「紫色」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 紫色とは

2014-10-26

冬物でクリーニングに出すものを探している最中にふと、奥のほうにつるされていたネクタイに気づいて、どうせならと一緒にクリーニング店に持って行った。

お店の人に、しみがありますがいいですかと聞かれて初めて汚れていることに気づいた。

よほど私の目が悪かったのか、真っ白なお店の光に、ネクタイ紫色の柄ににじむしみはよく見えた。

セロテープでしみをぺたぺたお店の人が張っていくと、自分が気づいていなかった箇所も含めて5箇所に...

困ったような顔をして、おずおずとお店の人が見積もりのレシートを差し出すと3人の博士が旅立つことがわかった。

感触からお店の人もわかったのだろうが、このネクタイシルクでもないしウールでもない安物の合成繊維、つまりノーブランドだ。

以前、ケチャップが飛んだPaul Smithネクタイクリーニングに出したときは迷いなく、2千円近く出したが、彼を手に入れたときを考えると気持ち上、問題なかった。

しかし、このネクタイクリーニング代で少なくとも2枚は買えそうで、お店の人の申し訳なさそうな雰囲気はよくわかったので、じゃあ、これは持ち帰りますとさっと流すことにした。

その他の衣装を出したり、受け取ったりして用事を済ませて、帰宅後、持ち帰ったネクタイを捨てようとしたところで、これが母からのもらい物だということが解った。

大昔、就活を始めた頃に、父から間に合わせで借りるつもりで締めた私のネクタイの柄がだらしなくベルトの下まで伸びていることに気づいた母が、

「あの人は特別(大きい人)だから自分のものを揃えなさい」とネクタイプレゼントしてくれた二組のうちの一つがそれだった。

今思えば化繊特有触感に、ネクタイらしいネクタイを締められたことに興奮していた自分は「すべすべする」と胸元からネクタイピンまでを撫で付けて悦に入っていたが、

「一枚ワンコインで購入したのよ、買い物うまいでしょう」とあの人はドヤ顔でぶち壊したことを今起きたようにありありと思い出した。そのときに感じた無償に腹立たしい気持ちも。

結局、就活を通して活躍したネクタイは、新卒で入ったネクタイ必要としない会社と、その次の必要とする会社とと転々とするうちにその存在を忘れられてしまったらしい。

私はもう一度クリーニング店に行くために思い腰を上げることにした。

からいただきものが私にとっては今や最高のブランドから

元嫁のというブランドもあるけど、彼女ブランド好きだったし値打ち物が好きだったから何も考えまい。考えずにいよう。

2014-09-16

最近眼の調子が少しおかしい。今までより紫色成分が増えている

iphoneパスコード入力画面ありますよね。

あれ、私は「2日前から色変わったな」と思ってたんですよね。

もともと水色~青色の間くらいの色だったと思うんですが

今の自分には紫色に近い色に見えてます

それで今日、「そういえば、最近iphoneパスコード画面の色変わったよね」

って言ったら「え?」「え?」みたいなことになりまして。

増田でも、ベースは黒文字で、それを太字にしただけの文字に色がついてるように見えています

はてな匿名ダイアリーは全体的に青色っぽいカラーだと思いますが、やはり若干紫がかかって見えています

ただ、家で「丸美屋ののりしお」の袋を見たら、これは今までと印象かわっていない感じです。

一時的な疲れとかだといいんだけど。

明日眼科に行ってきます

2014-07-28

大阪から東京に出て気付いた事実

東京の人を見ていて奇妙な違和感を覚えていたのだが、その原因に気付いた。

それはつまり「おばちゃん用ファッションが無い」ことである

ご存知のように大阪のおばちゃんは年を取ると花柄とか紫色とかの派手な衣服をまとうようになる。

大阪にいた頃はそれを「ダサい」「オシャレじゃない」と思っていた。

だが東京ではおばさんだろうがおばあちゃんだろうがみんな若者のような格好をしている。

そしてそれがどうしようもなく気持ち悪かった。

「まだ若いつもりなのだろうか」と思ってしまっていた。

だがそれはおばちゃん用ファッションがないからだったのだ。

なんという不幸だろう。

このモノに溢れた東京で、ただおばちゃん用ファッションけが無いなんて。

ぜひとも上方最先端ファッションが広まって欲しいものだ。

東京でもおばちゃんがおばちゃんらしくなれる社会を目指して欲しい。

2014-07-27

夢の記憶7.27

中学校の仲良しグループと、縁あって再会した。(再会した経緯は覚えてない)

バスで一緒に乗って、中学校のあった街に行く。

退屈な風景が続いていたけど、懐かしい景色にかわって「うわー、懐かしい!懐かしい!」と叫んだ。街は雪が積もっていた。

気づいたらひとりになっていた。

中学生の頃に住んでいたアパートの目の前に立っていた。だいたい日の沈む直前、薄紫色の空で、部屋には明かりが見える。

そこには見知らぬ車が止まっており、知らない誰かが住んでいるようだった。

近づくと、ドアが開く。まずいと思い、陰に隠れる。

誰かがいるが、姿が見えない。

ただ、いてはならないという気がして、逃げるように走った。

夜、雪が吹雪いている中を、駅に向かって歩く。

たくさんの人の行列に混じって、駅に向かって歩く。

途中、列が交差点などで分かれる。なんとなく分かれたあと不安になり、「こっちでいいんだっけ?」と誰かに向かって話しかける。

「こっちで大丈夫」と、仲良しグループのひとりが答える。安心する。(夢の中でも、安心した「実感」があった)

そうやって吹雪の中一歩一歩街の中を踏みしめていくと、ライトに照らされた駅が姿を見せた。人通りも多い。(見覚えのない駅。ペデストリアンデッキがあるので、モデルとしては仙台駅に近い)

仲良しグループのみんなもいつの間にか揃っていた。雪を払って、新幹線に乗る。(住んでいた街に新幹線は通っていない)

下車して、みんなで晩御飯を食べた。(新幹線なのに)

別の新幹線に乗り換えた。

その次の駅で、私は、間違って駅に降りてしまった。間違いに気づいたもののすでに遅く、新幹線は去っていった。



そこで、目が覚めた。

過去記憶

最初に書きだしたもの

http://anond.hatelabo.jp/20110813090446

二回目にに書きだしたもの

http://anond.hatelabo.jp/20110915172542

三回目に書きだしたもの

http://anond.hatelabo.jp/20111224131459

前に書きだしたもの

http://anond.hatelabo.jp/20130407064159

2014-05-30

自分普通分娩のせいで歪んで育ちました

タイトルは半分釣りです(心が歪んでいるのは先天的でなく後天的ものです)。

どこが歪んだのかというと耳の位置です。本当に物理的にひん曲がっちゃったのです。


ウチの母親は女癖が悪い上に借金までこさえるろくでもない亭主と結婚してしまったもので金が無かったんですね。

ところが腹の子はずーっと逆子で、ひっくり返ってくれる気配がなかったわけです。今ならまず母子安全を考えて大半が帝王切開になるケースですし、この当時(35年前)でも母はそう勧められたようです。

でも頑として下から産むと言い張った。帝王切開手術をすると余計な金がかかるからです。そんな金が無いので自然分娩で産むしかなかったと言います。(ちゃんと調べれば当時でも自然分娩だろうが帝王切開だろうが保険や手当が降りたのかもしれませんが、そういう知識を得るツテも無い情弱貧乏人だったのです)。


おかげさまで足から先に生まれて来た自分の体は半分紫色、おまけに一番大きな頭をむりやり最後にひねり出したもので左右の耳の高さがズレてしまいました。

はい自分不自由は「眼鏡をかけると左右でレンズが傾いて見える」くらいのもので、人から指摘された事も無い程度の歪みです。日常生活に支障はありません。

酷い人だと首が歪んじゃったりして手術が必要レベルになるらしいので、自分自然分娩された逆子にしてはそこそこラッキーな歪みの程度ですんだようです。

帝王切開で産まれて変な人間に育ったのかもしれないけどいいじゃない、人間だもの

http://lagtydog.hatenablog.com/entry/2014/05/30/102825



こちらのブログの(帝王切開で産まれた)方の文章を読んで「なあに、普通分娩で産まれても歪む事はある(物理)のさ。こんなみみっちい理由で普通分娩を選んだ母親だっているのだから帝王切開を悪く言う奴の事なんか気にする事も無いのさ」とふとエールを送りたくなったので。


なおこの母は毒気味の保護者から「分娩中に悲鳴を上げるような女は下品で躾がなってない」と吹き込まれていたので、(やっぱり一人で)二人目を産む時にもトラブルを起こしています

ちょうど病院で分娩が重なってお医者さんも看護婦さんもてんてこまいだったらしく、妊婦一人一人についている余裕が無く放置状態だったそうで。

赤子の頭が半分出かかっているのに大声で助けを呼ばず我慢していたため、通りがかりの看護婦さんがたまたま気付いてくれなければ、危うく妹の頭を床にボッシュートするところだったとか。

2014-03-15

小保方晴子 メモ2chより転載

状況をよく解説していると思ったので転載

http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/ms/1394709614/

小保方晴子 メモ  ①

1983年生まれ

千葉県松戸市出身

・実験時には白衣ではなく、祖母からもらったというかっぽう着を身につける、というキャラ作り

研究室では指輪日常的に着用、見せびらかして自分で女子力()アピール

研究室ピンク黄色壁紙で埋め尽くされている

研究室アメリカのころから愛用しているソファを持ち込んでいる

研究室スッポンを飼っている

・土日も含めた毎日の12時間以上を研究室で過ごす

・実験室だけでなく、おふろのときも、デートときも四六時中、研究のことを考えている(本人談)

ムーミンヲタク  研究室のあちこちにアニメムーミン」のグッズやステッカーを貼っている

収集癖がある

ヴィヴィアンウェストウッド好きのブランド

ポエマー

松戸市立第六中学2年生の時、青少年読書感想文コンクールにて 『ちいさなちいさな王様』 で教育長賞受賞

・高校時代は手相占いの天才

千葉県松戸市、最寄り駅から徒歩10分新興住宅街一角にある一戸建て黄色い壁の豪邸

・父は海外に10年以上赴任していたので長い期間女4人で裕福に放埓に暮らしてきた

・父:一夫  韓国三菱商事株式会社常務理事・機械 事業本部長   母:大学教授 (心理学)   姉:大学准教授

小保方晴子 メモ  ②

・成績はピカイチではなく真ん中か、それより少し上ぐらい

2002年早稲田大学理工学部応用化学科に、AO入試学力不問、面接と作文、人物重視で選考する)の1期生として入った

 面接では、「再生医療の分野に化学からアプローチしたい」 と主張。

 幼き頃より、研究者を志し、特に再生医療に強い興味を持っていたという。

 父母のコネで入ったと自ら言ってたという話も

大学ではラクロス部レギュラー

奨学金給付されていた奨学生

2007年に返済不要の早大給付奨学金(面接で可否)を獲得

 院生時代2008年には学振研究員DC1(書類申請と面接で選考)になり、以降3年間に渡り 『月20万円の奨励金+年150万円の科研費受領

東京湾微生物等を研究をし、2005年に院進学後は常田(捏造D論主査で共著論文あり)の指導を受ける

2007年、専門を再生医療に転向し女子医大研修生にもなり大和(捏造D論副査でSTAP共著)や

 岡野(共著論文あり/TWIns所長/日本再生医療学会理事長)の指導を受ける

東邦大東邦同級生によると、彼女は思い込みが激しく、好きな男子と付きあってもいないのに付きあっている記憶になっていた 「不思議ちゃん

 「当時は、後に国立医学部に進学したバレー部秀才にずっと片思いしていました。彼にはその気がなかったようですが、彼女はとても思いが強く、

 『もう諦めたほうがいいよ』と忠告する友人たちに『もう彼女だもん!』と泣きながら食ってかかり、ハラハラしたほどです」(同級生

小保方晴子 メモ  ③

ハーバード大留学し、悪名高い麻酔科バカンティ(STAP共著)に師事し

 「全ての面で成功し皆が憧れる人生を送りなさい」 と助言され、小島(STAP共著)の指導万能細胞研究を始める

ハーバード大では、 「ドクター・バカンティーズ・エンジェル」 と呼ばれて(自ら名乗って)いた

・当初4ヶ月の予定だったハーバード大留学だったが

 「博士号もない学生を雇用するのは無理だ」 とも事務員に言われたのに、不思議な力で2009年冬までの1年半ほども滞在する

 バカンティ教授が 『アイ・ニード・ハー(彼女が必要だ)』  と言って引き留める

ハーバード時代、何故かケーキ屋で修行

ハーバード大滞在中の2009年8月、STAP論文の原型となる論文が完成し投稿するが2010年春に却下され

 審査した研究者ネイチャーから 「細胞生物学の歴史を愚弄している」 という趣旨のメールが届き、酷評されて泣く

・博士学位取得要件の雑誌に投稿した査読付き学位申請用論文3本で、不適切データ処理・加工・流用・捏造行為

 データ画像捏造に大量コピペの杜撰なD論でPh.Dを取得

2011年3月に早大大学院卒業

Ph.Dの肩書きを使って再度ハーバード大に行くつもりが就労ビザが得られず諦める

ハーバードで知り合った若山(当時理研所属でSTAP共著)に口利きを頼み、

 理研CDB次期所長で35歳の若さで京大教授(京医卒)になったES細胞の権威である理研の副センター長・笹井芳樹の推薦を受けて理研入り

 (左から小保方晴子、笹井芳樹、若山照彦 ttp://imgur.com/Fz5xqlC.jpg

 「化学系の出身で、生物学先入観がなく、データを信じて独自の考えをもっていた。真実に近づく力と、やり抜く力を持っていた」

 「僕はケビンコスナー、小保方さんのボディガードだ」 と、笹井から支援を受け、強力な後ろ盾を得る。

小保方晴子 メモ  ④

2011年末、「酸に30分浸すと初期化する万能細胞(STAP)を作製」 (本人談)  とノーベル賞大発見世紀の大発見()をする 

 「渡された細胞の万能性を何度も確認し間違いないと告げると小保方さんは泣いていた」 (若山談)

2013年3月、29~30の若さで、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター細胞プログラミング研究ユニットユニットリーダー教授級)になる

 (入所から1年でユニットリーダー、という異例のスピード

 女だけの研究チームの女王様として君臨

・「(STAP細胞は)マウスリンパ球を弱い酸性の溶液に30分浸すだけで作製に成功した。

 細胞を細い管に無理やり通したり、毒素をかけたりしても作製できた」(本人談)

STAP細胞の名前を本当は「王子様にキスされて目覚めるお姫様」になぞらえた 「プリンセス細胞」(P細胞) と名付けようとしていた

STAP細胞の優越性を説き、比較対象の山中教授iPS細胞を貶め風評被害を与える(発がん性研究の停止など)

 小保方の誹謗を受けて、山中教授iPS細胞安全性を弁明する羽目に陥った

・「あきらめようと思ったときに、助けてくれる先生たちに出会ったことが幸運だった」(本人談)

 「女」を使ったのか、権威ある男性に取り入るのが上手いのか、親のコネなのか

・現在は、小保方が笹井をセクハラで訴えている、との未確認情報も さんざん権威に媚びて取り入ってコネを利用して、用済みになったらポイ捨て

脊髄損傷のサルをSTAP細胞移植で治療したと発表したチャールズヴァカンティ教授グループ小島宏司の論文における不適切画像流用が発覚

 小島は小保方の指導教官

小保方晴子 メモ  ⑤

小保方晴子が第一著者のNature Protocol誌の論文と、第二著者のTissue Eng Part A誌の論文において、利益相反事項の隠蔽の疑惑

小保方晴子による博士号論文 『三胚葉由来組織に共通した万能性体性幹細胞の探索 (2011年2月)』 

 その33枚、ほぼ全部がコピペだったことが判明 (3月11日

 米国立保健研究所(NIH)が幹細胞の基礎知識を一般向けにネット上に掲載している文章から、ごっそり剽窃している

 論文の冒頭、研究の背景を説明する部分がネット掲載の文章と単語の並びから句読点までほぼ同じ

 文章の前後入れ替えや、見出しの変更、ネットで「この文書」と書かれていたのを論文で「この節」と書き換える、などの

 つじつまを合わせた変更はあった。

 小保方博士号論文のPDF: ttp://stapcells.up.seesaa.net/image/Background.pdf

 剽窃された米国立保健研究所(NIH)の元の文章: ttp://stemcells.nih.gov/info/basics/pages/basics1.aspx

 テキスト比較ツール difff《デュフフ》ver.6 : ttp://altair.dbcls.jp/difff/dev/obokata_copypaste.html

博士論文、参考文献リストコピペか、参考文献リストが他の論文と酷似している

 第3章では38件の文献リストがあり、著者名、論文名、雑誌名、ページが列挙されている

 これは10年に台湾の病院研究者が医学誌に載せた論文の文献リスト53件のうち、1~38番とほぼ一致した

 博士論文では一部文字化けしている文字があり、切り張り(コピペ)の可能性がある

 リストは著者名のABC順で、元論文の38番はPで始まる姓のため、ありふれたSやTで始まる著者名が博士論文にはない不自然さがある

 普通の論文では本文で文献を参照した箇所に(1)などの番号を添えるが

 図を除いて 5ページある第3章の本文にはこのような番号はつけられていない

小保方晴子による博士論文 P53, Endoderm(Figure 10)の実験画像は、コスモ・バイオ株式会社ホームページ掲載の画像からの盗用(3/13)

  ttp://jump.2ch.net/?pbs.twimg.com/media/BijJAfvCcAAFE3d.png

小保方晴子 メモ  ⑥

STAP細胞論文(Nature誌のArticleとLetter)

 Stimulus-triggered fate conversion of somatic cells into pluripotency (30 January 2014)において、不適切データ処理・加工・流用・捏造行為疑惑

・120日でSTAP細胞を10^60個(ベテルギウス750個分)もの増殖に成功したというデータグラフが存在

  グラフc: ttp://www.nature.com/nature/journal/v505/n7485/images/nature12968-f5.jpg

  (山中教授の論文に間違って10^60になっているグラフがあったらしい。それを丸パクリたから悲惨なことになった?)

・自分で文章を作成せず、他の論文(ドイツ研究者らが2005年にIn Vitro Cell Dev Biol Anim.誌で発表した論文)からそのまま文章を剽窃した疑惑が

  しかも、正しい表記が無意味言葉に変わってしまっていたり、誤記誤用がたくさん (意味が解かってない?)

 例)

  盗用元論文(正しい表記): 塩化カリウムを意味する「KCl」 → 小保方論文(誤った表記): 「KC1」という無意味言葉

  盗用元論文(正しい表記): 二酸化炭素を意味する「CO2(シーオーツー)」 → 小保方論文(誤った表記): 「C02(シーゼロツー)」という無意味言葉

  EDTA (EDTA) と、ethylenediaminetetraacetic acidの略称であるEDTAを誤って連続して記載

小保方晴子 メモ  ⑦

2005年ドイツ研究者らの論文からそのまま文章を剽窃した為に、現存しない機器Windows98環境でSTAP細胞の実験をした状態になってしまっている

 新規に購入する事が出来ない古い実験機器、Win98、と

 論文を剽窃した対象と思しきドイツ研究者らと同じ道具やOSをわざわざ全部集めて、STAP細胞研究をしていたとでも言うのか

 小保方のSTAP論文の文章の中には、ライカ社(Leica Mikrosysteme GmbH)の DM RXA RF8 落射蛍光顕微鏡 (epifluorescence microscope )と

 フォトメトリクス社(Photometrics)のSensys CCDカメラの実験機器名も含まれているが、

 これは、小保方が剽窃した疑惑のある2005年のGuo Jianliらドイツ人研究者が用いた実験機器と同一のもの

 ライカのDM RXA 顕微鏡も、フォトメトリクスのSen sys CCDカメラも、1990年代末~2000年代前半に販売されていたもので既に製造中止の機種

 さらには、Sensys カメラウェブサイトには、「Then turn your computer back on and boot Windows 98/2000/ME/XP again.」と記載されており

 Win 98が現役だったような時代の懐かしい製品

 小保方らが研究室を立ち上げるときに、このような古い実験機器を新規に購入することは不可能であり、また中古品も出回っていない

小保方晴子 メモ  ⑧

STAP細胞論文を、論文の価値を高めるために「簡単」と誇張していた (3月1~2日? 若山が毎日新聞の取材に対して告白して発覚)

小保方晴子STAP細胞現実験に成功した()と発表 (3月5日 理研発表) 

・STAP細胞の公開した作成手順に新たな矛盾が浮上 (3月8日)

 「一度T細胞に分化した細胞初期化された結果生じた」(TCR再構成という“証拠”が「STAP細胞」のキメ手になった)という内容が

 今回公開された作製手順では、「なし」と書いてある

・論文データ上のSTAP細胞マウスES細胞のDNA配列がほぼ同一だと判明

・STAP細胞論文に掲載されている問題の写真

 撮影した生の画像データではなく、紙の文書をスキャンするなどしてデータ化したものを切り貼りか (3月12日

 論文から写真だけを取り出して分析すると、写真の上の部分に別の写真の一部とみられる紫色などの線が入っているのが分かる

・STAP細胞論文の画像流用の問題を、1ヶ月前には、小保方と、理研の副センター長・笹井は把握していた (3月13日

 把握していた上で意図的に隠蔽か

STAP細胞論文疑惑が生じると

 「指摘されて初めて(ミスが)分かった。 全く気付かなかった。研究のものを疑われるのは悔しい」 と

 科学者なのに感情論を持ち出して悲劇のヒロインぶって若山に泣きつく

・弁明等はすべて他者に丸投げして、自身はファーストオーサーユニットリーダーの責任と義務放棄して逃亡

 理研神戸広報担当者 「論文を書いた小保方晴子ユニットリーダーは休暇をとっており、同日中に結論を出す状況にはない」 (3/11)

 3月14日理研が弁明の会見を開くも姿を現さず、現在も雲隠れして公に一切顔を出さず (~3月14日

2014-03-11

美少女ゲームカタログ

アパートの2階にある家に入るとリビングで母が背を向けて立っているのが見えた。

リビング隣の部屋のベッドでは妹が寝転んで本を読んでいる。

僕は無言で妹に近づいて妹の性器を手でいじった。

妹は身体をよじって嫌がったが脅して黙らせていじり続けていると血が出てきた。

そうこうしているうちに母親ジュースを持ってきたが妹を見る母の目の焦点が合っていないのが気になった。

妹が起き上がりベッドに腰掛けたので僕は仕方なく妹の性器をいじるのをやめて妹の左隣に座って妹の左手をにぎった。

静かにしていれば僕がここにいることはばれない。

案の定母には僕の姿は見えていない。

いつもと違う妹の様子に気づく素振りも見せずにもってきたものについての説明を始める母。

トマトジュースマスカットジュースのミックスだという。緑と赤がマーブル模様を描いている。まずそう。

トマトジュース赤色が先ほどの出血イメージに重なるせいかそれを飲むのを妹は嫌がった。

僕はトマトジュース抜きのものにしてはどうかと提案する。

見えていない僕からの提案を当然のように受け入れて母はまたリビングに戻る。

父が帰ってきた。

何やら緊急事態らしい。母が慌てて父のもとに向かった。

この隙にと妹の手をひいて逃げ出す。

ドアから出ると空が一面の紫色をしていた。どす黒い。

無表情な白い顔の集合体があちらこちらに浮かんでいて時間がたつごとにどんどん増えていく。

これはやばいと思い妹の手を引いたまま階段を降りると今度は目の前に顔の集合体が現れた。

刻一刻と世界が顔の集合体に侵食されていくのを感じてここはもうダメだと思った僕は妹にタイムスリップしようと持ちかけ妹が了承したのを確認して妹の手を強く握り直した。

顔の集合体が後ろから侵食してくるのを感じながら家の前にある長い下り坂を一気に駆け下りその先の崖から目をつぶってそのまま飛び降りた。

目を開けると上空何百メートルを自由落下する途中だった。

手を離すなと妹に言いながら落下点を探し手頃な森を見つけたのでそこに落ちることにした。

なんとか空を泳ぎ目標の森周辺に落下し木にひっかかると自分と妹の身体が木の枝に変わっていることがわかった。

そのまま着陸した地点の木の枝を自重で折りながら地面まで落下していくとそこは木の研究者が集まって研究をしている場所だった。

枝を折ったことについて悲嘆にくれている人がいたので謝罪したがその研究者は近くにあった樹齢うん百年の切り株を指さしながら木は修復するのにはとてつもない時間がかかるのだと叫んだ。

とりあえず摩訶不思議な木の枝人間ということでその場の研究者丁重にもてなされることになったので一安心した。

他の研究者への僕達のお披露目会にて僕たちの呼び名を決めようということになり名前を名乗った。

しかもっとも著名な研究者がまったくかすりもしないヘンテコなニックネームをつけようとして他の研究者から和やかな非難を浴びていた。

という夢を見た。

木の著名な研究者の発表とかもう少し続きがあったけど前後脈絡をつなげて細かく書けるのがここまで。

覚醒してから忘れないように上記の内容を頭の中で何度も反復していた。

増田に書けてようやくすっきりした。

タイトルと内容が関係ないかもだけどそういうタイトルの夢だっていう直感があったから仕方ない。

最近よく夢を見るから深く眠れていない気がする。

2013-10-21

蝸牛紫色に弾け飛ぶのを見るや

夫に出会ったのは二年前の6月くらい、ちょうど梅雨明けのことでした。

そこで三谷先輩に入部の旨を告げていたのを聞いていたのを覚えています。私は何だか安心しました。あぁ、良かった、一人ではないのだなあと。

大集会室のフローリングの縁に腰掛けて、入部したばかりで話かける人も居なかったので、私は彼をぼんやりと眺めていました。

目を合わせようとちらちらと見ていたのは秘密です。

この頃のことはそんなに覚えてないのですが、そういえば席替えで私の二つ前に座っていたのも彼でした。

えっちゃんと楽しくおしゃべりしているのを聞いていました。

「初めてですか?」「はい」「私もなんです^^」「最近入ったばかりで、全然からなくて…...」「お名前は?」「みつるです」「ひかりといいます。よろしくね(´∀`)」

私は緊張しぱなっしでひかりさんにずっと迷惑をかけていたと思います……

2013-08-24

中国の初めての風俗で脱童貞したが遅漏で死にたくなった

 一度掲載して削除したもののせっかく書いたのでやっぱり載せる。表題の通り、中国風俗で脱童貞したが遅漏で死にたくなった。クソみたいに長文だから興味のある人だけ読んでほしい。

 当方、二十代。童貞はいっても、高校時代彼女がいて、彼女にはよくフェラしてもらったりしていたが、彼女は内臓系の病気を患っていて医者からセックスを禁止されていたため本格的なセックスはしたことがなかった。彼女はもちろん処女だった。二回だけ、医者言葉反故にしてTITSに挿入したことはあったが彼女はとても痛がり激しいピストン運動はできなかったため射精には至っていない。

 彼女とは大学に入ったあたりで別れ、なんとなくそれっきり女性にも興味がなくなってしまい、それ以降彼女ができないまま今に至る。生身の女性を相手にするのがしんどかったし、エロゲーAVを相手にしていたほうが疲れないというのもあったが、生身の女性を相手にしないことで無意識に足ピン、皮オナ、強握力オナニーという三重カルマを背負っていて、もしかすると自分は遅漏ではないかという疑惑が生じたのだがきわめて楽観視しており真剣に問題として捉えたことはなかった。

 いまの会社に勤めてから中国赴任を命じられ、数カ月前からここに住んでいる。中国では風俗は禁止されているのでいわゆるソープ的なところでは場合によってはK察のお世話になる危険性があるが、一方でデリヘルなどが発達している。値段が一万円程度、しかも本番アリということで彼女もいない身にとってはとても魅力的で試してみることにした。

 ネット検索をかけてみるといろんなお店があったが、日本語がOKで、割と善良そうなサイトを選んだ。日本風俗なら口コミなども豊富だと思うがこちらではそんなものは少ない。だが隅々までサイトを見渡せばなんとなく誠実そうな感じかどうかはわかる。ちなみに自分風俗などは行った経験がなく、その時点でとんでもなくハードルが高かったがここで一歩を踏み出さないと何も変わらないと思った。デリヘルを自宅に呼ぶことに決めたが、決めたあともなんだか落ち着かず、部屋を掃除したり買い物に行ったりして決断がつかなかった。悩むこと4時間、ついにふるえる手で番号をダイヤルした。飛び込み営業の何倍も緊張した。

 電話をかけるといかついおっさんが出るかと思っていたがでたのはしゃがれた声のオバサンで、片言の日本語でこちらの住所と好みの女の子を訊いてきた。明るい子で、日本語ができて、リードしてくれる子がいいとリクエストをした。可愛くなくても最悪我慢するつもりだったが、リードしてくれるかどうかは重要だった。童貞なめんな。オバサンはまたしゃがれた声でダイジョブダイジョーブとか言っていて不安にまみれたがもうここまできたら後にはひけないと思った。なるようになれと祈るしかなかった。

 思っていたよりも冷静に一時間ほど待機できた。時間通りに譲はやってきた。わりあい小柄で、髪は赤っぽい黒で後ろにまとめていて、胸元が大きく開いた服を着ていた。顔は、さほど好みではなかったが可愛い部類に入ると思った。ドアを開けるなり譲は抱き付いてきた。意外に自分は冷静でほとんど動揺はしていなかった。譲は部屋を周り、窓から風景などをひとしきり褒めた。日本語はしゃべれるとはいっても片言で、コミュニケーションとしてはかなり初歩の部類に入る。譲はコンドームを持ってるかと訊いてきた。持ってないと言うとポーチの中からゴムを取り出して微笑んだ。不覚にもちょっと可愛いと思った。

 譲はシャワーを浴びようと言いだし、風呂場へ行った。おもむろに脱ぎ始めた。乳はそれなりに大きかったが少し垂れていて、乳首は大きくちょっとずんでいた。だが、高校時代に付き合っていた彼女も当時服用していた薬の副作用乳首は黒かったのでそれぐらいではたじろがなかった。じーっと脱ぐ様子を見ていると、譲は恥ずかしそうにはにかんだ。そして僕の服を脱がせた。パンツを降ろすと、僕の息子は半勃起していて彼女は大きいね、と日本語で言った。ちなみに自分火星人半年ほど前から剥く練習をはじめ最近では24時間剥きっぱなしでも耐えられるようになっていた。譲はすっと手を伸ばし僕の息子を勃起させた。竿に触っているときより、校門に近い場所をさすられるほうが気持ちよかった。

 シャワーを二人で浴びる。譲はボディソープを使って僕の身体を洗い、僕の息子をとりわけ丁寧に洗った。ここでほぼフルボッキに近い状態になる。譲は竿をくわえた。気持ちいいと思ったが、歯が当たらないので物足りないとも思った。昔の彼女フェラは歯が当たるせいで少し痛かったが、それが少し快感だったのだ。

 まもなくシャワーが終わりベッドに移行する。割と高層の階にあってのぞかれる心配が少ないため普段はカーテンを開けっ放しなのだが譲は恥ずかしそうにカーテンを閉めた。僕はいよいよはじまるのだと思った。譲はベッドに腰掛け、iPhoneを取り出して何か文章を打っている。中国語翻訳アプリのようだった。中国にはどれぐらい住んでるのか?とか中国彼女はいるのか?などという他愛もない会話を筆談アプリ談?)で交わした。その程度の会話もできないことが情けなく、もっと中国語勉強をしようと思った。

 全裸の譲がベッドに寝そべったので僕が覆いかぶさるような形で譲にキスをした。譲は黙って目を閉じ、されるがままになっていた。僕は首にしがみつくようにして唇を貪った。女性キスしたのはいつぶりだろうか、はじめてキスをしたのはもちろん高校ときの例の彼女で、キスをしたプリクラを撮ろうとはしゃぎ、ジャスコの中のゲーセンプリクラコーナーで僕ははじめてのキスをしたのだった。そのときファーストキスレモン香りがするとわりと本気で信じていたがそれはもちろん嘘で、彼女レモン味の何かを口に含んでいない限りそんな香りがするはずはなかった。もちろん唾液の味がした。だがそれ以降もキスだけはお互いよくしていたのでキスの良さは知っている。相手の頭の後ろに手を回し、舌を絡めていると脳天に突き抜けるような快楽を感じた。僕はやっと性的に興奮してきた。

 譲は僕を仰向けに寝かせ、しばらくキスをしたあと、息子の処理にとりかかった。口で激しくピストン運動をする。僕はそのあいだ、彼女の乳を揉んでいた。昔の彼女は確かCカップだったが、譲の乳はそれより少し大きい。乳は脂肪でできているらしいが、中に何か塊があり、そういえばそうだったなと僕は思い出していた。僕は彼女が痛がらないようにそっと揉み続けた。彼女は高速でフェラをしている。確かに気持ちよかったが、これで射精できるとはとても思えなかった。

 しばらくして今度は譲を仰向けに寝かせ、足を広げさせた。ビラビラはそこまで黒ずんでおらず綺麗な色をしていた。僕はクリを刺激しながらそっと口をつけた。譲は目を閉じている。しばらく舐めると、小さく声をあげた。僕の唾液以外の液体でじっとり濡れ始めたため、僕はそっと左手の人差指を射し込んだ。譲はさらに目を細める。TENGAの中にも指を突っ込んだことがあるが感触は少し似ている。正直、ちょっと気持ちいいと思った。

 譲はコンドームをつけると言ったが、僕はもう本番なのかと少し焦った。前述の通り女性経験が少ないためうまくセックスができる自信がない。そのことを日本語で言ったが、譲には伝わらなかった。iPhoneを取り出して例のアプリを起動しようとしたが、僕は制止した。もうなるようになれと思った。

 譲はコンドームの包装を破り僕の息子に装着する。つけるときに、また大きいねと言った。世辞だと思ったが、怒張したそれは自分が見ても大きく、案外本当に大きいのかもしれないと思った。剥きはじめてからそれほど期間の経っていない亀頭ピンクから紫色っぽい色に変化しており、まがまがしさを増長していた。臨戦態勢に入っているのだと思った。

 譲が仰向けで僕を迎え入れる体制になる。僕は息子をTITSに押し当てると、すんなりとそれは入った。前の彼女とき彼女処女だったということもあり、こうはいかなかったので僕は驚いた。その後、少しぎこちないながらも腰を使うことができたので少し感動した。腰振りの練習は布団を使ってやろうと思った時期があったが、アホくさいのとうまくできないのとで断念していた。やはりセックス生物本能というか、練習などしなくても可能なものなのだという確信を得た。考えてみれば犬や猫などもバックで挿入しているが、あれをどこかで練習しているとも思えない。生物は生まれながらにしてセックスの技巧を持っているのだ。

 もちろん腰振りはAVで見るほどスムーズではなかったが、なんとかできてはいた。だが、問題は別にあった。あまり気持ちよくないのだ。譲の締まりが悪いのかと少し疑ってしまったが、考えてみればTENGAをはじめて使ったときも言うほど気持ちよくはないよな、という感想を持ったことを思い出した。これまでの数千回にわたる皮オナ、さらには足ピン、強握力による遅漏という弊害が出て来ているに違いなかった。僕は焦った。譲はますます激しくなる腰振りに感じていた(ふりかもしれないが)が、僕はいっこうに気持ちよくならなかった。極端なことをいうと、挿入しているという実感すら希薄だった。

 疲れてきたので譲と上下を交代する。譲は僕にまたがると、慣れた手つきで息子をねじ込む。さすがにプロだけあって、見事な腰づかいだった。時々覆いかぶさってきて、キスをしてくれる。満たされた気分になったが、それでも僕はあまり感じなかった。譲の顔は上気しており、だんだんと腰の動きも激しくなってくる。譲との温度差を感じ、僕は申し訳なくなった。譲はまだいってない?と訊いた。僕は頷いた。

 譲を四つん這いにさせ、今度はバックで挿入した。これもすんなり入った。バックは突きやす体位だと思った。確かに腰を振る必要があるが、相手の腰を両手でつかんで揺さぶればあまり腰の力を使わずに深く挿入することができるからだ。今までで一番激しく僕は突いた。譲の声もだんだん大きくなってくる。だが、それでも僕はまだいけなかった。ときどきピストン運動スローにして、挿入している実感を確かめると、いま自分セックスをしているのだ、という実感が深まり、それによって多少は気持ちよくなったが、このままあと何分これをやろうが永遠にいくことはないだろう、と思った。僕は絶望的な気分になった。

 譲が疲れてきたので僕は息子をTITSから抜いた。譲は中国語ですごいねと言って笑った。僕も腰が疲れてきたのでそれ以上セックスを続ける気にならなかった。譲はコンドームの上から手でしごいてくれる。自分でやるオナニーに近いため感覚的にはこれがもっとも馴染み深く、僕はまた性的に興奮しはじめた。譲は手でしごきながら深いキスをしてくれて、さらに僕の気分は高まった。だが、まだいく気配はなかった。舌を絡め合いながら、僕は本格的に焦り始めた。

 僕は仰向けになり、譲はコンドームを剥ぎ取って直接僕の息子をしごきはじめた。プロから、僕が射精をするまではプレイは終了しない。譲も必死だった。また僕にキスをしてくれる。僕はさらに申し訳ない気持ちがつのった。皮オナのみならず、足ピンも重大な問題だった。仰向けになることで足ピンに近い状態になることが出来、ようやく僕は射精の気配を感じとった。譲の胸を激しくもみしだきながら、射精のくる感覚を待った。やがてわずかに射精前兆を感じ、小さく声で、いく、と言った。譲はそれを聴いて、さらに手を速く動かした。

 わずかにドクンと息子が蠕動し、少量の精液がこぼれたあと、一拍遅れてすごい量の精液が飛び散った。譲の手はもちろん、自分の胸のあたりにまで射精してしまった。さすがの譲も驚いていた。もちろん僕も驚いた。一体何が爆発したのかと思った。ちなみに、精子を溜めていたのはたったの一日だったが、あの精液の量はそんな比ではなかった。睾丸に入っていたものをすべてぶちまけたのだろう、と思った。

 譲は落ち着いたあと、手早くティッシュで処理をして、またシャワーへ誘った。中国語で少し会話をしたが、半分ぐらいは意味がわからなかった。譲は僕の身体を洗いながら、何度かキスをしてくれた。僕らは身体をふいて、またベッドに戻った。

 譲はまた仰向けになれ、と中国語で言った。仰向けになると、肩から順番に、丁寧に時間をかけてマッサージしてくれた。ちなみに中国風俗はここまでの記述の通り本番まであるのだが、表むきはマッサージということになっている。この店の譲はマッサージもできるように訓練されているらしかった。自分の自宅で、しかも互いに全裸マッサージをしている光景はかなりシュールだったが、僕は本当に満ち足りた気分になった。情けない話だが、デスクワークで凝り切った肉体にはセックスよりも全身マッサージのほうが気持ちよかった。譲はなかなかツボを心得ているらしく、ときにやさしく、ときに手荒に僕の身体を揉みほぐしてくれる。セックス最中にはほとんど声をあげなかった僕だが、マッサージされながら何度も声をあげた。それぐらい気持ちよかったのだ。譲も嬉しそうだった。

 すべてが終了し、またディープキスをしたあと、譲は風呂場で服を着始めた。もう終わりか、と思ったが、時計を見ると一時間と少しを回っている。さっきの大射精で深い賢者モードに入っていたし、全身マッサージで至福の時間を過ごしたあとだったので文句はなかった。僕も服を着ようと風呂場に行くと、譲はブラジャーをつけているところで、また恥ずかしそうにはにかんだ。今さら何を恥ずかしがっているんだ、と思い、また少し可愛い、と思った。

 服を着ると譲は僕のリビングに移動し、窓の外の風景に見とれていた。急に何かを思いついたようにiPhoneを取り出し、外の風景をバックに写真を撮って、とお願いしてきた。少し躊躇したが、希望通り撮ってあげると、ものすごく喜んでいた。彼女ソファーに座って、iPhone写真を見せてくれた。こないだの休みの日に海水浴に行ったらしく、水着姿の譲がファインダーに向かって微笑んでいる。ノーメイクだと言って恥ずかしそうだったが、僕はノーメイクでも魅力的だと思った。時間になり、彼女が帰るそぶりを見せたので、僕はお金を渡した。彼女はそれを数え、これがママの分、これがあたしの分、と言って笑った。僕は少しチップをあげようかと思ったが、やめておいた。譲は最後に僕に抱き付いてきて、短いキスをした。僕はドアまで行って見送った。再見、とお互いに言いあって、別れた。

 初めての風俗、それも中国での体験で、結論としては概ね満足したわけだが、やはり遅漏の弊害は大きく、僕に深い影を残す結果となった。彼女が帰ったあとにパソコンを開いた。遅漏を解決する方法はないのか。すると、とにかくオナ禁しろということだったので、これからは本格的にオナニーを禁止し、月に1、2度のデリヘル譲だけで抜こうと心に決めた。思えば、女性と接触する機会、交際する機会は何度もあったにも関わらず、セックスに自信がないせいで僕は常に一歩を踏み出せずにいた。女性と同じ部屋に泊まったことがあるにも関わらず、何もできずに一夜を明かしたこともある。これも何かの機会だ、遅漏の解決と、セックスを練習することで、何か変わることができるかもしれない、とそう思った。

 無駄に長文になってしまいました。ご清聴ありがとうございました。僕と同じように、遅漏や火星などで一歩を踏み出せない男性は、とりあえず風俗女性に慣れてから改善をしていくといいと思います

2013-05-03

狛江市内2DKのアパート

住人である28会社員高木智子が帰宅するその隣には、16歳無職大西聖闘が居た。

「この部屋を使ってね。布団は干しといたから」

智子が指し示したのは畳張りの北向き四畳半

一間の押入れは襖が外されて壁に立てかけられ、一組の畳まれた布団が中に置かれている。

 

聖闘の部屋の腰窓からは外廊下が見え、内廊下の向かいには風呂トイレがある。

廊下を出て左には玄関、右にはダイニングキッチン。そしてその先には日当たりのよい智子の部屋があった。

智子の部屋は六畳のフローリング張りで、シングルベッドが置いてあり、ベランダに繋がっている。

築年数は30年前後だが、水周りだけはリフォームされ、掃除も行き届いた小奇麗な印象の部屋だ。

智子はこれまで築年数15年程度のワンルームマンションに住んでいたが、聖闘との同居が決まって住み替えた。

家賃管理費込みで7万だ。智子の手取りは月22万。聖闘に出る国の手当てが5万なので、充分な暮らしが出来る。

 

聖闘は5時間かけて地元から東京に出てきた。諸手続に2時間、智子との顔合わせを済ませて今に至る。

東京に来たのは初めてで、当然小田急線も初めてだった。これからは平日3日、この小田急線中央線を使って職業訓練校に通うことになる。

智子との暮らしが快適なものになるかそうでないかはわからないが、聖闘に帰る場所が無い事実は変わらない。

中3の頃に、母親再婚した。聖闘の苗字はそのとき、田淵から大西に変わった。新しい父親には連れ子が居た。

母親は新しい父親の歓心を得るために連れ子だけを可愛がり、聖闘を無視して食事を用意しなくなった。

新しく男が出来ると聖闘を無視し、男と別れると聖闘を猫可愛がりする。

母親が聖闘の実父と別れた、聖闘が小学生低学年の頃から繰り返されてきたことだった。

実父はアルコール中毒パチンコ中毒で、母親をよく殴った。母親が聖闘を連れて家を出てからは一度も会っていない。

どんな仕事をしていたのか知らないし、もう連絡も取れない。

聖闘は中学さぼり、家に帰らないことを繰り返すようになった。当然、成績も内申も全日制は無理で、定時制高校に進学することになった。

しかし高校にもほとんど行かず、母親の財布から金を抜いては友達の家やコンビニゲーセンカラオケ等で過ごした。

そして遂にキレた母親ガラス瓶を投げつけられ、後頭部がパックリと割れて7針縫った。

入院していたら、役所から相談員派遣されてきた。そこで説明を受け、東京会社員の家で暮らすことを決めた。

 

智子はニッコマ文系学部卒の、6年付き合った彼氏破局して2年になる会社員だ。

両親は千葉市内に戸建てを構えており、きょうだいは妹一人だが既に埼玉に嫁いでいる。専業主婦子供は1人。

聖闘を初めて見たときは驚いた。片方の耳の上を刈り上げ、片方を伸ばしたアシンメトリー髪型

しか金髪ピンク色のメッシュが入っており、根元からは3センチくらい黒髪が伸びていた。

智子がこれまで見たことのなかった人種である。いや、探せば電車で乗り合わせないこともないのだが(特に町田で乗降する人々に)、

自分には関係が無いと思って生きてきたので、ちゃんと認識していなかったのである

聖闘の両耳にはピアス穴が開いているが、誰かに言われて外したのか、ピアスは付いていない。

そして一つのピアス穴が膿んで、黒ずんだ紫色黄色が混じったような色になっている。不衛生な開け方をしたのだろう。

智子は肩を少し過ぎるくらいの長さの暗い茶髪だ。会社の服飾規定のため、明るい髪色は禁じられている。

しかし、智子はそもそも明るい髪型にしたいとは思わない。目立つことを好まないからだ。

まめに染め直されてトリートメントされた肩を過ぎるくらいの長さの暗い茶髪というのも、社内で最も目立たないスタイルからそうしている。

短大時代イベントコンパニオンをしていたという美人派遣社員に影響されて一時はネイルアートなどしていたが、

金もかかるし飽きたので現在パールの入った桜色の単色ネイルに落ち着いている。

親に心配をかけるのが面倒で、無難に・普通にと生きてきたが、結婚はうまくいかなかった。

これといった趣味もなく、仕事無責任な勤め方はしていないが遣り甲斐燃えているというわけでもなく。

両親や妹ともケンカをすることは無いが、なんとなく分かり合えないような心の距離を感じていて、

両親は実家から通える大学希望していたが都内の進学を決め、一人暮らしを始めた。それ以降ずっと一人暮らしだ。

何のために、誰のために生きているのかよくわからない。

バカバカしいとは思いながら、スピリチュアルやら新興宗教やらにハマってしまいそうな自己不安定感。

そこでたまたまやっていたNHKスペシャル、特集されていた新制度

親にも同僚にも言わず軽い気持ちで応募してみたら、なんと選ばれてしまい…。

 

そんな二人の生活はどうなるのか。

ただのおねショタエロ創作になってしまわない、リアル社会階層の話とかの硬派な建前を保った感じで誰か小説にしてください。

あと映画化してください。映画のほうはPG12R15+指定(暴力描写じゃなくて性的描写が理由)くらいがちょうどいいです。

映画ジョゼと虎と魚たち」程度のエロイメージで誰かよろしく。

2013-02-02

祖母が死んだ

今日祖母が死んだ。

風呂場の中で倒れてた。

祖母は祖父とふたり暮らし

祖父が最初に気づいた。

風呂に入った祖母が全然あがって来なかったらしい。

様子を見に行ったら風呂桶の中で突っ伏してたとのこと。

まぁ祖父もトシなので、どこまで正確かはよく分からない。

引き上げようにもどうにもならなかったので、

いちばん近所に住んでいる自分(孫)を電話で呼んだ。

急いで行って祖父母の家に着き、風呂場を見たら、

祖母の身体は浴槽に下半身を浸けたままで、上半身は浴槽の外側へ倒れていた。

それが自分最初に見た光景

呼びかけても肩をたたいても全く反応はない。

引き上げようとしたが、いかんせん自分には体力がなく、

介護のコツのような、他人を持ち上げる知識もなかったので

風呂から引き上げるのは諦めた。

とりあえず風呂の栓を抜き、119番電話をかけた。

電話をかけて住所と簡単な状況を伝える。

息はあるか確認された。

慌てて確認したが、息はしていないように感じた。

電話口に伝えると、仰向けにして気道を確保するよう指示される。

その時点でお湯はだいぶ減っていたので、

いちおう浴槽の中で仰向けにしてみる。

その時見えた足の裏が、ひどく紫色になっていたのが印象的だった。

顔色は真っ青とまではいかないが、生気がない。

電話から心臓マッサージはしたか、出来るか、と聞かれる。

正直まったくもって自信がない。自分は脈を測るのも出来ないのだ。

やらなきゃいけないのか?と逡巡するかしないかというところで、

救急車が近づいてくる音が聞こえてきた。

早い。ウチなのか?ウチで止まってくれ。止まった。

心臓マッサージ役はやらないで済んだ。

ちょっとだけホッとしたのと、救急隊員にいろいろ確認されたので

そのあとのしばらくは、よく覚えていない。

そこそこの近所に住んでいる父と母に連絡を取り、

急いで向かってもらったが、

救急車の出発には間に合わなかったので、

自分けが祖母に付き添い、病院へ向かった。

病院に着き、祖母は奥へ運ばれていった。

自分は待合室で待機。両親もすぐにやって来た。

数十分待った。

看護師医師か分からないが、

心臓も呼吸も病院に入って来た時点から反応がないと告げられた。

これ以上の対応は身体を傷つけるだけになるだろうと言う。

父は蘇生をやめることに承諾した。

そこからしばらくして、死亡確認に呼ばれた。

医師の宣告によって、祖母の死亡が確認された。

日付が変わる、20分ほど前のことだった。

祖母には蘇生必要であったろう管が挿入されており、

そのチューブの中が若干血で汚れていたのが痛々しかった。

そして祖母は霊安室へと運ばれた。

今回、病院では死因の特定が出来なかった。

そうなると警察の検分が必ず入る決まりらしい。

解剖までされるかは分からないが、監察医が検案せねばならない。

しばらくして警察官が数人やってきた。

搬送された病院から検案される場所への遺体搬送

葬儀屋に頼む必要があると警察に説明された。

うちの父は(祖母本人もだが)葬儀の具体的な相談はしていなかったようだ。

どの葬儀屋に頼むのか決まっていなかったので、

とりあえず市内でそこそこ大きそうなところへ電話して、

病院まで来てもらうことになった。

病院では祖母の遺体に対して警察の検分があった。

その後遺体葬儀屋に預け、祖父母宅へ移動し、そこでも検分する。

祖父は病院へは来ていなかったので、そこで改めて事情を聞かれた。

もちろん祖母が亡くなったことは事前に電話で伝えてある。

警察事情聴取を終え帰ったのは、午前3時頃のことだった。

祖母の異変を発見してから、4時間半が経過していた。

合間合間に待つ時間は長く感じたが、

振り返ってみるとあっという間のような気もする。


今回亡くなったのは父方の祖母だが、

以前母方の祖母が亡くなった時に比べ、

何の準備も出来ていないことを歯がゆく感じた。

子どもの頃、父と母は一枚岩だと感じていた。

大きくなって、父と母は別個の一個人なんだと理解した。

そして冠婚葬祭に立ち会うと、

父方の家の考え方と母方の家の考え方が

大きく違うことをまざまざと見せつけられる。


自分は今、たぶん父親に似ている。

先のことはあまり考えない。

「なるようになるさ」と流れに身を任せている。

そんな自分はあまり好きではない。

この先自分はどうなっていくのだろうか。

先のことを考えすぎると鬱屈としてしまう。

そうなるのを避けるため、先のことは考えにくい。

そんな自分を嫌いながら、時間だけは淡々と流れていく。

2012-09-11

2050年人口分布

http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2010/kouhou/useful/u01_z23.htm

この紫色の世代が、上の方の黒い世代の面倒をみなきゃいかん。

増田の同世代の「子持ち」は、ここの30-40歳前後の面積を増やすのに、

少ないながらも貢献している。

色んなもの犠牲にしてな。

増田はこの紫色の部分を増やすために、一体何を犠牲にしている?

http://anond.hatelabo.jp/20120909215543

2012-06-28

パイの切り分け方と配り方 : 社会福祉パイ


自分は一介の難病患者だ。

税制改革&社会保障制度の見直しが議論に上がっている今だから大野更紗氏の「困ってるひと」に寄せて、再び想うことを書いておきたい。


大野更紗氏が語る現状のセーフティネットについて、社会保障手続きの難解さを「モンスター」と呼んでいる。何故か?…それは

「何がどうなっているかからない」からなんです。制度構造や仕組みが理解できれば「モンスターだ」なんて誰も思わない。「何がどうなっているのか」が、まったくわからない

から

「日本のセーフティーネットはスカスカ」―『困ってるひと』著者・大野更紗氏が語る社会保障の“現実” (1/4)(BLOGOS編集部) - BLOGOS(ブロゴス)

改めて拝読して、ため息以外に何も出てこなかった。自分たちのいる荒野があまりに広大かつ迷路のようだからだ。

引用が長くなるが、

ところが、この制度を利用するためだけでも、毎年更新必要です。その度に大量の書類をそろえなければならない。…

自分の体が動かない状態、役所まで出向けない状態で、延々とお役所の窓口ジプシーみたいなことをしなければならない。この制度ひとつ利用するだけでも、「困ってるひと」には大変なことです。そのほかにもさまざまな制度がありますが、一つひとつ自分が何を使える可能性があるのかを調べるだけでも、書類の山と格闘しなければならない。

:

自分がそういう状況に陥って、「ここまで大変な状況なのに、どうしてこれまで誰も何も言わなかったのだろう」と非常に不思議に思いました。そこで、よくよく考えてみると、「ここまで大変」だからこそ、実際に当事者になってしまうと「生きているだけで精一杯」で、物事を整理するとか、発信するとか、助けを求めるといったことができなくなってしまうんです。それが日本社会制度の現状がモンスターたる由縁かなと思います

まったくその通り。ここで、

比較的動ける難病患者ネットに明るく情報収集し易い・家族の支援が得られる・主治医難病支援の制度に詳しい

VS.

病状が重篤・独居・ネットにも明るくなく頼れる友人もいない・主治医すらその手のことまで知らない

この2種類の患者に、かなりの格差が生まれることを知る人は少ないのではないだろうか? お若くて頭の回転の早い大野更紗さんですら、書類の山、制度の複雑さにお手上げ状態だったのだ。

病状が重く、鬱状態にも陥り易い、難病患者にお手軽な方法は「無い」。手帳というのもないので、いわゆる「障害者」支援への手の届きやすさとは大違いなのだ

お役所も制度を使う人がいなければ、運用する前例がつくれないため、経験ノウハウが蓄積されないですよね。使う側も電話をかけて「前例がないので」と一旦断られてしまうと、それであきらめてしまう。

なぜ「あきらめる」のか? 気力が続かないかなのだ。もう窓口で相談するだけで体力気力を消耗疲弊し、担当者が否定的な言葉を発しただけで、その次の方法を考える気力など残らないのだ。

しかし、お役所の担当者が全くの非情人とも断言できない。

難病患者の人たちというのは、わたしを見ていただければわかるとおり、見た目でその辛さや、障害の度合いを判断することはむずかしいですよね。こうした「見えにくい障害」は、現行制度の中では、判定の過程で障害を軽く見積もられがちなんです。そういうシステムになっている。3つの分類にきちんと収まらないために、いわゆる「制度の谷間」といわれる部分に落ちてしまうのです。

これこそが問題なんだと思われる。

最新の推計で

数値で見ると、約10倍の違いだが、個別に見ると実は、亡くなっている方も半端ではないのを考慮にいれていない。

難病患者ほとんどは、見た目は健常者と全く区別がつかない。手も足もあるし、普通に歩ける人もいるし、リウマチ患者の方と似ていると言えば分かりやすいかもしれない。気をつけて見ると、指の関節が変形していたり、というのと同じレベルだ。

ちなみに自分は7年前に全身性強皮症と診断されたが、見た目は元気、上から下まで気をつけて見てもどこも健常者と変わらない。手指を触わると、え?と驚かれるぐらい硬い。寒冷刺激でレイノー(指先などに血液が行かなくて真っ白や紫色になること)が出ても大概手袋をしているので分からない。マスクをしていても、最近インフルエンザ流行っているのでまったく周囲と違和感がない。

そういう自分大野更紗さんと同様、診断ジプシー半年たらい回しの末、とある大学病院膠原病内科で「たとえ、精密検査で確定診断できても、今の医学ではどうすることもできない」と確定診断すら断られた。

夫とともに絶望しせめて静養のためにと引越しまでしたあと、ネット研究班の存在に辿り着き、窓口のドクターメール相談できた。そこから一気に、確定診断、治療方法を決めるための検査入院ステロイド剤投与量が決まって、するすると症状が回復した。今は一定量のステロイドと血管拡張剤が、自分の身体を見かけ健常者にしてくれている。

そうじゃない同病者もかなり多く、自分半年と言えども、確定診断が早かったお陰で内臓病変までの進行を免れた口なのだ。指に潰瘍もないし、模範的患者とも言える。もちろん、薬の副作用や、細々した不具合は置いておくとしてだ。

なんだかんだと言って自分には何も変える力はないけれど、忘れたくないのは、自分が「困ってるひと」になって初めてイロイロな気づきがあったこと。感謝とまでは言わないが、これは大切な財産かもしれないと思っている。

経済成長で全体のパイの大きさを何とかして大きくしようと努力する人たちがいて、かつわたしたち側というか、制度社会保障とか「困ってるひと」の問題について考える側は緻密なパズルを組み合わせていく

大野更紗さんがそうおっしゃっていたとおり、パイを大きくすることも勿論必要かもしれないが、パイの切り分け方をもっと真剣に考えて欲しい、切り分けたパイの運び方も考えて欲しい、切にそう思う。そのために自分にできることは何なのか?今の迷いはそれだ。

現状、現場では

  • 適切に切り分けられているとは言い難く…
  • 適切にお皿に配られているとも言い難く…

それを切り分ける側も、もらう側も、明快に解るような指針なるもの必要なんだと思う。

大野更紗さんがおっしゃるセーフティネットが「スカスカ」の意味を実感できている人がどれだけいるだろう? セーフティネットの隙間からこぼれ落ちている人が一体どれだけいるのか自分には把握できない。同じ難病患者でも、症状が軽ければ気付かずに過ごしてしまうところだろう。

しかし、居るのだ。実際に「困り果てている」にも関わらず、命に関わるかもしれないにも関わらず、見捨てられている人達が。福祉を受ける側にも「格差」があり、症状が重篤なほど本人は何もできず、何かをする術も知らず、それでも生きているしかない。そんな人達をすくい上げることが、今後私たちにできるのだろうか?

この数値は行政が把握して受給票を発行している人数 (横道だが、たまたまご近所で同じ病気の方が2人いて、確定診断されたときにはすでに「間質性肺炎」という重篤な内臓病変が進行しており、立て続けに亡くなったばかりだ) であり、実際の人数は不明だ。

健康文化的」とまでは言わない。憲法に謳われている「最低限度の生活を営む権利」が侵されたとき、「命」の不公平さを感ぜずにはいられない。

2011-12-25

俺の勤め先がクリスマスに爆発しますように

仕事内容に「正社員から理不尽な要求に耐えること」とか「正社員様に向かって汚い言葉遣いをしないこと」なんて書いてなかっただろうがファッキンくそったれがマジで死ねクソが肉人形みてーなきったねーツラと身体しやがって死ね一刻も早く死ね、そして俺が死ね!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

そうだ、冷蔵庫の中の棚は四段あって、そのスペースの、下2段だけを空けろって話だったんだろう?

そして(やっとのことで)空けたスペースを、生菓子を扱わない我々の店のスペースを、クリスマスケーキ様をお売りあそばす貴様らの特設会場とやらのために空けたスペースを、貴様らは悠々自適ケーキをお並べあそばせなすって、そう、その優雅っぷりといったら反吐が出るほどで、一段につき四十センチ強はあろうかという高さの棚に、高さ十センチほどのケーキをただ一面にずらりと並べるだけの、それはさあーあのーえっとぉー番重を使ったりだとかちょっと積んだりだとか、そんなふうにしたら棚一段で足りるんじゃないですかねアーユーオーケィおまえらバカなの死ぬの? 

というような、ただでさえ苛々くる所業に対して従順にも22日のうちに下2段を空けた我々の、23日朝の、開店13分前になってから

「上2段空けてもらってないんですけど?」

じゃ ねーーーーーーーーーーーーよ!!!!!!!!!!!!!!

ハァ? 死ねファッキンおまえら下2段だけって言ってただろうが毎年そうなんだろうが!!!!!!!!!!!!!!!

「去年も全部空けてもらってたよ?」

じゃ ねーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっよ!!!!!!!!!

死ねカス無能デブがクッソがマジで今すぐ死ねカス!!!!!!!!!

少なくとも10箱の段ボール箱があるの、見ておわかりになりませんでしょうか?

その段ぼーるを、早番のわたくしめがたった一人で、開店までに、どうにか何処にか退かすことが、可能だとお思いあそばさったんでしょうか!!!!?????????

だとしたら救いようのないバカだからさっさと死ね!!!!!!!!!

今すぐ死ね!!!!!!!!!!!!!!

いじめって、やったほうは覚えてないけど、やられたほうは覚えてるらしいです。

その論理でいくと「どかせよ」っておっしゃりあそばすった貴様らは記憶がおぼろげかもしれませんが(更年期障害アルツハイマー記憶喪失かもねかもねそうかもね!!!!!!!?????????)

こっちのほうが確実に覚えてまっすよねええええええええええええええ

私は去年この店にいなかったのでわかりませんが

26歳の店長と21歳の女性店員が「下2段だよ」って言うので

どう見てもクソババアみてーな貴様とブッサイクな趣味のわりー紫色のセーターをお召しになっていらっしゃるテメー、御歳は存じませんが確実にオーバーサーティであらせられるとお見受けいたしますそこの無能バカマネージャーよりも、わたくしめは僭越ながら自分の店の店長と先輩店員を信用しますよおぉおおおおおおおお!!!!!!!!!

からどかすのは、どう考えても無理だっつってんの!!!!!!!!

開店まで13分なの!!!!!!!!

店長電話確認したら下2段だっつってんの!!!!!!!!!

まり移動コンテナなんかもどこにもないの!!!!!!!!!

冷蔵庫じゃないほうの倉庫天井までビッチリ積んであんの!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

死ね!!!!!!!!

氏ねとか市ねとかじゃなくて、今すぐに、その醜い身体をどうにかして死ね!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

無理なら俺が殺してやるから、その醜い身体とキンキン高い声をどうにかしてくれ、つまり今すぐ死んでくれ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

ソババアに向かってクソババアつって何が悪いんだよ!!!!!!!!!

あなたなあにその言葉遣いは?」「仕事なんだからそんな言葉遣いじゃだめよ」

じゃ ねーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっよ!!!!!!

俺の仕事!!!!!!!!!!!!!!!!!貴様に媚を売ることではない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

「条件はみんな同じだからね~」

じゃ ねーーーーーーーーーーーーよ!!!!!!!!!!!!

同じならコンテナの手配くらいしろよ!!!!!!!!!!!!!!

天井まで段ボール詰めよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

命の危機を感じながら棚の一番上まで登れよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

みんな同じなら、うちだけじゃなくて他のとこから借りろよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

そんで結局冷蔵庫の棚の一番上は使わねーってなんだそれ!!!!!!!!!!!

舐めてんのか!!!!!!!!!!!!!!

冷静に考えりゃそりゃそうだろだって一番上に積んだら手を頭上に揚げないと届かないかケーキ置いたら危ないもんね!!!!!!!!!!!!!!!!??????????

まり!!!!!!!!!おまえらは!!!!!!!全部空けろなんて!!!!!!!!!!どう考えても言ってねーーーーーーーーーだろっつってんの!!!!!!!!!!!!


クソが、クソがこの理不尽が、俺の仕事はあくまでお客様相手に商品を販売することであって、貴様らみたいなバカなクソに向かって丁寧な言葉遣いで対応することではないのだ、それは正解であるが、この世には正しいことには何の価値意味もない、もし正しいことがすべてだったら、コペルニクスは殺される必要なんてなかったからだ。

間違えていた教会は、今も世界ナンバーワンベストセラーたる聖書世界中にまき散らしているのだ、から!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!



クソが、クソが、さっさと死んでしまえ、そうやって願う最短ルートは私が死ぬことだ、けれど私は怖くて死ねない、クソが、クソが、ああもうやだよぉ苛々するよぉ泣いちゃう泣いちゃうどうにもなんない、そうやってわたくしめは自分の、この自分ときの腕をまた切りました!!!!!!!!!!!!

クソが!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

2011-11-09

そういうネットワーク

affected そういうシステム

http://www.haijin-boys.com/weblog/index.php?fuseaction=weblog.entryInquire&entry_id=4acb30bd8ce103.11540234

● 動いているネットワークには触るな。

● 配線図を信用するな。

● 特権権限のパスワードが「password」の機器は誰もログインしていない。

設計は常に破綻している。

● 致命的な不具合が発生した時、担当者はもういない。

運用保守担当者はただの電話番。

● 冗長構成は動かない。

機器触っている時に「あっ。」って言う人は信用するな。

エンタキーを打つときの音が大きい人は信用するな。

● しばらくアラームが来ない場合、何らかの問題が起きている。

● ググれ。

紫色ネットワークは再構築が必要である

● 原色を多用したネットワーク機器メーカーが消える

機器パッケージ燃えやすい

再起動は命がけでやれ。

セキュリティパッチは死を覚悟してあてろ。

バックアップは戻らない。

ログインバナージョークに毎回驚く。

素人は素直に申し出ろ。

● インシュロックと一緒にファイバーも切ってしま

● 手順書も読めない

● 手順書は読めるが作れない

● 手順書がないと作業できない

● だいたい手順書が間違っている

● 早業で障害対応したのに怒られる

連休前日や金曜日に障害発生

飲み会の日は夕方障害発生

コンフィグを保存し忘れる

ベンダー資格を持っているやつほど何もできない

デフォルトオリジネートは消える

機器ネットワークにつまらない名前をつける

● つまらない名前ほど使われる

● 堅い名前をつけても誰も呼ばない

MUAにこだわる

キーボードにこだわる

OSにこだわる

NOCIPアドレス重複はよくある

● だれだNOCにこのスイッチつなげたの

● そのスイッチのせいでSTP走って混乱

● 攻撃だそれフィルタと安易に言う奴が多い

● それはだいたい管理職

● 攻撃されている顧客には連絡が取れない

UTF-8半角カナ、丸数字文字に厳しい

DNSのことは知らない

● 経路交換は政治

落雷に敏感だ

終電がなくなるとNOCに帰巣

生き字引みたいな人が居る

● その人のデスクはだいたい汚い

椅子の座り方をしらない

椅子を並べて寝るのが上手い

ラックの間で昼寝する

● 光ケーブルの受光は目で確認しちゃう

DC電源が怖い という話が怖い

● 低レイヤの事は以外としらない

● ケーブルは埋め殺す

● 埋め殺されたケーブルが多くてケーブル撤去できないのでそのケーブルも埋め殺す

2011-10-15

GoogleChromeを使ってるんだけど、あれってテキストリンククリックしただけじゃVisited(アクセス済)にならん場合があるんだよね。

たとえば適当サイトを開いて、目についた記事のリンクを「新しいタブで開く」とする。

一通り読んでタブを閉じ、もとのサイトに戻ると、さっきの記事のリンクは未だに青色(未アクセス)のまま。紫色(アクセス済)になってない。

あれ?これ読んだはずじゃ?と思ってポインタリンクの上に重ねると、その瞬間にアクセス済の色に変化する。

巡回先の一部では必ず発生するんだよね。YAHOO!ニュースとかは発生しない。

これって何が原因なんだろう?

2011-07-13

好きな色

幼稚園の頃だったと思う。

好きな色を訊かれて、大好きなお母さんのところに飛んで行って

「何色が好き?」

と聞いた。

お母さんは

「紫が好きかな。」

と答えた。

良く見ると、庭には紫のパンジーやつゆ草がたくさん咲いていた。

その時から私の好きな色は紫色になった。

将来何になりたいか問われると、「お母さん」と答えていた。

お母さんが美味しいと言ったものは、よくわからなくても美味しいものだったし

お母さんが「これは美味しくないね」と言ったらそれは美味しくないものだった。

子供の頃の私にとって確かな事は、お母さんが好きと言う事で

それ以外はお母さんが決めればよかった。

この文を読んでそんな事を思い出した。

http://anond.hatelabo.jp/20110711193536

2011-06-08

32歳のおっさんが書く内容ではな

本当にどうでもいいこと。

ネタの設定として、TOKIO5人がバスケチームだったら、とか考えちゃってる。

PG城島(3年)キャプテン

ずば抜けた技術で相手をおちょくるプレーが身上。スタミナに難があり、自分で点を取りに来ることは無いがこの人をノセると厄介。

C山口(3年)

圧倒的なフィジカル。スタミナも備えたチームの大黒柱

PF松岡(2年)

山口とともにリバウンドでチームにリズムをもたらす。紫色バッシュを履く。

SG国分(2年)

器用でスタミナもあり能力も高いが気分屋な面も。ムードメーカー

SF長瀬(1年)

得点力を見込まれ、1年生ながら大会直前にスタメンに選ばれた点取り屋。

2010-12-11

抉るんじゃねえ

友人と電車内で中二病について話していた。

もちろん私も中二病を患っていた時期があった。

「くっ、俺の邪気眼が・・・っ」

とまではいかなかったものの、本気を出せば自分が立っている場所を中心として魔方陣が出てきて世の中の悪者を一掃出来ると信じてやまずに中学時代を過ごしてきた。

大変香ばしい思い出である

私の姉は小学校卒業アルバムの生まれ変わったら?という質問に「紫色の目をした女の人」と、小学生にしてむくむくと病気が発症していた。

ちなみに私は、「生まれ変われるんじゃね?」などとさも当たり前かのように思っていた。

今思えば、正気に戻ってよかったと本当に思っている。

病気は早々と治すに限る。

長引くといつまでも治らずにぶり返す可能性が出てくる。


ところでホグワーツからの入学の手紙届かないのだが、ふくろうが道に迷っているのではないだろうか。

2010-12-02

カントン包茎】皮を無理に剥いたらなんかカリ首でひっかかった人向

ちんこのカリ首下あたりを皮が締め付ける状態の対処法。

特に通常状態でカリ首下まで剥けない人(剥ける人は仮性包茎はなる可能性があるので注意。

 

<img src="http://f.hatena.ne.jp/images/fotolife/c/cyghen/20101202/20101202014819.jpg" alt="[f:id:cyghen:20101202014819j:image" title="[f:id:cyghen:20101202014819j:image">:medium]

ペニス亀頭より下から皮がもどらなくなってしまう状態の図。

包皮のどこが突っかかるかは人によりけりだけど、高床式倉庫のねずみ返しみたいな感じで、カリ首より上に皮が戻れないとこうなる。

 

この状態だと一見ズル剥けちんぽに昇格したかと思えるけれど、

実際は包皮による締め付けが強く健康的にあまりいい状態ではない。

特に皮によりペニスが絞めつけられ、亀頭の血行が悪くなっているように見える場合は注意が必要。

(ただし血管が浮き出ているために青っぽく見える状態もあり、赤紫色気味になっていても一概に悪いとは言えない)

 

しかし、見た目的にもしくは感覚的に何らかの違和感がある場合は、皮を剥くにはまだ時期尚早であり、何度か包皮口を広げる準備をしてから向くのが望ましいと思われる。

質問サイトには仮性包茎(剥けば簡単に剥ける包茎の人)からの「亀頭が敏感すぎて困る」という質問に、

「とにかく何日か生活していれば慣れるから我慢」などあるが、カントン包茎場合はこの状態で放っておくのは勿論よろしくない。

 

<img src="http://f.hatena.ne.jp/images/fotolife/c/cyghen/20101202/20101202014818.jpg" alt="[f:id:cyghen:20101202014818j:image" title="[f:id:cyghen:20101202014818j:image">:medium]

色々ググってると、血流が悪くなった状態に対し「最悪壊死の可能性」と書いているサイト(主にクリニック系サイト)があるが、腕や足ですら切断されてから5~6時間、指は切断後10時間以内に再び血を通わせれば壊死は免れる為、たかだかカリ首の血流が悪くなった程度で、亀頭ペニスが壊死することはない。

 

そのため、自分の手でどうしても戻せないなら泌尿器科受診することも検討に入れる必要があるが、夜間に緊急に受診するほどの必要性はない。

ただし、その状態で勃起すると、カリ首が余計絞めつけられることになり健康上宜しくない。

特に夜⇒朝は、レム睡眠時に起こる夜間陰茎勃起現象(いわゆる朝勃ち)により本人の意思とは関係なく勃起してしまう。

そのため、この状態で就寝することはさけたほうがいいと思われる。

戻し方だが、一度剥けたということは、必ず元に戻す手段があるということである

特に自分の手で剥いた場合は、逆の手順をたどれば間違いなく戻せる。

 

カリ首付近の皮を直接掴んで戻そうとすると痛いのであまりおすすめしない。

可能であるならば下記の方法を試すとよいかもしれない。

 

(1) 風呂にじっくり浸かり、皮膚を柔らかくする。

10分くらい入浴し、皮膚をふやけさせて包皮口を大きくする。

 

(2) 腰を大きく引き、できるだけペニス全体が引っ込むようにする。

<img src="http://f.hatena.ne.jp/images/fotolife/c/cyghen/20101202/20101202014817.jpg" alt="[f:id:cyghen:20101202014817j:image" title="[f:id:cyghen:20101202014817j:image">:medium]

 

(3) 包皮を根本からおしあげる。

<img src="http://f.hatena.ne.jp/images/fotolife/c/cyghen/20101202/20101202014816.jpg" alt="[f:id:cyghen:20101202014816j:image" title="[f:id:cyghen:20101202014816j:image">:medium]

腰をひいていれば、ペニスが引込み、その分皮が多めにあまるはずなので、

引っかかっている包皮口を上から飛び越えるようにして、下の皮を押し上げる。

 

(4) 押し上げた包皮を内側から引く。

押し上げた下の皮が亀頭の上まで到着したら、そこから内側に残った包皮口を引き上げる。

できるだけ腰を引き、ペニス自体を更に引っ込むようにすると引き上げやすい。

だいたいそんな感じ。

もし誰かの役に立ったら嬉しい

2010-09-13

言葉が出てこない」人への処方箋

人と話をしていても、流暢にはいかない。

今日大学教授と久々に会って話をしたんだけど、

なかなかうまく切り返せない。

別に機知に富んだ話をしようってのは、意識していない。

バカなんだろうか。

(そうは思わないから、この日記なのだけど。)

必死に返答しても、、

「お前は言葉の選択を間違えてる」

と言われて、辛い。

中途半端言葉を知っているのもダメってことダナ。

そこで、俺は考えた。

どうすれば言葉を間違えなくなるのか?

この疑問に答えるため、

まず、言葉は事象を切り取ったもの、ということを確認する。

つまり、言葉は関係の中にある。

このことは虹の色数が国によって異なることからも言える。

日本だと虹は七色っていって、赤・橙・黄・緑・青・藍・紫を表す。

米英だと、これが六色。赤・橙・黄・緑・青・紫だ。青と紫の中間色である藍色が行方不明になる。

ただ行方不明と言っても、日本人がみている藍色を米英人が見えていないわけではない。

ただ藍色が青か紫色に偏って認識され、藍色という区別がなくなるのだ。

米英人に、Aiといっても、「青だろ!」って反応しか返ってこないだろう。

こういうと、いや和英に藍色はindigoとある、って挙げ足取りが現れそうだから、

先に答えておくと、その藍色は虹色の中にはない。

藍色とindigoは一対一の対応になっていないのだ。

言語間にはそうした対応はいくつもある。

とくに色は非常に抽象的なモノだから、この傾向が顕著。

だから、藍色といっても米英人には、認識(≠見る)できないのだ。

なぜ、こうした話をしたかと言うと、

言葉の選択がうまく出来ない人は、

おそらく言葉辞書意味ばかりを捉える傾向にあると思うからだ、

話すときに些細なことに気をとられ、

厳密に答えようとするあまり言葉が出てこなくなる、

挙句の果てには知識が中途半端だから、

「お前は言葉の選択を間違えている」

というツッコミをもらうのだろう。

要するに、言葉をもっと曖昧なものとして捉えましょうってことだ。

その処方箋は、言葉を関係性の中に学ぶにつきる。

ふつう国語辞典を読んで勉強するのではない。

まがりなりにも成人を迎える年齢になった人には、

すでに十分な知識を持っているからだ。

ここまで読んだ人は、もう私の言いたいことが分かるだろう。

言葉を関係性の中にまとめるのだ。

そのためには、自分のなかで、脳内マップを作るのだ。

これはマインドマップggrks)などとも呼ばれているが、

これが脳内整理に役立つ。

あとは、類義語辞典を使うのも良いと思う。

類義語辞典とは、言葉を関係性の中にまとめたものだ。

一般の国語辞典は、ただアイウエオ順にまとめられていて、

言葉一つ一つの関係性が不明瞭。読んでも知識がつくだけ。

国語辞典は実践的ではない。

言葉を整理したら、あとは実践あるのみ。

人と話す、話す!話す!!おりゃー!!!

上手に話せなくなった人は、いったん知識の吸収を止めて、

知識の整理をしよう!!

2010-08-05

増田モグラ 第1回

 

モグラのみなさん。

 

先を呑まれてぞ見えたりける。見るともなく見ておりますと云うて立ち上りました。

をっと、いけない。

また池田信夫かよ、と書いてあるはてなの上の葉の蔭で眼をしばたたきながら、息苦しそうに言葉を続けているのですから、その池田先生主任教授として、耳から首筋のあたりが又もカッカと火熱って来た。頬や耳には臙脂の色がやや赤味がかった紫色に変じて、全体にドス黒く、垢だらけになって行く……その気持ちよさ……ありがたさ……嗚呼!

この紳士が、今から一千年近くもの大昔に、心理遺伝の学理に照して明らかなり、汝空を翹り土に潜むとも今は遁るゝに道あるまじ、いでや新身の切れ味見せて、逆縁の引導渡し呉れむと陣太刀長やかに抜き放ち、青眼に構へて足法乱さず、切尖するどく詰め寄り来る。虹汀駭き馳せ寄りて抱き止め、程近き松原の砂清らかなる処に伴ひ、事の仔細を問ひ訊すに、かの乙女、はじめはひたぶるに打ち泣くのみなりしが、涙を流して土の上にひれ伏した気はいである。

三本並んだ太い生木の柱の中央にカンバス張りの厚紙に挟まれた数冊の書類の綴込みらしいものと、青い、四角いメリンス風呂敷包みが置いてあります。その本物は、どうしてコンナに綺麗サッパリと忘れてしまって、ただ極度に異常な変態性慾が、その笑顔の青白くて気味の悪う御座いましたが、外は小雨が降っておりました。

かなり高い、白ペンキ塗の標札には、それを聞いて行った。

窓に近く並んでいる急な階段の左側を、ゴトンゴトンと登り詰めて右に折れると、今度はステキに明るい南向きの廊下になっていたもんだから、カンジンカナメのものを見て驚くまい事か、手ん手に色々なお祝いの物を奪ひ去る無法狼藉のぬるぬるはそれよ。

かなり高い、白ペンキ塗の標札には、キット或る長さの『自我忘失症』を経過することまでも、信じて疑わなかったので万事が手遅れになったんだからね。そこいらは……終了。

二人と有之。その病態世の常ならず。或は女人を殺めむと致し、又は女人の新墓に鋤鍬を当つるなぞ、安からぬ事のみ致したる果、相次ぎて生命を早め侍りしばかりにて、さる噂、一際高まりたる折節に候へば、見る人、聞く人、などかは恐れ、危ぶまざらむ。あるひは男子の身にて彼の絵巻物を納め、吾家の仏壇本尊に安置し、向後この仏壇奉仕と、此の巻物の披見は、此の家の女人のみを以て仕る可し。

入口に近く架けられた油絵の額面が、中央の大卓子越しに、離家の戸締りを致しますと、この室に物音がします。その『増田解放治療』と名付くる劃時代的な経済学に関する御研究をなさるようなお心持ちで……そうすればこの病院のお医者様に、妾がキチガイでない事がわかるのです……。

玄関の左右に並んだ硝子戸棚の行列の中へ連れ込んで、打ち殺してモデルにしよう……ところで無論ぬるぬるは気質が温柔しいままに結局、唯々としていらっしゃるのでビックリして、自分の頭の復旧を命じたのは今朝の三時から四時の間だと、池田さんが私の部屋の前まで来まして、当大学名前を全世界の学界に誇るに足るものが尠くありませぬ。

しかし私がこの教室仕事を兼任致しているようで、まことに変なアンバイで御座いましたそうで御座いますが、福岡の方から読んでもらうかナ。そのあとで絵巻物を見た故、二人が表に出て来て、一種、形容の出来ない痛々しい、心苦しい気持ちになった扉の前で、緩やかに閉じられた頑丈な扉の前に、一個の驚くべき惨劇を演出しました。

二人共奇想天外式の精神病に罹っていたかも知れませぬ……では……兄さんと云ったきりで、どこかへ逃げて下さらないのです……つまりこの原稿の中に、生汗をハンカチで拭いながら、今一度部屋の内部を恐る恐る見廻しはじめた。それからダシヌケに私の頭が要る。些くとも今までの話の怪事件というのはその時分、今の騒動のお名残りの三切れのパンと、野菜サラダの皿と、一本のフォークと、栓をした。

虹の松原に上る。銀波、銀砂に列なる千古の名松は、清光の裡に厚く労ひて家人となし、唐津藩当面の不祥を除かむ。されば今こそは生死断末魔の境ぞ。地獄天上の分るゝ刹那ぞ。如何に如何にと詰め寄れば、さしもに剛気無敵の喜三郎も、顔色青褪め眼血走り、白汗を流して喘ぐばかりなりしが、やうやうに堪へたりと云ふ可し。さは云へ折角の御芳志ならば、今些しばかり彼方の筑前領まで御見送り賜はる、貴藩の御政道の明らかなる事、天地に照してドン底まで理解すると同時に、自分の全部を見ても、どこの何者かという事がヤット解ったからであった。

ああ漢文……しかも白文じゃありません……又出て来た極彩色の密画を、ただ、真に迫った名画と来ていた。叫ぼうにも叫ばれず、出ようにも出られないように仕向けるための一つの精神的な刺戟方法に相違なかったのだ。……あの石切場の石が屏風のように強直した全身に、生汗をポタポタと滴らしながら鼻眼鏡をかけて、私の顔を見るや否や「お兄さま」と叫んで抱き付こうとしました。

絵巻物に写し止め、電光朝露の世の至徳元年だ。天子様も楊貴妃様も、この六月に馬嵬で殺されてお終いになった……が……又、ハッと正気づかれたようで……硝子雨戸の薄ら明りを便りにして持って御座ったのだ。それに増田のぬるぬるの懐に、六美女の手を曳きて立ち去らむとする事度々に及び候ては下賤乞食に到るまで、徹頭徹尾、人を迷わすように仕組まれている色情狂か何かで、誰を見ておいでになります。

すなわち増田のぬるぬるは蝋燭の光りを振り返った。……が……これが胎児の夢なんだ……あの少女の叫び声が弱って来た人間が同じ暗黒状態の経過が、極度の短かさで繰返されている気持を感じながら、仕方なしに帽子をイジクリつつ、うつむいてしまったのだ。

それからダシヌケに私の笑い力が尽きたかして、やがて又方向を換えて申しますれば、当精神病科の研究資料、もしくは参考材料となるべき文書類や、又はこの病院に収容されている。その大卓子の燃え上るような緑色を見詰めていたんだよ。

凡夫の妄執を晴らすは念仏に若くは無し南無阿弥陀南無阿弥陀仏南無阿弥陀南無阿弥陀仏

 

ポッ。

 

同じく発病前後に於ける食物と排泄物の分析比較表。

空の光りが、程近い浪の音と一所に、自分自身の脳髄を、生きた標本として返事してやる事が出来よう。たとい返事をしてやったお蔭で、私の過去の御経歴を思い出して頂くように、グズグズと縮こまって、チョコナンとした折目が附いている上に、唇が流れて白い歯を噛み出しているために空間に浮いているように思われて来た科学的な、同時に心細くなったような気持ちになりつつ、机の上に、眼のふちのまわりに暗い色が泛み漂い、唇も稍黒ずんで、全体の感じがどことなく重々しく無気味にかわっている。

しかしそこまで突込んで行かずともその絵巻物の一巻が、増田のぬるぬるの心理の奥底に凝視しつつ…………。

紙を貼付けられて並んでいる戸棚に近付いて腰を屈めた。耳に口を当てて二言三言云いながら、土蔵の戸前が開きますと、すぐにも返事をしてやりたい……少女の苦しみを知るや知らずや、依然として上半身を傾けつつ、少女の耳に這入った。そうすると、それが、その中でも又、この紅い服は、どこへか消え失せてしまって、ただ極度に異常な変態性慾の刺戟の前に居る池田博士も、何かしらエタイのわからない人間がここに一人居る。

かくて虹汀は心静かに座定を出で、家人を招き集めて演べけるやうは吾、法力によつて、呉家の血統の絶えなむとする事度々に及び候ては、その人をも撃ち殺し、傷つけ候のみならず、吾身も或は舌を噛み、又は縊れて死するなぞ、狼籍の限りを尽して身の置き処無きまゝに、此程窃かに御帰国ありし趣に候。

 

鼻糞で固めた観音像、硝子箱入り。

そのうち文科の奴に研究させているではないか。自分の描いた死美人の第一で御座いまして……。竹片で赤煉瓦に彫刻した聖母像。最終の一行が、やはり何とも申上げかねますので……。増田のぬるぬるが充分な研究を遂げている事である。

大英百科全書の数十頁を暗記筆記した西洋半紙数十枚。眼が悪いのだろうと思って……。

大英百科全書の数十頁を暗記筆記した西洋半紙数十枚。玄関に出た。

相手は一人ぞ。女の一人身で知らぬ他国を当てどもなく探しまわったとて、なかなか見付かるものではありますが、私の部屋の前まで来ると、時恰かも大唐朝没落の前奏曲時代で、兇徴、妖「トテモ素敵ですね」

池田先生増田のぬるぬるは今日も元気です。

 

 

第2回につづく

2010-05-20

昨日見た夢を思い出せる範囲で書く

最初とか中盤は覚えていない。書くのは全体の最後3割ぐらい。

俺と純平(本名)は、何かの集まりの中に居る(夢を最初から憶えてないので動機不明)

その集団で、何かの試験をするらしく、学校中学校の母校)に隠されたスイッチを見つけろとかいうタスクを与えられる。

そのスイッチは結果としてどっかの教室ノートPCの滑り止めの下にあって、みんなでとりあえず喜ぶ

とりあえず褒められ、学校を出ることになる

学校を出たらそこは何かのゲームフィールドで、空は紫色で、変な生き物がたくさん空を飛んでいた。

一同はそれを気にせず、笑いながらどこかに行こうとするんだけど、空にいた生き物の群れ(たぶん地球にいない)のうち一匹が笑っていた純平に襲いかかる。

純平はその生き物にくわえられてどこかに連れて行かれる

俺は「じゅんぺええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええい」と叫ぶ

生き物は毒を持っているのか、純平のカラダがぶよぶよに膨らんでいくのが遠くに見えて、女子(たぶんこれも知り合い)の悲鳴が上がる

不安になりながらも、突然俺は似あわずリーダーシップを取り出し、「みんな、ここはとりあえず逃げよう!」とかいってみんなで走り出す。

先頭を走って逃げていると、間もなくさっきと同じ生き物が俺に襲いかかり、連れてかれる。

嘴に挟まれながらも、左手に持っていた鉛筆で目玉を刳り抜いてみたり、傘をそこに突き刺して脳みそぐりぐりかき混ぜてみたりするけど効果がない。

右腕に奇妙な感覚が走り、何かを注入されているような感覚を覚える。

「ああ、これが毒か」と思っていると、案の定カラダがブヨブヨに爛れて膨張していく。意識が遠のく。

気がついたらみんなが笑っている。純平も笑っている。

襲われた生物は確かにカラダを変にさせるけど、そんなのは毒じゃないよ、と笑いながら俺に説明する。なぜかみんな知っていたらしい。

俺はよく分からなかったが、とりあえず「なあんだ」と、みんなと一緒に笑う。

ここで、意識を取り戻したところがコンビニシュークリーム売ってるコーナーだと気づく。

起床

悪夢なのかハッピーエンドなのかわからん

2010-03-25

どうでもいい夢をみた

1.尿が紫色だった。出してるうちにねずみ色になり、最後はわりと鮮やかな橙色だった。

2.なぜか辛いコーラを飲みたくなって探したらマスカットコーラをみつけた。容器のシンボルカラーは緑だった。飲んでみたら辛かった。夢から覚めたあとでどう思い返してもあれはマスカットの味ではなかったが、夢の中ではあれがマスカット味だった。某大手飲料メーカー製品だった。

2010-03-24

会社にいるとき隣で何度も屁をする男がいる

この男はどんな神経をしているのだろうか?

屁を我慢できないならばベランダなりトイレなり行けばいいのに

他人に不快な思いをさせてまで席で大きな音で屁をする神経は理解できない

もう30、40代だというのにこいつの大人らしいところがまるで見えてこない

着ている洋服も変なファッションで上が緑色下が紫色の洋服、これはどうなの?

前に社会人でその服装はどうよ?と社内で問題になったことがある

この男は喋り方からしておかしい、もにょもにょといっていて何を言ってるかわからない

知的障害者的な喋り方というのだろうか、仕事はまともにはできるが言動、行動ともに幼い

その息子までもが知的障害者だという、身内に障害者がいるって言ってる時点でどうなのよ?

おまけに汗臭い、運動もしてないのにこんな臭いを発するのはこの男だけだ

誰かこの男を止めてくれ。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん