友人にどうしてもと誘われて「君の名は。」を見に行ったが激しく嫌悪感に襲われた。
言いたいことは山ほどあるがそれぞれ大体言及されているから改めて言わないとして、とにかくもういい加減にしてほしいのはロリコン教育アニメはもうやめろということだ。
宮﨑駿が散々に使い潰した、思春期女子による性の目覚めを繊細な心理描写と褒めそやす文化にはもううんざりだ。
それでいて皆が美しいと褒めるのは性に目覚める前の純粋さである。
大人の女性を引き合いに出して、まるで汚物のように描くのはほんとうにどうかしている。
これだから日本人は女性が性に目覚めることを汚らわしいことだと信じて、いつまでたっても処女性が重宝されてしまうのだ。
江川達也が宮﨑駿に対して鳴らした警鐘の意味を理解していないとは言わせない。
宮﨑駿が去った後、庵野があれほどまでに処女神話を打ち砕いてくれたと言うのに新海誠なんぞという空気読めない男がまたしてもやらかしやがった。
まさか新海作品に巧妙かつ山ほど詰め込まれていたエロとバイオレンスを見逃したはずはないだろうな。
異性への興味、性器への接触、三角関係と略奪愛、BL、百合、大人への憧れ、大人同士のワンナイトラブ、口噛み酒の白濁とした変態性、よつはへのペド性、数え上げればキリがないが、断言して言えることは純愛は一つとしてなかったということだ。
(主人公同士の恋愛は吊り橋効果だと断言して良い。少しネタバレだが、彼らの恋愛が目覚めたのは会えなくなったことが直接の要因になっているからだ。)
でなければ途中からみつはがブラを付け始める書き分けはいらなかったはずだ。
あれは女性の心理的変化や成長を描くための演出ではない。お前らを落胆させるためだよ。このド腐れロリコン野郎どもが。