はてなキーワード: 大人の女性とは
男性漫画誌の作品はシナリオ重視なので、女性作家でも男性が読んで面白いものを描く事が出来るが
女性漫画誌の作品は女性主人公の心理描写重視なので、男性作家が描くのは難しい&男性が読んでもつまらん
って説なら聞いたなー
対象年齢層も狭くなる、男性誌なら本来小学生向けなジャンプを大人も多数読んで楽しんでたりするけど
小学生向けの少女漫画誌を大人女性は読まないのは、小学生女子の心理なんて描かれても大人の女性はつまらんから
手塚治虫とかが少女漫画描いてた時代はまだ女性漫画家が殆ど居なかった時代だしね
なんか素でこの手のこという女性が多くて驚いてるんだけど
「守ってくれる」てなんやねん。
「守ってくれる」の人から感じるのは片務的と言うか、男女対等の関係じゃないよね。
かといって女性が上位でもなくむしろ逆で、なんか幼児的っていうかさ。
「守って」というからには「攻めてくる敵」もその人の脳内には居る訳で、
普段は大人しくて目立たなくても、彼女が辛い思い・怖い思いしたときに立ち上がれれば、そんなに幻滅されないと思う
これは実用的な話じゃなくて
小児的なファンタジーの話だよね。
もっと言えばさあ、幻滅するチャンスのほうをこそ窺ってる感じがするよ。
「パパがママが私の期待通りに完璧にしてくれなかった!」ってスネるチャンスをまってる子供っていうか。
とにかく大人の女性じゃないでしょこういうこと言ってる人。
たぶんこれが現代の日本社会で最も周囲にアレコレ無神経なおせっかいを言われず、こじらせ系にならずに済むルート。
しかし一見平凡な女の幸せに見せて、ものすごく難しいルート。1回目の人生では入り口すら見つけられない人多数。
とにかくハードモード。人生3周目じゃないとクリアできそうもない。
高校生くらいの年齢の時からこのルートを目指して計画的に行動しているか、ものすごい強運が要る。実際はここに書ききれないほど多くの条件、つまり人格や個人的理由、感情やタイミングなどが加わってくる。そういう個々人の事情をすべてをまるっと無視して「これが女の幸せでしょ」とひとくくりに言われてしまうのは、さらっと受けながすにはなかなかに重たいのだ。心が弱っている時には特に堪える。
補足:
上記は私が直接言われたこと、私の女友達から聞いた愚痴、結婚出産育児系の掲示板で散見された情報を元に独断と偏見を持って書いた内容です。
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ブコメを受けての追記です:
夜中に書きなぐった文章が起きたらホッテントリ入りしていたのでギャー!となりました。色々な角度から多くのコメントを頂き、ありがとうございます。
ちなみにお察しの通り、ほぼ何一つ、私自身はこのルートを攻略できていません。
「世間体ばかり気にして大丈夫か?」「幸せとは」というコメントも頂きましたが、あくまでこれは「世間の言う通りにしたらこうなる」というシミュレーションです。理想通りに結婚しても、離婚分岐ルートも往々にしてあるので、ライフプラン、本当に難しいですよね。
「恋愛至上主義♪ワタシの結婚」「バリキャリ!高学歴女性のための結婚」「人生1回きりだもン!好きなことやって楽しむぞ結婚★」「困難を乗り越え運命の国際結婚」などひとりひとりの人生と価値観で、数えきれないルートがありますし、幸せとは自分の尺度でしか測れないと思っています。が、世間の言葉を受け流すにしても、さらっとかわせるコミュ力とメンタルの強さは一朝一夕には身につかないものです。傷つきながら僕らは大人になるのです。
それにしても、ブコメ欄でいろいろな方のご意見や人生を垣間見れました。ありがとうございました。
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ちなみに、あまりに無理ゲーなので、こじらせまくって1年ほど前にひとり結婚式をやったのでした。
ごめんなさい。
こないだ初めて会った女性に言われた。「増田さんの過去の恋愛を知りたいです」「私は~~~~」
前の彼女もそうだった。別に聞いてもないし興味もないのに。俺も別に話たくない。
「前の彼氏は片付けしなかった」
などなど。セックス話なんかもよくされた。
チャラい男と付き合ってたことを知って、同棲してたことを知って、メリットあるか?
私は尻軽女なんですって言ってるようなもんじゃねーか。馬鹿じゃねーの?
過去は過去。今までの全ての彼女に対してきちんと向き合い真面目に付き合ってきた。長く付き合った人もいたし短かった人もいた。
でも誰とも結婚には至らなかった。別れの度に学んできたし後悔もあるが、それはそれ。
まあ「フェミの言うこと聞いたらモテると思ったらモテなかった、金返せ!」みたいなのは自業自得なんだが、
少なくとも「モテなくても(モテを志向しなくても)人として承認される」みたいな幻想はあったはず。
でも実際には、一部の自称フェミニストはモテを志向しない男を思い切り叩きまくったよね。
「(女性に)100円だって奢りたくない」発言には、女性へのコミュニケーションの拒絶がある。
男性だから奢るとかいう問題ではなく、“気持ち”の問題だ。「男だからといってなぜ奢らなきゃいけないの?」と似た発想を女性が持つなら、
「女だからといってなぜ化粧しなきゃいけないの? なぜお洒落しなきゃいけないの?」となる。
ピクニックデートには「なぜ女がお弁当を作らなきゃいけないの?」になる。
また男性も、「男だからといって、なぜ女を家まで送らなきゃいけないの? 勝手に帰れるだろ? 平等なんだから」。
…これでデートが成立するだろうか。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20090513/194505/
コラムニストの北原みのりさん(42)は、20代の男性たちに「性欲はあるのにロリコン化が進んだ。性欲もあり、言いたいことを言う大人の女性と
向き合う体力、知性がなくなってしまった」と手厳しい。雑誌などを分析すると、80年代は大人の男女に憧れる風潮があったが、いつの間にか
少女っぽさがもてはやされるようになった。「お子様文化が進み、若い男性も『子どもでいさせてほしい』と思っている。それならセックスなんて
http://mainichi.jp/feature/news/20131010dde012040013000c.html
彼女たちは、女が性的役割分業を押し付けられるのには反対するが、男が性的役割分業を放棄しようとしたら叱り飛ばしてるように見える。
好きな絵のマンガを見つけたので語らせて。
女の子がかわいい。表情にバリエーションがあって、それぞれ考えられておりスベってない。ありがちな定型表現で「こう描けばこの人の気持ちはわかるっしょ」に逃げておらず、踏み込んだ表現ができている印象。
人体は自然な厚みがあり、服も自然なサイズ感と立体的な襟まわりで描かれている。服のしわの入り方も好きな感じ。女の子は体全体でかわいい。スレンダーに描くタイプではないようで、足や腰回りがわりとボリューミーでそのバランスがリアル。「こういう子、いそうだね」と思わせるバランス。大人の女性はまた違った感じで描かれているけど、そちらも良い感じ。
背景は淡泊なほうだけど、それがマイナスといった印象はないかな。
亜人 X 女子高生の日常というありがちなプロットだけど、重すぎずユルすぎず、良いバランスで新鮮味もある。亜人が出てくるものの、ほとんど一般的な社会を舞台にしている印象。亜人じゃなくても成立しそうな。とはいえ亜人は重要な要素ではあるけど。
笑いも取れており、個人的にはスベってる感じはしなかった。
押しつけがましくないまじめさに安心感があり、この手のジャンルでこうした表現を狙っているのはよく見かけるが、この作品は非常に成功していると思う。
絵が好きと言っておいてなんだけど、絵柄はわりと古い気もした。おれがそう感じただけで、一周回って今はこれが新しいのかもだけど。
引っ込み気味で離れた大きい目と、張り出した大きいおでこ。ふっくらしたほほ。以前よく見た絵柄な気がして、最初そこそこ知られた作家の別名デビューかなにかかと思った。実際には新人作家らしいけど。
女の子のうまさに対して男がデタラメな感じが。。まあ個人的にそれはどうでもいいけどww
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ロリコンを排斥するには、ロリコン自体を駆除する方法ともう一つ
ロリ、いわゆる幼女をロリコンの周囲から駆除することで、ロリコンにロリコンとしての機能を失わせる手法が考えられる。
その結果、ロリが社会から存在し得なくなったロリコンが次に考えるのは主に3つある
・ロリを作る
・ロリコンを辞める
ロリを作る、これはいわゆる子供を作ることである。すなわち、子供を作るには、大人の女性と性交しなければならない。
従ってロリコンは、ロリコンを捨てなければロリを作れない、というパラドックスに陥り、どうあがいてもロリコンを辞めることになっていくのである。
自分がロリになる、これは自分がロリだと思い込むロリコンを芯のロリコンと言っていいのかどうかという問題がつきまとう。
例えばロリコンコミュニティに属してる人間が「自分がロリだから」というロリコンを受け入れるのかどうか考えると、
これに関しては明確な解決法とはいえない。自給自足が成立しているが、ロリコンで無くなるという目的は失われてないのだから。
先ほどロリを作るには、ロリコンを捨てなければならない(ロリの居ない社会では)と言ったが、性交以外にもロリを作る方法が実は存在する。
欧米でピンクって、女性全般と言うより子ども向けの色なんだよね。
そもそもピンク=女性のステレオタイプ、と考える日本人が少女趣味過ぎるってだけ。
そうなるのは日本人(男性)が女性により幼くある事を求める風潮が強いからというのもあるし、
洋服なんかだとネオテニーな日本人は大人になっても白人黒人より幼い容姿なので
白人黒人の大人ならまず似合わないような幼い色・デザインでも似合う(少女の服と大人の女性の服の違いが少ない)ってのもある。
もっともダサピンク問題云々の時も、ステレオタイプだからと言うより子供扱いすんなというニュアンスも込めていたと思ったけども。
(それに対して「プリキュアの主人公はピンクだから女性向け=ピンクで良いのだ」とかまさしく女性全般を子供扱いする反論が多かったのも頭の痛い所だが)
小学生の頃は、雑誌の付録についてくる小物や、お菓子のおまけ、お母さんのお古で、お洒落を楽しんでた。
10代の頃、お金がないから工夫して、自分で小物を作ったり、バイトをして服を買った。
20歳で働き始めて、その頃、ファッション雑貨を作って売り始めた。
それを活かして今はファッション雑貨の企画デザイナーに転職した。
もうすぐ30歳になるけど、お洒落好きな知り合いが、どんどん減ってる。
昔いた個性的な人たちはどこ行ったのか。
子供がいて時間もなく、産後戻らない体型を前に、充実感と諦めと面倒くささに、ファッションなんかどうでも良くなる。
仕事をしてる女性。大人として生きなくてはいけない。誰に注意された訳でもないのに、個性的な服よりカジュアルな服より、オンオフ使える服を選ぶ。
なんだか、ずいぶん忙しい。
アレもコレも充実していないと、自分が捨ててきた何かに負けてしまう気がしないか?
負け犬の遠吠えと言われるか、考えすぎ、または…。
「服に金をかけていいのは20代だけ。」
「誰も見てないからさ」
「とりあえずトレンド抑えておけばいいかなって」
「ビジネスカジュアルで使える服が欲しい」
「元々そんなに好きじゃない」
そんな声が聞こえる。
当方アラサーフツメン。1,2ヶ月に1回くらいのペースで合コンする。婚活女子を狙っているわけではないが、年齢の都合上最近は婚活女子が相手になることが多い。
婚活女子というと“売れ残りのブサイク”というイメージを持つ人も少なくないと思うが、基本的には美人が多い。こんなきれいな子が結婚できないなんて日本はどうなってるんだとよく思う。もちろん年齢による劣化はあるが、それでも美人である。
おそらくアラサーになっても合コンで相手を見つけようという考えに至る=むかし合コンでいい思いをした=美人というロジックになっているのだと思う。ちなみに、ここでいう美人とは“普通の美人”であり、目の覚めるような美人というレベルにはあまりお目にかからない。
ひとことでいうとコミュ力がある。どんな話題にもだいたいそつがない感じに相づちを打てるし、会話のキャッチボールがうまい。いいタイミングで笑い、いい感じに盛り上がり、楽しく気持ちよく飲むことができる。
そしてみんな常識的。服装には過度な露出がなく、無難なお姉さんファッション。終電に乗り遅れることはないし、限界を超えて飲み過ぎることもないし、むやみに自分を卑下したり、自分を持ち上げ続けたりしない(でも手を変え品を変え遠回しにずっと自分を誉め称えている人は一定数いるかな)し、場違いな話題を延々と続けたりしないし、相手に失礼になることを言ったりしない。
趣味が海外旅行の人がとても多い。行ったことがあるところ、エピソードなどでひとしきり盛り上がれる鉄板の話題。それに、好きな料理の話(また会うときの口実)につなげやすいし、悪いことは全然ない。ただ、自分としては海外旅行っていっても年に1,2回だろうし、それを趣味というのはどうなんだろうと内心では思う(もちろんそのようなことを口に出すことはない)
そこまであるあるではないけど、男性陣に比べて転職歴がある人が多い気がする。
大きく分けて資格や能力を武器に好き勝手やってる系と、待遇に不満があってどんどん変わってる系がいる。後者はあまり幸せそうじゃなく「結婚ゴール」「結婚大逆転」を狙ってるように見受けられる。というか、そもそも女性陣のつながりが“昔の職場の同僚”なことがよくある。
これは当方がフツメンであることに関係しているのかもしれないが、基本は女性側が受け身であるように感じる。向こうからアプローチされることはほとんどない。が、あまり興味がなさそうに見えても誘ってみるとノリノリであることも多い。また、興味なさそうに見える人を誘ってみると、興味なさそうに“常識的な”返事が来て、“常識的な”デートが行えることもある。
なお、メール等で全く盛り上がってなくても、もう一回合コンしましょうという誘いには速攻で反応されることが多い。
これはうまく言えないけど、“選びにきている”感を全然隠しきれてない。友達になることはなくて、恋人になるか、次の合コン開催相手になるかの二者択一。
選ぶ基準は“この人と結婚したら自分にどれだけメリットがあるか” “過去の彼氏よりよいスペックか” “引っ張ってきた結婚を決めてよい相手であるか”などなど。もちろん、相手はそんな素振りはひとつも見せないけど、こういう“値踏みされてる感”、わかってしまうのですよね。そつがない常識的な会話の中に“フィルタリング条件”が埋め込まれていて、間違った回答をするとそこで恋人ルートは即足切り、となってしまう。そういえば、女子の半分くらいは第一印象でありかなしか決まっちゃうらしいけど、となると合コンで開始10分で見切りがついたら、残りの2時間3時間はどうするんだろう。人脈見極めの時間?
見切りと言えば飲み会後の「今日は楽しかったですね〜○○で盛り上がりましたね〜ありがとうございました」という内容のメールにすら一切返信しない女子は一定数存在する(2割くらい?)最初はかなりびっくりしたけど、もう慣れました。言うまでもなく今後つなげる価値すらないと判断されたってこと。
ここまでが“ありがちなこと”である。それに対する感想を一言で言えば、婚活女子との合コンはつまんないんです。美人とそつがなく楽しくおしゃべりできるにも関わらず、全然楽しくない。
自分がまるで婚活面接官になったかのような気分になる(しかし実際はATMとして値踏みされているのは自分の方)ぼろを出さないように、素や本音を出さないように、マイナス点がないように、必至に取り繕ってなんとか見初められるのを待っている。それでも漏れてしまう本音は“自分を一生養ってほしい”といった利己的なもの。
なんだろうね、これ。あなたは18歳くらいの時、“条件”で人を好きになったり嫌いになったりしたんですか、と説教したい気分になる。まあ年をとるってそういう事なのかもしれないけど。
1.子犬や子猫を見て「可愛い」「癒される」「目の保養になる」と言っている時、そこに性的消費の意図は含まれていない。
獣姦趣味がある人なら違うのかも知れないが、そういう趣味が無い僕にとって1は自明の事実であり、それは獣姦趣味を持たない大多数の人に共有されている事実であると確信する。
2.少なくとも、3歳や5歳の女の子が頑張っている姿を見たりして「可愛い」「癒される」「目の保養になる」と言っている時の気持ちも、1と同様である。
小さい女の子を可愛いと思っているときの気持ちと、子猫を可愛いと思っている時の気持ちにそれほど違いはない。
主に日本で自称や他称として使われる広義のロリコンではなく、精神病としてのガチのペドフィリアの人にとっては違うのかもしれないが、それ以外の大多数に聞いても同じ答えが返ってくると確信する。
3.大人の男性が大人の女性に対し『可愛い』と思っている時、性的な意図が全く無いという事例は極めて限定される。
絶対にあり得ないとは言わないが、極稀だろう。そして、思うだけでも性的消費なのかもしれないが、少なくともそれを思うだけならば誰にも害は加えていない。
言葉にして言うことについても、A:消費されている本人やその関係者が居る場ではない(例:上司の男性が部下の女性に対して『可愛いと思った』等という場合は環境型セクハラになるかもしれない)
B:あからさまに性を連想させる表現でない(例:ヤりたい等は流石に公共の場ではまずい)という点さえ守っていれば問題は無い。
男同士で「さっき電車で凄い美人見てさ。スーツ着てたから多分OLだと思うんだけど(ry」と会話することが法律及び道徳に反するとは思わないし、それは男女逆で
女同士が「さっき街で凄いイケメンとすれ違ったんだけど」と会話していても問題は無い。
4.では女子中学生や女子高生を可愛いと言うのは2の意味か3の意味か
そんなもん、いちいち区別してないし、厳密に区別できる物でも無いよ!
女子中学生や女子高生を可愛いと言うとき、2寄りの部分が強いこともあれば3寄りのこともあるが、
発言する際に中学生や高校生であるからといって一旦立ち止まってどちらの意味か考えてから発言するようなことはしてないし、
そもそも『これは弱い存在への保護欲的可愛いだ』『これは性欲的可愛いだ』なんて厳密に区別することは不可能だ。
例の記事を読んでもやもやするのはその部分で、女子中学生や女子高生を可愛いと言う時、『これはあくまで”未熟な存在が頑張ってるな的可愛い・目の保養であって性欲的な意図は”無いんだけど』と断り書きしなければ女子高生を消費していることになるのか。
これから社会人になろうとする20代、学生で、性同一性障害(FTMTG)の自覚があるものです。
正直どういう風に「大人になって」生きたらいいかがわからない。
僕は、外見が完全に女である。
ユニセックスな服・メンズ服でサイズの合うものを探して来てみても、完全に女である。
背がとても低く、声が高く、顔は正直申し上げると目が大きくまつげが長いので、ノーメイクでもかわいい。
そして、いまだに高校生と間違えられることがある。
おっさん嘘つくのも大概にしろよと思っただろうか。うん、俺も思った。
おかげで、同性の中でちょっとボーイッシュな感じの人をみつけると、
きゃあきゃあと盛り上がる年代の中高生の女の子に囲まれていた時代ですら、
びっくりするぐらい女の子から(性的な意味で)モテなかった。今も現在進行形でモテてない。
ここ最近は特に、色の濃い目で肌の露出の極端に少ないメンズ服しか着ていないのに、「小動物系で守ってあげたい感じ」と言われてしまう。
さらに、20代に入ってから、自分の顔に女としての色気が足されつつあるのを実感する。
不潔に思われないギリギリのラインの装いをしているのに、男から(性的な意味で)見られるようになった。
(単純に、そういう目で見ているということに、僕が気づけるようになっただけかもしれないが…)
俺はこれほど男なのに、外見がどんどん、「あるべき僕像」というのからどんどん離れていっている気がする。
それは、一歩間違えれば不潔感を与えてしまうような、だらしがない真面目系クズ学生だ。
そうであるべき人間が、何かの間違いで、「外見に無頓着風かわいい小動物系女の子」として、周りの人間から認識されている、そんな感じだ。
僕は物事を真剣に捉えない癖があるのか、結構馬鹿なので、「朝起きたら女の子なんておいしいじゃないか…!」みたいなところがある。
あと、性同一性障害といっても、身体的違和が強いタイプ(FTMTS)ではなく、性に対しても恋愛に対しても大して興味がない性格なので(FTMTGのノンセクシャル)あまり自分の性別にまつわる問題を今まで深刻に捉えてこなかった面もあるかもしれない。
自分のこととして深刻に考えていたら、そりゃ、この身体でまともに自尊心を保ったまま暮らせるわけがないのだが、
どうも自分の人生について投げやりなのか、(自分の性別と外見が食い違っているけど、)まあ、いっか。
不快に思われない程度に似合う程度の、男物やユニセックスの服を着て、違和感がない程度の短髪にして、
胸を潰して少々体型補正をしただけで、自分としてはそれでいいと満足していた。
満足しようとしていた。
結果、初対面では100%男と思われない状態でここまで来てしまった。
しかし、そこまで深い仲でない場合、ただの女の子として認識され続けるしかない。
最近、周囲から違和感を持たれにくい範囲内での「男の服装」をした状態で、ナンパされることが複数回あった。
僕が男物の装いをした所で、ボーイッシュな女の子にしかならないし、
そして、そういった化粧っけのないボーイッシュで素朴風な女の子に需要があるということも、そんなことは分かっている。
分かっているし、理解はしているつもりだが、そういった現実を突きつけられるのは、流石に少々こたえた。
幼稚園児の頃に、(当時はお嫁さんになりたいという生き方が主流だった)自分は働いて自分の稼ぎは自分で稼ぐといい、
変な子ねといわれつつも、(当時、まだ主流だった)女としての生き方=一般職で寿退社・専業主婦という息方だけは御免だと思っていた。
ふたを開けてみれば、今の時代は女性が働くことが普通の時代になっていた。
仕事内容を性別で区別されること自体は減ったようだから、その点は大分生きやすくなったかと思いきや、
今度は、「社会人女性」という型に嵌められて生きなければならないというルールも着いてきた。
しかし、ここで付属してきた、「大人の女性になれ」との社会からの要請に、一体、僕はどのように対処すればいいのか、ほとほと困っている。
小中学生の頃は仕方なく合わせていたものの、もうこの歳になってしまっては、自我を押さえ込んで、いやいや拷問(=大人の女性としてのマナー)に従うほど僕は従順ではなくなってしまったし、そもそも、なぜ僕だけが周りの誰も受けていないような拷問をすすんで受けなければいけないのかも妙に腑に落ちない(性同一性障害だと自覚しているわりに、今までそのことへの対処について、真剣に向き合ってこなかったというのが落ち度といえば落ち度ではあるのだが…)。
かといって、その拷問を回避するような生き方では、社会的な信頼が得られづらいのも事実なわけで、一体何を優先してどう折り合いをつけてどこを妥協するべきかを迷っている。
若いうちから体や財布を傷つけて性転換をしようとする性同一性障害の人達にたいして、「そんなことをしても、よっぽど身体条件に恵まれた人でない限り、
本人の希望のように、男/女 としては見られないだろうから、結局奇異の目に晒されるだけだ」と、彼らのことを器用でない人達だなあと馬鹿にしていた。
しかし、今思えば、彼らは真摯であった。自分の生き方について真剣に考えた結果、そのような行動をとらざるを得ないと、早いうちから判断したのだろう。
たとえ、外部から彼らの男/女になりきれない容貌を嗤う者があったとしても。
僕は、他人の目の方を気にしていた。TVスクリーン上のオカマ、或いはドキュメンタリーで取材される哀れな性同一性障害でありたくなかった。
なるべく、ただの一般人でありたかった。だから、ギリギリのラインで自分を騙していた。
しかし、今後、「大人」になっていくうえで、もう、これは限界だ。
僕は、このままでは、「大人」になれない。
社会のルールとしては、「大人になる」ことの中に「一人前の男/女になる」という意味が含まれるらしい。
僕は、精神的には一人前の男を目指したいと思うし、そして、一人前の女になる気はない。
僕は生まれてこのかた自分を女だと思ったことはないし、これからも多分ないだろう。
しかし、外見を男としてパス(=希望の性別として周囲から認識されること)することも多分ないだろう。
だとすると、男の服を着た身体的女であり、「精神的には男である女」と周囲から認識されること、
しかし、一般に、そのような外見の人間は、「歳相応の振る舞いが出来ない幼稚な人間」と認識されがちである。
もちろん、「中性/あるいは、男でも女でもない性別」という性別が公のものとして世の中から認識されれば、僕の悩みはすべて解決する。
しかし、この国でむこう数十年のうちにそういうことが実現するのは、まあフィクションの中だけだろう。
それゆえに、今後、僕に、外側から付きまとってくるであろう「女」という属性と、これからどう向き合っていけばいいか、わからない。
性転換して男になるわけではなく、女性としてのTPOに従わない見るからに男装した女のままで、
子供でなく、ひとりの大人としてただそこに存在している、ということを、社会からは認めてはもらえないのだろうか。
(正直今まであんまり深刻に考えてなかったのですが、