はてなキーワード: 晩年とは
給食のプリンがひとつ余っている状況を考えてください。食べたい人達がジャンケンで勝負をし、勝った人がプリンを食べられるものとします。
ここでジャンケンは手続きであり、手続きが機能しているとは、負けた人も含めてその結果を受け入れていることを指します。負けた人が暴力でプリンを奪い取ったとしたら、ジャンケンによるプリンの分配プロセスは破綻しています。
政治における手続きとは、要するにゲームのルールに則した行動です。
政治という営みは本来、生の現実における力関係(先の例だと腕っ節が強いとかですね)をいったん括弧に入れて、一定のルールに基づいた新しいゲームに登場人物を放り込む仕組みです。ゲームの外側には、暴力や財力、コネといったさまざまな力が存在しますが、そうしたものをフラットにし、ゲームによって物事を決めるのです。
なぜそうするのか?プリンを奪われた人は、今度は奪われないように体を鍛えたらいいのではないか?
それもひとつの考え方ではあります。でもそういうやり方ではえてして血なまぐさい世界になりがちです。また、勝者が勝ち続けられるわけでもありません。かつて勝者だったものが負けてしまうと、だいたい酷いしっぺ返しを食らいます。独裁者が晩年狂気に陥るのはそのせいです。
不安定で暴力的な世界を力で渡っていくよりは、誰にでも勝機のある世界で安定して暮らしたい。だからルールを決めて政治というゲームをやるのです。古代ギリシア以来の人類の知恵というものでしょう。このゲームの駒は基本的には言葉です。言葉は(建前としては)誰にでも平等だから。武力や財力と違って、言葉を独占することは誰にもできません。それによって均衡が維持され、破綻が回避されるわけです。
また、登場人物の力が均衡することによって、より創造的な問題解決がなされ、世界がより豊かになるという利点もあります。
そういうわけなので、政治においてもっとも重要なのは、このゲームが成立するように努めること、ということになります。たとえば権力者が自分の「生の権力」を用いてゲームのルールを歪めたら(例えばプリンを力で奪ったとしたら)それは叩き潰さねばなりません。そうなると学級崩壊へ一直線です。国の場合は戦争になり得ます。
言ってしまえば、政治というゲームは、民衆がその力(生の暴力)を「強者をゲームの土俵に乗せる」ことに(のみ)使うことによって成立する、と言えるでしょう。市民にはそういう態度が求められます。この「生の暴力」の一番穏当な例は投票行動ですが、ジャーナリズムや市民革命などの手段もあります。
現状を投下するので気兼ねなくコメント欲しい
【登場人物】
妹(パン職)
父(故人)
【要旨】
母を毒親とは決して思わないが、母を尊重すると自分の幸せが低減するのではないか?と現況を振り返ると思うのだがどうか。なお、老いる母より当然自分の方が大切である旨承知しており、行動への移し方を模索するもの。
【最近のあらすじ】
父は3年前に、2ヶ月でコロっと病死。当時4年間一人暮らしをしていた筆者は実家に帰り(首都圏。仕事は全く同じものを継続できた。幸運)、まだ学生だった妹と母を扶養に入れた。保険金だの色々あって、筆者本人の生活苦はなし。母も得た資産を切り崩しながら生活。
今年本格的にパート再開。筆者は家事ほぼゼロで、母に多分に世話になっている。
【発生した問題点】
(登場人物紹介で大体察しつくと思うが)母が筆者の彼氏との恋愛に反対する。批判、嫌悪、怒り、悲しみ、自棄、脅迫がみられる。
近場の男とつきあうのは短絡的(同級生)
年収が低い(筆者比)
筆者の容姿、性格面、経験から恋愛するに妥当でない(妹はOKらしい)
自棄
死んじゃおうかな
家を売るから
家事は一切やらない
夫婦関係はここ10年は悪く、母は金銭苦をいなしつつ、無私の愛を注ぎ子育てをしてくれたと思う。(自分のための買い物、おでかけ、30年殆ど皆無。寿退社し父の仕事手伝いか、パートのみ。)
父はいい所もあり、残された家族も理解するところだが、性格は難ありと言わざるを得なかった。晩年は減ったがよくどなる、無計画な消費(母の貯金を使うなど)
それに、死んでから浮気をしていたことが携帯等からわかった。母と筆者だけの秘密とし、母は妹にはとても言えないとのことだった。(何となく伝わる所はあると思う)
母は文句を言いながらも40年一緒にいた父との突然の死別と、彼の裏切りどちらにも耐え難いショックを受けた。特に通院、服薬はなし。
妹は四大を出て知能は正常だが、自己愛ぽい所がありたまの激情で手をつけられないことがある。家電を壊したり、母を殴ったことがある。彼氏ができ、社会人になってかなり落ち着いてきた。近々遠方の彼氏と添い遂げるのだろうと思う。給料安い。
筆者の性格は細かくは文章から読み取ってもらうほかなし。ハイパー自己中なのは確実。倫理観も少し怪しい
父のようになるまい、と思い自営ではなく頑なにサラリーマンに拘ったりした。でも、最近一部似てきているらしい。あるあるだ
非常に楽だけど、生理不順が凄いなと思いある時婦人科に行ったら「血液検査結果が排卵してると思えない」と言われた。無排卵で不妊なのかもだが、通院はロクに続かなかった。元よりてんで子を成す願望がなく、不妊の身を悲劇と思うこともできない程。調べて調べてできるなら治療して、子供を産みたいなんて欠片も思わない。(母の子育てが辛そうだったから筆者に影響した、のは理由の半分位になりそう)
ということで、年齢を理由に結婚を急ぐこともないのだ。それでも、共に生きるパートナーってのを作ってみたいのだ
母の名義になった土地と家は、父の思い出が詰まっているし、家としても魅力的。金融資産は妹に、処分のこと含め家は筆者が請け負いたい!と話すこともある。
彼氏は10年超のつきあいで恋人になったのは最近。筆者の血族とは無縁の軟派な性格だが、尽くすタイプ。上記諸々の筆者自身の難点は許容。今は控えめだが理系国立院卒会社員のどこにケチをつけようというのか?
母について細かくは打ち明けず。筆者の話術で、彼氏のことはいくらでも筆者の味方にできてしまいそうだから。親との同居はどっちのとも絶対しない。
もとより母は子供との自他境界に少し難点があったと考えている。母の無私の半生や失われたキャリアを思えば、それなりの学歴や職業を得ていく筆者のストーリーに移入するのは異様なことではないはずだ。個別のエピソードは卑近のため割愛するが、親と距離を取るのが仲良しのコツと思って実家を出て、結果そうだったので、同居が軋みの理由として大きいのはわかっている。
よくネットで見る記事のように、無意識に娘を蹴落とすだの、不幸になるように誘導するだのは全くなかった。筆者の恋愛を機に「明らかにおかしいな」という発言が増え、筆者としても耐え難い状況となった。
これは筆者が娘から他人の女となり、自分のもとから金銭的にも精神的にも離れようとする娘、という構図に耐えられないからではないか?娘には未来があるが、自分にはない。娘はどうやら愛されようとしているようだが、自分は金輪際得られない。
この辺りが標題で「救えない」と思うに至ったもの。死人に挽回の余地はないし、大人ましてや老齢になって性格が変わることもないだろうし、パート主婦に一軒家を維持するのは10年単位では難しい。筆者の扶養や援助なしでは。友人関係もかなりシュリンクしてしまっている。
母の母、祖母は看護師でよく外で働き、家事は疎かなタイプだったそうだ。筆者にも母にも一部愛着に問題がある気もする。素人見解。
【直近、今後の展望】
2ヶ月程前に筆者が一度爆発。前から逐次進展を仄めかす度に反対されていた彼氏と交際開始を告げた瞬間「出てって」と言われたため。父譲りの爆発的な行動力で賃貸の内見を即時予約し「出ていく」と宣言して荷物まとめを開始した所、「お願いだからすぐに出ていくのはやめて」「元の生活、接し方に戻すから」と態度を一変させ、沈静化。
しばらくしてまた上述の嫌悪や批判が復活してきて、どうしたもんかと思い筆をとった。
「私とママは別の人間」「私は自分の幸せを取るから」「自他境界がおかしい」直接遠慮なしに言葉をぶつけもした。言いたいことはどんなに相手を傷つけるっぽいことでも言えるし、やれてしまいそうなのだが、どうやら良心か打算か、筆者が今涙でベチャ濡れでこの文を打っているように、ひとに吐露したいものがあるのだ。かしこぶってとんだ悪文で申し訳ない。
父が死んで途方にくれる母と妹とペットを、たしかにあの時は守りたいと思って実家に帰ったはずで、母が憎いとか愚かだと思う反面、哀れだ、大切だ、できることはしたいと思う気持ちもある。でもそれは、今家事をやってもらったり、母が「便利だから」そう思っているだけだったとしたら?
母や家を捨てて(あきらめて)新生活をスタートさせたとして、最初は悲しいけどコロっと切り替えられるかもしれないし、20年とか経って取り返しがつかなくて泣くかもしれない。
最初に書いた登場人物、全員が、うまい具合にいく方法が、あるって信じたい。円満にことが進めば家を出た後も親に仕送りしたいし。実家の近くに住むし。
マジで何で死んだんだ親父は。普通にクソ野郎だったのに死んで幾分か美化されて英雄になった。気持ちが切れそうで、この2年ずっと仏壇の前にあまり立てない。
長安の豪奢な生活は生前から有名で、『当代記』にその旨が幾つか書かれている。例えば毎年鉱山巡視の際には、遊女70~80人等を含めた250人(伝馬・人夫は別)を引き連れ、宿所も自身の代官所故に思うままの造作をしたとあり、路中の民は迷惑したとある。
家康がこのような長安の振る舞いをどの様に捉えていたかは不明である。『駿府記』『当代記』より後に編纂された『慶長年録』によれば、家康は長安の振る舞いを知っていたものの、長安が有能なため捨て置いて死後になって罪に問うたとされる。
また同書には、大久保忠隣と本多正信の不仲故に、正信が長安の死後に家康へ讒訴したともある。後者は『徳川実紀』にも引き継がれ、長安事件は忠隣改易も含め家康の意志によるものではなく、正信・正純の讒言が主因としている。
一切の奉行職を兼務していた長安の権勢は強大であったと言われる。また、7人の息子を石川康長や池田輝政の娘と結婚させ、忠輝と伊達政宗の長女・五郎八姫の結婚交渉を取り持ち、忠輝の岳父が政宗となったことから政宗とも親密な関係を築いていたと言われている。そのため、その権勢や諸大名との人脈から「天下の総代官」と称された。この頃、長安の所領は八王子8,000石(実際は9万石)に加えて、家康直轄領の150万石の実質的な支配を任されていたと言われている。
しかし晩年に入ると、全国の鉱山からの金銀採掘量の低下から家康の寵愛を失い、美濃代官を初めとする代官職を次々と罷免されていくようになる。さらに正室が早世するなどの不幸も相次ぐ中で、慶長17年(1612年)7月27日、中風にかかり、家康から烏犀円を与えられている(『駿府記』)[6]。慶長18年(1613年)4月25日、中風のために死去した[7]。享年69。
長安の死後に生前の不正蓄財が問われ、また長安の子は蓄財の調査を拒否したため、慶長18年(1613年)7月9日、大久保藤十郎、大久保外記、青山成国、大久保雲十郎、大久保内膳、大久保右京長清(越後在住)、男1人(播磨在住)[8]、以上7人は切腹となった。また大久保忠隣や縁戚関係の諸大名も改易などの憂き目にあった(大久保長安事件)。
ご当地ラーメンはたくさんあり、それらの発祥を書き出すとさすがにきりがないので、ここでは全国的に見掛ける、ないし影響を与えたと思われるラーメンに絞りました。
→書きました。現代ラーメン史上最も重要な店舗10選
1910年創業。醤油味のスープに小麦粉とかん水を使用した麺、具は支那竹、焼き豚、ネギと、いわゆる「昔ながらのラーメン」を提供し、日本最古のラーメン店とされる。1976年に閉店。
1937年創業。創業者の出身地である長崎のちゃんぽんからヒントを得て、スープに豚骨を使用したラーメンを提供。ただし、このスープは乳化させたものではなかった。屋台から始まり、現在は店舗を構えて営業を続けている。
1947年創業。仕込み中に意図せず煮込み過ぎてしまった豚骨スープを試しに飲んでみたところ、予期せぬ濃厚な味に驚いたという。「白濁した豚骨スープ」という特徴を持つ豚骨ラーメンの源流と言われる。こちらも発祥は屋台で、今は店舗で営業中。
1950年創業。味噌汁を元に工夫を重ねた末、味噌ラーメンを生み出す。ちなみに「客から要望があり、豚汁(ぶたじる・北海道なので)に麺を入れたのが最初」なる俗説は、二代目店主曰く「都市伝説」とのこと。現在も営業中。
1951年創業。「ラーメンの神様」こと山岸一雄が、中野店の店長時代、賄いとして食していたメニューをブラッシュアップし、麺とスープが分かれた「特製もりそば」を提供する。これがつけ麺の元祖とされる。
山岸一雄は、後に暖簾分けで東池袋に「大勝軒」を創業。晩年は多くの弟子を取り、暖簾分け・出身店も多数輩出。「東池袋大勝軒系」と呼ばれる系譜を築く。
1954年創業。スープがなく、丼の底に溜まったタレと油を麺と絡めて食べる、油そばの発祥店と言われる。ただし発祥は、国立市の「三幸」説もある(創業は1952年と二年早い)。現在も営業中。
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日本最古の漫画とされる文字通りの国宝。800年この宝を守り残してくれた高山寺に感謝しよう。
果たして現代の漫画の原画は800年後も無事に守り伝えられているであろうか?
手塚治虫の長編デビュー作。諸説あるものの当時にして40万部を売り上げたとされる革命的な作品。
この漫画に衝撃を受け、多くの若者が漫画家の道を志したとされ、藤子不二雄などもその偉大さを強く伝えている。
酒井七馬との共作であったため、それに伴うトラブル等からその出来を手塚自身は認めていなかったとされ長らく封印されており、完全に書き直したバージョンも存在する。現在ではオリジナル版が復刊され電子書籍でも手頃な価格で読める。これはよほど状態の良い初版から丁寧におこしたらしく非常に鮮明な素晴らしい出来だぞ。
(ただオリジナル版は印刷の都合上、手塚の絵を職人が手でトレースして出版したものらしいので筆使いみたいなものを論じる意味はないぞ)
手塚はここから本格的に出発し、約40年間で15万ページの漫画を書いたという。
手塚治虫やトキワ壮グループのカウンターになるようなシリアスな表現を極めていく劇画の礎となり、漫画表現の幅を大きく広げる道を作った。
当時の劇画としては、白土三平の「忍者武芸帳 影丸伝」が傑作として名高く今読んでも抜群に面白いが、パイオニアとしての黒い吹雪の地位は揺るがない。
劇画黎明期の様子は、同じく辰巳が晩年に描いた「劇画漂流」という漫画に詳しい。
また辰巳は海外での評価が非常に高く、例えば「黒い吹雪」もWikipediaに日本語版はないのに英語版は存在している。
劇画といえば手塚との対立が面白おかしく語られがちだが、劇画の始祖辰巳は中学生の時から手塚の自宅に出入りし、終生手塚を敬愛して二人でフランスを訪れたりもしていたことは覚えておいてくれよな。
藤子不二雄が、おばけのQ太郎に始まり、手塚治虫とはまた違う新しい読者層を開拓していった活動の頂点に位置する作品。短編と大長編を合わせて膨大な作品群を形成し、その影響は漫画界よりもその外部に大きく広がり、多くの人の人生や、現代に溢れるkawaiiキャラクターものにまで現在進行形で強く力を与え続けている。
いまだにアジアで愛され続けるそのレガシーの大きさはとても一言では表せないが多くを語る必要はないだろう。
旧来の少女漫画が描いていたステレオタイプを打破する作品を矢継ぎ早に発表した萩尾望都の出世作。
少女漫画誌に次々と新しい手法で圧倒的な画力と文学性を持ち込み、後の多様性の形成の礎となった。
世界の中で少女漫画市場が現在でもきちんと維持されているのは日本だけであるとされるが、その中興を成した作品の一つである。
萩尾望都は花の24年組というくくりで呼ばれることが多いが、近年出版した自伝で当時のトラブルを語り、萩尾先生自身はこの名称には肯定的ではないようなので、令和の漫画読み諸氏はアップデートしていこうぜ。
立体感と漫画らしさを融合させた絵作りで後世に多大な影響を与えた鳥山明の出世作。
第一話の扉絵を見ただけで、当時別次元の漫画であったことが分かると思う(ジャンプ+で今すぐ読めるぞ)。
鳥山明の登場は手塚以降で最も衝撃的であったという事はプロアマ問わず多くのものが口を揃えて語っている。
鳥山明においては、Dr. スランプとドラゴンボールどちらを選ぶのか好みが真っ二つに分かれるところであろうが、世界的な評価やバトル漫画への影響を重視する人は遠慮なくドラゴンボールに入れ替えてくだされ。筆者も個人的にはドラゴンボールに思い入れがある。
鳥山明に並び、並外れた表現力で後の漫画界のレベルを一気に引き上げた大友克洋の代表作。
フランスに生まれたメビウスという天才漫画家の開拓した表現が大友を通して日本の漫画界に合流し発展することにもなった。
後に大友が連載する「AKIRA」においては連載途中に、作者自身が監督として超一流のアニメーターを集め、巨額の予算をかけ同名のアニメ映画を作り、そちらも歴史に残る大傑作になったのはご存知の通りである。
ちなみに大友がAKIRAに書いた最後の最後の言葉はなんだったか知ってるかな?答えは、『そして、手塚治虫先生に…』だったんだぜ。
現在、大友作品は、電子書籍版が出版されず現代の若者に対しての間口が狭いのが少し残念であるが紙で読んでくれということなのだと思う。
独自の出自を持つ作品であり、日本一のアニメーション監督が全盛期に描いた本気のファンタジー漫画として、ナウシカの前にナウシカなし、ナウシカの後にナウシカなしという唯一無二の完成度の高い作品。
途中に「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」「魔女の宅急便」「紅の豚」の映画制作を挟み、全59回の連載を15年かけて終わらせた。時間を節約するため連載第2回目からしばらくはペン入れをせず、鉛筆で仕上げた原稿を掲載したことは語り草となっているが、画力が限界突破しているので読んでも違いに気付かないぞ。
100年後も古典として読み継がれているのはこの作品ではあるまいかと思わせる風格を漂わせている。
連載当初はダイヤの原石であったが、6年間の執筆の中で画力、構成力の凄まじい向上を見せ、人気絶頂のまま連載終了した伝説の作品。
従前から繰り返された「天才」たちの活躍という題材ではあるが、漫画表現のリアリティという点で飛躍的な進歩を示してみせた。
大きな流れで見ると、手塚治虫が平成元年、すなわち1989年、60歳でその生涯を閉じた翌年に、時代を大きく動かすこの大傑作が連載開始した形であり、新しい元号とともにさらに大きく発展を遂げていく漫画新時代の象徴となる作品となる。
東アジアでの人気は凄まじく、アニメ版の聖地巡礼で鎌倉を訪れるものも未だ後を絶たない。
突然変異的に登場し、それまでの漫画の常識を覆した2000年以降最大の問題作。
少年漫画が天下一武道会以降繰り返してきた自己模倣を打ち破り、新たな可能性を存分に示した。
この漫画は終わらないだろうという世間の心配をよそに、諫山は数々の伏線を回収しつつ、一度も休載せず堂々と完結まで導いた。そういった点でも未完のまま停滞した名作たちが越えられなかった壁を打ち破り、その名声を比類なきものにした。
実は諫山は福岡の専門学校のマンガ学科出身であることをご存知だろうか?その授業の一環として、生徒が東京の出版社に持ち込み旅行をするという企画があり、19歳の諫山がいくつかの出版社を周った際に、講談社で当時新入社員の川窪慎太郎に進撃の巨人の原案を見せたことが巨人の物語を始めたとされる。
少年ジャンプはなぜ進撃の巨人を逃したのかという点ばかりセンセーショナルに語られがちだが、社会人生活4ヶ月目にして諫山の才能を見抜いた川窪の目には一点の曇りもなかったことをただ賞賛すべきだろう。
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例えば飲み屋で意気投合した人が「元増田と一緒に働きたい!」って言って働けるのかってことよ。
一人旅、一人散歩、一人ご飯で楽しんでいたから他人が必要なくてなぁ
何を考えて「今後のこと」なのかわかんないけど、それ主体が元増田になってるじゃん。
趣味仲間もグループも、別に元増田のために存在するわけじゃないのよ。
所属する団体を増やしておくってのは、「複数の団体に所属できるくらい、社交性と度量を身につけておいた方が良いよ」って話。
だから、マジメにグループに入ろうと思うんだったら既に所属するためのルートが出来ている団体に入って、社交性を身につけてからじゃないと厳しいと思うよ。
この辺は、いわゆるお客様気分で参加してもむしろ歓迎されるとこ。
こういうのを経たのちに、ボランティアを探して参加してみたりとか、年末に第九を歌う会に参加してみたりとか、そういう風に進むわけよ。
いきなり知らん他人と打ち解けてグループを作れるかって言ったら無理よ。
募集してるボドゲとかマダミスとかに思い切って参加するって言うのは、良いと思うよ。単純に趣味増えた方が人生楽しいから。
ただ、そっから所属する団体を探すとか、既にあるグループに参加できるかって言ったら微妙よ。
自分で幹事やってグループ運営するくらいの気概が無いなら、まあ増えないと思うよ。
だったら、最初から入会条件が明確なグループに所属して、そこで社交性を培った方が良いよ。
そういう「えー、でもめんどくさいからグループに所属するだけで良いんだけど一人の方が気楽だし」っていうのを50代とかまで引っ張ると大変だぜってのが、たぶん最近読んだ記事なんだろ。
旅先でも友達作ってたまに絵葉書交換し合うような関係性作れるんだったら別に50代になってからだって遅くは無いと思うけど。
「めんどーだな」「ちょっと恥ずかしいな」「どうしたら良いかな」みたいなのは、マンパワーを必要としているボランティア系に参加して歓迎されながら「人と話して打ち解ける」という経験を若いうちに積んでおいた方が良いと思うよ。
その結果として、会社以外に自分が参加する会やイベントがいつも2~3ある(所属する団体が複数ある)というのが健全な状態だよ。
うちはオカンが晩年になってから急に趣味を増やして色んなグループに参加して楽しそうにしているのと対照的に、オトンは碁会所みたいなとこだけ入り浸ってたから、グループへの参加って性格とか社交性の有無で大きく難易度違うと思うよ。
俺は、ボランティア団体に参加して「俺でもとりあえず手を動かせば感謝されて参加しているメリットをグループに与えられる」というあたりで自己肯定感を高めて、趣味のグループ参加が上手くいったから。
明治維新(めいじいしん)は、1868年から始まった日本の大きな変革のことや。
江戸時代が終わって、武士の時代から近代国家へと移り変わる大改革やったんや。
まず、江戸時代は長いこと続いたけど、外国が日本に「開国せぇへんか?」って迫ってきたんや。
特にアメリカのペリーさんが「ドン!」って黒船でやってきたんが大きなきっかけやな。
その後、薩摩藩や長州藩を中心に「このままじゃアカン!新しい政府を作ろう!」ってなって、徳川幕府を倒す動きが強まっていったんや。
それで、天皇を中心にした新しい政府ができて、これを「王政復古」言うんや。
明治維新では、封建制度が廃止されて、武士の特権もなくなったんや。
さらには、学校も作って、外国の技術や文化をどんどん取り入れていったんやで。
簡単に言うたら、江戸時代の古いシステムを壊して、新しい時代を作ったんが明治維新やな。
これで、日本は急速に近代化していって、世界の仲間入りを果たしたんや。
戊辰戦争は1868年から1869年にかけて起こった戦いやねん。
徳川幕府を倒して新しい政府を作ろうとする側(薩摩藩や長州藩が中心やった)と、幕府側の勢力がぶつかり合ったんや。
この戦いは京都の鳥羽・伏見から始まって、東北地方まで広がったんやで。
特に会津戦争や函館戦争が有名やな。会津藩は幕府側を支援して戦ったんやけど、最終的には負けてしまったんや。
また、函館では旧幕府軍の榎本武揚(えのもとたけあき)が五稜郭(ごりょうかく)で最後の抵抗をしたけど、こちらも新政府軍に敗れてしまったんや。
この内乱は、ただの権力争いだけやなくて、日本全体が新しい時代に進むための大きな痛みとも言えるんや。
結果的に、天皇を中心にした新政府が勝利して、日本は中央集権化と近代化に向かって進んでいったんやな。
(その時西郷隆盛は何してたの?)
西郷隆盛(さいごうたかもり)は、明治維新の中心人物のひとりで、戊辰戦争の間もめちゃくちゃ大きな役割を果たしてたんや。
まず、西郷は薩摩藩のリーダーとして、新政府を作ろうとする側に立ってたんや。
鳥羽・伏見の戦いでは、幕府側と戦って新政府軍を勝利に導いたんや。
彼は戦術にも長けてたし、部下たちにも慕われてたから、戦争の勝利に大きく貢献したんやな。
戊辰戦争が進む中でも、西郷は東北地方や函館方面に派遣される新政府軍の指揮を取ったり、旧幕府側との和平交渉にも関わってたんや。
特に江戸城無血開城(江戸城を戦わずに明け渡すこと)では、西郷と勝海舟(かつかいしゅう)が話し合って、江戸を戦火から守ることができたんや。
これは西郷の人間的な魅力や度量があったからこそ、実現できたもんやね。
ところが、明治維新が進んで新しい政府ができたあと、西郷は新政府の方針と対立するようになってくんや。
特に西郷は、急速な近代化や中央集権化の進み方に対して反感を抱いてたんや。
そして、最終的には西南戦争(1877年)で政府に反旗を翻すことになったんや。
この時、西郷は薩摩の士族たちを率いて、武士の伝統や誇りを守ろうとして立ち上がったんやけど、結果的には政府軍に敗れてしまい、自ら命を絶つことになったんや。
簡単に言うと、西郷隆盛は維新の立役者でありながら、最終的にはその維新の流れに反発して戦った、というめっちゃドラマチックな人生やったんやな。
(あと伊藤博文についても解説して。なんか悪いイメージもあるよね)
伊藤博文(いとうひろぶみ)は、日本の初代内閣総理大臣や憲法の制定に深く関わった人物やけど、確かに彼に対する批判的なイメージもあるんや。
まず、伊藤博文は明治政府の中で「近代化」を進めた立役者やけど、その一環として朝鮮半島への介入や植民地政策に深く関わってたんや。
特に、伊藤が朝鮮に対して行った政策や、朝鮮を日本の保護国にしたことで、彼は後の日本の植民地支配の基盤を作ったと言われてるんや。
伊藤は、1905年に日本が韓国を保護国化した際、初代韓国統監(かんこくとうかん)に就任したんや。
この統監府は、事実上日本が韓国を支配するための機関で、伊藤はそのトップとして韓国の内政に強く介入したんや。
この時期に韓国の独立や自主権が大きく損なわれたことが、彼に対する批判の大きな要因や。
その結果、1909年に伊藤博文は韓国のハルビン駅で、独立運動家の安重根(あんじゅうこん)に暗殺されてしまったんや。
安重根は伊藤を、韓国を侵略し独立を奪った人物として憎んでおり、この暗殺は日本と韓国の歴史に深く影響を与えたんや。
また、国内でも彼が明治政府の中枢で権力を握ってたことから、一部の人々からは「藩閥政治」を進めたと見られ、権力を一部の有力者たちで固めたことに対する批判もあったんや。
つまり、政治が一部の人たちの手で動いていて、庶民の声が届きにくいっていう不満があったんや。
総合的に言うと、伊藤博文は日本の近代化に大きく貢献した一方で、朝鮮や韓国との関係、そして国内外での権力集中に対する批判があるから、マイナスのイメージが残ってるんやな。
(女癖も悪かったと聞いてるけど)
ああ、そういう話もあるな!伊藤博文は「女癖が悪い」って噂がよく出る人物でもあるんや。
彼は若いころからかなり遊び好きで、特に女性関係にはだいぶ自由奔放やったらしいで。
彼は明治時代の政治家の中でも、遊び人として知られとったんや。例えば、若い頃から遊郭に出入りしてたし、いろんな女性と関係を持ってたっていうエピソードも多いねん。
噂によると、50歳を超えてからも若い女性に夢中になってたとか、何度も結婚と離婚を繰り返したりして、結構な数の女性と浮名を流してたんや。
特に彼の「芸者好き」は有名やったんや。政治家としての公の顔とは別に、夜はよく芸者遊びをしてたというエピソードがたくさん残ってるんや。
これが「女癖が悪い」という評判の元になってるんやろな。
さらに、晩年でもそうした生活を続けとったみたいやから、一部の人々からは「品がない」とか「節度がない」とか批判されることもあったんや。
ただ、そういう奔放な生活があっても、政治家としては一流やったんやけど、そのプライベートの部分があまり良いイメージを持たれてないってことやろな。
だから、伊藤博文には偉大な政治家としての側面と、ちょっとだらしない私生活の一面があって、それが「女癖が悪い」という評価に繋がってるんやろうな。
昔の殺人犯?シリアルキラー?で、刑務所に収監された後に同房のやつに身体的にも性的にも傷めつけられて、晩年の写真では女性みたいな格好してた…みたいなのを少し前に見た気がするんだけど、なんて犯人だったっけ…分かる人いないかなあ
がんだった。
長く病みつつも7月まで働いていたが、8月には歩けなくなり、10月には入院もした。
父は家で過ごしたいと言って、自宅介護が始まった。
余命宣告は年内もつかどうか、だったが、3月の誕生日も越えて、4月に父は身罷った。
深夜だった。
訪問看護師さんに連絡し、看護師さんから主治医に連絡してもらい、主治医から死亡診断書を受け取って、
深夜に叩き起こされただろうに嫌な顔ひとつせず、頑張りましたね、と父を労うように支度してくれた。
死に化粧だけはどうしても苦手で……お嬢さんが手伝ってくれないだろうか、と申し訳無さそうにいうので、
わたしは死んだ父の顔に化粧水を塗り、乳液を塗り、下地を塗ってファンデーションを塗った。
チークをほんのりいれると、寝ているだけのように見えた。
火葬場が混んでいるそうで、葬儀までに予想外に間が空いたのだった。
父に遺産はなく、借金のほうが多そうだったので、相続放棄もしなければいけなかった。
引き出したら相続を承認したことになるので、父の口座にあるお金はもう使えない。
両親は同居してはいるが離婚済みで、色々あって元サヤに戻ってはいたが籍は戻していなく、当面の相続人は私だけだった。
役所へ行って、年金事務所に行って、法テラスに行って、信用情報機関へ負債の照会に行って、
火葬を済ませて、相続放棄の手続をして、親類に連絡をして、父名義の各種契約の終了をして、
相続人でない母がこのままこの家に住み続けられるような手続きもだ。
会社を休んだ数日でしなきゃいけないことが多すぎた。
父が本籍を居住地に移しておいてくれたことを感謝した。出身地が他県なので、そのままだったら戸籍類の取り寄せだけでえらい目に合うところだった。
今は全国から取得できるようになったんだっけ?今後手続きする方が少しでも楽できるといい。
余命宣告されてから探して相談しておいた葬儀屋さんにお願いした。多分すごく安く済んだ部類なんだろうが、相場がまったくわからない。
お金がないのでずっとどきどきしていた。払えてよかった。
親の死に目に金をけちるなんてと悲しく思う心もありつつ、この先暮らしていくだけの資金だって必要だった。
火葬場へ遺体を持ち込むための自家用車と、火葬日まで遺体を安置できる場所があればもっと安く済むんだろうか。
DIY葬したよという方がいたら聞いてみたい。
もう数年経つけど、未だにお父さんどうして死んじゃったんだよと寂しく思う。
こういうのは順番だから、いつかはお別れがくるのだとわかっていても、なんでだよ、と思う気持ちが消えない。
最晩年の寝たきりの頃でなく、元気だった頃の父にまた会いたい。
今でも家を訪ねれば居そうなのに、もうどこにもいないことが寂しい。
お父さんの作った唐揚げが食べたい。
一つ実例を言っておくね。
母は脳卒中、父は骨折と癌で一気に弱ったけど、祖母はそうじゃないんだ。
昔から色々な病気を持っている人で、農家の女だったから変形性関節症をやって人工骨をいれ、若い頃の病気で片目は見えなかった。
だけど、介護らしい介護が必要になったのは、晩年の数年だけで、後はデイサービスに通い、仲間とおしゃべりをし、時には女学校の友だちと交流し
しかし自分は健康ではないという自覚がある人だから、無理をしなかったし、使える制度は使いながら、自分で面倒を見れるところは面倒を見ていた
介護保険制度ができたら長い事要支援2、最後は要介護2まで使ったけど、100歳を超えてまで生きて大往生だよ。
フレイルの時にどれけ適切にケアできるかにかかっていると言えるし、増田が介入しなきゃいけない、ワークよりもライフに重点を置かなきゃいけない期間を短くできし、介護の手間を減らすことができるかも知れない。
色々な事例があるよ。
っていうのを知りたい、とふと思った。
現在ではもうwikipediaなどごく限られた情報でしかわからないが、
短くまとめられた生涯の説明文だけでも自分の理解を超えていた。
晩年は「たくさんの方に親切にしていただいて幸せ」が口癖だったのだという。
自分は、この方の存在を初めて知ったのがつい数日前なのだが、人は一体何を追い求めて生きていくべきなのか、ちょっとわからなくなりそうな、変なゆらぎみたいなものを感じた。
幸せだったというのが本心であってほしいと願いつつも、そんなことを自分が考えてもしょうがないのかというような気もした。
どんな人でどんな人生を送ったのか気になってしょうがなくなったが、調べようがないので、それを小説にしたら一番素晴らしく書けるのは一体誰だろう? という疑問にすり替わった。
家系的に70過ぎには死ぬ家に生まれたんだけど、介護問題がほぼ全くなくて気楽
なんてことは80過ぎのボケた爺ちゃん婆ちゃんのいる友人たちには言えなかったりすることなんだけど
頭がしっかりしたまま体の寿命が来て逝ってしまう感じだから、最期まで人間らしくいられるし尊厳も保てる
友人の話を聞いてると辛い。お爺ちゃんが自分のうんちをいじるようになったとか、お婆ちゃんが自力でトイレやお風呂に行けないとか
友人たちは笑い話のていで話してるしこっちも「大変だね〜😂」って返すんだけど、ちょっと想像のつかない世界ではある
そういうのを見てると、自分も70過ぎくらいでパッと逝ってしまいたい
今生きてる自分の親にも早く逝ってほしいとかそんなことは思わないけど、少なくとも自分は訳が分からなくなって自分のうんちをこねくり回すような晩年は過ごしたくない
一切の脈絡が皆無。ネタバレも全部する。思い出した順に書く。たまに自分語りも遠慮なくしてる。全部乱文。
一応高校〜大学でずっとラヴェルを弾いていた身なので、伝記的要素を含む部分についてはほとんどが「史実により既知」であり、8割がたネタバレを喰らっている状態。その中で「例えシナリオが外れても、余程地雷を踏まない限り彼作曲の音楽がずっと流れてるっぽいからそっちで楽しめるしな」という期待半分、保険半分。
結果としては大当たりだったけど。
初っ端から病気(史実)。開始10分程度でサラッと彼のバックグラウンドとルーツのおさらい。ローマ大賞の落選。「お母様はスペイン?いえ、バスク人です」。15分で作曲依頼を受けるスピーディー加減。ラヴェルがちゃんと包み隠さないマザコン(史実)。時代設定的に正しい、遠慮のないタバコ演出。モクモクしてない時がないのでは?
音の演出。「全てがリズムから始まる(トントトトン)」がキーワードで、机を叩く指、時計の秒針(規則正しく、まるで体に染み込ませるかのような1秒刻みを60回)、教会の鐘の音、ザーザーという雨音エトセトラ、エトセトラ。猫が布を引っ掻く音、床の軋み、風、そういったありとあらゆる身の回りの生活音からすら、「音」とインスピレーションを拾おうとする彼が印象的。
何より工場の機械音、壮大で、規則正しく、統一感があって、それで彼のルーツにも関わるもの。彼のお父様は確か工場の技師ではなかったか...。
音楽の使い方、そのメリハリ。基本的に何かしらの形で音(音楽、ラヴェルが自分で弾くピアノも含)が流れているところ、母親の葬式の間に「マ・メール・ロア 妖精の国」が流れて、納棺したらしばし「完全な」無音。遺品を眺めている間とか。彼は、母親が亡くなってから意気消沈して数年間音符を譜面に置くことができなかったと聞いているので、あの「完全な無音」がそれを表しているのかも。
ちなみにこの曲は私も大好きな曲。音響の関係なのかそれとも本当に演奏がそうだったのかわからないけど、薄いシルクを何層にも重ねた向こう側から星を拾おうとする感じの繊細な音の「揺らぎ」があって、タイトルに場面にも相応しく儚くて、もしかしたら今まで聞いた中で一番好きな演奏かもしれないと思った。
あらすじの面。基本的に史実を派手に脚色したりすることのない、極めて「元ネタに忠実」で誠実なパターン。
メインキャラのミシアはラヴェルにとってのミューズ的な存在として描かれていて、まあ実際そうとしか言いようのない感じ。双方ラインを引いていて、その中でミシアは彼女にできる精一杯でラヴェルに近づいて彼の芸術を後押ししていた印象。ボレロを「良い曲だから、ぜひ外に出して」というあたりなど顕著。
ラヴェル→ミシアは、ある意味「敬虔」に近い崇拝の仕方をしていたと思う。キスじゃなくて曲を書いて捧げたいという思考回路。それが彼にできる精一杯の愛情表現?
物語の終盤で彼がミシアに「少しは愛していた?」と聞いたら「もっとずっと」って返ってきたのはあまりにも切なすぎないか。それに対して無言で呆然とするラヴェル。病気のせいもあってすでに一人老け込んでしまって、記憶障害も失語症もある中で、なんとか断片を拾い集めて、「少しは愛していた?」と問うのはミシアにとっても少し残酷だし、まあ割と「今更気がついたの?」みたいな面もある。そして「その拾い集めた断片であなたがようやく認識したものよりも、もっと、ずっと」ということなのだから。
命の終盤で知るには手遅れ感が、もう取り戻せないもののような感じが強い。
少なくとも二人は恋人になって一般的な恋人たちが踏む手順を全て踏みに行く「愛」じゃなくて、もっとこう、違うんだよね。詩的な感じがある。
あと、作中でミシア、マルグリット、イダ、マダム・ルヴロが4方向から、それぞれがそれぞれにできる「母親」的役割をしていたもの中々面白かった。
多分、一人でも欠けてたら色々もっと難しかったねと思う。作曲も、人生も。
だって、誰が「エナメルの靴がなかったら指揮できないです」ってなると思うねん。ルヴロ婦人めっちゃ爆走して靴だけ届けにきてたよ。
【ちょっと残念だったところ】
寂しかったともいう。従軍(といっても病弱により医療班・運転手)したところはしっかり描かれてたけど、それがきっかけで書かれた「クープラン」への言及が皆無。
【結局ボレロって】
作中でも「初っ端から病気」ラヴェル、病気になって体が上手く効かなくなり始めた頃に作曲した(ほぼ晩年の遺作扱い)のが「ボレロ」なのであんな真っ直ぐ空に突き抜けるような物を、あんな堂々として力強い物を、一体何を考えながら書いたんだろうってずっと思ってたら10年くらい経った気がする。
そしたら今回の映画ですわ。...って話。
大学生の時にモダンダンスの授業があって、そのレポートで私がテーマにしたのもラヴェルの「ボレロ」と作中でも踊られていたバレエだった。(もっとも私が題材にしたのはシルヴィ・ギエムのバレエなので、今回の映画内のものとは相違あるが...)(しかも「踊りだけ」に集中してレポートを書けばいいものを、余計に音楽に割いた文量が多かったために若干の減点を喰らっている。)
舞台は酒場の円卓、官能的な踊りを披露する踊り子と、周りを囲んで踊る男性たち。実際(これも映画内で言及あったが)絶妙なエロティックさがあるのだけれど、どちらかというと「存在の主張」をするかのように体を余すことなく使う振り付け(それ以前のバレエ作品というと「この世のものではないかのような舞」が多いので、その対照的位置づけとして)。
曲の音程が徐々に下がっていく箇所でも「むしろあえて」手を高くあげ、足を振り上げ、天井を見つめるような独特の「極めて原初的な生命力」のアピールを感じる踊り。スネアドラムの規則正しい音が、私たちの中にある何かを鼓舞しているように聞こえるまである。
去年、あの家を出る半月前くらい。引っ越す引っ越さないみたいな話で親と大揉めに揉めたら、仕事から帰ったあと19時くらいに追い出されて12時半くらいに入れてもらえるまで3センチヒールの靴で12キロとか歩いたことがある。(昨今話題になった狂歩に近い感覚。この場合、時間帯が時間帯なので、落ち着いて座る場所がなかったのも原因の一つだけど...)
その時、夜露が降った時間帯に濡れながら聞いたのも「ボレロ」だったな...という遠い思い出。何もかもがしんどくて仕方がなかった時に「規則正しく徐々にクレッシェンドに向かって、やがて崩壊する」音楽に救われたのは、私の人生の中で無視できないと言っても過言ではないと思う。
...夜露に濡れて、住宅地は灯りもまばらで暗くて、あんな時間帯に歩いている人なんかいなくて、ボレロがイヤホンから流れたときはすごい泣いてたけど、それでも、
規則正しいスネアドラムに引きづられるように、ヒールの靴できちんと歩いた。あの曲が最後「噴火するかのように」崩壊するのと同じように、私も「あの家の暮らしを終わらせてやる」と誓ったのを覚えている。
あれを思い出すたび、私はいつも冒頭の問いに戻る。
「病気になって体が上手く効かなくなり始めた頃に、なんで真っ直ぐ空に突き抜けるような物を、あんな堂々として力強い物を書けたんだろう、一体何を考えながら書いたんだろう。
そしてそれが100年以上経って私のような人間をある意味で救ったなら、あの曲の持つ力ってなんなんだろう」
まあ、考えながらというか...今日見た映画だと割と「メロディをふり絞ってた」けど...笑
ちなみに「同じリズムの繰り返し、催眠のよう」と映画内で言及があった。「確かに!」である。
少なくとも今日、私は「一つの解釈」を見ることができて非常に満足。
史実ラヴェル、脳の手術時に脳みそに生理食塩水をぶち込まれて四日後くらいに亡くなるわけで...。ナレ死とかやだなーって思ってたら。
手術する病院に行く車に乗り込むあたりからかかっていたのが、ボレロだった。
なんと、作中通して詩的なエロティックさ、生命力の象徴として描かれ扱われ、私たちに散々見せつけてきたあの「ボレロ」が
(本人や友人たちは知りようもないが、ラヴェルの最期を知ってる観客にはわかってしまう)死にに行く道中の、「葬 送 曲」になったのである。
「ラヴェルさん、靴をお忘れです!」「今はいいよ、後で届けてくれるかい」の会話すら、もはや「処刑場へ向かう馬車に乗る直前の風景」に見えるまである。
まさかラヴェル手術後の死に顔に登場人物たちのリフレインと一緒にボレロを聴くハメになるなんて、思ってもいないです。
最後は彼の亡霊のように、若く蘇ったラヴェルが指揮をふります。