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2021-08-31

anond:20210831011529

最近ぼくが好きな双子メイド(メイドではないが衣装メイドっぽいと言えなくもないかも知れない双子アイドル乙女)はロザリア&リリアですね。

こういうやつですね。https://www.youtube.com/watch?v=Qk28iBN7NS8

ちなみにこれは2016年10月(日本版2017年2月)にリリースされた崩壊3rdってゲームですね。

2021年時点で比較しても国産のどのガチャゲよりも見た目リッチ3Dモバイルアクションゲームになっていると、個人的には思いますね。

それもそのはず、この技術オーパーツみたいな作品は今原神でゲームトレンドトップを走っているmiHoYoの作品からですね。

この双子ストーリーで見せる姉妹愛がまた良いんですよね。

コミカルキャラクターながらも、どちゃくそシリアスSFシナリオである本作の中なので困難に翻弄されるのは既定路線なんですがね。

また大御所声優ばかりでおばさんボイスが多いこのゲームの中で、この二人の若々しさは特筆すべき癒やしをもたらしてくれますね。

原神プレイヤーからするとウェンティウェンディの例から言って、西風教会の気怠げおっぱいシスター・ロサリアと崩壊のロザリアは似たような見た目なのかと想像するかもしれませんが、全然違いますね。

ちゃんロリ双子ですので心配無用しかも姉のロザリアの方のボイスはパイモンと同じなんですね。

数多くの原神ミームを作り出してきたマスコットキャラパイモンと同じ声色ながら、ちょっと少女っぽさを感じる演技を見てほしいですね。

しか個人的もっと好きなのがリリアの方で、この子のボイスが非常にかわいいのですよね。

天真爛漫なおバカキャラのロザリアとは反対に、落ち着いたツッコミキャラなのですが、クールとも違うんですよね。

端々から姉を大事に思っていることが伝わってきますし、おっと失礼ぼくともあろうものが語りすぎてしまっていたようですね。

これを語るにはこの欄は狭すぎるというやつですね。

まあでもぶっちゃけて言うとあれですね、日本カルチャー日本人よりよく分かっているmiHoYoの作るキャラクターなので、あれですね。

双子メイドキャラ代表であるあれの影響を受けている部分が多かれ少なかれあるような気はしますね。ピンク髪と薄い水色髪なあたりとかがそれですね。

ちなみに崩壊3rdにはよりガチメイドキャラであるリタ・ロスヴァイセがいますが、そちらは瀟洒なお姉さんでスマートに大鎌を振るって戦うS級戦乙女なんですね。

瀟洒メイドといえば東方のあれですが、この世界、時を止めるスタンド能力的なものシステム化されて大体のキャラが持っていますのであれですね。

ともあれ冒頭に挙げたキャラ紹介ムービーを開いていないのならぜひご覧になって、ビジュアルが好みに引っかかったのなら触れてみることをおすすめしますね。

おや、今日8月31日じゃないですか。

もしこれを読んでいるのがストゥーデントの皆さんであれば、今日ゲームを始めるなんて愚行を犯してはなりませんね。

ぼくはいいんです。夏休みの宿題人生宿題も、一切やらないまま40年近く生きてきたツワモノがぼくなんですよね。

それはどうでもいい話でしたね。ではこのへんで失礼しましょうね。

よい双子メイド(?)ライフをお過ごしくださいね

2021-08-30

anond:20210830175737

スーチーが軟禁されてた時は優しかったけど、トップに立ったらロヒンギャ迫害鬼畜になったよな

そんで軍事クーデターやられたら急にしおらしくなって民主主義をかえせだのうるさい

自由責任を伴うと昔教わった

自分が昔通っていた高校は、地方トップ進学校でとにかく自由だった。髪型服装を始めとした校則なんて無いに等しかった。それでも勉強部活動を真面目にする空気というのが保たれていたのは、入学当時に自由には責任が伴うよと先生に口うるさく言われたからだと今になって思う。各々が自分の属する小さな社会のことを考え、全員がルールを守っているからこそ行使できる自由。何が起こっても自己責任ではあるが、その責任を取るのは個人ではなく自分たち学生全員であるとよく皆が理解していたと思う。自分自身のためではなく、集団のためにルールを守る。生活していて非常に気持ちが良かった。

コロナ禍における日本と他の国の対応の違いを見ていると、日本は非常に自由だ。その自由がなぜ成り立っているのか、よく考えた方が良いと思う。

今日緊急事態宣言下で行われた音楽フェスの様子をSNSで見た。ルールを守る他の国民自由が侵される日も遠くないかもしれないと思った。

千葉県学校観戦に関連して一言言いたい

学校観戦に関連して陽性者が発生したことに対して

それ見たことか!学徒動員強制した責任者を出せ!との論調が多いけど

あえてちょっと逆のコメントを書いてみたいと思う

以下の熊谷知事の一連のツイートを見ると希望者が参加しているに過ぎないように見える

強制があったのかなかったのかはいずれも現時点では証明ができないので無視すると

学校観戦を止めるべきだった!とのコメントをしてる人は

修学旅行等に代表される校外学習をもれなく中止すべきとの立場の人たちで良いのかね?

何なら校外学習よりも感染対策が不十分な民間イベントもすべて中止すべきとの立場を貫いているのか

自分オリンピック憎しの立場だけど校外学習まで中止しろとは思わないし

やりたい人が好きにライブに集まるのは腹は立つものの好きにしろと思う

県知事とか立場上のトップがそれらをまるっと中止させるのはいかがのものか?

8/25のツイート要約

以下、原文

https://twitter.com/kumagai_chiba/status/1430296749185277953

今日からパラリンピック学校連携観戦が実施されています千葉市保護者同意は直前集計(8/23)で小学校で約9割など、全体で約78%とのこと。

私たち保護者理解の上で、各自治体・学校設置者の判断実施可能しましたので、選択肢を作ることができて良かったと考えています

千葉県場合幕張メッセが会場で、無観客となった会場を広く活用した観戦座席の間隔確保、屋内会場のため熱中症リスクが低い、メッセ駐車場活用して子供たちが貸切バス直行直帰が可能等の条件が整っています

千葉県児童生徒が他都県の会場を観戦することはありませんし、逆も同様です。

プロ野球等は今も有観客で実施されていますが、都県をまたぐ移動自粛等を県民要請している立場からオリパラ全体においてコントロールできない人流を抑制する立場を貫いています

その上で、それら人流と、教員等の引率による直行直帰が確定される校外学習学校連携観戦は切り分けて考えています

⑥私達は保護者子供達の意向次第では完全無観客も選択肢としていました。

8月初旬の千葉市意向調査で多くの希望があることから選択式で保護者同意必要なこと、観戦しない場合も欠席扱いとしない等、学校において十分な配慮が行われることを前提に各市町村学校実施可能しました。

⑦各学校はこれまでも貸切バスで校外学習を行っており、パラだけが特別ではありません。学校現場の実態をご存じの方とそうでない方で意識の差があるかもしれません。

当然ですが、会場内は選手関係者とは導線は区分されているほか、入れ替え毎に座席を消毒するなど、さらなる対策徹底を行います

⑨私達は学校連携観戦と同様、教員等の引率による校外学習感染対策を徹底した上で、保護者同意等に基づき、各市町村学校判断で、必要に応じて実施可能との立場です。

今後も実施する市町村を県としてサポートしていきます

知的障害身体障碍を一緒のコースで泳がせるのってどうなの

水泳知的障害が金取ってたけど順位別のタイムに差がありすぎる

オリンピックトップ争いなら1位から5位まででも2秒ぐらいの差しかないと思うんだけど

なんというか単純に知能に障害があるのと水かきのための手足の一部がないのとじゃハンデの大きさが異なるのは自明な気がするんだよな

重量級の異なる選手を戦わせて重い方(知的障害)が勝って金取ったのを喜んでる感じ。フェアに思えない。

そのフェアでないということはまさしく順位別の秒数に現れていると思うから、もうちょっと部門を細分化した方がいいじゃないかと(後の祭り)

2021-08-29

Yahooニューストップ見出し

8/29(日) 19:54更新

異物混入 栓のゴム混入の可能性 1050

モデルナ製に異物混入 群馬でも 299

接種予約の詐欺メール続々 注意

菅首相、154日ぶりに休み取得 3411

父になる目前 アフガン米兵の死

親の老後いつ切り出す?悩む人へ 469

智弁和歌山 異例の歓喜の輪なし 1082

小川アナ 背負った優等生キャラ 572

昨日https://anond.hatelabo.jp/20210828172737

ゲーム大好き!→プログラマーなるわ!→(略)→無理!→公務員やるわ

→全く面白くもないし生産性も感じられない。たまに偉い人が集まる会議担当者として出席すると各部署のトップが「お仕事してる感出したいよね。俺たちめっちゃ仕事してるじゃんってアピールしたい。だって仕事って仕事してますよってアピールするのが本体じゃん?」みたいなことばっか言ってるの聞くと本当に死にたくなる。俺はこれからずっと定年までこの仕事をしていくことになって、その仕事の中で毎日こういった仕事ごっこしか今日観がない連中の顔色を窺ってはスタンプラリーをするんだ。未だにデジタル印鑑すら使わず生のハンコに紙の書類。そうやって作った書類は「ミスったけどもう一回書類貰うの恥ずかしいじゃん?3と8ならなぞれば変えられるし、それでストーリー組み立てなおそうよ」と平気で書き直されていく。頭が悪くて、ずるくて、自己保身だけしか考えてなくて、人の役に立ちたいなんて気持ちはとっくに捨てた連中のゴミ捨て場。逃げて逃げて転げ落ちてきた俺に相応しい職場じゃん。でもこの職場にいるとここに相応しい人間なんだって毎日突きつけられてるみたいで死にたくなる。ここに10年20年といるうちに疑問に思わなくなるのも怖いし、疑問に思い続けながら暮らすのも気が違っちゃいそうだ。その隙間で俺だけは違うんだ俺はクズの中でクズの作ったもの浄化していく大事人材なんだと言い張るようになって、でも実際にはそんなこと全く無い勘違い野郎になることでしか心の平穏が保てないんだろうな。でもそれって狂ってしましか無いってことじゃん。狂いたくないし、狂わなくてもなんとかなれるような人間になれる気もない。ここからまた逃げられるだけの位置エネルギーが俺の人生に残っているとは思えない。高齢フリーター警備員ビルメンナンス、ここからもう一度転がり落ちて逃げ込めるのなんてそれぐらいだけど、IOC民間ではドンドン進んでいく中でそれらの仕事が10年後に残っているのかと問われると疑問が残る。本当の上流において状況を管理する仕事は減らないだろうし、一番下流人間やらせたほうが安いからで機械に置き換わらない仕事も変わらないだろう。でも上流に行くには新卒第二新卒幹部候補生として入っていかないと無理だし、最下流の掃き溜めはいよいよもって外国人実習生レベル待遇になっていくことが想像に難くない。自分が生き延びることだけを考えるならこのまま公務員としてクズからクズの群れの中にいるのは当然なんですって自分にも他人にも言い訳を続けるのが一番なんだろうな。鈍感力って言葉が昔流行ったけどまさにそれぐらいしか解決手段はない。俺は徹底的に鈍感になって、もう何も感じることがない人間になるしか無いんだ。全ての感情を失った上で薄ら笑みを浮かべ続けて30年生き続けよう。もって生まれたモノだとか今までの人生選択だとか単純な運の良し悪しで人生しょうがなくしょうもない事になるんだ。他人には平気でそう声をかけられるのにいざ自分の事となると何とかなってほしいと蹲って震えだしてしまうのも鈍感力が足りないだけだ。もっと他人事と同じように自分人生を扱おう。どうなってもいいやこんな奴の人生って感じよう。馬鹿にされてもヘラヘラ笑って辛くてもニタニタしてよう。毎日がつまらなくても諦めて、やってることに意味がなくても当たり前で、ひとまず飯が食えて寝れて土日のどっちかにゲームが出来ればそれでいいって考えよう。子供とかはもう諦めて結婚も諦めればいい。あとは親さえ寿命死ねばもう俺の人生は俺だけのものだ。自分だけの人生ならどんなしょーもなくても大丈夫だ。たとえば子供がいたら親の人生がしょーもないと子供不憫だけど、従兄弟人生がしょーもなくなたって気にもならないか大丈夫だ。諦めよう。全部。

https://anond.hatelabo.jp/20210828230636 ←コイツが突然飛んできて傷口を広げられたので応急処置として言いたいこと全部描きました。落ち着いたわ。メシ買ってこよ

anond:20210829123949

そもそも右翼保守左翼革新対立していたし、どちらが正義でどちらが間違いだという時代の名残というべきか。

まあ、右翼左翼も、1990年までの右翼左翼右翼ケインズ主義左翼マルクス主義だ。右翼左翼とも両方とも経済思想新自由主義現代で、かつての右翼左翼とはどちらとも異なる。

小選挙区制から生み出される2大政党制は、トップ2党両方間違ってしまった場合はどうしようもなくなるのが最大のミステイクだね。

anond:20210829114251

まず全世界的な新自由主義の潮流に、小選挙区制による二大政党制幻想が相まって民主党機能しなかったのだろうと思う。

今でこそMMTができたがために、自国通貨建て国債による財政破綻疑問視されるようになってきたが、MMTが出るまでは、自国通貨建ても外貨区別せず、政府借金が増えればいつか財政破綻が起きるという話だった。

そして、民主党政権とってやったことは「十分に新自由主義がなされていないか完璧にすれば日本再生する!」だ。実際は経済低迷だし、埋蔵金なんてなかった。

なおかつ小選挙区制は上位2党に集約される。なので、上位2党両方新自由主義といったように方向を誤ってしまえば誤りは正されることはない。

しかし、MMTあくま財政破綻外貨借金の話である看破され、自民党立憲民主党も両方内部で積極財政派と緊縮財政派が割れるようになった。なおかつ、比例などを駆使してぎりぎりれいわが党として成り立っている。

自民党立憲民主党積極財政派を通して、緊縮財政派を落とす。もし積極財政こそが再優先課題なら比例ではれいわに入れる。などと言って積極財政議員を増やすべきだと思う。他の論点が好みならどうぞそちらを。

理想をいえば、トップ2党が両方誤ることがあるからこそ、党を選ぶ小選挙区制より、中選挙区制のような人を選ぶ選挙制度のほうが正しいのだと思う。

小選挙区は党本部忖度し、党本部の方を見ていればそれで十分だっていうコバンザメ議員を量産させ、政策多様性を消した。

松田聖子って当時は音痴あつかいだったけど、現在アイドルと比べたら歌唱力はどれぐらいに位置するの?

坂のトップより上にいる?

2021-08-28

anond:20210828220452

そだね

国民を元気づける応援団五輪種目にして、国民全員が投票ボタンをもってトップを決めるスポーツを作ってほしいね

アイアンリーガーに騙された -3-

2(https://anond.hatelabo.jp/20210828220400)のつづき

意志を持つということ

アイアンリーガー』は、基本的には優しい物語だ。彼らの努力や苦闘は最終的には報われ、そして(恐らく)最後ハッピーエンドを迎えるだろう。(迎えますよね?)

 しかし、物語ロボットたちが直面する苦難は、決して甘いものではない。先述したロボットとしての宿命はもちろんのこと、彼らが心を持つモノであるが故の葛藤は非常に厳しいものだ。そして彼らの葛藤を通して僕たちに投げかけられている問いも、また厳しい。

 彼らは意志を持つモノだ。意志を持つからこそ、自らの宿命を乗り越える余地がある。しかし一方で、意志は必ずしも良いものとは限らない。あるいは、仮に良いものであったとしても、それが良い方向に働くとは限らない。一つの意志は、別の意志を阻害する可能性を持っている。あるいは、意志もまた一つの「制約」になりうる。トップジョイと彼を取り巻くシルバーキャッスル葛藤は、その象徴的な物語だ。

 トップジョイスパイ行為がまだ明るみになっていなかった時点で、トップジョイシルバーキャッスルは相容れない様相を見せていた。ラフプレーをするトップジョイを、シルバーキャッスルは認められないのだ。

 それまで、シルバーキャッスルメンバートップジョイを温かく受け入れていた。そしてトップジョイ自身も、スパイという立場でありながら、シルバーキャッスル好意を抱いていたに違いない。それにも関わらず、ラフプレーを繰り返すトップジョイに、シルバーキャッスルは厳しい態度を取った。

 ラフプレーは、トップジョイスパイ行為としてのものではなく、真にトップジョイが良かれと思ってした行為だった。それでも彼らはそれを認められなかった。試合決勝点となるオウンゴールを決められてしまった時でさえ「笑って済ませた」彼らが、である。彼らは結果として、トップジョイを追いやったダークのバスケットチームと同じことを、トップジョイに宣告する。

 それは、シルバーキャッスルの「意志」と、トップジョイの「意志」が対立した結果だ。

 フェアプレーを貫く。それがシルバーキャッスル意志であり、同時に、シルバーキャッスルシルバーキャッスルである理由だ。もしトップジョイラフプレーを受け入れてしまえば、シルバーキャッスルとしてある意味がなくなってしまう。特定目的(つまり意志)を持った集団は、その目的意志に反するモノを本質的に受け入れられない。たとえそれが悪意でなかったとしても、そして、「あなたが好き」であったとしてもだ。

 そしてトップジョイスパイ行為が明かされた時、シルバーキャッスルは、彼に手を差し伸べることができなかった。

 シルバーキャッスルリーガーたちは、皆善性の象徴のような存在として描かれている。それまでの話を通して、彼らの正々堂々を尊ぶ精神や、仲間を思う優しさ、苦難を乗り越える強さは、繰り返し描かれていた。その彼らが、目の前で苦しんでいるトップジョイを、仲間として助けることを一度は拒絶したのである

 そこで提示されたのは、彼らが、彼らの持つその善性故に救えないモノがあるという事実だった。

 仲間を傷つけかねない状況を作ったトップジョイを、彼らは許すことはできない。仲間を、大切なものを守りたいからこそ、それを裏切ったトップジョイを許すことはできない。彼らは自らの意志で彼を拒絶することを選んだ。それは決して悪意ではなく、誰かから強制されたものでもない。

 トップジョイの背景を知っている僕たちは、その光景に胸を痛める。しかしその光景は、僕たちに一つの事実を突きつける。僕たちもまた、トップジョイを受け入れられないかもしれないという可能性を持っているということだ。あのシルバーキャッスルでさえ、彼を受け入れられなかったのだから

アイアンリーガー』は、シルバーキャッスルリーガーたちを聖人にはしない。彼らもまた迷い、限界を持つ、あくまで僕たちと地続きの存在として描く。それ故に、シルバーキャッスルの姿は僕たちの一つの側面である。時に悪意のないものを悪とし、集団から排除する冷酷さを、僕たちは抱えている。

 シルバーキャッスルの「シルバーキャッスルを守りたい」という意志は、トップジョイの「ここにいたい」という意志を阻むものだった。それは同時に、トップジョイが好きだという、シルバーキャッスル自身意志をも阻んでいる。「意志を持つ」こと、そしてそれを貫くということの逃れ得ない宿業を、『アイアンリーガー』は真正から描き出す。

 しかし、それでもなお、『アイアンリーガー』は希望提示する。トップジョイは自らの意志でダークの呪縛を断ち切り、シルバーキャッスルメンバーもまた、彼を許し、受け入れる。

 トップジョイもまた、自らの意志が自らの制約となっていたキャラクターだった。過去に観客を沸かせて得た喜びと、それに基づく「あの場所に帰りたい」という意志は、新たに生まれた「シルバーキャッスルにいたい」という意志最後まで阻み続けた。第八話から続いた、シルバーキャッスル子どもたちと心を通わせながら、ダークのスパイであり続けるという彼の矛盾した行動は、その葛藤の現れだったのかもしれない。

 しか最後トップジョイは自らの中にあった意志相克を決着させた。本当に自分にとって大切なものは何かを、自分意志で決めた。そして、たとえそれがシルバーキャッスルに受け入れられなかったとしても、ダークにも、そしてシルバーキャッスルにも、どこにも自分の居場所がなくなるとしても、それでも「守りたい」という意志を貫いた。外面的な制約も内面的な制約も乗り越えて、トップジョイ意志を固め、それを全うした。

 シルバーキャッスルも、そんなトップジョイを受け入れることを選んだ。それは、トップジョイシルバーキャッスルに受け入れられるようになったから、というだけではない。許すという行為簡単なことではなく、受動的な行為でもない。彼ら自身トップジョイの行動と意志を見て、彼ら自身意志で、彼を許すと決めた。彼を再び仲間として迎え入れることを選んだ。「トップジョイと一緒にいたい」という意志を貫くことを決めたのだ。

アイアンリーガー』で描かれているのは、人間に操られる可哀想ロボットたちの悲劇ではない。第十三話の最後、仲間に囲まれトップジョイの絵に描かれているのは、与えられた場所で、与えられた形で生きざるを得ない「意志を持つモノ」ーーそしてそれと地続きにある僕たちーーが、その意志故に苦しみながらも、最後に至った希望の姿だ。意志を持つモノは、僕たちは、内にそれ故の冷酷さを抱えたままで、それでも誰かに優しくなることができる。過去呪縛を振り切り、過ちを許し、弱さを乗り越え、そして、自由になることができる。『アイアンリーガー』は、意志を持つということの宿業に向かい合いながら、それでもその先にある希望を見つめている。

その旅路の果てに

アイアンリーガー』という作品を、あえて外形的な説明を諦めて一文で表すとしたらーー月並み申し訳ないが、「意志を持つモノが思う通りに生きるために戦う物語」とでも言うのだろうか。

 ロボットという存在が、人間隠喩としての機能を持っていると既に述べたが、それは作中で描かれているスポーツにしても言えることだ。確かにアイアンリーガー』でロボットたちはスポーツをしているが、作中ではどうにもスポーツに対する拘りが見えない。グローブをはめてサッカーフィールドに出るわ、サッカーチームが野球試合に出るわ(おまけに「野球なんて簡単よ」という暴言まで吐く)、剣の道はバッターボックスにあるわ、スポーツをしている人間が怒り出しそうなほどのいい加減さが、『アイアンリーガー』にはある。

 結局のところ、スポーツもまた、一つの隠喩象徴に過ぎないのだろう。大切なのは彼らが「思う通りにやりたいことをやる」ことであり、その場がたまたまスポーツだっただけだ。乱暴に言えば、別にクラシックが持て囃される世界ロックを奏でる物語でも、新古典主義に対抗する印象派という物語でも良かったということである。もしかしたら『アイアンリーガー』の世界のどこか別の場所では、やはりロボットたちがそんな戦いを繰り広げているかもしれない。いずれにしても、それがどんな場所であれ、大切なのは彼らが「思う通りに生きる」ということである

アイアンリーガー』の中で、ロボットたちは「人」と呼ばれる。『アイアンリーガー』では、人間ロボットも、同じ意志感情や心を持つモノとして、同じように「人」と呼ばれているのだろう。ロボットたちは「人」として、「人」故の葛藤に苦しみながら、自らの意志で、為したいこと為したいように為す。それはシルバーキャッスルロボットであろうと、ヒール側のダークに所属するロボットであろうと同じである。誰が何と言おうとも、それが望まれものでなくても、それが好きで、ここが好きで、ここにいたいから、だから、戦う。世界と、そして、自分と。

 マッハウインディはダークの支配を、ブルアーマーは生まれながらに課せられたバグ過去を、極十郎太は剣士としてのプライド固定観念を、キアイリュウケン自分に与えられた役割機能を、トップジョイは与えられた心の特性と思い出という呪縛を乗り越えた。

 S-XXXは、その可能性を垣間見せつつも、乗り越えるところまで行き着くことができなかった。悲劇ではあるが、それもまた戦いの一つの結末である

 そして、マグナムエースは、GZはーーそれはきっと、これから描かれていくのだろう。彼らの物語は始まったばかりだ。

 そういうわけで、冒頭に戻る。「ロボットスポーツをするアニメ」では『アイアンリーガー』の何たるかは一ミリも伝わらないし、しかもこのアニメ子ども向けでもない。いや、もちろん子どもも観れる内容であるし、ぜひ見てほしいアニメであるが、しかし、この物語に真に共感するのは、社会の中で何らかの役割立場を与えられて生きづらさを感じている大人の方ではないかと思う(無論、子ども子どもで様々な制約の中で生きているのであるが)。覚悟もなく軽い気持ちで見始めた人間が、何もかもが詐欺だと喚き散らすのも許してほしい。心の遣り場がないのである

 覚悟ーーもちろん『アイアンリーガー』というエンターテイメント作品を楽しむのに覚悟などというもの不要な訳だが、しかし、彼らの生き様に心を震わせられる僕たちは、ロボットたちの姿に、一つの覚悟を問われているような気がしてならない。

「正直に生きろ」マグナムエース第一話でそう言った。

 意志を持つということ、意志を貫くということは、痛みや葛藤と隣り合わせだ。しかしその道の先に、意志を持つモノだけが見ることのできる世界が広がっている。僕たちを雁字搦めにする世界のあらゆる制約の中で、それでも、僕たちが「意志を持つモノ」として生きていくことへの厳しくも温かい声援が、僕が第十三話の時点で『アイアンリーガー』に見た、僕の指針としてのテーマだ。

アイアンリーガー』は三十年近く前の作品だが、未だ色褪せることのない魅力と、令和の時代にもなお僕たちが向き合い続けている命題を宿している。この時代にこの作品出会えた幸運に思いを致し、僕にその切っ掛けを与えてくれた先達たちに心より感謝を申し上げる。

 そして、彼らの旅路の果てを、遅まきながら見届けたいと願う。

 おわり

※本筋とまったく関係がないのでここに書くが、そもそもとして、作品テーマというものは、作者が自分表現したいものを「表現するための」指針の一つであり、そして作品受け手の側に立てば、受け手が自らのフィルタを通して、ある種「勝手に」見出した「何か」、あるいは作品を「受け取るための」指針であると僕は考えている。そして、作品というものが、作者の発信と受け手の受信の双方によって初めて成立するものである以上、作者の意図するテーマ受け手の受け取ったテーマが異なっていたとしても(あるいは、作者がテーマを全く設定していなかったとしても)、そのどちらかが正しいということはあり得ない。(曲解を元に作品や作者を誹謗中傷するのなら、それは作品テーマ解釈とは別問題である。)作品に「真のテーマ」などというもの存在しないし、作者が作品テーマを込めようと込めまいと、そして受け取り手テーマを見出そうと見出すまいと、それは作品本質には何ら関係がないのである

アイアンリーガーに騙された -2-

1(https://anond.hatelabo.jp/20210828215226)のつづき

プログラムされた意思

 第九話では、トップジョイの正体と過去が明らかにされる。もともとダークスポーツ財団で「作られた」トップジョイは、ショックサーキットという枷を掛けられ、スパイ行為を「ほとんど」強制されていた。これまで意思を持ち、それを自由行使できると思われていたロボットが、実はそうではなかったということが、ここで明らかになる。

 もちろん、ショックサーキット自体第一話の時点でマッハウインディに埋め込まれた形で登場している。ダークスポーツ財団ロボットたちに背反を許さないようにし、彼らの自由を奪っている事実は、物語の冒頭から提示されていた。

 だが第九話から続くトップジョイ物語は、マッハウインディがショックサーキットに苦しみ、そして克服した第一話・第二話とは少し様子が異なる。マッハウインディが自らダークの元を去り、早々にショックサーキットを切除して完全にダークとの絆を絶ったのに対し、トップジョイはそこから十三話まで、「自らの意思で」ダークとの関係を持ち続けているのである

 トップジョイが――シルバーキャッスル好意を抱き、マグナムエースから手を差し伸べられていたにも関わらず――なぜ十三話までダークとの縁を切らなかったのかについては、明確な描写がなく、少々解釈が難しい。ここから先は憶測比重が非常に大きくなるので、ご容赦いただきたい。

 第九話で、トップジョイはフェアプレーを重んじるシルバーキャッスル、及びそれに共感する子どもたちを「理解できない」と言った。「ラフプレーをすれば客は喜ぶ」「客を喜ばせるのがアイアンリーガー」だと。

 これは、シルバーキャッスルを内部から撹乱するというスパイ行為による言葉ではない。トップジョイ本心だ。彼は本心ラフプレーを正しい行為と捉えているのである。同じ本心で、第八話でキアイリュウケンオーナーの絆に涙し、子どもたちと純粋交流を楽しんでいる一方で。

 同時に、九話ではトップジョイ過去と思いが垣間見える。「楽しむ」ことを大切にした結果、バスケットチームから放逐された過去。それでも忘れられない、バスケットリーガである自分に向けられた観客の歓声。あの場所に戻りたいという思いが、トップジョイ根底にある。

 彼がぎりぎりまでダークとの絆を絶てないでいたのには、この思いが大きいのではないだろうか。トップジョイがダークに従っているのは、ショックサーキットけが理由ではない。もっと根底の、自分存在のものに関わる意思ーーあるいは、心ーーである

 これは完全に僕の推測であるが、第八話で示唆された「ロボットは、人間役割を与えられ、それに相応しいように設計プログラムされて生み出される」という事実を踏まえると、トップジョイのこの「意思(心)」もまた、ある程度製造者によってプログラムされたものではないだろうか。

 作中で、ロボット意思思考、心が人間プログラムされたものだという直接的な言及は(現状)ない。だが彼らが「注文に応じて製造される商品」としての一面を持つ以上、ロボット人間赤ん坊と同じようにまっさら状態で納品されるとは思えない。彼らは製造された時点である程度の機体性能、そして知能と知識を有し、そこには人間意向が相当程度反映されていると考えるのが自然である

トップジョイ」という名前であるがーー彼らがある程度完成された状態で世に出るとしたら、彼らの名前は、その機能・性能にちなんだものであるのだろう(もちろんまったく関係のない場合もあるかもしれないが)。ロボット機能・性能は、つまり製造者が彼らに込めた役割と期待である。「ジョイ」つまり「喜び」。彼は、人に「喜び」をもたらす存在としての役割を期待されたのではないか。故に、ああいった明るい性格に設定され、他者の喜びを自分の喜びとするような性格プログラムされたのではないか。そして、そのプログラムされた心でラフプレーに喜ぶ観客たちを見て、それを自分の喜びとして、そして正しいこととして学習したのではないだろうか。

製造された時点でラフプレーを正しい行為としてインプットされていた可能性もあるが、第九話のトップジョイの「教わった」という言い振り的に、その可能性は薄そうである。)

 だが、その期待は裏目に出た。明るく楽しくを第一義とする性格チームメイトの反感を買い、彼は本来活躍するはずだったバスケットコートに立つことができなくなった。その後、シルバーキャッスルにおいてはーー彼自身純粋から本来スパイという立場を越えて、彼らに好意を抱いているにも関わらずーー逆にラフプレーを許すことができないシルバーキャッスルの皆の心を理解できず、孤立してしまう。

 そして、ダークから虐待を受けても、マグナムエースたちから手を差し伸べられても、本当に自分が望むことに気づきかけても、プログラムされた心で過去に学び、感じた喜びを忘れることができず、ダークとの繋がりを断つことができなかったのではないか

 人間の都合によってプログラムされた「心」によって、トップジョイは傷つき続けていたのではないか

 人間と全く同じように喜び、悲しみ、悩み、傷つく「心」を、人間の都合によって作り出すというこの世界の不気味さが、トップジョイによって突きつけられる。

 そして、第十一話でのS-XXXの結末が、それを決定的にする。

 S-XXXはこれまでのロボットたちとは違い、意思感情の乏しい存在として描かれる。それは本来、僕たちが「ロボット」と聞いて思い浮かべるイメージに近い。

 S-XXXはテンプレート的な「ロボット」として、命令だけを忠実に実行し、サッカーフィールドで「戦争」を繰り広げた。そして最後は、マグナムエースによって破壊される。

 第十一話では、これまでよりも明確にロボットが「商品であることが語られる。S-XXXはアイアンソルジャーという「商品」として、敵を殲滅する者としての役割として与えられ、その破壊力を期待され、品定めされる。彼のロボット然とした意思感情の薄さは、兵士として忠実に命令を実行することを求められ、そうプログラムされた結果なのではないだろうか。

 しかし一方で、S-XXXは「敵を倒す」という目的に対し非合理的シルバーキャッスルの行動に困惑し、動揺する。そして、マグナムエースの「新しい道」という言葉に、ほんの一瞬であるが、本来あるはずのなかった「迷い」を見せた。

 S-XXXにも、心は存在した。

 なぜS-XXXの製造者が「兵器であるロボット「心」が生まれるような知能を搭載したのか、その理由はよく分からない。スポーツ選手であるアイアンリーガーであれば、人間がある種のカタルシスを得るための機能として、人間と同じような心や感情を搭載する理由もある程度理解できるが、迷いが命取りとなる戦場に送り込む兵器に、それは不要のはずである

 もしかしたら「心」というものは、それは製造者意図的ものではなく、自分学習し、アップデートしていくことができるほど高度な知能には、逃れられない副産物なのかもしれない。

 いずれにしても、例え人間ほとんどをプログラムされたものであったとしても、兵器であったS-XXXにさえ、心は存在した。そして僅かに、けれど確かに「新しい道」へと進む可能性があった。

 にも関わらず、第十一話の商人たちは、彼を徹底的に「商品」として扱った。そしてS-XXX自身も、「戦場でない場所には存在不可能」と語っている。

 ロボットは、人間によって役割定義されている。そしてその役割を果たせなければ、彼らは自らの存在意義すら失いかねないのである

 この『アイアンリーガー』の世界に横たわる現実を受け止めるのに、相当な時間を要した。いや、実際まだ受け止められてはいないのかもしれない。人間は自らの都合によって、自分たちとほとんど変わらない心や感情を持つロボット役割という枠に押し込めて生み出し、その存在をも人間の都合によって左右する。この神の模倣とも思える傲慢さに、幾たび怨嗟を吐いたかしれない。

 一方で、自らの意志で生き、誇りを持って戦っているロボットたちを哀れみ、同情を寄せるようなことは、彼らに対する侮辱ではないかという思いもずっとあった。

 僕の心は千々に乱れ、分裂し、二転三転し、自己矛盾に苦しむ日々が続いた。「ロボットスポーツをする子ども向けのアニメ」を観てそんな感情に取り憑かれるなど、一体誰が予想できよう。

 しかし、である。一通り憎悪煩悶に身を投じた後に、ふと気づいたことがある。

 ロボットたちが置かれた現実は、結局、僕たちの生きる現実と同じなのではないか、と。

人間ロボットロボット人間

 僕が七転八倒している時、僕に『アイアンリーガー』を教えてくれた先達は、一つの問いを僕に投げかけた。「ならば、アイアンリーガーはどうなったら幸せなのか」と。

 頭を殴られたような衝撃を受けたせいで、僕がその時どのように答えたのか、正確には記憶していない。「彼らが、やりたいことをやりたいようにやれる」のようなことを言ったような気がする。

 月並み言葉を振り絞りながら、僕はぼんやりと「どこかで聞いたような話だな」と思った。よくある話。人間幸せを語るときに、よく言われるような言葉だと。

 そして、僕の思考は再び振り出しへと戻った。『アイアンリーガー』に最初に感じた、違和感にも似て、それでいて温かかった感覚人間ロボットが、同じ意志や心や感情を持つ存在として、同じように生きている世界

 第一話でマッハウインディはこう言った。俺たちロボットも「人間と同じなんだよ」と。

 それはつまり人間もまたロボットと同じであることを意味する。

 この国で生まれれば(その実態はどうあれ)、僕たちは一応、自由意志(ここでは各種の哲学定義無視して、単に「他から強制・拘束・妨害などを受けないで、行動や選択自発的に決定しうる意志」という意味で用いる。)を認められた存在である

 しかし、完全に自由人間など存在しない。人間もまた、さまざまな制約の中で生きている。親、夫、妻、上司、部下、教師学生、老人、若者、友人……そういった役割立場を与えられ、家庭環境ジェンダー経済力文化時代価値観……そんなあらゆる枠に押し込められながら、社会の中での「あるべき姿」「あるべき意志」を定義され、それに応える「社会人」に育てられてゆく。それは、人間、あるいは「社会」の要請意思や心をプログラムされるロボットと、実はそう大差ないのではないか(語弊を恐れずに言えば、教育とは一種プログラミングである)。

 真に自分の望むように生きている人間などほとんどいない。皆、社会の中で折り合いをつけながら成長し、社会の中で生きている。そして、労働市場の中で自らの価値を計られ、自己存在意義を証明し続けることを要求される。

(そうあるべき、と思っているのではない。ただ事実として、それが資本主義社会の一側面であることは否定できないとも僕は考えている。)

 その姿は、役割を与えられ、商品として売買されるロボットに重なる。

 もちろん、『アイアンリーガー』においてロボットたちが置かれている状況は、僕たち人間より深刻だ。彼らは自らの存在の前提として役割がある。役割がなければ彼らは存在し得ないし、その役割への期待に基づいてプログラムされた意志や心の拘束度は、人間のそれよりも遥かに強い。

 しかし、あらゆる寓話がそうであるように、度合いが強いからといって、それが全く違うということにはならない。制約の中で、それでもなお自らの意志を貫き通そうとするロボットたちの姿に、僕たちは僕たちの姿を見るのである

アンドロイドは電気羊の夢を見るか』の訳者あとがきに書いてあったことだが、アンガス・テイラーという人は、フィリップ・K・ディックの書くアンドロイドについて(「機械的な行動パターンに侵された」、あるいは「内面的に阻害された」)人間隠喩象徴であると述べたそうだ。そして訳者浅倉久志氏は、この作品の中に「人間とは何か?」というテーマに取り組んだとしている。『アイアンリーガー』も、それと似たような物語ではないかと、僕は思う。つまり、『アイアンリーガー』に登場するロボットたちもまた、僕たち「意志を持つモノ」、つまり人間隠喩であり、『アイアンリーガー』は、「意志あるモノが自由を手に入れる」物語ではないかと。

 こんなことを考えているうちに、僕は『BEASTARS』のことを思い出した。『BEASTARS』の登場「動物」も、姿形は動物のそれであるが、やはり人間と同じような意思感情を持つ。彼らを通して描かれているのは、そういった心を持つモノたちのドラマだ。人間と同じ意思感情を持つモノたちが、しかし肉食・草食動物それぞれの身体特性、言い換えれば宿命という強制と制約を背負いながら、学校という一つの閉鎖社会の中で苦悩し、ぶつかり合い、時には折り合いをつけながら生きていく。負った宿命の中身や程度は違えど、そこに描かれているのは紛れもなく心を持つモノーーつまり僕たちの物語である

 と、このような書き方をしたが、あくまでこれは『アイアンリーガー』(や『BEASTARS』)という作品に僕たちが心を動かされる「絡繰」、結果論をそれっぽく言い募っているだけである。『アイアンリーガー』は(恐らく)寓話ではないし、アニメスタッフが彼らロボット人間象徴、あるいはその苦悩の投影先として選んだ、というのも(なんとなくだが)違うような気がする。正直、単にロボットが好きなだけな気がしてならない。

 これについては、象徴隠喩というよりも、同じく『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』の訳者あとがき引用されていた、次のような表現が相応しいように思う。(原典に当たっておらず申し訳ない。)

ディックにおいて、人間アンドロイド生物学上の、あるいは自然科学上の区別は、まったく無意味である。(中略)ディックは、『アンドロイド』と『人間』の形式上区別には関心がない。(中略)ディック世界では、そもそも人間機械自然と人工といった単純な二分律は棄却されている」(『銀星倶楽部12 後藤将之氏「フィリップ・K・ディック社会思想」)

アイアンリーガー』に描かれているロボットたちの生き様を語るのに、彼らが生み出された経緯や理由に潜む人間の驕慢さなどは、意味をなさない。彼らの前で、人間自分たちと同じ心を持つモノを恣意的に生み出すという行為の是非を問うことは無意味であるいかに彼らのルーツに薄ら寒い人間欲望が渦巻き、彼らの意志人間によって指向性を持たされているとしても、それは彼らが「その」自らの意志決断し、戦い、生きてゆく征途の輝きを何ら曇らせるものではない。

 彼らは、ロボットとしての宿命を背負う自らの存在を呪うことはない。背負った宿命の中で、心を持つ故に葛藤に苛まれながらも、心を持つ故に抱いた意志で、自らの宿命を乗り越え、未来を切り開いていく。フェアプレーをしたい。スポーツをしたい。道を極めたい。この場所にいたい。君と一緒にいたい。たとえ世界がそれを許さなくとも、世界がそれを笑おうとも、自らの意志で在りたいように在る。その姿は僕たちと地続きのものだ。彼らはロボットであるから尊いのではない。僕らと同じであるから、眩しいのである

3(https://anond.hatelabo.jp/20210828220439)につづく

アイアンリーガーに騙された -1-

注 この文章は『疾風!アイアンリーガー』を第十三話まで鑑賞した人間が書いています

撒き餌に釣られた者の末路

 とんだ詐欺もあったものである

アイアンリーガー』というアニメを知る人ならば、この「初見人」の慟哭意図を察してくれるに違いない。

 これを呟いたのが、学生生活記憶もとうに色褪せ、メディアを賑わせる人々が自分よりはるか若いことに日々愕然とするようになった齢の人間であり、かつ令和の時代に『アイアンリーガー』というアニメを初めて目の当たりにし、そして今こんな文章を書くに至っているという事実を踏まえれば、なおさら

 何が詐欺か。何もかもである

 多少の表現の違いこそあれ、アイアンリーガーというアニメは「ロボットスポーツをする子ども向け熱血(スポ魂)アニメ」というような説明をされる。

 おそらく、それは間違いではない。間違いではないが――世に溢れる詭弁の数々が皆そうであるようにーー嘘を言っていないことと、それが真実であることは必ずしも一致しない。

 はじめに断っておくが、僕は別にアイアンリーガーというアニメについて「実はこういう真のテーマが隠されている」などと声高に主張する気は全くない。

現実世界に『テーマ』などないように、映画はそこに、ある物語にそった映像を映し出しているだけです。」と、かの伊藤計劃氏も述べているし(伊藤計劃:第弐位相「自腹は神様ではない」https://projectitoh.hatenadiary.org/entry/20060211/p1)、それはアニメも同じであろう※。僕がここに書き散らしているのは、アイアンリーガーというアニメ勝手情緒を乱された人間のお門違いの怨念に過ぎない。諸賢におかれては、どうか哀れみの心で受け止めて(あるいはスルーして)いただければ幸いである。

 話が逸れた。『アイアンリーガー』についてである

ロボットスポーツをする」。何ら間違ってはいない。この物語主人公ロボットであり、「アイアンリーガー」とはロボットスポーツ選手のことである。彼らはスタジアム(他の場所のこともあるが)でスポーツ試合をし、勝利を目指しながら、物語は進んでいく。

 だが、少なくとも十三話までを観て、それはこの作品本質ではないと僕は思っている。(ちなみに、なぜ十三話という中途半端な時点でこんなものを書いているのかと言うと、YouTubeでの無料配信十三話で終わったかである。)

心を持つ工業製品

 作中のロボットたちは、確かにロボットである。彼らはバッテリーで動き、金属身体にはギアが埋め込まれコードが張り巡らされている。外側は一応人間の姿形をベースデザインされているが、人間そっくりアンドロイドではなく、ひと目見て「ロボット」と分かる。大きさも、人間比較すると(その可愛らしい見た目とのギャップ唖然とするほど)かなり、でかい

 それでありながら、彼らには意思感情がある。人間と同じように傷ついたり喜んだりし、迷い、成長し、心を通わせる。彼らの持つ「心」は、ほとんど人間と変わりがない。フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』で、限りなく人間に近い意思を持つアンドロイド人間の、それでも厳然と残っている(とされている)「共感力の有無」という差異も、『アイアンリーガー』では存在しない。

 そんなロボットたちが存在する世界の側も、彼らをほとんど人間と変わりのないモノとして扱っている。アイアンリーガーロボットでありながら、チームと「契約関係にあり、チームの所有物ではない。チームから脱退することも(少なくとも建前上は)、第一話でマッハウインディたちがそうしたように、契約が許す限りにおいては可能なのだアイアンリーガー金も稼ぐし、転職もするし、山にも帰る。

 そうしたロボットロボットを取り巻く世界の在り方は、作品内で自明の理とされている。それについて何ら特別説明をされることもないまま、当然のごとく物語は進む。ロボットたちはガショガショと金属音を立てて歩き、「オイルを飲んだり燃料を食ったり」しながら、人間と全く同一のレイヤーで生き、スポーツをする。

 そして、人間人間関係性の中で生まれる、いわゆる「人間ドラマ」を繰り広げている。

 そのあまりギャップ作品に可笑しみをもたらし、人間とそれ以外のモノがボーダーレス意思疎通しながら共存する世界観は、絵本おとぎ話のような「子ども向け」の空気を感じさせる。

 僕はいわゆる「ロボットアニメ」をこれまでほとんど観たことがないので、そうした世界観が『アイアンリーガー特有のものなのか、この手のロボットアニメではよくあることなのかは分からない。

 だがいずれにしても、この奇妙なまでの人間ロボットボーダーレス世界観こそが、『アイアンリーガー』という作品の(はまる場所、という意味での)「深み」である

アイアンリーガー』における人間ロボット関係性は、もはや「共生」というレベルを超えている。人間ロボットの違いはもはや生命の有る無し「程度」にしかなく、作中でも殊更に「人間ロボットの」違い(と共通点)や、その関係性に焦点を当てることは(少なくとも十三話の時点では)ない。

 もちろん、『アイアンリーガー』の世界には人間もいるので、人間ロボット交流も描かれる。第八話のキアイリュウケンオーナーの話などは、それがメインテーマだ。

 だが、そこで描かれているのは「人間ロボットの」交流ではない。あくまで「同じように意思(心)を持つもの同士」としての、オーナーとキアイリュウケン交流、つまり個人個人交流だ。

 人間ならではの心、ロボットならではの心、という概念は『アイアンリーガー』にはない。『アイアンリーガー』は、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』のように、アンドロイドロボットと似た存在と考えてよかろう)と人間の間で登場人物が苦悩する物語ではない。あるいは『ターミネーター2』のように、本来自分意思感情のない「はずの」ロボットが、人間との交流の中でそれらを獲得していく、という物語でもない。『アイアンリーガー』では、人間ロボット交流も、ロボット同士の交流も、人間同士の交流も、全く同じものであり、それが世界の前提なのである

 しかし一方で、人間と全く同じ「心」を持つロボットは、人間に「発注」され「納品」され――そして恐らく「売買」される存在であるということが、ブルアーマーの過去が明らかになる第三話、そして(よりにもよって)キアイリュウケンオーナーの絆を描いた第八話で明言されている。

 第三話では、なぜブルアーマーのバグを直さなかったのかという問いに対し「バグを直すよりも新しいリーガーを入れた方が早い」とエドモンドが答える。第八話では、キアイリュウケンが「空手リーガー」であり、本来サッカー野球「用」には作られていない、ということが明らかにされる。作中では明言されていないが、恐らく間違って納品された先がシルバーキャッスルでなければ、彼は工場に「返品」されていたはずである

 ロボットたちは、人間と同じ意思感情を持ちながら、同時に「工業製品」「商品であるという事実が、スポーツ試合の影で徐々に明らかになっていくのである

 彼らが工業製品であり、商品である以上、逃れられない宿命がある。ロボットは、人間役割を与えられ、それに相応しいように設計プログラムされて生み出される。

 その現実が、第九話から急激に深刻になっていく。トップジョイ、そしてS-XXXの登場である。彼らの存在が、今まで「人間ロボットボーダーレスに生き、スポーツをしている」という、どこか楽しげで夢のあるアイアンリーガー世界観を大きく覆す。

なぜか途中で切れてしまうので 2(https://anond.hatelabo.jp/20210828220400)につづく

Yahooニューストップ見出し

8/28(土) 17:00更新

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昨日https://anond.hatelabo.jp/20210827173355

孤独死したくないか結婚する←?

孤独死したくないか結婚したい、という考え方の人が世の中にチラホラいて驚く。

結婚したところで夫婦同時に死ぬわけじゃないし、子どもがいたら必ず面倒を見てくれるわけじゃない。

私は地方出身都内在住の女で、自分一人っ子。父は数年前に亡くなっていて母は地元一人暮らしをしている。

結婚を考えてる彼氏はいるが、相手実家は私の地元と反対方向(彼氏東北、私が九州みたいな感じ)。お互い田舎特有の「濃い人間付き合い」「マイルドヤンキーカーストトップ」が嫌で地元を出た陰キャなので、たぶん結婚しても東京を離れることはないと思う。

おそらく母は、あの田舎で一人生涯を終えるだろう。彼氏が「お義母さんと3人で暮らそう」と言ってくれれば解決するけど、還暦を過ぎてから知り合いの一人もいない都会に引っ張り出されるのが母にとって幸せかと聞かれたら私はYESと答えられない。

結婚したところで子どもや孫に囲まれて看取られる人よりも一人で亡くなる人の方が多い(今後は増えていく)んだから孤独死したくない=配偶者子ども介護してもらうことを想定して結婚するのはやめた方が良いのでは、とぼんやり考えたりする。

anond:20210828000807

欧米は諦めてメメントモリ精神でやってけるけど、日本場合ゼロリスクを求めて元々成長が止まってた社会が余計停滞してどんどん貧乏になりそう。

なんつーかとにかく生きて長生きすることに異常な執着があるよな、日本は。

実際寿命は今もトップだし経済も何もかも犠牲にしてただただ寿命を伸ばすことだけを考えて設計された社会って感じがする。

2021-08-27

ゲームプレイヤーの5層

トップ(プロゲーマー)

大会で優勝を重ねたり、ゲームだけで食っていけてる層。そのゲームが好きでやっており、自然運営に影響を与える。

聖人が多いが、自分より下のプレイヤーに興味が無いだけなので聖人に見えるという説が濃厚。

fakerやウメハラ、Macie Jay


プロストリーマー

そのゲームで食うために運営文句言ったりする層。生活が懸かってるので基本ゲーム真剣にやるし上手い。

ゲーム面白くするアドバイスではなく、自分が安定して勝つためのアドバイス運営にして来る。ゲーム寄生虫

Pengu

ガチ勢

現実で上手く行ってないので、真剣にやってないエンジョイ勢を見下しプライドを保っている。

おまえら

イナゴストリーマー

人気を得るためにゲームをやってる層。別にそのゲームにはそこまで興味が無いので、運営愚痴るが具体的な指摘は出来ない。

基本的時間をかけてるので上手いが、プロレベルではない。プロストリーマーにキャリーしてもらったりしてる。

FPSブルーオーシャンだった時代に参入した元プロゲーマーが居て神格化されているが、正直言ってそこまでうまくない。

自己顕示欲が強く、ソロで挑戦シリーズをし自爆し消えていく。

Vtuber、元プロゲーマーおじさん、自称プロゲーマー

エンジョイ勢

現実が上手く行ってるので、ゲームコミュニケーションの道具程度にしか思ってない。それかストレス解消

ゲーム技術が向上するとガチ勢とのすれ違いが生じ、また別のゲームに消えていく。

ワナビストリーマー

人気もなくゲームプレイエンジョイ勢に毛が生えた程度かそれ以下、頭が良くないで運営改善点も言えない。

自分ゲームが好きでやってるのか人気になりたいのか、能力が無い故に負のスパイラルに陥ってる。

無名vtuber

anond:20210827104443

訓練成績自体は悪くないし、同盟国参加の射撃大会トップだったとと自慢してるだろう

能力と戦えることは別で

有能であればあるほど、自分より価値が低い被災者なんかのためになんで俺ら有能が命を張るんだと誰でも思う

はてなー任天堂キッズ多すぎん?

murlock よくわからんけど任天堂に学んだら良いんじゃないの?

atsuououo 任天堂の異常なクオリティをどう捉えるかにもよると思った

skel 任天堂は「新しい仕組みを作ること」が日々の業務と同じぐらいの比率を占めてる。こういう組織は他にはなかなか無い。

exciteB 日本のやりかた(部活学祭内輪ノリ)が通用したのはバブルまで。ゲーム業界もそう。/いまだにまともなゲームを作ってるのは任天堂だが、任天堂組織はこうじゃないだろう。

maroh 日本CSソフト市場は「任天堂とそれ以外」になってしまった。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.4gamer.net/games/999/G999905/20210826081/



これに関しては近年むしろ海外大手スタジオのほうが過酷労働クランチ)が問題になっていて、かつて泊まりきりでゲーム開発を続けるのが常態化していた日本大手はすでにそこから脱しているので現在ゲーム業界に対する指摘としてあまり適当ではない

sushi-K 深夜だけでなく残業時間もでっかく追加手当が必要になったら会社残業が非推奨に傾くかなあ。1人雇うより高いぐらいのやつ。



この手のガチャゲー、スマホゲー害悪論については、そもそも記事でハンサリ氏が好ましい例として挙げてる『原神』がそれにあたるということを知らないのではないか。また、ハンサリ氏率いるWizcorp社がHTML5エンジンスマートフォンゲームの開発に携わっていることを知らないのではないか

koishi ガチャの登場によって日本ゲーム業界は変わったんじゃないだろうか。面白いゲームを作る目的が変わった。直接ではないにしてもコンシューマーにも影響はあるんじゃないかと思うんだが。

wakwak_koba ソシャゲ規制したほうがゲーム品質が上がると思うのだが。いかにして重課金させるか、というところに力点を置きすぎていて・・・買い切り一発勝負の頃のほうが良かった。

hata687 スマホ暇つぶしゲームで一部の物好きがガチャに金を落とし、その金がウェブアプリ広告費に回っていく。国内産ゲームはもうその程度でええんや。15年遅い。とっくに手遅れや。

n_231 まぁ、ソシャゲに人/金が流れてるというのもあると思う



これはそう。そもそもはてなー世界で最も有名なゲームの賞であるThe Game Awardsでスクエニ、コエテクアトラスバンナムフロムプラチナカプコンなどのゲームが受賞したりノミネートされていたことを忘れている

もちろん90年代比較すると相対的国際競争力は落ちているが、アメリカエンタメトップに立つのは当然と思えるし、分相応なポジションに落ち着いただけだろう

それに日本アメリカイギリスくらいにしか目立ったゲームデベロッパーがなかった90年代以前と異なり、現代ではフランスカナダポーランドオランダウクライナ韓国中国など世界中に国際的ゲームスタジオがある

preciar ご指摘ごもっともだけど、日本ゲーム業界普通に世界競争力高いので何をかいわんや/任天堂例外なだけとか言ってる奴は、そもそも任天堂くらいしか知らないだけでしょ?

arumaru 日本にはGOTYも取ったフロムがいるんだが。。



これに関しては→ https://www.famitsu.com/news/201805/11157127.html

kazoo_keeper2 PS3世代あたりからゲーム開発がハリウッド映画以上の「巨大プロジェクト」になってきて、開発規模の拡大と反比例するように、世界における日本ゲームプレゼンスが縮小していった印象がある。

tester4 きちんとプロトタイピングをしないことが、独創的なゲーム作りに繋がってるってところもあるだろう。海外AAAタイトル全部それなりに面白いけど、一生覚えてるみたいな尖ったヤツは日本ゲームの方が多くない?



ほんとこれ

onesplat 日本ゲーム会社給料まじで安いよな。年俸600万でシニアが雇えると思うなよ

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