割とすぐ忘れるけど去年はあけるのが遅かったみたいやな
https://tenki.jp/amp/forecaster/y_nakagawa/2019/07/09/5213.html
それも開発したのは俗に言うスーパーハッカーとかスタープログラマとかではなく、当時全く無名だった大学院生。
だから開発の目的だって、勉強のためかお遊びなのかもよくわからない話だったり。
そこに来て、型落ちロースペックPCでも動かせるフリーのUNIXライクOSとなると、今だったら
みたいに冷笑されかねない話だ。
実際リリースされて間もない1990年代後半から2000年前後辺りまでは
「流行の追っかけしか能がない、ワナビーのクソガキ共が使うおもちゃ」
くらいの立ち位置だった。
当時流行っていたネットスラングに類似する煽り方をするなら「アンチMS厨御用達」みたいな感じだろうか。
「そんな事があったんだー」
で終わるくらい、Linuxは誰でも、どこでも使うOSになっているのは御存知の通り。
UNIX系OSで最もメジャーと言うだけではなく、システム開発やサーバ構築でWindowsサーバとともにほぼ必ず選択肢に挙げられるようになって久しい。
更に直近の10年で、気がつけば世界中で使われているスマホの殆どがLinuxベース(Android)になっている。
つまり誕生からの四半世紀で爆発的に発展・普及したというわけだ。
本当にLinuxを使うなんて今どき普通すぎて、特に取り立てて言うことではない。
一方でLinuxよりもずっとフリーUNIXとしての歴史があり、かつては定番だったBSD系なんて、今やAppleのお陰で辛うじて延命している状態なのだから、これまた隔世の感がある。
とはいえ気になるのは、何をどうやったらここまで信じがたい躍進をしたのか?という事情。
ホビー用途とビジネス用途では要求される信頼性のレベルが異なるので、誰かがそこに手を入れないとこのような発展は望めない。
そこでは大企業がきちんと専門家を入れる形で関わるならなお良い。
そうなるとやはり、まずIBMが白羽の矢を立て、次いでGoogleが積極的にコミットするようになった流れが大きいのだろうか。
このうちGoogleは「弊社はオープンソースにフリーライドしているわけではない」アピールや自社サービスのコストダウン、更にはモバイル分野への進出という諸々の目的に好都合だったのだと思う。
何しろ元々IBMはAIXという自社製UNIXを売ってる会社であり、これを用いた各種サーバ構築はお家芸だったわけで。
更にこのAIXにDB2やWebSphereを組み合わせる方式は、2000年代くらいまではエンタープライズアーキテクチャの2大巨頭だった。
(もう1つはSolaris+Oracle+WebLogic)
そんな会社がLinuxに手を出して、一体何の得があるんだ?という話なわけ。
一つ考えられるとすれば、AIXもDB2もWASも買えない貧乏人もとい中小規模の顧客から、せめて構築と運用の手数料だけでも取るためとか?
まあ確かに一時期流行ったLAMP(Linux+Apache+MySQL+PHP)なら、ライセンス料なしでハードも安価なPCサーバになるので、導入のハードルは低い。
というわけでLinuxの草創期を知ってる人間からしたら、今の状況は世の中が変わりすぎなくらい変わったという感覚が強い。
Androidの不具合がスマホのメーカー依存or機種依存だったり、そもそもLinuxのデスクトップ用途が未だに少数派なのは今後も変わらないだろうけど、逆に変わらないのは多分それくらい。
あとUbuntuは嫌い。
名著「UNIXという考え方 - UNIX哲学」は本当に名著なのか? 〜 著者のガンカーズは何者なのかとことん調べてみた - Qiita
この記事はよく調べてあるなぁと思う反面,事実関係の間違いも多く当時の空気感など欠けていると思う部分がいくつかある。事実関係に関しては追い切れないので参考文献を挙げるにとどめておくが,空気感のほうはいくつか書いておく。なお当該記事の「当時と今では状況が全然違うんだから,安易に『UNIX 哲学』とかいうな」という主旨には大賛成である。
初期の UNIX の歴史について興味がある向きには次の書籍をお薦めする。
Peter H. Salus『A Quarter Century of UNIX』(1994, Addison-Wesley Publishing)
和訳の『UNIXの1/4世紀』(Peter H. Salus, QUIPU LLC 訳, 2000, アスキー) は絶版のうえ訳も微妙なので薦めづらいが,原書は The Unix Heritage Society (tuhs) で PDF が無償公開されているので,英語が苦にならないのなら読んでみるといい。
また同じく tuhs で無償公開されている Don Libes and Sandy Ressler『Life with UNIX』(1989, Prentice Hall)を読めば80年代終りの UNIX の状況(XENIX についてもしっかり言及されている)や利用者目線での雰囲気もある程度判るだろう。
元記事で一番気になるのが「哲学」という語の捉え方。この言葉の強さに引きずられているように読める。でもこれ,当時は設計の基本的な考え方くらいの意味でわりとよく使われていた言葉なんだよね。たとえば米 BYTE 誌のアーカイブを “philosophy” で全文検索するとこんな感じ。
https://archive.org/details/byte-magazine?query=philosophy&sin=TXT&sort=date
ほぼ毎号のように出現していたのが判るだろう。
もっとも猫も杓子も「哲学」を振りかざしていたわけではないし,UNIX の開発者たちが「哲学」の語を好んで使っていたのも間違いないように思う。傍証の一つが AT&T の定期刊行物『The Bell System Technical Journal』の1978年7, 8月号だ。元記事で言及されているマキルロイの Forword の初出がこれで,ネットのアーカイブから PDF が入手できる。
この号は二部構成になっていて第一部が Atlanta Fiber System に関する論文12本(全172ページ),第二部が UNIX に関する(Preface や Foreword を含む)論文22本(全416ページ)となっている。さて前述の PDF は OCR されているので “philosophy” で全文検索してみると8箇所見つかる。これが見事に全部 UNIX の論文なのだ。もちろん論文の性質もページ数も違うからこれだけで確定的なことはいえないが「日常的に使っていたんだろうなぁ」という推測は成り立つだろう。じつはマキルロイの哲学とされている部分は “Style” であり “philosophy” の語は一切使われていないというのもちょっと面白い。UNIX の開発者たちがなぜ「哲学」という語を好んだか正確なところは判らないが,それまでにない新しい考え方に基づいた OS を開発しているという意識があれば,そういう言葉を選ぶのが自然な時代だったことは間違いない。
UNIX が認知され拡がっていく過程で「哲学」も知られるようになっていった。自分が好むものの良さを他人にも識ってもらいたい,あわよくば他人もそれを好むようになって欲しいという布教活動は今も昔を変らないわけで「哲学」はその便利なツールとなったわけだ。元記事ではガンカースの著作を「外部の人間が後から打ち立てた哲学」と表現しているが,そんなたいしたものではない。マキルロイの論文に影響を受けた布教のためのああいう説教は到るところにあった。たとえば前掲の『Life with UNIX』にもしっかり Philosophy の項がある。また日本で最初期の UNIX 解説本のひとつである,村井純・井上尚司・砂原秀樹『プロフェッショナル UNIX』(1986,アスキー)には冒頭次のような一節がある。
オペレーティング・システムは,コンピュータを使うものにとっての環境を形成する基盤であるから,そのうえで生活する者の個性を尊重し,より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェアでなければならない。この主張こそが,UNIX のオペレーティング・システムとしての個性ではないだろうか。
「より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェア」とはテキストを入出力フォーマットとする単機能のコマンド群のことで,これらをパイプでつなげたりシェルスクリプトでまとめたりすることで「そのうえで生活する者の個性を尊重し」た「より良い環境へと作り上げて行く」ということだ。こういった説教はありふれたものであった。たんにそれを「哲学」の語を用いて書籍にまとめたのが,たまたまガンカースだったというだけのことである。
そしてじつは UNIX の場合,布教活動とはべつに「哲学」を広めなければならない切実な理由があった。これを説明するのは非常に面倒くさい。当時と今ではあまりにも環境が違うのだが,その違いが判らないと切実さが伝わらないからだ。マア頑張ってみよう。
UNIX は PDP というミニコンピュータ(ミニコン)上に開発された。このミニコンを使うためには専用の部屋に行く必要がある。その部屋は,もちろん場所によって違うわけだが,マアおおよそ学校の教室くらいの大きさだ。長机が何列か並んでおり,そのうえにはブラウン管ディスプレイとキーボードを備えた機器が等間隔に置かれている。壁際にはプリンタが何台かあるだろう。通っていた学校にコンピュータ室などと呼ばれる部屋があったならそれを思い浮かべればだいたい合ってる。ただし置かれている機器はコンピュータではなくコンピュータに接続するための端末装置(ターミナル)だ。端末装置のキーボードで打った文字がコンピュータに送られコンピュータが表示した文字がそのディスプレイに表示される。現在 Unix 系 OS で CLI を使うときターミナルとか xterm という名のアプリケーションを用いるがこれらは端末装置のエミュレータで,もともとは実体のある装置だったわけだ。
さてコンピュータ室にたいていは隣接するかたちでマシンルームなどと呼ばれる六畳くらいの部屋がある。窓ガラスで仕切られたこの部屋には箪笥や洗濯機くらいの大きさの装置が何台か置かれている。これがコンピュータ本体だ。もっともコンピュータが何台もあるわけではない。この箪笥が CPU でそっちの洗濯機がハードディスク,あの机に置かれているタイプライタが管理用コンソールといった具合に何台かある装置全部で一台のコンピュータになる。どこが〝ミニ〟だと突っ込みたくなるかもしれないが「六畳で収まるなんて,なんてミニ!」という時代のお話だ。
端末装置それぞれから(USB のご先祖様の)RS-232 という規格のアオダイショウみたいなケーブルが伸び,マシンルームに置かれたターミナルマルチプレクサと呼ばれるスーツケースに台数分のアオダイショウが刺さってコンピュータとの通信を行う。コンピュータと多数の端末装置を含めたこれら全体をサイトと呼び,root 権限を持って管理業務を行う人をシステム管理者あるいはスーパーユーザと呼んだ。
結構上手に説明できたと思うのだが雰囲気は伝わっただろうか。ここで重要なのは一台のコンピュータを数十人が一斉に使っていたという事実だ。洗濯機とかアオダイショウとかは,マアどうでもいい。
当時の UNIX の評価を一言で表すと〝自由で不安定な OS〟となる。メーカお仕着せではなく自分好みの「より良い環境」を作りあげる自由。さらに他のメインフレームやミニコン用 OS に比べると一般ユーザ権限でできることが圧倒的に多かった。そしてその代償が不安定さ。今では考えられないが UNIX のその不安定さゆえにプロ用 OS ではないと考える向きは多かったし「でも UNIX ってすぐ落ちるじゃん」というのは UNIX アンチ定番のディスりだった。UNIX の落とし方,みたいな情報がなんとなく廻ってきたものだ。
こういった雰囲気を鮮やかに伝えてくれるのが,高野豊『root から / へのメッセージ』(1991,アスキー)だ。当時アスキーが発行していた雑誌『UNIX MAGAZINE』に連載されていた氏のエッセイの1986年11月号から1988年10月号掲載分までをまとめた書籍である。著者の高野氏は勤務先の松下電器で1980年ごろから UNIX サイトのスーパーユーザを務めており,日本では最古参の一人である。この本の中で高野氏は繰返し UNIX の自由さと不安定さに言及している。すこし長くなるが,その中の一つを引用しよう。
CPU は,システムにとって重要な共有資源であるが,この CPU を実質的に停めてしまうことが UNIX ではいとも簡単にできる。たとえば,cc コマンドを10個くらい同時に走らせてみたらよい。VAX-11/780 といえども,同時に実行できるコンパイルはせいぜい3つか4つである。それ以上実行することも当然可能ではあるが,他に与える影響が無視できなくなる。つまり,てきめんに vi のカーソルが動かなくなる。あるいは,すこし大きめなディレクトリ上での ls コマンドの出力が表示されるまでに煙草を1本吸い終えてしまったり,タイムアウトでログインが撥ねつけられたりといったバカげた現象が起きだすのである。こういった状態になると,UNIX は破壊されたに等しい。真夜中,独りで VAX を占有して使っているのなら何をやろうとかまわない。しかし,20人30人と多数の人間が使っているときに勝手をやられると非常に困るのである。当人の仕事が遅れるのは自業自得だとしても,そのとばっちりで他のエディタまで止まってしまうと,もはやどの仕事も進行しなくなる。
ディスクについても同様なことがいえる。UNIX では,ファイルシステムを使いはたすまで大きなファイルを自由に作ることができる。したがって,自分のプロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュアが使うと悲惨なことになる。ディスクを使いはたすと,コンソール・タイプライターにエラー・メッセージが出力されるが,夜中にそれが発生して,コンソール・タイプライターが一晩中エラー・メッセージを打ち続け,朝マシンルームに行ってみると紙を一箱打ち尽くしてしまい,ピーピーと悲しげな声を上げて人を呼んでいた光景を私は何度も見てきた。こうなると,それをしでかした本人のプロセスは当然のこととしても,同じディスクで走っている他のプロセスも先に進めなくなってしまう。すこしでも負荷を夜間にまわそうとする善意は逆転してしまい,わずかでも仕事を先に進めようとする意図も完璧に打ち砕かれてしまうのである。
そして,こうした不安定さが「哲学」を必要としたのだ。自分が利用しているサイトに「cc コマンドを10個くらい同時に走らせ」たり「自分のプロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュア」がいるとその累は自分にも及んでしまう。だからサイトの利用者全員に UNIX の設計の基本的な考え方を理解してもらうことが,自分のために必要だった。UNIX の伝道がより苛烈だった理由のひとつがここにあるのだ。
ミニコン上で誕生した UNIX は 4.3BSD(1986)で最高潮を迎える。注意したいのはミニコン時代の UNIX は Research UNIX と CSRG BSD みたいな区別をせずにまとめて UNIX として扱われていたことだ。実際『プロフェッショナル UNIX』も『root から〜』も UNIX と記述されてはいるが実際には BSD を扱っている。べつに当時の人が無知だったわけではない。なにしろ BSD を利用するためにはまず AT&T から UNIX のライセンスを購入し,そのうえでカリフォルニア大学バークレー校(UCB)から BSD を入手しなければならなかったからその関係は当然広く知られていた。ベル研で発明された UNIX を外部の人たちも含めみんなで改良し,それら全体が UNIX であるという考え方が自然だっただけである。『Life with UNIX』のような英語の文献によく登場する “Berkeley UNIX” という言い回しが当時の気分をよく表している。UNIX vs BSD みたいな捉え方は法廷闘争を経た90年代以降の感覚だ。
もっともそういう70年代風味の牧歌的風景はミニコン世界限定の話であった。BSD そのものはミニコン用のものしかなかったが,そのコードを受け継いだ BSD 系 Unix や AT&T が推し進める System V などがワークステーション市場を舞台に80年代中盤から激しく覇権を争うようになる。いわゆる Unix 戦争で,PC 用 Unix であるマイクロソフトの XENIX も当然参戦した。ミニコン世界が牧歌的だったのは,ぶっちゃけていえば先のない技術だったからだ。ただ Unix 戦争はあくまでも標準という聖杯を争う戦いであり,AT&T と BSD 系 Unix の Sun Microsystems が共同で System V Release 4.0 (SVR4) を作りあげたように後の法廷闘争とは趣が違う。
こうしたミニコン UNIX からワークステーション Unix への転変は Unix そのものや文化にも変化をもたらした。まず激しい競争は Unix の高機能化を加速した。商品として判りやすい惹句が「あれもできます,これもできます」なのは誰もが知っている。もちろん安定性を増すために quota のような利用者の自由を制限する機能も含まれていた。またワークステーション Unix は現在の Unix 系 OS と同様同時に一人が使うものであり前述の布教の必要性は大幅に減じた。達人たちのみの楽園から万人に開かれた道具に変ったのだ。こういった変化を体感したければ『root から〜』と水越賢治『スーパーユーザの日々』(1993,オーム社)を読み比べてみるといい。『スーパーユーザの日々』はワークステーション Unix のシステム管理の入門書だ。この本ではたんに知識を羅列するかわりに架空のソフトウェアハウス(開発会社)を舞台に新卒社員が先輩社員からシステム管理を学ぶという体裁をとっており,そのおかげで架空の話とはいえ90年代前半の雰囲気が堪能できる。出版年でいえば『root から〜』と二年しか違わない『スーパーユーザの日々』の落差は “dog year” と称された当時の激烈な変化まで体感できるだろう。
当時はよくいわれたのに今やほとんど聞かれなくなったものがある。マキルロイの論文の結論部分に書かれたそれは,1973年に出版されたイギリスの経済学者エルンスト・シューマッハーの著作の題名で,中学生の英語力があれば十分に理解できる平明な一文だ。
Small is beautiful.
マキルロイは『人月の神話』を引いて一定の留保をつけてはいるものの,これが UNIX 哲学の背骨であることに違いはない。機能をありったけ詰め込もうとして失敗した “kitchen-in-a-sink” な MULTI•cs のアンチテーゼである UNI•x にとって,これ以上のスローガンがあるだろうか?
ひるがえって現在の Unix 系 OS をみれば,ブクブクと肥え太ったシステムコール,全容を俯瞰するだけでも一苦労するライブラリインターフェイス,一生使うことのないオプションスイッチまみれのコマンド群。UNIX が仮想敵とした OS そのものだ。そのことについてとくになにも思わない。ハードウェアは長足の進歩を遂げ,コンピュータの応用範囲は途方もなく拡がった。UNIX が変らなければたんに打ち棄てられ,歴史書を飾る一項目になっただけだ。ただ現在「UNIX 哲学」を語るならそうした背景は理解していなければならないし,どれだけ繊細な注意を払ったところで〝つまみ食い〟になってしまうことは自覚すべきだ。
ツイッターとかでよく見るんだが、そこカギ括弧使わなくていいだろってところにカギ括弧を使っている。
菅元首相が作った「こども庁」を岸田首相が「こども家庭庁」に変えた経緯に、統一教会の支援団体が関与してたことを自白してますね。
>心有る議員・有識者の尽力によって、子ども政策を一元化するために新しく作る組織の名称が「こども庁」から「こども家庭庁」になりました。
https://twitter.com/hirox246/status/1548599783463522304?s=21&t=qEDDnqyO2C_J969FO2o2MA
ていうかバズってるツイートは大体この、普通なら不必要とされるようなカギ括弧を多用している。
その方がバズりやすいんだろう。
発信者が強調したい事がより明確だし。
こういう使い方の先駆者としてジョジョの荒木飛呂彦がいるのかなと思う、知らんけど。
でもこの使い方ってここ5年くらいで流行ったような気がする。
何かターニングポイントがあったのかな?
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【治部れんげ先生ツイッター】(https://twitter.com/rengejibu/status/1545200207679602688)から引用
“氷河期世代の支援が遅れたこと、政府の問題は当然として、メディアも他人事と思わないでほしいです。
2002年頃、記者をしていた経済メディアで、この問題を取り上げた時、当時の副編集長世代と自分(20代半ば)の意識ギャップを感じました。
企画提案しても、「好きでアルバイトしてる人たち」でしょ、という反論が返ってくる。就職難しい世代とバブル世代の自己責任論(他人に向けた)の差を痛感しました。
たまたま「理解ある副編集長」が会議で何度も交渉してくれたから特集記事になったけれど、
あの時期、氷河期問題提起のコンテンツを、色んな形で出すべきじゃない、って言ってた
メディアの人に政府の無策を批判する資格はないと思う。あなた達も共犯。”
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治部れんげ先生に、「批判する資格」はおありでしょうか? 「あなたも共犯。」ではないのですか?
治部先生の批判はブーメランのように先生ご自身に返っていくように思います。「どの口」でおっしゃっているのでしょうか?
2002年12月23日号 の 「日経ビジネス」 の 「特集 若年失業の罠」で、確かに 治部先生(たち)は「若年失業を放置していれば、国全体が沈みこむことになる」とお書きになりました。それは、すばらしいです。
しかし一方、同じ2002年の12月、そのわずか2号前の「日経ビジネス」12月9日号で、
治部先生は『女格闘家VSレ●プ魔』といった「レ●プもの」など鬼畜系を得意とするソフト・オン・デマンドの創業者を
「正論を貫く姿勢が、迷える若者の心を打つ」と称賛していらっしゃいます。
https://pbs.twimg.com/media/FXS8-IFVQAYUioX?format=jpg&name=4096x4096
ソフト・オン・デマンドは治部先生が取材をするすぐ前、1998年や99年にも無職少女(17)をアダルトビデオに出演させたり、有名アスリートに全裸で競技をさせたりという酷いことを強要して、
治部先生が取材した社長自身や幹部、監督が逮捕されていたにもかかわらずです。全国紙でも報道されましたし、それらは当時誰もが知る事実でした。治部先生がご存知ないはずはなかった。
日本で最も信頼されているビジネス雑誌で、そういう企業や経営者を好意を持って取りあげたのは、
女性に対する明らかな人権侵害を積極的に許容したことにならないのでしょうか。
「ハハハ、そんなのもう20年前のことじゃないですか(笑)」と笑ってごまかされるのかもしれませんが、
治部先生がいま声高に批判されているのも20年前のマスメディアの方々です。
治部先生の論理と言葉をお借りすると、「治部先生も共犯!」ということにならないのでしょうか?
治部先生は、他者には厳しく、自分には甘いだけなのではないでしょうか。
そして今、治部先生が何の反省の弁もなく、伊藤和子先生などの「AV出演被害防止・救済法の実現を求める会」の賛同者に
しれっと入っているのは腑に落ちません。
>例えばジョジョなら、1993年の35巻より前が入っていない。
2022年07月時点で1巻から全部あるようになった・・・かな?
安倍ちゃんは去年9月のビデオ演説だけでなく、今年の2月13日「ワールドサミット2022・韓半島平和サミット」という統一教会イベントに書面で演説してた。
https://anond.hatelabo.jp/20220713090656
そして同イベントの別プログラムの中で「日本を代表するVIP」演出の中で前参議院議長の伊達忠一や前前環境大臣の原田義昭、現衆議院議員の高木ひろひさ(宏壽)らも演説してるのよ。それは漠然とした噂とかではなくて、全世界へYoutube上で堂々と出演しており、その映像は今でも全然視聴できる状態にある。
https://www.youtube.com/watch?v=f2ricogBBbE&t=6919s
警察のリークの中で容疑者は「安倍晋三がイベントで演説したのを知って襲撃を決めた」と主張している。もし模倣犯が現れるとしたら同文脈上にいるこの大物3人なんだよね。なのにこの人たちについて現時点でだーーれも全然言及してない。うっかり模倣犯が現れて警護皆無で襲撃に成功したらマジで笑えんわ。
今回の容疑者は単独犯であり、安倍晋三という最大の大物が対象だったから確かに模倣犯は現れ辛い状況ではあるが、容疑者と似た境遇を抱えて同様に統一教会に対して深い憎しみを持つ人は間違いなく一定数はいる。そうした状況の中では可能性は少なくても模倣犯に警戒すべきだよ。まぁもちろん、公表されてないだけで警察の方々の警護がちゃんとついているかもしれないけどね。
あと、そもそも論として、安倍ちゃんではなくこの3人が襲撃の対象になった可能性もある。容疑者は「元々は統一教会のトップを狙っていたが不可能そうなので断念して矛先が変わった」的な事を言っている。そうした中で日本では最大の関係者である安倍晋三が結果的に狙われただけであって、もし厳重な警護等を理由に安倍ちゃんへの襲撃を断念した場合は、同文脈上にいる大物関係者である伊達忠一/原田義昭/高木宏壽らが襲撃の対象になった可能性は十分にあった。
「襲撃対象になる」という話から離れるが、この3人は間違いなく今回の事件の背景の一部の当事者なわけで、例えば「安倍晋三が統一教会のイベントで演説した経緯やその認識」等について正確な情報が得られるかもしれない重要人物だったりする。さまざまな政治家が統一教会との関係について議論されてるけども、「大昔に統一教会関連イベントに軽くゲスト参加した政治家」とか「組織から数万円献金された政治家」とかを注目するよりかはこの3人にスポットライト当てた方がいいんじゃねーの。
・参考画像
https://i.imgur.com/O9EAoU8.png
https://i.imgur.com/gU4Onew.jpg
・統一教会イベントにて伊達忠一/原田義昭/高木宏壽が出演したセッションの書き起こし
https://anond.hatelabo.jp/20220717082053
2022年7月中旬時点での情報。公式Youtubeチャンネルや公式サイトtv.peacelink.live上で探した際に見つけやすい形で堂々と出演していた日本人たちをリストアップ。そのため精度が高い情報ではない。
https://www.youtube.com/channel/UCrgyZY2ywXsTWjzAWKnjEcg
https://tv.peacelink.live/home
2021年9月12日「THINK TANK 2022 希望前進大会」にてビデオ演説。2022年2月13日「ワールドサミット2022・韓半島平和サミット」にて書面演説。https://anond.hatelabo.jp/20220713090656
イベント出演時には(安倍晋三ほどではないが)日本代表のVIP(2番手?)として扱われている。紹介時の肩書きは「第31代日本参議院議長」。出演回数は3回以上。
韓半島平和サミット開幕式(出演部分だけを切り抜いた公式動画) https://www.youtube.com/watch?v=fIsTxkGlo6g
[World summit] 월드서밋 2020 KINTEX 다테 추이치 (Hon. Chuichi Date 伊達 忠一)일본 전 참의원 의장 세계평화정상연합 총회 (ISCP) 연설
[World summit] 월드서밋 2020 KINTEX 다테 추이치 (Hon. Chuichi Date 伊達 忠一)일본 전 참의원 의장 환영만찬 연설
イベント出演時には(安倍晋三ほどではないが)日本代表のVIP(3番手?)として扱われている。紹介時の肩書きは「第26代日本環境大臣」。出演回数は2回以上。関連組織「世界平和議員連合(IAPP)」の議員連盟会長でもある。
韓半島平和サミット開幕式(出演部分だけを切り抜いた公式動画) https://www.youtube.com/watch?v=OwYAuMQ752w
[第3回THINK TANK 2022 フォーラム] 日本専門家の質疑
韓国から日本への映像中継の進行役として登場。「日本の国会の議員です」と自己紹介している通り現衆議院議員。大物の現役政治家としては安倍晋三と高木宏壽の二人だけ。
韓半島平和サミット開幕式 https://www.youtube.com/watch?v=f2ricogBBbE&t=6906s
紹介時の肩書きは「第70-71代防衛庁長官」。「小野義徳」という表記もあった。出演回数は3回以上。
[第1回THINK TANK 2022 フォーラム] 日本専門家の質疑
[第4回THINK TANK 2022 フォーラム] 日本専門家の質疑
[第2回THINK TANK 2022 フォーラム] 日本専門家の質疑
紹介時の肩書きは「元国連軍縮担当事務次長」。出演回数は2回以上。
[第1回THINK TANK 2022 フォーラム] 日本専門家の質疑
[第4回THINK TANK 2022 フォーラム] 日本専門家の質疑
紹介時の肩書きは「第36代自衛艦隊司令官」。出演回数は2回以上。
[第2回THINK TANK 2022 フォーラム] 日本専門家の質疑
[第4回THINK TANK 2022 フォーラム] 日本専門家の質疑
[第1回THINK TANK 2022 フォーラム] 日本専門家の質疑
[第1回THINK TANK 2022 フォーラム] 日本専門家の質疑
「30人ほどの議員があつまっている」と紹介しており、中継映像内に10人ほどの議員っぽい人たちが映る。
柳本卓治。松本文明。小林興起。中継で映っていた人たちの残り6人ほどは名札も見えず誰なのか判別できなかった
[World summit 2020] Mr. Yoshitaka Ishi_Former President, Kyushu Railway Company_세계평화경제인대회 (IAED)
[第3回THINK TANK 2022 フォーラム] 日本専門家の質疑
[第2回THINK TANK 2022 フォーラム] 日本専門家の質疑
[World summit] 월드서밋 2020 KINTEX_요시미츠 니시카와 (Yoshimitsu Nishikawa)일본도쿄대 글로벌·지역학부 교수 세계평화학술대회 (IAAP) 연설
Yuya Watase (Executive Director of The Washington Times Japan)。
など
2022年2月11日「ワールドサミット2022・韓半島平和サミット 開幕式」にて前参議院議長 伊達忠一、前前環境大臣 原田義昭、現衆議院議員 高木宏壽らが出演した日本人代表セッションの書き起こし。
https://www.youtube.com/watch?v=f2ricogBBbE&t=6919s
それでは、プレナリーアドレスのパート2に参ります。日本を代表するリーダーの御二方にお会いしたいと思います。
まずは原田義昭第26代日本環境相、そして伊達忠一第31代日本参議院議長です。それでは日本に繋げてみます。日本どうぞ。
ありがとうございます。私は東京からご挨拶申し上げます。私は日本からご挨拶しております。(私は高木宏壽です(←同時通訳では抜けてた)。)日本の国会の議員です。
IAPP(世界平和議員連合)ジャパンフォーラムの構成員が集まっています。ワールドサミット2022と連携して、このようにテレビ会議で参加しております。
30人ぐらいの日本の議員が、IAPPのジャパンメンバーとして参加しています。皆様、ご挨拶申し上げます。
[拍手]
それでは、IAPPの日本フォーラムの議長であります原田様をご紹介申し上げます。日本の議員として、25年間活躍され、環境相として活躍されました。
IAPPの日本フォーラムを率いています。それでは、お招きしたいと思います。
ありがとうございます。ご紹介ありがとうございました。本日、この場で皆様方に私たちの考えをお話しする機会を得まして大変嬉しく思います。ワールドサミット2022のプレナリーセッションで皆様にお会いできて嬉しく思います。
まず開会に先立ちまして、UPFの創設者ハン・ハクチャ総裁に感謝申し上げます。大きな志を持ってワールドサミット2022を準備してくださいましてありがとうございます。
世界的に重要なテーマであります韓半島の平和をワールドサミット2022で扱います。 私たちはまたカンボジアのフンセン首相にも感謝申し上げます。パンギムン前国連事務総長にも感謝申し上げます。
何よりも私たちが平和、そして安保の状況、特に北東アジア地域を考えるときに、 北東アジア地域は韓国と日本が位置している地域でもあります。1番大きな脅威は、中国の覇権への野望であると言えます。日本のような場合は、何よりも尖閣列島の領有権に対する中国の侵略を懸念しています。中国の海警の船舶がこの地域に進出してきています。だからこれに対抗して日本の海洋警察が日本の漁船の安全を確保するために、 中国の船舶に対して日本の海域から離れるように持続的に警告しなければなりません。また、日本はこれから3、4年の間、発生しうる台湾有事について懸念しています。
3年か4年ぐらいで、もしかしたら台湾有事が発生するのではないかと懸念しています。台湾有事が発生しましたら、これは日米安保同盟において非常事態となります。台湾は日本と100キロぐらい離れています。
日本の沖縄県の米国島から100キロしか離れていません。中国軍が台湾を侵略したら、日本に駐屯している米軍が対応しなければなりません。
また、日本の自衛隊もアメリカの作戦に参加することになろうかと思います。
このような事態が発生しましたら、これは地球上のほかの地域ではなく、この地域、北東アジア地域の問題となります。現在日本は改憲を推進しております。改憲は日本において1番重要な政治的イシューの1つです。
日本の憲法は75年前に発行されてから1回も改正されたことがありません。
日本の憲法が時代遅れにならず現在の地政学的な状況に合わせて改憲されるべきだと思います。特に憲法9条が改正の対象となっています。憲法9条に基づいてお話申し上げますと、日本は軍隊を保有してはなりません。しかし、日本の自衛隊が実際は軍隊の役割を果たしています。これは辻褄の合わない話だと思います。ですから憲法9条はできるだけ早く改正されるべきだと認識しています。
日本は経済的に中国と連帯関係があります。また、中国に対する敵対感を持っているわけではありません。しかし、 日本に対する軍事的な侵害、そして人権蹂躙を見過ごすわけにはいきません。
チベットやウイグル地域での人権問題が中国によって発生しています。また、日本は韓半島の分断に対して懸念しています。1日も早く統一して、1つの単一国家となることを願っています。日本政府は韓半島の統一のために支援する方策を具体的に持っているわけではありません。
しかし、全ての日本の人々は南北が1つになることを願っています。
また同時に、毎週起きている北朝鮮のミサイルの発射に対して懸念の意を持っています。
金正委員長は、国際社会の要求に、そして国際社会の声に耳を傾けて、ミサイルの発射を中断することを切に願っています。
日本とアメリカは重要な共同の価値を持っています。自由開放、そして民主化されたインド太平洋地域の重要性を共有しています。
人権、法治などの共通の価値がインド太平洋地域で達成されることを記念しています。こういったレベルで、 日本、アメリカ、インド、オーストラリアの安保の協議体であるQUADも設立されました。4者の安保対話ですこのような手段を通じて、中国をけん制しようと思います。
韓国が日本とアメリカと同じ価値を共有することができますので、韓国も私たちと共に歩んでいけると思います。
現在の朝鮮を克服するために、韓国と日本とアメリカの協力は必ず必要です。このような協力を通じて、北東アジアの平和と繁栄を築いていきたいと思います。
私たちが共に歩んでいくべき道は平和と繁栄です。しかし残念ながら、韓国と日本、日韓関係は依然として政治的に硬直しています。
また、私と私の日本の同僚は韓国の国会議員の方々に尊敬の意を表します。
両国の関係改善のために私たちの努力を傾けていくことをお約束します。ありがとうございます。
原田大臣、ありがとうございました。続きまして、伊達忠一元参議院議長にスピーチを招待したいと思います。日本語でスピーチをさせていただきます。皆様、通訳レシーバーをご活用ください。伊達忠一議長、よろしくお願いいたします。
前参議院議長の伊達忠一でございます。この度は朝鮮半島の平和という重要なテーマを扱ったワールドサミット2022において、スピーチをする機会をいただきましたこと、誠に光栄に存じます。初めにこの度のサミットの主催者でありUPFの創設者であるハン・ハクチャ総裁に敬意を賞します。また、共同議長であるカンボジア、フンセン首相並びに、パンギムン第8代国連事務総長に心より感謝申し上げます。
私は2年前に韓国で行われたワールドサミット2020に参加させていただきました。
そして光栄なことに世界各国の国家の政府首脳をはじめ、各界各宗の指導者の皆さんがご参集の中、ハン・ハクチャ総裁が引責(?)の壇上において、 日本を代表してご挨拶をさせていただきました。その時の感動は今も忘れることができません。
あの時はまだ新型コロナウイルスが出現したばかりであり、それほどまでに長期間にわたって世界中に大きな影響を与えるとは誰もが想像することができませんでした。
コロナの時代になり、人と人との間に社会的距離を取ることが要請され、国境を超えた人の行き来も制限されるようになりました。
ある意味では、それほど人と人と国と国との関係性を破壊し、互いに孤立させるもののはありません。その意味で今日ほどムン総裁、ハン総裁、ご夫妻が説いておられる共生、共栄、共義の精神が必要とされる時代はありません。
そしてとりわけその切実に必要とされている地域が朝鮮半島でございます。
朝鮮半島は未だに冷戦構造が終結していない世界でも有数の地域であり、大国の利害が空になった世界の縮図とも言える地域です。
従って、朝鮮半島の平和と安定は、日本は元より国際社会全体にとっての大きな利益です。
南北間の信頼関係が構築され、朝鮮半島の平和的統一につながる環境が醸成されるよう、対話と協力を推進されることが重要です。長い歴史と文化と言語を共有する同じ民族同士が互いに戦争し、未だに国士が2つに分断されているという悲劇を思えば、南北統一はまさに韓民族の悲願であろうかと思います。
日本は現在、北朝鮮との間に核ミサイル問題と拉致問題を抱えております。南北の平和的統一を通して、これらの問題が解決されるのであれば、それは日本と言いましても歓迎すべきことであると思います。
北朝鮮は今年に入ってからわずか1カ月の間に7回のミサイル発射を行っており、 これは我が国にとっても大きな懸念となっております。
こうした時期に国連NGOであるUPFが民間外交を通して、平壌との相互信頼を促進し、国際社会のメッセージを北朝鮮に伝えるために、平和を普及するサミット会議を開催することは、まさに時期にかなったことであると存じます。今は、コロナの影響で国境を越えての往来が非常に制限されている状態にありますので、残念ながら、サミット会議に参加するには、韓国の地に行くことができません。 たとえ体は日本国内にあったとしても、心は韓国の地に飛んでいって、お祝いを申し上げたい気持ちでいっぱいでございます。
この度のサミット会議において、世界各国の首脳たち学びにハン・ハクチャ総裁が語られるメッセージを通し、朝鮮半島が抱える様々な問題を解決する道が示され、南北の平和統一に向けて力強い一歩が踏み出されることを心より念いたします。
日本から参加者指導者の皆さん方を代表して、一言ご挨拶をさせていただきました。本当にありがとうございました。
それでは、韓国にマイクをお渡ししたいと思います。ありがとうございました。
https://i.imgur.com/O9EAoU8.png
https://i.imgur.com/gU4Onew.jpg
・UPF公式報告記事 https://upf-jp.org/archives/1946
・統一教会イベントの映像配信に堂々と出演している日本人たち簡易まとめ(2022年7月中旬時点) https://anond.hatelabo.jp/20220717091745
今回の事件の詳細が明らかになるにつれ、はてなやツイッター、さらにはあのヤフコメでさえも、容疑者に対しての同情と、安倍の統一教会との生前の関係について批判が多く見られるようになってきてる。
しかしこのようなネットの風潮とは一線を画す領域が存在している。それが中高生が主ユーザーのtiktok。
(ごめんセンセーショナルに「はてな民が知らない」と書いたけど、実際には多くのネットユーザーがこの状況を知らないと思う。)
tiktokにおいては上記のような主張はほとんど見られなくて、「犯人許すまじ。」「何も悪いことしていない安倍さんがかわいそう。帰ってきてほしい。」という意見が主流。
確かに本件についてのニュースを積極的に摂取しない中高生だったら、安倍元首相は彼らの人生の半分近くを自分が暮らす国のトップであったわけで、その彼が銃撃というショッキングな理由で殺されたのだから、このような反応一色になるのは十分に理解できる。
でもそれだけでは理解できない部分がある。それは彼らが寄せる安倍ちゃんへの思慕の深さ。
tiktokの投稿動画を見ると、少なくない中高生ユーザーが推しのアイドルに対してするように安倍への追悼として彼の画像を複数集めて、それらを音楽に乗せた編集動画を投稿してる。(主に麻生や昭恵夫人、プーチンやトランプと談笑する写真や、単に飯を食ってる写真とかが使われてる)
それも普段全く政治的な発信をしない、ジャニーズやKpop好きの普通の中高生が、そうしてる。
さらに驚くべきことだけど安倍支持の連帯を示すファンマークも存在している。(ファンマークとはユーザー名の末につける絵文字で、これをつけることで特定の人物のファンであることを外にアピールする風習がある)
冗談のように聞こえるかもだけどこれは本当の話で、結構なユーザーがこのマークを自身のユーザー名につけてる。(試しに検索してみるといいかもね)
こんな感じの特定の人物に向ける素朴かつ深い思慕、なんか既視感あるなと思ったら思い当たる例があった。
それは上皇様。彼に対して多くの若者は近所の優しいおじいちゃんに対してのそれに近い親しみの感情を持ってた。
安倍ちゃんにtiktokの中高生が寄せてる感情ってこれにめっちゃ似てると思う。
なんで安倍ちゃんってこんなに中高生に親しまれてるんだろ。岸田や菅が同じように長期政権を築いたとしても同じようになるとは思えないし、もっと言えばノンポリの(のように見える)普通の中高生が政策の話など抜きに無条件に特定の政治家に親しみを抱いてるってこれまでの日本の政治シーンに無かったことだと思う。
はてな民はどう思う?この辺が解明できれば今後色々有用だと思うんだけど...。
・譲位の事実から勢いで諡を書いてしまっていた部分を上皇様に修正。ご指摘ありがとうございます。
・書き方が分かりづらくなったけど安倍ちゃんに対しての思慕は、素朴さと深さの点で上皇様のそれに似てるから引き合いに出したけれど、おじいちゃんへの思慕とは安倍ちゃんの方は違うように感じてます。
山上にはサタンが取り憑いてる、安倍は信仰が足りなかったってことになるんだろうか?
何言ってんだ?感じだけど。
アベガーさん、どうなんですか?
https://twitter.com/56TamaGo/status/1547081930776395776
いや本当に統一教会が沢山の人破産させてるならそれは問題だよ。
1人2人の話聞いて全部だと思うのは違うと思うけど。
洗脳された人が悪いって言ったら、詐欺にあった人が悪いって言ってるようなものと同じだから。
それは問題だよね。
https://twitter.com/56TamaGo/status/1547271014631211008
https://twitter.com/56TamaGo/status/1548266735392161792
統一教会と繋がってたとして、自民党よりいい党がなければ自民党にいれますよ。
https://twitter.com/56TamaGo/status/1548304429732233216
↓
統一協会が間違えだわ。
↓
https://twitter.com/hyakutanaoki/status/516113929617948672?t=oQcNvsPLdGIA-8PbF_dDTA&s=19
これかな? ひどいね。
https://twitter.com/jedai07778364/status/1545291017980506113?s=21&t=a56vLRO5xihSDFvqij6DSg
https://twitter.com/tkiktm/status/1452205358819151876?s=21&t=kGU4u2-gve_grWlJDpTj3Q
何でそう思うの
そもそも奨学金借りれるまともな親の元に生まれて自分で学費貯めらないって
立て続けに不幸が起きるとか災害や犯罪や事故に巻き込まれたりしない限り起こり得ないので
奨学金で株を買う
ずらりと並ぶ、お金に困ってなくても借りて投資しろというコラム
あとこういうのも
約450万円を「学費以外」に使う
社会人になった時点で、有本さんの手元に残っていた奨学金は約100万円だったという。つまり、4年間で450万円以上を使ったことになるが、その使途は主に①旅代②部活動にかかる費用③生活費や交際費の3つだった。
まず①の「旅代」だが、これは4年間で150万円ほど。
「最初の旅は、東南アジアでのバックパッカー旅行。大学2年から3年に上がる春休みのタイミングです。当時は都内の観光施設でアルバイトをしていたのですが、東日本大震災が発生し、節電や自粛ムードの影響でしばらく営業しないことになったんです。
部活動もオフシーズンで、大学の講義も1カ月開始が遅れることになり、『こんな状況だけど、これだけまとまった時間は、社会人になるとなかなか取れないだろう』と思って海外に行くことにしました。ベトナム、タイ、カンボジアなどをまわりましたね。
本音を言えば先輩たちが旅行したヨーロッパとかに行きたかったのですが、お金もかかりそうだったので……。軽い気持ちで行ったので、『人生観が変わった』みたいな体験はしていないです。強いて言うなら『人生ってなんとでもなるな』ということですかね」
わりと行き当たりばったりの旅行だったようだが、海外旅行の楽しさを覚えた有本さんはその後、大学在学中にインド、イタリアなどにも足を運ぶことに。就職前の最後の春休みには、アメリカ横断旅行を実行した。
「もうすぐ卒業という段階で、まだ借りた奨学金が200万円以上残っていました。また、社会人になれば1カ月以上休める機会なんてそうそうない……そう考えて、ひとりでバスを乗り継いでアメリカを横断しました。
サンフランシスコには友達が、ニューヨークには叔父が当時住んでいたので、その2カ所にはもともと寄る予定でしたが、それ以外の目的地は全然決めていなかったですね。『ラスベガス行ってみたい』とか『シアトルにあるスターバックス・コーヒーの1号店に行ってみたい』とか、軽い気持ちで行動していました。
1カ月近くうろちょろして60万円近く使いましたが、最終的にたどり着いたのはマイアミ。叔父から『キーウエストという島で行われるハロウィンパーティが最高にクレイジー』と聞いていて、興味が湧いたから行ったんです(笑)」
まぁそこそこお金持ってる人が敢えて住宅ローン借りて投資するのと同じ話ですね
住宅ローンの方は金持ちがより金持ちになる仕組みでしかないのでうーんと思いつつも、
教育とかじゃないんでスルー出来るけど、奨学金の方はスルー出来ないよね
返済する能力のない人・返済する気がない人に貸すのもおかしいし、投資や旅行や飲み会とか論外だよね
高等教育、国立大学をオンライン限定で無償化すれば片付く問題っすわ
教育は贅沢品じゃないでしょ
国葬を定めた国葬令は1947年12月31日で失効しているのに、何をやろうとしているのか
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/国葬令
国葬を許す法律がなければ作ればいいじゃないと主張する人間は、一個人の都合で法律がいつでも恣意的に変えられることを是認している
官邸関係者によれば、首相を再び前向きにさせたのは、安倍氏の家族葬があった12日に党所属議員から受けた1本の電話だった。議員は「国葬を行った方がいい。安倍氏にふさわしい葬儀にすべきだ」と進言。当初は「根拠法がない」と説明していた首相だが、「法整備すればいい」と助言され、国葬は実施可能と意を強くしていった。
「わが国は暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜く決意を示す」こととはもとよりなんの関係もない
またこうした形で「国葬」を行うことが、安倍元首相に対する弔意を、個々の国民に対して、事実上強制することにつながることが、強く懸念される。弔意というのは、誰に対するものであっても、弔意を示すかどうかも含めて、すべて内心の自由にかかわる問題であり、国家が弔意を求めたり、弔意を事実上強制したりすることは、あってはならないことである。
森友事件をもみ消そうとして、なんの罪もない財務省職員を死に追いやった人間を、「国葬」で偶像化しようとするとは何事か
死んだ奴のために金を使う前に、社会保障費、安全保障費、コロナ対策費など、生きている国民のために金を使うべきことは無限にある
カルト宗教を支援した結果私怨を買って殺された人間により与党と宗教との関係が明るみに出され疑問に付された
入管で外国人が死んでも障害者が殺されてもホームレスが殺されてもニュースの一つとして流されていくのに汚職まみれの人間の命のほうが尊いと国がお墨付き与える
https://mobile.twitter.com/tomonoise/status/1547805620245790720
自民党以外の首相経験者なら「国葬」は行われたか自民党は回答すべき
他には?