はてなキーワード: 醜聞とは
もうあの議員のニュースは見飽きている聞き飽きているだろうし、議員辞職がおおよそのグランドフィナーレだろう。
まだ続報の醜聞を期待している悪趣味な連中もいるにはいるだろうが、このゴシップが鮮度を保てるのも長くて今月いっぱいに違いない。
だから俺は今さら彼の人間としてのモラルを論じるつもりはない。不倫は許されない、最低のモラルだ、そんなことはわかってる。
俺がいいたいのは、妻の妊娠中に不倫する人間が男性の育休取得を主張することが、いつの間にか社会的な死に直結する国になっている、
憤り嗤って制裁を下すことが当たり前になっている。これはすごい恐ろしいことなんじゃないか、ってことなんだ。
俺よりもっとうまく表現できるやつは百万といるんだろうし、同じことは何度も言い尽くされているんだろうが、まあもう少し続けさせてくれ。
一連の報道やSNSの投稿を見ていると、よってたかって罵倒し嗤い批判し、彼を許せない奴が多すぎてすごく怖いんだ。
彼は何回か当選経験もあるみたいだから政治家として全く役立たずだったわけじゃないだろう。(俺も知らんが)
でも不倫騒動が出ると、彼の人間性そのものが簡単に否定される。自分は否定していい、否定できると思っているやつが山ほど出てくるんだ。
誰だって後ろめたいことの一つや二つはあるだろう。しかし、典型的な惡に対してはこの国ではだれもが正義の審判を下せる聖人になれる。
コメンテーターだって週刊誌の記者だって悪平等の世間でなんとか自尊心を保ちたい凡人の癖にだ。気持ち悪くないか?
不倫議員を社会的に殺してそれで終わりじゃないぞ。これからもそういうやつはどんどん出てくる。ずっと続けるのか?
恐らく彼が政治家として復活できる可能性は限りなくゼロに近いだろう。だから彼の政治家としての国民に対する最期の言葉は会見の言葉になるだろう。
今回の会見は彼自身の社会的な自殺だったし、彼もその覚悟だったはずだ。会見の途中、彼は子供のことは最後に触れるとしていた。これはその最後の一文だ。
「わが子の顔を見て、最初に喜びと同時に罪悪感を感じました。
子どもは親を選べない。
その直後に子どもは保育器に入りました。なので私は、その日に子どもを抱けなかったのですが翌日、翌日、病院に戻り夜中に子どもを抱いた瞬間に、
子どもは親を選べないけれど、親は子どものために変わらなければならないと思いました。
子どものために私は、生まれ変わって、もう二度と、これから同じ過ちは絶対に繰り返してはならないのだと、父として、父として…、出直していきたいと思います。
いつか、もうこの時計の針は巻き戻せませんので、いつか本当に残酷な話ですが、私の子どもは今回のことを知ることになるでしょう。
そう考えたら胸が張り裂けそうになります。でも、これは私のまいた種であり、身から出た錆であると思っています。
だから、子どもを始めて腕に抱いたときから、決心をした気持ちを忘れることなく、務めを果たしていきたいと思います。
私はこれ以上、責任のとり方は私のない知恵では思い浮かびません。
どうか妻の体調もあります、子どものプライバシー・将来のこともあるので、私の辞職に免じてご容赦いただけますように、ご配慮いただけますようにお願いいたします。
最後になりますが、この度、日本中の、また世界中の皆様に対して多大なるご迷惑をおかけしたことに対しそして妻と子どもに対し、心から深く深くお詫びを申し上げます。
本当に申し訳ございませんでした。」
もういいじゃないか 許してやってくれ 頼むから彼に彼の家族を守らせてやってくれ
妻の妊娠中に不倫する人間が男性の育休取得を主張すると殺される国、仮面をかぶって聖人なフリをし続けないといけない国なんてうんざりなんだ。
父の身分が農民で母と結婚が許されなかったために駆け落ちしたが、東京で成功して士族にまで成り上がる。
樋口一葉は首席卒業するほどの才媛だったが女に学はいらない母の方針で進学できず、娘を可愛がっていた父が歌塾に入れる。
兄が病気で亡くなり、新事業に全財産をつぎ込んで借金までしていた父が大失敗をして失意のまま亡くなり、わずか17で大借金と母親と妹を背負う女戸主になる。
父親が病の床で娘を頼むと懇願して婚約した相手が、困窮する樋口一葉に莫大な結納金を求めてきたので婚約解消。
一緒に和歌をやっていた女性が小説で大金をもらっているのを見て和歌をやめて小説を始める。
紹介された10年上の男やもめのイケメン小説家に師事恋をする、雪だから泊まっていかないかと誘われても家に帰るなど、あまり進展しないまま結婚してない男女と言うことで醜聞になり決別するが数年間は想いを引きずる。
小説で成功できず家族を食べさせていけないので諦め、住居を引き払い貧困地区で荒物屋を始めるが士族や小説家のプライドが鼻につく樋口一葉は受け入れられず商売失敗、借金をしまくり踏み倒しまくる。
店をたたんで相場師になろうと50過ぎの海千山千相場師に借金を申し込むが愛人になるよう求められる。
樋口一葉の才能を惜しまれ小説家に復帰させてもらえる、わずか14ヵ月の間に立て続けに代表作となる傑作を発表し天才女流作家として人気を博し多くの一流小説家と交流する。
ここ1年イライラしたり不安になったりすることが多い。何もかも広がりすぎた世界のせいだ。
ネットがこんなに身近になるまでは、
そういった国々で虫けらのように扱われ顧みられない庶民も、
今や毎日どころか朝晩いつでも醜い世界を見る羽目になってしまった。
見なけりゃいいなんて無理な話だ。
糞だ嫌だ見るだけで吐き気がするといいつつ、
どんな人でも多かれ少なかれ同じだろう?
怒りだろうがカタルシスだろうが、自分の見たいと思うものは見てしまうんだ。
そしてそういう記事を見るそのたんびに、
アホみたいに反応してどんどん無駄に神経すり減らすのが嫌だ。
なあイケダハヤトさん、アンタだったらどうすんだ?
まだネットで消耗してるの?ってか?
なんか見かけたので自分用も兼ねて訳してみた。良作映画と同時に良作小説も摂取できるすばらしいリストです。
ちなみに意訳多いので「許す」と「赦す」を正しく使い分けたい向きは原文にあたってください。あと個人的には『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』も結構楽しみにしてます。
元記事:
http://litreactor.com/columns/5-most-anticipated-book-adaptations-of-2015
毎年この時期になると、「今年期待できそうな新作映画のリスト」が各所でアップされますよね。そういうリストに載せられた作品のうち何本かは、小説本から脚色作品です。ところが、彼らが取り上げるのはなぜか『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』ばかり。アホか。誰がンなもん楽しみにしとるねん。というわけで、ここにあなたが本気で楽しみにできる小説原作作品のリストを用意してみました。
去年『アイ、フランケンシュタイン』観た人はわかると思いますが、まあフランケンシュタインものってどうしても現代の視聴者のお口にはバッド・テイストすぎますよね。しかしですよ、『クロニクル』の脚本家であるマックス・ランディスが脚色を担当した本作は、いい意味で予想を裏切ってくれるんではないのでしょうか。本作はフランケンシュタイン博士の助手であるイゴールの視点から、彼とまだ若き医学生だったころのヴィクター・フォン・フランケンシュタイン博士との馴れ初めを描いた、メアリー・シェリーの原作の前日譚的ストーリーです。
フランケンシュタイン博士を演じるのは『shameless/シェイムレス』、『X-Men:ファースト・ジェネレーション』のジェイムズ・マカヴォイ。イゴール役には『ハリー・ポッター』のダニエル・ラドクリフ。映画の公開は十月二日予定となっております。
訳者の雑感: せむしの助手イゴールは原作には登場しない人物で、出典はボリス・カーロフ主演の『フランケンシュタインの復活』(1939)です。この時点で「本が原作」と言い張るのはどうなのかな。そもそも学生時代のフランケンシュタイン博士が題材ってどこに需要あるんだって思われそうですけど、なにせ『キル・ユア・ダーリン』のラドクリフと『X-MEN: FC』のマカヴォイですからね、濃厚なBLが期待できそうです。脚本家も『クロニクル』の人だし、なおさら……ねえ?
ちなみに、監督のマクギガンは『PUSH 光と闇の冒険』などいくつか映画も監督していますが、日本で有名なのはなんといってもドラマ『SHERLOCK』の「ベルグレービアの醜聞」と「バスカヴィルの犬」でしょう。
日本ではなぜかDVDスル―になりがちなマカヴォイ&ラドクリフコンビですが、今作はどーなるでしょうか。やっても単館系かな。
去年は『ゴーン・ガール』がやってくれました。いいことに本作の原作はですね、その『ゴーン・ガール』より面白いんですよ。良い映画にならないはずがない。原作者のギリアン・フリンはいまや犯罪小説界のトップランナー、映画化にもひっぱりだこです。『ゴーン・ガール』のファンは『冥闇』もきっと大好きになることでしょう。なぜなら、『ゴーン・ガール』よりイカれたお話だから。
これは子供のころに両親を殺されたある女性のお話です。彼女は自らの証言で実の兄を監獄送りにした過去を持っているんですね。で、それから二十五年が経って、「キルクラブ」と名乗る殺人狂同好会の助けを借りて、事件の真相を探ろうとします。
公開時期は未定ですが、二〇一五年のどこかにはなるはず。出演はシャーリーズ・セロン、クリスティーナ・ヘンドリクス、ニコラス・ホルト、クロエ・グレース・モレッツです。
訳者の雑感:原作の『冥闇』(小学館文庫)は、個人的には『ゴーン・ガール』には及ばないものの、上に書かれているとおり傑作ミステリです。いわゆるイヤミスです。捕捉しておくと、主人公がなんで「キルクラブ」の連中と絡むようになるかといえば、過去の事件によって人生を破壊された彼女が日々の生活費を得るために家族の遺品や体験談なんかを好事家に「切り売り」しているからです。そうです、クズ野郎です。『ヤング=アダルト』でいかんなくクズ女っぷりを発揮したシャーリーズ・セロンにはまさに適役なんじゃないでしょうか。
フランス資本で規模的は大作と言いづらいでしょうが、出演陣がかなり豪華なのでフツーに日本でも公開されそうです。
実質去年公開作なんですけど、ズルしてもぐりこませてみました。だって、映画祭でしか上映されてなくて、筆者はまだ観てないんだもん。っていうか、ほとんど誰も観てないし。原作は記憶喪失の化学者を題材にしたクレイグ・クレヴェンジャーのカルト小説です。
出演は『ヴァンパイア・ダイアリーズ』のジョセフ・モーガン、『Justified 俺の正義』のウォルトン・ゴギンズ、『ヘルボーイ』や『パシフィック・リム』のロン・パールマン。
まだ公開時期は公式にアナウンスされていませんが、推測するに、今年中には拝めるんじゃないでしょうか。っていうか、そうじゃなかったらキレる。
訳者の雑感: 未訳作品な上に原作者自体が数年前に一作ちょこっと訳されてそのままなカルト作家なんで、どうにも前情報がない。ある朝、記憶喪失の化学者が麻薬密造に関わった容疑で監獄にぶちこまれたと思ったらこれまた唐突に解放され、失われた記憶と失踪したガールフレンドを求めて彷徨う話らしいです。元記事に引用されてる画像がいかにもいつものロン・パールマンってふてぶてしさで好印象ですね。http://litreactor.com/sites/default/files/imagecache/header/images/column/headers/487195087_640.jpg
ロス・クラーク監督はドキュメンタリー中心に撮ってきた人で、本作が劇映画初監督。トレイラーをみるかぎり、なかなかシャープな画作りしてます。日本では公開されるかなあ……ロン・パールマン効果でDVDスルはギリギリ保証されそうではありますが。
J.G. バラードは難儀な小説家だ。『ハイ-ライズ』はおそらく彼の最高傑作でしょう。ちょっと前にこの小説が映画化されるって聞いて、マジビビりましたね。原作を読んだことのない人たちに説明しておくとですね、タイトルにもなってるハイ-ライズとは超豪華高層マンションの名前で、その内部では文字通り階層によって分断された住民たちによる血で血を洗う階級闘争が勃発しています。高層マンション版『蝿の王』みたいなもんです。とってもバイオレントでとってもクレイジーで、とってもワンダフル。映画もおんなじくらいクレイジーであってほしいですね。
主演は『アベンジャーズ』、『マイティ・ソー』でお馴染みトム・ヒドルストンと、『バットマン vs スーパーマン』でバットマンの執事役が決まっているジェレミー・アイアンズ。公開日の九月十七日をお楽しみに。
編集者のコメント: !!!!! ベン・ウィートリー監督作じゃん!!!! よっしゃあああああああああ!!!!!!
訳者雑感: ベン・ウィートリーは第二のデヴィッド・クローネンバーグの座を狙っているんでしょうか。せいぜいブランドン・クローネンバーグと争ってほしいものです。他に誰もそんなポジション欲しがらないでしょうけど、がんばれ、応援してるぞ。
ともかく、『キルリスト』や『サイトシアーズ』で日本でも熱狂的なファンを生み出した「奇妙系スリラー界の風雲児」ベン・ウィートリーが、あのバラードの、あの『ハイ-ライズ』を映画化する、これは期待しないわけにはいきませんよね。原作はおなじみハヤカワ文庫SFからですが、当然のごとく絶版なので、なんとか日本でも映画を劇場公開までもってって復刊の一助となっていただきたいものです。DVDスルー(『キルリスト』)→アートシアター系公開(『サイトシアーズ』)と順調? にステップアップしているので芽はありそう。
アンディ・ウィアーの『火星の人』は、二〇一四年に筆者が読んだ本のなかでもマイベストな一冊です。クソみてえな『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』の記事を山ほど読んで損した時間の埋め合わせに、ちょっとこの映画化作品について調べてみましょう。ちなみに私は先月作った「今年のマイベストリスト」にも『火星の人』を選出しております。
概要はこうです。ある宇宙飛行士が火星で一人、遭難します。もしかすると、そこから永久に脱出できそうにないかもしれない。彼は生き延びるために「科学」と呼ばれるふしぎな力を行使することを強いられます。自らの命をかけて惑星に戦いを挑む男と、全力で彼をぶち殺しにくる惑星との、知的で、ユーモアに溢れたアツいバトルがはじまる!!!
映画はリドリー・スコットが監督予定で、主人公のマークを演じるのはマット・デイモン。十一月二十五日公開予定です。
訳者の雑感: 原作の『火星の人』はハヤカワ文庫SFから絶賛発売中。「ライトなハードSF」と称される軽妙な作風も相まってか、最近のSFにしてはめずらしく幅広い層から広範な支持を集めています。今年の「SFが読みたい!」のランキングでも票を集めるんじゃないんでしょうか。いっぽうで監督のリドスコは『悪の法則』、『エクソダス:神と王』と近作がこのところ立て続けに興行・批評両面で失敗してやや低調。『ブレードランナー』の続編を作ると宣言して即監督を降りたりと何かとケチがついてますが、『プロメテウス』以来のSF回帰作は吉と出るか凶と出るか。日本ではおそらく二〇一六年公開でしょうね。
さて、以上が私が最も期待している今年の小説原作映画作品です。ほんとは他にももっとあることはあるんでしょうが……でもまあぶっちゃけゴミばっかなんで語ったところで意味ないでしょう。上にあげた五作品は「すくなく見積もっても傑作になりそうなチャンスはある」作品です。とりわけ『ダーマフォリア』は僕達を導く希望の光なんで、今年公開してくれないと困る。
ところで、リストにあげた五作品の原作小説もぜひ読んでみてください。どれも一読の価値がある逸品ばかりです、たぶん映画もね。
この問題の本質が全く見えてないのだろう。
でなければ、塩村文夏都議の粗探しするより吉原修幹事長を締め上げた方が国際世論としても万歳三唱だろうに愚かな事だ。
それ以上に塩村都議の吊し上げに躍起な文春と新潮は、このままでは先日彼女がツイートした「2~3台の車に尾行されている」との証言が
事実であると国際世論は見て文春と新潮は自民党お抱えの週刊誌であると喧伝されても仕方ない。
一番アホなのは、都議会が塩村都議の醜聞を焙り出す事で事態を収拾させようとしている事だと思う。
女性差別問題が全く片付いていないのにこの対応なのだから、文春と新潮がグルでしかもこの二誌もまた女性差別に理解を示しているという事実が残ってしまう。
普通なら、塩村都議でなく鈴木章浩都議の過去の盗作問題や尖閣諸島の無断上陸を取り上げて今回の事件もまた愚行であると批判するものなのだが、
捏造常習犯のサイコパスで格闘技界の寄生虫として悪名高いライターの小島一志(悪名の内容に関してはwikiやググったりして調べればごろごろ出てくるし、吉田豪が今月のゴング格闘技でも書いてるので割愛)が自分のブログで空手、キックボクシング団体の士道館と暴力団の関係を裏付ける写真を載せて「清濁あわせ呑む」だのとドヤ顔で語ってしまっている。
http://blog.livedoor.jp/samurai_mugena2/archives/4688868.html
内容は士道館が住吉会系暴力団十三代目幸平一家総長の加藤英幸から送られた道場太鼓の写真を掲載し、それについて自慢げに語っているもので、PRIDEの醜聞なんかに比べたら茶飲み話レベルでしかないのかもしれない。
ただ古き、良かったかどうかはわからない昭和の芸能界や格闘技界等あらゆる興業にヤクザが半ば公然と関わっていた時代とは異なり暴対法の締め付けが厳しくなり、暴力団のスティグマを逃れる為に半グレなんてものが出てきた上に、悪評が即時に共有されてしまう現在のネット社会においてこういったものを写真を撮らせてしまう危機管理に対する意識のなさはヤバイと思う。
ただでさえ士道館の最高師範でMAキックボクシングのトップでもある村上竜司(この人も正道会館の角田同様、ヤクザなキャラを売りにしている人なので今更ヤクザとの関係とかいうのも野暮な話だとは思うが)が青少年教育の為の団体を立ち上げたばかりなんだから。
数年前に代表がヤクザとつるんで外国人の国籍取得目的の偽装結婚の仲介をやっていたのがばれてぶッ潰れた全日本キックの例もあるんだし。
正直、格闘技の興行がヤクザをすぐに完全に排除するのは極めて難しいとは思う。
古くから興業に関わってきたのを今更「ハイ、さようなら」と言えるわけもないだろうし、ジャンル問わず格闘技の道場やらジムに通った事のある人ならわかるだろうけど、格闘技やってる人なんて自分もそうだけど半数ぐらいがどチンピラ、というかヤクザ予備軍みたいな人達だし(オールラウンダー廻をよんで格闘技始めようと思ったみなさん、あんな素敵ジムは基本的に存在しません)。
そもそもヤクザを排除した所でよくなるかと言えば、国家公認のヤクザともいえる警察とズブズブの柔道があの体たらくなんだから中々そうとも言い切れない部分もある。
ただ格闘技が定着せずにバブルとしてはじけたのはヤクザとの関係がばれて崩壊したプライドと、それによるテレビの格闘技からの撤退もあったんだから、これからはこういった写真の一枚でも団体にとっては致命傷になりかねないんだし、なるべく慎重になってほしいものです。
http://anond.hatelabo.jp/20130331034659
http://b.hatena.ne.jp/entry/ameblo.jp/marehitomikagami/entry-11499736332.html
同業者であります(書き手側)。面識はありません。電撃さんとはお仕事したことありません。
という設定でコメントですが、これに関しては、結論として運が悪かった……に尽きるかと思います。
記事だけ読んでみると、言葉はきつくなってしまいますが、担当編集氏は腕が悪かったです。売り上げが上がらなかったという点を取ってもそうですし、このようなトラブルが表面化し、編集長に持ち込まれている時点で、担当作家の手綱も握れないのか、と編集長としては叱責をせざるを得ないでしょう。Web上にこういった醜聞が出ているのは、明らかにレーベルイメージにたいしてプラスにはなり得ません。これは編集氏の失点であり、どう見たところで手柄にはなり得ないでしょう。
しかしでは悪なのかと問えば違います。無能と悪、あるいは悪意の存在は違います。担当編集氏はおそらく悪意の人ではないでしょう。電撃も悪意の編集部ではありません。
作者氏も。こう書くと言葉はきついですが、力及ばなかった。良いものを書くためには戦略と書くための環境が必要です。そのためには、担当氏との関係性を構築するのは必須です。その段階で敗北していたというのが後々にたたった。国内世論をまとめきれなかったために遠征軍の戦力がそろわなかった→結果として軍事的敗北。というような種類のトラブルです。それは担当編集氏のみの責任に帰せるものではない。作家業は個人事業主です。小説を書くというのは個人事業の一部であって、中核ではあってもすべてではありません。営業力や交渉力が足りなかった。
その力不足が、悪かと言えば違います。作者氏は悪ではなかったと思います。むしろ読者によいものを届けようとした、善であろうとした事に疑いはないかと思います。
しかし結果、売れなかった。悪意など無くても、結果として負けると言うことはあります。両者の言い分を妥協させることが出来なかった。
担当氏の力量の問題もありますし作者氏の力量の問題もあります。相性の問題もあるでしょう。2人の戦闘能力を足した結果(おそらく足の引っ張り合いになってしまい)、コンビは空中分解、醜聞事例がひとつ出来た。別に誰が悪いと言うことではなく、運が悪かった。
今回の件はこの距離から見る限り、担当氏と作者氏にコミュ能力(説得能力)が欠けていたのが、第一の躓きのように思われます。
コミュ能力や信頼関係というのはトラブルを表面化させないためのクッションとして有用です。クッションですから根本解決はできませんが、トラブルが爆発するまでの時間を引き延ばすことは出来る。またトラブルの目を小さなうちに摘むことも有用です。今回の件でいえば、たとえば担当氏は作者氏の反感を買うことなく、新しい魅力の付加という形で作風変化を促すことも出来たと思います。作者氏から見れば、担当氏の要望を受け入れつつも自分の書きたいことを守るというような結論の出し方はあったはずです。
そのように信頼醸成をしつつ、引き延ばした、もしくはチャレンジの時間でなにをすれば良かったのか? 根本解決の手法はなにか?
というと、それはおそらく部数を積み上げ売り上げを上げることでした。利益というのは様々なトラブルを癒すことが出来ます。利益的な意味での成功というのは、なによりも「次のチャレンジの機会」を保証してくれます。食い違った担当氏との視点についてゆっくりと話し合い精査をする時間です。たとえば、担当氏の方針で一作書いてみる、作者の方針で一冊書いてみる。2シリーズやって確かめてみる、というようなことでもいいですし。そもそも、出版社が求めているのは利益なので、利益さえ十分に上がっているのならば、編集氏から作風への口出しはずいぶんと減ります。編集部から作者への信頼の究極的な形のひとつが「1人で稼げる作者という評価」です。その場合、担当編集の仕事は、原稿の受け取りと事務連絡、取材の中継くらいになります。
本人にとっては(作者氏のみならず、おそらく担当氏にとっても)辛い件だったとは思うのですが、余り珍しい事でもないな、というのが本音です。表面化しないだけで、おそらく年間十件以上、類似の事例が発生しているでしょう。
ラノベ界隈の新人賞システムというのは「今まで一冊も本を出したことのない素人、下手をすると社会常識もわきまえぬ素人」を、いきなり「プロとして扱いデビューさせる」という乱暴なシステムです。おまけに作家業は前述の通り個人事業であり「就職」ではないので、オリエンテーリングもガイダンスも新人研修も教育も、公的には一切存在しません。作者は個人事業主として「自分をプロとして教育する」事も大事な仕事として求められます(1年目はそれに忙殺されるといってもよいと思います)。
耳によい話ではないですが、こんな事例はごろごろ転がっています。ですからやはり、健康、社会常識、コミュ力の3つは、どうあっても必要になってしまうかと思います。
もしかして見てるかな
まぁ、それはいいや
知りあって数年の異性と約束をした
あちらには「居てくれること、傷付けない事、受け入れる事」を
こちらは「自身を相手の一部とすること、自我を与えること、依存を受け入れること」を
こうして文字にすると、その異常がより際立つ
人に言わせれば「気持ち悪い」の一言で一蹴されるような、おそらく汚い関係
青年期におけるアイデンティティの確立と拡散の発達課題に支障が出ている
ここで躓くということは、きっと以前の発達段階に積み残しがあるんだろう
せいぜいが、基本的信頼と不信の乳幼児期だろうが
話を一般の方に帰納する
相手の存在に自分の存在意義を委ねていない人がどれだけいるだろうか
「あなたのために~~」とキャラクターに言わせれば美談になるくせに
病的とさえ言われる
その時の恋人や伴侶の必要性とは何だろうか
社会的ステータスか、生殖のための遺伝子供給装置か、共同育成者か
感情の含まれない、役割と機能のみの道具の為が自然と思うのだろうか
自立していない、人間として終わっている、理性持つ存在として堕落しきった姿勢だ
別に理性を廃せよと言いたいのではない
「否定するな」と行動の制限をしたいわけでもない
ただ単純に、誰もが発達課題をきちんと積めるわけではないと言いたい
隙間の開いたジェンガのように、まばらでふらふらと安定しない存在でも、不安になりながら生きている
積み残しを補完するには、その上に積んだものも積み直しを迫られる
それは、きっと苦痛だ
それが出来ないから、他のジェンガに寄りかかって、集まって、倒れにくくする
きっとそれは、恋人や伴侶の話に限ったことではないだろう
きっと寄りかかり合って積んでいく
隙間一つ無いジャンガなら、そんな必要もないだろうが
だから、あらゆる関係において「依存」という形容詞が適応されるだろう
きっと本来は、依存は「良悪」で判断されるべきで「善悪」で判断されるべきでは無いんだろうな
演繹する
自分と相手には、それが必要だった
大きな依存を結ぶ必要が
そうでなければ、ジャンガを全て崩す他なかったのだ
初めから積まなければいいのだ
崩してしまえば、崩れることはない
それは、自殺だ
呆れてきたので原因を考えてみようと思った。
日本における、一票の格差は恒常的に最大5倍に達したままである。先の参院選で高知の広田一氏は13万7千票で当選したが、神奈川の千葉景子法相(民主)は69万7千票を集めて落選している。全体にとって不利益な政策がとれられたとしてもフェアな競争がなされていないのであればいたしかたないというものだ。
政治への新規参入はほとんど成功しない。政治家家業の大抵は世継ぎかのれん分けだ。
有権者は投票すべき政治家がいかな人物であるのかという品定めを行う機会というものをほぼ得ることができない。政見放送は粗さえ出さなければ話題にもならないし、見られもしない。文書図画は決められた枚数しか配ってはならないし、選挙カーは名前の連呼しか許されてない。選挙期間中はWEBの更新はダメだとか本当に意味がわからないが、そうした現状を是とするのは既存の政治家だ。新規参入を防ぐための策はきちんと機能しているといっていい。
選挙前に配られる官報?には学歴と略歴とがんばりますぐらいのことしか書いていない。しかもみんな自由形式で書きたいことしか書かないから比較もできない。地獄の業火に焼かれろ的な「とんでも」は発見できても、普通の候補者だと違いがわからない。ネットショップで価格もスペックも比較できず写真だけで選べという店であたり商品が引けるわけがない。この場合消費者がとりうる選択肢は限られる。どこかの既知のブランド品から無難な商品を買うか、さもなくば買わないかだ。
結果、約半数が投票に行かないし、地方の首長選挙は現職が9割の勝率となる。保守的なのではなく、新規が得体が知れなすぎるのだ。誰に投票していいかもわかっていない有権者など、確率的な数でしかない。だから当選するために確実に投票してくれる組織を囲い込むことに政治家は腐心する。そのために地盤やお金が必要となり、結果、特定の組織に利益誘導的にならざるを得ない。たとえその組織の利益が大多数の利益を損ねるものだとしてもだ。バラバラに動く有権者は特定の利益のために組織だって行動する人たちのまえに為す術などあろうはずがない。
もっといえば罪刑法定主義なのかも怪しいところだ。判例主義といったところで検察と裁判の判検交流に代表されるように三権分立など建前になってしまっている。厳密にしてしまえば、物事なににつけても対立がうまれ滞ってしまうので、そのような体制のほうがいいこともあるだろう。だがバランスは重要だ。現状は人治が法や道理を押しのけるまでになっているのではないかと思う。
例えば先日可決された東京都の青少年保護育成条例の改正に代表されるように、法は立てるが、運用するのは、お目こぼしをするのは我々だという暗黙の権力行使を許していてはそもそも政治家は必要ではない。議会も必要ではない。
政治家自身、何を議論して、何を決めて、それがどんな結果を及ぼしているのかにまで想像力が働いていないのだろう。やはり局所利益誘導的なのだ。決定には関与しても、立ち上げにも、運用にも、またそれが為されているのかの確認にも公正に関与できていない。政治家がただの多数決要員なら無差別に選出された陪審員でやったほうがよほどいい。
以上の原因と仮定から、スキャンダルや醜聞にまみれ、日本の政治の質が低かったとしても致し方ない。
自浄効果も期待できず新規参入も無理なら当然の帰結だ。絶望した!
ほにゃららでふがふがな社会に絶望した!と、いうところで思考を停止して右派左派同様ギャーギャー騒ぎたてるのも無理からぬこと。実際、じゃあ他に何か手立てあんの?と聞かれてもお手上げだ。誰か政治家の代わりをやれよといわれても、多分同じことをやらざるを得ないだろう。日本の政治はもはやこれで完成品なのだ。アラブでは、民主化民主化と騒いでいるが、日本には閉塞感はあっても打ち倒すべきシンボルもテーマもない。やはり行き止まりだ。
基本に立ち返る。
最大数の幸福を追求したいと考えるならば、人ではなく仕組みに裁量を持たせたほうがよい。そのためには公正な競争がなされなければならない。公正な競争がなされるためには、新規参入や撤退に自由度をもたせればいい。
既存の仕組みでも運用する人さえ違えば充分なのかもしれない。既存の政治市場と、並行稼動で仮想市場をつくっておいて、実際の議員の投票はこうだったけど、その地域の有権者の実際の意見はこうでした!的な仕組みがあるだけで、何がおかしいのか評価はできるようになる。というわけでYouつくって。
ttp://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/1383926/
その報道はどんな内容だったのか。各国のメディアのなかでも、おそらく最も広範に流れるアメリカのAP通信社の東京発電をみてみました。その内容を抜粋してみます。
=======
「日本の鳩山由紀夫首相の元補佐官二人が選挙寄付金について虚偽の報告をした罪で基礎された。日本の政治に斬新で、清潔な時代を導入することを誓った指導者の約束が地にまみれた」
「鳩山氏は緊急の記者会見で深々と頭を下げ、補佐官たちの罪を謝った。鳩山氏は自民党の腐敗スキャンダルに終止符を打つという公約によって、権力の座に就いたのだ。鳩山氏は就任100日にして、すでに人気を落とし始めた。だが辞任は拒んでいる」
「日本の経済は苦しい状態にある。国民の多くは鳩山首相の景気回復策には信をおいていない。鳩山氏の温暖化ガスの大幅な削減の政策は経済界の多くを離反させてしまった。彼の減税や子ども手当、米軍基地移転などに関する公約の二転三転は有権者を失望させた」
「鳩山氏は野党の政治家だった時代、与党の議員の秘書が不正を糾弾された際、議員が知らないことなどありえないから、その議員は辞職すべきだ、と主張していた」
そしてこのAP報道は一般の日本国民の声として以下のような意見を報じています。それぞれ発言者の実名までを記しています。
『鳩山首相の弁解は信じられない。自分自身の財政を管理できない人間が国家の運営をどうしてできるのか。鳩山氏は首相としての必要な要件を備えていない』
『鳩山氏の言動は一般の勤勉な納税者たちをバカにしている。政治的な責任を速やかにとって、そぐ辞任すべきだ。これから民主党内部でも参議院選挙は鳩山首相の下では戦えないという考えから首相の辞任を求める声が起きるだろう』
はてなブックマーク - 奈良美智さん、NYで駅に落書きし逮捕 - 国際ニュース : nikkansports.com
いちいち「この人の絵は何が良いんだかサッパリ。」みたいな感想を書く人の思考が透けて見えててなかなか滑稽。
「奈良?知ってるよ?でも全然良くないじゃん。あんな大したこと無いものを『芸術家』の絵だからってありがたがる連中って、名前に目が眩んで本質見えてないんじゃねぇの?」みたいな。「本質で評価するオレ偉い」みたいな、そんな自尊心の表明。
とか書くと、とりあえずこんな反論が来そうだなぁ。
「いや、単に絵の好き嫌いの感想を書いただけだし。なに勝手に書いてもないこと捏造してんの?『俺は人の安っぽい自尊心の表明を見つけられます』?それ、何て自尊心の表明?」
でも、問題となってる絵も、あるいは奈良氏の代表作も載ってないような記事、単なる醜聞記事で、なんで突然、絵の感想が出てくるの?
「加護亜依が喫煙!」という記事に、「加護のどこがいいのかさっぱり分からん」とか書かないじゃん。
「小沢の秘書が逮捕!」という記事に、「小沢の政治思想は危険」とか書かないじゃん。いや、書く奴いるけどずれてんじゃん。そのずれた事書く奴って日頃から小沢批判したがってる奴じゃん。
まったく場違いな場面で好き嫌いを表明する事は、その行為自体が、自尊心の表明である事を示している。
ちなみに「俺は奈良の絵、好きだな」も同じ穴の狢。
秋葉原の週末には、路上でテレビカメラを構えた集団や、インタビュー取材をしている風景が珍しくなくなった。萌えやアニメ、ゲームで話題になり始めたころから醜聞が期待されているのではないだろうか。夏の無差別殺害事件後がその頂点かもしれない。それでもやはり「行かないことが正解」な街だと認識されているように思う。もしかするとテレビ経由でしか見ない遠方の人だと心理的距離はアフガニスタンと同じなんじゃにないだろうか。
アニメ、ゲーム、マンガを日本の産業として輸出しよう! なんて実はとてつもなく恥ずかしいことで、関係するのは東京のごく一部の人だけで地方には産業として根付くとは思えないし。官僚陰謀論的には大規模建設が関係しない二次元産業は興味の埒外なんだろう。どの産業の従事するには技術がいるしね。そうそう従業者が増えるわけではないし、増えてもたいしたことがないし。
だから興味を持たなくていいように、関係できなくていいように、できない自分を守るために、秋葉原には醜聞が必要なんだと思う。それだけじゃなく秋葉原を連想させる犯罪は大大的に取り扱われる。
「うちの子はオタクじゃなくて本当によかった」と安心できるように。家族で見られない深夜にテレビを見るのは悪習で、放送が深夜に固まるアニメはその象徴。そんなものを見ているから犯罪を犯し、インターネットは(以下略
そーなんだ。
それはひどいや。
どうしてはてなと、ネットとこういう関わり方をしようと思ったんだろう。
人と違うことをして知名度を高めようとしているのかな?
醜聞が広がるだけなのにね。
あべしんぞうの追い風にはならんだろうよ。
支援者だらけだから現地での一挙一投足から醜聞を洗い出し、なんか偉いことになりそうな予感すらする。
ところで結局震度のわりにはそんなに被害ひどくない?
夏だったのが幸いだったかな。
これが積雪してる時期だったらかなりやばかったよね。
なだれは起こるわ、雪の重みで家はつぶれるわ、除雪も地下水組み上げの雪とかしもできなくなるので道はふさがるわ、断水したら凍結して破裂してもう大変なことになるわで、やはりつくづくこの時期でよかったと思う。
いや、しかし、雪国の建物は強度が半端ないね。
都内で同規模だったら倒壊どころじゃないよ。