はてなキーワード: 偽善とは
差別の話
https://anond.hatelabo.jp/20170727091402
何かをきっかけに差別する気持ちが湧き出ること自体は仕方ないとおもう
で、それ自体は気にすることない。自然な気持ちだ。受け入れよう。
慣れもある。
それを表に出すかどうか。
表に出さないのは、
ポリコレとは何かがわかっており、それを守ろうという意識があること。
また、いざ自分や自分の大切な人が被差別側に回ったときのことを想像できるということ。
表に出すのは、
ポリコレなんて偽善、自分の素直な気持ちに従うことこそ正しい生き方、という考えがあること。
また、自分や自分の大切な人が被差別側に回ったときのことを想像できないか、そんときは自分のチカラでどうにかするとかって思ってる。
これは一般人は議論のネタとしていまだに議論したがるけど、社会学ですでに答えがでていることで、前者が正解。
1+1=2と同じことなので、議論しても意味ないんだよ知ってる?
被差別的な人を前にしたときに、「えー」って思うかなんとも思わないよっていうのは人によって違っていいし合わせる必要ない。
俺ってこういう人だよってアピりたいならアピってもよいけど対応は変わらない。
マタハラの話
https://anond.hatelabo.jp/20170715092225
投票した政治家やオリンピック選手が、任期中や大会直前に産休とるといったら「えー」って気持ちになるのは仕方ないこと。
えーって思うか、おめでとうって思うかは人それぞれの環境でも変わるから合わせる必要ないけど、「俺ってこういう人」ってことをアピりたいなら表明してもいいよ。
対応は変わらない。
今年も土用の丑の日が終わりました。ウナギおいしかったですか?私は食べました。最高に旨かったです。別にこの日にわざわざ食べなくても良いとは思いますが、いやーいつ食べてもウナギは良いものですねぇ。
さて、2014年にニホンウナギがIUCN(国際自然保護連合)レッドリストの絶滅危惧種(IB類)に指定されて以降、このままウナギを食べ続けると絶滅するのではないかという意見がインターネット上でよく見られるようになりました。年々その声は高まっていき、特に今年はTwitterのトレンドにも上がるなど、大きな関心を集めました。人々の間でこうした水産資源についての関心や資源保護への機運が高まることはとても良いことだと思います。その一方センセーショナルな話題ゆえか明らかに間違った言説やミスリードを誘う意見もTwitterを中心に数多く見られかなりげんなりしました。ウナギ資源保護のためなら嘘、間違った意見も許されるという空気すら感じ、違和感を覚えました。まぁ、かようにウナギという魚は日本国民のソウルフードであり、多くの人の関心や意見を集めるものなのだなあと感じた次第です。
以下に私がそりゃねーだろwwwwwwと感じたものを列挙します。あ、不快に感じた人はブラウザの戻るボタンでもクリックしといてくださいw
・バイオウナギ(う〇次郎くん)やウナギ味のナマズ(近〇ナマズ)はウナギと味変わらない!これはウナギの代用になる!というツイート。はっきり言って失笑モノですwどちらも食べましたけどね、結局のところすり身はすり身であり、ナマズはナマズですよ。代用になんかなるわけがありません。本当に味一緒と感じておられるのなら味覚障害なのでは?そんな味音痴に今まで食べられていたウナギがかわいそうです。つーか世の中こんなに味音痴が多いのかと驚いたわ!!まぁ何でもうまいと感じられるのはある意味幸せなのかもしれませんが・・・また、そもそもナマズに関して言えば、コイツがウナギの代用品として利用され始めたのってなんか見た目がにゅるっとしてて、泥っぽいとこが好きそうだし、どことなくイメージが似てるからっていうただそれだけの理由だと思うんですけど。両者は分類も大きく違えば(ウナギ目とナマズ目)身質から脂の付き方まで何から何まで違います。ウナギの脂の付き方は魚の中でも相当特殊で、だからこそ他に真似の出来ないあの味わいが生み出されるのですよ。ウナギの代用品なんて考えはありえません。
・クックパッドで見つけた鰻を絶滅の危機から救う天才的なメニュー(ウナギのタレだけご飯)。ハイ!偽善!キングオブ偽善!そもそも大概のウナギのタレにはウナギ抽出物が入ってるwwwwwwwwwwww乙!!!
・ウナギの旬はそもそも冬、わざわざ旬はずれのウナギを食べる土用の丑の日の習慣なんて廃れたほうが良い。・・・天然ウナギならその通りでしょうね(本当は10~11月くらいか?)。ただ市場の99%以上は養殖ウナギでちゃんと今の時期に美味くなるように調整してますからw 知ったかぶりでモノ言うと恥ずかしいっすよ?
・ウナギは絶滅危惧レベルがアフリカソウやオカピと同じなんですよ!そんな生き物を平然と食べる日本はおかしい!(うろ覚え)。・・・まぁ、IUCNのレーティングだけ見ればそうかもしれないけどさぁ、絶対的な個体数も生息環境も生態的地位も何から何まで違うでしょうが・・・そもそもそういった大型哺乳類と生態系中位に位置するニホンウナギを同列に語ること自体ナンセンスだとなんで思わないかなぁ?まぁこれは植物動物ひっくるめてすべての生き物を同じ基準で絶滅危惧リスクを評価するIUCNのやり方自体に問題があるとも言えるんだけれど。(これやhttps://www.facebook.com/jsfs.wakate/posts/701605086579950 これhttps://c-faculty.chuo-u.ac.jp/blog/eelunit/conference_intro/ が詳しい)。あとよく引き合いに出されてたのがリョコウバトね。確かにかつて鳥類最大の個体数をもっていたこの種が乱獲に次ぐ乱獲で絶滅してしまったことは人類の忘れてはならぬ教訓にしなくてはならないでしょう。ただそれってまっっっっったく生態の違うウナギと同列に扱っていい事例なのかね?そもそも私はウナギが絶滅するとは思っていません。ウナギ産業が成り立たなくなるくらいに資源が減少し、蒲焼き文化が廃れる可能性はあるとは思っていますが・・・まぁそう思う理由はいろいろとあるんですが、ここでは割愛します。まぁ簡単に説明すると海ウナギの資源の実態がまだよく分っていないこと(相当な量があると考えられる)、ウナギの成魚も稚魚(シラスウナギ)もそう簡単に獲れるものではないこと、私自身が川などで今でも腐るほどウナギを見ていることなんかが根拠です(最後のはちょっとアレですが)。
・・・ウナギは絶滅しないだろうとは書きましたが、水産庁の役人の無策、密漁、密輸を黙認する業界団体、ウナギの価格が安いか高いか以外に関心を示さないマスコミ、叩き売りして大量廃棄するスーパーには腹が立ちます(ただその正当性を自分でも納得のいく形で合理的に説明できない)。またニホンウナギの資源量が本来あった量とは比べ物にならないほど減っているのも事実でしょう。ただ絶滅を声高に主張する人たちにはもうちょっと冷静になってほしいと思います。絶滅危惧だからもうウナギ釣り行くのやめよう、なんてツイートも見ましたが、そうして本来身近な存在であるはずのウナギを遠ざけてしまうことで、結果的に彼らに対する関心が薄れてしまい、河川環境に無配慮な改修工事が行われ、個体数に悪影響を与えるなんてことも起こるかもしれません。生物多様性の保全の上で一番怖いのは、人々のその生き物に対する「無関心」です。ウナギ絶滅派(?)の人の呼びかけるウナギの不食運動や採集を控えることはそうした「無関心」に直結するものであると危惧しています。本当はウナギなんてどこにでもいる魚なんです。ただ夜行性なのと濁った場所が好きなのと、かくれんぼがちょっと上手いせいでその存在になかなか気付けないだけなんです。まだまだウナギはたくさん川にも沼にも海にもいます。うな重だけではなく、彼ら本来の活き活きとした姿を多くの人に知ってもらい、彼らと彼らの暮らす環境が守られることを願ってやみません。
各章が独立していた内容なので、どこから読んでくれてもかまいません。
要するに、今回の件の批判者の主張は「少年誌にふさわしくない」と「このような構造の表現は好ましくない」の2点に大別できます。そしてこれへの真っ当な反応としては表現媒体や販売場所の適不適に関する議論か、どこまでの表現なら現状の媒体で可能かといった議論しかありえません。
性被害を肯定的に描いているのは、たしかに問題表現です。しかし、それを少年漫画に載せるのが不適格なのかと言うと、簡単な話ではありません。
例えば正義のために暴力をふるうアンパンマンも、私刑を肯定的に描いたという意味では問題表現だと言えます。また、サザエさんでは家事育児が女性の仕事とされていますから、これも女性差別を肯定していると解釈することができます。こうなると、あらゆる漫画に問題表現を見出すことが可能であって、どこで線引きをすればいいかは難しいです。
そもそも少年ジャンプに載せたらダメなのか、巻頭カラーで載せたからダメなのか、それとももっと読者層の年齢が高めの漫画雑誌に載せることもダメなのか。ジャンプ編集部に判断を迫るのではなく、批判者たちも責任を持ってその提案をすることが望ましいです。
それに、出版社に対して自主規制を求める活動というのは、仮に権力者ではなく私人がやっていることだとしても、一歩まちがえると危険を伴います。
例えば「LGBTは不快だから表に出てくるな」「反戦漫画を子供に読ませるな」という"批判"をしている人たちだっているでしょう。かつて性描写や暴力表現を潰そうとしていたPTAも今回の騒動とおなじ手法で、やたら大声で騒ぎ立てて世論をかきたてたり、出版社に要望を出してその世論を忖度させるという手口だったんじゃないですか。昔のことはよく知りませんけどね。そして、これが公権力と結託すると恐ろしいことになります。
自主規制の是非については、あくまでもケース・バイ・ケースですが、「世論に押されて自主規制に追いこまれるのも表現規制の一形態だ」という理解は持っておくべきだと思います。
つぎに二点目の「このような構造の表現は好ましくない」という批判ですが、これは非常に厄介です。かりに『ゆらぎ荘の幽奈さん』を年齢層が高めの雑誌に移籍させたとしても、この批判を免れることはできません。
このブログ主さんは触れていませんが、「このような構造の表現は好ましくない」というのは単に論評をしただけではなく、「好ましくないからゾーニングしろ」「好ましくないから内容を変えろ」という含意があることも多いです。
オタクは規制されそうになったり、ゾーニングを求められたりして、いつもピリピリしているんです。だから、作品名を名指しされてそんな批判を浴びせられると、オタク側が過敏に反応してしまうのは仕方ない気がします。
また、批判者は作品内容を論評するにとどまりません。「こんな好ましくない表現のある漫画を作ったり消費している奴らはクズだ」という侮辱をされることもあります。
オタクはこの侮辱に対して、どのように応答すればいいのでしょうか? 頭を下げて、「この漫画は性被害を肯定的に描いた作品です。こんなものを楽しんでいる私たちは罪悪な人間です」という懺悔をおこなえばよいのでしょうか? さすがにこの対応を求められるのは屈辱的だし、ハラスメントではないかと言いたくなります。
もちろん批判に応答する義務はないですから、黙殺しておくのが一番だと思いますけど、それはそれで「オタクは社会的責任を果たしていない」という攻撃材料を作ってしまいそうです。
(ところで、『ゆらぎ荘の幽奈さん』の件とは異なりますが、成人指定がかかっているエロマンガに対しても、「このような構造の表現は好ましくない」という批判をすることが可能です。しかし、その批判を名指しでやることは、嫌がらせ以上の意味があるのでしょうか。製作者側も好ましくないと思ったから成人指定にしているわけですし、仮にその批判を向けられたせいで炎上案件になってしまったら困ります。)
また規制を進めようとしているのはフェミニストではありません。第一日本国内のフェミニストはそこまでの政治権力を持ち得ていません。日本において議会の多数派はほとんどの場合右派(というか極右)が占めており、規制も彼らの手によるものです。
もしフェミニストが規制を進める権力がないのだとすれば、オタク側はフェミニストからの批判に耳を傾ける必要がなくなります。権力のない者からいくら批判を受けたとしても、こちらは黙殺か冷笑をしておけばいいんです。
ただし実際には、自民党が表現規制をおこなおうとするとき、リベラルやフェミニスト等の左派勢力がそれに加担・黙認する恐れがあります。こうなってしまうと、民進党、社民党、共産党がいくら反対をしたくとも、その足場が揺らいでしまいます。
オタクは普段、左派勢力からの批判をちょっとはまじめに聞き入れておかないと、いざというとき彼らに助けてもらえなくなるのです。
リベラルやフェミニストは、オタクが自分たちの批判を聞き入れようとしなかったり、自民党や山田太郎を支持している姿を見ると、激怒するでしょう。そうなると次は報復感情が芽生え、批判を押し通すために権力を頼ろうとするのが当然のなりゆきです。
その意味でリベラルやフェミニストは、自民党や右派勢力ほどではないですが、オタクにとって油断ならない存在です。
もっとも、オタクが彼らの批判を聞いたところで、批判は次から次へと出てくるし、あげくのはてに土壇場で裏切られる可能性があります。
自民党が表現規制をやるとすれば、その大義名分は、「性暴力を肯定している漫画はけしからん!」「こういう漫画が流通しているのは女性差別だ」というものになるでしょう。左派政党はともかくとして、その支持者たちがこの問題で自民党に加担するのは、けっこう容易に想定できる事態だと思います。
例えば自民党が、「少年誌から不健全な性表現(=女性蔑視を促すもの)を追放する」という法案を出したとすると、それは今回の騒動でジャンプ編集部に自主規制を求める人たちの目的と合致するものです。このとき、リベラルやフェミニストが「自主規制には賛成だが法規制には反対だ」という峻別をする人ばかりだとは限りません。
あーね、あとは、「リベラルがオタクの支持を集めそこねたのは、リベラルがクソすぎる責任もあるのに、その反省はないのか」とか、「"表現の自由戦士"みたいなオタク像ばかりを見ていて、このブログ主の現状認識もおかしいんじゃね?」とか、いろいろ言いたいことはあるけれど、そこは私もろくに把握できていないので語るのはやめておきます。
このブログ主は、『ゆらぎ荘の幽奈さん』が批判されているのはエロだからではないと言っていますが、それは違います。
絵としてエロいものだからこそ、我々の感情をゆさぶり、批判のやり玉に上がっているのです。その証拠に、私刑の暴力を肯定している『ジョジョの奇妙な冒険』等は、エロくないから批判のやり玉にあがりません。
今回のような批判が起こっているのは、この漫画の絵がエロく見えるからに他なりません。
もし視覚的には欲情を誘わない絵柄とか、エロくは見えない描写方法を採用していれば、女性蔑視・性被害うんぬんという指摘があったとしても、それが大勢の人たちを巻きこむ炎上案件にならなかった可能性が高いです。
今回の件で、はてなやTwitterのリベラルは「エロは問題ない」と繰り返していました。
しかし、私はそう思いません。
リベラルが褒め称えるような"エロ"ならば、それをどんどん子供に見せてよいですか? それを公衆に向けて掲示することは、ポリコレに沿っていると言えますか?
そんなはずがありません。どれだけ適切に描こうとも、やはりエロはゾーニングの対象にするべきです。
ところで、欧米の基準に従えば、二次元と三次元を区別せず、「児童の水着姿をエロティックに描くことは児童ポルノだ」という論を立てられると思います。
今日の日本のリベラルやフェミニストはまだこの基準を採用していないようですが、萌えキャラは童顔ばかりだし、それが水着姿になっている漫画はアウトだという意見が主流になる日が来るかもしれないですね。
女性が性被害を受けることをを肯定的にかいたというのは、じつは問題の本質ではありません。
例えば『ゆらぎ荘の幽奈さん』で、胸を強くさわられた女子が痛がっていたり、そのことで心が傷ついたシーンが描かれていれば、何も問題はなかったということでしょうか。
そういえば、この前に炎上していたクジラックスの漫画について、リベラルやフェミニストがどう思っているのかを知りたいです。
あの漫画はポルノとしては珍しく、レイプを正当化できない悪として描ききっていました。つまり、「レイプは被害者を傷つける暴力だ」「レイプをやる奴は卑劣な犯罪者だ」という認識を貫徹していたのです。
作中での性暴力の取り扱いが肯定的か否定的かということだけに注目していると、レイプ=悪という認識を徹底させたこの漫画が一周まわって健全だということになってしまいます。
これは私見になりますが、萌えという欲情を誘う絵柄で描いた漫画である以上、性被害は抜きどころです。
ストーリー上でいくら否定的なものとして描いていたとしても、それは性的消費の対象となります。
女キャラが性被害を受けているとき、その肉体が露出していると、男性読者はそれを見ながら欲情してオナニーするのです。
胸や性器の露出がなくても、その瞬間の女キャラの顔の表情を見るだけで、男性読者はきっとオナニーすることができるはずです。女キャラが恥じらいの表情ではなく、嫌がっている表情を浮かべているとしても、それはそれで抜けます。
これではどうやっても、「女キャラが性被害を受けている場面を男性読者が娯楽的に消費する」という構図を脱することができません。
この構図をなくしたい場合、萌え系の絵柄の漫画では、性暴力・性被害を作中で取り扱うことをやめるのが一番です。
また、該当箇所の絵を省略して、そういうことは文字で伝えるという方法もあるかもしれません。(しかし男性読者は、作中では省略された性被害の場面を勝手に妄想するし、あるいは性被害をうけた女性という属性に興奮し、それをオカズにしてオナニーすることができるでしょう。)
フェミニストが彼らの言うところのエロを批判するのは、主に女性の軽視、蔑視、搾取、モノ化といったことを肯定し助長すると認識しているからです。フェミニストがエロを憎んでいるように彼らに見えるのは、彼らの認識するエロが女性を独立した人物としてみなさないものであるからです。その前提をクリアするのであれば、むしろ女性の独立の証として肯定するフェミニストも大勢います。
この指摘は、いちいちもっともな話だと思うんですが、「そんな批判をされても知らんがな」という反発をしたくなります。
フェミニストが女性の独立の証として肯定するエロとは、どれだけ素晴らしいものでしょうか? "女性の軽視、蔑視、搾取、モノ化"を解消したとしても、今度は女性が男性に向かってそれをやり返すだけです。
例えば女性が自分の好みで男性を自由に選ぶということ、それは女性の権利です。しかし、その権利を行使するときの女性は、きわめて動物的な性欲を発揮しています。金、地位、容姿、安定感、人格、優しさ、そこには微塵もポリコレなどというものは存在しません。
パートナーに人格や優しさを求めるのは人間的な営みだと言われそうですが、じつは全然そうではありません。女性が恋愛において男性に求める人格や優しさとは、それはそれですごく動物的なものです。まるで獣のメスのようにオスを選別しているのです。女性が恋愛やセックスで感じる幸福も、すべてはこの獣性に支えられています。
いずれにせよ女の性欲も、男と変わらず獣のそれと同然なのであって、どこまでいっても身勝手で汚らわしいものなんです。性欲は、社会正義を求める意志とは根本的に矛盾しています。
こうなると結局、エロの正しいあり方というのは分からなくなります。表現物において女性キャラクターの主体性を重視すればポリコレに適するかといえば、すでに述べたとおり、決してそうではありません。
一つ言えることは、お行儀のよいエロ表現なんか絶対に楽しくないってことです。
人権や平等という正しい理念を詰めこんだエロ表現があるとすれば、おそらく私はそれを(ポルノ的な意味では)評価できないし、その偽善には吐き気を催すほどの不快感に見舞われるでしょう。私にとってのエロとは、どこまでいっても女性蔑視や暴力性と切り離せないものです。
お行儀のよいエロは、ジャンプを読んでいる子供にもウケが悪そうです。子供は不謹慎なもの、下劣なものが好きなのだし、性描写もそっちの方向でなければ楽しく受容されないでしょう。エロが野蛮さと結合してこそ楽しめるという子供の感性は、なまじそれを否認してみせる大人より正鵠を射ています。この感性のあり方は否認せず、内心の自由として尊重し、一方でこの野蛮さを制御する文明的な理念について子供に啓発することができるならば、多分それが最適解だと思います。
少年誌といえども、子供はその本を自発的に選んで買っているわけです。これを「少年誌にふさわしくない」と批判して自主規制に追いこむのは、子供の権利を奪っているのではないかという疑念があります。
これはゾーニングにおける根本的な問題ですが、「子供の目に入らないように大人が配慮する」と、「子供が自発的に見ようとしているものを大人が妨害する」を混同してはダメじゃないかと私は考えています。この配慮と妨害は重なる部分がありますが、前者が積極的におこなうべきものであるのに対して、後者は抑制的におこなうべきものでしょう。
今回は巻頭カラーだから目立っていて、その点は大人が配慮をせずに子供に見せつけたと言えるかもしれません。しかし、子供はこの雑誌が以前からこういう作風の漫画を連載したものだと知ったうえで購入しているのですよね? それがあくまでも子供の主体性の発揮だということは、議論の際にもっと考慮に入れるべきだと思うのです。
(なお、確か少年ジャンプの読者層は高校生~成人が大半、残りは中学生だったりするので、小学生の10歳以下となると、ほとんど読んでいないはずです。それを一律に"子供"扱いすることには違和感があります。)
「ゆらぎ荘の幽奈さん」に関する炎上について、批判する発言に一理あると考えた方もいると思いますが、元の発言者や積極的に燃やしていた人たちがどのような行動を取る連中か、ということくらいは確認して欲しいと思います。もちろん批判者全員がこんな人間だというわけではないですよ。
炎上の発端である 中 @kanakanakana35 https://twitter.com/kanakanakana35 のお仲間である Erin@反ミソジニー @makoamd https://twitter.com/makoamd が、先日ある未成年者に対し、ちんぽよしよし王女様という凄まじい暴言を吐き、これについての一連の流れが絶句するほど酷すぎたので抜粋しました。未成年者の名前は×で伏字にしてありますが、実際のツイートには名前が記載されてやり取りしています。
ツイッターを実際確認されることをお勧めしますが、精神的に要注意です。。
ちなみに Erin@反ミソジニー の元ツイは削除済のようですが、驚くことに関連するツイは以前ありました。
○○○は原文です。本人が嫌がるので削除しました、と言い訳しておきながらこれを再掲し続けて、自分が加害した相手に責任を押し付ける神経が理解不能ですごい。この人たちは女性の味方などではないです。
Erin@反ミソジニー @makoamd
××××は
【○○○よしよし王女様】
さんざん叩かれた過去から学んだ保身と思うと可哀想な部分もあるけど【表現の自由王女】として真面目な批判を的外れに非難攻撃してくるようじゃ、批判するしかない。
Erin@反ミソジニー @makoamd
返信先: @hieveryone0さん、@pe_san25さん
Erin@反ミソジニーさんがErin@反ミソジニーをリツイートしました
こちらの感想と評価であり、彼女がエゴサしなければ知らずに済んだことです。バズったとしたらそれは彼女が引用RTで数万フォロワーに読ませたからです。彼女がバズらせたんですよ。そこお間違えのないように。
こういうネット上の厄介な人たち、いわゆるツイフェミに対し、ミソジニーの逆をしてるだけ、常に被害者ぶって自分の加害は棚上げ、自分のお仲間以外はどうなろうとどうしようとかまわない、という批判はよく言われることですが、今回もそれが伺えます。
そしてこの元ツイを引用した未成年者××××と、それに対する 中 と Erin@反ミソジニーの反論
中 @kanakanakana35
私はもっと言われてますよ。あの表現はジャンプにはよくないと言っただけで。あなたのズレた意見も彼らの罵倒にますます力を与えています。それなのに自分がされた時だけ性暴力!ですか?
Erin@反ミソジニー @makoamd
返信先: @kanakanakana35さん、@××××さん
ゆらぎ荘が少年誌にふさわしいかどうかで批判しておきながら未成年者に対して暴言を吐き、直接「自分がされた時だけ性暴力!ですか?」などと絡みに行って、自覚が一切ない様子なのが非常に怖いです。
暴言を吐いた Erin@反ミソジニー 本人と 中 のやり取り
Erin@反ミソジニー @makoamd
自分は基本的にエアリプはしない。本人に言いたいことは@をつけて送る。@をつけない時「届かないように悪口を言う」意図はなく、純粋に感想。だから本人がエゴサして引用RTしているのを見て「ありゃ」とは思った
中 @kanakanakana35
返信先: @makoamdさん
わかります。エゴサで拾ってきた言葉をあたかも攻撃されたように引用したことについては卑怯すぎると思います。他に直でたくさん意見来てるのに。
今までの主張は正しいと思ってましたが高校生に対してこれはない。
>私はもっと言われてますよ。あの表現はジャンプにはよくないと言っただけで。あなたのズレた意見も彼らの罵倒にますます力を与えています。それなのに自分がされた時だけ性暴力!ですか?あなたの誤解だらけの主張が暴力になって
中 @kanakanakana35
もちろん、××××への性的な悪口を擁護するものではありません。
ただあなたはこれ一つで性被害とおっしゃってますが、あなたのやっていることも同じように攻撃となっていますということをお伝えしました。その点では高校生だということはあまり関係ないですね。有名人としてお話しています。
Erin@反ミソジニー に対する批判と、それへの 中 の反論
弁護士 村松 謙 @kmuramatsu
××××にたいして「ちんぽよしよし女王」とか言っている人がいるのに、ジャンプ批判側は、まじめにゾーニングについて考えているんだっていわれましてもですね。。。
中 @kanakanakana35
まんま返すわ。感想をツイートしただけの一個人に対して死ねだのなんだのと罵倒しまくるような奴らは真面目に表現の自由について考えているとでも??
Hi! @hieveryone0
あなたには「擁護するような発言は止めた方がいいのではないですか」としか言ってませんよね。
中 @kanakanakana35
返信先: @hieveryone0さん、@makoamdさん
答えになってないね。なんでこの一つの暴言にだけずっと粘着してんのかって言ってんの。そんなに正義感強いなら私に対する暴言にも粘着して文句言ってくれ。
××××は攻撃者で、やってる事が擁護派の煽動であり論点ずらしだってことからもともと批判が来てたんだよ…流れも知らず喋るなよ…。
中に対する批判と、それへの Erin@反ミソジニーの反論
Hi! @hieveryone0
この罵倒の言葉、ミソジニー男ですら言うのをためらうような酷すぎる性的な罵倒だよ。常識がない人をかばうのは止めた方が良いです。
Erin@反ミソジニー @makoamd
返信先: @hieveryone0さん
>罵倒
あなた物書きの類の人じゃないの?
Erin@反ミソジニー @makoamd
返信先: @hieveryone0さん、@kanakanakana35さん
>罵倒
間違い。あいまいな認識で間違った表現をされると行動を間違って認識されて大変迷惑です。
私が罵倒する気なら本人に届くように@付けました。
それの善悪はまた別個の話。
Hi! @hieveryone0
さすがに16歳の女の子に「ちんぽよしよし女王」なんて言っているのは論外なので、「自分がされた時だけ性暴力!ですか?」という発言は撤回なさるべきかと思います。
Erin@反ミソジニー @makoamd
××××の「嫌だ」「やめてほしい」の意思表示を受けて削除した言葉を、しかも間違ったまま連呼するのは「あいつはこんな酷いことを言った!」の喧伝ですよね。言われた本人が嫌がった言葉を何度も再現するのは本人への配慮なんかどうでもいいって感じ。
Erin@反ミソジニー @makoamd
>(炎上したら発言だけ消してる@makoamdの行動も極めて卑怯ですね)
「嫌だ」「やめてほしい」という意思表示と理解しましたが、先方の感情に沿うつもりで削除したら「発言だけ消してる」?「極めて卑怯」?
削除を非難するってどういうこと?
↑繰り返しですが削除後伏字で同じ言葉を再掲しています。未成年者本人が嫌だから削除した、という建前の話でこの発言はすごい。
中 @kanakanakana35
じゃああんたは何をしたいの?本人が削除済みのツイートをいつまでもいつまでも批判し続けたいの?私はこの何百倍も言われてて、それに××××が加担してるからやめてくれって言ってんだけど私に言われてる暴言はよくてなんでコレにだけ粘着してんの?自分にだけは筋が通っているとでも?
別のお仲間? 潤 @jun_ftmg
潤 @jun_ftmg
誰が言い出したかソースもない「ちんぽよしよし女王」をジャンプ批判側の発言だとデマを流すミソジニストどもほんっとに汚いですね。仮に百万歩譲ってジャンプ批判者が言ったとしても、どうせ「きちょまん」みたいなずっとある侮辱語は黙認するんだろ。
元「○○○よしよし王女様」 →弁護士のうろ覚え発言「○○○よしよし女王」 で拡散しているんだけど パワーワードとして面白がっている人たちが 誰一人として「○○○=俺」ということを理解していないのが闇。 即物的な状況しか想像していないのが彼らの想像力の貧しさ。
Erin@反ミソジニー @makoamd
返信先: @makoamdさん
「○○○よしよし女王」(うろ覚えから拡散の方)が彼女の称号として定着しそうな勢いなのね。これ、彼女としてはどうなんだろう。
Erin@反ミソジニー @makoamd
返信先: @makoamdさん
中のその後
中 @kanakanakana35
発言自体は良くないと何度も書いてるけどさ、普段どんだけでもセクハラ発言しまくってるネット民たち、及びそれを全く問題視しなかったネット民たちが、一人の女性が自分のホームで呟いた一言で、あー!セクハラだ!!って大騒ぎしてんのほんと醜いな…。あいつらのものさしはどうなってるんだ…。
ジャンプに対する批判意見自体には一部妥当性があったかも知れないけれど、積極的にジャンプを燃やしていたのはこういう人たちでした。
安易にフェミとかリベラルなどと言うのは嫌いですが、これが相手ではまともな話になるわけがありません。「女性への性暴力」をどう考え、どう自分に都合よく利用しているのかが上記の発言からわかるかと思います。
元の炎上の件にしても、後付けの誤魔化しで自分たちが正しく見えるようにしているだけでした。炎上してから初めてゆらぎ荘の中身を読んでおいて、感心する部分もあった、などと発言してみせるのが如何にも姑息です。
ジャンプ炎上騒動では、「性暴力を肯定する表現を小学生に見せるのはいかがなものか」という部分に賛同し、彼女らを擁護するような方も見受けられましたが、実態はこんなです。自分たちの都合だけで表現を規制しようとしている、と言われているのも納得してもらえると思います。
今回のように仲間が性暴力を働いても、「でも被害者の方が悪い」と平気で言える人たちです。女性の味方でも決してありません。
ジャンプ騒動への意見を変えろなんてことは言いませんが、まともな議論をするにはまともな発言をするしかないのは、ジャンプ批判派も擁護派も同じだということです。
誰がどこにでも住めて誰がどこにでも行ける社会って、あなたの家の隣に措置を含めた入院歴10数回以上の重度の統合失調症患者が地域移行してきて住む社会でもあるってことですよ。
毎日奇声を発して、顔を合わせれば「殺すぞ!」と言い、包丁を持ってきて玄関まで来てドアを蹴り続けるような人に迷惑かけられても受け入れられるんならいいけど。
この迷惑行為が数日とか数週間とかじゃなくて数十年間死ぬまで続くんですよ。
私は迷惑を受け入れましょうなんて偽善的なことは絶対に言えません。
健常者にも限界があり迷惑と言っても受け入れる限界があるんです。
私には無理です。
アミューズメントパークではないのだ。
普通のプールは水につかってパシャパシャ遊んだり、お友達としゃべったりできる。
他の人の迷惑になるってさ。
それどころかビキニで行くと怒られる。
なんなの?フィットネスクラブ。
私はフィットネスクラブが嫌いだ。
収容されると決まりの服を着て、決まった動きを強要される気がするからだ。
辛い、しんどいことを命じられてしなければならない。フォームが崩れると声をかけられる。
「このほうがいい」「こうしたほうが効果的」それをしなければならない。
親切の暴力がすごい。
だとしたら日本のフィットネスクラブという名前の収容施設は恐ろしい組織ということになる。
おわり
なんなのあれ。
諸事情で披露宴は身内だけ⇒友人達で二次会って流れなら解るのよ。
披露宴終わった時点でお腹いっぱいだし、お酒だってそんなに好きじゃない。
どうせ新郎新婦とだってゆっくり話せないから第二の披露宴って感じで食傷してしまう。
でもそんな事言うとお祝いの気持ちは無いの?とか言うし。勿論関係者には言わないけどネットでもよくそういう意見見るじゃない?
いやいやあるよって思うのよ。すっごいあるの。めっちゃくちゃある。じゃなきゃこんな気合入れて来ませんから!って。
頭の中にはピンが何十本も隠れてるのよ。イルミも真っ青よ。家で主人の前でハンターハンターごっことかやりながら抜くと毎回大ウケよ。
化粧なんてなんかやたら落ちないし。これでもかってくらいクレンジングしなきゃ落ちないし。崩れるよりいいけど。
着物着たら着崩れないようにいつもより補正も紐もきついから息苦しいし。
それだってお祝いだから出来るのよ。大切な友人のためだもの。早起きだって多少の無理だって頑張るわよ。
でも無理。披露宴で限界。深呼吸したいし顔洗いたいしピン全部取って布団に寝っ転がりたいの。引き出物持って帰るだけで精一杯なの。
気合入れ過ぎなのかしら。もっと適当にしていけばいいのかしら。そういう人も居るわよね。
でも凄く親族の人が喜んでくださるのよ。でもこれって結局自己満足?偽善なのかしら。
勿論断ればいいのよ。別に咎められた事なんて無いし。やりたい人はやればいいのよ。
でも毎回驚くほど参加する事が前提って雰囲気で連絡が来るのよ。
それを断るのが若干申し訳ないし、言い訳考えるのもすんごく面倒なのよ。
参加する?って聞いてよ。そしたら遠慮しておくって言いやすいじゃない。
ここまで書いて気付いたのだけど、結局私が四方八方にいい顔したいだけな気がしてきたわ。
https://twitter.com/aki_5744/status/878122987567726592
小林麻央さんが亡くなって、夫・海老蔵さんの言葉を無視して自宅に群がる報道陣。一方、訃報を聞いて海老蔵さんの言葉を察して冒頭でしか触れず、番組内容を変えず放送することを「すみません」と訃報に耐えきれず涙を流しながら言った坂上忍。この訃報の全てに関わってる報道陣はマジで坂上忍を見習え
これ見てマジでむかついた。
お前や番組が自粛したのは当事者が近いから、その苦しみを自分のことのように感じられるからだろ?
世の中の事件や事故の被害者、加害者の関係者には何の遠慮もなく土足で踏み込んでくるくせに、
今回だけものわかりよく良い人ヅラしてんじゃねーよ。このクソダブルスタンダードが。
追記
偽善がどうの〜なんて話してない。
坂上のあの涙は本物だと思うし、悼む気持ちも本物だと思う。
ただ対象者の距離が遠いとき、その痛みが見えないふりをする。(ふりなのか、ニブいのかは分からないが)
その暴力性をわかってないだろ?ふざけんな!って話。
https://anond.hatelabo.jp/20170623150408
ブコメでご冥福をお祈りしますとか頑張ったとか色々言ってる奴なんなの?
元増田は幼少の頃「ご冥福をお祈りします~!」と連呼する集団に取り囲まれて襲われたの?
トラウマがあるの?
人が亡くなって、皆ご冥福を祈る。それ以上でも以下でもないよ。
・「日本語・風紀・世相の乱れ」はそう感じる人の心の乱れの自己投影
・問題解決力の低い者ほど自己防衛の為に礼儀作法やマナーを必要とする
・真実事実現実史実は人の数だけある。「一つしかない」は視野狭窄
・「真実は一つ」に執着する者だけがその矛盾(煩悩、争い)を体験する
・憤怒激昂は無知無能の自己証明。中途半端な知識主ほど辛辣に批判する
・十分なリテラシー教育を受けてない者ほど宗教・偏向思想に洗脳される
・体罰肯定論は指導力向上心問題解決力に乏しい教育素人の自己正当化
・死刑は国家による集団リンチ殺人。廃止した方が凶悪殺人は減る
・虐めの原因は唯一「虐める者の精神疾患」。真に救済すべきは加害者
・犯罪加害者に必要なのは懲罰ではなく救済。被害者のみ救済は偽善
まあ、よくこんなものを捨てずに取っておいたもんだと、
黒歴史の出土品の発掘を楽しんでいたら
「偽善のススメ」
もともと俺が鼻炎持ちで授業中に大きな音で鼻をかんだのがキッカケだった。
「俺は〜」「俺なら〜」という話し方はしない。
相手のことをとにかく聞こう。
2.褒める。とにかく褒める。
すごいと、とにかく言おう。すごいと言われて嫌な奴はいない。
とにかくすごい。すごいと言おう。
話してきてくれた人には、全力で感謝するふりをしよう。
4.優しい人を演じよう。
誰かが物を落としたら、率先して拾う。
落ち込んでる人がいたら励ます。
女子にはとにかく優しく接する。重いものを持っていたら、持つなど。
6.絶対に好きにならない。
女子に優しくしても、決して惚れない。
万が一にも惚れられたら友達と言い続ける。
7.悪口を言わない。
悪口を誰かが言い始めたら、できるだけその場を離れる。
8.親友は作らない。
全員とそれなりに仲良くなる事を目指す。
情けない人間は好かれない。
自分がクラスで1番勉強ができれば、人を褒めた時に喜んでもらえる。
できない人から褒められても人は嬉しくない。
11.誘いは断らない
誘われたら、できるかぎり参加する。
数人参加することが見えたら、俺も行くよ。というような自然な感じで。
12.汚いに気をつける
鼻をかむ音、くちゃくちゃ食べる音。
鼻をほじったり、トイレで大きい方をしたり。
「汚い」行動はしない。どうしてもしないといけない時は隠れてする。
13.見た目に気をつける
汚物にならないように気を使う。
などなど。最後の「ススメ」は59番まであった。
俺は中1の春休みにこれを何回も読んで、泣いて、
新しい項目を書いてを繰り返していた。
もう二度とイジメられたくなかった。
半年もしないうちに気づけば人気者になり、上位グループに入っていた。
同時に学校にいる自分は「偽善の自分」ではないかと思い始めた。
光が濃くなればなるほど、闇は深くなる。
本当の自分が見えなくなり「偽善のススメ」にのっとられていく。
偽善を止める事はできなかった。
すっかり忘れていたが、たぶん今も偽善のススメをやっている。
今の俺は本当の俺なのか、偽善のススメを演じる俺なのか。
偽善のススメにしたがって生きること。
ああ、わかる。変えんのって超面倒くさい。
自分なりの「枠組み」があって、そこから外れると混乱するんだよ。
一旦枠組みが決まると、変えたほうがメリット大きいってわかってても「変える苦痛」に抵抗感はある。
個人差多いから全ての発達障害者がそうだと思われたくないし、僕のは軽度だから苦痛なだけで変えることは出来るって言うことは示した上で、発達障害者の特性上難しかったり苦痛だったりすることに、ただ「変えろ」と言うばかりの対応って、視力が悪い人に眼鏡もコンタクトもなしに「見えるだろ?見ろよ」って言ってるのと何も変わらないってことは知ってほしい。
特性を理解した上で、眼鏡ぐらい自分で用意しろよと、僕は思うので、「障害者への配慮を」みたいな偽善を言うつもりはないけどね。
最近炎上してる系のものって、関係ない人がクレームつけてるのが多い気がする。
はてブでみかけたほん最近のだと、ジャンプのトイレマークとメルカリの現金とか。
とりあえず性質違うこの2つを例にする。
これらだと、「ないわー」とか「きもー」とか個人ブログとかブコメとかで一人でいっておけばいいもの。
私もそんなブコメした覚えある。
それを公式にクレームいれて、謝罪させるとか禁止にさせるとかおまえら何様だよ、って言いたい。
自分が被害受けても無いのに、自分が気に入らないだけでクレームいれてるとしか思えない。
後者の例では、買う側が納得して買ってる以上、他人が文句言う筋合いはないはず。
法律に違反してるというならともかく、そうでもないものを大事にしてやめさせるという考えが理解不能。
この記事のように増田に書く程度に1人で愚痴ってスッキリすればいい。
そもそもネットにある中でわざわざ見たくないものを自分から見てクレームつけるって何がしたいのと言いたい。
前者の例では、少年ジャンプという雑誌なんだから少年向けで多少下ネタまじりの馬鹿なことやっててもなんら問題ないし、そういうのがあるだろうと想像もできるはず。
見たくない、嫌いってのはわかるけど、わざわざ見たのは自分だろ。
テレビの限られたチャンネルでもなく見ようとしなければたどり着けないようなところ、しかも途中までの流れで嫌いなものが来そうという展開がわかってなぜ最後まで見るの?
私からすると、ホラー映画を見て夜に眠れなくなったのを映画の会社にクレーム入れるのと大差ないと思う。
とりあえずここ最近見たのを例に挙げたが、個人の意見として書く以上のことを自己満足か偽善でやる人もアレだが、別のところにも原因があると思った。
1つめ
クレームにまともに取り合いすぎ
いちいち全部に取りあう必要はないし、クレームが自社の考えに合わないなら無視するくらいでいい。
クレームに合わせて規制規制をしていったら最終的に何もできなくなる。
また、普通にそこのコンテンツを楽しんでる人からすれば、意味不明なクレームでどんどん使いづらくなるし、ただ声の大きい人の意見でフラフラしてるようなところのサービスは信用できない。
変に炎上にしてファンやらユーザが離れるのが怖いのかもしれないが、それ以上に何も言わないけど楽しんで見てる使ってるユーザがいるかもしれないことを考えてもらいたい。
とりあえず、ネットで愚痴ってばかりの人は何かに当たらないと精神を保てない人たちで、公式なものにまで直接告げ口してるのは、もう手に負えないような人って前提で扱えばいい。
2つめ
最初に作る側は、それが欲しい人、好きな人を対象にしてるわけで、それを嫌いって言う人だっていることはわかってるはず。
好きな人だけ見たり使ったりすればいいのに、TwitterでRetweetやらまとめサイトやらでムダに拡散するせいで、意図せず見たくないものを見てしまう人がいる。
クレームつけることしか生き甲斐ないような変なのの目に触れてしまう。
例えばアダルト系の同人誌、今回例に上げたジャンプの件にクレーム入れるような人だと怒り狂うんじゃないと思うほどのアレなものだってある。
しかし、アダルトということもあってTwitterだとデフォでは不適切コンテンツみたいのがあったり、その辺の一般の本屋では見かけなかったりあまり興味ない人の目に入らないようになってる。
だからアレな内容でも発行されてたりするんだろう。
それがこの数年とかはネットの普及だったり萌え系とかオタク界隈が一般的になりつつあることからか、変に目立って同人も危ないみたいなことを言われてた気がする。(コミケ帰りのバッグとか一般の目に触れるようなことしてるのが悪い例)
これに限らず興味ある人のみが見れるものだと、変なのが沸かず余計なことが起きない。
それがTwitterで全世界の人が見れて、フォロワーにはタイムラインに直接流れるようなところで、見たくない人を気にせず拡散するのが余計なクレームが来る原因だと思う。
便利なものや好きなコンテンツを広めたい気持ちはわかるけど、あえてひっそりやっていったほうが鬱陶しい人たちは来ないと思う。
なんかぐちゃぐちゃになってきたけど、「自分が被害受けてるわけでもないのに公式にまで苦情言ってるクレーマーウザい」以上です。
「フレンズによってできること違う」といった一見多様性を重視したかのようなセリフがどうやら視聴者の心をつかんでいるらしい。
特に優柔不断だった知り合いには受けるようで、このような言葉をしょっちゅうツイッターなどに書き込むようになった。
しかし僕としてはけものフレンズの「多様性」に関して、嫌悪感を感じてしまう。
多くの人が言うように、多様性と言いつつ「おんなのこ」(少女というにはあまりに無頓着で商品化された「女性」)を売りつけている点で偽善というには問題がないのだが、僕としてはそのファンについて注目したい。
僕の所感でしかないのだろうが、けものフレンズのファンは多様性と幼稚な自由をはき違えているように感じる。
それは僕の周辺もそうだし、アンチスレに突撃するものもそうだ。
多様性はそれ自体を否定してはならないか、あるいはしてもいいのかという問題があるとはいえ(僕は一定の条件で今は後者を支持している。それを否定したいものが自分たちで生きやすい作ればいいのだ)、基本はどんな人間がいてもいい、と考える世界だ。
しかしそのファンはけものフレンズに嫌悪感を持つ人間に対して攻撃的に質問、あるいは「喫煙所」たるアンチスレなどに突撃するなどして不快な思いをさせているような気がする。
正直このようなファンがいることで僕はけものフレンズを見る気が起きなくなる。むしろ不愉快な作品として蓄積されていく。
けものフレンズが好きな人間はそれでいいのだろうが、迷惑をかけてはいけない、存在を認めるというマナーを守れないものに関して自浄作用が働いていないのは非常に残念である。
JIM-NETスタッフblog : イラク戦争から14年、モスルから始まった。 http://blog.livedoor.jp/jim_net/archives/52477273.html
わたしは、ラナちゃんに約束します。「今度は色鉛筆をプレゼントしてあげるから。」
医者は、イラクには薬がなく、一年ももたないでしょう。といいます。
「あなたが、薬を持ってきても偽善にしかならない。3年間は治療をしなければいけないのですが、高価な薬をあなたが3年間も持ってこれますか?イラクは石油がある国なんです。医療も進んでいました。経済制裁が終わり、戦争がなくなれば、自分たちで薬は買えるんです。ですので、日本人にしてほしいことは、戦争に反対してほしいのです」
* * * * *
真珠湾奇襲攻撃を仕掛けた日本は卑怯者扱いされた。 最後は原爆を撃ち込まれて無条件降伏で敗戦。
「勝てば官軍、負ければ賊軍」 戦後の日本は他国からボロクソに非難された。
戦争に負けることは、とてもみじめなこと。 だから、戦争は良くない!みんなやめよう!と。
他国から非難された分だけ、日本は逆切れしていい。 (俺ら戦後世代が戦争仕掛けたわけじゃねーし。戦後世代は悪くねーだろ?)
戦争を仕掛けた日本が悪だったと言うのなら、今戦争を仕掛けている国だって悪だろう? (日本はダメだけど他国は良い、というダブルスタンダードは許さない)
テメーラ、日本だけ悪者にしといて、自分たちだけ正義づらかよ?ふざけんじゃね~~~!!! 戦争やめろや! 平和日本を見習え、ドアホどもがっっっ!!!
…ぐらいのことは言ってもいいんじゃないかな?
いくつかの長ったらしい病名と薬を与えられて、
二十と数年の人生に判子が捺された。
薬を飲むと、ぼんやりとする。
思考は奪われ、やる気も起きず、
加えて、嘔吐感。
それがまた私を不安にさせて、夜に眠れなくなる。
いや、そんなことはどうでもいいのだ。
動機もするし涙も出るし、不眠にもなる。
人生だ。
これまで積み重ねてきたはずの人生が、
重く重くのしかかっているのだ。
そういうことができない子どもだった。
他人が悲しんでいる時に、
なぜ悲しんでいるのかわからない。
泣いているというステータスを人に見せつけて、
誇張無く、嘘偽り無く、
ということを、精神科医と話して初めて知った。
そして言われたのが
「それは普通じゃ無いんですよ」
という類の言葉だった。
他にもいろいろなことを話し、
いくつもの違いを指摘された。
そしてその後語られた症例が、
その時に初めて知った。
そう、知ったのだ。
この時は知っただけで、まだ何も考えられなかった。
それからとりあえず
「いい薬があるから」
私のこれまでの人生はなんだったんだろう、と。
私は熱に浮かされたような状況だったから、
まともに何かを考えることは、当然できていなかった。
そしてそれは治療できるというのだ!
なんと素晴らしいことだろう!
そう考えていた矢先、ふと、思ってしまった。
私のこれまでの人生はなんだったんだろう。
それを薬を飲むことで治療できるとして。
その先にある、正常な私は、
これまでの人生を歩んできた私と同一なのか。
それを裏切らないように、生きてきた。
行動は全てそれに準じている。
それは私のアイデンティティであり、
でも、これまでの話を総合すると、
病気によって生じた柱をもとに、二十数年を歩んできたのだ。
これまでの人生は、案外悪くなかった。
親とは不仲だし、顔を合わせたくもないし、
そんなことはどうでもいいくらいには、
親との不仲も、いじめの原因も、
結局は病気由来だったことも判明したのだけれど、
それを含めても、まあ、歩いてきたなと思う。
社会人になって大きく躓いた。
激務に次ぐ激務だったが、
他の人間には、それができていた。
でも自分にはできなかった。
限界を感じていた。
そして仕事で失敗をして、
巡り巡って精神科医にかかることになったわけだけれど。
そして今回発覚したのが、病気だったということだ。
それを「治療」することが、途端に怖くなった。
これまで意識をしたことはもちろん無かったが、
薬を飲んで治れば「普通の人」になることができる?
いままで歩いてきた人生はすべて間違っていたのか?
怖くて仕方がない。
でも、このままでは、生きていくことが難しいのだ。
お金も無い。人とのつながりも無い。親には関わりたくない。
きっとこのままなら、職も失う。
私は何を選べばいいのだろう。