はてなキーワード: 聖地巡礼とは
2期からハマったのでファン歴は4、5年だけど作品は6周年を迎えたので長い人で6年ほどこの作品を追い続けている。
子供で言えば赤ちゃんが年長さんに、小学生になった子が卒業し、中学生が大学生になるくらいの年月をこの作品と歩んできた
Free!に財産と婚期と血液を奪われたなんていう言葉もある。
Free!は2020年に新作映画の公開が1月にされたばかりだった。
そして7月5日に3期をリビルドした映画が公開されたばかりだった。
自分が死にさえしなければFree!の新作が見れるん世界が待っている。
そんな日々の生きる希望が一瞬にして奪われた。
私は卒業してすぐ入った会社がドブラックで体も心も壊し逃げるように退職し1年間引きこもった。
その後非正規で働き続けていたがこの作品に出会い、満足行くように応援したくて頑張って正社員になり、聖地巡礼やぬいぐるみの撮影で色んなところを旅行できるようにもなった。
もし制作が難しくて無くなってしまっても今までFree!がくれたものは消えないから私はこれからも生きれるし京都アニメーションに支援を続けていく。
犯人に対しては怒りや憎しみでは当てはまらないのだろう、何も思えない。
でも今明確に怒りを感じるものがある
マスコミだ。
彼らは京都アニメーションが被害者の実名報道の自粛を呼び掛けているのに報道し、ファンや関係者、果ては葬儀会社にまで取材を続けている。
亡くなられたスタッフがどなたなのか、私も気にはしてる。だけど会社が発表を控えるよう要請してるのにそれを無理矢理暴くようなマスコミの仕業によって知りたくはない。
正直ある程度察しはついてるしこの1週間で覚悟はできた。作品が中止になるのも残った方で作るのも受け入れられるけど、今のFreeは今のスタッフでしか作れないから
私はその終わりとなる事実はちゃんと弔いの気持ちを持った公式からだけしか聞きたくない
今、私と同じファンの多くが実名報道をするメディアの情報を断つ努力をしてる。
ニュースは見ない、ツイッターでトレンドを見ないよう外国設定にする、検索もしない、注意喚起をし合う、何も悪くない、私たちが
しかしそれでも不意打ちで見てしまったり、ニュースを見た職場の人に言われたり、日々苦しみながら過ごしている
だけど今多くのファンもまた傷つけられている
取材と報道のあり方を、そして京都アニメーションさんからのメッセージを今一度よく考えて欲しい。
そしてできたら、犠牲になった方達がどんな素晴らしい作品を作っていたかを報じて欲しい。
って考えてたらそのうち一人旅行とかもいいかなと思うようになって
でもラーメン屋も定食屋もカラオケも回転寿司も一人で入れないし
カフェとかマックとかもできれば一人で入れないから毎回持ち帰るし
姉に2泊3日くらいで行きも帰りも宿泊も現地での行動も全部バラバラで
でも1日1時間だけ会うっていう旅行しないかもちかけたけど却下された
旅行者(人目)が少ない観光地とかで練習したいけどどこがあるんだろう
なんで他に金使えないの?服だっさ!靴だっさ!髪型だっさ!肌に使ってる化粧品やっす!無精ヒゲ!
もちろん良いとこに勤めて良い給料貰ってるオタクも沢山いるだろうし身近にも何名か居るけど、その人達は見極めて必要最小限買ったり、そもそも買わずに体験とか聖地巡礼とかそっちに金使ったりする。もちろん上記のようなダサい要素も無い
そういうダサいオタクのSNS見ると「物販始発で並んでます」とかつぶやいて、レシートとか使った金額を公開し、大して良いものでも無いグッズを自慢して、グッズの数=愛の深さとか言ってマウンティングする
その恥ずかしいスマホケース買う金で化粧品買っていちご鼻やシミやテカテカの顔をどうにかしろ。ブラインド商品箱買いする金で一流じゃなくて良いからお気に入りブランド見つけて店舗で試着して通販で買え。靴も同じくお気に入りブランド見つけて通販で買え。ファッション上級者みたいに色んなブランド渡り歩かなくていい。アンダーと下着は安くても良いから上半身の外から見える物はブランド絞って買え。統一感出る。GUやユニクロやしまむらはブランドではない。
もちろん一番悪いのは期間限定ショップ開き、朝から並ばないと物も買えず、挙げ句にブラインド商品ばっか連発するメーカーなんだが、それに踊らされて他を犠牲にして使った金で愛を示そうとするオタクも同罪。
ちなみに「俺、推しのグッズは爆買いするし、服や化粧品とか他にもちゃんと金使っているよ」って反論は要らない。そりゃ少数派でも居るだろうさ
あれは高校2年の夏前だっただろうか。突如として部活同期の中でスクフェス が流行り始めた。これをやったら色々終わると直感でわかった。でもダメだった。面白そうという誘惑に負け、秋に誰にもバレないようにひっそりと始めた。次の年の節分にはもうバレた。それから年末までイベントは確実に2枚どりできるよう頑張った。大学に入ってからも最低でも4枚、通常は6枚取りを目安にコツコツ続けた。
大学1年の夏にラブライブ!サンシャイン‼︎一期の放送が始まった。無印の方は全く本放送をリアタイ視聴できなかったのでワクワクしながら見た。次の年には高校の部活同期と3人で初めて聖地巡礼をした。
大学2年の秋にサンシャイン二期をみた。もう一度沼津に行った。大学3年の冬には劇場版も見た。一人で函館にも行った。
今日唐突な発表があった。自分の大学の知り合いもtwitter上で戸惑い、歓喜しているようだった。
純粋にμ'sへの思い入れが少なかったからなのだろうか。確かに高校の時みんなで映画を見ようとなった時も断ったしファイナルライブが行われた時もライビュに行くわけでもなかった。ただ大学でラブライブ!を知った人間も今日感情をぐちゃぐちゃにしていたのでそんなのは言い訳に過ぎないだろう。
わからない。何もわからない。こういう風に書けば感情が動かなかった理由がわかると思った。でも何もわからない。
もしかしたら自分はラブライバーではなかったのかもしれない。当日に近づくにつれてじわじわと事の重大さに気づいて感情が大きく揺れ動くようになることを期待して筆を折る。
「キモくて金のないおっさん」と「活気ある街作り」の関係性について考えてみる。
KKOにはくたびれた感がある。
となるだろう。
「家に帰ってもなにもやる気が起きない」
「容姿に優れない」「経済的に優れない」「中年男性」という3条件を満たしていても「KKOらしさ」のない人間もいる。
例えば「見た目のよくない売れない中年芸人」などがそれである。
「見た目のよくない売れない中年芸人」は「キモくて金のないおっさん」という条件を満たしながら「応援」されて成功する場合がある。
逆にKKOの条件を満たしていなくても「くたびれた感」があると忌避される。
金を持っていても「くたびれた感」があれば周囲からは嫌煙される。
(KKOは「おばさん」も含む場合がある。性別も重要ではない)
すなわちKKOを構成する3条件とは、根本的なポイントではない。
3条件を満たしていても「くたびれた感」がなければKKOらしいとは思われない。
くたびれた感の反対を考えてみると「活気」ということになる。
となるだろう。
個人レベルでKKOを脱却したいのなら「くたびれた感」を消して「活気」を出さなければならない。
よく「見た目には清潔感が大切」と言われるが、それは本質的ではない。重要なのは「活気」である。
「KKOは自業自得」という言説も「活気」を出せば解決できるという理屈に基づくのだろう。
世間にとって「活気がない」=「悪」というのはあえて言うまでもない自明の理なのである。
だから、そこはわざわざ語られない。だが、心当たりはあるだろう。
シャキッとしなさい。元気を出しなさい。背筋を伸ばしなさい。笑顔を絶やしてはいけません。
ただしKKOもなにも好き好んでくたびれているわけではないのかもしれない。
強いられている「低賃金長時間労働」が原因と考えることもできる。
KKOと低賃金長時間労働については鶏と卵の関係なのかもしれない(その辺は後述)。
本邦では「活気ある街作り」が試みられている。
いったいなぜ「活気ある街作り」を目指しているのか明確なところはわからない。
しかし大衆に「活気ある街作り」=「善」と認識されていることは確かだろう。
元気のある街。笑顔のある街。24時間営業。バーゲンセール。ケバケバしい看板。
「活気ある街作り」とは、こういう方向性だ。
「活気ある街作り」という大きな流れの中にあるもののひとつが「弱者救済」である。
「子供の声は騒音ではない」という言説が一定の支持を得るほどだ。
「ゲームばかりやってないで外で遊びなさい」という理屈も「活気ある街作り」という文脈に繋がる。
「元気に走り回る子供」の姿は活気を感じさせる。
老人はそれ単体では活気ではない。
しかし老人が出歩くことは「年齢というハンデに負けずアグレッシブに活動」という意味を持つ。
また老人が存在することで「助け合い」という「活気」を演出するイベントが発生する。
例えば「若者が老人に電車で席を譲る」という行為は「活気」のあるシーンである。
創作物の中でも「大きな荷物を持った老人が横断歩道を渡るのを助ける」シーンを幾度となく目にしてきたはずだ。
「ハンデをものともせずアグレッシブに活動する」ことは「活気ある街作り」という方向性である。
また「車椅子に乗った人を手伝う」のは活気を演出する「助け合い」イベントである。
一方で精神障碍者は身体障碍者ほど受け入れられてはいないのが実情だろう。
それは「助け合い」という活気を印象付けるイベントとあまり関係がないからではあるまいか?
女性の存在は「女性が一人で出歩けるほど治安が良い」という意味合いで活気の演出となる。
また「女子高生」などは「活気」のシンボル・アイコンとして用いられがちだ。
権利を求める一部女性の「活動」は良く言えば「アグレッシブ」、悪く言えば「狂犬」だ。
だが、それでも「元気があってよろしい」ということなのだろう。
くたびれた感よりも「攻撃的で噛み付く」くらいの方が好感をもたらす。
ところで、すべての女性が弱者として救済されているかというと、そうでもない。
さて、ここまで読んできたら恐らく気づいただろうが「KKO」=「くたびれた人間」は「活気ある街作り」という方向性には合致しない。
くたびれた人間の周囲では「助け合い」イベントが発生しないのだ。
(なお「仕事に疲れてくたびれた人間」が助けられるシーンは活気とは言えない)
くたびれた人間の中には「仕事で疲れているのだから暇な老人に席を譲る必要はない」と公言するものさえいる。
もしも、くたびれた人間に金を与えたらどうなるか?
「つらい、しんどい、疲れた」と言いたがるタイプが街に出歩くことになる。
よくよく考えてみると、日本の街には「休憩する場所」があまりないように思える。
「休憩」は活気ある街づくりからは遠ざかる方向性であるためだろうか?
疲れやすいタイプの人間を出歩かせないために、どうすればいい?
金を与えてはならない。暇を与えてはならない。
くたびれたタイプには出来るだけ出歩いてもらいたくないからだ。
さて「くたびれた感」は低賃金長時間労働によってもたらされるのか?
世間は恐らく「くたびれた感」を生まれ持った気質と判断しているのだろう。
非KKOは「KKOに金と暇を与えても活気ある街作りには繋がらない」と認識しているはずだ。
現状を踏まえて待遇改善を要求するなら「金と暇があれば活気ある街作りに協力する」という姿勢を示すのが有効だろう。
まずは応援したいと思わせなければ、助けてはもらえない。
近年では工業立国の先行き不安とともに観光立国を目指すべきであるとの声が出つつある。
「美しい国」。国全体がそういう世界観のアミューズメントパークを目指している。
ヒントはいくつかある。アニメで言うなら「クールジャパン」「聖地巡礼」もその一環だろう。
「活気ある街作り」の集積によって美しい国が実現される。
観光立国を目指した都市景観を考えると「くたびれた人間」は存在してはならない。
活気ある街作りとは矛盾が生じるから「くたびれて帰宅する人」の姿を目にしたくない。
くたびれた人間を隠したい気持ちは特に「観光」を意識する人種ほど強いだろう。
観光に携わる人間ほど「景観に害を与える」くたびれた人間を敵視しているはずだ。
さらに政治家や資産家などの決定権を持つ人間も観光を強く意識しているだろう。
そのような人間が決定を下すからKKOはいつまでも救済されない。
根本的には、そろそろ「活気ある街作り」という方向性自体を見直すべき時期であるように思う。
他国の観光立国を見ても必ずしも活気ある街作りを目指す必要はないように思える。
観光には活気どころか「ゆったり感」「のんびり感」の方が求められているのではあるまいか?
さらに少子高齢化の加速する日本において今後も「活気」という方向性で勝負するのは厳しいだろう。
「都市景観を守るためにKKOを隠す」方向性が無理となれば「KKOの存在にあわせた都市景観」を考えなければならない。
「活気ある街作り」という映像のリアリティをなくしてしまえばいい。
でも恋愛体質らしく、ニコニコ動画のゲーム実況者とか、執事喫茶の店員ばっかに恋してる。
身近な人でもないのにどうやって恋愛するんだろうと思ったら、
いろんな掲示板でその人の個人情報を集めて、最寄り駅に行って聖地巡礼?して泣いてるんだって
それストーカーだからやめたほうがいいよって言ったんだけど、好きだから仕方ないんだと。
外見に自信があるから、最寄りとかで出会ったらこっちのもんと思ってるんだって
エスカレートして犯罪に走って欲しくないなあと思って、知り合いを紹介したり、色々出かけたけどだめだった。
少しづつでも手伝ったら、両親喜ぶよって言っても、疲れるから無理らしい。
毎週土日はコスプレイベントとか、聖地巡礼とか、遊園地に出かけてる。
スーパーで買い物もしたことないから、ポン酢がどこにあるかわからなくて、30分かかっちゃった〜なんて笑ってる
15年ぐらいの付き合いの友人と連絡がとれなくなり部屋を開けてもらって分かった。事件性はないらしい。彼と二度と遊べないと思うと辛いし人生が色あせて感じる。
彼はオタクで、特に艦これとドラゴンクエスト10に時間をさいていた。
艦これはタウイタウイ泊地に所属しAquilaが好きでレベル上限まで上げていたりランカーであったりした。艦これのリアルイベントは艦これクラシックスタイル、瑞雲ハイランド、鎮守府秋刀魚祭りの名古屋泊地に一緒に行った。秋刀魚祭りは艦これオフ会みたいな雰囲気を楽しんでくれたので良かった。提督の方々ありがとうございました。
ドラゴンクエスト10では以前は”くらうでぃあ”という名前でプレイしていて、最近のなまえは分からないが写真コンテストみたいなの好きで、よくコンテスト用の写真を見せてもらった。最近ではドワーフという種族のドラえもんに似たキャラがガンダムや松潤に関するネタ写真みたいのを投稿していた。コンテストの上位に入ったりコメントをもらうと喜んでいた。彼と仲良くしてくれた方はありがとうございました。たまには彼のネタを思い出してくれるとうれしいです。
彼とは聖地巡礼などしたが写真をとられるのが好きじゃなくて家族が葬祭用の写真を探すのに苦労していた。
もし次会えるなら…
「写真とるよ」
「いえい!なんちゃって…あ痛っ?!」
「全然全くモテないけど、私も30過ぎたら結婚してマンション買ったり子供産んだりするのかな〜」と高校生の頃までは夢想してた
現実は、
大学四年間男女比7:3の学部だったにもかかわらず男子とほとんど喋ることなく卒業
インフラ系のIT企業に就職したら自分以外全員男の職場に配属されたものの仕事の話以外一切することなく仕事に忙殺されるまま連勤残業まみれで精神病んで休職からの退職
なんとか派遣と契約で二社ほど渡って三十半ばでようやく正社員として事務系の仕事に就いた
女子校育ちでもないのにこの年までほとんど男性と会話することなく来てしまった
容姿にも性格にも能力にも恵まれなかったんだなぁ…ってしみじみ思う
なんとなーく想定してた将来が来ないことはよくわかったけど、その分この先の自分の将来どうなるのかが全く分からない。
今の職場は女性ばかりの部署だけど、ドラマの話とかイケメンの話とか、恋愛の話とかばかりで居心地がものすごく悪い。
みんな悪い人では無いけど、恋愛もしたことないし、お金なさ過ぎてテレビ買うお金も毎月のNHKのお金払う余裕もないからテレビも持てないし、そもそもコミュ力なさすぎて全く話が広がらない。
オタクの友達がいるけど、常に好きなアニメや漫画の話で楽しそうだし、趣味が合う友達を作ってはイベント出かけたり聖地巡礼の旅行したりして、毎日のモチベーション高くてすごいと思う。未婚の子も、彼氏の有無は分からないけど、ある日突然結婚するからって紹介されても驚かないと思う。
趣味があるとか、好きな人がいるとか、毎日楽しく思うことがあっていいなぁとよく思う。
気分が落ち込むことはあっても、気分が高揚するような何かを持ってなくて、本当につまらない人生だなって思う。
毎日淡々と仕事して、ご飯食べて、風呂入って、布団で友達のSNSとニュースサイト眺めて寝るだけ。時間が有り余ってて平日も毎日10時間くらい布団にいる。
友達からは、その暮らしは流石にどうかと思う、って言われて彼女たちの好きな作品を「とりあえず見てマジで良いから」って勧められてとりあえず見て、面白かったけど趣味として何かしたいほどの気持ちが湧かない…っていうのを何度も繰り返してる
※彼女たちとしては、ハマらなくても良いけどとりあえずストーリーとキャラクターを把握して自分の話を聞いてほしいということみたいなので別に私がハマらなくても良いらしいので私の暇つぶしにはなってる
一時期はネットの婚活サイトにも登録してみたけど、自分の父親に近い年齢の人からしかメッセージも来なかったし、自分からアクション取りたいと思う人も見つからなかった。どういう人ならアクション取りたいかって言われると困るけど…
そもそも、30過ぎたら結婚するものらしいからとりあえず結婚するための行動を取ってみたけど、何のために結婚するの?結婚してなにをするの?ってのが全然イメージできなくて結局半年くらいで婚活も辞めてしまった
繁殖もしないし、やりたいこともないし、生きてる意味ないよなぁ
昔読んだ自由に自殺できる仕組みができた世界の話みたいに自由に自殺できたら良いのになぁ(小説の内容は自殺自由にできる世界って最高!っていうのとはむしろ逆なんだけど)
何して生きてったらいいんだろうなぁ…
( 2019年冬アニメ1話ほぼ全部観たから感想書く その1 からの続き )
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鬼ごっこ。Clover works(旧A-1 Picturesのスタジオ)によるサスペンス作品。原作は週刊少年ジャンプ連載の漫画。神戸守とA-1によるノイタミナ枠といえば「すべてがFになる」だけど、本作もほぼ同じスタッフ(まだ観てない)。
日常→非日常までの流れがすごい綺麗。1話はちゃんと2回観てね。無邪気な子どもたちの会話シーンに流れる、流麗だけど緊張感のある音楽(音楽:小畑貴裕)と、音楽のないシーンを織り交ぜて不穏な感じを徐々に演出していく。
そして例のシーンにおける容赦のない作画。特にCloverWorks作品は表情のアニメーション作画が強烈(スロスタ、ダリフラ、青ブタとか)で、本作も非常にエモい。特に人外の表情もいけるクチだったのね。その後の、諸星すみれの絶叫がこわかった。そのあと力強くて優しい曲が流れる演出好き。
作画で言うと、細かい仕草の作画が丁寧。5~12才の子どもたちが甘える仕草。甘えん坊~自立した子まで丁寧に書き分けてる。あとメイン2人の恐怖を、全身使って描くシーン。
そして2話以降、遠くの物陰から二人をこっそり覗き見ているようなカットが急に増える。これが非常に強烈な緊張感を醸し出しててキツイ。
そういえば、カメラをフィックスしたカット演出って神戸守監督結構好きなんだっけ。神戸守が絵コンテを担当した「宇宙よりも遠い場所」の7話、8話でもちょくちょく使ってて好きな演出。
よりもい8話で「ついに流氷を見た4人が順番に短いセリフを言っていく際、喋るキャラに一人ずつピントを合わせる」という超エモい演出があったけど、ああいう被写界深度を駆使した演出が本作でも見られるのが嬉しい。
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半世紀前に連載された手塚治虫のマンガを再アニメ化。制作はMAPPAと手塚プロ。ゲゲゲの鬼太郎よりもグロくてシリアスな時代劇。犬夜叉からギャグを引いた感じ。割と長編の作品ゆえ、シナリオはある程度改変しているみたい。魔物の数が48から12体に減ってる所とか。1話につき1妖怪なのかな。
時代劇専門チャンネルで放送されている本作は全体的な作りも時代劇っぽい。キャラ原案が浅田弘幸(最近だと「あかねさす少女」のキャラ原案)で、あの濃いキャラデザが時代劇っぽさによく合っている。手塚治虫っぽさは感じにくいんだけど、OPのどろろの顔とか急に手塚治虫っぽくなる感じは狙ってやってるよね。OPED両方凄く良いのでぜひ観てね。特にワンマン作画のED。浅田弘幸の挿絵すっげえ綺麗。
あと背景が良い。「かぐや姫の物語」ほどではないけど、おとぎ話の世界にいるような雰囲気がある。世界観的にも「蟲師」に似てる(2話の「妖怪よりも人間のほうが…」っていう古典的モチーフとか蟲師っぽい)。どろろの背景を担当したスタジオPabloの、筆っぽさが残ってる背景いいよね。最近だと「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」とか。
池頼広による劇伴は和楽器を使った曲がメインだけど、それでいてすごくJazzyでおしゃれだったり、重厚な戦闘BGMだったり。同氏が劇伴を担当してるTVドラマ「相棒」シリーズっぽさを感じる。
国家間戦争を描くタツノコプロのロボアニメ。スタジオ設立55周年記念となるオリジナル作品。
キービジュアルとかキャラデザ的が可愛いのと裏腹に、タツノコらしい硬派なシナリオ。ガンダム作品くらいキッツい話なので注意。
王国のお飾り首長こと主人公が自国の将来をどうするのかっていう視点とは別に、自国の兵士視点、敵国の兵士視点でそれぞれ戦争を描いていく。群像劇→戦闘→群像劇→…。3話では王国の戦争孤児と帝国軍の兵士が仲良くしてたり。戦争モノの作品は個人的に兵士たちの何気ない会話が好きで、本作で言えば主人公は側近と、王国軍の兵士は戦闘前にワイワイと、帝国軍の兵士は偵察で王国内をウィンドウショッピングしてるシーン。ああいうシーンが、彼らに感情移入するキッカケになるよね。特に本作の登場人物はみんな割といい人として描かれてるのが印象的。「こんな戦争、いつまで続くんだかなぁ…」とは帝国軍兵士のセリフ。
その戦争は基本的に人型巨大機動兵器を使う。基本的に3DCGで描かれるんだけど、デザインや挙動、戦い方がすごい。1話ではVR模擬戦、2話では中隊~大隊による大規模戦闘。量産機による小隊を最小単位とする戦闘がメインで描かれてる。1話の模擬戦では5vs5で、近距離:中距離:遠距離=1:3:1。武装も近接用の打撃武器、サブマシンガン、ライフル等バリエーションがあって、威力もそれぞれ描き分けてる。機体はホバリングで高速移動が可能なんだけど、姿勢制御用の羽根みたいなスラスターが機体の前後に展開されてて、停止する時ちゃんと慣性制御してる。すごい格好良かったのが狙撃機で、移動時は狙撃銃を縦に持ってたり、攻撃時頭部が変形したり、放った弾丸が緩やかな放物線を描いて着弾したり。めっちゃかっこいい。かといって狙撃機=強いでもなく、それぞれのバランスを考えた戦闘演出になってる。2話以降もエース機による無双(なんだ!あの機体の動きは!?)ではなく戦術的な展開にフォーカスしてる(敵も戦術を練ってくる)のが面白い。あれだけの機体数を画面内で動かしまくるシーンは壮観。
OPを観ての通り、「王女の笑顔」と「一兵卒の笑顔」という対比構造が物語の中心に据えられている。王女の笑顔…周りの人間が、彼女の笑顔を守ろうと尽力している。そういった努力の象徴。お花みたい。そういえばニコニコの生放送特番で「タイトルが敢えてカタカナになっているのは意味がある」的な発言してたけど、花の名前だったりして。対して一兵卒ちゃんの笑顔...何もかも失った彼女の、悲しみや虚無感の象徴。持つ者と持たざる者。支配階級と労働階級的な?
「フルーツバスケット」でおなじみ大地丙太郎監督によるタイムスリップラブコメ。原作はブロッコリーの恋愛ADV。タイムスリップ先は明治時代の日本で、攻略対象は歴史の偉人(イケメン)。森鴎外や泉鏡花等文化人が多い。
転移タイプの導入が流行っているのだろうか。去年の作品だと夢100は夢の中の世界に飛ばされた主人公が世界を救う旅に出る話で、BAKUMATSUは(主人公が不在だったけど)別の世界線に存在する日本を救う話。で、これはもうちょっと規模の小さいお話。今期で言えば「不機嫌なモノノケ庵」みたいな感じ。モノノケが見える能力を活かして、身の回りに起こる出来事を解決しながらみんなと仲良くなっていく。
お正月にフルバ一気見してたんだけど、大地丙太郎監督のアニメはほんとテンポ感が気持ちいい。基本的にラブコメなんだけど、話の縦軸は多少シリアス。でも「あ、結構シリアスになりそう」っていう絶妙なタイミングでガスを抜くっていうか、緊張と緩和の波が穏やかになっていて、最後までほっこりした雰囲気で終わる作品になっている。そういえば今年放送されるフルバのリメイクも、本作と同じトムス・エンタテインメント制作なのね。
背景も含めて、全体的にコスト抑えめな作品。この時代を描いた作品は去年いくつかあったけど、背景の緻密さでいうと これ(明治)<ニル・アドミラリの天秤(大正)<天狼(大正?)という感じ。また、多用されるデフォルメ顔は引きの画になった際キャラの顔が崩れるのを防ぐため積極的に使ってるのかもしれないけど、文脈が破綻しないくらい表情が豊かでかわいい。
現代→明治のタイムスリップなので文化の違いに主人公が驚くシーンがちょくちょくあるんだけど、一瞬で順応する適応力の高さ。そんな物怖じしない主人公が周りをを引っ張って行く感じが好きだし、なんやかんや付いていく菱田くんや、付かず離れず二人を見守る森さんも好き。
現代版「徒然草」。東京都練馬区の江古田駅ら辺に住んでいるフリーターの女性視点で描くルポルタージュ。
1話ごとに監督、キャラクターデザイン、声優、アニメスタジオなどすべてが変わるオムニバス形式のショートアニメ。構想12年らしい。d'アニメストアでは、各話を担当した監督x江古田ちゃん役の声優による対談を加えたロングバージョンが配信されている。1話は大地丙太郎監督。江古田ちゃんが送る日々から切り取られたワンシーンがテンポよく描かれていく様はまさに「つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ」みたいな感じ。いやぁ、あるあるだわー。そしてきっつい。なお1話の対談で大地監督が言ってたけど、「ショートアニメ、しかも1話だけで表現できることなんかねえよ!」とのこと。今の所2話の人間味溢れる江古田ちゃんがめっちゃ好き。2話…監督:杉井ギサブロー 江古田ちゃん:朴璐美 脚本:岡田麿里。既に各回の監督やキャストは発表されているので、興味がある人はチェックしておこう。一番楽しみなのは高橋丈夫x小清水亜美の回。
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たつき監督率いるirodoriの新作。ニコニコ動画等で配信されている自主制作アニメのリメイク。けもフレみのある低コスト志向な作品。けもフレ同様ポストアポカリプスな世界感なので、少女終末旅行みたいな灰色の廃墟が背景として登場する(軍艦島っぽい)。好き。
エンドロールがたつきから始まりたつきで終わるあたり、「たつきの、たつきによる~」って感じが伝わってくる。
まず説明的なセリフを極限まで削って伏線を散りばめるシナリオうまい。良く分からないようで要所はちゃんと理解できるし、後のシーンを理解するのに必要な因子を事前に描いておく手法も、絵の中に必要以上な情報が含まれていないからこそって感じがある。
また島を離れる準備をするシーンを見ると、一連の動作を短いカットに分け、的確につなげて描く演出になっていて、けもフレでいえばジャングル回で橋を作るシーンみたいなテンポ感のある、分かりやすくて間延びしない絵になってる。結果として「はじめこそよくわかんないけど、すんなり観ていられる上に話の輪郭が分かりやすい」という印象に。
手さぐれ!でも思ってたけど、キャラの芝居が細かくてかわいい。1話2:00頃「階段登ってて振り返るリナコの仕草」とか、2話14:30頃「リンの帰還をリツが耳で察知する仕草」とか。
作品の世界観こそシリアスだけど、割とゆるいパートから戦闘パートまで振れ幅が大きい。そしてそれらを彩る音楽がかなり良くて、特にシリアスパートの曲がエモい(音楽:高橋哲也)。
アメリカの刑事ドラマ。スタジオぴえろ制作のオリジナルアニメ。アメリカの警察組織と凶悪犯罪者の戦いを描くサスペンス?ミステリー?ハードなストーリー。
制作こそ日本だけど展開やセリフ回し、登場人物等アメリカの刑事ドラマっぽい。作品の雰囲気を印象づける背景も、遠景に映る建物デザインや道幅、街路樹の種類や植えられている間隔等すべてが新鮮に感じる(聖地巡礼という文化は海外にもあるんだろうか)。葬式の後3人で歩くシーンなんか、街路樹の枝の描き方がヤバイ。あんなに主張の強い街路樹あんまり見ないよね。色味もキャラのデザインに対して全体的に淡いし(各キャラのビビットな差し色がめっちゃ目立つ)。
キャラクターのお芝居も全然違くて、例えば泣きの演技も「伏し目→手で顔を隠す→天を仰ぐ→涙をこぼす」みたいな、日本のアニメでは中々見ないような「あ、ここ海外ドラマでやったやつだ!」という印象が強かった。
そしてかなりアクションシーンがかっこいい。刑事ドラマのアクションということで、1話は激しいカーチェイス。激しい動きなのにまさかの手描き。手描きの車によるアクションシーンを観たのは「ルパン三世 Part5」以来かも。アニメ映えするアクションというより、「カーアクション映画らしさ」にこだわったアクションになっていたのが印象的。カメラの使い方とかカットの割り方とか、ぶつかってスピンする車の動きとか。先のアニメ「SSSS.GRIDMAN」が「特撮らしさ」を追求したアクションだったように、本作もそういう趣向を強く感じた。
日付 | 担当者 | URL |
---|---|---|
11/30(金) | 増田 | 明日から!!! |
12/01(土) | 増田 | そうだ 京都、行こう。 |
12/02(日) | 増田 | リフターツインpaのない家庭は悲惨だ。恐ろしい恐ろしい。 |
12/03(月) | 増田 | 京都はオーバーツーリズム? |
12/04(火) | 増田 | ルンバを使うのって手抜きじゃない? |
12/05(水) | 増田 | 「クックドゥ」って表記、変じゃない? |
12/06(木) | 増田 | 京都の歩道が狭い |
12/07(金) | 増田 | これもシュリンクフレーション? |
12/08(土) | 増田 | はてな、SEO弱くなった気がするんだけど。 |
12/09(日) | 増田 | プエルト・リコのような |
12/10(月) | 増田 | パナソニックのジェットタオル |
12/11(火) | 増田 | 車あずける→代車 ストーブあずける→代ストーブ? |
12/12(水) | 増田 | 「風邪でも、絶対に休めない あなたへ」 |
12/13(木) | 増田 | 午後ティーChaiがヌルい |
12/14(金) | 増田 | はてブTOPのおすすめカテゴリが「アドベント」 |
12/15(土) | 増田 | 週末は、ふるさと納税の広告ラッシュ |
12/16(日) | 増田 | サンタの味 |
12/17(月) | 増田 | 「期間限定 10g増量」 |
12/18(火) | 増田 | こんなルンバがほしい |
12/19(水) | 増田 | ♪エビバデ ワイモバーイル |
12/20(木) | 増田 | 膝で棒をへし折る |
12/21(金) | 増田 | 『けいおん!』の聖地巡礼いってきた |
12/22(土) | 増田 | ♪ベル打っても返事はなっしー だっしー |
12/23(日) | 増田 | 平成末期における外タレCM事情 |
12/24(月) | 増田 | 想像もできなかった未来 |
12/25(火) | 増田 | Adventうんたらかんたら |
12/26(水) | 増田 | Masuda Advent calendar 2018 |
12/27(木) | 増田 | 増田は餅つき終わった? |
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聖地巡礼モノで言うならそれこそガルパンもあるし、「ヤマノススメ」でもあの花でもいいし
ラブライブ!サンシャイン!!だから、という魅力を伝えるのは正直難しいなとおもいます
ただ上土(あげつち)の商店街のお店の方々だったり、地元の夏祭りとのコラボだったり
他の聖地巡礼コンテンツとして取り上げられた作品と同じかそれ以上に地元の方や自治体と一緒になって盛り上げようとしているんだなあという印象を受けます
実際、自分自身も何回か首都圏から沼津市内に聖地巡礼目的で足を運びましたが
つじ写真館を始めとする地元の方が実際にアニメを見て、それなりにキャラクターも好きになってくれていて
単に町おこしのため、というだけにとどまらない情熱を感じたりするのは事実です
最近だと婚姻届のコラボとかはびっくりしましたね まあモノがモノなので自分にはまったく触れる機会もないでしょうけれども
http://www.at-s.com/news/article/local/east/553321.html
スタンプラリーやお宿パズルラリーもコラボ企画としてはすごくいいと思うんですよね
実際企画につられて町中を歩くことで、もともとの観光地として持っている土地のよさに気づいたりもしますし
http://www.llsunshine-numazu.jp/
http://www.numazu-yado.com/lls/index.html
ネットだと例のひき逃げの件だったりマンホールの事件だったりで悪いニュースで取り上げられやすいのが残念なところなんですが
いい面も見ようとすれば色々あるとおもいます たぶんね
先代のシリーズ(μ'sの方)よりも正直ストーリーとしては地に足が付いていて楽しく見られる出来になっているので
もしよかったら見てみてください 3話まででもよいので
ここまで書いておもったけど元々何かにたとえてくれって話だったのに何もたとえていないですね ごめんなさい
承認欲求がちょっと強めに出たせいでなんだか怪しげなタイトルになったが、残念ながらそんなに波乱万丈な人生を送ってきたわけではない。これは特に何を訴えようというでもなく、しかし書きたい気持ちがあり、それに際して家族以外に自分の名前を出して伝えることについて自分の中で非常に大きな抵抗があるため、匿名で書くものである。ぼくはといえば、普通に公立の小中高校と通い、ふつうに私立文系学部に進学し、うっかり留年などするもののボンボンクラクラとしてのうのうと生き延びている。経済的な不自由もなかったし、就職活動で不利になることもなかった。
しかし家のリビングには立派に新興宗教のエライ人の格言が額に入れて飾ってあったことも確かだし、実家に帰省してみても父は毎週教会に通っている。具体的にどの程度信心しているのかはよくわからないが、おじいちゃんおばあちゃんばかりの信徒のなかで若手(もう還暦が近いが、若手である)として教団支部の運営にはそこそこ尽力しているようである。
これを書いてしまうとおそらくもうどの宗教かは特定できるが、父の実家の宗教は江戸時代末期にできた神道の一派であるらしく、新興といえどそこそこ歴史はある。宗教の名を冠した教育機関もいくつかあり、そういえばいつかの甲子園にもでていた気がする。
子供の頃はよく教会に連れて行かれた。僕と同じくらい年齢の子供が数人おり、両親やおじいちゃんおばあちゃんが先生のありがたいお説教を聴いている間、僕はゲームを買ってもらえない子供だったので他の子がゲームをしている様子をずっと眺めていた記憶がある。たまにお菓子をもらえたりもした。当然お説教は一言も聴いていないので現在に至るまで全く信心する気持ちはない。大変な親不孝者である。
「普通のこどもは教会に行かない」ということを知ったのは小学3年生のときだった。当時気の迷いで野球のスポーツ少年団に入っていた僕は、あんまり土日の練習が嫌になったので「明日は教会に行くので練習を休みます」とコーチに言った。周りの目が一気に怪訝そうになったのを覚えているし、言ってしまった直後自分自身も「どうやらこれは間違ったことを言ってしまったらしいぞ」ということをすぐ認識したので、それ以来人前で教会の話はひとこともしていない。おかげで土日に遊べない理由を適当に捏造するのがうまくなったものである。
地下鉄サリン事件というのが生まれる少し前にあったらしい、ということを知った時、どうやら自分は少し言動に気を遣わねばならないらしい、と思った。ネットで噂になっているエホバの証人や某学会の信者による迷惑行為が、日本における「新興宗教」のイメージであり、先述したように信仰心のほとんどない僕も「宗教」ときくとやっぱりちょっときな臭い言葉であるように思ってしまうところがある。ところが同時に僕は新興宗教の当事者であるとも言える立場なので、あんまり無邪気な感じにもなっていられないのだ。
ニューヨークに突っ込んだ飛行機の映像を見て宗教が歴史のいたるところで戦争を起こしてきたということを知った時にも、子供心に教会の中に入り込んでいってしまってはいけないのかも、と思った。科学の子であった僕は、やっぱり母の言う「天国で死んだおじいちゃんが見守っている」だとか、神様を信じれば助けてくれる、ということに「ウッソだぁ〜」という気持ちを持っていた。お空の星は核融合炉であり、太陽系があり、銀河があり、宇宙はインフレーションとビッグバンから生まれていた。神の祟りよりプレート・テクトニクスや隕石のほうが怖かった。
ところで、僕はカトリックの教会にも行ったことがある。祖母がカトリックだったので、クリスマスの礼拝に連れて行かれたのだ。洗礼は受けていないので、目の前で配られるパンとワインをただただ眺めるばかりであった。眼の前の人がワインを飲むなり激しく咳き込みトイレに走っていったのを覚えている。たいへん敬虔な信者であったのだろう。僕は激しい修行はおろか正座でありがたいお説教を聴いて足を痺れさせたことすらないので苦しみをもって神に尊敬の念を示すということを全くしたことはないが、もしかしたらそれが心の支えになって、拠り所になって、日々を生きることができている人もいるのかもしれないと思う。なお家には未だに聖書がある。
母は教育の人である。教育を学び仕事にするプロフェッショナルである。親は誰しも自分の子供には人生における様々の試練に負けず強く生きてほしいと願うものであると思うが、カトリックの祖母の影響でミッション系の学校に行っていたこともあるのだろう、心の何処かで神を信じるように幼少期の僕に教えてきたように思う。神は想像を絶する試練を課せられた人々の心をたびたび救ってきたからだ。新興宗教の教会のあんまりにもつまらないお説教のせいで全く僕に信仰心が芽生えることはなかったが、大学で宗教学の授業をとってみたりした今になって、「宗教ってこういう役割があったわけだね」という話をすることがある。流石に現代に生まれて中世のように「本当に」神を信じることはないが、しかし母は未だに「でもなんだか、どこかで信じている」というようなことを言う。
僕はお寺や神社を見て回るのが結構好きで、今年の夏も(オタクの聖地巡礼を兼ねて)下鴨神社に行ったりしている。猛暑の京都盆地の中、糺の森の木々が直射日光を遮り、薄暗くなっている参道はアホほど暑かった。今年は割と苦労した就職活動がどうにかうまく行ったため、賽銭箱に五円玉を投げ「いいご縁がありました、神様ありがとうございます」とお礼を言ってきた。下鴨神社の神様も「縁結びってお前そういうことじゃねえよ馬鹿野郎」とお怒りのことと思う。