はてなキーワード: 小手先とは
我が内なるフロイト先生は言っている。男は誰しもモテたいのだ。思春期になれば流行りの歌の歌詞ような恋愛がしたい。あわよくばお金持ちになって女の子にチヤホヤされたい。マンガやアニメに出てくる主人公はみんなかわいい女の子にチヤホヤされているし、欠点はあってもありのままの主人公のことを愛してくれる。そんな夢みたいなことは無理かもしれないけれど、僕だって真面目に頑張っていれば、いつかそこそこ稼げるようになって、そこそこの女の子と人並みに恋愛をして、結婚できるに違いない。僕の父親だってうだつのあがらない人間だけど、結婚してそれなりの幸せを享受しているのだから。
だがその願望は叶えられない。世の中は不況でお金持ちにはなれないし、誰もキモくてお金がない僕をチヤホヤなんてしてくれない。当たり前だ。女の子だって人間なのだ。ダメなやつよりかっこいい男のほうが好きだ。彼女たちはダメな君をチヤホヤするために生まれてきたんじゃない。彼女たちには彼女たちの人生があるのだ。もし女の子がチヤホヤしてくれたとしたら、それはほぼ確実に彼女の打算があってのことだ。当たり前だ。
大人になるっていうのは、本来そういう当たり前のことに気がつくことだ。世の中の女性は君のママじゃない。人生の頑張りに対して与えられるご褒美でもない。恋愛っていうのはお互いが自立した人間として、相手のことを尊敬して認めあうことだ。女性だって君みたいなのではなく、カッコよくて甲斐性があって優しい男の方を選びたいに決まっているのだ。
女もまた人間だ。世のフェミニストが口を酸っぱくして言い続けているのは、ただそれだけのことだ。言われてみれば当たり前のことだ。けれども、人並みに恋愛がしたかったふつうのさえない男がこれを認めるのは耐え難いほどの痛みをともなう。それは子どもの頃には当たり前に訪れると思っていたささやかな夢、人並みに頑張っていれば誰でも叶えられると思っていた、ありふれた夢が崩れ去ることを意味するからだ。
そんな君の心を見透かすように、twitterでは悪魔が囁いている。悪魔は言う。お前がモテないのはお前が悪いんじゃない。悪いのは世の中だ。頑張っても頑張っても金持ちになれない世の中だ。悪いのは女だ。とくにあのフェミニストとかいう性格の悪い女たちだ。お前がモテないのはたまたま時代が悪くて金がないからなのに、あいつらはお前みたいな金がなくてモテない男のことをバカにして楽しんでいる。あいつらの言うことなんかに耳を貸さなくていい。あいつらは俺たちが生まれた時代のせいでどれだけ惨めな思いをしているか、まるで知らないのだ。
経済音痴なリベラルや男を攻撃するしか能のないフェミニストとは違って、不景気な日本社会を誰より憂う悪魔は知的ですらある。心の弱い君は悪魔の誘惑に負けてしまう。実際にはチヤホヤしてくれる女の子の代わりに、悪魔がダメな君を甘やかしているだけだ。だけど、君には悪魔の言葉が真実を語っているように聞こえてしまう。実際社会は貧乏だ。フェミニストは男が社会で優遇されていると言うけれど、僕たち男だって貧乏な社会の被害者だ。悪魔の周りには、この僕の被害者意識に共感してくれる仲間がいっぱいいる。彼らと一緒にフェミニストを揶揄していると、まるで昔からの友達とイタズラばっかりしていた子供の頃に戻ったようで、正直他の誰と過ごすよりも居心地が良い。
でも、もちろん悪いのはフェミニストじゃない。悪いのはそうやって身勝手な弱さを他人のせいにして、無関係なーそれも君と同じように社会に傷付けられているー女性を攻撃して傷つけ、憂さ晴らしをしている君だ。頑張っていれば向こうからやってきてチヤホヤしてくれる都合のいい女性なんて、景気が良かろうと悪かろうと初めからアニメやアイドルや流行りの歌の中にしかいやしない。
大人になるというのは、子どもの頃の夢が叶わぬ幻想であることを受け止めて、悪魔と手を結ぶことなく、目の前の人間と対等な関係を築いていくということだ。子どもは男を男として、女を女として見ていて、異性を自分と同じ存在としては見ていない。その意識を変えるのは本当に大変なことだ。小手先の「改革」では変えられないとはどこかで聞いた言葉だが、少しずつ学んでいくほかはないだろう。
国家公務員(自称(自称「国家公務員になるのが一番自分を高値で売る手段になるレベルのクズ」))
A.超絶クソ(断言)
今年から満額(上限あり)出るようになりました(?)
端的には「偉大なる大蔵省様のご厚意によって、必要経費がキッチリピッタリ過不足なく出るようになったので毎日大蔵省の方へ祈祷しなさい。それと面倒くせえ証拠書類を出しなさい」って感じ
対象外経費が完璧に省かれた上で完璧に同じ内容の見積もりを3社分用意
まあ実際、慣れてると簡単なのかも知れない。
ようは「荷造り手伝い・日取り調整・エアコンのガスチャージ料金・趣味的な物品・車・バイク・自転車……etcに関わる料金を完璧に省いた状態で、ダンボールや小物の数までピッチリ同じな見積もりを3社分用意しろ。会社ごとの微妙なフォーマットの違いは対外折衝力で解決しろ」ってだけなので。
まあこの程度理想の公務員様なラクショーですわな。俺はマジ無理で何回も会社に出し直してもらったけど。
予算が年度区切りで付いてるからそれの「ゼロ調的なの(おっと的なのだぜ?的なの?ガチのゼロ調なんてしてないからな)」をやるのがすっげーダルイんだよ。
しかも部署の半分ぐらいがガラガラポンで入れ替わるわけだから、引き継ぎ資料は作らんといかんわけで。
その上公務員なんてのは専門性があるようでないようでやっぱない癖に仕事自体はゴミみてーな俺ルールがメテオフォールしたものが積み上がってるからさあ、一言で言えば「前にいた部署の知識は役に立たねえ」わけだよ。
こうなるとかなりミッチミチで申し継がないと複雑な解体作業がいる時限爆弾が起爆して、歴代の責任者が全員まとめて処分されるから大変なわけ。
とにかく早くとも3/30には出て遅くとも4/2には次の職場で働き出さなきゃいけないわけだから、必死に引っ越しはするんだよ。
残業続きで土日も出てきてるけど、引っ越しはしないわけにはいかないからね。
「でも官舎とかあるんだから楽ちんだろ?」って思うかも知れないけど、官舎なんていまどきドンドンなくなってるから自分で民間探しだよ。
官舎にたとえ入れても「お前の部屋が決まったぞ」と電話が来るのは3月28日とかだから、そこから超絶急いで調節するか、前もってあちこちに「なんかこの辺らしいんすよね。この辺。詳細はギリギリで教えます」って伝えるしかねえのよ。
繁忙期だから引っ越しの見積もりだって1月ぐらいには取るけど、その頃って「おい。ほぼ決まりだけど、ほぼだからな」って念を押されて、実際3月中旬ぐらいに「結婚したから地元出たくないって愚図った奴がいるからお前転勤先変更」っていきなり言われるからな。
確実に狙うなら3月最終週。
その本当の年度末ギリギリのチキンレースで即日入居可の物件を抑えて、ギリギリまでヤキモキさせた業者に「あっ、頼むかどうか保留してた件。ガチになったすーヨロピコー」と電話するわけだよ。
年度末の超絶引っ越しシーズンのただでさえ皆忙しい時期にいろんな業者の皆さんに色々無理を言って公務員は引っ越してるのだよ。
ここなんだよ!
俺たちも皆そう思ってたし、そこを問題にして「この時期に引っ越しすると高いんだよな~~(だからズラしてよ~~チラッチラッ」ってしてたんだけど、それを大蔵省のアホ共が意地はって「分かりました。満額(上限あり)きっちり出しましょう」とか抜かしてただでさえ面倒くさい引っ越し手続きをさらに面倒にしてくれたわけよ。
いやそうじゃねえだろ時期ズらせよ夏とかによおって話なんだが、まあ頭の固い奴らってのはであればならぬ理論に固執して小手先だけちょっと動かしてどうにか出来ねえかしか考えてねえからこういうアホみたいな改悪ばっかするんだよな
されてないと思うんだ。
昔はまあ一律で雑に丼勘定ではあったから、マジメに引っ越すと足が出るぐらいだったのを白物家電全部売って書い直してどうにかトントンにするような裏技で皆乗り切ってた。
でも今回のシステムでそれをやると損するから皆律儀に洗濯機や冷蔵庫やベッドやらを全部引っ越し業者に運ばさせて、それが普通に出るから結局公僕を引越すためにかかる税金は増えると思われるんだよな。
で、それで誰が得してるのかって言うと……「俺様のおかげでお前ら引っ越し代で赤字でなくてよかったろ(ドヤァ」してる奴がドヤァ出来ることぐらいだわな。
ぶっちゃけ誤魔化しが効かなくなったせいでバイクとか大事にしてる人とかは、前は頑張って工夫してトントン目指せてたかもだが今回以降は絶対に損するようになった訳だから、まず公僕が得してるって面は薄いんだ。
残業代1秒分も出ないのにくっそだるい調整事項は増えてるってのもクソだわ(この忙しい時期にだぜ?まじで大蔵省総辞職ビーム撃たれねえかなシンエヴァあたりにぶっちゃけ個人的に一番死滅してほしいのは強制労働省)
は?アホか?
はいそのとおり。
常識だよね。
じゃあなんでお前はそんな所で働いてるのかって言うと、俺の経歴やコミュ力がゴミクズで勉強も運動もできないしちょっと精神科の通院歴とかもあって普通の企業に売りつけようにもいっそもうちょい狂って障害者手帳でも貰うしかない訳だがそれをしても障害者枠にも俺より優秀な奴はミッチリ詰まってたから俺が就活する時に俺を少しでも高く売りつつ「キチガイ!クビ!」ってならない可能性を追求したらこの選択肢が最適解に見えたから……だよ……クソが……生まれてこなきゃよかったぜマジでよぉ……
公僕なんてのは俺みたいな正真正銘人生詰んだやつだけがやってりゃいいドブさらいの仕事なんだから、将来があるやつは気が2,3回狂った程度じゃこんな所を目指すんじゃねえぞってことだよ。
チンケだけど神経質極まってヒステリックでなまじ公僕の看板背負ってる分「俺、パワハラしていんだよね?」って勘違いしたアホでミチミチの職場に40年とか勤めたいか?
公僕になるってのはそういうことだぜ?
刑務所って3食出るじゃん!最高じゃん!で死ぬまで刑務所に居続けてショーシャンクの空にの爺ちゃんになりたいか?
そういう所だぞ。
終わり。
https://anond.hatelabo.jp/20210318185716
最初に言っておくと、“擁護”という言葉、muchonovさんこそが批判されているというフェイズにおいてその様に用いられる“擁護”という言葉は、ただの批判回避でしかありません。『「xx批判」に対する批判』を「xx擁護」という事にしておくと、あくまで批判されてるのはxxだけという事に出来て、「xx批判」こそが批判されてる事実を誤魔化せる、そういう小手先のテクニックです。これはその意図の有無に関わらず、です。
自分は、著作物に対する著作者の諸権利には二次利用者の表現の自由に優越する要素が確実にあると思う。だから、著作権を持つコンテンツホルダーに対して二次利用者が配慮を示すこと自体は、何らおかしなことじゃない。「コンテンツに対する権利を持ってる人達がガチで怒ったらどうなるかわからないから、謙抑的にやりましょう」というのは二次利用者としてごく常識的な判断だし、自分だって似た状況が発生したらフツーに相手の「お願い」に従うし、何ならゴロニャンする。日頃「表現の自由」について何か勇ましい物言いをしてたとして、その忖度や阿りとのギャップを誰かに笑われても構わない。「それとこれとは別です」でおしまい。
いやいや、意味わかんないですよ、これ。
だって「発端」のブコメ(https://b.hatena.ne.jp/entry/4699940658477561058/comment/muchonov)は
「好意の多寡」云々と強弁してるけど、勇壮な表現の自由戦士たちが権利者の意向には簡単にゴロニャンするという構図は変わらない。自分たちからオモチャを取り上げる権利を持つ相手に屈服してるだけ
ですよね。
それに対してこちらが、それは“事実上の『私は「表現の自由」について全く理解していません』宣言”だよねと指摘して、そこにmuchonovさんから返ってきたブコメ(https://b.hatena.ne.jp/entry/4699974732078626146/comment/muchonov)が
そうかなあ? 自分は著作物に対する著作者の諸権利は二次利用者の表現の自由に優越すると考える一方で、元増田は「グロく描こうが殺そうが馬刺しにして食おうがなんでもあり」だと言ってるんですけど。
この時点で、もうだいぶ「????」なんですが、これについてこちらが『“著作物に対する著作者の諸権利は二次利用者の表現の自由に優越すると考える”様なmuchonovさんが“コンテンツホルダーの意向には簡単にゴロニャン”とか言っちゃうの、さすがに意味不明すぎでは。』と指摘して、それに対する応答が上の増田なわけですよね?(こちらへの応答だけのつもりではないにせよ)
日頃「表現の自由」について何か勇ましい物言いをしてたとして、その忖度や阿りとのギャップを誰かに笑われても構わない。「それとこれとは別です」でおしまい。
とか仰ってますけど、笑ったの、他ならぬmuchonovさん自身ですよね。その“笑われても構わない”って、それ「笑う側のmuchonovさん」からしたらつまりは「“表現の自由戦士”たちは、おとなしく我々に笑われてろ」の意味なわけですよね?うん、やばいですね☆
って、muchonovさんの中では、「著作権」と「表現の自由」が、かめはめ波の撃ち合いか何かみたいになっていて、「著作権」の方が勝ってる…という様なイメージなのでしょうか?
もう何度も述べてきている事ですが
「表現の自由」で最も重要なのは『価値観の自由競争(市場)』。『公権力からの自由』はあくまでその手段の一つ(もちろん重要だが)。『表現の自由度』はその結果。
です。
これは、『絶対に「正しい」とされる、そんな「思想」は存在しない。だからこそ、「思想」の媒体たる「表現」は常に「自由競争」の下にあらねばならない。』事こそが、「表現の自由」の根幹である、という話です。
また、「市場」の中で自身の「効用」を最大化する事は、個々の主体が持つ権利であるべきだから、という考えに基づくものでもあります。
ですから、もしこれを否定しようとするならば、『全人類が、それぞれの権利を放棄してでもコミットすべき、絶対に「正しい」とされる「思想」が存在する』と主張し、証明しなければなりません。完全に狂気であり、全知全能の神の召喚でも試みた方が早いレベルだと思います。
つまるところ、その根幹が「自由市場」である以上、各々の「私的所有(財産)」を認める事は「表現の自由」に織り込み済みだと考えるべきです。「表現の自由」vs「著作権」、どちらの方が“優越する”か(アクセルとブレーキ、どちらの方が強いか)みたいな話とは違います。
ですから、“日頃「表現の自由」について何か勇ましい物言いをしてたとして”も、「私的所有」を認める事に“ギャップ”はありませんし、もちろん笑われる理由も存在しません。
これはmuchonovさんに限った話ではないと思いますが、恐らく『「権利がある」というのは、「その“権利”を行使した時に不評を買わない権利がある」の意味ではない』という事を理解されていないか、もしくは失念されています。
他の言い方をすれば、『「ルール」に従うか/逆らうか』と『「ルール」を肯定するか/否定するか』は、それぞれ別の事柄だという話でもあります。
(一応言っておくと、個人的には例の“お願い”について、曖昧であり「忖度学級会」を誘発するものだとして、2018年6月時点で批判的にコメントしています。)
また、「私的所有」を認めるという事は、その是非(その「大きさ」の妥当性や、そもそもの有無等)を問わないという意味ではありません。それは「表現の自由」とは別個の問題として論じる事ですし、今回の流れで言えば、もう少し著作権に関する是非は、議論の俎上に載ってもよいだろうと考えます(個人的には著作権はもっと「小さく」していくべきだと考えていますし、むしろ逆に「大きく」なる傾向のある現状については危惧しています)。
実際、話題になった「馬名のパブリシティ権」の話は、その辺りが問われた件だとも言えるかもしれません。もちろん逆に、「せやかて、やっぱ馬名については馬主が優先的ステークホルダーであるべきやろ」と主張するのも、それはそれで一つの考えでしょう。
どうであるかと、どうあるべきかは、やはりそれも別の事柄なのですから。
muchonovさんは二者の関係を「権利者と利用者の力関係」と述べており、もちろん嘘ではないのですが、それ以前にまず「供給主体と需要主体」の関係である事を忘れてはなりません。
コンテンツの二次利用は権利者のお目こぼしのもとで成り立ってるグレーゾーンで、『お願い』を無視し続ければより厳しい使用規制が課せられたり、コンテンツ自体が供給されなくなっちゃう危険があるから、みんなそれを避けるために『お願い』を遵守してる。
供給側としては、コンテンツに対する需要がなくなってしまう事こそが最も恐れる事態の一つであり、つまり(馬主のご機嫌よりもよほど)需要側のご機嫌こそを気にしなければならないわけです。趣味で製作しているアートか何かではないのですから。
恐らくは、だからこそ曖昧な“お願い”なのであり、また2018年6月20日なのでしょう(せめてアニメ放映中には冷や水を浴びせたくない、夏コミが控えてる、ゲームはしばらくリリースできそうにない…というタイミング)。
そしてもし、muchonovさんが記した様な「逆転現象」が起こるのだとしたら、それこそが「惚れた弱み」であり、正に元増田が述べていた状態そのものなのです。
「お客様は神様」と「殿様商売」との間で揺れ動く、その実に「自由市場」的な動きの中で「表現」の在り方も変動するというのは、むしろとても「表現の自由」的である、とすら言えるでしょう(元増田に、そこまでの考えがあったとは思わないし、個人的にはやはり「忖度学級会」には否定的だが)。
にもかかわらず、それを“バカみたいじゃん。”と切って捨てるmuchonovさんの発言のほうが、よっぽど“バカみたい”なのではないでしょうか。
HanPanna 価値観の自由競争というのはrag_enさんの造語なので、法学だと思わないように(もし学説があれば教えて下さい)"思想の自由市場"について知りたいならコチラのブログのが良いです。https://arecolle.hatenablog.com/entry/2021/03/06/124923
“法学”ってどこから出てきたん?というか、『公権力からの自由』はあくまでその手段の一つでしかないよ(大切だけどね)って話、してありますよね?ちゃんと読んでます?
なんか理解されてないようですけど、その箇所への反論は「ちゃんとできるようにしてある」んですよ。つまり『全人類が、それぞれの権利を放棄してでもコミットすべき、絶対に「正しい」とされる「思想」が存在する』と主張し、証明してみせればいいだけなんです。はい、頑張ってください。
まぁ、HanPannaさんが同じ話題でやらかすの、これで3回目ですし、間違った事でも言い続ければ押し通せるみたいなの、完全にオカルトなんで勘弁してください(HanPannaさんに許可を頂ければ、過去のやりとりも晒しますよ)。
あとリンク先、よりにもよってU.G.R.R.の人かよ…ギャグで言ってるのか?ってのが正直な感想ですけど、ぶっちゃけ謎の(マジで謎の)出禁を食らってるので(とはいえ、さすがに閲覧不可は無視するが)言及は避けておきます。やさしみ。
Silica ところでこの"価値観の自由競争"の中では寛容のパラドックスはどうなるんだろう、この人の言う"SJ"的な価値観がその競争に勝利したらどうなるの?
髪を短く切りたいのだけど、たぶんそうすると客からの加害が絶え間なくなるだろうなと思い、我慢して長髪のままでいる。
時々、Aさんが「女は客から怒鳴られなくて羨ましい」というのだけど、私は「その『女』とは型でしかないから、そこから外れれば性別女でも容赦なくやられますよ。むしろ男よりも力がないぶん徹底的にやられますね」と答える。
コンビニの制服は男女の区別がないので、体型がグラマラスでないのならば髪型やメイクで「女」だとそこそこ主張出来なければ、若い男の子バイト以上に酷い目に遭わされる。
でもまあ、「おばさん」になっちまえば小手先の主張など通じず、よほどのことがなければ客にとっては「おいそこのクソババア」と呼んで平気な存在となるので、髪型とかどうでもいいのかもしれないけれども。私も「そこのクソババア」まであと半歩くらいだろう。
全然役立った気がしないぞ
確かセンター古文満点だったし、漢文も1ミスくらいだったから、少なくとも「古典が大の苦手」ってことはない あんなんカンで結構読めるしな
俺の「活きた」のハードルはかなり低い
ナショナルジオグラフィックとか見てて、森の中にひらけた場所があるのが映ったとき「あ!ギャップだ!ヤッター!」と思えればもうそれは活きた判定になる
そうすると、かなり色々活きてるんですよ
現代文:評論文を読もうという気になれる 漢字が読める 問題に使われた小説を読もうと思う
科学:科学番組を観てて楽しい 擬似科学を警戒できる ドクターストーン的な作品をより楽しめる
英語:洋楽を聴いて楽しめる 洋画を原語で見ると楽しい 英語圏インターネットを楽しめる
数学:日常のなかでちょっとした確率計算とか測量の真似事みたいなことをして楽しめる お金の計算にも役立つ
ほら、ホントに色々役立ってるんスよ
俺が日本史に興味薄いからそっち系コンテンツに触れることが少ないっていうのももちろんあるけど、それにしたって活かす機会がなさすぎる
「枕草子のパロディでウケられる」みたいな話を古典学習のメリットとして出してくる奴いるけど、枕草子くらいのメジャー作品って逆に古典の時間にあんましっかりやらなかっただろ!
ああいうのはむしろ中学校の初期とかにサラサラっと通すだけなんだよな そのころの教科書にはだいたい結構しっかりした現代語訳も載せられていて、ホントに入り口っぽい感じの運用なんだ
で、そういう体験ツアーみたいな感じで読むメジャー作品の話しか出てこないんだよマジで 古典の話するときはさあ!
とりかえばや物語とか落窪物語とかそういうのもやった記憶はうっすらあるんだけど、ホントにうっすらした記憶なんだよな
「古文ってほとんどカスだな……昔の日本人、ゴミだったのか……」みたいなことを思いながら読んでた記憶しかない
分からないからつまらないとかじゃなくて、文意をしっかり解釈できた上で、「で?」という感想しか残らないんだ
つうか、かきつばたを見て都を思い出すのはいいけどよ、そこで「この気持ちを歌にしよう、そこにかきつばたの頭文字を織り込もう!」ってなるのがホンマに気色悪いねん
ミュージカルじゃねえんだから気持ちをいちいち歌にするな 薄ら寒いねん 俺はもっと自然な感情の発露が見たい
歌が技巧的だと「こいつこんな小手先のテクニック弄してる余裕あるし、実は全然感情動いてねえだろ」ってなる
逆にシンプルな歌だと「クソつまらんヘタクソな歌だ、こんなん読むくらいなら黙ってた方がマシだろ」ってなる
和歌文化、ホントに心から嫌いなんですよ マジで気色悪い 死んで欲しい(もう全員死んどるか!ガハハ!ざまあみろ!!)
友蔵心の俳句と本質が同じなんですよね オッサンが事あるごとにヘッタクソな俳句を詠んで聞かせてきたらマジでぶち殺したろかと思うが、古文読んでると常時その気持ちになる 常時
あと、なんかムダに引用みたいなのを会話に織り込んでた記憶もある 内輪ネタへのリファレンス=賢さみたいなノリ本当にキモい 淫夢ネタでゲラゲラ笑ってるのと何が違うのか
そんで漢文だよ
漢文、さすがにバカでけえ中国産なだけあって内容はやや面白いことが多い そこは認めよう
でもこう、なんつうか、儒教的?すぎるんだよな
基本的にオチというか教訓が読めるんだ この展開ならこういう教訓を引き出す方向に行くだろうっていうのが容易に読めてしまう こぢんまりと纏まってるんですよね サプライズがない
そんで、あの形式をわざわざ読めるようになる意味がマジでまったく感じられない
返り点とか漢文の授業以外で一切見たことねえもん 最初から書き下して出してくれればいいじゃん
古文にも共通する話だけど、漢文ってもう増えないじゃん いや、増やそうと思えば増やせるだろうけども、増やす意味がない
中国語をそのまま読むわけでもなく、かといって日本語でもなく、なんなんだ?マジで
というか、機械的に書き下せるものをワザワザあの若干読みにく形で出してくる意味がマジで分からない
漢文、自転車でいうところの補助輪みたいなもんだと思ってるんだけど、補助輪つき自転車でトラックをビュンビュン走らされてるような違和感がある
ガッツリやりたいなら補助輪をとれ 軽くやりたいならそれなりの軽さにしろ 半端やねん全てが
つか、内容、古文よりマシとはいえ意味わからんのも多いしな なんか突然神仙要素が出てきて、昔の中国ってこんなノリなんだ〜…ホーン…と思いつつ終わることが多かった
とにかく、古文漢文、文法からガッツリやるようなものではないんだよな
それよりスペイン語でもやったほうがいいですよマジで スペイン語やったらイタリア語・ポルトガル語あたりもうっすら分かるようになるし、英語への理解もより多角的になる感じあるもん
¡Que mueran los hatenars! ¡Os odio!
ホラかっこいいじゃんスペイン語
マジでこんなクオリティの和歌ときどき出てきてたからな 問題用紙破り捨てたくなるもん
古文、いくら読んでも軽蔑の念しか出てこないんだよな 垣間見文化とかもキモいし、とにかく全体的にキモすぎる
あと平安あたりだと都なんかに住んでる貴族しか出てこないのも腹立つ 所詮金持ちのボンボンどもが暇にあかせて遊んでるだけやんけ
本当に嫌いなんだ俺は
今まで増田にしんどいとか書いてきたけど、10年目くらいにして躁側に来たのでメモっておく。
もうしんどいのは10年くらい続いてて、ストレスを感じると、ずんと胸が重くなって、苦しくなって「うーあー」ってなってた。
昨日、何か違和感があって、浴槽で気付いた。これ、躁ってやつだ。
胸がぽっかり空いたように軽い。苦しくない。頭はぼんやりしてるけど。
何日も前からあれ?って事はあった。頭が回ってないはずなのに、アイデアがポンポン出てくるし、色んな事に敏感で色んなことが色鮮やかに見えてくるし、ネットの書き込みも増えた。今ならなんでも出来る気がする。
あと、自分が乗っ取られる気がする。自分の延長なんだけど、勢いとか考え方に慎重さがなくなる。発達障害だから慎重さなんて元々ないんだけど、その場の勢いでやる。大抵悪いことも。
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自分語りをすれば2回休職したことがあって、感情ぶっ壊れて、1回目は泣きが入って止めた。2回目はブチ切れして、次に泣きが入った。
多分、ちょっとずつ耐性ついてるのかな笑
で、今回。相変わらず、ストレスにさらされてて、良いことが0.5だったら、ちょっとでも嫌なことが100は感じるようになった。
仕事は頭が回らなかったりしてミスばかりで、同じミスを何回もした。多分、発達障害と鬱のミックスかな。いくつもある「出来て当然」「やって当然」ができない。
まぁ、そんなんどうでもいいや。
元々自分はストレスがあると自分を苦しめるタイプで、人が心配すればするほどムキになって仕事していた。
ヤケクソというしっくりくる言葉が思い浮かんだのは昨日、降ってくる仕事をわーってなりながらやってて(そして、どこかでポカをしているだろう)、Excelが固まる度にPCにマウスを投げつけていた。
今まではストレスを溜め込んでいたが、最近はすぐモノに当たるようになっていた。投げたり、蹴ったり。タガが外れると人にも危害が加わるんだろうな。
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さて、以上。
これを増田に書いたのは助けて欲しいから。誰かに止めて欲しいから。
素直に自分の気持ちを書いているのは躁っぽくなって、先が怖くなったから。今はまだいいけど、多分今の自分が大嫌いな自分になる気がする。
俺はアラフォーなんだけど、多分メンタルはガキなんだと思う。5歳とか。ムキになってるんだけど、本当は止めて欲しいし、気づいて欲しい、助けて欲しい。
でも、みんな今が精一杯だし、人間だから自分が望む形にはならない。
それがもどかしくて辛かった。
心療内科も当たり障りのない事を言うし(自分から言わないと、そう受け取ってくれない)、カウンセラーはマインドを変えさせようとするけど、それはずっと先の話。小手先の話はない。
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ああ、ここまで書いて思い出した。これを書こうと思ったのは精神科でおかしくなった奴はこういう経路を辿ったんだろうなってこと。
良いことがあっても0.5しかないんだけど、些細な嫌なこと(メールが返ってこない、Amazonの配送が遅れる、一番相談したいときに誰もいない)が100になっている。
完全に世界を恨んでいる。
それを伝えようと思って増田に書いたんだった。
沼かマグマを週5か6で取り入れていけ。
我慢は続かない。半年以上かけられるダイエットには、古典的マクロ栄養学に習うのが最も適している。糖質制限信者共が「今どきカロリー神話とかw」みたいに言ってくるが、カロリーを全く見ない糖質制限食は病人食にも劣る不健康な体重減らし芸でしかない。古典的マクロ栄養学に根ざした上で小手先のテクニックを使え。ダイエットはカロリーが全てではないが、カロリー計算もできないダイエットは全て不健康体重減らし芸。
さて、その高めの体脂肪率と身長体重から見て、女性とみていいだろう。女性は体脂肪率が高い生き物だ。そんな数字見なくていい。156cmで48kg、BMIで言うと標準から標準よりちょっと下。それで「自分は太っている」と思う原因は何か。筋肉が足りていない。
話はちょっと変わるが、「部分痩せ」という言葉を聴いたことはないだろうか。二の腕を鍛えることでダルダルの二の腕を「部分痩せ」とか、お腹周りが気になるから腹筋して「部分的に引き締める」みたいな話。大嘘。
既に体についてる脂肪は、必ず肝臓を通して消費されるので、二の腕や腹筋を鍛えたところでそのあたりの脂肪が減るわけがない。ではなぜ「部分痩せ」なんてアホな言葉が出回るか?効果があるからだ。
脂肪が減らないのに効果がある?何いってんだコイツ、と思うかもしれないが、実際に脂肪が減らないのにちょっと引き締まったように見えるのだ。理由は簡単、脂肪を支えるだけの筋肉がつくから。
今の体重でさえ問題ない健康な重量をしているのに、「自分は太っている」と考えているあなた。それはなぜか?健康的な筋肉量がなく、その足りない筋肉分の脂肪が皮下にあるから。
その体重なら、軽い筋トレで十分。正しいPFCバランスの食事をして、筋トレを日常に取り入れていこう。
正しいPFCバランスの食事を取るもっともかんたんな方法、それが「沼」および「マグマ」だ。きっとあなたの人生に役立つ。古典的マクロ栄養学という、最も普遍的で正しい理論に基づく食事を簡単に作れる、というのは非常に人生において有益だ。古典的マクロ栄養学は、ダイエットのための知識ではない。健康的な食事の基礎となる知識だ。健康にダイエットをやっていけ。
歯科恐怖症のページがあったんで見てみたけれど何かズレてるなーって思った
人々が歯医者を怖がる一番の理由は痛いからでも、キーンっていうドリルの音が怖いからでもなく
それが元に戻らないから。削った歯や抜いた歯は戻らず不可逆的だから…だと思うんだよね。
そもそも歯医者のやってる事って本質的には全く「治療」でも何でもねーんだよ
ちょっとでも手が痛かったら手を切り落とします、足が痛かったら足を切り落とします、目が痛かったら目を抉ります、
はい治りましたねよかったですねー、ってやってるようなものなんだから。
歯科で「治療」を受けて歯がよくなり、削ったところが自然に塞がったり抜いた歯が生えてきたりするならば
どんなに痛くても音が怖くても喜んで歯医者に行くと思うよ?
だから歯医者が真っ先に進めるべきは再生医療なのにその肝心な事には力を入れず、予防歯科だの高額なインプラントだのと小手先の金儲けにばかり熱心だから許せない。
まあそれは置いておいても。
歯医者は態度が酷すぎるからそれで歯科恐怖症になるって理由も勿論あるね。
歯という身体の大事なパーツを抜かれ、絶望している患者に対してあまりにも無神経な歯科医が多すぎる。
そもそも歯科恐怖症において必要なのって一部の歯医者が歯科恐怖症に対応する事じゃなくて
歯科医療界全体で、患者を思い遣ったまともな診療に変えていく事じゃないの?
患者に向けて「うちはちゃんとしてるんで来てください」と言うのではなく
「お前らちゃんとしろ」と、同業の歯科医師に向けて言うべきだろうに。
まあ全部の歯科医院で歯科恐怖症に配慮したまともな診療が出来るようになったら、差がつかなくなっちゃって利益が出ないから無理なんだろうね