はてなキーワード: メシアとは
怒涛の幕末に命を燃やし自らの信じる道を貫くそれに、共感しそのように在りたいと願い
彼についての文献を読み漁った。
恋愛の感覚もまた歪んでいた。基本的に、他人の所有する物が好きだった。
味見しては、振り、虚無を知り愛を知らず
年相応の流れのまま籍を入れた。
職を転々とし飄々と風のままに生き
誰かの忠告には耳を貸さなかった。何となく、その予感があった。
虚構の中の登場人物に感情移入するが如く生きてる実感を失ったまま
物語性のない現実の中で、自らの失望と欠如感を埋めるだけの日々が始まった。
物で足りる筈もないのに金を費やし何かを諦めた分、別の何かを得た。
それは時に柔らかい毛並を帯びたものだったり、心を癒やす音楽であったりした。世間一般には均衡を保つにはそれが必要だと言われていた。
物語性のない現実の中には、藻掻いている人が沢山いた。一番になれないコンプレックスを抱えて苦心している人、綺羅びやかに見えても水面下で必死に水をかいている鳥のような若者、
機運に恵まれず就職難に陥った良く似た人物、子を産んだが障がい者としての生き方に困っている人達。
それらを助けるために福祉があり自治体があるのに決して満足には機能せず
表面だけ取り繕った平和の下で、苦しみに歪む市井の人々を思った。
結局、何万人相手では誰も救えなかった。事実は事実として認識していても手出し出来ない状況があり、ほとんどは藪蛇に思われた。果敢にも手を伸ばそうとする彼女を嘲笑いはしなかったが共に寄り添いもしなかった。
今まで傷付け見殺しにしてきたもの全てから報いを受けろと苛まれているようだ。
次産まれる時は、きっと貧しく愚かな「人間」なのだろう。流転し、翻弄される。そしてまた遅々として進まぬ医学に唾棄しながら孤独に陥り、病室で臍を噛む。
何かを喪い落ち込んだ経験が?
将棋は崇高な文化である。棋士は日々己の頭脳を磨き、それを魂を削り、命を傾けて対局に挑む。盤上の勝負だけが彼らの生きる縁(よすが)であり、生きる意味と将棋が同義になるほどに没入して闘う。その生き様に、そこから生まれる珠玉の棋譜に魅入られたもの達が価値を見出し、やがて国が誇る文化のひとつとして昇華した。
…したはずだった。
全人口からすればほんの僅かな選ばれた者たちだけがなれるのが棋士。誇らしく、また、ある程度、将棋をするだけで生活が保障されるという夢。巨大なスポンサーと太客に支えられ、ボードゲームで生きていく。そういう類の夢の職業であるはずである。
世の中、しがないサラリーマンだけで構成されたら面白くもなんともない。己の才能と矜持と努力で夢を掴む職業がある方がいい。それに大企業や市井の人々が金を出すのもまた夢のひとつである。
棋士は崇高な職業であるが故に、彼らのことは彼ら自身で決める。団体は煌めく脳細胞の集合体なのだから、律するルールは己らで決定するのである。そうしてきたし、そうしているし、これからもずっとそうする。自分らで決め、自分らで裁き、勝ち、負け、蹴落とし、蹴落とされ、また這い上がり、生きていく。
昔は新聞とテレビが国民の情報収集と娯楽を担っていた。家庭内ではサラリーマンが専業主婦と子を養えるだけの給与があったため、家長の力が金銭的にも精神的にも強く、将棋はそこにおいては祖父や父親の文化的な嗜みとしての強い立場がある程度存在していた。新聞は将棋の強い親となり、国営放送は積極的であった。そういう時代があった。
人間が鎬を削って苦しみ抜き、勝ち負けを決める盤上の駒を使うゲームは、金を払う価値があった。
あれから随分と時が経った。新聞とテレビだけで満足する時代は終わった。家長だけが働いても食える時代ではなく、家庭のバランスも変わった。メディアと父親はもちろん、どちらも生き残ってはいるが、台頭するスマートフォンやタブレットに、男女が働く時代に、馴染まないと生きてはいけない。将棋自体は、スマートフォンで気軽に指せる時代にもなったが、気高く素晴らしい棋士の存在は、意義を問われることとなる。
新聞が金を出しきれなくなった。テレビで流すことも極端に減った。他業種のスポンサーは追加され、ストリーミング再生の放映権を売った。
どうせ親が金を出すから将棋だけしていればいい時代が終わった。現代に馴染むためにはエンタテインメント化されるのは必然だ。あるときは道化となり、メシを食い菓子を食い、ついでに将棋を見てもらう。若き救世主が地球を侵略しに来たことによって、それは加速された。
メシアはAIという集合知を連れて侵略にとりかかった。それは将棋の内容においての改革を意味していた。向上しようとするもの、必死に縋り付くもの、諦観を持って見守るもの、利用して他の切り口を模索するもの…。面白くなった、つまらなくなった、指すものからしても、観るものからしても、取材するものからしても、どう思うかは人によって違う。
そしてメシアは強烈なファンダムをも従えた。アイドルとは偶像崇拝を示すのが元の言葉である。新時代では避けて通れないSNSというものの圧倒的な力で振りまわす、いや、振り回されたのか。
繰り返すが、太い親とパトロンで保たれていた内側の秩序は崩壊した。
ひとつひとつの力は小さいが、集まれば世論をも左右するファンダムをコントロールしなければこの星は滅びへと向かう。メシアが星を滅ぼすのではない。彼はどうやら将棋を心の底から愛していそうで、まだ、メシアで居続けようとしてくれている。まだ。
滅ぶのはファンダムをコントロールできなくなったときだ。ファンダムはある時は鮮烈に良さを訴え社会現象を作りだすが、ある時は量で圧倒してスポンサーをも非難する。諸刃の剣に近い。
ファンダムは集合体であり、それぞれの知性もまちまちだ。ひとつ事件が起これば、愚鈍な発言がもてはやされる場合だって大いにある。SNSで取り上げられるのは、必ずしも論理的で倫理観のある発言ではないからだ。
文化という話に戻ろう。文化とは何か。それは半永続的な魅力のある、それ自体は一般市民の人生に必要のないものだと定義したい。生きるのに必要はないが金を出す価値がある。卑近に言えばそういう類のものだ。
将棋で生きている、または、将棋に関連して飯を食っているものからすれば噴飯ものの言いようかもしれない。だが、一般社会ではそういうものだ。将棋が無くなって、困る人の方が少ない。世界には多くの人間が存在していて、多様な娯楽があり、人生があり、他の仕事がある。
将棋と関わり、生きていくものにとって生きづらくなった、と思われるかもしれない。そう。いま、生きるとはそういうことだ。何かすればすぐに炎上し、働き方は厳しさを増し、対面での人間関係は難しい。他の人々も何かしらの生きづらさを抱えて生きている。それが現代社会だ。認めなければいけない。
身分や全てを隠した故、自分がここに書いたことを卑怯で誤謬や脚色に満ちていると思われてもいい。ただ、将棋を棋士を素晴らしいものだと思っている。たった1人の棋士の存在が自分の将棋への見方を変えた。メシアでもない、かつてのメシアでもない、残りの棋士のひとりだ。自分は彼に将棋を指し続けて欲しいからこれを書いた。
どの立場からも、互いに歪み合っている場合ではない。不用意にお気持ちを述べることも、ただ黙って推移を見守ることも、それぞれのファンダムが暴走することも、形勢を有利にはしない。
匿名はてブで書くのは非常に遺憾だった。しかし、それにも、それでもきっと書く意味はある。職業・年齢・性別・棋力は伏せた方がよかった。たとえば、
会社員で30歳で男でウォーズ四段だ。
この5つの前提で同じ文章を書いた時、それぞれ違った先入観が発生する。そういう階層や区別が罷り通るのがこの素晴らしい文化だからだ。(なお、一例であり、上記のどれかが自分に当てはまるわけではない。)
何かが変わるだろうか。この星はどうやって滅びるのか手をこまねいて見ているだけはもどかしい。
将棋を次の100年へ。
ちょっとネット見ただけでも陰謀論者が腐るほど見つかるんだから、
統一教会なんかでメシアだのサタンだのの話を信じて献金しちゃう奴がいても不思議ではないわな
https://www.amazon.co.jp/dp/4798064831
身内がこんな風になっちゃったら、マジでどうしたらいいのかわからん
陰謀論者やスピキチは心療内科でも診てくれないだろうし、統失の方がマシまである
それこそ教団に家庭が崩壊するほどの献金をしていた山上の母親とか、正常な判断ができてるとは到底思えないんだが、
山上が成年後見人として家裁に訴えたら母親を「精神上の障害により事理を弁識する能力を欠く」と認定することはできなかったのだろうか?
そんなあなたは、統一教会を信じ続けてもいいけど、私は別の宗教を一度見てみることをオススメしたい。
すべての宗教は、誰かの作文から始まったもの。その物語を信じたら、救われると信じてるから信じてるだけ。あなたにメリットがあるから信じているの。
本当に色んな物語がある。あなたは他の物語を見てみた?この機会に是非、別の宗教を知ってほしい。
前提として、統一教会の物語を信じ続けるとして、、2つ目の宗教へのおすすめは、ずばり禅宗。座禅組んだりするやつ。
キリスト教とかイスラム教みたいなのは、そもそも統一教会が否定してるわけだし、信者としての負担もヘビーだしやめたほうがいい。すると残るのは仏教なんだけど、異教を信じつつ、2個目の宗教として人気があるのが禅宗。
ガッチリやる必要はないと思うけど、概念を理解した上で、座禅を組む、とかでいい。
おすすめポイントは、あくまで内向的に自分の心と向き合うから、他の何かとバッティングしにくいこと。あの韓国人の自称メシアを心の中で大切に思いながら、統一教会の成金オバハンにお金を献上してても、多くの禅宗はあなたを否定しない(と思う)
心の中の波を沈めて、あるがままを受け入れる。そして、悟り、のような状態に近づいていく。何が幸福かを感じていく。
自分が内面と向き合うわけだから、別にキリストさんメシアだと思っても、韓国人をメシアと思っても、ご自由にどうぞ。そう思っているあなたがいることが禅宗では大事なこと。
禅宗ではあくまで「あなた」が大事。決して、「他の誰か」ではない。
いろんな本がAmazonで手軽に買えるから、何冊か読んでみて、禅の世界に振れて欲しい。そして、UCを続けても続けなくても、強く生きて欲しい。繰り返すけど、「あなた」を大事にしてね。
頑張って!!
という方向に定まったようだ。
言い換えるなら、『統一教会こそが日本の共産化を防いでくれた』という主張でもある。
役に立っていないのなら韓国の邪教と手を組む理由がなくなってしまうから、統一教会による貢献は大なるものとする他ない。
知ってか知らずか自民支持者は統一教会を高く評価するはめに陥っている。
もはや食口まで一歩の距離だ。
(その2書いた
https://anond.hatelabo.jp/20220802091833 )
俺は世間で言われてることとは真逆の見解を持ってて、文鮮明氏が反共のために戦ってくれなかったら
日本はマジでやばいことになってたと思う。誰もそういう可能性言わないから俺が言わせてもらった。
共産主義国家に染まって、日本も朝鮮半島のように東西で分裂とか
あったかもしれない。そんなの憶測だって?でもいなくても何も変わらない、むしろ邪悪だったというあなたの考えも同じレベルの憶測ですよね?
あと北朝鮮とアメリカが戦争になりかけたときがあったらしいけど、その時、金正日と文鮮明氏が対談して、
この人、いなかったらマジで悪い意味で歴史変わってたと、俺は思うよ。
氏が亡くなって、影響力が弱まった日本において、統一教会へのヘイトと弾圧が広まってるのは
意味があると思うと思ってる。これで中国に支配されるシナリオが始まってしまったかもなあって思う。
多分中国は着々と日本を侵略し始めてる。実際にチベットとかオーストラリアとか侵略してた事実があるし、
日本の土地も実際に中国にたくさん買われてしまってるし、陰謀論とは言えないと思う。(陰謀論だったらどんなにいいことか)
これで政教分離がどうのこうのとか、自民党は邪悪だとかなって、やばい政党、特に中国とか共産主義系の政党が与党になってしまったら
いよいよやばい。。あと南海トラフとかがあって、その混乱期に中国がボランティアに見せかけて、軍隊を派兵してきたらいよいよやばいと思ってる。
まあ、中国に支配される、そういう運命なのかもしれんね。この国は。でも支配されるとしても
山上が安倍さんを暗殺してしまったのが、文字通り現状の紛糾の引き金になったと思うんだけど、(安倍さんのご冥福をお祈りします)
実際暗殺を成功させるのは、アメリカの人で同じような銃を作ってみたっていうyoutubeがあるみたいだけど、かなり難しいみたいじゃん。
山上のあの銃撃は神ではなくサタンが働いて、悪い意味で奇跡的に成就してしまったと思ってる。
文鮮明氏がメシアじゃなかった、今石を投げてる日本人は特に問題ないけど、
もしガチのマジでメシアだった場合、今石を投げてる日本人は後で責任を取らされるから、あまりやらないほうがいいと思うよ。
ユダヤ人は本当はキリストをメシアとして立てなくちゃいけなかったわけだけど、その責任を果たせず
キリストが悪人だと思って、石を投げて、はりつけにして殺してしまった。
その結果、その後ナチスドイツのホロコーストでひどい目にあったわけだけど、
日本人も同じことになるかもね。。。
正直、俺の目からはこの国が破滅に向かって動き始めてるようにしか見えないよ。
まあ信じてくれるひといないと思うけど、これを数十年後(数百年後?)見た人は予言してる人がいたってなるかもねw
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ブコメの人に
https://nordot.app/925657026769059840
これは、中共から守ってやるから日本人は財産を差し出して奴隷になれと言っているわけで、この増田は自分は売国奴ですと宣言をしているのだ
残念、大外れ。俺はむしろ保守の愛国者だよ。憲法改正は賛成派、靖国神社には毎月のように行ってるし、
国家安寧のために5000円払って本殿で参拝したことあるよ。崇敬奉賛会に入ってるし、遊就館はフリーパスだよ。
愛国者だから、この流れで日本がオワコン、中国の植民地になっていきそうなのを嘆いているよ。
勝手な決めつけで人を測るの止めてくれないかな。これだけは我慢ならなかったから釣られておくよ。
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俺はこの意見にある程度賛成です
https://anond.hatelabo.jp/20220729060006
そういうので顔真っ赤にして反射的に統一教会潰そうとしてるけど、
感情的になってることに気づいて、
一旦冷静になったほうがいい。
落ち着いて何をどうするべきか考えたほうがいい。
統一教会は激しい勧誘とか献金を辞めるべきだって言ってくると思うけど、
実際そんなことやってたのは文鮮明氏が生きてて、大変だったときだけで
今はそんなに激しくはやってないみたいだよ。
俺も講義とかに参加してるけど、1000円払ったり、場合によっては
オンラインで聞いて何も払ってないこともある。
数年前にコンプライアンスが強化されて、自浄作用が働いている。
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妄想なんだけど、
原理構論の講義で習った歴史的同時性が本当で、もし再再臨のメシアが2000年後に爆誕するなら
次は400年間、統一教会は迫害されるが、迫害の末にどこかの国で国教になる。もしかすると
これはキリスト教が400年間迫害された挙げ句、ローマ帝国で国教になったことと同じことが起きる。
で、ユダヤ人がキリスト教を立てられなかったので虐殺にあったが、
同じように日本人が統一教会を立てられなかったのでこれから虐殺にあう。
で、統一教会は分裂などが起こり、
3400年くらいからの400年間は人類の文明が更に急速発展し、
父親が娘をステーションワゴン(サイド木目=70~80年代のアメ車の代表)に乗せて走っていると、「その娘」が目前に現れスリップ事故。
娘を探して霧にけぶる古いリゾート地、サイレントヒルをウロウロするが異形の怪物が現れ、やがてサイレンが響くと世界が真っ暗で錆びと血だらけの世界に反転。懐中電灯の視界だけで探し回る。
やがてこの異常事態の原因がサイレントヒルの土着カルト宗教にある事、娘の失踪に関わっている事を知っていく。
車の前に現れた娘’はカルト司祭の娘で自分の娘を儀式の生贄として使用し神を産もうとしていた。この為娘’は虐待され生死の境を長く彷徨っていた。
娘’は死に、半分が転生したのが娘だった。要するに娘はサイレントヒルの半身に呼ばれて行方知れずになっていた。
娘と娘’が娘++に合一化したのでカルトの秘儀は遂げられて神が生まれたがどう見ても悪魔にしか見えない。
主人公がそれをブチ殺すと娘++が赤子を託した。ここは彼岸でこの赤子は此岸で生きられる転生体。これが3の主人公。
開発陣が当時非常に寂れて廃墟だらけだった熱海(今なら鬼怒川温泉が近い)に投宿した際に構想されたという逸話がある。熱海は静岡だからサイレントヒル。また、熱海は急斜面にあり、坂を上った先の箱根は濃霧で有名。
サイレンが鳴ると錆と血と臓器が散らばる世界になるっていうのは映画『ジェイコブスラダー』が元ネタ。
死んだはずの妻から手紙が届き昔二人で訪れたサイレントヒルに赴く。
異常世界の景色は登場人物の精神が投影されている。その為に艶めかしい脚だけの怪物などエロと悪趣味が合一された世界が展開される。途中に何度も底の見えない穴があり、そこに飛び込む。
その筋では人気のレッドピラミッドシングが登場するのもこれ。
強迫観念のメタファが多用され、例えばレイプされ続けていた父を殺した女性にはベッドと合一化した男が襲い掛かり、その周りには常に火が見えている。これは贖罪意識である事は容易に判るが、主人公にも火が見えている。これによりどうも彼女と同じ罪を背負っていると察せられる。
ホテルで主人公と妻の忘れ物とされるビデオテープを渡され、再生すると看護に疲れた自分が妻を殺した事を思い出す。
過去が判ってくると妻の手紙は白紙になってしまい異常世界で妻に再会すると殺害を咎められ、これを打倒し、贖罪意識の元になっている妻を再度殺す羽目になってしまう。
カルトの秘儀を行い妻を再生する為に男は霧の湖をボートを漕いでいく。
JKがイオンに居ると異世界に突入し白髪の三浦瑠璃のようなカルト狂信者に遭う。
家に帰ると父が殺されていた。この男の邪魔で神の降臨が妨げられた、再び神を降臨させ神の国を作りましょう、サイレントヒルで待つと。
JKは自分の輪廻を絶ち、父の仇の狂信者をぶっ殺す為にサイレントヒルに向かった。
落ちていた週刊誌から、JK転生前の娘’が居たのはカルト二世を収容する児童養護院で、教義に基づいた虐待と洗脳が行われていた事を知る。
錆と血とグロと暗闇の異常世界で色々あってカルトの教会に着くとさっきの女に会うが、身ごもっていた神が産まれそうになる。
神が生まれたが、どう見ても神じゃない。これが神なら文鮮明もメシアだ。神をぶっ殺してJKは輪廻の運命を自分の意志で断ち切った。
たかがホラーゲームと侮れないのは、メタファが多用されているところ。
例えば同じところに戻ってきたり、怪物が丸いハンドルを回していたりする。これは主人公の輪廻を表している。
日本のTVしか見ない人には判り難いが、洋画を見る人には結構刺さるものがあると思う。
グラフィックは大変悪趣味なグロで、懐中電灯で廃墟探検をしていて何年もタイルに流れた血を洗わず腐っていて瓶漬け臓器が転がっているような地下の霊安室、解剖室を歩いているのを想像すると良い。錆と汚れと血が乾いた梯子を素手で上るとか。怖いというより精神的に参ってしまう。
ストーリー的には自分の意志で決着をつけるという物語なので怖さはない。
件の事件との関係では、親族の仇に復讐する、殺人で己の運命を断ち切るというのはありきたりな話だから特別な関係はないんじゃないか?
ただ、美術史には図像学(イコノグラフィー)というのがあり、キリスト教美術のこの部分はこのモチーフを表すという暗号解読みたいな絵の見方があるのだが、そういうのに素養があると「あれはこういう意味じゃないか?」というのが気になる作りになっている。
ただ宗教教義の中でそういう勉強はないと思うので、特にインチキカルトである統一教会にもないと思われる。
ただ、2→3と連続でやると、強迫観念のメタファが多い2を引きずったままでメタファ多用の3をやる事になり、強迫観念増幅効果があるかもしれない。
また運命を断ち切る当為の最中にカルト二世児童養護院での洗脳虐待が出てくるって事情はある。
2では底が見えない穴に落ちるという行為が連続していて、これは哲学的投企を表している事明白だ。死を暗示する行為が今の自分からあらまほし自分への前進という訳で、ちょっとファシズムやテロルっぽいところもある。
ただこの程度で事件を決意するなら増田もスコセッシのタクシードライバー見て殺人事件起こしてるはずなので、結構心を動かされた程度の可能性だと思われる。
【追記】
オーディオブック版を作ってくださった方がいるようです。お好みでどうぞ。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm40784246
続き
【追記ここまで】
趣味の悪い無職なので興味本位で丸二日ほど、統一教会の元・現信者、二世の元・現信者のコミュニティを外部から観察していた。
これが思った以上にわけがわからないのである。たとえば驚いたのは現信者のコミュニティでも「自己破産まで献金させる教会はほんまゴミ」が暗黙ですらないコンセンサスであるようなのだが、一方で信者なので「真のお父様こそメシア」は自明のこととして受け入れていたりする。もちろん完全にあちら側の人もわんさかいる。
一番読んでて疲れるのは「元信者」が書いている文章だ。この肩書きの人は完全に正気度がランダムに分布していて、何を読まされるのかが分からない状態で毎回向かい合うことになるので大変にしんどい。まともな人もいるし、相変わらずそうでない人もいる。
そして二世のコミュニティを見て、想像を絶することが起きているのだなと思った。脱会二世が口々に「カルトがなければ自分が生まれていないのにもかかわらず、カルトを否定しなければならないこと」の間で苦しんでいることを主張していて、その不条理にどう立ち向かえばいいものか。二世信者の「脱会したいが地獄に落ちるのが怖くて決心ができない」という言葉を読むに至っては、もう本当に生まれて初めて「言葉がない」という言葉の意味を知らされた。
二世の実態に関しては、被害弁連の会見で語っていたAさんこと冠木結心さんが書いた電子書籍がKindleUnlimitedに入っているので是非読むべきだ。
全三冊あり文字数は分からないが体感的には文庫本半冊程度で文字数と文章の力量的には読みやすく、脱会者の方の言葉にはいろいろ難しいこともあるが、この方の本に関しては安心して読める。(この紹介とその言い方に関しては熟慮しましたが、ご本人の意図にも背かないだろうと考えて無断で紹介しました。ご本人か周辺からストップがあればすぐに撤回します)
ところでこの脱会者・脱会二世コミュニティがインターネット上のどこかでいま盛り上がっているのだが、これを眺めていて抱いた意外な感想がある。あくまで一部に限ってではあるが、妙に微温的なのである。「統一教会はほんまクソだけどそれはそれとして楽しかったよね」というスタンスの人を結構見た。批判したいわけではない。むしろ逆に、どうしたらそんなに優しくなることが可能なのか、と思った。
それは「統一教会あるあるのキモい思い出」で盛り上がっている脱会二世を見ていると特に感じられたが、冠木さんの著書やなんなら現信者の「教会はクソだけど教義は正しい」という態度にも見て取れる。
これはなんなんだろう、ずっと悩んでいたとき、頭の中にぱあっと光が差したんです(50代女性が穏やかな口調で)。「あなたはもう答えを知っている」そう囁いてくださったのが、そう、野獣先輩なのです。
この瞬間、俺は完全に「世界の全てを理解した」。はっきり言って「普通の日本人」である俺には「両親がともにカルトの信者」である人の気持ちなんて想像のきっかけすら掴めないが、「両親が淫夢厨」であることの悲惨さについては想像できるように思うのである。
全くふざけていない。少なくとも俺にとっては(少なくないネット民もそうだと思うが)「どう考えても滅びるべきであるが、それはそれとして愛着があるもの」としてのリアリティとして圧倒的に淫夢がカルトに勝る。
「親が家に教祖の写真を飾ってる」気持ちは想像もできないが、「親が家にヤジュセンの写真を飾ってる」ことの絶望感は想像できるように思うのである。以下では、Aさんの本を事例をピックアップしながら、淫夢厨二世について考える。
ここに両親が淫夢のコミュニティで知り合い結婚し生まれ、野獣先輩が森羅万象であると教わって育ち、自分の名前は淫夢ファミリーから取られていて、両親ともに淫夢語録しか話さない家庭で育った子供がいるとする。
ところで、淫夢が人権侵害コンテンツであり即刻滅びるべきであることに議論の余地はない。
さて、その子供が「淫夢は無くなったほうがいい」という、まともな社会でまともな人間として認められるためには当然持っていなければならない常識を持つのにいかばかりの困難がともなうだろうか。
あるいは、淫夢語録で喋ったせいで周りの人間関係から拒絶されて、淫夢コミュニティに一度取り込まれてしまったために社会復帰ができない人、ぐらいは実際リアルでいそうな気がするのだがどうか。
Aさんの体験も淫夢2世として考えると相当薄めてではあるが理解できるように思う。
カルトはカルトの顔をしていない。確かに初対面で「FF外から失礼するゾ~」とマジで話しかけてくる淫夢厨はいない。知り合った人が後から淫夢厨だと分かるパターンがほとんどで、気づいた頃には手遅れだ。
そしてAさんは韓国にやってきたが、自分一人GINZA勢なのにβの人間しかいないコミュにいて過剰適応するなと言うのが無理な話だろう。スピーチコンクールで韓国語を褒められた話は、語録の使い方がうまくなって喜んでいるのと同じである。自虐史観をすり込まれ「韓国人になってきたね」と言われて喜んでいた、というのも「やっとらしくなってきたな…」と言われて喜ぶキッズのようだ。
Aさんの3冊目では脱会した後の難しさが語られている。俺は統一教会の両親に育てられた子供が全くそれをなかったように過ごすことが可能かはまったく想像も付かないが、淫夢厨の両親に育てられてまったく何もなかった普通の真人間として生きることはできないだろうなとは思う。
脱会者の方の文章を見ていると、ふとした時に違和感を覚えることが多い。たとえばふつうにメシアはいる前提で話してるとか。これも、淫夢文化を抜けたと思っても、ふとした時に出てしまうようなものかなと思う。
Aさんは一度やめようと思ったときにまたたまたま出会った人が統一教会の信者で逆戻り、というのも、淫夢から抜けようと思った先で淫夢厨に会って逆戻りくらい普通にありそうだなと思った。奴らはインターネットの隅々にまで入りこんでいるため、ふと使った言葉が淫夢語録であると意識されていない場合すら多い。
生まれてから今までカルトであったひとが、まともに生きるのがどれほど大変であるかは「生まれてから今まで淫夢厨であった人が定型文以外で会話するのがどれほど困難か」を考えてみれば少しは分かる気がする。そして全人類における単なる事実として「定型文で喋った方が楽」というのは事実としてあり、それがいかに行く手を阻むか。フラッシュバックについても、たとえば「警察だ!」というありふれたセリフを聞いてインパルス板倉を思い出さなくなる日は可能であるものなのだろうかと疑問になる。何年経ってもふとした瞬間に「それヤジュセンのネタじゃんw」と脳内で囁かないことは難しい。
そう考えると全ての脱会二世の方はいかに困難なことを超えてきたかが「少なくともこれ以上は大変」という限りなく大きな最小値として理解できるわけで、よくあなたがあなたであれるようになれたものだと尊敬する。
ここにきて、あの微温的な感覚の理由も少し分かるような気もするのである。確かに俺の中では「淫夢は今すぐ滅びるべき」と「それはそれとして楽しかった」という命題はしっかり両立する。あるいは、これは無茶な置き換えでは無く完全に文字通りの意味で「淫夢文化は滅びるべき」と「淫夢文化が救った魂がある」というのも両立すると思う。
テレレレレレ-
教えはどうなってんだ教えは
お前ら禁じられたカルトを
平気で使ってんじゃねえか
分かってんのか!?
「晋」が生まれたのは
金取んのかよ!?
くそったれ!
……さて、ここに淫夢のせいで一家離散した人間がいるとする。そしてある日元首相が「おとわっかのご冥福を」とか言ってたらどうするだろうか、と思うのである。
未熟な信仰者もたくさんいるだろう。。
そりゃ堕落人間だから失敗もするし、失敗したらさらに堕落人間が叩きに来る。
でもこれだけは言わせてほしい
原理講論は本物
とりあえずよく知らないのに、脳死でカルトカルト連呼してるやつは虚心坦懐に
頭空っぽにして読んでほしい。実はAmazonで簡単に手に入る
あーだこーだ言って批判するなら教義を理解してからにしてほしい
https://www.amazon.co.jp/dp/4876563640
まあ絶対あーだこーだ言って読まないんだろうけど。
でも、知りもしないのに、読みもしないのに批判するのは、
見てもいない映画をクソだってレビューするようなもん。見てから言ってほしい
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最近、靖国神社通い始めて、日本の近代思想や神道も勉強してるんだけど、
色好みせずに様々な思想や宗教を勉強するのは、いいと思うんだよね。
思想や宗教と、行き過ぎた宗教活動、信仰活動ってのは分離して考えていいと思うんだよね。
でも思想自体は無視できるものではないし、自分の実感・経験として
何度もこれは本物だと思わされたことが合ったので、片足ツッコみつつ勉強してる感じ。
信じてる人の中には、そういう人もいるってこと知ってほしい。
大体献金って聞くと、邪悪なイメージあって私腹肥やしてるとか色々思うけど、
遥か手前で億万長者達成なんだから、こんな80歳くらいになるまで
続けるわけ無いだろ。そんな不合理なことするかよ。普通の頭あるならわかるだろ
まあそう見られるようなことをしていた、統一教会も悪いとは思うけど。
おまえらも偏見の塊だ。よくわからないから怖くて潰したいだけだ
アニメやゲームを模倣して銃乱射事件起こった時、もしアニメやゲームが規制とかなったら
今回のような事件が起きたときは、宗教規制、カルトカルトって連呼すんのな
あと破産して不幸な家庭ができたのが事実だから、これはなんとかすべきだっていう
義憤があるなら、
同じくパチンコとか競馬とかハマって、ギャンブル依存症になって破滅した人や家庭がいるはずだから
あの金こそ北朝鮮に流れてるんだろ?そういう巨悪にも立ち向かえよ
アルコールも大麻より依存性あるし、アル中になって不幸になった人いるから
もちろん規制な
うわぁ・・・いよいよ根本的なところまで議題に上ってくるのか。
近年では、キリスト教の諸派の間で相互の対話や協力が盛んになったと聞きます。それではなぜ、「統一協会はキリスト教ではない」と言って排斥するのですか。
https://sophia-catholicjesuit.jp/qa/68/
もともとキリスト教にとって、「主は一人、信仰は一つ」(エフェソ4・5)です。そして、神の和解と愛を世界に告げ知らせる使命をもった教会が分裂していることは、キリスト教の本来のあるべき姿ではありません。このことに心を痛めるキリスト教の諸教派には、「エキュメニズム」と呼ばれる、信仰の一致を促進する運動が高まってきています。日本でも最近、諸教派が協力して、聖書の共通の日本語訳を完成させました。教派の区別なく同じ聖書をもっているのだから、同じ邦訳聖書を使いたい、という望みからです。このように諸教派が一緒に仕事をしたり、話しあったりする機会をもって、互いの伝統のよさを学びあうことは、とても有意義なことです。それによって自分の教会に足りない所などにも気づかされますし、キリスト教の信仰のもっている生命をもっと豊かにすることができます。
ところが残念ながら、このようなエキュメニズムの対象にはなりえない、キリスト教の名を語って人を惑わす新興宗教があります。「統一協会」もしくは「原理運動」(正式の名は「世界基督教統一神霊協会」)も、その一つです。巧妙な手段を使ってキリスト教の学校や諸機関にまぎれこみ、騙された人を引きずりこんで、あちこちに被害が出ていますから、教会の指導部では警戒せざるをえません。
統一教会は、文鮮明という教祖によって一九五四年に韓国で創立された、陰陽道とシャーマニズムが一体となった新興宗教です。文鮮明は聖書を勝手に解釈して、自分の都合のよいように用いますが、つまるところは、自分こそが再臨のメシアだ、と主張します。イエスがなしえなかった救いを、自分がもたらす、と言います。『原理講論』という教典があって、これが真理を初めて明らかにするものとされます。
統一協会の教えについてはここで詳述しませんが、どのような教えであれ、私たちにはキリスト教の正統信仰を見わけるために一つの鍵があります。それは、イエス・キリストをだれと言うか、を見ることです。イエスを通して神が歴史の中でただ一回限り、決定的なしかたで御自身を啓示されたのだ、イエスこそ神の絶対的な仲介者だ、と信じるのがキリスト教です。もしイエスがなしえなかったことを他の人がなす、と言うのであれば、それはもうキリスト教ではありえません。また、聖書が明らかにしなかったことを、他の書物が啓示すると言うのであれば、それはもうキリスト教ではありえません。これはキリスト教信仰の真髄をなすことです。
Q.
近年では、キリスト教の諸派の間で相互の対話や協力が盛んになったと聞きます。それではなぜ、「統一協会はキリスト教ではない」と言って排斥するのですか。
https://sophia-catholicjesuit.jp/qa/68/
A.
もともとキリスト教にとって、「主は一人、信仰は一つ」(エフェソ4・5)です。そして、神の和解と愛を世界に告げ知らせる使命をもった教会が分裂していることは、キリスト教の本来のあるべき姿ではありません。このことに心を痛めるキリスト教の諸教派には、「エキュメニズム」と呼ばれる、信仰の一致を促進する運動が高まってきています。日本でも最近、諸教派が協力して、聖書の共通の日本語訳を完成させました。教派の区別なく同じ聖書をもっているのだから、同じ邦訳聖書を使いたい、という望みからです。このように諸教派が一緒に仕事をしたり、話しあったりする機会をもって、互いの伝統のよさを学びあうことは、とても有意義なことです。それによって自分の教会に足りない所などにも気づかされますし、キリスト教の信仰のもっている生命をもっと豊かにすることができます。
ところが残念ながら、このようなエキュメニズムの対象にはなりえない、キリスト教の名を語って人を惑わす新興宗教があります。「統一協会」もしくは「原理運動」(正式の名は「世界基督教統一神霊協会」)も、その一つです。巧妙な手段を使ってキリスト教の学校や諸機関にまぎれこみ、騙された人を引きずりこんで、あちこちに被害が出ていますから、教会の指導部では警戒せざるをえません。
統一教会は、文鮮明という教祖によって一九五四年に韓国で創立された、陰陽道とシャーマニズムが一体となった新興宗教です。文鮮明は聖書を勝手に解釈して、自分の都合のよいように用いますが、つまるところは、自分こそが再臨のメシアだ、と主張します。イエスがなしえなかった救いを、自分がもたらす、と言います。『原理講論』という教典があって、これが真理を初めて明らかにするものとされます。
統一協会の教えについてはここで詳述しませんが、どのような教えであれ、私たちにはキリスト教の正統信仰を見わけるために一つの鍵があります。それは、イエス・キリストをだれと言うか、を見ることです。イエスを通して神が歴史の中でただ一回限り、決定的なしかたで御自身を啓示されたのだ、イエスこそ神の絶対的な仲介者だ、と信じるのがキリスト教です。もしイエスがなしえなかったことを他の人がなす、と言うのであれば、それはもうキリスト教ではありえません。また、聖書が明らかにしなかったことを、他の書物が啓示すると言うのであれば、それはもうキリスト教ではありえません。これはキリスト教信仰の真髄をなすことです。
確か2020年くらいのとき、1人で新宿ぶらぶらしてた時に手相見せてくれませんか?と呼び止められて手相見せたら、その後に詳しい人を紹介したいと言われどこかに連れて行かれた。
そこで特に感激した訳ではないけど、ちょっとメンヘラ入ってた部分もあり、カウンセリングみたいな感じでしばらく通うようになった。
そこでは、最初にビデオ(よくわからん講義だったり映画だったり)を見てその後スタッフの方とお話するだけだった。
しばらく通った後、ツーデイ?にも行った。
サタンが〜とかメシアが〜とか聞いてたけど、バカだからあまり理解が出来なくてへーと言う感じ聞いてた。
その後は忙しくなって通うことはしなくなり、自然と団体から離れていった。貧乏だから献金もなかった。
「そしてその時ではもう遅いのだ。」 http://www.asyura2.com/sora/bd11/msg/691.html
「右翼、民族派の人たちが統一教会・原理研・国際勝共連合のことをどう思っ
ているか書いて下さい」と『朝日ジャーナル』の記者に言われた時には正直い
って気が進まなかった。
たしかに右翼の連中の中には「反共の同氏だ」と思っている人はいる。また、
「原理はウサン臭くて嫌いだが勝共は仲間だ」と公言する人も多い。警察の公
安や公安調査庁の人間だって反共なんだから仲間だし、日本に共産革命が起き
たときには一緒に決起してくれると信じている<純朴>な人も多いこの業界だ
しかし、少なくともわれわれ民族派、また新右翼といわれる若い人間にはそん
な混同を起こす人間はいない。だから、『朝日ジャーナル』の記者の話を聞い
て、何を今さらと思ったのである。それに、右翼全体なんてどうでもいいとい
う気もあった。多くの右翼が原理・勝共を反共の味方だとおもっているのなら、
それでもいい。何もおせっかいをして、原理・勝共の実態はこうなんですよと
<告げ口>することもあるまいと思っていた。
ところが、筑紫哲也氏の「原理不可解な右翼の沈黙」(本誌一二月十四日号)
を読んで少し考えが変わった。その種の挑発にはやはり乗るべきだと思った。
それに、『世界日報』事件で追放された副島嘉和、井上博明両氏が『文藝春秋』
に書いた内部告発を読んだ時の衝撃も忘れられない。原理とは大学時代からの
原理運動が初めて日本に入って来たのは二十五年ほど前だというが、本格的に
やり始め、世間の耳目を集め出したのは、それからしばらくしてだと思う。原
理運動のことを直接にしったのは、僕が昭和三十八年、早稲田に入ってからだ
それから二,三年して早稲田で全学ストライキがあり、それが全国の学園紛争に
火をつけて全共闘時代の幕開けとなった。それに刺激され対峙する形で民族派
学生運動も出てきたし、一時は全国30大学自治会を握り、「民族派全学連」
を結成しようというところまでいった。その学生運動の嵐が起こる前から、原
理研は駅前で黒板を出して演説したり、個人をオルグをしていたが、大学に入
りこみ、サークルをつくったりして組織的、全国的に活発にやりだしたのはこ
全共闘と民族派と原理。この三つの違った運動があの早稲田の一点から、ほぼ
同時期に生まれ、全国に広がり燃えさかっていった。換言すれば、全共闘に刺
激され、全共闘を反面教師としながら民族派も原理も、己の組織化を急ぎ、全
国的な広がりをつくっていったのである。われわれもそうだったが、原理研が
今やっている大学でのサークル、学内新聞づくり、自治会奪権闘争……などは
完全に全共闘から学んだものである。逆接めくが、今の原理運動も民族派の運
動もある意味では「全共闘の遺産」なのである。全共闘との付き合いについて
はこれまでも書いたことがある。今回はもう一つの原理について書く。
はじめに、「何を今さら」といったが、われわれ、戦後体制打倒をめざす「一
水会」の機関紙『レコンキスタ』(スペイン語で”失地回復”の意味)でも何
度か原理についての批判をしてきたし、原理運動研究家の第一人者である茶本
繁正氏を招いて一水会事務所で勉強会をしたこともある。その時のテーマは「
勝共連合は愛国者なのか」であったし、彼らは民族派の味方ではないこともわ
れわれは明らかにした。
また、われわれの仲間には何人か原理にオルグられたり、「合宿」に誘われて
行ったことのある人間もいる。二年前、そんな一人に「私はこうして”原理研”
が治った」という体験談を話してもらい『レコンキスタ』に載せた。当時は「
こうして新左翼が治った」「べ平連が治った」「アナキストが治った」といっ
た体験シリーズをやっており、それら左翼運動と同次元で原理も考えていた。
さらには、われわれ一水会と連帯している統一戦線義勇軍の機関紙『義勇軍報』
でも原理・勝共との戦いを呼びかけており、事実、一水会や義勇軍は他の民族
派と共闘して彼らとの闘いを展開していた。
小さいながらもこうした反原理・反勝共の闘いをやってきたが、これは右翼全
般からは不評で、「思いつきでやってる」とか「勝共は仲間なのに」「敵を利
する」などと批判された。しかし、大学時代からわれわれは彼らを一度も味方
だと思ったことはないし、民族運動の同志だと思ったこともない。学生の時、
早大で知ってた彼らは決して右翼ではなかったし、反共でもなかった。「天皇
なんて関係ない。文鮮明師がすべてだ」「憲法なんてどうでもいいし、興味は
ない」と、正直にいっていた。われわれとは立場は違うが、宗教団体としては
それも当然だろうと思っていた。ところが最近、急激に「右傾化」した。「天
統一教会・原理研と勝共連合は別だと言う言い訳は通じない。やっている人間
は同じなのだ。なぜ、急に右旋回し、豹変したのか。その右旋回は本物なのか
どうか。すっと疑問に思ってきた。最近の派手な言動に幻惑されて、即「味方
だ」と思ってる右翼に同調できない理由もそこのある。そんな疑問に答えてく
れたのが副島、井上両氏の『文春』のレポート「これが『統一教会』の秘部だ」
だった。そして、『原理講論』をはじめて通読し、両氏の告発が嘘でも誇張で
もないことを知った。
イエスが再臨する「東方の国」は韓国であり、韓国語が祖国語となって世界は
一つになるという。なぜ、「東方の国」が韓国かというと、中国は共産化した
からサタン側の国であり、日本は「代々、天照大神を崇拝してきた国として、
韓国のキリスト教を迫害した国」だから、これも「サタン側の国家」だという。
また、「第二次世界大戦は、民主主義によって結託した米、英、仏の天の側国
家と、全体主義によって結託した独、日、伊のサタン側国家との対戦であった」
という。
これは、『原理講論』にかいてある通りである。そして、韓民族がいかに「サ
タン」の日本によって、侵略され、迫害され てきたかがこれでもか、これでも
かと書かれている。『文春』の告発レポートでは、さらに驚くべき事実が書か
れている。韓民族が選民であり、他民族に優越しており、再臨主とは、すなわ
ち文鮮明氏のことであり、文氏によって世界は統一され、必然的に韓国は世界
の中心となり、韓国語が世界の共通語となる。こう説かれているという。
また、われわれ民族派としては見逃せないこととして「敬礼式」についても『
文春』に書いている。これは文鮮明氏をメシア、王の王とみなす象徴的な儀式
だそうで、本文から引くと…・・。
「統一教会が四代名節と呼ぶ記念日には、早朝五時からの敬礼式があり、そこ
では聖壇に座った『文氏』とその家族に対し、統一教会の主要幹部が三拝の拝
礼を行う。場所はだいたい『文氏』の私邸であるアメリカ・ニューヨーク州の
イーストガーデンである。その際、天皇陛下をはじめ、レーガン大統領、全斗
煥大統領ほか主要国の元首の身代わりを、それぞれの国の教会幹部が担当し、
文教祖一族に拝跪して全世界の主権者が文教祖に拝礼したという儀式を行うの
である。日本の天皇陛下の身代わりを演ずるのは、日本統一教会会長の久保木
氏なのである。何とも奇妙で、そして国民の象徴として天皇を上にいただく日
全くもってひどい話である。文鮮明氏の精神は、信仰の王国ではなく、現世の
王国を夢み、その独裁者たらんとする。これはまるで弓削道鏡だ。「彼らは反
共だから味方ではないか」と言っていた右翼の人々も、これを読んだら、とて
もそんなことはいえないはずだ。実際、「許せない」「こんな反日集団は敵だ」
と激高していた人が多くいた。僕としても前から、その性格は漠然とは知って
いたが、これだけ証拠をつきつけられては改めて愕然とする思いだった。
これを見ても分かるように、原理・勝共は決して右翼、民族派ではない。では、
一体何なのか。
まず第一に、これは裏返しの共産主義である。「原理研が治った」青年も言っ
ていたが、反共を唱えてはいるが、内部の生活はむしろ共産主義だという。人
生について考えている青年や悩んでいる青年をオルグってきては「合宿」につ
れ出し、何日もロクに眠らせずに「洗脳」をする。はじめは「そんな馬鹿な…
・・」と心の中で抵抗していても、しまいには疲れ果てててしまい、批判し抵
抗することも面倒になって全面的に受け入れてしまうという。「思想的強姦」
である。また、洗脳の途中で頭の回路が外れて気が狂ったりした人間も多いと
いう。さらに自由を許されない共同生活、文氏の決める人と結婚する集団結婚
式。本場の共産主義国家、ソ連や中国でも、ここまでは共産主義化していない。
自分たちの内部生活は共産主義で、外部に向かっては反共を唱えている。その
反共も本心かどうかは分からないが、本心だとしても、日本の民族主義とは一
切無縁のものである。さきほど見たように、これはソウルを中心とした反共イ
ンターナショナリズムである。初期の共産主義がモスクワを中心としたインタ
ーナショナリズムだったのと同じ構造である。共産主義と同様に、この原理・
第二に、その「反共」すらもが本当かどうか怪しい。「統一教会・勝共連合の
宗教活動、愛国運動は『文鮮明氏』の野望を実現することを目的とした方便な
世界の王になるためには、ます韓国の王(大統領)にならなくてはならない。
韓国は反共バリバリの国である。文氏は日本の人と金を湯水のように使って、
全世界的規模での反共活動の「実績づくり」をしている。そのための反共であ
り、韓国→世界の王に向けての手段である。反共運動の全部が全部、仮面とは
言えないにしても、原理運動と世界の王になることが第一の目標であり、反共
また、反共活動をいっしょにしている自民党や体制派文化人にたいしては、勝
共連合に入るように勧めるが、統一教会、原理研には入れようとはしない(な
かには一部の例外もあるが)。原理運動をしている人間は想像を絶するストイ
ックな生活をしている。物欲でこり固まった自民党や体制派の人間をストイッ
クに改造はできない。反共という衣をつけて、ハナから利用するためだけに近
寄っているのだ。あるいは、そうした金と物欲に目がくらんだ自民党サイドの
人間に対し、「いつか必ず自分たちの前に拝跪させてやる」と復讐の念を燃や
しているかもしれないが。
第三に、これは全体主義である。茶本氏は「ファシズムへの道」だというが、
その通りだ。文氏は、いわはヒットラーであり、『原理講論』は、さしずめ『
マイン・カンプ』である。『マイン・カンプ』の中には徹底した日本人軽視、黄
禍論があったが、日本語板ではそれを削除し、ヒットラーの力の前に幻惑され
て日本は手を結んだ。それと同じように韓民族が選民であり、世界の中心だと
いうことは、日本語板の『原理講論』では意図的に削除されてきた(最近は居
直って日本語板にも出しているが)。これと同じ過ちを日本の体制側、そして
一部の右翼は再び犯そうとしている。
第四に、この狭量なストイシズムは宗教としては光輝いて見えるが、世俗的権
力の奪取、文王朝の建設を目指すという政治の世界には入るや、必ず悪い結果
になるということだ。ロベスピエール、カルヴィン、松平定信…・・と、その
ツヴァイクの『権力とたたかう良心』によると、宗教改革に成功したカルヴァ
ンは、他人のどんな小さな過ちも許せない狭量、厳格な人間で、徹底した恐怖
政治を敷き、「罪ある者が神の裁きをまぬがれるくらいなら、むしろ罪のない
者が処罰される方がいい」と公然と告白したという。また、カルヴィンやロベ
スピエールはそのいい例だが、「禁欲と苦行のひとというのは、いちばん危険
それをもっと推し進めればカンボジアのポル・ポトになる。古い体制、古い倫理
観の人間は殺して、殺し尽くした。人口の半分も殺したというが、国民の半分
を殺して達成しなければならない革命とは一体何なのか。地獄のカンボジアを
実際に見てきたある新聞記者はこんなことを言っていた。古い体制の人間を殺
す尖兵は、少年たちだったという。その少年兵たちの目は、人間の生死はもと
より、もう何事にも感動を示さないし、 いわば<ゾンビ人間>の目だったとい
う。そして、その目はしょうど原理研の人たちの目に似ていたという。未来を
暗示するようで、何かゾッとする話だ。
第五に、彼らもまた、<狼>だ。これだけでは何のことか分からないだろう。
僕は十年近く前、三一書房から『腹腹時計と<狼>』という本を出したが、そ
の爆弾事件の<狼>とあまりに似ていると思うのである。個人的なまじめさに
おいて、また、日本の戦争に対する贖罪意識の余りの強さにおいて・…。両者に
とっては先の戦争はまさしく原罪である。日本は韓国や中国に侵略し、残虐の
限りを尽くしたひどい国だ、と教えられ、一途に信じ込む。だから、再び、そ
うした国に経済侵略してゆく企業には爆弾を投げるという<狼>。彼らの中に
は「自分の祖父や父は兵隊になって侵略したから自分はその贖罪のために新左
それに対し、侵略した「サタン側の国」(日本)からは、いくら金をしぼり取
り、人間を消耗品のようにつかってもいい、という原理・勝共。朝鮮人参、印
鑑、大理石のツボ、花売り、街頭カンパ等、ありとあらゆる方法で日本から金
をかき集める。詐欺まがいの商法で、ピンク産業以外は何でもやっているとい
う(もっとも統一教会としては、上からの指令はしていないと逃げているが)。
末端の会員ですら月に100万円のノルマを課せられ、日本全国からは月に2
0億円、年に240億円もの金がアメリカの文鮮明氏の元に送金されていると
いう。合法、非合法を問わない強引なやり方で「サタンの国」からは徹底的に
金をしぼりとり、文王朝のために日本人は手足として使い、使い捨てにすれば
いいという考えだ。
会員もそれに甘んじている。これは日本の戦争に対する韓国側の復讐なのかも
しれないが、日本人会員にとってはそうすることによって「侵略戦争」の贖罪
ができると思っている。<狼>クループ同様、屈辱的な贖罪史観、敗戦コンプ
レックスを色濃く引きずっている。
第六に、文王朝建設のために日本人の<献身の美徳>が最大限に利用されてい
る、ということだ。いつの時代にも、他人のため、世界のために体をかけて働
いてみたいと願う正義感の強い青年たちはいる。方向性は違っても、戦前の青
年将校、在野の右翼運動、日本赤軍…・・。そして多分、原理運動に飛び込ん
安倍先生が今後も政治家として活動される上で、統一教会やそのフロント組織と連携し、このようなイベントに協力、賛助することは決して得策ではありません
https://www.stopreikan.com/kogi_moshiire/shiryo_20210917.htm
命を失ったんだ。この人らの助言は正しかった。
山上容疑者は母の宗教団体の分派の団体に所属していたようですが、母が所属する団体を恨んで対立が生まれたようです。母が所属していた団体は安倍元首相ともつながりが濃いとされる団体で、それを理由に安倍首相を敵視するようになった可能性があります
『特定の団体に恨みがあり、安倍元首相と団体がつながっていると思い込んで犯行に及んだ』『そのせいで家族がバラバラになった』などと犯行の動機を説明しているようです
https://bunshun.jp/articles/-/55801?page=3
文鮮明先生が亡くなられた後、その妻・鶴子さんが教義を変えて“自分がメシアだ”と教祖を否定することを言い出した。そんな鶴子さんを担ぎあげる本部教会はおかしいと抗議しているのです
現在の統一教会では“七男派”が支持を集めつつあります。しかし、統一教会の不動産の大部分は宗教法人名義のため、結果的に、未亡人率いる“主流派”が不動産を握っている。衝突は、この遺産争いという面があります
https://www.dailyshincho.jp/article/2017/03210559/?all=1&page=2
安倍さん、残念な宗教団体から金を引っ張って顔を貸してやり、そこには残念な内輪揉めがあって、それにより引き裂かれた残念な親子がいて、人殺しをやっちゃう残念な息子が作った残念な手作り銃で射殺された。
そんなところかね。全てが不毛だよ。