はてなキーワード: お勧めとは
そりゃあるやろ。大豆でも豆腐は大丈夫だけど豆乳はダメとかあるし
酵母が合わんのか酒に含まれる果物や添加物が合わないのかは知らん
酵母アレルギー
昨日の塩麹のブームの火付け役になった人がTVで取り上げられていましたが、味噌、醤油などの発酵食品は身体によいと思いこんでいる人が殆どだと思います。しかし、酵母菌がアトピーや喘息の発症因子になっている人が時々おられます。即時型アレルギーの場合、口にしてすぐに症状がでるので自覚できますが、遅延型アレルギーの場合は食べてから半日から数日して症状がでるのでどの食品が犯人なのか分かりません。遅延型アレルギーの検査(IgG抗体を調べる)は日本ではできませんのでアメリカに検体を送らないといけません。そのためコストがかかりるのが欠点ではありますが、原因物質が判ればあとはそれを除去するだけで皮膚炎が劇的に改善するケースがあるので長い目で見ればやって損はない検査です。
先日もビール酵母の強い反応がでていた患者さんが、味噌、日本酒、納豆などの酵母由来の食品を除去したら劇的に皮膚炎が改善した方がおられました。交差反応といって、同じ系統のものにも反応を起こすことが知られていますので、ビール酵母だけでなくその仲間の酵母由来のものも控えていただかないといけない場合があります。
難治性のアトピー性皮膚炎、大人になってから発症した喘息、慢性的な微熱などでお困りの方は一度IgG抗体の検査をお受けになることをお勧めします。
[gdm clinic] http://www.gdm-clinic.com/2017/03/post_515.html
これからするのは非常に複雑で難しい話だ。
まず「ゲイに掘られれば」は異性愛者に同性愛を勧める発言であり、所謂「性的指向」が後天的に変更可能である事を肯定する発言である。
一方でロリコン、ペドフィリア等は「性的嗜好」と呼ばれ、主に後天的である事によって「性的指向」と区別される。
以前、ロリコンの窮状がLGBTに例えて説明された際に「ロリコンは性的嗜好であり、LGBT等の性的指向とは異なる」「一緒にするな」といった批判がフェミニズム等から上がった事が有った。
しかし先に示した非モテ男性に対する「ゲイに掘られれば」発言もまたフェミニストから上がっている場合が散見される。
どちらか片方の正当性の検討は置くとして、両方を正しいと主張することは出来ない事を示す。
非モテ男性と非モテ女性に関する議論において、非モテ男性に対し「(そんなにセックス出来ない事が辛いなら)ゲイに掘られれば」といった発言が幾つか上がった。
発言者の内一部はフェミニストであった訳だが、件の発言は非モテ男性に向けた物であり、当然そこにはヘテロ男性も含まれる。つまりヘテロ→ゲイの性的指向の変更を推奨する物だった。
性的指向と性的嗜好は主にその先天性により区別され、通常、性的指向は先天的であり、変更不可能、性的嗜好は後天的に変更可能である事によって区別される。
件の発言はヘテロ→ゲイという変更が後天的に可能であり、「ゲイになる事」を選択可能であるとする判断に基づく。
従って件の発言は、ゲイは後天的に変更可能な性的嗜好であるか、もしくは性的嗜好と性的指向は区別されないとする主張を含むものである。
(また、これはゲイ→ヘテロの後天的変更の可能性を示唆する物でもあり、だとすると別の意味で大問題である。ゲイに対する「ヘテロになればいいのに」という発言の許容にもなり得るのだ)
以前、ロリコンの辛さや差別的扱いを説明する際にロリコンの立場をLGBTに置き換えた物がネット上で幾つか主張された。
その際のロリコン攻撃者(主にフェミニストや女性)の反応は「ロリコンとLGBTは違う」「一緒にするな」という冷淡な物だった。
ロリコンは性的嗜好であり後天的に変更可能であるが、LGBTは性的指向であり後天的に変更不可能だから、違う、という事だ。
(尚、もう一つ理由として挙げられがちな「欲望を叶えることが犯罪になるか否か」については後程触れる)
しかしこれは当然前件と矛盾する。もし仮に、「ゲイに掘られれば」発言を肯定し、且つ「ロリコンとLGBTは異なる」と主張している人が居たら、どちらかは論理的に撤回しなければならない、という事だ。
ではどちらを撤回するのか、予想してみよう。
恐らく多くのフェミニストにとってより大事なのは後者だろう。また、そもそも前者は別の理由でゲイ差別的であると批判され得る危険な発言でもある。
よりリスクが少ないのは前者の撤回であるので、そちらをお勧めする。
性的指向・嗜好の違いの他に、ロリコンとLGBTを区別する理由として「欲望を叶える事が犯罪に直結する」事が上げられがちである。
しかしこれもまた今回の文脈では実は主張することが難しい。文脈とは「非モテ」である。
「ゲイに掘られれば」発言は非モテ男性による「非モテ女性は存在しない」とする主張に向けられたものだった。さて、「非モテ」が欲望を叶えることは犯罪に直結するだろうか?
その人間が非モテであり続ける限りは直結するだろう。性交に同意可能な異性がいる状態である限り「非モテ」とは言えないので、その欲望を叶える事は同意を得ない性交つまりレイプに成らざるを得ない。
(もし「性交に同意可能な異性がいる」かつ「大事にされる等の性交に依らない恋愛的承認が得られない」状態も非モテに含めるとしても、その欲望の成就は「(恋愛的承認を得られない状態における)恋愛的承認の享受」である為、実現が不可能であるか、洗脳等の非倫理的な手段を要する)
従って、「非モテ」とは「ロリコン」と同様、「欲望を叶える事が犯罪に直結する」属性である事に成る。
フェミニスト或いは女性の一部は「非モテ女性は存在する」と主張したい訳だが、そうすると、その女性は「欲望を叶える事が犯罪に直結する」存在であり、
これまで自身達がロリコンに対してしていた「その欲望自体がギルティである」「欲望を公表する事も止めるべきである」とする主張が非モテ女性にも向いてしまう事に成る。
非モテ女性が「異性にモテたい」と言う権利を奪ってしまう事を是とするか否か、恐らく多くは否とするのではないか。
(また、私は女性を「性欲の無い清純な存在である」という神聖視を悍ましいものと考えるので、女性にも性欲は存在すると考えている。その場合、非モテ女性も「セックスしてぇ~」と主張したい場合もあり得るだろう。
それもまた彼女が非モテ女性である限り「欲望を叶える事が犯罪に直結する」欲望の告白に他ならない訳だが、その権利を私は彼女に認めたいし、多くのフェミニストもそうである事を願う)
だとすれば、「非モテ女性は存在する」か「ロリコンはその欲望を公表するべきでない」のどちらかは否定できなければ、論理的な正当性を主張できない。
以上は複数の論題に渡り論理的な整合性を保つべきという規範に乗っ取った議論であり、
恐らく多くの人(フェミニストや女性を含む)にとって非常に複雑で難しい話だと思う。従って理解されない事も有り得るだろう。
例えば「こういう問題を一緒にするべきではない」とあなたは考えたくなるかもしれない。
けれどもそれは自死の道である。「複数の異なる問題の間に論理的な整合性・一貫性を求めるべきではない」という規範は、あなたの批判の大部分をも無効化してしまう。
あなた自身も「複数の異なる問題の間に論理的な整合性・一貫性を求めるべきではない」事に成ってしまい、あなたが誰かの異なる問題に対する態度の違いや一貫性の無さを批判したい時にも、その規範は適用され、批判は意味を失くしてしまうのだ。
矛盾には一つの問題内での矛盾と、複数の問題間の矛盾があるが、当然ながら後者の方が多い、それをみすみす手放し、前者のみしか批判出来ない様自分を縛ってしまっては、
あなたは多くの批判を手離してしまう事に成る。そのようなリスクに見合う程、今回の議論の否定は大きなものではない。従って、受け入れる事をお勧めする。
ここで語りつくすことは出来ないが、興味深い論点が有る為、補記として残しておく。
ロリコン或いは女性を性的に消費するコンテンツにおいて、読者や視聴者に与える後天的な変更が取り沙汰される事が有る。
例えば「ロリ漫画はロリコンを増やす」であったり、「風呂覗きの描写は男性児童に悪影響を与える」等である。
一方で先日の足立区議会での自民党議員の発言の様に、「(コンテンツや制度的な承認により)LGBTが増える」事を危ぶむ差別的発言があった際、
「そんな事でLGBTは増えない」「あなたの生活は何も変わらない」といった反論が上がる事が有る。
これ等はLGBTの先天性を根拠の一つとして主張されるわけだが(それ故、「ゲイに掘られれば」発言による後天的なヘテロ→ゲイの変更は、これらの反論に真っ向から対立してしまう非常に危うい発言である訳だが)
この時、その先天性自体を否定する言説が現れた際、その言説に求めるべきエビデンスとは何であろうか?
通常、ロリコン或いは女性を性的に消費するコンテンツの影響を論じる際、「統計等のエビデンスを挙げろ」といった反論がされるが、多くの場合は無視される。
つまり、(その状況を肯定する限り)ロリコン或いは女性を性的に消費するコンテンツによる後天的な変更の可能性にはエビデンスは必要ないという事に成る。
これと同じ規範を適用すると、「(コンテンツや制度的な承認により)LGBTが増える(後天的な変更は発生する)」という主張にもエビデンスは何ら必要ないという事に成る。
もしLGBTの先天性を事実として保護したいのであれば、LGBTへの後天的な変更が可能とする主張にはエビデンスを要求する必要があり、
そのような規範を持つ限り、ロリコン或いは女性を性的に消費するコンテンツによる後天的な変更の可能性を論ずる際にも、エビデンスは必要と考えない訳には行かないのである。
今回はここまでにしておくが、とあるコンテンツや制度による受容者への影響、またはそれらを論ずる際に必要とするべきエビデンスの問題は、
LGBT等への配慮の問題と関係するという点でこれらの論点は非常に興味深い。
これまで主にリベラル側で軽視されてきた強力効果論等のメディア強化論のエビデンスの重要性について、再度一考するインセンティブがリベラル側にも現れたという事なのだ。
私は20代後半女性。恩師であるE先生は今は50代になるだろうか、親より少し下の世代の女性。私立女子校の保健室の先生で、私の進路決定に大きく影響を与えた存在である。
私がその学校で生徒だったのは10年ほど前のこと。中学受験で入った学校に1時間かけて通学したものの他の生徒と馬が合わず、クラスや部活で馴染めないどころか「場面寡黙」のような状態になってしまった。気は強かったので、そんなことで不登校になってたまるか、と踏ん張っていたが遂に中学2年の初夏に心が折れてしまい、保健室に入り浸るようになった。
そのとき様々な声かけをし心理的ケアをしてくれたのがE先生で、私は彼女に憧れて看護学部を受験し、現在は看護師をしている。
看護師を数年したら養護教員(保健室の先生)になるだろうと高校時代は思っていたものだが、大学時代に就活をするときには一度そのことは消し去ってみた。だけど一度夢にまでみたこと、資格は“一応“持っているので、叶えてみるのが過去の自分のためだと思い転職活動を開始したのがここ1年のことである。そして新型コロナウイルスの流行があり、学校保健においては大変なことであろうと思い、E先生のことが思い浮かび、お元気だろうか、と様子伺いを兼ねて近況報告を送ることにした。
E先生はクールな方だけど、内面はとても豊かな人だったと思う。
ただ、さっぱりしすぎていてなのか、仕事上(教科・学級担任と異なり全校生徒を相手にする)致し方ないのか、年賀状を送りたいだとかEメールアドレスを教えてほしいだとかお願いしても、全く個人的な連絡先を教えてくださらなかった。
「学校に送ればいいわよ」とか「学校に来れば私はいつでもいるわよ」とか仰っていた。他の教師たちはというと、携帯やSNS禁止の古風な学校のくせに、数年前に訪問してみるとLINE交換を迫ってきた、なんてこともあった。
そういうわけで、E先生宛に手紙を書いた。もちろん個人的な連絡先を知らないので、宛先の住所は学校にした。私学だから転勤もないし、ほかの先生から消息は伺っている。
同じ県内に住んでいるので、1日もあれば届くだろう。
お返事は週明けには来るだろうか?
そんなことを考えた。
が、1週間経っても、2週間経っても、シルバーウィークを挟んでも、返事は来ない。
前述の通り、クールなお方だから、と思って、松任谷由実の「返事はいらない」さながら、返事は期待せずに手紙を書いたし、ポストに投函した。
だけども、どうしても、返事がこないとソワソワしてしまう。
私は平成1桁生まれ、とはいえ、ジャストなデジタルネイティブ世代で、物心がついたときにはダイヤル回線でポストペットがメールを運んでくれるような環境だった。
大学に入って最初の数ヶ月こそ「メーリス」を多用したが、だんだんLINEが普及しはじめ、LINEが主流の通信手段である。
仕事を始めれば職場ではメールを使うが、いま私の周囲で即時性のないやりとりはその程度。
別件で、他の恩師からコロナ禍で病院で働く私の身を案じるお手紙をいただいた時には、速攻でお返事を書いて出したくらいの即レス魔なのである。
E先生から返事が来ず悶々とし、私はインターネットの大海から「手紙」の返事を「待つ」という行為についての記事を探しまくった。スマホに穴が開くほど、といいたいところだが実際には私はかなりの睡眠時間を犠牲にした。
LINE、Twitter、4G通信、メールですら「センターに問い合わせ」をしなくても届く時代。
即時的な現代でわざわざ手紙を送るという行為は、待つ時間をも味わい、愉しむ必要があるようだ。
そして、手紙というものは、一方通行であることをある程度覚悟する必要があるらしい。
こういう話は、文化人類学にでもなるのだろうか?
毎日ポストを、封筒が入っているのを十分想像しながら開ける。そんなことをして早1ヶ月。
そういえば、E先生はお勧めの本でミヒャエルエンデの「モモ」を紹介していたっけ。時間の大切さを題材にした物語だったと思う。
E先生が返事を送ってこないのは、メッセージがあってかどうかは知らない。が、もう少し待ちながら、自分のことをまた一生懸命やってみようではないか。
元増田だけど個人的にはみんな大好き 香山リカ センセー が解説を寄せている本がお勧めだよ
https://www.amazon.co.jp/Supernormal-Untold-Story-Adversity-Resilience/dp/1455559156
心理学者メグ・ジェイ博士の『レジリエンス』に関する画期的な新しい研究です。
子供時代のさまざまなトラウマを克服し、人並み以上の社会的成功を収める多様な人々のグループの物語を語っています。
これらは、子供のように平均以上の苦難を背負っている "スーパーノーマル"であり、期待に反し、大人として平均以上の成功を達成しています。
メグ・ジェイ博士が私たちに紹介する人々は、すべてのサバイバー(生存者)です。
彼女は、サバイバーが幼少期のトラウマを克服し成功した大人の生活を構築を可能にした共通点を探ります。
そして彼女は質問をする。そのような力を開発するために何を犠牲にしたのか?
そして、生き残り、さらには生き抜いた後、どのようにして信頼され、充実した人生を築くことができるのか?
メグ・ジェイ博士は、個人的、科学的、文化的な知識と共に "スーパーノーマル" の経験に声を与え、より良い自分自身を理解し、
彼らの強みを最大限に活用するためのツールを提供し、それらを理解しようとする人のために彼らの世界への窓を与えます。
ネグレクトによって発生する問題(電気ガス水道・学費・食事・暴力)を解決しないと文字通りの意味で死ぬ、あるいはさらに厳しい立場に置かれることになる。
なので、自分自身の 主体的に動き問題を解決する『習慣』『能力』は 厳しい環境によって磨かれた感はあるよ。
同じサバイバーのみなさまにおかれましても『辛い経験も意味があったんだな』って思って貰えると幸い。
ただ、辛い経験も意味があったんだなって思って貰えると幸いと同時に『生まれつきの要素は大きい。人間には個性がある』とも思っているよ。
ストレッサーに暴露されても健康的な精神状態を維持する力(抵抗力)と回復力はストレス感受性と同じく “生得的(遺伝要素)なもの” だと思うよ。
いま辛い環境にある人が『自分自身の気合い・努力が足りないから』とは思わないで欲しいよ。
考え方・経験以前に、ストレス感受性には生まれつき個人差があるよ。足が速いとか遅いとかそういうのと同じ個性だよ。
なおこの手のストーリーが好きな人にお勧めする、精神医学の医書はこちら。
いわゆる更年期ババアなんだけど、更年期なの気付かなかったよね。
家庭環境が夏に激変したから、そのせいかなって漠然と思っていたけど、
やる気のストックが完全になくなっていて、資料を10回くらい見ても全然頭に入らないの。
とにかくやばかった。
んで、久々に生理痛がひどくて、胃の調子も悪すぎていつものは飲みたくなかったから、
漢方系飲むかーって、いわゆる血の道系のやつ買って飲んだのよ。
そしたら、次の日にしびれるようなだるさがちょっと楽になってた。
んで、試しに続けて飲んでみたら、日に日に状態が良くなるのよ。
頭痛は3日でなくなって、やる気は2週間くらいで少しずつ戻ってきた。
薬やばい。
今、1か月くらい経つけど、鏡を見て何かを思う元気が出てきたらしく、
けば立った鶏みたいな自分を見て打ちひしがれている。
美容院を予約する気力すらなかったから、仕方がないといえばそうなのかも。
年かさの女性に対して「更年期だからイライラしているんだよ」って嘲笑の言葉があるけど、
本当にそうだったんだなと実感したわけで。
イライラっていうか、だるくて出社しているのに!みたいな気持ちだけどね。
身の回りのそんな感じの方々に、婦人系漢方薬をお勧めしていきたいけど、
自分更年期良くなったから、あなたもどうぞ!とかいうと、絶対に怒られそうなんだよ。
会社の同期前後の人々、若く見えることに血道をあげている人多いから。自分もそうだけどさ。
更年期って言葉が、「お前はもう年寄りで、社会の主役から外れるんですよ」みたいに感じるから、
どうしようもないんだけどさ。
月々数千円で、体調良くなるよ!
この日記は匿名だから元の記事(ペンネームだけど)ほどの責任はない事を最初に述べておく。
レントゲンを細かく10枚(デンタル10枚法)で撮っているところがいいというところ。
1枚のパノラマ断層撮影ではダメだって言うけど、目的が違うので比べてはいけない。
上顎洞(歯と鼻の間くらいのところ)や顎関節、唾液腺などはパノラマ断層撮影しか写らない。
最初に広い範囲を撮って必要な部位を細かくとるほうがバランスがとれていると思う。
(保険では10枚法とパノラマは特別な理由がないと同時には撮れない)
それよりなにより、
日本ヘルスケア歯科学会認定の歯科医院とか、歯科衛生士がお勧めっていう記述だけど、これは同意できない。
学会の名前すら知らなかった。知らないから会員も認定医院も少ない。
目指していてもなかなかとれない資格っていうわけじゃないので、評価の対象にならない。
たぶん、筆者はここの会員でもしかするとコアメンバーなんだろうな。
仮に素晴らしい歯科医院だったとしても、会員医院が488、認定医院が62だから、全国の人が探してまでいく必要は無い。
日本ヘルスケア歯科学会のステマかな。会員が増えないと会費とれないもんね。認定医院、認定衛生士の登録料も欲しいもんね。
ちなみに、どんな学会会員、専門医、認定医も都市部に集中する。講演会、勉強会は都会でしか開催しないから。
あと、都会ほど歯科医院の密度が高いから、他の歯科医院との差別化のために参加するという力学もはたらく。
筆者は多分、歯周病治療に重きをおいた歯科医院を運営している。歯科で悩んでる患者さんみんなに当てはまる記事ではなさそうだよ。
「女をあてがえばいい」という暴論を吐く非モテが多い。
そうなってくると「お前も女の気持ちを味わえ」という意味で「掘られろ(掘られてみて気持ちを理解しろ)」と言うのだ。
元凶に対して文句を言わず、被害者に対して文句を言うのはお門違いではないか?
そもそも言いたいのは「お前も好きでもない相手に入れられる気持ちを理解しろ」ということだ。
ゲイに全て任せようぜ!という話ではない。
「入れられる側の女」と、「入れる側の男」で考えたら
もちろん「入れられる側の女」が弱い。
入れられる側の女<入れられる側の男<入れる側の男
こういった順序だ。
入れる側ってのは、相当強い。
某咳止めを買おうとしたら「もう何度も買ってますよね?病院へ行くようお勧めしたはずですが、行ったんですか?」って…
店内でも情報共有されていたっぽい。
これじゃ近所の系列店でもアウトかな…
どうしよう。クスリを奪わないでくれ…
あなたは誰かを傷つけたくてそう言ってるの?私はそう言われると、からかわれてる気がして悲しいよ。
あなたにも楽しいこと見つかるといいね。私のお勧めは読書だよ!私はファンタジーものが好きだけど、最近忙しくて全然読めてないなぁ。濃い目に入れたお茶と、片手でつまめる手の汚れない甘いお菓子があると、小さく幸せになれるよ。甘いの苦手だったら醤油のお煎餅美味しいよ。昔は100円で買えるおやつばっかり食べて胃を満たしてたけど、胃を満たすのと心を満たすのは方法が違うって最近気づいたんだよね。自分を大事にしてね。
オーガニックとか有機をやたらと推す人に嫌悪感があり、それは偏見だと自分でも自覚しているが、なぜ偏見を持ってしまっているのかいまいち言語化できない。
自分は農業に関わる仕事をしているので、有機農業についてはメリットよりも(そもそもメリットってなんだろうという感じだが)長期的にみた環境への負担や生産性の低さなどのデメリットが大きいと考え賛成の立場ではない。
というか恐らく農学をきちんと学んでいる人であれば有機が善であるなんて絶対に言わないので逆に言うとオーガニックとか有機とかやたらと言う人はちゃんとした科学的エビデンスに沿って物を言って周りにも押し付けてるのか?という疑問が拭えない。
おまけにオーガニック界隈で目立つ人はトンデモ科学系の記事を拡散している印象もあってやはり何を根拠にものを言ってるのか分からないのが嫌悪感の一因かもしれない。きっときちんと学んだ上でそれでも有機がいいと言ってる人もいるのだろうけど。
ネットで誰が騒ごうがどうでもいいが最近友達が有機を推してくるので、何とかして相手の信念を傷つけることなくかつ二度と有機をお勧めしてこないような断り文句を考えなければいけない。。
イライラしたときは、他人にやさしくするとイライラがおさまる。
イライラを悟られずに済むし、自分も落ち着くし、いいことだらけだ。
お金は使えばなくなるけれど、優しさは、施せば施すほどにもっと施せるようになる。不思議だ。
とりあえず散財すると心が落ち着く。
風俗に散財すると落ち着くのは、性欲が満たされるというより、だいたいの欲はお金という紙切れで満たすことができるということを再確認できるからだと思う。
そんなときは普段食べない高級食材を食べたり、高いお茶を買って飲んだりする。
イライラするとアルコールに逃げるという人は多いと思うけれど、アルコールでイライラが消えたことはない。私の場合だけども。
数十万、数百万の金を浪費することが出来る。
捨てるつもりで買うと、なぜか儲かることが多いような気がする。
リーマンショックの頃に買った株も、東日本大震災の頃に買った株も、かなりの含み益が出ている。
お金は使えば減るとさっき書いたばかりだけど、お金も使えば使うほど入ってくるというのは本当かもしれない。
株を買うというのは、使ったうちに入るのかわからないけど、あの頃、収入が途絶えて心が荒んでいたときに、手元の金を株に変えてストレス解消の散財をしてみたのは、ずいぶん心を落ち着かせたし、結果として資産は減ってるどころか増えている。
2歳の子供のいる26歳で、悪くない大学の経済学部を出て製造業の中では悪くない企業に就職しました。趣味がたくさんあって、正直言って一人でも生きていける人間だと思っています。独身の頃のように月に15万も20万も使えないですが、今の生活はそう悪いものではありません。
嫁は昔から子供が欲しかったようで、何度もその話をす繰り返し、その度に険悪なムードになりました。僕は子供と過ごすより嫁と2人で過ごす時間を多く持ちたかったので、子育てという選択は(若くて何でも挑戦できる)20代に選ぶつもりはありませんでした。
おそらく我々のようなタイプは、子供を持つことに対しデメリットを考えすぎるのではないかと思います。理性的に考えた場合、正直言って子供はリスクの塊です。このクソみたいな世界に命をひとつ生み出すことに対する責任というか、申し訳ないような気分になりませんか?また今後決して彼と家族を決して飢えさせることなく、我々が受けたような教育を受けさせることは非常に難しいと思いませんか?普通そう考えますよね。
我が家は嫁がどうしても欲しいというので、一か八かで挑戦しました。嫁は生まれるまで概ね楽観的で、僕は悲観的でした。大きくなるお腹と同じくらいのペースで不安は膨らみ、子供に障害が無いかとか、今の給与で養っていけるかとか、とにかくいろいろなことを考えました。
正直言って、娘が生まれるまでの10ヶ月と生まれてからの1年間は日々不安と闘っていました。ホルモンバランスが崩れて攻撃的になった嫁に頭を抱えたり、数時間おきに泣き喚く子供の面倒を見るのは正直言ってめちゃくちゃ辛かったですし、仕事のミスも増えましたし、趣味に割ける時間はほぼゼロでした。ただ面白いことに、時間が経つごとに娘が愛らしくなりました。
恐らく本能にインプットされているんでしょうが、子供の寝顔を見たり、少しずつ話せるようになる子供と会話したり、公園で楽しそうに遊んでいる姿を見ることがとてつもなく幸せに感じるようになりました。結局人間というのはただの動物で、子孫を残して育てることに物凄い幸せを感じるものだと気付かされました。
この心境の変化は自分でも予想外で、まさかここまで子供を可愛いと思う日が来るとは思いませんでした。嫁も嬉しそうですし、案外金銭面は何とかなります。子供を育てることは、理性を超えた喜びがあるようです。なのであなたにお勧めするのは、理性を飛ばしてセックスすることです。酒をたくさん飲んで挑んでください。大脳新皮質を麻痺させて、たまには動物の脳で考えるのも悪くないですよ。
全部私に合わせてきてすごい接待みたいだったんだよね。
私が「○○っていう本おすすめ」って言ったら即買って読んで感想伝えてくるし、私が話したこと全部覚えてて「この間××好きって言ってたから次この店行かない?」って。
本当キモくて無理だった。
相手が勝手に与えてくる熱量が大きすぎて私は罪悪感を抱えさせられていた。
相手が私のお勧めしたものを読んだから私も何か歩み寄らなきゃって。
あとパソコンで悩んでるって言ったら作り始めたのは本当に笑ったわ。受け取るはずないだろうが。
これは『文豪とアルケミスト』(以下文アル)(「文アルって何?」という人の為に細かに説明するほどの気力はありません。すみません)というゲームのユーザーが、その2.5次元舞台(以下文劇)に深く絶望し、ゲーム共々辞めるに至った話です。
この日記は上記舞台のネタバレを含んでおり、内容もネガティブなものしか無いので、未観劇の人は読まない事をお勧めします。
文豪とアルケミストの原作のゲームが好きで、1と2を観劇し、とても素晴らしい舞台だと思い、今回の第三弾もチケットを購入しました。
京都劇場での初演のチケットをあらかじめ購入し、東京の初日公演をインターネット配信で観劇しました。
その内容の酷さに、京都公演は観に行きませんでした。
役者さん達の演技は今回もクオリティが高く、作品に真摯に向き合われている姿勢が見えてとても素晴らしかったです。
文豪達が為す術もなく殺されていくストーリー。文学が、思想が大勢主義に潰されて、個が殺されていく世界。
それはきっと自分達の文学を守る為に戦う文豪達が立ち向かうからこそ意義があると、創作をする全ての創作者達の強い想いというものを表現する意味を込めて作られた話なのだろうな、と思いました。
しかし、それは本当に実在する文豪達を元にしたキャラクター達を悪戯に殺してまでやり通す話でしたか?
私は原作の文豪とアルケミストというゲームがとても好きでした。
元々キャラクターデザインや世界観、声優さんが好きで始めたゲームでしたが、自分がアルケミストの司書であるという立ち位置もとても好きでした。
第一回公演の余計者の哀歌では、自分がいつもプレイしているゲームの世界の中に実際に飛び込んだような没入感、自分がゲームのプレイヤーである事がとても嬉しく、誇らしくも思えるような素晴らしい脚本だったと思います。
今回の公演ではそれが覆され、否定された気分になりました。
悪役であったアルケミスト・館長の背景も詳しく語られないまま、アルケミストが悪であると、アルケミストと文豪が戦い、敗北させられる所を見せつけられ、没した後の文豪は転生し、余計者の哀歌と異端者の円舞の世界線に繋がるという展開は、希望である描写だったのでしょうが、私にはそれが絶望を乗り越えて立ち向かう文豪達の物語にはどうしても見えませんでした。
文豪達が死ぬ描写も、ゲーム内の「絶筆」という描写も使われず、ただただ「没」という悪趣味な垂れ幕の演出。
文豪達が時に排除され、転生し、苦しみながら戦い続ける事が文豪達の運命であると公式が言うのであれば、それはあまりにも文豪達を愛していたいちユーザーとしてはとてもついて行ける内容ではありませんでした。
愛おしく、大好きなキャラクターの文豪達が悪戯に殺され、身勝手なエンタメの「駒」として使われているようにしか思えませんでした。
史実があり、実在した文豪をモデルにしたキャラクターを作品の中でも殺して、神にでもなったつもりなのかと思いました。
コロナ禍で世界中が大変で、気分が沈んでいるこの時期だからこそ、私はもっと違う形での希望の物語を観たかった。
余計者ノ哀歌や異端者ノ円舞のような、問題がキチンと作品内で完結される、大団円を観たかった。
今回の作品が、前回、前々回の作品へ繋がる前日譚と言うのであれば、それは前回、前々回の作品に対して泥を塗るようなものだと思いました。
それほどに今回の脚本はあまりにも稚拙で、言葉足らずだと思ったのです。
脚本を担当されているなるせゆうせいさんの2.5次元舞台の脚本がとても好きだったので、なるせさんに何かあったのではないかと心配する程です。
舞台装置や役者さん方の事は本当に素晴らしいと思っているので、今後のより良いご活躍を心よりお祈りする所ですし、第四弾があるのであればそれは喜ばしい事だと思いますが、私は二度と観に行きません。
そもそも、原作のゲームも、近年剽窃問題やクリエイターさんの作品をパクった上で公式からの謝罪も無し、終いには「デザインを頂戴しました」と書いてしまうような杜撰を超える対応をしていたのがずっと心に引っかかっていたのを、「でもキャラクター好きなのに変わりないしな」「でも舞台は最高だもんな」で自分を誤魔化し誤魔化し楽しんでいたのですが、今回の舞台で「あーこの製作陣は実在した文豪をモデルにしているにも関わらずそのキャラクターを自分達のエンタメ()の都合で悪戯に殺すような人達なんだな」と感じ、その物語の内容に対してTwitterの文アル経由で繋がったフォロワーが「地獄だった!」「最高!」「感謝感謝圧倒的感謝!」と言っているような意見しか見ないのも違和感を感じてしまい、自分と文豪とアルケミストというコンテンツ、そのユーザーとしての相違が大きくなってしまったと思い、離れるに至ったのです。
「周りの人たちが楽しんでいる中、楽しめなかった自分に拗ねているだけ」と言われたら、そうなのかもしれない。
自分の無意識下ではずっと辞める理由を、決定打を探していたのかもしれない。
でも、私が文アルに感じた違和感は嘘ではないし、これもとある一ユーザーの意見だと思って貰えたら嬉しい。
世界観、キャラクター、自分がアルケミストという立ち位置の設定が本当に好きでした。
キャラクターは今でも好きです。
けれど、公式が「これが公式の答えです!!」と言って地獄()を出してくるのなら、私はもうそれを飲み込めない。
文豪という存在を通じて、自分に新しい世界や繋がりを作ってくれた文アルには本当に感謝しています。