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はてなキーワード: Wikipediaとは

2020-09-20

はてブジャパンライフという詐欺会社についてどう注意喚起してきたのか

2013-07-01に初めてジャパンライフトップページ[これはひどい]タグ付きの無言ブクマが付く。2番目のブクマ2018年11月まで待たなければならない。

Wikipediaの項目は2017年12月24日に初めてページが作られたようだ。

変わったところでは2013-06-24にこんなブクマもあった。皮肉かと思ったが本当に感謝しているように見える。

SKE48のよくばり課外授業!6/23まとめ 今回も面白かった カーセブン様、ジャパンライフありがとうございます:SKE48まとめエンクラ

https://b.hatena.ne.jp/entry/ske48encra.doorblog.jp/archives/28761770.html

2009-04-07に同様のマルチ業者の一覧がブクマされており、ジャパンライフもそのリスト中に含まれている。

連鎖販売取引ネットワークビジネスマルチ商法)業者名鑑

https://b.hatena.ne.jp/entry/www.cooltatujin.com/mlm/meikan.html

同じ社名のレンタル会議室業者ブクマされている。他にも似たようなジャパンライフ○○という会社ブクマされている。これらはおそらく無関係会社だと思う。


2014年消費者庁が動き出す前からジャパンライフ悪徳さ加減を認識していたブクマカが数人はいたようだが、ほとんどのブクマカは消費者庁が動き出して以降に認識し始めたと思われる。

2020-09-17

行政改革」とかいう周回遅れのスローガン

Wikipediaによれば、行政改革が叫ばれ始めたのは1980年代の中曽根行革以降のことだそうだが、最も記憶に新しいのは、小泉内閣「聖域なき構造改革」だろう。行政改革は「行政組織効率化と経費削減」が目的とされ、もちろんそれ自体は真っ当なお題目だ。だが、それに名を借りた利益誘導実態も、この十年二十年で明らかになってきた。

最も分かりやすい例は、労働者派遣法の規制緩和だろう。この「改革」で最も利益を得たのが人材派遣業界であることは論を待たないが、その改革主唱者人材派遣会社グループ会長職に収まりながら、未だに政治に対して大きな影響力を保っていることを、我々はどう考えればいいのだろう?

いわゆる加計学園問題も、加計学園への私的利益誘導とみなされかねない政策が「国家戦略特区諮問会議による規制改革」という建て付けで正当化され、擁護されていたことは記憶に新しい。最近、再び話題になっている大阪維新の会による「大阪都」構想も、行政スリム化の名の下に「市」の利権を取り上げたいという欲望が見え隠れする。

河野太郎「行政改革目安箱(縦割り100番)」が物議をかもしているが、彼自身のこれまでのネット上での「目安箱活動」の実績を考えれば、本心から「縦割り行政弊害をなくす」と意気込んでいるであろうことは疑いない。だが、晴れて担当大臣になった以上は、細かい効率を拾い集めて潰していくという「一議員でもできる程度の」活動に終始するのは感心しない。

行革」が単なる利権の付け替えに堕し、社会強靭さを(コロナ対応で明らかになったように)損なう結果となったのは、長期的な展望を持たず、目についた些末な効率を取り上げてつつき回すという我々日本国民政治家の態度に原因があり、それは結局、自分権益を拡大したい人間隠れ蓑として都合の良いものしかない。そして、菅政権就任にあたって唐突に(本当に唐突に)「行政改革」を唱え始めたのは、特にこの路線弊害反省もせず、むしろ積極的継続しようとしているからだろう。僕は、河野さんの真っすぐな所は何だかんだで評価しているのだが、河野さん自身はそれでいいのだろうか?

河野行革相は、平井デジタル相と密に連携して、もっと未来日本行政組織のあるべき姿についてグランドデザインを描くような仕事をした方がいいのではないかと思う。それなしに小手先改革に終始すれば、その行革は間違いなく「裏舞台の住人達」の喰い物にされて終わるだろう。

[][][]新聞社レントシーキング王者

レントシーキング - Wikipedia

民間企業などが政府官僚組織へ働きかけを行い、法制度や政治政策の変更を行なうことで、自らに都合よく規制を設定したり、または都合よく規制の緩和をさせるなどして、超過利潤(レント)を得るための活動を指す[1]。

これによる支出生産とは結びつかないため、社会的には資源の浪費とみなされる。

クロスオーナーシップ

電波割当制

記者クラブ制度

国有地払い下げ

日刊新聞紙法

再販

軽減税率

押し紙SDGs・ESG・エコ



刑法

背任

第二百四十七条 他人のためにその事務を処理する者が、自己若しくは第三者利益を図り又は本人に損害を加える目的で、その任務に背く行為をし、本人に財産上の損害を加えたときは、五年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。

ttps://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=140AC0000000045

バレエチュチュスカートの中のフリルパンツ

今回もブルマーとは関係ないが

イギリス人ブルマー調査から、ずいぶん遠くまで来た。脱線脱線を重ねてきた結果だ。しかし、昔から気になっていたので、バレエチュチュ(ふわっとしたスカートみたいなあれ)についても調べておこうと思う。子どもの頃に、やっぱりこれがエッチだと思ったからだけではない。どんなことでも、疑問を持ったならば調べることは大切だからだ。それに、こういう素朴な疑問だけれども面と向かって聞きにくいことについて調査し、書き留めておくことは、誤った憶測に対抗する上での価値があると信じている。

これは、単純にお尻フェチだとかパンチラ萌えだとかだけの話ではない。僕たちの欲望がどのような仕組みになっているのか、そして欲望喚起するシステムがどのように働いているのかを理解することは、逆説的に欲望暴走コントロールすることにつながるはずだ。言い換えるならば、社会が求めている女性像/男性から自由になる手段であり、政治広告から発せられる都合のいいメッセージから身を守るすべにもなる。

前置きが長く、堅苦しくなってしまった。どうか肩の力を抜いて読んでいただきたい。

実際、チュチュスカートの中ってどうなってるの?

まずは以下の画像をご覧いただきたい。

https://tutusthatdance.com/blogs/faq/parts-of-a-tutu

これは、クラシック・バレエチュチュ基本的構造である。pantyと書かれている項目に、「ここにフリルが縫い付けられる」と書かれている。要するにお尻の曲線はそこまで丸見えにはならないのである

しかし、このフリルにもいくつか種類がある。英語版wikipediaのtutuの項目には、現代チュチュとして、次の4つが挙げられている。

他にも、日本語版記事には、

短く硬い、釣り鐘状のスカートを持ったチュチュ。通例、パンケーキチュチュより長い。ドガ作品で多く見られる。

https://en.wikipedia.org/wiki/Edgar_Degas#/media/File:Edgar_Degas_-_The_Ballet_Class_-_Google_Art_Project.jpg

これだけを調べるのにも、意外と時間がかかった。当たり前だが、カタログ写真では普通スカートの中まで写さない(というか、写すべきでもないだろう)。「inside pancake tutu」では、こういう資料は見つけたが。

https://www.pinterest.jp/pin/560487116124411506/

http://4.bp.blogspot.com/_Ozo7z2zkqWs/S-i2wVfcR1I/AAAAAAAACYQ/zDek9ewzWno/s1600/platter.jpg

チュチュの縫い方で調べたらもっと出るかもしれない。

結局、その下はどうなってるの? バレエパンツ問題

世の中には私と同じような疑問を持つ御仁もいらっしゃるようである

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11205496201

さて、ウィキペディアチュチュの項目を見ると、「ツン」というパンツ部分を指す言葉が出ている。引用すると「ツン(Tune)はスカートと一体になったチュチュパンツ部分。……(中略)……構造的にロマンティック・チュチュには存在せず、ロマンティック・チュチュではバレリーナ下着としてステージショーツを別途着用する(広義では、これもツンと称する場合もある)」となっており、幾分ややこしい。

また、その下着の項には「チュチュを身に付ける際は下着として薄手のキャミソールレオタード状をしたバレエファウンデーションを着用する……(中略)……色はほとんどの場合ベージュである」との記載がある。

要するに、レオタードみたいになっている場合普通下着を身に着けるし、パンツ部分がチュチュと分かれているものでも、オーバーパンツはいているわけである。当たり前ではあるが。

ロマンティック・チュチュ1832年、「ラ・シルフィード」で初めて案出されたらしいので、先ほどのツンについての記述と比べれば、現代につながるフリル付きの見せパン起源はそこにある、と判断できそうである。ただし、英語版wikipediaには「ツン」の項目はなかった。

また、興味深いのは注釈の「ただし、アンダースコートとは異なり、ツンのフリル横方向よりも縦方向に付けられる場合が多い」という個所だ。確かにさっきの画像でもそうなっていた。フリル趣味時代的変遷だろうか?

で、何でこんなにスカートは短くなったの?

Wikipedia英語版のballetの記事バレエ歴史を振り返ると、拾い読みだが、次のような流れになっている。

まず、バレエ起源ルネサンス期の宮廷でのダンスにさかのぼる(ルイ14世も踊ったほどだ)。それが徐々に劇場で公演されるようになった。

17世紀の頃は、女性衣装は重たい生地と膝丈のスカート構成されていて、動きやしぐさを出すのが難しかった。しかし、これでは動きやジェスチャー制限ができてしまう。これが18世紀になると、スカートは地面からインチの高さになる。色はパステルカラーが主流となり、さまざまな飾りが華やかでフェミニンスタイルを強調するようになる。現在踊られているバレエでは一番古いものがこの時代で、「ラ・シルフィード」「ジゼル」が知られる。以下は18世紀絵画だ。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/49/MarieSalle.jpg

19世紀初頭には、身体にぴったりとフィットした衣装が用いられるようになる。具体的にはコルセットが導入され、身体ラインが見えるようになった。また、花冠、コサージュ、宝石などの小道具も導入された。クラシック・バレエでは「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」「白鳥の湖」がよく知られる。次の画像では、少しスカートが短くなっているのが確認できる。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/72/Giselle_-Carlotta_Grisi_-1841_-2.jpg

そして20世紀バレリーナスカートは膝丈のチュチュとなった。正確なポワント(足の技)を披露するためである舞台衣装の色も鮮やかに変わった。20世紀作品としては、「牧神の午後」「春の祭典」が名高い。1910年写真を貼る。

https://en.wikipedia.org/wiki/Ballet#/media/File:Agrippina_Vaganova_-Esmeralda_1910.jpg

それから現代バレエではこうなる。

https://en.wikipedia.org/wiki/Ballet#/media/File:Grace_in_winter,_contemporary_ballet.jpg

画像をご覧いただければ、スカート丈がどんどん短くなっていくのがよくわかる。

さて、結論を述べよう。Wikipediaによれば、衣装が重いと細やかな表現ができないのと、脚を使ったテクニックを見せるようになったため、スカートが短くなったようである

ちなみに、海賊というバレエでは、へそ出しの衣装存在しているらしい。確かにbunkamura食事に行ったときバレエ衣装を展示していたが、そこにへそ出しファッション衣装があったことを思い出した。バレエにしては大胆だと思った覚えがある。

搾取問題ちょっと真面目に考えてみる

ブックマークコメントはありがたく読ませていただいており、不快だというお叱りも真摯に受け止めたく思っている。確かにパンツじゃないのにパンチラに見えてしまって欲情する人がいるってのは幾分デリケート話題であり、増田ではないとやりづらい。また、どの程度ユーモアを交えて描くか匙加減も難しい。それを受けて、少し考えておきたい。

僕は割と美術鑑賞が好きで、ドガ作品も好きなのだが、その背景を知っていると、手放しで褒めることはできない。再びウィキペディアから引用しよう。日本語版からだ。

エドガー・ドガバレエダンサーを描いていた頃、バレエダンサー現在と違い地位の低い人が身を立てるためにやっていたため、バレエダンサーは蔑まれていた。主役以外のダンサー薄給生活しており、パトロン無しでは生活するのが困難だったとされる。パトロン達は当然男性が多く、女性ダンサー娼婦の如く扱っていたと言われる。かくして、フランスバレエから男性ダンサーはいなくなり、フランスバレエ低俗化することになる。

もちろん、どんな事情があったとしても、弱い存在表現しようとしたドガ作品価値は損なわれない。しかし、僕は問わねばなるまい。スカートが短くなったのは、果たして本当にダンサー意志だったのか、と。そして、女性身体を見せるようになった流れの誕生は、観客も共犯だったのではないか。こうして性的好奇心を持ってしまう僕も、同じではないか

もちろん、過去のことだからからないことが多いし、究極的には真相は明らかにならないかもしれない。女性が美しい肢体を見せたいと思ったとしても、それは男性が主流だった時代文化の中で育ったからそう思っただけなのかもしれず、どこまで本当に主体的判断たか判断は難しい。とはいえ過去人間が何を考えていたのか、それはどの程度自分だけの決断によって決められたことか、証拠が不十分なままでこちらが断定するのは越権行為だろう。

しかしながら、現代に生きる僕らは、自分主体的にしていると思っている行動の多くも、無意識のうちに同時代文化支配されていることには、自覚的であることが求められるだろう。欲望の仕組みを知るとは、そういうことだ。読者諸氏も、自分フェチ起源を考えてみると、きっと得るものがあると思う。

スポーツでも……?

身体を使った表現と性の問題は扱いが厄介だ。ただでさえスポーツは厳しい師弟関係パワハラになる危険があるうえに、新体操などの身体表現のあるスポーツでは、性暴力にまつわる訴訟は絶えない。

スポーツではないが、芸術と性も深い関係にある。どちらも人間の根源に根差しており、安易善悪を論じることが困難だ。バレエ例外ではない。師弟の間で身体が親密に触れあい過ぎて恋愛関係になってしまう例がある。美しさへの憧れが恋愛感情欲望混同されることだってある。現に、男女だけでなく、ディアギレフとニジンスキ―の同性愛関係もよく知られている。こうしたことが、後から振り返ってみれば不適切な関係だった、師弟の力関係を利用していた性暴力だった、と判断されることにもなるかもしれない。とはいえ、これらは個々の具体例によって判断すべきだ。正直なところ手に余るし、多くの人の人生について書くことになる。ここでは語りつくせない。

今までこうした社会的な側面から女性ファッション歴史に触れてこなかったのは、元々は衣装のもの歴史を書きたかったのであり、社会の反応まで行くと本題がその中に埋もれてしまうことを恐れてのことだった。しかしながら、ドガが好きな自分としては、いい機会なのでここで一言断っておく必要がある、と感じた次第である

何を好きになっていいし、対象にはどんな感情を抱いてもいいと思うけれど、歴史や経緯は知っておきたい。それが、芸術スポーツに励む女性性的な魅力を感じてしまう僕なりの折り合いのつけ方だ。そして、盗撮などの犯罪には断固反対する。

結論、まとめ、考察

今後の発展、展望

今回の調査では、見せパン起源と推測される年代までは確認できた。しかし、細部は依然として明らかではないため、何らかの形で補完したい。

そこからメイド服、またはロリータ服における、見られても恥ずかしくない下着について調べるかもしれない(知識がほぼないのでとんでもない誤解かもしれない)。または、キャバレーでのラインダンスバニーガールについて、になるかもしれない。あるいは、再びブルマー回帰するかもしれない。それは明日の気分次第だ。

とはいえ、しばらくは休みたい。自分欲望やその起源について考えることは有意義であったし、文章化することで過度のブルマーへの執着やフェティシズムは手放すことができたからだ。一段落した感じがある。この言語化妖怪名前を付けて対処法を見つけたようなものだろうか。どろどろ、もやもやした不可解なブルマーに対する欲望が、知的ものとして把握できるようになった。

まり増田欲望を垂れ流すことで、落ち着くことができた。知識が増えて勉強になったという肯定的意見、ねちっこく不快だという否定的意見、どちらも自分の姿を客観的に見せてくれた。すべての意見に対して、ここに感謝言葉を述べたい。

おまけ

ドガの絵を見ていたら、レオタードらしいものを見つけた。

ttps://en.wikipedia.org/wiki/Miss_La_La_at_the_Cirque_Fernando#/media/File:Edgar_Degas,_Miss_La_La_at_the_Cirque_Fernando,_1879.jpg

2020-09-15

無力感

女子が惨殺されるような事件

Wikipedia過去凶悪犯罪記事を読んだり

ニュースで見聞きするたびに

また助けることができなかったと

そういう境遇存在肯定する世界にしてしまったと

ひどく無力感を覚える

Wikipediaおっさん構文

日本の読者の皆様、こんにちは🙂。お邪魔して申し訳ありませんが、この火曜日ウィキペディアあなたのご支援必要としています。読者の98%は寄付をしてくださらず、見て見ぬふりをします😢。あなたがご希望記事を読む前に私たちがお願いしているのは¥300、或いはあなたがお支払いいただける金額のご寄付です。どうぞスクロールせず、ご支援をお願いいたします🙇‍♂️🙇。

前の請願文の方がまだマシだったような、、

2020-09-14

anond:20200914015016

そうかも

私は私なりに世界ちょっとでも良くしたいなと思って働いてるけど、ヒラ社員からまだまだそんなの夢でしかないし、それこそWikipedia名前が載るか否かみたいな基準なら彼の方が「世界に認められる価値のある仕事」をしてるって評価されても仕方ないと思う。分野的に人を救う研究ではない気がするけど……(この基準も浅はかな自覚はあるよ)。

ここにこんなこと書いてる時点で答えは決まってるんだけどさ、別れるよ私。

相手研究家事収入で支えたい!って気持ちが持てなくなった自分が情けなくもあるけど。

私がいなくなっても彼は実家に帰ればいい訳だし(実はそういう事情よく知らないんだよね、もしかしたら駄目かも)、なんか吹っ切れた。みんなありがとう

ポスドク彼氏家事をしない

幸か不幸か早いうちに成果を出して、もう学者への道しか見えてない感じ。

凄いとは思うけど、それ以降は鳴かず飛ばず

学部卒で卒業した歳下の私が、今は彼の倍以上稼いでる。

同棲してて、生活費も私の方が入れてるけど、彼は忙しいって言って家事から逃げてる。(というか、100私)

このまま彼が教授になるまで待つのちょっとしんどいな〜〜

彼は子ども欲しいって言ってたけど、つくるなら中学受験させたいともめっちゃ言ってる。え、つまり私が大黒柱として稼いだお金中学受験させるってことかな……家事全部負担しながら……?あんまり仕事できる方じゃないし、そんなマルチタスク自信ないよ……

別れてもいいのかな ブスでも20代ならまだ望みある?もう結婚しなくてもいいのかもな〜

追記】私は私なりに頑張って働いてるけど、それこそWikipedia名前が載るか否かみたいな基準なら彼の方が「世界に認められる価値のある仕事」をしてると思う。

から相手研究家事収入で支えたい!って気持ちが持てなくなった自分が情けなくもあるけど、匿名掲示板に書くくらい鬱憤が溜まってるのは明らかに良い状態ではないし、ちゃん相手に話して別れようと思います

アカデミアに進めなかった自分コンプレックスがあったんだなぁ…って、書き込みながら思いました。相手一方的に悪く書くのは簡単だけど、自分の歪みと相対することになって今とっても惨めです。いくらフェイク混ぜてるとは言え「こいつの前提大学院ことなんも分かってないな、整合性ゼロ」って思われても仕方ないです。実際私は大学院の仕組みをろくに知りません。彼から聞き出そうとしたことも、調べたこともありません。その程度の人間です。

私がいなくなっても彼は実家に帰ればいい訳だし(実はそういう事情よく知らないんだよね、もしかしたら駄目かも)、もうちょい気楽にかんがえます

2020-09-13

なぜアザレンカはアザレンカなのか

ロシア語表記揺れはなぜ起きるのか」(anond:20200904111105)の増田だよ! みんな前の増田ではたくさんのブクマありがとう

全米オープン大坂なおみ選手が優勝したね! おめでたいね! そして決勝戦相手はアザレンカ選手だったね! 名前ニュースで聞いて「ん?」と思って気になって調べてみたらやっぱりベラルーシの人だったね!

前回の増田を踏まえて、ベラルーシ語の事情についてちょっと語るね!

ウクライナによくある-енкоで終わる苗字

ウクライナでは苗字の語尾に-енкоってつく人がとても多いんだ! ちょっと前のオレンジ革命では、ティモシェンコとかユーシェンコとか、そういう名前をたくさん聞いたね!

この「~エンコ」で終わる苗字は、ウクライナだけじゃなくてロシアベラルーシにも分布してるよ! 函館空港に強行着陸したベレン中尉とか、ベラルーシ独裁者ルカシェンコ大統領とか、一度は聞いたことがある名前だと思うな! ちなみにこの形の苗字は男女で形が一緒だよ!

そして、アザレンカ選手苗字も、この-енкоで終わる苗字一種なんだ!

え? どういうこと? って思うかもしれないけど、Wikipediaでアザレンカ選手名前を調べてみるとよくわかるよ! ロシア語版でもウクライナ語版でも、彼女苗字は「アザレンコ(Азаренко)」って書かれてるんだ!

じゃあどうしてそれが「アザレンカ」になるのかな? そうだね、ロシア語の強勢に関するトリビアを思い出してみようね!

そのまま書いちゃうベラルーシ

ロシア語では強勢の置かれないоは「ア」みたいに発音される、っていうのは前の増田説明したよね! だからХорошоは「ハラショー」なんだね!

これは発音綴り乖離してるので、学習からするとちょっとめんどくさいかな! ロシアの子供も書き取りテストとかで間違えたりするらしいよ! 日本の子供も「ぼくわげんきです」とか「これおください」とか書いちゃったりするもんね!

ベラルーシ語はそれを綴りに反映しちゃうんだ!

から、強勢が置かれないоは、語源的にはоであってもаって書かれるよ! ロシア語の「頭」はголова(ガラヴァー)だけどベラルーシ語だとгалава(ガラヴァー)、「牛乳」はロシア語でмолоко(マラコー)だけどベラルーシ語だとмалако(マラコー)になるよ! ロシア語で「ベラルーシの」という形容詞女性単数生格形はбелорусскойだけど、ベラルーシ語だとбеларускайになるんだね!

ここまで読めば、昔「ベロルシア」って呼んでた国をどうして「ベラルーシ」って呼ぶのかもわかるんじゃないかな? そうだね、ロシア語Белоруссия(「白いロシア」の意)の強勢はуに置かれるから、оがаみたいに発音されるんだね! そしてベラルーシ語だとそれを忠実に綴りに反映するからБеларусь(「白いルーシ」の意)になるんだね!

からロシア語では「アザレンコ」と呼ばれる苗字は、ベラルーシ語では「アザランカ(Азаранка)」になるんだね!

あれ?

「アザレンカ」じゃなくて「アザランカ」?

そう、増田も調べてみてビックリしたけど、ベラルーシ語だと「アザランカ」なんだよね!

ベラルーシ語には現在一般的に使われている正書法タラシケヴィチ式正書法タラシケヴィツァ、Тарашкевіца)という2つの正書法があって、Wikipediaには現代標準ベラルーシ語版タラシケヴィチ式ベラルーシ語版の2つの版があるんだけど、どっちを見てみても綴りは「アザランカ」だったよ!

かに強勢は2番目のаに置かれるから、еが弱く読まれるのは言われてみればわかるよ!

からベラルーシ語だと、アザレンカ選手フルネームは「ヴィクトールィヤ・フョーダラウナ・アザーランカ(Вікторыя Фёдараўна Азаранка)」になるんだね!

ロシア語の「ヴィクトーリヤ・フョードロヴナ・アザーレンコ(Виктория Фёдоровна Азаренко)」と比べて、どこが弱く読まれてるか見てみると面白いね! ちなみにウクライナ語だと「ヴィクトリヤ・フェドリウナ・アザレンコ(Вікторія Федорівна Азаренко)」になるよ! 真ん中の部分は「フョードルの娘」って意味だね! 「アザランカ家のフョーダルの娘のヴィクトルィヤさん」だね!

でも、なぜか彼女英語では「ヴィクトリア・アザレンカ(Victoria Azarenka)」って名乗ってるんだよね! ロシア語でもベラルーシ語でもなくない!?

どうして彼女がこう名乗ってるのかは、彼女本人に聞いてみないとわからいね! でも、実はベラルーシでは「正しい」ベラルーシ語を話す人はそんなに多くないんだ! 国内ではロシア語の方が通じたりするし、農村部ベラルーシ話者が喋っているのは「方言」であって「標準語」じゃないから、きちんと教育を受けた人じゃないと「正しい」ベラルーシ語を話すことができなかったりするよ!

アザレンカ選手も、英語自分名前を書くときに、Azarenkaという綴りが一番自分にしっくり来るから選んだのかもしれないね

ところで

最近英語でのベラルーシ政治に関する論文とかでは、政治家の名前ベラルーシ表記されることが多くなってきているね!

たとえば今話題独裁者ルカシェンコ大統領も、ベラルーシ語読みの「ルカシェンカ」って表記されることが多いね

日本ジャーナリストロシア語を通してニュース仕入れているんだろうからロシア語読みになっちゃうのは仕方ないところもあるんだけど、せっかくだからベラルーシ人名ベラルーシ語で書いてみない?

今年の大統領選挙でルカシェンカ大統領に立ち向かったスヴェトラーナゲオールギエヴナ・チハノーフスカヤ(Светлана Георгиевна Тихановская)氏も、ベラルーシ語だと「スヴャトラーナ・ヘオールヒエウナ・ツィハノーウスカヤ(Святлана Георгіеўна Ціханоўская)」になるし、その旦那さんは「シャルヘーイ・レアニーダヴィチ・ツィハノーウスキ(Сяргей Леанідавіч Ціханоўскі)」になるね! 新聞とかでは「スベトラーナチハノフスカヤ」「セルゲイチハノフスキー」っていうロシア語読みで書かれることが多いけど、「スビャトラーナ・ツィハノウスカヤ」「シャルヘイ・ツィハノウスキ」って書いてもいいと思うな!

ノーベル文学賞を受賞したスヴェトラーナアレクサーンドロヴナ・アレクシエーヴィチ(Светлана Александровна Алексиевич)氏も、ベラルーシ語だと「スヴャトラーナ・アリャクサーンドラウナ・アレクシエーヴィチ(Святлана Аляксандраўна Алексіевіч)」氏になるね! よかった、苗字表記は変える必要がないね

追記

ちなみにサバレンカという選手もいますよ。二人とも打つときの声が独特でやかましいです。

わわわ、こんな人がいるんだね! 教えてくれてありがとう

ベラルーシ語だと「アルィーナ・シャルヘーエウナ・サバレーンカ(Арына Сяргееўна Сабаленка)」だけど、ロシア語だと「アリーナセルゲーエヴナ・ソボレーンコ(Арина Сергеевна Соболенко)」さんだね! 苗字にあるоが全部аになってて、いかにもベラルーシって感じだね! 英語ではAryna Sabalenkaと名乗っているみたいだけど、これはベラルーシ語の忠実なローマ字表記になってるね!

声優Twitterの非公開リストが出ちゃった件

10年くらい前に香港俳優のハメ撮りがネット流出しちゃったことよりはマシだなと思いながら見てた。

久々にその当時の記事を漁ってみたら、Wikipediaに丁寧にまとめられてたのはちょっとクスってした。

anond:20200913135139

Wikipedia飯塚幸三の事故記述を全削除、功績だけ残し、編集禁止に。

日本ではルールは目下が守るもので、目上の者は法律を守らなくてOKなんだよ

anond:20200913125244

から失礼。

様相論理についてwikipediaで調べてみたが(要するにその程度の知識だが)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A7%98%E7%9B%B8%E8%AB%96%E7%90%86

 

いくつかある公理系の内、T の公理系とそれより強い公理系では

 

◇□A→□A

 

証明できる様だから

 

◇□p(必然的にpでありうる)→□p(必然的にpである

 

となるようだね。

まり必然的に変更することになる可能性がある」ならば「必然的に変更することになる」はTの公理系では成り立つ。

まり少なくともTより強い公理系では件の社会学者は「男女役割分業の描き方は必然的に変更することになる」と主張していた、という事になるようだね、様相論理によると

目次に変わる初心者向けの情報整理方法はあるのか

個別の事例については検索をかけて見つけることができるようになったが、

同時に情報分散しているということが起こっている。

Wikipediaが信用ならないと昔から言われているが、とっかかりとしてはよい。

だが、そのWikipediaですらリンクをたどって、あるジャンル全体像を掴めるようになるのに時間がかかったりする。

結局、本のような目次が全体像俯瞰するのに便利だ。


情報引用元ネットワーク構造にすれば、集まってるのが初心者向けかというと、そうはなっておらず、

要は有名なだけというのもある。

他に古くてマイナーアルゴリズムなどは使われているのにブラックボックスの中になってしまっていたりして出てこなかったりする。


Webで足りていないのは目次か、目次に変わる表現方法だと思うのだがどうだろうか。

最新のものだけWebで、ある程度時間が経ったら書籍で、といった棲み分けを想定している人は多いだろうが、書籍駆逐されてしまった。

ある個人がまとめた資料があるだろう、という意見はあるだろうが、SEO対策した側が勝ち、数か月後には埋もれてしまって出てこない。

2020-09-09

anond:20200909201708

哲学には明るくないんでWikipediaちょっと読んだだけだが、我思う故に我あり、ってやつか。有名やな。

これトートロジーっていうの?なんか循環してね?

我思う故に我があるならその我を生んだのは何かっていう疑問になると思うが、それは思うことをしている自分だっていう答えになっちゃうよね、我思う故に我あり、だと。

で、デカルト演繹手法を用いて哲学をしてたらしいけど、循環しているところを原点としちゃうとそれ以上演繹するのが無理だから、この我思う故に我ありを原点とする以上発展性は無いように思える。

そこは後世の人間によって何か言われてたりするのん

2020-09-08

anond:20200908225100

否定するならちゃんと読んでからしろや、この人間の屑が

理由wikipediaに書いてあったとか馬鹿

地獄に落ちろよウソツキ

競泳水着全裸水泳海女さんのふんどし

私事

他人迷惑をかけるつもりなどさらさらないが、全裸になるのが好きなので、オーシャンビューとか山の中の露天風呂とかが大好きだ。その好きが高じて、オーストリア混浴サウナにまで行ったことがある。そこには25メートルほどのプールがあり、遠慮なく裸で泳ぐことができて大変気持ちがよかった。サウナと往復しながらだとそれこそ整うわけだが、こういう場所日本にないのは残念だ。何も混浴しろとは言わないので、素っ裸で泳げる広いプールはないだろうか。

さて、昨日(anond:20200907075225)の続き、競泳水着についてである

本題、水泳水着歴史

以下の歴史は、wikipedia英語版の「History of Swimming」や「History of Swimwear」の拾い読みによる。

有史以前から人間は泳いできたが、大抵の場合全裸であった。ローマ時代にはビキニのようなものを身にまとった女性壁画が残されているが(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/27/PiazzaArmerina-Mosaik-Bikini.jpg)、これが水泳に用いられたという証拠はない(この古代ローマビキニには漫画テルマエ・ロマエから言及があった)。つまり絵画の水浴図で誰もが全裸なのは西洋画家猥褻妄想ではない。

水着歴史は、海水浴と入浴着との歴史が密接に絡み合っている。17世紀の終わりから欧州では公衆浴場女性ガウンのものを身に着けるようになったが、男性が裸で泳ぐことはしばらくは当然のことであった(河出文庫シャーロック・ホームズライオンのたてがみ」の注釈には、このシーンで登場人物全裸で泳いだと思われる、とある。また、E. M. フォースターのどの作品だったか忘れたが、全裸で泳いでいる男性悲鳴を上げる女性が出てくるシーンがある。「眺めのいい部屋」だったっけ? また、時代をさかのぼれば「デカメロン」で女性陣が男性陣の目を盗んで裸で泳ぐ場面がある)。

ところが1860年代にイングランドでは男性でも裸で泳ぐことが禁じられた。しかし、身体を見せることを極端に禁じたヴィクトリア朝反動だろうか、それ以来、全身を覆う水着から現代ビキニへと、肌を見せる方向に回帰しているし、ビーチによってはトップレスが許容されている(親が持っていた海外観光案内に、トップレス女性写真があって、面食らった覚えがある)。いまでも、ヌーディズムが盛んなドイツオーストリアなどの中欧では、裸で泳げる場所は少なくない。結局のところ、素っ裸が気持ちいのではないだろうか。

また、一部のスポーツ施設では、男性全裸で泳ぐことを学ぶことは珍しいものではなかった。昔のYMCAがそうだったらしい。また、驚いたことに、wikipediaの「naked swimming」の項目には、1900年頃に男の子が裸、女の子が着衣で泳いでいる写真がある。こういう日本CFNMエロ同人みたいな状況が現実のものだったとは、驚きであるリンクを直接貼るのはなんかまずそうなので割愛)。

なお、女性水泳の普及が遅れたのは、恥じらいとは別に生理時の衛生管理問題もあったそうである

ところで、意外なのが川や湖ではなく、海で泳ぐ習慣は比較最近のもので、17世紀ごろからのものだそうだ。海洋国家イギリスの娯楽としての海水浴歴史は、意外に浅いのだ。また、人が速く泳ぐようになった時期というのも驚くほど遅い。たとえば、1870年代にアマチュアによる世界記録が打ち立てられたのだが、1878年自由形100ヤードは、なんと76.45秒であった。ちなみに、マシュー・ウェッブ大尉イギリス海峡を泳いで横断したのもおおよそこのころだ(1875年)。古式泳法もそうだろうが、おそらく速く泳ぐことよりも、長く泳ぐことや、戦場での実用性が重んじられていたのだろう。

この時期はVictorian Sports Maniaと呼ばれる時期で、水泳は数十年にわたって英国世界リードする国家運動となったそうである。このあたりはジョン・サザーランド英文学史の本にも載っている。

競泳水着歴史

海水浴で使う水着とはまた別の歴史をたどったのが競泳水着である

https://www.glamour.com/story/the-evolution-of-olympic-swimwear

上記記事によれば、女性オリンピックで泳ぐことを許されるようになったのは1912年ストックホルムでのこと。競泳水着歴史は、ここから語られるべきだろう。

初めの競泳水着は絹でできていたそうだ。また、太もも露出は少しずつ増えて行ったが、1928年頃まではあまり下着らしく見えないように、下半身が少し膨らんでスカート状になっていたそうである

ナイロン製になったのは1964年で、1976年頃に少しずつハイレグっぽくなりはじめる。

1984年になると、どういうわけか突如かなりのハイレグになる。男性水着の面積が極小となったのもおおよそこの頃だし、日本でも時期的にハイレグ水着流行したバブルと被る。クレヨンしんちゃんハイグレ、懐かしい。で、話題を戻すと、以前の記事に書いたような女性スポーツウエアのハイレグ化の時期(60年代)とは、若干ずれていることがわかる。しかし、肌を見せることによるスピードアップには限界が見られた。

そんななか、2000年代に一気に普及したのがスピードボディスーツだ。今はこれが主流だ。簡単に言えば、水の抵抗を減らすために、大きな渦を減らし、小さな渦を作るそうだが、層流とか乱流とかその辺のややこしい話になりそうなので、省く。

女性ふんどし……?

つげ義春の「コマツ岬の生活」にはふんどし姿の海女さんが出てくる。これは能登地方のサイジと呼ばれるふんどし一種らしく、この地域では1960年代前半までこの姿であった(これも写真があるが、今までのスポーツウエアと違って乳房露出があるのでリンクは控える)。エッチマンガの読みすぎか、日活ロマンポルノの影響か、なんとなく海女さんといえば、ふんどしというイメージがある。「海女(あま)のいる風景」という写真集の表紙もそうだ。しかし、浮世絵を見てみるとほとんどが腰巻である。私も、太田記念美術館で見たことがある。

https://www.ijikasou.com/monthly/2016/06/

https://www.pinterest.jp/pin/309481805630462018/

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9d/Yoshitoshi-Ariwara_no_Yukihira.jpg

これは恐らく、磯ナカネと呼ばれる別種の木綿の布である江戸時代のこと、おそらく江戸湾近辺では海女さんはふんどしではなく、この格好だったのだろうと推察される。

昭和時代、中にはレオタードをまとって漁をする人々もいたという。というか、今でもいるそうだ。レオタードの中に海産物しまうことで、取りすぎることを防ぐそうである

http://www.chie-project.jp/001/no15.html

たぶん、女性ふんどし使用は、生理用品としてのみに限られたのではあるまいか団鬼六作品をはじめとしたイメージから来ているかもしれないが、SM不勉強もので詳しくない。そのうち調べるかもしれない。

結論

今後の展望

考えてみれば、自分ふんどしについてそこまで詳しいわけではなかった。女性用の下着としてふんどしがどれほど用いられてきたか、あるいはそもそもふんどしとはどのような下着であったのか、その歴史についていずれ調べてみたい。

今回はここまで。疲れたので、ビーチバレーなどの詳細はまた今度。

2020-09-07

新・国民民主党エールを送りたい

三十代後半男性

選挙権を得てはじめての選挙2005年衆院選だった。

物心ついてから不況しか知らなかったので、郵政民営化をはじめとする各種の改革で世の中が良い方向に変わると期待して小泉総理率いる自民党投票した。

ところが選挙後に待っていた現実バラ色の未来ではなかった。

自民党衆議院過半数単独で押さえており、70%を超える内閣支持率であったにもかかわらず、

現役世代への負担が増大する一方の社会保障見直しや、国際競争力の強化につながるような改革最後までなされなかった。

せいぜいが高速道路サービスエリアご飯がおいしくなったくらいだろうか。

土建屋特定郵便局といった既得権益にメスを入れたかと思えば、代わりに電通パソナといった別の業者が潤うようになっただけであり、

憲法改正のために郵政民営化反対派議員復党させるというような公約無視を平気で行った。

私は政治に幻滅した。

2009年

リーマンショックの影響があったとはいえ、4年前の改革の熱気は消え失せ、自民党民主党も競ってバラマキを公約に盛り込んでいた。

自民党の変節にうんざりしていたので、この年の選挙改革継続を唯一訴えていたみんなの党に入れてみた。

同じような考えの人は意外と多かったようで、泡沫とみられていたみんなの党はしばらくの間健闘し、選挙のたびに議席を増やして存在感を増していった。

2012年

日本維新の会第三極として新たに台頭してきた。私が支持してきたみんなの党日本維新の会と協力するか、距離を置くかの対応で党内が分裂し、

挙句の果てには党首政治資金問題醜態さらして自滅した挙句解党に至った。

私は再び政治に幻滅した。

余談だが、この時期に日本維新の会移籍した元みんなの党議員のその後をWikipediaなんかで調べてみてほしい。

彼らの政党移籍履歴を見れば、きっとあなたも私と同じように政治不信に陥るだろう。

2020年

安倍総理長期政権の元、景気もそれなりに良かったので消極的自民党支持者になっていた私だったが、新型コロナウィルスへの対応の悪さには愛想をつかしていた。

桜やらモリカケといったこれまでのスキャンダルについては、ぶっちゃけ政治家なんて何かしら悪いことしてるやろと思ってスルーしていたのだが、今回は別だった。

なんというか、社会人10年以上続ける中で幾度となく感じてきた、仕事のできない上司に苛立ちを覚えるようなそんな嫌悪感を催していたのだ。

ある日のこと、緊急事態宣言が発動されて会社への通勤が取りやめになった。

自宅待機で暇を持て余して国会中継を見ていた時に、たまたま国民民主党の玉木代表の質疑が目に入った。

何気なく見ていた質疑だったが、質問政府答弁の至らない部分を的確にとらえており、説明不足な点のフォローにもなっておりと、『仕事のできる人感』がした。

これまで、野党議員といえばスキャンダルに対してぎゃーぎゃー騒ぎ立てるだけの印象があったので、建設的な議論をする野党議員もいるのだなとえらく印象に残った。

同じ日に質問に上がっていた立憲民主党議員がけんか腰だったのが逆の意味象徴的でもあり、これまで選挙互助会の泡沫政党だと思っていた国民民主党に注目してみようと思った。

が、所属議員の経歴をWikipediaで見たところ、案の定というか、国民よりも自分当選が優先というような渡り鳥議員が多そうな印象を受けた。

また、原口議員や、森議員といったけんか腰で議論を吹っ掛けるいかにもな野党議員も悪目立ちしていた。ぶっちゃけ、これでは支持はできないなと感じた。

そして先日。

衆議院解散が近いと踏んだのか、立憲民主党国民民主党の合流が発表された。と同時に、国民民主党の玉木代表を含む複数議員新党に合流しないことが発表された。

国会の質疑を見て以来、玉木代表には可能性を感じていたので、他にはどんなメンバー残留するのか注目していたのだが、

ビミョーな感じの政党渡り鳥議員はことごとく立憲民主党へ合流する側に行っていたので、これは!と思った。ぶっちゃけ残留組で個人的微妙な感があるのは山尾議員くらいである。

このメンバーなら選挙の時の公約を曲げずに最後まで主張を貫いてくれるだろうか?それとも私の期待は三度裏切られるのだろうか?

とにもかくにも、私にとって久々に本心から支持できそうな政党誕生しそうである。これからしばらく、新・国民民主党の動向に注目したいと思う。

2020-09-06

Wikipediaからの悲痛な訴え

「300円寄付くれよ!無視すんなよ!」

現在、そういったものWikipediaに表示されているということを知った

広告ブロック機能によって私の目には一切届いていなかったのだ

2020-09-05

anond:20200904215143

批判側の意見は「ゾーニング問題である」という方向に収束しているらしい。子供の目に入ったらどうするんだ、と。

しろフェミニストミサンドリストの目に入ったら騒がれて面倒だから」という程度ではないでしょうか。「子供に見せるのはヤバい」と言う人がいたとしてもせいぜい建前で、実際にそんな心配をしている人がそれほどいるとも思えません。「という方向に収束しているらしい」というのはあなた思い込みか、あるいはそんな大人の建前論に引っかかってしまったがゆえに(あなたが「〝子供〟の立場からこのトピックで論を立てたい」と考えるあまり採用してしまった間違った(あるいはあまり意味をなさない)前提なのではないかと言う気がします。

18禁レーティングを、子供を守るためのものなんて本気で考えている大人は、ごくごく少数でしょう。それは「なにも考えてないから」ではなく、「大枠としてある子供と性という真の問題解決コストと労力を費やして社会全体として傾注するつもりがなく、といって当該のイシューが原因または遠因となって実際に子供が傷ついたとき責任も取りたくないから」といったところだと思います(まあ、そういうのはなにも性に関することだけではないです)。

大人というべき立場の人たちが、当事者である子供の性欲の「安全かつ倫理的」な解消に無関心なのはそもそも彼らに当事者性がないからです。彼らの中にも青春時代に異性や同性との関係を求めて煩悶した人はいるでしょうが、それでもどうにか切り抜けたり、あるいは同じような片割れをうまく見つけて乗り切ったり、それでどうでもよくなってしまったのです。放っておけば今の子供たちも適当よろしくやって育つだろうみたいな、一種生存バイアスですね(青春時代にしくじって身を持ち崩した人は、ここには含まれません。そんな人たちのなかには、次の世代の子供たちに同じ思いをしてほしくないと活動する人もいれば、逆に同じ目に遭わせてやろうと引きずり込んでくる人もいることでしょう)。

だいたい、そもそもみんながみんな若いからといってそこまで性欲に支配されるわけでもありません。そこを間違えると、単に個々人のフェティシズムを満足させるためというだけの成年向け創作を、隠された人間の本性を暴き描いて禁忌の扱いを受けた真実みたいに思い込むことになりかねません(そういう人こそ、本来「成年向け創作」を鑑賞すべきではない人だと個人的には思いますし、成年向け創作はそういう人に多かれ少なかれ実際に悪影響を与えていると思います)。性は究極のプライベートなので、親しい仲でもそうそ意見を述べ合ったりすることもない問題ですから、知見もたまりにくい。娯楽としての偏った性知識勝手に変な方向に積み上がっていくんですけどね。

ところで思ったのですが、

このnoteでは「フィクションに影響されてロリコン子供に手を出す危険性がある」という主張と「ロリコン子供に手を出さないのにその努力台無しにするな」という正反対の主張が混ぜられている。

このあたり以降であなたが書いていることを読むに、ペドファイル(ここに「ロリータコンプレックス」を含めるとしても、未成熟身体性を持つ少女への愛好のことで、成年女性に対しての性衝動は皆無か、あっても薄い)と、いわゆるロリコン趣味者(社会倫理としては許容されていない、制服を着た女子高生なども性の対象にする成年男子。機会があれば同世代女性とも普通に性的接触を行うし、また女子小中生であっても「女体」であれば性的対象となる)の意味の切り分けができていないので、話が通らなくなってしまっているように思います。後で出てくる「子供に手を出す人の7割はロリコンじゃない、という話、あれは信用していない」というあなたの考えありき――Wikipediaでいうところの独自研究――で話を進めているからですね。

そもそも大元ネタは成人男子男児型の人形を買って性衝動を語っているという話から始まっており、「ロリコン」の話ではありません(元ネタの人は自分男児ではなく女性が好きで、単にネタとして言っただけ、みたいな話になってるようですが)。このあたりも、あなたが書きたいことを書くチャンスが来たと前のめりになりすぎて、周りが見えなくなっているのではないかと感じた理由です。

anond:20200904162414

俺も増田と同じで少年時代に性被害に遭った同類だよ。

俺のケースでは加害者同級生だった。

詳らかに書くと万一加害者にこの増田を見られた時に身バレ危険があるからざっくりとしか書けないのが残念だ。

被害当時俺は中学一年生で、球技系の運動部所属してた。

俺はその部活内で虐めに遭っていて、加害者はその虐めの主犯格の一人だった。

被害に遭った時はたまたま俺と加害者けが部室に居合わせしまったんだよね。

俺が着替えてたら加害者勃起したペニス露出しながら近づいてきて俺にそれに触るように促した。

俺は当時苛烈な虐めに遭っていたせいで無気力状態だったので嫌々ながらも特段抵抗もせず加害者ペニスの先に触れた。

ヌメっとした感触がとてつもなく気色悪かったのをよく覚えてる。ダラダラに濡れてたんだよな。今でも思い出せるよ。

それで加害者は満足したのか、それとも発覚を恐れたのか、あるいは両方かもしれないけど俺に強く口止めし行為は終わった。

俺は校舎の玄関口の脇にある水道で何遍も何遍も繰り返し加害者性器に触れた手を洗ったよ。

それから俺に不思議現象が起こったんだよね。後遺症と言ってもいいかもしれない。

増田場合男性に対する恐怖心と女性に対する性的モノ化が強迫的に発現したみたいだけど、俺はそれとは全く違う現象に見舞われた。

俺は自分同性愛者なんじゃないか?っていう疑念に苛まれたんだよね。

もちろん俺は同性愛者ではないはずなんだけど、同性からの性被害体験を経て以降の俺は、事あるごとに自分が実は同性愛者なんじゃないか?という疑念を覚え苦しめられた。

こういうことを書くと同性愛者に対する差別感情を疑われるかもしれないけど、そんなものは抱いたことはない。

ただ異性愛者だと思って、というかナチュラル異性愛者の世界観に馴染んで生きていた自分暴力的で未知の同性愛行為を受けて懊悩し、苦しんだってことだと思う。

実は俺は自分同性愛者なんじゃないかという疑念に一時期屈服して女性ホルモンを服用していた時期さえあった。

それは10代後半の一時期のことだったけど、某個人輸入代行業者を利用して女性ホルモンを服用していた。あまつさえ母親に「俺はゲイだと思う」とカミングアウトすらしてしまった。

でもさ、この時期もそうだし、なんなら今に至るまで俺は一度も”男で抜いたことがない”んだよな。当時の俺がどれだけ倒錯していたかわかるよな。女に興奮して女でオナニーしてる癖に自分ゲイだと確信して女性ホルモン服用して母親にもカミングアウトしてたんだよ。完全にどうかしてた。

そんな俺の妄信を解いてくれたのが意外なことにWikipedia先生だったんだよね。

ゲイになっても(便宜的にこう表現するけど後天的ゲイになるということはあり得ない、はず)なお過去の性被害に苦しめられていた俺はGoogle検索で「少年 性被害」とかそんな感じの検索ワード検索を試みた。たぶん。正直ここら辺は記憶曖昧。「少年時代 同性 性被害」とかだったかもしれん。

それで検索結果に表示されたこ記事を読んで俺のゲイという性自認倒錯だって気が付けたんだよね。

少年への性的虐待

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E5%B9%B4%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%80%A7%E7%9A%84%E8%99%90%E5%BE%85

具体的にはこの部分だね

加害者男性場合男児同性愛であれ異性愛であれ自分自身の性的指向や性的同一性危機をもたらしやすい。

この疑問が激しくなりやすいのはどちらかというと異性愛男性であるさらに、虐待時どれだけ自分性的指向と性自認について自己認識がはっきりしていたか考慮すると、この問題に関する議論さらにややこしくなる。かなり低年齢の場合性自認に疑問を持つことが多いが、ある程度年齢が上がり性自認自己認識がはっきりしてきたときであっても、今度は性役割のほうに不安を持ったりもする。たとえ性自認が安定していても、自分が主に同性愛か主に異性愛かがよく分からないとき虐待を受けた場合には自分本来的に同性愛異性愛両性愛かとか様々に疑問を持ちやすい。

性的虐待を受けた男児が必ず同性愛者ではないかという誤解は本人と社会共通のものだが、これは誤解である。だが性的虐待を受けた男児異性愛であっても、被害受動にし、同性愛に結びつけた結果として自分自身の性的指向の認識に著しい混乱をきたす。虐待最中勃起射精が起こった場合、この混乱はより激しいものとなる。ペニスを挿入され前立腺を刺激されれば本人がどんなに嫌だと思おうと勃起する事が多いのであるが、こうした常識日本に浸透しているとは言いがたい。

こういった性的虐待場合には性的指向のセクシュアリティが揺らぐことが多いが、これは本人に激しい苦痛を与える。だが、性的指向を二分法で捉えがちな社会常識に反し、実際には性的指向のセクシュアリィは複雑で多層的であるアルフレッド・キンゼイは主張した。

俺は被害当時13歳で、かなりの低年齢ではないにしろ自分異性愛である、という確固たる自覚みたいなものは持ち合わせていなかったし、オナニーだってしたことがなかったくらいに性の知識に疎く、言うなれば性自認未分化な状況だった。

その様な状況下で鮮烈な同性愛的性被害を受けてしまたことで、俺はその後何年間も自分同性愛者なのではないか?という疑念に苛まれる羽目になったわけだ。

ということで今では女性ホルモンも服用してないし完全に異性愛者っていう自覚を持ててるし母親にも気の迷いだったって説明することで解決を得てる。

俺は増田みたいに男性に対する恐怖心はあまり抱かなかった。幸いなことだったのかもしれない。でもその代わりに性自認が揺らぐっていう特殊体験をした。

こうして増田投稿にかこつける様な形で自分の性被害体験を語るのは本来まり快いことではないかもしれないけど、もしかしたら俺みたいに同性から被害を受けたことがきっかけで「自分同性愛者なんじゃないか?」と悩んでる人の一助になるかもしれない、と思って書いてみた。

増田トラウマが治ることを祈ってる。

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