深夜帯、特に何があったというわけではないが時々考える。
友達が出来ない…
ありふれた悩みだと思う。古今東西種々の同様の悩みをこれまで幾度となく目にしてきたし、ある程度思考がまとまった今、やはりありふれた悩みに過ぎないなと思う。
多分、人並みにコミュ力なるものは備わっている。報・連・相は問題なくこなせるし、なんならマメですらある。それなりにに愉快なキャラもしていると思う。顔がいいわけじゃないけど不快になるほどじゃない。歳の上下を問わず丁寧語・敬語主体は崩さないし、初対面で悪い印象を持たれることはあまりないと思う。
ただ、友達が出来ない…
原因ははっきりしている。踏み込めないのだ。
踏み込めない原因もはっきりしている。自分に肩書きが無いと話すことが怖いのだ。
肩書きのある時はそれなりに話せる…先の報連相もそうだ、必要な役割だからこなせる。
勿論肩書きなんて目には見えない…金モールをひらひらと光らせているわけでも無い。ただそれでも背中は押してくれる。
数人で談笑している場面でただ会話に入れなくて愛想笑い…幾度となく経験してきた場面だ。
よし、やること片付いたな。ここで"駄弁り”というやつが出来ない。
その場に上下関係も役割も無い場面になった時、居場所がなくなる…ピエロとなる役割しかこなせない。
2人だとまだいい、私には明確な場の維持者としての役割がある。3人でもそうだ。ただ4人5人になった時、ここに居場所が無い…と感じてしまう…(これはまた少し違う話か)
役割に徹さないと何もできない。だから踏み込めないし、頼れない。
頼ることが怖いのだ。
先の話に繋がるが、人に頼った時、客観的な理由付けも無しに人に頼るというのが考えられない。
悩みを打ち明ける友人もいない。
悩みを受け止めてくれる見込みを立てられない。
ここまで書いて思ったが、別に私は心優しい、思慮深いけど自信が無いゆえに踏み出せない…そんな高尚なタイプではない。
中学の頃の担任に「あんたは人の話を聞かない」と言われたのを思い出す。
優等生とまではいかないけど、大人の言うことに素直に従っている自負を持っていた当時は、何言っているんだこのおばさんは…と気にも留めていなかったが、こうやって何年経っても覚えているのは深層では自覚があったからだろうか…
この言葉は別の口からも何度も聞いたからだろうか。今ではその通り、私は人の言うことに耳を傾けることができませんと胸を張って(?)言える
ネットでアスペ診断なるものをよく見かける。あんな誰にでもそれなりに当てはまりそうな設問ではあるが、やはり当てはまる。むちゃくちゃ当てはまる。病院に行くほどではないが、発/達/障/害の気があるのかもしれないと最近は思い始めた。
人の気持ちが汲めない。人から施しを受けるのが嫌。人に何かを与えることが出来ない。
友達が出来ない…と銘打って書き始めたのにこんなことを言うのも筋違いかもしれない、ただ私はさして他人に興味が無いのだと思う。
一生懸命悩んでいるふりをしているが、世の人は自分の何倍も何倍も悩んで生きているのだと思う。
ただ寝る前に悩みを吐き出してそれを受け止めてくれる人が欲しいと思っているだけなのだろう。
しょうもない大人になってしまって泣けてくる。実際、少し泣いている。
この姿を人前に見せることが出来ない。せいぜい19インチの画面に吐き出すだけである。
情けない悩みだと思う。何より情けないのは、自分がどうなりたいか、それすらも分からない事である。
交換日記でも始めればすべてがうまく回り出すのかもしれない。