はてなキーワード: 高まるとは
花粉症らしきものがあるんだけど、通年だし黄砂の時期に酷くなる。
いくつも引っかかるけどこれが原因っていうのが見つからないのでとりあえず時間があれば病院、
そうでないときは薬局で鼻炎の薬を購入して酷い時だけ飲んだりして対処している。
この間旦那とドラッグストアに一緒に行った時に、薬剤師さんに眠い薬は困ると相談してみた。
薬剤師さん、年配の女性で一通りの説明をした後に何故か、延々不妊症と抗アレルギー薬の関連とか
こういう余計な事を語りまくる人は、会社とか近所とか色々な所に生息してるからアーハイハイで聞き流して購入したんだけど、
帰ってから旦那が薬はなるべく飲まない方がいいんじゃないか…と青い顔。
いや、確かにそういう事は私が知らないだけであるのかもしれない。てゆかあるわ、普通に。
でもあの人の説明は正直都市伝説クラス、布ナプキン最強説くらい胡散臭いレベルの無茶苦茶なこじつけ話でしたよあれ…。
「アレルゲンが反応してね、免疫が高まるでしょう、それを無理に押さえるとね、ホルモンバランスも狂ってしまってね…延々」
せめて成分の副作用でこれこれこういうものがある、と説明してよ…何のための資格よ薬剤師さん。
こういう女性の身体を脅す話は世の中ごろごろ転がっていて、私はもう慣れてしまってるんだけど
旦那はそういう場面に出くわしたのが始めてらしく、相当怖がっていた。
まあそうだよね、慣れる方が異常なんだろう。
男性は精子の質がどうこう言われないもんね。なんで女性だけ生理が排卵が云々って人前で堂々と話せるんだろう。
恥ずかしいってほどでもないけど、すごい微妙な気分になるので聞きたくない。
起こるかわからない、でも起こったとしても対処できる範囲内の話を想定して、
鼻水ズルズルなみっともなくだらしない姿を晒して人前に立つ不利益を取る事はできませんよ。
グーグルさんで、増田の文中で覚えている単語に「inurl:anond」をつけて検索すればいいよ。検索結果が多過ぎたら、検索ツールから期間を指定すれば精度も高まるし。
まず第一に、自分の気持ちをわかってくれている人なんてのはいない。
共感とかいっているものは、同じ状況で似た感性の持ち主どうしが経験値を似た排泄物として消化したものを結果として近い位置で見せ合うことができただけの状況。連れションと一緒。
同じ位置を共有しなくなったり感性を違えたり仕方を変えるとそれはもちろん共有できなくなる。忘れてしまったとか変わってしまったということではない。そういう状況になったというだけ。
変化は変化だろうが、それを言い出せば毎日毎秒変化はしてる。
なので同じ位置にずっといることでチャンスのめぐりを待つこともできるが、可能性としてはチャンスに対して適応したほうが確率は高まる。
一人でいたいのなら新しい接触の少なかった時と同じでよいし今までどおりのものが変化したので新しくもとめるものがあれば自分の状況を異なる位置にもっていく。
ずっと同じことをしていたからといってかなわないこともない、それは変化によってもたらされることもある。
10年つづけても本物になれないことも、それは成功法則が変化したものかもしれない。
あと、文中どこを読んでも彼女があなたの寂しいということをわかっているとは読めない。とりあえずそれはおいておこう。
「気持ちをわかってくれる彼氏」がほしいという場合なら、連れションできる男と巡りあう状況に自分が変化する必要がある。
以前つかっていたものは壊れた、状況が転じたので異なるものを新調するか以前つかっていたものを必要としない状況にするか、もしくは以前の状況に戻すため以前のものを取り戻すかしか選択肢はない。
取り戻し方を考えるのはあまりに非効率だろう。詳細を述べるまでもなく様々に予測できるものと思う。
そこでだが歳を取ると都合のよい変化が起こる。おっさんおばさんくさくなるということだ。ガサツになりだらしなくなり恥ずかしげがなくなる。
これにより共感すべき視野が外部にわかりやすくなり消化方法と排泄物の明確さがでてくる。アニメが好きでどういう詳細を選択してどんな活動や反応をしているのか。
その状態を維持して他人と接触するとチャンスは広がりやすい。年下のウブな子で自分を発揮できず共感をまだ手に入れられない時期に対して手ほどきができる。
アニメを好きと公言してもいいのか戸惑う若者にアニメ好きなんだわ私とあけすけに言う、どんなジャンルが好きなのか恥ずかしげもなく。そしてどんな感想をもってるのかとか活動をしているのかとか。
エンタメの物語(アニメとかラノベとかマンガとか)において主人公は特別(ユニーク)であることがやはり求められるんだよ。「他でもないその人物を主人公にした意味」ってやつが要請されるから。そしてこれらの物語ではやはり最終的に勝利が期待されるので、逆説的に主人公は強者であったことになる。勝ったと言うことは強かったんだろう、少なくとも最終的には強くなったんだろう――という構造。
※余談だけどこの構造に対するアンチが「ラッキーマン」とかだよね。
しかし一方でこれらの物語の主人公は、読者の感情移入点、アバターとしての機能ももとめられる。「まるで自分のようだ」みたいなポイントがあれば作中世界に入り込みやすいし読書体験は盛り上がる。でも当然読者は「勝者になるべき特別な存在」じゃないのでそこで乖離が生じる。
この乖離を穴埋めするために、主人公は作中で努力なり修行なりをして「読者である自分はやらないけれど、もし実際やったとすれば、これくらいの成果は手に入れられるんだろう」みたいな納得を読者に与える事になる。説得力があれば納得が高まるのは言うまでもないんだけど、しかしそれでも優先されるのは「納得」であって、その努力をちゃんとすれば本当にその成果が手に入るという実証研究ではない。
※この「納得」に対して別方面で行われるアプローチが「血筋」だ。優れた親の子が優れてるとは限らないんだけど、物語的にはかなり説得力のある論理として扱われる。DBの悟空もそうだし、NARUTOもそうだし。
「この主人公は努力してないように見える」ってのは作中の事実(描写)に対する否定じゃなくて、「読者である俺には納得が不足している」って言うことを言い換えただけなんだよ。
今回は言論関連。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
ただ雑であれば「雑だ」と指摘される。
そして、それは至極まっとう指摘だ。
言論が自由であるなら、それに対しての言論もまた自由なのだから。
雑なのに、雑じゃないように振舞うこと。
その論でいうなら、これは争いではないし、かといって虐殺でもない。
ロクな装備もなければ、訓練もつんでいない愚か者がただ討ち死にする自然の摂理だ。
「僕は装備もなければ訓練もつんでいないけれど攻撃するよ。でも、反撃はしないでね」というのはムシのいい話だ。
無知は恥ずべきだ。
だが、無知であることに無恥な人間は、時に火傷をしないとその痛みに気づかない。
……雉も鳴かずば撃たれまい。
例えば、某研究者とかが「嘘はいけない」といったとして、反面教師として汲み取れる側面はあるかもしれないけれど、ほとんどの人は言論そのものを評価しない、しにくいよな。
フィクションの登場人物の名言集で、その中の何割かは本当は言っていないのに、信じる人が続出してしまったというエピソードもあるな。
要は「説得力」ということだ。
それが正当か、といわれれば私としては「半々」というしかないね。
言論は自由だが、社会に帰属する私たちはそれによって起こりうる責任を持たなければいけない。
とはいえ放棄することも可能で、実際にネット住人の大半はそうしている。
だが、誤解してはいけないのは「自由」なのではなく、「自由そのものは許されている」ということだ。
故に言論そのものが評価されやすいともいえるし、一笑に付される可能性も高まる。
何にしろ、私たちはそれを正当な評価かどうかに関わらず享受することになる。
もちろん、それら評価に対してのレスポンスも自由だ(黙することの美徳もあるようだが、あれは迷信だ)。
君のような人は自身の言論を「大したもの」か、「取るに足らない」ものにしたいようだが、生憎それは君の判断で担保されるものとは限らない。
そして言論が担保されない以上、「よく分からない人間の言論」という前提は無くならないんだ。
うん……まあ、シメに入ろう。
人格とは総体的に、そして相対的に判断され、言論もかくありき。
いずれ言論者の人格が普遍的でないにしても、判断材料としては不変だろう。
自由であることは同じだが、正当な言論には正当な言動がつきものということだ。
……私かい?
性欲を持て余していた。31歳独身。風俗なんて行ったこと無いし、キャバクラでさえも行ったことなかった。
数年前別れた彼女はもうすぐ結婚するし、一昨日焼肉に連れて行った女子大生は「先週彼氏出来た」とのたまう。ハッ◯ーメールには2万円を要求する女しか居ないし、Yahooパートナーもさっぱり返信がない。FC2動画に有料登録し、俺のマイページは「ニーソ」「マッサージ」「黒髪ストレート」「色白スレンダー」「貧乳」「乳首桜色」「ロリ体型」…などと細かく分類されていつでもオンデマンドで楽しめるようになっていた。
いい加減セックスがしたい。裸で抱き合ってキスをしたい。朝から前立腺が泡立つような感触が続いている。
Google先生で「府中 デリヘル」と検索する。府中は隣町だ。きっとすぐに来てくれる。俺は基本的に一発しか出せない。60分もあれば大丈夫だ。
出てきた風俗情報サイトを上から眺める。やがて一件のダサめのサイトに辿り着く。ロゴの解像度ガバガバやな。今日の出勤に、黒髪ロングストレート&ニーソの女の子が映る。顔はぼかされている。プロフ上Cカップだがもっと無いだろう。でも、これだ。俺の11cm電探(仮性)に感あり。
20分後、女の子がデリバリーされてきた。ドミノ・ピザより早い。インターホンが鳴る。甘ったるいアニメ声だ。期待が高まる。オートロックを解除する。ドアを開ける。橋本環奈似の美少女がいきなり抱きついてきてディープキスを迫ってくる。大当たりだ。今までの彼女よりも美少女が来てしまった。夏らしいさわやかな花がらのワンピース。残念ながらニーソではないがそんなことどうでもいい。女の子がお店に到着連絡をし、再び抱き合ってベロチュー。混乱してきて童貞並みにどうすればいいかわからなくなってしまった。今までの彼女は何だったんだろう。シャワーを浴びベッドに向かう。
ベッドの上で裸で抱き合って橋本環奈似の美少女ベロチュー。発射なしでももう充分満足してしまっている。やばい、彼女つくるより全然良くないか、これ。アップル並みのユーザーエクスペリエンスだ。店長はジョブスなのか?彼女の脇腹をスワイプし、綺麗な桜色のホームボタンの外周をなぞり、口に含む。実物の桜色を目にするなんて初めてある。彼女は僕の性体験をことごとくiOSアップデートしていく。「Hey,Siri.ノーハンドでしてくれ」僕が指示を出すとSiriは嬉しそうに僕のLightningコネクタを口に加える。やがて彼女は僕の足を持ち上げ僕のSiriをむき出しにし、舐め始める。彼女にも舐められたこと無いのに!童貞みたいな声を上げる。僕のセキュリティ・ホール突いた彼女は再びLightningコネクタを咥えroot権限の奪取を試みる。今度は手でしごきながらだ。やがて僕は橋本環奈の口内にめいっぱいcoreをdumpした。dumpが終わっても彼女はアタックし続けた。彼女はまた僕の性体験をiOSアップデートしていった。コアダンプを口にしたまま動かなくなる彼女。「あ、ティッシュいるよね」頷く彼女。デバッグは追加料金である。
まだ時間はある。再び橋本環奈を抱き寄せベロチュー。何これ、すごい幸せ。ひとしきり腕の中で彼女の体温を感じ、再び咥えてもらう。「こんな短時間に2回とかしたことないんだよね」「がんばれ♡がんばれ♡」急に伊藤ライフがやってきた。口の中柔らかいし上手い。今度はスマタだ。ローションを塗り彼女の股間に当てる。幼い顔からは想像できない大きめの赤貝。へイラッシャイ!築地久兵衛感覚で赤貝を人差し指と中指で覆い握る。あっ、彼女全然濡れてない。仕事でやってるんだなということに気付くもそれ以上の体験がそこにはあり、もはやどうでもいい事であった。なので気兼ねなく思いっきりサービスしてもらおう。その後、上になってもらって下からちっぱいをながめたり自分が上になって赤貝に擦りつけたりした後に口で。こんな短時間で2発目はちょっと厳しかったが、どうしてそこでやめるんだ、そこで!!もう少し頑張ってみろよ!大丈夫かな、あはぁ~ん。不安になってくるでしょ?ならば、一所懸命、一つの所に命を懸ける!そうだ!今ここを生きていけば、みんなイキイキするぞ!!「もっと熱くなれよ!」僕は心で叫びなから文字通りイキイキした。
再びシャワーを浴びて服を着る。別れ際に抱き合い、またキスし、彼女を送り出す。とても1.5万円とは思えない満足度であった。酒を飲み、fue先生の「フエラハメりっぷす」(巻頭作品がアンドロイドがひたすら口でしてくれるもの)で抜いて寝た。月一回くらいだったらいいかも。
枕には橋本環奈の匂いが染み付いていた。「彼女いたら呼べないな、これ。」
なんだこの長文。
「ポルノグラフィ」というのは、料理に喩えれば「ジャンクフード」なのね。
「ジャンクフード」というのは、人間の味覚のバグを悪用した料理の裏技であって、技術ではないし、「味」でもない。単なる「刺激」。攻撃的な塩味という刺激を甘い油分で包み込んだら、危機感から脳内麻薬がどばどば出て、ハイ、次から次へと手の伸びるジャンクフードいっちょ上がり。それだけ。だから軽蔑の意味を込めて「ゴミ(ジャンク)食(フード)」という。
「ポルノグラフィ」という言葉もそれと同じで、言語の新たな可能性を切り開くとか、人間の真実に切り込むとか、そういう努力や技術は一切放棄して、エロという性的刺激を食わせるためにシチュエーションという糖衣をまぶした低俗読み物。そもそも軽蔑の意味を込めた名称だから、そのことを批判しても意味がない。
もちろん、世に言う「ポルノグラフィ」を制作する作り手の中にも、ちょっと変わった面白いチャレンジをしようとする人もいるし、あるいは「より低俗なポルノグラフィにするための技術」を磨き上げて職人の域に達してる人もいるだろうさ。でも、作り手の意識が高いからといって、それで作品(及びジャンル)としてのポルノグラフィの価値が高まるというものではない。というか、究極、ジャンクフードにもポルノグラフィにも、「作り手」などという存在は不要なんだよね。ポテチはぼーっと口の中を刺激してくれればそれでいいし、ポルノは気持ちよくエロければそれでいい。
ジャンクフードもポルノグラフィも、別にこの世から消えてなくなれとは思ってない。つーか、むしろその猥雑さは好きだ。でも、「『ポルノグラフィ』を差別するな」なんていうのは、ちょっとなんか違うんだよね。差別って言葉をそんな安易に使うなよと思う。屑は屑でいいんじゃね。
いろんなファンタジーがあるなかで、恋愛と性に関してはファンタジーを受け入れらない率が高まる。
良いサンプルが連綿と続く、良いツリーだ。
これが、熟成されると、「恋愛ファンタジーを楽しむ奴はキモオタ童貞」とか言い出して、自己の安定を図るようになる。
「人型兵器なんて実戦では~」とか、「その文化はその時代には存在しない、歴史考証が~」とかと比べて市民権を得やすいのは、「それが普通」と共感する人が増えるからだろう。
だから、日本において「子供が伝説の勇者とか萎えるww」は言いにくいけど、「さえない男がハーレムとか萎えるww」は言える。
世界で初めて商用の自動運転トラックが公道での走行を認可される
http://gigazine.net/news/20150511-autonomous-truck-drive-road/
これを見て思ったが、商用で自動運転を使うことはないと思うんだ。
理由は二つ。速度が遅いことと、値段が高いこと。
でも実際の運転では法定速度60km/hの高速を100km/hで行くのがザラじゃん。
そんなところが法定速度を守る車ばかりになれば、渋滞の発生率が高まると思う。
次に費用が今までの車に比べて高いこと。企業は費用を可能な限り抑えたいから安月給で人を雇って、ボッロボロのポンコツ車両に載せてるんだから、そんなところが自動運転車両なんて買うわけない。
買うとすれば、それはこの自動運転車両みたいなドライバーによるモニタリングが完全に必要なく、(つまりドライバーが必要ない=現在雇っているドライバーを解雇しても問題ない)現在使用している車両よりも安い場合だと思う。
自動運転はとても魅力的だし、是非流行してほしいとは思うけど、自動運転のメリットが享受できるのは主にシニアドライバーかペーパードライバーだろうなって思う。
普通にLINEしてたら既読がついたまま返信が返ってこない。どうしたものか、寝落ちでもしたか、携帯の電源が切れたのだろうと思って、1日ぐらい待ってみた。
返信が返ってこない。ちょっと気になって、一番最後の既読がついたやつを読み返してみるとこれは読みようによっては結構誤解を生み、相手を怒らせることがあるかもしれない。怒らせてしまって、「もうこいつとはLINEするもんか!」となってしまう可能性もないことはない。「こういう読み方もできるけれどそういう意味ではなくてこういう意味なのですよ」と補足を送信する。
その補足に一向に返信がこない。既読すらつかない。あれれ?返信ができないタイプの送信ではないぞ?みたいな感じで、でもこれ以上送信してしまうとなんだかストーカーじみていて気持ち悪がられるだろうなと思って、とりあえずそのままにしておく。
二日ぐらいたっても返信がない。やっぱり既読にもならない。これはもしかしてあのブロックというやつか?と考えて、インターネットでブロックされているかどうかを確かめる方法を調べて、やってみる。どうやらブロックはされていないようだった。でも最近LINEのアップデートがあって、その記事が書かれた時点では正しい確認方法だったとしても、最近のアップデートで仕様が変更されているかもしれない。仕様を確認しようかと思ったが、確認して実際仕様が変更されていることが分かったとして、ブロックされている可能性が高まるだけのことだから確認はしない。精神衛生の為に無知でいるということは重要だと数年間で学んだ。
で、いろいろ考える。あの人は性格から言って、いきなり連絡を断ち切る方法で怒りを表現する人ではない。もしかすると今回たまたまそういう方法を選んでしまったのかもしれないが、そうだとすれば今回のは災難だし、そうなってしまったのなら、もうこれは仕方のないことだと諦める覚悟はある。あと、彼女が案外電子機器に疎く、不具合があったときに対処することが苦手だということも知っている。彼女は若いが、エレクトロニクスに毒されていない。このご時世に珍しいことだと思う。
ふと気になって、LINEの不具合について調べてみた。どうやら最新版のiPhoneアップデートをすると、起動しないという不具合があるらしい。確か彼女はiPhoneだったはずだ。うちの父親はアップデートをこまめにするタイプではなく、彼女もそういうタイプなんだろうと思って無理矢理に安心する。
で、今朝に至る。未だに既読すらつかない。彼女は仕事だろうから、きっと今日もその不具合を修正することはできないと思う。
いや、分かっているのだ。多分彼女が起こっているということを。偶然が重なって私に都合のいいように事態が発生しているわけではないだろう。現実というのはたいていの場合、不都合な方向に進むというのはわかっているのだし、もうそろそろ悲しい事態を受け入れてしまえればずいぶん気が楽なのかもしれないと思う。
電話しちゃえばいいじゃんという意見もあることだろうが、なんと私は彼女の電話番号を知らない。LINEが普及した今となっては、実際にあったことのある人と連絡先を交換するということであっても、LINEを起動し、端末を「ふるふる」して、”LINEの”連絡先のみを交換する。重要な人物であれば電話番号からメールアドレスから何から、連絡を取れる可能性をたくさん用意しておいたほうがいいというのは事実だが、あいにく彼女はそれほどの重要人物ではない。普通の友人である。
しかし彼女の家は知っている。会ったこともあるし、どちらかといえば親しい友人である。いっそこの状況をなんとかする為に彼女の家に行ってしまおうかと考えたりもするが、残念ながら実家である。実家に異性が訪ねてくるというのは、よほどの重要な事態であると考えてしまって、私のような普通の友人がアポイントメントなしに尋ねるのは、私が尋常の人間でないことを知らしめてしまう可能性がある。私は尋常の人間だ。ちょっと考えすぎることはあるが。
ともかく、現状を打破できるのは、彼女しかいないのだ。彼女が何らかのアクションを起こすことによって、何が起こっていたのかがわかる。私が行動すると、私が変人だと思われてしまうだけであり、できる限りそれは避けたい。
受け入れろ、と自分に言い聞かせるが、なかなか受け入れられない。もう一度既読がついて無視されるということであれば、ああ、これは怒っているのだなと思って諦めがつく。受け入れることができる。
わからない何かが起こっているということがとても怖いのだ。この状況をすっかりまるまるわかってしまえるのならば、ファウスト博士のように魂を売ることも辞さない。
『大阪は緑が少なくて、住みにくい『ハズ』』とお節介な意見をよく書いている。
果たして、当の大阪人自体が、『緑を増やしてほしい』と思っているのかどうか、正直疑問だと思う。
都市開発の教科書では『1人辺り緑化面積を増やすべき』だが、果たしてそれは住民ニーズなのか?
『緑を5割増しにして、でも上場企業本社数が半減』という選択肢Aと、
『緑は半減するが、上場企業本社数が倍になる』という選択肢Bなら、
選択肢Bを選ぶ人の方が多い気がする。
東京の『知識人』が、勝手にAの価値観を大阪に押し付けてきて困る
★そもそも、
『まとまった広い公園がある方が、狭い公園が複数あるより優れている』という価値観も、妥当な価値観なのかどうか疑問。
ニューヨーク的なセントラルパーク公園も、『広すぎると、公園内部での犯罪リスクが高まる』という問題を抱えているらしい。
むしろ、都市政策の教科書には反するが、『ミニ公園』『ポケットパーク』を街中無数に配置した方が、個人的にはベターと思う。
★モクミツエリアであれば、まとまった公園の確保は『災害時の防火帯を作る』ということで意味があるが、
それ以外のエリアであれば、公園が『集合している』のと『散在』しているので、差はないと思う
『高齢者が歩いていけない距離に、デッカイ都市公園がある』のにはなんの意味がなく、
『高齢者が歩いて行ける距離に、ちっちゃな公園が無数にある』方が、はるかに重要じゃないか?
★東京の『デッカイ都市公園』って、 戦前の紀元2600年紀念事業の名残の公園が多い。
その意味合いは、緑被率を高めるというより、『国威発揚』と『万一の際に、空港転用できる』という理由であり、現代のニーズとはそぐわない。
現実的なニーズとしては『空襲時の延焼防止帯』であり、それは現代でも多少意味はある。
でも、戦前の時点と今と比較しても、城東方面の防火建築率はそうとう上がっており、『大規模な公園』にしなきゃならない必要性は薄い
★『大阪にも、東京並みのデッカイ都市公園を作るべきだ!そんなこともわからない大阪人はバカだ!』と上から目線な東京の知識人は、
突然だけど、ビックリマンシールを集めるように、浮世絵を集めるようになってくれないかなと思う。
ビックリマンのなにがすごいって、ただただ美しいいからというだけでブームを作ったこと。
シールに遊び方があったというわけじゃない。
たしか「貼られたら貼りかえせ!」と書いてあったが、そんな遊びをしてるやつはいなかった。
コミックやアニメが展開したけれど、あくまでシールの人気にのっかっただけ。
今にして思うと、ビックリマンシールって、どうみても浮世絵の役者絵だと思う。
加えて、旧ビックリマンシールって、今の平板印刷じゃなくて、アキバ売られてるイルカの絵と同じシルクスクリーンだった。
インクの盛り上がりが気持ちいい、一種の版画だった。
余談だけど、浮世絵は大判が35×25だとして、ビックリマンシールが5×5cmとすると、大きさにして35倍。
ヘッドの封入率が約1/40 。
今売られている復刻浮世絵は、ヘッドシール以上に凝った細工がしてあるので、
35×40×30円=42000円
くらいまでは適正価格だと言えなくもない。
いや、4万もしちゃったら子供は買えないから、1枚1000円くらいじゃないと無理だけどさ。
特に現代木版画だと「限定○部」みたいな売り方してるけど、あれはやめたほうがいいと思う。
木版画って、ビックリマンシールと同じで、手にとって、生で見ないと美しさがわからない。
それでも、高級品として額にはめて壁に飾られたいのか?
それで本望なの?
でも、それって、希少だから貨幣価値が高まったというだけで、作品の芸術性が高まったわけではないでしょう?
手軽に聞けるウォークマンやラジカセが普及して、高級オーディオは衰退の一途を辿った。
結果は今の通り。
いい音を多くの人に届けていれば、そうやって品質をアピールしていけば、もしかしたら生き残れたかもしれないのに。
印刷技術が発達して、写真やディスプレイで見るぶんには区別がつかなくなった。
高級品として額に入れて紫外線をさけてアクリル板を挟んで飾ることを推奨するような売り方をする理由がわからない。
そもそも、市場は死んでる。
ネームバリューのある作家以外は、限定部数にしようがしまいが、ヤフオクでの値段は知っての通り。
財テクとして買うんだったら、絵なんかじゃなくて株券でも買うだろ。
常識的に考えて。
ビックリマンシールが廃れた原因が、公取委の指導でヘッドカードの封入率が上がり、レア度が下がったからという意見がある。
自分はそうは思わない。
レア度が下がったからではなくて、封入率が高くなったことで原価を圧迫して、シールのクオリティが低下したからだ。
流行りモノ好きが飽きたら、信者から搾り取るものがなくなったらそこで終了だ。
田中義剛が、
「発想の転換であえて少なく作る」
みたいなことを言っていたが、ぜんぜん同意できない。
ここ十年くらいは、
「品質がいいだけじゃ売れない」とかなんとかで、ブランディングが人気のように思う。
当方、30代後半・既婚。
1年前、愛着障害であると診断され、継続的に心療内科へ通院している。
愛着障害とは、ざっくりいうと、子どもの頃十分に愛情を受けることができなかったため、それをいま埋め合わせようとする行動をとる心理的傾向である。自分ではすごく意外だが。障害への理解のうえで、新書の岡田尊司「愛着障害」は大変分かりやすい。巻末に自己テストがついているが、自分はパキッと値が高く、不安傾向も、回避傾向もある「恐れ型」であった。
WISC-Ⅲという知能テストを受けたところ、総合はIQ108と平々凡々であった。言語性に比べ、動作性が低い傾向があった。ただ、動作性尺度の配列という項目が異常に高かった。これが高いと先読み能力に長けており、自分の場合、確かに人の期待に敏感に反応できる。だから仕事では重宝されており、まとめ役を受け持つことが多い。
期待に応えようと無理をすると、不安が高まり、渦は大きくなる。渦はさらに強いエネルギーを欲して、不確定な望ましい未来を先読みして、選択し始める。すると、また不安は高くなり、ドンドンと吸い込む力が強くなるのだ。
この渦は、その熱量の高い瞬間に素晴らしい世界をみせてくれるが、その時が過ぎると、恐ろしい虚しさがやってくる。そして、期待の矛先に自分を合わせるために、「この人用の自分」を次々と生み出す。その結果、どれが自分なのか、わからなくなってしまった。私には、可能性は無限だが、実現したいことは皆無だ。「意味がある」と「意味がない」が常に併走していて、葛藤に疲れてしまう。そして、自分のことが少しずつ信頼できず、嫌いになっていく。そして常にワーカホリック。
自分に少しでも好意のある女性をみつけると、容姿、年齢に関係なく、その心に一歩踏み込んで、都合の良い相手になろうとする。
そして、相手を鏡のようにみるのだ。相手に映る魅力的な自分をみて、満足する。熱量を貪りあって、自己の存在意義を感じる。
そしてことが終わると、また恐ろしい虚しさがやってくる。
そんな感じで、常に2〜3人の恋人がいる。
だが、年々、苦しさがましてきて、自分がバラバラになっているのを感じる。
そんななか、ひとりの女性を好きになった。
仕事の後輩。だが年齢差を全然感じない。仕事がものすごいスピードでできるけど、どうも自閉症的なところがあり、過去吃音があったんじゃないかという気がしている。普段は、凄く控えめそうな感じなのに、仕事の時は批判的でロジカルで、的確だ。意図せずか、きつい言葉を使う。見た目は可愛らしいが、陰がある感じだ。時折、生きづらそうな表現を、ポツリという。そこにシンパシーを感じる。
ぼくは、とにかく彼女のために、優しくしてあげたい、力になりたい、一緒にいたいという気持ちが強くて、でも、相手のATフィールドが厚くて、ギクシャクしてしまう。自然にしたいのに、それができない。ぼくも時々いたたまれなくて、冷たくしたりもする。それを恐ろしく後悔する。ただ、笑っているあなたがみたいだけなのに。仕事が邪魔だが、ぼくは仕事でしかコミュニケーションできない。
他の女の子と寝ながら、その子のことばかり考えて、自分は最低だと思う。常に代わりの人生を生かされている。
先日、その子に好きだと言った。
同時に、ぼくの不安の渦はこれまでになく大きく激しくなり、春の嵐がやってきた。
彼女の強力な内面エネルギーとぶつかり合って、エスパー大戦争みたいになってきた。
たぶんぼくが負けていて、バラバラにされそうだ。
とても苦しく、ふとした瞬間に飛び降りそうだ。でも、なんのために?
あなたのことを生涯忘れない。
大きく広げすぎた風呂敷を、閉じる時かもしれない。
忘れられなくて躊躇している。