「暖かい」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 暖かいとは

2020-08-28

とある人事部長の後悔を聞いてほしい2

字数制限に引っかかったので1と2に分けています

事案4 顔も知らない、新入社員になるはずだった人達

 一番の後悔だ。このことがなければ今回の記事を書くこともなかった。

 あなた会社でも、採用候補者に対して身元調査実施することがあるかもしれない。私の会社ではそうだった。

 私が勤めていた会社というのは、普通会社よりも多くのことを調べることができた。

 例えば、戸籍だ。採用者の本籍がどこで、家族はこういう名前の人で~といった情報について、グーグル感覚で調べられる部署がある。

 病歴もわかる。社内のシステムには、この人がこの病院にかかって、こんな病気で、医療費はこれだけで、自立支援を受けているか医療費は1割負担で~といった情報が入っている。

 限定的範囲に留まるが、犯罪歴もわかる。

 さて、採用内定を出す段階になると、採用候補者に対して上記調査実施する。担当部署に行って、個人情報の照会履歴ノート自分名前を記入し、システムを使わせてもらい、調べを進める。

 会社にとって敵対的人物が親類縁者にいる人や、過去うつ病などの精神疾患になったことが判明すると不合格にする。具体的には、面接評価を5段階中の2に変更すると必ず不合格になる。

 犯罪歴に関しては、該当者がいた経験がないので何ともいえない。名簿に記載があった時点で、罪状に関わらずアウトなのだろうと思う。

 こんなことはおかしいと思っていた。なぜ、公平で中立平等であるはずの採用試験でこんなことをしないといけないのか。ずっと考えていた。

 誰がこんな調査を行わせているのか? これが一番の問題だった。

 誰が仕向けているかからないのだ。毎年この時期が来ると、総務部から指示が来て、特定役職(全員係長課長クラス)にある者が分担して任務にあたる。

 放っておけばこんな習慣はなくなると思ったが、そんなことはなかった。毎年、内定者のリストを完成させて総務部長まで持っていくと、調査を行うように指示が来る。「これは誰の指示ですか」と聞いても、「定年までにはわかる」と言葉を濁される。

 結局、定年までわかることはなかった。私が彼ほどに昇進できていればわかったのかもしれない。でも、私はそこまで出世できなかった。肉薄するところまでは行ったのだが。

 今でも、この慣習は続いているのだろうか。誰かが止めたのだろうか。

 私にはできなかった。

 もし、これが総務部長が発した指示であれば、戦ってなんとかなったかもしれない。でも、トップの指示だったら?戦ってなんとかなっただろうか?なったとしても、会社はいられないだろう。

 私は矛盾している。あの時代に、私は悪習を絶つことができなかったのに、定年になって、何年も経って、あの時の自分は間違っていたと後悔している。でも、今の私がデロリアンに乗って過去に飛ぶことができたとしても、行動を起こすことはできないだろう。私にそんな度胸はない。

 私はなによりも哀れだ。私は自由ではない。私には、自分意志を実行する力が全くない。

 なぜ、私は弱い? 私が何度も何度も道を譲ってきたからだ。それで、私は周囲の玩具になってしまった。私が周りに力を与えたのであって、周りが私を弱くしたのではない。

 私は自由ではない。なぜなら、私が私自身と気が合わないからだ。私が自身を恥ずかしいと思って顔を赤くしているからだ。

 私には、自分意志を実行する力が全くない。



最後に。

人事担当部局役職者として約十年間、平社員だった時代を含めれば約二十年間、人事の仕事に携わって得た知見を共有したい。

今回の内容は、社員職場の抱える問題への対処や、人事異動の内容まで含めて決定する層に向けて書かせていただく。参考になれば幸いだ。

問題社員(有能型)への対処について

 一般的問題社員への対応は、ネット豊富な事例があるのでここでは述べない。ネット上に事例が載っていない案件(※私は見つけることができなかった)について述べる。

 ここでいう問題社員(有能型)とは、以下の特徴を持った社員をいう。あなた会社にも多分いると思われる。

能力だけ見れば高い。5段階評価でいえば4以上

自己中心的言動が目立つ

 軽度のもの…「自分はすごい」という自慢や、後輩社員へのマウンティング

 中程度のもの…気に入らないと不機嫌になって悪態をつく。あるいは指示された仕事をしなくなる

 重度のものパワハラセクハラ。人前で後輩を怒鳴りつけたり、女子社員身体的特徴を馬鹿にする

上司にはへりくだる。弱い者には厳しい態度

 昔は、こういうタイプ社員放置されていた。こういう人いるよね、で済まされていた。

 むしろ上司が命じた仕事は十分なレベルでこなすので、ハラスメントを行う者であっても処罰されなかった。いなくなっては困る存在なので、マウンティングハラスメントは表立って認容されていた。

 昨今は社員メンタルヘルス観点から、こういったタイプ問題社員にも対処する必要がある。そこで、私の経験上、有効だった対策や、必要視点を述べていく。

・一番の対策は、『仕事量を偏らせない』こと

 問題社員(有能型)は、他人コントロールする権力を欲しがっている。他人に言うことを聞かせたいのだ。他人に舐められることを極度に恐れている。

 行動傾向として最たるものは、『積極的仕事を取っていく』というものだ。他人のものまで含めて仕事を取ることで地位を高めようとする。そして、自らの能力が高まり裁量を与えられるようになり、ますます権威を増していく。

 対策はすでに述べたとおりだ。たとえ、彼や彼女が有能で、多くの仕事を処理できたとしても、全員に対して同じ量の仕事を割り振る。

 問題社員(以下Mとする)が他人仕事を奪おうとしていたらブロックする。具体的には、仕事を取られようとしている人(以下Nとする)のところへ行き、「それでいいのか?」と合意確認する。Nが拒否する、または何も言わなければ、拒否とみなしてMに対する指導を行う。

 では、Nが「Mさん仕事をあげます」といった発言をした場合はどうするか。この可能性もあり得る。自分仕事が減るし、Mには逆らいにくいからだ。

 この場合も、他人仕事を取ってはならないとはっきり告げる。そのうえで、Mだけでなく、Nに対しても指導をする。

 ポイントとしては、何度も繰り返し行うことだ。何度も行うことで、上司の指示を守っていないことをわからせる。これは何度行ってもハラスメントにはならない。その仕事の割り振りが組織内の決裁を経ている限りは、業務上の指示にほかならないからだ。

 繰り返し行っていれば、向こうが根を上げることが多い。上司の見ていないところで仕事を渡している可能性があれば、ほかの社員に教えてもらう。

 Mは、他者に舐められることを恐れている。態度が頑なになることが多い。普通の態度ではダメだ。毅然とした態度で接する必要がある。

 反論時の想定問答としては、以下のやり取りを例にする。

M「私が暇になったらどうするのか。このままではやることがなくなる」

→「遊んでいなければ何をしても構いません。具体的には、業務マニュアル作成や、後輩の相談に乗ってあげてください」

M「私はNを心配している。Nが潰れたらどうするつもりか」

→「これはNさんが実力をつけるために必要な機会です。私が必要に応じてサポートします。Nさんの負担が重いようであれば早急に対策を取りますMさんが今動く必要はありません」

M「業務放棄するのは問題だと思うが、なぜ積極的に動くのがダメなのか」

→「他の社員が成長する機会を奪っているからです。あなたは成長しますが、チームが成長しない。だから必要以上に仕事をしないでください」

・『仕事量を偏らせない』という方法デメリット

 ただし、この方法には難点がある。あなたが優秀である必要があるのだ。

 問題社員(有能型)のような存在がいなくても成り立つ職場であればよいが、昨今はそうでない職場環境が増えている。労働経済白書によると、1人当たりの仕事量は全国的に増加傾向にあるようだ。

 Mの仕事を取っても、他の部下にすべて回せるとは限らない。回せなかった分はあなたが取るしかない。1人当たりの業務量が多くなった部下はあなたサポートする必要がある。

 これにより、業務効率の著しい低下が起こったり、メンタルを病んだ者を出した場合、この対策は失敗だったことになる。かつての、Mに業務が偏っていた状態に戻さざるを得ない。この点は重々気を付ける必要がある。

 なにより大変なのはあなたがMと対決せねばならないことだ。Mのような社員の特徴として、①口が回る、②攻撃性が高い、③恨みを覚えている、といったものがある。

 以上を踏まえたうえで、あなたはMに言うことを聞かせないといけない。

 あなたが『仕事量を偏らせない』という対策を行おうと決めた時点で、もはやどうしようもないほどに職場がMに依存していた場合も諦めるしかない。

 この状況でMと対決するのは望ましくない。現実的に難しいことを無理に実行することで職場が不仲になる可能性があるし、もしMが病気その他の事情職場に来れなくなった場合崩壊するおそれがある。

 こんな場合は、黙って待つしかない。

問題社員(有能型)の正体について

 このタイプ問題社員は、本当に問題なのだろうか?

 私は、このタイプ問題社員に対しては、「北九州市新成人理論」を採用している。

 かつて、北九州市新成人(の一部)がやりたい放題に暴れた結果、警察のお縄になる事件が毎年のように起こった。

 彼ら彼女らは、何十万円もするド派手な衣装に身を包んで、何百万円もするド派手な車で来場し、会場の内外で大騒ぎし、酒を飲み、演題の前に立った市長に対して暴言を吐き、帰り道には警察検問強硬突破する。

 そんな光景が全国ニュース流れる度、テレビコメンテーターが呆れ顔で意見を述べる。インターネットでも同じような反応で、この時ばかりはマスコミ意見ネット意見合致する。

 しかし、「あいつらはバカなことをしているか規制すべき」という考えは誤っている。

 バカでもいい。彼らは悪くない。成人式で飲んで騒いで暴れる馬鹿者は、むしろ地域社会を支えていく存在からだ。

 彼らのようなタイプ新成人は、今後もその地域に残る可能性が高い。未来納税層にあたる。大げさにいえば、地域にとっての希望だ。

 成人式の前には高級なレンタル品を一式借りる。濃紺や真白の羽織袴や、紅色着物ふわふわのファーを首に巻いて会場入りする。

 誰よりも目立ってやろうと思っているし、「成人式特別儀式である」と考えている。その意味では、主催者である市町村と同じだ。

 彼らは成人式を大切に思っている。だから暴れる。暴れることが、成人式への彼らなりの真面目な参加行動にほかならない。

 反対に、主催者アナウンスに従って、席にじっと座っている新成人こそ、生まれ故郷から身も心も離れてしまっている場合がある。

 彼らが暴れないのは……暴れないにしても、大騒ぎをしないのはなぜだろうか?彼らが故郷を捨てているからだ。

 生まれ場所うんざりして、東京などの都会に出て行った者は、「早く終わんないかな」と思いながら成人式に参加している。

 地元を離れる日程は決まっている。大抵は次の日に、高速バス新幹線で都会の住処に帰るのだろう。この青年達はまだましな方で、地元に愛が残っていない者はそもそも成人式に参加しない。都会で行われる地方出身者のための成人式に参加するか、またはアルバイトに勤しんでいる。

 暴れる新成人はこれとは逆だ。彼らはこれから地元で生きていく。だから、自らの存在を派手にアピールする必要がある。成人式におとなしく参加する層よりも、彼ら彼女らの方が地域を愛しているといえる。

 脱線した。問題社員(有能型)の話に戻ろう。

 彼らは、暴れる新成人と一緒だ。彼らにとって会社大事存在なのだ存在意義を証明するための場所として。

 会社にとって必要人材になりたい。同僚や上司の行動が間違っているのを正したい。会社をよい方向に導きたい――彼らは、こういう想いでMをやっているのでは?と私は考えている。

 逆に、Mを非難する立場社員の方が、仕事にやる気がなかったり、能力面でも倫理面でも評価が低かったり、責任感のない行動、自己本位な行動を取ったりして会社を苦しめる。弊社における平均的な傾向はそうだった。

 例えば、「あいつの行動はパワハラから処罰してください」と言って、人事に通報してきた社員がいた。この場合のM(あいつ)は、通報した社員の先輩だった。(追記:後輩の誤りです)

 その通報した社員は、特段の難点があるわけではないが、平均よりは下位の評価だった。

 処罰する根拠として、30件以上のMのパワハラ行動が記された記録が付されていた。事実確認を行った結果、概ね事実だったので文書戒告処分を行った。

 不服として、そのMは反論を続けていたが、処分内容が示された書面を受け取ると何も言わなくなった。

 これも私の後悔のひとつだ。というのも、その後の社内貢献のレベルとして、Mの方が段違いに優れた実績を出したからだ。彼が役職者に上がってからは、パワハラ行動は減っていき、実質的残業ゼロ職場を作り出した。メンタルを病んだ社員もいない。

 一方の通報した社員は、数年後に最悪の形で定年退職した。有給休暇がかなりの日数残っている状態仕事が溜まっていたのだが、なんと、定年退職日までの全ての有給休暇申請して会社から消えてしまった。(追記:ある日突然、全ての有給休暇申請をして職場からいなくなったという意味です)

 残された者は苦しい思いをした。彼がいた職場の1人当たり残業時間は、前月比100%(追記:100%増の誤りです)になった。彼の取った行動について処分必要であるとの意見も出たが、労働関係法令上は問題はなく、労働組合としても彼の行動に異論はないとのことだったので、処分は行われなかった。



ここまで読んでいただけたなら嬉しい。書いた甲斐があったと思う。

若干ぼかしているとはいえ社外秘なことをここまで書き連ねようと思ったのには理由がある。

自死を考えている。

今日とか明日ではないけれど、年内にはこの世からいなくなりたい。

社会人として働いて約40年、多くの罪や後悔を残してきた。上には書いていないけれども、人として行ってはならないことにも手を染めてしまった。

数年前に定年退職してからは、嘱託職員として民間企業で働いて、公民館カラオケ教室に通って、インターネットで同じ趣味をもった仲間とコミュニティを作って……

平穏生活を続けるうちに、社会生活自分が犯してきたことに反吐が出るようになった。

最初の頃は思い出したくないという程度だったが、日中に何度も頭をよぎるようになった。

近頃は夢に出てくる。

大抵は、当時の思い出が醜く改変されていた。夢の中で、当時の関係者が私にグロテスク復讐をする。

どうすればいいか真剣に考えた結果、死を選ぶという結論に達した。

私にとっての遺書を書きたいと思った。

今の気持ちありのまま吐露してみたいと思った。

はてなブログや、はてな匿名ダイアリー投稿してみたかった。

それが叶って嬉しい。

パソコンモニターを見ると目が痛む。

まり推敲できなかったのが悔やまれる。

読みにくい部分があったと思うので謝らせてもらう。

ありがとうございました。



8/31

コメントいただいた皆様に「言及する」により返信しております

当初はここに記す予定でしたが、7千字過ぎで字数オーバーになってしまうため、このような形としました。

暖かいコメントに助けられました。

感謝申しあげます

2020-08-27

anond:20200826205722

そういう人は他に自分承認してくれる世界殆どない可哀想な人なんだよ…

私生活が充実してリアル人間関係に恵まれてる人は、わざわざ同人垢で結婚妊娠出産アピールなんてしない。坦々と萌え語りするのみ

私生活幸せを語りたければ別垢をこっそり作るのみ

から暖かい目で見てあげよう

2020-08-21

anond:20200821073537

暖かい島でslowに余生を過ごすプランも用意しておきたい

2020-08-19

anond:20200819190013

そういえば冬に暖房ガンガン暖かい部屋の事を天国とはあんまり言わない気がする

この元増田、滅茶苦茶鋭い人だ

2020-08-15

素晴らしいものランキングTOP10(2020年8月)

10クーラー

夏なのに涼しい

無いと生きていけない

○9位冷蔵庫冷凍庫

夏なのに冷たい飲み物アイスが食べられる

発明したやつすげえな

○8位アイスクリーム

冷たくて美味しい

○7位水道

蛇口を捻るだけで水が出る

嬉しい

○6位水道

普通にうまいうまいものランキングオールタイム一位を何十年と独占している。

○5位ガス

暖かい水でお風呂に入れるんですか!?!?

風呂しゅきい……

○4位お布団

むにゃねむねむすぴーすると気持ちいい

○3位電気

夜なのに暗くない怖くないすご

○2位家賃四万円のワンルームアパート

10から3位までを内包する存在

○1位俺の母親

マジで俺の人生、この母親が産んでくれたという事実だけで明らかにプラスなんだよなあ

あーあこの世に生を受けて良かったー

8月15日に記しておきたい怖い祖父の話

大正まれ祖父は、坊主頭メガネをかけ、こけた頬に冷たい眼差しを持ち、いつも気難しそうな顔をしていた。息子であるから聞く話でも、私は祖父に対して怖いというイメージしか抱いていない。第一印象も第二印象も、とにかく怖い。祖父を評する言葉はそれ以外に無い。もっとも、祖父は私が生まれる7年前に亡くなっている。だから、私が見る祖父はいつも仏壇の脇に飾られた白黒写真のみであり、その気難しそうな佇まいを見るたびに幼心にピシッとした気分になり、怖い爺さんだなぁと思うだけだった。私にとって祖父は、無機質な写真のみで完結していた。

対照的祖母はとても優しい人で、おっとりしたお婆ちゃんだった。私は末の孫だったこともあり、とにかく甘やかされていたので、特にそう思うことも多かった。祖父とは会ったこともないが、祖母とは長い時間を共にした。私は幼稚園に入る前、母が働いている間は朝から夕方まで祖母の家に預けられていたので、祖母とは二人きりの長い時間をゆったりまったり過ごしていた。かなり幼い頃の記憶だが、何故だかその日々のことは断片的によく覚えている。暴れん坊将軍と蒸し芋が大好きな未就園児だったので、祖母とは気が合い可愛がられた。

祖母は幼い頃の私にとって第二の母のような存在で、お話もたくさんしたけれど、既に亡くなっている祖父遺影インテリアのように飾らせているだけで、その人となりについては何一つ聞いたことがなかった。息子であるはずの父や叔父からも、祖父の話は聞いたことはほとんどない。思い出話も一つも聞いたことがない。祖父がどんな人かと聞いても「おっかねぇ(怖い)人だった」と返ってくるくらいだ。そんなこんなで、私が知る祖父像は極めて薄い。とても薄っぺらい。お前の爺さんだよと言われてもピンと来ることはなく、いつまで経っても白黒写真遺影の人でしかなかった。

そんな祖父遺影の脇には、立派な額に入れられた賞状が飾ってある。内容は、抑留生活を慰労し、銀杯を贈られたという内容で、すでに故人になっている祖父政府が贈ったものだ。戦後日本には57万人以上もの人々がシベリアへ連れて行かれており、祖父もその一人であった。『祖父戦争へ行き、シベリア抑留をされていた』たったそれだけの漠然とした事実が、私の中の祖父像を大きく占めていた。小さい頃から、「うちのじいさん、ロシアに連れてかれたんか」と単純に思っていた。どこからともなくの知識で、多くのシベリア抑留者がそうであるように「終戦時は満州にでもいて、捕まったんだろう。だが、どうにか生き延びて帰ってきた」と思っていた。

去年、祖母が97歳で亡くなった。50過ぎの時にヘビースモーカーが祟って肺癌で亡くなった祖父に反し、かなりの大往生である。そこで私は、葬式での親戚が口にした言葉で「祖母が嫁いだ翌日に、爺さんに赤紙が来た」と耳にした。おいおい、なんだそのタイミングは。ドラマかよ、と思った。そもそも祖父母はお見合い結婚だし、祖父戦後抑留され、長いこと家に帰って来なかったし、つまりそれが事実なら祖母は長々と見知らぬ姑と過ごしたことになる。しかも、ど田舎山中にある村で、家業農家という典型的な家だった。時代時代とはいえ、婆ちゃんは肩身の狭い思いをしていたんだろなぁと可哀想に思った。

その頃から興味が沸いていたんだと思う。

遺影の中で怖いオーラを放っているだけの、実態の無い祖父像について。

私はどこからともなく『兵籍簿』の存在を知り、取り寄せたいと決意して、去年の8月15日実家終戦番組を見ながら父に話を切り出して頼んだ。兵籍簿の取り寄せは三等親まで可能で、孫の私でも可能だが、故人の息子にあたる父が取り寄せた方が、必要書類が少なく済むからだ。父は戦争映画などを見るのが好きな人だし、その手のものに興味があるタイプなので、あっさりOKしてくれた。断られたらどうしようと思っていたので、聞いた時はタイミングを見極めドキドキだった。

兵籍簿の取り寄せは案外簡単だ。やり方は調べればネットに載っている。うちの祖父陸軍なので、県の恩給科に電話で問い合わせ、手続きを始めた。ちなみに、海軍だと厚生労働省になる。陸軍であれば『〇〇県 兵籍簿』あたりで調べれば、どこの県もやり方を導いてくれるだろう。発行に際して必要ものは、対象者が故人の場合申請者との繋がりがわかるための除籍謄本戸籍謄本といった、役所簡単に発行してもらえる書類。あとは申し込み用紙を書いて郵送する。コピー代などで数百円かかるが、あまりにも簡単なので、もっと早く取り寄せればよかったと思った。

まぁ、取り寄せた所で、どうせ祖父はちょろっと満州にいて、そのままシベリアに連れてかれていたんだろう。祖父は誰にも戦時の話をしなかったので、家族の誰しもがそう思っていた。語らずに亡くなったがために、語るまでもない軍歴だったのかと、我々は思い込んでいたのかもしれない。みんなが祖父戦争について知っていたのは、彼が『シベリア抑留されていた』たった一言事実のみであるのだから

待望の兵籍簿は一か月かからずに送られてきた。

当時の書類ということで、読み難く難解な旧字も多かったが、やはり同じ日本語なのでほとんどは解読可能だった。それもネットで調べられた。

読み解いてまず驚いたのが、祖父1940年から43年2月まで、きっちり軍生活をしており、一度は満期除隊をしていたということだ。その時は主に満州国境警備をしていたらしい。大きな作戦戦闘に関わることなく、晴れて日本へ戻っていたのだ。もしかしたら亡き祖母は知っていたかもしれないが、祖父は息子たちへ語らずに亡くなったので、満期除隊をしていたことなど誰も知らなかった。

次に驚いたのは1944年2月祖父除隊からほぼ一年後に再び徴兵されており、(祖母が嫁いですぐに赤紙が来たエピソードは日付けから事実だと裏付けられた、祖母マジでお疲れ様すぎる)今度は満州ではなく、北海道の先にある『千島列島』に行っていたことだった。私は先入観からてっきり、祖父満州終戦を迎えたと思っていたので、想像していた祖父人生はガラリと色を変えた。

千島列島……千島列島……たくさんの島が連なる北海道の向こう側……北方領土……。そうか、そこにいた人たちもシベリアへ連れて行かれたのか……。そりゃそうか。

千島列島といえば、日本降伏後にソ連が乗り込んできた占守島の戦いが有名だが、祖父は『新知島(シムシル島)』から途中で『得撫島ウルップ島)』に回され、その二度目の徴兵では約一年半の千鳥列島生活を送り、終戦を迎えていた。兵種はずっと砲兵終戦時は上等兵だった。祖父はヒョロ長い体を駆使し、轟音の轟く砲をぶっ放していたのだろうか。なんともたくましい。

お恥ずかしいことに、私は新知島のことも、得撫島のことも、「なんか名前は聞いたことあるなぁ〜」程度で何一つ知らなかった。千島列島ソ連が攻め入った経緯すらも、占守島の戦いの名前漠然としているだけで、よくわかっていなかった。

どんな所か調べたくなった。特に長くいたらしき得撫島について。当時の千島列島について。

祖父のいた部隊結果的には戦闘をしておらず、言わば活躍をしたわけでもないので、ほとんど資料がなくて見つけ出すのには苦労した。

得撫島はもとより、千島列島自然の宝庫であると同時、一年を通してほとんど霧に包まれ、風も強く、ましてや長い長い冬を有する極寒の地。白夜であり、夏の夜は極めて短い。夏でも長袖は欠かせない。ほぼ無人島。そんな場所で「はい今日から暮らしてね〜」となったら苦労していないわけがない。制空権を奪われていたので、空から米軍攻撃もあった。制海権も奪われており、艦砲射撃が降り注ぐ。戦時中その海域では民間人も含め、2-3万人の人が亡くなっている。祖父のすぐ後に続いて小樽港を出港した同郷の部隊は、魚雷を撃ち込まれ沈没。冬の海に投げ出され、当時は軍機密に隠され2000人以上が死んでいた。祖父もほんの僅かな順番が違っていたら死んでいた。私もこの世にいない。数奇な巡り合わせで今の私は生きている。

得撫島ラッコの島と呼ばれるほどラッコがいるらしい。オットセイもいるらしい。祖父は間違いなく野生のラッコを見ただろう。自然豊かな大地。現代人の私が見たこともない美しい景色を、祖父は計らずとも見ていた。不本意戦時下に望んでもない場所へ飛ばされてはいるが、愛くるしいラッコちゃんとの遭遇が顰めっ面の祖父の心を癒してくれていたことを願わずはいられない。

兵籍簿には、祖父召集や転属などの略歴が淡々と日付けと共に記されていた。必要最低限の事務的情報であるが、その一つ一つの行間にも目に見えぬ多大な苦労があったはずだ。

昭和20年

8月15日終戦

9月29日ソ連により武装解除

10月19日ソ連により得撫島出発

10月24日ソ連ポートワニー上陸以降土工作業従事

昭和23年

7月22日舞鶴上陸

古ぼけた紙は語っていた。戦争8月15日に終わっていなかった。南方の激戦地のように食糧に困る事はなく、敵と遭遇することも戦闘もしなかったとはいえ祖父戦後も長らく闘い続けていた。自分血縁である祖父が歩んだ具体的な数字を見せられ、これはリアルなことだったと肌身に伝わってきた。日本がしていた戦争と、祖父存在への深みが増した。

シベリアでの日々を、祖父の白黒写真の顔と合わせて想像してみた。マイナス40度の永久凍土で働く、ろくな装備もない日本兵たち。栄養失調。ひもじい。所々にシラミが沸く。病気流行る。ご飯は堅い黒パン。粗末なスープ戦争は終わったのに、周りがどんどん死んでいく。いつまで経っても日本に帰れない。故郷よりももっと寒い、極寒の異国の地。日本には結婚生活を1日しか送らなかった嫁が待っている。祖父は雪深い土地で生まれ育ったから、シベリアでも適応能力が多少なりともあったのだろうか。そう思うことが唯一の救いである。

祖父が何も語らずに亡くなったのは何故か。千島列島を盗られた背徳感か。過去抑留生活に蓋をしていたのか。赤化教育を受けたことによる偏見を隠すためか。南方の激戦地に比べたらと、自分の半生は話すまでもないことだと思っていたのか。祖父の心を知る事はできない。私は想像することしかできない。祖父日本に帰ったが、一切を語らずに亡くなった。故郷山村とは掛け離れた四季の彩りのない場所で、途方もない八年もの戦争と闘ったのに、一言も喋らずに亡くなってしまった。

ここでは政治的な話はしない。

兵籍簿を読むことによって、それまで漠然としていた祖父存在がぐんと近づいた。存在のものを実感した。祖父ちゃんと生きていた。過酷時代を生き抜いた。ドラマ映画主人公になるような経歴ではないが、私が一分で根を上げるような過酷環境に長々と身を投じていたのは明らかだ。じいさんすごい。マジでお疲れ様すぎる。生き抜いてくれてありがとう。じいさんが頑張ってくれたおかげで、私はこんな平和世界ツイ廃をしながら、ソシャゲに夢中になれて、推しに心血を注ぎ、それを通して素晴らしい友人と出会うことが出来た。夏にはクーラーの効いた部屋でアイスを食べられるし、冬には暖かい部屋でアイスを食べられる。平和は素晴らしい。色んな国の友達もいる。その中にはじいさんが憎んでいた国の人もいるかもしれない。私は紙切れ一枚で戦地へ送られることなく、空や海からの脅威を感じることもなく、当たり前の明日をのほほんと待ちながら好きなように生きている。これは素晴らしいことだ。そんな当たり前のことを、強く思った。

兵籍簿を取り寄せて良かった。兵籍簿はどこからともなく知った物だが、私はこれを読まなければ自分流れる血に関してとても大事なことを知らずに死んでいた。

仏間へ行き、再び祖父遺影を見上げた。祖父は相変わらず怖い顔をしている。けれど、もうそれだけではなくなっていた。その遺影漠然とした無機質なものではなく、凄惨時代を生き抜いた血が流れているのだ。仏間を見下ろす祖父は、計り知れない威厳を背負っていた。

2020-08-13

24歳初めて彼氏ができた。条件付きで。

人生で初めて告白された、条件付きで。

条件というのは結婚願望はないから将来結婚はできないというものだった。

この日記目的と注意

ここでは告白されるまでの経緯と告白された時とその後の心境について記したいと思う。

目的としては自分の為の備忘録である

初めに書いた通り今回の告白は条件付きなので、後に間違いなく自分気持ちを固めて何かしらのステップに進む必要が生じる。

その時に、今のこの率直な気持ちを振り返ると共に、自分気持ちは変化したのかそれとも変わらないのかを観測したいという目論みである

普段文章を書くことをしていないので相当読みづらい上に、内容には惚気も含まれるので、苦手な人は即ブラウザバックをおすすめする。(むしろここまで読んで頂いてありがとうございます。)

背景

彼と私は両者とも20代前半の社会人だ。

元々学生時代からつるんでいるグループ内での友人だった。ちょうど1年前あたりから2人で出掛けるようになった。

趣味は合うし、テンションは合うし、とても居心地がいいので自分としては2人で出掛けるようになってからはかなり意識していたと思う。

同時に向こうから好意も感じた。彼はだいぶ淡白省エネ人間であるので、遊びや小旅行の誘いをしてくれた時には、今まで友人として見てきた姿との違いに感動した事を憶えている。

当時の私は、彼も社会人になって少しは大人になったんだなあ、と思っていたが、もしかたらこれが彼なりの好意の見せ方だったのかもしれない。

そんなこんなで、友人以上恋人未満の関係を1年続けた。

その間の心境は正直揺れ動いた。

なにせ好意や大切にされているという事は感じるが、告白もないし、もちろん泊まり旅行へ行っても一切手も出してこなかったからだ。

その関係性が1年を迎えようとしていた頃には、彼が考えている事がわからなくなり、不安を越してもはや開き直って彼との時間を楽しむことにしていた。(手を出してきそうになったら告白を促そうと計画もしていた…笑)

告白されることになる前日、こんな状況下ではあるが密を避けながら2人で出掛けた。

その時は、正直両者とも次の日に告白するとも思っていないし、されると思っていなかった。そしていつも通り、少し名残惜しく感じながらもそれぞれの帰路についた。

告白トリガーとなったのは、その帰路の途中で交わしたひょんなLINEのやり取りであった。

告白に至るまでの出来事

メッセージのやり取りの中で彼から元カノというワードがでた。私は元カノという言葉に少しモヤった。

結局、変な嫉妬を見せても情けないと思いながら、仲の良い女友達という立場を心がけて数件のメッセージのやり取りをしていた。

その中で、恋愛に関するやり取りをしている今の流れであれば、私たち関係性もはっきりさせられるのではないか。と思い立った。

そこで多少無理はあったが、ところで今、彼女はいるのか?という趣旨メッセージを送ってみた。少しズルい聞き方だったなと思ったが、もう勢いで送った。いい加減決着を付けたかった。

(今振り返ると、このやり取りをしていた時が1番緊張した。)

結果的に、短文ではあったがクリティカル質問となり、これが告白トリガーとなった。

彼にLINEでは風情がないので次会う時(約2週間後)に言う。と言われた。振るなら風情なんて関係いか告白の予告と理解した。次会う時は緊張してしまうな〜と思いながらも、やっと決着が付くことにスッキリとした気分になった。

告白

次の日、休日だった私はだらだら過ごしながら、いつもと同じように彼とたわいもないメッセージのやり取りをしていた。

その日の夜、突然彼に電話をしていいか聞かれた。もちろんOKしたが少し面食らった。なぜなら私たちメッセージのやり取りはほぼ毎日しているが、滅多に電話はしないかである

そのことから、私は咄嗟大事な事を伝えようとしてくれているのだと察した。

そしてその予想は当たった。

彼曰く、次会った時に言おうと思ったが、心がざわざわして仕事が手につかなかったらしい。

さらに、お互いの無言の間から彼の緊張具合がひしひしと伝わってきた。

正直私はすこぶる萌えていた。普段、冷静で理性的な彼が緊張、動揺している様子は姿が見えていないもののとても新鮮で興奮した。

そして、彼は昨日からずっとこの件でモヤモヤしていたというのに、私は昼食のラーメンの汁を完飲してしまった事の罪悪感などという、しょうもない事が頭の中を占めていた事を深く反省した。

彼は言いたい事がたくさんあるようであった。

そして要点を伝えてくれた。

・1年間曖昧関係のままにしてしまたことについて申し訳ないと思っている事

ちゃんと私のことを好きであるという事

・ただし彼には結婚願望がない為、年齢を考えた時に私に対して申し訳なさを感じてしまう事

・加えて、私にとっては初めての恋人となる事に対して申し訳なさを感じるという事

・上の2点についてずっと悩んでいて告白先延ばしになってしまった事

・これらを踏まえて、結婚はできず今だけになってしまうが、それでも良ければ付き合って欲しいと思っている事

私の心境については後程記すとして、結論として彼とお付き合いをする事を決めた。

心境

結婚願望がない、と言われた点に関して全く引っかからないと言ったら嘘になる。

将来について考える事を絶たれているという事が寂しい。

しか私自身すぐに結婚を考えてはいない事、例え彼に結婚願望があったとしても結婚できるかはまた別問題のような気がした事からお付き合いを受けた。

一方で今回、自分自身結婚願望についての考えは浅いのではないか、と感じた。

というのも結婚願望自体はあるものの、それはあくまで一生一緒にいたい人と過ごす為に結婚したい。と思うのであって、暖かい家庭を築きたいからであったり、子どもを作りたいからというわけではない。また、家族から要望で適齢期になったら結婚するべきという概念に囚われている部分もあることに気付いた。

正直2020年現在自分としては、結婚をしなくとも同棲事実婚のような状態であっても満足であると感じる。

ありがたいことに今の世の中では結婚するしないの選択も、事実婚をするという選択も、昔よりは比較自由選択できる風潮となっている。

自分がどの道を選びたいのか、数年後を目安に自分の中でより深く考えを固める必要があると感じた。

さらに別の疑問としては、彼が結婚願望がないという理由は何か、ということである

これについては、たらればで憶測を書いても着地しないので彼自身と話し合っていこうと考えている。

もっと心境についてもう少し詳しく残そうと思っていたが、ここまで書いて力尽きてしまったので閉めようと思う。

今後自分自身の心境がどう変わっていくのか、自分がどの道を選びたいと思うのか、彼との関係は変化していくのか、など不安もあるがひとまずは目の前の状況、彼とのお付き合いを1日1日楽しさを噛みしめて過ごしていきたい。

読んでいただきありがとうございました。

2020-08-08

anond:20200808202550

不倫上等超肉食系女子パンティー?

そのほか、ド貧乏掛布団が買えないパンティーし、

パンティー!重たいモン身体に乗っけたら暖かい気がするパンティー』ゆうパンティー、

・・・椅子かぶって極寒の部屋で寝込んでパンティー、様子見に来た妹に『・・・なんしパンティー』

ゆわれたエピソードめっちゃ好きパンティー(パンティー)

あとはまあ、黎明期パンティーないけどな、最初期の放射能障害患者パンティー・・・

anond:20200808201830

不倫上等超肉食系女子やぞ?

そのほか、ド貧乏掛布団が買えへんし、

『せや!重たいモン身体に乗っけたら暖かい気がするやで』ゆうてな、

・・・椅子かぶって極寒の部屋で寝込んどって、様子見に来た妹に『・・・なんしとん』

ゆわれたエピソードめっちゃ好き(笑)

あとはまあ、黎明期からしゃーないけどな、最初期の放射能障害患者やで・・・

2020-07-30

書いたな、俺の前で、……どの話にしようか!

anond:20200729213114

音楽モノってんでBLUE GIANT四月は君の嘘はもう上がってるな、SOUL CATCHER(S)スポ根激アツ少年漫画的側面が真正面に出てる灼熱カバディももう書いてある。連想が出来る漫画全部書いてあるな、ヨシ!というわけで、なんか雑語りしようと思ったけど、多すぎて行方不明になったかシンプルにまだ出てない推しだけ書いて帰る。好きかは知らん。これだけ読んでる人なら、漫画喫茶でも行って1巻は手に取るだろ?読んでくれ。

土星マンション(全7巻)

SFで、ヒューマンドラマで、成長物語で、暖かいようで、辛い。そんな漫画だ。あんまり読み方を強制したくないからあーだこーだは言わない。1巻が刺さったら7巻まで一気に読みたくなる、そして枕元に置いておきたくなるタイプ漫画。刺さらなかったらヌル漫画

宝石の国(既刊11巻~連載中)

アニメ化もしたから知ってるかもしれない。ずっと辛い、もっと辛い、どこまでも辛い、そんな漫画主人公が嫌いじゃなかったら、是非読んで欲しい。主人公を嫌いになってしまったら、多分不快感しかない漫画になる。

・ドリキャン!!(単行本出版予定一切なし!)

熱い漫画好きなんだろ!なあ!ジャンプだ!ソルキチ好きなんだろ!なあソルキチ好きなんだろオマエ!というわけで激アツドリフト漫画ドリフトわかんない?大丈夫だ、ヒカルの碁囲碁わかんなくても面白かっただろ。たったの100話、ジャンプエッセンスギュッと詰まってる。単行本はない!縦読みだ!時代の寵児だ!

この作者、たぶん漫画を書くことが大好きなタイプの人で、縦読み表現演出もきっと考えて考えて出し尽くしてる。絵じゃなくて漫画うまい。同じ作者の人生カンパニーも、つい最近完結した。多分これも単行本はない。読めるときに一気に読んで欲しい。

・タテの国(単行本なし、連載中)

縦読み言及たらこれに触れないわけにはいかない。正直なところ、最近はダレてしまっているが、途中までのワクワク感、縦読みを活かした漫画表現は好き。ジャン+で読んでね。

・顔がこの世に向いてない(既刊2巻~連載中)

好き!辛さがほどよいコメディ。すでに挙げられてる左門くんはサモナーが好きだったら多分これも好き。縦読み繋がりで出てきた。

増田のようなマンガ好きなら、多分1巻、1話は読みに行くだろうと予測してアク強めのプッシュになった。読んで。

2020-07-28

anond:20200727213107

モテなかった芋ほど、ヲタ垢やヲタ友の前で面白いくらいノロけるよな(女に限らずだけど)

から充実してる人はリア垢ノロケ垢とヲタ垢をキチンと使い分けてる印象

まぁ暇つぶしにオリの中のチンパンジー見るような気分でウォッチしてればいいんじゃない

別れて鬱った後に元恋人の事をボロクソ言い出すのも面白いし、逆に結婚育児でお花畑全開なのも生暖かい目で楽しめそう

2020-07-26

anond:20200726201147

増田嘲笑に感じたものは、本当は、暖かい目と尊敬眼差しだよ。

第一人者というのは、どんな分野においても嘲笑に感じる尊敬眼差しを受けるものなんだ。まさにそれだよ。

皆が叶えられない夢を、増田は一手に引き受けているのだからもっと自分を誇ってもいい。

眼差し嘲笑に感じるのは、増田に残る恥ずかしさのせい。恥ずかしさがなくなるまで繰り返せば、きっと皆も自分幸せを感じられる素晴らしい時間が生まれると思うよ。

anond:20200726145912

貧乏アパートで快適にエアコンを使うコツは。

少し寒いくらいにエアコンガンガンに効かせる。

布団や衣服温度調整する。

寒いくらいに冷えた部屋で暖かい恰好したり、毛布かぶって寝るのが大事

2020-07-21

コロナのせいで家庭内リストラされそう

40代女性フルタイム勤務。詳しくは言えないけどある種の技術職。

結婚してもうすぐ20年。

 

私の仕事は詳しくは言えないけど、これだけコロナ流行っても職場に出社せざるを得ない職種なので、この半年ほど、平日は毎日8時5時の勤務をしていた。月に1回くらいだが土曜日の勤務もある。たまたま職場が変わってからすぐに新型コロナが来たせいで、正直、新しい環境になじめなくて職場人間関係仕事の進め方など悩みは多く普段ストレスもたまっている。

一方で夫は新型コロナ流行り始めた比較的早いタイミング会社全体で在宅勤務に切り替えられ、現在に至るまでほぼ在宅で仕事をしている。打ち合わせなどで外出することは週に1回程度。在宅勤務だと残業代規制がかかるらしく、毎月の給料は相当下がっているものの、それでも私よりもはるかに多くもらっている。

 

この半年弱の間で、最大の問題は「いつの間にか家庭の家事負担ほとんどを夫が担うようになったこと」だ。

もともと、買い物や料理が好きで週末の料理は夫が担うことが多かったし、二人とも働いているので洗濯は夜することが多かったが、それも夫が洗濯機を回して干すところまでやっていた。掃除はあまり好きではないらしく、私がすることが多かったものの、別に掃除機の使い方がわからないということもない。一人暮らしをしていたのでアイロンもかけられるし、ゴミ出しのための分別の仕方もちゃんとわかっている。

まりコロナ前までは世間によくある「家事を分担しながら担う夫婦」だった。

それが、新型コロナで夫が在宅勤務になって一気に変わった。

まず、夫が平日も料理を作るようになった。もともと私のほうが朝が弱いわりに、圧倒的に出勤が早く、夫や子供が起床する時間ごろには家を出ないといけないこともあり、子どもの分の朝食(パンを焼いて、卵を焼く程度だが)は夫が用意していた。昼は子ども休校だったGWごろまでは夫が用意していた。そして、夜はこの半年余りほぼすべて夫が用意している。仕事を終えた18時半ごろから作り始めて19時半ごろまでにご飯とおかずとお味噌汁副菜を作る。夫の料理はおいしい。既婚男性がよく休日に作るような時間材料費が山ほどかかるような毎日続けられないような料理ではなく、ちゃんと量と原価を考えて、毎日続けられるような料理だ。野菜ちゃんと使う。最近カレーに凝っていて、スパイスカレーを作っているのだが、店で食べる味と全然変わらないどころか、先日、職場の近所の店で食べたランチカレーよりはるかに美味しかった。私がコロナからレパートリーにしていた料理も夫はたまに作るのだが、正直、私よりも美味しい。夫曰く、塩と油を日和らなければ、たいていの料理はおいしくなるそうだが、なんでこんなに味が違うかわからない。

そして、子ども事柄も夫がするようになった。幸い、今年はPTA周りの仕事はなくなっていたのだが、学校保護者会や個人面談、塾の面談などすべて夫が仕事の合間に出席するようになった。夫曰く、保護者会は別に発言を求められる会議じゃないから、会社ZOOM会議よりもはるかに気楽だそうだ。

私は今の仕事がかなり大変で、自宅に帰ると疲れてしばらく寝てしまうので、食事別になることもある。食後も横になることが多い。

結果、何が起こるかというと、私が寝てる間に洗濯も食後の洗い物も全部終わっているのだ。そして私は夜10時ごろに起き上がって、夫のいれた風呂に入る。それまでに子どもはすでに風呂に入り終わって、もう自室で勉強したりゲームしたりしている。

子ども学校から帰ってきたあとや、夕食の場などで学校であったことや世間話を夫としているが、だんだん私がついていけなくなっている。もともと子どものするゲームアニメなどに関心をもてなかったタイプではあるのだが、今、娘がジャニーズやKpopの話をしたり、テレビバラエティの話をしているのに、正直、内容についていけない。息子にいたっては好きなものスポーツゲーム、それとYouTuberくらいなので、なおのことついていけない。ネットニュース記事を見るまで、息子が話すへずまりゅうの話が全く理解できなかった。

 

そして、最近、ふと気づいた。

 

私はこの家庭に居場所がない。

週末も含めてほとんど家事をしていない。料理は私の作るものより、夫の作るもののほうが子供にも私にも受けがいい。

洗濯も夫がしている。掃除も最低限の掃除は夫がする。

夫の給料ほとんどのことは賄えている。事実、私が家計負担しているのは娘と自分携帯代と娘の塾代くらいだ。それだって夫が負担しようと思えばできなくはない。

子ども最近、私のことを疎ましく思っている。塾の成績が悪かったり、ゲームばかりしているとむやみと怒ってしまうせいだろう。

子供勉強させたいので、テレビゲームを打ち切らせることも多い。

その割に自分仕事から疲れて寝てることも多いので、子どもたちからするとなんでおかあさんばかり休んでるのと思うのだろう。

週末に私がいると、家の中にやや緊張感があるような気もしている。

 

考えてみると、夫が仕事をしていたころは、疲れて帰ってきて「ご飯はあとで食べたい。ちょっと横になりたい」という夫に、先に食べないといつまでも食べないとか、家事が終わらないといって、無理やりご飯を食べさせ、風呂に入らせたりしていた。今、夫は私が疲れて帰ってくると、そのまま休ませてくれる。

 

夫はまだ気づいていないけど、私はこの家に貢献していない。

そして、夫がこのことに気づいたら、私はリストラされるかもしれない。

 

 

追記 13:25

自分で読み返して、ちょっと読みにくかったのと、知人に見られたら怖いなと思ったので、少し修正しました。

ブクマトラバありがとう。非常に参考になります

夫には感謝してるよ。ただ、もう少し口に出したほうがいいのかなと思ってる。ご飯が美味しいときちゃんと美味しいというし。家に帰ってきたときにお風呂が沸かしてあったりするとうれしいかありがとうという。

ただ、夫との会話はこの数年で少し減ってる。夫から何か話すより、自分が話すのを夫が聞くことが多い。夫には仕事愚痴から最近ネット話題、色々話してるからそれでも同年代普通夫婦程度には会話してると思うけど。

帰りに少し寄り道するのに文句を言わないこともありがたいと思う。

疲れているのはあると思う。職能的に癖のある人が多い業界で、上司から圧をかけられることが多いんだ。

しばらく専業から兼業主婦に近い感じで働いていたところを、子どもが手にかからなくなってきたこともあってフルタイムに切り替えたこともあって、自分家事へのかかわり方に悩んでるのかも。

これが男女反転ネタだったら、いいなとすら思う。男性はこういう状況でも気にしないで生きていけるのかな。

のろけかよというコメントもあるけど、全然そんなことなくて、むしろ、ほんとに怖いんだ。夫が自分リストラしないか

 

追記16:17

思ったよりも多くコメントをいただけて、暖かいものが多くてありがたく思います。少しだけ私の説明不足で誤解されてるコメントもあるので、そこだけ追記します。

子ども勉強について

夫も子供勉強は見ています。むしろ、夫のほうが主導権を握っているかもしれません。受験校選びとか見学の申し込みとかも夫がメインです。だから面談も夫が行っています。ただ、夫は、子どもスマホ動画をみたりしながら勉強するのは気にならないらしいのですが、私は頭に入らないのではと思うし、もう少し集中して勉強してほしくて、そういうのを見ると叱ってしまます子どもたちは成績が悪いってこともないのですが、もう少しできるんじゃないかなと思ったりすることも多く、もっと真剣勉強をしてほしくて口うるさく言ってしまうのです。そのあたりは夫と勉強に対する考え方の違いかもしれません。

・私の給与について

私の給与別に薄給というほどではありません。一人暮らしなら都内でも十分に暮らせるくらいはもらっています。塾代と携帯代以外のお金は多少、自分の買い物や家族の買い物に使いつつ、少しづつ貯蓄しています生活費光熱費住宅ローンなどはすべて夫が払っています

・性生活愛情表現など

の子が生まれたあと、育児疲れたこともあって、夫に求められたのを拒んでしまい、それ以来、数回はあったものレスになってしまっています。お互い、もともといちゃいちゃすることが好きな性分でもなく、ドライな感じなので甘い感じの生活をするのは、今さら夫も求めていないでしょう。お互い、付き合った当初から好きだ好きだといいあう関係ではありませんでした。

転職について

仕事特殊性もあり、あまり簡単転職ができないのです。業界名前を出すと、ああ、確かにあの業界は大変だよねと察してもらえるかもしれないような業界です。そういうこともあり、今のところ転職は考えていません。でも、あまりにも状況が変わらないなら転職視野に入れるのですが。

2020-07-20

同人活動めっちゃのし

最近増田同人女お気持ち文が流行っているな

批判もあるが同じ同人女自分は楽しく読んでます

最近ハマったジャンル同人活動始めた

まだオンラインのみだけど

からオタクだがいわゆる海鮮読み専で書き手になったことはほぼなかった

せっかく書いたしと思って妄想に任せて書いた推したちをアップしてみた

結構みんな見てくれる

いいねブックマークもしてもらえる

憧れの書き手さんを含めていろいろと感想までもらった

同人ってこんなに楽しいものだったのかと思う

同人界隈での揉め事同人女のドロドロした側面を見てなんとなく敬遠する気持ちがあったが、

今のところ特に何か面倒なこともなく暖かい同志の方々に恵まれて楽しく書いたり読んだりしている

印刷業界不況ともいうし、今度自分でも本を刷ってみようかと思う

買ってくれる人がいるかはわからないが、きっと楽しいだろう

これからも楽しく過ごせたらいいなと思う

2020-07-11

私にとっての彼の価値は体と顔で、あとは基本的にどうでも良い

しかしどうでもいいはずのその他も、料理してくれるし家事はまめだし、性格も温和で人当たり良く、なんだこれラッキーという感じだ

正直なんで彼が私と結婚するのかよく分からないが

とりあえず彼は金がないらしい

親の入院費と家と車のローンでほとんどない、とのことだ

貯金額は怖いから聞いてない

彼にとっての私の価値仕事をして家にお金を入れること、が大きいのは間違いない

仕事辞めたいとか冗談で言っても全力で拒否されるし

自分の何が良かったか聞くと

我が強くなく、なんでも自分提案を受け入れてくれるところ

なんだそうだ

自分で考えるのが面倒くさくて全部任せっきり、という性格を、素直で従順だと捉えているのかもしれない

彼にとっての私はもしかしたら、定期的にお金を出し普段は静かで触るとほんのり暖かい、いわゆるATMなのかもしれない

まあそんなお金もってないけど

2020-07-09

anond:20200709231105

「キョロン キョロン チー」「キャラキャラン ツリー ・・・」と

高原の林から2拍半の明るい声

全長24cm。本州高原から北海道の山林で繁殖し、

明るいひらけた林の地上でミミズ昆虫のえさをとり、冬は暖かい地方の平地へ移動しま

https://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/detail/1377.html

anond:20200709151846

まず心療内科行こう。

睡眠薬睡眠確保して心の余裕を確保。

湯船にゆっくり漬かれていないんじゃないかな?配偶者の方と相談して子供さんをお風呂から上がらせたあと少し一人にしてもらえないかな。

入浴剤入れるとよくあったまるよ。

あとコーヒーは体が冷えるから暖かい紅茶を飲もう。甘くしたくなるけどぐっと我慢

なんとなく調子悪いの、だいたい血の巡りが悪くて冷えてるのが原因だと思ってる。

2020-07-01

旅が終わる気がする

私の故郷はとても寒い場所にあって、そこで大人になるまで暮らしていました。

事情があって町を出てから初めて、あぁ、私はここから本当に離れたかったのだなと気がつきました。

一人暮らしを始めた日は大雨警報が出ていて、ラジオから空港で足止めになった人がインタビューを受ける声が聞こえました。

これから暮らす知らない街は嫌がらせのように道が入り組んでいて、番地の順番はひどく不規則でした。土砂降りの中、散々迷ってほうほうのていでアパートに辿り着いたとき、私は全身ずぶ濡れで、まるで服のままシャワーを浴びたかのようでした。

電気がまだ通っていなかったので部屋の中は真っ暗でした。ドアを開けると、安くて古い家特有匂いがして、一歩進むごとに床がぎしぎし鳴りました。アパート廊下の灯りに照らされて、自分だけの部屋に一人佇む私のシルエットが浮かぶのが見えました。

それを見た瞬間、お腹の底からわーっと力強いエネルギーのようなものが湧き上がってきました。

半径数十、いや数百キロメートル圏内には私のことを知っている人はたぶん誰もいなくて、その事実はしびれるような幸福感をもたらしてくれました。

****

それから数年間、色々な街を転々としてきました。

色々な街に住むための行動を起こしたのではなく、そのときどきで必要な行動をした結果色々な街に住むことになったのですが、

無意識のうちに移動を伴うような選択をしてきたのかもしれません。

夜の車窓から見える街の明かりのせいで心細くなるので、旅は好きではありませんが、

知らない街でそこの住人に擬態して生活するのはとても楽しいことでした。

その土地の美しい景色独自生活様式、特徴的な食べ物、そしてそこに住む人々について知るたびに、自分がまるで文化人類学者であるかのような気がしました。

そして、

何か嫌なことがあったり、滅多にないことでしたが人間関係にまつわるトラブルに見舞われたとき

最悪引っ越せばいい、と思えるようになってからは、悲しい気持ちや、人への執着や、期待といったものを水に流すことができるようになりました。

****

今の街に来てから、もう四年間が経ちました。

適度に都会だけれども人々にはよそよそしさがなく親しげで、食べ物も美味しくて、とてもいいところだと思います

ですが、しばらく同じ場所に住んでいると何だか息苦しくなってきて、変化が欲しくなってきます

本来ならばこんなに長くここにいるつもりはなかったのですが、なぜ留まり続けているかというと我ながら陳腐だなぁと少し呆れるのですが、好きな人ができたからです。

ここに来てしばらくして知り合ってすぐ好きになってしまったのですが、半ば世捨て人のような生活をしてきたので自分に自信がなく、そのため何らかの働きかけをする勇気が出ませんでした。なので、特別関係になりたいとは考えていませんでした。

そう思っていたのですが、ちょっとしたきっかけでとても親しくなって、一年ほど前からお付き合いしています

その人は、私と雰囲気は少し似ているのですが、

穏やかで、よく考えてからゆっくり話すタイプで、生まれからずっとここで暮らしていて、子供の頃からの友人と今でも親しくしていて、とにかくそういった意味全然性質が違う人です。

ずっと一緒にいたいなと思います。真偽のほどは不明ですが、その人も同じように言ってくれます

ある日、一緒に遠出したときに、私たちの住む街を見下ろせる小高い丘のようなところに行きました。

道中で、この街が好きですかと恋人に尋ねました。彼は、好きですねと答えました。

眼下に広がる街の明かりはとても綺麗で、繋がれた手のおかげで心細くなかったのですが、

私はずっとこの街で暮らすのだろうか?本当に?

****

ときどき漠然とした言い知れぬ不安に襲われるのは、私のアイデンティティが脅かされているからだと思います

ずっと同じ場所暮らしていくのなら、これまでのやり方、最悪引っ越せばいいという姿勢はいられません。

それに、恋人と過ごしていると、自分境界がわからなくなるような気持ちになるのでした。

うまく言えないのですが、

一緒にいると、彼の体から出てくる粒子の細かい不思議な粉が私の肺の奥深くまで入り込んで、頭がだんだんぼうっとしてきて、

そうしている間に二の腕やらふくらはぎやらの軟らかい場所から順番に食べられていくようなイメージが浮かびます

最近では、自分無意識のうちに彼のような言動や考え方をしていることがあります

このまま放っておくと、私は恋人この街に徐々に侵食されて、いつか個を失ってしまうのではないかという気がしています

でも、それも悪くないと考える自分もいます。それどころか、むしろそうしたいとすら思っているのかもしれません。最近自分のことがよくわからなくなってきています

だんだんぼんやりしていく頭の中で、今まで暮らしてきた街の景色や人々、初めて一人暮らしをしたときのわくわくするあの感じ、寒くていつも天気が悪い白くて小さな私の故郷ことなどを考えて、

旅をしてきたのではないはずなのに、楽しい旅だったなと、胸のところがすうすうするけれども懐かしくて暖かい気持ちになって涙がこぼれました。

2020-06-29

処女じゃなかったから振られた

かなり昔のエントリだけれど、たまたま目にして思い出した。

https://anond.hatelabo.jp/20180317223206

丁度昨年まで付き合っていた彼氏がこの増田のような人だった。

処女じゃないから無理だ」と言われて、結局折り合いをつけることができずに別れた。

付き合いはじめた頃に全て話したはずだった。交際経験人数は4人であること、うち一人とは4年付き合った長い仲だったこと、毒親育ちであるため暖かい家庭に憧れていて、結婚願望が強いこと。

お互い結婚適齢期であることもあって、早いうちに同棲して結婚しよう、と決め合って付き合った。両親が揃っており経済的にも環境的にも不自由なく育ってきた彼は、片親育ちだった私からすれば憧れで、メンタルも安定した人物のように見えた。少し性格的に甘えたところもあるような気はしたが、日常的には気にならないレベルであり、私達は順調に交際していた、はずだった。

それが、半年くらい経ってから様子がおかしくなった。

同棲結婚の話を拒否するようになり、週に3、4回は訪れていた私の一人暮らしの自宅に来る頻度は数週間に1度に落ちた。私に何か問題があるのであれば教えてほしい、ということを何回か切り出したが、言葉を濁すばかりだった。

結局しばらく硬直した関係性を続け、お互いが疲れ切った頃にやっと、結婚はできないこと、理由は私が処女ではないことにあり、それをどうしても許すことが出来ないのだ、と打ち明けられた。

告白言葉を聞いた時は今でも覚えている。「ああ、これがネットで見た処女厨か…」と妙に冷静な自分がいた。

それから何回か話し合いはしたが、とにかく相手は嫌だ、私は過去など変えられない、の連続でお互いに落としどころを見つけることができなかった。

別れる時に全てぶちまけるように相手がぶつけてきたのは、付き合ってから半年後に私の元彼の連絡先をFacebookで見つけ、連絡をとってしまい、性生活に関する詳細まで聞き出してしまったのがきっかけだった、という話だった。

「他の男のチン○しゃぶった女は無理」とリアルに言われるとは思わなかった。なかなか滅多にない経験だったかもしれない…

それからしばらくして、今は別の男性と付き合って、今度こそというかなんというか、同棲をして婚約をしている。彼はこういう風に別れてもまたすぐ別の相手を見つける私の軽薄さみたいなのを考えてしまって許せなかったのかな、とも思う。

今の相手には過去交際経験については詳しくは話さないようにしている。一つ前に付き合っていた人とは良くない別れ方をした、とだけ伝えた。相手特にそれを聞いた以上は詳細に踏み込んでこない。触れられたくないという雰囲気を察してくれるタイプの人で、そういう意味では落ち着くところに全て落ち着いたと言えるのかもしれない。

それでも、たまにふっと「自分は選ばれなかった人間なんだなあ」ということが頭を過ぎるし、あの頃の話し合いの過程で言われた「無理」という言葉を今も思い出して息が苦しくなる。

きっと元彼は苦しんではいないんだろうなと思う。私と別れたあと、別の女性と付き合い始めたと風の噂で聞いた。彼女処女かどうかは知らないが、汚い非処女を掴まされるという最悪の事態を避けたのだから彼は幸せなのだろう。

元彼に対して未練があるわけではない。ただ、「選ばれなかった」という事実自分努力ではどうにもならないことを理由否定されたことによる傷、そういったものと何年経っても付き合っていき続けていかなくてはいけないんだろうなあ…ということをぼんやり考えては、絶望みたいなものを感じたりしている。

2020-06-28

【要約】

頼れる人がいるというのは心強くて暖かい

【本文】

一番頼れるはずの親が頼れないタイプ人間だった。以前にも書いたことがあるが、私は高校生の頃痴漢に会ったため警察とやり取りすることとなったが、全くというほど親は動いてくれなかった。親に、やり取りを自分でするのは辛いと頼んでも暖簾に腕押しで、むしろ面倒事を起こすな、という空気すら感じられた。この事がきっかけとなり外に出られず塾に通えなくなった。親からサボるな、通えないなら自分で退塾連絡しろ、と言われ、退塾の連絡をした。

口出しをしてくる人はいても、身を委ねられるほど頼れる人はいないんだと覚えた。

数年経って現在ネットでの買い物が上手くいかず、トラブルとなってしまった。恋人にそのことを相談したところ、「僕がやり取りしようか?」と言ってくれた。そして、彼は本当に全てのやり取りをこなしてくれた。

トラブル解決したことももちろん嬉しいけれど、何よりも、自分のことを心配してくれて自分のために精一杯動いてくれる人が本当に存在してくれるということが嬉しくて、気がついたら泣いていた(恋人に見られないよう、慌ててお手洗いに逃げ込んだ)。今まで大抵の人に対して自分で壁を作ってきたこともあり、こんなに人のことを心強くて暖かく感じたのは初めてだった。

書きたいこと書き終わったけど涙が止まらない… どうしよう

anond:20200628083246

そうですね、それも対症療法としては間違いではありません。

人間を含めた哺乳類は汗の蒸発による気化熱によって体温を調整しますので、扇風機の風が当たることで蒸発が促進され涼しさを感じることが可能です。

また、空気攪拌によって、頭部付近に溜まった暖かい空気が均質化することにより、涼しく感じる効果もあります

欠点は、風が当たった部分しか冷えないことと、湿度一定以上上がると気化しにくくなって結局はムシムシしてくることです。真夏になると換気による湿度低減も期待出来ないので、もはや太刀打ちできなくなります

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん