はてなキーワード: ヨークシャー・テリアとは
言ってる事自体が間違ってるとは思わないのだが、どことなくフワフワしててけむにまかれている(筆者自身が「ガハハハ」と言う感じがする)から聞いていて納得出来ないのは僕だけかしら?模倣とパクリは違うし、模倣したものを出す時にかっこ良くならない、元ネタへのリスペクトや根回しが不足してるといった事態があれば、批判されてしかるべきだと思うのだが…。
なんだろう…やまもといちろうのようなキレがない…。
切り込み隊長繋がりらしいけど、なんか、切るというよりもはたくいう感じ…ああ…そういうことか。なんかキレ方に重さがないなぁ…と思ったらそういうことね
思ったよりも中川さんのツイートが長いよ~><追いかけて連続RTしてるけど、フォロワー減るんじゃないかと心配になってくるほどの連続RTになってきたぞ…
キレた時こそ何が言いたいか的確にしないと、本当にただの散文になって、怖いだけの得体のしれない人になっちゃいますからね…。少なくとも僕はそれを避けてます
kanose 本人、キレた時に何が言いたいか的確にしてるつもりらしい! ヨークシャー・テリアショック!
評判が評判だけに中川さんにはもうちょっと期待してたのですが、思ったより残念な仕上がりなんですよね…。覗き始めたから終いまでみますが、かなり後悔してます。(RTは減らします。すいません)
kanose 出~勝手に期待して勝手に失望奴~。っていうかこの豚まんこの勝手に失望メソッド使いすぎ。ライターに対する悪口ほとんどこればっかりでバリエーションなさすぎぃ!
これが我々の業界(ブログ界隈)では最上位の一人と言われてるから悲しくなる…。「敵に回すとめんどくさいけど、味方にすると頼りにならない」…どっちかというとそれ、本物川とかkanoseのことじゃねーの…?まぁ、味方されたことないけど、彼らの援助でうまく行った・幸せになれた信者の存在も聞かないし…この連続投稿を見て褒めてるんだから、はてなのレベルの低さにがっかりしました
kanose 発作です。
この連続投稿を見て褒めてるんだから、はてなのレベルの低さにがっかりしました
はてなのレベルの低さにがっかりするの何ヶ月ぶり何度目?3ヶ月ぶりであることは確かです。
kanose 違います。1ヶ月前にもがっかりしてます。記憶力なさすぎる。
はてなブックマークのおすすめユーザーのところにkanoseを出すの、やめて><3年半も前から存在は知ってるし、リアルでもお会いしてるけど、お互いがお互いフォローしてない時点で、そういう関係だといい加減察して><
ミニマリズム関係なく「ミニマリスト」が胡散臭い理由 - 泡沫サティスファクション
ここで書かれているミニマリストに対する指摘はただしいと思う。
「ミニマリストだからとか関係ねえ。うさんくさいやつがうさんくさいことしてたら胡散臭いって言われるのは当たり前だろ「おまえらが胡散臭いのは、意思を持たずにネクロマンサーに使役されるゾンビみたいな動きしてるからだ。批判にたいして向き合う気概もなしに仲良し集団やってるのはよくいってもカルト教団のようで気持ち悪いしお前らのレベルまで行くと同じ人間とも思えない。ゾンビにしか見えない」これは私も同意する。でもこれちょっとごまかしが入ってるよね。
ミニマリストがうさんくさいのははてなに限った話ではない。そして、はてな外でもポロポロ批判記事をみかけるからその胡散臭さが叩かれるのは共通である。それでも、やはりはてなでは極端に叩かれ過ぎである。やはりそこにははてな独特の事情があるのが妥当である。はてなは、普通の感覚でいえばやはり異常な場所なのだ。これにたいして「はてなは修羅の国だ」といいつつ、どういうところが修羅の国なのかというと「いいことを書けば褒められ、悪いことを書けば批判される」としか説明がない。これはあまりフェアではないような気がする。「いいことを書けば褒められ、悪いことを書けば批判される」だけではてなをサバイブできるのはある程度頭のいい人だけであって、話題になっている自称ミニマリストさんたちのように頭の悪い人間にはそれだけでは不十分ではないだろうか。
炎上の理由の7割は自称ミニマリストさんたちがバカだから、それは間違いない。あの人達バカだからどこいってもいずれ炎上するだろう。だけど残り3割ははてなが変だからだ。その3割をごまかしてはいけない。
はてなブックマークという仕組みの異常なまでの脆弱性(ハックしやすさ)とそれゆえに培われてきたはてなブックマークに対する過剰なまでのモラルの高さは、初心者には理解し難い。3ブクマで新着カテゴリとしてトップページに載ることができてしまうこのシステムは、新陳代謝を促しやすいという意味で優れてきたが、ちょっとした不正や工作、および慣れ合いによる組織票にたいしてすら脆弱である。はてな運営は、そうした不正にたいして自ら積極的に介入することを避け続けてきた。多少アルゴリズムが変化して組織票に対しては対策が取られたようだが根本的に新着のハードルを上げるつもりはないようだ。その結果、はてなブックマークに関しては、各ユーザのモラルに委ねられるところが多い。実際まだ破綻してないので高いモラルが維持されているといってよいと思うが、一方で高いモラルが行き過ぎて暴走する人間がいる。つまらない記事を書いた上で慣れ合いや工作によってはてなブックマークに載る行為ははてなブックマークを汚す行為とされ「しばき隊」が黙認される傾向がある。
「賛同」以上に「批判」(モヒカン族)が結束しやすいシステムに問題はないのか。はてなブックマークのヘビーユーザーは10年プレイヤーがゴロゴロいる。そういう人間は目が肥えすぎている。10年間はてなに存在したあらゆる自意識の血を飲み干したシロクマや、炎上後で焼き殺された人間の肉を食い漁って生き延びてきたヨークシャー・テリアなど妖怪化しているものも少なくない。そんなわけでブロガーに求めるハードルは、他のブログサービスよりかなり高い。特に、目立つつもりがなく書いても、たまたま影響力のある人間によって拡散されてホッテントリした記事などに対する評価は激辛である。そういう人間はいきなり脳天かち割られて即死する危険がある。また「はてなモヒカン」という言葉があるように、欠点や落ち度に対しては容赦なく群がってヒャッハーしていく人が多い。 初心者狩りはよくないと思うぞ。
これに関しては郷に入っては郷に従えって言うべきなのかどうなのかわからんが。とりま、「つまらない記事を書いて目立とうとする奴は殺されても文句は言えない」「良くない記事にブクマをつけるやつは馴れ合い集団として排除する」などなど、理解しておかないと痛い目にあう暗黙のルールがたくさんある。はてな独自の暗黙のルールに嫌気がさす人は、はてなは村社会であるかのように感じる傾向にある。
他にもいろいろ気をつける点があるので、今後も修羅の国はてなでサバイバルしていきたいと思うのであればガイドブック「はてな村奇譚」をよむといいよ!
id:c_shiika 増田実は奇譚読んでないだろ。本当に読んでいたら結論は奇譚読もうじゃなくて、人力検索に相談しようになるはずだ。
ならない。あれの最後は発祥たる人力検索のことも思い出してあげてください、であったはずだが。あなた実はこの文章読んでないだろ。本当に読んでいたらこんなブコメはしないはずだ。ネタの感覚で面白いと思って書いてるんだろうが、私はお前のコメントすごく不愉快だからな。俺煽り耐性低いからな。俺今すごく顔真っ赤っ赤だからな。ミニマリストもたいがいだが、お前みたいな身内のノリで不快なコメントするやつだって同様にむかつくからな。ちょっとはコメントを自重しろ。feitaちゃんを見習え。feitaかわいいよfeita
愛があろうがなかろうが、文章を書けないって配偶者は詰んでいる。
結論から先に言えないとか、枝葉末節がいい加減とか、組み立て方が全く違うのも辛いけどさ。
別に論文みたいに理路整然と根拠のあることしか言わないとか、そんなんでなくても良い。
俳句の一つも嗜んでいなくても良い。
Twitterが趣味でなくても良いし、はてブで辛辣なコメントを入れるとか、ヲチャーでなくても良い。
ヨークシャー・テリアとかどーでも良い。
流石にカタコトだと困るけど。
主題の異なる話題2つを混ぜて書かれたら何で嫌なのか、そんなことすら意識できない頭。
幸せだ。
無垢そうなヨークシャー・テリアである彼をただ愛でていればいい。
でも私達は覚えている。
狂犬のひきつった嘲笑を。
血に塗れた牙の鈍光を。
昔は誰もが知っていたのに、今となってはもう存在すら忘れ去られてしまったidたちの断末魔を。
人は彼ははてな村の村長だと言う、あるいは長老だと言う。誰もが畏敬する。
なぜだ? ただ古参だというだけで、ただ居座った、意地汚く居残ったというだけでそこまで?
間違えるな。彼は居座ったのでも居残ったのでもない。
「生き残った」のだ。
かつて、はてなは戦場だった。今となってはもう語るものすらいないほどの昔の話だ。だが事実だ。
そこは天上の地獄だった。毎日がだんじり祭だった。憎しみが連鎖し、血が血であらわれ、idコールは果し状がわりの白い手袋、マッチョがウィンプのケツを掘り、非モテどもには要は勇気がなかった。そんなキリング・フィールドで「ただ生き残る」ことがいかに至難であったか。あの時代を体験した人間で、自らの手を汚さずにいられたものなどいなかった。
そうして、上から目線ゲームがバベルの塔ばりの高さに達したとき、かつてはてなでバトルを繰り広げたバトラーやウォッチャーたちは神の怒りに触れ、そんじゃーねとばかりに現実へとディアスポラし、転職したり共著を出したり単著を出したり映画化されてみたりTBSラジオでメインパーソナリティを務めたりインターネットをバカと暇人のものにしてみたりモテないやつは脳に問題があると言ってみたり秋ごとに翻訳小説をハゲラッパーに紹介したりメンヘラとヤったり自分が死んだあとの世界を計劃してみたり女子高生野球部マネージャーにピケティを読ませてr>g野球に目覚めさせたりした。
名も無き弱者たちは地下へと潜り、今は増田と呼ばれる非ブログアクターとして現代はてな社会を新しい暗黒に追いやっている。
だが、彼だけは違った。
彼だけは、はてなを離れなかった。離れられなかった。なぜか。神がその存在を許したからだ。ここに在るように命じたからだ。
疑うなら最寄りの神社へ行ってもらいたい。
門の両脇に据えられた、二匹の犬の像を認めるはずだ。
彼らは地上につかわされた神使であり、エジプトのスフィンクスなどとも起源を一にするという。
向かって左の犬の像は、阿形、すなわちサンスクリット語における「しなもん」を表し、
向かって右の犬の像は、吽形、すなわちサンスクリット語における「ケンケン」を表す。
はてなには狭き門も広き門もなく、ただ遺物(ARTIFACT)を護る番犬がいるだけだ。
私達はその犬を、犬たちを畏れる。彼らは古参だから。彼らは生存者だから。彼らは勝者だから。
私達は犬たちを忘れることができない。
犬たちは不滅だ。たとえ肉体的な死を迎えたとしても、その眼は常に生き残る。左の犬の眼は私達を愛し、慈しむ。右の犬の眼は私達を監視し、専制する。
「カノセ」は「カオス」がなまった言葉だという。私達はそれを信じる。
はて「な」を「支」配する「者」、秩序(コスモス)を司るしなもんに対置される混沌。陰と陽。ふたつでひとつの世界。
しなもんとはkanoseであり、kanoseはシナモンである、というのは単に「神とは神のことである」とトートロジックに言明しているにすぎないだろうか?
そう、彼らは神である。自らに命令し、自らに従う最上位の権力だ。
今なら私達はローマの偉大なる詩人、ユウェナリスの疑問に応えることができる。
"しかし、誰が見張りを見張るのか?"