はてなキーワード: 小手先とは
僕はあの頃、増田のいう「動物」だった。増田のいうところの”流血沙汰”をおこす”いじめられてた男子”に近い存在だ。
集団に馴染めなかったせいで誰からも嘲笑され嬲られ続ける下等生物だった。
人を人とも思わない冷たい眼差し。人の悲鳴を聞こうが眉を顰めるばかりのしみたれた振る舞い。
頭の中には矜持の欠片すらなく、世俗的な自己顕示欲と、「自分はまともなのだ」「こいつらよりまし」と自認することで安心感を得ることしか頭にない。
彼らは体格もよく運動能力で劣っているわけでもなく、それなりにいい成績を維持するだけの知能はあり、友だちや頼れる大人との繋がりを持っていた。
僕から見れば、彼らが獰猛なヤンキー連中に圧倒的に劣っているとは思えなかった。
その気になって互いに連携をはかれば非ヤンキー集団で自警していくことすらできたのではないかと思う。
でも残念ながら現実では僕やレイプされてこぶつきになってしまうような子は愚鈍な存在として蔑まれただけだ。あのときお前も嘲って笑いものにしてたろうが。
僕の周りには粗暴で高圧的な「ヤンキー」と、相手の人となりで態度を使い分けて人を小馬鹿にして自尊心を満たそうとするしょぼくれた「優等生」しか存在していなかった。
個人個人の心象なんて知ったこっちゃないが、彼らはヤンキー集団と表向きはフラットで友好的な関係を築いていた。
時に彼らはヤンキーたちに混ざって酷い言葉や仕打ちをこちらへ差し向けた。
「公立学校の優等生」なんて小さい街の中流家庭育ちで赤点を取らずに歩んでこれただけで、世間一般からみて別段とりだてて秀でたものもなければ、その性根も身内が良ければ社会(集団)がどうなってっていいという卑しいものだ。
彼らの卒業後は持ち前の小手先の器用さで近隣府県の駅弁大や日東駒専関関同立クラスの大学に進学し阿保みたいなリクスーでリクルートの指南どおり就活とやらをこなして明日無くなっても世間が困るわけでもない会社に身を置いていまに至るって具合だろうよ。
27ぐらいで大学の同級生と結婚して埼玉県だか高槻市だかにお家を買って、そういう人生を辿ってない奴らはみんな馬鹿ですかそうですか。
それで今になって当時を振り返って、あたかも自分たちが唯一正気でいた人間で一番の被害者であるかのように語りだす。
貴方たちはヤンキーが怖かったんじゃないでしょ?ヤンキーや俺らと目線の高さを合わせたくなかっただけだ。
周囲を人の成り損ないと見なして見下してそれが貴方の面子の全てだったから、ヤンキーに向かい合ったり対話するなんて発想がなかっただけだ。
今の時代だと傍観者や観衆もいじめの加害者の一部として見なされるってわかってますか?
当然ですよね、職場で暴力事件があってそれを見て見ぬふりしてたら隠蔽ですよね?じゃあ学校でも同じ理屈が適用されて然るべきでしょ。
立場が下の人間が庇護者ということを盾にして上の人間に行う場合でもパワハラって認められるんですよ。
増田はある教師の弱みにつけこんでハラスメントを行った事件に加担したんだ。それらのこと自体から言い逃れできていいはずはない。
僕だって追い詰められて耐えらなくなって人に迷惑をかけたり、同族嫌悪で自分より酷い扱いを受けている人間を深く傷つけたことがある。
それは自分の資質に起因したものではなくてああいった環境でなければこんなことは起こらなかったし、決して僕だけのせいで起こったことでもないと内心では思ってる。
しかし人を裏切ったり傷つけた事実は確かにある以上贖罪として一生それはわすれてならないしその恥を背負いつづけなければならない。
そこから逃げることはどんだけ御託を並べようが卑怯な振る舞いとして批難されるべきだ。罪から逃げることが容認されれば弱者の居場所なんてなくなってしまう。
増田の様なこんな言い分が同情されまかり通ってしまうことが僕には悔しい。
大して苦役を味わったこともなければ他者への想像力も慈愛もない連中の自己中心的な物言いなんて優先され、弱者が封殺されるようなそんな光景どこでだって僕は見たくないんだ。
僕からすれば群れを成して強者にすり寄り弱者を足蹴にし、命じられた行動を遂行するか与えられた娯楽を共通言語として仲間の選別をすることしか考えていない増田たちのほうが貼るかに動物のようだったよ。
人間の感情とよべるほどに複雑な心の機敏があるのならば、あんなサル山のような統制の取り方なんてできたもんじゃない。
人間なんていつも矛盾を孕んでいるし単純に割り切って行動するなんて無理があるんだ。他者を愛でる気持ちがあるならお前らみたいに損得勘定で人を測ったりしないんだ。
お前ら淡泊すぎて気持ち悪いんだよ。本当に何も考えてないんじゃないかって不安になるわ。
お前らに比べたらヤンキーのほうがまだ人間らしかった。お前らが動物ならヤンキーは原始人かでっかい幼児って感じ。
キャスターリンボ倒させるためだけにまた一つシナリオ作ったのかよ
引き伸ばしばっかしてないでさっさと第2部終わらせろよ
ダルい展開はばっさりカットしたほうが人気出るってのは鬼滅でわかったろ?
クリプター1人ずつ倒していくだけでもダルいのにギリシャを前後編にわけてだらだらやるとか
薄っぺらいイベントと復刻を何度もはさんで前のメインシナリオの内容忘れさせてしまうとかいい加減にしろ
そういう眠たいことしてるから売上が落ちてくるんだよ
豪雷一閃出てくるメンツも頼光とか茨木とかもうこれまでのイベントでも腐るほど出番あったやつらで
しかも頼光は水着だけど直前のイベントのレギュラーだったろ(あ、金時さんお久しぶりです)
もういい加減いろいろ飽きてんだよ。退屈してんだよ。マンネリなんだよ。新鮮味をくれよ
すごろくとか詰将棋とか内政とか探索とかゲーム性のない手間が増えるだけの小手先ギミックでほら新しいでしょうみたいなの求めてないんだよ
Sイシュタルいつ復刻するんだよ
自分は個人開発でいずれはそこそこ稼げるようになればとかちょっと夢見てる田舎のIT土方。
一応運営しているサービスは一定以上のPV数は稼げているもののマネタイズという段階で行き詰まってて、
今後の運営の一助となればと考えてSEO/Webメディア運営のオンライン勉強会というのに先日参加してみた。
講師はWebメディア運営を主とした会社を運営しているらしい30代くらいの経営者。
勉強会は「Webで儲けるなんて難しそうだけどそんなに気張らなくて大丈夫ですよー誰でもできますよー」というような精神論含めた意気込み的な説明から始まった。
講師の割とリテラシ低めな人に向けてるような言い方に自分が参加するにはちょっと易しすぎる趣旨の勉強会だったかなと思った。
『SEOとは』の説明から始まって、メタタグとかCMS=wordpressのテンプレートがウンタラカンタラの説明。
ここはまあ本職の自分は当然全部知ってる情報だから半分聞き流していた。
その次は収益化を考慮したwordpressの運用方法とかメディア構築の具体的なテクニックとかが紹介された
ここは勉強になるかもなーって話を聞いてみたんだが、なんだかなぁ……
講師の話を要約すると、大体↓みたいな感じだ
いや、このテクニックで生み出される記事って本当にただのゴミなんじゃ……
このとき気づいた。この講師はいかがでしたかブログを量産してるだけのただの社会のゴミだった。
勉強会の最後に質疑応答があって、「その方法じゃ低品質な記事が量産されて問題じゃないですか?」とだけ一応質問したんだけど、
「コピペとかやりすぎるとGoogleや広告会社に制裁食らう可能性があるので注意しましょう」みたいに言われて、
ああ、この人達にとっての『品質』とは需要のある情報を徹底的にリサーチして理路整然とまとめた記事だとか、面白い文章だとか、
そういうことじゃなくて『Googleに制裁をくらわない内容』『人間にとってはゴミでも検索エンジンというシステムに評価される内容』のことなんだなぁって。
「あなたが作っているものは何の価値もないゴミであなたは情報社会に害悪しかなさない社会のゴミだけど生きてて恥ずかしくないんですか?」という質問が頭に浮かんだが流石に口には出さなかった。
そんでこの手の人間がこういう講座で似たような人間を集めて互助会作ったり才能ないけど夢だけ大きい馬鹿に情報商材売りつけたりして勢力増やして更にWebにゴミばら撒くわけだ。
はてな界隈だけ見ててもなんとなくは知ってたけど本当にこの手の人達はITエンジニアじゃなくて転売屋とか情報商材屋とかそういうのの仲間なんだなぁって。
Googleはこの講師のような人が量産するゴミコンテンツと良質なコンテンツを機械的に判別する術を未だに持っていなくて、
「良いもの作ろう!」って人より「とにかくゴミを量産しよう!」の人の方が得をしてしまうこの検索エンジン開発における技術的な限界点が
やっぱり自分はこんな小手先のテクニックじゃなくて本当の品質や発想の面白さで勝負しよう、良いもの作ればいつかは誰かわかってくれるかな。
自転車操業が破綻してやばいことになってる人とそれに巻き込まれた被害者の話を見かけて、私もグッズで破産しかけたことがあったので増田に書き捨てることにした。
数年前まで私はガチめのグッズ厨だった。推しのグッズがでる度にはしゃいで買い求める、典型的なグッズ厨だった。
コラボイベントがある度に会社を休んで初日始発に店舗に向かい、推しが出るまでランダムグッズを買い漁り、新商品が出る度にアニメイトに箱で予約しにいき、ついでにおみくじ感覚で陳列されているトレーディング缶バッジなどを買う女だった。
そんな生活を過ごしてたら当たり前だが普通に破綻したので、この記事でグッズ集めるの辞めたいな。とかグッズ買うの止められない。 なんて思ってる人の参考になれば身を滅ぼした甲斐があるので嬉しい。
今でもこのジャンルは好きなのとやめ方が酷いのでジャンルについては敢えて伏せるが、多分読んでく内にあーあそこのジャンルね。と分かってしまうかもしれない。その時はそっと心の中に閉まってくれると嬉しい。
あとグッズを集めている人からしたら信じられないような最低な手段を用いてるのでそれだけを踏まえて読み進めてほしい。
十数年前に流行った作品の周年企画でトレーディンググッズを買ったことだと思う。
それまで缶バッジすら出ないようなジャンルや作品にしかハマったことが無かったので、初めてトレーディングに手を出した。
結果、推しがでた。
と言っても記念グッズなのでこれ以上グッズが出ることもなかったのでこの時点では問題なく終わった。
今まで商業的に成功してなかったり商業化すらされてないインディーズな作品など、いわゆるマイナーな作品にしかハマってなかったのが、ある日当時大人気だった作品のキャラにハマってしまった。
右を見ても左を見ても作品のグッズで溢れかえり、コラボイベントやコラボグッズがどんどん決まっていく。
こんなことは初めてだったので、このビッグウェーブに乗らなければと思い、ナンジャタウンでコラボイベントをやると聞きつけ初日に始発で参加した。
人生で初めて推しの名前があるメニューを頼み推しのブロマイドを貰い、推しのグッズを手に入れた。
さらにアニメイトカフェなるものもやると聞き、急いで会員登録をしてアニメイトカフェに応募した。当選した。
この時点でもうダメだった気がするけど、アニメイトカフェに行った後、さらに他のイベントで限定グッズを売るらしいことを知り、他の店でコラボイベントをやるらしいことも知った。
これらに全て参加し、上限まで購入したランダムグッズ全てに推しが出たりしてる間に、いつのまにか立派なグッズ厨が出来上がっていった。
・レート文化
何が出るかわからないランダム性のグッズをよく買う人はみんな知ってると思うけど、キャラによってレート差がかなりある。
期間限定販売のグッズなどはだいたい上限が決まっており、推しがでなくても追加で購入できない。そうなるとレート差はかなり深刻な問題になってしまう。
自分の推しもだんだんレートが高くなっていったので、交換ではなかなか手に入らなくなってしまった。
ただ上限が6個まででも推しが2個はでるような運を持っていたので、自引きが一番手っ取り早く確実に推しをゲットできる方法だった。
当時はめちゃくちゃラッキーな上に推しに愛されてるじゃんハッピー。などと思っていたけど、結果的に見れば買えば出るという成功体験が積み重なって、よりグッズにのめり込む要因となってしまったと思う。
・痛バ文化
痛バという文化は正直馴染みが無かったのだけど、池袋を歩けば何かしらの痛バをいっぱい見かけるので抵抗感はなかった。
それと公式で行われるイベントで痛バを持っていると反応してくれるケースが何度か起きたのだ。
ここまでされたので勿論作った。持って歩くだけでめちゃくちゃ楽しかった。
あと交換の時に説明が省けて楽だった。
色んな理由で痛バ作りにハマり、そうするとますますグッズが欲しくなる。
・やばいと気づいた辺り
人気作品だったので毎日新しいグッズがアニメイトに並び、毎週何かしらのコラボが発表される、それらのグッズを全部BOXで買っていたので、毎月最低10万円以上は確実にグッズに使っていたと思う。イベントで九州や関西に行ったりもしたのでもっと使ってたかも。怖くて記憶を封印している。
お金持ちだったら良かったが田舎から就職を機に上京してきて日々働いてるだけの人間にそんなに金はない。
なのでこんな生活を長く続けていると、当然目に見えて貯金が減っていく。
お金は減るが、一人暮らしのワンルームの部屋にはグッズが溢れ返り、表紙を飾ったり特集が組まれた雑誌が積み上がっていく。
ある日急に実家に帰る用事ができ貯金を確認したら、旅費分がこの貯金から無くなるのは痛い。と咄嗟に思ってしまった。たいした額ではないのにだ。ここらへんでようやく「もしかして買い物依存症では?」と危機感を抱いた。
しかしそれでも推しのグッズがほしい気持ちが強かったので辞めよう。という気にあんまりならなかった。
今振り返るとだいぶやばい。
・グッズ厨をやめる初めの一歩
推しのグッズはいっぱいあるといっぱい嬉しい!という気持ちはそのままだったが、物欲は無限でもお金は有限だったのでどうにかせねばならなかった。
とりあえずまず買うグッズを絞ろうと考えた。
その頃はらしんばんやkブ等で、情報を取りこぼして買えなかったグッズをこまめにチェックしていたため、アニメイト等の全国の店舗で売ってるトレーディンググッズや、ネット販売をしていたり、何度もコラボする店のグッズは値崩れしやすく定価より安くなりがちなことを学んでいた。まずそこを買うのはやめようと決める。
トレーディングで推しが手に入るか分からなくても、どうせ半年経てば定価以下で店に並ぶ。その時好きなだけ回収したらいい。今はこらえよう。
都内でしかも期間限定のグッズはあんまり再販しないから後々手に入り辛い。
みたいな色んな人の反感を買いまくる取捨選択の仕方で買うグッズや参加するイベントを色々選んでいった。人気作品だからできた酷いやり方だと思う。
その当時は自業自得で破産しかけるのをなんとかするのに必死だったため許してほしい。
・好きな絵柄のみを買う。
後々手に入りにくいグッズだけを買うと決めても、作品が本当に人気があったのでそれでもグッズは買いきれないくらい出てきた。
ひどい時は同じ日に別々の場所で期間限定のコラボが何個も重なっていた。
今までは相互代行などで手に入れていたがそれをやめようと思ったのだ。
なので、自分の中でのピンとくる推しの絵柄だけを買うことに決めたのだ。
グッズは基本的に原作絵のままだったので、推しちゃんどれもこれも可愛い〜!となり全部欲しくなったからだ。
デフォルメ絵のグッズを買うのを辞めるようになったくらいである。
予約商品をBox購入する時にツイッターで枠を譲る文化があることを知ってる人は多いはず。グッズ厨をやる上で利用したことがない人も少ないと思う。
私も勿論利用していた。しかしお金がどんどん消えていく中で未清算の取引がいくつも残っているのはリスクがでかすぎる。
余裕が少しでもあれば間違いなくグッズに使う。と自覚していたのと、いざ取引の時までにお金があるか分からない。という危機感があったので、予定を前倒して支払える取引は即座に支払い、まだ時間がかかりそうな取引分は全て現金に変えて名前を書いた封筒に隔離し、発売されるまでファイルにまとめて本棚に隔離することにした。
相手が取引を無視して飛ぶことよりも自分が注意喚起される立場になりかねなかったからだ。
それとお金がないストレスで先送り癖が復活してきたので郵送での交換や代行もやめた。
自論だけどExcelなどで在庫とお金の管理が出来ない人はお譲り側に回るのは向いていないのでやめた方がいい。私は向いてなかった。
あと郵送交換もトラブルが起こりがちなので心身が健康な状態でないなら控えた方がいいと思う。
単推しだったのと部屋を圧迫する原因にもなるので、購入した推し以外のグッズはその場で手放すことにした。
これはあくまで体感なのだけど、推し以外のグッズを手放したい時は初日が一番手放しやすい。
購入枠の抽選で外れる人も多い。購入枠が当たってもそれまでに売り切れることも多い。
そうなると買いたくても買えない人がでてくる。
そんな状態の中で現地で買った絵柄を定価で譲る募集をかければ比較的すぐに決まるのだ。
ただ購入の時間以外で会場付近でたむろするのは当たり前に迷惑になるので、近所で時間を潰せる場所をあらかじめ調べておいたほうがいい。
・クレカの利用をやめる
頑張れ来月の自分!などと言いながらクレカをばかすか使っていたので使用をやめた。
買い物依存症に陥ると、クレカは魔法のカードになりリボ払いで地獄に直行する。という話をよく聞いていたので出来た判断だった。
心のストッパーが壊れていてもヤバイ仕組みを分かってさえいたら止まれる時もあるので、教育は大事だなと思った。
クレカを封印してもネット決済などでクレカが必要な場合もあるので、代案としてデビットカードを利用することにした。
その場で引き落としなので使いすぎることを防ぐ目的だ。デビットカード専用の口座を作ってそこに5万円だけ入れてその中でやりくりするように心がけた。そしてその範囲で3ヶ月続けてやりくりをできたら5千円単位で予算を減らしていくことにした。
アプリで残金をすぐ確認できるので数字に弱くても管理がやりやすいのも良かった。
私は作品のキャンペーンがきっかけでマルイでエポスカードを作り、そのままグッズ購入用のカードとして使っていたので、万が一使った時は決済額が確定したら即座にマルイのカウンターに行き、現金で利用分を清算することにした。
数字に弱いため、引き落としではどれだけ使ったかピンとこなかったためである。
・推しがでなくなる
それまでずっと何を買っても上限さえ購入したら推しが複数でていたのに、ある時から全く出なくなったのだ。
たまにでても1個。交換はレートの問題でなかなか決まらない。転売はもちろん利用しない。
そうなるともう一度上限まで買うしかないのだが在庫がそこまでもたない。
この辺りで「買った中に私の推しがいる」という快感を求めてグッズを求めていたのでは?ということに思い当たった。
気付いたら何故か気が楽になり飢餓感も薄れていった。
・引越し
上記のことを行っている時に諸事情で都内から隣県に引っ越すことになった。
思うにこれが一番効果があった気がする。
23区内ならどこでコラボをやろうが始発で5時台につくような場所に住んでいたので、物理的に距離が遠くなると現地に行く億劫さがすごかったからだ。
今まで徒歩込みで30分で行けたところが電車で1時間以上かかり交通費も倍以上かかる。
現地についても抽選で外れるかもしれない。
そうすると一気に億劫になったのだ。
けれど一度行かなくなると、どんどん冷静になることができた。
あと今買わなくても過去に手に入れた推しがこんなにある。そう思うとかなり気が楽になった。
・新しい趣味を見つける
しかしグッズを買いまくった後遺症か、お金を使っていない状況に違和感も出始めた。
おそらく依存症の症状の一つだったと思う。
なので気を紛らわすために新しい趣味を作ることにした。
新しい趣味ならやはり推しに関することがいいな。そう思い、絵を書いたり文章を書いたり色々チャレンジをしてみた。
ソシャゲや限定グッズの絵で推しが色んな服を着ていたのをフェルトの生地で再現することにハマったのだ。グッズ厨だったので家に資料はいくらでもあった。
依存症になりやすい人間は依存先が多い方がいいとは思うけど、私は著しくズボラなので趣味すら管理ができなくなるのを考えて数個にしている。
・最後に
私は依存心が強いタイプだったので、手っ取り早く別ののめり込み先を見つける選択肢をとったが、本来ならしかるべき施設に行って適切な治療が必要な症状だったと思う。
一応、もしまた似たようなことに陥った時は病院に行こうと近隣の精神科をピックアップしている。
最初は私がルーズで自制心がないのが全てダメだと思っていたが、自転車操業で破綻した人や、流れてくる色々な注意喚起を見るに、私のような人はかなり多いのではないかと思うようになった。
推しがかわいいことに夢中になると人生踏み外してることに普通に気づかないよね。崖の底に叩きつけられてから気付くよね。
幸い私は後戻りできるギリギリの位置でやめることができたのだが、多分きっかけがなかったら間に合わなかったと思う。
なので書き捨てのつもりで書いたこの記事がグッズ買うの辞めたいと思った人の参考になってくれたり、やばいと気付いてない人がやばいと気付くきっかけになってくれたら普通に嬉しい。
会議の内容が、自分に関係あって、知らない内容なら、起きられる。
関係あっても、知ってる内容なら寝る。
ぜんぜん分からなくて寝る。
ほどほどに知らず、聞いてて理解できる内容なら起きられる。
って状態なら、会議の内容と形式で眠いんだと思うから、興味があるように事前に浅く調べておくか、疑問点を書き出してから参加する。その答えを探しながら聴くなら、眠くなりづらくなると思う
小手先の眠気予防なら、カフェインの入った飲み物を手元に用意して飲みながら聴くとか、お昼明けの会議なら、昼食を軽くするとか。
具体的にその根拠となるシーンがどこかにあるだろうか? いやない。カナメが策略をもって神崎を落とそうとしているのなら、「言い方考えよ?」というミノリ(音楽担当)との会話で「あれは作戦ですよ」ぐらいの話があってしかるべきである
ミノリが「ちゃんと作曲の勉強しようかな」というシーンをよく読んでみろよ
「ミノリさんにはいい刺激になったが、神崎さん本人はどうなるかな」って書いてあるだろ
「神崎が出してくる”絵”はどうかな」じゃなくて「”本人は”どうなるかな」と言ってるんだよ
カナメは神崎のことを「絵は抜群に上手いがプロの絵描きとしては未熟」と考えていて、一皮剥けることを期待しているんだよ
(その先の「プライドを擽りつつ報酬をチラつかせて仲間に引き入れる」という展開への期待でもある)
上記の「どうなるかな」というセリフは、その為の「刺激」をこれから与えるぞ、ということを暗示したセリフじゃないのか
このセリフに対し、ミノリは「え?」と反応していることから、ミノリはカナメの意図を読み切れていないということが窺える
作中の人間であるミノリはカナメの意図を掴めなくてもよいが、読者である我々はカナメの方が他のキャラより一段高い
視点でモノを見ていることに気付かなければいけない
ただ単に「裏表のないキャラ」という程度の解釈ではこの意味深なコマの説明がつかない
カナメはミノリは褒めて伸びるタイプ、神崎は叩かれて伸びるタイプだということを察した上で振る舞っているように見えないか?
「”ふつう”なんて言葉言われ慣れてなさそう」と言うセリフも、その言葉がプライドを刺激するのに効果的だと自覚していることを表している
ラストの「自信作が出来たから約束の時間より早く来た」という行動も、性格と行動パターンを熟知しているから瞬時に理解できている
カナメは神崎は連れてくる時点でミノリに対する触発効果も予期しているように思う
ミノリが神崎の作品を見てやる気を出している時も、「予定通り」と言った表情である
実際すべてが思惑通りに事が進んでいるからケロッとしていられる(ただミノリに諫められたとき「慎重ですよ」と言ったのも恐らく本心である)
カナメは作曲能力においてはミノリの方が、作画については神崎が上だと端から認めている
個人に出来ることは限界があるというリアリズムに立脚した上で各々の才能をより引き出すよう、ひいては優れたゲームが製作できるようことを進めている
「肉奢ってくれよ肉」というセリフ
自分の懐具合に関わらず羽振りの良さそうな奴に奢れ奢れ言ってくる安っぽい奴はいる
この男はそういう「安っぽさ」の象徴である(背景の通りすがりのキャラもこの男に眉を顰めているだろう)
神崎が提出したものを「さすが美大生ですねー」と一発OKを出したら、この男のように才能にかまけて小手先でナメた作品を作るような人間になってしまうかもしれない
こういうのざっと見ていて思うし、俺も珍獣ウォッチングをしていて思うけど
願望だけは一人前にあるが、他は大人になれるほどは発達していない感じがある
もう社会人として働いて常識身につけなきゃ行けない時期に、まだ女子高生や創作の美少女のような気分や願望を異性に向けようとして、求める
ITエンジニアだとか若い内だからで使われてる根本的に枯れていく才能だけで仕事をして、本質的に努力ができないからアピールは、すべてお手軽なものばかりだ
普通の女性は男性がいろんな場所のデートコースを確保してホテルとか予約し、車で連れて行ったりするのに抵抗なく合わせるのに対して、非モテの女性は全てを池袋腐女子ロードとか秋葉原の一角で済ませてしまうのもよく見かける
行動半径が中学生レベルなんだけど、財力のアピールはどうだろうか?
行動範囲が狭くて好みの幅が極端に狭いから稼いでる割には異常にケチである(ように見える)ことが多い
そんな彼女たちがすることといえば、ネットフェミナチになってポリコレ棒振り回して、悪目立ちでも異性の気を引いたり、ワンチャンかけて社会風潮を変えようと奇行のような暴走を繰り返す、要は全てが努力なしで出来る、小手先のことばかり
女性らしさや、自分たちが出せる物でアピールできない非モテ女性は、今度は性格の良さをアピールしようとするが、それも致命的な世間ズレを起こして常識がないので気持ちの悪いことしかできない
そのくせ創作のアニメやゲームのような純愛や青春恋愛に憧れて突撃しては枕を並べて討ち死にを繰り返す、そしてフェミに狂ってポリコレ棒を振り回すフェミナチ怪人になってますます異形化していく
男とか特に言われるけど、女性にも当て嵌まることだが気持ち悪い人は対人感覚がおかしいので、恐怖を感じることも引かれる理由だと思う
私はメカ系?に分類される職場なのでいわゆる「理屈っぽい話」をする機会も多い。
マーケティングやプロモーションとか他のジャンルでも会話の構成は共通だとは思う。
(より広く言えば社会問題に対する世間話とかも同じ。原発とか表現規制とかでも噛み合わない事例の何割かはこのパターンな気がしている。)
→3.提案内容について、その数値を何らかの計算式で求めると目標を満たしています。
→4.同意、納得して下さい。(決裁者なら)GO出してください。
的な奴。
私の中の理論武装的なテクニックって主に3(場合によっては2の一部まで)に意思を入れて改変することだと思ってる。
ただ、世の中には会話中に1をコロコロ変える人が結構いるのだと最近気づいた。
(※理屈が全くないところに理屈を付加するのが理論武装で改変を含めるのは定義の拡張な気もするが、拡張したらその2つは同義として扱えそうなので以降はそのニュアンスで感じて欲しい。)
前者の私の定義の例だと
現実では「いつもと違う手法ですけど、この計算なら強度を満たしています」とか
「この理論で計算するとこれだけの広告効果が見込まれます」みたいに
小手先で"頑張る"こともあると思う。それについては全く気にならない。
それは上に書いた流れのスタートである1の内容に影響がないからだと思う。
後者を例えるなら、
儲かる新事業を考えてる場で「これ絶対儲かります」→「いや大損じゃね?」って流れになってから
「この事業は会社的には大損ですが、社会のためにやるべき内容です」なんて急に言い出したら
ドラマ等だとまだカッコいいかもしれないけれど、現実だと単に発言が矛盾してる&提案の場所を間違えている人になってしまう。
「何を目的と捉えているか」なので、要は最初から解釈不一致と言えばそれまでなのだが、
流石にそこは共通認識が欲しいし、(理屈っぽい話をしているなら)明示すべき要素だと思う。
もう少し例えるなら、
鬼ごっこをしているときに「バリアー」とか言い出すタイプ。これだと思う。
即興性で遊びたいなら最初からTRPG的なルールで遊べば良い。(もちろん、そういう雰囲気の時もある。)
いずれにしろ「校庭や公園でみんなで遊びたい」が根本のはずで、
一人だけ「他者に勝ちたい」駆動の人が混ざってるとやっぱり噛み合わない。
こちらが根本だと思ってる第一条件を二転三転させながら「ロジックを提示しているのだから論理的に話している」という態度を崩さない人は非常に扱いにくい。
こちらからしたら支離滅裂でしかないので当然同意出来ないのだが、
「この理屈のどこがおかしいんだ?」「〇〇さんはこの提案で大丈夫と言うのに反対なの?敵なの?」みたいに硬直化する人がいて、そのときは本当に参った。
誰が言っていることが正しいかは難しい問題なので、一概には言えない。当然私が変な事言ってることも多いとは思う。
でも、結論ありきの人が順当な論理的思考を装うのだけは受け入れられないなぁ。
(こいつ絶対悪い奴だ。絶対に犯罪してる)→「〇〇に違反しているので客観的に見てこの人は悪い奴です」
目処は立った。
こういうのには慣れている。
シマウマ先生の授業において、課題レポートの評価は成績の5割を占めるからだ。
補習を避けるための小手先(ノウハウ)は、望むと望まざるに拘わらず鍛えられる。
「さて、まずは条件Aから始めるか」
ここでBマイナスは手堅く取れる、レポートの作り方を説明しよう。
まずはテーマを決める。
いわば俺はそのテーマ探しから漠然としていたので苦戦していた。
ここをハッキリさせておけば、そのための資料集めや、最終的なゴール地点も自ずと見えてくるだろう。
例えばシマウマ先生は、現代社会にも根付く普遍的な問題提起が好物だ。
後は関係のありそうな歴史的背景を添え、科学的根拠で味付けすればいい。
そのゴマすりこそが、ウマ目のホミノイドを満足させるのに欠かせないウマ味調味料なんだ。
それでも建前上は科学や社会のためっていうお題目があるから書けるけれど、今回はそうもいかない。
より繊細で、より大雑把な作り方が要求される。
「いや、この寝起きの低血圧は条件Aではなく、どちらかというと条件aだな。だから、これは、ここと……」
パズルを組み立てるのに大事なのは、ピースの形を把握することだ。
記憶の断片を探り、それらの何が、何と関係があり、どのように繋がるか。
「あの日は何時ごろだっけ、確か……レバノン料理を食ったよな。いや、レバー料理だったけ。あと飲み物は何だったっか……」
集めた情報を憶測に基づいて取捨選択し、打ち立てた仮説を状況証拠で裏付ける。
そして実際に起きたことと結びつければ、その原因には可能性が広がっているんだ。
だが、この超個人的な答え合わせに、権威ある体系やエビデンスは必須ではない。
この法則を利用して、テレビのチャンネルと音量を10に合わせる人間は俺しかいないのだから。
こうしてパズルを組み立てること30分。
出来上がったレポートを、しみじみと眺める。
何気なく利用している公式や理論も、見た目に反して試行錯誤の末に生まれたのかもしれない。
だが達成感に浸るのは、もう少し先だ。
それには実証が不可欠だ。
俺はカレンダーをめくり、来月の日付にデカデカと星形の印をつけた。
Wikipediaによれば、行政改革が叫ばれ始めたのは1980年代の中曽根行革以降のことだそうだが、最も記憶に新しいのは、小泉内閣の「聖域なき構造改革」だろう。行政改革は「行政組織の効率化と経費削減」が目的とされ、もちろんそれ自体は真っ当なお題目だ。だが、それに名を借りた利益誘導の実態も、この十年二十年で明らかになってきた。
最も分かりやすい例は、労働者派遣法の規制緩和だろう。この「改革」で最も利益を得たのが人材派遣業界であることは論を待たないが、その改革の主唱者が人材派遣会社グループの会長職に収まりながら、未だに政治に対して大きな影響力を保っていることを、我々はどう考えればいいのだろう?
いわゆる加計学園問題も、加計学園への私的な利益誘導とみなされかねない政策が「国家戦略特区諮問会議による規制改革」という建て付けで正当化され、擁護されていたことは記憶に新しい。最近、再び話題になっている大阪維新の会による「大阪都」構想も、行政のスリム化の名の下に「市」の利権を取り上げたいという欲望が見え隠れする。
河野太郎の「行政改革目安箱(縦割り100番)」が物議をかもしているが、彼自身のこれまでのネット上での「目安箱活動」の実績を考えれば、本心から「縦割り行政の弊害をなくす」と意気込んでいるであろうことは疑いない。だが、晴れて担当大臣になった以上は、細かい非効率を拾い集めて潰していくという「一議員でもできる程度の」活動に終始するのは感心しない。
「行革」が単なる利権の付け替えに堕し、社会の強靭さを(コロナ対応で明らかになったように)損なう結果となったのは、長期的な展望を持たず、目についた些末な非効率を取り上げてつつき回すという我々日本国民や政治家の態度に原因があり、それは結局、自分の権益を拡大したい人間の隠れ蓑として都合の良いものでしかない。そして、菅政権が就任にあたって唐突に(本当に唐突に)「行政改革」を唱え始めたのは、特にこの路線の弊害を反省もせず、むしろ積極的に継続しようとしているからだろう。僕は、河野さんの真っすぐな所は何だかんだで評価しているのだが、河野さん自身はそれでいいのだろうか?
河野行革相は、平井デジタル相と密に連携して、もっと未来の日本の行政組織のあるべき姿についてグランドデザインを描くような仕事をした方がいいのではないかと思う。それなしに小手先の改革に終始すれば、その行革は間違いなく「裏舞台の住人達」の喰い物にされて終わるだろう。
同世代の友人たちと酒を飲みながら話していると、仕事の悩みや家庭の愚痴に次いで「今までどんな漫画を読んできたか」という話題が出ることがままある。
コロコロコミックやボンボン、週刊少年ジャンプ・マガジン・サンデー、月刊誌の漫画や小学校から大学くらいまでに話題になった漫画やアニメなどの作品について長く語られることになるのだが、その時に出てくる「三国志」や「ジョジョの奇妙な冒険」「機動戦士ガンダム」という、いわゆる「漫画が好きなアラフォー男性なら通るべきであろう王道作品」を何一つ知らず語れず、曖昧な相槌と時折発する「あー」という賛同とも意見の表明とも取れない謎の発語をする程度で、とにかくその場に居づらくなる。
そんな時にトイレから帰ってきた友人は、個室の入り口付近で立ち尽くしポーズを取っている。
それに気づいた他の友人たちは「ジョジョの◯◯じゃん!」と大いに盛り上がる。そんな中、俺だけにはジョジョのなんとかではなく、ナルシシズムの度合いが病的になった吉川晃司や氷室京介にしか見えず、またしても「あー」という謎の音を絞り出す。
自衛官だった厳格すぎる父と、昭和という時代にいくらでもいた夫を立てる母のもと、道を外さず法を犯さず、真面目に暮らし育っていた。漫画もそれなりに読み、テレビだって見ていた。おそらくアラフォー男性が通るその手の道を辿ってきているはずではあるが、基礎的知識が圧倒的に希薄で、もしかすると記憶力が人並みはずれて低いのか、物語を理解する能力に著しい障害があるのかと不安になってしまう。
とはいえ、三十路あたりまでは少年期に触れた作品のあらましを諳んじて見せるほどだった。しかし、四十路が近づくほどその記憶は一つずつおぼろげになり、思い出す糸口さえ判然としない状態になっている。先日は娘と話している中で「逃げ水」という言葉を思い出すまでに5分程度の時間を要した上に、googleで答え合わせをしないと不安なほどだった。
もしも同じような経験をして肩身が狭い思いをしているなら、きっとそれはずっと続く。
年月を重ねいつか記憶の輪郭がぼやけて、時にほぼ消失しかけても、王道作品を語る周りの友人たちも「あー、あれだよ。なんだっけなー!あれ!」という老化現象真っ盛りな言葉をひねり出しながらも、その思い出す過程すら楽しむに違いないだろう。
さらにインターネットやモバイル端末が発達したおかげで、記憶を呼び覚ます力とは反比例して、検索結果でさらに盛り上がるのだと思う。
「覚えている力」と「思い出す力」は「小手先の調べる力」にひれ伏し、今夜もどこかでアラフォーたちは三国志やジョジョ、ガンダムの話題に盛り上がる。
小学生のころ、子供会かなにかの行事で、近所にある通称「400年窯」っていう場所(地元は陶芸が盛んで窯がたくさんあった)で祭りみたいなのがあったんだよ
冬場で、けっこう人が集まってんだけど、これと言ってスペクタクルはなく、なんとなくウロウロしつつ遠くから聞こえるマイク越しの声を聞く、そんな感じのゆるい祭り
で、なんか分かんねえけどぜんざい配ってたんだよな ポリ容器に入った小さめのポーションでさ
俺は当時わりとアンコ嫌いで、受け取ったときはウゲッとすら思ったんだけど、寒い中口をつけてみるとバツグンにうまかったんだよな
あったかいし甘さが染みるしモチの食感は快いし、会場の片隅に立って田舎には珍しい人混みを見つつぜんざいを啜るのは本当に良い体験だった
たぶんぜんざいそのものが特に良いものだったってことはなく、ふつう程度だったとは思うんだけど、それにしてもうまかった
ありゃ何だったんだろうなあ 祭りが大事なのか野外であることが大事なのか
どっちもかなあ それとも子供時代特有の何かが作用してたのかな