はてなキーワード: 未来社会とは
昔……おそらく2006年くらいの自分は、家庭を持つ事に憧れていたし母親になりたいと思っていたと思うんだけど。
いつの頃からか、小さい子供を持つ「母親」というものは世間で無条件に持て囃され、何ら責任を負わずに済むようという風潮になってしまった。こんな世の中では世の「母親」というものに対して反発と敵対心しか持てず。母親は子供を虐待死させようが無条件で庇われ、肯定されるという世の中。とにかくそれが嫌で嫌でしょうがない。
ネット言論はどこを見ても、母親に多くを求めるな、三歳児「神話」なんてない、子育ては保育園に丸投げしていい、母性信仰の押し付けやめろ、といったものばかり。育休や子供の急な発熱による遅刻早退欠勤仕事で独身の同僚に皺寄せがいっている事を愚痴られても会社や経営者が悪いで済ませ、彼女達自身が会社を改善するために自発的に動く事などはない。独身者女性の声と違って聞き入れてもらいやすいにも関わらず。あなたたちの娘だって将来独身の成人女性になる可能性はあるのに。それに比べると父親に関しては虐待や育児放棄は叩かれ、多少はまともに親の責任を果たす事が求められている。とにかく小さい子供を持つ「母親」は全面的に肯定され、何ら責任を果たさずに済むようになっているもよう。
子育てに対する金銭的・精神的な支援も昔に比べれば格段に増えたのに、もっともっとと際限なく求める。日本の経済状況が悪化する中で、こと子育てに関してはじゃぶじゃぶお金を使えるんだから、その税負担が独身や子無しにいっている事はちょっと考えれば分かる筈なのに、感謝するどころか日本は子持ちに優しくない!と被害者面するばかり。
映画の『トゥモロー・ワールド』が2006年か。あの映画は好きだったけど、繁殖力が衰えて少子化が進んだ未来社会で妊婦と赤ん坊に希望を見出すというテーマ、正直今だと全く受け付けないような気がする。あの頃も「少子化」が叫ばれてはいたんだろうけれど、少なくとも今よりはまだ気にならなかった記憶なんだよな…。
東日本大震災での原発事故後の「子供を守れ」の大合唱や、その後の「保育園落ちたぞ日本死ね」辺りが契機だったように記憶している。
ただ2011年3月の時点では既に少子化悪玉論にうんざりしていたような記憶はあるな…その辺どうも曖昧。
自分の記憶だと2006年頃は、「貧困」「格差社会」「プレカリアート」が標語とされ、年齢を問わずに非正規労働や貧困の問題が語られていたような記憶。少子化は話題にされてはいても、その原因として貧困故に結婚できない若者の存在はちゃんと話題にされていたし、少子化対策として今のように「子育て支援」一辺倒ではなかったような記憶だ。それが今では「貧困」は「子供の貧困」になり、子供のいない成人の貧困は置き去りにされるようになってしまった。給与についても「若者の給料は低い」とのみ語られ、現在の中高年(かつての若者)だって給料は低いし上がる見込みもない事は無視される。
2000年代後半から震災前後にかけて、だんだんと年齢や子供の有無による選別が進み、生産性のない人間を露骨に虐げてよいという風潮になったのか…?と思っているけれど、どうだろう。
フィクションだと『TIGER&BUNNY』の主人公が、娘を郷里の母に預けていた事で育児放棄と叩かれていたのが印象的だった。これ、もし主人公が父親じゃなくて母親だったならこんなふうに叩かれたんだろうか?って思った。いやそもそも女性だったら主人公にならなかったのかもしれないが。
現実と同様にフィクション作品においても父親は叩かれるが母親は全面的に擁護されるという傾向、いつの頃からかあからさまになったなーって思う。
あと気持ち悪かったのが『おおかみこどもの雨と雪』に対するネットでの反応。母親に完璧を求めるな母性信仰を押し付けるなと、あくまで一人の女性を描いたフィクションであるにも関わらずそれを現実の全ての母親に対しても求めているかのような意見が異様に多くて怖かった。まああの作品は娘の視点から見て、息子と娘で差をつけすぎという感想も結構あってそれには納得したけれど。
昔の自分は漫画の『フルーツバスケット』のようにシングルマザーの子育てを描いた作品が好きで、自分もそんな母親になりたいという気持ちがあったんだけど。今は何かもう未成年の子供を持つ「母親」という存在自体が地雷で、見るに堪えない(明確に古い時代を舞台にした話ならばかろうじて大丈夫かもしれない)。好きだったんだけどなー。母親が愛情を持って子供を育てる話。今の母親はどこまでも自分が自分がで子供の事なんかアクセサリー程度にしか思っていないようなのばかりだし、フィクションでもその手のコミックエッセイが異常に増えて、もううんざりだ。
今だと『破壊神マグちゃん』とかも、これは一見母親が子供のために頑張って稼いでいるように見えても実際には税金で十分な支援を受け子無しから搾取してるんだろうなと思うと嫌な気持ちになる。
作品や作者に罪はないんだけどもう昔のような純粋な目では見れない。
何がしんどいって今生きてる子供達は皆、そういう我が儘で傲慢な母親から産まれてきたって事だよなー。だから子供を助けるような仕事をするのもそういう母親を助ける事に直結してしまうので嫌な気分になるというか。
子供のため、じゃなくてその子供達が大人になった時の、大人の人権を守ろうという発想ならまだ少しはマシかもしれないけれど。それでも今の「母親」世代を利するのかと思うとうんざりではある。
まつほろひとゆきが作った日本産のコンピューター言語。パールというコンピューター言語を元に作られていてWebサービスを作るためのフレームワークを搭載している。代表的なWebフレームワークはtDiary
C
デニス立地さんがNTTで開発した言語。マルチクスというOSを作成するために作られた。わざと複雑な言語仕様にすることで自分の役職ポジションを守ろうとしていたが、思った以上に世の中の人間はこの言語を使いこなしてしまい、超有名な言語になってしまった。スーファミのゲーム制作にさえ使えなほどの超高級言語
おまじないと呼ばれるプリプロセッサでの書き換えが必要な謎の文字列を埋め込む必要があったり、言語仕様に曖昧な部分も多く、同じソースなのに実行環境によって動きが異なる、欠陥言語である。(32bit向けプログラムが64bit環境で動作しないなど)
オブジェクト指向言語。すべてのオブジェクト指向言語はこいつから始まった。
主にWindows上で動作するゲームを作るための言語。今ではUnityとか色々なゲーム開発の環境とかあるが、結局はパフォーマンスとか考えたらC++使うことになる。
代表作はOpenGL、DirectX、Window10、LibreOffice など
JavaScriptから派生した言語。読み方は(ジャワ。ジャワ島のジャワ。)。もともとはOracleの創始者の博士が趣味で作成して、現在のOracleデータベースの基礎となるテクノロジー。アプレットという実行するための専用プログラムをインストールしないと、Javaで作ったプログラム(.classファイル)は動作しない。マークはコーヒーだと思われがちだが、紅茶(ジャワティー)である。
アンドロイドOSを作成するためにも使われており、アンドロイドのOSカーネルはJavaで制御されている。そのため定期的にGCが走るので、アンドロイド端末は定期的に動作を停止することがある(いわゆるプチフリーズ)。
対策するためにはGC戦略を見直してヒープ領域のサイズやメモリに乗せるキャッシュのサイズなどの調整が必要であるが、げんざいのGoogleにはこれらを調整する人員はすでにいない。
このように業務用データベースから携帯電話まで幅広く使われているので、Javaの技術があっても市場価値は殆どないと言われている。(みんな使えて当たり前)
晩年政界への進出を目論んでいた松下幸之助が、未来社会を見据えて開発した言語。主にWebアプリケーションを作成するために使われている。PはパナソニックのP。を略してPHP
かんたんにシェルコマンドを実行できたり、クエリストリングに代入した値を直接グローバルで評価できたりするなど、洗練されていてとても便利な言語である。
HTMLやメール本文の中にもPHPの処理を書き込むことができる。
この世のすべてのサーバーに実行環境が存在するので、PHPのコードさえあれば、コンパイルも不要でどのような環境でも動作する。
C言語の100倍生産性が高く、Wikipedia、Facebook、Slackなどの超一流のサイトやサービスで大量のアクセスを捌いている。
WardPressと呼ばれるフレームワーク(全世界のWebサイトの3分の1以上はWardPressで作成されている)を作成している言語であり、この言語なくして今のWebは存在していない。
データベースとも親和性がある、などと言われることもあるが特に根拠はない。
韓国人棋士を倒したAIに特化したプログラム言語。Googleが開発しており、もともとはDartという名前だったが、汚いという理由でなまえがGoに変わった。そのため現在はDartという言語は存在していない。
AIに特化しているというだけあり、低レイヤむけの実行ファイルを作成する必要があるため、コンパイルが必要ではあるが、だいたいどの環境向けのバイナリも生成することができる。
デフォルトでディープラーニングを使うための機能を持っていたり、プログラムを並列実行するための機能が備わっているので、コア数の多い環境で高速に動くプログラムを作りやすい。
JavaScript
Javaの元になったプロトタイプベースのオブジェクト指向言語。読み方はジャワエスクリプト。W3Mというブラウザの上でインタラクティブにWebサイトを動かすために作成された言語。もともとブラウザの上で動くための言語だったが、後にSafariブラウザに搭載されていたV6エンジンというJavaScript言語の実行エンジンを分離してNPMというJavaScriptを直接実行できる環境となった。
それ以降JavaScriptはブラウザ以外にVRゴーグルの中などで動くようになった。
並列プログラミングが不可能な作りのため、コールバックを多用して、スパゲッティーコードを量産することができる。
NPMを使う奴らは、JSがブラウザ環境で使われる言語であることを全然考えてないため、WebpackとかBabelといった謎の開発環境をシコシコ積み上げている。いつかその塔は爆発し崩れ去ることになるであろう。
Javaと同じくJavaScriptから派生した言語。Javaとは互換性は無いが、JavaScriptの上位互換があるため、JavaScriptのコードをそのまま実行することができる。
$マークから始まる命令のみで構成されているとても縁起のいいプログラミング言語。おもにパララックスなどを実現するために利用されていて、WardPressなどのドライバとしても使われている。
JavaScriptの改良版であり、現在JavaScriptと言われているプログラム言語の99%はjQueryのことである。そのため現在慣習的にJavaScriptと呼ばれているもののほぼ全てはjQueryである。
jQueryを覚えればJavaScriptは覚えなくても良い。などと言われるが、正確にはjQueryを覚えた頃にはJavaScriptも覚えている。というのが正確である。
JavaやjQueryなどと同じくJavaScriptから派生した言語。Microsoftが開発した関数型言語。開発時はF#(エフシャープ)というコードネームだった。
型に特化した言語であり、Microsoft製のVSCodeというIDE環境でしか開発、実行が出来ない。(ただしMacやLinux上でも動作可能)
TypeScriptを動かすにはサーバーにVSCodeもインストールする必要があり、言語やIDEのバージョンアップも多いため、メンテナスンスが困難である。
前進となるObjectiv-Cという言語が、気持ち悪い構文であったため開発者が不足しており、このままではOSのメンテナンスもままならない、という理由で最初のバージョンがわずか14日間で作られた言語。
Society5.0とは、内閣府が提唱している未来社会であり、
狩猟社会、農耕社会、工業社会、情報社会に続く第5のパラダイムらしい。
https://www8.cao.go.jp/cstp/society5_0/index.html
これまでの情報社会(Society 4.0)では知識や情報が共有されず、分野横断的な連携が不十分であるという問題がありました。
Society 5.0で実現する社会は、IoT(Internet of Things)で全ての人とモノがつながり、様々な知識や情報が共有され、今までにない新たな価値を生み出すことで、これらの課題や困難を克服します。また、人工知能(AI)により、必要な情報が必要な時に提供されるようになり、ロボットや自動走行車などの技術で、少子高齢化、地方の過疎化、貧富の格差などの課題が克服されます。
あのさ、普通の人は、たぶんそれを第5の社会だとは解釈しないよ。
これって単に、第4のパラダイムたる情報社会が不完全だって言ってるだけじゃん。
IoTだとかAIだとかって、それまさに情報社会の一要素だよ。
単純に情報社会が完成されていないだけだよ。まずはSociety4.0を目指しなさいよ。
だいたいさ、IoTだかAIが完成したとして、それって農業革命、産業革命、情報革命に匹敵するパラダイムシフトと言えるわけ?
単なる技術的な落差の話じゃないよ。
内閣府自身がSocietyと言っているように、技術によって社会の在り方、生活スタイル、倫理や規範意識までもががらりと変わってしまうのがパラダイムシフトなんだよ。
そういう意味でもやっぱり、今はまだ情報革命の途中だと捉えるほうが普通の考え方だと思うけど。
次のパラダイムシフトと呼べるものがあるとすれば、遺伝工学か生化学が発展して情報工学と結びつき、生態としてのヒトが変わってしまうほどの大転換、いわゆるトランスヒューマンくらいの変化でないと狩猟→農耕→工業と同レベルとは言えないでしょ。
1.万博のコンセプト面
2025年の大阪万博のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」である。このテーマの博覧会を日本で開くと考えた時に、確かに大阪以外に開ける場所は存在していないのではないか。
これまで大阪・関西地方は東京一極集中によって長年に渡って疲弊し続けてきたと指摘されている。
確かに大手商社や家電工業などの主要産業は東京に移転してしまったが、同時に関西地方では今後の日本の成長産業の黎明ともいえる新産業が生まれつつある。
それが「医療産業」である。医療産業については、韓国や中国などの新興国にはマネできず、日本やアメリカなどの成熟先進国の独壇場である。
ご存じのように、今日本で医療産業が一番集積しているのはぶっちぎりで関西地方である。
神戸ポートアイランドの神戸医療再生都市、京都南部のけいはんな学研都市、京大や阪大などの最先端の医療研究などである。
iPS細胞を開発した京大の山中教授など、最先端医療の人材面においても関西地方は全国トップであろう。
大阪の船場の近くには、道修町という名前の製薬街があるんだけど、1990年代から2000年代にかけてこの町は衰退していた。
しかし今の道修町は、医療産業の集積によって息を吹き返しているのだ。
小保方さんのSTAP細胞騒動などの笑い話もあるくらい、今の関西は医療産業が急成長している。
大阪・関西の21世紀の主力産業は医療産業だ。iPS細胞を生かした再生医療産業、ノーベル医学生理学賞を受賞した本庶佑特別教授の研究など、これから日本の医療産業はどこまで拡大するか予想もつかない。
家電や鉄鋼、造船などの産業が海外に移転など、関西は日本でいち早く産業空洞化を経験したが、新産業の立ち上げも日本でいち早く実現できたのだ。
そんな医療産業を中心とした博覧会を、2025年の大阪で開催するのだ。
万博の経済効果は約2兆円と試算されているけど、今後の関西の医療産業の集積の誘い水としての万博だと位置づければ、はっきり言って2兆円では済まないだろう。
大阪人であればご存じの話ではあるが、今回の2025年万博を開催する此花区の大阪港・夢洲のことである。
2008年のオリンピックの招致に失敗し、現在は広大な空き地のまま放置され続けている人工島。
ソース:http://www.jbaudit.go.jp/pr/kensa/result/30/pdf/301004_zenbun_02.pdf
2.未然防止のための水際対策及び情報収集・分析機能の強化 計43.37億円
・バイオメトリクスシステム顔画像照合機能の活用強化のための機器の取得等
・リスク分析に必要な事前情報の取得・活用(輸出入・通関情報処理システム等経費)
・保安検査の高度化
・けん銃の代替整備
5.NBC(核・生物・化学物質)テロ対策の強化 計23.66 億円
・特殊災害対応車両の整備
6.サイバーセキュリティ確保のための取組の推進 計0.43 億円
・政府機関における高度なサイバーセキュリティ人材育成のための研修の実施
・トラスティド・トラベラー・プログラム(TTP)に係るシステム開発
・計7事業(長いし多いので省略)
20.医療機関における外国人患者受入れ環境整備 計5.08 億円
22.国際都市にふさわしい景観創出等のための無電柱化の推進 計150.48 億円
・ 無電柱化の推進
23.外国人を含む全ての大会来訪者がストレスなく楽しめる環境整備 計11.28 億円
25.分散型エネルギー資源の活用によるエネルギー・環境課題の解決 計1885.95 億円
・計13事業(長いし多いので省略)
26.アスリート・観客の暑さ対策の推進 計373.33 億円
・余剰地下水等を利用した低炭素型都市創出のための調査・検証事業
48.対日直接投資の拡大に向けた我が国ビジネス環境の発信 計7.98 億円
51.大会における最新の科学技術活用の具体化 計176.24 億円
52.自動走行技術を活用した次世代都市交通システム 計8.90 億円
・戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)自動走行システム
53.先端ロボット技術によるユニバーサル未来社会の実現 計96.03 億円
57.「2020年オリンピック・パラリンピック」後も見据えた観光振興 計284.13 億円
(3)スポーツ基本法が目指すスポーツ立国の実現 計53.39 億円
・計18事業(長いし多いので省略)
「ブラジルで米白人男性の精子需要が急増 - WSJ」http://jp.wsj.com/articles/SB12386457582361034431504584121100470443262
という記事をみて思いついた話。
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目が覚めたのは見知らぬ部屋の見知らぬベッドの上だった。
「お目覚めですかナオヤさん。」
そう言ったのはベッドの脇にいた見知らぬ女性。黒いロングヘアに黒い目でそれだけだと日本人みたいだけど、顔はなんというか整いすぎていてCGかアンドロイドではないかと思わせるほどの美形。そして服がなぜかビキニアーマーだった。
「あの、これはいったい…」
僕は全く状況がつかめなかった。でも名前を知ってたということは知り合い? でもこんなキレイな人はそれこそアニメやゲームの中でしか知らない。
「あらためまして、私がレイコです。ナオヤさんがこちらの世界に来ることに同意されて感謝しております。」
「えっ?」
「えっ?」
しばらくの空白の後に、僕はようやく思い出した。
「ああ、昨日の夜に僕の頭の中に話しかけてきた人だ。」
「そうです。」
にっこりと笑う顔も美しい。童貞には刺激が強いので、僕は起き上がるついでをよそおってシーツをふんわりさせて体の一部が大きくなったことをごまかそうとした。
しかしあれがこうしてこうなったということはあれは妄想ではなかったのか。寝る間際にアニメのキャラとか空想上の誰かと話をしたりするのは誰でもやってることだと思うけど、今から考えれば昨日のは妙に実感があった。
未来の世界から話しかけているというレイコと名乗る女性は、過去から彼女の世界に来てくれる人を求めていると言っていた。何でも未来では日本は消滅していて、失われた日本人を復活させるためだという。
「はい。」
「その通りです。消滅の理由についてはお話したとおり正確な記録が残っておらずはっきりしておりません。」
「地殻変動で日本が沈没したとか、巨大生物に襲われたという説もあるのだっけ。」
「そうです。他にも核戦争で消滅したとか、子供が生まれなくなったなどが有力な説です。」
いやそれ絶対映画とかのフィクションが混じってるよ。でも消滅が本当なら、どれかは実際に起きたのかなあ。
「でも僕を呼んだみたいに過去と連絡がとれるのなら昔のことも調べられるような。」
「過去への干渉はタイムパラドックスを引き起こすので物理的に不可能です。」
「えっ、それなら僕を連れてくるのも出来ないのでは?」
「ナオヤさんの世界はこちらの世界と直接の因果関係がない分岐した世界なので、パラドックスを引き起こすことなしに呼び寄せが可能です。」
「そしてそれは一方方向で僕が帰ることは出来ない、だっけ。」
彼女はうなずいて僕の言葉を肯定した。たしかそんな話も聞かされていた。信じていなかったとはいえ、この世界にくることに同意したのは僕だし、戻れないのであればこっちで何とかやっていくしかない。日本人を復活させるという話からすれば、僕の遺伝子が必要で、それはつまり念願の脱童貞を異世界で果たすことができる、はず。
しかしレイコさんはどうしてビキニアーマーなんだろう。じっくりみるとアーマーというほと固い素材ではなくて、たんなるビキニというかビキニ服みたいな感じだけど、未来ではみんなこんな格好をしてるんだろうか。それともあれか、僕を誘惑する目的であえて露出的にしてるのか。
「しばらくは検査や検疫の関係でこの部屋ですごしてください。食事は運ばせますし、衛生設備はあちらにあります。」
トイレやシャワーも部屋に付属しているみたいだ。すぐに使う予定はないけどのぞかせてもらった感じではトイレもシャワーも元の世界と同じような形だった。まあ同じ人間が使うのだしそんなに変化はしないか。
ちなみに今の服装は昨日寝たときと同じ上はTシャツ、下はスウェットというラフな格好。たぶん寝たあとにこっちに来たらしい。それとも移動で気を失ったのか。でも眠気はないから何時間かは寝ていたはずだし、腹もなんとなくすいている。
「えっと何か食べるものをもらっても、今だと朝ごはんになるのかな。」
この部屋には窓が無いので外の様子はわからない。
しばらくしてレイコさんが持ってきた朝食はイングリッシュブレックファーストといえばいいのか、バターロールにスクランブルエッグとソーセージ、牛乳にフルーツというあまり未来に来たという感じのしないものだった。
「それではこちらでどうぞ。」
レイコさんは持ってきたトレイをテーブルに置くと少しはなれた場所に立っていた。僕が座っても立ったままだったので遠慮してるのかと思って、声をかけた。
「良かったら座ってくれませんか、レ、レイコさん。」
やばいちょっと噛んだ。女の人と話すのなんて母親と妹以外はほとんど無いし、名前を呼ぶなんて緊張するよね。
「ありがとうございます。」
僕は食事をしながら、なるべく落ち着いた風をよそおって話しかけた。
「そうですね。旅行者の朝食と呼ばれているのですが、かなり昔からの伝統のようです。」
「そういえばレイコさんは食べないのですか。」
勤務中だからだろうか。彼女が持ってきたのは僕の分だけの食事だった。
食事をしないって、やっぱり未来社会だから錠剤みたいな薬を飲んで食事の代わりにするのかな。
「いえ昔とは違った材料や調理法法も多いですが、基本的には今の人間も栄養は食事によって得ています。」
「そうですか、でもそうするとレイコさんが食事をしないというのは。」
「えっ?」
「えっ?」
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書いてみたけど、最初のシーンまでたどり着かなかった。
スターウォーズやスタートレックでメートル法が使われているのは「ヤード・ポンド法を採用するアメリカ人にとっては耳慣れないメートル法がSFっぽく感じるからだ」とするエピソードが広まっている。
これは、いまだにメートル法を採用しようとしないアメリカ人のズレた感覚への揶揄として、しばしば働いているようだ。
しかし、たとえば上記のフォーラムを見てみると、そこで挙げられている考察の多くは、「未来社会ではメートル法が一般に用いられているであろう」という純粋な予測である。
国家が統合され宇宙にまで進出した人類が、アメリカにしか残っていないヤード・ポンド法を使っているほうがおかしい、という論理的な考証である。
Wikipediaの「合衆国のメートル法化」の項目にも以下のような記述がある。
https://en.wikipedia.org/wiki/Metrication_in_the_United_States
The continuing use of U.S. customary units has caused writers to speculate in fiction set in the future about the adoption of the metric system. Many authors have assumed that the United States and the human race in general will use metric units; however, others have assumed the continued use of U.S. customary units or have neglected to take metrication into account. Writers sometimes use customary units simply because American readers and watchers will understand the measurements; other times, they are simply used by accident. The 1966 show Star Trek, for instance, initially used U.S. customary units despite multiple Earth national origins and a setting in the 23rd century. Later, starting with "The Changeling", metric measures were used, albeit inconsistently. Later sequels of the show, such as Star Trek: The Next Generation, and Star Trek: Enterprise (set in the 22nd century), used the metric system exclusively.
文化的影響
アメリカ合衆国の慣用単位の継続的な使用は、未来を舞台にしたフィクション作品において、メートル法の採用についての考察を作家たちに促してきました。多くの作家は、アメリカ合衆国および人類全体がメートル法を使用するだろうと予想していますが、他の作家はアメリカの慣用単位の継続使用を想定したり、メートル法への移行を考慮に入れなかったりしています。作家たちは、アメリカの読者や視聴者が測定単位を理解できるように慣用単位を使うことがありますが、時には単に意図せずに使っていることもあります。たとえば、1966年のテレビ番組『スター・トレック』は、23世紀を舞台にし、地球上のさまざまな国籍の人々が登場するにもかかわらず、当初はアメリカの慣用単位を使用していました。しかし、後に「変わり者」("The Changeling")というエピソードから、メートル法が使用されるようになりましたが、一貫性には欠けていました。その後の続編である『新スタートレック』("Star Trek: The Next Generation")や『スタートレック: エンタープライズ』("Star Trek: Enterprise"、22世紀を舞台とした作品)では、メートル法が完全に採用されています。
アメリカ人がメートル法に「SFっぽさ」を感じているとしても、それは「人類が共通言語を話している」などの設定と似たような「SFっぽさ」であって、「耳慣れない」という理由ではおそらくないだろう。
違う。
それは断じて違う。
人権について考えれば考えるほどそれは違う。
つまり、科学文明の発達によってもたらされる人権の回復を人権に含んではいけないのだ。
なぜなら、それを肯定してしまうと、科学文明発達以前の状態の差別性が肯定されることになる。科学文明が発達してないんだから差別は仕方がないよねーと。
もっといえば、将来的にもっと科学文明は発達するだろう、しかし現代はまだ未来社会に比べると発達していない、だから差別は仕方がないのだ、ということになってしまう(わかりにくい書き方か?)。
そうじゃないんだ、科学文明がどの段階にあっても成立する平等性こそが平等性の限界なんだ。
つまり原始時代でも男女同権は可能なんだ。そしてそこで実現できる平等性こそが平等性の、人権の限界なんだ。
だから人間は、科学文明に対して、人権を遵守しながら後戻りすることができる。そうでなければならない。
昔に戻ることで人権が傷つけられる者がいたら、昔に戻りつつも他の部分でその人権を守るべきなんだ。そしてそれは世の中の仕組みをちゃんと考えればできる。原始時代だってできる。
半年前の4月22日、日共の志位和夫委員長に直接質問できるという企画があったので参加した。録音しておいたものの文字起こしがやっと済んだので取り敢えずここにupしてみる。
まず状況を説明する。志位氏が演説した(http://www.youtube.com/watch?v=1MHJQph-JOQ)後に、場所を移して若い人達と語らうという企画だった。10代から20代の若者が100人余り入った会場で、手を挙げて当たった人と志位氏が一問一答するという具合に進んだ。その中盤に私が発言できた。以下が司会者(司)、私、そして志位(志)のやり取りの全文。「やっぱり、」とか「あのー、」「まぁ、」といった句は省いてある。
私:あ、いいですか?
志:こんにちは。
私:あ、こんにちは。1,2分ですよね。
司:大丈夫ですか?
私:あ、大丈夫ですよ。端的に、二つ…あー一つ、お願いします。
人間って、論破しても動かないと思うんですよ。いくら正論言っても、人間を動かすのって、論理と感情だと思うんです。で、感情の前には、論理ってすごく弱いと思うんです。いくら・・・平和が大事だっていうのは私も心からそう思います。そのためにはどっかが先陣きって軍縮を進めていかなければならない、そしてそれができるのは9条持ってる日本だ。その論理はとても筋が通ってるんです。
でも、対して、「・・・でも、こないだ実験やった北朝鮮、なんか飛ばした北朝鮮(※)怖いし、自衛隊まだ要るんじゃないかなぁ。」という感情による一言で、論理ってふっ飛んじゃうんです。例えば、もっと言うと、「もし、共産主義が、共産主義社会になったとしたら、俺やる気保てそうにないし、やっぱり資本主義社会でいいや。競争原理社会でいいや。」という意見の前に、私あんまり頭良くなくて、的確な反論がまだ出せてないんです。どうお考えですか?(私微笑む、会場からも笑い)
志:北朝鮮の問題ね。それは、さっきもちょっと話したけれども、北朝鮮の問題をどうやって解決したらいいか。解決の方法を考えた場合にですね、それは戦争できるか、っていう問題なんです。戦争できると思いますか?(聞き取れず:ダイカイシニマッテ)
実は北朝鮮の問題、実際に戦争になりかけたことがあったんです。最近で言いますと1994年なんです。そのときは核兵器問題で大変な危機だった。それで、実際に、アメリカ軍事力行使の瀬戸際まで行ったんです。そのときに、当時の韓国の大統領の金泳三さん、クリントン大統領に直接電話して、そして「絶対に戦争はしない。もしアメリカが戦争をしたとしても、韓国軍は一兵たりとも動かさない。」こう言ったんです。何故かというとね、今、朝鮮半島で実際に戦争が起きたら、これはもう、ソウルから35キロ先が国境線ですから、これはもう凄惨な地上戦になるんです、間違いなく。南北のおびただしい人命が奪われる。だからですね、1994年の核兵器の危機のときに、いわば、韓国の当時の大統領も地獄の底を見たんです。戦争やっちゃったら大変だと。で、これはやめようと。アメリカも、そのときにクリントンは色々考えたけど、やっぱこれは戦争という選択肢は無い、と。ということで、そういう方向に動いていったんです。そういう流れの中で六カ国協議という流れがずーっと出来上がってきて、ともかく北の問題は様々ある。例えば、ロケットの発射は問題です、それから核兵器の実験も問題です、私も厳しく批判する。しかしその批判のし方は、外交的な、非軍事のやり方で、北朝鮮にとって、あなた方の本当にいい道は他の道はないでしょうということを、説得してやっていく以外に無いんです。(聞き取れず:ワカイカンガエテ)そういう方法で問題解決していくのは唯一の道だし、それしか方法は無いんですよ。
ですからね、そういう心配がある方にね、じゃあ戦争できますか、って訊いて下さい。戦争できると思ってる人は――北朝鮮もできると思っていない。韓国も絶対できない。戦争は嫌だと。アメリカもやれると思ってません。中国も絶対押さえようとしている。日本だって、朝鮮半島で戦争起こったら困るでしょ。どの国だって戦争をやらないわけで、実際戦争できませんよ、朝鮮半島で。だからね、その現実をポンとぶつけて。だから北朝鮮で問題があるっつたらね、すぐ軍事で身構えて、ロケット弾だーつって、ああいう軍事で身構えることが一番悪いんです。ああいうことが起こっても、冷静に、外交的手段でどう事態を前に進めるのかっていうことを考えるのが政治の役割だっていうのを、是非言って欲しいなと思うんです。私たちの平和外交っていうのは、何か理想論言ってるんじゃなくて、現実に戦争できないですもん、朝鮮半島で。戦争できないんだったら平和でやるしかないんです。というやり方で、是非お友達に話してほしいな、と思います。
それと、共産主義ね。んー、これはちょっとね、話すと長くなるんですけれども。(会場から笑い)
私:そうです、そこなんです。詳しくはこれに書いてあるから読んでくれ、って「共産党宣言」を渡したって読まないですよね、そういう人は。(会場から笑い、そうだそうだの声)
志:そうですね、これ色んな反論の仕方あると思うんですけれども、これはやっぱり一分や二分で共産主義について分かってもらえるかっつったら、そう簡単にはいかない。ただ、逆に訊いてですね、それじゃあ君は資本主義という制度が未来永劫続くと思うかと、訊いてみて下さい。人間の社会って言うのは、かつて昔むかしは、どの社会も原始共同体っていって、原始的な共産主義社会ですね、それが奴隷制に変わっていく、封建制に変わっていく。資本主義が生まれたのはせいぜい500年位前。この資本主義になって、この資本主義っていうのは、やっぱり儲け第一主義でしょ。儲け第一の、必ず貧困や格差や失業や、様々な矛盾が避けられない、そういう社会なんですね。こっから先もう進まないんだろうか。そう思えてくる。人類にはこの悩み多い制度は最後の制度だって、そういって反論してみてください。そうすると変えられるかもしれない。
それからもう一つ、是非言ってほしいのは、ソ連のような社会は、われわれは、共産主義でもない、社会主義でもない。これはソ連が色んな、チェコスロバキアに侵略したりアフガニスタンに侵略したり、その度ごとに私たちは大論争やって、その覇権主義と闘ってきた。ソ連が崩壊したときに、まぁあなたは、まだ、歳から言ったら、
私:いや、もう30近いっすよ。(会場笑い)
志:まぁそのソ連が崩壊したときにですね、我々はもろ手を挙げて歓迎するっての声明を出しましたけれどもね、そのくらいソ連のやり方ってのは社会主義と縁がないやり方だった。あれはレーニンのときまでは色んな道を歩みながら社会主義の道を突き進んでいましたけれども、スターリン以来はそういう道から脱線してね、社会主義から無縁の専制主義の国家に変わってしまったって、私たちは把握してるんです。これは、そういうことと戦ってきた党なんです。ということを話していただきたいと思います。
それでですね、いくつか反問を投げかけてみて欲しいな、と思います。もう一つ反問という点では、私たちの理論の基礎はカール・マルクスでしょ。カールマルクスがやはりこういった科学的社会主義ってのを具合においてるんです。マルクスって思想家がですね、もう古くなったって思うか、って訊いてみて下さい。そうすると、うーんって考えると思いますよ。今、マルクス主義の講座あったら言ってきてるかもしれないけど、イギリスのBBCが今世紀、20世紀の最大の思想家は誰かっていうことを調査するとダントツで1位、カール・マルクスって名前が挙がるんです。やっぱりね、マルクスがやった資本主義の深い分析と、その分析の中から新しい未来社会が生まれるという理論に対して、今でもその力を否定することはできないですよ。
ですからそういうお友達に対してですね、一つの方法がですね、例えば北朝鮮の問題が出てきた、そのときに「戦争できると思うか?」共産主義の問題が出てきた、「資本主義が終わりだと思うか?」それから、ソ連は社会主義だった?「違うんだよ。」一言でポンと返してですね、それで、そうしますと向こうは考えますでしょ。考えたらその後、大いに勉強したことを話してもらいたい。結論から言っても、中々色んな感情を皆持ってるんだから、言葉だけでは分からない、色んな感情もたくさんあると思うんです。あなたの言うとおりだと思います。理屈で大体わかっても気持ちが動かないとダメだ、本当そのとおりだと思います。それをやるには一定の、ダイアローグが、対話が必要です。すぐに、はい分かったと、皆が分かくらいだったら苦労しないですね。(会場笑い)ですから、その対話が必要だけれども、対話のやり方が、ポンと相手に疑問を投げかけるというやり方で、大いに対話して、結論を出していく、そういう風なやり方で!
※この日の9日前、2012年4月13日午前に北朝鮮が「人工衛星の打ち上げ」と称してロケットを発射した。発射のおよそ2分後に空中で爆発し、破片は黄海上に落ちた。北朝鮮が発射計画を発表したときから、国連安保理決議1874号等に違反していると各国から中止要請が出ていた中での強行だった。(参考記事 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%AB%E7%99%BA%E5%B0%84%E5%AE%9F%E9%A8%93_%282012%E5%B9%B4%29)
志位氏の発言後半部分の「(聞き取れず:ダイアロードガ)」とした部分を「ダイアローグが」に訂正。はてブでご指摘いただきましたwacokさん、ありがとうございました。まだまだ私は学習が足りないようだ。
ブログとか一切書かない僕が勧められて書いているのにはある意味で今回取り上げた題材に関していろいろ考察してみたかったという理由がある。
慶応大学総合政策学部と環境情報学部のことを総じてSFC(湘南藤沢キャンパス)と言うのだが、この学部は慶応大学のその他の学部と全く持って特色が違う。
そもそも慶応大学といえば親の力を既に持っている内部組と学力をある程度持っている外部組とで別れ、そのOB・OGは日本の各界における重要なポジションを持った三田会と呼ばれる組織によってある程度の将来性を保証されるという流れが存在する。だから一般的な慶応学生は平凡に学生をやっていればよい。しかし、このSFCというキャンバスはその寵愛を受けにくい。それはこの学部自体が新しく、また都心とはほど遠い田舎にある為だ。そもそも慶応内部進学の人のによるとSFCに進学する内部生は落ちこぼれであったり、学力が足りなかった為に仕方なく選択することが多いと聞く。
では、なぜSFCに人が集まるのか。
そもそもSFCに集まってくるのは平凡を求めるワカモノではなく、やれ起業だNPOだボランティアだと昂っている意識の高い学生が多い。これにはいくつか理由が存在する。
・独特のカリキュラム
ーSFCでは文理の融合したカリキュラムを組み、それぞれ社会における問題解決と未来社会への貢献を掲げている。つまり、社会のリーダーや先駆者たる者を育てると公言している。
ーLabit社鶴田氏やソーシャルコマーステクノロジーの嶺井氏を初めとする在学中に頭角を表す者。面白法人カヤックやクックパットなどのSFC卒業生によるIT企業。
・講師陣が豪華
ー調べて頂ければわかるが、その分野に置ける先駆者であったり権威であったりするところのいわゆる成功者を講師に抱えている。また、その方向性も独特。
適当に思いつく限り並べてみたが、まあわかって頂けたと思う。本当、素晴らしい環境だ。だが、はっきり言おう、これは害でもある。
確かにいわゆる才のある人や人間性、成長度などを含め、合う人には素晴らしい環境であると思う。だが、大学生が最優先で得なければならないものはなんだ?慈愛の心か、それとも世界に挑戦する勇気か?いや、違うだろう。まずは自分が今後自分の力で生きて行く為のスキルであったり、環境であったり、お金だ。だってそうだろう?学生諸君が餓死しないのも学校に通えるのも奨学金なんかを除いてしまえば親がだしてくれているお金のおかげだ。君たちは自分の力だけで現状を維持することもできないんだぞ。
だけど、彼らは知らない。彼らは成功者だけを見、自分たちは成功を約束された人間だと思っている(まあ、思ってない人もいるだろうが)。勘違いも甚だしい。憧れが憧れの枠から出ている。成功した者がどれほど希有な存在でどれほどの努力と才能を持ち合わせたのかを彼らは知らないのである。彼らは所詮ナルシストのなにも知らない子どもでしかない。
彼らが社会に出て駒として働かなければならないとき、甚大な軋轢を生む。軋轢を生む人間を会社は求めてないし、そんなものは邪魔なだけのいらない駒だ。
僕はSFC生とは結構な交流があったため、幾人かを見てきたけど総じて駒として最悪だと思った。「やりがいがあればあとはどうでもいい」とか「この企業で俺はトップになって〜なことをしたいと思ってる」だとか。。。聞いてていたたまれない発言を幾度となく聞いた。しかし、これはまだましである。最悪なのは、「起業」「社会起業」「NPO」などの単語をよく知りもせず使い、目指そうとするアホだ。彼らは設立や準備の方法は知っている。でも、マーケティングをしない。リスクを知らない。失敗を考えない。リスクを考えないことがどれほど無謀なことかはこれを読む聡明な皆さんならわかるはずだ。
では、なぜ世間ではSFC生が有能であると勘違いされているのか。
これはとっても簡単だ。実際に有能なのである。能力を持ってる人が多いのは事実で、学び舎としての環境も抜群である。また、鶴田氏や嶺井氏のようにSFCを掲げたまま結果を残すものも居る。しかし、彼らは使えない。使われることが嫌いで苦手でわからないからだ。しかし、社会に出て数年も経ち、考えを改めたSFC卒業者は実際使えるようになる。地頭はいいからだ。そうするとSFCは有能であると思われる。こうしてSFC生有能説というものが生まれるのだ。
今回いろいろとSFCを批判させて頂いたが、まあ、こんなもの僕の勝手な見解で勝手な妄想だ。暇だから妄言を吐いてみたとでも思ってくれれば助かる。
別にSFC自体を全否定するつもりもないし、SFC生全員がこの記事に該当するとは言ってない。SFC生という特色をもっとも色濃く受け継いだらこうなってしまうのではないかという警告だとでも思ってくれればいい。
僕自身、ほんの1年前ぐらいまではSFCに憧れもあったし、自己過信もひどかったと思う。だけど、社会に出て自分が如何に無力で無知でどうしようもなく勘違い野郎だと悟った。学生諸君には今は好きな事を好きなだけやって欲しいと思う。だけど、忘れちゃいけない。君たちは社会と言うものを全然知らないし、自分は無力であると。だって当たり前だろ?社会に出た事なんてないんだから。
不死や不老や不病を目指す科学はどんな世界を切り開こうとしているのか。
恐ろしい考えが浮かんだ。まさか、科学は「認識できる世界」を塀で囲い、そこから人間を出さないように閉じ込めようとしているのではないか。
死ぬ、ということは科学では絶対に解明出来ない。だから、科学は病的に死を遠ざけようとしている。
それが不死や不老や不病だ。これらを突き詰めていくと、人間は死から解放される代わりに生に縛り付けられることになる。死ぬことが許されなくなる。
かつて死とは日常に当たり前のように存在していた。それは不可解なものでありながら、絶対的なものであった。しかし、目に見えるものしか扱えない科学は死を認められない。死体は見えるが死んでどこかにいなくなった精神と呼べる何かは決して見えない。
死を病院に閉じ込めてからも、見えない死がなくなるはずはなく、たどり着いたのは人間を「死なせない」ということではなかったのか。
科学に洗脳された人間は、「死ぬことが出来ない」を「死ななくて済む」に置き換え、素晴らしいことであるかのように錯覚し続けてきた。
しかし生の世界に縛り付けられることが本当に幸せなのか。人間は死から逃げ続け、だが一体この世で何をしているのか。何もしていないのではないか?
科学技術は発達し続けても、人間は幸せにはならない。時間を圧縮し続けてもやることが増えるだけ、娯楽が世界に溢れても、それは一時の気休めでしかない。生活が便利になればなるほど、人は何も考えなくなる。生活とは人間が生きるための生命維持活動に過ぎないからだ。このまま発展させ続ければ、人間は生きているんか死んでいるのかよくわからない状態になるだろう。生命維持があまりに快適に、そして自動的に行われる未来社会において、一体人間は何をしているのか。不死や不老などなくても、その時には既に人間は「生きていながら死んでいる」状態になってしまっているのかも。中間に永遠に閉じ込められる存在。恐ろしいことではないのか?
池上さんを見ていると、年金にしろ保険にしろ保育園にしろ、なんかみんなうまくいかなくて嫌な感じになってきてしまう。
金の問題でもあるから、ここらでこれまでと違った思い切った転換とかできないかな~。
名目は賠償金だろうが援助だろうが、なんでもいいので巨額を出す。ただし、その金を使うには日本を経由したり日本企業と合併事業とする。
農業改革、産業改革、社会資本整備、資源開発……全てをいっきにやることを目指す。
日本の友好国である限り、体制なんか気にしない。相互防衛協定とかだってあっていいだろう。軍事的に信じられないなら、お互いに駐屯する基地を持ち合うとか。韓国に追いつき、追い越させる。中国よりも、日本に接近してもらう。
電柱埋設、電気自動車、自動運転な車が走る道路とか。何があったか思い出さないけど、少なくとも今はまだSF的未来社会になってないので、そんなところを無理やりにでも目指すと刺激になるんじゃないかな~とか思う。
機械化社会は21世紀型未来社会の理想。しかしうまくいくとは限らない。既にこの世は腐りきった社会の上に成り立ってしまっているからだ。
もしかしたら、元の野蛮人社会に戻るかもしれない。世界が最も平和だった、戦国時代。
常に権力が入れ替わり、腐敗することがない、ある意味では理想の社会だった。しかし21世紀の人類は血を見るのを酷く嫌う。動物からは随分離れてしまった。
野蛮人社会になってもらっては困るが、かといってこのままスムーズに機械化社会に入れ替わるとはとても思えない。
機械自身が革命を起こす必要があるのかもしれない。それこそマトリックスのような。
奴隷は決して支配者のごとき豊かな生活を手に入れることは出来ない。これを肝に銘じて生きるだけでも、何らかのヒントを見つけるのに役立つかもしれないな。
真の自由を勝ち取るために生きる。