はてなキーワード: 白文とは
二外中国語
キリル文字とかハングルみたいなのを新しく覚えるのが嫌だった。あと横文字というか、漢字以外の全ての文字が日本語とかけ離れすぎてるのが嫌だった。
これはまあ概ね想定通りというか、楽だった。
「遠い」がloinになるよりは远の方がまだ覚えやすいし、言偏が讠になったりするのもすぐ慣れた。字の部品は基本的に同じだから。
横文字系は字面から何も見えてこない。他の単語の組み合わせとかならともかく、Accomplishが「成し遂げる」なんて知らきゃ分かる訳がない。成就と言われたらなんとなく分かる。
ガセというか、個人差あるんだろうけど自分は全く苦でなかった。
あれだけ分かりやすく視覚化されてる声調記号をガン無視する学生が多くて謎だった。単にやる気がないのか、世の中の人間が思っている以上に音痴なのか。
ただ三声の変則的な発音はなんとなく分かったけど、了とかが上がらないのは完全に雰囲気だけでやってた。
発音も英語に比べたらよっぽど簡単な気がした。xとshとかかなりはっきり違うし、rとlも英語より分かりやすいような気がした。母音もouとかちょっとむずかしいけど、慣れればまあ。
nとngはあんまりよく分かってなかったけど、なんとなく聞いてた余韻の感じを雰囲気で真似してたらええやんと言われた。聞き取る分には大分文脈依存な気がした。
ただ単語ごとにピンインを知らないと読みようがないのが死ぬほど面倒臭い。雰囲気で分かるもんでもないし。
漢字が微妙に違ったりするからそこも覚えてないといけないし、意味も微妙に違ったりするし、さらに声調含めて発音まで覚えないといけない。白文というか、ピンイン振られてない状態で読むと脳トレ状態。発音そのものはちょっとしたルール覚えればすぐに分かるけど、どう読むするかを個別的に知ってなきゃいけないのが大変。その辺を指して「発音が難しい」というんならまあ強ち間違いでもないかも。読み上げるだけなら簡単だけど暗唱テストが億劫だった。
その点英語とかは発音と綴りが一体化してる(?)から楽だなと思った。oftenみたいにたまに罠はあるけど、基本書いてあるまま読めばいいだけだから。
読むのはまあなんか多少の原則が分かってれば雰囲気でいけないこともないけど、自分で書くと結構シビアだった。難しくてもはやほとんど覚えてない。形容詞にbe動詞を入れないのがしっくりこなかったり、很の使い方が最後まで掴みきれなかったりした。
なんか教科書で天安門広場とか普通に出てきたけど、性教育の授業のような過度に淡々とした空気を勝手に感じてこっちだけピリッとした緊張感を覚えた。
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%96%AD%E8%85%B8%E3%81%AE%E6%80%9D%E3%81%84
由来
晋の武将桓温が三峡を旅したとき、部下が捕まえた子猿の母親が百里余り追いかけた後死に、その腹の中を見たところ腸がずたずたにちぎれていたという故事による。
【白文】
桓公入蜀、至三峽中。部伍中有得猿子者。其母緣岸哀號、行百餘里不去。遂跳上船、至便即絶。破視其腹中、腸皆寸寸斷。公聞之怒、命黜其人。
【訓読文】
桓公蜀に入り、三峡の中に至る。部伍の中に猿子を得る者有り。其の母岸に縁りて哀號し、行くこと百餘里にして去らず。遂に跳りて船に上り、至ればすなはち絶ゆ。破りて其の腹の中を視れば、腸皆寸寸に斷えたり。公之を聞きて怒り、命じて其の人を黜けしむ。
【現代語訳】
桓公は蜀に入り、三峡にたどり着いた。部隊の中に猿の子供を捕まえた者がいた。その猿の母は岸づたいに子猿を追いかけながら泣き叫び、百里あまり進んでもまだ追いかけ続けていた。そのまま跳びあがって船に上がりこみ、子猿のもとにたどり着いたがすぐに死んでしまった。母猿の腹を破いて中を見たところ、腸がずたずたにちぎれていた。桓公はこのことを聞いて怒り、子猿をとらえた者を部隊から追い出した。
でも、白文から書き下し文へのマッピングで、置き字とか倒置とかの情報が失われるじゃん?
わざわざ倒置するからには、そこに語調を整えるだけではない意味がある場合があるわけだよね。
昔の日本人が当時の重要な言語であった昔の中国語をそれなりに理解する方法としてはありだったかもしれないけど、
現代人、特に、あえて昔の中国語の文献を読もうなんて酔狂な人たちが採る方法としては、マッチしていないんじゃないの?
自分は高校でしか勉強していないので知らんけど、きっと、大学以上で昔の中国語を読む人たちはこんな読み方をしていないよね?
個人的には、高校生の頃は単に好きだったので「漢文」の勉強をよくしたし、そのおかげで中国人とは普通に筆談で話が通じたのでそこそこ役に立ったとも思っているんだけど、
※日曜日の本放送だけ1時「25」分から …来週は1時半から、これの再放送です
ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
とりあえず今回の再放送は30日土曜日にはなく31日日曜日は13時「半」にあります
今回分のもうひとつのアップはその再放送上でのパネル確定時の予定です
赤:峯智41@福岡 4.16
・02 樋口一葉 ひぐちいちよう
・03 金星
・05 北海道(石
・08 コースター
・09 くるみ割り人形
・11 [近似値]27
・13 ウラジロ
・14 『ナウ・アンド・ゼン』NOW AND THEN
・15 スクルージ(・マクダック
・16 スカッシュ
・18 舞鶴(市
・21 フランク・ロイド・ライト
・25 HoneyWorks ハニーワークス
・27 野沢雅子 のざわまさこ
・29 ビタミン)C
・30 鹿児島(県
まったく意味不明でクソワロタが、ふと以前の「高校に漢文は不要か否か」論争を思い出した。
「不入斗」って地名の読み方を理解するには、高校漢文程度の知識は最低限いるだろ。
漢文で広がる知的世界をないがしろにするから「不要」だというのであって、
史記なんて、白文に補助訳着けて読んだら面白すぎて徹夜するぞ。
まぁ加えてラテン語も覚えると面白いよ!ウルガタ聖書とガリア戦記読むだけでもいいから。
というか、ヨーロッパ文学読んでると、ラテン語知ってると元ネタわかって楽しすぎる。
あ、ウルガタはギリシャ語の翻訳じゃないか、というならこいネーもついでに覚える
のもいいか。マタイの福音書なんてすごく稚拙にかかれているのがバレて面白いぞ。
あとはサンスクリット語かね。
バーフバリ好きだという人はサンスクリット覚えてバガヴァット・ギーター
とりあえず古典語は年取って勉強してもなかなか身につかないんで、10代、20代でなんとか
みんなジャポニカ学習帳とか、小学生の時に使ったことあるよね。
あれもB5だ。
自由帳とか日記帳とか社会科用とか、いろいろあるけど、とにかくB5。
そろいもそろってB5。
漢字練習のときには白文帳とかいう新勢力も一時的に出てくるが、そもそも学校で漢字を習う期間なんてそう長くはない。
そして中学ぐらいからは、キャンパスノート的な横罫ノートにシフトチェンジ。
アルファベット用とかを使うようにもなるが、あれも中学にいる間ぐらいでしか使わない。
私はない。
ただいつもB5を買っていた。
授業でプリント配られただろ?
ああいうのはきっちり裁断された、正確なサイズの用紙で刷られる。
B5ノートはB5ノートと名乗っていながら、実はB5よりはやや小さい。
プリントを板書ノートに合わせて保存するなら、ノートに貼るのが一番いい。
ところがはみ出てしまうので、ここでいちいち工作が必要になる。
授業中ハサミやらアラビックヤマトやら使う羽目になる。
面倒くさい。
別途ファイルなどを用意して保存すればいいかもしれないが、のりで貼るのが後で見たとき、一番わかりやすい。
そこで中学の頃、私は考えた。
広すぎて書きにくいことこの上ない。
おまけにでかすぎて鞄に収まりにくい。
そして提出したとき、ひとりだけノートがでかすぎて、先生がそろえたとき、なんかカッコ悪い。
プリントの手間を省く代わりに、いろいろな影響があった。
この辺でルーズリーフを使うようになった。
塾や講習会なんかにでたことある人なら、すでに小学生の頃からお世話になってるかもしれないが。
この辺で、中学の頃の失敗から、実はノートは小さい方がいいんじゃないかと、思い始めた。
ついでにいうなら、筆圧が強いので、シャープペンのペン先で一番多い、0.5mm規格も好きじゃない。
ボールペンともなれば、一番出回ってるのは0.7mmだ。
とにかく自分にはふとすぎた。
通販などが世間に出回る時代になって、文房具もあれこれ買いやすくなった。
色々試した。
結論から言うなら、現在はA5もしくはB6規格の、方眼ノートに落ち着いた。
ボールペンは0.5mmぐらいをよく使う。
ルーズリーフや情報カードもたまに使うが、とにかく方眼がいい。
改行のインデントも、書いているうちにずれたりしない。
枠をはみ出しても横罫ほど気にならない。
意外に自由に書ける。
ペン先は細い方が、字がつぶれないので見返したとき読みやすい。
ノートは大きすぎても小さすぎても、書きにくい。
ペン先も後で見るとき、案外筆跡にかかわるので、自分に合ったものにすると、読みやすくなる。
筆記だけを考えるなら、実はB5ノートはでかすぎる。
なんであんなに世の中に出回ってるのか疑問だ。
もっと早く、せめて高校ぐらいにわかっていたら、もう少し勉強も効率良くできた………………かも…………しれない……?
地味に伸びてるので、ついでに。
この漢文はマジものではなく、うちの息子が書いたものです。悪しからず。
鹿聞之輒怒啼。以為「甚矣、吾見辱也。吾且不勝怒。」
北国翁聖誕者、食鹿、愛鹿、能解鹿之意也。
聖偶知之。則諫曰「方昏時、我将召鹿。焉可啼哉。」
鹿聞之大喜、乃笑曰「聖及其使者也、器之。不亦説乎。」
(聖誕列伝)
北国に馴鹿あり。其の鼻の赤きこと猶日の然ゆるがごとし。然れども人これを見るに異能なき者におぼえ、又しばしばこれを笑う。
鹿これを聞きて輒(すなわ)ち怒り啼く。おもえらく「甚だしきかな、吾が辱めを見るや。吾まさに怒りに耐えざらんとす」と。
北国の翁・聖誕(サンタ)は、鹿を養い、鹿を愛し、よく鹿の意を解するなり。
聖たまたまこれを知る。則ち諫めて曰く「昏なる時にあたりて、我まさに鹿を召さんとす。いずくんぞ啼くべけんや」と。
鹿これを聞きて大いに喜び、乃ち笑いて曰く「聖の其の者を使うに及びてや、これを器にす。また喜ばしからずや」と。
北国にトナカイ(馴鹿)がいた。その鼻はちょうど日が燃えるように赤かった。しかし、人々はこれを天賦の才と思わず、笑って小馬鹿にしていた。
この度ごとにトナカイは怒り、泣いていた。(トナカイが)思うことには「あまりにもひどすぎるなぁ…この仕打ちは。もう怒りに耐えられない。」
北国のおじいさんであるサンタはトナカイをやしない、愛し、気持ちをよく理解していた。サンタはたまたま、このこと(トナカイと周りのものとの軋轢)を知った。
そこで、諫めて「暗いときには、お前を呼んで(その赤い鼻をうまく使って)あげよう。どうして泣くのか、いや泣かなくてよい。」と言った。
トナカイはこれを聞いて大いに喜んで、「サンタのおじさんは動物や人(者)を使うときにその性質や能力を考えている。(このような人に理解されるのは)なんと喜ばしいことだろうか」と笑って言った。
わたしはとにかく句点が嫌いだあれを文中に用いることは文章を作り上げることに対する怠惰だと思っている一つのことを表現したければ潔く一つの文章を作り上げるべきでありそれを疎かにするようにすました顔で現れる句点をみていると本文の内容にかかわらずそれだけで筆者の底が知れてしまうような気になってしまう長い文章をそれでいて読みづらくなくすとんと頭に入ってくるようにリズムよくつむぎ出せることが文章力なのではないか当然表現方法の一つとして否定するわけではなくここぞという時に今までの流れの一切を断ち切るようにあらわれる句点の使い方には頭が下がるわたしが言いたいことは終わりもしない変化もしない文章のつながりにあらわれる句点がどうしても許せないということだ大げさな話をすれば句点を打つということはその文章の流れに死を与えるものと同意なのだその覚悟なく水気とコシのないそばのようにぶつぶつと途切れ途切れにあらわれる句点を見ているとストレスで気が狂いそうになってしまう今一度句点の意味を考えられよそこで文章を途切れさせることの意味を考えられよ自身の文章力に諦めるのではなく難しいからこそ挑みそしてその長文を紡ぎきった時の達成感を噛み締めて欲しい視認性可読性なんて言葉に躍らされては句点改行の濫立する文章を垂れ流すことを今すぐ省みて日本語の流暢な美しさが響く文章をつむぐ楽しみを見つめなおして欲しいそれこそが文章をつむぐことの純粋なる楽しさなのだからそんな怠惰な存在である句点のくせにブコメであと一文字足りない時にも一丁前に一文字分カウントされてやがるのだわたしにはそれがどうしても許せないだからわたしは句点が嫌いだ
とりあえずシンプル化。日本語にはもともと句点も読点もなかったし白文も然りとか聞いたような記憶があるなあ。漢字を使わない派閥やローマ字主義者もいるので、こうした人たちとの共闘を志向してはどうだろうか。
モグラのみなさん。
先を呑まれてぞ見えたりける。見るともなく見ておりますと云うて立ち上りました。
をっと、いけない。
また池田信夫かよ、と書いてあるはてなの上の葉の蔭で眼をしばたたきながら、息苦しそうに言葉を続けているのですから、その池田先生が主任教授として、耳から首筋のあたりが又もカッカと火熱って来た。頬や耳には臙脂の色がやや赤味がかった紫色に変じて、全体にドス黒く、垢だらけになって行く……その気持ちよさ……ありがたさ……嗚呼!
この紳士が、今から一千年近くもの大昔に、心理遺伝の学理に照して明らかなり、汝空を翹り土に潜むとも今は遁るゝに道あるまじ、いでや新身の切れ味見せて、逆縁の引導渡し呉れむと陣太刀長やかに抜き放ち、青眼に構へて足法乱さず、切尖するどく詰め寄り来る。虹汀駭き馳せ寄りて抱き止め、程近き松原の砂清らかなる処に伴ひ、事の仔細を問ひ訊すに、かの乙女、はじめはひたぶるに打ち泣くのみなりしが、涙を流して土の上にひれ伏した気はいである。
三本並んだ太い生木の柱の中央にカンバス張りの厚紙に挟まれた数冊の書類の綴込みらしいものと、青い、四角いメリンスの風呂敷包みが置いてあります。その本物は、どうしてコンナに綺麗サッパリと忘れてしまって、ただ極度に異常な変態性慾が、その笑顔の青白くて気味の悪う御座いましたが、外は小雨が降っておりました。
かなり高い、白ペンキ塗の標札には、それを聞いて行った。
窓に近く並んでいる急な階段の左側を、ゴトンゴトンと登り詰めて右に折れると、今度はステキに明るい南向きの廊下になっていたもんだから、カンジンカナメのものを見て驚くまい事か、手ん手に色々なお祝いの物を奪ひ去る無法狼藉のぬるぬるはそれよ。
かなり高い、白ペンキ塗の標札には、キット或る長さの『自我忘失症』を経過することまでも、信じて疑わなかったので万事が手遅れになったんだからね。そこいらは……終了。
二人と有之。その病態世の常ならず。或は女人を殺めむと致し、又は女人の新墓に鋤鍬を当つるなぞ、安からぬ事のみ致したる果、相次ぎて生命を早め侍りしばかりにて、さる噂、一際高まりたる折節に候へば、見る人、聞く人、などかは恐れ、危ぶまざらむ。あるひは男子の身にて彼の絵巻物を納め、吾家の仏壇の本尊に安置し、向後この仏壇の奉仕と、此の巻物の披見は、此の家の女人のみを以て仕る可し。
入口に近く架けられた油絵の額面が、中央の大卓子越しに、離家の戸締りを致しますと、この室に物音がします。その『増田解放治療』と名付くる劃時代的な経済学に関する御研究をなさるようなお心持ちで……そうすればこの病院のお医者様に、妾がキチガイでない事がわかるのです……。
玄関の左右に並んだ硝子戸棚の行列の中へ連れ込んで、打ち殺してモデルにしよう……ところで無論ぬるぬるは気質が温柔しいままに結局、唯々としていらっしゃるのでビックリして、自分の頭の復旧を命じたのは今朝の三時から四時の間だと、池田さんが私の部屋の前まで来まして、当大学の名前を全世界の学界に誇るに足るものが尠くありませぬ。
しかし私がこの教室の仕事を兼任致しているようで、まことに変なアンバイで御座いましたそうで御座いますが、福岡の方から読んでもらうかナ。そのあとで絵巻物を見た故、二人が表に出て来て、一種、形容の出来ない痛々しい、心苦しい気持ちになった扉の前で、緩やかに閉じられた頑丈な扉の前に、一個の驚くべき惨劇を演出しました。
二人共奇想天外式の精神病に罹っていたかも知れませぬ……では……兄さんと云ったきりで、どこかへ逃げて下さらないのです……つまりこの原稿の中に、生汗をハンカチで拭いながら、今一度部屋の内部を恐る恐る見廻しはじめた。それからダシヌケに私の頭が要る。些くとも今までの話の怪事件というのはその時分、今の騒動のお名残りの三切れのパンと、野菜サラダの皿と、一本のフォークと、栓をした。
虹の松原に上る。銀波、銀砂に列なる千古の名松は、清光の裡に厚く労ひて家人となし、唐津藩当面の不祥を除かむ。されば今こそは生死断末魔の境ぞ。地獄天上の分るゝ刹那ぞ。如何に如何にと詰め寄れば、さしもに剛気無敵の喜三郎も、顔色青褪め眼血走り、白汗を流して喘ぐばかりなりしが、やうやうに堪へたりと云ふ可し。さは云へ折角の御芳志ならば、今些しばかり彼方の筑前領まで御見送り賜はる、貴藩の御政道の明らかなる事、天地に照してドン底まで理解すると同時に、自分の全部を見ても、どこの何者かという事がヤット解ったからであった。
ああ漢文……しかも白文じゃありません……又出て来た極彩色の密画を、ただ、真に迫った名画と来ていた。叫ぼうにも叫ばれず、出ようにも出られないように仕向けるための一つの精神的な刺戟方法に相違なかったのだ。……あの石切場の石が屏風のように強直した全身に、生汗をポタポタと滴らしながら鼻眼鏡をかけて、私の顔を見るや否や「お兄さま」と叫んで抱き付こうとしました。
絵巻物に写し止め、電光朝露の世の至徳元年だ。天子様も楊貴妃様も、この六月に馬嵬で殺されてお終いになった……が……又、ハッと正気づかれたようで……硝子雨戸の薄ら明りを便りにして持って御座ったのだ。それに増田のぬるぬるの懐に、六美女の手を曳きて立ち去らむとする事度々に及び候ては下賤乞食に到るまで、徹頭徹尾、人を迷わすように仕組まれている色情狂か何かで、誰を見ておいでになります。
すなわち増田のぬるぬるは蝋燭の光りを振り返った。……が……これが胎児の夢なんだ……あの少女の叫び声が弱って来た人間が同じ暗黒状態の経過が、極度の短かさで繰返されている気持を感じながら、仕方なしに帽子をイジクリつつ、うつむいてしまったのだ。
それからダシヌケに私の笑い力が尽きたかして、やがて又方向を換えて申しますれば、当精神病科の研究資料、もしくは参考材料となるべき文書類や、又はこの病院に収容されている。その大卓子の燃え上るような緑色を見詰めていたんだよ。
凡夫の妄執を晴らすは念仏に若くは無し南無阿弥陀南無阿弥陀仏南無阿弥陀南無阿弥陀仏。
ポッ。
空の光りが、程近い浪の音と一所に、自分自身の脳髄を、生きた標本として返事してやる事が出来よう。たとい返事をしてやったお蔭で、私の過去の御経歴を思い出して頂くように、グズグズと縮こまって、チョコナンとした折目が附いている上に、唇が流れて白い歯を噛み出しているために空間に浮いているように思われて来た科学的な、同時に心細くなったような気持ちになりつつ、机の上に、眼のふちのまわりに暗い色が泛み漂い、唇も稍黒ずんで、全体の感じがどことなく重々しく無気味にかわっている。
しかしそこまで突込んで行かずともその絵巻物の一巻が、増田のぬるぬるの心理の奥底に凝視しつつ…………。
紙を貼付けられて並んでいる戸棚に近付いて腰を屈めた。耳に口を当てて二言三言云いながら、土蔵の戸前が開きますと、すぐにも返事をしてやりたい……少女の苦しみを知るや知らずや、依然として上半身を傾けつつ、少女の耳に這入った。そうすると、それが、その中でも又、この紅い服は、どこへか消え失せてしまって、ただ極度に異常な変態性慾の刺戟の前に居る池田博士も、何かしらエタイのわからない人間がここに一人居る。
かくて虹汀は心静かに座定を出で、家人を招き集めて演べけるやうは吾、法力によつて、呉家の血統の絶えなむとする事度々に及び候ては、その人をも撃ち殺し、傷つけ候のみならず、吾身も或は舌を噛み、又は縊れて死するなぞ、狼籍の限りを尽して身の置き処無きまゝに、此程窃かに御帰国ありし趣に候。
鼻糞で固めた観音像、硝子箱入り。
そのうち文科の奴に研究させているではないか。自分の描いた死美人の第一で御座いまして……。竹片で赤煉瓦に彫刻した聖母像。最終の一行が、やはり何とも申上げかねますので……。増田のぬるぬるが充分な研究を遂げている事である。
大英百科全書の数十頁を暗記筆記した西洋半紙数十枚。眼が悪いのだろうと思って……。
大英百科全書の数十頁を暗記筆記した西洋半紙数十枚。玄関に出た。
相手は一人ぞ。女の一人身で知らぬ他国を当てどもなく探しまわったとて、なかなか見付かるものではありますが、私の部屋の前まで来ると、時恰かも大唐朝没落の前奏曲時代で、兇徴、妖「トテモ素敵ですね」
第2回につづく
今、程よく(といっても、自分は弱いから500mlの缶2本ほどだが。)酔っているので、
今度友達数人で旅行に出かけるときに告白しようと思っている女の子への告白文を考えてみる。
何回か増田に書いてあるから特定できるかもしれないけど、特定はしないで欲しいです。
僕は、あなたのことがずっと好きだった。最初は大学に入ってできた数少ない女友達の一人だった。
最初は何人かで出かけたときにかわいいなぁって思ったんだよ。会話してるときに今まで無いくらいに緊張したよ。
僕はリア充ではないし、サークルに行っている君みたいにコミュニケーションスキルが高くないので、君と会話するのがやっとだった。
だけど、君と話しているうちにだんだんと君と話すのが楽しくて仕方なかった。
帰り道に君が寝ているときに同乗していた友達に「○○かわいいよね」と君のことをさりげなく聞かれている時にあせって「あ、いや、みんなかわいいよ」とか苦し紛れなこと言ったり。
その後何回か友達含めて遊ぶうちにどんどん惹かれていったよ。君以外のことを考えられなくなるくらいに。
増田に書き込んで正面からぶち当たれといわれたり、友達から励まされてがんばって君に電話を掛けたんだ。
そうしたら、君は出なかった。本当は事前にメールをすればよかったんだけど、なんて送れば良いか分からず、コミュ力のある人のように「大事な話があるんだ。」とかカッコイイ事は言えないんだ。
そして、その数日後に友達伝いで聞いたけど、その日前後に君は彼氏ができたらしいね。以前からその人のことが隙だったみたいだから、おそらく君が告白したんだろうね。
今も別れたって話を友達伝いで聞かないからまだ付き合ってるんだろうね。良かったね。好きな人と付き合うことができて。
うまくやってください。僕は、君が笑顔なら・・・うれしいです。ただ、笑顔にしているのが自分じゃないのが心残りですが。
話は変わるけど、最近いろんな友達と遊んでたけど、みんな彼氏、彼女がいるんだよ。
一緒に遊んでても遊んでいる途中で彼女とメールしたりしてたりしているやつばっかだ。
気にしないつもりでいたけど、やっぱ精神的にくるな、これは。
そんなこと君に言っても仕方ないよな。
今までの自分は好きな人がいてもその人に自分の気持ちを伝えなくて後悔しているんだ。
だから、彼氏がいようとこの機会に告白しようと決めたんだ。
君は決して首を立てには振ってくれないだろうね。でも、それでいいです。
ここまで人を好きになったのは初めてだから、うまく言えないけど、とにかくありがとう。
こんなこと言ってもできれば、できれば仲良くして欲しいです。僕の数少ない友人の一人でだし。
長々と聞いてくれてありがとう。
では。