はてなキーワード: レム睡眠とは
1. 脳の活動と夢:
2. 感情の処理:
1. シナプスの強化:
あなたの夢は、脳が最近の経験や感情を処理し、統合しようとしている過程を反映している可能性があります。ヤクザの集会や墨を使う場面は、現実での不安や新しい挑戦に対する脳の反応を示しているかもしれません。この夢を通じて、あなたは無意識の中で自己理解を深め、現実世界での問題解決に役立てることができるでしょう。
多分眠りの浅いレム睡眠のときに私の腕とかが彼の体にあたると、
自分の手を伸ばしてぎゅっと握ってくれたり、抱きしめてくれたりする。
彼があっちを向いて寝ているとき、私が彼の背中にペタッとくっつくと、寝返りを打って私を抱きしめてくれる。
彼が仰向けになっているとき、おなかにペイッと手を置くと、自分の手をそこに持ってきて手をつないでくれる。
どれも起きてるのかと思ったら、全部寝てるらしい。寝ぼけててそのまま忘れてるとかはあるかもしれないけど。
あと、なんか一回、一緒に寝てたら真夜中に「本当にかわいいなあ!もう!」と叫びだして抱きしめられたことがある。
本当に突然叫んで抱きしめられたので「ナニ!?」となったけど、翌朝聞いたら「オレそんなこと言ってたの!?覚えてない」って驚いてた。
普段からそういうことはよく言ってくれるしよくハグしてるから違和感はなかったけど、
いつもよりワンオクターブ高い声で叫んでたのがすごく印象に残ってる。っていうか寝ててそんなハッキリ寝言言う人、久しぶりに見たよ。
それから付き合いたての頃、彼はなぜか私のことを「ふたりで寝たら絶対にベッドから落ちる」と思い込んでいた。
(落ちたことないと言いたいところなんだけど、人生で一回だけ友達と旅行に行ったときに落ちたことがある。その一回だけだけど)
そのせいか、私が真夜中にトイレへ行こうとゴロンと体を転がしてベッドから降りようとしたら、
その瞬間に彼がハッと起きて私の体をグイッと引っ張ったことがある。
青ざめた顔で「落ちるかと思った…!」って焦ってたけど、寝てたはずなのに!?ってすごく驚いた。
その姿が、何だか、阪神淡路大震災のときに、起きた瞬間まず私のことを引っ張って覆い被さってくれた母の姿と重なったのだ。
当時の私はちいさくてかわいい未就学児なのでその瞬間の記憶しかのこっていないのだけど、
揺れで起きるとかでもなく、ただ気がついたら母親の体の下に収まっていた。それだけ強烈に覚えてる。
私が揺れてる…って思うよりも前に、母は私を守ってくれた。
彼が私を「落ちる!」と思って全力で引っ張ってくれたとき、あのときの記憶がふと蘇って。
それで、「この人は、本当に私のことをこの世界でいちばんに想ってくれているのだな」と、そのときすごく実感した。
無意識レベルの愛を何度も感じるうちに、彼と過ごす時間がとても安心できるものになっていった。
私は、母親が私(と妹)が世界でいちばん好きなのをよく知っている。彼の愛は、非常にそれと近しいものがある気がする。
「この人は、私のことが大好きなんだ」彼と過ごしていると、何故か、心からそう実感できる。
すごく重たいとかではまったくなくて、私には彼の愛がとても居心地いい。
彼の大きな体にすっぽり収まっていると、このままずっとこうしていたいな。
このまま隕石が落ちてふたりで一緒に死んじゃったら、それはそれですっごく幸せなんだけどな。
なんて考えてしまう。
もしかすると、お母さんに毎日抱っこされていたうんと昔に、同じような気持ちを持っていたかもしれないけれど。
彼にお母さん的な要素を求めているとかはぜんぜんなくて、ただ、それに近い大きな愛をもらえていることが、すごく嬉しくて、心地いい。
眠い時や寝るべき時間帯に暗い所で横になって目をつぶって、眠りに入る間だけでいいみたいな気楽な気持ちで考え事してると、なんだろう発想が悪い意味で飛躍するというかどんどん論理的に支離滅裂になることはある。
これは改めて目を開けて考えてたことを振り返ったときの感想だ。やっぱ言葉のサラダみたいにわけわからん思考をしてるって不気味な感覚がある。
夢とは違う。だって周囲の音はしっかり聞こえてるし。なんなら音楽流しながら試してもこの現象は起こった。
音楽流すだけじゃなくて立会人とボタンを押す装置を加えて、変なことを考えてると思ったらボタンを押す、押したら立会人が分かるようになってるという装置と約束事を設けてもっと検証したいね。
自分がボタンを押してるという感覚と立会人による客観が一致したらやっぱその感覚や考え事はまだ夢のなかでの出来事ではないことになるよね。
レム睡眠障害でも考え方が支離滅裂になる症状聞いたことないし、なんというか夢を見る前のステージてのが存在するんじゃなかろうか。
今は便利よね。
でも人間がいつ寝た判定どうやってるのかしら?って
床に入った時間と睡眠に入った時間とでちゃんと別れてる時があったりするので、
そんで、
なかなかたいしたものだわって
便利だわ。
今日は早く寝なくちゃ!ナウ!ってつぶやいてから寝ることが出来るのよね。
もっと詳しく見れてたんだけど、
それ以降使うことがなくなってしまった時期があって
知らなかったんだけど、
その後他のスマートウォッチでも睡眠計測出来ることを知って試してみたら、
それこそ睡眠の質のレムなのかノンレムなのかまでは判定は出来ないけど
概ね私が納得する計測結果を叩き出してくれるので新記録よ!
対岸まで飛べていけるような結果を叩き出してる感じが気持ちいいわ。
あれって実際に対岸まで行った記録ってあんのかしら?
すごい爽快でマジで風気って飛んでいる感じの気持ちよさと一緒だわ。
あのシーンだけを切り取って飛び回って楽しめるゲームがあってもいいぐらいよ。
まあ記録的には
毎晩好タイムを叩き出しているんだけど、
今週は短めなのが気になるわ。
なんとか踏ん張って乗り切りたいところね。
これのバランスが崩れたらきっとまたなんだか調子不調効果気味よろしく、
今日はまあ忙しくなるので、
早く帰れるように願っておくわ。
今日は外出するかも知れないので、
朝無くても良いかと思ったけど、
草餅だけ食べときました。
ナミビアのさばくの水飲み場のライブ映像にダチョウの赤ちゃんたちがやって来るかどうかなぐらい
分からないので、
最低限朝これだけは食べておくわ。
私の最近お気に入りのグレープフルーツ炭酸ウォーラーが売り切れで
売り場の棚になかったのがショックだったので、
今朝は乗り切ったわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
僕は三年前近くからデパス、マイスリー等の安定剤、睡眠薬を摂取している。
きっかけは大学生時代、コンビニや居酒屋等の周りのみんなと違う仕事がしたいと興味本位で飛び込んだ大阪ミナミの夜仕事。
仕事内容はよくあるミックスバーで特段おかしいことはない、元ホストの先輩たちが風俗嬢のお客さんを呼んだり、キャバクラのアフターで利用してもらう。勤務時間は0:00~5:00、よくあるバーだった。
僕は特段酒が強いわけでもお喋りなわけでもないのでひたすら皆が飲み明かすグラスを洗うことに徹していた、売上を上げない事に関してはオーナーが寛容に許してくれてその優しさに甘えながら裏方としての仕事に徹していたし、酔い潰れた従業員やお客さんに頼られた時は裏方が向いてるなとさえ思った
真面目に授業を受けていた訳ではなかったが、大学に通いながらの夜勤は思っていたよりもハードですぐに自律神経に異常をきたし不眠に悩まされた。 裏方でいつも陰気にしている僕を気に入ってくれた風俗嬢のお客さんに不眠を相談すると持っているデパスとマイスリーをくれた、たしか一ヶ月分程度だったと思う。「はじめはデパスだけでいいと思う、1mgだから半分に割って飲むといいよ」 これが入り口だった。 病院にも行かずお客さんが処方された安定剤を横流ししてもらって飲んで、寝て、大学へ行って寝る、大学が終わったら寝て起きたら仕事、そんなルーティン
半年程続いたルーティンは先輩からの一本の電話で終わりを告げた。「明日から一旦シフト無しで!また忙しくなったらまた連絡するから手伝って!」実質のクビ宣言。突然の宣告に驚きはしたものの考えてみれば何も不思議な点はなかった。半年働いて呼んだお客さんは二人。お客さんに頂いたドリンクを合わせても売上は7万いけばいい方だったと思う。そんな僕を時給1500円という待遇で雇い続けるのも限界は来る、それがその時だった。
今でもその先輩、オーナーさん達にはよくしてもらってる。 結果夜職を辞めたことで僕の手元に安定剤眠剤は無くなったし、必要にもしなくなった。
飛んで今年の三月、僕は大学を卒業し四年間住んだ大阪を発ち就職の為東京に移り住んだ。
これまで大した挫折も味合わず、色んな人に甘やかされて生きてきた全能感にまみれた僕は新卒二ヶ月目にして東京で精神を患った。
パワハラや嫌がらせを受けた訳じゃない、ただただ自分の無能さに気づき酷く落ち込み出社できなくなった。
コロナ禍において体調不良で休むのは非常に容易で有給を使い果たし、やがて休職に至った。
精神科に行き、「抑うつ状態」「適応障害」「レム睡眠障害」と診断された。その時は自分の病名に何故か誇りに似た感情を持ったことを覚えている。
以前デパスやマイスリーを「処方」されていたと言い僕はデパスを初めて「処方」してもらった。
そこからは毎日楽しかった。自分の病名に酔い、自分の無能さに気づいたことを盾に毎日ゲームやドラマアニメ鑑賞、寝たいときにデパスを飲み、遊びたいときに遊ぶ。
システムに甘え休業手当を受け取り、大学生時代の貯金を削りながら毎日「治療のため」と嘯き自堕落に過ごしながら何不自由ない生活を送った。何も生産しない落ちこぼれ、そんな自分を愛した。
6月から8月に休職し、復帰する予定だったがお医者さんの筆一つで夏休みの延長チケットを獲得できる。その甘えに乗った。
9月末、これが僕の人生最後の夏休みといいながらまた同じような生活をした。でも確実に治ってはいる、働ける。
9月中旬僕の家に遊びに来た彼女がシャワーを浴びてる間にLINEを確認。5股あるいはそれ以上の男とのLINEを見て気が狂った
もう何を飲んだのかもわからないがとりあえず意識を飛ばしたかった、今この場に存在しているだけで頭がおかしくなると思い、そこらにあった薬を合計2シート程のんだ。
結局その彼女と別れた喪失感に耐えられなかった僕は再び延長チケットを手にした。
僕の知らない世界を生きてる彼女、なのに話が合う彼女に惹かれ交際を始めた。
彼女は言った「眠剤はバカになるから辞めて、わたしもコカイン辞める」
二つ返事で快諾、眠剤がバカになると言っている理由もわからなくもなかった。その時の僕は健忘症が激しくて物事の時系列や、記憶の因果関係がめちゃくちゃになっていた。
次の日、行きつけのバーでバカみたいな飲み物を沢山のんだ、テキーラやコカレロ、ビール3:ウォッカ7のカクテルのようなもの、どこからかでてきたシャンパン
完全に潰れた僕を心配して彼女は僕の家に初来訪、閉店間際にタクシーで向かった。タクシーの中が酒臭すぎて寒いのに窓を開けていたのを覚えている。安心していた、横に彼女がいることと酔い潰れて家で眠れることに
でも僕は眠れなかった、普段なら寝ている時間、疲弊した身体を持ってしても全く眠れなかった。この時自分の身体が眠剤に依存していることに自覚した。
そこから丸一日24時間経過してから僕は耐えきれず眠剤を飲んだ。サイレース2錠とデパス3錠
こっからが本番メインだけどもういいや書くの飽きた
僕は三年前近くからデパス、マイスリー等の安定剤、睡眠薬を摂取している。
きっかけは大学生時代、コンビニや居酒屋等の周りのみんなと違う仕事がしたいと興味本位で飛び込んだ大阪ミナミの夜仕事。
仕事内容はよくあるミックスバーで特段おかしいことはない、元ホストの先輩たちが風俗嬢のお客さんを呼んだり、キャバクラのアフターで利用してもらう。勤務時間は0:00~5:00、よくあるバーだった。
僕は特段酒が強いわけでもお喋りなわけでもないのでひたすら皆が飲み明かすグラスを洗うことに徹していた、売上を上げない事に関してはオーナーが寛容に許してくれてその優しさに甘えながら裏方としての仕事に徹していたし、酔い潰れた従業員やお客さんに頼られた時は裏方が向いてるなとさえ思った
真面目に授業を受けていた訳ではなかったが、大学に通いながらの夜勤は思っていたよりもハードですぐに自律神経に異常をきたし不眠に悩まされた。 裏方でいつも陰気にしている僕を気に入ってくれた風俗嬢のお客さんに不眠を相談すると持っているデパスとマイスリーをくれた、たしか一ヶ月分程度だったと思う。「はじめはデパスだけでいいと思う、1mgだから半分に割って飲むといいよ」 これが入り口だった。 病院にも行かずお客さんが処方された安定剤を横流ししてもらって飲んで、寝て、大学へ行って寝る、大学が終わったら寝て起きたら仕事、そんなルーティン
半年程続いたルーティンは先輩からの一本の電話で終わりを告げた。「明日から一旦シフト無しで!また忙しくなったらまた連絡するから手伝って!」実質のクビ宣言。突然の宣告に驚きはしたものの考えてみれば何も不思議な点はなかった。半年働いて呼んだお客さんは二人。お客さんに頂いたドリンクを合わせても売上は7万いけばいい方だったと思う。そんな僕を時給1500円という待遇で雇い続けるのも限界は来る、それがその時だった。
今でもその先輩、オーナーさん達にはよくしてもらってる。 結果夜職を辞めたことで僕の手元に安定剤眠剤は無くなったし、必要にもしなくなった。
飛んで今年の三月、僕は大学を卒業し四年間住んだ大阪を発ち就職の為東京に移り住んだ。
これまで大した挫折も味合わず、色んな人に甘やかされて生きてきた全能感にまみれた僕は新卒二ヶ月目にして東京で精神を患った。
パワハラや嫌がらせを受けた訳じゃない、ただただ自分の無能さに気づき酷く落ち込み出社できなくなった。
コロナ禍において体調不良で休むのは非常に容易で有給を使い果たし、やがて休職に至った。
精神科に行き、「抑うつ状態」「適応障害」「レム睡眠障害」と診断された。その時は自分の病名に何故か誇りに似た感情を持ったことを覚えている。
以前デパスやマイスリーを「処方」されていたと言い僕はデパスを初めて「処方」してもらった。
そこからは毎日楽しかった。自分の病名に酔い、自分の無能さに気づいたことを盾に毎日ゲームやドラマアニメ鑑賞、寝たいときにデパスを飲み、遊びたいときに遊ぶ。
システムに甘え休業手当を受け取り、大学生時代の貯金を削りながら毎日「治療のため」と嘯き自堕落に過ごしながら何不自由ない生活を送った。何も生産しない落ちこぼれ、そんな自分を愛した。
6月から8月に休職し、復帰する予定だったがお医者さんの筆一つで夏休みの延長チケットを獲得できる。その甘えに乗った。
9月末、これが僕の人生最後の夏休みといいながらまた同じような生活をした。でも確実に治ってはいる、働ける。
9月中旬僕の家に遊びに来た彼女がシャワーを浴びてる間にLINEを確認。5股あるいはそれ以上の男とのLINEを見て気が狂った
もう何を飲んだのかもわからないがとりあえず意識を飛ばしたかった、今この場に存在しているだけで頭がおかしくなると思い、そこらにあった薬を合計2シート程のんだ。
結局その彼女と別れた喪失感に耐えられなかった僕は再び延長チケットを手にした。
僕の知らない世界を生きてる彼女、なのに話が合う彼女に惹かれ交際を始めた。
彼女は言った「眠剤はバカになるから辞めて、わたしもコカイン辞める」
二つ返事で快諾、眠剤がバカになると言っている理由もわからなくもなかった。その時の僕は健忘症が激しくて物事の時系列や、記憶の因果関係がめちゃくちゃになっていた。
次の日、行きつけのバーでバカみたいな飲み物を沢山のんだ、テキーラやコカレロ、ビール3:ウォッカ7のカクテルのようなもの、どこからかでてきたシャンパン
完全に潰れた僕を心配して彼女は僕の家に初来訪、閉店間際にタクシーで向かった。タクシーの中が酒臭すぎて寒いのに窓を開けていたのを覚えている。安心していた、横に彼女がいることと酔い潰れて家で眠れることに
でも僕は眠れなかった、普段なら寝ている時間、疲弊した身体を持ってしても全く眠れなかった。この時自分の身体が眠剤に依存していることに自覚した。
そこから丸一日24時間経過してから僕は耐えきれず眠剤を飲んだ。サイレース2錠とデパス3錠
こっからが本番メインだけどもういいや書くの飽きた
なんか小さくて弱そう(アオサギとかペリカンは強そう)ですぐ死にそうなイメージがあるので
あまり鳥に関心がないのだけど、鳥って越冬する時、海を渡るじゃん?
たとえば日本でも本島から沖縄へ飛ぶ鳥も900km近く飛ばないとダメじゃん?よく連続で飛べるよなぁ
あれ海を渡ってる途中でどっかで休んでるんじゃなくて基本的にはぶっ通しで無着陸飛行なんだってな…
オオソリハシシギなんかアラスカからニュージーランドまでの12,000kmを無着陸飛行だぜ?
そんでこれだけの長距離どうやって飛ぶの?休まないのは分かったが寝ないの?って思うじゃん?
イルカみたいに半球睡眠(脳は完全に寝てない)で飛んでると思うじゃん?
まさかの完全熟睡して時々レム睡眠にも入ったりもするそうな(グンカンドリの調査)
https://www.nature.com/articles/ncomms12468