はてなキーワード: 折檻とは
信長というと、短気で気分しだいで人を殺していたとか思われがちだが、
20年来の宿老の佐久間信盛を解任する際も、暴君なら理由もなしに追い払ってしまうものだが、
信長は以下の長文をわざわざ直筆で書いている。
一、佐久間信盛・信栄親子は天王寺城に五年間在城しながら何の功績もあげていない。世間では不審に思っており、自分にも思い当たることがあり、口惜しい思いをしている。
一、信盛らの気持ちを推し量るに、石山本願寺を大敵と考え、戦もせず調略もせず、ただ城の守りを堅めておれば、相手は坊主であることだし、何年かすればゆくゆくは信長の威光によって出ていくであろうと考え、戦いを挑まなかったのであろうか。武者の道というものはそういうものではない。勝敗の機を見極め一戦を遂げれば、信長にとっても佐久間親子にとっても兵卒の在陣の労苦も解かれてまことに本意なことであったのに、一方的な思慮で持久戦に固執し続けたことは分別もなく浅はかなことである。
一、丹波国での明智光秀の働きはめざましく天下に面目をほどこした。羽柴秀吉の数カ国における働きも比類なし。池田恒興は少禄の身であるが、花隈城を時間も掛けず攻略し天下に名誉を施した。これを以て信盛も奮起し、一廉の働きをすべきであろう。
一、柴田勝家もこれらの働きを聞いて、越前一国を領有しながら手柄がなくては評判も悪かろうと気遣いし、この春加賀へ侵攻し平定した。
一、戦いで期待通りの働きができないなら、人を使って謀略などをこらし、足りない所を信長に報告し意見を聞きに来るべきなのに、五年間それすらないのは怠慢で、けしからぬことである。
一、信盛の与力・保田知宗の書状には「本願寺に籠もる一揆衆を倒せば他の小城の一揆衆もおおかた退散するであろう」とあり、信盛親子も連判している。今まで一度もそうした報告もないのにこうした書状を送ってくるというのは、自分のくるしい立場をかわすため、あれこれ言い訳をしているのではないか。
一、信盛は家中に於いては特別な待遇を受けている。三河・尾張・近江・大和・河内・和泉に、根来衆を加えれば紀伊にもと七ヶ国から与力をあたえられている。これに自身の配下を加えれば、どう戦おうともこれほど落ち度を取ることはなかっただろう。
一、水野信元死後の刈谷を与えておいたので、家臣も増えたかと思えばそうではなく、それどころか水野の旧臣を追放してしまった。それでも跡目を新たに設けるなら前と同じ数の家臣を確保できるはずだが、1人も家臣を召し抱えていなかったのなら、追放した水野の旧臣の知行を信盛の直轄とし、収益を金銀に換えているということである。言語道断である。
一、山崎の地を与えたのに、信長が声をかけておいた者をすぐに追放してしまった。これも先の刈谷と件と思い合わされる事である。
一、以前からの家臣に知行を加増してやったり、与力を付けたり、新規に家臣を召し抱えたりしていれば、これほど落ち度を取ることはなかったであろうに、けちくさく溜め込むことばかり考えるから今回、天下の面目を失ってしまったのだ。これは唐・高麗・南蛮の国でも有名なことだ。
一、先年、朝倉をうち破ったとき(=刀根坂の戦い)、戦機の見通しが悪いとしかったところ、恐縮もせず、結局自分の正当性を吹聴し、あまつさえ席を蹴って立った。これによって信長は面目を失った。その口程もなく、ここ(天王寺)に在陣し続けて、その卑怯な事は前代未聞である。
一、大まかに言えば、第一に欲深く、気むずかしく、良い人を抱えようともしない。その上、物事をいい加減に処理するというのだから、つまり親子共々武者の道を心得ていないからこのような事になったのである。
一、与力ばかり使っている。他者からの攻撃に備える際、与力に軍役を勤めさせ、自身で家臣を召抱えず。領地を無駄にし、卑怯な事をしている。
一、信盛の与力や家臣たちまで信栄に遠慮している。自身の思慮を自慢し穏やかなふりをして、綿の中に針を隠し立てたような怖い扱いをするのでこの様になった。
一、信長の代になって30年間奉公してきた間、「信盛の活躍は比類なし」と言われるような働きは一度もない。
一、信長の生涯の内、勝利を失ったのは先年三方ヶ原へ援軍を使わした時で、勝ち負けの習いはあるのは仕方ない。しかし、家康のこともあり、おくれをとったとしても兄弟・身内やしかるべき譜代衆が討死でもしていれば、信盛が運良く戦死を免れても、人々も不審には思わなかっただろうに、一人も死者をだしていない。あまつさえ、もう一人の援軍の将・平手汎秀を見殺しにして平然とした顔をしていることを以てしても、その思慮無きこと紛れもない。
一、こうなればどこかの敵をたいらげ、会稽の恥をすすいだ上で帰参するか、どこかで討死するしかない。
一、親子共々頭をまるめ、高野山にでも隠遁し連々と赦しを乞うのが当然であろう。
右のように数年の間ひとかどの武勲もなく、未練の子細はこのたびの保田の件で思い当たった。そもそも天下を支配している信長に対してたてつく者どもは信盛から始まったのだから、その償いに最後の2か条を実行してみせよ。承知しなければ二度と天下が許すことはないであろう。
また、秀吉が浮気したときに、奥さんの禰禰にこのような手紙も送っている。
私の命に従い、この度、この地(安土城)にはじめて尋ねてくれて嬉しく思う。
その上、土産の数々も美しく見事で、筆ではとても表現できない程だ。
そのお返しに、私の方からも「何をやろう」かと思ったが、そなたの土産があまりに見事で、何を返せば良いのか思い付かなかったので、この度はやめて、そなたが今度来た時にでも渡そうと思う。
そなたの美貌も、いつぞやに会った時よりも、十の物が二十になるほど美しくなっている。
藤吉郎(秀吉)が、何か不足を申しているとのことだが言語同断けしからぬことだ。
どこを探しても、そなたほどの女性を二度とあの禿ねずみは見付けることができないだろう。
これより先は、身の持ち方を陽快にして、奥方らしく堂々と、やきもちなどは妬かないように。
ただし、女房の役目として、言いたいことがある時はすべて言うのではなく、ある程度に留めて言うとよい。
又々 かしく藤吉郎 女ども
のぶ
「ここに書いてあるのをそのまま見せな」とコメントをもらって、新しいメンタルヘルスに行ったら行動療法?認知療法?を勧められたわ。
成育歴も書き出してみた方がいいと言われて描き出したんだけど、それが結構特殊だったみたいで(おやじとおふくろからの折檻を伴う躾/おやじとおふくろのダブル不倫からの家出&おふくろの投身自殺、祖母の自殺、友人が天災で亡くなり、結婚考えていた初めての彼女を友人に寝取られた)、意外と根っこが深いのでしばらくがんばって治療していきましょうってことだった。「今困っていること」が、「昔困っていたこと」とつながっているんやでって言われてびっくりした。体罰を伴う躾なんて、おっさんの親世代だと当たり前だと思っていたから。
病名とかはつかなかったけど、しばらく投薬治療と、あと気長に行動だか認知療法だか続けていくことになった。それでも根本的な解決にはなっていないかもだけど、そして多分コメントくれた人はみていないと思うけど、「キモイ」という率直な意見も含めて、声かけてくれた人たち、本当にありがとう。匿名だからこそ救われた。
「ここに書いてあるのをそのまま見せな」とコメントをもらって、新しいメンタルヘルスに行ったら行動療法?認知療法?を勧められたわ。
成育歴も書き出してみた方がいいと言われて描き出したんだけど、それが結構特殊だったみたいで(おやじとおふくろからの折檻を伴う躾/おやじとおふくろのダブル不倫からの家出&おふくろの投身自殺、祖母の自殺、友人が天災で亡くなり、結婚考えていた初めての彼女を友人に寝取られた)、意外と根っこが深いのでしばらくがんばって治療していきましょうってことだった。「今困っていること」が、「昔困っていたこと」とつながっているんやでって言われてびっくりした。体罰を伴う躾なんて、おっさんの親世代だと当たり前だと思っていたから。
病名とかはつかなかったけど、しばらく投薬治療と、あと気長に行動だか認知療法だか続けていくことになった。それでも根本的な解決にはなっていないかもだけど、そして多分コメントくれた人はみていないと思うけど、「キモイ」という率直な意見も含めて、声かけてくれた人たち、本当にありがとう。匿名だからこそ救われた。
日中は幼稚園に息子を預けて家事と在宅ワーク、休みは旦那と近所に買い物行ったり。
そんな平々凡々な小市民です。でした。先週までは。
ちょうどこの前の土曜日、近所の少し大きめのショッピングセンターに行ったんですよ。
イトーヨーカドーとかゆめタウンみたいな感じの、複数の店が同じビルに入っている感じの。
偶には旦那の服やら旅行鞄やら見繕いたいということで、少し遠出して。
それで着いてしばらくの間は息子も買い物に付き合ってついて回るんですけど。
飽きちゃうんですよね。「ママ、○○行きたい!」(○○は大抵玩具屋か本屋)って言うんです。
まあ聞き分けが良くて賢いし、いっぺん本や玩具に夢中になればてこでも動かない子です。
その日も本屋に行きたいとせがんだので、立ち読みしてらっしゃい、気を付けてねと見送りました。
いつも通り、20分くらいしたら迎えに行って旦那と一緒に休憩所にでも行かせようと。
思えば、それがすべての間違えでした。
買い物も終わり、さて息子を本屋に迎えに行くと何やら様子が変で。
本を読むでもなく、ただ平積みされた本をじいっと眺めており。
……勘の良い方はここでお気付きかもしれませんね。
どうしたの、と尋ねるが早いか、さあっと血の気が引きました。
息子は、ラノベ、いえ、正確には『表紙に描かれた破廉恥な女性のほぼ裸体の姿』を凝視していました。
さらに、最悪なことに息子の股間も、簡単に言えば反応していて。
すぐにそこから息子を引き剥がし、旦那に早く帰る様説明し、すぐさま帰宅。
自宅に着くが早いか、いかに悪いことをしていたか息子を怒り、当分外出には連れて行かないと折檻。
息子も多少は泣き叫びましたが、こればかりは仕方ありません。あなたは悪書に触れてしまったから。
旦那も「おいおいそれはちょっと……」という雰囲気を出しましたが、何も言わず。
そりゃ私が正しいですから何も言わないのは当然でしょう?
こうして、私の息子は穢されました。偏見をもっていなかった、今までノーマークのラノベ本なんかに。
私の息子は穢されました。オタク予備軍として、三次元の女性を愛せなくなる病に罹患しかけて。
裸の女性がいる銭湯ですら反応しなかったのに、こんなところで変態の仲間入りをするなんて、信じられません。
もうこの子には教育書や『まともな』小説しか与えません。テレビもニュースやスポーツだけにします。
漫画やゲームは精査したものしか与えませんし、手の入るところにセンシティブなものを入れません。
目溢ししていた旦那のコレクションも処分とコンテナ倉庫への封印を義務付けました。
そして何より、あのような本を平積みさせている今のメディアにはほとほと呆れました。
オタクは一般化した、とは言いますがこれは擁護できません。エロ本を平積みにしているのと変わりなし。
あのような本をこぞって読むのだから、日本の結婚率も下がるし、バカが量産されるのも分かる気がします。
実害を受けたのだから是非ともああいう本は禁止をしてほしい。条例か何かを打ち立ててほしい。
それが無理なら、せめてゾーニングをして表に出さないでほしい。
純真無垢な、真人間であった息子を穢され、悪の道に誘う実害を生み出したのですから、それくらいしてほしい。
もう息子はもとにもどりません。今から教育をして是正して、なんとかまともな真人間に戻すしかありません。
こういった尊い犠牲を出す前に、頼みますから、メディアはセンシティブなものを規制してほしい。
これが、被害を受けた哀れな被害者からの、精一杯の抗議文です。
対人ではあんまり怒りが湧かなくて、○○君には怒りって感情がないの?と言われたことすらある
でも一人のときモノにキレまくってるから怒りって感情はメチャクチャあるんだよな
卵落としたり醤油こぼしたりしたとき「マジなんなんだよクソお前絶対殺すからな、もう死んでるか(小声)、ざまあみろカスが」みたいなこと延々いってるし、失くしてた書類が出てきたら「隠れてんじゃねえよボケ!折檻してやる!」つって5発くらい殴る(破れないように注意しながら)
ゲームやってるときも負けるたびにキレる(幸いハードを壊したことはない) でも相手がNPCじゃないときはあんまりムカつかない
これなんなんだ どういう精神?けっこう似たような人いる印象がある
日中は幼稚園に息子を預けて家事と在宅ワーク、休みは旦那と近所に買い物行ったり。
そんな平々凡々な小市民です。でした。先週までは。
ちょうどこの前の土曜日、近所の少し大きめのショッピングセンターに行ったんですよ。
イトーヨーカドーとかゆめタウンみたいな感じの、複数の店が同じビルに入っている感じの。
偶には旦那の服やら旅行鞄やら見繕いたいということで、少し遠出して。
それで着いてしばらくの間は息子も買い物に付き合ってついて回るんですけど。
飽きちゃうんですよね。「ママ、○○行きたい!」(○○は大抵玩具屋か本屋)って言うんです。
まあ聞き分けが良くて賢いし、いっぺん本や玩具に夢中になればてこでも動かない子です。
その日も本屋に行きたいとせがんだので、立ち読みしてらっしゃい、気を付けてねと見送りました。
いつも通り、20分くらいしたら迎えに行って旦那と一緒に休憩所にでも行かせようと。
思えば、それがすべての間違えでした。
買い物も終わり、さて息子を本屋に迎えに行くと何やら様子が変で。
本を読むでもなく、ただ平積みされた本をじいっと眺めており。
……勘の良い方はここでお気付きかもしれませんね。
どうしたの、と尋ねるが早いか、さあっと血の気が引きました。
息子は、ラノベ、いえ、正確には『表紙に描かれた破廉恥な女性のほぼ裸体の姿』を凝視していました。
さらに、最悪なことに息子の股間も、簡単に言えば反応していて。
すぐにそこから息子を引き剥がし、旦那に早く帰る様説明し、すぐさま帰宅。
自宅に着くが早いか、いかに悪いことをしていたか息子を怒り、当分外出には連れて行かないと折檻。
息子も多少は泣き叫びましたが、こればかりは仕方ありません。あなたは悪書に触れてしまったから。
旦那も「おいおいそれはちょっと……」という雰囲気を出しましたが、何も言わず。
そりゃ私が正しいですから何も言わないのは当然でしょう?
こうして、私の息子は穢されました。偏見をもっていなかった、今までノーマークのラノベ本なんかに。
私の息子は穢されました。オタク予備軍として、三次元の女性を愛せなくなる病に罹患しかけて。
裸の女性がいる銭湯ですら反応しなかったのに、こんなところで変態の仲間入りをするなんて、信じられません。
もうこの子には教育書や『まともな』小説しか与えません。テレビもニュースやスポーツだけにします。
漫画やゲームは精査したものしか与えませんし、手の入るところにセンシティブなものを入れません。
目溢ししていた旦那のコレクションも処分とコンテナ倉庫への封印を義務付けました。
そして何より、あのような本を平積みさせている今のメディアにはほとほと呆れました。
オタクは一般化した、とは言いますがこれは擁護できません。エロ本を平積みにしているのと変わりなし。
あのような本をこぞって読むのだから、日本の結婚率も下がるし、バカが量産されるのも分かる気がします。
実害を受けたのだから是非ともああいう本は禁止をしてほしい。条例か何かを打ち立ててほしい。
それが無理なら、せめてゾーニングをして表に出さないでほしい。
純真無垢な、真人間であった息子を穢され、悪の道に誘う実害を生み出したのですから、それくらいしてほしい。
もう息子はもとにもどりません。今から教育をして是正して、なんとかまともな真人間に戻すしかありません。
こういった尊い犠牲を出す前に、頼みますから、メディアはセンシティブなものを規制してほしい。
これが、被害を受けた哀れな被害者からの、精一杯の抗議文です。
ワンピースがエッチすぎて公共にふさわしくないと噂になっています。
ですが、ジャンプにはワンピース以外にもエッチな漫画はたくさんあります。
そこで、ワンピース以外のエッチなジャンプ漫画キャラクタを紹介します。
空白の数年間の間翔陽は鷲匠監督の家で書生みたいなことをして一緒に暮らしてた時期があるはずなんですよお
このハイキューという物語の構造自体がもう、鷲匠監督が翔陽のことを好きだと正直に言うまでの過程を丁寧に描いていただけなわけじゃないですか!
ダメなんだ、おいらはもう諏訪部順一の声を聞くだけで濡れちゃう体にされちゃってるんだ
え!? さらに諏訪部順一と羽多野渉が夜の課外授業!? はい、もう、ダメでーす。エッチ警報発令してるので、ジャンプは発禁でーす。
デート回やばかった。感情移入するタイプの読者なので、声帯が小林ゆうになればデートできるのかなあとドキドキしていた。
全てです。全てがエッチです。はいあーエッチのエッチのエッチチー。
ネタバレすると殺されるので何も書きませんが、電車の中で泣いちゃったよ。
未だに夜寝る前に思い出してはムズムズしてねれない日々を過ごしています。
悲しいなあ…… でも悲しいってエッチなんだよなあ……
はてな匿名ダイアリーで真冬先生以外のキャラクタを好きだと書くと折檻されて折檻されて心を去勢されてしまう日々が続いていました。
ですが、まあ、今では本心で先生ルートで終わって欲しいという気持ちでいっぱいです。
いや、他のヒロイン、一緒に暮らすの怖いし、なんか。
今からもう二人の再開を想うと胸がいっぱいです……
なんか物語的には終わりそうですが、この二人の関係性もどうなるのか気になりますね。
ぷちアクタージュみたいなスピンオフ四コマ漫画でずっと景と千世子がデートするやつ読みたい。
私の好きの性癖の塊かよ。
スピンオフ読みたいよおって毎日星に願ってたら本編で過去編が始まったとき腰抜かした。
ゲロ食べさせるの読んだ後性癖広がってしまったのだけど、この作者ちゃんと責任とるきあるのかな?
乙女ゲームにおける女性サブキャラ( https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/42981.html )が好きなので、この子も好きなんだ。
おねショタ十戒をちゃんと守っている良作なので、ちゃんと評価する必要がある。
血縁関係もいいよね…… 姉が欲しい。姉の子供を可愛がりたい。
わからなくない? この漫画、今結局どっちがどっちなんだっけ? ややこしいよ。
親友キャラ(ギャルゲー)( https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/7557.html )が好きなので、この子も好きなんだ。
お当番回まだー?
カマトロPかと一瞬思った落差でまだちょっと真面目に読めてない。
殴る、蹴る、食事を取らせない、何十分も正座をさせる、トイレに行かせないetc,etc.
親には何度も訴えた。
「お兄ちゃんが叩いてくる!」
他のきょうだいが折檻を受けているさなか、風呂場に飛んで行き、
入浴中の母親に半泣きで叫びながら「お母さん早く上がって来て!」
と何度助けを求めたことか。
「きょうだい同士仲良くしなさい」
「お兄ちゃんの言うことを聞いて」
手間をかけさせないで、と。
そのあいだ父には完璧に無視され、図に乗った兄は、巧妙に、親の目の届かないところでのみ私たちを折檻するようになった。
そんな生活が十年過ぎ、兄は家を出て行った。
ちょうど戦場から引き揚げてきた兵士たちが、なぜか平和なふるさとに戻ってからPTSDを発症するように、
希死念慮すらろくろく湧かない、廃人と呼ぶのも申し訳ないような、ただ呼吸をしているだけの生き物として、十二年ほどを過ごしたろうか。
「すまなかった」と。
「許してもらえるとは思っていない」と。
なぜか母が涙しながらそれを聞いていた。
私は「は?」と思った。無視し続けたくせに。見て見ぬふりをし続けたのはお前のくせに。
不思議でならなかった。
兄の謝罪をぼうっとした頭で聞き、
私は地獄の十年間の、それから脳の中の地獄の十二年間の、いろいろなことを後ろ手に隠しながら、
ただ頷いた。ちょうど兄から虐待されていた頃の、人形のようなしぐさで。
兄との関係の中で、私にできることがあるとすればただひとつだけ、
それは兄を許さないことだ。
私という人格を徹底的に、決定的に破壊した人間を、生涯許さないことだ。
それだけが私の、兄との関係の中で、「自分を大事にする」ということである。
ところで孔子の唱えた最高の徳である「仁」とは、「人を愛すること」なのだという。
今の私には生家の外に愛する人がいる。その人のおかげで、人間への憎しみと愛は併存し得ることを知った。人間を憎しみ抜いて生きて死ぬのだと思っていた人生が一変した。
その人には喜んでもらいたいし、毎日を平穏に過ごしてもらいたいし、私と過ごす時間を心地よいものだと思ってほしい。
そのための努力をできる限り続けていきたい。
私は兄を許さない。そして、兄を許さない自分のことも、きっと心のどこかで許していないだろう。それは即ち「自分を愛していない」ということなのかもしれない。
それでいいと思っている。
それがあのように扱われた人間の、私の、自然な在りようだと思っている。
「自分を愛する作業」を、大切な人に委ねることのないよう慎重に注意しながら、
やりたいことをやり、食べたいものを食べ、観たいものを観て、居たい場所に居続けよう。
それはきっと、許せない人間をこの手にかけるよりも、ずっと楽しく、美しく、素敵なことだろうから。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 73 | 14167 | 194.1 | 43 |
01 | 44 | 7033 | 159.8 | 52 |
02 | 35 | 5073 | 144.9 | 44 |
03 | 18 | 1095 | 60.8 | 23.5 |
04 | 7 | 856 | 122.3 | 126 |
05 | 18 | 2085 | 115.8 | 51.5 |
06 | 18 | 3305 | 183.6 | 84 |
07 | 60 | 2560 | 42.7 | 23 |
08 | 76 | 4357 | 57.3 | 32.5 |
09 | 113 | 10508 | 93.0 | 39 |
10 | 175 | 12435 | 71.1 | 39 |
11 | 251 | 20182 | 80.4 | 36 |
12 | 134 | 13131 | 98.0 | 41.5 |
13 | 144 | 12901 | 89.6 | 41 |
14 | 155 | 8094 | 52.2 | 24 |
15 | 154 | 10187 | 66.1 | 32.5 |
16 | 175 | 10205 | 58.3 | 41 |
17 | 130 | 11793 | 90.7 | 34.5 |
18 | 179 | 17879 | 99.9 | 38 |
19 | 127 | 11609 | 91.4 | 38 |
20 | 122 | 11005 | 90.2 | 37.5 |
21 | 157 | 12992 | 82.8 | 35 |
22 | 141 | 13908 | 98.6 | 41 |
23 | 158 | 14906 | 94.3 | 45 |
1日 | 2664 | 232266 | 87.2 | 37 |
ポチポチゲー(13), 折檻(4), 堀ちえみ(6), タブー視(4), 連れ去っ(3), UML(5), 花婿(5), 家内(8), あべちゃん(3), 海苔巻き(3), カーセックス(7), 艦これ(20), はあちゅう(9), 法人税(9), 減税(8), スマホゲー(7), 体罰(7), チャーハン(6), 民主(9), 刺す(13), 嫁(67), 自民(22), 投票(44), アベ(10), 政党(16), 自民党(29), 党(9), 選挙(31), 野党(26), 安倍(21), 救わ(14), 消費税(17), 政権(13), 課金(11)
■「皆がこれ読んでたら読んでたら世の中もっと良くなるのに」本 /20190713122155(35), ■萌えアニメを見れなくなってしまった /20190715194435(16), ■私が猫を飼いたくない理由 /20190717154446(14), ■童貞だけど男性を救いたいんだよ /20190716235444(13), ■もうカウントダウンの百の位の「2」は使わない。 /20190717101556(10), ■他人の写真をトレスして二次創作はOK?マジで? /20190717110227(10), ■複数人呼称 /20190716171422(9), ■一人暮らしの人間が冷蔵庫にストックしておくべきもの /20190717145403(8), ■anond:20190717102431 /20190717103253(7), ■anond:20190717111223 /20190717111513(7), ■「お疲れ様です」は何か足りない /20190717135912(7), ■anond:20190717022435 /20190717022827(7), ■anond:20190716100824 /20190716122944(7), ■はてな匿名ダイアリーが役に立ったことってある? /20190717202650(6), ■女ってさ /20190717124518(6), ■朝抜いたら午前中全然力が出なかった /20190717121513(6), ■ネットで触れちゃいけないことかもしれんが /20180306183313(6), ■韓国の謎の港町がガチやべぇ /20190717135108(6), ■雑談 /20190716194219(6), ■うなぎって食べてもいいの? /20190717231503(6), ■ /20190717105605(6)
6457466(3452)
昨夜は塾の先生の言葉を、午後10時前に塾から戻ってきた息子から聴いて、怒髪天。
毎週塾でもらうプリントに日付を書いて、記名代わりの名前ハンコを押しているけど、それについて、「プリントの有無の確認だけなら無意味」という先生の言葉を知って、ものすごく腹が立った。意味があるかどうか、そんなことはこちらが決めることで、あんたに言われたくねーよ。時間が経つにつれて怒りがどんどん大きくなって、涙が出てきた。
🐢
冷静になってみれば、
・何カッコつけてんだろ。
・こんなことやったって成績あがらない。
・宿題だって満足にやってこないし、毎週の基礎テストだって満点とれないじゃん。
・イミフ
という思考なんだろうけど。
こちらとしてはテキストの存在有無じゃなくて、息子が名前を書き忘れることが多いし、親がイチイチ手書きで名前を書いているゆとりがないのでハンコにしたわけなんだが(最初は手書きしてた)。
名前を書き忘れるなんて小6として情けないし、そもそも人間的な欠陥なんだろうけど、それが現実。小学校生活5年3ヶ月を経てもダメなものはダメなんだ。未だに給食のランチマットを学校へ持っていくのを忘れることがあるし。
テキストの存在有無だけじゃなくて、それよりも毎回の塾の授業での出題と解答状況、授業ノートの書き込み具合、誤字脱字トメ・ハネ・ハライのチェック、宿題の範囲と分量と優先順、今後の時間的ゆとりと息子の体力や精神状態などを勘案して週間で勉強スケジュールを組んでいくことをやっているわけで、それにも関わらず宿題をやらない、問題を解けないというのは息子の至らないところで、いまのところ、これ以上どうしようもないと思っている。だいたい、この年頃になると親の言うことなんて聞かないのが初期値になっている。
全国の親御さんのかなり多くの方々が薄々感じていることかもしれないけど、残されている選択肢は体罰とか折檻とか、そういうレベルまで追い込まれ始めている時期なのだ。そういう追い詰められている状態のときに、塾講師の小娘にあれこれ言われているということを知って、昨夜は逆上していた。
修行が足りないな。
🐢
たぶん、自分がこんなに努力しても息子が勉強せず、成績が上がらず、厖大な時間、莫大な費用、果てしない徒労と心労を積み重ねて、もしかしたら“無意味”を作り上げようとしているのかもしれないのに、誰もわかってくれない、なぐさめてくれないということで、全世界を敵に回したかったのだろう。おまえ等なんか、どいつもこいつも、みんな敵だ!
つまり、身勝手な“かまってちゃん的怒り”だったんだろう。そうなのだ。中学受験なんて親の身勝手に過ぎない。
「○○中学に行きたい」という息子の言葉だって、本来的な彼自身の望みではなくて親の期待に対するゾウリムシ的反射反応で発話している可能性を否定できない。生まれて12年間生きただけで社会とか世間とか人生とかについて、まともに判断なんて出来るわけないんだから、親の言うことをオウム返しに言っている可能性が高い。将来の進路ではなく、目の前の親の期待に応えているのだろう。
それに、親が信じようとしている「中高一貫に進学することが将来的に息子の可能性を広げる」ということだって、受験産業の吹聴する言葉に幻惑されているだけかもしれない。首都圏だけで6万人の中学受験生が毎年発生しているわけで、それが4、5、6年生で塾通いだとすると18万人市場が堅いわけで、しかも受験に関しては「父親の財力と、母親の狂気」によって、幾らでも財布の紐をゆるめようという“顧客”には事欠かないわけで、そりゃ商売に力を入れるだろうし、もっともらしいことを並べ立てて説得力のドーピングを惜しんだりはしないだろうサ。
2月1日まで、とうとう200日を切った。
自己紹介をすると、私は発達障害だ。アスペルガー障害(知的障害のない自閉症)とADHD(注意欠陥多動性障害)。
女の発達障害としてはかなり重度だと思う。
ここでは、私の子どもの頃のエピソードと、どうしたら少しマシになったかもしれないのかを書いてみる。
私は障害者であるために、周りの健常な子どもたちと同じような言動ができず、物心付く前から毎日、母に頭を叩かれていた。
お絵かき教室は火曜日にあるのだが、私は火曜日が来るのが怖かった。
お絵かき教室が終わると、必ず迎えに来た母の顔が般若の面の顔になっていて、帰宅後2~3時間は折檻されるためだ。
結局のところ母の怒りの理由は、他の子どもたちは母親が迎えに来ると喜んですぐにクレヨンや絵具を片付けて帰ろうとするのに、
私は母が迎えに来ても無視していて、お絵かき教室にある子ども向けの本を読みふけっており、ちっとも帰り支度をしないためであった。
しかし、私は母に何度頭を叩かれる度に、恐怖と悔しさとパニックで頭がいっぱいになってしまい、全く母の言っていることが理解できなかったのだ。
その上、叩かれすぎて慣れてしまい、叩かれても泣かなくなってしまった。
母はますます腹を立て、私の頭を私が涙を流すまで激しく叩くのだった。
だが私の行動は全く改まらなかった。
音としては聞こえているのだが、何て言っているのか分からないことがあり、ひどい聞き間違いをすることがある。
もしかしたら、落ち着いて視覚で分かりやすく指示をしてくれれば、早く帰り支度をすることができていたかもしれない。
例えば、「ママは早く帰りたい」「本を読むのを止めてください」「クレヨンと絵具を片付けてください」
という言葉をカードに書いてみせてくれたりしていたら、もう少しマシになったかもしれないと考えるのだ。
現在進行形で障害児を育てている親御さんには、そんなの甘い、障害児は腹の立つ、苦痛を与えないといけない存在だと言われてしまうかもしれないけれど。
折口信夫への旅 第1部 ~小説「身毒丸」をめぐって(歌舞伎批評家・山本吉之助)
http://www.kabukisk.com/geitohito33.htm
という折口信夫『身毒丸』解説文の中に、日本の師弟関係がなぜ理不尽で暴力的になるのかについての興味深い示唆があったので、
もしかして既によく知られていることかもしれないが、自分は初めて知ったので、覚え書きとして残しておこうと思う。
『最近ではそういうことはだんだんなくなって行きましたが、日本の師弟関係はしきたりがやかましく、厳しい躾(しつけ)をしたものでした。まるで敵同士であるかのような気持ちで、また弟子や後輩の進歩を妬みでもしているかのようにさえ思われるほど厳しく躾していました。
例えば最も古い感情を残している文楽座の人形遣いなど、少しの手落ちを咎めて、弟子を蹴飛ばしたり、三味線弾きは撥で殴りつけたりした。
そういうことは以前はよくあった。そうした躾を経ないでは一人前になれないと考えられてきたのです。
なぜ、そうした、今日の人には無理だなと思われるような教育法が行なわれてきたかということが問題になります。(中略)
それはある年齢に達した時に通らねばならない関門なのです。(中略)
子供または弟子の能力を出来るだけ発揮させるための道ゆきなのです。それに耐えられなければ死んでしまえという位の厳しさでした。』
七月に入り一座は泉州のある村の盆踊りに迎えられますが、源内法師は身毒丸の踊りに若い女たちの面貌がチラついていることを認めて、その晩、師匠は身毒丸 を自分の部屋に引きずっていって「龍女成仏品」に一巻を渡し「芸道のため、御仏のため、心を断つ斧だと思って、血書するのだ」と厳しく命じます。
しかし、出来上がったものを持っていく度に師匠はこれを引き裂きます。
「人を恨むじゃないぞ。危ない傘飛びの場合を考えてみろ。もし女の姿がちょっとでもそちの目に浮かんだが最後、真っさかさまだ」と師匠は言います。
身毒丸は血を流しながら一心不乱に写経を続けますが、身毒丸の脳裏には彼の踊りに熱狂する若い女たちの面貌がなかなか離れません。
一心不乱に写経を続ける身毒丸の姿を見ているうちに師匠の頬にも涙が流れてきて、五度目の写経を見た時には師匠にも怒る気力は失なわれていました。
春琴の教え方は 非常に厳しく、
「あかんかかん、弾けるまで夜通しかかたかて遣りや」と佐助を激しく叱咤し、
時には「阿呆、何で覚えられんねん」と罵りながら撥で頭を殴り、佐助がしくしく泣き出すこともしばしばであったと云います。
『昔は遊芸を仕込むにも火の出るような凄じい稽古をつけ往々弟子に体刑を加えることがあったのは人のよく知る通りである
本年〔昭和八年〕二月十二日の大阪朝日新聞日曜のページに「人形浄瑠璃の血まみれ修業」と題して小倉敬二君が書いている記事を見るに、
摂津大掾亡き後の名人三代目越路太夫の眉間には大きな傷痕が三日月型に残っていた
それは師匠豊沢団七から「いつになったら覚えるのか」と撥で突き倒された記念であるという
また文楽座の人形使い吉田玉次郎の後頭部にも同じような傷痕がある
玉次郎若かりし頃「阿波の鳴門」で彼の師匠の大名人吉田玉造が捕り物の場の十郎兵衛を使い玉次郎がその人形の足を使った、
その時キット極まるべき十郎兵衛の足がいかにしても師匠玉造の気に入るように使えない
「阿呆め」というなり立廻りに使っていた本身の刀でいきなり後頭部をガンとやられたその刀痕が今も消えずにいるのである。
しかも玉次郎を殴った玉造もかつて師匠金四のために十郎兵衛の人形をもって頭を叩き割られ人形が血で真赤に染まった。
彼はその血だらけになって砕け飛んだ人形の足を師匠に請うて貰い受け真綿にくるみ白木の箱に収めて、時々取り出しては慈母の霊前に額ずくがごとく礼拝した
「自分にはこのような仕打ちを受ける謂われはない」という強い思いです。その場合・何に対して彼は意地を張るのかということが問題になります。
世間に対して意地を張る場合もあると思いますが、あるいは神に対してという場合があるかも知れません。
ここで神に対して意地を張るということは、神に反抗するという意味ではないのです。
そのように考えるのは近代人の捉え方でして、古代人の場合には絶対者である神に対して反抗するという発想は考えられ ません。
自分に対する神の仕打ちが不当であると感じた時に、古代人は自らの清らかさを神に示すように控え入るのです。
「神よ、この清い私を見てくれ」というようにです。
つまり表面 上は畏れ入っているのですが、内心には自分に対する神の仕打ちは不当であるという強い思いがあるように思えます。
(中略)
神に対して自分が清い(あるいは正しい)ということを示そうという気持ちを失ってしまえばそれは不信仰ということになります。
だから理不尽な神の仕打ちに耐えて・彼がそれでもひたすらに生き続けることは「神よ、この清い私を見てくれ」ということになるのです。
それは神に対して意地を張るということでもあ ります。
折口信夫は座談会「神道とキリスト教」において次のようなことを語っています。
神の憤りとは人間がいけないからその罰として神が発するものではなく、神がその憤りを発する理由がどこまでも分からない。
神が憤るのは人間がいけないからだ・人間が何か悪いことをしたから神が怒ったに違いないと考えるのは、道徳倫理が完成した後の時代の人々の感じ方なのです。
既成の道徳基準があれば、人々はそれに照らし合わせて・神がこれほど怒ったのにはこんな理由があったに違いないと後で納得できる説明を付けようとします。
しかし、道徳がまだ成立していなかった古代人には照らし合わせるべき倫理基準などまだなかったのですから、人々には神が怒る理由など全然想像が付きませんでした。
『神の怒りに当たることと言う怖れが古代人の心を美しくした』(折口信夫・「道徳の研究」・昭和29年)
そのような理不尽な怒りを神はしばしば・しかも唐突に発しました。
例えば地震・台風・洪水・旱魃・冷害などの自然災害がそのようなものです。
このような時に古代人は神の怒りをみずからの憤りで以って受け止めたのです。
みずからの憤りを自分の内部に封じ込めて黙りました。ただひたすらに耐えたのです。
そうすることで古代の人々はみずからの心を倫理的に研ぎ澄ましていったのです。
「神よ、この清い私を見てくれ」と言うかのように。
古代人の 生活というものは、風雪災害や飢饉・病気など、現代人が想像するよりもずっと過酷で・辛く厳しいものであったということなのです。
そのような時に古代人は神の理不尽かつ無慈悲な怒りを強く感じたのですが、そこをグッと持ち耐えて自己を深い内省と滅却に置くことはまことに殉教者以上の経験をしたことになるのです。
貴種流離譚というものが民衆に与えた印象というものは「身分の高い人が落ちぶれて哀れな姿になって・・」というものでは決してないのです。
民衆が貴種流離譚に見たものは神の与えた理不尽かつ過酷な試練に従順に耐える殉教者の姿なのであり、それは過酷な生のなかに生きる民衆自身の姿と も自然に重なって来るわけです。
神は別に何もするわけではないのです。
しかし、神がたまらなさを感じて涙を流してくれるならば無辜の贖罪者は何かしら救われることになる・ 実はそのことだけで十分なのです。
これが古代人が神に対する時の態度です。
源内法師は身毒丸に無慈悲な折檻を強いながら、それに抵抗することなく・懸命に師の言いつけを実行しようとする身毒丸の健気さ・ひたむきさのなかに、無辜の殉教者の姿を見たのです。
『最近ではそういうことはだんだんなくなって行きましたが、日本の師弟関係はしきたりがやかましく、厳しい躾(しつけ)をしたものでした。
まるで敵同士であるかのような気持ちで、また弟子や後輩の進歩を妬みでもしているかのようにさえ思われるほど厳しく躾していました。(中略)
子供または弟子の能力を出来るだけ発揮させるための道ゆきなのです。
それに耐えられなければ死んでしまえという位の厳しさでした。』
折口がこのように語る時、折口は日本伝来の師弟関係のなかに、理不尽に怒る神と・神を信じてその仕打ちに黙々と耐える無辜の民衆の絶対的な関係をそこに重ねて見ているのです。
神はしばしば理不尽な怒りを発して、我々に謂れのないひどい仕打ちをします。
我々には神の意図することがまったく理解できません。それはただただ理不尽なものに思えます。
しかし、それでも神をひたすら信じ・神の指し示す道を黙々と歩むということことです。
過酷な仕打ちを受けてもなお神を信じて神に従う人を見る時、神はそのような人々に対して賜らない愛おしさを覚えるであろう。慈悲の涙を流してくれるであろう。願わくば我々を悲嘆のなかから救い上げてくれるであろうということです。
折口はそのような気持ちから道徳のようなものが生まれてくるというのです。
つまり、
神の理不尽な怒り(地震・台風・洪水・旱魃・冷害や飢饉・病気など)
→それでも神をひたすら信じ・神の指し示す道を黙々と歩む
「神よ、この清い私を見てくれ」
これが、古代の神と民衆の関係であり、師弟関係はこれをなぞっていると。
なるほど、自分がそういう目にあうのはいやだけど、ドラマや物語で接するとなんとなく納得してしまうのは、そういう古代からの宗教的な感覚が今も心の中にあるからなのかもしれない。