はてなキーワード: ひらひらとは
会場に着いたのは17時半頃。マルイ2階入口からエスカレーターで9階まで上がり、階段で11階まで登りました。
階段で登っている時は驚くほど静かでシンとしていて、本当に公演があるのか?と不安になってしまうほどでしたが、11階に着いた途端ざわざわとにぎやかな声が。
会場手前では入場を待っている人や、椅子に腰掛けてのんびり待っている人でいっぱいです。
奥に進むとトレーディング商品を購入した人達が交換をするスペースがあり、ごった返していました。
そこを通り抜けると物販フロア。ここではチケットを持っていなくても買えます。
まずは事前に買ったトレーディングブロマイドセットを引き換え。
次に物販コーナーに並びました。と言ってもまったく混んでおらず、すぐに会計へ。
在庫は売り切れなし。素晴らしいです。
パンフと個人ブロマイドをいくつか買い、持ってきたバッグにしまって開場を待ちました。
トレーディングブロマイドは何が来ても大事にしようと思っていたので交換はしませんでした。
18時になり入場開始。
ですが、18時30分までは椅子には行けず狭めなロビーで待つので、30分まで外で待機していた方が良さそうです。
今日の席は2階席3列目通路寄りです。シアター1010の2階席は初めてでした。
シアター1010の公式サイトをよく見ると分かりますが、転落防止の柵があります。
ここはなぜか上手とセンターブロックの間、センターブロックと下手の間の柵だけ高く延長されています。
2階席で通路寄りになるとこれがもれなく視界に入ります。
公演が始まるとまっっったく気になりませんでしたが。むしろ脳が柵だけ透過処理をしてくれました。
19時、公演開始です。
冒頭は本能寺炎上から。明智光秀と森蘭丸の対峙から始まります。
二人のやりとりを眺めるように宗三左文字が登場。
声にびっくり。ゲームで聞く声によく似ています。役者さんすごい。
オープニングはまさかの刀剣男士そろい踏みによる生歌でした。うわーかっこいい!!
あ、これはにやける…!と頬の内側を噛んでぷるぷる震えてしまいました。
声が!びっくりするほど声優さんに似ています。声帯コピーの技を持っています。確実に。
所作が美しく、優雅。役どころは山姥切国広のサポート兼保護者のような相方と言った感じ。
序盤で「だいに、第二部隊が…」と台詞を噛んだ三日月でしたが、初日ならではの緊張感ですね。お茶を飲み、酒を飲み、茶菓子を食べ、マイペースな三日月ですが、戦うシーンは流石の一言。とにかく麗しい。ひらひらと狩衣を捌き階段を飛び乗り、立ち回ります。
・山姥切国広
これで綺麗なんて言うななんて言う方が無理。美しい。
ボロ布を常に頭からすっぽり被ったままですが美しい。
殺陣も見事。鞘を盾のように使う戦い方に技を感じました。
初期刀で当初は近侍であったものの、過失から近侍を降りている経歴持ち。審神者からまた近侍の命を受け苦しみながら奮闘する役です。ゲームをよく勉強してこられたのか、話し方が声優さんにいました。
・宗三左文字
これまた麗しい!!佇まいが可憐で優雅。けれども殺陣は迫力満点。
2階席からでもたまに見える素足ががっしりといているのが分かります。
本能寺で悩み、苦しみながらも不動行光を支える役。
・江雪左文字
戦いは嫌いですと言いつつ敵をなぎ倒す姿は鬼神。
小夜を案じ、左文字長兄としての優しさを見せる江雪。
終始取り乱すことなく常に落ち着いた動作が印象的でしたが、仮に真剣必殺されたらみんな泣くしかないと思いました。
・小夜左文字
スーパーアクションスター小夜ちゃん。短刀を操り、足技を繰り出し、バク転します。
一番身のこなしが素早いです。観ていて楽しい小夜ちゃん。
・薬研藤四郎
宗三の相方的な立ち位置。へし切り長谷部に対し「その名前、俺は嫌いじゃないぜ」と言ったり、不動行光を気にかけたりとコミュ力高し。
・へし切長谷部
一番面白い人。馬当番をこなします。近侍に再任命された山姥切国広にジェラシーします。
紅白戦では燭台切光忠と対戦。大柄な光忠に対し、斬り合いを軽やかにこなします。
信長を守るために光秀を討とうとする不動を、背後から斬りかかろうとする姿が印象的でした。
・不動行光
本作のキーパーソン。演技の一つ一つが迫真に溢れていて素晴らしかったです。
再開した蘭丸を抱えあげてくるくる回転する不動くんは本当に本当に嬉しそう。
序盤はよたよたしていた不動くんが、終盤で強く成長した姿に感動。
・一期一振
物腰穏やかな話し方に加え、凛とした殺陣。立っても座ってもサマになる一期。
台詞はさほど多くないのですが、無言の演技が出来る方だとお見受けしました。
殺陣はダイナミックで鮮やか。ラスト、傘を持って挨拶をする仕草が紳士然としていて素敵でした。
・鯰尾藤四郎
唯一の脇差だから年少組に入るのかと思いきや、小夜と一緒にいる時は保護者らしく振る舞う鯰尾。
脇差と足を使い素早い身のこなしで演じる殺陣が印象的。背後から忍び寄る鶴丸に振り向かないシーンはアドリブかな?はきはきとした物言いがゲーム版とよく似ています。馬糞は投げません。5月7日が役者さんのお誕生日とのことだそうで行きたかったなあ。兄弟だからか一期と一緒に戦うシーンが多いです。
・燭台切光忠
食べ物担当。毎公演、彼が提供する食べ物は違うそうです。その場面は毎回アドリブですね。
殺陣はダイナミックそのもの。にもかかわらず格好良さを忘れない戦い方が燭台切らしいです。鶴丸とよく一緒にいます。仲がぎくしゃくしそうな本丸を見て二人で紅白戦を提案するなど年長刀としての役割を認識しているようです。
・鶴丸国永
重くなりがちな本丸の賑やか担当。落ち込む山姥切の肩を叩いて慰めたり、不動の甘酒を欲しがったり、細かい演技が光ります。
戦闘は、太刀を肩にかけて飄々とこなすかと思えば豹変して雄々しく闘います。
敵に放つ掛け声が一番荒々しく、男らしさを感じました。
◼︎個人的に印象的なシーン
迫真の演技は圧倒的。死んでいるはずなのに生きようとし、まだ尚信長を守る姿は
・光秀全般
光秀でないと刀剣乱舞としての本能寺の変を掘り下げられないからですね。
蘭丸と二人で登場したカーテンコールは一際拍手が大きかったです。
・三日月と山姥切
織田刀が織りなす本能寺のテーマと並行して進んでいたテーマだと思います。
三日月が月を見て「おぬしも月を照らす陽の光となれ」と山姥切に投げかけるシーン。
それで山姥切は近侍の決意を固めます。その後窮地に陥った三日月の助けに入り山姥切は
「月(=三日月宗近)を照らす陽の光となる!」と宣言します。三日月は「ずいぶんすすけた陽の光だな」と応えるわけですが、熱い。少年漫画のようです。
これ以前の場面の紅白戦で一騎打ちになった時もしつこく追いかけてくる三日月に山姥切が「このクソジジイ!」と叫んで立ち向かうシーンも熱いです。
ラストで三日月が自らの破壊を匂わせる台詞がありましたが、あれは現実にならないとほしいと思います。
刀ステの山姥切国広は仮に三日月が折れたら二度と立ち直れない気がします。
◼︎全体の感想
2.5次元は初めての鑑賞ですが、エンターテインメントに優れていて素晴らしい出来栄えでした。
初日は友人が当選してくれて入れました。6日に自力当選したのでもう一度観劇できます。
今回は二つのメインテーマを重点的に観たので、次回は別視点から楽しみたいと思います。また思うところがあったら感想を書きます。
アインシュタインよりディアナアグロンって曲で何故か海外ドラマのgleeや実在の女優の名前を使い、女の子はバカでいい可愛ければいい愛されないと意味がない的なドラマや女優と真逆な歌詞を書いて炎上している
http://blog.livedoor.jp/akbg_kashi/archives/58056439.html
普通にバカな女の子の歌をやっておけば炎上しなかっただろうに、何故見たこともないドラマの名前を盛り込んでしまったのだろうか、なぜ秀才キャラを勉強できない可愛ければいいバカの代名詞に使ったのだろう
内容的にターゲットはキモオタだと思われるし、キモオタにgleeやらディアナアグロンなんて解らないし、ドラマ好きな人からしたらドラマを汚されて怒りしかわかんだろ
丁度いい具合にラブライブがgleeをパクってるし、キモオタへのアピールにもなるからラブライブでいいじゃん
アインシュタインより絢瀬絵里テストの点以上瞳の大きさ気になる
だったら女も怒らんしキモオタも喜んだだろ、海外有名ドラマと女優を持ってきて何がしたかったの、下手したらまた海外ニュースになって日本の男女差別は酷いねーと言われる可能性もある、秋元意味わからんわ
難しいことは何も考えない
頭空っぽでいい
二足歩行が楽だし ふわり軽く
風船みたいに生きたいんだ
女の子は可愛くなきゃね
今一番大切なことはそう
キャピキャピと音が聞こえることでしょ
テストの点以上 目の大きさが気になる
どんなに勉強できても
愛されなきゃ意味がない
グリーのように
実際、バカは必死こいて勉強して一般入試受けるより、コミュ力磨いてAO入試受けたほうがいい大学入れる可能性高いじゃん。
入学後もコミュ力ある奴は過去問回してもらってコミュ障のガリ勉よりいい成績取れるし、就活なんか外見とコミュ力がある奴が圧倒的に有利だろ。
「どんなに勉強できても愛されなきゃ意味がない」って男女問わず普通に生きてたら当たり前。
gleeの世界ではクイーン・ビーだったことを過去の栄光にして田舎に生きるしかないのかもしれないが、
現代日本ではクイーン・ビーはクイーン・ビーのまま女子アナになって、野球選手やIT起業家と結婚したり、自民党から出馬して政治家になれるんだぞ。
まず現在の将棋界は解体され名人というものが過去の遺産になります。
代わりにニコニコ動画で放送されるAIとAIの戦いを鑑賞することになります。
ソニー製のAI vs Panasonic製のAI・・・みたいな感じですね。
電脳○○ちゃんとか××たんとかが短いスカートをひらひらさせながら対局します。
調子にのったドワンゴはアニメ化やCD発売だとか多角的にセールスしてゆきます。
今までいた棋士はどうなるのでしょう?
当然、棋士と棋士との戦いは残っておりかつての盛り上がりはないものの通の楽しみ方として、昔からのファンに愛されています。
ですがAIよりレベルは低いため熱心に追いかけるファンはごく一部のようです。
どちらかというとAI将棋のエンジニアとして活躍する可能性が高いかもしれません。
すぐれたAIを作るためには優れた棋士である必要があるからです。
人間だったら普通気づくであろう悪手にひっかかるのがAI将棋の唯一(と言っていいかもしれません)の弱点なのですから。
それはちょうどストリートファイター2で投げハメでCPUを倒しているような興がそれる対局になるでしょう。
「おう八っつぁん、どうした浮かない顔をして」
「おや熊さん。それがな。ここだけの話なんだが、俺ぁもう相撲を取るのをやめようかと思うんだよ」
「そりゃまたどうしてだい。おまえさん、このあいだ横綱になったばかりじゃないか」
「俺はほとほと疲れはてたんだよ。もう身体がぼろぼろだ。しばらくは家の中で出来る仕事をしてゆっくり過ごそうかと思うんだ。しかし家内にそう言うと反対されちまってね」
「そいつぁ奥さんが正しいよ。『河童も歩けば棒に当たる』と言うだろう。河の中では泳ぎが上手い河童だって、陸に上がればふらふらで、あちこちにぶつかっちまう。悪いことは言わねえから、おまえさんの土俵で勝負すりゃいい」
「しかし熊さん、『勝って兜に近寄らず』とも言うじゃねえか。得意だからってやっぱり危ないことはしたくねえ。上手くいったところですっぱりやめるのが正解だと思うんだがね」
「いやいや、それは違うぜ八っつぁん。『暖簾に種は生えぬ』ってな。ひらひら宙を舞う布っきれに、種を蒔いても何にもならねえ。どっしりとした地面に蒔いてこそ芽を出すもんよ。そう軽々しく新しいことに手を出すもんじゃねえさ」
「熊さん、やけに熱心に引き留めるね。まさかおまえ。くだらない噂だと信じていなかったが、やっぱり家内と…」
「ひひっ、ばれちまった。いやさ、おまえさんが家を空けているあいだにな。しかし俺が誘ったんじゃないぜ。『可愛い子は千里を走る』と言うだろ。良い女は千里も倫理も乗り越えて良い男のところにやってくるもんなのさ」
「こいつぁ許せねえ、引っ叩いてやる。昔から男女の色恋沙汰は『火のないところに穴二つ』ができると言うが、実際に火があったんなら尚更だ」
ざらざら→ざらつく
べたべた→べたつく
ぎらぎら→ぎらつく
ぐらぐら→ぐらつく
ひらひら→ひらつく
いらいら→いらつく
むかむか→むかつく
ぱくぱく→ぱくつく
中学に入学し、自分で服を選んで買えるようになってからは積極的にミニスカートを履いた。
持っているボトムスのうち約75%がミニスカート、約20%がショートパンツや短いキュロット。1着は長ズボンを持っていたけど、何かの都合で履かざえるを得ない日以外は履かなかった。
高校生の頃に女友達がお尻を少し見せながら制服のスカートを履いていたのはちょっとやりすぎだと思った。という私も、今にも下着が見えそうな長さのスカートを履いていた。
危険な目にあうこともあった。それでもミニスカートが好きだった。
アラサーと呼ばれる年齢になったらミニスカートは卒業すると決めていた。履けるうちはできるだけミニスカートと一緒に過ごしたかった。
高校を卒業した後は服装の規定がない会社に入社した。規定がないとはいえ高校生の頃のようなミニスカートは相応しくない。と、周囲の大人にアドバイスされた。そんなことはわかっている。
私はミニスカートを少し捨て、長めのスカートやキュロットを揃えた。
大人になるとはこういうことなのか。大人の社会人らしい身なりで出勤した。
入社当初からお付き合いしていた男性にミニスカートの着用を全面的に反対された。
今までこんなに怒りを露わにした人を見たことがない。と思うほど彼は怒り、反対した。ミニスカートは仕方なく諦めた。
彼がそこまで反対した理由は理解できる。夜道は危ない。私は危険な目にあったことがある。隙がありすぎる。心配なのだろう。
私の衣装ケースからミニスカートは消えた。代わりに、上品な丈の長いスカートやキュロットが入った。
半年ほど前にその男性との関係を断った。その途端にミニスカートを捨ててしまったことに対する後悔の念がこみあげてきた。
捨てたのだからあるはずはないのに、クローゼットの中に入っていたものを全て取り出してミニスカートを探した。当然見つからなかった。
ただ一人の男性のために、どうして私はミニスカートを捨てたのだろう。
気付けば私は成人していた。タイムリミット(アラサー)まで、あと4年ほどある。
残りの4年間、ミニスカートとやり直したい。
タイトなデニムミニ、ひらひらのシフォンミニ、合皮のミニ、コーデュロイのミニ、ハイウエストミニ、プリーツミニ、全部集め直してまたミニスカート生活を再開しようと決めた。
その週末、数年前まで頻繁に足を運んでいたショップを巡った。ミニスカートを買うために。
そこには思ったほどのミニスカートはなかった。各ショップ、多くても1〜2種類、少なければ0種類(!)しかミニスカートを置いてなかった。(カラバリはあるけど)
ミニスカートの代わりにキュロットと膝下丈のスカートが多く売られているように見えた。
ワンピースでさえ、かつてのようなミニ丈のものはほとんどなかった。
購入するミニスカートの選択肢が少なすぎて落胆した。何も買わずに店を出た。
渋谷の街を歩く若い女の子を眺めた。ミニスカート人口は知らない間に減っていたのかもしれない。
↑ここまでポエム
というわけで、はてなに書いても仕方ない気もしますが、ミニスカートを多く取り扱うブランド・ショップをご存知の方がいたら教えて下さい。
あまりお高くないもので、10代後半〜20代前半向け。shel'tterのブランドあたりの雰囲気が好きです。
※アラサー以上の女性がミニスカートを履くことに対して否定するわけではありません。私の容姿ではその年令が限界だと思うだけです。
昨日のエントリーが、読み返すとひどい状態だったので再エントリ。
V6が20周年を迎えることについて、祝福もなにも述べていなかった。
V6のみなさん、そしてデビュー当時からファンをしている皆様、
昨日思ったことは、嘘でも何でもなくて、実際に感じてることなんだけど。
たぶん、20周年をお祭りで楽しめてる人たちへの嫉妬だったんだろうなーって思う。
確実にわたしは、その瞬間に全神経を集中させて、感動することができなかった。
10年前と何も変わらず、むしろもっとかっこ良くなってるのになー。って。
今回こういう由々しきことになるんじゃないか、って始まる前から感じてて、
森田剛だいすきだーーーーー!って思えるきっかけが欲しかったんです。
森田さんが踊ってくれれば基本なんでもいいんですけど、
ソロなかったのがひっじょうに無念。
百歩譲って、ソロなかったとしても、カミ曲は踊ってほしかった、、、
Air をかろうじて歌ってくれたので、救われました。
Air 大好き女。
群舞多かったですね。
6人で踊ってるなかで、森田剛をシルエットと動きで見つけるのが好き。
それが一番難易度が高くて、さらに10歳年が違う6人がそろえてくることの意味とかも
あるのかも知れないね。
わたしの好きなところ飛ばされてるーーーー、ちくしょー!
この後のダンスが好きだったのに手前で曲切れたーーーー!とか。
見えそうで見えないチラ見せ感!やめて〜〜〜。悲鳴。
なんか、書いてて思ったんだけど、
だったらいいなー。言霊。
最後に。
さっきからいろいろ思い出したくて、VoygerコンとVIBESコン観てますけど。
どっちも秀逸。
若さとかそういうのもあるかもだけど、それだけじゃナイ。
言い当てられないボキャ貧な感じですいませんが、
なんか違う。
はあ。やっぱなんか違和感抜けなくてやだな。
anond:20150830175515 を僭越ながら漢字に変換させていただきました。
なぜ厭な感じがしたかと謂えば、其れは何か見えない巨大な力が動いた身体としか私には思えません。兎に角、とても厭な感じがしたのです。
読み進めるにつれて、それは確信に変わりました。
まず、物語の冒頭で、主人公がああいう行動をとるとは夢にも思いませんでした。
まさか、斯様な展開になるとは私の短い人生経験からは想像もできず、本を読みながら思わず仰け反ってしまいました。ちょっと言い過ぎました。
そして、物語の中盤は、作者の言いたいことが朧気ながらも見えてきました。
その朧気な、霧のようなものの中で一匹だけ、ひらひらと舞う紋白蝶を捕えようとする感覚にも似た、幻想的且つ、原風景的な体験は、私を所謂文学の崖っ縁に連れて行ってくれるような、怖くて無力な体験でした。
嗚呼、この厭な感じはこういうことだったのだなあとしみじみ思い、その夜お母さんに
「お母さんって怖いものあるの?」
と訊いてみたところ
「お母さんは饅頭が怖い」
と言っていたので、次の日お母さんを怖がらせようとお饅頭をお小遣いで買ってきて、そっと卓袱台に置いておいたら、お母さんは
ととても怖がって、慌てて食べてしまいました。面白かったです。
それはさて置き、私はいつも国語のテストで「作者は何を思っていたでしょう」とか、「作者の気持ちになるですよー」という問題がとても苦手です。せんせぇもご存知ですよね。
だって「〆切に間に合わない」とか絶対に思っているのに、せんせぇはこの答えじゃ丸はくれませんよね。
せんせぇはよく
「ヒトの気持ちになるですよー」
と私たちに仰いますが、せんせぇは私たちの気持ちになりやがって考えたことがあるのでしょうか?
因みに、この読書感想文の作者である今の私の気持ちを答えなさい(悟天)
正解は
「2兆+55,232歳にもなって一体何をやっているんだろう」
です。どうですか? せんせぇには私の気持ちが解りやがりましたか?
こんなことを言うとせんせぇは怒ると思います。また私の頭をでっかい三角定規の角でコツンとする気でしょうか。
だけど人間は決してヒトの気持ちになど慣れない、ましてや外の生き物などの気持ちは決して解らない、解り合えない生き物なのだと思います。思いました。
この本は、そういった物事の本質を何かしら(書いて/欠いて)います。
作者はそう思っていないかもしれないけれども、私はそう思います。
まあ、兎に角、結構面白い本でした。特に後半は、クライマックスといった感じで、いつ後書きに入るんだろう、入って欲しく無いなあとドキドキしながら読んでいました。楽しかったです。ぴゃー。
2月期も頑張ろうと思いました。
了
【タイトル】どくしょかんそうぶん○○をよんで
わたしは、このほんのだいめいをみたとき、とてもいやなかんじがしました。
なぜいやなかんじがしたかといえば、それはなにかみえないきょだいなちからがうごいたからだとしかわたしにはおもえません。とにかく、とてもいやなかんじがしたのです。
よみすすめるにつれて、それはかくしんにかわりました。
まず、ものがたりのぼうとうで、しゅじんこうがああいうこうどうをとるとはゆめにもおもいませんでした。
まさか、かようなてんかいになるとはわたしのみじかいじんせいけいけんからはそうぞうもできず、ほんをよみながらおもわずのけぞってしまいました。ちょっといいすぎました。
そして、ものがたりのちゅうばんは、さくしゃのいいたいことがおぼろげながらもみえてきました。
そのおぼろげな、きりのようなもののなかでいっぴきだけ、ひらひらとまうモンシロチョウをとらえようとするかんかくにもにた、げんそうてきかつ、げんふうけいてきなたいけんは、わたしをいわゆるぶんがくのがけっぷちにつれていってくれるような、こわくて、むりょくなたいけんでした。
ああ、このいやなかんじはこういうことだったのだなあとしみじみおもい、そのよるおかあさんに
「おかあさんってこわいものあるの?」
ときいてみたところ
「おかあさんはおまんじゅうがこわい」
といっていたので、つぎのひおかあさんをこわがらせようとおまんじゅうをおこづかいでかってきて、そっとちゃぶだいにおいておいたら、おかあさんは
「ああ、まんじゅうがこわい! こわい!」
ととてもこわがって、あわてて食べてしまいました。おもしろかったです。
それはさておき、わたしはいつもこくごのテストで「さくしゃはなにをおもっていたでしょう」とか、「さくしゃのきもちになってかんがえなさい」というもんだいがとてもにがてです。せんせいもごぞんじですよね。
だって「しめきりまにあわない」とかぜったいおもっているのに、せんせいはこのこたえじゃまるはくれませんよね。
せんせいはよく
「ひとのきもちになってかんがえなさい」
とわたしたちにおっしゃいますが、せんせいはわたしたちのきもちになってかんがえたことがあるのでしょうか?
ちなみに、このどくしょかんそうぶんのさくしゃであるいまのわたしのきもちをこたえなさい(ごてん)
せいかいは
「にちようのごごに32さいにもなっていったいなにをやっているんだろう」
です。どうですか? せんせいにはわたしのきもちがわかりましたか?
こんなことをいうとせんせいはおこるとおもいます。またわたしのあたまをでっかいさんかくじょうぎのかどでコツンとするきでしょうか。
だけどにんげんはけっしてひとのきもちになどなれない、ましてやほかのいきものなどのきもちはけっしてわからない、わかりあえないいきものなのだとおもいます。おもいました。
このほんは、そういったものごとのほんしつをなにかしらかいています。
さくしゃはそうおもっていないかもしれないけれども、わたしはそうおもいます。
まあ、とにかく、けっこうおもしろいほんでした。とくにこうはんは、クライマックスといったかんじで、いつあとがきにはいるんだろう、はいってほしくないなあとどきどきしながらよんでいました。たのしかったです。ぴゃー。
にがっきもがんばろうとおもいました。
了
6年間通っていた地元の小学校から電車で1時間ほどの私立女子中学校は、公立中学校よりも設備が整っていて、清潔だった。お手洗いの掃除も生徒がやる必要はないし、体育館なんて3つも4つもあった。そこに、数百人の女の子たちがかわいいセーラー服に身を包み通っていた。私もその一人だった。
どうしてうまくいかなかったのかはわからない。もう10年も前の話だ。私が悪い、周囲が悪い、と簡単に言えることでもないと思う。そのときの私は、周囲と馴染んだり友人を作ることにみじめなほどに必死で、空回っていたのだと思う。私のことを分かってくれる友人が欲しいと思えば思うほど、周りから人は消えていった。
最後の思い出は、体育祭だ。あまり練習に参加していなかった私は、リレーのアンカーだったように覚えている。アンカーは2週走らなければならない、と思い込んでいた私は、見事自分のクラスを最下位へと落とし込んだ。周囲からは笑いが漏れていて、私も情けない顔で笑っていた。体操服から制服に着替えている教室で、私の陰口を言う声が聞こえた。
夏休みに入ると、通学していたときの暗澹な気持ちが嘘かのように、気楽だった。ほとんどの時間をインターネットに費やしていたと思う。でも、その一方で、私は自分のことを冷静に観察していた。今気楽なのは学校に通っていないからで、通学が再開したらまたあの地獄のような気持ちを持て余す日々に逆戻りだ、と、そうわかっていながらも、私には何もすることができなかった。
夏休みが始まる前の時点でさみだれ登校ぎみであった私に、父母は何もしてくれなかった。初めての不登校経験で、どうしたらよかったのかわからなかったのだろう。父は、今でもあの時のことに触れるたびに、お前は頭の病気だから、と侮蔑するように言い捨てる。
父の存在は大きかった。そもそも成績の良いときくらいしか”良い父”でなかった人に、学校に行きたくないと言ったらどう反応するかなんて、想像するまでもなかった。不機嫌な父はその存在だけでも恐怖だった。父に許されない行動を取るということが、13歳だった私にとって、どれだけ勇気のいることだったのか、今ではもう思い出せない。
夏休みの終わりに、私は、足がなければどれだけ良いだろう、と考えた。電車で1時間、その後も10分ほどの上り坂があり、さらに長い階段を上らなければたどり着けない私の学校は、足がなければとても通うことなんかできない。私は、足がなければよかったのに、と願った。
2階の私の部屋から見る空は、夏らしい青色をしていて、どこまでも自由に見えた。2階の窓は下から見上げるとそう高くなく見えたが、上から見下すと遥か遠くに地面があるようだった。そこを凝視する私は、一瞬の勇気だから、と自分に言い聞かせた。一瞬、ここで一瞬だけ勇気を出せば、学校になんていかなくてすむんだから。
数秒後、私は今自分がどこにいて何をしているのかわからなかった。目からはぼろぼろと涙が出ていて、顔の横には地面があった。そしてようやく、私は、あの2階から飛び降りたんだ、とわかった。
見上げると、開けっ放しの窓から白いカーテンがひらひらと風になびいていた。ぼんやりとそこを見ていると、私の部屋に入ってきた母が、不安げに私の名前を呼ぶのが聞こえた。
今思うと、あのときの私には逃げ場がなかったのだと思う。今話題になっている図書館も、小学校から卒業したばかりの私では、一人で行くだなんて思いつきもしなかっただろう。親に相談はできなかったし、学校の先生もまともに連絡を取ってくれなかった。でも、もしあの時の私が、あのツイートを見ていたのならば、きっと、逃げ場に図書館を選んでいただろう。過去に当事者であった私にとって、あのツイートはそう悪いものには思えない。もちろん、もろもろの問題はあるのだろうが、きっと、少なくとも、過去の私を救えたのだろうから。
普段は肩が凝る体質ではないのだが、今日は肩が凝って寝られない。寝られないので書く。
連休が始まった土日、誰もいないオフィスで深夜まで仕事してた。
連休の予定はまったくなく、今年も何もイベントもなく過ぎてしまうのかと諦めていた。
あとは帰って寝るだけだ。3日間ずっとだらだらとすごすのか。
一人で映画に行き、一人でレストランに行って、ツイッターに画像あげて、誰からも反応もなく、家に帰って寝る。いつもの休日か。
諦めんなよ。
頭の中の修造が言った。
でも誰もいないし。いまから誘ってもみんな予定あるにきまってるし。
諦めんなよ! 声かけてみろよ!!
いやでも・・・
そうだ! 声かけてみろ!!
「5/5に映画見に行きませんか」
以前告白して振られた同僚の女の子にメッセしてみた。これが深夜テンションのちからか。
そうだ!!できるじゃないか!!!
帰ってその日は泥のように寝た。
昼過ぎに目が覚めた。返信はなかった。
まあ、そんなもんだよな。世の中そううまくいくわけがない。
コンビニ行って飯でも買ってくるか。
メッセの着信音がなった。
都合がいいときだけ反応するんだな。
5月5日。気合いれすぎて30分も早く待ち合わせ場所についてしまった。適当にぶらぶらするかと思ったとたんメッセがなる。
「早くつきすぎちゃいました」
時間に余裕があったのでウィンドウショッピングして時間をつぶしたのち、レストランに行ってランチを食べた。
2人で食べるランチはうまかった。
「なんでいきなり誘ってきたんですか」
「2日も休日出勤してやっと仕事が片付いたけど、連休に何も予定ないし、がんばった自分にご褒美がほしいじゃん?」
彼女は笑っていた。
思い切って聞いてみた。
「じゃあ、手、つなごっか」
「いいですよ」
彼女は戸惑いながらも手を出してくれた。女の子の手は小さく柔らかかった。
身長差があるので中途半端な位置をキープしないといけないので、自然に手がつなげない。
ソシアルダンスで相手をリードしているみたいな体制になってしまう。
映画館について座席に座る。映画が始まる前、彼女の目の前で手をひらひらさせてみた。
手をつかむと、ああそういうこと、と苦笑。
映画の展開もあり、緊張していて手がこわばり、痛くなってきた。でも離したくなかった。
映画を見た後に感想を言い合うことができる相手がいることが新鮮だった。
その後、いろいろ買いたいものがあるというので彼女の買い物につきあう。
最近一人暮らしを始めたという彼女は、お皿やキッチン用品などを探しているようだった。
そのあいだずっと手をつないでいた。
夕方、名残惜しみつつも別れて、一人で家に帰った。
お礼のメッセを送る。「今日はありがとう。楽しかった。またデートしてほしい」
相手からもすぐ、今日は楽しかったと返信があった。社交辞令だとしてもうれしい。
次があるかはわからない。
でも、恋人同士にはなれなくても、休日に手をつないでデートできる相手がいるのは素敵なことじゃないか。
手をずっと繋いでいたら、肩が凝るんだな。寝られないくらい。
普段使わない筋肉を使うと、そういうことが起きると、身を持って理解した。
時々は使っていけるようになりたい。
http://anond.hatelabo.jp/20150128232843
ぼくはフェミニズムを手がかりとしてセクシュアリティやジェンダーといった問題を考えるようになるのですが(中略)、その理念の中で、我々は社会的に押しつけられた性規範に呪縛されているから、性愛も夫婦や恋人関係も抑圧されているのだ、もっとそこから解かれることによって自由で豊かな生と性を獲得することができる、とされていました。
で、自分も「男らしさ」にこだわらずに「自分らしく」あらねば、そうすることが正しいことなのだ、と日常の場で実践してみたわけです。(中略)態度物腰もやわらかく、というか、ベッタラな感じで、身につけるものもフリルの着いたものやら紫色のひらひらしたものだったり……(中略)まあ、わかりやすくオカマっぽくなった。それが自由で、自分らしいことだと誇らしかったのです。
そのように「自分らしさ」を表現してあまりある自分がなぜかモテない。政治的に正しいはずなのに恋人ができない。どうしてなのだろう。理論的には間違っていないはずなのに……それで周囲のゲイたちを見回してみますと、(中略)一般に求められている男という意匠を体現している人がモテている。そこで自分でも、なるべく自己主張しないようにして、それなりに流行っている服を身につけて、言葉遣いも男らしく、態度物腰も野郎っぽく演出してみると、なんと、食いつきがそれまでとはまったく違ったのです!
性愛というのは、人格以前に、その人が表象している性別のイメージ、つまりジェンダーをめぐる「欲望」なのだ、ということです。(中略)発情が一義的に、相手の人格的な成熟度とか、コミュニケーション・スキルによって引き起こされるのなら、性愛の対象に性別は関係ないし、例えば、もっとご年配の方がモテモテになってもいいわけです(精神的に成熟しているのだから!)。
人は合理と効率を追及していきますから、記号ゲームに参加していくと、見られる存在としての自分を設定していくことで、ゲームの中でより多くの利益を得られることがわかっていきます。(中略)アメリカでは「クローンゲイ」という言葉がありましたが、それはスポーツジムに通って筋肉を付け、髪型を短く整え……といった形でみんなが同じような見た目になっているありようです。少し前、日本のゲイ・コミュニティでも「イカホモ」という言葉が流通しました。それはいかにもホモっぽいというルックスの人のことで、肯定的な意味合いで用いられています。(中略)「イカホモ」が表しているのは、見た目がある類型になっているのは前提ですが──短髪でひげがあってそこそこ筋肉があってムッチリしていてラガーシャツなんかを着ている──自意識の上でも、ゲイであることを受け入れ、それを楽しんでいて、性愛における「男らしさ」がフィクションであることを感覚的に理解しているありようです。
性愛とアイデンティティが結合していると、ありのままの自分を受け入れて欲しいと望むようになり、それが結果として「他者から発情されにくい自分」になることを招いてしまう。充実した性愛を獲得するためには、発情されやすい自分になることが必要であり、さらにそのためには性愛のためにジェンダーを演じることを楽しむ感性が必要である……という風に読んだ。「イカホモ」を楽しむように、「イカニモ男」「イカニモ女」のステレオタイプを演じるのである。それが性愛における合理と効率の追及であり、「モテ」と「自分らしさの表現」は対立することを受け入れなければならない。「モテない!」と言って怒るのは、「モテ」と「自分らしさの表現」の両方を得ようとしているためであり、片方を捨てるだけでも進むべき方向が見定められて、迷走状態でいるよりも精神的な安定が得られるだろう。
追記:
cyberglass ジェンダーを戦略として利用するとモテる。女性は無意識にそれを会得している。そうやってジェンダー秩序が再生産される。
異性愛者の男性には「それを会得している女性」しか女性として認識出来ないということなのでは。
「それを会得していない男性」「それを会得していない女性」は存在するのに、発情の対象にならないから、
攻撃的な振る舞いをしない限り存在を無視されてしまう。その結果としてのミソジニーやミサンドリー。
quick_past そういう側面はあります。ただそこで評価されることを望んでる人ばかりじゃないと言うのが問題。評価したい部分が違う人同士が評価しあってしまうのも問題。
職場で職能よりも性的魅力が優先して評価されるようではまずいだろう。
フェミニストも、男性会社員が女性会社員を職能ではなく性的魅力で判断することに噛みついている。
職場は乱交パーティーではないが、どんな場面でも異性(同性愛者なら同性)を性的魅力の多寡でしか判断できない常時乱交パーティー状態の人種というのは居て、
精子脳と言われたり、スイーツと言われたり、要はTPOより自分の性的満足を優先する馬鹿とみなされる。
feita 割と世に出てる天才はありのままの姿でレリゴーしても承認されてるように見えるから錯覚しがちだけど、そんな奴ホントレアケースで自分と比較しても仕様がないからね。承認されたきゃある程度自分削らんとな…。
性愛とアイデンティティが結合しているから「自分を削る」と感じるのでは。
性愛用ペルソナ、仕事用ペルソナを演じ分けるようになると、そこで自分が削られることは無くなる。
天才ではなく、演じることも面倒なら、承認への執着を捨てるという道もある。
ysync 「ジェンダーを演じることを楽しむ感性が必要である」男性性に対する嫌悪感(自身の中にあるものも含めて)が強すぎて楽しめそうにない…。
誰も楽しめと強要はしていない。楽しめそうにないなら捨てればいい。
『平家物語』の名場面、那須与一が扇の的を射抜くシーン。問題はこのあとだ。
平家方に、那須の技量に感極まった50ばかりの男があり、舟上で舞を踊りはじめた。
大任を果たした那須与一のところに伊勢三郎がやってきて「命令だ。あの男も射よ。」と伝える。那須は男を射殺す。
これが昔っから納得いかねえ。そこまですることねえじゃん。
これは何も21世紀の平和な時代に私が生きているからそう思うばかりではない。
『平家物語』にも、この一件の後「無情だ」と言う者も多かったとある。
射るのを命じたのは、名前は出てこないけど順当に考えて源義経だろう。
扇の的を射るよう命じたのも義経だしね。
俺は義経のこういうところが嫌いだ。
美しい「扇の的」のシーン。春風に乗って射られた扇がひらひらと一舞、二舞…なんてノリのあとに、突然戦争・抗争の現実を突きつけられるようだ。
深夜帯、特に何があったというわけではないが時々考える。
友達が出来ない…
ありふれた悩みだと思う。古今東西種々の同様の悩みをこれまで幾度となく目にしてきたし、ある程度思考がまとまった今、やはりありふれた悩みに過ぎないなと思う。
多分、人並みにコミュ力なるものは備わっている。報・連・相は問題なくこなせるし、なんならマメですらある。それなりにに愉快なキャラもしていると思う。顔がいいわけじゃないけど不快になるほどじゃない。歳の上下を問わず丁寧語・敬語主体は崩さないし、初対面で悪い印象を持たれることはあまりないと思う。
ただ、友達が出来ない…
原因ははっきりしている。踏み込めないのだ。
踏み込めない原因もはっきりしている。自分に肩書きが無いと話すことが怖いのだ。
肩書きのある時はそれなりに話せる…先の報連相もそうだ、必要な役割だからこなせる。
勿論肩書きなんて目には見えない…金モールをひらひらと光らせているわけでも無い。ただそれでも背中は押してくれる。
数人で談笑している場面でただ会話に入れなくて愛想笑い…幾度となく経験してきた場面だ。
よし、やること片付いたな。ここで"駄弁り”というやつが出来ない。
その場に上下関係も役割も無い場面になった時、居場所がなくなる…ピエロとなる役割しかこなせない。
2人だとまだいい、私には明確な場の維持者としての役割がある。3人でもそうだ。ただ4人5人になった時、ここに居場所が無い…と感じてしまう…(これはまた少し違う話か)
役割に徹さないと何もできない。だから踏み込めないし、頼れない。
頼ることが怖いのだ。
先の話に繋がるが、人に頼った時、客観的な理由付けも無しに人に頼るというのが考えられない。
悩みを打ち明ける友人もいない。
悩みを受け止めてくれる見込みを立てられない。
ここまで書いて思ったが、別に私は心優しい、思慮深いけど自信が無いゆえに踏み出せない…そんな高尚なタイプではない。
中学の頃の担任に「あんたは人の話を聞かない」と言われたのを思い出す。
優等生とまではいかないけど、大人の言うことに素直に従っている自負を持っていた当時は、何言っているんだこのおばさんは…と気にも留めていなかったが、こうやって何年経っても覚えているのは深層では自覚があったからだろうか…
この言葉は別の口からも何度も聞いたからだろうか。今ではその通り、私は人の言うことに耳を傾けることができませんと胸を張って(?)言える
ネットでアスペ診断なるものをよく見かける。あんな誰にでもそれなりに当てはまりそうな設問ではあるが、やはり当てはまる。むちゃくちゃ当てはまる。病院に行くほどではないが、発/達/障/害の気があるのかもしれないと最近は思い始めた。
人の気持ちが汲めない。人から施しを受けるのが嫌。人に何かを与えることが出来ない。
友達が出来ない…と銘打って書き始めたのにこんなことを言うのも筋違いかもしれない、ただ私はさして他人に興味が無いのだと思う。
一生懸命悩んでいるふりをしているが、世の人は自分の何倍も何倍も悩んで生きているのだと思う。
ただ寝る前に悩みを吐き出してそれを受け止めてくれる人が欲しいと思っているだけなのだろう。
しょうもない大人になってしまって泣けてくる。実際、少し泣いている。
この姿を人前に見せることが出来ない。せいぜい19インチの画面に吐き出すだけである。
情けない悩みだと思う。何より情けないのは、自分がどうなりたいか、それすらも分からない事である。
交換日記でも始めればすべてがうまく回り出すのかもしれない。
小学生のころからずっと思ってたんだけど、あまりにもあほすぎると思っていままでだれにも言わなかった。けど、増田だったらなんだって言えちゃうし、いいかなと思って。きっとみんなにも共感してもらえるはず。だれも言わないけど、みんなこういう妄想をするものなんです。男子というものは。
「はてなはて男」
「はい!」
はて男が舞台の上を中央まで歩き、九十度向きを変え、前に進み礼をする。だが当然ぼくははて男のことなど見ていない。
つぎに呼ばれるはて美ちゃんが、軽くて薄いひらひらした黒い仕立てのいいスカートを気にしながら、一段一段ゆっくりと、いつもながらの真面目な態度で慎重に数段しかない階段をのぼり、舞台上に立った。くるっと客席のほうを振り向くと、美少女はて美ちゃんの顔がぼくらから見える形になった。バレエで培った美しい姿勢を見せ、うっすらと盛り上がった胸を張り、つぎに自分が呼ばれるのをやや緊張した面持ちで待っている。いつもと違う高貴な服装は清楚なはて美ちゃんの美しさを引き立て、そこだけ黄金の光が集まってきて天使が祝福しているように見える。
「はてなはて美」
「はい!」
ついにはて美ちゃんが呼ばれた。はて美ちゃんは、透明感があり歯切れのいい美声で「はい」とだけ言う。場内にはて美ちゃんの声だけが響き渡り、ぼくらの胸の中にはて美ちゃんの声が入ってくる。ぼくの身はとろけはじめる。ひらひらのスカートがはて美ちゃんの膝のあたりで揺れるが、その軽やかで繊細な動きにぼくの性器がびくんと反応する。美しい「はい」の一声に場内は圧倒されたが、その残響と余韻とともにはて美ちゃんが舞台の上を進む。健康的な筋肉質のふくらはぎに真新しい黒いソックスが食い込んでいる。
ぼくの妄想は加速する。はて美ちゃんの「はい」の合図とともに式場内にいた変態たちが勃起してしまって、はて美ちゃんに襲い掛かろうとするのだ。数人の男たちが舞台中央にいま立とうとするはて美ちゃんに襲い掛かる。はて美ちゃんは異変に気づき、困ったときに出すあのおしつぶされたようなかわいらしい声を出す。男たちにもみくちゃにされるはて美ちゃん。「はい」と言ってしまったばかりにこんな目に……。
どうしてわたしがこんな目に……。ただ「はい」と返事しただけなのに……。
きみは「はい」と言ってしまったんだ。場内の男たちはみんなきみだけを見ていた。そこできみは「はい」と言ってしまったんだ。一切の拒否を含まない、完全な肯定である「はい」をね。きみはすべてを受け入れる決意をしてしまったんだ。娼婦はときに聖女のように見えるというが、きみはまさにそのように、すべての男を受け入れる「はい」を発してしまったんだ。きみは貞潔でありながら、娼婦の道を選んだのであり、また逆に、娼婦としての人生を「はい」によって受け入れたきみは、いっそう美しく輝くんだ。
はて美ちゃんは卒業証書を受け取り、そして舞台から降りた。なにごともなかったかのように。つぎの生徒が呼ばれる。
自分を呼ぶ汚らしい中年男に「はい」と返事してしまったということについてぼくは考える。美少女はてなはて美ちゃんは従順だった。しかしぼくらは従順なはて美ちゃんを性奴隷にするどころか、むしろはて美ちゃんの奴隷になろうとするのではないだろうか。担任の中年男ははて美ちゃんに「はい」と返事をされた瞬間に、はて美ちゃんを犯したような気がしたのかもしれない、がそれと同時に、かれはおそらくはて美ちゃんに完全に屈服してしまったのではないだろうか。おそらくあのとき襲い掛かった男たちもはて美ちゃんをもみくちゃにしたまではいいが、はて美ちゃんの声を間近で聞いてしまうととろけてしまって、射精と同時にどろどろになってしまったのではないだろうか。その光景はぼくにはあたかもはて美ちゃんが舞台上で失禁したように見える。
といった感じで、とにかく美少女が名前を呼ばれて「はい!」と言うのを想像するとすごく興奮する。その状況は「はい!」といわざるを得ない状況だというのもいい。はて美ちゃんの意志はそこにはない。だけど、はて美ちゃんはいやいやながらではなく、「はい!」とすばらしい返事をするのだ。そしてはて美ちゃんは犯されると同時に世界を征服してしまうのだ。そしてぼくははて美ちゃんの奴隷になりたいのだ。
こんな妄想、男ならみんなするよね?
1: http://anond.hatelabo.jp/20140817034159
サクセスストーリーは始まらない。小説のようには。これは、生身の人間の記録だ。
話は少しさかのぼる。ぼくが中学校二年制三学期を迎えたころ。両親が離婚した。雨の日だったと思う。正確には、ぼくが離婚させた。
ぼくの父は、破綻を迎えるまでの十数年、ほとんどまともな職につかなかった。職にありついている時も金を家にいれないので、働いていてもいなくても同じだった。さらに男は、部落出身だとおのれを偽り、人権団体を傘に生活保護を認定させようとしたこともあった。それくらいには、どうしようもない男だった。ぼくの毎日のおかずがその男より少ないのも、ぼくを苛立たせた。
僕は中学に上がってしばらくすると、学業の意味をみいだせずサボりだした。家にいると、その男は、気まぐれにぼくを闇ポーカー屋や、パチンコ屋についてこないかと誘った。ぼくは、男の思惑については考えなかった。ただ、クズが出来る工場には興味があって、何度かついていった。そこでわかったことは、前者は場内で飲み物と食い物が只だった。しかし、必ず負ける。もう一方は、給餌がない。ただ、勉強すれば儲かるようだった。ぼくは研究を重ね、中学三年の頃には、その成果としてまとまった金を手にしていた。お金自体より、お金が増える仕組みを実践できているのが楽しかった。
一度、父にパチンコの攻略法を共有しようとしたことがある。そのとき彼は、ぼくの説明を聞くなり
と言い放った。餓鬼は夢を言うものだし、攻略法は確かに存在していた。血を分けたとはいえ、肉身との合意形成まで神は保証していないことを思い知った。ぼくは二度と同じことを口にしなかった。ぼくの手元にはいくばくかの金がすでにあったが、やはり出口はみつからなかった。
そんな折、転機が訪れた。父方の祖母が他界した。これが一家破綻を引き起こした。なぜか?父はできちゃった婚をしてこのかた、せっせと毎年、百万ずつ消費者金融に借金を作っていた。祖母は、このギャンブルによる借金を二年毎に内密に精算していた。その二年の精算周期を目前にして、祖母は死んだ。母があけすけにぼくに話してくれた。自転車は前のめりに急停止し、乗員はほうり出された。中学生にして人生はハードからベリーハードモードになった。その頃のぼくは、定期的に母に金を渡していたので、頼りはぼくだけだったのだろう。仕方なしにタネ銭のほとんどを母にわたし、祖母の四十九日の法要が終わったらみんなで出ていこうと提案した。暴力から逃げよう。貧しさも和らげることができるかもしれない。そして一方的に、ぼくは母の手をとり、家を出た。父を一人残した。金の重要性は再確認された。
十六歳になるのを待って、ぼくはアルバイトを始めた。解体工事、ピザの配達、飲食店調理、エロビデオ屋。スーパーのレジ。気持ちとは裏腹に、どれも長続きしなかった。三ヶ月もすると定形作業に慣れ、新しい事がしたくなる。気を紛らわすために、あいた時間で、頼まれていないのに段取りの効率化や改善をした。ポスシステムを無断で走破し、廃棄率や回転率を計算してオリジナルノートに映すのを空き時間の趣味とした。店長会の議事録を盗み見するのも日課になった。そういった業務に関係のないことを社員にやんわり諭された次の日が、だいたいぼくの自主退職日になった。金銭的にはじり貧だった。
いくつかのバイト歴を経て、最後に応募した求人が「PCオペレーター募集」という求人広告だった。その時代、地方都市でまだ見かけない求人だった。その頃にはぼくは開き直り、一つのアルバイトを六ヶ月で必ず辞める。そして、同じようなバイトはしないことに決めていた。コペルニク的回転により収支を安定させた。とりあえず生きていけるし、お金を増やす方法をよりもっと知りたかった。今回も、その怪しい求人の裏側を見てやるつもりだった。
面接に行くと、縦長のプレハブ小屋のようなみすぼらしい雑居ビルだった。中に入ると垢のついたソファに男が一人座っている。マネーの虎に出ていた堀之内九一郎のような風貌のスーツ男だった。その虎風の男は、釣り上がった眉で、自らを社長だと名乗った。アルバイト面接にもかかわらず、名刺をぼくに差し出す。話しぶりからも慣れていないのは明らかだった。口だけは達者なので、営業上がりだろうと推量した。
ぼくはその時代にしてはめずらしくパソコン先生だったので、すぐに採用が決まった。学歴にかかわらず。虎は、二人バイトが辞めるから明日からきてほしい、と言った。ますます怪しかった。ぼくは、いやらしい笑いを隠し、業務内容を聞きだす。男は壮大な事を奔放に話していたが、要するに、出会い系サイトのサクラが仕事だった。ぼくはとても面白そうだと思って、了解した。
入社して一週間で、ぼくは完璧なチャットレディーになった。しかし、完成された演技力とはうらはらに、客が異様に少なかった。ほかに事業もしていない。日商は大幅な赤字に見えた。でも、ぼくはノウハウを掴んで六ヶ月後にはやめるつもりだったから、それはどちらでもよかった。
「金が無い。来週払うはずの給料が払えない。どうやってもいいから自分で売上をつくってくれ」
と、通帳を手でひらひらさせながら虎はいった。漫画のような状況にぼくは少し面食らう。とりあえず事情を説明させた。
「じつはこの会社、きみが入社する一ヶ月前に出来たんだ。出会い系システムも他社から買ったものだった。彼らが送客を保証をするので二ヶ月で間違いなく黒字転換するという話だった。が、客がこない。約束が違うと納入元にかけあっていたが、そうしている間に、わたしの脱サラして得た運転資金も底をついてしまった」
虎は切なそうに泣く。額面どおりぼくの目の前でぽたぽたと涙する。社会は惨めな大人で満ちていた。
ぼくは、いくつかの方法を使って業界を調べた。社長の首根を掴んで、納入元にもいった。そこで話を聞くと、業者は、しなびた我らが虎から、すでに二百万の導入費用を支払わせていた。さらにシステム利用料として粗利の五割が毎月抜かれる。そのうえ、月々のサーバー維持費、合計十数万の支払いがまだなので、早く払ってほしいという。悪びれもせず。あとで分かったことだが、このころ全国的に、ヤクザのフロント企業が出会い系システムを詐欺同然に売りつけていた。上場しているあの情報通信企業も、元を辿れば同じ穴のムジナだ。
ぼくはだいたい事態がつかめた。それに加え、ぼくはこのビジネスに可能性を感じていた。だが、虎を救ってやる気は微塵もなかった。体面を保たない大人を、ぼくは嫌いだった。その後、給料の支払い日がやって来たが、予告通り給料の支払いはなかった。社長はぼくに、面談と称して言い訳をくどくどとする。ぼくは、うんうんと頷きながら話を無視し考えを巡らす。ふと、試しに揺さぶってみようという気になり、声を出した。
「なるほどー。でも社長も大変っすね。退職金使い果たして。さらにぼくが訴えたら、前科持ちでしょ」
そのまま、社長の眼球をぼくは下から見据える。張り付いた彼の眉・目・口。時間にして五秒。次の瞬間、彼の全ての部品がハの字に垂れ歪んだ。ぼくのほうも口元が歪むのを完璧には止められなかった。もう一押しする。
「わかりました、……じゃあ給料いらないです。そのかわり、納入元になんとかいって残りの支払い手打ちにしてください。その後、システムの引き取りを彼らに申し出るんです。サーバーをぼくにわたしてくれたら、それでこっちも手打ち」
――こうしてぼくは、くだらない会社をのっとった。
http://anond.hatelabo.jp/20140323105049
でプリキュアがクッソつまんねえと書いた増田だけど、今度は子供が妖怪妖怪と騒ぎ出した。
テレ東放映地域の小学生よりだいぶ遅れて地方の幼稚園児にもブームが来た模様。
なので妖怪ウォッチをここしばらく見ていたけども、結構面白い。
最初は幼稚園児には難しいかと思ったけど、子供も見ながら爆笑している(意味は完全には分かってないだろうけど)。
女児が動物的に執着する「ピンクでキラキラひらひらなおひめさま」要素は皆無、女キャラも個性薄く大した出番もないフミちゃん一人しかいないのに
それでも楽しめているのが意外。
内容さえちゃんと面白ければそういう要素が無くても良いんだなあ。
まあ本来小学生向けだし、小学生は流石にキャラだけじゃ騙せないだろうし
面白くなければブームにはならんわな、と納得。
以前のトラバで女児アニメはダメアニメばかりと書いていた増田がいたけど、作ってるのが男だから
男児向けは「自分が見ても面白いものを作りたい」とか「自分が子供の頃にこういうのを見たかった」というモチベーションが湧いても
女児向けは「どうせ自分にとっては面白くないからやる気もないし適当に子供騙しでいいや」となるんだろうか。