はてなキーワード: カルト教団とは
1ヶ月ほど経過して気持ちの整理が付きかけたので書く
実家に帰ると姉が長期旅行に出ていた、もう1ヶ月以上家に居ないらしい
東京に帰る前日、姉の近況を聞かされた
・昨年末に結婚相手を連れてきたがそれきりなんの進展もなさそうだったということ
・マルチ商法っぽいことにひっかかっているのではないかということ
封筒にかかれている団体名を検索するとカルトっぽい匂いがぷんぷん(○○被害者の会とか集団訴訟とか
それで「ああ変なものに引っかかったんだな」とおもったが別に引き戻そうという気にはならなかった
姉は家族でもはみ出し者で、俺が実家に居たときでも俺含め家族とは殆ど会話はなく、仕事から帰っても部屋に居るばかり
俺が地元を出てからもそれは続いていたようで、結婚もせず、かといって自立するでもなく実家に寄生する生活をおくっていたようだ
実家での最終日に母から姉の相談事をされ、それなら確かめてスッキリしたほうがいいのではないかと姉の部屋をさぐってみた
姉の部屋など高校時代に小沢健二のアルバムを黙って借りて以来忍び込んだことはない
俺にとって姉はやたらとツンケンして黙ってるか、金切り声を出すかのめんどくさいだけの人間でしかなかった
姉の部屋に入ると老人夫婦の写真が入った写真立てがテーブルにおいてあった
母曰く、この写真を拝んでいるところを何度もみたとのことだった
本棚にはあの時無断で拝借したCDの他に、いかにもマインドコントロールされてる人間が好みそうな自己啓発本数十冊
(というか、どうしてこの手の人間は「数十冊も読んでまだ足りない時点で自己啓発本に意味がない」事に気づかないのか
写真立ての中の写真や本棚を写メで取り、後で本の題名を調べてみた
10年以上前にあれこれ騒がれたカルト教団関連のものだった、しかもその教団自体が発行しているもの
こいつらに拝んでんのかよ、イカれてんなとおもいつつ、まあもう10年以上会話もしてないしどうでもいいかと思った
とは言えここ数ヶ月家を離れているというのが気になり、本棚の写メに映る題名からヒントになりそうなものを検索していった
するとその教団には集団生活をする施設があるというのを見つけた
そこのウェブサイトの集団生活に関するページを見ると、写真の中に姉が写っていた
マジかよ、いや、何となくそうかなと思ったけどこんな感じで分かっちゃうのか
っていうか数年ぶりに顔みるのがこんな形かよ
なに質素な服着て似たような幸薄そうな奴らと集団生活してんだよ
っていうか集合写真に写ってるけどよーくみるとお前他の奴らとちょっと距離あるじゃねーか、治ってねーじゃねーかよ
「一族からタタリ神がでてしまった」っていうオッコトヌシさまの気持ち今なら分かるわ、クソったれ
俺まだ結婚してないのにな、兄弟にカルト信者がいるとかマジ瑕疵物件じゃねーか
正直姉の目を覚まさせて家族に帰ってきて欲しいとか全然思わない
もともと仲良くないし、姉のために1ミクロンでも労力を割きたくない(カルトから脱会させるのって労力いるんでしょ?
姉が稼いだ金であればどれだけ吸い取られても別にどうでもいいし
あちらにそういう共同生活施設とかあるならさっさとそっちで暮らして欲しい(無いと思うけど
5,6年前のこと、母は頭がおかしかった。
「こうするだけで体の痛みがなくなるの」と、自身の膝に手を近づけてブツブツと念じていた。Mr.マリックで画像検索するとたくさん出てくるまさに画像通りのポーズ。
(Mr.マリックさんは多分関与していません)
ある日「ちょっと参加するだけでいいから。じゃないと今月のお小遣いナシよ」と脅迫され半ば強引に車に乗せられた。
(当時高校生でバイトはできずお小遣いだけが生きる糧でした。)
向かったのは、母がその素晴らしいパワーを授かったという新興カルトの総本山。中のホールには老若男女100人以上がいた。
このイベントは信者が家族、知人をとにかく1人連れてこさせる、新規信者の勧誘セミナーだった。信者候補生は会場前段、信者が後段にそれぞれ50人ずつ席を用意されていた。この時、母の友人のおばさん(Aさん)と知り合った。共通の友人に連れられたと言い、隣で「ほんとにそんなすごい事あるのかしらね~」と笑っていた。
壇上にキャリアウーマン風のオバサンが現れた。このオバサンこそが教祖様だった。
そして長々とした挨拶が始まった。「私どもは、宗教でもカルトでも御座いません。ただみなさんにこの力を手にして頂いて、西洋医術に頼ることないより良い生活を送って頂きたいだけなんです。」
「とある地域に療養所を作る計画が御座いましたが、地域住民の方々に『カルトは来るな!』と反対され計画は頓挫しました。」
そして宇宙の真理やらキリスト教ユダヤ教ヒンドゥー教仏教の神々の話やら、やたら広大な話が始まった。宇宙の真理という単語を持ち出す奴にロクな奴はいないと断言できる。
次に、信者の喜びの声発表会となった。
信者が10人ほど壇上に上がり、一人ずつ素晴らしいエピソードを語っていった。生まれつきのアトピーが完治したと涙ながらに語る中年男性。神経性脱毛症が緩和された女子中学生。腰痛から救われ、人生も明るくなったと言う母。周りの信者候補生たちの表情も変わり始めていた。
その後は治癒体験会が行われ、信者と信者候補生が二人でペアを組んだ。
「皆さん今から始めてください!痛みを吹き飛ばしてください!」と言われ、母がどこか痛いところはない?とルンルンで聞いてきた。ただ、自分は至極健康体でケガも無く、仕方なく「肩が痛いかも」と言っておいた。クソ真面目な顔でパワーを送る母と、何も起きない肩。
仕方なく「治った気がする」と苦笑いした。
全員が一通り治療し終わると
「じゃあ、こちらの列の方から良くなった!という人は手をあげてくださいね」と言われた。まさかと思ったが、喜びの挙手がつぎつぎと起こり列の全員が手を挙げた。また次の列も、その次の列も笑顔で挙手している。それを見て心底ゾッとした。
もう全員洗脳されてしまったのか。自分が異端になるのが怖くて恐る恐る手を挙げた。
この場の99%という圧倒的マジョリティに対してなす術がなかった。
周り全員が敵になってしまった。おかしいのは自分なのかと気が狂いそうになり、いっそのことマジョリティになってしまえば楽になれる気がした。
全部で3時間ほどセミナーが続き、その間1度も休憩がなく会場に閉じ込められており、尿意がマックスに達していた。
自分を異端だと責める思いと、尿意が脳内でせめぎ合い、結果として尿意が勝った。
セミナー終了時には、信者候補生側からスタンディングオベーションが起こった。Aさんも「感動したわ~すごいわねぇ」と笑顔になっていた。
終了後、即トイレに向かった。
帰宅して小遣いをゲットし、「あんなもの信じてるなんてキチガイか」と大口論に発展した。現在母にそのカルトの事を尋ねるととぼけるようになった。
ネットコンテンツでは愛国の度を越えて自画自賛オナニーの様相を呈していますが、
弱きを打ち付け強きに媚びる
ナマポや外国人、果ては難民にまで「いい思いしてんじゃねーよ!」と
どす黒い醜い嫉妬で描いた絵を公開して悪びれることもない。
そもそもナマポや外人、在日、難民を羨み恨み憎しみまで抱いているネット右翼とは、
一体社会ではどのような層がやっているのか、なっているのか。
私は最低限の人間らしい生活は保証されるべきであると考えている。
NHKや公務員横領や消えた年金のような遊びに使われないで、それで飢えた人がおにぎりを食べて生きられるなら満足だ。
生活保護者は羨むべき存在ではなく哀れみ憂い、いつ自分がそっち側に行くかもしれないと知るべき存在だ。
食べるものも無く、植えて苦しむ老婆は赤子を食べた。
そのような制度を削るに削ったときに追い詰められた人間がとる行動は何処だって誰だって同じだ(みんなのうたより引用)
差別主義者にはとても臆病な人が多いと聞く。
心の中にチワワを飼っているのだろうか。
なにかと「日本人は悪くない、チョンがわるい」
つづく
つづいた
テレビでも同調して「日本はすごい、日本人は天才だった」と繰り返す。
謙遜は美徳ではなかったのか?
日本人はすごい
何と比べてすごいのか誰と比較しているのか
このような陰湿な自画自賛公開オナニーは書店でも多く見ることができる
テレビでああいえばこういうで天邪鬼ともとれる見識が渦をまいていた。
しかして今はどうだろう?
その、悪意のない嘘、と言うのが世の中で最も怖いのだが。。。
カルト教団と同じだよ?
オウム事件とかだって、誘ってる人間は本気で善意で人を救えると思って誘ってた信者たちだって居るんだよ?
まさか、それらも、善意で人を救おうとする限りは許される、とでも言うわけ?
それが一体どれだけ居る?それこそ「善意」でダマされないように、と言ってる人たちのが多いのでは?
同レベルじゃないよバーカ
宗教の話はここまでは出してないが、
上にも書いたように、人を騙して落とすような事は決して許されない、たとえそれが信者自身が善意だと思っていようが。
そして現代ではまともな宗教ほど科学的事実を否定することはしない。
「科学」とは、言い換えれば単に「人間が知った事実」であり、それを理論的に置き換えたものに過ぎない。
その「理論への置き換え」の部分で解釈に違いが出ることはあれ、
「人間が知った事実」自体を否定することをするのはただの愚行。
だから、カトリック教会なんかはむしろ科学を非常に深く理解していて、如何にに自分たちの論理と矛盾なく説明できるか、を研究してる人達もいる。
ミニマリズム関係なく「ミニマリスト」が胡散臭い理由 - 泡沫サティスファクション
ここで書かれているミニマリストに対する指摘はただしいと思う。
「ミニマリストだからとか関係ねえ。うさんくさいやつがうさんくさいことしてたら胡散臭いって言われるのは当たり前だろ「おまえらが胡散臭いのは、意思を持たずにネクロマンサーに使役されるゾンビみたいな動きしてるからだ。批判にたいして向き合う気概もなしに仲良し集団やってるのはよくいってもカルト教団のようで気持ち悪いしお前らのレベルまで行くと同じ人間とも思えない。ゾンビにしか見えない」これは私も同意する。でもこれちょっとごまかしが入ってるよね。
ミニマリストがうさんくさいのははてなに限った話ではない。そして、はてな外でもポロポロ批判記事をみかけるからその胡散臭さが叩かれるのは共通である。それでも、やはりはてなでは極端に叩かれ過ぎである。やはりそこにははてな独特の事情があるのが妥当である。はてなは、普通の感覚でいえばやはり異常な場所なのだ。これにたいして「はてなは修羅の国だ」といいつつ、どういうところが修羅の国なのかというと「いいことを書けば褒められ、悪いことを書けば批判される」としか説明がない。これはあまりフェアではないような気がする。「いいことを書けば褒められ、悪いことを書けば批判される」だけではてなをサバイブできるのはある程度頭のいい人だけであって、話題になっている自称ミニマリストさんたちのように頭の悪い人間にはそれだけでは不十分ではないだろうか。
炎上の理由の7割は自称ミニマリストさんたちがバカだから、それは間違いない。あの人達バカだからどこいってもいずれ炎上するだろう。だけど残り3割ははてなが変だからだ。その3割をごまかしてはいけない。
はてなブックマークという仕組みの異常なまでの脆弱性(ハックしやすさ)とそれゆえに培われてきたはてなブックマークに対する過剰なまでのモラルの高さは、初心者には理解し難い。3ブクマで新着カテゴリとしてトップページに載ることができてしまうこのシステムは、新陳代謝を促しやすいという意味で優れてきたが、ちょっとした不正や工作、および慣れ合いによる組織票にたいしてすら脆弱である。はてな運営は、そうした不正にたいして自ら積極的に介入することを避け続けてきた。多少アルゴリズムが変化して組織票に対しては対策が取られたようだが根本的に新着のハードルを上げるつもりはないようだ。その結果、はてなブックマークに関しては、各ユーザのモラルに委ねられるところが多い。実際まだ破綻してないので高いモラルが維持されているといってよいと思うが、一方で高いモラルが行き過ぎて暴走する人間がいる。つまらない記事を書いた上で慣れ合いや工作によってはてなブックマークに載る行為ははてなブックマークを汚す行為とされ「しばき隊」が黙認される傾向がある。
「賛同」以上に「批判」(モヒカン族)が結束しやすいシステムに問題はないのか。はてなブックマークのヘビーユーザーは10年プレイヤーがゴロゴロいる。そういう人間は目が肥えすぎている。10年間はてなに存在したあらゆる自意識の血を飲み干したシロクマや、炎上後で焼き殺された人間の肉を食い漁って生き延びてきたヨークシャー・テリアなど妖怪化しているものも少なくない。そんなわけでブロガーに求めるハードルは、他のブログサービスよりかなり高い。特に、目立つつもりがなく書いても、たまたま影響力のある人間によって拡散されてホッテントリした記事などに対する評価は激辛である。そういう人間はいきなり脳天かち割られて即死する危険がある。また「はてなモヒカン」という言葉があるように、欠点や落ち度に対しては容赦なく群がってヒャッハーしていく人が多い。 初心者狩りはよくないと思うぞ。
これに関しては郷に入っては郷に従えって言うべきなのかどうなのかわからんが。とりま、「つまらない記事を書いて目立とうとする奴は殺されても文句は言えない」「良くない記事にブクマをつけるやつは馴れ合い集団として排除する」などなど、理解しておかないと痛い目にあう暗黙のルールがたくさんある。はてな独自の暗黙のルールに嫌気がさす人は、はてなは村社会であるかのように感じる傾向にある。
他にもいろいろ気をつける点があるので、今後も修羅の国はてなでサバイバルしていきたいと思うのであればガイドブック「はてな村奇譚」をよむといいよ!
id:c_shiika 増田実は奇譚読んでないだろ。本当に読んでいたら結論は奇譚読もうじゃなくて、人力検索に相談しようになるはずだ。
ならない。あれの最後は発祥たる人力検索のことも思い出してあげてください、であったはずだが。あなた実はこの文章読んでないだろ。本当に読んでいたらこんなブコメはしないはずだ。ネタの感覚で面白いと思って書いてるんだろうが、私はお前のコメントすごく不愉快だからな。俺煽り耐性低いからな。俺今すごく顔真っ赤っ赤だからな。ミニマリストもたいがいだが、お前みたいな身内のノリで不快なコメントするやつだって同様にむかつくからな。ちょっとはコメントを自重しろ。feitaちゃんを見習え。feitaかわいいよfeita
どちらも社会にある不平等、不公平、不正義を指さして「ここに問題があるので解決しなければならない」と叫ぶ点で類似性がある。
問題は、格差是正問題は問題の焦点を論者が自由に設定できるということだ。年収100万円はいかにもすくないが、200万円だって問題にしようと思えばできる。300万円だって「それでは結婚が難しい」などという但し書きをつければ焦点にすることが可能だ。この焦点の選択は何に影響を与えるかというと「搾取されている人間の割合」の設定に影響を与える。専業主婦を含む不労者を計算にいれれば、国民の50%くらいは年収250万円以下のラインに収まる。つまり「年収250万円以下は搾取されている被害者である」という設定をぶち上げれば、国民の半分は問題に巻き込めるということで、これは年収部分を変更すれば7割だろうが8割だろうが「被害者側」として巻き込むことが可能だ。この種の変数設定可能な論は非常に取り回しがよい。
フェミニズムはそこの部分が弱い。そもそも「女性は被害者である」という主張なので、どんなにどんなに頑張っても国民の50%よりおおくは被害者として設定できないのだ。世の中には当然自分の環境に不満のない女性や納得済みの女性も多いので、現実的には国民の10%も被害者設定できれば良い方だと思う。もちろんだからフェミニズムが間違っているという話では全くなく、「そもそも共感を得るのも支持を得るのも最初からすごく難しい」主張なのだ。
「どれくらい支持が得られる理論か」ってのはかなり重要で、たとえばその割合がかなり少ない場合、その理論の支持者はコミュを存続させるために理論を過激派せざるを得ない。そこから始まるのは「社会を変革するための理論」というよりも「コミュを存続させるための理論」「コミュ内部で権威を保持するための極論」の類であって、カルト教団が生まれる過程そのものだ。
穏当なフェミニズムが社会に浸透して徐々に「一般化」してきたこの10年間という時間の流れから大きく逸脱し、「女性は被害者であり男を打倒すべきである」タイプのカルトフェミニズムはどんどん先鋭化してきてしまった。初期には社会の耳目を集めるために有用だったこういう派手な意見(オタク男は死ねも、同一の文脈)も、今ではフェミニズムの負の遺産となってしまった。
現在日本のフェミニズムが全力で戦うべき相手は、檀兼社会というよりも、日本のフェミニズム論壇が抱えてしまった負の遺産なのだと思う。
「法の華三法行」は2001年に解散となりましたが、現在は「よろこび家族の和」と名前を変えて、活動を続けています。
色々な宗教を転々としながら、宗教活動のノウハウを取得し、教団を設立する。不祥事を起こせば、別の組織に衣替えして、活動を続ける。オウムなどの悪徳宗教団体というのは、多くの共通点を持っているようです。
もう一つ、ねずみ講と一緒で、一度この世界に入ると、なかなか止められない。
「世に盗っ人の種は尽きまじ」
「〇〇と教祖は3日やったらやめられぬ」
でしょうか。
法の華三法行=よろこび家族の和=天華の救済と考えると、「法の華三法行」は「天華の救済」と名前を変えて活動継続している。「色々な宗教を転々としながら、宗教活動のノウハウを取得し、教団を設立する。不祥事を起こせば、別の組織に衣替えして、活動を続ける。」というわけで、相変わらず「法の華」時代と似たようなことをしているのだろうとも推測できる。
天華の救済の前身団体、法の華三法行(法の華)についての体験談
帰り、男女5~8くらいの集団でこーえんにいると円陣、正面に最高ですか裏には似たよーな文句の書かれた布を上着代わりに…。
そしてみーちんぐが終わり散らばると道行く人に「さいこーですか!」と繰り返すだけ。
17だったあたくの所にも訪れます、公園で話したり休憩してる人間に対しては、いい印象を受けると立ち止まります、輪に入ろうとします、勧誘ですね。
あたくしはうざいから、軽くキレて終わらすくらいでした。
この方々「さいこーですか!」は質問してる訳ではなく言ってるだけ押し付けにも聞こえますが何よりあのにこにこした奥の目付きは怪奇。
深夜12時から翌昼の15時まで、そこから歩いてましたがあたくし車だったから寝不足とまだ酒残ってんじゃね?て事で連れが車はだめと言い、しばらく昼下がりの公園でぽーしてましたら数年振りに団体を見ました。
渋谷の交差点とかに単品はよく居ましたが学校卒業してから宮下公園にこんなに滞在したの初だったので久々だなーと…。
連れ「あいつらってさうろうろなんなんだろか?」
あた「ほーの華…」あたくしはこの頃は彼等の正体把握済みでした。
ただ、気になったのは昔に比べ随分減ったって事、この公園に一度集まり散らばるスタイルだった筈だから今あそこに居るのが今日の渋谷チームの数なんだろーな、あの頃の半分くらいだなと勝手に心配。
偶々かもだし活動場所を変えたかもだし大して気にしませんでした。
連れ「あー、福永なんたらね…どエライ訴訟数で大変になりそうなとこ。」
どうやら端くれはそーゆー話題がめちゃくちゃ拡がる前にノータッチなジャンルでも知ってる模様。
あたくし「そうなんだ、だから随分減ったのか?」
あたくしが此処で昔遊んでた話しやこいつらを昔見た話しは済んでいます。
連れ「もうやばいんじゃなかったかな。なんか万単位の人間から何百億をお布施って事で……みたいな。」
ピークと言われた頃に、しょしょしょしょしょしょしょーこー♪が逮捕、戦後最大のカルト教団として連日報道されていた際にエライとばっちりを受けて叩かれた複数の新興宗教の中にこの法ノはながあったのを思い出しました。
そこから付随し信者離れや訴訟の流れになったのかなぁと円陣から散らばったそいつらを眺めながら考えていた………てゆーか散らばったよ…。
あたくしは寝不足クソだりーから離れようと考えましたが有料駐車場がこの公園の真下……もうちょっとも動きたくないって何となくこの体調なら理解できますよね?
信者(きびきびしてる動きや口調から推定45歳だがどう見ても身なりの汚さと肌自体は普通だかシワの多さ深さが60歳。明らかに苦労やストレスに依る顔面は口角も下がり痛々しい)がにこにこで来ます。
信者「さいこーですか!」「さいてーです」←この返しは数年前にあたくしがした最低な返し、初遭遇ならまぁありだが。常連は無い。
あたくし「さいこーですな…そちらは?」
連れ「うるせーばか、ばか!ばか、ばか」
信者何故かフルシカトしたあたくしに(冷たくされたりキレられたりしたら普通に接してくれたとこに戻る傾向がある)「さいこーですか!」これにはちょっとあたくしかちんときまして…。
長いからつづく
続き
あたくし目をジッと見詰め
「………では、逆に聞こう…」
信者「え?」
恐らくこの展開は彼女には初でしょう。
あたくし「空遥、相当の苦難を乗り越えたとお見受けする…時代錯誤なその風貌から想像もつかない未来に何かを期待した表情……最たる高みを諭してくれるのか?話してみなさい。」
あたくしの言葉…とても浅いがそなたとかおみうけとか言っておくといいのさ精神。
連れ「ぉぃ…………ぉい(笑いを堪えている)」
あたくし(椅子くらいの高さの柵に座ってたが立ち上がり近寄り目を見詰め)「さあ、答えなさい、空遥にとって刀とは何か?」??????となりましょ…信者、連れ、やや後方待機様子伺い信者全員ぽかんです。
後方待機は格上らしい、引っ張れそうな話を聞いてくれてるのがいるとタイミング良く現れ畳み掛ける、どこぞの商人とか二人組で家にやって来ますが一人は後方待機もそれ。
信者「………ぇっと…えー…うーん」
連れ小声「かんがえるのかよ……」
あたくし「空遥はその最高ですかと問うのを哲学の刀と?真理の刀と?…物理的武装を纏わない最高の武器とするのかな?それは違う、我がくるじんしんの会(咄嗟の会名だが役立つ)での刀、つまり刀の様な扱いの武装無き武器は最高ですかではなく…。」言葉を止めるあたくし。
え?真っ直ぐあたくしを見詰めています…改宗チャンス?いや、しなくていいさせなくていい来なくていい……狂人神の会なんてないのだから…ちょっと前にやっぱ頭おかしいなー話ししてた流れだから…。
しかし、後には引けない。
俯き、何かが入ってきたかの如く顔を上げ彼女を見詰めて…真っ直ぐ澄んだ瞳(推測)で言った。
「狂ってよかたいねー!!」…………暫くの沈黙→笑う連れを制止、終われないまだ広がるぞ的に睨むあたくし。
連れ「すいません、突然その言葉をシューキガイチが仰るから嬉しくなり…。」今度はあたくしが笑いそうになり俯きます。誰だよ…しゅーきがいちって……。
何故かエセ博多系だし…。
かなり支離滅裂を何故記憶してるかと言うと連れが「さいこーですか!」の生録をしたいから回してたのよテレコ。
呑みで会う前に誰かのインタビューしてたらしい、誰か忘れた。
「どれ、空遥の信仰する教えがどのくらいの我がガイキの知(キチガ○からあたくしのネームを付けてくれた事で浮かんだ)の思想と交差しているか見せてくれ。」と言いながら小冊子とアンケートを受け取ります。
「これは…更なる高みなのか?」と連れに見せたのは何て事無いなんたら集会報告のページだったかな。
連れ「確かに…だが、しかし…。」
あた「そうだな、やはりこの剣では…。立ち去れ…これは我が思想と掛け離れた剣。」刀と言ってたのを忘れてます。
信者「なにがどう違うのですか……。」
あたくし「話しにならない…この教典に列挙されし内容は既にガイキの知では刀ステージで完結、刀ステージとは入信一年未満が脳に刀パルス赤浄化を流されて行う修行だ。」
信者「そうなのですか…がちきのきって団体は存じ上げませんが…あなたはどのくらいの…」
………なんだよ「がちきのぎ」って笑いそうになります。しかし、この時点で何て言ったかちょっと微妙になりツッコミません。
連れ「彼は刀称号156のAクラス、つまり剣ヤンバーのトップって事、あんたすげー人に教えを説いてもらってるんだよ。順位で表すと………」
思い付かねーかよ!と言いたいあたくしは「弾きエモスリアの刀だよ。」ここちょっと聞き取れないのですがこんな感じ。
連れ「ぷっ…」と吹き出したのを「ぷっ……うーん」と無理矢理伸びをしてた。
信者「かなりの御方なのですね。道理で…」と言いながら格上に目配せをします。
やばいだろ…話しが長くなりキレる終わりしか見えなくなる、撤収だろ。
あたくしは話しを終わらせたくアンケートに目をやり「今後の空遥の自慰の系譜に役立てなさい、書いておこう。」と今日一意味不明を呟き、ぺらぺらのアンケートのトップを見た瞬間…………「素晴らしい……これは?帰るぞマグソギラ(思い付きネーミング)空遥の未来に私達の教えは要らぬ。」と去りました。
「てゆーか、何か書いてあったの?」
あたくし、アンケートを見た瞬間に限界に到達、後、数秒で爆笑しぶち壊す
とこでした。
A、知っていた
B、今、知った
……………おぅ……B…かな。
A、知っていた
B、今、知った
オウム元信者であり、地下鉄サリン事件実行犯の広瀬健一氏が、平成20年に大学生へ向けて書いた手紙(忠告)をまとめました。
Q&Aオウム真理教 ―曹洞宗の立場から― | 曹洞宗 曹洞禅ネット SOTOZEN-NET
上記事は1995年に書かれたそうですが、非常に面白かったです。特に、この宗教界からオウム真理教へのAnswerの一つとして
が挙げられていましたね。同様に
若者の宗教的志向性は今後どのように展開するのか、それにたいして教義・教学はどう対応するのか。こうしたけっして容易でない問題への組織的取り組みこそが、いま教団内で強く求められているのではないでしょうか。
と前述のエントリで書かれていますが、一般人である私たちこそ(まさに自分も学ぶべきだと)理解すべき項目は全く逆で、特定の宗教を比較した“教義や教化法の差”ではなく、それを信じてしまう人間側の“信仰生成過程の不可思議さ”でしょう。何故なら人は何かを“信じる”ことなしに、決して生きられず、常にオウムのような組織や教化法と隣合わせに生活しているからです。一度信仰を持った人にとって、その世界観は絶対であり、いくら一般的な通念に反した教義だとしても、自分の方が正しい生き方を貫いていると固辞してしまいます。
では頑な信仰は、一体どのように形成されていくのでしょうか?そして今の時代を生きる若者の宗教的志向性は、時代によって変化しているのでしょうか?
この問いの核心に迫り、私が最近読んで非常に共感した文章があります。それがオウム元信者であり、地下鉄サリン事件実行犯、広瀬健一氏の獄中手記です。
ところで、この文章を執筆している私ですが、昭和~平成のちょうど狭間くらいに生まれました。“地下鉄サリン事件”は、平成7年(1995年)に起こり、当時から今でも語り継がれている重大な事件です。ただ、私が育って物心がちょうど付いた頃くらいから“オウム真理教”や“松本智津夫被告”という言葉がTVから流れており、事件の顛末は当事者としてあまり覚えておらず、どちらかと言うと阪神淡路大震災のTVニュースの方が記憶に残っています。しかし、私と宗教との関わりは、大学生活が始まってから急速に近づきました。端的に言えば、一般的に「カルト」と呼ばれる宗教団体と出会い(当初は、そんな様子を見せずに近づいてきた)、教えを受け、それを忠実に守る人生を送るところだったからです。途中で教えている内容に懐疑を持ち、ネットで検索して団体の性質を知り、自ら関わりを絶って忠実な信徒になることを避けられました。ただ、まさか自分がカルトにハマるとは思っておらず、今考えるとかなり勉強不足、世間知らずの人間でした。それから自分でも宗教や人間の信仰・思考に関する本を読み漁っており、つい半年程前に広瀬氏の文章に出会いました。
『オウム元信者広瀬健一氏の手記「学生の皆様へ」』(2008年公開)
※綺麗な字ですね。ちなみにvol.6の最後に、関係するリンク先を全て記載しています。
この文章は獄中に居る広瀬氏が平成20年に執筆した文章で、総量はA4で59枚、約3万文字もあります。この手記自体はフェリス女学院大学の学生に向けてカルト予防のための講義を行うに当たり、藤田庄市という方がその資料として広瀬氏に執筆をお願いし実現したそうです。昭和63年頃、まだオウムが無名の団体だった頃。自らが、“オウム真理教のナウい教化法”にハマり、染まり、ついには地下鉄サリン事件の実行犯になってしまった広瀬氏。オウムと係わる中で、どんな心理状況に陥ったのか。広瀬氏は本や研究論文も参考にしながら自身の宗教的経験に言及しています。(実際に読みたい方のために、各項目できる限りAmazonや記事のリンクも記載しました。)オウムと禅の比較や、カルト組織の特徴、スピリチュアルにも言及されており、非常に貴重で興味深い内容です。最近、オセロの中島氏と占い師との共依存関係が話題になり、洗脳やマインドコントロールの話も耳にするようになりましたね。この文章は長いので、時間がある際にじっくり読んでもらい、もう一度カルトの存在、洗脳や信仰に対する認知を深めてもらいたいです。
そしてできるなら、FacebookやTwitterでこの記事をシェアしてもらえないでしょうか?大学に入ったばかりの新入生は、カルトの存在にリアリティを感じられないはず。サークルの勧誘期間中は、カルト教団の一番活動し易い時期だからこそ、この警告を全国の大学生にも読んでもらいたいのです。本当に、私の二の舞になって欲しくありません。また、原文を忠実にテキスト化していますが、他人の文章のため間違っている箇所があればぜひ指摘して下さい。(何箇所か英文もテキスト化できていません。どなたかテキストにしてもらえませんか?追記致します。)
最後に、地下鉄サリン事件を通じて亡くなった方のご冥福をお祈りすると共に、オウム真理教、並びに全国のカルト教団を通じて被害を被った方々の苦痛が、一刻も早く和らぐよう祈っています。
学生の皆様へ
「生きる意味は何か」―皆様は、この問いが心に浮かんだことはありますか。
この質問から私が始めた理由は、それが皆様の年ごろの人たちが抱きがちな問題であり、また、若者が「カルト」に係わる契機ともなるからです。
オウム真理教による事件以降も、「カルト」に対する警戒の呼びかけにもかかわらず、その被害が跡を絶たないようです。そのために、「カルト」に関する講座が貴公に開設されたのでしょう。そして、講師の方から「カルトへの入会を防止するための手紙」を皆さま宛に書くようお話がありましたので、引き受けさせていただきました。それが私の責務と思われたからです。
私は地下鉄サリン事件の実行犯として、被害関係者の皆さまを筆舌に尽くし難い惨苦にあわせてしまいました。そのことは心から申し訳なく思い、謝罪の言葉も見つかりません。また、社会の皆さまにも多大なご迷惑をおかけ致しました。その贖罪は、私がいかなる刑に服そうとかなわないと存じております。せめて、このような悲惨な事件の再発を防止するための一助になることを願い、私の経験を述べさせていただきたく思います。
カルトに係わる契機
前述のように、「カルトへの入会を防止するための手紙」を依頼されたのですが、いわゆるカルトのメンバーとしては、私はオウム真理教の信徒の経験しかありませんので、主にオウム真理教(以下、オウムまた教団)の話になります。
カルトは多様なことがらを提示して入会の勧誘をするそうです。オウムもその唯一の目的である解脱、悟りだけでなく、ヨガによる健康法や能力開発の方向からも勧誘するよう私どもに指示していました。そのため、信徒の入信理由は様ざまでした。
しかし、信徒の入信理由の特徴は、たとえば「生きる意味」に対する問いのような、解決が極めて困難な問題に関係があったことではないでしょうか。ただし、この「生きる意味」は、仕事に対する生きがいなどの日常的なことではありません。たとえば、「生まれてきた目的」に係わるような、形而上的ともいえることです。それゆえ、この問題はこの世における解決が困難です。仕事に対して生きがいが感じられないならば、適当な仕事を探せばよいのですが、「生まれてきた目的」などはその存在自体問題になることでしょう。
ところが、オウムは「超越的世界観」を有し、この類の問題を解決する機能がありました。これは、日常を超えたオウムの世界観においては、「生きる意味」や「生まれてきた目的」の解答が与えられており、信徒がその世界観を受容すると問題が解決するということです。他方、この世界観は非現実的であるために、それを受容した信徒は一般的社会における生活に適応しにくくなり、家族や学校、会社から離れて出家していきました。さらに、教団で集団生活をしているうちに、規範意識まで非現実的な教義に沿うものになり、ついに違法行為をするまでに至りました。
このように、「生きる意味」に対する問いはカルトに係わる契機にもなるので、その心理状態への適切な対処を考える受容があると思います。そのためにまず、その具体例をお話します。
私自身は、高校三年生のとき、「生きる意味」の問題を明確に意識するようになりました。そのきっかけは、家電商店で値引処分された商品を見たことでした。商品価値がたちまち失われる光景を観て、むなしさを感じたのです。ところが、それ以来、私はこの「むなしさの風情」を通して世界を見るようになってしまったのです。事あるごとに、物事の価値が気にかかりました。結局は、宇宙論のいうように、すべては無に帰してしまうだけではないのか…との思いが浮かぶこともありました。そして私は「生きる意味」―絶対的な価値に関心を持つようになったのです。そのときは、それまでは大仰に思えた、「朝に道を聞けば夕べに死すとも可なり」と述べた孔子の気持ちがわかるような気がしました。
このような心情に関しては、文献を調べますと、古今東西、類似の経験をした人が多数存在するようです。
スピノザは著書『知性改善論』の冒頭で次のように述べています。
一般生活において通常見られるもののすべてが空虚で無価値であることを経験によって教えられ、また私にとって恐れの原因であり対象であったもののすべてが、それ自体では善でも悪でもなく、ただ心がそれによって動かされた限りにおいてのみ善あるいは悪を含むことを知った時、私はついに決心した。我々のあずかり得る真の善で、他のすべてを捨ててただそれによってのみ心が動かされるような或るものが存在しないかどうか、いやむしろ、一たびそれを発見し獲得した上は、不断最高の喜びを永遠に享受できるような或るものが存在しないかどうかを探求してみようと。
トルストイもその一人です。当時五十歳だった彼は、外面的には申し分なく幸福な状況でしたが、価値観の崩壊から「生きる意味」の模索を始めています。そのときの心情を、彼は著書『懺悔』に記しています。
何やらひどく、奇妙な状態が、時おり私の内部に起こるようになってきた。いかに生くべきか、何をなすべきか、まるで見当がつかないような懐疑の瞬間、生活の運行が停止してしまうような瞬間が、私の上にやってくるようになったのである。そこで私は度を失い、憂苦の底に沈むのであった。が、こうした状態はまもなくすぎさり、私はふたたび従前のような生活を続けていた。と、やがて、こういう懐疑の瞬間が、一層頻繁に、いつも同一の形をとって、反復されるようになって来た。生活の運行が停止してしまったようなこの状態においては、いつも「何のために?」「で、それから先は?」という同一の疑問が湧き起るのであった。
この時分に最も私の心をとらえていた農事に関する考察の間に、突然、つぎのような疑問が起こってくるのだった。
「よろしい、お前はサマーラ県に六千デシャチーナの土地と、三百頭の馬を持っている。が、それでどうしたというんだ?……」そして私はしどろもどろになってしまって、それからさき何を考えてよいのか、わからなくなるのだ。またある時は、子供を自分はどういう具合に教育しているかということを考えているうちに、「何のために?」こう自分に言うのであった。それからさらに、どんなにしたら民衆に幸福を獲得させることができるだろうということを考察しているうちに、「だが俺にそれが何のかかわりがある?」突然こう自問せざるを得なくなった。また、私の著作が私にもたらす名声について考える時には、こう自分に向って反問せざるを得なくなった。「よろしい、お前は、ゴーゴリや、プーシキンや、シェークスピアや、モリエールや、その他、世界中のあらゆる作家よりも素晴らしい名声を得るかもしれない。が、それがどうしたというんだ?……」これに対して私は何一つ答えることができなかった。この疑問は悠々と答えを待ってなどいない。すぐに解答しなければならぬ。答えがなければ、生きて行くことができないのだ。しかも答えはないのだった。
自分の立っている地盤がめちゃめちゃになったような気持ちがした。そして立つべき何物もないような気持ちがした。今まで生きてきた生活の根底が、もはやなくなってしまったような気持ちがした。今や自分には、生きていくべき何物もないような気持ちがした。
以上の記述は、当時の私の心情に共通する点が多々あり、この種の心理状態の特徴をよく表現していると思います。特に「自分の立っている地盤がめちゃめちゃになったような気持ちがした。そして、立つべき何者もないような気持ちがした。」という表現には共感を覚えます。それゆえに、絶対的な価値を求める心理になるのではないでしょうか。
その後、私は哲学書や宗教書を渉猟したり、宗教の実践者の話を聞いたりしました。高校三年生ですと、大学受験の時期ですが、私は大学の付属高校に通っており、いわゆるエスカレーター式に学部に進学する予定でしたから、時間はふんだんに使えたのです。
哲学については、話は論理的に進行しているのですが、その根本の部分―数学でいえば公理―は哲学者個人の感性によって「真理」とみなしているように思えたので、私にはなじめませんでした。宗教についても、私に反射的に生じる反応は、「真偽をどのように確かめるのか」という抵抗でした。教義の核心が非現実的に思われ、根拠なしにはそれを受容できませんでした。
こうして、私の「生きる意味」の探求は行き詰まってしまったのです。そもそも、絶対的な価値を求めることが、ないものねだりであることは半ばわかっていました。しかし、宗教界をはじめとして、それを体得したという人が存在する限りは、自分で確かめざるを得ない心境だったのです。
結局私は、むなしさを感じなくして済む、実行可能な「生きる意味」を定めることによって、心のバランスをとるようにしました。私は理系の分野に関心があったので、将来の職業はその方面以外考えられませんでした。ですから私は、物理法則を応用して、基礎的な技術を開発する研究を目指すことにしました。理想的なのは、半導体素子の発明のような研究だと思いました。このような仕事ならすぐに価値がなくなることはなく、また、それなりに世の中の役にも立つとの考えでした。それより先のことについては、これを考えると何もできなくなるので、目をつむるしかありませんでした。
このように、何年かの間、私は「生きる意味」の問いを棚上げして過ごしていました。しかし、のちに、その問いの影響によって宗教的経験が起き、オウムに入信することになりました。その契機については後述致します。
次に、「生きる意味」の問いが起こる原因についてですが、以下のように、この種の問いは生理的不安定に起因することもあるようです。
思春期から十代後半(ときには二十代始めに入る)まで、成長しつつある人は重大な生理的不安定(すなわちストレス)を示す。ストレスホルモンは、後の成人時代の安定期に比較して有意に増加する。青年期に典型的な大きな気分の揺れは、この不安定さに結びついている。若者は取るに足らない欲求不満があると、多幸福のある熱狂から自暴自棄的に落ち込むかもしれない
人生のこの期間に問われる典型的な問いは次のものである。“それが一体何になるのか”“人生より何か重要なことがあるのではないか”このもどかしい衝動は自己認識の危機の問いで極まる。“私は一体何か”“何が現実か”
また、心理学者のウイリアム・ジェイムズも、人生のあらゆる価値に対する欲望が失われていく「憂うつ」状態から、心休まることのない問いに駆り立てられ、人が宗教や哲学に向かうことを指摘しています(ウイリアム・ジェイムズ『宗教的経験の諸相上』桝田啓三郎 訳 岩波文庫)
「生きる意味」に対する問いが純粋に知的なものならば、それは当人に健全な精神の成長をもたらすかもしれません。しかし、以上のような要因のものならば、無意味なことなので、自覚してそれに巻き込まれない必要があると思います。そのような心理に関する知識があるだけでも、ある程度の予防になるかもしれません。場合によっては、専門家に相談する必要もあるでしょう。特に、その問いにこだわりや煩わしさを感じるならば、注意すべきです。性急な解決を図りがちになり、それだけカルトに接近する危険があるからです。
それでも、「生きる意味」の問い―あるいは、ほかの問題―の解決を、宗教をはじめとするある思想に求めるならば、その選択には細心の注意を払うべきです。前述のように、その解決は「超絶的世界観」に訴えざるを得ないので、その現実生活への影響が懸念されるからです。
ある伝統宗教などはそうだと思いますが、その安全性、有益性が歴史によって検証されている場合は問題ないでしょう。しかし、以下の要素を含むものについては避けるべきと思います。
前回: http://anond.hatelabo.jp/20120324004758
猪突猛進というか、何も見えていないというか。
エゴサーチをしているからなのであろうが、ツッコミをもらってキャパ オーバーになるであろう時に以下のような発言が出ることが多いように見受けられる。
しかし、そんなに人生軽いものとは思えないのだが、失うものはないというのも大切なものを失ったことがないからではないだろうか。また、守るべきものがあることによって人は強くなる。 守るべきものがないときの行動は単なる暴走になることもある。残念ながら、この種の発言が変わるのは人生を大きく左右するようなこと (たとえば子供が出来たり、親が無くなるような大きな事) に遭遇しないと理解することはないだろうとも思われる。
IHayato:何をやっても別に失うものなんてないし、何かを失うとしても、それは最適化の範疇。死ぬわけじゃなし、やりたいことをやれば良い。ということを改めて感じた飲み会。現状維持を抜け出し、自分の信じるアクションを取る人はマジでクールだ。 http://twitter.com/IHayato/status/151648508494090240] |
IHayato:僕は僕の感覚でしか語れないので、みんな自分の答えを持つと良いと思います。何が正しいかなんて答えはないと思いますが、強いて言えば、時間が正しさを証明してくれるかと思います。 http://twitter.com/IHayato/status/154897704567308288] |
IHayato:ブロガーとして、今月から「嫌われ者になる」「オンラインの批判はスルー」「公開ボタン押すのを躊躇わない」という方針にしました。エッジを効かせられるようになって良い感じです。 http://twitter.com/IHayato/status/164312037541937152] |
ただ、先のとおり「旗振り役」のようなので、当然一人ではない。他に多くの人達がいるのだがその人達のことは考えなくていいのだろうか? 「失うものなんてない」という自分自身はそれで良いのかもしれないが、やってきたことが失敗やトラブルに見舞われるといった際に協力者達にも危害が及ぶ可能性があるが、それは考慮に入っている様子は余り感じられない。
また、協力している人達も同じように「別に失うものは何もない」「何が起きても問題ない」という覚悟の下で一緒にやっているのか疑問を感じる。
旗振り役なのであれば、本来はそこまでの責任を負うか最低限考慮に入れて動くべきだろうと思うが、先のような発言なので残念ながら何かの障害が発生した際においてのフォローは余り期待できないように感じられる。一緒に動く人達はそれを考慮しておく必要があるだろう。
しかし、プロジェクトを進める場合においてはステークホルダーが別の視点を持っている場合も当然あると思われる。
そのような場合において、彼の御仁はどういうコミュニケーションをするのであろう。以下の内容と前述の上から目線の話題を合わせると、話しが進むのだろうかと心配になる。
(現状、進んでいるのは一致しているからである。ある意味一致しているところだけを選んでいるとも言えるだろう)
IHayato:価値観の違う人とのコミュニケーションを取ることと、オンラインの粘着批判をスルーすることは明確に違います。 http://twitter.com/IHayato/status/160631189525364736] | IHayato:僕は当面はオンラインの批判は基本スルーする、というアプローチを取ります。これはあくまで僕が辿り着いた答えであって、寛容を貫き、徹底的に対話しようというスタンスを否定するものではないです。玉置さんのアプローチは本当に尊敬です。 http://twitter.com/IHayato/status/158499173786861568] |
IHayato:解決すべき課題がない議論は不毛だと考えます。また、解決するプレーヤーが不在の議論も次に不毛。コミットできる範囲で議論し、より良いアクションを導き出す。価値観の違う人たちとの議論はコミットメントを獲得しにくいから、不毛になりやすい。 http://twitter.com/IHayato/status/167129747111948289] | IHayato:ちなみに一度オンラインの批判をきっかけにオフラインの対話を実践したのですが、全然ダメだったことがあります。そもそも僕がそんなに寛容の精神ある方ではないことに気付いて終わりました…。 http://twitter.com/IHayato/status/158501606625787904] |
IHayato:「否定された気がする」というのが争いの原因だったりする。発信者にそんなつもりはなくても、そう感じる人は出てくる。これは難しい問題。発信者の配慮と、あくまで個人の意見に過ぎない、という受信者側の寛容と自信があれば良いのでしょうけれど…。 http://twitter.com/IHayato/status/172295950788870145] |
IHayato:ダークサイドには落ちずに、やるべきことをやるのみです。 コロシアムには出ない ikedahayato.blog - http://www.ikedahayato.com/?p=5754 http://twitter.com/IHayato/status/164490200091869184] |
kinky_tada:ちょろっとフォローしてみた。 http://twitter.com/kinky_tada/status/151147099134771200] | kinky_tada:まさかの瞬間ブロックww。俺、何もしてねえじゃん!w http://twitter.com/kinky_tada/status/151149391217045504] |
では、そういった *価値観が違う人とのコミュニケーションをする* ために、 *オフライン、つまり現地にて対談を行おう* としても *コロシアムには出ない* という発言を行っている。加えて、価値観が違う人とのコミュニケーションとオンライン批判は違うと言っていながら、価値観が違う人との議論は不毛であるという。
また、「寛容性がないことに気付いて終わった」とあるように、相手に寛容性は求めるものの自分自身がその幅を広げようとすることは考えていないようで、相手を理解しようとする意欲が欠けていると思われる。相手側が彼の御仁を理解し手を差し伸べることによって初めてコミュニケーションが成立するということになる。(前述のパネルディスカッションの例が当てはまる)
そして、この行動は前述の上から目線に関係するが、「自分が相手に合わせる必要は皆無」という態度にも通じる。
さらに、特に厳しい指摘などをするわけでなく、フォローした瞬間にブロックされるケースもあり、本人の発言については一貫性は何もないという状況である。
結果として、自分が発した言葉に賛同支持以外受け付けないソーシャルカルト教団 (村) 創設に向けた方向となる。つまり、コミュニケーションしようとする場合において、仮にステークホルダーが別の価値観であった場合にはそこは無視して進めようとする可能性が高い。そのために指摘や質問といったものもすべからく排除するという行動に出ていると思われる。
ということで、指摘や質問等の意見を言うと確実にブロックされるようになる。 RT を使っているのでメンション扱いになるが、彼の御仁のメンション欄などには表示されないようになる。
IHayato:先ほど某氏から「ハヤトさん最近よく炎上してるけど大丈夫ですか?」という心配の言葉を頂いたけど、ブロックしてるので僕のタイムラインは基本的に平穏です。 http://twitter.com/IHayato/status/160633017558245376] |
IHayato:意外に知られていない機能のようなので。 ブロックすると対象からのmentionが表示されなくなる | ikedahayato.blog - is.gd/aEGAHC http://twitter.com/IHayato/status/165256335250829312] |
kiyoami:IHayato どちらかと言うとメンションをブロックするのがメインの機能ですね。もう一つがフォローのブロック。フォローしなくてもツイートは見れますから、見せない機能では無いと思います。 http://twitter.com/kiyoami/status/165257832030150657] |
IHayato:反響が大きかったのでまとめてみた。 mentionで失礼なことを言ってくる人たち | ikedahayato.blog - is.gd/3xrGgm http://twitter.com/IHayato/status/165285014433579008] |
↓
gosuke:いや、だから面と向かっても言うから。そもそもボク、名出し顔出し所属出しだから…。> mentionで失礼なことを言ってくる人たち ikedahayato.com/?p=5806 IHayatoさんから http://twitter.com/gosuke/status/165297112739880960] |
「平和」とまで言っているのでそれで終わりかと思いきや、自分の評判というのは気になるもののようでこういった行動に出る。
IHayato:ブロックしてるのにmentionよこすのホント止めて欲しいんですが…。純粋に気持ち悪いです。そういう人は全く尊敬できません。 http://twitter.com/IHayato/status/175526124988801025] |
IHayato:まぁ、それこそ良く知らない人から気持ち悪い粘着メッセージ貰うのは、自分が何かを成し遂げている証拠だと思うと良いのか。ホント不快極まりないったらありゃしない。 知らない人に悪口を言われたら - holyppの日記 - is.gd/gGtnRV http://twitter.com/IHayato/status/175529046078259201] |
→ずいぶんと、口が悪くなった
↓
masayuki_hori:たくさんブロックしちゃったけど、自分がtwitterでなんて言われているか気になっちゃって仕方ないから、こっそりエゴサーチしちゃおうかな。。。。弱い!!!!!お子様じゃねーか。 http://twitter.com/masayuki_hori/status/175546227440627712] |
IHayato:アフィリエイト頑張ると嫌儲な人からDisられ、小商いとか低消費とか言うと脂ぎった人たちからDisられるという面白構図になりそうな予感がしている。 http://twitter.com/IHayato/status/179727079305265152] |
先のとおり、メンションは自分のところには現れない。その割に、「ブロックしているのにメンションされている」ということを知っているというのは *エゴサーチ* をしているということになる。
つまり、散々ブロックして自分に対する同調以外は排除していながら、エゴサーチを行い自分の評判を確認し、指摘や意見で使えるところはパクっているという状況である。
たとえば、ブログにつけている写真などで copyright が入っていないことを指摘したらつくようになったのを見ると、明らかにエゴサーチで自分に都合のいいように使っている。
ただし、アフィリエイト & 引用ばかりの書籍紹介は止めないようだが... まぁ重要な収入源らしいし、コピペでブログを書いているような状態なので honz.jp のような書籍紹介は不可能だろう (笑)
さらには実験と称して、ブログにバナー広告の出稿まで求めだした。
http://www.ikedahayato.com/?p=6488
ところがどういうレポートが来るかという質問に対しての答えは... 出ていない (笑)
次なる資金繰りの手段は何であろう。
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/insidears/archives/52097322.html
2009年ので、何を今更なものだけど。
自分の場合、別居して経済的にも別だったが、居場所がわかったら、カギを施錠され帰って行くというパフォーマンスをされた。
こういう事書くと、ぜってーお前のがキチガイとか言われるんだろうな
ネット上にどこまで晒したらどうなるか法的な事もわからなかったが、今の自分に失くすものも無い
アパートも半壊させられた
家賃滞納は無かったが、家賃払わないからって、物件そのものを壊すわけないから、それは成り立たない
こういうところで、自分のあらんばかりの思い込みで人を傷つける妄想を全開にする人格障害か本人も本当に通院してるという人も出るが、そういう人種でもさすがにその妄想は成り立たないyo
追ってくる親について
http://alfalfalfa.com/archives/1494324.html
「一人暮らしで親と絶縁している人 その8」
6 : 774号室の住人さん : 2011/01/13(木) 12:23:35 ID:T3Hg5DG6 [1回発言]
73 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/02(月) 12:03:11 ID:bMrFeuQL(4 回発言)
自立しつつも他人に思いやりを示せる人間になる。
ところが、運悪くオ○ム真理教のようなカルト教団に生まれてしまったら、
自立させないように、間違った洗脳を受ける。
家庭においては、教団=家族、教祖=親、信者=子供という形式を取る。
親の教えこそが常識で、子供は親に際限なく尽くすべきという洗脳をする。
子供がその教えに反抗し、自立しようとすると、教祖である親の呪いの言葉が聞こえてくる。
カルト宗教の場合は「地獄に落ちる」「教えに逆らうと天罰が下る」、
家族においては「親不孝者」「お前は悪い子だ」といった呪いの言葉が頭をよぎり、
親に逆らうことに罪悪感を感じる。当然、心情的には逆らわない方が楽である。
脱退した信者を追いかけて連れ戻そうとするかのように、どこまでも追いかけてくる家族もいる。
洗脳が完全に解けて、「親が間違ってたんだ」とはっきりわかる子供もいれば、
結局、罪悪感と奇妙な居心地の良さから、家族のところへ戻っていく子供もいる。
もちろん、一生何の疑いも抱かず、有害な洗脳をされたままの子供もたくさんいる。
日本はまだまだ、親や教師の言うことをきくのが良い子とされる意識がある。
こうした土壌が、子供を行き詰らせる原因となっている。
http://logsoku.com/thread/toki.2ch.net/cafe50/1154065671/
もっと具体的で生々しい情報も
4 774号室の住人さん :2010/02/24(水) 16:22:05 ID:tqTOtpEi
保証人:
住所と名前だけ口の堅い話の分かる友人に頼んで、連絡先はプリペイド携帯なりを1台買い足すなり
住民票:
凸の恐れがある場合は住むところと別のところに
分籍と転籍を繰り返せばちょっとはばれにくくなるかも
その旨を役所で説明すれば追跡されないらしい
http://logsoku.com/thread/toki.2ch.net/homealone/1294755320/
5 : 774号室の住人さん : 2011/01/11(火) 23:42:22 ID:mBQknnpr [5回発言]
一人暮らしで親と絶縁している人 (実質9)
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/homealone/1286604432/ より
7 名前:774号室の住人さん[sage] 投稿日:2010/10/09(土) 15:12:05 ID:8A03ZL6c
※契約書類に親の情報を書かない。住民票は個人情報だけのもの。保証代行使えば関係なし。
↓
したあと分籍
このとき新たな本拠地を決めなければならないが、出来れば遠隔地がいい。
↓
さらに分籍
どうせダミーだが附票請求されたときに手続きが面倒になるようにしておく。
↓
個人的に住民票移動は将来的にしなくては自分に不利なのでいつかはしたほうがいい。
戸籍移動させる際に面倒なことになるが(本当なら住民票移動してないといけないから)
正直に役所に事情を言えば相手も色々な人を見てきてるので手続きしてくれる。
とくに都市部は手続きに厳しいチェックをされるが、同時に訳ありに理解がある。
反対にマイナー地域だと目立つので分籍先は都市部をおすすめする。
転居先が決まっても自分(過去スレでの書き込み主)は2ヶ月後ぐらいに移動した。
この人たちもおかしい
もっと怒ればいいのに
親と生活しているなら、養ってもらっている分際で!とか嫌なら出て行けばいい、と言う口さがない世間に対し、それなりに当たってると思わざるを得ないかもしれないが
親は子供に対し愛情深いもの、そうできないのは、何か事情があるからだ、などという甘い幻想や親と言う宗教は、このような親の前では吹き飛ぶ
人格に問題がある人、精神的に問題を抱えた人、というのは、割合は僅かでも存在していて、それがたまたま親と言う立場の人だった、というだけ
これを言っただけで、ストーカーというのが、被害妄想的と思ったのか、勝手に薬をやめてませんか?次回の診察で医師にこれをプリントして見せて下さい。きちんと薬を飲めば治りますよ、と知恵遅れじゃない質問サイトで書かれた。
お薬をのめばこれらの人も全て解決するのか?!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!?
http://alfalfalfa.com/archives/1494324.html
■編集元:一人暮らし板より「一人暮らしで親と絶縁している人 その8」 これって、自分ら同士でいじめあってるより、国家に責任を問うべきじゃないのか!!!!!!!!!!!!!!!! このスレは今ぐぐって出たところだからまだ読んでないから、虐めあってるかどうか知らないが、スレによって弱い者がもっと弱い者を叩く、みたいになってるのも見た。 虐待者本人じゃなく叩きが好きで来た関係ない人かもしれないけど。
4 774号室の住人さん :2010/02/24(水) 16:22:05 ID:tqTOtpEi
保証人:
住所と名前だけ口の堅い話の分かる友人に頼んで、連絡先はプリペイド携帯なりを1台買い足すなり
住民票:
凸の恐れがある場合は住むところと別のところに
分籍と転籍を繰り返せばちょっとはばれにくくなるかも
その旨を役所で説明すれば追跡されないらしい
なんで、こんな事を実の親に対してやらなきゃならんの!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
http://logsoku.com/thread/toki.2ch.net/homealone/1294755320/
5 : 774号室の住人さん : 2011/01/11(火) 23:42:22 ID:mBQknnpr [5回発言]
一人暮らしで親と絶縁している人 (実質9)
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/homealone/1286604432/ より
7 名前:774号室の住人さん[sage] 投稿日:2010/10/09(土) 15:12:05 ID:8A03ZL6c
※契約書類に親の情報を書かない。住民票は個人情報だけのもの。保証代行使えば関係なし。
↓
したあと分籍
このとき新たな本拠地を決めなければならないが、出来れば遠隔地がいい。
↓
さらに分籍
どうせダミーだが附票請求されたときに手続きが面倒になるようにしておく。
↓
個人的に住民票移動は将来的にしなくては自分に不利なのでいつかはしたほうがいい。
戸籍移動させる際に面倒なことになるが(本当なら住民票移動してないといけないから)
正直に役所に事情を言えば相手も色々な人を見てきてるので手続きしてくれる。
とくに都市部は手続きに厳しいチェックをされるが、同時に訳ありに理解がある。
反対にマイナー地域だと目立つので分籍先は都市部をおすすめする。
転居先が決まっても自分(過去スレでの書き込み主)は2ヶ月後ぐらいに移動した。
6 : 774号室の住人さん : 2011/01/13(木) 12:23:35 ID:T3Hg5DG6 [1回発言]
73 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/02(月) 12:03:11 ID:bMrFeuQL(4 回発言)
自立しつつも他人に思いやりを示せる人間になる。
ところが、運悪くオ○ム真理教のようなカルト教団に生まれてしまったら、
自立させないように、間違った洗脳を受ける。
家庭においては、教団=家族、教祖=親、信者=子供という形式を取る。
親の教えこそが常識で、子供は親に際限なく尽くすべきという洗脳をする。
子供がその教えに反抗し、自立しようとすると、教祖である親の呪いの言葉が聞こえてくる。
カルト宗教の場合は「地獄に落ちる」「教えに逆らうと天罰が下る」、
家族においては「親不孝者」「お前は悪い子だ」といった呪いの言葉が頭をよぎり、
親に逆らうことに罪悪感を感じる。当然、心情的には逆らわない方が楽である。
脱退した信者を追いかけて連れ戻そうとするかのように、どこまでも追いかけてくる家族もいる。
洗脳が完全に解けて、「親が間違ってたんだ」とはっきりわかる子供もいれば、
結局、罪悪感と奇妙な居心地の良さから、家族のところへ戻っていく子供もいる。
もちろん、一生何の疑いも抱かず、有害な洗脳をされたままの子供もたくさんいる。
日本はまだまだ、親や教師の言うことをきくのが良い子とされる意識がある。
こうした土壌が、子供を行き詰らせる原因となっている。
これを言っただけで、ストーカーというのが、被害妄想的と思ったのか、勝手に薬をやめてませんか?次回の診察で医師にこれをプリントして見せて下さい。きちんと薬を飲めば治りますよ、と知恵遅れじゃない質問サイトで書かれた。
お薬をのめばこれらの人も全て解決するのか?!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!?
http://alfalfalfa.com/archives/1494324.html
■編集元:一人暮らし板より「一人暮らしで親と絶縁している人 その8」 これって、自分ら同士でいじめあってるより、国家に責任を問うべきじゃないのか!!!!!!!!!!!!!!!! このスレは今ぐぐって出たところだからまだ読んでないから、虐めあってるかどうか知らないが、スレによって弱い者がもっと弱い者を叩く、みたいになってるのも見た。 虐待者本人じゃなく叩きが好きで来た関係ない人かもしれないけど。
4 774号室の住人さん :2010/02/24(水) 16:22:05 ID:tqTOtpEi
保証人:
住所と名前だけ口の堅い話の分かる友人に頼んで、連絡先はプリペイド携帯なりを1台買い足すなり
住民票:
凸の恐れがある場合は住むところと別のところに
分籍と転籍を繰り返せばちょっとはばれにくくなるかも
その旨を役所で説明すれば追跡されないらしい
なんで、こんな事を実の親に対してやらなきゃならんの!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
http://logsoku.com/thread/toki.2ch.net/homealone/1294755320/
5 : 774号室の住人さん : 2011/01/11(火) 23:42:22 ID:mBQknnpr [5回発言]
一人暮らしで親と絶縁している人 (実質9)
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/homealone/1286604432/ より
7 名前:774号室の住人さん[sage] 投稿日:2010/10/09(土) 15:12:05 ID:8A03ZL6c
※契約書類に親の情報を書かない。住民票は個人情報だけのもの。保証代行使えば関係なし。
↓
したあと分籍
このとき新たな本拠地を決めなければならないが、出来れば遠隔地がいい。
↓
さらに分籍
どうせダミーだが附票請求されたときに手続きが面倒になるようにしておく。
↓
個人的に住民票移動は将来的にしなくては自分に不利なのでいつかはしたほうがいい。
戸籍移動させる際に面倒なことになるが(本当なら住民票移動してないといけないから)
正直に役所に事情を言えば相手も色々な人を見てきてるので手続きしてくれる。
とくに都市部は手続きに厳しいチェックをされるが、同時に訳ありに理解がある。
反対にマイナー地域だと目立つので分籍先は都市部をおすすめする。
転居先が決まっても自分(過去スレでの書き込み主)は2ヶ月後ぐらいに移動した。
6 : 774号室の住人さん : 2011/01/13(木) 12:23:35 ID:T3Hg5DG6 [1回発言]
73 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/02(月) 12:03:11 ID:bMrFeuQL(4 回発言)
自立しつつも他人に思いやりを示せる人間になる。
ところが、運悪くオ○ム真理教のようなカルト教団に生まれてしまったら、
自立させないように、間違った洗脳を受ける。
家庭においては、教団=家族、教祖=親、信者=子供という形式を取る。
親の教えこそが常識で、子供は親に際限なく尽くすべきという洗脳をする。
子供がその教えに反抗し、自立しようとすると、教祖である親の呪いの言葉が聞こえてくる。
カルト宗教の場合は「地獄に落ちる」「教えに逆らうと天罰が下る」、
家族においては「親不孝者」「お前は悪い子だ」といった呪いの言葉が頭をよぎり、
親に逆らうことに罪悪感を感じる。当然、心情的には逆らわない方が楽である。
脱退した信者を追いかけて連れ戻そうとするかのように、どこまでも追いかけてくる家族もいる。
洗脳が完全に解けて、「親が間違ってたんだ」とはっきりわかる子供もいれば、
結局、罪悪感と奇妙な居心地の良さから、家族のところへ戻っていく子供もいる。
もちろん、一生何の疑いも抱かず、有害な洗脳をされたままの子供もたくさんいる。
日本はまだまだ、親や教師の言うことをきくのが良い子とされる意識がある。
こうした土壌が、子供を行き詰らせる原因となっている。
ここは、あとで編集で消せるから、見る人いるかどうかわからないけど、コピペしてみよう。
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こんな前のに、わざわざコメントするのも、変かもしれませんが思った事があります。
鋭い舌鋒大変素晴らしいと思います。
これくらいの細かい見方を、実親には向けられてないようですが、ブログ主さんの実親の方はそんなんじゃないんだと思います。しかし、これだけの鋭さを里親全体に向け、里親団体の矛盾里親制度の矛盾を個人の里親の人や志望の頭が足らないような無邪気さを持つ人に向けるとしたら、実親についてこちらのブログにあるポエムだって、実親のわかりにくい虐待や異常心理の犠牲になった人たちにとっては、親という神話や宗教を補強している、やめてもらいたいと思わない事もないですよ。
しかし、それは受け取る側の問題だと認識するしかないわけですよ。
別に、自分の親の素晴らしさや良さを表現して悪いわけはないし、虐待する親がいたとしても、虐待しない親もいる、愛情深い親も居る
それは、事実して受け入れないと仕方ない部分としてあきらめるわけですよ。
里親制度と実親制度は違ってる部分が大いにあり、里親制度は公費を大量に使ってます。実親制度の場合は、制度としてさえ認識されてません、それが当たり前で古来より続いてきたものだから・・・
しかし、社会の責任というのは、近代国家の理念からいうと、どちらの制度の不備に関してもあるはずですが・・・
僅かばかりの、はっきりした暴力や死に至らしめるような虐待という形で、現れない限り、実親というのは、自然に愛情を持って子供に接する事ができる人、子供の事を思わない親は無い、などという事になってしまうわけですよ。
ここで挙げられていた里親の下心的(性的ないみじゃない)なもの、全部自分中心、感謝されたがる、押し付けがましいなど(このとおりの言葉ではなかったかもしれないけど)、全部実親の”一部”にも当てはまります。
あきらかに、営利目的なものと、人格障害的な里親と、ただの無神経な人や、人間のエゴからくるものと、それぞれ分けて考えないと、的確な批判とは言えないのではないでしょうか?
このエントリにコメントしてる里親の人のコメントを見ると、確かに犬猫となら問題なくやって行けるかもと思ったり、子供に精神的に依存しそう(というか考え方が既に依存してる)な人もいました。
それと同じにしないでくれ~!!と言いたくなるのでしょう。
書いていて、途中で気付いたり、よくまとまってないですが、実親でもこの程度の人はいます。虐待と関係ない部分で。
愛情というのは自己愛から同性愛へそして異性愛へと進むとか、言われてますが
エゴを含まない愛は無いし、愛情の根底には自己愛があるとも言えるのではないでしょうか?
中には、そんな本能的なものではなく、思慮深い愛情を持っていて、自分や家族や関係ない第三者的な人にも、関われる人もいるかもしれませんが
普通に、可愛い可愛いと何か小動物を愛でたり、子供を愛でたりする単純な本能的な温かさを持つ愛というか、そのようなものを持つごく普通の人について。
それを普通と言ってしまってはまずいのかもしれませんが、所謂大衆的愛、里親になりたがるような頭が足らない、知的レベルも高くない専門里親になる知識も根気も無いような層についてです。
なぜ、このブログを読むかというと、児童虐待は強烈な人権侵害でもあり、里親制度の構造的卑劣さとともに、許すべからざる行為であるという事もありますが、
この↓記事などの秀逸さに啓発されるからでもありました。
http://xxxxxxxxxxxxxxxxx(伏字にしときます)
今のここの記事でも、実の親への健全な愛着を愛着障害と決め付ける、とか、その子供を可愛がった人を悪く言う事の説明をみて、ああなるほどなと思いました。
私は長年ずっと離れて(避難して)暮らしていて経済的にも関係のない実親から、故人を悪く言うFAXを私と利害の対立していてかなり理不尽な事(住んでいる建物を住んでいる状態で立ち退かせたいから壊した。他の賃借人は全部無料で追い出した。私は出るに出られなかった。壊すまでの期間が2ヶ月無かった。私が調停を申し立て法律に則った交渉をと言っていた)をしてきた業者を経由して送って来られ、驚いていたら(その他の内容も異様だったため)、業者と一緒に鍵を無断交換し、施錠して置き鍵もせずに、ドアに「カギをとりかえましたので、連絡下さい。xxxxxxxx(携帯番号)両親の名前」が書かれ私をフルネームで呼び捨てにした紙が貼ってある状態にされました。
警察が民事扱いとして中途半端に介入したので、余計混乱したし、東京で日弁連会長の宇都宮弁護士が家賃を払ってない人たちがされた鍵の無断交換で、不法侵入と器物損壊で告訴状を出していたと知ったので、検察に告訴状を持って行ったら
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「親を告訴するなんて」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
と言われ受け付けてもらえませんでした。
FAXと建物破壊画像など http://goo.gl/P1GMG
弁護士も宇都宮弁護士と違って弱者救済を謳っているところには結構酷い人もいました。
アパートの保全をするという事で電話相談で話した弁護士が紹介した弁護士は、保全できないと言いましたが、後でそこと関係ない弁護士には「おかしいな、仮処分申請出せるはずなのに」と言われました。相談時に借家が壊されて損害賠償請求した訴訟の資料も持って行って話しているので余計おかしいです。建物を壊しても何の権利も侵害してないんだったら、その訴訟で勝たないはずだからです。保全するのは保全命令を出す地方裁判所の保全課で弁護士は仮処分申請を出す手続きをする事ができるだけで、自分で保全命令は出せないですが、仮処分申請は出せるし、私にある権利をないもののように説明するのはおかしいです。
相談してたのに壊されたなんて、おかしいのに、どこも取り合わないし、親は全力で業者の味方をするし・・・
他にも某巨大掲示板では、親から逃げている人の情報交換のスレッドがあります。どこまで本当か証明はできないですが、URは保証人無しで入れるなどの情報や住民票ロックの方法も出てました。
里親はいくら虐待しても追っては来ませんが、実親は追ってきます。虐待しておいて年老いたら当たり前のように介護要員としようとするらしいです。親が職場や大学院に嫌がらせ(本人は嫌がらせではないというらしい)来て辞める事を余儀なくされたり、お金をせびりに来たり、子供の名義で借金したりするという書き込みもありました。(真偽の証明はできてませんが)
そこで見た書き込みで「家族と言うのは宗教団体に似ている」というのがありました。
以下コピペ
73 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/02(月) 12:03:11 ID:bMrFeuQL(4 回発言)
自立しつつも他人に思いやりを示せる人間になる。
ところが、運悪くオ○ム真理教のようなカルト教団に生まれてしまったら、
自立させないように、間違った洗脳を受ける。
家庭においては、教団=家族、教祖=親、信者=子供という形式を取る。
親の教えこそが常識で、子供は親に際限なく尽くすべきという洗脳をする。
子供がその教えに反抗し、自立しようとすると、教祖である親の呪いの言葉が聞こえてくる。
カルト宗教の場合は「地獄に落ちる」「教えに逆らうと天罰が下る」、
家族においては「親不孝者」「お前は悪い子だ」といった呪いの言葉が頭をよぎり、
親に逆らうことに罪悪感を感じる。当然、心情的には逆らわない方が楽である。
脱退した信者を追いかけて連れ戻そうとするかのように、どこまでも追いかけてくる家族もいる。
洗脳が完全に解けて、「親が間違ってたんだ」とはっきりわかる子供もいれば、
結局、罪悪感と奇妙な居心地の良さから、家族のところへ戻っていく子供もいる。
もちろん、一生何の疑いも抱かず、有害な洗脳をされたままの子供もたくさんいる。
日本はまだまだ、親や教師の言うことをきくのが良い子とされる意識がある。
こうした土壌が、子供を行き詰らせる原因となっている。
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里親の批判になぜ啓発されるかわかりました。
里親の愛情に含まれているエゴを完膚なきまでに叩きのめすからです。
トイレの水を飲ませるというほどの犯罪的な酷さ(犯罪的じゃなく証明されれば犯罪として捕まるはずですが)ではなくても、エゴの部分を指摘するのを見て、啓発されるものがあったんだと思います。
里親というものの矛盾は、制度を営利目的で利用する人以外にも、親と言う立場になりたい人による犠牲や迷惑もありますが、そのあたりの滑稽さ(こっけいさ、笑えるって事です)を考えると、”親”というものの全体を皮肉る事にもなるのではないかと思います。
しかし、こちらでは、実親に対しては、大甘な視点、視線を送られているので、まあそういうものなのだなぁと思うわけです。
滑稽さというのは、親のエゴも身内なら許して貰えるのに、里親だと許されないからです。(こちらのブログの理屈ではそうなっているように読めます。)
そのあたりが、実は血縁関係にある実の親子でも、親は子供にエゴを押し付け許してもらっている、という事実を浮き上がらせているように思えます。