは「お金を払ってでも女性のアレな写真や動画を撮りたい男性」と「本番は嫌だけど早くそれなりな額が欲しい女性」が交差する場であったのだ。
普通に考えればそうなのだが、トントン拍子に進んでいたので舞い上がって忘れていた(汗
本当に来るとは思ってもみなかったが来たのでホッとしたが、今思えば来ない方が良かったとも思った。
最初の女性(以下Oさん)は普通に働いてる人だが、色んなイベントが重なりお金がかかるので、とにかくお金が欲しいとの事だった。
しかしこのOさんははてなで言うところの「はあちゅう」みたいな性格をしており、「女性は脱毛やらエステやらホワイトニングでお金がかかるの。だから男は奢って当然」とか「彼氏の大学慶応なんだけど、上智の男ってどう思う?」等々、ネットでしか見た事ないような勘違い系女性そのものであり(しかもあんま可愛くない)、やる前から僕のモチベーションはどんどん下がって行った。
ホテルについてさあやるぞ!となっても、やれ「苦しいから嫌だ」とか「服が汚れるから垂らしたくない」等、文句ばかりである上に見栄えがとても悪く、もがく時もぼへーとしているか、わざとらしいかのどちらかであり、こんなの無料だって誰も見ないだろみたいな内容だった。
服がどうだこうだうるさいので、持ってきたブルマに着替えさせた時に、俺は愕然とした
なんと醜い……
腹も足も肉がつき過ぎていて、服を着ていた時よりもかなり太って見えた。
お前写真と別人すぎるだろう!!!と怒りたくなったが、着痩せするタイプなのだろうし、細く見えるように服装等をこだわっていたみたいなので、何も言わなかった。
勿論縛っても全然見栄えが良くない。
お前は外面や見栄えばっか気にする前に自分の内面や体型をどうにかしろよと言いたくなった。
ちなみに縛っている間「商社の男は〜」「女はプレゼントが〜」とどうでも良い内容を永久に喋り続けていた。
ずっと口枷付けていたかったが、付けても文句しか言わないので付けるのも辞めた。
結果的に何も高まることなく、3時間で入ったのに2時間で退出。
こんなざまでもお金+交通費まで請求した挙句に「またよろしくお願いします」とか言う始末。
こっちは二度と貴様と会うもんか!と思った。
2人目(以下Kさん)は164cm、51kg。写真のルックスも悪くなく、セーラー服持参可とかなり期待値が高かった。
Oさんは制約が厳しく(なのに一番高かった)何も出来なかったが、Kさんはそれなりに出来るということで、今日という日を楽しみにしていた。
しかし、前日までに散々調整していたのに、今日になって何故か決めた額よりも高い金を提示して「◯◯ですよね?」とか言ってくる始末。しかも文面には先払いでお願いします。とか書いてある。
何度かのメールのやり取りであまり文章を読まない人なのは分かっていたが、ここまで読まないとは思ってなかった。これは都合良く解釈しかねられない……
文章考えようと思ったが、朝飯の為にメールの返信を忘れていたら、さっきのメールから1時間後に「午後急に仕事が入りました。行けません。来週なら可能です!」とか来た。
こっちが出る70分前でね……これは完全なドタキャンである。しかもこの30分後に不審な非通知の電話がなって男が何か語っていたが、雑音で聞こえなかった。
ドタキャンする上に嫌な予感がしたので、こいつはもう無視しようと思う。
正直Kさんにはかなり期待していたので、かなりショックだった。
3人目は体型が微妙だが、こちらが出した条件を全て+こちらの想定していた一番安い値段でOKしてくれたMさん。
楽しみにしていたのに、当日の昼に風邪とか言ってドタキャン。職場に道具を一式持って来ていたし、当日定時で帰れるように仕事の調整もしていたのに、このザマである。
代わりの日程をーと連絡しても音沙汰ねーし……
2人とも事前の打ち合わせではレスポンス早いのに、いざとなると急に返事が無くなってくる。
こんな訳で、すこぶる微妙な経験で僕のDIDライフは終了した。
やはり写真を買って撮られることに興味のある人を地道に発掘するのが良いのかなぁ……
俺も一眼レフ買うか。
追記:一眼レフの話は単に最近よく見たオチなので使っただけで、最後の一眼レフの話はどうでもよかったりします。
改行が見づらくてすみません…
休日にプライベートで出かける、ということですよね。がっつき過ぎと感じられるかもしれません。
まずは仕事の延長として、ランチでもご一緒するのが良いかと思います。
ダメです。女性との付き合い云々の前にコンプライアンス的にダメです。
それが個人の連絡先ならなおさらセンシティブですのでご注意ください。
1回軽く誘っただけで通報されたら、その女性の方が自意識過剰だと思います。
何度もしつこく誘った場合、相手が嫌だと思えばそれはストーカー認定されても仕方ないです。
お互いに好きだということが確認できているのであればそれで良いと思いますが、
一方的な好感情である可能性があるなら、もっと警戒されにくいプランの方が
警戒されにくくするポイントとしては
・時間帯:夜を避ける、一番ハードルが低いのはランチ以降~夕飯前
・人数:いきなり2人が厳しそうな場合、ダブルデートなど4人以上だとハードルが下がります
・場所:いきなり高すぎる場所に行くとがっつきオーラが出過ぎます。カジュアルでうるさくないお店が良いかと思います
・目的:相手の苦手なものを事前リサーチして避けましょう(人混み嫌い、疲れやすい等)。
親睦を深めるためには2人で会話できる場所(レストラン、カフェ等)を含めるのが良いですが、それだけしかないと会話が盛り上がらなかった場合に辛いです。
完全に社会人としての付き合いだけのように思われますので、脈なし状態から脈ありにもっていくということですね。
まずはランチにでも誘ってみて、嫌われていないかどうか探ってみるのが良いのではないでしょうか。
最後に。
「デートに誘う」ってどういうことですか?
単に「デート」といった場合、「既に恋人同士で出かけること」を指すことが多い気がしますが、
あなたのデート目的は「気になる女性を彼女にする」かと思います。
お互いに「一緒にいて居心地が良い」、「この人は自分の恋人になるのにふさわしい」と共通認識がもてるようになることがゴールでしょうか。
そのためには、「まずは仕事上つながりのある人」以上の存在になるべく、
会話を重ね、親睦を深める必要があるので、仕事以外で出かける機会をつくります。
それが、「デートに誘う」ということです。
楽しい経験を共有し、打ち解けた会話を通じてあなたの魅力を伝え、気に入ってもらう。それが全てです。
オシャレなレストランや綺麗な夜景etcは多くの女性が喜びやすい「方法」でしかありません。
デートで悩んでいるようですが、それ以前に「なんかピンとこない」「生理的にムリ」な可能性も結構あることをお忘れなく(同性でもそういうことあるでしょう)。
人と人のことですから、明確な正解はないし、理不尽なことも多いです。
でも、気のおけない人と一緒にいることで、一人ではできない体験が沢山できると思います。
がんばってください。
先週、川崎市で中学生の男子が殺害されるという痛ましい事件が発生した。
犯人の少年らと殺された中学生に接点はないものと思われていた。しかしどうやら「ラブライブ」なるアニメに興味関心を持つという共通項を持つらしい。
そのアニメがどのようなものかについて調べてみたが、かなりヤンキーといった反社会的な素質を持つ層から好まれている作品であるようだった。
例えばラブライブに登場するキャラクターを刺繍した特攻服に身をまとったり、ラブライブのグッズを体中に張り付けるという愛好者が相当数いると聞く。
また、愛好者の中には作品の真似事をし各所に迷惑をかける人も多いと聞く。
これらの点より、ラブライブの愛好者の多くは大なり小なり反社会的な素質を持つと推測される。
ラブライブの作品内容はアイドルごっこに興じる女子校生を描いたものである。従って、ラブライブを見ることが殺人含む反社会的行為に繋がるとは考えにくい。
むしろ反社会的行為に親和性の高い層が、ラブライブというコンテンツに群がっていると考えられる。
もちろん殺された男子中学生のように、ごく普通の人間もラブライブというコンテンツを受容していると考えられるが。
この事件を機にラブライブを規制せよという世論が高まることも考えられる。
さてみなさんごきげんよう。昼間はサラリーマンで電車の中と就寝前に趣味でブログを書く人です。
Twittr上でとあるアフィリエイターさんに絡んでしまったことがきっかけで、「アフィリエイター"谷"」の人とコミュニケーションができました。
ちょうど、彼らのネットのオフ会が渋谷で開催されるとTLに流れたので思わず参加ボタンを押してしまった。場違いな気がしたが反省はしていない。
一週間経った今、電車の中で座っていられる30分間で、感想戦を書こうと思う。
アフィリエイター:ネットを使った個人(一部法人)の広告代理店業を営む人たち
アフィリエーター"谷"の人:数十万人というアフィリエイター人口の中でも選ばれた戦士たち。一日中Twitterに張り付いている人が多いので何人かフォローするとTLが急に忙しくなる
てっきり敏腕アフィリエイターのみの参加だと思ったら、そうでもなかった。せどらー(ブックオフや特売を見つけて個人で裁定取引をする人)や本職のイラストレーター、はてまたスタートアップ中の人など様々な背景を持つ人がいた。てっきり、あやしげなネットワークビジネスの話とかアフィリエイト塾の話があるんだろうな、と邪推していたがそんなこともなかった。むしろ、純粋にネットの中のアイコンの裏側がどんな人かと興味津々の人たちだった。僕は性格が悪いので、もし怪しげな話があったらニヤニヤしながら聞くタイプなので肩透かしをくらった気分だ。
話を聞いていると幾つかのタイプに分かれる。
彼らはスターだ。自分のハンドルネームを言えば、「え!○○さんですか!」と驚かれ、尊敬の眼差しと握手を求められる。そんな眼差しを受けることができる人は滅多にないだろうからとても気持ちいいだろう(決して悪い意味で言ってるのではない)。僕が知っている脂ぎった中小企業の社長と違い、全員立ち振る舞いはスマートだ。情報を出し惜しみするわけでもなく、聞かれたらちゃんと誠実に答えてくれる、良い意味でギラつき感が無いというか、あまり欲がなさそうな印象を受けた。現代的というべきかもしれない。
月に数十万円を稼ぎ出すことができれば、副業の範囲を超えつつあり、事業拡大のためサラリーマン生活に区切りをつけ専業戦士になるか、このまま副業の道をすすむのか悩むことになる。彼らはすでにかなり成功しているので、自尊心はかなり高いと思われるが、自分より10倍稼いでいる方々を見て何かコツをつかもうとしている。個別具体的な話や、質問をする人はこの層が実は一番多い。
まだ結果の出ていない人たちは、自分以外は全てスターだ。彼らは自分から提供するものが何もないので、どちらかといえば聞き役に徹する。たまに遠慮のない質問を投げかけるのもこの層である。
オフ会には○応生が何人か参加していた。人並み外れた高い知能を持ち、学生の身分ながら裁定取引をフル活用して1日汗水垂らして稼げるバイト金額の5倍、7倍といったお金をすでに稼いでいらっしゃる。成人になった頃に僕がそんなお金を持っていたら間違いなく堕ちていただろうが、話してみたところプライドが高い以外にそこまで屈折もせず真っ直ぐにそだっている印象である。ただ、世の中はもう少し広く見聞を深めるためには数年働いたほうがいいと、極めて意識の低いオッサンの立場から伝えておいた。
これからアフィリエイトに参入するのか、はてまたお仕事や取引を望んでいるのか、今回イラストレーターの方くらいしかお話できなかったので参加の動機は良くわからない。
確認したけど、趣味ブロガーでアフィリはほぼやってないというのは自分一人で少し疎外感があった。イケハヤと話したいわけじゃないが、誰か純粋なブロガーとはお話ししたかった気分。
お店を貸切にしたことで、立席するもよし座るもよしパーティー会場の雰囲気だった。どこの世界でもそうだけど、参加者のお互いの関心度が高ければ高いほど、立食の割合が高まる。基本的には座席に座る店のレイアウトだったが、気がつくと半数以上の人が狭いスペースで立って話しこんでいた。お互いに関心を持っていることもさることながら、手法がいろいろあるとはいえ、パソコンの前に張り付くのがお仕事のアフィリエイターは孤独の解消と承認欲求を欲しているんだなとの印象を受けた。
ただ、会社で宴会部長的なポジションにいるものとしてはもう少しキッチリと仕切りがあればピリッとしまった良い飲み会になったのかもしれない。ただ僕は幹事でもないので黙っておいた。そもそも70人の飲み会の予約・受付はかなりの労力である。主催者の方には感謝の気持ちしかない。
困ったのは「いくら稼いでるんですか」と初対面の人から真顔で聞かれることだ。いい歳したモン同士のお見合いパーティー以外で、この質問を受けることは滅多にないだろう。正直には答えたが、私から同様の質問をしたわけではないので、なんとなく損した気分である。僕は人の稼いだ額についてあまり興味はなく、彼らの思考法と商売方法を知りたかったのだ。ちなみに、スーパースターの方々と何人か話す機会があったが、「あなたはいくら稼いでいるんですか?」という質問が来なかったのは面白い。彼らは一定クラス以上の結果に対してはもはや興味がないのかもしれない。
料理をほとんど食べないのにお酒だけ飲んでしまったこともあり、開始早々だいぶ酔っ払ってしまった。酔っ払うと極めて口が悪くなってしまうので、気分を害された方本当に申し訳ない。TLに流れてくるアイコンの中の人がどのような人でどんな考えを持っているのかを直接知ることができる貴重な機会だった。また機会がありましたらよろしくお願いいいたします。
ここで、ちょうど次の駅が目的地。いささか消化不良な内容だけど、時間は区切らないと。それでは、みなさんありがとうございました。
金曜の夜のこと。週末独特の皆が逸る気持ちを押し殺すような空気の中で昭和通りを秋葉原から草加方面に走らせていたんだ。
ちょうど上野駅前の交差点に差し掛かった時、車道に人が倒れているのが目に入った。
はっきりとした原因はわからないのだが、自転車とともに道路に倒れこみなかなか起き上がれないでいる様子だった。
上野駅前の交差点といえば、手前まで続く路駐が原因で実質2車線に限られていたところから、ゆるやかなカーブを描きつつ3方向に向かって突然車線が開けるために、流れ方次第では結構な速度で車線変更を強いられる難しい交差点だ。
やっかいなのは交差点を少し進んだ先にある右折専用車線で、道を知らないドライバーが無理やり車線変更をしてくるような場所でもあり走っている方としてはかなり神経を使う場所なのだ。
どんなドライバーたちの神経がピリピリと高まるような場所で、その人は上野公園に向かう左折車線の左から2番目に倒れこんでいた。
その時の信号は赤で、倒れている人の前には一台の車が止まっていた。倒れている位置がその車の真後ろであったため、その車にぶつかったとは考えづらい。
ドラマにもよく使われるような大きな歩道橋を持つこの交差点は車道を無理やり横断する自転車が少なくない。
恐らくは左折車線を横切って横断しようとしたところを、黄色信号に飛び込んできた左折車に後輪をぶつけられるかしたのではないだろうか。
倒れた人にいち早く気付いたのは自分で、後続車に轢かれてしまわぬようまずは倒れている人の後ろに車を止めてハザードをつけた。
それとほぼ同時に前に停まる車数台から人が降りてきて、あれよあれよと倒れた人を具合を気遣いながら自転車と一緒に安全な場所へと退避させてしまった。
そのうち一人は既に携帯電話を片手に通話を始めていて、おそらくはどこかに通報していたのだろう。それはつまりこれから先の数時間をここで過ごすことを意味しているのだ。
皆スーツや作業服を着ていて、恐らくはすぐにでも家に帰りたい気持ちでいっぱいに違いないのに。
あまりの手際の良さに、道のど真ん中を塞ぐように停まっていた自分は役目を終えたようにその場を後にすることしかできなかった。
時間で言えば信号が赤から青に変わるまでの間だったのだから、ほんとうに一瞬の出来事だったのだろう。
東京のどまんなかで実に東京らしい速度で処理される心温まる瞬間に出会えたような気がして、なんだか得した気分になってしまった。
つい先日、YOUTUBEで”ロシアの優しい運転手”という動画を見た。
老人が横断できずに困っているところを車を降りて手伝ってやったり、雪で立ち往生している車を牽引して助けてやったりするようなシーンが集められた動画だ。
感動的なコメントが寄せられる中、ロシアでそういう場面が多いのは単純に交通整備が遅れているからじゃないかと素直に受け入れられない自分がいたんだ。
しかも気になったのは、大体が助ける側の車載カメラの映像だったということだ。
日本にだって心優しいドライバーが沢山いてだけどわざわざ自慢するように動画を共有したりはしないはずだと、モヤモヤするような気持ちをひきずっていた中での出来事だったので本当に誇らしく思えてしまった。
教え方次第で相手は逆に嫌になってしまったりもするってことぐらい知っていさえすれば、自分の教え方に問題があるのではないかと考える切っ掛けにはならないだろうか。
義務教育で「教え方を教える」ことにする → それに際しては「教え方の良さ」を点数づけできるようなわかりやすい基準が必要になる(そうしないと現場の教師は馬鹿だから教えられない) → 「教え方の点数」を最大化するテクニックが蔓延しそれだけが取り扱われるようになる(そうしないと受験に勝てないし、教師の能力的にそのくらいが限界だし、受験に使わないなら皆無視して「教えたことにする」ようになる) → とにかく相手に「わかった」と言わせる小手先の丸め込みテクニックだけを身につけた子供が大量生産される
http://seana.hatenablog.com/entry/2015/02/05/230648
アイドルの曲は、アイドルが歌うことに意味があるということに気づけただけでも、ジャニーズを好きになってよかったなと改めて思います。
アイドルファンのみんながみんなそうというわけじゃないよ、という話も。
そもそも「音楽とはその演者の主張である」という基準自体が、常に正しいとは限らない。
何の主張も、意思も、意見も、欲求も何もなく、音楽はただ音としてあるだけでも許されるはずだ。
それは、西洋哲学の古典の文脈で、「世界には何らかの真理があるはずだ」とされてきた価値観に似ているかもしれない。
これはおそらく、人間のコミュニケーションの手段、あるいは記録・伝達の手段の発達に関係していると言えそうだ。
音楽を伝える手段は、口伝から楽譜、レコードからCD、デジタルデータへと発展してきた。
一番最初は「自分たちの音楽をいかに奏でるか」から始まったし、実際にそういう手段や発想しかなかったわけだが、
文明の発達によって「楽器を弾かなくても音楽が作れる」、「発表した数分後には世界中の誰でも聴くことができる」ようになり、
音楽のありようは大きく変わってきた。
つまりシニフィエを持たず、純粋にシニフィアンとして存在しうるものに変わってきた。
音楽を奏でる上で、その主体が自分の顔や外見を聴衆の前に晒し、
その言葉が本人の主張であると常に解釈されなければいけない時代は終わったということだ。
人間、あるいは自己の「表現」としての「音楽」には限界がある。
そもそも「音楽」と「自己」とは関係なく存在しあってもいいものであるはずだ。
「自分たちの音楽とは、自分たちの表現だ」という自己規定は、そのうちに必ず自家中毒を引き起こす。
いわゆるアイドル戦国時代と言われたところから、近年のヒットチャートをアイドルが占拠するようになったこの音楽のあり方は、
何も正当性がないただの「衰退」や「退廃」とは異なる、文化としての次のステップの意味を示している。
「音楽」と「自己」、あるいは「音楽」と「意味」の離別は、音楽そのものの純粋さをより推し進めるものともとれる。
たとえばそれは、女性キャラしか登場しなくなったアニメや、10代の若者が世界を救うジュヴナイル作品とも近いもしれない。
その「音楽」をより純粋な形で届ける上で、最適な手段を探した結果、それが「アイドルだった」としても実は不思議なことではないのだ。
ポップスという大衆音楽には、その音楽性やジャンル自体の制限はない。
あらゆる音楽性はポップスに含まれうるが、しかし外見や表現を含めてもそうだといえるだろうか?
ダンスミュージック、ディスコ、あるいはプログレ、ハードロック、メタル、
これらはそのファッション、スタイルと相まって存在していた音楽、文化だ。
ヒップホップの音楽性には、ヒップホップのファッションが必要で、ヒップホップなアティチュードが求められる。
一人の人間、あるいはバンドでこの様々な音楽性の表現は一貫して行うことができるだろうか?答えは「No」だ。
なぜなら自己の表現として音楽が存在すると仮定した場合、多種多様な音楽を奏でることはそのまま分裂症的に解釈されてしまうのがオチだからで、
純粋な音楽の表現において、多種多様な音楽をできるだけピュアな形で届けるには、アニメやアイドルといった、
何の主張も持たない、時にはフィクショナルな存在の方が向いているということは起こりうるのだ。
彼ら、彼女たちと、そこで歌われる、奏でられる音楽は、本当の意味で結びついてはいない。
しかしながら、いや、だからこそ、その音楽は純粋に存在しているし、鳴っているのだ。
ともすれば、その歌詞が支離滅裂で意味を持たなかったとしても、
ナンセンスであるほどにその身体性、サウンドとしての純度は高まるかもしれない。
ひと昔前であれば、優れた40代50代の音楽家が表現しうる音楽の手法、伝える手段は、より限られたものだったろう。
今は、アニメ、アイドル、ボーカロイド…。様々な手段によって、自己の肉体や外見とは関係なく、純粋に音楽を表現できる時代になったのだ。
定年退職したシニア同士で、あるテーマについて1年程度調査研究した上で、共著で自費出版するスキーム。
★例えば、自分は定年退職したら、不動産の知識を生かして、自分が幼少時に過ごした高層分譲マンション群「阪急南茨木ハイタウン」の歴史、
さらには70年代の関西の民間マンションの歴史について調査して、本にまとめたいと思ってる。
⇒共同研究、共同著作の仲間がいれば、何とか「本」というまとまった形にできると思う。
★また、著作の調査研究の過程で第三者へ取材ヒアリングする必要性も出てくるが、
退職者個人の名刺で阪急電鉄や茨木市に取材しようとしても門前払いされるのがオチ。
そこで「南茨木ハイタウン史出版組合」みたいな名刺があれば、阪急電鉄もまともに対応する。
★「出版組合」は、いわば一つのテーマ、一つの著作物に対して、何人かが緩やかに参加する「期間限定プロジェクトチーム」。
本来的には出版した時点で、組合の活動は終了(著作権管理の為に10年間は存続させるが)。
NPOみたいに「半永続的、ゴーイングコンサーンな組織」じゃない
★仮に日本の「前期高齢者」(元気な高齢者)1000万人の中で、出版を考えてる人が50万人いて、
彼らが「5人で一つの出版組合を毎年組成し、出版」していったら、
今の日本の出版総点数は9万点程度だから、出版点数が倍増される計算になる。
★言ってはなんだが、「素人が一人だけで書き上げた自費出版」は、「思い込み」や「独りよがり」も多く、質が悪い。
その点、「出版組合方式」で複数のシニアが相互チェックしながら著述をまとめることで、内容の質が高まる。
★ふと思ったが、それなりの歴史がある大規模なマンションなら、区分所有者の有志なり歴代の理事長なりが、
「出版組合方式」で、マンションの歴史を出版してもいいのでは?
その辺の小学校とかでも「小学校50年史」とか発行してるなら、「広尾ガーデンヒルズ30年史」を発行してもいい。
★役所とかが主催する生涯学習が「虚しい」のは、成果物、アウトプットがないからだろうなあ。
「出版」という目標がある出版組合方式なら、目標があってハリが出る
ご返答、ありがとうございます。
もし良かったらお読み頂けますと幸いです。
なんて言われようものなら、
「男の自信について」
ということだと思っていまして、「男の自信」という、曖昧でやっかい
ある男の言動から
「自信がある男なのか?そうでないのか?」を判定したい。
プロポーズしてくる見込みがない男だったりしたら
それこそ目も当てられない。
なので、自信のない男という”ババ”を引かないようにしたいが、
どうしたらいいだろう?
ということなのだと思う。
そのような「”ババ”を引かない」戦略に対して、
私の言いたいことは2つあります。
良いと思います。
それはそれでいいのですが、2つ目があります。
ひっくるめて、以下、「貴女を取り巻く男たち」と言うこと
にします。
私が思うに貴女は、
「貴女を取り巻く男たち」の一人一人について、
「本物の自信のある男なのか?そうでないのか?」
を見極めて、あらかじめふるいにかけて選別することは可能である。
高い考え方だと思います。
一人一人の男を、自信のある男には○、自信のない男には×を
つけて×の男を門前払いすると、極端な話、結局「貴女を取り巻く男たち」の
全員が×だったということにもなりかねず、そうすると
すべてが無駄だったということになる。
それよりも、私がお勧めする考え方は、さきほどの前提を
採用しないで、その替わりに
男はみんな、本当は自信が無い。
という考え方から出発することです。
先の回答に書きましたが、
「本当は自信がないけど、精一杯自信のある男のフリをしようとする男」
というのが多い。
たとえば、この私がそうです。
そういう彼が、実は自分の自信の無さを一番よく知っていて、
それを出会う女たちに見破られないよう、冷や冷やしている
ものなんですね。で、その冷や冷やを見破られないように、
車の車種を言ってみたりだとか、そういう、女性にしてみれば
アサッテ方向満載の虚勢を張ってみたりするのです。
そういう、内心では自信の無さに冷や汗をかいている男たちを
【方針1】その彼を「本当の自信があるのか、それともウソなのか」を
という方針
【方針2】その彼の
「本当は自信がないけど、自信のある男の演技をするだけの誠意」
は認めてあげ、かつ、彼が本当は自信がないことを、貴女が
見破っていることを彼に気づかれないように細心の注意を払いつつ、
上記の2つがあって、
2つ目は、めんどくさそうですよね。
昨今の、男女のズレを思うに、2つ目というのは貴女ふくむ淑女の皆様に、
「エーッ、そこまで男に歩み寄ってやるなんてアホらしい!」
と思われるだろうなと思う。
というのも、2つ目を基本戦略にするならば、
男とはどういう生き物か
ただ、男との出会いを真剣な交際に結びつけるという目的を達成するためには、
2つ目のほうが効率がいいです。真剣交際に発展する確率が高まるので、
LINEをやりとりするだけの男も含めて、
その100人にとって、貴女が「ちょっとだけ自分に自信を与えてくれる女」
すごく高くなります。
けれども、繰り返しになりますが、上記の2つ目の戦略にチェンジするには、
男にとって自信を与えてくれる女がいかに大事か?
ことですね。
男にとって自信を与えてくれる女がいかに大事か?
それに基づいた言動を自分が取れるか、ということにかかっていて、
これらは、女性にとってはかなりメンドクサイことだろうとお察し
するので、ボケーっと生きている女たちはやりません。
なので、やればすごく差がつきます。
男にとって自信を与えてくれる女がいかに大事か?
男にとって自信を与えてくれる女がいかに大事か?
を知るための方法として、手っ取り早いのは、やはり本を読んだり
映画を観るのがいいですよね。
あと、逆に
自信を与えてくれる女に巡り合えなかった男は、
どんな風に不幸になっていくのか?
とか
その女と別れた男が、いかに後悔するか?
という事例を人から聞いたり、それについて
考えてみるのも面白いかもしれない。
頭の良い男は、自信を与えてくれる女がいかに貴重か
けっこう大変かもよ?
というのは、さっき挙げた【方針2】を本能から実行できちゃう女って
そういう女は、いい男が全力で口説いて、さっさとさらっていって
ほらね。
なんてノホホンとしてられないでしょう?(笑)
それは何かというと、さっき上げた【方針2】のようなことを
絶対やりたがらない女たちもかなりいるということ。
それとも、そういうメンバーを出し抜きたいのか?
ここまで書いたので1冊だけ上げておきます。
大体の増田が『○○の日記』で匿名ダイアリーを日々投稿してると思う。
これが1年位続いた時、過去に書いた日記を確認したいと思っても
いつどういう事を書いたのか覚えてない事が多い。
そんな時にホッテントリ入りした事があるとか、ブクマ数が分かれば日記内で
例えば、日記の端っこに「過去エントリーor過去ホッテントリ一覧」みたいなのがあれば
以前、ホッテントリをブクマ数で色付けしてはどうか?(http://anond.hatelabo.jp/20141021002921)といったような
記事を投稿したが、後日そのような仕様に変更してくれた事には今でも感謝している。
今度の件でも記事タイトルの部分部分で日記内検索をすると労力と時間が無駄に掛かってしまっていたので、
過去投稿したホッテントリ入りした記事を見やすく纏めたようなツールがあるととても助かる。
また、日記内でもブクマ数が分かるようにしてもらえるとありがたい(というのも現行はトラックバックとPermalinkのみなので分かり辛いため)。
・北海道、東北、四国、沖縄を国立公園に指定して、一般人の居住を制限する。
・基本的に自然保護官と自然公園指導員など、公園の維持管理にかかわる人以外は居住禁止。
・末端の地域、つまり地理的に外側から道路や家、ビルなど人造物を撤去していき、徐々に自然に戻す。
・国立公園としていくつかの場所には集団施設地区をつくる。また、それぞれの施設地区には空港をつくる。
当面は移住と人造物撤去の仕事が増え、それらが終わると公園の維持管理という仕事が増える。とはいえ、仕事を増やすというよりは国全体の運用コストの削減がおもな狙いとなる。人口動態を反映した支出の削減が可能になるのではないかと考えられる。
残った居住可能エリアは人口密度が高まるので経済的発展が期待できる。既存の地方中枢都市はさらに発展し、東京周辺の首都エリアは外側に向かって広がっていく。経済密度の高いエリアが増え、広がり、それぞれが繋がっていくことで東京一極集中にも変化が生じるのではないかと考えられる。
「ゾンビに殺された人間もゾンビ化する」というロメロ的ゾンビ観に基づく
・垂直的なコミュニケーションによって「記号」に振り回されるという状況がありつつも、水平的に自ら「記号」を操作する立梅にある
インターネットを利用して自分も記号を用いて振り回すこともできる。
→オタクの字義が広がった(市民権を得たというのもある)。もしくはレッテル貼りによってそう語られる人が増えた。ファッション的にオタクを名乗る人が増えた
記号のパンデミック。ある属性を身にまとう人が増え(もしくは着せられる)、それがゾンビが仲間を増やすように他人にもその属性をうつす。ウイルスのよう。
・ネットワーク消費
消費の対象は、それらが共有されるか否かで判断される。同じ作品を見ているかどうか、それについて他人と話し合えるかどうかが問題。それが多数派であるか少数派(ニッチ)であるかはまた別問題か。TwitterなどのSNSで感想を共有出来る場が増えたことなどから諸費は他人とのシェアを含めたものとなる。シェアできる人がいない→他の人に薦めればいいじゃんというゾンビ的な行動が起きる。見ている人が多いから選ぶというのもありそうではある。その場合、評価が裏打ちされているからでなく、ただ単にシェア可能性が高まるからだろう。
・オススメ○○選!
割りと個人ブログでも見かけるが、PV稼げるだけだからでもないだろう。これは一種の噛み付きである。しかし噛まれる方は噛まれることを望んでいるのかいないのか。
大手ハンバーガーチェーン(Mでない)で買ったハンバーガーのレタスに死んだ青虫が挟まっていた。
見た瞬間ぞっとした。
怖くてそれ以降一度も行ったこと無いから、結局無料券なんて使う機会無いんだけど。
普段、ペヤングのG騒動を見聞きしている人は、「いや、Gに比べたらそんなのまだマシじゃん」と思うかもしれない。
マシとは何か。どこで受容できるものとできないものの線引きがされるのか。積極的に青虫を受け入れられるか。
(もっとも、今回の騒動は双方の対応に議論の的があるわけだが)
これとはちょっと別の話になるけど、東京にいた時は何度かスーパーでGを見かけたこともある。
暖かい土地に住んでいる以上、どうしても見かける確率は上がってきてしまうと思う。
予め断っておくが、正しいからと言って面白いとは限らない。「科学的には正しいけど面白くない話」は「科学的に正しくなくて面白くもない話」と大差ない。
共振器で光を励起させ、指向性を揃えて撃ち出したものがレーザーである。レーザーの実体は「光」そのもので、この点で実体弾ともビームとも大きく異なる。当然光であるから、レーザー兵器は弾道が伸びる様子は見えず、基本的に撃った瞬間着弾する。※1 従って「弾道の伸びが見える時点で、その兵器はもうレーザー兵器ではない」という考え方は、概ね正しいと言える。この前提を踏まえると、現存するゲーム、マンガ、アニメ等で「レーザー」と呼ばれている物のうち、いくつかは、あるいはほとんどは、実はレーザー兵器ではないという事になる。SDI計画がミサイル迎撃にレーザーを使おうとした理由もスピードにある。トップスピードで移動しているミサイルに対して、後から撃って高い確率で命中させられる兵器は、究極の弾速を持ったレーザー兵器しかなかった、ということだ。
レーザーは発射に際し反動がないのも特徴である。※2 これにより「射撃に際して反動があるようならそれはレーザー兵器ではない」という言い方もできる。また銃身が不要なのも特徴の一つである。レーザー兵器が発するのは光であり、飛翔体を飛ばすわけではないので、銃身は必要ない。CD/DVDプレイヤーのピックアップレンズのような形状が、レーザー兵器の基本的形状である。
レーザー兵器には実弾兵器では得られない様々な利点があるので、ビーム兵器のような「そもそも何のために作られたのかよく分からない」兵器とは異なり、実弾兵器と共存していても何ら不思議はない。また、レーザー発振器は非常に巨大でかなりの電力を食うが、ビームを撃つために必要な粒子加速器に比べればまだマシなレベルなので、単体での存在確率もビーム兵器よりはだいぶ高い。
弱点について考えた場合、例えばレーザーは光なので、鏡面コーティングによって拡散し、減衰する、という点がある。とはいえ、ただ単に「鏡を貼ればレーザーは無効」というところまでは行かない。励起されレーザーとなった光のエネルギーはそんなに生易しい物ではない。より大きな弱点と言えるのはやはり減衰率だろう。レーザーは空気中では直進せず、また距離によって減衰する。従って、レーザー兵器が完全のポテンシャルを発揮するのは、基本的に真空状態の時だけである。
ビームとは、加速され、一定方向に指向性を持った粒子の事である。つまり「ビーム」というのは固有名詞ではなく、単なるジャンル名に過ぎない。例えるなら、レーザーは「自動車」ぐらい具体的だが、ビームは「乗り物」くらい曖昧である。しかし現実として「ビーム」はなぜか固有名詞と扱われている。そうなった原因は言うまでもなくガンダムにある。
加速した粒子の集合体を対象にぶつけよう、という発想がビーム兵器の発想だが、粒子加速するためには巨大な粒子加速器と巨大な電力が必要であり、コストは絶望的である。現時点においては、粒子加速器は広大な敷地に建築物として作成するしかない。将来的にどうなるかは曖昧だが、単に対象を破壊するなら、同じエネルギーを使って別の手段を講じた方がまだマシという可能性は高い。
またシステムの複雑性とコストの問題を無視しても、ビーム兵器には威力、弾速などがレーザー兵器や実体兵器に比べて強力であるという根拠がないという、存在意義そのものに関わる問題点が残る。レーザー兵器はその速度から明らかに独自の用途があり得るが、ビーム兵器はそもそも何のために作られるのか、という部分が既に怪しい。そのためビーム兵器をフィクションの中に登場させたとしても、実弾兵器と共存する理由を持たせる事すらできない場合が往々にしてある(色々な話がこの部分で苦しんでいるのをよく見かける)。
手持ちの銃から「ビーム」が出るというのはかなり突飛な発想であり、ガンダムの持っている「ビームライフル」は、過去から現在に至るまで、誤ったビーム解釈の象徴としての立場を維持し続けている。撃っていると途中で「エネルギーが切れる」など、バッテリーで撃っているような描写が見られるため、あれは結局レーザーライフル的な発想だったと思われるが、撃ち出される「何か」の速度は非常に遅く、また射撃に際して大きな反動がある。そのためあれは、「実弾」でも「ビーム」でも「レーザー」でもない、何か全く別の兵器と考えるしかない。銃自体の形状にも謎は多い。ビーム兵器もレーザー兵器同様銃身は不要である。仮に銃身を付与したとすれば、発射時に通過するビームによって破壊される(ちなみにガンダムのビームライフルは銃身内にライフリングまである)。語感でつい「ビーム」と命名してしまっただけで、実際はただの実弾兵器が何となく光っているだけなのだ、と考えるのが一番辻褄は合う。
ビーム仲間のビームサーベルはさらに状況が深刻である。理由は言うまでもないだろう。
なお、現実に照らし合わせた考証を全てぶち壊すために生まれた概念がガンダムで言うミノフスキー粒子であるが、それを言い始めると考える意味がなくなるので、ここでは無視する。
ショットガンは非常に単純な発射システムおよび弾体を持っている。具体的に言えば、通常の銃と異なりライフリングがなく、銃身はほとんど「散弾に指向性を与える」ためだけに存在している。拡散性は銃口先端の形状に依存しており、この構造をチョーク(絞り)と呼称する。銃口が小さく絞られている方が、より狭い範囲に密集して飛ぶ。
拡散性や軌道、散弾が実際に何発出るか、といったようなことについて、基準となるようなラインはない。例えば鳥を撃つような、数百発もの散弾が入ったシェルを始め、ごく狭い範囲を効果的に狙う六粒弾や九粒弾、さらには一粒弾(スラグ)というものまである。
なぜわざわざショットガンで単発の弾を撃つのか、という点については、単に「そうそう何丁も銃を持ち歩けない」という非常に現実的な理由による。ゲームのように何丁も銃を持ち歩き、用途に合わせて使い分ける、などという真似はできないので、ショットガン一丁で色々撃って使いまわそう、ということだ。ライフルドスラグの存在はショットガンの特性を顕著に表している。つまり、ショットガンは実は単なるランチャーに近いという事である。ショットガンは「散弾銃」と訳されるが、役割から考えれば必ずしもそうとばかりは言えないのである。一丁で散弾もライフル弾も榴弾も撃てるような、そういう潰しが利く「ショットガン」こそが、真に優れたショットガンである、とすら言える。
ガンダムには「ビームショットガン」というものがある。バーチャロンのアファームドも同名の武器を装備していた。現実のショットガンは、シェル底部の火薬の爆発によって散弾に推進力を与えて放出する。しかしこれが「ビーム」だった場合、そもそもショットガンのショットシェルにあたるものが何なのか分からない。普通に考えれば、「ビーム」を拡散して発射しようとするなら、発射する方向のぶんだけ別々に発射口を用意するしかない。謎が謎を呼ぶばかりである。
ある飛翔体を、火薬とその爆発力ではなく、電力とローレンツ力で発射するのがレールガンである。つまりレールガンがやっている事は、根本的に言えば火薬式の銃と何も変わらない。だから、ビームガンのような怪しい物とは異なり、火薬による射撃武器の正当進化形として使用される可能性がないとは言えない。コストも悪くない。もっとも度を越した小型化(「このハンドガンはレールガンです」というような)はギャグでしかないが。
レールガンは理論上電力を上げれば上げるほど高速な弾が撃ち出す事ができ、その限界値はおそらく火薬で飛翔体を飛ばすよりもだいぶ高い(銃身の耐久性の方が先に限界に達するので、無限の速度が得られるわけではないが)。なお、なぜレールに電気を流すと物が飛ぶのか、という説明については長くなるので、この文書では省略する。
「バズーカ」という名称は「ビーム」と似たような立場にある。現状、「この手の武器」はジャンル名として一般的に全て「バズーカ」と呼称される傾向になっているが、これは誤用であり、バズーカという固有名詞は本来米軍のあの「バズーカ」しか指さない。代表的な歩兵用携帯対戦車兵器には、パンツァーファウスト、カールグスタフ、RPG(Rocket Propelled Grenade)等があり、しかもこれらは、ロケット弾発射装置だったり、無反動砲だったりと、構造にも統一性がない(この2者の違いは現物を見ればすぐ分かる)。これらを総称で呼ぶなら、それは「バズーカ」ではなく、やはり「歩兵用携帯対戦車兵器」以外にはない。
端的に言えば兵器としての描写が正しいかどうかに関わらず「バズーカ」と呼んでしまった時点で1手ミスということである。ガンダムでは何とかバズーカが色々出てくるし、バーチャロンのライデンも「バズーカ」という名前の武器を持っているが、これらは典型的なパターンと言える。
名称の問題を置いておいたとしても、まだ問題は残る。まず無反動砲の場合、これらの兵器は基本的に一本で一発しか撃てない。ハンドガンやアサルトライフルのように、一発撃ったら自動で次弾が装填されるという事はないし、現場での再装填すら困難である。この理由は、歩兵が携帯するので体積的に余裕がない、というのはもちろんだが、最大の理由は、これらの兵器が無反動構造を持っている、という点にある。無反動砲がなぜあの形状なのかと言えば、前方に飛翔体を発射すると同時に、後方にも同じ運動量を発生させ、見かけ上の反動をゼロにするからである。歩兵用の無反動砲には必ずこの構造が備わっている。※3 従って、再装填なく砲弾を連射していたり、あるいは発射に際して大きな反動が見られる場合、それはかなり正体不明な兵器ということになる。
また、これらの兵器については、成形炸薬の「指向性を持った爆発エネルギー」で敵装甲を貫通する構造であり、そもそも運動エネルギー兵器ではない、という点にも留意すべきである。つまりこれらの兵器の弾体は高速飛行する必要がない。元々速度で貫通する気はないので、弾はとにかく当たりさえすればよく、後はどれくらい火薬が積めるかの勝負となっている。この性質を長所とすべく、これらの兵器の一部では火薬の爆発による推進機構ではなく、弾体自体が推進能力を持つという、いわゆる「ロケット弾」構造を採用している。この構造により、弾体は弾丸ではなく爆薬に近くなり、弾体の発射速度は著しく遅くなって、さらに無反動性が高まる結果となっている。つまり、ロケット弾であるにも関わらず、発射と同時に弾体がライフル弾か何かのように一直線に目標に向かって飛んでいくようなら、それは何か間違っている、という事になる。
ちなみに似たような間違いとして、戦闘機のミサイル描写がある。戦闘機のミサイルは羽から切り離されたあと空中で点火して自力推進を始めるのだが、一部の作品では羽に付いている段階のミサイルがいきなり火を噴き始める。あれではミサイルを撃つたびに羽にダメージを受けてしまう。
※1 有視界距離を想定した話。光も無限の速度を持っているわけではないので(約30万km/sec)、異常に距離が遠ければ遅延は発生する。
※2 非常に微弱なだけで厳密には反動ゼロではない。しかしいずれにせよ火薬武器とは比較にならないレベル。
※3 一般的な無反動砲では平衝体を用いず、発射ガスを後方に排気することで無反動構造を実現している。しかし、この構造では至近距離で排気炎が発生することになり、車両ならともかく、歩兵用の携帯火器では深刻な弱点となる(射手や味方が排気炎に巻き込まれてしまう)。このため、歩兵用の無反動砲では、発射ガスを後方に放出せず、平衝体を用いて相殺を行っている。
※間違ってるところがあれば教えて下さい。超能力で。
政治家は、とりあえず、言ってることに対して反対してほしい。
例えば
「憲法改正して日米の軍事協力を進めることが日本の平和につながる」
って主張にたいして
「米国とのつながりを強めるとテロに巻き込まれる可能性が高まるぞ」
とかならわかるんだけど、
常日頃からストレスを抱え、ストレスのはけ口をハイエナのように這いずり回って探している人がいる。
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通称、ハイエナ君。彼はリアルでは良いはけ口が見つからないのだろう。あるいは、イライラをぶつける勇気がないのだろう。
ネットの匿名性を盾に言いたい放題に暴言を吐きまくることでストレスを発散している。
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こういう人達のことをネットでは「荒らし」と呼ぶ。荒らしとは、理解も共感もなしに頭ごなしに何でもかんでも批判したり、
ルールやモラルを無視して自分勝手な言動を行ったりする人のことだ。
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一般に、荒らしは心の病気であり、長期間にわたって粘着的に活動しているとされる。
確かに、よほどの理由がない限り荒らし行為のような下劣で不毛な行為をしようと思わないだろう。
もし長期間にわたって同一人物がそのような行為をしているのが認められるようであれば、おそらく病気や人格障害の可能性が高いと思われる。
「劣悪な状況に追い込まれれば誰もが悪になりうるのだ」という性悪説で擁護したところで、やはりまともな精神状態でないおそれが高い。
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そんなハイエナ君がネットの至るところにいて、「ここは大丈夫だろう」と思っても臭いをかぎつけて集まってくることが多々ある。
一般に人が多いところほど荒れやすいと言われる。人が増えるとバカやキチが沢山まじるからという言い方がされるが、
実際はそれだけではなく、人が多いと荒らしに反応してくれる可能性が高まるという事情もある。
特に、荒らし慣れしてないネット初心者が混じりやすい、という点が大きい。
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私はハイエナ君(君達流にいえば「荒らし」)に何のうらみがあるわけでもない。非難しようとも擁護しようとも思わない。
かといって中立を気取りたいわけでもなく、純粋に彼らの生態にいくつかの興味深い点が認められるから、それを語ってみたいのだ。
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例えば、ネットでは「マジレス」がカッコ悪いという風潮がある一方で、いかにも正論っぽくて共感されやすいワンパターンなマジレスは、
たとえ「ネタにマジレス」であったとしても一部から不自然なまでに強く賛同される傾向がみられる。よく知らない人が好意的に受け止めれば「ツッコミ」、しかしその内実は「煽り」と言えるものだが、
興味深いことにネットではそんないかにも型にはまった煽りマジレスが非常に広くみられる。現実生活をしていてそのような言い方をする人はまず見ないだろうと思えるケースが殆どである。
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そういえば、「ネットではマジレスが多い」という意見が見られて意外に思ったことがある。マジレスには三種類あると思っている。
真面目なレスという本来的な意味でのマジレス、笑いを生もうとするツッコミとしてのマジレス、煽ろうとするマジレスの三種類だ。
そしてしばしば混乱を生みがちだが、2, 3つめのマジレスは1つめのマジレスに擬態することができる。
一見普通のマジレスであり、笑いや煽りという狙いは隠されるということだ。ネットの場合ノンバーバルコミュニケーションであるから、この狙いが成功しやすい。
だから、一見「マジレスが多い」ように見えるのだろうと分析している。
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それはともかく、話はハイエナ君である。ハイエナ君にしてみればとにかく煽って、常日頃みじめな思いをさせられている社会や特定クラスタの人間に対して、
隙あらば一矢報いたいという歪んだ思いを抱えているわけで。ただのマジレスという免罪符のもと、ガンガン煽って賛同者を集めて大きな打撃力を生み出したいと思ってるわけだ。
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そんなルサンチマン工学が功を奏するには、前述のように「正論っぽさ」と「共感されやすさ」が大きな条件となる。
「正論っぽさ」に関して言えば、実際に正しいかは別として、俗に正論とされがちなことを言えば、場に頭のキレる人がいない限りなんとか主張をムリヤリ通せるという算段である。
「共感されやすさ」に関しては、同じルサンチマンを抱えた人の感情を煽ることが広く行われている。
要はただのマジレスと見せかけて、「お前らァ!にっくきあいつらを叩けるチャンスだぞ!」と同志を募ってるわけ。
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しかし、こうした彼らの精神構造を見るにつけて、人間の負の感情とはいかに「生産的」かということを改めて考えさせられる。
この「生産性」を歪んだ形ではなく、もっと社会一般に広く役立てられないものかと皮肉抜きに思ってしまうほどだ。