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はてなキーワード: 助手とは

2020-05-19

anond:20200519023306

偉いの基準がよくわからんが、いわゆる勉強に重みが置かれすぎて研究方面での姿勢が云々の話だったら、

法学系は一昔前まで、学士助手が中心だったか学部試験成績の重みが他の分野に比べて大きすぎるとかいう指摘は見たこと有るな

勿論東大が中心の制度だし、結局東大だけの話とかかも知れんが。

2020-05-12

anond:20200512111719

「できたぞ!○○するスイッチじゃ!」←阿笠博士

「できたぞ助手!○○だ!」←あきえもん

 

さらに進めると「できなかったぞ!」←これだけでもどっちかの派生ネタだとわかる

2020-04-30

anond:20200430153422

医療事務はおばさんが多くない?

若くて美人事務なんて歯科しかたことない

歯科はなんつうか助手といい明らかに偏ってるよな

2020-04-28

anond:20200428214430

これは光の透過率が関係してるんじゃ。助手くん、例のもの

博士、それはなんですか?

これは地球破壊装置ハッキングによって古めの人工衛星を墜落させまくり中の原子力電池を爆破させ中性子線を大量放出JACKPOT。人類を全員殺害し尽くす代物じゃ。ボタンを今押した。人類は滅亡する。ではさらばじゃ

2020-04-23

私は助手でもクリスティーナでもないと言っとろうが!

2020-04-21

怖いんだわ

はてなユーザー層の割に病院の常駐業者、常駐SEの話をほとんど見ないんだけどいないってわけないよな

俺なんかもそう。地方の大病院にいる。

他業種のサポートは続々とリモートになる中、くだらないことですぐ現場出動させるし、病院事務方なんて自分たちがノーガードだからって

業者なんか特にノーガード、ゴミ扱い。手を洗いマスクしてください。それだけ。

感染対策はしてるといいながらも、外来患者は熱あるなら各診療科の受付の人に言ってくれと入り口シャットアウトすらないし、

(よくある総合受付ではなく、病院の中にはいって、内科なら内科の受付で!)

受け付けのパート職員は衝立もビニールシートもなく唾を飛ばすジジババと向き合ってる

警備員事務、下手すると職員まで非正規ばかり。掃除コンビニ助手、ロジ、洗濯みんな給料安いだろ

看護師先生だって下っ端は激安

威張り腐る感染対策だか医療安全だかの奴らは、ポーズばかりで実行策が手落ちで、

診療してる奴らにはなんらかの指導があるのかもしれないが、院内距離は適切に保たれているためしがない

そっとーもんの近距離。みんなくっつきあって診察まってる。

事務の部屋も普段通り。普段から対策してるという理論なんだろうが、それにしては席近すぎないか

MR自粛して減ってるけどいないわけじゃないし、患者は減ってるけど、減ってるっても半分もいないわけじゃない。

ホールでの飲食、ご丁寧にテーブルまであってたくさんの人が会話しながらのコーヒーを楽しんでいる

国の指針なんてあるんだろうか?それより日常を壊す方が怖いんだろうなあ

2020-04-08

anond:20200408113636

こういう増田って、元々医療従事者には資格者しかいないと思ってるんだろうか?

無資格助手も沢山いるのに

2020-03-26

三月二十六日(木)

そういえば、先日部長に連れて行ってもらった会席料理、とても雰囲気が良かったのだけれど、料理背中から出すとき店員さんの胸が当たるのが気になった。

わざとじゃないだろうし、歯科医助手と同じで深い意味のまったくない、というか相手そもそもまり気にしていない、ただの偶然なのだろうけれど、他に誰か気づいていたのだろうか。

頭痛は収まってきたが、午後から行くのがかったるい。

2020-03-09

ゲーム面白さは「未来」にある

ゲーム面白さ談義

以前増田にてゲーム制作増田猛虎弁だった)と面白さの要素とは何かという話になった。自分はとりあえず面白ゲームには繰り返し要素がある、とだけ返しておいた。しかし繰り返し要素が必ずしも面白さに直結しないのは自明で、繰り返すから飽きられるゲームと、繰り返したくなるゲームの違いは論じることができなかった。

実のところ、ゲームの繰り返しを行う上で脳内では「試行錯誤」が繰り返されている。何を当たり前のことを、と思うかもしれない。しかゲームにおける試行錯誤を更に還元すると「着地点/完成」を探している自分がいることに気づく。例えばハクスラRPG場合プレイヤーは沢山の装備や魔法職業を取捨選択して最適解を探す。言ってみれば安定するかどうかを探していると言っても過言ではない。なぜならこの鉄則は全てのゲームに当てはまるからだ。格ゲーもそうだ。格ゲーコマンド入力フレームリーチディレイなどを頭に叩きこんで安定して勝てるパターンを作り上げてゆく。パズル連鎖を頭に叩き込んで最も安定して高得点を出せるかどうかを練り込んでゆく。



未来とはなにか

ゲーム面白いと言えるシンプルな要素がある。それは「未知」だ。人は未確定で未知なるものを探求する脳の構造をしている。とりわけこれは狩りに必要だったらしく、やはりゲーマー殆ど男性である断じてジェンダー論に帰結するつもりはない)。未知のものを安定させる間が面白さになっている。曰くどう立ち回るか。曰くどう早解きするか、どうすれば早くアイテムを回収できるか。どうすればイベントが進行できるか。このときプレイヤーは未知を楽しみながら未来の着地地点を夢想している。この夢想が更にプレイへの希望をもたせることに一役買っている。まるで人生設計のようだが、実のところ未来への希望を抱いて確定できる「かも知れない」チケットを購入する時点で人生はまさにゲームである

となれば次なる問題は自ずと浮かび上がってくる。ゲームバランスだ。



ゲームバランス

ゲームバランス基本的にな何が破綻せず、何がノーマライズされているかを突き詰める作業ではないかと考えている。いわゆるバランスだけに絞れば出てくるアイテム能力も平均的なものにならざるを得ないし、一点突破させるには他の強さも並列して上昇させなければならない。実はこの問題には解決策がある。破綻した強さに弱点をつけるのである。これを国内で有名たらしめたのはかのFFシリーズだ。FF画期的な要素の一つとして弱点属性なるものがある。これは完全にじゃんけんになっており、いずれかが一方的に強いわけではない(もっとホーリーフレアなど規格外の無属性存在するが)。この完璧ではないもどかしさが重要である。数あるカードゲーをプレイした人はわかるかも知れないが、壊れカードには必ず致命的な弱点が存在する。弱点は完璧性の欠けであり、未来を夢見るプレイヤーにとってできうる限りの完璧を目指すきっかけとなる。ここで多くのプレイヤーが夢中になるのである完璧ではない現状に多くのプレイヤーは満足せず、何がしかの補助手段で弱点を埋めようとする。しかゲームバランスが優れたゲームはその補助も渋い仕様になっており、そう安々と運用させてくれない。

かくしてプレイヤースキルが上昇してゆく。

だが一方で、やりこまないタイプの人もいる。例えばバイオで一周すれば無限ロケランが手に入ると聞かされても、イージークリアすれば十分弾薬も足りるだろうという心境の人たちだ。



ストーリー

こうした人たちの楽しみとは、ゲームに一度きりだけ没入できる演出や飽きるまでの操作感、そして何よりストーリーだろう。

ストーリーは未知に対する動機の一つとなる。プレイヤーはまだ見ぬ着地点であるエンディングに向かってひた走る。少なくともゲームという体感する分野においてストーリー体験して消化する最も大きな要素の一つだ。しかし多くのゲームシナリオがメインではない。あくまでもその世界プレイヤーが何をするかが主軸になる。したがってシナリオクリア後、前述の彼らはゲームパッドを床においてしまう。なぜなら彼らにとってシナリオの完結はゲームという体感世界における完成形であり、それ以上のやりこみ意味を感じられないからだ。実はこの問題には以下のような仕組みがある。

例えばプレイヤーが一周目をクリアして隠し要素が姿を現したとしよう。この場合隠し要素を観るためにプレイヤーゲーム性のみならず「シナリオを含めて」続きをプレイすることになる。この隠し要素の方向性はとても大事だ。なぜなら新しい要素があることと、今までやりこんだ高難易度版が敵配置を変えて登場する、などでは意味が変わってくるからだ。後者場合基本的にはやってもやらなくても知ってることだらけであるし、前者の場合未知は残されている。また、マルチエンドのゲーム場合でも別ルートは未知であり、多くのプレイヤー分岐を試したくなってしまうだろう。

まとめるならば、ゲーム面白くしたいならば、「完成形に向かって未知を突き詰めようとするが、実際には完成形などない」状態を作り出すことだと言える。先程は人生に似ていると言ったが、この感覚習い事にも通底する。プレイヤー学校会社から帰ってきて、学習効率の良い箱庭でまるで仕事のような成長を楽しんでいるのだ。

わざわざである。この体験学習現実世界のロールプレイでもある。

2020-02-25

翳(原民喜

センター試験話題になったけど、全文読めるところが見つからなかったので)

底本:原民喜戦後小説 下(講談社文芸文庫1995年8月10日第1刷発行

     I

 私が魯迅の「孤独者」を読んだのは、一九三六年の夏のことであったが、あのなかの葬いの場面が不思議に心を離れなかった。不思議だといえば、あの本——岩波文庫魯迅選集——に掲載してある作者の肖像が、まだ強く心に蟠(わだかま)るのであった。何ともいい知れぬ暗黒を予想さす年ではあったが、どこからともなく惻々として心に迫るものがあった。その夏がほぼ終ろうとする頃、残暑の火照りが漸く降りはじめた雨でかき消されてゆく、とある夜明け、私は茫とした状態で蚊帳のなかで目が覚めた。茫と目が覚めている私は、その時とらえどころのない、しかし、かなり烈しい自責を感じた。泳ぐような身振りで蚊帳の裾をくぐると、足許に匐っている薄暗い空気を手探りながら、向側に吊してある蚊帳の方へ、何か絶望的な、愬(うった)えごとをもって、私はふらふらと近づいて行った。すると、向側の蚊帳の中には、誰だか、はっきりしない人物が深い沈黙に鎖されたまま横わっている。その誰だか、はっきりしない黒い影は、夢が覚めてから後、私の老い母親のように思えたり、魯迅の姿のように想えたりするのだった。この夢をみた翌日、私の郷里からハハキトクの電報が来た。それから魯迅の死を新聞で知ったのは恰度亡母の四十九忌の頃であった。

 その頃から私はひどく意気銷沈して、落日の巷を行くの概(おもむき)があったし、ふと己の胸中に「孤独者」の嘲笑を見出すこともあったが、激変してゆく周囲のどこかにもっと切実な「孤独者」が潜んでいはすまいかと、窃(ひそ)かに考えるようになった。私に最初孤独者」の話をしかけたのは、岩井繁雄であった。もしかすると、彼もやはり「孤独者」であったのかもしれない。

 彼と最初に出逢ったのは、その前の年の秋で、ある文学研究会の席上はじめてSから紹介されたのである。その夜の研究会は、古びたビルの一室で、しめやかに行われたのだが、まことにそこの空気に応(ふさ)わしいような、それでいて、いかにも研究会などにはあきあきしているような、独特の顔つきの痩形長身青年が、はじめから終りまで、何度も席を離れたり戻って来たりするのであった。それが主催者の長広幸人であるらしいことは、はじめから想像できたが、会が終るとSも岩井繁雄も、その男に対って何か二こと三こと挨拶して引上げて行くのであった。さて、長広幸人の重々しい印象にひきかえて、岩井繁雄はいかにも伸々した、明快卒直な青年であった。長い間、未決にいて漸く執行猶予最近釈放された彼は、娑婆に出て来たことが、何よりもまず愉快でたまらないらしく、それに文学上の抱負も、これから展望されようとする青春とともに大きかった。

 岩井繁雄と私とは年齢は十歳も隔たってはいたが、折からパラつく時雨をついて、自動車を駆り、遅くまでSと三人で巷を呑み歩いたものであった。彼はSと私の両方に、絶えず文学の話を話掛けた。極く初歩的な問題から再出発する気組で——文章が粗雑だと、ある女流作家から注意されたので——今は志賀直哉のものノートし、まず文体研究をしているのだと、そういうことまで卒直に打明けるのであった。その夜の岩井繁雄はとにかく愉快そうな存在だったが、帰りの自動車の中で彼は私の方へ身を屈めながら、魯迅の「孤独者」を読んでいるかと訊ねた。私がまだ読んでいないと答えると話はそれきりになったが、ふとその時「孤独者」という題名で私は何となくその夜はじめて見た長広幸人のことが頭に閃いたのだった。

 それから夜更の客も既に杜絶えたおでん屋の片隅で、あまり酒の飲めない彼は、ただその場の空気に酔っぱらったような、何か溢れるような顔つきで、——やはり何が一番愉しかったといっても、高校時代ほど生き甲斐のあったことはない、と、ひどく感慨にふけりだした。

 私が二度目の岩井繁雄と逢ったのは一九三七年の春で、その時私と私の妻は上京して暫く友人の家に滞在していたが、やはりSを通じて二三度彼と出逢ったのである。彼はその時、新聞記者になったばかりであった。が、相変らず溢れるばかりのもの顔面に湛えて、すくすくと伸び上って行こうとする姿勢で、社会部入社したばかりの岩井繁雄はすっかりその職業が気に入っているらしかった。恰度その頃紙面を賑わした、結婚直前に轢死(れきし)を遂げた花婿の事件があったが、それについて、岩井繁雄は、「あの主人公は実はそのアルマンスだよ」と語り、「それに面白いのは花婿の写真がどうしても手に入らないのだ」と、今もまだその写真を追求しているような顔つきであった。そうして、話の途中で手帳を繰り予定を書込んだり、何か行動に急きたてられているようなところがあった。かと思うと、私の妻に「一たい今頃所帯を持つとしたら、どれ位費用がかかるものでしょうか」と質問し、愛人が出来たことを愉しげに告白するのであった。いや、そればかりではない、もしかすると、その愛人同棲した暁には、染料の会社設立し、重役になるかもしれないと、とりとめもない抱負も語るのであった。二三度逢ったばかりで、私の妻が岩井繁雄の頼もしい人柄に惹きつけられたことは云うまでもない。私の妻はしばしば彼のことを口にし、たとえば、混みあうバスの乗降りにしても、岩井繁雄なら器用に婦人を助けることができるなどというのであった。私もまた時折彼の噂は聞いた。が、私たちはその後岩井繁雄とは遂に逢うことがなかったのである

 日華事変が勃発すると、まず岩井繁雄は巣鴨駅の構内で、筆舌に絶する光景を目撃したという、そんな断片的な噂が私のところにも聞えてきて、それから間もなく彼は召集されたのである。既にその頃、愛人と同居していた岩井繁雄は補充兵として留守隊で訓練されていたが、やがて除隊になると再び愛人の許に戻って来た。ところが、翌年また召集がかかり、その儘前線派遣されたのであった。ある日、私がSの許に立寄ると、Sは新聞第一面、つまり雑誌新刊書の広告が一杯掲載してある面だけを集めて、それを岩井繁雄の処へ送るのだと云って、「家内に何度依頼しても送ってくれないそうだから僕が引うけたのだ」とSは説明した。その説明は何か、しかし、暗然たるものを含んでいた。岩井繁雄が巣鴨駅で目撃した言語に絶する光景とはどんなことなのか私には詳しくは判らなかったが、とにかく、ぞっとするようなものがいたるところに感じられる時節であった。ある日、私の妻は小学校の講堂で傷病兵慰問の会を見に行って来ると、頻りに面白そうに余興のことなど語っていたが、その晩、わあわあと泣きだした。昼間は笑いながら見ものが、夢のなかでは堪らなく悲しいのだという。ある朝も、——それは青葉と雨の鬱陶しい空気が家のうちまで重苦しく立籠っている頃であったが——まだ目の覚めきらない顔にぞっとしたものを浮べて、「岩井さんが還って来た夢をみた。痩せて今にも斃れそうな真青な姿でした」と語る。妻はなおその夢の行衛を追うが如く、脅えた目を見すえていたが、「もしかすると、岩井さんはほんとに死ぬるのではないかしら」と嘆息をついた。それは私の妻が発病する前のことで、病的に鋭敏になった神経の前触れでもあったが、しかしこの夢は正夢であった。それから二三ヵ月して、岩井繁雄の死を私はSからきいた。戦地にやられると間もなく、彼は肺を犯され、一兵卒にすぎない彼は野戦病院殆ど碌に看護も受けないで死に晒されたのであった。

 岩井繁雄の内縁の妻は彼が戦地へ行った頃から新しい愛人をつくっていたそうだが、やがて恩賜金を受取るとさっさと老母を見捨てて岩井のところを立去ったのである。その後、岩井繁雄の知人の間では遺稿集——書簡は非常に面白いそうだ——を出す計画もあった。彼の文章が粗雑だと指摘した女流作家に、岩井繁雄は最初結婚を申込んだことがある。——そういうことも後になって誰かからきかされた。

 たった一度見たばかりの長広幸人の風貌が、何か私に重々しい印象を与えていたことは既に述べた。一九三五年の秋以後、遂に私は彼を見る機会がなかった。が、時に雑誌掲載される短かいものを読んだこともあるし、彼に対するそれとない関心は持続されていた。岩井繁雄が最初召集を受けると、長広幸人は倉皇と満洲へ赴いた。当時は満洲へ行って官吏になりさえすれば、召集免除になるということであった。それから間もなく、長広幸人は新京文化方面役人になっているということをきいた。あの沈鬱なポーズ役人の服を着ても身に着くだろうと私は想像していた。それから暫く彼の消息はきかなかったが、岩井繁雄が戦病死した頃、長広幸人は結婚をしたということであった。それからまた暫く彼の消息はきかなかったが、長広幸人は北支で転地療法をしているということであった。そして、一九四二年、長広幸人は死んだ。

 既に内地にいた頃から長広幸人は呼吸器を犯されていたらしかったが、病気の身で結婚生活飛込んだのだった。ところが、その相手資産目あての結婚であったため、死後彼のものは洗い浚(ざら)い里方に持って行かれたという。一身上のことは努めて隠蔽する癖のある、長広幸人について、私はこれだけしか知らないのである

     II

 私は一九四四年の秋に妻を喪ったが、ごく少数の知己へ送った死亡通知のほかに満洲にいる魚芳へも端書を差出しておいた。妻を喪った私は悔み状が来るたびに、丁寧に読み返し仏壇ほとりに供えておいた。紋切型の悔み状であっても、それにはそれでまた喪にいるものの心を鎮めてくれるものがあった。本土空襲も漸く切迫しかかった頃のことで、出した死亡通知に何の返事も来ないものもあった。出した筈の通知にまだ返信が来ないという些細なことも、私にとっては時折気に掛るのであったが、妻の死を知って、ほんとうに悲しみを頒ってくれるだろうとおもえた川瀬成吉からもどうしたものか、何の返事もなかった。

 私は妻の遺骨を郷里墓地に納めると、再び棲みなれた千葉借家に立帰り、そこで四十九日を迎えた。輸送船の船長をしていた妻の義兄が台湾沖で沈んだということをきいたのもその頃であるサイレンはもう頻々と鳴り唸っていた。そうした、暗い、望みのない明け暮れにも、私は凝と蹲ったまま、妻と一緒にすごした月日を回想することが多かった。その年も暮れようとする、底冷えの重苦しい、曇った朝、一通の封書が私のところに舞込んだ。差出人は新潟県××郡××村×川瀬丈吉となっている。一目見て、魚芳の父親らしいことが分ったが、何気なく封を切ると、内味まで父親の筆跡で、息子の死を通知して来たものであった。私が満洲にいるとばかり思っていた川瀬成吉は、私の妻より五ヵ月前に既にこの世を去っていたのである

 私がはじめて魚芳を見たのは十二年前のことで、私達が千葉借家へ移った時のことである私たちがそこへ越した、その日、彼は早速顔をのぞけ、それから殆ど毎日註文を取りに立寄った。大概朝のうち註文を取ってまわり、夕方自転車で魚を配達するのであったが、どうかすると何かの都合で、日に二三度顔を現わすこともあった。そういう時も彼は気軽に一里あまりの路を自転車で何度も往復した。私の妻は毎日顔を逢わせているので、時々、彼のことを私に語るのであったが、まだ私は何の興味も関心も持たなかったし、殆ど碌に顔も知っていなかった。

 私がほんとうに魚芳の小僧を見たのは、それから一年後のことと云っていい。ある日、私達は隣家の細君と一緒にブラブラ千葉海岸の方へ散歩していた。すると、向の青々とした草原の径をゴム長靴をひきずり、自転車を脇に押しやりながら、ぶらぶらやって来る青年があった。私達の姿を認めると、いかにも懐しげに帽子をとって、挨拶をした。

「魚芳さんはこの辺までやって来るの」と隣家の細君は訊ねた。

「ハア」と彼はこの一寸した逢遭を、いかにも愉しげにニコニコしているのであった。やがて、彼の姿が遠ざかって行くと、隣家の細君は、

「ほんとに、あの人は顔だけ見たら、まるで良家のお坊ちゃんのようですね」と嘆じた。その頃から私はかすかに魚芳に興味を持つようになっていた。

 その頃——と云っても隣家の細君が魚芳をほめた時から、もう一年は隔っていたが、——私の家に宿なし犬が居ついて、表の露次でいつも寝そべっていた。褐色の毛並をした、その懶惰な雌犬は魚芳のゴム靴の音をきくと、のそのそと立上って、鼻さきを持上げながら自転車の後について歩く。何となく魚芳はその犬に対しても愛嬌を示すような身振であった。彼がやって来ると、この露次は急に賑やかになり、細君や子供たちが一頻り陽気に騒ぐのであったが、ふと、その騒ぎも少し鎮まった頃、窓の方から向を見ると、魚芳は木箱の中から魚の頭を取出して犬に与えているのであった。そこへ、もう一人雑魚(ざこ)売りの爺さんが天秤棒を担いでやって来る。魚芳のおとなしい物腰に対して、この爺さんの方は威勢のいい商人であった。そうするとまた露次は賑やかになり、爺さんの忙しげな庖丁の音や、魚芳の滑らかな声が暫くつづくのであった。——こうした、のんびりした情景はほとんど毎日繰返されていたし、ずっと続いてゆくもののようにおもわれた。だが、日華事変の頃から少しずつ変って行くのであった。

 私の家は露次の方から三尺幅の空地を廻ると、台所に行かれるようになっていたが、そして、台所の前にもやはり三尺幅の空地があったが、そこへ毎日八百屋、魚芳をはじめ、いろんな御用聞がやって来る。台所の障子一重を隔てた六畳が私の書斎になっていたので、御用聞と妻との話すことは手にとるように聞える。私はぼんやりと彼等の会話に耳をかたむけることがあった。ある日も、それは南風が吹き荒んでものを考えるには明るすぎる、散漫な午後であったが、米屋小僧と魚芳と妻との三人が台所で賑やかに談笑していた。そのうちに彼等の話題は教練のことに移って行った。二人とも青年訓練所へ通っているらしく、その台所前の狭い空地で、魚芳たちは「になえつつ」の姿勢を実演して興じ合っているのであった。二人とも来年入営する筈であったので、兵隊姿勢を身につけようとして陽気に騒ぎ合っているのだ。その恰好おかしいので私の妻は笑いこけていた。だが、何か笑いきれないものが、目に見えないところに残されているようでもあった。台所へ姿を現していた御用聞のうちでは、八百屋がまず召集され、つづいて雑貨屋小僧が、これは海軍志願兵になって行ってしまった。それから豆腐屋の若衆がある日、赤襷をして、台所に立寄り忙しげに別れを告げて行った。

 目に見えない憂鬱の影はだんだん濃くなっていたようだ。が、魚芳は相変らず元気で小豆(こまめ)に立働いた。妻が私の着古しのシャツなどを与えると、大喜びで彼はそんなものも早速身に着けるのであった。朝は暗いうちから市場へ行き、夜は皆が寝静まる時まで板場で働く、そんな内幕も妻に語るようになった。料理の骨(こつ)が憶えたくて堪らないので、教えを乞うと、親方は庖丁を使いながら彼の方を見やり、「黙って見ていろ」と、ただ、そう呟くのだそうだ。鞠躬如(きっきゅうじょ)として勤勉に立働く魚芳は、もしかすると、そこの家の養子にされるのではあるまいか、と私の妻は臆測もした。ある時も魚芳は私の妻に、——あなたそっくり写真がありますよ。それが主人のかみさんの妹なのですが、と大発見をしたように告げるのであった。

 冬になると、魚芳は鵯(ひよどり)を持って来て呉れた。彼の店の裏に畑があって、そこへ毎朝沢山小鳥が集まるので、釣針に蚯蚓(みみず)を附けたものを木の枝に吊しておくと、小鳥簡単に獲れる。餌は前の晩しつらえておくと、霜の朝、小鳥は木の枝に動かなくなっている——この手柄話を妻はひどく面白がったし、私も好きな小鳥が食べられるので喜んだ。すると、魚芳は殆ど毎日小鳥を獲ってはせっせと私のところへ持って来る。夕方になると台所に彼の弾んだ声がきこえるのだった。——この頃が彼にとっては一番愉しかった時代かもしれない。その後戦地へ赴いた彼に妻が思い出を書いてやると、「帰って来たら又幾羽でも鵯鳥を獲って差上げます」と何かまだ弾む気持をつたえるような返事であった。

 翌年春、魚芳は入営し、やがて満洲の方から便りを寄越すようになった。その年の秋から私の妻は発病し療養生活を送るようになったが、妻は枕頭で女中を指図して慰問の小包を作らせ魚芳に送ったりした。温かそうな毛の帽子を着た軍服姿の写真満洲から送って来た。きっと魚芳はみんなに可愛がられているに違いない。炊事も出来るし、あの気性では誰からも重宝がられるだろう、と妻は時折噂をした。妻の病気は二年三年と長びいていたが、そのうちに、魚芳は北支から便りを寄越すようになった。もう程なく除隊になるから帰ったらよろしくお願いする、とあった。魚芳はまた帰って来て魚屋が出来ると思っているのかしら……と病妻は心細げに嘆息した。一しきり台所を賑わしていた御用聞きたちの和やかな声ももう聞かれなかったし、世の中はいよいよ兇悪な貌を露出している頃であった。千葉名産の蛤の缶詰を送ってやると、大喜びで、千葉へ帰って来る日をたのしみにしている礼状が来た。年の暮、新潟の方から梨の箱が届いた。差出人は川瀬成吉とあった。それから間もなく除隊になった挨拶状が届いた。魚芳が千葉へ訪れて来たのは、その翌年であった。

 その頃女中を傭えなかったので、妻は寝たり起きたりの身体台所をやっていたが、ある日、台所の裏口へ軍服姿の川瀬成吉がふらりと現れたのだった。彼はきちんと立ったまま、ニコニコしていた。久振りではあるし、私も頻りに上ってゆっくりして行けとすすめたのだが、彼はかしこまったまま、台所のところの閾から一歩も内へ這入ろうとしないのであった。「何になったの」と、軍隊のことはよく分らない私達が訊ねると、「兵長になりました」と嬉しげに応え、これからまだ魚芳へ行くのだからと、倉皇として立去ったのである

 そして、それきり彼は訪ねて来なかった。あれほど千葉へ帰る日をたのしみにしていた彼はそれから間もなく満洲の方へ行ってしまった。だが、私は彼が千葉を立去る前に街の歯医者でちらとその姿を見たのであった。恰度私がそこで順番を待っていると、後から入って来た軍服青年歯医者挨拶をした。「ほう、立派になったね」と老人の医者は懐しげに肯いた。やがて、私が治療室の方へ行きそこの椅子に腰を下すと、間もなく、後からやって来たその青年助手の方の椅子に腰を下した。「これは仮りにこうしておきますから、また郷里の方でゆっくりお治しなさい」その青年の手当はすぐ終ったらしく、助手は「川瀬成吉さんでしたね」と、机のところのカードに彼の名を記入する様子であった。それまで何となく重苦しい気分に沈んでいた私はその名をきいて、はっとしたが、その時にはもう彼は階段を降りてゆくところだった。

 それから二三ヵ月して、新京の方から便りが来た。川瀬成吉は満洲吏員就職したらしかった。あれほど内地を恋しがっていた魚芳も、一度帰ってみて、すっかり失望してしまったのであろう。私の妻は日々に募ってゆく生活難を書いてやった。すると満洲から返事が来た。「大根一本が五十銭、内地の暮しは何のことやらわかりません。おそろしいことですね」——こんな一節があった。しかしこれが最後消息であった。その後私の妻の病気悪化し、もう手紙を認(したた)めることも出来なかったが、満洲の方からも音沙汰なかった。

 その文面によれば、彼は死ぬる一週間前に郷里に辿りついているのである。「兼て彼の地に於て病を得、五月一日帰郷、五月八日、永眠仕候」と、その手紙は悲痛を押つぶすような調子ではあるが、それだけに、佗しいものの姿が、一そう大きく浮び上って来る。

 あんな気性では皆から可愛がられるだろうと、よく妻は云っていたが、善良なだけに、彼は周囲から過重な仕事を押つけられ、悪い環境機構の中を堪え忍んで行ったのではあるまいか親方から庖丁の使い方は教えて貰えなくても、辛棒した魚芳、久振りに訪ねて来ても、台所の閾から奥へは遠慮して這入ろうともしない魚芳。郷里から軍服を着て千葉を訪れ、晴れがましく顧客歯医者で手当してもらう青年。そして、遂に病躯をかかえ、とぼとぼと遠国から帰って来る男。……ぎりぎりのところまで堪えて、郷里に死にに還った男。私は何となしに、また魯迅作品の暗い翳を思い浮べるのであった。

 終戦後、私は郷里にただ死にに帰って行くらしい疲れはてた青年の姿を再三、汽車の中で見かけることがあった。……

大学入試業務ワンマンでやってるけど、コロナ対策で死にそう

某国公立大の末端教員をやっている。常勤だけど任期付。数年後にはプー太郎の予定だ。

で、立場的には教授准教授らのお偉方の中では一番下がゆえに、やってる仕事はというと雑務研究をする暇なんて殆どない。

要は、無駄肩書きだけ立派な事務員だ。

まあそれはいい(全然よくないけど)。

で、うちの学部では自分立場教員ワンマン入試業務をこなすことになっている。

昔は同じ立場教員が2、3名ほどいたが、運営交付金と比例するようにどんどん削られて、今は1人。

任期がない教員殆ど何もしない。試験問題を作ったりするが、ちょっと特殊試験なので、正直試験問題なんて1日あればできる。彼らの業務はそれだけ。

対して自分仕事は茫漠たる量で、資料作りから試験に関わる様々な手配や手続き、他科との折衝、試験監督に関する様々な手配や手続き、並行して通常業務…等々、他にもいろいろな業務があるが、とにかく書ききれないくら業務がある。

それでも去年まではギリギリ業務を完遂できていた。

できていたのだが、COVID-19の流行に伴って「ウチの大学でも対策をしよう」ということになり、今年は破綻寸前だ。

コロナについて厚生省が全くもってして意味のあるムーブをしてないのと同様に、文科省大学本体も何ら基準有効対策提案しないまま、下っ端に丸投げしてるのが現状。

2月に入って1日しか休みがない。他の日は8時に出勤して23時まで仕事帰宅したら寝るだけ。

試験の準備ではかなりミスが発生している。助手フォローしてもらって何とかやれてるが、この先致命的なミスおかしそうで恐怖している。

ちなみに大学事務方からは「忙しいと思うけど、残業は100時間に納めてね!あ、どう100時間に納めるかは自分で考えてね!宜しく!」と、これまた丸投げ。

2月に入って数日で残業時間20時間をすぎた時点で、諦めたけど。

頭がボーッとして文章がまとまらないし、殆ど書き殴っているような内容だし、別に何かを訴えたいわけじゃないけど、とにかくもう限界です。

2020-01-14

anond:20200114020713

指導教諭が若くても、指導教諭指導教諭いるか大学は大体安心

助手TAもいるはずだし。増田もある。

金があるならのんびりでもいいが、一般的には決められた時間でとっちゃうのが一般的

ぐちは増田に書いて発散してがんばりーやトおもった。

2019-12-28

大学4年間は充電期間だったように感じる

「だった」と言ってもまだ大学生なんだけどね。今4年生。

かなり内向的性格をしていると思う。友達は少ないがちゃんといる。趣味インドアだし、運動苦手で体力ない。あと陰キャ関係いかtwitterでたまにバズる友達のことは好きだけど、出かけるとすごく疲れる。誰かと遊んだ後は休まないと回復できない。」系のつぶやきを見るとすごく共感する。

高校生まではバリバリ部活をしていたんだけど、大学に進学したらなんだか疲れちゃって。部活はもちろんサークルにも入っていないし、バイトもかなり少なめに入れている。勉強は割と楽しくやっていたけど、研究室に泊まるような忙しい感じではない(そもそも文系だ)。そして、友達ともほとんど出かけない。人と比べたら相当引きこもっている方だと思う。でもそれが楽しい。家でごろごろネットサーフィン、時々ゲームして、空想を書き出したりした。(空想小説にしてみようとしたけど断念した。小説を完成させるって大変だよね。)

から空想はよくする方だった。大学に入って時間とある程度のお金自由になってから映画をたまに観に行くようになった(基本は1人だ)。エンディングのその後や「自分がもし○○だったら…?」「AとBが敵じゃなかったとしたら…?」なんてことをよく考える。ある時はピカチュウ冒険に行ったし、ある時はニュート・スキャマンダーの助手になった。

美術館博物館に行けば(もちろん1人だ)、絵画が描かれた時代に思いを馳せたり、展示されている道具を実際に使っていた人たちのことを思い浮かべる。平安も縄文明治も、フランスアメリカイギリスもひとっ飛びだ。

と、まぁ自分は4年間こんな感じで基本引きこもってゲームとかネットとかして、たまに出かけて(友人らのキラキラしたInstagramからは目をそらしつつ)、ごくまれ友達と出かけてそれなりに楽しくやってきたわけなんだけど…

どうやら両親がすごく心配しているらしい。どうしよう。快適なごろごろライフがやりにくくなってきた。最近何かと「○○行かない?」とか「○○ちゃんと出かけなくていいの?」とか「彼氏とか…モニョモニョ」って言われるようになった。やっぱり親としては心配なのかな?

あーあ、気兼ねなくごろごろするなら漫喫行かないとダメかなぁ…。お金ないんだよなぁ。

2019-11-26

anond:20191126162545

・体調悪いバッヂ妊婦バッヂなど)はいアイデアだがすでにやられていたりそれぞれに問題があったり(妊婦はかえって電車などで攻撃をうけることがある。優先席に座っていても寝たふりをして譲らない人も多い)して今回のとはあまり関係がない

生理は長いと7日間/28日周期だから働いている女性の1/4~少なくとも1/6は生理である

・これを可視化することで「ほぼ0人、たまに居るものではない、常に居るもの」と世間にわからせる必要がある

・「生理で働けない人の可視化」の必要性と同様に「生理であっても働ける人」(手当が既存のものであっても、またはその人が独自採用している働けるようになる補助手段があってでも)も可視化する必要がある

2019-11-25

推理小説主人公が本当に無理

初対面の人にいきなり容疑者呼ばわりしたり、事件の内容聞いたり、妙にもったいぶった言い方だったり、トリックとか普通に言ったりとか全てがキツイ助手もきつい喋り方とかで無理だったりするけど、主人公がキツすぎて脱落する。

若い読書家がこんな言動真似てしまったら青春始まる前に終わってしまうといらん心配してしま

2019-11-20

もう猫ネタいらん

高校生の時に帰り道に子猫発見小学生に拾われるように小学校の近くに置く。

次の日に見に行ったらカラスに食われてた。


バイクで出かけようと準備していたら、ガードレールの下にネコがいた。

いざ出発しようとエンジンの回転数を増やしたらびっくりしたのか後輪のすぐ前に飛び込んできた。

もうモーションに入ってたのでそのまま発進してネコは後輪にひかれていった。

後ろを振り返るとピューッと走って行ったが、

から帰ってきたら母親が「ネコの鳴き声がすごいので、近所のネコ飼ってるお宅の叔父さんにきてもらった」

とりあえずそこのお宅の飼い猫ではなかったが、「背骨グネグネだった」と言っていた。


つい先日、家のドアを開けたらネコが倒れていた。音を立てても逃げない。

用事があったので1時間ぐらいあとに戻ってきてみると変化なし。

の子保護して病院に行って全部お金も払ってあげて引き取ってこれから生活費も払うのは無理。

動物愛護センターが隣町ぐらいにあるので電話して引き取りにきてもらった。

隣町やから30分くらいで二人組できてくれて、おっさん助手みたいな感じで、おっさん最後の力だしよるかな」助手どうでしょうね」みたいな。

結果、抵抗もなくあっさりもっていかれました。

2019-10-31

あの時、声かけとけば良かったかな…

30中盤になると、同年代相手を探すのが極端に難しくなる。

そもそも、今の今まで女性に声をかけた事がないならなおのこと。

一年前に、クライアントに出向いて3、4ヶ月仕事していた時期があった。

その時に、一緒に仕事していた女性がふと頭をよぎる事がある。

遠隔で何度か一緒に仕事をしていて、

話しやすい人だなと思いながら仕事をしていた。

そのクライアント社員の一人で、

3、4ヶ月間同じ事務所で一緒に仕事する事になった。

とはいえ自分は朝から晩まで働き詰で話す余裕なんてなかった。

あと、クライアント会社彼女社長を含めて2人だけ。

出張する時は何時も助手のような感じで一緒に行ってたから話しづらかった。

仕事で行っただけだし、関係悪化に繋がりそうだから聞くのもはばかれた。

まあ、遠回しに聞いてみたけど、質問が下手すぎて結局何もわからなかった。

…その出向の最後に、自分の大失敗で社長関係悪化してしまって、

それ以来、一緒に仕事していない。

Skype世間話をしたのは、もう半年前。

自分自分仕事で手一杯だし、物理的にも関係的にも距離ができてしまって話す口実も全くなくなった。

始まってもいないことを考えてもしょうがないけど、

もう少し積極的に話していたら違ったのかな…。

って彼女がプッシュしたbitbucketリポジトリが、自分リポジトリの近くに来てふと思い出してしまう。

2019-10-25

anond:20191025162632

助手博士、この性的に誇張された球形に名前つけましょう」

博士「んー...乳型」

結果、男は乳離れ出来ないのであった。

2019-10-21

このキャラ献血ポスターだったらやばかったな。

宇崎で助かったわ。

2019-10-20

ペラニミクシアン、今一番熱い研究テーマ

まり生体流用型国際動態解析学に興味ある増田はいいかもしれないけどな

今そんな狭いテーマながら、最近革新が熱い

成長率で言えば間違いなくトップだろうな

論文を一報発表するだけでこのテーマのIFが馬鹿上がりすると言われているわけだし。


一応、ペラニミクシアンについて簡単説明しておく。

ペラニミクシアン英名ママ綴りはpeirannimixian)は長年、ゥーレスディを雨季に行うことが知られていた。

その際、稀にムンデを行う種がいることがキコノアとその助手によって発見されたのがかれこれ百年前である

テレビで取り上げられることも多いか常識とまではいかないまでも結構な人が知っているはずだ。


それでペラニミクシアンの中でもルッタカを中心に研究しているグループ最近論文出したんだよ。

中国の許 紅 って先生グループで新進気鋭のグループでさ。

彼らの研究で、ムンデを行う個体ハチュドゥジエを行うときに尾角が必ず縦方向に震えることが判明したんだそうだ。

要は関連遺伝子によって機能発現の制御が為されていることが分かったわけだな。

最も、ハチュドゥジエについてもウェゾィィを行う部分しか特定されていないけれど。

まあただ、もう少し研究が進めば完全な機能解析も行えるかもしれん。

ムンデ変異体の発生を防ぐことが出来ればペラニミクシアン食用化も今より進むんだろうな。希望的観測だけど。

国内研究しているグループ信州国際大学の右宗教授のところが一番著名だろうか、彼らにもぜひとも頑張ってほしいものだ。

2019-10-19

改正健康増進法敷地内全面禁煙の現状 〜東京X大学場合

ご存知の通り、2019年7月1日から施行された「改正健康増進法」では、第一種施設病院学校行政機関)では敷地内全面禁煙となった。
例外として「屋外で受動喫煙を防止するために必要措置がとられた場所に、喫煙場所を設置することができる。」※1 ということで、施設によっては敷地内に喫煙室を用意し愛煙家の方々に配慮をしているところもある。

オリンピックを迎える2020年4月1日には、全面禁煙対象となる施設さらに増え、屋内は原則禁煙となる。

この増田では、改正健康増進法施行から3ヶ月経過した現状を、とある大学を例に挙げ報告したいと思う。
ここに挙げる事例を、2020年4月1日の「屋内原禁煙」に向けての反省材料として、広く活かしてもらえればと思う。

東京X大学場合

東京X大学最近メディア露出も増えてきたことで、以前は間違われがちだった他大学混同されることが少なくなってきた。これを読んでいるあなたも、恐らく名前くらいは聞いたことがある程度の知名度大学だ。
しかし悲しいことに、都心位置しつつも、お国から運営交付金国立大学の中でも下から数えた方が早いレベル都内大学に限っていえば、下から数えるのに五指も必要ない。
そしてこの社会情勢である。「生産性がない」「社会にすぐに還元できる研究がされていない」「論文数が少なすぎる」「運営交付金無駄から早く潰したい」とすら考える政治家役人もいるだろう。

さて、そんな東京X大学にも改正健康増進法の波が押し寄せてきた。

先に書いておくと、もともとこの大学学生喫煙率は高い。入試の倍率が高く、成人済みで入学してくる学生が多いのも理由の一つだろう。
数十年前と比較したら少なくなったのだとは思うが、それでも喫煙者は教職員学生の5%前後はいると思われる。
普段からタバコを燻らせている学生をよく見かけたし、喫煙所には常に人がいた。タバコ臭い研究室でゼミを行うなんてこともザラだった。

そんな大学で「敷地内原禁煙」なんてできるのだろうか?

心配を横目に、その日は近づきつつあった。

学内のいたるところには「7月1日から学内禁煙」となる旨を周知するポスターが貼られ、喫煙所であった場所からは灰皿が全て撤去された。
一部(法改正理解していない)学生反対運動があったりもしたが、準備は万端かと思われた。

そして7月1日が訪れた

「やればできるじゃないか

敷地禁煙のために奔走した事務職員は安堵したことだろう。
改正健康増進法施行後しばらくは、学内喫煙をする者を見ることはなかった。

受動喫煙を防止するために必要措置がとられた喫煙場所」のお陰かとお考えのあなた

甘い。

運営交付金下位の貧乏大学である東京X大学に、「必要措置が取られた喫煙場所」を設置する金銭的な余裕はない。
喫煙場所を作らずに7月1日を迎えたのだ。これにはタバコを吸う・吸わないに関わらず、色々な立場の人から異論が出たと思う。

しかしこの大学ルビコン川を渡った。

他の大学同様、この大学7月末には前期が終わり8月から夏休みが始まる。
タバコを見ないまま夏休みを迎え、そして後期になるのだろう。敷地内原禁煙成功したのだ…。
そう楽観視できたのは、7月に入って最初の1週間だけだったように思う。

7月の第2週にはすでに学内のあちこちタバコの吸い殻を見かけるようになり、第3週には喫煙者をも見かけるようになった。

施行後1ヶ月経たずして、東京X大学では改正健康増進法形骸化した。

状況は法改正前より悪化しつつある

改正法施行前は学内の数カ所に喫煙所があり、灰皿が置いてあった。
喫煙所はなるべく講義室などから遠い場所に設定され、喫煙所に通じる扉は「開放厳禁」とされ、不完全ながらも一定分煙がなされていた。
非喫煙者からすれば、たまにタバコ匂いがする場所がありつつも、そこに近づかなければ我慢はできるというレベルだった。
一部の喫煙者は喫煙所の掃除こそしなかったものの、灰皿に溜まった吸い殻は進んで捨て、燃えさしの処理もしていた。

しか喫煙所が廃止された今、モラルは完全に崩壊し状況は悪化しつつある。

もともと喫煙所だった場所は「人目につく」という理由で、一部の隠れニコチタンから避けられるようになった。
かわりに非常階段や、木々が茂り枯葉でいっぱいの緑地などがヤミ喫煙所として選ばれた。
よく訓練された喫煙者は未だ「元」喫煙所で喫煙を続け、灰皿がないので、その場に吸い殻を捨てている。
さすがに教授事務職レベル教職員禁煙ルールに従っているようだが、元喫煙所やヤミ喫煙所では、学生のみならず助手講師と思しき人々の顔を見かける。
敷地禁煙を訴える張り紙には、居直ったような趣旨芸術的ラクガキがされている。

喫煙者が開け放った非常階段は煙の吸気口となり、屋内では改正法施行以前よりも濃くタバコ臭いが充満している箇所さえある。もちろん、階段のあちこちに吸い殻が落ちている。
また燃えやす木材などの陰、枯葉の近くに無造作に捨ててある吸い殻を見かけることもあり、空気乾燥する時期には失火可能性もある。

学内のあちこち狼煙が立ち昇るようすからは、もはや圧政弾圧されし悲しき殉教者たちより、反体制を胸に秘めたゲリラが想起させられる。

現状

伝聞ではあるが大学としても禁煙問題には頭を抱えていて、たびたび会議の議題にも上がるらしい。
しかし話を聞く限りでは「吸い殻」の方が問題視されているように思える。
「吸い殻が無い = 敷地禁煙成功している」ということなのか、いかにも日本的論理だ。

学内喫煙をたしなめられた喫煙者が「いや、吸い殻は捨ててないですよ!」と慌てて反論しているのを見かけたこともある。
そういう問題じゃないぞ。

実際に国から違反を指摘され罰金を払う、もしくはタバコが原因の火災などの事故が発生するまで、この大学では状況は変わらないだろう。
これは別に組織批判しているわけではない。何故ならば下で述べるように、問題大学に止まらいからだ。

改正健康増進法問題

施行後3ヶ月が経過し、第一種施設病院学校行政機関である東京X大学に頻繁に出入りし、改正健康増進法を調べるなかで以下の問題点を感じた。

  1. 国が法律だけ作っておいて運用する素振りすら見せない & 喫煙場所に対しての補助もしない & 禁煙を推進するような施策や補助をしない
  2. 管轄である厚生労働省施設管理者向けにしか情報を公開していない
  3. 施設管理者が、喫煙場所設置コスト << 喫煙者による環境悪化コストを想定できない

以下に、詳細を書く。

1. 国が法律だけ作っておいて運用する素振りすら見せない & 喫煙場所に対しての補助もしない※2禁煙を推進するような施策や補助をしない

補助がないと喫煙場所が設置できない懐事情組織が、実際にある。ここで述べたように、結果として改正法施行前より状況が悪化する可能性がある。
またもう少し積極的禁煙を推進するような施策実施しないと、改正健康増進法自体意味・意義が薄いと感じる。
この法律について、国は要するに「ルールだけ作って、あとは施設管理者に全てを丸投げ」しているようにか思えない。

2. 管轄である厚生労働省施設管理者向けにしか情報を公開していない

厚生労働省などは、この法律施行にあたりHP特設ページを設けている※3施設管理者に向け改正法をことこまかに解説していて、相談窓口もある。
非常にわかやすいし必要情報は一通りまとまっている。一市民として、法律は常にこのように分かりやすくまとめられるべきだと思う。
しかし同時に、施設利用者向けの情報ほとんどない点も気になった。例えば喫煙場所に不備がある病院を見つけた場合はどうすればいいのだろう?この増田のように、違反者だらけの第一種施設についてはどこに報告すればいいのか?

そういったことは全く分からないし、窓口もない。

罰則規定があるにも関わらず、違反者がいた場合有効対処方法を考えてないのではないだろうか?

3. 施設管理者が、喫煙場所設置コスト << 喫煙者による環境悪化コストを想定できない

喫煙場所の設置には排煙設備敷地などが必要だ。組織の規模によっては大きな負担となりうる。施設管理者側に立てば「滞在中くらいはタバコ我慢できるだろう」と考えたくなるのはよくわかる。
しか喫煙者のニコチンに対するリビドーを甘くみてはいけない。外を歩いているときに下を向いてほしい。道端に捨てられているゴミほとんどがタバコの吸い殻だということに気づくだろう。

施設管理者は「喫煙者のために喫煙場所を用意せねば、必ず環境悪化する」という認識でいる必要がある。
目先の負担を気にしてばかりいると、長期的には環境維持コストがそれを上回る可能性もある。施設組織によってはブランドイメージ毀損にも繋がると認識した方が良い(もしブランド力があれば、の話だが)。

最後

もしあなた東京X大学学生であり学内喫煙であるならば、改正健康増進法には罰則規定があること、違反した場合には施設管理者に50万円、違反した喫煙者に30万円の過料が課せられる※4ことを覚えておいてほしい。
学生が払った学費は、いずれ改正健康増進法過料として支払われることとなるかもしれない。
貧乏大学の学びの環境の悪さを憂う前に、襟を正してみてはどうだろうか。

そしてもしあなた教職員なのであれば、もう少しちゃんとこの問題に取り組んでほしい。

※1 https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000489407.pdf
※2 中小事業者向けの補助・控除はある。第一種施設については記述を見つけられなかった
※3 https://jyudokitsuen.mhlw.go.jp/
※4 https://www.mhlw.go.jp/houdou_kouhou/kouhou_shuppan/magazine/2018/11_01.html

2019-10-13

[]2019/夏アニメ の感想

そういえばいつの間にか夏アニメが終わってしまった。夏アニメはわりと毎週楽しみにしていたものが多かったのでメモ




なお、秋アニメは「旗揚げけものみち」を毎週見ることを目標仕事を頑張っていきます

2019-10-07

BLACK FOX

話の筋は良く、設定も良く、バトルシーンの作画も凄く良かったけどつまらなかった

テンポが悪いんだよな~…無駄に表情を見せるカット風景を見るカットが多かったし、会話もなんか間延びしてるように感じた

内容自体はきちんと行間を読んだ会話で良かったと思うけど

幼少→少女探偵助手の合間を暗転だけで繋ぐのも飽きてしまった

あと少女期は飛ばしてもよかったのでは?大事件は過去回想というかフラッシュバックみたいな感じで見せたほうが良くない?

まあこれは好みか…00の話もあるだろうし

それとアバン?で入るスタッフ名前を残しすぎ。もっと早く消してくれないと目障り

アバンもだけどOPはただただポカンとしていた。あのタイミングOPは寒くないか

演出仮面ライダーと比べるとヒーローものとしては物足りなかったし

あれはもっと他に参照先があるの?

とにかくなんか残念だった…このアニメスタジオではこういう作画ができますよ!という宣材を見せられてる気分になった

オリジナル枠だときみ波以上の作品は今年は出てこないのかなあ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/TJO_datasci/status/1180411468300222464

野依センセだけじゃない。有機合成系の研究室というのは,基本的ブラックになる傾向がある。

合成の論文を見ると,少ない場合で数ステップ普通は数十ステップの合成経路が書かれている。この合成経路の完成には膨大な人手がかかるからだ。教授やら偉い人が「なんとなくこの物質はこういう経路で合成できるんじゃないかな」とあたりをつける。場合によっては何通りもの経路を考える。で,そのステップの一つ一つを下っ端の助手やら院生やら学部生やらが実験してみる。

一発で合成が成功することなんてほとんどない。で,そうなると「溶媒変えてみろ」となり,数十通りの溶媒を試してみる。だめだと「触媒変えてみろ」になって,全部の溶媒と数十種類の触媒の組み合わせを試してみたりする。それでもだめだと「温度変えてみろ」「圧力かけてみろ」「光当ててみろ」とかなる。それらの膨大な試行錯誤によって一つのステップが完成したりダメと判明したりする。

一歩一歩が院生の数ヶ月をつかう作業迷路を解いていく。それが有機合成化学という分野だ。でもって,多くの研究分野では複数研究室競争してたりする。たとえ合成経路が完成しても,他の研究室に先を越されたら何の意味もなくなる。

かくして盆正月も帰れない,始発から終電まで実験をひたすら繰り返すブラック研究室誕生するのだ。

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