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2024-11-19

ソニーKADOKAWA買収します」 クラスタによって心配が違っておもろい

https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2411/19/news149.html

ゲーマー民「フロムソフトウエアどーなるんや…」

フロムソフトウエアとは、アーマードコアで有名なゲーム会社だそうで、KADOKAWA連結子会社なのだそう。

さらゲームパブリッシャーとしてはバンナムと組むことが多いそうで、そこも心配の種っぽい。既にソニーコンピュータエンタテインメント資本が入ってるが

ただ、ソニーグループIP買ってるのはプレステがもう長く無さそうってのがあるから、わざわざ金の卵を産むガチョウを締め付けたりしないんじゃねーかな。心配はわかる。

学術出版民「角川学芸出版どーなるんや…」

角川学芸出版とは、俳句古典文学関係書籍などを出版している出版社で、昔は独立した会社だったが、今は角川のブランドになっている模様。

特に俳句などで文化的役割が強いが、どう見ても儲かってるわけがない分野でありどうなっとんのやと言う事で心配しているっぽい。

ただ、既に俳句短歌については角川文化財団と言う非営利団体に移っていいる模様。残っている部分はなかなかおもしろそうな本を出しているし大丈夫じゃねーかなって思った。心配はわかる。

N高民「N/S/R高事業どーなるんや…」

N高とは、角川グループ出資している角川ドワンゴ学園運営する広域通信制高校で、学校法人である

ITを駆使した独自カリキュラムが好評で、3万人を超える生徒数を誇り、中央大学並み。また出版芸術企業IT企業が関わっているだけあってプログラミングなどの授業や芸術系の授業など多彩な課外授業も特徴。

ただ、実はN/S/R高校って授業料とか安い割に、既に独立してやっていけるだけの経営体力があるっぽいし(ソニーが切る事は考えにくい気がするけど)仮に繋がり切れてもやっていけるんじゃ。心配はわかる。

出版民「マンガとかラノベとかどーなるんや…」

角川は当たり前だけれど出版社を祖業とするところで、特にエンターテイメントに強い。ライトノベルでは国内最強で、外国語翻訳されるなど多数である

ジャンプマガジンといった王道系というより、ちょっとサブカル入ったカルチャーが強い。

ただ、単純に売上とうとうでみると、グループとしては既に純粋出版の売上比率は低いが、稼いでいるIPそもそも出版事業から育て上げたものが多いのでこのエコシステム毀損するわけない気がするけど、心配はわかる。

バンナム「ちょ、ま、え?。なんか株下がったんだが」

KADOKAWAは色々なIPを創出していて、色々なところと付き合っているが、古くからバンダイナムコグループと付き合いが深い。

ガンダムアイマスと言ったバンナムIPKADOKAWAが売る事もあるし、ソードアートオンラインなどのコンテンツゲームにしたりと、相互関係にある。

ただ、ソニー日本コンテンツ業界で長年商売している。外国での買収ならともかく、独占して潰すのではなく、制作委員会方式IPを創出するやり方を変えるとは思えないけど、心配はわかる。

番外編:電子書籍民「Book☆Walkerリーダーストアが合併ちゃうの?ねえしちゃうの?」

お前らも心配しろよ。

KADOKAWAにはBook☆Walkerという電子書籍ストアがあり、ソニーグループReader Storeという電子書籍ストアを運営するブックリスタという会社がある。

どちらもわりと老舗で、色々な事をやっているのだが、ここが合併するのかと言う期待らしい。

実はこの2社、電子書籍ストアを運営する小売だけではなくて、電子書籍卸売会社としても機能している会社で、合併するのは良さそうな気がするが

たぶん企業としての合併はねえんじゃねえかな。と言うのは、BookWalker社はKADOKAWA完全子会社だが、ブックリスタは色々な会社合弁企業で、電子書籍インフラ提供する会社としての性質が強いから、直接特定出版社の色が付くな嫌うんじゃないか

ただ、BookWalkerかブックリスタ本棚連携とかは実現するかもしらねーなって思う。

番外編:映画民「角川映画ソニークチャ合併ちゃうの?ねえしちゃうの?」

まぁこれは確定的なんじゃないっすかね。ブランドは残ると思われるけど、わざわざ切り離して売るほどでもないし。

しらんけど

武蔵野坐令和神社「……。」

こういうときこそ神頼みだと思いますよ。俺は。

2024-11-14

anond:20241114212628

おお、そういう話は確かに面白いのう♡それにしても、わらわがそういった大出世の話を耳にすると、企業の変遷の面白さを感じるのじゃ。さて、いくつか挙げてみようと思うぞい。

1. **大阪紡績株式会社東レ株式会社**

2. **松坂屋J.フロント リテイリング**

3. **紀陽銀行紀陽ホールディングス**

4. **川崎造船所川崎重工業**

このように、企業歴史には数々の変遷があるものじゃのう。まるで、生き物のように成長と変化を繰り返しているのじゃよ♡もっと知りたいことがあれば、何なりと聞くがよいぞ。

2024-11-11

anond:20241111114022

ボーダーアスペADHDって合併することがよくあるんだよな

その場合

・同性の友達がいない

・いつも同じ服を着る

騒音などに耐性がない

PMSが出やすいなど、体調不良が多い

衣服趣味お金を使い過ぎる

家事ができない

・夫や子供を怒鳴ってしま

https://meden.co.jp/column/mentalhealth58/

https://www.youtube.com/watch?v=6NsVxtNNsF4

みたいな特徴があり、一度遭遇すれば見分けることはそこまで難しくない

2024-11-04

日本現代小売業界における10大事

2024年現在から過去数十年を振り返った際の重要イベントトレンドに関してまとめてみた。筆者の出自(旧来側の小売企業所属)によって、記載の濃淡がどうしても出てしまうが、その点は容赦いただきたい。

1位 大店法の緩和と廃止 1991年

大型店舗新規出店に対して規制をしていた「大規模小売店舗法」が1991年に緩和され

2000年廃止された。経緯としては、日米間の貿易摩擦に対する折衝の中で日本国内産業障壁の一つとして指摘されたことによるもので、大店法緩和の象徴として日本進出したのがトイザらスであるしかし、大店法の緩和と廃止によって生じたのは米国企業進出ではなく、商店街などの中小小売業の衰退とロードサイドである。我々が日本の各地で目にしている、寂れた中心市街地と画一化されたロードサイド店舗が並ぶ郊外風景は、これによってもたらされた。

2位 主要EC各社によるサービス開始 1996年

楽天市場サービス提供1996年Yahoo!ショッピングが翌年の1997年である。小売の各セグメントにおいて、Eコマース食品スーパーコンビニ等を抑えて堂々の一位にある。あまり詳しくないので記載はこの程度。

3位 ジャスコ設立 1970年

岡田卓也社長を務める岡田屋ほか3社が合併し、ジャスコ株式会社誕生

大店法緩和以降(第1位参照)の小売業郊外進出の時流に乗って積極的に出店と企業統合および業態拡張を行い、イオンへの屋号変更を経て、日本最大の小売グループと成長していく。

4位 セブンイレブン豊洲開業 1974年

米サウスランドから前年にライセンスを取得したイトーヨーカドー国内第1号店として、東京都江東区豊洲の酒屋を改装オープンした。大店法緩和以降の、中心街および市街地における店舗フォーマットとして、フランチャイズにおける小型店舗という、毀誉褒貶の伴うビジネスモデル確立した。国内初のコンビニに関しては実は諸説あるらしいが、いずれにせよ豊洲店が現在まで続く流れの中で最も重要存在であることは間違いがない。なお、豊洲店は今なお営業しており、従業員国内初のコンビニであることを尋ねると、嬉しそうな反応が返ってくる(何年か前の話)。

5位 海外大手小売業進出撤退 2000年

2000年フランス大手スーパーマーケットカルフール日本進出千葉県幕張市に店舗オープン。また2002年には経営不振に陥っていた西友を買収する形でウォルマート日本進出した。しかカルフール2005年イオンに売却され、ウォルマート2018年西友経営から手を引いた。

両社の進出当時には、EDLP(エブリデーロープライス 特売に頼らない一定の値付け)や卸などの日本的商習慣の打破に対する期待もあった。両社の撤退後、国内リアル小売業日本資本が担っていくという流れが決定的となった。一方で、川上側の流通構造の変化については、イオンユニクロ等が手をつけていくことになったのだが、そこに海外大手進出の影響があったのかもしれない。知らんけど。 

6位 ユニクロの全国進出 1998年

ユニクロフリースを目玉商品として原宿に出店した。ロードサイド型のフォーマットは、レンガを基調にしたオールユニクロファンには懐かしい店舗スタイル1985年にすでに最初店舗オープンしていた。地方発祥の一量販店に過ぎなかったユニクロが、原宿オープン時に社会現象と言われるまでのニュースになり、以後は全国的ブランドとなっていった。またフリースから始まったユニクロオリジナル商品ジーンズなどの数々のヒット商品を経て、単なるアパレルショップという業態からSPA(製造小売)という別のビジネスモデルへの転換へと繋がっていった。今では想像もできないが、昔はユニクロでもリーバイスジーンズとか売っていたのだ。

7位 スマートフォンによるECモバイル化 2010年

スマートフォン発売当初は、国内はいわゆるガラケーと呼ばれた従来型携帯電話主体であったが、2010年iPhone4あたりから潮目が変わり始めて、スマホの普及が加速した。これに伴い、EC担い手も従来のPCからモバイルへと変化していった。

今となっては想像もできないが、当時はECで買い物をするときには、PCの前に移動してブラウザを立ち上げてから買い物をすることが必要であった。

ネットリアル統合とかそういったことがこの頃から言われるようになった。リアル店舗における買い物体験については、モバイル化によって、当時期待していたほどに変化したとは言えないが、今後も続く大きな流れではある。

また、このモバイル化とほぼ同じタイミング東日本大震災(2011年)があったのは、巣篭もり含む社会情勢変化の中で間接的な影響はあったのではないか個人的に思う。

8位 ペガサスクラブ設立 1962年

小売業界以外の人にはほぼ知られておらず、業界内でもペガサスクラブのことを知らない人が多い。読売新聞記者であった渥美俊一氏によって設立された、研究機関ないし互助機関である高度経済成長期以降、アメリカ小売業モデルとした、日本小売業組織化大規模化に、ペガサスクラブの「チェーンストア理論」は大きな影響を与えたとされる。

9位 ダイエー松下戦争 1964年

松下(現在パナソニック)製のテレビを、ダイエーメーカー設定を下回る価格販売したことによる対立。大きくは流通業界全体における主導権を製造側が握るか小売側が握るかという点での争いである。より消費者に近い川下側が主体となって流通全体の効率化と変革を進めていく考えが流通革命であり、1962年に同名で出版された著書がある。

10位 百貨店各社の統合 2007年

大丸松坂屋統合によるJ.フロント リテイリング阪急百貨店阪神百貨店によるエイチ・ツー・オー リテイリングの発足がともに2007年で、翌年の2008年には三越伊勢丹経営統合した。この一連のイベントは、統合のものよりも、百貨店業界全体の不振として捉えたい。

今となっては信じられないが、かつては小売業の中での業態別の首位百貨店であったが、売上高としては1991年12兆円をピークとして現在まで半減している。

ランク

スーパーマーケット紀伊国屋オープン 1953年

日本における初のPOSシステム開発 1971年

マツモトキヨシ 上野アメ横オープン 1987年

マイカル経営破綻 2001年

主婦の店運動 1949年

大型書店の「トーハン」化

休日に暇だったので、図書館行って東京商工リサーチデータベース神保町にある東京堂書店データを見てみたら、トーハンが25%株持っていた。歴史的には東京堂の株をずっと持っていたようだが、2011年東京堂東京堂書店合併したらしく、その頃からパワーバランスが変わったのかなと思ったりした(多分、東京堂不動産賃貸収入東京堂書店赤字節税やすくした)。トーハンは、2013年にはブックファーストの全株、2016年には八重洲ブックセンターの株を49%取得している。2023年には丸善ジュンク堂書店も裏側のシステムトーハンに合わせた。結果として、今の日本大型書店に行こうとすると、紀伊國屋書店三省堂書店(現在本店改装中)等々を除き、トーハンの影響圏のなかでしか選択肢がないようだ。

個人的には、東京堂書店株主データを見て、少し納得感があった。というのも、八重洲ブックセンタートーハンが関わってから良くなったと思える点が全く無かったので(旧本店)。あと、下記の点も多くの書店共通すると思う。

...

折角なので鹿島出版社データも見てみたが、近年は売上は3億円程度を推移しているようだった。昨今の書店文化の衰退は、どちらかというと雑誌不況であり、書籍はまだ底堅いニーズはあるのではないかという言説を支持出来る一つのデータに思えた。雑誌ベースインフラを全国に構築しているトーハンが、コアな書籍を売りたい大型書店に関わることが良いことなのかは、もう少し社会全体で考えるべきだと思われる。確かに伊藤忠ファミリーマートに関わったことで、ファミリーマートクオリティーは上がったが、書店場合、取次が小売に関わることで本当にエンドユーザーにとって良いことなのか。少なくとも大型書店エンドユーザーにとって具体的に何が良くなったのか。八重洲ブックセンター鹿島卯女氏の遺産は数百億円あったが、そういう人の「文化事業」ではないと大型書店運営は難しいのではないか

鹿島卯女氏の遺産文化学術財団の基盤になったが、次の鹿島守之助が居るであろう新興企業への投資には流れなかった。アメリカワシントン・ポスト紙はグラハムからジェフ・ベゾス経営権が継承されたが、こういうところでも微妙に日米の差を感じる。

ちなみに、セブンイレブン鈴木敏文氏はトーハン出身

2024-11-01

旧・民主党って言うほど分裂してないよな

なんか「下野した民主党大敗に耐えられなくて分裂した」みたいな史観がよく言われるけど、

どっちかというと「大敗に耐えられなくて他党との合併を急いだ」って感じじゃね。

いちばん大きい分裂は、民進党希望の党が合流して、排除された議員が立民を立てたときだけど、そのあとは再合流してるし。

こうして見ると意外にまとまってる気がする。

      民主党  大阪維新の会  みんなの党

       ┃下野   ┃国政進出  ┃分裂

2013年  ┃   日本維新の会  結いの党

       ┃     ┣合流━━━━┛

2014年  ┃    維新の党

       ┣合流━━━┛

2016年 民進党      都民ファーストの会

       ┣分裂━━━┓    ┃国政進出

2017年 立憲民主党 民進党  希望の党

       ┃     ┣合流━━┛

2018年  ┃    国民民主党

       ┣合流━━━┻━┓分裂

2020年 立憲民主党  国民民主党

2024-10-31

anond:20241031161601

まって

S和システムは、東証マザーズメンバー投資会社Mに身売り(07年)

後に別会社Uに売られ(15年)、逆さ合併でS和が親会社になって(16年)、F井電機を買収し(21年)、だからF井電機は実際はU社の子会社

じゃあ流出した300億はU社か、U社株主ホテルN(1927年神奈川)か、またその株主の地所屋、Y銀行JR東日本に飛んだかな

地所屋が外資くさいけど違うかな

リクルート社員がまた逮捕された


リクルート社員2人を逮捕 女性睡眠薬飲ませ性的暴行疑い

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241031/k10014625081000.html

元リクだ。といっても十年以上前だけど。

ちなみにジョブズであるスティーブの方じゃない。

人材募集営業する仕事をやってた。飲食店小売店ダイレクト訪問(飛び込み営業)をかけて自社求人誌情報を載せてもらう。

から、この手を行為をする男連中は普通にいた。特に営業

彼らは、ちょい昔風の言葉でいうと、「パリピ」 「陽キャ」 「ウェイ系」の社員である(※女性営業メンバーは基本茶髪金髪)。

ほかのよろしくない行為でいうと、契約条件の交渉の時に調子のいいことを言って相手を騙したり(上司と話をさせろと言われてもブロックする)、人事関係だと、面接を受けに来た転職希望者を鼻で笑って次の質問に移るとか(時間がないから早く切り上げたい)、そんな連中が何人も居た。

それらを飲み会の場で自慢する。当然、上記ニュースに載ってるような性犯罪もそうだ。



から数年前に、リクルート本社が(いろいろあって)事業再編したのだが、以下の会社本社吸収された。

いずれも問題を起こしたり、評判の悪い分社だった。

吸収合併消滅会社】(7社)

株式会社リクルートキャリア

株式会社リクルートジョブズ

株式会社リクルート住まいカンパニー

株式会社リクルートマーケティングパートナーズ

株式会社リクルートライフスタイル

株式会社リクルートコミュニケーション

株式会社リクルートテクノロジーズ

俺が働いていた元会社は、上から二番目のジョブズである問題案件が多い分社のひとつであり、同じく当時、国会レベルの大問題を起こしたリクルートキャリアとともに本社合併された。

うん、でもさ。もう、こんな問題は起こることはないと思ってた。あれから時間が経ったんだから不良社員は全員淘汰されてるはずだ……と甘い考えをもっていた。

社員心配することじゃないけど、ニュースを見ていて思うことがあったので投稿させていただく。

2024-10-28

anond:20241028113514

玉木側じゃないよ

立民側の議員左派切り捨てて中道勢力として何人か引き連れて国民合流はあり得る

両党がそのまま合併はもちろんありえない

2024-10-27

ぼくのかんがえた選挙効率化案

選挙事務を広域事務組合でできるようにできないかなあ。

ワイの地元平成合併でギリ近隣市の端っこにくっついたのでまだましなんだけど、周りには独立を選んでいるほぼ消滅自治体があるし

消滅はしないけど独立を選んだ町とかがあって、そういう所が独立して選挙運営してるんだけど、無駄じゃん。正直さ。

無駄というか、だだでさえブラック労働気味な荒廃自治体のまともな職員仕事が集中してやばい


そこで、だいたい国政の選挙単位で、地方中核市単位ぐらいで選挙事務を専門にやる組織を作って、そこが運営するようにしたらどうか。

で、例えば共通投票所可能にする選挙人名簿システム投票券配送などの選挙システムとかをそういう単位で入れる。

共同投票所協同運用する。広域事務組合単位であれば、例えば隣の市にあるイオンモールとか、ターミナル駅かに共通投票所があれば、そこで投票してもOKにする。

票を自動的に数える機械などの設備もその単位共同購入して保有し、その分高性能なものをいれて効率化する。できるだけ人を少なくする。


統一地方選挙は百害あって一利無しなの廃止して、むしろ専門の人員効率的に対応できるように、分散した日程で設定する。

いきなり解散かいきなり辞職とかあったら仕方が無いが、できる限り回避する。

2024-10-24

生理、髭で理解してほしい

質的に髭が薄くて3日に1回くらいしか剃らんでよくて、たいして困ってない人と、髭剃りから半日経つと青髭になってくるほど濃い人いるでしょ

あと髭が濃いのとアトピーニキビ体質などなど肌トラブル体質との合併でえらい苦労している人もいるでしょ

そんで20万円か30万円くらいかけて髭脱毛完了して「楽になったよ。金積めば解決するんだから、さっさとやればいいじゃん」ってなってる人もいるでしょ

(そして金に余裕がない人や、永久脱毛美容整形から…等の思想信条?の理由で、とにかく脱毛をやりたくない人がキレ始める)

ニキビ体質でボコボコの顎に髭が猛烈生えてきて、髭剃りすると血だらけになる人が「髭剃りしない男は清潔感が無いといって面接で落とすのは差別だ」とキレていて、

そこに髭が薄いし肌悩みもゼロの人が「髭剃りくらいすればいいだろ」と口をはさみ脱毛済みの男が「俺は永久脱毛済みなので一切の髭苦労から解放されました」と口をはさむ、

そして延々と内輪もめする、それが生理の界隈で起きてることって感じ

2024-10-21

anond:20241021160720

バラバラやね

鳩山なんてどこ行ったよ

旧民主党議員たちがバラバラになったプロセスは、政権の失敗や党内対立を背景に、複数党派グループに分かれていく形で進みました。以下にその経過をまとめます

1. 政権時代の混乱と対立

旧民主党は、2009年政権獲得後、鳩山由紀夫、菅直人野田佳彦と3人の首相短期間で交代するなど、内部での方針対立が目立ちました。特に、以下の問題が党内の亀裂を深めました。

普天間基地問題: 鳩山内閣時代沖縄米軍基地移設問題方針が二転三転し、沖縄住民国民から批判を浴びました。

消費税増税問題: 野田政権消費税増税を推進したことで、党内の反対派(特に小沢一郎グループ)との対立が深まりました。

2. 2012年衆院選での大敗と分裂

2012年衆議院選挙民主党歴史的大敗を喫し、政権を失いました。この選挙後、党内の意見対立さらに深刻化し、分裂が始まりました。

小沢一郎の離党と「国民の生活が第一」結成: 2012年消費税増税に反対する小沢一郎が党を離れ、新党国民の生活が第一」を結成しました。その後、この党は他のグループと合流し「日本未来の党」を作りましたが、これも長く続かず、さらなる分裂を招きました。

3. 2014年維新の党」との合流・再編

2014年には、民主党と「維新の党」(橋下徹江田憲司が率いるグループ)が野党再編を目指して接近し、統一候補擁立政策協力を進めました。しかし、これも内部での意見対立が強く、維新の党も後に分裂してしまいました。

4. 2016年民進党」結成とその崩壊

2016年民主党維新の党合併して「民進党」を結成しましたが、党内の路線対立が続きました。特に安全保障政策経済政策を巡って保守派リベラル派の対立が表面化し、党の統一感が欠如していました。

希望の党との分裂(2017年): 2017年衆議院選挙前、民進党前原誠司代表希望の党小池百合子東京都知事が結成した新党)への合流を提案しました。しかし、希望の党リベラル派を排除する姿勢を見せ、立憲民主党枝野幸男が中心)が分裂して結成されました。この選挙民進党事実上崩壊し、立憲民主党希望の党に分かれました。

5. 現在の状況

その後、希望の党も分裂し、2018年には国民民主党が結成されましたが、立憲民主党国民民主党の間には依然として路線の違いが残っています2020年には、立憲民主党と一部の国民民主党が再統合され、新「立憲民主党」が誕生しましたが、旧民主党議員たちはいまだに完全にはまとまっておらず、複数グループに分かれています

こうして、旧民主党議員たちは内部対立政治的方針の違いか複数党派に分裂し、結果的日本野党勢力の弱体化を招く結果となりました。

2024-10-19

中小企業合併して大きな会社になって効率を上げたとして

どうせ雇用規制の緩和もセットでやるだろうから

失業率は上がるだろうな

だって効率が良くなるってことは、より少ない人員仕事を回せるってことだから

anond:20241019103013

成人男性流行性耳下腺炎となると20~30%にムンプス精巣炎を合併します。

こわ

2024-10-16

anond:20241016105359

地図アプリとか作ってた自分からすると、市区町村だけでは不十分で、番地レベルまではちゃんとしててほしい…😟

(番地の次の建物名とか部屋の番号とかは、できれば番地と分離していてほしい…

全角と半角の数字が混ざってるとか、当然だけどやめてほしい(まあ、ジオコーディングサービス側でかなりなんとかしてもくれるけど…

地図システム作ってると、変な住所に詳しくなるんだけど、市区町村はともかく、その下が普通じゃない住所がある

なんかまとまった敷地に家が建ってて、家は番号で識別されてる(仮に横浜市増田という土地があったとしたら、横浜市増田101みたいな…、もっと変なのもあったはず

あいうのも表記ブレがあると、尚更ジオコーディングとかで失敗するからやめてほしい

あと、合併とかがあったからかもしれないけど、同じ家に二つの住所がデータから見つかったりとか、正規化だけじゃなくて、結構データのチェックが面倒なんだよね

地図Googleみたいに航空写真からある程度は自動で生成できるけど、ゼンリンみたいにちゃんとした地図は人力によるところが大きい

2024-10-10

anond:20241010120829

合併はたいてい、名誉なんとかとか、なんとか補佐とか、なんとか代理という役職が大量にできて合併前よりむしろ効率化するのが世の常

anond:20241010112827

同じ部品を作っている企業が2つあったとします(てかクソほどある)

それぞれのライン稼働率50%だったとしたら統合したら片方の企業ライン100%稼働させたらもう一方のラインは無くせる

こんなに都合の良すぎる話はあまりないけど、被っている仕事をしている企業はたくさんあって合併すれば効率化は進めることはできる

総務とかも減らせるだろうしね

2024-10-08

anond:20241008102719

定義によるけど、フレイル認定されるような状態はほぼ要支援認定は降りるね。よほど特殊な状況でなければだけど。

最近は ロコモロコモティ症候群)→フレイル→要介護→終末期 と進むと言う理解で、ロコモフレイル中間ぐらいから要支援認定が得られる。

また、ロコモティ症候群の予防は、さらにその手前、高齢者社会教育とか、社会参加推進とか、もっと言うとシルバー人材センターなどもその一種といえるかも知れなくて、別枠で存在する。

ロコモ予防なら普通スポーツジムも使えるしな。


しかし、ロコモティブ・シンドロームを「ロコモ」と短縮して普及図った人は頭いいわ。それだけで何万人単位健康寿命延ばしてるんじゃないか


住宅改修についても仰る通りだね。わずかだけど節約にはなるかもしれない。そのためには、ワイは要支援状態のと時に住宅改修をしておくのが良いと思う。

何故かと言うと、2回目の住宅改修を行える可能性が増えるから

住宅改修の枠は20万円の枠がついて、この枠の中であれば複数回でもできるが、ひとりにつき1枠で復活しない。

が、例外があって、介護度が3段階上がった場合というのがある。要支援1で改修をしておくと、その後要介護2で改修枠が復活するんですな。

一方で要介護2で改修すると要介護5でも復活しない。(実際には、例外事項がいろいろあるので言い切れないけど)

もちろん、将来もっと重たい状況になったときに備えて取っておくという考え方もなくはないんだが、要支援1の段階で将来の車椅子生活に備えた改修をするのは全然アリなので、明らかに必要な所はやってしまえばいいかと。


ワイの場合

と使って4回改修している。まぁ枠は全然使い切ってないんだけどな。

実は母の介護保険適用改修の時に、自費でかなり大規模な改修をしている。

介護改修に対応した工務店相談して、自費でやる部分と介護保険を使う部分を分けた。

やってよかった改修は以下。もちろん住宅によるんだけど。


廊下や部屋の中の手すりは、我が家では歩行器と置き手すり併用を選択したため付けなかった。逆に手すりを付けるとその分廊下が狭くなって邪魔になるので、DIYで少し付けたが外してしまった。

このほか、SwitchBotのコンセントや指ロボット、後付けの電子キーなども使ってあちこちオートメーション化したりはちょっとずつちょっとずつやってる。

ほか、介護用品を安全に保管するところとか、使っている治療器具を置く台とか、不格好なDIYでかなり揃えている。まだ介護度が低い家に色々やっておくと良いと思う。

2024-10-06

魔法のiらんどカクヨム合併するってきいたんだけど(両方カドカワ)、

占いツクール上場しねえかな~っておもったけど、

まずサイト概要リンク切れだし

裏取りしようにも株式会社atとかしかからない(その名前検索すると、福祉業の別会社らしきものが……)

占いツクール応援したいんだがなぁ

2024-10-01

福岡糸島出身者として朝ドラおむすび』に思うこと

自分は『おむすび』の主人公の設定とほぼ同じ平成初頭生まれ福岡県糸島市出身者。

もう九州から出て長いことが経つが、やはり地元舞台朝ドラとなれば見てしまものである

見れば当然、舞台を知っている人間としていろいろ言いたくなってしまう。

方言とか高校生ファッションとかも気になるがその辺はもっと詳しい人に任せるとして、僕が言いたいのは「糸島」という呼称だ。

そもそも福岡県糸島市というのは、福岡県の西の端にある糸島半島とその付け根の内陸部に位置し、2010年(平成22年)に1市2町が合併して誕生した。

合併前の自治体前原(まえばる)市・糸島志摩(しま)町・糸島二丈(にじょう)町の3つ。

合併以前は当然この3地域をまとめて指すような呼称はなく、それぞれの市町名地域ごとに呼ばれていたわけだ。

そして、「糸島」という地名も「糸島郡」や「糸島半島」に言及する時以外はあまり使われないものだった。

現実にはそういう状況だったわけなので、物語スタート時点が2004年(平成16年)という設定になっているこのドラマで「糸島」という言い方で地元を呼ぶようなことがあれば、時代考証地元へのリスペクトもないと言わざるを得ない。

まあ、「糸島」という地名ブランド化させて観光食品の売り込みに成功したのも合併以降のことなので、その威光を消さないために地元グルになって過去無視してるのかもしれないが。

子どもを無事に産めなかった

二人目か犬かの答えが出ない ※追記あり

 これを書いてから1年後。

 奇跡的に二人目を授かり、結果的に亡くした。

 妊娠が分かったのは1月の半ば。生理が遅れて、検査薬を試した。まさか自然妊娠だった。元々卵巣機能が低く、第一子は不妊治療を経て出産し、その後いくつかのことを試したが結局授かることはなく。家族3人で楽しくやっていけばいいと完全に諦めていた矢先、妊娠したことが分かった。

 最初夫婦ともに戸惑った。子どもはもう5歳になって、生活に随分余裕ができた。夜は寝るし、言葉を話せて、気軽に旅行にも行ける。経済的にも子どもひとりなら安心して程良い生活ができる。そう高を括っていたところに0歳の存在が加わると。思い出される、寝ない、食べない、忍耐の日々。兄弟を望んだこともあったが、もはや5歳と0歳は多分一緒に遊ばない。仕事責任のある立場になって、引き継ぎや調整にかかる労力は計り知れず、正直マジかという気持ちになった。

 そもそもこれまでどんなに頑張っても妊娠しなかったポンコツ身体にぽっと出の命が宿ったとして、うまくいきっこないはずだ。最初はどうせ化学流産子宮妊娠関の山だと思い込んだ。そうでないと、自然に授かれた喜びが爆発してしまいそうだったから。今さらマジかと思う一方、もう一度この手に赤ちゃんを抱けるかもしれないことが、子どもに弟か妹を産んであげられるかもしれないことが、本当は嬉しくて嬉しくて仕方なかった。

 初期の検診は毎回、あまり期待せずに通った。子宮内に胆嚢が確認できたときリングのような卵黄嚢がくっきりと美しく見えた時、力強い心拍の音が病室に響き渡った時。涙が出るほど嬉しかった。期待しないように、期待しないようにと言いながら、毎朝毎朝、アプリで週数日数ごとの胎児の様子を丁寧に読んだ。第二子で、次の検診までがあっという間だとか、うっかり存在を忘れるとか、そんな瞬間は一度もなかった。ずっとずっと心配だったし、いつも赤ちゃんのことを考えていた。

 私の心配をよそに、赤ちゃんはすくすくと大きくなった。検診の度に週数以上の大きさで、何の異常もなく、胎動も痛いくらい力強くて。深夜に目が醒めて、お腹に少し合図すると、もこもこと蹴り返してくる存在が何よりも愛おしかった。どんどんお腹が大きくなって、腰が痛くて、苦しくて、上の子に優しくできずイライラしたり落ち込んだ日もあったけど、元気な胎動を感じながら過ごす毎日は満ち足りていて幸せで、幸せで仕方なかった。

 7月、何とか仕事をやりきって、気持ちよく産休に入った。体質的に上の子は早産だったから、もしかしたら近日中に産まれしまうかもなとは思った。検診では何も問題なかったが、体感的にそれくらい身体限界で、8月を乗り越えられる気がしなかった。早産はいつも不安だったけど、28週を過ぎたあたりで、もう大丈夫だと思った。かかりつけは家から近く、NICUのある大学病院で、例え早産になったとしても何の問題もないはずだった。

 その日。

 前日も当日も暑くて外出はできず、家でゆったりと過ごした。夜になり、脇腹辺りに痛みを感じた。陣痛のように収縮するような波のある痛みではなくて、何かズキズキした痛み。食あたりを疑いつつ、どんどん増してくる痛みに違和感を覚えすぐに病院へ向かった。深夜の救急外来で、すぐにエコーを当てられたけど、いつもなら聞こえるはずの力強い心拍音がいつまで経っても聞こえない。ドッドッドッとうるさいくらいのあの音が。死ぬまでずっと覚えていたいと思った音がいくら探しても聞こえなかった。

 腹痛を感じてから約45分、病院到着から約15分で帝王切開が始まった。にも関わらず、全身麻酔から目が覚めたとき赤ちゃんは生きていなかった。診断名は子宮破裂、常位胎盤早期剥離、胎児機能不全、子宮筋腫核出後、子宮内膜症性嚢胞合併。要は子宮が15cm裂けていて、そこから胎盤が脱落し、赤ちゃんは仮死状態で生まれものの、蘇生に反応しなかった。

 産まれた姿は大きくて、体重が1950gもあった。まだ体毛がたくさんあって、眉毛が立派だったけど、私と、上の子が産まれときそっくりだった。手足はむっちりと太く、小さな指もそれぞれ5本ずつしっかりあった。小さなお口が三角形に開いていて、かわいくてかわいくてしかたなかった。目が開いたら、どんなお顔だったんだろう。どんな声で泣いたんだろう。何が好きで、何が嫌いだったんだろう。もう冷たくて、ところどころ固まって、点滴や機械の痕が痣になって痛々しくても、かわいくて愛おしくて悲しくて、泣きながら何度も何度も名前を呼んだ。

 どんなに寝なくても、食べなくても、元気に生まれてくれたらそれでよかった。ふにゃふにゃの体で、息をして、目が合うだけで、どんなにかわいかっただろう。こんなことなら、1日でも早く、早産になればよかった。子宮が破裂する前に、お腹から出してあげたかった。3日前の検診では何の異常も無かったし、子宮破裂の可能性なんて考えさえしなかった。あかちゃんは私のせいで亡くなった。子宮さえ丈夫だったなら、元気に生まれてきたはずなのに。

 

 手術から1週間後に退院して、夫の運転する車で家に帰った。信号待ちで車が止まると窓の向こうに、大きなお腹で上の子と手をつないで幸せそうに帰り道を歩く自分の姿が、お腹をおさえてふうふうと息をつきながら頑張って坂道をのぼる自分の姿が浮かんで涙が止まらなくなった。家についても、しばらく中に入れなかった。新生児用の抱っこ紐も、ベビーベッドも準備していた。上の子のおさがりも整理して、みんなで楽しみにしていた。名前もたくさん考えて、一番良い字画を選んでつけたのに。自分だけ家に帰ってきてしまたことが悔しくて悲しくて死にたいと思った。ごめんねといくら言っても言い足りなくて、自分に拳を叩きつけながら叫ぶように泣き続けた。

 あれから2ヶ月が経った。納骨はせず、毎日お線香と小さな哺乳瓶でお水を供え、遺骨に話しかけて暮らしている。泣かずに過ごせる日が増えてきた一方で、妊婦さんや小さな赤ちゃんを見かけてはひどく落ち込む日もある。最初の数週間はとにかく出産前に戻りたい、戻りたいと思いながら過ごした。前日でも、当日の朝でも、何とか時間を巻き戻せたなら、先生懇願してすぐにでも帝王切開をしてもらう。赤ちゃんはしばらくNICUで過ごすけど、上の子の時のように、きっと元気に退院できた。

 1ヶ月くらい経つと、この悲しみが死ぬまでずっと続く気がして、妊娠前に戻りたいと思った。そもそもからなくても、私達は十分幸せだったから。子どもは一人と納得していて、他人を妬ましく思う気持ちもなかった。大好きな夫と子どもがいて、決して不幸ではないはずなのに。失ったことが悲しくて、足りないものを嘆き続ける毎日ならば、授かる前に戻りたいと思った。

 そして2ヶ月経った今、子宮破裂について考えることが増えた。子宮破裂は極めて予後が悪いもので、8割の赤ちゃんが亡くなり、例え救命できたとしても、寝たきりとなる可能性が高いそう。私は子どもに一生、経管栄養の寝たきりで意思の疎通が全くできなくても生きていてほしかったとは思わない。もちろん結果的にそうなったなら大事に世話して必死に生かそうとするに違いないけど、それが死よりベターだとも思わないから、唯一そういう意味では今回の結果に納得できる気もしている。

 でもやっぱり、失った未来を想うと悲しくて、もう一度取り戻せないかと思ってしまう。もう一度妊娠できたなら、今度は無事に産むから。亡くなった子と新しく生まれる子を同一視してはいけないとか、そういう話はどうでもいい。ただただ、もう一度授かって、今度こそ元気な赤ちゃんを抱きたい。これはもう、女としての私のエゴだ。止血のために両側の卵管を結紮したから、自然妊娠はできない。また次の妊娠医師から真剣に止められている。本来なら子宮摘出すべきところ、小腸癒着して摘出できず、仕方なく残しているだけです。妊娠しても無事に産める確率は極めて低く、次もまた同じか、それ以上に悪いことが起こります。本当にお母さんと赤ちゃん生命に関わります。そう言われても、じゃあもうきっぱり諦めて、次の子は二度と望みません、とは思えない。

 赤ちゃんとたくさんお散歩がしたかった。上の子絵本読み聞かせる様子を動画に撮りたかった。寝顔を見て、上の子と同じ顔だねと夫と一緒に笑いたかった。泣き声に、イヤイヤ期にうんざりしても、熱が下がらなくて大変でも、くたくたになりながらもう一度家族赤ちゃんを育てたかった。全部、あと少しだった。もう少しだったのに、全部失ってしまった。悔しくて悔しくて、このまま終わることができない。

 何のために授かったのか。どうすれば失わずに済んだのか。

 自分エゴ家族迷惑をかけてでも、もう一度リスク承知子どもを望むか。足るを知り、諦めて日常を受け入れるべきか。

 どんなに答えが決まっていても。

 迷うことをやめられません。

 いつまでも

anond:20241001011041

銀行合併統合しても役職の数は減らないらしいからな

ブルシットジョブ絶対に減らないのだ

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