はてなキーワード: お勧めとは
ワイも今年だけでも1000人以上のアーティストの曲を聴いて
当然、1000曲以上の「ラブ」「これと似たおすすめを減らす」をしているわけなんだけど、
ヘビロテ (自分の年間リプレイランキング https://replay.music.apple.com/jp に入っている) で聴いているアーティストのアルバム曲とか勧めてくるんですけど????
つーか、Apple Music を5年続けて、Apple Music にお勧めされて
知らなかったかつ好きになったの Mili と PassCode の2つだけなんだけど?????
しかもワイのヘビロテで聴いている曲のランキングは9割が洋楽なのにナゼ邦楽なのかっていう???
まぁ知れてよかったけども
負け続けている。
「次負けたら終わり」と言われて結構経っているが、やはり負けている。
負けるたびにファンが減っていき、ずっと定額の小金を落としてきた俺が最大スポンサーになりつつある勢いだ。
応援し始めて、最初の頃は推しが負けるのが耐えられないほど辛かった。
辛すぎて実際の試合を見ず、結果だけを布団にくるまりながら見るという風になっていった。
そして恐る恐る結果を確認すると…
負けている…。
俺は悶絶した。
「やべぇよ…」という空気の中、カラ元気で「次はもう、本当に頑張ります!今から練習します!なので…応援よろしくお願いします!」という言葉がむなしく響く。
うん、そうだよね、次を考えよう!とコメントして定額課金。「〇〇さん、いつも本当にありがとうございます!〇〇さんのために頑張ります!」
うんうん、俺じゃなくていいよ。自分のために頑張ってと思いながらまた布団に入る。
そして来るべき試合。
布団の中で結果を待つ。
今度こそ…と思いながら結果確認→負けている…→頑張ります!→〇〇さん、ありがとうございます!
もしかしたら俺の定額課金が負けのジンクスなのでは?と思い、課金額を変えてみたこともある。
しかし。
負けている…。
こうなれば試合会場に直接行って応援するべきなのでは?と思い、有休をとってチケットを取って飛行機に乗り、いってみたこともある。
しかし。
負けている…。
そしてついに、推しの負けが我が事以上に辛くなり、仕事にも支障が出てきそうになった。
そこでメンタルトレーニングの本を買ったり、体験講座に出てみたりした。
アドラー心理学とか、認知行動療法とか、占い師のところに行くとか。
効果は抜群だった。
「他人と自分を同一化しすぎないこと」を学び、実践を通じて習得した俺は、推しの負けに心は揺るがなくなっていた。
占いはまぁ、毛嫌いする人も多かろうが、占い師というのはある意味で「他者と自分を切り分ける」プロフェッショナルなので、定期的にその切り分けテクニックを盗みに行っていた。
これがカウンセラーだと、自分の担当をとっかえひっかえするのは難しいが、占い師は一回数千年~1万円でいける。かなり勉強になった。お勧めはしないけど。
で、推しと自分の切り分けをなしえた俺は、揺らぐことなく推しの負けを受け入れられるようになった。
メンタルトレーニングの間も推しは負けていたが、推しの負けによる心の動揺度がどんどん減っていくのを実感した。
確実に俺は成長していた。仕事でも、同僚が皆嫌がる厄介な取引先に率先して突入することにより、社内の評価も上がった。
ミスをして手ひどく怒られたときも、俺の心は(あんまり)揺らぐことはなかった。
認知行動療法に確かな手ごたえを感じた。
最近では社内のメンタルトレーニングの講師を始めている。そろそろ何らかのメンタル関係の資格も取ろうと思っている。
話は大幅に逸れたが、そんな中でも推しは負けている。
しかし心は微動だにせず、落ち着いて定額課金して、トレーニングで培った圧倒的に暖かいサポートの言葉をコメントできるようになった。
推しもいつも以上に喜んでくれた。
しかし、負けている。
まぁ、別に負けることはそれほど問題じゃない。推しは負けているとはいえ、一般人からすると雲の上の存在だ。実力は凄い。
なにより、俺が推しを応援する理由は強いかどうかではない。勝っているから応援しているわけではないのだ。
人柄とか、話の面白さとか…。
まぁこれ、普通に自分に認知バイアスかかってて「長く応援しているからそれを続けてるだけ」なんだろうけどな。
別に俺が課金をやめたからって推しはそんな気にしないのではないかと思い始めた。
それは当たり前のことかもしれない。
いや、これだめだな。
やめよう。
本当は、「負け続ける推しを応援する情熱を持ち続けるコツは何か?」と聞こうと思ったんだけど、解決してしまった。
アカウントも引き上げるか。
よし終わった。
でも、あれだけ負けてるのに頑張れるってすごいよなぁ。
むしろあの推しこそがメンタルセミナーやるべきなんじゃないかと思うくらいだ。
めっちゃ通う自信あるな俺。
まぁそれはないだろうけど、試合、がんばってほしい。
地方公務員になって13年が経った。
元は民間企業の営業をしていて、諸事情があって公務員に転職した。
面接官ではないが、補佐役として面接中の受験者の斜め後ろに座って、喋り方やその他の挙動をチェックする仕事をしている。
自分のことを思い出すに、採用試験の面接では筋違いなことをして相当に苦労した。
できた!と思った面接でも、今になって思い返すと不採用にしてくれと言っているような、そんな内容だった。
受験1年目は公務員になれなかった。苦節の末、2年目でなんとか第一志望に合格できたけど、もっと早く知っておけばよかったという観点がいくつもある。
今回は、先達の1人として、地方公務員を目指す人のために面接試験で大事なことを話してみたいと思う。3点に絞って説明する。
というのも、一般人の平均を超える知能がなくては務まらないタイプの仕事が多いので、地方公務員に比べると筆記試験のウエイトが重くなる。
地方公務員にそこまでの知能レベルは求められない。ほとんどの業務は、中学校までに習うレベルの知識があれば十分に務まる。
※地域を盛り上げるためのイベントの企画・運営や、組織全体の予算を管理する業務などはもちろん除いている。
地方公務員の場合は、一にも二にも人柄や気質、人格などの人間性が重視される。理由は後述する。これが備わっているかどうかを面接で確かめることになるので、必然的に面接試験のウエイトが高い。
5段階評価で4以上の人を採用する。採用したい人の数と同じくらいしか4以上はつけないし、つかない。3を取った人は当落線上にあり、最終調整で選ばれるか、あるいは補欠合格になる。2の場合は自動的に不合格だ。少なくとも、うちの自治体で合格する可能性はない。
「筆記試験で満点近く取れたぞ!」とガッツポーズを決めることができたとしても、そんなに意味はない。仮に満点を取ったとして、面接官に「こいつ頭いいな」と思われるくらいだ。
2.どんな人が高い評価を受けるのか?
その前に、国家公務員と地方公務員の仕事の傾向の違いを述べる。ここでいう地方公務員は市の職員を、国家公務員は一般職を想定している。
・地方公務員の方が地域住民との折衝が多い。国家公務員の折衝先は法人が多くなる。ここでいう地域住民には、市会議員や工事業者なども含まれる。子ども時代に知り合った人が窓口にお客さんとして来ることは実際にある(小中学校の元担任や、高校で同じ部活だった先輩や後輩など)。
・地方公務員の方が業務の幅が広い。例えば、国土交通省だと、どこの部署に行っても、河川や道路の管理をする可能性が高いが、地方公務員の場合は、全ての中央省庁の仕事がひとつの組織内にまとまって存在する。よって、専門的な知識や技能を広く薄く身に着けることになる。
・地方公務員の方が同質性が強い。多くの自治体の場合、在籍している職員の卒業した学校(特に小中高)が被ることが多い。そのうえ、同期の1割~2割しか途中で辞めないので、どの部署にも同じような文化が定着する。例えるなら学校だ。卒業まで40年近くかかる学校といってもいい。それが市役所だ。年齢がいくつになっても「あの代は優れている。あの代は谷間の世代だ」といった話題が交わされる。
こんな世界で心も体も健康に生きていけるのは、誰とでも仲良くなれる人間であることは論を待たない。
特定の者としか仲良くなれない職員は必然的に孤立する。年を経るごとに、周りとの協調が必要になる仕事がやりにくくなり、頼られることが少なくなっていき、多くの場合は定年前に早期退職制度に応募することになる。
面接に臨む際に意識すべきは人柄だ。面接が始まれば終始スマイルを保ち、質問にはゆっくりと落ち着いた口調で最大限のわかりやすさで回答し、不明な点があればわかりませんと言い、回答に詰まったら、そのことを素直に認める。
私は凄い!とアピールしてはならない。本当に凄かったとしても駄目だ。そういうのは黙っていても伝わるものだし、面接官はエントリーシートをすでに読んでいる。
むしろ、アピールが過ぎると自意識過剰であると判断される危険がある。聞かれたこと以外は実績のアピールをすべきではない。どうしてもやりたいなら、数字で表現可能なものに限定する。
しつこくなるが、地方公務員の場合は能力よりも人柄重視で採用を行う。今では絶滅危惧種だが、かつては素行不良の公務員が多かった。市民にため口をきいたり、空残業をしたり、自宅のごみを市役所のごみ置き場に捨てたり、公用車に乗って家に帰ったり、自分は昇進できなかったので市に尽くす義務はないと宣ったり、逆に、俺は労働組合に言われて無理やり昇進させられたと言って部下にすべての仕事を投げたりといった具合に、やりたい放題の連中がたくさんいた。
それでもクビにはできない。処分できるかも怪しい。素行不良の公務員を守っている解雇規制は、同時に市民や仲間のことを思いやれる優れた職員も同時に守っているからだ。評価が低い職員がポンポン免職処分になっている官公庁があったとすれば、おそらくは政治的理由により、評価が高い職員もそれなりの頻度で免職や降格になっている。
今の40代・50代の職員は、こういう市役所の悪いOBをたくさん見ているので、同じ失敗を犯さないよう最大限に気を払っている。その対応のひとつとして、受験者の人柄を見ている。
面接に合格する可能性を高める情報しか集めてはならないし、触れてもいけない。
私の経験で有益だったのは、予備校の一室に置いてあった受験者の面接体験談だ。
この時ばかりは、高いお金を払って受講生になってよかったと思えた(社会人向けのコースを受けていた)。
今思えば、予備校講師による模擬面接もためになった。当時は、公務員ではない人間が面接指導などできるのか?と半信半疑だったが、彼らは受かる人間と受からない人間をごまんと見ている。
そんなキャラではだめだよ、と直観力をもって指摘することができる。予備校で面接指導をする講師の中には、傲慢だったり不遜だったりする人はもちろんいるが、それでも多くの講師から訓練を受けるべきだったと今では思う。
逆に、無益どころか害悪になる情報源もある。現役あるいは元公務員が書いたブログだ。
いったいどこがクソなのかと言うと――ブログ記事を読んでいてわかる。どんなに偉そうなことを言っていても、この人達は職場で高い評価を受けていない。むしろ低い評価を受けていて、その恨みつらみをブログという手段で発散している。
もしあなたが、面接対策として現役公務員や元公務員のブログを読むとしたら、この点に気を付けてほしい。そういう記述を見つけたら、すぐにタブを閉じて別のサイトに行こう。
以下に記事内容を例示する。
・残業時間が少ないと高い評価を得られない、飲み会を断れないなど職場への不満を多数漏らしている
・能力が低い職員を馬鹿にする発言(こういう人間は市民も馬鹿にする)
・副業を推奨している(アフィリエイトは100%懲戒処分案件なので特に注意する)
・給与や休暇などの福利厚生の話題や、得をする働き方など、金銭的な内容を扱った記事が多い
具体的には、これらのブログが該当する。
http://ps-kimotaku.officeblog.jp/
https://www.lifehacking360.com/
[番外にして論外]
公務員として、どんな人間が高い評価を受けるのか調べたい場合は、上に挙げたブログを読むべきではない。まして面接対策など論外だ。
逆に、これから面接対策をするにあたって効果的であると思われるブログもある。これらを挙げて結びとする。
(簡素な見た目で読みやすい。扱う内容も具体的で生々しい。下にある無料レポートは受け取らなくていい。オンライン講座への勧誘を受けることになる)
https://katigumikoumuin.com/siyakusyo-mennsetu/
(業務を進める中で起こった問題を赤裸々に表現している。後学として参考になる)
官公庁への営業活動を担当するあなたへ~元地方自治体の契約担当者による随意契約のコツ~
(元公務員のサラリーマンが書いている。実務を行う公務員の思考回路をリアルに描いている。有料(250円)だがそれ以上の価値はある)
https://note.com/innocence1/n/ne81f2831a9ae
画一的なマニュアルに沿って実施されるからだ。マニュアルがなければ、個人の経験や勘で採用活動をしてしまうことになる。だから、相性のいい面接官に出会って、個性が評価されて~というパターンは少ない。正しい受け答えの姿勢を身に着ける必要がある。
寛容であれ、と他人をコントロールすることはできないし、他人をコントロールしようとするのは良いことではない(実際的には必要悪ではあるが)。
単に居心地の良いコミュニティにしたいのであれば、コミュニケーション方法が似ている人を集めることだ。コミュニケーションのコストは高いのである。人間の脳は基本的に怠け者だ。コストが低いほど心地よく感じる。
ただ、同質化をやりすぎると長期的にはコミュニティが発展しなくなり皆で不幸になる。今の日本の企業の大部分のように。長期的、あるいはコミュニティの視点からすれば多様性が有ったほうが望ましいが、短期的な個人の視点からすれば同質的な方が快適だ。
人間、合う合わないはどうしたってある。皆が仲良く幸せに、というのは実現が困難であるからこそ理想として語られる。
不和を為す人がいるのなら互いに物理的に離すことをお勧めする。互いに見えない位置になるだけで平穏はもたらされるであろう。
経験上、物理的に離す以外の方法はうまく機能しなかった。仲裁して一時的に収まっても長期的には無理だった(別の方法があれば教えて欲しい)。
正しく冷凍してだいたい1か月で食べきるのが良いそうだ。
この数年,妻が闘病してきたけど,先日,医師団から「刀折れ矢尽きた」と宣告されたので,病状と気持ちの変遷をチラ裏として書いておきたい.
そして,原因究明にも時間がかかりすぎた.毎日会っているとわからないけど,ある日出張から帰ると妻の脚が痩せてた.脚が太いのがコンプレックスだったようなので,呑気に「よかったじゃん」と言いながら,過ごしていたのが勿体なかった.疲れ気味とも言っていたので,マッサージでもして少し休んだら?という会話をしていた.その後,家族旅行に行ったけど,そこで調子が本格的に悪くなり,帰って病院にいくと即入院になった.その後,何が原因なのか(疲労?新手の感染症?)などをさぐっていたら,あっという間に+1ヶ月半(その間入院).で,結局,血液系の癌ですね,となり治療開始.気づくと今年は夏からすぐに冬になったんだなって思うくらいの慌ただしさ.この頃は,癌かもねという話があった時に,「そうかもな」と思いつつ,治療に専念してもらうかなど色々画策.妻は好戦的で,子供のことを巡って大喧嘩も数知れず.当時は抗がん剤治療が比較的うまく行っており,妻は余裕だと考えている節があった.
冬が終わるくらいになると,好戦的なのは変わらないけど,「あれ?」ということが増えてきた.それを認めないため,休みをとって診察に同行し(それまでは口出すなって言われていたので行かないことにしていた),事情説明.検査の結果,中枢神経系の転移が起きていて,即入院.これもかなり遅かった.入院して即治療という訳にも行かず,1週間くらい待っている間に,あっという間に意識不明になった.この時は,覚悟したし,最後にまともな会話ができなくて心残りがあるって思った.けど幸い,少しずつ治療が効いて,退院できるくらいになった.正直,一安心.けど,病院側からは普段の生活面において,不穏な話をたくさんされた.
退院してからの妻の行動は,人が変わっていたと言っても差し支えがない.見ず知らずの人にやたらめったら絡んだり,商品をカバンにしまって会計しないまま立ち去ったり.その度に,妻の実家を含めて話し合って,叱ったり諭したりし,本人は反省した風だけど,3日ももたずに繰り返す.家族で買い物に言っても,少し目を離した隙にやっている(目を離すなって思うかもしれないけど,例えば,子供をトイレに連れて行ってる隙にいなくなってるんだよね).本人はもう元気になったから,私のやりたいようにするってことらしい.それは構わないけど,家族や周りに迷惑かけるなって思った.「そんなに元気なら復職しろ」(治療中は休職)って話をして,じゃあ相談しようってくらいに,新型コロナの問題で会社・医師双方からもう少し待ちましょうって感じになった.本当にこのころは迷惑だったし,妻は妻で,「あなたが言うことは間違っている」と言っていて(「間違ってたら警察のお世話にならんわ」って内心思ってた),家族で見切れないから,衆人監視で動いてもらおうって思ってた.
けど,そうこうしているうちに,再発していることが判明(これも本人が再発を認めたくなかったため,医師に伝えるのにものすごく時間かかった).前回にこれで再発したら,もう手段はほとんどないですって伝えられていて,実際に選択肢は4つくらい(うち1つは治療しない)だった.お勧め順に潰してきたけど,やはりどれもダメってことで「刀折れ矢尽きた」の宣告に至っている.先週末あたりから,頭の中がタイムスリップすることが増えてきて,今週になってその時間が多くなってきた.これがどの段階なのか分からないけど,中枢神経系に転移した時に似た既視感があり,正直そろそろかなという直感がある.自分に対しては妻とお別れに対する悲しさ,これでやっと終わりだなという解放感,妻に対しては,子供の成長が見れなくて辛いだろうなという気持ちとやっと痛みや辛い治療から解放されるねという安心感.子供に対しては,どうすればいいのか分からない(母親を失うのはどうあがいても厳しいことだろう).混沌とした気持ちになっている.
以上,チラシの裏.
既婚者の皆様,特に専業主ふのパートナーをお持ちの方は,自分だけでなくパートナーの健康管理にも気をつけて欲しいといのが教訓.あとはどうなるかは千差万別.ただし,頭の病気は本当に周りが辛い.
導入済みの人からしたら、こんな擦り尽くされた話をいまさらという感じだろうけど、自分のような世代にとっては「物心ついた時に既にあったものの高性能版」ではなく、「ある日突然、その価値の概念ごと登場したもの」だったので、価値判断ができなかったし、導入したことない人にとっては「わざわざする意味がわからないから、自分の生活と遠い世界の話だ」となりがちなので、導入の結果の生活変化の記述は触れる機会があった方がいいかと思った。
ただし条件はある。
・2部屋以上ある、もしくは日中は職場などで部屋にいない(つまり1年の1/3以上、一部屋が空く時間がある)
・清掃したい部屋の床に物が溢れていない(大型収納や棚などに収納されている)
・ふさふさのラグなどを敷いていない(ここら辺は掃除機の性能によるかもしれない)
上記条件にない人はそっと閉じて構わない、ここで閉じても別に生活が悪くなるわけではない。
ただ上記の条件を満たしている住環境なら、ロボット掃除機の導入でQOLは多分上がる。
コロナ騒動が始まってから、仕事が在宅になり、家にいる時間が長くなったので床の汚れが気になり導入した。
自分が導入したのはルンバのような高級機(実売65,000以上)ではなく、実売価格20,000以下の低価格機。
別に機種をいってもいいけど、ステマとか言われるのもなー、まあ広義でロボット掃除機という市場自体のステマともいえるが。
中華機ではない。まあそこらへんはあんまり深く拘らなくてもいいかもしれない。
↑訂正)どうやら中華機だった模様。ドローンとか作ってる会社の新子会社らしい。
国産機は高い。同じ価格帯だと充電が手動でアダプタにぶっ刺す仕様だったりする。
導入は特に面倒臭さはなく、梱包を解いたら本体にブラシをはめ、壁の一角に充電ドックを設置し、入ってきて欲しくない部屋の境界に防止用の装置を設置。
掃除開始前に床に置いてある移動可能物のいくつかを防止エリアの外に持っていき、あとはリモコンをポチるだけ。
スマホアプリで操作もできるようだが、まだインストールしてない。
90分ほど動き回って、床のチリや屑を吸い込んでくれる。
部屋の角もまあまあ綺麗になる。
これで良かったのは、
・結果健康にいい
まず一人暮らしだと掃除なんて毎日しない。週2回もすれば勤勉な方ではないか。
毎日したとしてもクイックルワイパーでちょっと拭くくらいになりがち。
ロボット掃除機の掃除は粗いのではないかと心配になるし、高級機じゃなければ尚更だけど、たとえ粗い掃除でも、モノを移動させてボタン押すだけなら毎日でもできる。
掃除はやっぱ頻度だ。2回もやれば粗い掃除でも自分で1回やるよりきれいになるものだ。
また、背が低いので手動掃除機では届かないベッドの下もスルスル入っていってくれる。
キッチンのゴミ箱の影は屑が落ちやすいが、手掃除だとゴミ箱どかし→掃除→ゴミ箱戻し→掃除再開の4手間かかるところ、ゴミ箱どかし→戻しの2手間ですむ。
これだけ毎日掃除やっててくれると、仕事が終わって部屋のソファに座る時はいつもきれい。
ここ2週間ほど、残業続きで12時間勤務を連打してたけど、そんな時こそ部屋がきれいなのはすごく助かる。
また自分はアトピー持ちであり、普段外出不能になる程の重症ではないものの、夏場はダニがどうしても増えるので患部が悪化しがちだ。
残業続きの身体ストレスで外と内からダブルパンチ状態だったが、ダニの繁殖の寝床になる物陰の埃や餌になる髪の毛、落ちた皮膚の屑などを毎日清掃してくれることにより、外の要因が減って明らかに快方に向かい始めた。
(いちおうノイズになると話がへんな方向に向かうので説明しとくと、勤務先は年中こんな勤務状況になるようなクソブラックではない。でも時々は誰かの尻を拭かざるを得ない時もある)
普及機、というか低価格機の部類なので、耐用などがどうなるかという話があるけど、たとえ2ヶ月で不具合が出たとしても、1日に割ると300円ほどでこの快適さという計算になるのでまた買うと思う。
まあ条件は初めに言った通りなので、すべての一人暮らしに適応できる話でもないが、「一人暮らしでロボット掃除機なんてオーバースペック家電では」という心配だけが障壁になっているなら、「いやいいよ、お勧め」ということで。
前回はこちら
https://anond.hatelabo.jp/20200904203318
ビジネス本を根拠として、娯楽を健全と不健全に分けるのは余計なお世話とか、「人間」と「作者という存在」を同一視するのは不健康とか、コンテンツを精神的に健康/不健康で断ずる行為はよくないなどの意見をいただいた。
特に、「私自身が敵意を持って何かを貶めたい意図を持っているので、記事そのものが精神的に不健康である」という意見には唸らされた。
一般に販売されているゲームで、自分がクリアしたことのあるものに該当はなかった。
やはり倫理基準があるので、人権侵害をメインに扱ったゲームは審査を通りにくいし、そもそも売れないのだろう。
それに、私がここに書かなくても、「グロ 残虐 ゲーム」などの単語でググってもらうと、有志がそういうコンテンツを紹介しているページに易々と辿り着くことができる。
なので、今回はフリーゲームを取り上げたい。フリゲは主に個人が制作するものなので、その人の心の健康がありありと現れる。考察にはうってつけだ。
以下に紹介する。できるだけネタバレはしない。
見た目はほんわかしているが、中身はエログロ(特にグロ)。見た目はMOTHER2のような暖かい印象を受ける。
プレイを初めて1時間以内に、このゲームの異常性に気が付くことだろう。気持ちが悪いタイプの異常性ではなくて、続きが気になるタイプの異常性だ。
ネーミングセンスが独特であり、作中の随所に現れる。
どこが精神的に不健康なのかといえば、ストーリーの救いのなさだ。特に2。1と3は、グロ展開を挟みつつも笑えて感動できる物語なのだが、2はとにかく救いようがない。
特にラストステージ。人によっては恐怖で進めなくなる。ニコニコ動画の実況プレイ動画にも、「怖すぎて〇〇さんの動画に来ましたwww」といったコメントが並んでいる。
私自身も当時は震えた。深夜1時頃にクリアしたのだが、翌日にあった英語の演習でミスを繰り返したのを覚えている。
あの時の私は、恐怖を感じていたんだろうか?
違うと思う。あのラストステージというのは、ぱりぱりうめというキャラクターの抱える苦痛や嫉妬や絶望や愛や夢が、画面を通じてプレイヤーを殴りつけるとしか言いようのない展開だったのだけど、その感情に心を揺さぶられたのだ。だから涙が止まらなかったのだと今では思う。
大学生4人(男2女2)が旅行に行く。そのうちの一人が入巣(いりす)京子。旅行先で楽しんでいる途中、事件が起こって1人ずつ行方不明になっていく。
パズルゲームでの得点によって物語が分岐する。バッドエンドだと、いりすが友人を したのを示唆するEDになる。高得点を取ると、行方不明は友人たちによる仕込みであったことがわかる。サプライズな誕生日パーティーをしたかっただけなのだ。
プレイを続けていると、ゲームフォルダ内のデータが少しずつ置き換わっていることに気が付く。テキストファイルや画像データが現れたり消えたりする。
最後までプレイすると、いりすのキャラクター性や、旅行について考えていたことや、男側の主人公であるうーじの抱える闇が明らかになっていく。
いったいどこが精神的に不健康なのかというと、〇〇と見せかけて、実は〇〇でした!みたいな展開の連続であり、特にその裏側に残虐性(しつこいようだがネタバレはしない)が潜んでいる。
以前の作品である「愛と勇気とかしわもち」でもそうなのだが、プレイヤーを悪い意味でビビらせることに全力を注いでいる。
プレイヤーの心臓に冷たい何かが突き刺さって、心臓が凍り付いて、血管が破裂するような恐怖を味わわせることに作者は快感を覚えているのでは?と邪推せざるを得ないほどに、このゲームはプレイヤーを驚かせてくれる。
数あるフリーゲームの中でも最大級の――精神的に不健康な作品だ。
ゲーム冒頭の説明にあるように、精神疾患の人や未成年は絶対にプレイしてはいけない。一般の人にもおすすめできない。やっていいのは恐怖を快感に変換できる人だけだ。
体調がおかしいと思ったら、プレイしている最中でも中止すべきだ。例えば、2周目に入ったあたりで、「ここで止めたら負けだ」とか、「モニカ、てめーは絶対○す」などの感想を抱くかもしれないが、それでも途中でやめるという選択はありだ。
作者、特に2周目の恐怖演出を担当した人間の悪意が突き刺さってくる。どのような理由でも説明できないほどに悪趣味な演出だった。
「このゲームを作った人たちは、学生時代に苛めや虐待などのひどい目に遭って、社会に恨みを持つようになったんじゃないか? だから、こんな残酷なゲームを作って社会に復讐しようとしたんじゃないか?」
私はそう推測した。
「違う。このゲームは高い評価じゃないか」という意見もあると思うが、典型的な確証バイアスだ。別の言葉で言えば、コミットメントと一貫性。
プレイヤーは、恐怖と戦いながら数時間~数日をかけてゲームをクリアする。敵だと思っていた存在は、自分のことを(以下略)。ハッピーエンドではなかったけど、恐怖に打ち勝ってこのゲームをクリアできた。俺はチキンじゃない!
終わり良ければ総て良しという言葉がある。悪趣味な演出にどれだけイライラしたとして、最後までクリアしてしまった後で、このゲームをプレイした時間が無駄だったと認めることはできない。
そんなことをすると自分は愚か者だったことになる。だからこそ、個性的なゲームだったね、just monicaだったねと高い評価を与えることで、自分の考え方と行動に一貫性をもたせようとする。それがこのゲームが高く評価される理由のひとつだ。
今までにないタイプのゲームだったのは間違いない。ホラーゲームが好きな人にとっては珠玉の一品だったと思う。私も、このドキドキ文学部!に評価を投じた。★4つだったと記憶している。
名前だけは聞いたことがあると思う。エログロかと言われればそのとおりだ。
この作品は、上下巻の約700ページ(しかも行間がほとんどない)に渡って以下のような展開が続く。
①ジュリエット(とその仲間たち)が乱痴気騒ぎを起こして一般人を強姦したり殺したりする
②騒ぎの最中かその前後のパートで、ジュリエット(とその仲間たち)による哲学論議が行われる
③ジュリエット(とその仲間たち)が不仲になって仲間を殺す。あるいは新しい仲間を作る
エログロ小説と世間では見られているが、実は哲学小説だ。作者であるマルキ・ド・サドは貴族出身でありながら、変態行為が露わになって逮捕→投獄というパターンで小説を書き始めたタイプの人だ。
この小説が有名になった理由のひとつは、サド自身が社会に対して抱いていた恨み(今でいう反社会性障害?)から生じるエログロ描写の反面、その知性や教養から精緻に描かれる人間社会に対する哲学的な理解の鮮やかさが奇妙なほどマッチしていることによる。
哲学的な描写の例として以下の例を挙げる。主人公であるジュリエットの序盤の師匠であるデルベーヌ夫人の科白だ。この小説のキャラクターは喋りの量が半端ない。ドストエフスキー並みだ。
※一部のみを抜き出した。この場面の文字数は引用箇所の軽く数倍はある。
「まあ!」とあたしはデルベーヌ夫人に申しました、「それではあなたは、御自分の評判などどうなったってかまわないほど、無頓着でいられるというのですか?」
「そのとおりよ、あなた。本当のことを言うとね、あたしは自分の評判がわるいという確信をもてば、ますます内心で愉快を覚えるの。そして評判がよいと知れば、まあそんなことはないでしょうけれど、きっとがっかりするでしょうね。いいこと、ジュリエット、このことをよく覚えといてちょうだい、評判なんてものは、何の役にも立たない財産なのよ。あたしたちが評判のために、どんな犠牲を払っても、けっして償われはしないのよ。名声を得ようと躍起になっている者も、評判のことなど気にかけない者も、苦労の多い点ではどちらも同じよ。前者はこの貴重な財産が失われはすまいかといつもびくびくしているし、後者は自分の無関心をいつも気に病んでいるの。そんなわけで、もしも美徳の道に生えている茨が、悪徳の道に生えている茨と同じほどの量だとしたなら、いったいなぜこの二つの道の選択にあたしたちは頭を悩ますのでしょう、あたしたちは自然のままを、思いつくままを、そのまま素直に信用していればよかりそうなものじゃありませんか? P.16
今時の心理学の本に載っていそうな感じではある。アドラーの『嫌われる勇気』に通じるものがある。
悪徳の栄えで論じられている思想はニーチェやハイデガーに通じるものがある。この世に存在し続けるものに重きを置いている。
私にとっては面白い小説ではなかった。万人にお勧めできるものではない。というのも、哲学的な論考はあるものの、残虐な場面や、人間的に醜い描写が多く登場するからだ。
今のコンテンツでいえば、『ダイナー』が一番近い。ダイナーを哲学的な内容にすると現代版の悪徳の栄えになる。
私が読むのをやめようと思いかけた場面のひとつを挙げる。ジュリエットが、師匠の一人であるノアルスイユという金持ちに気持ちを打ち明けるところだ。
※上を含めて、引用箇所を探して打ち込むのに2時間半もかかってしまった…いずれにしても引用が多すぎる。これで最後にする。
「おお、 ジュリエット、おまえはまだ全部を知ってはいないからそう言うが……」
「なら全部すっかり話してください!」
「おまえの父御さんや母御さんのことだがな……」
「どうしたと言うんです?」
「生かしておいてはおれのために都合が悪かった……息の根を止めてしまう必要があったのだ。で、二人ともばたばたと死んでしまったのは、おれが彼らを自分の家に招いて、ある飲物を飲ませたからだ……」
ぞっとあたしの総身に冷たいものが走りました。だがすぐに、自然があたしの心の奥底に刻みつけた、極悪人にふさわしいあの無感動な冷静さで、あたしはノアルスイユを正面からじっと見据えながら、「人非人! 何度でもこの名を繰り返してやりたい」と叫んでおりました、「あなたは見るも怖ろしい男です、でもあたしは、そういうあなたをやっぱり愛しております」
「ああ、そんなことあたしに何の関係があるのでしょう? あたしはすべてを感動によって判断します。あなたの兇行の犠牲となったあたしの家族は、あたしに何の感動も生ぜしめてはくれませんでした。けれどあなたがあたしにしてくれたあの犯罪の告白は、あたしを熱狂させ、何とお伝えしていいか分らないほどな興奮の中へ、あたしを投げこんでくれました」 P.57~P.58
ノアルスイユはジュリエットの父母を殺している。そのせいで、裕福だったジュリエットは修道院に送られて貧しい生活を送り、やがては売春宿で働くことになった。
その原因を作った張本人であるノアルスイユに対してこのような言葉を出してくるところに、この悪徳の栄えの醜悪さを感じた。読者をダークサイドに送り込もうとしている。
物語の中で悪事を働く人間の基本になっている考え方のひとつに、「悪事をする人間は自然に有益である」というものがある。考え方自体はとんでもないのだが、文学者が翻訳を務めている関係でやたらと格調高い文章になっており、それが読者の心に響いてしまう。
年末年始を使って上下巻を読んだのを覚えている。今では読むべきではなかったと後悔している。
いわゆる鬱小説というやつだ。心が痛くなるコンテンツ。とにかく痛い。この本も読むんじゃなかった。アマゾンで高評価がついていたので出来心で買ってしまった。
この小説のいったいどこが精神的に不健康かといえば、「いたいけな少女をいたぶること」を主眼に置いているからだ。
アメリカの田舎町に暮らす主人公のデイヴィッド(12)。ある日、隣の家に住んでいるルースのところに、両親を亡くしたという快活な美少女メグ(13才以上)が妹のスーザンと一緒に引っ越してくる。デイヴィッドはメグに心を奪われる。ザリガニ釣りから始まって、次第に仲を深めて、お祭りの観覧車に一緒に乗る。花火が綺麗、みたいな描写だったのを覚えている。
という言葉が脳裏をよぎった。まだ未成年だった頃、某動画サイトにアップされていた『true tears』というアニメを見ていた。眞一郎と乃絵が仲睦まじくしている様子を見て、ほかのみんなが一斉にこのコメントを打ち込んでいたのを思い出した。
この小説は、読者に精神的な苦痛を与えることを目的として、メグに対してありとあらゆることをやってのける。
メグは何でもされる。肉体的な苦痛から精神的な苦痛まで、何でも揃っている。
巧妙なのは、このメグというのが優秀設定のキャラクターであることだ。
運動神経は抜群で頭がよく、そのうえ美少女ときている。いわゆる利発キャラ。例えば、虐待が始まってすぐの段階で地元の警察に相談に行っている。普通の子どもはこういう行動を取ることはできないだろう。
実際、一度はルースの家から脱出に成功しかけるのだが、障害持ちのスーザンを気に掛けるあまり失敗してしまう。
ルースやその子ども達からの虐待はさらに苛烈になるが、デイヴィッドはただ観ているだけだ。傍から虐待されるのを眺めるばかりで何もできない。親に相談しようとするも、恐ろしくてできない…
この小説を読んでいる間に心が相当削られた。品性下劣という感想を抱きながらも、最後まで読まないといけない気分になっていた。悔しいが作者の勝利だ。
今回の記事を書くにあたり、隣の家の少女について調べたところ、ネットフリックスに映画があるらしい。今度見てみることにする。
作者である上原善広の父を主人公に据えたノンフィクション小説。ということになっている。物語というよりは、作者が精神的に不健康な例だ。
あらすじとしては、牛の解体場で働く上原龍造が、自らの腕だけを頼りに食肉業界の経営者として成り上がっていくというもの。
昭和の時代の話なので、解放同盟や共産党や右翼にヤクザが出てくる。彼らと渡り合いながら、少年だった龍造は成長を遂げてゆく。
問題なのは、ノンフィクションと謳っておきながら創作であることだ。
作中では、実際に存在した人物の名前や経歴が書き換えられている(ex 作者の父の名前は龍造ではない)のみならず、解放同盟支部の結成年や支部名その他、多くの事実に誤りがある。
作者と新潮社は解放同盟から怒られた。出版元である新潮社はHPで謝罪文を出している。作者である上原氏もnoteで反省文を書いているが、はっきりいって反省していない。
巻末のところで実父に関連して、自分の来歴や、元嫁や兄について語っているのだが、なんというかもう、ツッコミどころが満載なのだ。本編を読む前にこれを読んでいたら、一生読むことはなかったと思う。
(一時保存できるかと思って登録ボタン押したら投稿されてしまった。やり直しだけど許してください。匿名ダイアリーよくわからん)
一言でまとめると:
だけの文章です。
これを見た人の貴重な時間を無駄にしたくもないですし、暇な方、現実逃避したい方、他人の不幸が好きな方、タイトルに同族嫌悪を感じた方、高学歴ブスが性癖の方以外は読まないことをお勧めします。ちなみに、私は12時間後に締切が迫っている仕事(持ち帰り無給残業)からの現実逃避で書いています。
あと💩トラバはもう飽きた。
スペック:
30歳女
東大の理系博士卒(学科や専攻は伏せるけど、一応全部ストレート)
すんげー不細工
ブスについて(嘆き):
まずは、どのくらいブスかと言うところから説明しておく。この前提を言わない限り、以降のエピソードがイメージし難くなるだろうから。
小学校か中学校の頃の同級生を思い浮かべてほしい。1人くらい、孤立していて、男子からも女子からもなんとなく嫌われていて、見た目も挙動も不審なクラスメイトが居なかっただろうか。そいつが私だ。
目つきがおかしく、滑舌が悪く、コミュニケーションに難がある。鶏が先か卵が先かわからないが、顔の造形も醜かった。目がほぼ見えないくらい細く、前歯が飛び出し過ぎていたため唇は閉じられない。鼻は潰れ、鼻の穴だけが哀れなほど前を向いていた。あとからわかった事だが、先天的な眼瞼下垂と軽度の顎変形症に該当していた。
これまでの人生:
地方都市に住む、世帯平均収入を3割ほど下回る両親の下に生まれた。父はモラハラDV、母はメンヘラ、私はブス人外。
小〜中時代は、とにかく男子に虐められていた。聞こえよがしの悪口、唾を吐きかけられる、石とかドングリとか投げられる。今思うとドングリ投げるとか可愛いね。女子からは芸人枠に指定されていた。芸人を目指そうなんて全く思わなかったが、需要に合わせておもしろキャラを演じていた。そこそこウケていたと思う。
テストは全教科常に満点だったが、学校生活の態度を加味したらしい成績はよろしくなく、期末の成績はいつも中の下くらいだった。なぜか担任の教師にはいつも嫌われていたようだった。それで自分は勉強も苦手なんだと思っていたが、中3の模試の成績がよかったのをきっかけに、地元の進学校を目指すことになり、受かった。喜ぶ両親を前に、私にも多少は優れた点があるんだと、15年生きて初めて嬉しくなった。
高校は県内3番手の公立進学校だった。自転車で通える範囲で一番偏差値が高かったというだけの理由で選んだ。
ここでも、私はブスだった。クラスの7割を占める男子からずっと嫌われ無視されていた。気持ち悪い、と聞こえよがしに言われた経験も数知れない。女子はいくらか大人だったので、芸人枠からは降りられた。それでも仲良くはなれず、基本的にぼっちだった。テスト前だけノート貸出希望者が大量発生した。レンタル料でも取れば良かった。
そのまま3年間ずっとガリ勉していたら、東大に受かった。天才でも秀才でもない、ただのガリ勉女だ。そのくせ「東大生」になればキラキラ(笑)したキャンパスライフ(笑)が待っていると思い上がり、両親を説得して上京させてもらった。貧乏な実家から東京に娘を送り出すのはとんでもなく大変だったらしい。ギリギリまで、地元で進学して公務員になってくれないかと泣かれた。キラキラ(笑)妄想のために、今思うと親不孝なことをした。
18歳で、人生初の東京へ出て、人生初の一人暮らしをして、この先のキラキラ(笑)した大学生活に胸を躍らせていた。実際には、そんな非現実的な夢は入学10日で吹っ飛んだが。当然のことだか、現実直視できない情弱のブス女には、地獄の3年11.5ヶ月が待ち受けていただけだ。
なんか思い出すのも疲れてきたわ。こんな人生に誰も興味ないと思うが、万一反応があったら続き書くかも。この先もさらなる地獄しかないけど。
ん?(深読み)
要課金、良いね数が表示されるペアーズよりTinderの方が男女平等でお勧めやで。
(男性でペアーズ60良いねくらいだと、向こうから月5~10人メッセくる。だけど向こうが無料でかつ良いね数も多いから、態度がでかい人が多い)
今年だけでも1000人以上のアーティストの曲を聴いて
当然、1000曲以上の「ラブ」「これと似たおすすめを減らす」をしているわけなんだけど、
ヘビロテ (自分の年間リプレイランキング https://replay.music.apple.com/jp に入っている) で聴いているアーティストのアルバム曲とか勧めてくるんですけど????
つーか、Apple Music を5年続けて、Apple Music にお勧めされて
知らなかったかつ好きになったの Mili と PassCode の2つだけなんだけど?????
しかもワイのヘビロテで聴いている曲のランキングは9割が洋楽なのにナゼ邦楽なのかっていう???
まぁ知れてよかったけども
しかし、5年で2つだけって死ぬほど使えねぇ機能じゃない????