2017-04-12

けものフレンズという偽善

最近僕の周辺でも『けものフレンズ』は人気だ。

フレンズによってできること違う」といった一見多様性を重視したかのようなセリフがどうやら視聴者の心をつかんでいるらしい。

特に優柔不断だった知り合いには受けるようで、このような言葉しょっちゅうツイッターなどに書き込むようになった。

しかし僕としてはけものフレンズの「多様性」に関して、嫌悪感を感じてしまう。

多くの人が言うように、多様性と言いつつ「おんなのこ」(少女というにはあまり無頓着商品化された「女性」)を売りつけている点で偽善というには問題がないのだが、僕としてはそのファンについて注目したい。

僕の所感でしかないのだろうが、けものフレンズファン多様性と幼稚な自由をはき違えているように感じる。

それは僕の周辺もそうだし、アンチスレ突撃するものもそうだ。

多様性はそれ自体否定してはならないか、あるいはしてもいいのかという問題があるとはいえ(僕は一定の条件で今は後者を支持している。それを否定したいもの自分たちで生きやすい作ればいいのだ)、基本はどんな人間がいてもいい、と考える世界だ。

しかしそのファンけものフレンズ嫌悪感を持つ人間に対して攻撃的に質問、あるいは「喫煙所」たるアンチスレなどに突撃するなどして不快な思いをさせているような気がする。

正直このようなファンがいることで僕はけものフレンズを見る気が起きなくなる。むしろ不愉快作品として蓄積されていく。

けものフレンズ好きな人間はそれでいいのだろうが、迷惑をかけてはいけない、存在を認めるというマナーを守れないものに関して自浄作用が働いていないのは非常に残念である

  • いいんだって、所詮多様性なんてそんなもんだよ 現実世界でも多様性を奉ずる奴ってのは「多様性を認めない奴なんか死んでしまえ」なんて 割と平気で言ってるんだからさ

記事への反応(ブックマークコメント)

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