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はてなキーワード: 睡眠障害とは

2021-01-31

体力がないとお金が稼げない

労働で一番大事なのは体力だ。すなわち体力というもの人生で最も大事ものである

ここでいう体力というのはマラソンができるとか何キロダンベルを持ち上げられるとかいう話ではなくて、

脳が活動し、生産的なところに時間をかけられるエネルギーのことを指す。

現時点でトップに恵まれている頭脳を持っている人たちは、医者弁護士資格を取る。

もちろんこれも継続的努力勉強を続ける体力が必要で、それでいてなってからもつまるところ長時間働くことになる。

中学校高校の時に、まじめに授業を聞いていて、やたらノートをきれいに書いていて、提出物も毎回きちんと出す、

けれど自分よりもテストの成績が悪い、そんな人間を下に見て自分は頭がいいんだと馬鹿にしていた。

おれと同程度もしくはそれ以上テストの適性があり、なおかつそのような活動ができる人はみんな一流大学に行き、医者になったり、大手企業に勤めている。

おれが馬鹿にしていた前述の人たちも、殆どなんだかんだそれなりの大学に行き、バイトサークルをこなしながら単位を取って留年せずに4年で卒業した。

もともと発達障害的な特徴があり、努力継続してできないタイプであったが、高校の時に睡眠障害ナルコレプシー発症してそれが致命傷になった。

いまは25歳で大学生をやっている。それもそんな一流大学というわけではない。

まあ学歴コンプレックスはこの歳になると視野が広まったおかげでだいぶ緩和されてきた。それはいい。

問題なのが、週5で8時間労働という一般的な勤務時間に耐えられる目途がつかないということだ。

歴が長いのでコンサータやその他もろもろの薬を試したことは言っておく。調子がいいときは部屋の中の環境や浪費活動によって問題なく30時間程度は働くことができたが、

どうしても40時間は働けそうもない。

特に何か秀でた才能もあるわけではないということはわかっている。救いなのは親が比較的高所得であるということだが、それも長くは続かない。

長々と余計なことも書いたが何が言いたいかというと最初に書いたように、最高の資格をとったところで体力がなければお金が稼げなくて、

心のエネルギーと呼べるようなそういった存在のゲージはどうやら遺伝的に、あらかじめ決まっている。

もちろん睡眠障害だけではなくうつ病や、心臓などの臓器が悪くて入退院を繰り返している人にも当てはまると思う。

どうしたらいいのやら。批判承知で書くと、もし女性だったら専業主婦という手もあったのかな、とぼんやり考えている。

睡眠障害しんどい

普通の人がやってるであろう、寝て、7時間後に起きる、それがもう2か月もできない

その間1回だけ7時間連続で眠れたんだけど

昨晩も1時間寝たら起きてしまって、3時間後がんばって寝たんだけど起きたら頭が痛い…

こんなんで毎日仕事してるの自分偉いよな

辛いさを誰にもわかってもらえず辛い

2021-01-28

ひと月半ぶりに7時間連続で眠れた

最高~

睡眠障害社会生活まともに継続できてる人マジ尊敬

2021-01-23

修論間近で鬱が悪化した

どうせ学生だろ、甘えだよ、と思われても仕方がない話だ。

だが実際心の片隅では学生で居続けるよりも速く社会人になりたい気持ちが勝っている。

大学3年の頃から睡眠障害があったがその頃はたまに通院しては半年後にふらりとまた病院に行く、程度だった。

大学院進学で別の大学に進学したいと兼ねてから思ってたので院試に向けて勉強、無事合格、そして進学した。

研究実績もほとんどないような大学からハングリー精神あふれる大学院へと進学した。

身の程知らずだった。知識もやる気も不十分だったのだ。

入学当初はやる気に満ち溢れ、新規テーマ自分提案した。

気がつけば目標到達点の1合目程度で止まっていた。進め方、発展のさせ方がわからなかった。

教授陣はあなたの好きなように決めて、あとはあなたが考えるべきだ、とミーティングの毎回最後に行った。

当然だ、このテーマは周りにやっている人がいない。新規開拓で皆がわからないんだ。

それも間違いだった。先輩のテーマを引き継ぐべきだった、と今になって思う。

やがて布団から出られず、眠れず、起き上がれない状態朝日を迎える状態が多くなった。

残された正気大学カウンセリングに通った。

薬に頼るべきだ、という話になった。

それだけではなく、臨床心理士の方から学習障害があるのでは、という流れになった。

残された正気心療内科に通った。

鬱と不安症、気がついたら膨大な心理テストを受けることになり、ADHDであることが分かった。

心理テストに分かったのはそれだけではない。

言語処理能力(行列推理など)のIQが極端に低かった。平均未満。

理系で非言語処理能力IQ一般人未満の中、修士まで進学してしまったという大事故。

通っていたカウンセリングも日程を2回連続で忘れてすっぽかして気まずくなってから行っていない。

修士論文の締め切りまでもう両手分も残されていない。

怒涛のように先生から来るチャット

進捗はどうか?

先生コロナ言い訳に在宅をさせてもらっていますが年明けから布団から出られません。

ここ2年間、好きだった自炊家事も全くできなくなりました。たまるゴミ袋。50m先までゴミ出しに行くのも面倒なりました。

なんて言えない。現状は同期を含めて誰も知らない家族も。

進捗はどうか?

先生、昨日は布団の中でアニメ版エヴァ最終話だけを見ましたよ。今になってようやく意味がわかりました。

自分の殻に閉じこもって自分が嫌いで周りに嫌われていると思っている現状がシンジとまったく一緒です。

10歳も若いシンジがこんな気持ちになってるなんて周りの大人は何やってんだ。

結局修士に進学して、卒業わずかな現在教授からは放たれた言葉はこうだった。

「その研究新規性はなんですか?」

2020-10-05

親が気を利かせて私の人生を壊してくれた

中学生ときにひどい虐めに遭っていた。人に言えないレベルのこともされた。PTSDが残った。夜にうなされるのはほぼ毎日、だから寝ることが怖くなって夜更かしして睡眠障害。外に出るのも怖かった。PTSD生活が壊れてしまって、それから10年かけてようやく人間らしい暮らしができるようになった。

最近、私と同じようにいじめに遭っていた人の記事を読んだ。その人はいじめに耐えかねて、親に頼んで別の中学校に転校したらしかった。なんの気なく親に話した。「公立中学校同士でも転校ってできるんだね」。そしたら親が言った。「あなた学校から勧められたけど、断っといたよ」一瞬意味がわからなかった。私は公立中学校に通っていたから、私立に行くでもしないと転校できないのだと思っていた。だから我慢していた。

親が得意げに話したのは、「転校すると将来困ることがある。だから断っておいた。あなたがどうしてもって言ったら考えたけど」

「私が言ったら考えた」と言っても、親はその話を私にしていない。知らないことを言い出すなんて出来なかった。逃げようのない現実なんだと思い込んでいた。

私は今もPTSDの症状がある。毎日何回も思い出して吐きそうになる。避けられなかったことだと思っていたか我慢できていた。逃げる手段を親が握り潰していたなんて知らなかった。

なんだか頭が壊れてしまった。気づくと自分を殴っている。多分本当に殴りたいのは親のことだ。親を殴ることができない。私には生活能力がない。生活能力がないのはPTSDからPTSDなのはトラウマがあるからトラウマがあるのは、親がそれを選んだから

私が毎日毎日苦しむのは親のおかげ。親のちょっとした機転のおかげ。親のおかげで毎日フラッシュバックがおきる。親のおかげで嘔吐する。親のおかげで頭痛。親のおかげで。

親のちょっとしたさじ加減で、私の一生はめちゃくちゃだ。もう嫌だ。死にたい死にたい

2020-09-13

子供部屋おばさんになりたくない

26歳。新卒で入った会社睡眠障害&鬱になり、甘えだと自責しながら実家に戻り3年が経とうとしている。

このままだと子供部屋おばさんだ。

 

とはいえ実家を出るコスパの悪さ。

二の足を踏んでいる。

 

100万たまったら、彼氏ができたらと唱えて1年経つ。

貯金100万貯まった。

転職はしたくないが、家から車で10分の職場出会いはない。

 

次はどうする。

2020-09-04

どん底の鬱を筋肉ねじ伏せた話。(追記

会社勤めをしていた時、ストレスから睡眠障害引き起こした。

不眠から職場での居眠りが目立つようになり、注意されては凹む、を繰り返しているうちに驚くほどさっくりと鬱になった。

睡眠は恐ろしい程に大事だった。

からとにかく出られず、家から徒歩三分の場所にある心療内科に行けるまでに一ヶ月もかかった。意を決して家から出ても、病院までの三分の道のりは号泣するくらいに怖かった。

病院に何とかかかったものの、これといった薬は出されなかった。カウンセリングでもなく、こちから一方的な話をするだけの診療だった。

結局、睡眠導入剤だけを渡された。

薬で何とか眠れるようにした。悪夢と付き合いながら眠れるように努力し、体と心はガタガタのまま、束の間の休職の後になんとか復帰した。

同僚たちは優しかった。ずっとこの会社で働きたいとすら思うほどに暖かかったが、上層部休職した私を暖かく迎えてはくれなかった。

社長から休職前の限界ギリギリだった頃の行いを掘り起こし、イヤミをネチネチ言われ、人事考課評価を下げられた。昇給は二度見送られた。

やってられるかよ、と会社を辞めたのが昨年夏。

会社を辞めた日に運悪く伝染病にかかり、重症化を引き起こした。

後遺症の痛みで日常生活に支障が出た。

そこから数ヶ月、後遺症が引くまでは特に何もできずに過ごした。

体調も回復してきた。貯金も無くなってきた。そろそろ就活を再開するか…、と思った年明け。

私のメンタルはなぜかズタボロになった。

日中ベッドに転がり、トイレ以外にどこにも行けないという程に悪化していた。

頭の中は冷えていて何もなく、空っぽなのにうるさく感じた。

耳鳴りめまいは止まず、寝返りを打つのにも酷く体力を持っていかれた。

頭皮頭蓋骨の間が痒くなるような、脳みそをぐにゃぐにゃ触られているような気持ちの悪い感覚が常に付きまとっていた。

家事もできず、風呂や着替えすらままならなかった。会社を辞めた頃に実家へと帰っていたため、家族から言葉視線が恐ろしくてたまらなかった。家族は私を咎めるようなことは何一つしなかったというのに。

そのうちに「働いてもいないのにご飯を食べていいわけが無い」と思いこみ、ご飯ほとんど受け付けなくなった。


そんなある日、首を吊った。紐を部屋のドアノブにかけて、座った状態で吊ろうとした。

普通に失敗した。

何も考えていなかった。発作的に死のうとしたため、ドアノブに紐を上手く括ることが出来ないまま体重をかけた。

首に体重がかかったのは一瞬だった。

ドアノブが動き紐は外れ、私は無様に床に落ちた。

まりに情けなさすぎて死にたさが増した。

こんな簡単なことすら失敗するのかと、誰も見ていないのに恥ずかしくなった。

紐を巻き直す力もなく、布団に潜り込んで泣いてるうちに眠っていた。

起きてから、様々なバイト面接に申し込んだ。

いざ死ねないとなると、今度は金がないことが恐ろしかった。

貯金は既に数百円だった。

何とか手もみマッサージバイトに滑り込んだ。歩合制だったので日給で数千円をたまに稼ぐことができた。それだけでどうにか生きる気力が戻ってくるようだった。

でも、世界は私に厳しかった。

今度はコロナ社会に猛威を奮い始めた。

新人に客がつくわけもない。リピーターだってコロナ自粛して来なくなった。店に行く交通費けが出ていくようになった。

私はバイトを辞めた。完全歩合制はクソと言いながら、今度はちゃん求職者企業を繋ぐ斡旋会社に世話になり、スーツを着て就活に挑んだ。

全て落ちた。

というより、企業募集ほとんどを取り下げていた。

面接にこぎつけても落とされた。

今は仕方ないと皆が口を揃えたが、仕方がないわけがなかった。

そのうちに、斡旋会社から連絡も来なくなった。

段々と時間をかけて「お前はいらない」「必要ない」と社会全体から否定されている気分になって、夜になると毎日泣いていた。

給付金がなければもう一度死を選んでいたと思う。

再び一日布団に埋もれる生活が戻ってきた。

気がつけば朝、気がつけば夜を繰り返した。

人の視線が恐ろしくてたまらず、家の敷地から出られなくなった。

外に出るとどいつもこいつも私を指さして嘲笑っているように感じた。人と目が合わせられない。落ち着かない。消えたい。車道飛び込みたくなる。希死念慮払拭できず、動けなくなった。

スーパーに行けば過呼吸を起こし、電車に乗ることを考えるだけで胃が痛んだ。

そんな生活が続いた長雨のある日、缶が開けられなくなったことに気がついた。プルタブを起こすことが出来ない。ペットボトルの蓋も同じだった。

体にとにかく力が入らない。入れているのに、ものを持てない。フライパンすら片手で持てなくなっていた。

階段を挙がるだけで息が切れた。

開けたばかりの牛乳パックを片手で長く持っていられず、あまりの非力さに自分で引いた。

ゾッとして、腹筋をしてみようと考えた。

1度も出来なかった。体が重くて持ち上がらない。

その時の私のBMIの数値は20。私は数値だけを見れば決して肥満ではなかった。痩せてもいなかった。しかし、体脂肪が高く、体のほとんどを脂肪が占めており、とにかく筋肉がなくなっていた。

最低限日常を生きてくための筋肉すらないことは恐ろしくて、何よりも情けなかった。

鏡に映った自分は、生きる気力を失っている豚だった。

豚ですら体脂肪率は15%前後だ。そんなものと比べたら私は脂身のものだ。豚に失礼だった。

筋肉をつけるための筋肉すらないのなら、今の体すらも重すぎると考えて、まずは体脂肪を減らすダイエットをしようと考えた。

結果が出なかったら今度こそ死のうと考えていたので、勉強は割と真面目にやったと思う。

動画サイト巡回し、ダイエットブログや本を読み、栄養学に手を出した。痩せるためのノウハウを頭に叩き込んだ。

本当に特別なことは何も無いダイエット方法だ。よく動き、必要もの摂取し、余計なものは食べない。それだけだ。

まずは白米と別れを告げた。

皮を剥いだ鶏肉ブロッコリー玄米友達になった。

あとはなんてことは無い。ただ動いた。

最初有酸素運動を始めた。最初はとにかく家から出られなかったので、雑誌を重ねて養生テープでぐるぐる巻きにした台を作り、ひたすらに昇っては降りた。

必ず毎日1時間踏み台昇降自分に課した。

踏み台昇降YouTubeTwitterを見ながら、たまにゲームをしながらだらだらと、しかし確実に成果を積むようにした。

とにかく体を動かす癖をつけることを重視した。

動いている実感が欲しくて、筋トレ動画にも手を出した。高負荷はかけられなかったので、エクササイズレベルの軽いものを、毎日動画1本分はやると決めた。最初筋肉痛で眠れなくなった。

効率も、筋肉に効いているかすらも無視し、とにかく習慣になることだけを考えた。

YouTuberの丁寧な編集動画のおかげで、やる気は折れず、どうにか毎日続いた。

驚くことに、その効果はたった半月で出た。

一ヶ月になる頃には確信に変わった。

体重体脂肪は少し落ちただけだ。ダイエット成功したとは言わない。

メンタルが劇的に回復した。

まず、朝が怖くなくなった。食べることへの罪悪感もなくなった。ちゃんと腹が減ることに感謝した。

そのうちに筋トレの質も気にし始めた。ジム通いはできなくても、水を入れたペットボトルは用意できたし、チューブは意外にも安価だった。

車庫に放置していたローラー台を駆使して自転車に乗るようになり、しっかりと栄養バランスを考えたご飯を食べた。

筋肉をつけるためにプロテインを飲み、体内の水分の循環のために水を多く取るようになった。

ふと気がつけば自分から進んで家族の使いとして買い物に出るようになり、プロテインダンベル欲しさにいつの間にか就活も再開していた。

汗をかくことに気持ちよさを感じ、体の軽さと心の軽さに感動する自分がいた。

「出来ることな無能、早く死にたいから「こんなゴミでも出来ることあったんだ」へ変化し、そのうちに「少しでも頑張れてる。えらい」になっていった。

体重体脂肪率は努力肯定してくれる味方になった。

ダイエットを初めてから1ヶ月で体重3キロ体脂肪率を約3%落とした。

自転車を漕いだ距離はもう少しで北方領土から東京までぐらいの距離に届きそうだ。

運動後にかいた汗を流すシャワーが何よりも気持ちが良く、夜には健全な眠気が訪れるようになった。

ペットボトルも開けられる。外にも出られる。

人はもうそんなに怖くない。

ここから筋肉を育てていく。ダイエットとしては始まったばかりで、正直ここからが本番だ。

私はまだ豚だ。だが、首を吊ろうとして失敗した頃とは180度違った自分が鏡に映っている。

そして今日、来月から働く会社が決まった。

ありがとう筋肉。君を信じてよかった。

私は君を長年にわたって裏切ってきたのに、君だけは私を裏切らなかった。

運動継続していく。多分これから自分必要な事だと思う。

それから普通に裏切る関節や内臓はいたわっていく。あいつらは消耗品だ。

アラサーはもう決して若くねーのだ。

でも遅くはなかった。絶対に。

かに私のやり方を真似しろとは言わない。この文章も忘れないために書き散らしたものだ。

医者いらずとは言わないし、万人の鬱が筋肉で全てが良くなるとは思っていない。

ただ、私にとって、メンタル回復のために、筋肉がとても頑張ってくれたという話だ。

筋肉という名の相棒よ、メンタルは君に預けた。これからも一緒にクソ鬱をぶっ飛ばしていこうな。




追記

沢山の反応ありがとう

かなりフェイク入れてたし文下手だからちょっと矛盾もある。読みにくくて申し訳ない。こんなに反応があると思わなかった。

コメント読んで色んな意見があるなと思った。

おめでとうって言葉はすごく嬉しかった。自分で結果出して自分で褒めてたけど人からの反応は全く違うね。

本当にありがとう。死ななくてよかったよ。



【補足とかコメントへの反応】

躁鬱じゃね?病院すすめる

心配ありがとう。当初はあまり回復の速さに自分でもそう思った。

から数年とかの長い目で見てる。運動継続。無理はしない。

なんかあった時の頓服として、私にあう病院が見つかればいいんだけどなあ。難しそうだ。


「言うほど捩じ伏せてない」

→そりすぎてソリになったわね……

バルク全く足りないよ。題名負けしてるからこれからつけてしっかり捩じ伏せていくよ。許してくれ。

有酸素運動1時間はキツくない?

→それはあなた運動中のフォームがしっかりとしていて、負荷もきっちりかかってるからだと思う。

踏み台やってた時は携帯いじりながらダラダラ惰性みたいに昇り降りしてた。汗だくにはなったけど負荷は軽かった。

そもそも1時間有酸素運動筋肉の分解が進むから余程の脂身を背負ってる人以外にはオススメはしない。

ダイエットトレーニング医者とおなじ。自分の今の体型やなりたい体型に合わせて自分で調べて勉強して試行錯誤をしてほしい。

○○は危ないとか色んな意見について

→先にも書いたけどこれが私にあってただけという話。自分でいいと思った方法を信じるのが一番。餅は餅屋。だがセカンドオピニオン大事最後に決めるのは自分

あなたはその話を信じる。私は自分の導き出した話を信じる。そんでよい。

ただ、つらい人たちをトンデモ療法で騙して金むしり取るアホは許さん。


身も蓋もないし題名矛盾するけど、筋肉のものが鬱を治したわけじゃない。

しんどさの根源、壊れた自尊心の修復のために、トレーニングをして成功体験を詰んだというのが真理。

あとは家族。ただ単純にものすごく恵まれてた。ギリギリ金を借りるにはいたらなかったがかなり甘えて頼った。恩はこれから返すよ。

これにて終わり。

読んでくれてほんとにありがとう

2020-08-30

普通になれない子ども

子どもを殺したい」の記事に触発されて書きます

わが子は軽度のADHDで、いま高校2年生です。

中学受験をしたころまでは、ちょっと育てにくいところがあるかなあ、程度でした。

ただ、中2の12月ころから学校に行かなくなり、そこそこ名の知れた中高一貫校中学卒業

公立のやや特殊な子を集めた緩い学校に通いはじめます

しかし、そこも今年7月ごろから通わなくなります

緩い学校なので、通わなくても課題を提出すれば卒業可能ですが、現状、先送り中。

ちなみに中2で登校できなくなったときは、朝、起きれないという睡眠障害が主因です。

いろいろ思い当たる節があり、発達障害専門医受診したところ、「軽度のADHDに伴う睡眠障害」という診断が出ました。

特徴としては、とにかく自分のやりたいことしかやらない。意に沿わないことは、何度言っても絶対にやらない。

幼児のころからこの傾向はありましたが、それがどんどん強くなる一方。

から普通に宿題をやるとか、試験勉強をやるとか、そもそも学校に行くとか、片付けをちゃんとするとか、普通のことは一切やらない。

声を荒らげても、殴る寸前までいってもやらない。

私より短気な妻は、何度「死ね」という言葉をぶつけていたことか。

ただ、好きなことは永遠にやり続ける。絵を描く、お風呂に入る、髪を整える、お化粧する、

読書マンガを含む)、ゲーム(実況を見ることを含む)、YouTuber/VTuber鑑賞などなど・・・・・・

ひきこもりではなく、バイトは好きで、朝8時から1週間連続で入ったりする(コンサータを使ったり、使わなかったり)、

今はないけど地下アイドルコンサートマメに足を運び、一緒にチェキを撮る・・・・・・

ちなみに、不登校の時期も、学園祭を手伝いに行ったり、卒業式は出たりしていました。

友達とは連絡を取り続けているし、一緒に遊びに行くし、本人曰く、学校は好きだそうです。よくわからん・・・・・・

とにかく、親のやってほしい普通のことは一切やらない。本人は「大学に行く」と言うけれど、勉強はやらない。

中学受験時には、偏差値60近くあったので、受験的な頭は悪くないと思うけれど、このままでは大学は無理。

そもそも課題を出さないと、高校卒業できない状況です。

実は発達障害先生のところも、病院が怖いという理由で、最初の一回しか行っていません。あとは親がずっと通っています

学校を含め、行きたくないときは起きてきません。ゆすってもウンともスンとも言わない。昔は何時間もゆすり続けたことがあったな・・・・・・

ただ、今では、この子特性として、仕方ないかなと諦めています

無理にやらせることはできないし、逆に力づくで無理にやらせたら、百パーセント虐待になってしまます

夫婦そろって苦しい思い、辛い思いもいっぱいしましたが(現在進行形)、子どもは好きだし可愛いところも多々ある。

本人も家は好きだと言います

今でもたまに怒ってしまうことはあるけれど(人間から)、この特殊な子と、できるだけ楽しく前向きに暮らしていくしかないのかなと。

両親がいなくなったあとは心配だけどね。

2020-08-18

医者に「副作用死ぬ薬」を処方された

失恋の影響で睡眠障害と付き合うこととなってから1年半が経とうとしている。

薬との付き合い方は弁えてるつもりだった。でもコロナ自粛生活で人とめっきり会えなくなり、いつもの薬でコントロールが効かなくなってしまった。

そこで医師に新たな薬を処方された。眠りを深くしてくれるんだそうだ。

薬の付き合い方の基本は副作用禁忌を知ることだ。いつも通り日経メディカルを開いた私は驚いた。

 

副作用 アルコール 死亡」。

 

私の主治医は一歩間違うと死ぬ薬を処方したのだ。

心療内科医が、投薬状況をコントロールできない通院治療患者に「副作用 死亡」の薬を出すのか。

かなり気が動転して、ひとまず薬袋に赤いボールペンで薬名に下線を引き、「酒と飲むと死ぬ」と大きな字で書き殴った。

因みに私は無類の酒好きである現在はだいぶペースも酒量も落ちているが、それでも週に一度はガッツリ飲む。

 

その後、「なんで私は副作用で死にかねない薬を処方されたのか」考えた。

一番考えられるのは、医師に《こいつは希死念慮もなさそうだし大丈夫》と思われたことだ。

二番目は、以前薬の副作用について話したことがあるから多少は薬剤へのリテラシーがあると思われていること。

どちらにも言えるのは医師からの信頼があるということだ。

 

だがこちらは一丁前に15年くらいメンヘラをやってきた人間だ。信頼されると逃げたくなる。

信頼という二文字メンヘラには荷が重いことは、これを読むメンヘラ諸氏ならお分かりいただけるだろう(と思いたい。)

「なんで私が死なないと思った?私は死ぬ術をお前によって与えられたぞ?」と、医師の前で実証したい衝動に駆られる。

辛くて逃げ込んだはずの病院医師から「間違った飲み方をしたら死ぬ薬」を処方されたのだ。

彼にとっては信頼の証だろうが、いくらでも絶望に書き換えられる文脈だ。

要約すると「君は死なないから、死ぬ薬をあげよう」。言ってる意味がわからない。笑いがこみ上げてくる。

 

とはいえ、私は多分死なないと思う。ありがたいことに、今は生きる意味がたくさんある。

から、次に病院に行く時は薬の処方を変えてもらう。結局医師の信頼は間違ってないのだ。悔しいかな。

2020-08-07

眠育とかマスコミが言い出したのは怪しいね

テレビRKBNHKで眠育だとか眠学だとか言うのをやり始めたけど、内容的にゲームスマホ槍玉にあげている時点で、どう考えても香川強硬したゲーム障害世間的にも大非難を受けた上にその権威後ろ盾であったWHOもPlayApartTogetherキャンペーンを行い、事実上掌返しを起こり、座礁たから、大方地方はまたこれを利用して規制推進しようとしているのが見え見えだよね。

しかもこの眠育とやらは相も変わらずゲームネット槍玉にあげたりして、子供睡眠時間が削られているだのと言っているし、それは何時もの事だとしても不登校だとか言いながら、例のコロナ禍の休校普段の登校時間を比べて遅くなっているとか言い出している時点で、不登校休校区別がこれを言い出しいる当人達こそついていない点等があり、そこそこ突っ込み所も多かったりするのよね。

(最もそのコロナ禍の休校ポーズであった事は今や当時より全国的に増え学校でも出始めたにも関わらず、登校させている時点でも良く判るけど。)

それと普通にこの辺の睡眠時間問題当人と親の教育問題であって、外野がどうこう言う問題ではないでしょ。

しかしこの手の人達はこう言うあくどい理由こじつけだけは次々と思いつくし、平然と子供規制理由のダシにいつも悪用するよねと思う。

更にコロナ禍すらも自身の思惑の為に悪用しようとしているのだから、呆れ果てるよね。

この様な人達しろフェミニストしろ宗教右翼しろ普段から声だけが大きくて、何でも規制厳罰化をしたがる人達ほどこの様な時期ですら空気を読まないし、その世界規模の病禍すらも単に自身思想悪用するための材料程度にしか思っていないのはこう言う事を見ても良く判るしね。

しかしまぁ、国政は国政で本来やるべきはずのコロナ対策経済対策蔑ろにして、またはケチ臭い対応をしているのに少年法改正とか言って、それこそ未成年を罪人扱いするのに熱心だし、マスコミ地方の方々はこの様な事に熱心なのだから呆れるしかないよね。

まず対処すべきであるコロナと言う一番の問題を棚に上げて、これ等のコロナ禍に関係ない事ばかり熱心なのだから

新型コロナで深刻化する「神経発達症に伴う睡眠障害」―小児神経の専門医らがメラトニン製剤承認の意義を解説

https://news.goo.ne.jp/article/jmedj/nation/jmedj-20200805101859184.html

その眠育とやらに関連するのかは知らんけど、調べていたらこんな記事を見つけたので、読んでみたら、相も変わらず、ゲーム障害の時と同じ様に薬物療法とか言っている時点であっ…(察し)となった。

2020-08-04

娘が迫害妄想キツイ

と言ってみたけど彼女はまだ12歳だし統合失調発症してるわけでもない。毎日しょーもないことで「ママのせいで…」と恨まれるのがキツイ。くらいの意味だ。

昨晩寝る前に娘が泣きながら抱きついてきた。

めずらしいことだ。

ママと仲良しできなくて悲しい」

とシクシク泣かれた。

とりあえず

ママもいつもイライラしていてごめんね。」

と言ってぎゅっと抱きしめた。

ほんのりとうんちの臭いがして

「ああ、シャワー浴びて欲しいな…」

と思ったけど、夜もとっぷり更けてたので舌かんで耐えた。

ここ数年、彼女に話しかける時は

「アレした?これは何?」

と責め口調になりがちで

スギスした会話しかできてない気分だ。

子供を生む前は

息子だったら

鬱陶しいと邪険にしそうで

怖かった。

子供の頃から

男児臭いしうるさいし汚いと思って生きてきた。

「男は嫌いだ」

公言してはばからなかった。

が、

20歳を過ぎて一人暮らしを始めたら、人恋しい気持ちに流されて、なりにイイ人だけど結婚相手とは思えない相手ばかりと恋愛ごっこをしながら30代になった。

「このままではアカンやろ」と婚活して頭のイイ経済力のある誠実な相手を見つけて半年でデキちゃった婚に漕ぎつけた。

ギリギリセーフ子宝にも恵まれた私はとてもラッキーだ。神様感謝せなアカンな。と思っている。

宗教は嫌いだけど。

娘が生まれた時は

「何かとムツカシそうな男児じゃなくてよかったー。」

と思った。

が、

娘は眠らなかった。いわゆるかんの虫が強い赤ん坊だった。

常に抱っこしてないとダメ

おっぱいがないと生きていけない分離不安オーラが出てた。

昼寝も2歳位にはしなくなった。

寝付きが悪く、夜中に泣き叫んで起きる。

午前1時、3時、5時のいずれかに起こされる日々が8歳くらいまで続いたお陰様で、夜驚がない平和な夜でも私は2時間おきに目が醒める体になった。

8歳の誕生日が過ぎた頃やっと8時間睡眠できた。

けど、夜中に目が醒める睡眠障害な体が健全リズム回復したのはホントに極最近の話だ。

つい最近まで、娘が寝返りうつたびに

「いつ怒号が響き渡るのか」

と身構えてた。

PTSD患者さながらの警戒心を持ちながら寝てたと思う。

よく病気にならなかったものだ。

と我ながら感心するが、脳が破壊されたのをひしと実感する。

記憶力も集中力もなくなった。

自殺願望絶望はしてないがイライラするしネットびたりで現実逃避してる自分ははっきり言ってうつだと思う。

娘と喧嘩するようになったのは、彼女が4歳になって息子が生まれた頃からだ。

男児は弱い

育てるのが大変

という先入観があった。

娘は予定日よりも2週間近く遅くデカくて難産だったが息子は1週間前にちっちゃく生まれてお産がラクだった。

娘の時には産後2−3週間は立つだけで息が切れる程消耗したが、息子の時は

え?ホントに?

ってくらいラクで、3日めには家の掃除ができるくらいには回復してた。

彼が生まれから

もしかして

娘はめちゃくちゃ難しい子供だったのかも」

と思うようになった。

娘に比べると息子は一人で放っておいても平気な赤ちゃんだった。

「常に抱っこしなきゃ」

という焦りがないことがこんなにラクだとは。。。

と衝撃だった。

となると

一時が万事きーきー泣く娘に

何でそんなことで。。。

と邪険に扱う気持ちが生まれた。

先月娘は12歳になったが今でも時々パンツにウンスジをつける。

ストレスなのか胃腸の具合がイケてないのか。

拭き忘れた

というレベルではない。

べったりとうんちで汚れたパンツを洗うのは私だ。

幼い頃は

臭いからパンツ変えよう」

と促すと

「そんなことない。大丈夫だ」

彼女は怒った。

10歳くらいか

臭いな。。。」

と私が気づく前にパンツを変えるようにはなったが。。。

丸め洗濯かごに突っ込むので、うんちに気づかずそのまま洗濯機に放り込んで干す時にパンツにうんちがついたままで洗濯し直しということが何回かあった。

「できたら自分で手洗いして欲しいけど、無理ならせめてバケツに入れておいてくれないと洗濯機だけではうんちはキレイに落ちない」

と頼んだら、1回だけ自分で洗ってくれたが、その後は汚れたパンツバケツに放り込まれるようになった。

自分不安が強くIBS男性下痢女性便秘と症状に性差がある)な旦那彼女気持ちがよく分かるらしい。

羞恥心が強い余り自分に否があることを指摘されることに怒りを感じる

うんちを指摘されるなんてもってのほか

だそうだ。

かに引っ込み思案で恥ずかしがり屋な子供だったかもしれない。

が、ステージダンスをしたり学校初日もやる気満々で臨んでいた。

そこまで人見知りで困ることもなかった。

が、一度

ダメだ」

と思ってしまうとてこでも動かない。ガンとして拒否する。

水泳クラスは泣いてイヤがった。

不安が強い彼女は、強引で繊細さに欠けるインストラクター

「できない」

と言えず、嫌なことを無理にやらされて拒絶反応になるらしい。

泳ぎだけは早く覚えて欲しかったので嫌がられるのは困った。

注射が大嫌いで定期検診も全力で嫌がる。

HPVワクチンをどうしようか迷ったが、

「今やっとかないと大人になってから受けても効果が薄いですよ。」

医者に説得されて受けさせることを承諾した。すごく痛かったらしい。3−4日痛い痛いと文句を言われた。この調子では旦那アイスクリームか有料アプリで釣って連れて行くことになるのだろう。私はやらなければならないことを甘いもので釣ってやらせるのが嫌いなのでいつもバトルになる。

彼女のために

と思ってやらせることを「ものすごくイヤだ」オーラ全開で拒絶されると私もムカついて

あんたの為に何かしてあげたいという気持ちがなくなる」

と怒鳴ってしまう。

息子は何でもオッケーなイージーモード

「言いなさい。」と教えてもないのに

「御願い」

「ありがとう」を極自然に発語した。

礼儀正しく」と躾けるのは趣味に合わなかったので娘の時には何も言わなかったら、彼女「ありがとう」も「御願い」も言わない娘になった。「何で私の〇〇がないの?」「誰も私の〇〇を持ってきてくれない」等と彼女の前で誰がそんな話し方をしてるわけでもないのに常に非難がましいのもムカつく所以だ。給食のおばちゃんにも意地悪をされたらしい。「ありがとうございます」とちゃんと言えないからではないだろうか。。。と思い、それを聞いてからは事ある毎に

「『ありがとう』は?」

と促すようにした。

彼女が事更に

ママごはん美味しい」

とか

「ありがとう」

とか言っても

「口先だけじゃなかろうか。。。」

と常に疑ってしまう。

娘には注意欠陥や学習障害の傾向もあるのだろう。

診断されるほど顕著ではないが

他人の話を聞いてない

理解してない

ということが多い。

息子は

明日は〇〇の日だからね」

幼稚園の時から予定を把握して私に伝えた。

娘の時には学校からの連絡だけが頼りだった。

宿題も、

「え?!もう、終わったの?!」

となる日も珠にあるというのに、ダラダラ終わらない日の地獄が壮絶を極める。

「これ分からない」

質問するくせに教えると

「そんなこと習ってない」

と怒る。地団駄を踏んで泣き叫ぶ。

冷静に対応できず、怒鳴り返してしまうことが続き

「もうママには宿題は手伝ってもらわない」

ということで落ち着いてから随分と気分がラクになった。

娘は幼い頃から切り替えが苦手な子供だった。

毎日の予定が決まった予測がつく生活が大切」

なのは分かっていたが、私には毎日同じ時間ご飯を食べさせて寝かせることが難しかった。

家族に予定を事前に一々言葉で伝えることも億劫だった。努力して改善を目指したが今でもキツイ

娘の友達が遊びに来た時

「おばちゃん今日は何するの?」

と無邪気に聞かれて衝撃を受けた。

娘は

「そんなこと聞いてない」

と怒ることはあっても自分から

今日の予定は何?」

と聞くことは全くなかった。

旅行の時にはトラブル予測されたので細心の注意を払い、予定を紙に書いて伝えた。が、無駄だった。

移動の度に

「そんなこと聞いてない」

と怒られる2週間は地獄だった。

子供たちの中では今となっては良い思い出となっているのか

「また行きたいね

と言われるが

「もう二度と家族旅行になんか行くものか」

と誓った私の心のもやもやは中々晴れない。

夜寝るのも嫌がった。

風呂に入るのも嫌がった。

外出するものバトルだった。

一々

「服を着て」

靴下履いて」

かばんはどこ?」

「靴はいて」

と指示しないと何もしない。

息子が3歳になる頃には、私が娘と外出前のバトルに興じている間に彼は一人で服を着て靴を履いて玄関で待機していた。

彼にはできる

「次は何をする」

という「予測」が娘には何故できないのかとイラ立ちが募るようになった。

頭では分かるのだ。

痴呆老人が、

「全てを忘れてしまった」

ことにおののき攻撃的な言動に出るように、娘も自分の注意欠陥傾向にうすうす感づいている。

ママちゃんと言ってくれないから…」

他責するのも、私に甘えられるからだ。と頭では分かっていても、怒鳴られるのはキツイ

怒鳴り返す衝動を抑えようと頑張っても邪険な反応をしてしまう。

最初は耐えてても最終的には怒鳴り合いに進展することも頻繁だ。

昨晩シクシク泣いてたのは

「パパと何かお話たからなの?」

と聞いたら、娘は2−3年前の喧嘩を思い出して罪悪感を感じたか

みたいなことを言った。

いつものようにくだらないことでものすごい喧嘩したこと何となく覚えているが詳細は忘れてしまったその事件

娘が楽しみにしていたケーキを食べようとしていたら私の手があたってケーキが床に落ちてしまったみたいなことで始まった。

多分最初は泣きわめく娘に

「ごめんね。もう一つ買ってこよう。」みたいなことを言って場をおさめようとしたのだと思う。が、いつまでも泣き叫ぶ彼女に最終的には私がぶちキレる修羅場となり娘は

ママがわざとぶつかるからケーキを落とした」

みたいなことを言ったらしい。

「本当はそんなこと思ってなかったのに。。。」

と殊勝な顔でうなだれ彼女を見て

何となく娘を託児所に預けた時のことを思い出した。

不安の強い彼女を2歳で託児所に預け始めたのは

「失敗」だったのではないか

と今でも思う。

息子は4歳になるまで

保育所に入れなかった。

自覚は薄かったが、今から思うと、娘の時には、とにかく彼女から離れないとやってられない。くらい切羽詰まってた。

息子が生まれからキツイことはキツかった。彼には八つ当たりもした。

娘に手を出したら只でさえ手のつけられない癇癪が修羅場に発展すると思うと絶対に手を出せなかった。が、息子は立ち直りの早い「簡単な」やつだ。という甘えからべしべし頭を叩いた。息子には何回も

ママはヒドイことをした。すまない。」

と謝っているが

ママは昔僕の頭を叩いたね。本気でべしっとやったよね。スゴく痛かった」

と息子からは事ある毎に言われる。

息子が生まれから気持ち的にはどんどん余裕がなくなって暴力的衝動を抑えられなくなってはいったが、娘の時に感じた

「とにかく赤子と離れなければおちおちトイレにも行けやしない。」

という追い詰められた感はなかった。

物怖じせず社交的な息子なら2歳児保育でも全くオッケーだったと思う。

が、娘は毎朝泣いた。

弁当直後にお迎えに行くとなりに楽しそうに遊んではいたが、居残りさせるとしばしばうんちのついたおむつでお昼寝させられていた。

最初ちゃんトイレに行かせてくれてたけどそのうち寝たくないが為トイレ長居するのだと見破られたようだ。そんな託児所に預けるのは気が引けたが徒歩で行けるのはそこだけだった。

カーシートで泣き叫ぶ娘を車に乗せることが苦痛だった。

彼女が分離不安の強い赤ん坊だということは分かっていた。寝付きの悪い娘はおっぱいがないと眠らなかった。寝たかと思って離れると泣き叫んだ。赤子ながら彼女に「ワシのおっぱいはどこや?口の中にあったはずなのに、どこへやってくれたんや?ごるらあ。」と怒られてる気分だった。

常に抱っこしていないと怒られるストレスから逃れる為に私は彼女を納得できない託児所に置き去りにした。

何かを恐れる心はその恐怖を現実のモノにする。とどこかで読んだ。

怒られるのがコワイ娘が、他者イラ立たせ理不尽に怒られる不遇に遭わないためにも

閉鎖病棟でうんちで遊ぶようなことにならないためにも

彼女の自省心を養うためにも

仲良くしなきゃダメだ。と思った。

うんち我慢しないで欲しい(切実)。シャワー毎日浴びて欲しい。1年くらい後にはきっと朝晩2回シャワー浴びるようになって、お願いだからそんなにお水使わないで。。。となるのだろうが。。。

性欲(不安)が強い子供はうんちを我慢するのが快感らしい。と整体先生が言ってた。

うんち臭いと抱きしめるのもキツイんだよな…

2020-08-01

コロナで元気になったこ

2年前ぐらいから色んな不調があって、すごく困っていた。

例えば睡眠障害。眠ろうとしても寝れず寝たと思ったら飛び起きてしまう。

電車や車に乗れない。乗ると青ざめて途中で降りてしまう事もしばしば。

原因もなくずっと怒っていて、何で怒ってるんだろうと思いながら横たわって歯ぎしりをしていること。

ご飯の味がしなくて人と食事に行っても適当感想を言うしか無くて悲しいこと。

それでも財布の中が汚いので鬱とかではないと思っていた。(財布の中身が汚いヤツは鬱にならないと散々言われていたので。)

なのでまあ耳鼻科とか、そういう所には行ったけど心療内科には睡眠薬を貰いに行ったぐらいだった。寝れなかったが。

普通に考えたら、仕事が嫌だった。

ただまあ同年代10倍はお賃金を貰っていたし、配偶者もいるし。激務だけど旅行とかもよく行った。

お前は恵まれていると周りに言われて、確かにそうねと思った。

それでも原因のわからない不調に悩まされて、手が震えて、つらいような気がした。

手以外身体が動かなくなって増田に「身体が動かない!助けて」って書きこんだ事もあった。

あのとき対処法を教えてくれた増田ありがとう

そんなこんなで、いつでもスマホを開いて首つりの方法が書かれたページを眺めていた。電車の中とかでずっと眺めていた。

意味もなく駅のホームトラックの飛び交う車道横の歩道で立ち尽くしている事もあった。そういう状況でしか安堵を得られなかった。

それでも、それでも自分は果てしなく恵まれていて、不調はあれどインフルエンザにすらかからないし、元気なんだと思った。

で、今年になってコロナがはじまってしまい、休業した。

前述のとおり恵まれているので多少休業した所で困る事もなく家で引きこもって過ごしていた。

何年かぶりゲームをしたりした。テトリスとか。え!ゲームってこんな面白いんだ・・・と驚いた。

映画も観た。え!映画って面白いんだ・・・と驚いた。

部屋も綺麗にした。え!部屋!綺麗!!と驚いた。

人生で一番幸せ時間が首を吊るロープを選んでいる時だった瞬間とは大違いだった。

首つりの方法が書かれたページは一時的に消した。

一番驚いた事は電車や車に乗れるようになっていたこと。あと食べ物の味がするようになった。

しろどうして乗り物に乗れなかったのかわからない。もちろん滅多に乗る事も無くなっていたが。

というか正常な感覚を持ってはじめて、あの時何だったんだ?と言う違和感を色々持った。

久しぶりに自我を持ったような、得難い時間だった。

が、

緊急事態宣言が解除されて、また仕事が始まった。

同じように襲われるあの感覚。手が震えているなあと思う。

我ながらそこまで、そこまでコレによって起きた事象ではないと考えていた。

しろ一度得難い時間を得た事で違和感が浮き彫りになった。明らかに変。

世界が元通りになったころには自分はまた電車に乗れなくなる。

そんな絶望に苛まれながら最近は過ごしているんだよ。どうしたらいいのかな。

2020-07-30

20代独身エンディングノートを買った話

人生希望を見出す能力が失われたからだ。

_

地方都市大学をまあまあの成績で卒業した自分は、「顧客から先生』と呼ばれる職業」に就いた。ちなみに、学校教員ではない。

学生時代はそれなりに注目された人間で、というのも、自分には生まれつき特異な能力ひとつだけあった。それを以て、良くも悪くもほんの少しだけ特別扱いを受けて生きてきて、仕事もその能力に関わるものを選んだ。

ところがその特異な能力とやらは発達障害によってもたらされた偶然の産物であり、社会に出た瞬間に自分無能と化した。特有段取りの悪さ、睡眠障害虚弱体質、感覚過敏、これら要因により溜まったストレスを引き金とした定期的なパニック発作。それまで「生きづらさ」に自力で折り合いを付けてきた自分精神科のお世話になるまで、一年と経たなかった。

明らかに仕事の能率が落ちて、上長相談して少しずつ雇用条件を緩くしていったが、気がついたら精神障害者保健福祉手帳交付され、今では正社員を諦めて週4日の勤務。ボーナスも手当も全て消え、手取り月収は半減した。これを機に障害者雇用枠に収まって合理的配慮を受けようかと思っていた矢先に、どこぞのお偉いさんから発達障害を悪く言うメールが回ってきた。そういう訳で同僚にカミングアウトする機会を完全に失い、現在自分は「よく分からないが体調の悪い人」という扱いになっている。

それでも自分は今の仕事をやめられない。この能力を活かせる瞬間に、自己肯定感を完全に依存しているからだ。ハローワーク求職者登録をして、色々な求人を見ても、顧客の顔が頭をよぎる。転職したら自己肯定感保証してくれるものが無くなってしまう、という恐怖に、今も苛まれている。

_

仕事自己肯定感依存しているということは、私生活は思い切り虚無だ。

_

自分趣味と呼べるものを持っているのだが、最近はそれに興じるのが怖くなってしまった。表現に関わる趣味だったが、時が経つにつれてSNSタイムラインは、より潤沢な資金時間能力、そして社会性を持つ人ばかりの世界となり、筆と心が折れてしまった。孤独に生きている横で、仲間達は別のことで盛り上がっている。それに興味を持てるような精神力は、最早残されていない。

自分しかできない表現、なんてものも無い。これでも当初は自らの表現するもの需要があると思っていたのだが、明確にそれを覆す出来事が、つい最近あった。いや実際の所は分からない。「嫌いなのは作品ではなく、社会性に欠けたお前自身」という可能性もある。どちらにせよ活力が削がれることに変わりはないのだが。

そして、こうしたことに気付く頃には、他の趣味に没頭する気力が無くなっていた。今の自分は、余暇に何をするにも義務感を伴う。

_

こんなとき、病んだ人間を救うのは家族恋人の愛というのがテンプレートだ。一応、自分には家族恋人もいる。

家族は、私が手帳持ちで正社員を辞めたことを知らない。彼らがイメージする自分は、いつだって明朗快活、何事も気合で乗り越えられる精神力を兼ね備えている優等生だ。それは一体、誰のことだろうか。

そして家族は、自分に何も喋ってくれない。気付いたら父母は事実上離婚状態だったし、気付いたら自分教育費は両親ではなく親戚が支払っていた。私の知っている一般的家族とは何か違う、謎の共同体だ。

恋人のことは心から愛しているが、その人は自分と一緒にいるときよりも、友人と語りあっているときや、趣味に入れ込んでいるときの方が余程幸せそうに見える。と言うと、「人の感情や好みを他人勝手判断しないで」「好きだと何回言ったら信じてもらえるのか」といつも怒られるのだが、それほど好きならばもっと向き合ってほしかたことが色々あった。

しかしながら今思えば、お互い身内でも何でもないのだから、これで良かったのかもしれない。これ以上他人負担をかけて生きたところで、何も楽しくないのだ。

_

20代半ばにしてこんなにも空っぽなのだから、限りなく婉曲的に表現すると〝損切り〟をした方が良いと思った。

転職をして自己肯定感を得られなくなる前に。働き続けて家計が壊れる前に。恋人から「そろそろ結婚を」と言われる前に。趣味仲間が大成する前に。心がすれ違った家族最期に向き合わされる前に。

_

こうして自分今日書店エンディングノートを買った。とても残念なことに、おそらくここ一ヶ月で、最も行動力に満ちあふれた瞬間だったと思う。

これ程までに精神を病んでも、まだ「立つ鳥跡を濁さず」の精神は一丁前に残されていて、使っていない銀行口座家族が見てもどうしたらいいかからない物品がそれなりにあることに負い目を感じた。なまじ責任感が強いと困るばかりである。かといって責任感が強いところで、その責任を果たすことはしないのだ。本当に社会穀潰しである

そんなわけで、私は家族恋人、知人に送る懺悔言葉を考えながら、屍のように寝台へ横たわるのである

2020-07-28

これからどう生きていこう

私は20代半ばのフリーターだ。自分にとって、無理のない働き方を模索していかなければならない。私は睡眠障害発達障害で、突発的に眠くなってしまう。現在は薬を服用しながら単発アルバイトをしつつ、Webライティング仕事を少しずつはじめた。今の状況(コロナ+心身の状態)ではフルタイムワークは厳しい。

新卒入社した会社を辞めてから、すっかり社会で働く自信を無くしてしまった。事情の知らない人から見たら単なる「甘え」にしか見えないだろう。実際そうだと思う。不完全なまま社会に出て、また人に迷惑をかけたり、否定されたりするのが怖い。このままだと、病気があらゆる「できない」の言い訳になってしまう。それだけは避けなくちゃいけない。

でも、匿名からこそ、今ここで甘えたことをぶちまける。自分の体と心が思い通りに動かないのって本当に苦しいんだよ。障害認定された上に自分知能指数も数値で出されてさ、「自分限界」と向き合わなきゃならないんだよ。障害オープンにしても隠しても、人に気を遣わせたり迷惑をかけてしまう。みんなそれぞれ大変なこと抱えて隠しながら生きてるのに、「私にだけ配慮してくれ!」ってどう考えてもおかしいよな。これからどう生きていこう。

まぁでも、今の自分状態を素直に認めて、少しずつ何かを積み重ねていくしかないんだろうな。アクションゲームで例えれば、自機の性能にケチつけたところで無駄なのと同じだ。あぁクソだな…って思いながら死んで覚えてクリアするしかない。

少なくとも、ネット使ってこういう場所愚痴を吐けるくらいには健康だし、不安定だけど仕事はあるんだからまれてるよな。会社を辞めて気づいたけれど、「働くことができる=自分が誰かの役に立てる場所がある」って、本当にありがたい。どんな内容であれ、今は目の前の仕事真剣に向き合っていきたいと思う。

「このまま腐りたくない」という思いだけで今は生きてる。甘えてられない。他者自分自身を見下して、努力している人の足を引っ張るクズにはなりたくないから。引きこもって何も成し遂げられず、つまらない人生を送りたくないから。

今の自分でもできることをこなしながら、いい意味自分にとって”ラク”な生き方を探していきたい。

腹をくくるため、ここに自分言葉を置いておく。もしも、自分と同じような境遇の人がいたら、お互いちょっとずつやってこう。

2020-06-29

眠れない

歳のせいと言ってしまえばそれまでかもしれないが、この頃あまり眠れない。

眠れないというか、寝た気がしない、予定より1時間程度早く目が覚めてしまう、といったところ。

睡眠障害か。

ぬるい風呂につかってみたり、眠りやすくなるといわれるBGMを流してみたり、ストレッチをしてみたり、いくつかのことを試してみたがあまり効果を実感できない。

一度でいいから「あーよく寝た」って感じですがすがしい目覚めの朝を迎えたい。

眠気は感じるのに毎日寝るのが辛い。

2020-04-17

コロナに救われた

私は長いこと仕事の虫で、ここ数年はメンタル調子が悪く、昨年には身体を壊して入院・手術までしてしまった。

それからは、仕事を以前よりかはセーブして自重するようにはしたつもりなのだが、結局、はたから見れば、あまり変わってなかったと思う。

体調も、依然としてあまりよくなく、術後の回復も遅い印象だった。

それが、コロナのおかげで、強制的在宅ワークになったおかげで、大きく変わった。

まず、体調が非常に良くなった。メンタルも安定するようになった。日に日に元気になっている。

これまでは、毎日一日の終りには心身ともにヘトヘトだったし、睡眠障害でまともに眠れず、昼間もヘロヘロだったりした。

今では、一日が終わっても、程よく体力が残っている状態でベッドにつける。

考えてみれば、ここ十数年の間で、これほどまでに継続的な期間をのんびり生活できているのは初めての経験だ。

毎日でなくともいいが、コロナ収束しても、在宅ワークは維持してもらおうと思っている。

また、これまでのオフィスワークストレスがどれほどのものだったのかという振り返りにもなった。

職場に戻ったときに、また同じような感じになったら、次は自分身体を優先しようと思えるようになった。

自分のようなタイプは、コロナがなかったら、内心ではだめだとわかっていながらも、なんだかんだ同じような生活を続け、潰れていた可能性が高い。

というよりも、ここ数年は潰れていたといっていいと思う(鬱になり、睡眠障害を患い、とある病気で大きな手術もした)

コロナよ、休暇(ではないが)をくれてありがとう強制的気づきを与えてくれてありがとう。本当に死ぬところだったかもしれない。

あとは、自分の元へはどうかこないでおくれ。

2020-04-16

anond:20200416074356

それだけ統合失調症という病気への偏見は根強いんだろうなとも思いますが、

多分

統合失調症双極性障害>>>うつ病>非定型うつ病>>発達障害全般睡眠障害

くらいの順位で色々なことが許されるようになる気がしています(当人が生きるのも多分その順で辛いんだろうけど、いや双極性障害うつ病定型うつ病あたりは患者目線ではそこまで変わらないのかな?)

2020-04-13

anond:20200413041454

ウザいとか言う前に

布団に入って寝るという普通の事ができなくなってる状態を何とかしてやれよ

ちゃんと聞いたら睡眠障害あるのかもしれないし

布団に入ると焦るとか精神的な原因だと思うぞ

2020-03-16

anond:20200316102852

これなんだよなあ。女性は結局「お姫様扱い」してあげるのが「正解」。なぜならそれが「普通」だと思っているか

2020-03-15

オヌヌメ耳栓おしえてくり

マンションの上の馬鹿がうるさすぎて睡眠障害になってしもた。

目覚まし機能付きでオススメ耳栓おちえて。

2020-03-07

主夫をしている。希望がつらい。

専業主夫をしている。

昔はプロ小説家だった。

いまはもう何も描けない。

物語が描きたい。

41歳になった。

この15年、何もできなかった。

25年前、賞を取ってデビューをした、それまで勤めてる仕事場に勤めながら連載もした。仕事場ブラックだったので、そこの事情でひどい鬱になって倒れた。そのころ、結婚もした。

最初の7年は、仕事で鬱になったのの後遺症で心身ボロボロほとんど寝たきりだった。

後半の4年は、子育てで。子供睡眠障害があって、一日4時間しか寝なくて、全くほとんどといっていいほど仕事ができなかった。

の子が生まれて、下の子障害があることが分かった、たぶん一生世話が必要

妻が一人で家の事ができないので、ご飯を作るのと、子供の面倒以外の家事自分がやっていた。集中するために、送り迎えをお願いした日も、妻が送り迎えがしんどくてできないというので、集中してる最中に無理やり集中を切って子どもを迎えに行くことが頻繁にあった。

漫画の描き方には、人それぞれがあると思うけれども、自分場合、集中するまでに時間がかかって、ただ、集中してからはかなりのペースで描くことができる。連続で8時間以降から。途中で集中を切られるととてもつらい。吐きそうになる。これは、比喩ではなくて、集中してる状態ときに別のことに急に切り替えると、頭痛がして吐きそうになる。

毎日、吐きそうになりながら、子供を迎えに行って、家事をして、でも、仕事の締め切りに間に合わない。妻が家のことを全部できない。

睡眠不足の中、全然仕事をすることができなくて、ようやくもらった仕事いくら飛ばした、信頼がなくなって本当に仕事がなくなった。

3年前から妻が外で働くようになった。、そして自分が家のことを全部している。本当に全部。本当に全部。本当に全部。ゴミ捨てから風呂掃除からご飯の支度から洗濯から食器洗いから子供の送り迎えから土日の子供の面倒からなんでも。土日も妻は何もしてくれない。仕事が大変なのもあるけれどもずっと寝ていたり、パソコン仕事をしている。

自分のための時間が取れない。漫画が描きたい。自分仕事がしたい。

家の仕事は誰かがしないといけない。できる人が全部しないといけなくて、妻はそれができないのでそれを自分がしないといけない。でも、そうすると自分仕事ができない。漫画が描きたい。

いまは月に頑張って細切れの時間が頑張って40時間取れるかどうか。一日1時間、2時間という時間で、とりあえず手を動かして、頭を動かして、でも、自分の中の物語物語を作る力がどんどん劣化していくのがわかる、感覚日常の中で摩耗していくのがわかる。でもどうしようもない。時間が取れない。

何もできない15年の間に、アンテナも、センス感覚も、何もかもなくなってしまった。絵も大分描けなくなった。

朝起きて、子供を起こして、怒って着替えさせて、ご飯を食べさせて、学校に送りだして、下の子を送り出して、食器を洗って、買い物に行って、洗濯物をして、部屋の掃除をして、ご飯を作って、子供たちを迎えに行って、子どもたちにご飯を食べさせて、宿題をさせて、昼間片付けた下手を下の子にぐちゃぐちゃにされて、お風呂に入れて、寝かしつけて、子供が相変わらず睡眠が少ないので、寝かしつけた段階で、大体11時。体中くたくたになって寝て、そして次の朝また、起きて、子供を起こしての毎日を繰り返す。下の子障害もあり、これを一生繰り返すのがもう確定している。考えると気が狂いそうになるので考えないようにしている。一切の思考をやめて、ただ、目の前のことを片付けることだけを考えるようにしている。思考に膜を作っている。

スポットのように、わずかの、文章を書ける時間ができる。でも思考を初めて膜がとれると、まず考えてしまうのが、この生活を一生続けるということだ、気が狂いそうになる。それを押しのけて、集中できるように、物語と綴る脳に切り替えられた時には、もう、子供を迎えに行く時間になっている。何もできないまま、ほんのわずかな時間が終わる。

自分と同じころデビューした人間が、賞をとったりしているのを見ると本当に、自分はこの15年間何をしていたのだろうと思う、感性も摩耗して、むしろ日常を生きるために積極的に摩耗させて、何も感じなくさせて行っている、日常楽しいことが何もない。希望がどこにもない。気を紛らわすことが何もない。普通の人は、映画をみたり、漫画をみたり、物語を消費して、その日常をやり過ごしていくのだろうけれども、物語に触れるのがつらい。自分が手に入らなかったものがそこにあるからいくら頑張ろうとしても頑張れる環境が手に入らない、これから死ぬまで。

物語が書きたい。自分の中に、ずっと前からあったいろんな物語が、結局外に出ることなく、砂になっていく。

高校生の時から作家になりたいと思って、自分の中にある物語を出していきたいと思って、大学の時からあちこち投稿して、インターネットでも書いて、そしてデビューした。いろんな人間がいるけれども、自分日常を楽しめない人間で、学生生活を送っているときも、友達と遊びに行ってるときも、どこか、斜め上から自分を眺めている自分がいた。物語を書いて、お話を考えて、それを文章に落としていくときけが、生きてるって感じがした、楽しかった。

あの頃は楽しかった。会社勤めは忙しかったけれども、仕事から帰ったら、自分時間自由に使えた。自分以外の誰かの事を考えないでよかったから。仕事が終わったら仕事のことを考えずに物語の事を考えていられた。夜の9時まで大体残業があったけれども、仕事が終わった瞬間からお話の事を考えることができた。家に帰って作業して、1時頃寝て、ずっと書き続けてられた。

今は、常に家族のことを考えてないといけない。晩御飯の事とか、毎日子供が話してくるゲーム友達の話に耳を傾けないといけないし、園や学校での行事について準備をしないといけない。物語の事だけを考える時間というのが一切取れない。自分さびていくのがわかる、わかるけどどうしようもない。だれも助けてくれない。だれも助けてくれない。

今、自分がとてもつらいのは、いつか、どこかで、また文章を書いて、物語かいて、発表できる、そういう希望が、胸の中のどこかにあるからだ。

でも、そういうのがあって、あるからとてもつらい。

希望がつらい。

自分にとって日常苦痛で、慰めが何もない。

それでも、日常自分管理しないといけない。妻は家のことが全部できないから。死ぬまで、自分日常をしないといけない。

全部諦めたい。諦められない。辛い。

妻と子供がいっぺんに死んでくれたら、と思うこともある。自分死にたいと思うこともあるけれども、それよりも妻と子供が死んでくれたら、と思うことの方が多い。でもその理由は、自分物語を描きたいからではなくて、自分が死んでいなくなったら、妻と子供日常を守る人間がいなくなるからだ、そういう風に考える自分も辛い。

小説が書きたい。物語が書きたい。でもどうにもならない。

自分時間がほしい。

このまま誰にも見つからず、だれもに褒められず、誰にも気づかれないまま、日常を送って死んでいくんだと思う。





気が狂いそうになる。


追記

https://anond.hatelabo.jp/20200307134829

いっぱいいっぱいになりすぎやで

奥様に正直に伝えてみてもええんちゃう

伝えてるがどうにもならない。

時間をとるって言っても結局まともに見れない。

https://anond.hatelabo.jp/20200307135550

どちらかの親に頼らないか

実家が遠くてどうにもならないのと、両親とはちょっと折り合いが悪い。

自分モラハラ体質だったと自覚した

※主に頭の整理と吐き出しのために書いています。見苦しい文章申し訳ありません。

今まで恋人からモラハラに傷付き続けてきた。

付き合いは長い方だと思う。

出会って少し経って、お互い近くなればなるほど、ずっと喧嘩続きで心をかなり病んでしまっている。

まり心が強い方ではなかったらしい。睡眠障害接触障害を起こし、体も弱り、会社も辞めてしまった。

彼は、少し揉めるとかなり強い口調で一方的に話をし、自分の非を認めようとせず、過去に遡ってでも何かあらを見つけてはお前のせいでこうなっているんだ、もうお前なんていなくなってしまえ、と怒り始める。たまに手が出ることもあった。

そうなると、私が何を言っても無駄だ。謝罪をしてもそんな言葉響かないと跳ね除けられる。何も言わないと何か言うことも無いのかとさらに責められる。

思ってもいないことをお前はこう考えている、と決めつけられる。信じてもらえていない。すごく悲しい。

それでも、私は彼と一緒にいたいと考えているので、縋りついてきた。

ごめんねと言い続け、できるだけ負の感情が湧いても抑え、怯えて、顔色を伺い続けてきた。

それでもやっぱり人間なので、感情がある。限界もある。耐え切れず爆発して更に喧嘩になる。

数少ない心許せる友人に相談すると、それはモラハラだ、そういう人からは離れるか諦めるしかない、と言われる。

彼のことはとても大切だし素敵な人間だと思っているからこそ好きなので、あまりモラハラという言葉を使いたくないのだが、確かにその特徴に当てはまるし、まあ難しい定義とかは分からないがここではモラハラという言葉表現するのが伝わり易いのかなと思う。(罪悪感)(ごめんね)

と、そうやってずっと悩んできたのだが、例の如く喧嘩をし、どうしたら仲直りできるのか、納得・理解して貰えるのか、どこを直すべきなのか、とぐるぐる悩んでいた時、ふと気付いた。

私も彼に対してモラハラをしていた。

私も感情的になると一方的に考えをぶつけてしまうところがある。

但し、彼と違い、感情が溢れると涙が止まらなくなり会話できなくなることが殆どなので、LINEなどの文章一方的に送りつけてしまう。長文とか連投のLINEって嫌ですよね。分かっています

そして、彼の言動によって傷付いたとき、彼の気持ちを全て自己完結して決めつけ、今までの伝えてくれていた気持ちまでも否定してしまう。約束を破られたりしたら勿論謝ってほしいし、それは人として大切な事だと思っています言葉だけなら誰にだって何とでも言えるし、行動によって示されるべきこともたくさんあるはずです。

とまぁ他にもあるのだが彼に対してどうして?と理解できなかった、傷付いていた部分が、全て自分にも返ってくることにやっと気付いた。

私もモラハラをしていたのだ。

今まで私は手は上げていないが、モラハラ一種DVのようなものである

お互いなにかのきっかけで傷付いて、(このきっかけは普通喧嘩と同じようなものだと思う)、感情的になりモラハラして、また相手が傷付いて更にモラハラして、最終的に必要以上にお互い傷付いてしまっている。だいたい口が下手で考えを伝えられない私が泣きついて終わるのだが。昔よりもお互い短気になったし、感情の爆発具合も酷くなっていると思う。こんなの負の連鎖だ。

ついさっきこれを自覚した。私はただの心の弱いモラハラ被害者だと思っていた。同じことをしていのだ。大発見だった。彼はきっとまだその自覚は無いんだと思う。勢いで手を上げてしまうことに対しては反省しているようだが。

もっとお互いに必要以上に傷付け合わずに、健やかに生きていけるようになりたい。

勿論これからもずっと一緒にいたいが、もしこの先別れることがあったとしても、周りの人間や大切な人を必要以上に傷付けるような人間であってほしくない。私もそういう人間のままでいたくない。

モラハラ同士、どうすれば上手くやっていけるのだろうか。治せるのだろうか。

未だに喧嘩中なのでこのまま謝罪を受け入れて貰えずに仲直りする事が出来なければこれで関係は終わってしまうかもしれないが、二人で一緒に治して、より良い人として生きていけるといいな、と思う。

どっちもモラハラってあるんだな。難しいな。

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